2012/08/26

天城山縦走路

  今年の夏休みは9日間ありましたが、前半は、8月13日に≪天城山≫に登り、後半は、16日と17日の二日間を使って、≪房総半島≫から≪鹿島灘・霞ヶ浦≫へツーリングに行って来ました。 今回は、天城山の方の記録を紹介します。


  今は昔の2008年、西伊豆の≪達磨山≫に登る前の事。 ネットで、附近の山について、あれこれ調べていたら、「伊豆半島の最高峰は、天城連山の≪万三郎岳≫である」という事を知りました。 最高峰と聞くと、何となく登りたくなるのが人情。 しかし、その後、≪愛鷹山≫の全峰登頂を果たすと、急激に登山への興味が失せてしまい、それっきりになっていたのです。

  それが、今年の5月の連休に、伊東市の≪大室山≫に行った時、割と近くに、万三郎岳の姿が見えて、意外な感じを受けました。 「万三郎岳というのは、大室山から、こんなに近くにあったのだなあ。 最高峰というから、近づき難い難所だと思っていたが、なんだか、妙に身近ではないか」 そんな風に感じて、「夏休みにでも、登ってみるか」と、計画を温め始めたのです。

  改めて、地図を見ると、伊豆半島で高い山系は、三つしかない事がわかりました。 一つは、箱根から続く、北東部の連山。 もう一つは、≪達磨山≫と≪金冠山≫を含む、北西部の連山、そして、残る一つが、天城連山です。 前二者には、すでに行っているので、天城さえ攻略すれば、とりあえず、伊豆半島の高山は制覇した事になります。

  天城というと、≪伊豆の踊り子≫や≪天城越え≫といった作品の影響で、≪天城トンネル≫が有名ですが、それは、伊豆半島の中央を通る、国道414号線の方の話で、そちらからでも、天城連山に入る事はできますが、万三郎岳に登るには、えらい遠回りになります。 日帰りで414号側から登るなら、基本的に、≪八丁池≫までが、目的地の限界ですな。

  今まで知らなかったのですが、天城山は、≪日本百名山≫の中に入っていました。 家に、百名山を紹介した冊子集があったので、天城山が含まれた巻を見たところ、登山コースや、アクセス法が詳しく載っていました。 ちなみに、「天城山」という名前の一つの峰は無くて、天城連山を一括りにして呼ぶ時に、この呼称を使います。

  万三郎岳に最短コースで登るには、方向で言うと、東の伊東側から、車で山道を登り、≪天城高原ゴルフクラブ≫にある、≪ハイカー専用駐車場≫にとめて、その脇にある、登山口から登ればいいとの事。 ゴルフクラブの中に、ハイカー専用駐車場があるというのが、ちと解せませんが、まあ、行った人が、「ある」というのだから、あるのでしょう。

  とまあ、その辺まで調べて、「あとは、現地に行けば、どうにかなるだろう」と、うっちゃって、気軽に、実行に移した次第。


  さて、8月13日の朝です。 5時50分に起きて、7時に出発。 バイクで、≪天城高原ゴルフクラブ≫を目指しました。 しばらく行ってから、帽子を忘れた事に気付きましたが、もはや手遅れ。 途中で買うという手も考えましたが、こんな朝早くでは、100円ショップは開いていないし、他の店では高いでしょう。 まあ、帽子無しでも、よほどのカンカン照りにならない限り、大丈夫だとは思いますが・・・。

  清水町を横切って、国道136号へ。 修善寺からは、県道12号に入り、東へ向かいます。 山道に入る前にコンビニに寄ろうと思っていたのですが、うっかりしている内に、周囲の景色が山道風になってしまったので、修善寺駅前の商店街まで引き返しました。 路側帯に駐輪し、コンビニでパンを二つ購入。 カツサンド148円、2色パン110円。 なぜか、レシートをよこしません。

  中伊豆の、信号がある三叉路で、左折して、伊東に向かう道に入ってしまい、「違うだろ、この道は」と思い直して、三叉路まで引き返し、右へ向かいました。 以前来た事がある、≪ろくろば村≫のТ字路で道端の地図を確認。 右折します。 その後、≪ろくろばテラス≫の分岐で、左折。 ちなみに、そこを直進すると、≪伊豆スカイライン≫に入ります。 後は、別荘地の間をぐねぐね登って、目的地に着きました。

  ≪天城高原ゴルフクラブ≫の門を入り、若干の不安を感じつつも、クラブハウスの前まで行くと、ゴルフ場の駐車場の手前に、≪ハイカー専用駐車場≫がありました。 ほんとにあったよ、おい。 駐車場は広大ですが、とまっている車は、二三台。 バイクが一台ありました。 ヤマハのSR400でしたが、それはまあ、何でも宜しい。

  登山中にバイクを盗まれないように、奥側の駐車場の一番奥にとめました。 ヘルメットは、カバーに入れて、バイクにつけます。 メットを持って登山する事もありますが、それは、短時間で下りて来れる山の場合です。 今回は、何時間かかるか分からないので、メットを持って行くわけには行きません。

  登山道入り口は、道路を挟んで、駐車場の向かい側にありました。 万三郎岳は、標高1406メートルありますが、駐車場のある位置が、すでに千メートルを超えているので、そんなにハードな登山ではないはず。 ハイキング・コースと言うには、ちと標高差がありすぎますけど。

  荷物は、ナップ・ザックの中に、水の入った500ccのペットボトルと、朝買ったパン、駐車場で脱いだ、ツーリング用の春物ジャンパーだけの、超軽装です。 シャツは半袖。 他に、腕時計と、胸ポケットに、カメラ。

  歩き出して間も無く、山の中の交差点、≪四辻≫という所を通過。 まずは、標高1300メートルの≪万二郎岳≫に向かいます。 コース通りに行くと、先に、そこを通らざるを得ないのです。

  やがて、上の方から、「ちきしょ~!」という声が聞こえてきました。 登って行くと、丸太階段に座り込んでいる、小太りで重装備の青年を発見。 荷物が重すぎて、へばってしまったのでしょう。 私が近づくと、すぐ、どいてくれましたが。

  これは、あくまで私論ですが、もし日帰りで登山をするのなら、持ち物は、食べ物とペット・ボトルの水だけで充分です。 岩登りでも予定に入っていない限り、登山専用の道具は、何も要りません。 軽ければ軽いほど、楽になります。 靴も、スニーカーで充分。 登山靴は、丈夫な反面、重いので、車のサスに例えれば、吊り下げ重量が大きくなり、脚の疲労を助長します。

  プロの登山家は、日帰り登山をあまりしない、と言うか、日帰りできる山でも、無理やり一泊しようとする人達なので、彼らに訊いても、有効なアドバイスは返ってきません。 「装備が軽いから、遭難した」というのは、彼らの決まり文句ですが、それは、冬山や、泊まり登山の話で、日帰り登山には、当て嵌まりません。 それどころか、逆に危険ですらあります。

  山の事故で最も多い、≪滑落≫ですが、あれは、不必要な重装備が、大きな原因になっていると思われます。 軽装備なら、足を踏み外しても、咄嗟に重心を下げ、踏み止まる事ができますが、重いリュックを背負っていると、一度、バランスを崩したが最後、加速度がついて、荷物の重さに引っ張られるようにして、谷底へ落ちて行ってしまいます。

  「合羽は必需品」というのも、大いに疑わしい。 合羽は、一番嵩張りますし、軽い物でも、結構重いですが、登山中に着ると、ゴア製だろうが、透湿繊維製だろうが、結局、汗で、ぐしょぐしょになってしまい、雨に濡れているのと、大して変わりがありません。

  雨の後、山で一泊するのであれば、体温を保つために、少しでも濡れないように、というのも分かりますが、日帰りなら、合羽を着て動きを鈍くするより、濡れたまま先を急いで、さっさと山を下りてしまった方が、あらゆる意味で、始末がいいです。

  とにかく、「重装備なら、重装備なほど、安心できる」というのは、精神的にならともかく、実際的には、間違っているので、要注意。 途中でへたり込んでしまうほど、重い装備など、必要なわけがありますまい。

  おっと、誤解の無いように言っておきますが、これは、別に、この時に見た小太りの青年の事を批判しているわけではありません。 日帰りではなく、泊まり登山者の可能性もあるのであって、それなら、重装備になるのは、仕方ないからです。


  閑話休題。 山の険しさの程度は、愛鷹山に比べれば、全く大した事はなく、あっさり、万二郎岳に到着しました。 しかし、頂上が狭い上に、木が生い茂っていて、眺望が悪く、かてて加えて、絵に描いたようなドス曇りで、何も見えません。

  ちなみに、この辺りから、水滴がポタポタ落ちてくるようになりました。 雨ではなく、霧でぬれた木々の葉から、滴り落ちてくるのです。 大事を取って、胸ポケットのカメラをビニールで包み、 腕時計は、リュックに入れました。 この日は、この後も終始、こんな陽気で、寒いくらいだったので、帽子は必要ありませんでした。 髪は濡れましたが。

  ≪馬の背≫を通過。 なだらかな尾根道ですが、横幅もゆったりしています。 どんなに踏み外しても、滑落のしようがないような道。 愛鷹山にもありましたが、馬の背と名づけられる場所は、どの山でも同じような地形です。 その先の急な下りで、白いТシャツに重装備の青年とすれ違いました。 向こうから訊ねて来て、

「水場はありませんかね」
「はあ。 無いようですね」
「この先も、こんな感じですか」
「はい。 でも、そんなにかかりません。 すぐに、万二郎ですから」
「そうですか」

  実は、すぐというほどでもなかったのですが、あまりにかったるそうで、気の毒だったので、元気づけようと、そう言っておきました。 この青年、八丁池の方から、縦走して来たのでしょうか。 装備から見て、たぶん、泊まりだと思います。

  ≪万三郎岳≫にも、同じくらい、あっさり着きましたが、ここも、頂上の様子は、全く同じで、何も見えません。 しかし、それは、ネットの下調べで、知っていたから、まあ、いいのです。 登ったという、実績が欲しいのであって、景色は、「運が良ければ、見れる」程度の期待しかしてませんでしたから。

  先客が一組、父母と、成人した娘の三人連れ。 後客が、60歳くらいの男性一人。 この人、そこそこの装備をしていましたが、ナップ・ザック一つの私に追いついてきたわけで、かなりのツワモノと見ました。 三人連れは先に出発し、ツワモノは休みに入りました。 私は、三人連れの後から出発したのですが、すぐに追いついてしまい、先に行かして貰いました。

  万三郎岳を西の方へ下っていくと、≪万三郎岳下分岐≫から、山の北側を回るようにして、元の場所に戻るルートがあるのですが、あまり早く着いてしまうのもどうかと思って、≪天城縦走路≫を通って、≪八丁池≫まで足を延ばす事にしました。 来る前から、漠然と、そうするつもりではいたのですが、ここで、時計を見て、最終決定しました。

  ちなみに、八丁池には、2009年に、天城トンネルの方から登って、一度来ているので、こちらから歩いて、八丁池まで行けば、天城縦走路は、全て通った事になります。 私の登山は、動機が不純なので、「完全走破」といった言葉の魅力に、すぐにひきずられてしまうのです。

  ここからは、登山道というより、林の中のハイキング・コース風になりました。 楽といえば楽ですが、距離は、うんざりするほどありました。 通過点は、≪片瀬峠≫、≪小岳≫、≪戸塚峠≫、≪白田峠≫。 峠と言っても、別に普通の道端に標識が立っているだけです。 ≪アセビのトンネル≫や、≪ブナの森≫を通りましたが、天気が悪いせいで、あまり感動がありません。

  行程の真ん中あたりだったか、スティックをついた、中装備の青年とすれ違いました。

「太った人、いませんでしたか?」

  と訊くので、朝見た小太りの人の事かと思い、

「ずっと、先にいました」

  と答えましたが、「先」ではなく、「前」だったのかもしれません。 小太りの人が遅いので、この青年が一人で≪八丁池≫まで行き、戻って来たと考えた方が、しっくり納得できます。 この後、縦走路では、誰にも会いませんでした。

  八丁池までが、遠いわ遠いわ。 ≪万三郎岳下分岐≫から、歩きに歩いて、3時間歩き詰め。 もう、脚が棒です。 昼前には着くつもりが、八丁池の湖面を拝んだ時には、12時50分になっていました。 朝、駐車場を出たのが、8時50分でしたから、ここまで、4時間もかけてしまったわけで、スケジュール的に、極めてまずいです。 帰りも、同じだけかかるとすれば、駐車場に戻るのは、4時50分になってしまうではありませんか。

  八丁池は、周囲が八丁あるから、そういう名前なのですが、結構大きな火口湖です。 この日は、湖面に霧が立ち込めていて、眺望最悪。 湖畔には、誰もいませんでした。 こんな日に、こんな山奥まで来るのは、私くらいのものか。 ちなみに、八丁池には、天城トンネル側からでも、一時間以上、山道を登らなければならないので、そう簡単には来れません。

  八丁池のあずまやで、忙しなく、パンを食べ。 歩幅を広くして、元来た道を引き返します。 尻に火が点いた気分というのは、この事でしょうか。 面白いもので、一度通った道は、二度目には、早く感じられます。

  行きにパスした、≪ヘビブナ≫を見に、ちょっと、寄り道。 0.1キロと書いてありましたが、もっと近くにありました。 幹がぐにゃりと曲がったブナ。 わざわざ、立て札を立てるだけあって、相当には不気味です。

  ≪万三郎岳下分岐≫まで戻り、そこからは、まだ通っていない、北回りのコースを選んだのですが、ここが、近道かと思いきや、凄い急傾斜の下り道で、もう、膝や踝が、ガクガク。 他の登山者達が、難渋して、三組も詰まっていました。 最初の一組は二人連れで、その一人が、先にすれ違った、スティック青年だったようで、私が追い抜く時に、

「ああ、折り返して来たんですか」

 と、言いました。

「はあ」

 とか、適当に返事して、先を急ぎます。

  次に、四人連れが一組。 この辺りで、雨が時折降るようになったので、全員で、透明ビニール合羽を羽織っていました。 ビニール合羽じゃ、暑かろうなあ。 挨拶を交わし、さっさと抜きます。

  最後に、山ガールらしき二人連れ。 脚に自信があるようで、ぐいぐい進み、なかなか抜けません。 5分くらい、後ろについて歩かざるを得なかったので、二人でくっちゃべっている声が、嫌でも耳に入って来たのですが、その内容が、話題もあろうに、男遍歴の失敗談でした。 わざわざ、山に来て、するような話かね? 頂上でタバコを吸うオッサンと同次元です。

  こんな話は、とても聞いていられないと思い、道が平らになった所で前に出してもらうと、引き離す為に、そこから一頻り、走りましたよ。 なんで疲れきっている時に、走らねばならんのか。 山ガール、恐るべし。

  何とか、駐車場に戻って来たのが、4時20分。 帰りは、行きよりも、30分ほど、早かったです。 駐車場でも、雨が降ったらしくて、バイクが濡れていました。 標高が高くて、気温が低いせいか、エンジンがかからず、夏だというのに、チョークを引きました。

  帰りは、連休中の定番の、渋滞に嵌まりました。 国道136号が混むんだわ。 バイクだから、路側帯を抜けてきましたけど。 家着は、6時。 とにかく、無事に戻って来れて良かったです。


  天城連山の感想ですが、この山が、≪日本百名山≫の一つに名を連ねているのは、ちと不可解です。 とにかく、眺望が悪過ぎ。 生憎の曇りであった事を除いても、見晴らしがいい場所が、ほとんど、存在しません。 奇妙なもので、下界が見えないと、高い所にいる感覚が湧かず、とても、最高点1406メートルもあるような気がしないのです。

  さりとて、環境保護の事を考えると、「頂上の木を切れ」とも言えないのは、苦しいところ。 ちょっとした、展望梯子のようなものは作れないものですかね? 壊れ易いものは、危険だから、駄目かな?

  山道は、雨水に削られて、抉れている所もありましたが、愛鷹山のそれほど、ひどくはなかったです。 登山者は、天城の方が多いと思うのですが、この違いは何でしょう? 山の地質の関係でしょうか。


  以下、写真で、紹介。 持ち運びの便の為に、胸ポケットに入る大きさの、≪HDC-2≫を持って行ったんですが、山の中と曇りに弱いカメラだったため、惨憺たる写真ばかりになりました。


 ↑ ハイカー専用駐車場の、二面ある内、奥の一面。 ネットで調べた時には、「シーズンには、ほぼ、満杯」という情報があったのですが、この日は、朝も帰りも、ガラガラ。 天気が悪そうだと、こんなに来ないもんすかね?


 ↑ 倒れて、根が浮いてしまったヒノキ。 生物の授業で、針葉樹は、根が真っ直ぐに下へ伸びると習いましたが、条件によっては、こうもなりうるという例。 土壌が薄いのを考慮せずに、針葉樹を植林したのが、間違いの元。 もっとも、直根を伸ばせないのに、ここまで育った事が、凄いといえば、凄いですが。


 ↑ 最初に行き当たる分岐点、≪四辻≫ 。 四辻とは言うものの、集まっている道は三本です。 昔は、四本あったんでしょうか。 一本は、駐車場がある≪ゴルフ場≫へ。 もう一本は、≪万二郎岳≫へ。 残る一本は、≪万三郎岳下分岐≫へ向かいます。 帰りにも、ここを通ったのですが、ここまで来れば、すぐに駐車場だと思っていたのに、まだ、700メートルもあり、往生しました。


 ↑ ≪万二郎岳≫の山頂。 紛らわしい事に、なぜか、≪万三郎岳≫の頂上標識が、隣に立っています。 どういうつもりやねん? 左側の、印刷された標識が、本物。 標高は、1299メートルとあります。 眺望は極悪。 その上、霧が濃くて、何も見えません。


 ↑ ≪アセビのトンネル≫。 道が抉れています。 傾斜が強い登山道に雨水が集中して、土が流され、U字状に抉れてしまう事は、よくありますが、ここの場合、ほぼ平坦なのに、こんなに抉れているというのは、ちと不思議です。 「アセビの樹高が低いため、歩き易いように、地面を掘ってある」という情報がありましたが、本当にそうなのかもしれません。


 ↑ ≪万三郎岳≫の山頂。 標高、1406メートル。 伊豆半島、最高峰。 ここも、眺望極悪。 狭いですが、まあ、山の頂上なんて、大抵はこんなもんです。 登山ツアーで、何十人も行列を作って登って来る人達がいますが、そんなのが来た日には、休む場所も無いでしょう。


 ↑ ≪ブナの原生林≫。 幹がところどころ白いですが、シラカバではなく、ブナです。 天城山縦走路は、全行程通して、ヒノキの人工林でなければ、ブナやアセビの原生林でした。


 ↑ 駐車場から、4時間歩いて到着した、≪八丁池≫。 普通は、反対側の、≪天城トンネル≫の方から、一時間くらいかけて、やって来るところ。 火口湖で、「天城の瞳」と呼ばれているそうです。 モリアオガエルの生息地としても有名。 誰もいませんでしたが、ここも霧が深く、対岸は見えませんでした。


 ↑ ≪ヘビブナ≫。 幹が、ヘビのように曲がりくねっているから、こう名付けた模様。 本道から、ちょっと外れるのですが、感覚的には、すぐそこです。 ブナを守るため、根元に近づかないようにという注意書きがありました。


 ↑ ≪万三郎岳下分岐≫から、北側コースを通って、≪四辻≫に戻る道。 嫌になるような急な下りの連続で、この日歩いた中で、最も神経を使いました。 丸太階段が、随所に設けられていますが、あまりの急傾斜に、土がみんな流れてしまって、丸太だけ露出しています。 こういう場合は、危ないようでも、丸太の上を歩いた方が、効率が良いです。 飛び石を跳ぶ要領で、ポンポンと。


 ↑ 注意標識の一つ。

≪英語≫
 植物の保護のために、コースの上にいろ。

≪中国語≫
 植物分布を愛護して下さい、歩道の範囲から離れるな。

≪韓国朝鮮語≫
 植物保護のために、コースから外れないで下さい。

  むむむ・・・、微妙に違うな。 中国語の「離」の簡体字は、間違っています。 草冠は不要。 文の内容も、だいぶ、変。 韓国朝鮮語は、翻訳ソフトにかけたら、文末が滅茶苦茶になりましたから、たぶん、間違いでしょう。 この調子では、英語も、正確とは思えませんな。 訳文は、「たぶん、そう言いたいのだろう」という、良心的意訳。

2012/08/19

レギュレーターって、何?

  前回、遅番の仕事帰りに、またまた、バッテリーが上がり、押しがけして、沼津市内まで帰って来たものの、無灯火で警察署の前を通る度胸はさらさら無く、そこから、2キロ以上、押して帰って、汗だくだくになったというところまで書きました。

  ちなみに、その日は、家に着いたのが、4時10分頃で、風呂と食事の後、ロンドン五輪の開会式を見ましたから、この出来事があったのは、7月28日の朝の事になります。

  半日眠り、午後から活動を始めました。 アマゾンで買った新バッテリーを、充電器でチャージします。 交換の方は、後回し。 もう週末なので、バイクに乗る事は無いわけで、急いでやる必要はありません。 夕食後、ようやく、やる気になり、ペンチ、ラジオ・ペンチ、プライヤーを揃えて、端子金具の加工に取り掛かりました。

  どうして、加工が必要なのか、ちょっと説明しますと、私のバイクに純正で着いていた、GSバッテリーの≪GT6B-3≫は、すでに生産中止になったのですが、その後継機種であるGSユアサの≪YTZ7S≫は、バッテリー端子の大きさが、一回り大きいのです。 バイク側のコードに着いている端子金具は小さいので、大きい端子には被せられません。

  その対策の為に、≪YAMAHA セロー225用取付アダプター≫という部品が売っているんですが、これが、1500円以上します。 高ーい! 要は、電気接点を設けてやればいいだけの事で、一点、触れていればいいだけなのに、たったそれだけの為に、専用部品を買いますかね?

  そもそも、一バイクメーカーの、一車種の、一時期作られていただけのモデルを所有しているユーザーなど、ごくごく限られていると思うのですが、更に、その人達が、バッテリーを新しくする時にだけ必要な部品が、大きな顔をして、市場に出回っているというのが、奇妙奇天烈、奇怪至極。 どこまで、ニッチなのか。 いや、だからこそ、指で摘み上げられるほどの、ちょっとした金属部品でありながら、1500円もするのだと思いますが。

  そんな物に払う金はないので、端子金具を捻じ曲げて、無理やり広げ、新しいバッテリーの大きな端子に、被せられるようにしてしまおうと考えました。 端子金具は、コードが着いている一辺を除く、三辺が下向きに曲げられ、三方から端子を覆うようになっているんですが、その内、一辺を開き、それまでより、外側の場所で曲げ直しました。

  ボルトを通す孔の大きさにゆとりがあるので、それでも入るだろうと思っていたら、果たして、うまく入りました。 些か強引ですが、着けばいいんですよ、着けば。 マイナス側、プラス側、両方とも同じように加工して、新しいバッテリーに取り付けます。 キーをオンにすると、ニュートラル・ランプが点灯。 セルが回り、エンジンがかかり、ヘッド・ライトも頼もしい明るさで光りました。

  よしよし、これで、よし。 とりあえず、できる事は、全てやりました。 バッテリーが原因でない場合も考えられ、実は、その線の方が濃厚であったものの、一応、バッテリーも疑わしいわけですから、交換して様子を見る過程は必要なのです。

  土曜の夕方に交換し、日曜は全く乗りませんでした。 乗れば乗るほど、電気が溜まるというなら乗りますが、もし、ダイナモがいかれている場合、逆に、乗れば乗るほど、電気が無くなってしまうので、休みの日に乗っても無意味。 本番の通勤で試すのが一番無駄が無いという事になってしまうのです。

  と、こ、ろ、が・・・・。

 月曜の朝に出勤しようとしたら、もう駄目だったんですな。 出がけに、家で確認した時には、ニュートラル・ランプが点いたんですが、大通りまで押して行って、エンジンをかけようとしたら、もう、いけません。 ニュートラル・ランプは、ぼうっとしか光らないし、セルも回らない。

  うっわ、また、駄目か! 落ち込みはしたものの、悩んでいる暇は無いので、また、押しがけ。 幸い、すぐにかかりましたが、ヘッド・ライトは点きません。 ただ、その週は、早番ですから、行きも帰りも、明るい中を走るので、警察に遭遇しても、咎められる事は無いでしょう。 「バイクは昼間もライト・オン」とは言うものの、点けないでも、違法ではありませんから。 ブレーキ・ランプが付かないので、後ろについた車は困りますが。

  事ここに至って、自力で直そうという意欲は、がっくり潰えました。 ぽっきり折れました。 いくら安物と言っても、新品のバッテリーが、たった二日で死ぬわけがないのであって、この故障の原因が、バッテリーの寿命でなかったのは、もはや、疑いがありません。

  土曜の夕方から月曜の朝まで、全く動かさなかったにも拘らず、上がってしまったという事は、放電してしているんですな。 それは分かりましたが、放電箇所が分かりません。 テスターなんか持っていないので、調べようも無し。 部品が壊れているとしたら、バッテリーでなければ、ダイナモしか思いつきませんが、それは、私の手に余ります。

  ネットで調べると、ダイナモを自力交換する剛の者もいるようですが、シートの張り替えに比べると、遥かに難易度が高いようで、数えるほどしか見当たりません。 クランク・ケースを開けなければならないというが、高いハードルですな。 たとえ、自力交換できるとしても、部品は、ディーラー・ルートでしか手に入らないわけで、どうせバイク屋に頼むなら、交換も任せてしまった方が、素人がやるより、確実です。 お金はかかるでしょうが。

  で、その日、押しがけして帰って来ると、早々に夕食を済ませ、バッテリーを古い方に戻しました。 端子金具を無理やり広げた状態で、バイク屋へ持っていくわけには行きませんから、元に戻さなければならなかったのです。

  また押しがけして、明るい内にバイク屋へ向かいました。 店長に症状を話すと、「ダイナモか、レギュレーターだね」と、即座に診断。 バイクは入院と相成りました。 ダイナモかレギュレーターがいかれると、バッテリーの電気を、どんどん吸ってしまうのだそうです。

  いやあ、しかし、今度も、お金がかかりそうですなあ。 1万か、2万か、3万か・・・、5万を超えたら、去年の点火系統の修理代と合わせて、10万円の大台に乗ってしまいます。 このまま、直しながら乗り続けるか、思い切って買い換えるか、決断の時は、徐々に迫って来ているようです。


  代車を借りて来ましたが、今回は、125ccが出払っていて、やむなく、50cc。 50の原付に乗るのは、16年ぶりくらいです。 実質で、時速40キロしか出せないのがきつい。 ちなみに、速度警告機能が付いていて、35キロを超えると、赤ランプが点灯します。 分かり易いけれど、いささか鬱陶しい。

  翌朝から原付での通勤が始まりました。 時速40キロの制限は予想以上に厳しく、走っても走っても会社に着かない、悪夢のような通勤になりました。 帰りも同様。 交通量が多い国道246号が、非常に怖い。 よく、こんなのを日常的に使っている人がいますねえ。 命が幾つあっても足りません。

  帰路に、片側三車線で右折しなければならない所があるのですが、一番右の車線に入る時が、怖い怖い。 時速40キロじゃ、絶対、無理。 その時だけ、50キロくらい出してますが、後ろに警察車両がいたら、アウトですな。

  そもそも、30キロ制限がある原付で、車と混じって走るのが無理なんですよ。 さっさと、禁止してしまえばいいものを。 50ccなんてカテゴリーがあるのは、日本だけでしょう。 外国では、最低でも、100ccくらいです。 そのくらい排気量がないと、車についていけないからです。


  土曜になっても、バイクは、まだ、直りません。 交換されるであろう部品の値段を、ネットで調べたら、最悪、5万円くらい行ってしまいそうな事が分かり、猛暑にも拘らず、どっと冷や汗が・・・。 それでも、直れば、使えるようになるわけですが、いつ、次の大きな故障が起きないとも限らないのが、厄介なところ。

  遅くて危険とはいえ、50ccの原付でも通える事が分かったので、「いっそ、10万円くらいのメット・イン・スクーターに買い換えてしまっては?」とも思っているのですが、排気量が小さくなると、会社から出る交通費も減るので、長い目で見ると、金銭的な得はありません。

  さりとて、250㏄や、125ccの新車を買ってしまった後で、勤め先の工場が閉鎖されたなんて事になったら、バイクの使い道がなくなってしまいます。 困った事です。


  日曜の午後、外出から帰ってきたら、バイク屋から電話で、直ったとの事。 夕食後に、取りに行きました。 壊れていたのは、レギュレーターという電装部品で、タバコの箱をちょっと長くしたくらいの大きさの物でした。 本体の値段は、13200円ですが、交換工賃や、バッテリーの取付工賃、消費税が加わって、合計、16380円でした。

  もし、ダイナモが壊れていたら、楽にその倍は行ってしまった事を思うと、恐れていたよりも、遥かに安く上がったわけですが、それ以前に、もし壊れなかったら、一円も払わずに済んだわけで、得か損かといえば、やはり、損なんでしょうなあ。 もう古いバイクなので、修理代は必要経費と考えれば、多少の慰めにはなりますか。

  レギュレーターという部品がある事は、実は初耳だったんですが、調べてみると、ダイナモで発生する交流電気を、直流に直し、加えて、その電圧を調整する機能を受け持っている部品らしいです。 正式名称は、≪レギュレート・レクチファイア≫。 小さいけれど、これが壊れると、今回のような、惨憺たる有様になってしまうんですなあ

  ちなみに、アマゾンで買ったバッテリーですが、バイク屋に持ち込んで、それに積み替えて貰ったので、無駄にはなりませんでした。 もし、バイク屋で、新品純正を取り付けられてしまったら、プラス1万円は取られた事でしょう。

  例の、端子の大きさ違いの問題ですが、専用アダプターではないものの、似たような形の代用端子を挟んで、端子金具の方は、ノーマルのままで、取り付けてありました。 さすが、プロの仕事というところか。 その分の料金は、部品代も工賃も計上されていないので、自分でやった場合より、得をした事になります。

  お金はかかったけれど、とりあえず、直ったのは、ありがたいです。 夏休みに間に合ったのは、頂上。 去年は、夏休みを挟んで3週間も入院していたので、どこへも行けませんでした。 いや、行く気もなかったんですけど。

  ところで、代車の原付ですが、満タンで借りたので、満タンで返したところ、3.25リットル入りました。 火曜から土曜まで、5日間乗って、180キロ走ったので、燃費は、リッター、55.3キロ。 凄い数値ですな。 時速30キロしか出さないから、同じ条件で比較する事はできませんが。

  直って来たバイクは、今のところ、問題ありません。 ライトが点くというのは、ありがたいですなあ。 いや、当然の事なんですが。

  時速70キロまで出せるのはいいんですが、車との間隔を維持するのに気を使うのが玉に瑕。 考えようによっては、路側帯を一途に走っていればいい、50cc原付の方が、気楽かもしれませんなあ。

  以上、バイクのバッテリー・レギュレーター交換記でした。

2012/08/12

押しがけ地獄

  この世は、起こり得る事は、何でも起きると分かっているものの、あまり、厄介事が続くと、「またかよ! あり得んだろう、この頻度は!」と、驚き呆れる事があります。 「マーフィーの法則だな」などと笑っていられるのは、対処にお金がかからない場合だけですな。

  というわけで、バイクが、また壊れました。 ついこないだ、シートの表皮を張り替えたばかりなのに、その皺も伸びきらない内に、まーたです。 さすがに、10年を超えると、こんなものか。 結構、大事に乗っているつもりだから、尚の事、ショックが大きいです。


  先々週、7月24日、火曜日の事です。 いや、遅番が終わった後ですから、すでに、25日の水曜日になってましたな。 時間は、午前3時頃。 仕事が終り、駐輪場まで戻って来て、バイクに跨り、キーをオンにしたんですが、メーターの横に付いている、ニュートラル・ランプの緑色が、やけに暗い。 セル・ボタンを押すと、シートの下の辺りで、「カタカタカタ」と弱弱しい音がするだけで、セルが回りません。

  顔色、真っ青です。 バッテリーが上がっているのです。 同じような症状は、先代のバイクの時にもあったんですが、それは、家にいる時でした。 家にいる時だったから、押して、バイク屋へ持って行って、「ああ、こりゃ、バッテリーが寿命だね」と言われて、交換してもらって、それで済んだのです。

  ところが、今度は、会社の駐輪場で起こってしまったわけで、これは、由々しき事態です。 家まで、20キロもあるのに、どうやって帰ればいいのか・・・。 しかも、夜中の3時です。 もっとも、昼間だったとしても、私は、会社にお金を持って行かない主義の人間なので、電車賃もバス代もありゃしなかったわけですがね。 タクシー? 冗談でしょう。 そんな大金を使うくらいなら、朝を待って、父に車で迎えに来てもらいます。

  真っ青になったまま、思案する事、一分。 とりあえず、やれる事はやってみようと思って、押しがけを試してみました。 駐輪場は、駐車場の出口脇にあるのですが、出口の手前が、ちょっとした下り坂になっているので、そこで、決行。 押しがけなんて、先々代の原付の時以来だから、18年ぶりです。

  やり方をすっかり忘れていたのですが、勢いをつけて、バイクを押し、クラッチを繋いだら、なんと、一発でかかりました! 不幸中の幸いとはこの事か! 大急ぎで跨り、エンジンが止まらないように、回転を上げ気味にして、発進しました。 よしよし、これで、何とか、家まで帰れるぞ。

  ところがです。 エンジンは問題なく回り続けているものの、ヘッド・ライトが、どんどん暗くなって行きます。 最初は、気のせいかと思いましたが、地面を照らす光芒が、次第に薄くなり、フロント・フェンダーしか映し出せていない状況に至り、事の重大さを認めざるを得なくなりました。

  バッテリーが上がっている事は、すでに分かっていますが、ダイナモからの電気が入っていないので、充電されず、バッテリー内に残っている電気が減る一方なのでしょう。 ただし、これだけでは、バッテリーが悪いのか、ダイナモが悪いのか、判断できません。

  バイクには、ダイナモとライト類が直結されているタイプと、間にバッテリーを介しているタイプがあり、ダイナモが正常で、発電はされていても、バッテリーが電気を受け付けない場合、やはり、同じような症状が出るからです。

  後ろを振り向くと、テール・ランプも、風前の灯。 ブレーキをかければ、ブレーキ・ランプが点くので、ちょっと明るくなりますが、まさか、ブレーキをかけたまま、走るわけにもいきません。 そして、そのブレーキ・ランプも、じわじわ、暗くなって行きます。

  幸い、通勤経路は、街灯が多い道路ばかりなので、走る上で支障は無いのですが、私がよくても、周りはよくありません。 無灯火で、普通に走られてたまるか。 幹線道路は何とかごまかし、家の近くまで来ると、いよいよ、ライトが真っ暗になってしまったので、コースを変えて、細い道に入りました。 夜中でも、パトカーは流しているので、見つかったら、即、整備不良で切符を切られてしまいます。 ヒヤヒヤですな。

  どうにかこうにか、家に到着。 うーむ、つい、45分前まで、顔面蒼白で絶望の断崖に立っていた事を思うと、よく、帰って来れたものじゃて。 帰るなり、バッテリーを外しておきました。 これは、朝になったら、すぐにチャージできるようにするためです。

  ちなみに、私のバイクのバッテリーは、バイクを買った時から、一度も換えていないので、すでに、十年が経過しています。 メーカーは、GSバッテリー(日本電池)。 型番は、≪GT6B-3≫。 先代のバイクでは、5年でいかれてしまったので、2倍もった事になります。 それは、偉い。 しかし、壊れたのは、困る。

  眠る前に、ネットで、バッテリーの型番を検索すると、厄介な事が分かりました。 GSバッテリーの≪GT6B-3≫は、私がバイクを買った2年後、つまり、2004年ですが、GSとユアサの経営統合に伴って、生産中止になり、その後、≪YTZ-7S≫という後継製品が売られているものの、端子形状が違うので、そのままでは着かないとの事。 よりによって、なんで、そんなバッテリーが積まれているのか・・・。 マーフィーの祟りか?

  普通、遅番の週は、朝の4時頃に帰って来て、昼まで寝ているのですが、新しいバッテリーをホーム・センターに買いに行くため、その日は、9時に起きました。 出かける前に、父から、充電器を借りて、古いバッテリーをチャージしておきます。 もし、店に無かった場合、それをつけて、出勤しなければなりませんから。

  チャージしておいて、応じ合わせ。 店に行ったら、古河バッテリーの製品しか置いてなくて、調べて来た型番が無駄になりました。 古河にも、互換品があるはずですが、どれがどれだか、見ただけでは分かりません。 しかも、みんな、高い高い。 1万2万は当たり前。 

  という書き方をすると、古河の製品が特別高いように聞こえるかもしれませんが、ネットで調べたところ、GSユアサの≪YTZ-7S≫も、1万円くらいするらしいです。 高いなあ。 冗談じゃない。 十年選手のバイクに、そんな高いバッテリーを積めるもんですか。

  家に戻り、あれこれ、迷っている暇もなく、ネットで、安いバッテリーを注文する事にしました。 アマゾンで、1330円、送料無料というのを探し出し、さっさと注文。 メーカーは分かりませんが、≪CTZ-7S≫という製品名です。

  昔、車に乗っていた頃、自動車用品店で、千円のバッテリーを買って来て、半年もしない内に、いかれてしまった事がありますが、それは、開放式バッテリーだったので、メンテナンス・フリーのバッテリーなら、どんなに安い品でも、そんなに早くは死ぬまいと踏んだのです。 ほぼ、毎日乗るので、使用環境も良い事だし。

  新しいバッテリーを注文する一方で、古いバッテリーをチャージします。 父の充電器ですが、冷却ファンが付いていて、電気製品のくせに、妙にうるさい。 しかも、「充電完了ランプが点いた後も、2時間、充電を続けよ」と、説明書に書いてあります。 もうちょっと、静かならいいんですがね。 玄関で充電しつつ、私は仕事に備えて、睡眠を取ります。 平日に、こういう事をやっていると、体力的に、大変きつい。

  仕事に出かける前に、バッテリーを充電器から外して、バイクにセット。 ニュートラル・ランプは、昼間でも見えるくらい、はっきり点き、セルも回りました。 お、いけるじゃん。 これなら、父の車を借りなくても、バイクで出勤できるぞ。 よしよし。

  いやいやいや! 「よしよし」じゃない! ちっとも、よくないぞ! 充電できるという事は、バッテリーが生きているという事ですから、バッテリーが上がった原因は、他にあるという事になります。 もしや、ダイナモか? それは、怖い! バッテリー交換なら、自分でできますが、ダイナモの交換なんて、エンジンのクランク・ケースを開けなければならないですから、とても、私の手には負えません。 前夜に続き、二度目の、顔色真っ青です。

  しかし、ダイナモがいかれたかどうかは、とりあえず、新しいバッテリーに交換してから判断しても、遅くはありません。 問題の解決方法には、順序というものがあるのであって、一歩一歩進めて行かなければ、無駄手間・無駄金の元になります。 急いては事を仕損ずるというもの。

  で、その日は、チャージした古いバッテリーで出勤しました。 行きは、明るいので、何の問題もなし。 ちなみに、遅番の週の出勤は、午後3時頃です。 帰りは、ヒヤヒヤしながら、駐輪場に戻って来ましたが、キーをオンにすると、ニュートラル・ランプが、普通に点きました。 よし、これはいけそうだ。 セルも回って、エンジンもかかりました。

「おっ、もしかしたら、バッテリーのチャージで直ったのかな?」

  と、軽薄に喜んだのも束の間、走り出すと、またまた、ヘッド・ライトが、少しずつ、暗くなって行きます。 駄目か、やっぱ! そりゃそうだわな。 チャージしただけで直るなら、JAFはいらんわなあ。 いや、タクシーですら乗らない私に、JAFは端から無縁ですが。

  それでも、その晩は、家に着くまで、何とか、ライトの電力がもちました。 途中、信号待ちで停まっていたら、後ろにパトカー(先代マーチ)が着き、どっと冷や汗が噴き出したものの、警官に何も言われない程度の明るさは保ったまま、家に辿り着いたというわけ。

  翌日の昼頃、アマゾンに注文した新しいバッテリー、≪CTZ-7S≫が、届きました。 早いな、異様に。 注文してから、正味一日しか経っていないのだが。 しかし、ネットで調べた通り、端子の形が違うので、そのままでは着けられません。 平日では、加工している暇がないので、週末を待つとして、その日は、前日と同じように、古いバッテリーに、チャージして、出勤しました。

  その日の帰りも、問題なく、家まで、帰り着きました。 ところが、最終日の金曜が悪かった。 油断一秒、怪我一生。 驕れる者は久しからず。

「毎日、チャージしなくても、二日くらい、もつんじゃないの?」

  祇園精舎の鐘の声。 平家に非ずんば人に非ず。 この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたる事も無しと思えば・・・、もういいか。

  で、金曜だけ、チャージしないで、出勤したら、帰りが駄目だったんですな。 火曜の夜と全く同じ状態になってしまいました。 この件で、三度目の、顔色真っ青です。

  しかも、押しがけが、うまく行きません。 火曜と同じようにやっても、かからないのです。 よく、考えてみると、火曜は、キーをオンにしたままで、押しがけに移行したわけですが、金曜は、一旦、キーをオフにしてしまったので、クラッチを繋いでも、何も起こらないのが当然で、かかるわけがないんですな。

「あー、そりゃ、当たり前じゃないか! 何をやってるんだ!」

  と、坂を押して上がり、キーをオンにして、もう一度やり直しました。 しかし、それでもかからない。 坂を上るエネルギーが惜しくなり、そのまま道路に出て、家の方に向けて進みながら、押しがけを繰り返します。 夜中とはいえ、真夏なので、暑い暑い。 7回くらい、やり直しましたかね。 途中、ローからセカンドに変えましたが、それが良かったのかどうかは不明。

  とにかく、300メートルくらい行った所で、ようやく、エンジンがかかりました。 しかし、ライト類は、最初から、ほぼ真っ暗です。 いいのか、こんな状態で、バイクに乗って。 いや、他に帰る手段が無いから、否が応でも乗りますがね。

  幹線道路は、大型トラックの後ろに着いたりして、何とか、ごまかせましたが、沼津市内に入ると、警察署の前を通らなければならない事もあり、さすがに、乗っていられなくなりました。 やむなく、下りて押す事に。

  2キロくらい、ありましたかねえ。 糞暑い中を、汗だくだくで、押した押した。 熱中症で、死ぬかと思った。 途中、挫けて、エンジンをかけようとしましたが、3回試して、3回ともかかりませんでした。 押して走った分、疲れただけ。

  何とか、家に着いたものの、もう、押しがけには、ほとほと懲りました。 何としても、バイクを正常な状態に戻さねばなりません。 しかし、まだ、私の受難は続いたのです。

  長くなり過ぎたので、以下、次回に続きます。

2012/08/05

夏休み

  猛暑猛暑で、「暑い! 暑い!」と、毎日、唸っていても、神経を研ぎ澄まして、気温の変化を敏感に感じ取っていると、7月と8月では、暑さが違って来ている事に気付きます。 8月というと、真夏のイメージがありますが、時折吹く風には、秋の匂いが含まれているのであって、もう、暑さの盛りを越えたのが分かるのです。 まあ、旧暦なら、八月は、完全に秋ですからのう。

  思い出すにつけ、子供の頃の夏休みというのは、長かった。 7月20日くらいから、8月いっぱい、まるまる休みだったわけで、社会人になってからの感覚で言うと、「とんでもない話! そんなに休んで、何の意味がある?」と驚き呆れるくらいです。

  一体、40日間も、どうやって過ごしていたのか? 今となっては、さっぱり、思い出せません。

「海に、山に、毎日、元気溌剌、遊び回っていた」

  いやあ、そんなんじゃなかったですねえ、私の場合。 来る日も来る日も、家で、ぐでれんぐでれん、過ごしていたと思いますよ。 記憶は定かでありませんが、出かけた記憶が無いから、そうとしか考えられんのです。

  夏休みというと、大抵、テレビで、午前中に、アニメの再放送特集があったので、それを見てたんじゃないかと思います。 ただし、何を見たかは、全く覚えていません。 午後は、本当に、記憶が皆無。 出かけるにしても、あの糞暑いのに、どこへ行くってーのよ? ちなみに、暑さに関しては、昔も今も、特段、違いはありません。

  「涼む為に、用も無いのに、エアコンが利いている店に行き、ぷらぷらして過ごす」というのは、割と最近の風習でして、昭和の後期頃は、まだ、大型店が無くて、そういう真似はできませんでした。 いや、そういう店が、全く無いわけではなかったのですが、数が少なかったのです。 近くには、一軒もなし。 子供だから、足と言えば、自転車くらいのもので、遠くまで、行けなかったんですな。

  ちなみに、大型店が増え始めたのは、ホーム・センターが70年代中頃、家電量販店が80年代に入ってからです。 スーパー・マーケットは、もっと前からありましたが、昔のスーパーというのは、今のそれと比べると、小さな店で、大抵、80年代頃に、別の敷地に建て替えられ、大型化しました。 最近、よく見かける、食料品専門店などは、昔のスーパーの規模に近いです。

  図書館は、昔からあって、冷房が利いている事も知っていましたが、ほら、なにせ、子供の事ですから、勉強を連想させる場所には、極力、近づきたくないのですよ。 また、本の匂いが、嫌なんだわ。 古本の匂いが好きという人がいますが、気が知れませんな。 私は大人になってから、図書館を利用するようになりましたが、目当ての本を見つけると、さっさと借りて帰って来て、家で読みます。 あんな臭い所に、長時間いられるもんですか。

  そういや、図書館で勉強している高校生というのが、夏休みになると、必ず見られますが、あれは、不思議な光景ですわ。 他人が隣に座っているような所で、勉強に身が入るんですかねえ? 気が散って、勉強どころではないと思いますが。 何かを記憶しなければならない時など、声に出して覚えると、脳に染み込み易いですが、図書館では、それもできません。

  ああいうのは、勉強が主目的なのではなく、単に、家族と折り合いが悪くて、家にいたくないとか、別の学校の異性と知り合いになって、あわよくば、ナンパしてやろうとか、そういう不純な動機で来ているのではありますまいか。 よせよせ! 図書館でナンパに成功した例なんぞ、古今東西、聞いた事が無いぜ。

  書架の林を逍遥する内、同じ本を取ろうと、手と手が重なって? アホか? カルタ取ってんじゃないんだよ。 そんなのは、漫画かドラマの中だけの作り事だって。 大体、すぐ横に人がいたら、干渉しないように、距離を置くだろうが。 図書館に来る人間の性格というのは、そういうものですよ。 目当ての本があると思しき場所に、他の人がいたら、その人が他へ行くのを待つものです。 手と手が重なるなんて、そんな糞図々しい奴が、いるものかね。

  お、脱線しましたな。 夏休みの話だっけ。

  友達と遊んだ記憶は、ほとんどありません。 私は、小中学校では、まずまず普通に、友達づきあいをしていたのですが、夏休みでも、冬休みでも、長期連休になると、ぱったり連絡が途絶えてしまうのが、普通でした。 終業式の翌日とか翌々日とか、そのくらいの範囲までは、「どこそこに、遊びに行こう」といった話があるのですよ。 ところが、休みに完全に入ってしまうと、電話してまで、遊びに誘おうという気がなくなってしまうんですな。

  そもそも、当時は、固定電話オンリーでしたから、電話というのは、用事がある時に使うもので、友達との遊びの為に使うものではなかったのです。 長電話が、家族から怨嗟の的になっていたのも、その頃の風俗。 ありゃ、迷惑なんだわ。 話し声はうるさいし、笑い声は気持ち悪いし。

  大人にってから気付いた事ですが、子供というのは、夏休みになると、あまり外に出て来なくなるんですな。 一番うるさいのは、終業式のあった日の午後で、学校から解放された喜びで、友達と遊びに出て、騒ぎまくりますが、翌日からは、ぱたっと静かになります。 大方、私の子供の頃と同じ理由で、友達と連絡が取れなくなってしまうのでしょう。

  よしんば、電話する勇気が出ても、夏休みや冬休みは、家族で出かける機会も多いので、相手に断られる事があり、一度、そういう目に遭うと、罰が悪くなって、二度とかけなくなってしまうものなのです。 確かに、家族の都合は、最優先なわけですが、今にして思うと、そういう電話がかかって来た時、ただ断るんじゃなくて、他の日を提案してみるとかしていれば、友達づきあいも、維持できたんでしょうがね。

  40日間、友達と隔離されているというのは、何とも、勿体無い話です。 家で、ゴロゴロ、テレビなんぞ見ているより、友達と一緒に遊びに行った方が、楽しいに決まってますからのう。 もう、夏休みに入る前に、計画表を作ってしまって、家族の都合が無い日には、必ず、友達と行動をともにするように仕組んでおけばいいのですが、不思議なもので、子供というのは、そういう、先々の予定というのを、あまり立てたがらないものなんですな。


  勉強は、およそ、しなかったですねえ。 夏休みの宿題なんて、最後の一週間にやるものだと思っていました。 「夏休みで、差をつけろ」なんて、学習塾の宣伝文句でなければ、寝言としか思えませんな。 もし、勉強の為に、夏休みというものが設けられているのだとしたら、全くの逆効果です。 それでなくても、糞暑いのに、誰も監視していない自宅で、勉強なんて、わざわざするもんですか。 アホ臭い。

  夏休みの存在意義というのは、よくよく考えると、首を傾げたくなるところが、多々あります。 更に昔なら、農家が多かったので、子供に手伝いをさせるために、農繁期に長期休暇が必要だったという事情があったんでしょうが、工業化が進んだ昭和の中頃には、もう、そんな需要は無くなっていました。 子供が家にいたって、手伝う事なんか、ありゃしないのです。 ただ、邪魔なだけ。

  「暑いから、学校での勉強が捗らない」というのも、嘘ですな。 家にいれば、捗る捗らん以前に、全くしないのですから、問題外です。 学校に通わせていた方が、勉学上は、絶対に良いです。 試しに、夏休みを廃止したクラスを作って、二学期以降の成績を比較してみると宜しい。 段違いの差が出ると思いますぜ。

  高校生の時、成績が悪くて、夏休みに補習に出て来させられた人がいると思いますが、そういう人の中に学期中の授業は全く覚えていないのに、補習の内容だけは覚えているという人がいるでしょう。 それはまあ、特殊な体験だから、記憶に残り易いわけですが、それをさておいても、暑さが、必ずしも、勉強の妨げになるというわけではないんですよ。


  もしかしたら、夏休みというのは、教師どもが遊ぶ為にあるのかも知れませんな。 暑さで、授業をしたくないのは、生徒ではなく、教師の方なんでしょう。 それにしても、教師というのは、楽な商売だ。 毎年毎年、40日間も夏休みがある職業なんて、他にありませんぜ。 それでいて、給料だけは、学期分と同じように貰うんだから、ふざけた話です。 道理で、なり手が後を絶たないわけだ。

「先生達は、お前らが家で遊んでいる間も、学校に出て来て、いろんな仕事をしているんだぞ」

  嘘をつくな、嘘を! よし、出て来る事があるとしても、生徒がいないのに、教師に何の仕事があるっちゅーねん? せ・い・と・に・べ・ん・きょ・う・を・お・し・え・る・の・が・お・ま・え・ら・の・し・ご・と・じゃ・な・い・の・か・え? それ以外は、全部、雑用だろうが。 雑用で、本来業務と同じ給料を取っているのが、腹が立つ。


  あー、暑いから、今日は、このくらいにしておきましょうか。