2012/10/28

結婚のデメリット

  前回、私自身が独身者であるにも拘らず、夫婦の話を書いてしまったのですが、このブログの読者には、私と社会的立場が近い独身者が、かなりの割合を占めていると思われ、もしかしたら、そういう方々に、無用の不安や、無意味な焦りを感じさせてしまったかもしれません。 やはり、フォローをしておいた方が、いいでしょうなあ。

  すでに40歳以上で、人生を折り返してしまった方々は勿論、結婚できない事に最も悩む30代の方々、20代であっても、異性との交際が、「夢のまた夢」のように思える方々、そんな人達に言いたいのですが、既婚者達を羨ましがって、劣等感を抱く必要はありません。 なぜというに、隣の芝生は、必ず青く見えるものだからです。 既婚者側から見ると、独身者の自由な振る舞いが、垂涎の的になっていたりするものです。

  結婚する事には、「合法、且つ、無料の性交渉ができる」、「子供を作れる」、「ほぼ死期が同じくらいになる家族が出来る」などのメリットがありますが、デメリットもあり、その最たるものが、自由の喪失です。 これは、凄まじいまでの精神的破壊を齎します。

  すでに、交際が始まった時点で、それまで、当然のように享受して来た自由の多くを捨てなければなりません。 まず、週末の休みの内、最低でも一日は、交際相手の為に使わなければなりません。 相手の性格によっては、土日連続で引っ張り出される事もあります。

  特に、男性側が、「先週会ったから、今週はいいだろう」なんて言ってると、女性の方は、次第に離れて行ってしまいます。 ≪会う≫という行為は、現実世界での交際に於ける、基本中の基本なのであって、電話やメールで代用できるものではないのです。

  外見も性格も、いい男なのに、仕事が忙しくて、彼女と会えないでいる内、向こうから別れ話を切り出されたという話を聞いた事があります。 女性側からすると、週末に自分に会っていない男が、誰と何をしているのか、さっぱり分からないわけで、疑心暗鬼が増幅していくのでしょう。 相手がどんなに、いい男、いい女でも、会ってくれないのでは、交際になりません。

  週末だけでなく、平日であっても、仕事が終わった後、呼び出される事があります。 くたくたに疲れていて、さっさと家帰って、風呂入って、飯喰って、テレビ見て、寝たいのに、そんな時に、交際相手から連絡があり、「○○で待ってるね」とか言われるわけです。 さあ、行くべきか、断るべきか? その交際を、結婚まで持って行きたいのだったら、無理してでも、行くべきでしょうなあ。

  平日に会う事に負担が大きいのは、相手も承知しているのであって、それでも会いたいというのだから、何か、事情があると見た方が良い。 そりゃあ、行くべきでしょう。 そこが分水嶺で、その時、行かなかったばかりに、以後ふっつり連絡が途絶えた、なんて事になりかねません。

  とっこっろっがっねー・・・、無理して相手に合わせるという事は、文字通り、本当に無理をしなければならないんですよ。 交際相手の中には、精神状態が不安定な人もいるわけで、しょっちゅう、そんな無理な呼び出しが続く事もあります。 ここが、恋愛の厄介なところ。 「互いに協力して、結婚までのコマを着実に進める」のが交際の目的ではなく、その時々の感情で、進んだり戻ったり、時には、横へすっ飛んだり、相手が消えてしまったり、すったもんだの悪戦苦闘を繰り返さなければなりません。

  男性側から女性に近づいた場合、女性側から繰り出される要求は、無限大になる事があります。 「この男は、どこまで私の望みを叶えてくれるか」を試そうとするわけです。 それに従わないと、あっさり逃げて行ってしまいますし、従えば従ったで、一生、従わされる事になります。

  もはや、若い頃の美しさなど、ひとかけらも残っておらず、どう見ても、妖怪としか思えない婆あが、おとなしそうな夫を奴隷のように扱き使っている光景を、間々、目にする事がありますが、その夫は、恐らく、先に声をかけた弱味を握られて、交際が始まった時から、無限の奉仕を続けさせられているんでしょう。 地獄だね。 そんなの、個人の人生じゃないですよ。

  結婚後は、交際期間中以上に、自由な時間が無くなります。 独身時代に楽しんでいた趣味も、一時停止を余儀なくされます。 休日は、当然、一緒に行動しなければなりませんし、平日ですら、一人で、ネットやゲームなんてやってたら、すぐ、喧嘩です。 相手に合わせなければならないので、好きなテレビ番組も見られません。 録画しても、それを見る時間を捻出できんのよ。 ここに至って、配偶者が家にいない時だけが、唯一の息抜きになります。

  子供ができれば、子育てで忙殺されて、自分の遊びどころの話ではありません。 独身時代、≪洒落た大人の趣味≫に興じていた人達は、子連れ家族向けの場所にしか行けなくなって、精神状態に変調を来たすでしょうねえ。 趣味系のブログを読んでいると、子供を女房に押し付けて、一人で命の洗濯に出ている亭主の多い事よ。

「赤ん坊の世話を女房に任せて、てめえは、フット・サルの試合に夢中」

  奥さん、そんな亭主とは、さっさと別れておしまいなさい。 最も協力が必要な時期に、負担から逃げようとしている奴なんか、その後の人生でも、一切、頼りになりません。 あんた、頭の中がガキのまんまの男と結婚したんだよ。

  子育てノイローゼに陥って、来る日も来る日も、「この子さえいなければ、また遊べるのに・・・」なんて思っている母親も、救いようがありませんなあ。 ネグレクト、児童虐待、果ては、子殺し・・・。 なんじゃ、そりゃ? 殺すくらいなら、最初から作るな、ボケ! 一体、何なんだ、お前は? 鬼畜か?

  これまた、頭の中が、ガキのまんまなんですよ。 自分自身がガキのくせに、身の程知らずに、子供なんぞ作るから、母性本能のスイッチが入らず、子供が、自分の幸せを奪う、≪敵≫になってしまうんですな。 こういう女、結局、死ぬまで、ガキのまんまです。 治りません。

「早く結婚し過ぎて、同性の友人達が遊んでいるのを横目に見つつ、自分は子育てに忙殺されて、老け込むばかり。 猛烈な焦燥感に襲われ、子供を置いて、逐電してしまった」

  よくあるパターンですなあ。 その種の焦りは、傍目には分からんでもないですが、亭主はもとより、置き去りにされた子供は、あんたを決して許さないと思うよ。 いつの日か、その子が訪ねて来て、「人間のクズ!」と、口を極めて罵られるのを、覚悟しておくべきだろうねえ。 言い返せないだろう? 言い返したりしたら、激昂した子供に、殺されてしまうかもなあ。

  どこか知り合いが一人もいない土地で、新生活を始めても、どうせ、また、男が近づいてくれば、交際するんだろう? だって、遊び足りないがために、家族を捨てて来たんだからねえ。 で、また、子供が出来るわけだ。 同じ事を繰り返してるだけじゃん。 結局、あんたは、そんな事しかできない人生なんだよ。


  失う自由は、時間的なものだけではありません。 結婚した後に、強烈な破壊力を見せつけるのは、お金の問題です。 結婚を目前にした男性諸君、分かっているとは思いますが、君らの稼いだ給料は、結婚を境に、君らが使える物ではなくなるのですよ。 大抵は、小遣い制になり、月5万なら多い方、3万で普通、1万円というのも聞いた事があります。 ちなみに、5万、3万の場合、昼食代込みです。

  他は全部、家計に吸い上げられます。 妻が働いている場合、その収入は家計に全額直行するので、「小遣いがあるだけ、男の方がマシ」のように見えますが、その実、妻側は、全家計を管理する立場にあり、使おうと思えば、貯蓄をあるだけ使えます。 アホな女房が、パチンコに入れ込んで、貯金を全部使ってしまったばかりか、消費者金融に借金までこさえて、後で気付いた亭主が、愕然とするというのは、非常によく聞く悲劇。 いや、喜劇。

  独身時代に、収入のほとんどを使ってしまっていた男性は、いきなり、小遣い制になったら、世の中が真っ暗になったように感じるでしょうねえ。 

「神は死んだ・・・。 俺は、何の為に生きているのか? 確か、幸せになる為に、結婚したと思っていたのだが、これが、俺の望んでいた幸せなのか? 幸福指数は、いくつだ? ブータンへ亡命しようか・・・」

  で、以前にも書きましたが、この、使えるお金の極端な減少が、DVの原因の一つになります。

「俺が稼いで来た金なんだよ! なんで、お前が、服なんて買ってんだよ! お前、一体、俺の何なんだよ! 奴隷を雇ってるご主人様かっ!」

  まあ、怒りは分からんでもないですが、殴る蹴るの暴行に及ぶくらいなら、すっぱり離婚して、独身に戻った方が賢明ですな。 もう、結婚も一度経験したんだし、いいじゃありませんか。 くれぐれも、「他の女なら・・・」とか、思うなよ。 同じだ、同じ。 先手を打って、「結婚後、給料を全額は家計に入れない」なんて言ったら、女の方は、結婚のメリットが少ないと判断して、他の男を探し始めます。


  次の不自由は、配偶者の親との関係です。 あくまで、結婚した相手は、配偶者なのであって、配偶者の親ではないのですが、否が応でも、「お父さん、お母さん」と呼んで、付き合わなければなりません。 配偶者の親との同居なんぞ、現代では問題外になり、その点は、非常に楽になりましたが、それでも、盆暮れには、訪ねて行かねばなりませんし、配偶者の実家で冠婚葬祭があれば、引っ張り出される事になります。

  結婚式はそれほど多くありませんが、葬式や法事、特に法事は、いかに多いか、驚くくらいでしょう。 年に何回、喪服を着る事になるやら。 当然の事ながら、その日は自由に使えないわけで、休みなのに、平日と変わらないくらい疲れる始末。

  冠婚葬祭の用事は、独身者でも、あるにはありますが、親元で暮らしている場合、その家の代表にはならないので、出番は滅多にありません。 一方、結婚して独立し、家の代表になっている場合、あなたが出なければ、他に出る者はいません。 そして、自分の実家と、配偶者の実家の分があるので、単純計算して、2倍の出席頻度になるわけです。

  盆暮れになると、夫の実家に帰省して、滞在している間、実家の家事をやらされるという妻の例を知っていますが、もう、完全に奴隷ですね。 たとえ、仕事をやらされなくても、他人の家に寝泊りして、トイレや風呂も遠慮しいしい入るなんて、想像するだに、ぞーっとします。 よく我慢できるよなあ。 きったならしい! そーまでして、結婚したいか?

  そういや、以前、会社の先輩で、ラーメン屋の娘と結婚した人がいましたが、平日は会社で働いて、休日になると、女房の実家のラーメン屋を手伝いに行くのだそうです。 「どうせ、家でゴロゴロしてるなら、手伝いに行ってよ。 土日は店が忙しいんだから」とか、女房に尻を叩かれるわけですが、冗談じゃねーっすよ。 平日働いて、休日も働くんじゃ、一体、いつ休むんだよ。 奴隷だ、奴隷!

  農家の娘と結婚したとか、農家の次男と結婚したとかも、悲惨ですぜ。 農繁期には、手伝いに行くのが、当然、みたいになりますからね。 何だか、不公平だよねえ。 農家の方は、こっちの仕事が忙しくたって、手伝いに来てくれるわけじゃないのに。 配偶者の実家が農家である場合、作物をただで貰えるメリットもありますが、現代人なら、「そんな物は要らないから、放っておいて欲しい」と思うんじゃないでしょうか。

  それもこれも、惚れた弱味が、事の発端なのです。 自分の方から、相手に接近した為に、主従関係が固定してしまい、一生、頭が上がらないのです。

「結婚してしまえば、こっちのもの」
「釣った魚に餌はやらない」

  ああ、よく聞きますねえ。 しかし、そういうのは専ら、DV亭主のセリフでして、そんな家庭は、結局、破綻します。 どうせ破綻するなら、最初から、結婚なんかしなきゃあいいのに。 金と時間の無駄でしょうが。


  子供が出来た場合、子育てにかかる資金は、膨大なものになります。 小さい内は、それほどではありませんが、学校に上がれば、成長するに従い、学費がどんどん増えて行きます。 大学までやる場合、一人当たり、一千万では、収まらないでしょう。 生涯貯蓄額を比較した場合、独身者は、この負担が全く無いわけで、チョモランマ越えと、平地を行くくらいの、違いがあります。

  まーた、子供の方は、金を稼ぐ事がどれだけ厳しいか知らないものだから、気楽なんだわ。 判で押したように、東京の大学へ行きたがります。 受験用の勉強しかした事がなくて、学問なんぞ全く興味が無いくせに、「とにかく、大学に行きたい!」 具体的な就職先も考えていないくせに、「大学は、東京じゃなきゃ駄目!」 何でか? ただ単に、一人暮らしして、遊びたいからです。 他に理由無し。

  親の方も、高校までの自分の子供の様子を見ていれば、学問に向いているかどうか、分かりそうなものですが、子供が、東大だ、早稲田だ、慶応だ、などと、名が通った大学に行きたがると、自分まで、偉くなったような気分になって、「じゃあ、無理してでも、学費を工面するか」などと、大それた事を考え始めます。 

  だけどねー、無いものは無いんですよ。 たとえ、預金を全部はたけば、どうにか足りたとしても、あんた、そんな事で蓄えを使ってしまって、老後の資金を、どこから、持って来るつもりなのさ? 老後には、奨学金なんて無いんだよ。

  まさか、子供が自分を養ってくれるなんて、期待してないだろうね? 同居なら、家に生活費くらい入れますが、親を養うほど、金を入れる子供なんて、今時、いやしません。 実際、聞いた事がないです。 また、子供は、結婚すれば、確実に出て行って、実家に仕送りなんか、絶対しません。

  結局、老後は、年金と蓄えで暮らすしかないのです。 よく言われる老後に必要な資金の額は、一人3000万円ですが、夫婦だったら、6000万円。 ありますか? 無いよねえ。 「定年後は、夫婦で、海外旅行に・・・」 何を寝惚けているんですか。 そんな、お金、どこにあるんですか? 無いでしょ? 子供の学費で使っちゃったんですよ。


  次。 独身なら必要無いのに、結婚していると病的に欲しくなるのが、マイ・ホームです。 これが、子供の学費以上に怖い。 自分の家を持つ事を、人生の価値基準にしている人は多く、特に、自分自身が、親の持ち家で育った人の場合、自分の家を買う事が、≪自立≫の最終目標になっているケースが多いです。

  で、出て来るのが、≪35年ローン≫なんだわ。 定年から逆算すると、25歳の時に、35年ローンを組むのなら、定年までに払い終えるわけですが、そんなに早く、家を買う人はいません。 25歳では、まだ、結婚もしていないでしょう。 大抵は、30代後半になります。

  するとですな。 35年ローンの内、10年から15年分くらいは、定年後に払う事になります。 ここで、素朴な疑問が湧いて来ます。 

「定年過ぎているのに、そんなに長い年数、一体、どこから、お金を持って来るつもりなのか?」

  冗談じゃないですよ。 定年延長したって、65歳までしか会社にいられませんし、定年前より、収入はガクンと減ります。 再就職するにしたって、そんな年寄りに、現役と同じ給料払う所なんて、無いですよ。 体力や知力の衰えを考えれば、75歳まで働けると思っている方が不思議。 ところが、現実に、70歳過ぎまで終わらない住宅ローンを抱えている人は、信じられないほど、たくさんいるのです。

  小学生低学年でも出来る単純な計算を、大の大人が夫婦二人でしているのに、「何とかなるだろう」と、明々白々に間違えた答えを出しているのには、呆れるやら、驚くやら・・・。 この人達、老後になってから、ローンが払えなくなり、家を取り上げられる事になるでしょうが、どこへ行くつもりなんでしょうね? ちなみに、家を取り上げられても、ローンは残りますから、その先も、地獄の階層は、どんどん下へ落ちていきます。

  独身者でも、住む所は必要なわけですが、大抵は、親の家に住んでいて、親の死後、そのまま引き継ぎますから、取得費用はかかりません。 一人暮らしをしている場合も、アパート住まいなら、一生分の家賃を足しても、マイ・ホームを買うよりは、遥かに安く上がります。 金回りのいい人で、分譲マンションを買うケースもありますが、独身者は、蓄えが多いので、ローンを組まずに、即金で買う事が多いです。 一人で住むなら、狭くてもいいから、値段も安い。


  次。 思いの外、発生確率が高いのは、配偶者の病気です。 死ぬまで、大病をしない人の方が珍しい。 大きな手術なんてザラですし、入院が長期に及び、お金ばかり出て行くなら、まだマシな方で、在宅療養で寝たきりになったりされると、自分の仕事をこなした上に、看病・介護までせねばならず、精根尽き果てます。

  子供の難病も怖いですねえ。 もう、人生変わっちゃいますよ。 こちらも、ちっとも珍しい事ではなく、恐らく、どんな人でも、親戚に一人くらいは、「子供の頃から、ずっと病気」とか、「重い障碍がある」という人がいるのではないでしょうか。

「この子が生まれてくれて、命の大切さを知った」

  それは、掛け値なしの本心だと思いますが、そういう人達でも、

「もし、この子が、健康だったら・・・」

  と、思わなかったという事はないでしょう。 私自身、医学が無ければ命を失っていたような病気を経験していますが、やはり、病気よりは、健康の方がいいです。 つくづく、そう思います。

  病気とは限りませんが、配偶者の親の老後の世話・看取りも、大変です。 実家と縁を切ってしまって、「勝手に死んで」という人も、昨今では増えているようですが、なかなか、そうもねえ。 大体、自分の親ならともかく、配偶者の親にそういう態度は取り難い。 配偶者の信用を、よーく失ってしまうからです。

  また、ポックリ行ってくれる人ばかりではないんだわ。 何年も寝たきりになられると、介護が地獄になってしまうんだわ。 それでも、どんなに厳しくても、放り出すわけには行きません。 独身なら、親は二人ですが、結婚していると、四人。 厳しいなあ。 リレーのように、長い介護と看取りが続いて、何のために結婚したのか分からんような人もいるでしょうなあ。


  最後の大問題。 配偶者が先に死ぬケースです。 子供が、まだ学齢の内に、親のどちらかが死ぬと、いきなり、借金地獄へ堕ちます。 こういう例も、身近で、たくさん見ました。 子供が小学生くらいの時なら、片親でも、何とか踏ん張って、高校までは出させる事ができるのですが、大学へ通わせている時に、そういう事態が発生すると、一気に、お金が足りなくなって、キリキリ舞いする事になります。

  親はもちろん、子供も困り、大学を途中でやめる事になったら、もう大変。 高校とは縁が切れているし、大学はまだ卒業していないしで、学校の進路指導システムを使えないので、就職ができません。 もう、どうしていいやら・・・。 即、ニートですな。

  子供の問題を外して考えても、配偶者に死なれてしまえば、独身者と変わらないのであって、結婚していたという事実は、単に、その人の記憶の中にしか存在しません。 そして、なまじ、配偶者に頼って生きて来ただけに、一人になると、生活能力が足りなくて、困り果ててしまうのです。

  今まで、独身者達の事を、「結婚もできない、出来損ないどもが・・・」と、腹の底でせせら笑っていたような人でも、自分が一人になると、のしかかって来る負担に耐えられず、「どうして、あいつらは、一人で暮らしていられるんだ?」と、軽蔑と羨望が入り混じったような、複雑な眼差しで見始めるようになります。

  まあ、途中で一人になってしまった人というのは、それ以降、どうしても、廃人っぽくなりますねえ。 一方、生涯独身者は、若い頃から、死ぬ寸前まで、生活テンションは、ほとんど変わりません。

  歳を取ってから、配偶者に先立たれた場合も、落ち込みは激しいです。 「後を追うように亡くなる」というケースが、不思議なくらい多いのは、その夫婦の精神的な相互依存度が高かったからでしょうなあ。 生涯独身者から見ると、そういうのは、何となく羨ましいような感じがするかもしれませんが、客観的に見れば、人が死んだのを羨むのは、変な話です。


  結婚のデメリットというと、こんなところですかねえ。 探せば、もっとあると思いますが、もう疲れたので、勘弁して下さい。 これだけのデメリットを、「合法、且つ、無料の性交渉ができる」、「子供を作れる」、「ほぼ死期が同じくらいになる家族が出来る」という、たった三つのメリットだけで、相殺しているのです。 かなり、無理あり。 だから、離婚がうじゃうじゃと発生するのですよ。

  いや、それでも、相手が見つかって、他の条件が許すなら、結婚はした方がいいと思います。 自然な事ですから。 それは、認めます。 だけど、もし、相手が見つからないのであれば、莫大なお金を注ぎ込んだり、犯罪まがいの事をしたりしてまでして、実現しなければならないような事ではないですよ、結婚というのは。

  冒頭にも書きましたが、隣の芝生は青く見えるのであって、既婚者の方が、独身者を羨んでいる事も多いのですから、殊更、劣等感を抱く必要はありません。 人生なんて、人それぞれなんです。 価値観からして違うのに、同じ土俵で勝負したって、意味ないでしょう?

「それでも、子孫を残せるかどうかは、生物の本能として、重大だ」

  そりゃ、そうとも言えますが、そういう大きな話をするなら、人類という生物種は、あと、一万年も続かないと思いますよ。 一万年なんて、宇宙の時間スケールで言えば、一瞬ですが、たったそれだけの間に、現在、地球上で生きている人間の子孫は、一人もいなくなると言うのです。

  人類全体ですら、そんな儚いものですから、あなた一人の子孫が続くか続かないかなんて、無いも同然の悩みじゃありませんか。

2012/10/21

セックスレス

  私は独身で、しかも、今までに一度も結婚した事が無いのですが、結婚している人達を傍から見ていて、非常に不思議だと思う事があります。 その最たるものが、≪セックスレス夫婦≫。

  私が中学生の頃、兄が、電子ゲームの玩具を持っていました。 今のポータブル・ゲーム機と同じくらいの大きさでしたが、値段は確か、8000円前後で、一種類のゲームしかできません。 その頃、大流行していた、インベーダー・ゲームを単純化したようなゲームでした。

  私も遊ばせて貰ったんですが、そういうゲームをやった事がなかったので、嵌まりに嵌まり、「貸してくれ、貸してくれ」と、兄に陳情の嵐を浴びせていました。 しかし、弟に甘い兄ではなかったので、ほんとに、たまにしか、遊ばせて貰えませんでした。

  その時、不思議だったのは、私に遊ばせないだけでなく、兄自身が、あまり、そのゲームを手にしようとしない事でした。 兄に向かって、「何でやらないの? 俺だったら、朝から晩までやってるよ」と言ったのですが、何の反応も無し。

  今思うと、兄は、本物のインベーダー・ゲームも、小遣いが底をつくくらい頻繁にやっていた人なので、そんな単純な玩具は、すぐに飽きてしまったのでしょう。 その後、テレビ・ゲーム時代の幕が開き、私も、スーパー・ファミコンとPS2は経験したので、今なら、その気持ちはよく分かります。


  で、セックスレス夫婦です。 唐突に話題が戻って恐縮ですが、私が不思議さを感じた、その感じ方が、このゲーム玩具の記憶と重なるので、こういう展開になった次第。 独身者から見ると、「夫婦なのに、なんで、セックスしないのか?」というのが、実に不思議なのです。

  私同様、独身の人は、必ず、結婚生活に憧れた事があると思うのですが、言うまでもなく、その中心にあるのは、性行為なのであって、極端な事を言えば、性行為以外で、夫婦がやっている事は、幼児が興じている、≪ままごと≫と、本質的な違いがありません。

「人生の伴侶を得たのであって、セックスが目的で結婚したのではない」

  はあ~っ? はんりょーっ? おまえは、サルトルか? 嘘をつくな、嘘を! というか、考えが足りなくて、本当に、そう信じているのか? それはそれで、嘘つきよりも、問題だな。

  大体、あんたら、夫婦と言っても、一般的な話題で会話してないだろう? 喋る事があるとすれば、共同生活をする上で必要な打ち合わせか、子供の話か、ペットの話、芸能人のゴシップ話・・・。 一般的な話題と言えるのは、せいぜい、近所の住人の悪口くらいのもの。

  そんな会話しか交わせない、≪伴侶≫がいるものか。 お笑わせでないよ。 そんなの、ただの同居人ではないか。 同棲ほどの睦まじさも無く、ルーム・シェアしている他人同士と比べても、大差ありません。

 「他に話す事なんか無いだろう」と思っているあなたは、勤め先で同僚と話をする時、配偶者とするよりも、遥かに、話が盛り上がるのを、毎日のように経験しているはず。 同性同士だから? いやいやいや、異性間であっても、同僚との会話の方が、配偶者とのそれより、ずっと面白いのです。

  結婚して以来、 夫婦間の会話で、大盛り上がりした事がある人、手を挙げて! ・・・はい、誰もいませんね。 盛り上がるほどではないけれど、時々、話が弾む事がある人は? お、何人か、いますね。 なるほど、あなた方は、かなり、幸せな方だと思います。

  私の感覚では、性行為もせず、会話も楽しくない他人が、同じ家の中に住んでいて、トイレの順番で気を使ったり、風呂から出た後、バス・タオルを使うか、普通のタオルを使うか、バス・タオルだったら、共用するか、別にするかで意見が喰い違ったり、食事をダイニングで食べるか、居間で食べるかで、激論を交わしたりする、そんな生活は、耐えられません。 そんなの、ただの、≪敵≫ではありませんか。

「料理や、家事をやってくれるから」
「外で働いて、お金を稼いで来てくれるから」

  あなた方は、前世紀の遺物です。 互いに互いを奴隷にして、役割分担をしているだけ。 ≪役割分担≫というと、何となく聞こえがいいですが、その実、これは、「男は外で働き、女は家を守る」といった、鼻を抓みたくなるような古臭い考え方を、カッコつけて表現する時に、言い訳にしていた、一種の≪粉飾表現≫に過ぎません。

  通用したのは、1990年くらいまででして、現代では、≪役割分担≫は、結婚の理由には、全くなりません。 なぜ、成立しなくなったかというと、一方では、女性が働くのが当然になり、もう一方では、男性が一人でも暮らせるような社会システムが出来上がったからです。

  女性にしてみれば、学校を卒業すれば、就職するのが当然になり、男性と変わらない収入を得られるのですから、もはや、人生を男に頼る必要、全く無し。 今、小学生の女子に、「将来の夢」に関するアンケートを取ったら、必ず、「ケーキ屋さん」や「アイドル歌手」といった、具体的な職業を書くのであって、「お嫁さん」だの、「専業主婦」などと答える子供は、皆無ではありますまいか。

  ちなみに、私が小学生だった頃には、そういう女子は、割と普通にいました。 ところが、彼女らが高校生になった頃には、進学しないのであれば、就職するのが当たり前の世の中に変わっていて、卒業後すぐに結婚した人間など、一人もいませんでした。

  ただ、一旦、就職しても、結婚を契機に仕事を辞めて、専業主婦に切り替えるというパターンが普通でした。 ≪寿退社≫などと言われていましたが、これも、結婚後も働き続けるのが主流になった現代では、逆に、奇異な習慣だったと思えてしまいます。 つまりその、私達の世代は、過渡期にあったわけですな。

  男性にしてみれば、コンビニ弁当の登場を筆頭に、ファースト・フード店の普及、スーパーの惣菜コーナーの充実などが進み、男の一人暮らしに於いて最大のネックだった、食事の問題が解決された事で、「どうしても、結婚しなければならない」という切迫感が失われました。

  かつては、「男やもめに、蛆が湧く」などと言われ、部屋の片付けにせよ、風呂の掃除にせよ、「早く結婚して、女房に面倒見てもらえ」と、周りからせっつかれたものですが、これも、今や昔話。 ≪片付けられない女≫に代表されるように、女だからと言って、清潔な住環境を保つ能力が優れているわけではない事が分かるに連れ、結婚の理由にならなくなってしまいました。

「もう何年も交際している彼がいるけれど、いつまでたっても、プロポーズしてくれない」

  それはね、その彼が、あなたの事を、妻として、必要としていないからですよ。 独身生活にうんざりしていて、結婚願望が強い男なら、明らかに早過ぎるようなタイミングで、指輪を用意していたりするものです。 そうでない男は、当面、女性に助けてもらわなくても、生活に支障が無いから、結婚が、逆に負担に感じられてしまうのです。

  で、こういうヤキモキ女性達が使う奥の手が、≪できちゃった婚≫です。 できちゃった婚を、「避妊の失敗による悲劇」だと思い込んでいる人も多かろうと思いますが、私は、そんな事、信じません。 何年間も、避妊を卒なくこなして来た女性が、突然、しくじるなど、考えられませんな。 わざと妊娠して、男を騙し、結婚を決断させているに違いない。

  ちなみに、避妊の管理で、男を騙すなんて、訳無いです。 大抵の男は、いい歳した大人になっていても、女性の生理に関する知識がありません。 ≪性知識≫は、三度の飯より好きなのに、≪生殖知識≫は無いのです。

  月経周期の基本的パターンが、頭に入っている男が、全体の10パーセントいるか、大いに疑わしいところ。 女なら、中学生でも理解できる程度の、単純な仕組みなんですが、男は、自分の体とは無関係だと思っているから、覚えようという気にならないんですな。 アンケート調査をしてみれば、生理期間を、「排卵している期間」だと誤解している男が、うじゃうじゃ出て来ると思いますよ。

  女性の体はもちろん、自分の体さえ分かっていない男も、珍しくない。 男同士で、その種の話をしていると、精液が、陰嚢の中で作られていると思い込んでいる人物が、少なからずいます。

「でさあ、精液が、キ○タ○から、ぐって、上がってくるじゃん?」

  上がって来ねーよ。 上がって来るのは、精子だけだよ。 なんで、そんな事も知らないんだよ。 もう、30歳をとうに過ぎたような面々ですよ。 しかも、結婚もしてるんですよ。 思春期の頃に、男性性器の解剖図とか、見なかったんですかね? 女性性器の解剖図なら、熱心に見た? その割には、

「子宮の中で射精すると・・・」

  なんて事を、平気で口にします。 できねーよ、そんな事。 できたら、チューブも使わんと、毎回、人工授精してる事になるな。

  ここまで読んで、すごく不安な気持ちになった諸兄よ。 今からでも遅くない。 生殖器の構造と仕組みについて、勉強を始めなさい。 自分のペニスが、女性のどこに入っているかも知らんのでは、心置きなく快楽に耽られまいて。

  日常的に、性交渉をする相手がいても、避妊管理は女性任せで、「その日が、いいか悪いか」だけ訊いて、事に及んでいる男が、ほとんど。 あまり興味が旺盛過ぎて、相手の女性の体の事を、当人以上に知っているという男も気味が悪いですが、何も知らぬよりは、ずっと、マシですな。

  避妊具を女性に買わせているケースも多いと思うのですが、妊娠を企む女性側からすると、そういう立場にあれば、こっちのもの。 破れ易いように針で孔を開けておくなんて、それこそ、子供でもできる事です。 パッケージの上からでも開けられますから、事前にバレる心配は、まず、ありません。

「できちゃったみたい」
「ええっ! 困ったなあ・・・」
「どうする? 堕ろす?」
「・・・・、いやあ、そんな・・・、しょうがない、結婚しよう」


  見事に騙されてますなあ。 しかし、それでいいのですよ。 そんなきっかけでも無ければ、永久に、結婚する気にならないのですから。


  何だか、話が錯綜してしまっていますな。 面倒臭いので、強引に、本来のテーマに戻れば、どうして、セックスレス夫婦ができてしまうかが、疑問なのです。

  やりゃあいいじゃん。 無料でできる相手が、同じ家の中にいるんだから。 なぜ、やらぬ?

「女房が妊娠してから、しなくなったなあ」

  ああ、まあ、そりゃ、納得が行く理由ですな。 子供を複数作った場合、最後の子供を妊娠した後、途絶えたわけだ。 問題は、子作りが済んだ後、なぜ、性行為を再開しなかったかです。

「なんとなく、そんな雰囲気じゃなくなっちゃって」

  これは、非常に多くの夫が口にする言葉なのですが、恐らく、妻の方も、同じでしょう。 予定していた数の子供は、もう作り終えてしまって、子作りを、性行為の目的にできなくなると、快楽だけのために行なうという事になり、それが、後ろめたさを感じさせるのでしょうか。

  だけどさあ。 結婚を念頭に於いていなかった独身時代の性行為は、快楽目的だけでやってたんですよね。 子作りが終わった途端に、いきなり、≪道を説く君≫に変身するのは、変じゃないですか?

  妊娠期間中、性行為を断っていて、出産後、それを再開させる場合、どちらかが言い出さなければならないわけですが、「それが、気まずくて、嫌だ」というケースも多いのではないでしょうか。 もう、それ以上、子供を作る予定が無い場合、尚の事。

  しかし、肝心な事を忘れています。 子作りが終わろうが、子育て中だろうが、子供が成長して家を出ようが、つまり、自分が何歳になろうと、「性欲が消えて無くなる事はない」という厳然たる事実がある事です。 最近の研究では、性欲は、死ぬまで、無くならないらしいです。

  男も女も同じです。 女性の場合、閉経すれば、生殖能力を失うわけですが、それも、性欲とは関係ありません。 ≪冬ソナ・ブーム≫の時、ぺ・ヨンジュンさんに恋焦がれる中高年女性が、膨大な数、出現しましたが、50代、60代、いや、70代であっても、「ヨン様が、私を抱いてくれたら・・・」と空想して、眠れぬ夜を過ごさなかった人はいないと思います。

  性欲と切り離した恋愛感情がありえないのは、くどくど説明するまでもありますまい。 プラトニック・ラブ~ぅ? アホけ? そんな奴、いるか! やりたいけど、言わないだけだよ。 軽蔑されるのが怖くてな。 好きなのに、性行為はしたくないなんて、不自然ではないか。

  健康的な趣味を持とうが、知性の世界に逃げ込もうが、性欲からは逃れられません。 「性欲なんて、もうありません」などと言っている人間の方が、嘘をついているのです。 どんなに高潔な人格の持ち主だろうが、「孫と遊ぶのが、唯一の楽しみ」と言っているような老人だろうが、性への興味を完全に消失している事はありえないです。

  つまり、性欲は、何歳になっても、何らかの方法で、処理せざるを得ないのです。 で、独身者ならば、自慰行為に精を出し、既婚者ならば、浮気、不倫、買春などに走るわけですが・・・、ちょっと待て! どうして、そうなる? 家の中に、配偶者という、合法的、且つ、無料で性交できる相手がいるではないか。 なぜ、そちらに頼まない?

  妻の最後の出産後、再開を切り出すのが気まずいというのなら、出産前、最後に性行為をした直後に、契約を取り決めておいたらどうでしょう? 言わば、相手との性行為に抵抗感が無い内に、次の予約をしてしまうわけですな。 例えば、

「出産後、最初の生理が過ぎたら、気分が乗る乗らないに関係なく、健康上の問題が発生していない限り、厳重に避妊した上で、性交渉を再開する」

  といった内容の取り決めをしておくのです。 大仰になりますが、契約書を交わしておいてもいいです。 それなら、どちらか片方にその意思があれば、さほど、気まずい思いをせずに、再開に漕ぎ着けられます。 心理上、非常に微妙な事だと思うのですが、一度、再開すれば、その後も習慣を維持する気になると思うのですよ。

  この種の取り決めをしておかずに、出産後、いきなり、性交渉を持ちかけると、配偶者から、「不潔な人・・・」といった目で睨まれる事になり、そういう視線で見られた事に、精神的ショックを受けて、二度と再開を口にしなくなってしまうケースは、非常に多く存在すると思います。

  家族間の不和のきっかけは、ほとんどが、≪軽蔑≫から始まります。 血の繋がった親子でさえそうですから、本来、他人である夫婦間では尚の事。 自分を軽蔑している人間が、家の中にいるというのは、居たたまれません。 一度、軽蔑されたために、性交渉が途絶えてしまった例は、相当な数に上るのでは?

  極端な例では、新婚旅行で、新妻に甘えようとしたら、まるで、汚物でも見るような目で見下され、「そういうのは、お母さんとすれば?」と言われてしまい、以降、性行為をしていても、全く興奮せず、ゴリラの交配のように淡白な儀式になってしまったというのもあります。

  こういう話を聞くと、「子供っぽい男と結婚した自分にも非があるんだから、ちょっとくらい、甘えさせてやればいいのに・・・」と思う反面、「一度、甘えを許すと、一生、甘えられる危険性もあるから、この反応も致し方ないか・・・」とも思います。

  そういや、≪できちゃった婚≫で結婚した夫婦で、結婚後、一度も性交渉を持った事が無いという人達もいるようですな。 昔は、性行為をする為に結婚したわけですが、今や、性行為をしないために、結婚する時代になったのか。 いやあ、性風習の変化は、急転直下だねえ。

  そういうケースでは、男の方に、「この女は、避妊に失敗する」という警戒心が植えつけられてしまっているため、尚更、再開がしにくいのでしょう。 妻の方から、再開を持ちかけて、断られるケースも、もちろんあります。

「今は、母親だろ。 子供の立場になってみれば、親にそんな事、してほしくないじゃないか」

  ううう、胸に突き刺さるような、鋭い説得力ですな。 「不潔な女・・・」と、蔑まれたも同然ですが、避妊に失敗している前歴があるものだから、強い態度が取れないのは、辛いところ。 この夫婦は、もう、それっきり、ただの同居人で終わるしかないかも知れませんなあ。

  でねー、一度、断られて、相手を恨んだとしても、その後、相手側から、再開を持ちかけて来た時に、承諾すればいいんですよ。 ところが、軽蔑された仕返しに、「今更、そんな事、できないよ。 それなら、あの時、OKしてくれれば良かったじゃないか」なんて、突っ撥ねるものだから、まーた、距離が開いちゃうんですな。 まー、他人なんか、そんなもんだと言えば、そんなもんですが。


  再開のタイミングを逸したケース以外にも、セックスレスの原因はあります。

「もう、女房の裸見たって、立たないよ」

  おおっと・・・、正直な意見が出て来ましたねえ。 確かに、女性の外見上の衰えは、男性よりずっと早いです。 20歳頃、「天使が地上に舞い降りたか・・・」と思うばかりの美女だったのが、30歳になると、「どこの妖怪だ?」になってしまうから、落差が凄まじい。 莫大な金を貢いで、ようやく結婚に漕ぎ着けたなんて男は、ダイヤのつもりで買った石が、いつのまにか、砂利に化けてしまったかような、≪騙された感≫に、一生、苛まれ続ける事でしょう。

  だけどねえ。 女房の外見を、そんな風にしちゃったのは、亭主にも、原因があるんですよ。 かなり前から、セックスレスになっちゃってるでしょう? そうすると、女の側にしてみれば、外見の魅力を維持する大きな動機が、無くなってしまうのですよ。

  痩せていようが、太っていようが、亭主が指一本触れて来ない事に変わりはないとなれば、食欲を抑えてまで、体型に気遣う必要は無いですわなあ。 髪型も然り。 化粧も然り。 そりゃ、加速的に老けますって。 また、性交する気も無いのに、女房の外見について、あれこれ意見もできないでしょう。 ただの同居人に、そんな注文をつける資格はありません。

  これが、性行為の習慣を維持していて、月に一度でも、夫に抱かれる事があるとなれば、まるで、事情は違って来ます。 張り合いがあるじゃありませんか。 エステだの、ブランド化粧品だのと、あまり散財されるのも困りますが、費用面での節度を守れるのなら、女房は、くたびれているよりは、綺麗な方がいいよねえ。

  つまり、女房がくたびれた外見になったから、セックスレスになったのではなく、セックスレスになったから、女房がくたびれてしまったのですよ。 「女は、恋をすると、綺麗になる」とは、よく言いますが、途絶えていた性交渉を再開すれば、見る見る、若返るんじゃないでしょうか。 まあ、当然、年齢から来る限界はあると思いますけど。


  最後に触れておかなければならないのは、「子供が出来ない夫婦」のセックスレスです。 こちらは、子供が出来た夫婦とは、安直な比較が許されないほど、深刻な理由があります。

  結婚を全く考えていない段階の独身者だと、「おお、子供が出来ないのなら、避妊の必要もないから、やりたい放題じゃないか」などと、プラス面を見るかも知れませんが、とんでもない思い違いなのであって、自分達が、同じ立場に置かれたら、天の無情な仕打ちに、己の運命を呪い倒す事でしょう。

  性行為は、快楽だけが目当てでもできますが、やはり、本来の目的は、子供を作る事にあるのであって、「自分達夫婦には、子供が出来ない」と分かった時に、それを嫌というほど、痛感する事になります。 全く避妊せずに、何度繰り返しても、絶対に子供が出来ないのです。 欲しいのに、出来ないのです。 もう、泣くしかないじゃありませんか。 プラス面? そんなもん、ありゃしねーよ。

  すればするほど、空しいだけ。 そりゃ、セックスレスにもなるわなあ。 これがまた、微妙なところで、「確率はものすごく低いが、もしかしたら、受精する可能性もある」と思えば、その気にもなるのでしょうが、子宮全摘手術を受けているとか、無精子症の診断結果がはっきり出ているなどというケースでは、ただ、相手の体を汚しているだけのような罪悪感が付き纏い、する前から、萎えてしまいます。

  たいていは、どちらか一方に、より重大な問題があって、妊娠に至らないわけですが、自分の方に問題があると分かっていると、性行為を持ちかけるのも、ためらわれるでしょう。 「こんな嫌な思いをするくらいなら、生まれて来ない方が良かった」とまで思うでしょう。

  気の毒、この上無し。 こういう夫婦に比べたら、いっそ、一生独身で、自分に生殖能力があるか無いか、知らないまま死ぬ者の方が、まだ幸せです。 子供を産めない嫁を、責める姑というのが、今でもいるらしいですが、本人の辛さが分からんのか、このボケめ! 地獄に堕ちるべきですな。 地獄の概念とは、そういう者のために、用意されているのです。


  強引に纏めますが、子供ができない夫婦の無念に比べれば、子供が出来た後、セックスレスになったなんてーのは、贅沢な悩みですぜ。 ほんのちょっと、勇気を出して、再開すれば、すぐに解決する事じゃないですか。

  大丈夫ですよ。 もともと、好き合っていた仲なんだから、とりあえず、二人きりになって、「お前にしか頼めないんだ」とか、「もう、好きじゃないの?」とか言ってれば、その内、その気になってくれますって。

2012/10/14

映画批評

  9月・10月と、仕事は楽で、残業もごく短く、家で自由に使える時間が長いのですが、不思議なもので、時間があると、この種のブログ記事を書く気が起こりません。 私が文章を書く時のエネルギーは、≪怒り≫が重要な源になっているのですが、時間にゆとりがあると、それだけで、生活に満足してしまって、怒りが湧いて来ないんですな。

  と言うわけで、今週は休み、・・・と言いたいところなんですが、ここを読むのが、日曜の習慣になっている人も少しはいると思われ、何も書かないのも、誠意が無い話なので、最近見た映画の批評でも書こうと思います。

  ただし、新作ではありません。 みんな、テレビで見たものです。 映画鑑賞は、私の趣味の一つですが、映画館に行く事は、まーずありません。 最後に行ったのは、≪ガメラ2≫の時だから、11年も前ですな。 いやー、随分、御無沙汰ですなー。 だって、料金が高いんだもの。

  特に、シネコンになってからは、一度も行ってません。 ケチな性分なので、見たい映画は、最低でも二回は見たいわけですが、シネコンだと、一本ごとに客を入れ替えてしまうので、一回しか見れません。 それが気に喰わなくて、行かないのです。 冗談じゃないですよ。 二年も待っていれば、テレビでタダで見られるのに、映画館で、たった一回見るために、2000円近い料金なんか、払えるもんですか。

  御託は、これくらいにして、肝腎の映画評にかかりますが、見た順なので、制作国も、制作年も、ぐちゃぐちゃです。 前以て断っておきますが、私の映画評は、かなり辛いので、読んだ結果、お気に入りの映画を貶され、気分を害したとしても、責任は負いかねます。 悪しからず。


≪ターミネーター4≫ 2009年 アメリカ
  スカイ・ネットに支配されて以降の話。 ジョン・コナーが、自分の父親になる青年を探しつつ、抵抗軍の指導者になっていく過程を描いていますが、もう一人、人間の意識を持ったターミネーターが出ていて、実質的には、そちらが主役になっています。

  ≪3≫までと違って、時間移動が全く出て来ないので、SFの雰囲気は、より希薄化し、単なる、未来戦闘アクション物になってしまっています。 そこそこ盛んにドンパチやっているのですが、この程度のレベルなら、とりわけて話題になる事はないでしょう。 実際のところ、≪ターミネーター≫に≪4≫がある事を知らない人も多かったのでは?

  ただ、≪エイリアン≫や≪プレデター≫の末期シリーズのような、B級化は、起こしていません。 まだまだ、本気で作っているという感じ。


≪G.I.ジェーン≫ 1997年 アメリカ
  ≪ゴースト ニューヨークの幻≫のヒロインをやった、デミ・ムーアさんが、女性兵士を演じた映画。 軍での女性の地位向上を目的に、海軍特殊部隊の最も過酷な訓練に参加する事になった女性兵士が、政治家の陰謀に翻弄されつつ、不屈の精神で、男達の偏見を突き崩して行く話。

  と、書くと、大層ご立派に聞こえますが、その実、この映画の目的は、性差別の告発や解消にあるのではなく、単に、訓練所や戦場での戦友意識を美化しているだけです。 リドリー・スコット監督は、この四年後に撮る、≪ブラックホーク・ダウン≫でも、同じようなテーマを扱っています。 よほど、戦友が好きと見える。

  軍隊という集団自体が、非日常的組織なので、その中にどっぷり浸かって生きている主人公に共感するのは、かなり難しいです。 どんなに努力しても、その目的は人殺しにあるわけで、応援したい気持ちにならんのですよ。

  クライマックスが、カダフィ政権のリビアで、取って付けたように、戦闘場面が出て来るのは、あまりにも軽薄。 手前勝手な理由で、外国に入り込んで、その国の人間を相手に戦闘を始めたら、いかんでしょう。 いわゆる、違和感があるアメリカ映画の部類です。


≪岳 -ガク-≫ 2010年 日本
  山岳救助ボランティアと山岳救助隊の話。 わざわざ、ストーリーを書くほどの事も無く、「山岳救助の話」で、誰もが思いつくような内容、そのままです。 撮影は大変だったと思いますが、それと作品の出来は、全く別の問題でして、「よくもまあ、こんな月並みな話を、わざわざ、映画に・・・」と、溜息が出ます。

  そもそも、岩山や冬山に入っていく登山者が、傍迷惑な存在だと思うので、そんな連中を命がけで救う人達の行為にも首を傾げてしまうのです。 たとえば、暴力団の抗争専門の医師団がいたとしたら、彼らの活動を応援できますかね?

  子供を出したり、山で死んだ家族や友人の思い出話をしたり、ありありと、お涙頂戴を狙っている辺り、日本映画の欠点丸出し。 そもそも、欠点だと思っていないから、こういう脚本が書けるのでしょう。 そんなにお涙が欲しいなら、いっそ、犬も出したら、如何?

  小栗旬さんが、あっけらかんとした性格の主人公を演じていますが、他の作品で見せる知的で繊細なイメージと掛け離れているので、馴染むのに苦労します。 というか、そもそも、こういう性格の青年が、物語の主人公になり得るのかどうか、そこが疑問。 明るいとか、前向きとかいう以前に、ちと、足りない人なのではありますまいか?


≪グラン・トリノ≫ 2008年 アメリカ
  クリント・イーストウッドさんの監督・主演作品。 硫黄島二作の後に撮られたもの。 家を出た息子達とは仲が悪く、妻にも先立たれた頑固な老人が、隣家のアジア系移民の家族と関わり合いが出来てから、その家の少年に生き方を教えつつ、少年につきまとう不良と対決する話。

  戦争の記憶、人種差別、家族崩壊、治安悪化、独居老人など、モチーフを欲張っているせいで、≪ミリオン・ダラー・ベイビー≫と比べると、かなり複雑で、テーマの焦点がぼやけています。 一番言いたいのは、「年寄りの死に方」なのだと思いますが、この映画が出している結論は、あまりにも普遍性に欠けています。

  暴力には暴力で対抗するという、老人の考え方が、事態をどんどん悪化させてしまう展開は、何とも救いが無いです。 ラストも、一応の決着がつくものの、「これでは、済むまいなあ」と、先々が心配になってしまうのは、私だけではありますまい。 出所したやつらが、復讐に来ないわけがないのです。

  「グラン・トリノ」というのは、老人が所有している、往年の名車の名前なのですが、作品名になっているくせに、目が点になるくらい、出番がありません。 専ら活躍するのは、ボロいピックアップ・トラックの方。


≪大奥≫ 2010年 日本
  ≪大奥≫と言っても、男女逆転の方です。 疫病で男が激減した、架空の江戸時代を背景に、女の将軍に男が仕える大奥が登場します。 貧乏旗本の息子が、家計を助ける為に、大奥に上がり、やがて、新将軍、吉宗(女)の、初夜の相手に選ばれるものの、大奥の掟によって、窮地に立たされる話。

  男女をひっくり返すという、アイデアだけが突出した話で、中身は、これといった見せ場も無く、印象に残る所が見当たりませんでした。 ただ、ストーリー展開のバランスは、よく取れています。 ラストの纏め方など、些か月並みではあるものの、見終わった後で、釈然としない気分になるような心配はありません。

  原作は少女漫画だそうで、「絶対、ホモ場面が出て来るぞ」と思っていたら、案の定、出て来ました。 しょーもな・・・。 男女逆転ならば、本来の大奥で、レズがあったという事になりますが、そんな設定は聞いた事がありません。 どうして、逆転させた時、ホモが出て来るのか、説明がつきますまい。


≪ア・フュー・グッドメン≫ 1992年 アメリカ
  トム・クルーズさん主演の軍事裁判物。 海兵隊の基地内で起こった殺人事件で、上官の命令を実行した被告二人の弁護人に任命された三人の男女が、上官の隠蔽工作を突き崩そうする話。

  途中までは、裁判物の面白さを感じるのですが、クライマックスの、上官を追い詰める手段が、あまりに単純過ぎて、ガクッと来てしまいます。 こんな怒り易い人物に、隠蔽工作なんて繊細な真似ができるとは思えません。

  それにしても、タイトルの、≪いい奴ら≫とは、誰を指しているんでしょう?


≪アイアンマン2≫ 2010年 アメリカ
  天才技術者にして、兵器メーカー社長のオッサンが、戦闘スーツを自ら身に纏って、悪と戦うヒーロー物、≪アイアンマン≫の続編なんですが・・・、なんつーかそのー、これは、漫画でしょう。 いや、元はアメコミだから、実際、漫画なわけですが、それにしても、漫画としか言いようがありません。

  SFでは、全くないです。 見せ場は、メカ・スーツの戦闘アクションですが、それに関しては、前作から全く進歩しておらず、むしろ、パワー・ダウンしている感すらあります。 人間ドラマは、ほとんど無し。 こんな軽薄な作品に出る俳優の気が知れぬ。

  最もしょーもないのは、この後作られる、関連作品、≪アベンジャーズ≫の伏線を張っている事でして、これではまるで、テレビ・シリーズではありませんか。 実際、見ていると、テレビ・シリーズの数回分を纏めて、劇場版に編集し直したのではないかと思うような錯覚に陥ります。

  とうとう、アメリカ映画も、ここまで堕ちたか・・・。 こんな物を、一級作品として作っているようでは、未来は暗いです。 0点。


≪恋人達の予感≫ 1989年 アメリカ
  巷の映画評によると、メグ・ライアンさん主演の、「ロマンティック・コメディー」だそうですが、正確に言えば、「コミカル・ロマンス」です。 笑える所もあるというだけの話で、大人の異性間の友情・恋愛関係に切り込むテーマは、至って真面目。

  初対面の時と、その五年後の再会では、いい印象を抱かず、互いに軽蔑しあっていた男女二人が、10年後の再々会で、性関係の無い友人として交際を始めるものの、結婚願望断ち切りがたく、紆余曲折する話。

  公開当時、大ヒットして、メグ・ライアンさんの出世作になったらしいのですが、今見ると、出演俳優の魅力より、物語の社会的背景の方が面白いです。 この話の中に出て来るような異性関係が、現代の日本社会では、全く見られない事に気付くと、俄然、社会学的興味が湧いて来るのです。

  その昔、「アメリカ社会で起こった現象は、10年遅れて、日本社会でも起こる」と言われましたが、確かに、10年後の1999年あたりの日本社会なら、こういう異性関係が多く見られたと思います。 女性が経済的に自立し、男と対等な立場で生きるようになった時代だからこそ、こういう関係が生まれて来たんでしょうなあ。

  その後、自立した女性が増加するに連れ、結婚難時代の幕が開き、その反動で起こった婚活ブームを経て、婚活惨敗組が不毛の荒野に立ち尽くす現在に至るわけですが、そういう人達が、この映画を見たら、「こんなのは、絵空事だよ」と鼻で笑う事でしょう。 しかし、こういう時代というのは、本当にあったんですよ。 今思えば、過渡期だったわけですが。

  興味深いのは、恋愛結婚が当然のアメリカ社会でも、出会いのきっかけは、「友人の紹介」がほとんどらしいと分かる事です。 昔の日本社会で、親や親戚がやっていた見合いの取り持ち役を、同性の友人達が担っているんですな。 それは、今の日本社会で、合コンが最大の出会いの場になっているのと同様です。

  つまりそのー、恋愛結婚と言いつつも、自力で相手を見つけられる人間は、ほとんどいないのでしょう。 友人の紹介や合コンに比べたら、言われなく小馬鹿にされている職場結婚の方が、まだ、純粋な恋愛結婚に近いと言えます。

2012/10/07

愛車遍歴

  いえ、私の愛車遍歴を書こうというわけではありません。 今までに、所有した事がある車といったら、一台きりですから、語ろうにも、話になりませんな。 家族の車を入れれば、6台乗ってますが、ちょっと変わっていたというと、ホンダの初代トゥデイだけで、他は、これといって、思い出無し。 やはり、語るに足りません。

  語りたいのは、BS日テレで、水曜の夜10時から放送している、≪おぎやはぎの愛車遍歴≫の事です。 おぎやはぎのお二方と、自動車評論家の竹岡圭さんが、毎回一人、有名人のゲストを迎えて、愛車遍歴を辿る事で、その人の人生を振り返ろうという企画の番組。

  昨年(2011年)の10月から始まって、現在、40人弱のゲストが登場しています。 俳優、スポーツ選手、歌手、落語家、戦場カメラマン、芸人など、およそ、様々なジャンルの有名人が顔を見せます。

  ゲストが現在乗っている車は、最後に紹介されますが、それは、当然、当人の車です。 過去に乗っていた車は、番組スタッフが、同型の車を所有している人を探し、収録現場まで乗って来てもらう形式をとっています。 広島から来たという人もいましたが、収録現場は、関東なので、どえらい距離を、古い車で移動して来た事になり、大丈夫なのか、他人事ながら心配になります。

  今までで、面白かったというと、女優の高橋ひとみさんと、風水建築家のDr.コパさん。 車がどうこうと言うより、話が面白くて、爆笑しました。 このお二方は、人間そのものが面白いんですな。 もちろん、高価な車を乗り継いでいるわけですが、カッコよさよりも、コミカルなエピソードから来る、親しみ易さの方が勝っていました。

  凄かったというと、飛び抜けているのが、漫画家の池沢早人師さんで、かの名作、≪サーキットの狼≫を描いた人ですが、もう、断然、突出して、別格です。 フェラーリだけでも、数十台。 博物館が出来るほどで、他の人と比較する方に無理があります。

  凄さで、それに次ぐのが、雅楽師の東儀秀樹さんと、歌手の横山剣さん。 お二方とも、車が多過ぎて、二回に分けて放送されました。 他にも、車の数が多い人はいるんですが、このお二方は、セミクラ以前の古い車に思い入れが強く、語る事が多かったために、特別扱いになったのでしょう。

  「変わっているけど、こういう趣味もありか」と思ったのが、春風亭昇太さん。 昔のミニと、日本車のセミクラ車二台しか遍歴が無く、これから欲しいと思っている車を足しても、四台しか出て来なかったのですが、全て古い車ばかりだったので、とりわけて、印象に残っています。


  とまあ、ここまでは、よし。 問題は、それ以外のゲストでして、程度の差はあるものの、「しょーがねーな、この人・・・」と呆れるような人が、やけに多いのです。 車好きは、確かに、車好きなのですが、いかにも、「金が余っているから、高い車に乗っている」という感じで、いやらしいったら、ありゃしない。

  何ともつまらんのは、スポーツ選手で、ベンツ、ポルシェ、フェラーリばかり。 判で押したようです。 チーム・メイトの真似をして買っているから、似たような車ばかりになるんですな。 また、大抵のスポーツ選手は、現役ではなく、「元」なので、話の内容が、昔話ばかりで、これまた、興味が湧きません。 スポーツの話題なんて、一週間単位で消費されて行くのに、10年も前の試合の話なんて、思い出せませんよ。

  それでも、スポーツ選手は、真面目に一つの道を追求していた人達だから、つまらないながらも、まだ、まともに話を聞けるのです。 ひでーのは、俳優陣です。 「何なんだ、この人? 遊び人か?」というような、爛れた生活の体験談ばかり。

  当人は、「若気の至りだから、もう時効」と思っているのでしょうが、視聴者にしてみれば、今初めて聞かされる話なのであって、「こんな人だったのか・・・」と、それまでの評価が、一気にマイナスまで落ち込んでしまいます。 雉も鳴かずば、撃たれまいに。

  聞いていて一番嫌なのが、「趣味は大事にしたいから」と言いつつ、金をドブに捨てるような使い方をしたエピソードで、当人は、自慢のつもりで語っていても、一般人の感覚からは、狂気としか思えません。 車が好きなのではなく、金を湯水のように使って、金持ちぶりたいだけなのではありますまいか。 成功者などと言っても、所詮、こんなものか・・・。 何だか、人間全体が、つまらないもののように思えて来ます。

  俳優に限りませんが、乗った車の数は多くても、「愛車など、一台も無かっただろう」と思われる人もいます。 すぐに飽きて、ホイホイと乗り換えて行くのです。 これも、一般人の感覚からすると、軽薄にしか見えません。 本当に、車を、オモチャだと思っているんですな。

  車を必需品にしている地方人にとって、車とは、何よりもまず第一に、「日常生活の道具」であるわけですが、この番組に出て来る有名人達は、軒並み東京在住で、地方人は一人もいないので、何歳になっても、車が、オモチャの域から出ないのでしょう。 車好きを自認しながら、車の本当の使い方を知らないわけで、ある意味、哀れな人達とも言えます。

  こういう人達は、引退したら、地方に住んでみるといいと思います。 たぶん、引退前の自分が、車という道具の事を、根本的に勘違いしていた事に、気づくと思います。 東京に住んでいる限りは、駄目だねえ。 大体、東京は、車を使わない方が、便利な街でしょうに。


  東京も地方も無い、一般論ですが、車に拘っている人というのは、バブルの頃に比べると、随分と減りました。 休みの日に、自転車で住宅街をぶらぶら走っていても、洗車をしている光景を、滅多に見なくなったので、それが分かります。 車は、完全に、道具と化してしまって、もはや、ステイタス・シンボルでも、何でもないんですな。

  高価な車に乗っている人間が、羨ましいどころか、お金の価値を知らない馬鹿に見えてしまうのですから、バブルの頃と比べたら、隔世の感があります。 今では信じられない話ですが、バブルの頃には、乗っている車で男を選ぶ女というのが、本当にいたんですよ。 ちなみに、私の従妹の一人も、ソアラに乗っているというだけの理由で、結婚相手を選びました。 (馬鹿ですよ、馬鹿・・・)

  トポロジー的発想で、道具としてみれば、車とバイクの違いは、屋根が付いていて、雨の日でも濡れずに乗れる事だけ。 バイクと自転車の違いは、エンジンが付いている事だけ。 屋根が付いていれば、タタ・ナノでも、ベンツでも、全く同じ機能だという事になります。 なんで、同じ機能の道具に、30倍も高い金を払わねばならないのか、馬鹿馬鹿しいと思わないのが不思議。

  幸福度が違う? 馬鹿おっしゃい。 幸福が金で買えるわけが無いでしょう。 試しに、しばらく、徒歩生活をして、何ヶ月かしたら、近所で一番安い、中古の軽を買ってみなさい。 車のありがたみを知って、未だ嘗て経験した事のない、幸福感に酔いしれるから。


  この番組、他の新型車紹介番組などに比べると、ずっと、一般人向けで、面白いんですが、やはり、古い皮袋である事には逆らえず、回を重ねる内に、時代との矛盾がどんどん広がって来た感じがします。 今現在、人気があって、視聴者が私生活を知りたいと思っているような世代の有名人は、車に興味が無いため、愛車遍歴も存在せず、出て来ません。 勢い、呼ばれるゲストは、「過去の人」ばかり。

  かまやつさんや、柳生さんが出て来ても、視聴者の方は、半数以上が、「誰、この人?」という反応になってしまうのではないでしょうか。 結構、歳が行っている私でさえ、お二方が活躍していた時代を、直接には知らないのです。 そもそも、どんな人なのか知らないのに、その人が、どんな車に乗って来たかなんて、興味を湧かせろという方が無理じゃありませんか。

  有名人は、運転手付きの車で移動する事が多いので、自分では車を所有していない人も多く、今後、ますます、ゲスト探しは難しくなると思います。 範囲を広げ、作家や画家などを含めれば、かなり出て来るかもしれませんが、芸術家は普通、テレビに顔を出さないので、いきなり出て来られても、視聴者の方が馴染めません。

  実業家にも、結構、車好きがいそうですが、芸術家と同様の理由で、この番組には呼べないでしょうなあ。 つまらんでしょう、どこそこの会社の社長の、身の上話なんて。 時代の寵児になっている人なら別ですが、実業家で、そんなに有名になる人は、趣味よりも仕事に割く時間の方が多いわけで、車にばかりかまけてはいないと思います。


  この番組、今後もしばらくは続くと思いますが、一通り、出る車は出尽くしたようなので、私としては、興味が失せつつあります。 ベンツやアウディーなんて、何台見ても、同じですな。 まあ、ゲスト次第ですかねえ。 同じ過去の人でも、まだ忘れ去られていない人なら、見たいと思うかも知れません。


  そういえば、司会のおぎやはぎさんですが、≪ぶらぶら美術・博物館≫に出ている時と比べると、活き活き度が、まるで違いますな。 ぶら美の時には、数寄者の旦那(山田五郎さん)に引っ張り回される哀れな丁稚みたいな顔をしていますが、こちらでは、水を得た魚のような、活きのいいノリを見せています。

  竹岡圭さんは、自動車評論家という肩書きで来ているわけですが、評論家らしい事は何も言わず、スタッフが用意したと思われる車やゲストの資料を紹介するのが、主な役回り。 実質的には、この人が司会で、おぎやはぎさんは、ゲストのトークの相手をしているだけです。

  竹岡さんを探して来たのが、この番組が、そこそこの人気を博した主な理由かもしれませんな。 おぎやはぎさんより歳上なのに、妙に可愛く見えるんですよ。 可愛いというより、華があるというべきか。 それでいて、評論家の強味で、口を開けば、含蓄のある事も言えるわけです。 もし、もっと若い、顔だけのアシスタントみたいな人だったら、ずっと、薄っぺらい番組になっていた事でしょう。