2012/11/25

映画批評②

  仕事は、毎日、定時。 実は、定時まですら働いてなくて、30分前に終わって、定時まで、雑用で潰して帰って来ているという、深刻な閑さ。 いよいよ、日本の自動車業界も危ないか。 で、閑だと、家に帰ってからの時間が長くなるわけで、私の場合、それは、テレビで見る映画の本数が増える事に繋がります。

  現在、平均して、一日に二本は見ている計算。 映画専門チャンネルを契約しているわけではないのですが、地上波とBSのチャンネルだけでも、週に15本くらいは、未見の映画が放送されているんですなあ。 この世は、映画に溢れている。 というわけで、映画批評の第二回です。 例によって、辛口なので、気に入っている映画を貶されたくない方は、ご遠慮下さい。


≪コニャックの男≫ 1970年 フランス・イタリア
  ジャン・ポール・ベルモンドさん主演。 アメリカで再婚する事になって、離婚手続きのために、革命直後のフランスへ戻って来た男が、妻と再会するものの、妻は妻で貴族と結婚しようと画策中で、共和国軍と王侯派の戦いに巻き込まれつつ、別れる別れないで、大もめする話。 時代物・アクション・コメディーですな。

  主人公が、本当に離婚したいのか、妻とよりを戻したいのか、はっきりせず、ストーリーの軸が見通し難いです。 ラストが、また、どうしてそうなって行くのか、説明不足。 アクションは結構凝っていますが、基本はコメディーなので、それが見所にはなっていません。

  人物の表情の変化を細かいカットで繋いで、考えている事を表現しようとしているのですが、これが今風でないので、見ていて、何とも、まどろっこしいです。 映像による表現手法を、あれこれ工夫しようとしていたんでしょうが、戦前ならいざ知らず、70年で、まだこんな事をやっていたというのは驚きです。


≪オールド・ルーキー≫ 2002年 アメリカ
  デニス・クエイドさん主演の、野球物。 マイナー・リーグを故障で引退し、地元の高校で物理教師と野球部顧問をして暮らしてしていた男が、35歳になって、若い頃よりも、速い球を投げられるようになっている事に気づき、「お前達が地区大会で優勝したら、俺は、もう一度、プロに挑戦する」と約束をして部員を奮起させ、破竹の勢いで勝ち進むまでが、前半。

  プロ・テストを受けて、合格し、マイナーで何ヶ月か投げた後、メジャー・リーグに昇格して、子供の頃からの夢を果たすのが後半。 ストーリーの説明を二つに分けたのは、この映画が、前半と後半で、違う話を語っているからです。 巧みに接合されてはいますが、融合はしておらず、脚本家が大いに悩んだらしき形跡が窺えます。

「弱小チームが、ある事をきっかけに強くなり、大会で優勝するまでを描く」
「一度引退した男が、再びやる気を起こして、夢を実現する」

  この二つは、アメリカのスポーツ物映画の定番パターンですが、この作品では、両方とも取り込んでおり、相当欲張っています。 ただ、それだけで批判できないのは、この話が、実話だからです。 本当に、若い頃より、球速が速くなるなんて事があるんですねえ。

  監督は、ジョン・リー・ハンコックという人で、これが監督初作品だそうですが、道理で、描写が、えらい細かいです。 演出にも、凝りまくったのではないでしょうか。 実話が元という事もあるでしょうが、とにかく、作り方が、懇切丁寧。

  サブ・ストーリーで、主人公と、子供の頃、彼を理解してくれなかった父親との関係を、きっちり描いている点も、人間ドラマとして、大変優れています。 欲張り過ぎではあるものの、良い作品だと思うので、90点。


≪バビロンA.D.≫ 2008年 アメリカ・フランス・イギリス
  ビン・ディーゼルさん主演のSF戦闘アクション。 世界中で戦争が繰り返されている近未来、地球の裏側まで、一人の少女を護衛して運ぶ仕事を引き受けた傭兵崩れの男が、危難を掻い潜りつつ、モンゴルから東回りで、アメリカへ向かう話。

  少女の正体という事で、一応、SF設定がなされていますが、見せ場は、戦闘アクションです。 ただし、どう見ても、二流。 ストーリーも、脚本も、映像への拘りも、到底、一流作品とは言えません。 普通の団地の公園で、廃材を燃やしているだけなのに、それで、「戦争で荒廃した街」を演出しようというのは、あまりにも安直。

  ビン・ディーゼルさんを本気でスターにする気なら、スタッフに一流どころを揃えて、うんと予算をかけて、一本、凄いのを撮るしかありませんな。


≪ワーロック≫ 1959年 アメリカ
  ヘンリー・フォンダさん主演の西部劇。 無法者のカウボーイ一味のせいで、人殺しが絶えない町、ワーロックで、治安を回復する為に雇われた凄腕の保安官が、悪と戦いつつも、自分の生き方への疑問を抱き、相棒との信頼関係の綻びに悩む話。

  これは、秀逸。 西部劇とは思えないほど、人間ドラマが、よく練り込まれています。 善玉悪玉の単純な対立を避けているだけでも、他の西部劇とは、一線を画しています。 ただ、誰が主人公なのか、ちょっと分かり難くなっているのが、難点。


≪三人の名付親≫ 1948年 アメリカ
  ジョン・フォード監督作品。 ジョン・ウェインさん主演の西部劇。 三人組の銀行強盗が、保安官達に追われて、砂漠を逃げる途中、打ち捨てられた馬車の中で、出産間近の女から赤ん坊を取り上げてやり、名付け親を頼まれるものの、女は死んでしまい、赤ん坊を連れて、乾ききった大地を彷徨する話。

  カラー作品ですが、デジタル・リマスターされているのか、映像がどえりゃあ綺麗で、とても、48年作とは思えません。 この年代で、これだけの完成度を実現しているのは、驚嘆すべき事。 道理で、黒澤明監督が、師と仰ぐわけだ。

  後半、立て続けに主要登場人物が死んでしまう点、些か唐突で、物語の進行を急ぎ過ぎている感じもしますが、善悪バランスが絶妙に按配されているため、見終わった後の気分は、そんなに悪くはありません。


≪エンド・オブ・デイズ≫ 1999年 アメリカ
  数年前に最後の30分くらいだけ見たのですが、今回、放送前に番組表で察知したので、始めから見てみました。

  「1999年の大晦日に、サタンと人間の女が交わる事で、神の世界が滅び、悪魔の世界が始まる」という言い伝えが、現実のものとなり、事件に巻き込まれた警備会社の社員が、サタンの妻に選ばれた女を守って、死闘を繰り広げる話。

  シュワルツェネッガーさんが主演だというだけで、一級レベルを期待して見ていると、がっかりします。 相手がサタンというのが、問題でして、主人公はただの人間ですから、どんなにドンパチやったって、勝てるわけがありません。 その点、≪プレデター≫より、尚悪いです。

  こういう設定の話を作る時には、サタンの弱点を決めておいて、人間は、それを利用して戦うという形式にするべきですな。 そういう、脚本ノウハウは、アメリカ映画界では、常識になっているはずなんですがねえ。


≪南極料理人≫ 2009年 日本
  これは、素晴らしい。 とにかく、面白い。 こういう映画こそ、国際映画祭に出品すべきです。 1997年の南極、≪ドームふじ基地≫で、一年以上、共同生活をする事になった8人の隊員達の、食生活を巡るエピソードを、調理担当者が記録した、実話。

  男ばかりの生活模様ですが、これが、無茶苦茶、面白いのです。 ≪大脱走≫の、脱走前のような、閉鎖空間独特の人間関係が見られます。 家を遥かに離れ、自分の意思では帰れない環境で暮らす辛さは、私にもよーく分かるのですが、この映画を見ていると、なんとなく自分も、そこに加わってみたい気分になるから不思議です。

  主演は堺雅人さん。 他に、生瀬勝久さん、きたろうさんなど。 堺さんは、同じ年に、≪ゴールデン・スランバー≫に主演していますが、こちらの方が、千倍いい映画です。 話にならぬ。 比較にならぬ。

  夜食に盗み食いを重ね、ラーメンを喰い尽してしまった隊長が、「僕の体は、ラーメンで出来ているんだよ・・・」と嘆く場面は、恐らく、きたろうさんの演技歴の中で、最高のものではないでしょうか。

  彼氏が南極で、死ぬほど寂しい思いをしているというのに、「他に好きな人が出来た」と、電話で告げる、女の無神経な事よ。 自殺させる気か? 実話だというから、本当にそういう女がいたんでしょうが、この映画を見て、どう思うでしょうね? 「私だって、寂しかったんだ」なんて言っても、誰も味方はおらんぞ。 環境の苛酷さが、違い過ぎ。


≪エクスペンダブルズ≫ 2010年 アメリカ
  シルベスター・スタローン、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレンなど、スター級俳優がぞろぞろ出て来る、戦争アクション映画。 世界を舞台に、汚い仕事を引き受ける傭兵部隊が、軍事政権による恐怖政治が行われている南米の島国で、独裁者を陰で操る経済顧問を倒す話。

  スタローンさん自ら監督した作品で、ドンパチの凄まじさは、なかなかのもの。 ただ、それだけの映画という感じもして、ストーリーが、あまりにも単純過ぎます。 スターをたくさん集めれば、宣伝効果は高いですが、全員に見せ場を配分するのは大変で、悪い見本のようなキャスティングになってしまっています。


≪グラン・プリ≫ 1966年 アメリカ
  F1レースに挑むドライバー達の話。 イブ・モンタン、三船敏郎といった人達が、出演者の有名どころ。 ただし、三船さんは、ドライバーではなく、日本の自動車メーカーの社長の役です。 レース物映画としては、歴史的な作品だとの事。 確かに、レース・シーンの撮影は緊迫感に溢れていて、並々ならぬ映像表現への拘りを感じさせます。

  問題は、ストーリーの組み立てです。 とにかく、長い。 180分もあります。 なんで、こんなに長くなるのかというと、人間ドラマを欲張り過ぎているからです。 主要登場人物は、ドライバーだけでも四人いて、それぞれが、妻・恋人・愛人などと、色恋沙汰で絡むために、延びる延びる。

  更に、レース場が、ヨーロッパ各地を転戦するので、そのつど、レース場面が入り、いくら迫力がある映像と言っても、こう何度も見ていたのでは、飽きてしまいます。 主要登場人物を二人、レースを二つくらいに絞れば、ずっと面白くなったと思うのですが。

  女優陣が、全般的に老け過ぎなのも、気になるところ。 もう、盛りを過ぎてしまった人達ばかり、選んで集めたような感があります。 演技はうまいと思うんですがねえ。 ただし、60年代なので、ファッション・センスは、宜しいです。


≪殿方ご免遊ばせ≫ 1957年 フランス
  ブリジッド・バルドーさん主演の、お色気コメディー。 フランス大統領の娘が、秘書官に熱を上げ、何とか、結婚に持ち込むものの、浮気性の亭主に腹を立て、訪仏中の外国君主を誘惑して、夫を嫉妬させようと目論む話。

  一種のシチュエーション・コメディーなので、ストーリーは、かなり練られていますが、大笑いするほど面白いわけではなく、アメリカの同時代の映画、たとえば、オードリー・ヘップバーンさん主演のコメディーなどと比べると、構成が雑な感じがします。

  しかし、この映画の主目的は、ブリジッド・バルドーさんを、いかに可愛らしく、且つ、色っぽく撮るかにあり、その点では、楽勝で成功しています。 基本的に、男性向けの映画ですな。 公開時、ブリジッド・バルドーさんが、23歳だったのに対し、夫役のシャルル・ボワイエさんは、60歳だったというのには驚き。 とてもそうは見えない若さです。



  以上、今回は、10本まで。 ちなみに、≪南極料理人≫は、その後、原作本を読んでみたところ、私が面白いと感じたエピソードのほとんどが、映画にする際に創作・追加されたものである事が分かりました。 電話で、「他に好きなが出来た」と告げた女の話も、創作だった模様。 まあ、それはそれでいいんですがね。

2012/11/18

武士道ストーカー

  逗子のストーカー殺人・自殺事件。 まだ、新しい事実が、ポツポツ出続けているのですが、事件そのものは、これ以上の展開は無いので、この辺りで、感想を書いてしまおうと思います。 あまり時間が経つと、世間は、すぐに忘れてしまいますから。


  元教員の男が、以前、付き合っていた女性が他の男と結婚したのを恨み、ストーカー行為を続けた挙句、女性を刺し殺し、その直後、自分も首を吊って自殺したというもの。 逗子は、被害者の女性が夫とともに住んでいた場所です。

  元教員かどうかは、どうでもいいです。 教員であった事が、この事件に全く関係していなかったとも思わないのですが、「元教員だから、ストーカー行為は許せない」とか、「元教員だから、殺人は以ての外」という責め方は筋違いだと思うので、その点は、どうでもいいという意味です。 ちなみに、私は、筋金入りの教師嫌いですが、それも、この際、考慮に入れない事にします。

  ストーカー殺人というと、1999年の≪桶川ストーカー殺人事件≫が真っ先に頭に浮かぶのですが、あの事件の時に胸に湧いて来た強烈な嫌悪感は、今度の事件では、なぜか感じません。 桶川事件の時には、犯行グループの事を、人間でもなければ、ケダモノですらなく、何やら、形容しがたい汚らわしい妖怪のように思えたものですが、今度の事件の犯人は、人間に見えるのです。 ストーカー行為は、もちろん、犯罪ですし、殺人は最大の重罪であって、両事件の罪の大きさは変わらないにも拘らずです。

  両事件に違いを感じる理由は二つ考えられます。 一つ目は、犯人と被害者が交際していた時、「結婚の約束をしていた」という証言がある点。 もう一つは、犯人が、被害者の殺害後、自殺しているという点です。


  まず、「結婚の約束」の方。

  これは、犯人の男がそう言っていただけで、被害者側は、「結婚の話は出たが、婚約はしていなかった」と、ストーカー被害者の相談に乗っているグループの人に話していたとの事。 二人とも死んでしまった今となっては、事実がどうだったのか、もはや確かめようがありません。

  ≪婚約≫というのは、法律上の手続きではないので、どの段階を指して、婚約と言うかは、人によって、取り方が異なります。 求婚して、承諾を貰ったら、それで、婚約したと取る人もいますし、婚約指輪を贈ったり、双方の両親に承諾を得たりしなければ、婚約とは言えないと考える人もいるでしょう。

  この事件の場合、「結婚の話が出た」ところまでは、確実だと思われますが、その話が、犯人の求婚だけで終わったのか、被害者が承諾まで与えていたのか、そこがはっきりしません。 ただ、被害者が承諾を与えていなかった場合、犯人は、「結婚の約束をした」とは、言わないのではないかと思うのです。

  求婚して断られるケース、もしくは、「考えさせて」と言われたけれど、返事をもらえないまま、時間が経ち、別れてしまうケースは、いくらでもあると思いますが、その場合、求婚された方はもちろん、求婚した方も、「結婚の約束をした」とは、言わないと思うのですよ。 プライドが非常に高いと思われる、この犯人なら、尚の事。

  一方、被害者が、結婚の約束をしたにも拘らず、「口約束は、婚約とは言えない」と考えていたために、相談相手に、「婚約はしていなかった」と告げていた可能性は、考えられる事です。 ただし、所詮、これは推測であって、事実がどうだったかは分かりません。

  以下、もし・・・、あくまで、もし、の話ですが、本当に結婚の約束をしていたのだとしたら、この犯人が、被害者を許せなかった気持ちが、幾分は理解できるような気がするのです。 結婚の約束をした相手が、別れ話を持ち出して来て、程なく他の男と結婚したら、普通は、腹が立ちます。

  別れてから、被害者が他の男と結婚するまでに、二年あるわけですが、この間も、犯人からのストーカー的な接触は続いていて、客観的且つ厳密に見れば、「別れた」というよりも、「別れようとしていた」時期なのであり、その間に、他の男と結婚してしまったのですから、それは、犯人は怒るでしょう。

  たぶん、被害者は、犯人のストーカー行為をやめさせるため、「他の男と結婚してしまえば、諦めるだろう」と考えたのだと思いますが、完全な逆効果になってしまいました。 被害者は犯人と二年間、交際していたようですが、犯人の性格の激しさを全然見抜けていなかったんですな。 怒りの炎に油を注いだだけ。

  結婚を約束した相手に逃げられただけでも、大変な屈辱なのに、その上、「寝取られ男」になってしまったわけで、犯人は、恐らく、目も眩むような怒りを覚えたと思います。 ≪武士道≫の世界だったら、「復讐しないで、死ねるものか」と、考えるでしょう。 こういう性格類型は、≪葉隠れ≫を読むと、よく分かります。

  「武士道気質の人間は、ストーカー行為などしないだろう」と思うかもしれませんが、そんな事はないのであって、武士道に於いては、何よりも、≪一途≫である事が尊ばれます。 「一押し二押し三に押し」なのです。 「男は諦めが肝心」などという考え方は、武士道とは、全く相反します。 一度決めたら、間違っていようが、周囲が全員反対しようが、命を捨ててでも完遂するのが、武士道の精神なのです。

  昔の自然結婚では、「相手が嫌がっているのに、略取や監禁、強姦も辞さず、ごり押しで結婚した」などという例は、いくらでもあったのであって、それに比べたら、現代のストーカー行為が、特段、悪質化しているとは言えません。 もちろん、それらの行為を正当化する気は、毛頭ありませんが。

  被害者だけでなく、被害者の夫も、被害者の親も、ストーカーと言ったら、≪桶川事件≫の犯人グループの印象が強かったでしょうから、ストーカーを、≪純然たる卑劣漢≫のイメージだけで捉えていて、武士道気質の犯人に対して、被害者の結婚が、どんな影響を及ぼすか、想像が及ばなかったのかもしれません。

  女性の立場から見ると、「結婚を約束していたとしても、別れた時点で、それは白紙に戻っているのだから、他の男と結婚しても、文句を言われる筋合いは無い」と思うと思いますが、立場を逆転させて、犯人が女で、被害者が男だったとしたら、どうでしょう。 自分と結婚の約束をしていたのに、他の女と結婚した男を、許せるでしょうか。

  言うまでもなく、結婚の約束を反故にしただけでは、なんら罪には問われないわけで、この被害者には、法的に全く落ち度は無いのですが、倫理面で考えると、「どうしてまた、すぐに別れる事になるような男と、結婚の約束をしたのか?」と、その点が訝しく思えてしまうのです。 結婚の約束って、そんなに軽いものなんですかね?

  ただし。以上の見解は、あくまで、「結婚の約束をしていた」という犯人の証言が事実だった場合の話です。 もし、被害者が承諾を与えておらず、犯人が勝手な思い込みで、そう言っていただけだとしたら、ただの陳腐な「勘違い野郎」なのであって、同情する余地はありません。


  次に、犯人が、被害者の殺害後、自殺している件について。 

  この事件では、殺害から自殺までが、一連の行動になっており、犯人が自殺を覚悟した上で、殺害行為に及んだのは、疑いの無いところです。 つまり、「無理心中」なのです。 「心中」と「無理心中」は、相手の同意があるかないかで、大違いですが、たとえ、「無理心中」であっても、「心中」と名が付くだけで、ただの「殺人・自殺」とは、随分とイメージが違って来ます。

  ≪桶川事件≫でも、被害者の交際相手だった男は、最終的に、屈斜路湖まで逃げ、そこで自殺しているのですが、それは、共犯者達が逮捕され、自分も指名手配されて、それ以上、逃げられないと悟り、精神的に追い詰められて自殺したものであり、覚悟の自殺とは、全く違っています。

  被害者が離れて行った後、犯人は、「生きる目的を見失った」と言っていたそうですが、自分だけが死ぬのではなく、被害者を道連れにしたのは、やはり、武士道気質から湧き起こる復讐心を抑え切れなかったのではないでしょうか。

  交際中、犯人は、被害者の事を、「赤い糸で結ばれた、人生の伴侶となる人」と見做していた形跡がありますが、そう思っていればこそ、裏切られた時の怒りはいかばかりか。 相手を殺さずに、自分だけ死ぬなど、武士道的には、ありえない選択です。

  また、相手だけ殺して、自分は生き残るというつもりもなかったわけで、そこが、≪桶川事件≫の犯人達と、根本的に違うところです。 もし、いやがらせや、脅迫メールの大量送りつけなど、ストーカー行為が無く、いきなり、殺害・自殺に及んでいたら、この犯人に対して、あからさまに同情を寄せる人間が、たくさん出て来たのではないでしょうか。

  特に、過去に、「赤い糸で結ばれている」と信じた女性にふられた経験がある男性は、全員、被害者を蔑み憎み、犯人の味方に回ったと思います。 「よくぞ、自分自身の仇を討った」と。 いやしくも、殺人行為に手を染めた人間なのにね。

  もっとも、ストーカー行為が無く、いきなり、殺人と自殺が行われた場合、普通、大きなニュースにはならず、「痴情の縺れによる犯行」で片付けられてしまいます。 そういう事件では、世間は、犯人は勿論の事、被害者にさえも、同情を寄せません。 犬も喰わない話なので、無視され、記憶すらされないのです。


  この事件、≪桶川事件≫と同様に、警察の対応がまずかった事が、大きな問題になっています。 確かに、犯人に対して、被害者の結婚後の姓や、住所を教えてしまうなど、「馬鹿か?」と思うような、幼稚極まりないミスをやらしていて、呆れ返ります。 ただ、警官なんて、所詮、そんなもんだという気がせんでもなし。 刑事ドラマなんて、嘘ばっかよ。 アホの占有率は、学校や会社など、他の組織と、全く変わらないと思いますぜ。

  ストーカー被害の訴えに対して、警察の反応が鈍いのには、それなりの理由があります。 まず、≪痴話喧嘩≫レベルの争いを、警察に持ち込む人間が多いため、「犬も喰わない」意識が働いて、真剣に取り合う気にならない。 また、≪痴情の縺れ≫による事件を、日常的に嫌になるほど見ているので、ストーカーだからと言って、特別扱いする気にならない。

  また、警察という組織は、基本的に、事件が起こってからでないと動けないので、ストーカーによる迷惑行為だけだと、普通の嫌がらせ行為などと同列の対応しか取れないのです。 この事件でも、手紙は法律で禁止されていたけれど、メールには規制がなかったために、「取締りの対象にならない」といって、取り合わなかったそうですが、法律がそうなっているのでは、どうにもしようがありませんな。

  世間やマスコミが、警察を吊るし上げるのは、別に、私の知った事ではないですが、もし、「警察さえしっかり対応していたら、この事件は起きずに済んだ」と思っているのなら、それは間違いです。 警察が、結婚後の姓や住所を教えなかったとしても、犯人が被害者の居所を突き止めるのは、時間の問題だったと思うからです。

  被害者が、ストーカーに狙われているにも拘らず、フェイス・ブックをやっていたとか、居所を知られたにも拘らず、すぐに引っ越そうとしなかったとか、「あの時、ああしていれば、事件を防げたのに」と思うような要素は、いろいろとあるのですが、結局は、時間の問題なのであって、最終的に殺された事に変わりはなかったと思います。

  こういう一途な人間の恨みを買ったら、とても、逃げられますまい。 どこまでも追いかけて来ます。 犯人にとって、被害者は、自分の人間存在を否定した、≪仇敵≫になってしまっているのであって、息の根を止めない限り、復讐は終わらないのです。

  もし、「あの時、ああしていれば・・・」式の対策が考えられるとしたら、交際している段階で、早めに相手の為人を見抜き、「この人では駄目だ」と思ったら、相手が結婚の話など持ち出す前に、さっさと別れてしまうのが、唯一の回避方法だったと思います。 そうしていれば、犯人の方も、心の傷が浅く、深い恨みも抱かなかったに違いない。

  だけど、なかなか、それは、難しいでしょう。 付き合い始めた頃に、相手がどんな人間か見抜くのは、至難の業です。 恋は盲目、痘痕も笑窪、悪い面ですら、良く見てしまうのですから、本性を見抜くなど、無理無理。 だーから、結婚した後で、親の仇よりも更に深く憎みあい、離婚に至る夫婦が後を絶たないのですよ。


  たぶん、武士道が絡んでいる事が、この事件の犯人に対し、私が嫌悪感を抱けない最大の理由でしょう。 時代劇はもちろん、多くのドラマ・映画や、少年漫画などで、自然と武士道的な考え方や価値観を植えつけられている日本人男性は、大変多いです。

  武士道に対する、日本社会での評価が、マイナス面を無視して、プラス面ばかり見ているのは、重大な問題だと思います。 実態は、野蛮で、攻撃的で、好戦的で、本能丸出しで、文明社会に適用できる要素など、およそ含まれていない、思想もどきの屁理屈に過ぎないのに、まるで、≪民族独自の美学≫のように持ち上げられています。

  ちなみに、≪葉隠れ≫に描かれている武士道を、現代社会で、忠実に実行したら、ものの三日で、死刑判決間違い無しの、凶悪殺人犯になってしまいます。 ただ、自分の名声を上げたいだけのために、何の落ち度も無い同僚に因縁をつけて、斬り合いを始めるのですよ。 そんなの、まともな人間の発想ではありますまい。

  法律上も、倫理上も、絶対許されないような重罪を犯しても、その行為が、一途な思いから行なわれた事であると見做されば、それで、許されてしまいます。 ≪忠臣蔵≫が、その典型例。 吉良上野介が、浅野内匠頭にした嫌がらせは、いじめレベルの事だったのに対し、浅野の殿中刃傷は、傷害、もしくは、殺人未遂であり、世界中どの国の法律でも認定される、れっきとした犯罪です。

  当時の法律に照らして、切腹は当然の事であるにも拘らず、逆恨みした藩士が、吉良の屋敷を襲撃し、上野介を殺害すると、世間はやんやの喝采を浴びせ、以来、現代に至るまで、この殺害グループを、「赤穂義士」と持て囃し、純然たる犯罪被害者である吉良上野介を、稀代の悪党に仕立て上げたまま、おかしいとも思っていません。

  吉良側の立場で考えてみれば、「こんな理不尽な仕打ちは、許されない」と、誰でも思うと思うのですが、日本人全般が、≪忠義≫という言葉に酔いしれる傾向があるために、吉良側の立場どころか、客観的視点すら持つ事ができず、いつまで経っても、「浅野=善、吉良=悪」のレッテルを貼り直せないのです。

  かくの如く、日本人の行動には、様々な面で、未だに、武士道の亡霊がつきまとっているのです。 これは、私もなかなか、全てを克服できず、常日頃、「合理的な人間であろう」と心がけてはいるのですが、時に、武士道的な見方で、物事を判断している自分を発見して、戦慄する事があります。 三つ子の魂、百までか。

  もし、この事件の犯人が、殺人だけで止めて、自分は生き延びようとしていたら、遥かに簡単に、嫌悪・憎悪できて、気が楽だったんですがねえ。 人が死んでいるというのに、それも、おかしな望みか・・・。 


  ふと、思ったのですが、もし、この事件の経緯を、犯人の男側の視点で細密に描けば、近松の心中物などよりも、遥かに切ない物語になるのではありますまいか。 親兄弟に反対されたり、身分立場の違いを乗り越えられなかったりという、合意型の≪心中物≫よりも、この事件のような、≪無理心中物≫の方が、「この世で夫婦になれぬなら、せめてあの世で・・・・」という台詞にも、より深み・凄みが出ようというもの。

  もっとも、この犯人の場合、あの世で被害者に逢ったら、ためらわずに、もう一度、殺すような気がしますが・・・。


  ところで、くれぐれも断っておきますが、たとえ、動機に同情の余地があったとしても、ストーカーや殺人は、やはり、犯罪です。 相手の女性が、どれほど自分にひどい仕打ちをしたとしても、殺されそうになったのでもない限り、殺人による報復は、正当化されません。 報復の方が、元の罪を遥かに上回ってしまうからです。

  この犯人の不幸は、別れた時点で、「人生の重大事である結婚の約束を反故にするような女には、結婚する価値がない」という風に、考え方をスイッチできなかった事にあります。 さっさと切り替えて、他の女性を探せば、殺人も自殺もせずに済んだばかりか、もっと幸福な人生になったかもしれないのに。

  「赤い糸」なんて、ありゃしないのですよ。 「運命」も信じるに足りません。 すべて、ただの偶然なのですよ。 それに気付かずに、つまらん事で、罪を犯したり、死んだりする人間が、いかに多い事か・・・。



  以下、無責任な呟き。 以下の文章に書かれている事について、私は、一切、責任を負いません。

  ・・・・こういう武士道型発想の人間から逃れる唯一の方法は、≪返り討ち≫にする事です。 普通に殺したら、殺人罪に問われますが、武器などを準備した上で待ち構え、家に押し込んで来たところを、殺せば、うまくすれば、正当防衛になりますし、そうならなくても、情状酌量されて、執行猶予付きの判決を勝ち取れる可能性は高いです。

  たとえ、何年か服役する事になっても、出所後、脅迫者の影に怯えずに、残りの人生を暮らせると思えば、不利益よりも利益の方が、ずっと大きいです。 まして、殺されるのに比べたら、比較にならないほどの、大得。 

  「そんな恐ろしい事ができるか!」と思うでしょうが、そんな恐ろしい事をしなかった結果、この事件の被害者は殺されてしまったんですよ。 恐ろしさを回避したために、もっと恐ろしい結末になってしまったわけで、これは、一考の余地がある事でしょう。

  「殺人を唆している!」と、反発を抱いた、良識ある方々や、警察・法曹関係者の御歴々には、「んーじゃあ、あんたらが、守ってくれんのかい?」と訊き返したいです。 武士道には武士道、他に対策など無いではありませんか。 別に、自分から殺しに行けと勧めているわけではありません。 向こうが襲って来たら、正当防衛で身を守れと言っているのです。

「殺さなくても、押し入って来たところを取り押さえて、警察に突き出せばいいのでは?」

  いやいやいや、たとえ、実刑判決を受けて、服役しても、出所してくれば、また、殺しに来ますよ。 何度、逮捕されても、必ず、また出て来ますから、いずれ、本懐を遂げるでしょう。 そんなのを相手に、一生、怯えて暮らしますか? それとも・・・・

2012/11/11

行き詰まり打開策・パソコン編

  人生に行き詰った時、どうやって切り抜けてきたか。 前回はバイク編でしたが、今回は、パソコン編です。 インターネット編と言ってもいいですな。 ネットが登場する前は、パソコンには、何の興味も無かったんだから。

  そうなんです。 実質的なインターネット元年である1998年以前は、パソコンなんか、全然興味がありませんでした。 ちなみに、98年というのは、ウインドウズの、≪98≫が登場した年です。 その前の≪95≫の時からインターネットはあったわけですが、全世界的な普及が始まったのは、≪98≫からなので、そこがエポックとして記憶に残っているというわけ。

  インターネット以前にも、パソコンは存在していて、NECの≪PC98シリーズ≫や、富士通の≪FMVシリーズ≫などは、知識としては知っていましたが、自分で買おう使おうなどとは、露ほども思いませんでした。

  ネット以前のパソコンでできた事といえば、表計算、初期のCG作成、ワープロ、パソコン通信くらいのものでしたが、ワープロは専用機を持っていましたし、表計算は生活上、無用。 CGは自分で作ってみたいと思えるほど興味が無く、パソコン通信は、人間関係が面倒臭そうで、パス。 ・・・と、わざわざ高い金を出して始めるほど、モチベーションが上がらなかったのです。

  高いといえば、昔のパソコンは高かった。 50万円なんて珍しくもなく、安い物でも、25万円くらいが下限。 それでいて、機能と言えば、今のパソコンの100分の1も無かったのだから、ぼったくりといえば、ぼったくりです。 ちなみに、現在でも、20万円を超える機種があるにはありますが、どういう用途で企画されたものなのか、さっぱり分かりません。 「高ければ高いほど、性能はいいはず」と信じ込んでいる、お馬鹿さんをカモにしているんでしょうか。

  そういや、未だに、「パソコンといったら、NECか富士通」と言う人がいますが、これは、ネット以前の時代の企業イメージが、そのまま生き残っているものです。 国内では、依然として、この二社のシェアが多いわけですが、世界市場では完全な負け組でして、アメリカ・台湾・中国の大手メーカーには勿論、国内勢のSONYや東芝にも遠く及ばない事を、全く知らない人が多いため、起こっている珍現象です。

  言うまでもなく、NEC・富士通、SONY、東芝、その他の日本企業も、作っているのは、みな、DOS/V互換機なのであって、オリジナルのパソコンではありません。 パソコン業界は、今や完全に、世界中から部品を集めて作る、≪組み立て産業≫になってしまっていますから、独自性など、出しようがないです。


  話を戻しますが、私が、ネット以前のパソコンに興味を抱かなかった大きな理由の一つに、≪パソコン破産≫への警戒心が強かった事があります。 当時は、パソコン本体やソフトに、有り金全部を注ぎ込んで、破産する連中がいたんですよ。 技術的発展の急騰期の事とて、毎年のように新製品が出て来て、一年前の機械なんぞ、すぐに陳腐化してしまうので、時代について行こうとすると、次から次へ買い換えていくしかなかったんですな。

  破産まで行かなくても、「始めて、5年くらいですが、もう、一千万円くらい使いましたかね」とか、平気で言っている人間は、うじゃうじゃいました。 私は、真面目に貯蓄に励んでいる頃でしたから、そういう人間を見て、「いや~、こうなったら、おしまいだな~」と震え上がっていたわけです。

  ちなみに、ネット時代になってからは、パソコンは、格段に長く使えるようになりました。 ネットにしか使わないのであれば、機能は限られて来るので、5年くらい前のパソコンでも、何の不自由も無いという事になったのです。 もっとも、≪ユー・チューブ≫の登場辺りに、一つの画期があり、動画をストレス無く見られるかどうかで、パソコンの価値に大きな違いが出るようになりましたが。


  また、話を戻します。 ≪ウインドウズ98≫の登場以降、インターネットに関する情報が、世の中に溢れ出て、さすがの私も、少しは興味を感じるようになりました。 それでも、出費が怖い事に変わりはなかったので、積極的に手を出す事はありませんでした。 「他にやりたい事が何も無くなったら、パソコンをやろう」と思い始めたのは、この頃です。

  こういう展開になると、「やりたい事」について、書いておかなければなりませんな。 バイク以降に、嵌まった趣味というと、金魚、亀、ゲーム、水彩画、写真、ジグソー・パズルという流れになります。 他にも、何かやっていたかも知れませんが、覚えていないくらいだから、大した事じゃなかったんでしょう。


  金魚は、会社の先輩に、金魚を飼っている人がいて、その影響で、飼い始めたもの。 金魚の繁殖を趣味にしていた叔父さんに、「3匹ください」と頼んだら、50匹も持って来られて、嬉しい悲鳴を上げました。 60センチ水槽を、自室に二つ、居間に一つ置いて飼っていましたが、バタバタ死んで、一年後には、20匹くらいに減りました。

  その後、家族のクレームもあり、金魚は、庭にある、鯉の池に移される事になりましたが、近所を徘徊する猫達の格好の餌食になり、現在では、一匹しか生き残っていません。 彼は、鯉の腹の下に隠れる事で、猫の襲撃をかわしたんですな。 かれこれ、15年くらい経つわけですが、そう思うと 長生きしている事になります。


  亀は、映画、≪平成ガメラ≫の影響で飼いはじめたもの。 子供の頃にも飼っていたので、懐かしくなり、クサガメを一遍に12匹も買って来たのですが、飼育方法を知らぬ悲しさで、最初の冬に、ほとんどが死んでしまいました。 その後、マレーハコガメとハナガメを飼い、彼らは、長生きしましたが、今でも健在なのは、マレーハコガメだけです。


  ゲームは、ハードは、≪スーパー・ファミコン≫と、≪プレイ・ステーション2≫を買いました。 ソフトは、自分で買ったのは、全部合わせても、5本くらい。 他は、いい歳して、ゲームに嵌まっていた母が、ロール・プレイング・ゲームをたくさん持っていたので、それを借りて、やりました。

  しかし、これも、飽きるのは早かった。 ≪ファイナル・ファンタジー8≫をやっていた時、「こんな事をしていて、人生に何の足しになるのか?」と、深く深く自問してしまい、途中で、スパッとやめて、それっきりになりました。 ゲーム向きの人間じゃなかったんでしょうねえ。 ≪スーパー・ファミコン≫の方は、今でも天井裏に眠ってますが、≪プレイ・ステーション2≫は、随分後になってから、リサイクル・ショップで処分してしまいました。


  水彩画は、何がきっかけだったのか忘れてしまいましたが、突然、芸術に目覚め、絵が描きたくて仕方なくなったんですな。 油絵も検討しましたが、画材が高いのに怖気づき、「とりあえず、水彩画で、描けるかどうか試そう」と思った次第。 画用紙を水貼りとかして、結構、真面目に取り組んでいたんですが、5枚くらい書いて、早くも才能の限界を見切り、一気に描く気が失せました。


  で、次に始めたのが、写真。 これは、始めた理由をはっきり覚えています。 絵を描くのが面倒で、「写真でも、似たようなもんだろう。 シャッター押すだけなら、簡単だし」と思ったのです。 すげー、テケトーな理由ですが、本当だから仕方がありません。

  一眼レフのフィルム・カメラを買って、生意気にも、リバーサル・フィルムを使い、24枚撮りを半月に一本くらいのペースで撮っていましたが、これも、一年くらいで、飽きてしまいました。 撮っていたのは、主に風景でしたが、フィルム・カメラは、ブレが大敵なので、三脚使用が必須条件になり、その三脚が重くて、うんざりしてしまったんですな。

  また、リバーサル・フィルムは、プリントすると高いので、現像だけしてもらったポジ・フィルムを、ライト・ビュアーの上に置いて、ルーペで見るんですが、そんなチマチマした事をしている自分が、何だか、惨めに思えて来てしまったのです。 カメラ、三脚、ライト・ビュアー、ルーペ、フィルムと、全部で、20万円くらいは使ったと思いますが、それらの器材は、今では、押入れでガラクタと化しています。


  芸術に挑んで、一敗地に塗れた私は、更に安直な方向へ走ります。 カタログ・ギフトで、たまたま手に入れたジグソー・パズルをやってみたら、いい暇潰しになったので、自分で直截買って来て、500ピースを二つ、1000ピースを三つくらい、約一年かけて、やっていました。 いや、パズル自体は、三日もあれば完成するのですが、値段が、1000ピースで、2500円くらいするので、次から次へ、ホイホイ買い込むわけにもいかなかったのですよ。

  ジグソー・パズルを売っているのは、おもちゃ屋なんですが、寄ったついでに、ルービック・キューブが目に留まったので、買ってみました。 私が高校の頃に流行ったオモチャですが、ブームが去って、10年以上経っても、まだ売っていたんですねえ。 ところが、家に帰ってやってみると、全く出来ず、これは、一日で飽きました。 つまらん物を買ってしまった。

  うーむ、この辺り、今思い出して書いていても、人生に行き詰まりまくっているのが、如実に分かりますねえ。 なんつーかそのー、パズルの類に逃げ込むようになったら、人間、おしまいなのかもしれませんなんあ。

  で、ジグソー・パズルを一年やって、これも、飽きてしまい。 とうとう、やりたい事が何も無くなりました。 それが、2001年の3月頃です。 忘れもしない。 いよいよ、パソコンに手を出す時が来たというわけです。


  といっても、 パソコンに関する知識は全く無かったので、とりあえず、調べる事から始めました。 あーだこーだで、一ヶ月くらい、本を読んだり、雑誌を読んだりして、知識と情報を蓄積しました。 基本的には図書館にある本・雑誌で勉強し、最新機種を選定するために、本屋で雑誌を一冊だけ買いましたが、それは、今でも保存してあります。

  ちなみに、ケチな私は、パソコンを始めると決めても、「パソコン教室に通おう」などとは、金輪際、思いませんでした。 そんな金が使えるか。 その時点で、ワープロ専用機を、10年以上使っていたので、キーは打てるわけで、教室に通うほどの土素人ではなかったという事もあります。 これからパソコンを始めるという人間が最も恐れるのは、キー・ボード操作なので、そこをクリア済みだったのは、好都合でした。

  で、検討の結果、買って来たのが、コンパックのスリム・タワー型デスク・トップ・パソコンと、三菱の14型液晶モニターです。 パソコンが8万円。 モニターは、6万円でした。 当時、まだ、CRTモニターが普通に売られていましたが、私はケチであると同時に、SFファンで、未来志向も強かったので、少々高くても、液晶の方を選ぶのに、躊躇はありませんでした。

  私が、この組み合わせで買いたいというと、店員が、「ほう・・・」という顔をしたのを覚えています。 たぶん、その頃には、スリム・タワーと、液晶モニターを組み合わせるという人が、ほとんどいなかったんでしょう。 その後、当たり前のセットになっていくわけですが。

  ちなみに、この三菱の液晶モニターは、11年経った現在でも、現役で使っています。 14型のスクエアなので、いい加減、換えてもいいんですが、壊れないから、換えられないのです。 6万円は高かったけれど、元は充分に取ったか。 いや、その後の、液晶モニターの、深層崩壊的な値崩れを見ると、何十年使っても、元など取れないか・・・。


  部屋にパソコン・デスクを置く場所がないので、中学の時から使っている勉強机の奥に、スリム・タワーとモニターを並列になるように配置しました。 これだと、パソコンがモニターの後ろに隠れてしまうのですが、どうせ、電源スイッチだけ押せれば、使用中、パソコン本体に用は無いので、何の問題もありません。

  このレイアウトですが、その後、パソコンの買い替えで、色がモニターとズレてしまっても、パソコンの外見が見えないから気にならない、というメリットを齎しました。 ちなみに、最初の組み合わせは、モニターが白で、パソコンも白。 その後、パソコンは、シルバー、黒と変わりましたが、なにせ、モニターの後ろに隠れて見えないので、全く違和感がありません。

  プロバイダーの選定には、てこずらされました。 我が家が契約している電話会社は、NTTだったのですが、そのNTTが、当時、この地域では、プロバイダー・サービスを始めておらず、やむなく、KDDIのDION、つまり、現auとプロバイダー契約をしました。

  二社に跨ってしまったせいで、現在に至るまで、高い通信料金を払わされ続ける事になりますが、一度、契約してしまうと、ホーム・ページやブログのサービスの関係で、他に乗り換えるという事が簡単にできないのは、厄介です。

  私は、クレジット・カードを持っていなかったので、ネット契約は出来ず、家電量販店に置いてあった、パンフレットの申込書を郵送して、手続きをしました。 これだと、即日開通というわけには行かず、一週間、待つ事になります。 その間、パソコンはあるが、ネットはできないので、ウインドウズ附属のトランプ・ゲームなどやっていましたが、あれは、アホ臭いものですな。 ネット開通後は、二度とやる気にはなりませんでした。

  インターネットの接続は、最初は、ダイヤル・アップでした。 遅いというのも、確かに遅いのですが、それより何より、一ヶ月で、30時間の使用時間制限があり、そちらの方で、すぐに参ってしまいました。 冗談じゃないですよ。 一日、一時間しかできないなんて、宝の持ち腐れではありませんか。

  で、最初の月だけで、ダイヤル・アップはやめてしまい、次の月からは、≪フレッツADSL≫契約に切り替えました。 料金は、そんなに高くなったわけではなく、それでいて、時間制限は無いわけで、こちらの方が、断然、お得です。


  最初の内は、どこをどう見ていいか、よく分からず、DIONのポータル・サイトを拠点にて、カテゴリー検索で、個人サイトを行き当たりばったりに見て行きました。 やがて、亀を飼っている人達のサイトに出入りするようになり、話し相手が出来て 自分でも、亀サイトを立ち上げました。

  最初は順調でしたが、その内、掲示板に来るゲストと衝突する事が多くなって、ゲストが減る一方、自分も他のサイトに行かなくなってしまい、今では、その頃からの交友が続いている人は、一人しかいません。 いや、一人いるだけでも、よく維持できたと、感心するほどですが・・・。

  いろいろ悶着もありましたが、概ね、最初の三年くらいは、新鮮な経験で、楽しかったです。 ネットを始めなければ、赤の他人と話をする事など、永久に無かったでしょうから。 その点、ネットの力は凄いと思いますが、ネット上の交友関係が、長続きしない性質のものである事が分かってしまったので、今では、自分から特定の個人に話しかける事は控えるようになりました。

  私が幸運だったは、ネットを始めた直後、個人サイトの掲示板に先に行った事で、公共掲示板に嵌まらなくて済んだ事です。 あんな、人を人とも思わぬ人間のクズどもが、他人を扱き下ろす事だけに血道を上げている所になんか、正気でいられるもんですか。

  最初の一歩で、公共掲示板に足を踏み入れ、「ネットとは、こういう所だ」と思い込んでしまった人は、不幸ですなあ。 ほとんどの人は、居たたまれなくて、逃げ出したと思いますが、ただ、傷つけ傷つけられただけの記憶しか残らなかったんじゃないでしょうか。


  さて、ネットを始めて、11年が経過し、もはや、ネットからは、何の刺激も得られないという境地に至りました。 ツイッターや、フェイス・ブックなど、新しいメディアが、次から次へ現れても、手を出す気になりません。 ネット交友の限界を知ってしまった目には、悪い面ばかり見えてしまうのです。

  インター・ネットは、いろいろな事を調べるのには便利ですが、交友の場としては、すでに、私の中で、閉塞してしまっています。 今現在、ネット上で話をしている人は、三人しかいません。 いずれも、大変、人柄の良い方々で、私の方からお邪魔して、話をさせてもらっているわけですが、11年もやっていて、最終的に、三人しか持続する交友相手を見つけられなかったというのは、ある意味、驚きですな。


  で、ネットにも、とうとう飽きてしまったわけですが、今度という今度は、次にやりたい事が見つけられそうにありません。 趣味の限界を、見切ってしまった感があります。 「この世に存在する趣味は、いつの日か必ず飽きる」と、悟ってしまったのです。 全く、悟りなんてーのは、ろくなもんじゃありませんな。 自分で自分の首を絞めているだけ。

  人から評価される事に、興味を抱けなくなったのも、大きな変化です。 誉められたいとか、感心されたいとか、いい人と思われたいとか、そういう欲望が、消えてしまったのです。 逆に、こちらの方が評価する場合、対象になり得る人達は、相変わらずいるのですが、私がそういう人達に与える評価に、果たして、価値があるのかどうか、それに自信が無くなって来ました。

  自分自身、人間であるにも拘らず、人間の活動に、嫌悪感ばかり覚えます。 どーしたものかね、これは・・・。 自分で、人間特有の活動をすればするほど、自己嫌悪が進む悪循環。 どーしたものかね、これは・・・。

  生きる喜びを感じられないというのは、もしかしたら、贅沢病なのかもしれませんな。 切羽詰った状況に陥る事がないから、必死に生きようという気が湧いて来ないのだと思います。 なまじ、気楽さばかり追い求めて、人生の意義を軽いものにしてしまったのが、いけなかったか。

  このままでは、生ける屍になってしまいます。 どーにかせねばなりません。

2012/11/04

行き詰まり打開策・バイク編

  ここのところ、どうも、気分が滅入って仕方ありません。 特に何があったというわけではないんですが、人生に行き詰まりを感じるのです。 やりたい事が何も無くなり、お先真っ暗な閉塞感に襲われます。

  以前にも、そういう事はありました。 「生き方を、リセットするしかないな」と思って、それまで、「これだけには関わるまい」と思っていた事、やっている連中を軽蔑していたような事に、わざと手を出して、乗り切ってきました。 バイク然り、パソコン然り。


  バイクは、20代の終り頃になって、始めました。 普通は、10代後半に初めて、車に乗るようになると、やめてしまうものですが、私の場合、10代後半の頃には、バイクに乗っている連中を白眼視していて、車の免許すら、21歳の時に、仕事の関係でやむなく取ったくらい。

  それが、20代も押し詰まったある時、やりたい事が全く無くなって、人生の目標を失ってしまった上に、仕事で腰を痛めて、「ああ、このままでは、寝たきりになってしまうかもしれないなあ・・・」と、漠然とした恐怖感に襲われていたら、急に、バイクに乗りたくなったのです。

  普通、腰が痛ければ、労わろうとするものですが、逆に、腰に更に負担をかけてでも、バイクを始めようとしたわけで、私が、肉体面だけでなく、精神面でも、いかに追い詰められていたかが分かります。 捨て鉢半分、焼け糞半分だったわけですな。 おっと、それでは、まともな動機が、かけらも無かった事になってしまうか・・・。

  ああ、そうだ、まともな動機もありましたよ。 その頃、会社の勤務時間体系が変わり、それまで、昼勤と夜勤の交代制だったのが、早番と遅番の交代制になったのです。 私は、その頃、電車・バスで通っていたのですが、早番・遅番制だと、早朝や深夜に出退勤しなければならないので、電車・バスの便がありません。 で、車を買い直すか、バイクにするか考えて、「車は、事故が怖いから、嫌だ」と思い、バイクを選んだのです。

  普通の感覚では、「バイクの方が、事故り易いのでは?」と思うかもしれませんが、私が恐れていたのは、他人に害を及ぼす人身事故でして、バイクは、事故そのものは多いですが、加害者よりも、被害者になる事の方が多いので、人身事故を起こす危険性は少ないんですな。

  ちなみに、映画やドラマで、バイクに乗った犯人が、歩行者を襲うという場面がよくありますが、あれは、バイクがどんなものか知らない無知な人間が考えたもので、実際には、バイクで歩行者にぶつかれば、バイクも倒れてしまい、無事では済みません。

  歩行者どころか、直径5センチくらいの石に乗り上げても、転倒します。 以前、ある小説家が新聞に書いていた雑文に、「若者二人が乗ったバイクが、子犬を轢くのを見た。 彼らは、後から引き返してきて、様子を見ていたが、心の荒れた人間でも、命を憐れむ気持ちはあるのだろう」などという件りが出て来たのですが・・・、とんっでもない! 全くの捏造談でして、そんな事ができるわけがありません。 子犬がどんな小さくても、屋外に出てくるくらいの大きさであれば、轢いて、バイクが転倒しないわけがない。

  この小説家、先入観だけで、バイクに乗っている人間を、極悪非道のゴロツキと決め付け、また、貧弱な想像力だけで、「凶暴なバイクに轢かれたら、子犬などひとたまりもないはず」と決め付けて、こんな実見談を捏造したのです。 実は、私自身、バイクに乗り始める前までは、大差無い認識だったので、尚更、よく分かります。 恥を掻きたくなかったら、知らない事は、書かないようにする事ですねえ。

  おっと、脱線しましたな。 話を戻しましょう。


  で、家から一番近い教習所に通い、中免(400cc以下)を取ったという次第。 ところが、教習過程で、クラッチの操作が、どうにも会得できず、「このままでは、何十時間乗らされるか分からんぞ・・・」と思って、練習用に原付のクラッチ式バイクを買ってしまったのがいけなかった。 何とか中免を取ったものの、原付をすぐに手放すには、性格がケチ過ぎたので、一年間、それで我慢する事になりました。

  原付というのは、速度制限が30キロなので、どうしても、ストレスが溜まります。 白バイのカモになっているせいで、冗談みたいに、よく捕まりますし、車の流れに乗れず、路側帯を走らざるを得ないので、パンクも晩たび。 まあ、二度と乗りたいとは思いませんねえ。

  とはいうものの、その原付で、ツーリングは、結構行きました。 最初の春に、和歌山県の熊野に一泊野宿ツーリングに行ったのを皮切りに、五月の連休に、山陽・山陰を五泊六日かけて、ぐるっと回り、夏の連休には、七泊八日かけて、東北を回りました。 その間、ずっと、時速35キロ・キープ。 かったるかったなあ。

  で、せっかく、バイクに乗り始めたのに、面白くないので、「もっと、でかい免許を取ってやれ」などと、良からぬ野心が芽を吹き、別の教習所へ通って、大二輪(401cc以上)の免許を取りました。 その頃はまだ、県警の試験場で実技試験をする時代で、個人で受けに行くと、95パーセントが落とされるような難関だったのですが、私は裏技を調べ出して、そちらを実行しました。

  特別に指定された教習所に通い、そこの教習終了証を持って、県警の試験場に行くと、よほど大きなミスをしない限り、合格させてくれるのです。 別に、ズルというわけではなく、その頃、外国のバイク・メーカーによる外圧が高まって、大二輪免許に対する警察の考え方が緩くなって来ていて、「教習所で大二輪の教習を受けた奴なら、合格させてやろう」という方針になっていたのです。

  私は、その状況を、うまく利用した内の一人だったわけですな。 ただ、一回で受かったわけではありません。 教習所に行く前に、個人で受けに行って、一度落ち、教習所を出た後も、一本橋で足を着いて、一回落ち、三度目の正直で、何とか受かったのです。

  その日に受かったのは、私を含めて三人だけでしたが、私が、パッとしないオッサンだったのに対し、他の二人は、いかにもライダーという感じの青年達で、私の顔を見て、「なんで、こんな奴が受かったんだ?」という表情を露わに浮かべていました。 いや、それなりの手順を踏んだから、受かったんですがね。

  ところが、免許は取ったものの、実際の大型バイクは、一台も買いませんでした。 原付に一年乗り、次に225ccに乗り、その後も、同じ車種を買い換えて、現在に至ります。 だって、大型バイクは、重いんだもの。 大二輪の教習と試験は、750ccで行なわれますが、乗る前の押したり引いたりが、もう大変。 乗ったら乗ったで、一人の人間を運ぶには、明らかにオーバー・パワーで、ちょっとでも気を抜くと、カーブなんて曲がりきれません。

  ちなみに、教習中は、何回か転倒しましたが、バイクから投げ出されると、バイクの重量が慣性になって、人間の体にかかってくるので、地面に叩きつけられるような感じになります。 自転車やスクーターで転んだ経験がある人は多いと思いますが、あんなもんじゃないです。 教習中は、破れたら困るような服は、御法度ですな。

  15万円もかけて、大二輪免許を取ったというのに、あまりの重さに、教習中に、すっかり懲りてしまったという、アホ丸出しな話なわけです。 その後、400㏄ですら買う気にならなかったから、私がいかに、重さを嫌ったかが分かります。 今乗っているバイクは、120kgくらいで、押して歩いても、そんなにきつくはありません。 バッテリーが上がった時、押しがけができたくらいですからねえ。

  私は当初、大二輪の免許を持っている事を、職場では隠していました。 10代後半頃にバイクに乗っていて、何度受けても大二輪の免許が取れず、トラウマ的コンプレックスを持っている人達が、うじゃうじゃいた時代だったので、下手に口に滑らすと、妬み嫉みで、心底憎まれてしまいかねない。 そんな時代だったのです。

  実際に、大型バイクに乗らず、免許を持っている事も隠していたので、全く意味がない免許だったわけです。 もったいねー、15万円・・・。 この点は、大いに反省し、その後、使わない免許や検定には、一切手を出さないようにしました。

  現在では、大二輪免許は、教習所で、実技試験まで受けられるようになり、中免(現在は、普通二輪)とほとんど変わらない労力で取れるようになりました。 解禁されてから、トラウマに苦しんでいた人達が、どっと取りに行き、リッター・バイクが大売れしたのは、まだ最近の話。 結果、中高年ライダーの事故が急増し、今や、若者の事故よりも多いそうですが、トラウマの解消と引き換えに命を奪われるとは、なんと皮肉な運命である事か・・・。


  私は、その後、バイクには、ずっと乗っているわけですが、続いた最大の理由は、趣味ではなく、通勤という実用目的があったからでしょう。 車を持っていないので、夏でも冬でも、バイクです。 「冬は寒いだろう」とは、よく言われますが、否定はしないものの、風を通さない服や、フルフェイスのヘルメット、冬用グローブ、ブーツなど、耐寒装備を一通り揃えてしまえば、我慢できないほどではありません。

  バイクのいいところは、何と言っても、維持費が安い事でして、250cc以下なら、車検も点検もないので、税金を年2400円払うだけで、所有していられます。 車と比べると、天地の差ですな。 燃費も良くて、私ので、リッター、38キロくらい。 これは実測値なので、最も性能のいいハイブリッド車と比べても、圧勝します。

  次に、渋滞の際にすり抜けができるので、通勤時間の短縮に、かなりの効果を発揮します。 毎日毎日、10分早いと遅いとでは、累積すれば、大変な違いになります。 車の方が、楽だとは思うのですが、時間の事を考えると、バイクをやめる気にはなりません。

  趣味ではないので、土日には、バイクに乗らないのですが、春と夏の連休には、一応、ツーリングに出かけます。 これも、燃費がいいので、車では行く気にならないような遠出も可能です。 朝から晩まで一日走っても、給油は一回です。 ガソリン代が高い時でも、多くて、1200円くらい。 車だったら、万札が飛ぶでしょう。 乗り物の燃費は、馬鹿にできませんぜ。

  250ccクラスだと、車検が無いにも拘らず、自動車専用道にも入れるから、大変お得です。 私はケチなので、有料道路は、どうしても必要な時にしか乗らないのですが、有料でなくても、自動車専用という道路というのが結構あるのです。 元は有料だったのが、建設費用の回収期間を終えて、無料になったという所に、そういうのが多い。 で、125cc以下だと、そういう道路が通れないので、迂回を余儀なくされるのですが、250㏄なら、オッケーというわけ。

  もし、400㏄や、それ以上の大型バイクを選んでいたら、車検費用で嫌になっていたかもしれませんし、125cc以下だったら、ツーリングに出た時、不便で、嫌になっていたかもしれません。 225ccを買った事も、続いた理由の一つかもしれませんなあ。


  うーむ・・・、今回は、これまでの人生で、行き詰った時に、どうやって乗り越えて来たかについて書くつもりだったのですが、バイクの思い出について書き足していったら、長くなってしまいました。 パソコンの方は、また、次回に書く事にしましょう。