読書感想文・蔵出し④
先週に引き続き、読書感想文です。 実は、古本屋巡りで、一日10時間もバイクに乗りづめのツーリングを二回もやったせいか、左膝を痛めてしまい、ここ一週間と言うもの、歩くのも億劫な有様。 階段を下りる時など、一段ごとに、覚悟がいる始末。 で、この土日は、大事を取って、家で過ごす事にしたので、ブログ記事を書く時間は、あるっつやーあるんですが、それとは別方面の事情がありまして・・・。
仕事の方が、どうも、またぞろ、応援の話が出つつあり、しかも、またぞろ、岩手行きの線が濃厚になっており、「今度は、半年」などという恐ろしい情報もあって、もはや、土曜出勤どころの話ではなく、感想文を取っておいても、意味が無いので、さっさと出してしまおうという寸法なわけです。
≪ヨーロッパとイスラム≫
久々に、新書で、読み応えを感じた本。 文章が難しいのではなく、内容が面白かったという意味です。 何歳になっても、世の中に知らない事はあるんですなあ。
ヨーロッパに移住したイスラム教徒と、受け入れ側の社会の、意識のズレの発生原因を分析したもの。 対象国は、ドイツ、オランダ、フランスの三ヵ国で、ヨーロッパ全体を代表させるには、サンプルが少ないですが、それは、著者も承知している様子。
移住側は、ドイツでは、第二次世界大戦後に受け入れが始まった、トルコ人労働者と、彼らが呼び寄せた家族。 オランダでは、トルコ人を中心に、国内に住んでいるムスリム全体。 フランスでは、北アフリカ諸国からの移民を中心とした、ムスリム全体です。
この三国、ほぼ隣り合っているにも拘らず、ムスリムの置かれている境遇が、まるで異なるのには、驚かされます。 日本人の感覚で一番分かり易いのは、同じように外国人蔑視意識があるドイツでして、「ムスリムだから、問題」という以前に、「異民族だから、問題」なのであって、三国の中では、一番低いレベルで、排斥意識が働いている模様。
「ナチスへの反省から、公的には異民族を差別できないが、本音としては、いて欲しくない」、「かつては、労働力として必要だったが、今は状況が変わったのだから、本国へ帰って欲しい」と言った、民族差別意識が前面に出ています。 まるで、日本のようですが、公的には差別を口に出来ない点、日本よりは、マシですか。
オランダは、正反対に、ムスリムの社会を、キリスト教徒の社会や、無宗教者の社会と対等に、オランダ社会全体を構成する≪柱≫の一つとして扱っていて、最も成功しているように見えます。 ムスリム側からすると、「あまりにも自由過ぎて、イスラムの教えから逸脱してしまいそうなのが怖い」のだとか。
しかし、オランダにも問題はあり、「イスラム教は、女性にスカーフを被らせるなど、他者への干渉をする宗教であり、オランダの自由主義とは相容れない」といった論理で、ムスリム社会への攻撃が始まっているとの事。
意外なのはフランスで、異民族への差別意識が存在せず、ムスリムの人口比率もヨーロッパで最大であるにも拘らず、ムスリムとの対立が、最も先鋭的に見られるのです。 イスラム教が、≪自由、平等、博愛≫という、フランス社会の基本になっている精神に反していると言うんですな。
この本では、世界的ニュースにもなった、≪スカーフ論争≫の背景が、詳しく語られています。 「ムスリム女性にとって、髪は恥部であって、恥部を隠すのは当たり前。 むしろ、それを外せという方が、女性差別ではないか」という話には、目から鱗。 元の認識が違う事から生まれる、悲劇ですな。 ただし、ムスリム女性の中にも、「スカーフは、女性蔑視の象徴だ」と考える人もいるようで、事は複雑です。
≪聖俗分離(政教分離)≫で、政治を宗教から切り離そうというのが、近代以降のヨーロッパ社会の基本理念であるのに対し、イスラム教では、そもそも、聖俗の違いが存在せず、宗教から離れた政治も、政治から離れた宗教もありえない。 それが、ヨーロッパ社会とムスリムの埋められない溝になっているようです。
≪まいごのアザラシをたすけて!≫
私が最初に読んだ、アザラシ関連の本、≪海の友だちアザラシ≫は、旧西ドイツの北海で迷子になったアザラシの赤ちゃんを助ける話でしたが、この本は、オランダにある同じ目的の施設、≪アザラシ・リハビリテーション研究センター≫の成り立ちと、活動を紹介したもの。
1970年頃、レイニー・ツ・ハートという動物好きの女性が始めた動物病院に、迷子のアザラシが運び込まれたのが、事の起こり。 他のアザラシを診れる病院が無かった事から、次第に、アザラシ専門の引き取り施設に成長して行き、今では、毎年、100頭以上のアザラシを治療して、海へ帰すようになったとの事。
解説を入れて、158ページありますが、児童図書なので、一時間もあれば、読破できます。 アザラシの数が減っている原因には、海洋汚染や、魚の乱獲など、人間の産業活動が大きく関わっている事を指摘するのが、この本の主な目的のようです。 子供に読ませるには、ちと、テーマが硬過ぎるかもしれませんな。
内容も主張も、至ってしっかりしているので、加筆して、大人向けの文体で書き直せば、一般書として、十二分に通用すると思います。 アザラシの赤ちゃんの愛らしい写真が、これでもかというくらい、たくさん載っているので、写真を見るだけでも、本を手に取る価値があります。 児童図書にしておくのは、勿体無い。
≪北方領土問題≫
ちょっと、直截的過ぎて、気軽には手に取り難い書名ですが、内容は、至って理性的なもの。 著者は、中ロ関係の専門家のようです。 ソ連・ロシアと中国の国境線画定交渉を参考に、日ロ間の領土問題も解決できないか、という提案です。
ソ連・ロシアと中国の間には、旧ソ連時代の版図で言うと、4300キロに渡る国境線があり、帝政ロシアと清の頃からの係争地が何ヶ所もあったのですが、それを、ソ連末期から新生ロシアの初期にかけて、粘り強い交渉で全面的に解決し、現在、中国が国境を接する、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの間には、領土問題が全く存在しなくなったとの事。
係争地だったのは、帝政ロシアが清から奪った土地で、その後、中国側から出ていた返還要求を、ソ連・ロシア側が受け入れるというのが、交渉の形式だったようです。 焦点になったのは、ソ連・ロシア側が、中国側の要求をどこまで飲むかという事。
「やれるところからやる」
「最後まで残った係争地は、フィフティー・フィフティーで分け合う」
「どちらの国にとっても、外交的敗北にならないように、ウィン・ウィンの決着を目指す」
「国内世論が邪魔をしないように、交渉は非公開で行なう」
「土地の主権国を明確にした上で、地域住民の共同利用の余地を残す」
といった原則を立てて進めて行ったらしいのですが、そこに至るまでには、武力衝突など、双方の血が流れた過去の経緯への反省があったとの事。 ちなみに、「フィフティー・フィフティー」と言っても、必ずしも、土地の面積を均等に分けるという意味ではなく、ある部分を譲る代わりに、他の部分を取るといった、柔軟な対応を取ったのだとか。
中央アジアの三ヵ国、特に、タジキスタンに対しては、中国側が大幅な譲歩をして、タジキスタンの外交担当者に、大変な感謝をされたそうです。 中国にしてみれば、山岳地帯だから、持っていても大きな利益が無いと考えた上で、タジキスタンとの貿易の拡大の方を優先したんでしょう。
交渉の期間が、≪ソ連崩壊≫を挟んでいるのですが、新生ロシアが、中国との交渉をソ連から引き継いで、基本原則を変えずに決着まで持って行った点は、ロシア全体が混乱期だった事を考えると、大変、理性的だったと思います。 新生ロシアにとって、中国との安定的な関係が、いかに重要だったかが窺えます。
さて、中ロ間の国境問題解決を参考に、日ロ間でも、北方領土問題を前に進められないかというのが、この本のテーマ。 著者が提案しているのは、「二島+α」で、具体的には、歯舞・色丹に、国後までを日本側が取り、択捉はロシア領として認めるというもの。
陸地の面積で見ると、三島を足しても、択捉一島の面積より小さいのですが、領海面積で見ると、ほぼ、フィフティー・フィフティーになるのだそうです。 現地の産業は、漁業が主ですから、実質的利益を考えるなら、日本側が損をした事にはならないという考えですな。
≪四島全返還≫は、ロシア側に得が全く無いため、それを日本側が主張してる限り、交渉は進まないと指摘しています。 それは確かにその通りで、何の得も無ければ、交渉する事自体に意味はありませんな。
興味深いのは、北方領土問題に関する、日本人の意識の変化でして、北海道限定の調査ですが、今では、≪四島返還≫に拘る人達が、随分と減ったらしいです。 特に、≪ビザ無し渡航≫で、四島を訪問した経験のある若者達に、そういう柔軟な意見を持つ傾向が顕著に見られるとの事。 「ソ連嫌い」が、「ロシア嫌い」に、そのまま移行しなかったのは、面白いです。
とまあ、それはいいんですが・・・、著者の考え方が、「日ロ両国の経済発展優先」に傾斜している点は、環境問題がクローズ・アップされている現代に於いては、辛い点をつけざるを得ません。 中ロ間がそうであったように、国境線が平和裏に画定すれば、経済交流が活発になるわけですが、人間活動が盛んになれば、自然が破壊されるのは、避けられぬ道理。
現状、北方四島は、ロシアの≪見放された辺境≫であるため、大規模な開発は行われていないわけですが、内、三島でも、日本領になれば、「やれ、道路だ、橋だ、住宅だ」と、土建業者が殺到し、国の補助金をドブドブ費やして、瞬く間に、コンクリート・ジャングルにしてしまうのは、疑いないところです。 動植物が受けるダメージは、計り知れません。 はたして、それがいいのかどうか・・・。
それにしても、帝政ロシアにせよ、ソ連にせよ、新生ロシアにせよ、中国との関係は重視しているのに対し、日本には、ほとんど興味を抱いていない様子なのは、非常に興味深いです。 領土問題を、真剣に解決しようとしないのも、「日本との経済交流なんか、どーでもいー」と思っているからでしょう。
ソ連崩壊の直後、日本国内で、「ロシアは、金が無くて困っているから、経済支援をちらつかせれば、北方領土を返してよこすかもしれない」という、皮算用が流行りましたが、実際には、ロシア側から日本に、経済支援を求めて来た事はありませんでした。
日本側は日本側で、ソ連時代に、単に、ソ連と修好したくないばかりに、北方領土問題を、盾に使っていた嫌いがあります。 ただ、50年代に、二島返還で合意しかけた時、日ソの接近を嫌って、妨害したのは、アメリカだったらしいですが・・・。 事は複雑ですな。
ところで、この著者、「千島の先住民が、アイヌ民族である事は議論の余地がない」と書いているんですが、それならば、日本にもロシアにも、北方領土を自国領と主張する権利が無い事になります。 それが分かっていながら、日ロ国境の線引き方法を云々するのは、矛盾しているように思えます。 正当な所有者が誰か分かっているのなら、そちらに返すのが正しい処置ではありますまいか。
≪ロシア精神の源≫
ロシア民族が、キリスト教の本流である≪正教≫を、ビザンチン帝国から、いつ、どんな経緯で、どのように学び取ったかについて、詳しく書いてある本。 日本人には、馴染みが薄い分野で、非常にとっつき難い反面、全く知らなかった事が多いために、大変、興味深くもあります。
かなり前に、ビザンチン帝国の本を読んだ事があるのですが、そちらでは、ビザンチン帝国本体の歴史にしか触れていなかったので、ビザンチン帝国から影響を受けた周辺諸国については、ほとんど知らぬままになっていました。 この本をよると、ロシアやブルガリアなどは、ビザンチン文化圏の代表格だったとの事。
ちなみに、ビザンチン帝国というのは、東ローマ帝国の事でして、古代ローマ帝国の正統な継承国です。 古代ローマ帝国が、コンスタンティヌス帝の時、今のトルコのイスタンブールに遷都し、そこが帝国の首都になります。 以降、イタリアのローマは、一地方都市に格下げになるわけですな。 で、その後、帝国が東と西に分裂にし、西ローマ帝国は、間も無く滅びてしまいますが、東ローマ帝国は、版図の拡大縮小を繰り返しつつ、千年間続きます。
東ローマ帝国の事を、この本では、一貫して、ビザンチン帝国と呼んでいるので、以下、ビザンチン帝国と書きますが、そのビザンチン帝国は、ローマ帝国の正統継承国であるため、国教であるキリスト教も、こちらが正統で、古代ローマ帝国で国教と定められた当初からの伝統を、正確に受け継いでいるのだそうです。
現在、世界のキリスト教の中心のように振舞っているローマ・カトリック教会は、元は、ビザンチン帝国のキリスト教会の地方の一支部に過ぎなかったらしいです。 それが、中世以降、西ヨーロッパ諸国を宗教面で支配した事で、実力をつけ、逆に、本家を威圧するようになり、独立して、一宗派になったのだとか。 ビザンチン帝国のキリスト教会は、ローマ・カトリックの教義を異端とし、それと区別するために、自分達の宗派を、「正しい教え」という意味で、≪正教≫と称するようになったのだそうです。
何だか、ビザンチンの話ばかりになってしまいましたが、≪ロシア精神の源≫という書名の通り、ロシアについて書かれている部分は、3分の2以上を占めます。 ロシアが、キエフ朝時代に、ビザンチン帝国から正教を学び、以来、千年間、モスクワ朝、ペテルブルク朝と、中心地を変えつつも、正教を国教として維持し続けてきた歴史が、詳しく書かれています。
以前、ロシアの歴史を読んだ事があったんですが、その本は、宗教史に触れておらず、さほど面白くありませんでした。 というか、ほとんど記憶に残っていない有様。 この本を読んで、宗教史の視点から見た方が、ロシアの歴史は面白いように感じました。
ビザンチン帝国は、その後、オスマン・トルコに滅ぼされて、千年の歴史に幕を下ろしますが、正教は、周辺諸国に受け継がれて、現在に至ります。 ロシア正教は、その最大の集団。 ロシア正教、ギリシャ正教と、国ごとに分かれていても、それは宗派の違いではなく、単なる地域分けで、正教全体で一宗派であり、教義は共有しているのだそうです。
ビザンチン帝国は、古代ローマ帝国の正統であると同時に、地理的・言語的に、古代ギリシャの学問の系譜も受け継いでいたのですが、そこから文明を学んだロシアは、宗教を主に受け取り、ギリシャの学問は、伝わりはしたものの、日陰の存在で終わったらしいです。 しかし、その後のロシア・ソ連の科学技術の高いレベルを見ると、ギリシャ的な合理主義は、充分に受け継がれているような気がします。
概ね、興味をそそる内容ではありますが、著者が、宗教学者である為に、科学的というよりは、精神論的な分析が多く、その点、些か、違和感があります。 ロシアを引き合いに出しつつ、著者が本当に主張したいのは、「キリスト教の正統は、ローマ・カトリックではなく、正教の方なのだ」という事なのでしょう。 まあ、それは、よく分かりました。
≪ロシア異界幻想≫
これは、変わった本だわ。 分類するとすれば、民俗学でしょうか。 柳田國男の世界です。 ただし、対象は、ロシア民族。 ロシアというと、近代以降の国家としてのイメージしか存在しないので、ロシア民族に、こういう世界観があるとは、全く知りませんでした。
「ドモヴォイ」という、家の精の事に、一章が割かれていますが、これは正に、岩手民話に出て来る、座敷童子のロシア版です。 ただし、姿形は全然違っていて、地方により、見る人により、様々な形態をとるとの事。
死者が40日間、この世に留まるというのも、仏教の四十九日の考え方と似ていて、興味深い。 関わり方によっては、生きている者を、一緒に連れて行ったりしてしまうのだそうで、「死者を悼んで、泣き過ぎるな」など、やってはいけない禁忌が、たくさんあるのだとか。
天国が、天上にあるのではなく、東の海の彼方の島にあるというのも、面白い。 中国の東仙思想と、何か関係があるんでしょうか。 しかし、ロシアが太平洋に達したのは、近世になってからで、それ以前は、東に海がある事など知らなかったと思うのですが、この海とは、どこを指すのでしょう? 黒海? カスピ海?
ロシアは、もともと、東スラブ人の集団を、北欧バイキングが統率して、国の基を開いた歴史があるので、もしかしたら、この種の伝承の元は、地理的に、現在のロシアとは、まるで関係ない所から、来ているのかもしれません。
とまあ、こう書くと、興味津々で読んだように感じられるかもしれませんが、その実、読み物としては、非常につまらない本でして、特別、ロシア民族に興味があるのでなければ、とても、薦められません。 特に、キリスト教の影響が及んだ以降の思想について触れた部分は、熱が出るほど、つまらないです。
以上、5冊まで。 2012年の晩秋頃に書いたもの。 国際関係ものが多いですが、このころ、古典推理小説に飽きて、ちょっと硬いものを読んでみたかったのです。
仕事の方が、どうも、またぞろ、応援の話が出つつあり、しかも、またぞろ、岩手行きの線が濃厚になっており、「今度は、半年」などという恐ろしい情報もあって、もはや、土曜出勤どころの話ではなく、感想文を取っておいても、意味が無いので、さっさと出してしまおうという寸法なわけです。
≪ヨーロッパとイスラム≫
久々に、新書で、読み応えを感じた本。 文章が難しいのではなく、内容が面白かったという意味です。 何歳になっても、世の中に知らない事はあるんですなあ。
ヨーロッパに移住したイスラム教徒と、受け入れ側の社会の、意識のズレの発生原因を分析したもの。 対象国は、ドイツ、オランダ、フランスの三ヵ国で、ヨーロッパ全体を代表させるには、サンプルが少ないですが、それは、著者も承知している様子。
移住側は、ドイツでは、第二次世界大戦後に受け入れが始まった、トルコ人労働者と、彼らが呼び寄せた家族。 オランダでは、トルコ人を中心に、国内に住んでいるムスリム全体。 フランスでは、北アフリカ諸国からの移民を中心とした、ムスリム全体です。
この三国、ほぼ隣り合っているにも拘らず、ムスリムの置かれている境遇が、まるで異なるのには、驚かされます。 日本人の感覚で一番分かり易いのは、同じように外国人蔑視意識があるドイツでして、「ムスリムだから、問題」という以前に、「異民族だから、問題」なのであって、三国の中では、一番低いレベルで、排斥意識が働いている模様。
「ナチスへの反省から、公的には異民族を差別できないが、本音としては、いて欲しくない」、「かつては、労働力として必要だったが、今は状況が変わったのだから、本国へ帰って欲しい」と言った、民族差別意識が前面に出ています。 まるで、日本のようですが、公的には差別を口に出来ない点、日本よりは、マシですか。
オランダは、正反対に、ムスリムの社会を、キリスト教徒の社会や、無宗教者の社会と対等に、オランダ社会全体を構成する≪柱≫の一つとして扱っていて、最も成功しているように見えます。 ムスリム側からすると、「あまりにも自由過ぎて、イスラムの教えから逸脱してしまいそうなのが怖い」のだとか。
しかし、オランダにも問題はあり、「イスラム教は、女性にスカーフを被らせるなど、他者への干渉をする宗教であり、オランダの自由主義とは相容れない」といった論理で、ムスリム社会への攻撃が始まっているとの事。
意外なのはフランスで、異民族への差別意識が存在せず、ムスリムの人口比率もヨーロッパで最大であるにも拘らず、ムスリムとの対立が、最も先鋭的に見られるのです。 イスラム教が、≪自由、平等、博愛≫という、フランス社会の基本になっている精神に反していると言うんですな。
この本では、世界的ニュースにもなった、≪スカーフ論争≫の背景が、詳しく語られています。 「ムスリム女性にとって、髪は恥部であって、恥部を隠すのは当たり前。 むしろ、それを外せという方が、女性差別ではないか」という話には、目から鱗。 元の認識が違う事から生まれる、悲劇ですな。 ただし、ムスリム女性の中にも、「スカーフは、女性蔑視の象徴だ」と考える人もいるようで、事は複雑です。
≪聖俗分離(政教分離)≫で、政治を宗教から切り離そうというのが、近代以降のヨーロッパ社会の基本理念であるのに対し、イスラム教では、そもそも、聖俗の違いが存在せず、宗教から離れた政治も、政治から離れた宗教もありえない。 それが、ヨーロッパ社会とムスリムの埋められない溝になっているようです。
≪まいごのアザラシをたすけて!≫
私が最初に読んだ、アザラシ関連の本、≪海の友だちアザラシ≫は、旧西ドイツの北海で迷子になったアザラシの赤ちゃんを助ける話でしたが、この本は、オランダにある同じ目的の施設、≪アザラシ・リハビリテーション研究センター≫の成り立ちと、活動を紹介したもの。
1970年頃、レイニー・ツ・ハートという動物好きの女性が始めた動物病院に、迷子のアザラシが運び込まれたのが、事の起こり。 他のアザラシを診れる病院が無かった事から、次第に、アザラシ専門の引き取り施設に成長して行き、今では、毎年、100頭以上のアザラシを治療して、海へ帰すようになったとの事。
解説を入れて、158ページありますが、児童図書なので、一時間もあれば、読破できます。 アザラシの数が減っている原因には、海洋汚染や、魚の乱獲など、人間の産業活動が大きく関わっている事を指摘するのが、この本の主な目的のようです。 子供に読ませるには、ちと、テーマが硬過ぎるかもしれませんな。
内容も主張も、至ってしっかりしているので、加筆して、大人向けの文体で書き直せば、一般書として、十二分に通用すると思います。 アザラシの赤ちゃんの愛らしい写真が、これでもかというくらい、たくさん載っているので、写真を見るだけでも、本を手に取る価値があります。 児童図書にしておくのは、勿体無い。
≪北方領土問題≫
ちょっと、直截的過ぎて、気軽には手に取り難い書名ですが、内容は、至って理性的なもの。 著者は、中ロ関係の専門家のようです。 ソ連・ロシアと中国の国境線画定交渉を参考に、日ロ間の領土問題も解決できないか、という提案です。
ソ連・ロシアと中国の間には、旧ソ連時代の版図で言うと、4300キロに渡る国境線があり、帝政ロシアと清の頃からの係争地が何ヶ所もあったのですが、それを、ソ連末期から新生ロシアの初期にかけて、粘り強い交渉で全面的に解決し、現在、中国が国境を接する、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの間には、領土問題が全く存在しなくなったとの事。
係争地だったのは、帝政ロシアが清から奪った土地で、その後、中国側から出ていた返還要求を、ソ連・ロシア側が受け入れるというのが、交渉の形式だったようです。 焦点になったのは、ソ連・ロシア側が、中国側の要求をどこまで飲むかという事。
「やれるところからやる」
「最後まで残った係争地は、フィフティー・フィフティーで分け合う」
「どちらの国にとっても、外交的敗北にならないように、ウィン・ウィンの決着を目指す」
「国内世論が邪魔をしないように、交渉は非公開で行なう」
「土地の主権国を明確にした上で、地域住民の共同利用の余地を残す」
といった原則を立てて進めて行ったらしいのですが、そこに至るまでには、武力衝突など、双方の血が流れた過去の経緯への反省があったとの事。 ちなみに、「フィフティー・フィフティー」と言っても、必ずしも、土地の面積を均等に分けるという意味ではなく、ある部分を譲る代わりに、他の部分を取るといった、柔軟な対応を取ったのだとか。
中央アジアの三ヵ国、特に、タジキスタンに対しては、中国側が大幅な譲歩をして、タジキスタンの外交担当者に、大変な感謝をされたそうです。 中国にしてみれば、山岳地帯だから、持っていても大きな利益が無いと考えた上で、タジキスタンとの貿易の拡大の方を優先したんでしょう。
交渉の期間が、≪ソ連崩壊≫を挟んでいるのですが、新生ロシアが、中国との交渉をソ連から引き継いで、基本原則を変えずに決着まで持って行った点は、ロシア全体が混乱期だった事を考えると、大変、理性的だったと思います。 新生ロシアにとって、中国との安定的な関係が、いかに重要だったかが窺えます。
さて、中ロ間の国境問題解決を参考に、日ロ間でも、北方領土問題を前に進められないかというのが、この本のテーマ。 著者が提案しているのは、「二島+α」で、具体的には、歯舞・色丹に、国後までを日本側が取り、択捉はロシア領として認めるというもの。
陸地の面積で見ると、三島を足しても、択捉一島の面積より小さいのですが、領海面積で見ると、ほぼ、フィフティー・フィフティーになるのだそうです。 現地の産業は、漁業が主ですから、実質的利益を考えるなら、日本側が損をした事にはならないという考えですな。
≪四島全返還≫は、ロシア側に得が全く無いため、それを日本側が主張してる限り、交渉は進まないと指摘しています。 それは確かにその通りで、何の得も無ければ、交渉する事自体に意味はありませんな。
興味深いのは、北方領土問題に関する、日本人の意識の変化でして、北海道限定の調査ですが、今では、≪四島返還≫に拘る人達が、随分と減ったらしいです。 特に、≪ビザ無し渡航≫で、四島を訪問した経験のある若者達に、そういう柔軟な意見を持つ傾向が顕著に見られるとの事。 「ソ連嫌い」が、「ロシア嫌い」に、そのまま移行しなかったのは、面白いです。
とまあ、それはいいんですが・・・、著者の考え方が、「日ロ両国の経済発展優先」に傾斜している点は、環境問題がクローズ・アップされている現代に於いては、辛い点をつけざるを得ません。 中ロ間がそうであったように、国境線が平和裏に画定すれば、経済交流が活発になるわけですが、人間活動が盛んになれば、自然が破壊されるのは、避けられぬ道理。
現状、北方四島は、ロシアの≪見放された辺境≫であるため、大規模な開発は行われていないわけですが、内、三島でも、日本領になれば、「やれ、道路だ、橋だ、住宅だ」と、土建業者が殺到し、国の補助金をドブドブ費やして、瞬く間に、コンクリート・ジャングルにしてしまうのは、疑いないところです。 動植物が受けるダメージは、計り知れません。 はたして、それがいいのかどうか・・・。
それにしても、帝政ロシアにせよ、ソ連にせよ、新生ロシアにせよ、中国との関係は重視しているのに対し、日本には、ほとんど興味を抱いていない様子なのは、非常に興味深いです。 領土問題を、真剣に解決しようとしないのも、「日本との経済交流なんか、どーでもいー」と思っているからでしょう。
ソ連崩壊の直後、日本国内で、「ロシアは、金が無くて困っているから、経済支援をちらつかせれば、北方領土を返してよこすかもしれない」という、皮算用が流行りましたが、実際には、ロシア側から日本に、経済支援を求めて来た事はありませんでした。
日本側は日本側で、ソ連時代に、単に、ソ連と修好したくないばかりに、北方領土問題を、盾に使っていた嫌いがあります。 ただ、50年代に、二島返還で合意しかけた時、日ソの接近を嫌って、妨害したのは、アメリカだったらしいですが・・・。 事は複雑ですな。
ところで、この著者、「千島の先住民が、アイヌ民族である事は議論の余地がない」と書いているんですが、それならば、日本にもロシアにも、北方領土を自国領と主張する権利が無い事になります。 それが分かっていながら、日ロ国境の線引き方法を云々するのは、矛盾しているように思えます。 正当な所有者が誰か分かっているのなら、そちらに返すのが正しい処置ではありますまいか。
≪ロシア精神の源≫
ロシア民族が、キリスト教の本流である≪正教≫を、ビザンチン帝国から、いつ、どんな経緯で、どのように学び取ったかについて、詳しく書いてある本。 日本人には、馴染みが薄い分野で、非常にとっつき難い反面、全く知らなかった事が多いために、大変、興味深くもあります。
かなり前に、ビザンチン帝国の本を読んだ事があるのですが、そちらでは、ビザンチン帝国本体の歴史にしか触れていなかったので、ビザンチン帝国から影響を受けた周辺諸国については、ほとんど知らぬままになっていました。 この本をよると、ロシアやブルガリアなどは、ビザンチン文化圏の代表格だったとの事。
ちなみに、ビザンチン帝国というのは、東ローマ帝国の事でして、古代ローマ帝国の正統な継承国です。 古代ローマ帝国が、コンスタンティヌス帝の時、今のトルコのイスタンブールに遷都し、そこが帝国の首都になります。 以降、イタリアのローマは、一地方都市に格下げになるわけですな。 で、その後、帝国が東と西に分裂にし、西ローマ帝国は、間も無く滅びてしまいますが、東ローマ帝国は、版図の拡大縮小を繰り返しつつ、千年間続きます。
東ローマ帝国の事を、この本では、一貫して、ビザンチン帝国と呼んでいるので、以下、ビザンチン帝国と書きますが、そのビザンチン帝国は、ローマ帝国の正統継承国であるため、国教であるキリスト教も、こちらが正統で、古代ローマ帝国で国教と定められた当初からの伝統を、正確に受け継いでいるのだそうです。
現在、世界のキリスト教の中心のように振舞っているローマ・カトリック教会は、元は、ビザンチン帝国のキリスト教会の地方の一支部に過ぎなかったらしいです。 それが、中世以降、西ヨーロッパ諸国を宗教面で支配した事で、実力をつけ、逆に、本家を威圧するようになり、独立して、一宗派になったのだとか。 ビザンチン帝国のキリスト教会は、ローマ・カトリックの教義を異端とし、それと区別するために、自分達の宗派を、「正しい教え」という意味で、≪正教≫と称するようになったのだそうです。
何だか、ビザンチンの話ばかりになってしまいましたが、≪ロシア精神の源≫という書名の通り、ロシアについて書かれている部分は、3分の2以上を占めます。 ロシアが、キエフ朝時代に、ビザンチン帝国から正教を学び、以来、千年間、モスクワ朝、ペテルブルク朝と、中心地を変えつつも、正教を国教として維持し続けてきた歴史が、詳しく書かれています。
以前、ロシアの歴史を読んだ事があったんですが、その本は、宗教史に触れておらず、さほど面白くありませんでした。 というか、ほとんど記憶に残っていない有様。 この本を読んで、宗教史の視点から見た方が、ロシアの歴史は面白いように感じました。
ビザンチン帝国は、その後、オスマン・トルコに滅ぼされて、千年の歴史に幕を下ろしますが、正教は、周辺諸国に受け継がれて、現在に至ります。 ロシア正教は、その最大の集団。 ロシア正教、ギリシャ正教と、国ごとに分かれていても、それは宗派の違いではなく、単なる地域分けで、正教全体で一宗派であり、教義は共有しているのだそうです。
ビザンチン帝国は、古代ローマ帝国の正統であると同時に、地理的・言語的に、古代ギリシャの学問の系譜も受け継いでいたのですが、そこから文明を学んだロシアは、宗教を主に受け取り、ギリシャの学問は、伝わりはしたものの、日陰の存在で終わったらしいです。 しかし、その後のロシア・ソ連の科学技術の高いレベルを見ると、ギリシャ的な合理主義は、充分に受け継がれているような気がします。
概ね、興味をそそる内容ではありますが、著者が、宗教学者である為に、科学的というよりは、精神論的な分析が多く、その点、些か、違和感があります。 ロシアを引き合いに出しつつ、著者が本当に主張したいのは、「キリスト教の正統は、ローマ・カトリックではなく、正教の方なのだ」という事なのでしょう。 まあ、それは、よく分かりました。
≪ロシア異界幻想≫
これは、変わった本だわ。 分類するとすれば、民俗学でしょうか。 柳田國男の世界です。 ただし、対象は、ロシア民族。 ロシアというと、近代以降の国家としてのイメージしか存在しないので、ロシア民族に、こういう世界観があるとは、全く知りませんでした。
「ドモヴォイ」という、家の精の事に、一章が割かれていますが、これは正に、岩手民話に出て来る、座敷童子のロシア版です。 ただし、姿形は全然違っていて、地方により、見る人により、様々な形態をとるとの事。
死者が40日間、この世に留まるというのも、仏教の四十九日の考え方と似ていて、興味深い。 関わり方によっては、生きている者を、一緒に連れて行ったりしてしまうのだそうで、「死者を悼んで、泣き過ぎるな」など、やってはいけない禁忌が、たくさんあるのだとか。
天国が、天上にあるのではなく、東の海の彼方の島にあるというのも、面白い。 中国の東仙思想と、何か関係があるんでしょうか。 しかし、ロシアが太平洋に達したのは、近世になってからで、それ以前は、東に海がある事など知らなかったと思うのですが、この海とは、どこを指すのでしょう? 黒海? カスピ海?
ロシアは、もともと、東スラブ人の集団を、北欧バイキングが統率して、国の基を開いた歴史があるので、もしかしたら、この種の伝承の元は、地理的に、現在のロシアとは、まるで関係ない所から、来ているのかもしれません。
とまあ、こう書くと、興味津々で読んだように感じられるかもしれませんが、その実、読み物としては、非常につまらない本でして、特別、ロシア民族に興味があるのでなければ、とても、薦められません。 特に、キリスト教の影響が及んだ以降の思想について触れた部分は、熱が出るほど、つまらないです。
以上、5冊まで。 2012年の晩秋頃に書いたもの。 国際関係ものが多いですが、このころ、古典推理小説に飽きて、ちょっと硬いものを読んでみたかったのです。