2014/08/31

さよなら、石垣島

  沖縄旅行記の四日目です。 あ~、もう、一日分が長過ぎちゃって、書き始めるまでが、気が重いっす。 実は私、今、落ち着いて、旅行記をしたためているような状況じゃないんですよ。 これを書いているのは、8月23日(土)なんですが、25日(月)には、北海道旅行に出発しなければならない身でして、できる事なら、そちらの準備に全力を傾けたいところなのです。 しかし、帰って来るのが、30日(土)なので、それから書いたんじゃ、日曜の更新に間に合いません。

  それ以前の問題として、長い旅行から帰って来たら、その晩は、ゆっくり眠りたいもの。 翌日も、面倒臭い事はしたくないもの。 こんな大長文なんて、書いてられますかってんだ。 というわけで、やむなく、出発前に、書いているわけです。 幸い、今日は雨で、どこへも行けないので、時間は確保できるのですがね。

  ちなみに、8月の中旬から下旬にかけて、全国的に天気が不安定で、豪雨災害も頻発しましたが、私が住んでいる静岡県東部では、今日23日になるまで、一滴も雨が降りませんでした。 その代わり、凄まじい猛暑で、午前10時過ぎたら、日が沈むまで、外に出られないという有様でした。 ほんの数分、太陽の下にいただけで、頭がくらくらして来ますし、無理して、外出などすると、すぐさま熱中症の症状が出て、丸一日、寝込む事になります。 確かに、日本の夏は、一昔前とは、変わったんですな。 「Stop the season in the sun」なんて、もはや、性質の悪い冗談にしか聞こえなくなってしまいました。

  おおっと、こんな事に行数を費やしている場合ではないですな。 早く、書いてしまわねば。 考えてみれば、沖縄旅行から帰ってから、かれこれ、ひと月近くになるわけですが、その間、何をして過ごしていたのか、俄かには思い出せません。 旅行記だけ、さっさと書いてしまえば、土壇場になって、こんなに苦労せずに済んだものを・・・。 夏休みの宿題に追い込まれる小学生か?


≪ホテルの朝≫
  7月25日(金)です。 5時頃、起きました。 目覚まし時計は、一応、かけて眠るのですが、眠りが浅いせいで、鳴る前に目が覚めてしまうのが、普通でした。 前の晩、洗ったズボンが、穿ける程度に乾いている事を確認し、ほっとしました。 使いたい放題のエアコンと、ハンガーを掛けても、びくともしなかった、丈夫なランプ・シェードのおかげですな。

  この日は、貸切タクシーに、初めて乗ります。 予定表に挙げてあった石垣市街地の観光地は、前々日に、徒歩で見て回ってしまいましたから、それ以外の所へ行って貰わなければならないのですが、こちらの頭に、観光地の名前が馴染んでいないので、スイスイ、口から出て来ない事が予想されます。 で、部屋にあったメモ用紙に、石垣島北部の観光地名を、ざっと、書き出しました。

・ バンナ岳
・ 御神崎灯台
・ 川平湾
・ 米原ヤエヤマヤシ林
・ 吹通川のマングローブ林
・ 平久保崎灯台
・ 玉取崎展望台

  といった所。 これらの観光地を巡ると、石垣島の北半分の海岸線を、ほぼ、回れる事になります。 断っておきますと、あくまで、とりあえず書き出しただけであって、これらの場所について、私が何か詳しい事を知っていたわけではありません。 書いておいた方が、運転手さんに、説明し易いだろうと思っていただけです。

  7時に朝食に下りましたが、朝は必ず、バイキング。 この日は、一際、混んでいました。 バイキングは、気楽ですが、この人混みだけは、慣れませんなあ。 見えないけれど、埃もたくさん、舞っている事でしょう。 このホテルでの、最後の食事という事になりますが、感慨はほとんどなし。 とにかく、早く食べて、この雑踏から脱出する事しか頭にありませんでした。 料理は、うまかったですけど。

  昨夜から、映らなかったBSプレミアムですが、一晩経っても、回復せず。 ≪こころ旅 朝版≫が、2014年春の旅の最終日なんですがねえ。 さりとて、電波状態が悪いというのでは、フロントに言っても、改善しますまい。 まして、あと、1時間くらいで出て行く身では、そんな事を頼めはしません。 やむなく、また、難視聴対策電波チャンネルの、画質極悪映像で見て、よしとしました。

  荷物を纏めます。 洗面台付近、クローゼット内、応接セット付近など、何回も見直して、忘れ物がないか、チェックします。 ホテルの部屋には、机や鏡台に、引き出しがついている所がありますが、引き揚げる時に、忘れ物を避けるためには、極力使わないのが無難です。 どこに引き出しがあったかを忘れるという危険性もあるわけで、そうなると、チェックのしようがありません。 見た目、だらしないようでも、鞄から出す荷物は、全て、見える所に置くべきでしょうな。

  貸切タクシーは、9時からなので、8時40分には、部屋を出て、一階へ下りました。 フロントで、チェック・アウトを頼むと、「外線電話をかけましたか?」と訊かれたので、「かけません」と答えたら、「追加料金はありません」と言われて、それで、放免されました。 なるほど、ホテルのチェック・アウトというのは、こういう、簡潔にして、素っ気無いものなのだな。


≪貸切タクシー≫
  外に出ると、ホテルの駐車場に、すでに、タクシーが来ていました。 持っているクーポン券に、タクシー会社の名前が入っているので、それと分かる次第。 運転手さんに声をかけ、こちらの名前を言って、間違いない事を確認したのですが、まだ、8時45分で、早過ぎるので、海岸の方で、待つ事にしました。 こちらは遊びですが、向こうは仕事ですから、時間通りに出発しなければ、まずかろうと思ったのです。

  海岸で、所在なく待つこと数分、8時55分を過ぎた頃に、運転手さんが呼びに来たので、乗車しました。 旅行鞄は、トランクに入れるのが普通らしいですが、私は一人客ですし、チケット・クーポン類を入れた封筒が、旅行鞄のポケットに入っていたので、後席右側に置かせてもらう事にしました。 私は、後席左側。 貸切タクシーのクーポン券を、運転手さんに渡しましたが、領収書のようなものはありませんでした。

  この運転手さんは、50代後半くらいだったでしょうか。 私より歳上なのは、確かだったと思います。 早速、どこへ行くかという話になったので、「市街地の観光地は、一昨日、徒歩で回ってしまったので、北の方へ行って欲しいんですが・・・」と言って、朝書き出したメモを見せたのですが、見るなりいきなり、「時間的に、平久保崎は行けない。 玉取崎も無理」と、半分、切り落とされてしまいました。 石垣島半周計画は、早くも挫折・・・。

  で、とりあえず、バンナ岳へ向かう事になり、走り始めたのですが、その間、≪石垣やいま村≫へ行くように、しきりに勧められました。 石垣やいま村というのは、古民家を集めた、民俗村のような施設です。 私は、そこのクーポンを持っていないので、入るとなったら、自腹になります。 それが嫌で、最初は、適当に、はぐらかしていたのですが、あまり熱心に勧めるので、「ああ、貸切タクシーというのは、こういうものなんだな」と、こちらが考えを改め、勧めに従う事にしました。 この運転手さんとは、この後、三時間半、行動を共にするわけで、ここで気分を害しては、まずいと判断した次第。


≪バンナ岳≫
  そんなやりとりをしている内に、バンナ岳の展望台に着きました。 なに、石垣市街地から、見えるくらいの距離にある山ですから、すぐなのです。 車で、展望台の、すぐ下まで行けます。 標高、230メートル。 ちなみに、石垣島の最高峰は、≪於茂登岳(おもとだけ)≫で、標高525.5メートル。 石垣島は、南半分が平地と傾斜地で、北半分が山地なのですが、バンナ岳は、南半分の方に、ちょこんと独立している山です。

  展望台は、≪エメラルドの海を見る展望台≫と、≪渡り鳥観察所≫の、二ヵ所に行ったのですが、どちらも、眺めは良かったです。 逆に言うと、どちらも同じくらいの眺めなのだから、二ヵ所行く必要はなかったとも言えますが、なにせ、運転手さん任せなので、致し方なし。 あれこれ注文をつけるほど、こちらに、石垣島についての知識がないですし、是が非でも行きたいという所もなかったので、全面的に任せるのが無難だと思うようになっていました。 私が、心配していたのは、自腹金額の事だけです。

  この時、運転手さんの頭の中では、3時間半をどうやって潰すか、計算中だったと思われます。 平久保崎の方に行く必要はなくなり、その代わりに、石垣やいま村が入って、運転手さん的に、スタンダードなコースに近付いたものの、私が、「川平湾で、グラス・ボートに乗るつもりはない」などと言ったものだから、時間の調整が難しくなったのでしょう。 時間が余っても困るので、バンナ岳で、もう一ヵ所、展望台に寄っておこうと考えたんじゃないでしょうか。

  まだ、台風の影響が残っていて、空の半分は雲が覆っていたものの、厚い雲ではなく、日が射している方は、沖縄の海独特の、エメラルド・グリーンとコバルト・ブルーのグラデーションが、はっきり見えます。 島の南の方に、石垣市街地が白っぽく見えて、それ以外の平地・傾斜地は、サトウキビ畑の緑か、さもなけば、赤茶けた土で覆われています。 残りは、緑の色が濃い、山ですな。 運転手さんに、「米は作っていないんですか?」と訊いたら、作っていないどころか、年に三回か四回作っているとの答え。 言われて、よく見ると、バンナ岳の北側の方の平地に、田んぼの水面が反射するのが見えました。 しかし、畑に比べると、ほんのちょっとです。

バンナ岳からの眺め。



≪石垣やいま村≫
  島の西の方の、海岸沿いにあります。 バンナ岳からは、15分くらいだったでしょうか。 入村料は、本来、大人840円ですが、観光タクシーで来ると、運転手さんの顔で、団体料金の、650円になるとの事。 それは助かる。 とにかく、私の頭の中は、自腹金額を低く抑える事でいっぱいだったのです。 運転手さんは、顔を見せるために、入村券売り場まで案内してくれましたが、様子を見るに、係の人とは、ツーカーの関係にある様子。 つまり、客を連れて来るから、その代わりに安く入れてくれるよう、取り決めが出来ているんでしょう。

  最初から、ここへ来るつもりでいた客には、ありがたい取り決めですが、私の場合、そうではなかったので、安くはなったものの、何となく、釈然としないものが残りました。 しかし、入ると決まったからには、払った分だけ、見尽くさねばなりません。 運転手さんと話して、滞在時間は、一時間という事になったのですが、今までの経験から考えて、こういう施設は、二時間くらいかけて見るのが普通ですから、一時間では、かなり駆け足で回る事になります。 蒸し暑い中、駆け足は敵わんなあ。

  中は、想像した通りの、民俗村でした。 ただし、本州・四国・九州のそれとは、趣きがだいぶ違っていて、さすが、琉球文化圏、独自文化の香りが濃厚です。 民俗村をテーマ・パーク化したら、こんな風になるんじゃないでしょうか。 古民家が6軒、移築されていて、その建物の中を利用して、「家あそび体験」、「サーターアンダギー作り」、「漆喰シーサー色付け」、「島ぞうりアート」、「貝のお守り作り」、「琉球衣装体験」など、各種体験コースを楽しめるという形。 ただし、私は、土禁が嫌いなのと、時間がなかったのが理由で、体験は全て、パスしました。

  私が、石垣やいま村を、当初の目的地から外していたのには、自腹以外にも、わけがあります。 旅の後半で回る沖縄本島で、≪琉球村≫に、≪おきなわワールド≫と、同類の施設に、二ヵ所も行く事になっていたからです。 それは、私が決めたのではなく、○△商事の担当者が決めたのですがね。 で、石垣やいま村まで行くと、同類施設、三ヵ所になってしまうわけで、「カブり過ぎにも程がある」というわけだったんですな。

  入ったのは、9時45分くらいでした。 10時から、中心的な家屋で、民謡の演奏があるというので、15分間で、古民家を三軒見ました。 10時に、民謡演奏を聴きに行きましたが、演奏者の方は揃っているものの、客が誰もいません。 さすがに、一人で聴く勇気がなく、もう一軒、古民家を見に行き、戻って来たら、座敷に上がっている客が一組いて、もう演奏が始まっていました。 これなら、何とか、いられます。 しかし、何せ、土禁嫌いなので、縁側に座り、体を捩って、中を見る格好になりました。

  一人よりはマシですが、私も含めて、四名ですから、客としては、少な過ぎます。 そして、ここでも、「手拍子問題」が、発生すべくして発生しました。 つまり、沖縄県民以外には、琉球音楽のリズムが分からなくて、曲と手拍子が合わないのですよ。 何せ、客数が少ないので、私も叩いていましたが、どうにも合わせられない。 合わせられないくせに、合っていない事だけは分かるから、冷や汗たらったらです。 蒸し暑かったので、尚更たらたら・・・。

  琉球音楽の魅力は、十二分に理解できるので、演奏と歌だけ聴ければ、どれだけ良かったかと思うのですが、またまた、困った事に、琉球音楽というのは、その場にいる全員で、歌って踊って盛り上がるのが、本来の楽しみ方で、静かに耳を傾けるという作法ではないのです。 演奏の前に、「手拍子が合わせにくかったら、ただ聴いていただくだけでも結構ですよ」と言ってくれれば、実にありがたいのですが、そうもいかんか・・・。

民謡の演奏。


  その内、もう二組、客が増えたので、時間がない私は、三曲聴いたところで、失礼しました。 すでに、10時15分を回っていて、残りは、30分しかありません。 やはり、この規模の施設を、一時間では厳しい。 一番見たかった、マングローブ林に行きます。 石垣やいま村は、西側が海に面しているので、マングローブ林も、施設内に含んでいるのです。 潮の干満によって、海水と淡水が入り混じる所を、「汽水域」というのですが、マングローブというのは、そこに生える木本の植物の総称です。 個別の種類としては、オヒルギとか、ヤエヤマヒルギなど。 テレビでは、西表島のマングローブ林が、よく出ます。

  マングローブ林の中を、幅の広い木道が通っており、どんな靴でも、問題なく行けます。 私が行った時には、引き潮で、泥の海底が露出しており、木々の根の様子が、よく分かりました。 仔細に観察すれば、カニやハゼなど、小動物も見れたと思うのですが、時間がないので、粘るのはやめ、次へ。

マングローブ林。


  カンムリワシのケージあり。 カンムリワシは、石垣市の市の鳥で、具志堅用高さんの異名でもあります。 中を見ると、一羽、カラスくらいの大きさの個体が、止まり木に止まっていました。 さすがに、猛禽だけあって、眼光は鋭かったですが、左の羽根を怪我していて、治療中との事。 また、飛べるようになればいいですな。 近くに、水牛池あり。 水の中に、一頭いましたが、前日、小浜島のリゾート施設で見たのと同じく、微動だにしませんでした。 どうも、水牛というのは、水の中に入ると、動く気をなくすようですな。

  村の海よりにある林の一部が、フェンスで仕切られていて、「リスザルの森」という名前が付いています。 リスザルは、沖縄とも石垣島とも、何のゆかりもなく、「南米原産 ボリビアリスザル」と書いてあります。 ただ、気候が近いというだけの理由で、飼っているようですが、子供客を呼ぶために、多大な期待をかけているのは、村のキャラクターが、「やいまるくん」というリスザルである事からも窺い知れます。

  動物園のバード・ケージのように、出入り口にフェンス・ドアが設けてあります。 中に入ると、うじゃうじゃというほどではありませんが、一目十匹くらいの密度で、あちこちで、ちょこちょこと動き回っていました。 「鞄を開けたままにしない」、「ポケットに物を入れない」、「肩の上に乗ってくる事がある」、「服が汚れても補償しない」といった注意書きがありましたが、私が入った時には、どいつもこいつも、エサに夢中で、人に悪さをするゆとりなどない様子でした。

  子供を負ぶった母猿どもが、数匹固まっていると、もはや、猿だか毛玉の塊だか、形が判然としません。 自販機でエサを売っていましたが、子供の頃、西伊豆の波勝崎で、エテ公に食べ物を取られて以来、筋金入りの猿嫌いを貫いている私は、もちろん、サルモンキーにエサなどやったりしません。 サルが! サルのくせに! サルの分際で! リスザルではなく、サルリスだったら、また、話は別ですが・・・、そんなの、存在しないか。

カンムリワシ(左)/リスザルの塊(右)


  ここで、10時40分。 ひえ~、厳しい観覧だった。 早く、戻らねば。 タクシーに乗ると、エアコンが利いているので、しばらく、極楽気分になります。 ちなみに、客が施設に入っている間、運転手さんが何をやっているかというと、車の中で昼寝したり、タクシー運転手の詰所があれば、そこで、同業者と話をしたりしているようです。 これまた、貸切タクシーに乗ってみて初めて分かった事ですが、運転手さん側にしてみると、客が、一つでも多く、観光施設に入ってくれる方が、ありがたいのです。 その間、休んでいられるわけですから。 気づかなかったなあ。


≪御神崎(おがんざき)≫
  朝書いたメモでは、≪御神崎灯台≫になっていましたが、灯台には近付かなかったので、御神崎とした方が、妥当ですな。 石垣島の北西部に、≪屋良部半島≫というのが突き出しているのですが、その更に北西の突端にある岬。 ここが、凄かった。 予備知識ゼロで、運転手さんも、何も言わずに、さりげなく走っていたので、こんなに凄い所だとは思わず、完全に虚を突かれた格好になりました。 今回の沖縄旅行、全部を通しても、自然風景としては、トップに挙げないわけには行きません。

  一口で言えば、海に突き出た岩山なのですが、そのスケールが半端ではありません。 こんな巨大な岩山は、日本全国探しても、滅多にお目にかかれるものではないと思います。 比較物がないので、写真では、大きさが伝わらない。 行って、肉眼で見るしかありません。 行くと、岩山の圧倒的な存在感に、魂が消し飛んで、灯台なんか、どうでもよくなってしまいます。 鬱病患者でも、テンションが上がる。 死人でも、目が覚める。

御神崎。


  もっとも、運転手さんは、何度も来て、見慣れているせいか、私の感動が、大袈裟に見えているようでした。 岩山の上は、本来、立ち入り禁止らしいのですが、その立て札がなくなってしまって、観光客が、攀じ登っていました。 ゆったりしたワンピースを着た女性が、登ったはいいが、下りる途中で、下から風に煽られて、スカートが広がるのを抑えるのに、大わらわ。 下りるに下りられずにいる様子を見て、運転手さんが、思いっきり、馬鹿にしてました。 「なんで、あんな格好で、あんな所に登るかねえ・・・」

  そういえば、この岩山が見える場所まで行く小径が、腰くらいの背丈で、葉に棘のある植物の群落を貫いたのですが、そこを通る前に、運転手さんから、両手を上げて歩くように言われました。 服を介して当たる分には、痛くないのです。 半ズボンやスカートで行った人は、たまらなかったでしょうな。 こういう時、地元の人がガイドについていると、危険を未然に避けられます。 そういえば、石垣島には、ハブがいるから、藪には入らないようにと、藪のそばを歩くたびに言われました。


≪川平湾≫
  ここは、石垣島で、最も景色が良い事で有名。 39年前のガイド・ブックにも書いてありました。 名だたる名所というわけ。 行ってみると、確かに、素晴らしい。 絶景とは、この事ですな。 多島海で、湾内に小島がたくさんあるのですが、潮の干満の分、波に浸食されて、島の裾周りが抉られています。 それが、単なる多島海以上の奇観を作っているんですな。 ここに関しては、私が勧めなくても、石垣島に来た観光客は、みんな見に来るでしょう。

川平湾。


  グラス・ボートが、何隻も、砂浜に前端だけ乗り上げる格好で、着けられています。 岸壁も、桟橋もないので、「着岸」とは言えないし、「着けられている」としか表現のしようがありません。 お客は、船首から、梯子を使って、乗り降りしている模様。 グラス・ボートというのは、珊瑚礁を見るために、船底にガラスを張った船の事です。 川平湾の名物で、ここに来る観光客は、ほとんどが乗るのだとか。 しかし、運転手さんが、くどくは勧めなかったので、自腹を恐れる私は、やはり、乗りませんでした。


≪八重山そば≫
  グラス・ポートに乗らなくて良かったと思う出来事が、その直後ありました。 朝、出発前に、「空港に着く時間が、13時なので、昼食は抜きにしたいんですが」と言って、一応、了解を得ておいたにも拘らず、運転手さんが、昼食を勧めて来たのです。 話の持ちかけ方からして、「これは、本気だぞ。 たぶん、グラス・ボートを飛ばした分、昼食で、時間調整をしたいのだな」と見た私は、「安い店があれば・・・。 予算は、千円です」と断った上で、承知しました。 この時点で、私は、貸切タクシーの利用方法について、大体のコツを会得しており、「運転手さんが強く勧める所には、素直に行った方がいい」と考えるようになっていました。

  で、連れて行かれたのが、「八重山そば」の店。 今、地図を見ながら、位置を特定すると、川平湾から、米原ヤシ林までの間で、県道79号線から、ちょっと山側に入った、小高い所にある店でした。 八重山そば自体は、前日に、小浜島のリゾート施設のレストランで、ちょっとだけ食べていたのですが、その時は、八重山そばというのが、何なのか、よく分かっていませんでした。 この店に来て、ようやく、本格的なものを食べられた次第。 750円のセットを頼んだので、御飯、味噌汁付きでしたが、たぶん、八重山そばだけでも、一食に充分だったと思います。

  で、「八重山そば」とは何かというと、蕎麦粉を使う蕎麦ではなく、小麦粉を使う、ラーメンの麺に近い麺なのですが、断面が丸くて、ラーメンより太く、歯応えがあります。 スープは、薄く黄色みがかっていますが、塩ラーメンのようなしょっぱさはありませんし、豚骨スープのようにこってりもしておらず、あっさり味です。

  この時点では、知らなかったのですが、沖縄本島の「沖縄そば」、宮古島の「宮古そば」も、ほぼ似たような製法で作られる、地域バリエーションだとの事。 まあ、一番、簡単な説明としては、「中華そば」の沖縄版があり、その中の、八重山諸島のバリエーションを、「八重山そば」と呼ぶ、といったところでしょうか。

  これら、御当地そばが、普及しているせいか、沖縄県では、どこへ行っても、ラーメン屋が見当たりません。 実際、御当地そばを食べてみれば分かりますが、これに慣れてしまうと、ラーメンは、麺は粘り過ぎ、スープはくど過ぎで、食べられないと思います。 逆に、ラーメンを食べ慣れている人間は、沖縄の御当地そばを、抵抗なく食べられます。 そして、たぶん、大多数の人が、素直な感想として、「ラーメンより、うまい」と感じると思います。 麺の食感だけだったら、こんなに誉めませんし、スープのあっさり度だけでも、こんなに誉めませんが、両方併せ持つとなると、その旨さを、称えないわけには行きませんな。

  食事の後、運転手さんに、「あんなに旨いのなら、全国に広まりそうなものだ」と言ったら、「パックになった製品が売っているのではないか」との返事でした。 「探してみる」と言っておきましたが、帰って来てから、見て回ったところでは、やはり、普通のスーパーでは置いてなかったです。 ただ、ネットでなら、買えるようですな。


≪米原キャンプ場≫
  予定にはない所でしたが、運転手さんが寄ったので、素直に従いました。 キャンプ場といっても、海水浴場です。 「ビキニ観賞でもして来て」と言われて、一人で、砂浜まで歩きましたが、女性はみんな、黒い長袖の水着を着ていました。 日焼け対策なんでしょうな。 時代は変わった、というか、19世紀末に戻ったような感じです。 長居しても、暑いだけなので、トイレで小用を済ませ、タクシーに戻りました。


≪米原ヤエヤマヤシ林≫
  ヤエヤマヤシというヤシが、自然林を作っている所。 山裾にあり、県道79号線から、ちょっと入るだけで、到着します。 駐車場あり、入林無料。 山道を上へ登って行きますが、距離が短いですし、傾斜も大した事はないので、脚に自信がなくても、気軽に入って行けます。

  ヤエヤマヤシは、石垣島と、西表島にしか自生していない固有種で、近縁種が他にないとの事。 25メートルまで育つと倒れてしまうとか、大きくなると、根元に、腰蓑のような、細かい根がたくさん生えて来るとか、いろいろ聞きました。 タクシーの運転手さんも、植物の事まで知っていなければならないのは、大変ですなあ。 ここでも、藪を指して、「その辺に入っていくと、ハブがいるかもしれない」と、注意を受けました。

米原ヤエヤマヤシ林。



≪石垣空港へ≫
  米原ヤエヤマヤシ林で、予定されていた観光地は、全部見終わりました。 あとは、空港まで送ってもらえば、石垣島での貸切タクシーの旅行は終わりです。 県道87号線で、山地へ入り、≪底原ダム≫の横を通って、南下。 運転手さんの話では、バブルの頃、ちょうど、このダムの建設工事が行われていて、工事関係者が、夜になると、石垣市街へ、飲みに繰り出すため、その送迎で、タクシー業界が、大いに潤ったのだとか。 「その日の稼ぎを、全部飲んでしまっていたんでしょうねえ」と言うと、「そういう時代だったからねえ」と、しばし、バブル時代に、思いを馳せている様子でした。 確かに、そんな時代でしたが。

  ちなみに、観光地から観光地へ移動する間、車内では、ほぼ途切れる事なく、会話が続いていました。 観光ガイドはもちろんの事ですが、世間話、思い出話、何でもあり。 どうやら、貸切タクシーというのは、そういうものらしいのです。 私は、どちらかというと、孤独を好む性格ですが、長年の会社勤めで、一応、会話のコツも心得ているので、運転手さんが歳上であるのをいい事に、会社の先輩と話をするような調子で、受け答えをしていました。

  この運転手さんは、観光客が増え過ぎるのを嘆いていて、レンタ・カーが我が物顔に走り回ったり、あちこちに土産物屋が出来たり、砂浜にダイバー相手の業者が車を乗り入れたりと、次第に俗化していく故郷の様子を憂えていました。 また、ニヒリストでもあり、市街地から、遥か遠く離れた所に作られたリゾート・ホテルを指して、「ああいう所は、長期滞在で、のんびり過ごす分にはいいけれど、普通のお客じゃ、周りに、店一軒ないのを見て、ビックリするだろうね」と、語っていました。

  他に記憶に残っている事というと、八重山そばの店に行く時、県道から、右折して、交差道路に入ろうとしたら、交差道路を走って来た車が、右折する為に、道路の右端に一旦停止し、こちらの入る先を塞いでしまいました。 まるで、右側通行です。 運転手さん、唖然・・・。 その車が右折して、行ってしまってから、「なんだろね、ありゃあ。 人が増えると、あんなのも出て来るのか」と、呆れていました。 「ああいう人は、教習所に行き直した方がいいんじゃないですかね」「いや、そもそも、免許なんか持ってないのかもしれない」「ああ、そりゃあ、もう、こっちの負けですな。 お見逸れしましたと、頭を下げるしかないですわ」

  そういえば、空港に向かう道に入ってから、朝、私に、「時間がないから、行けない」と言った、平久保崎方面の事について、運転手さんの方から、話し始めました。 「あっちの方に行ってたら、走り詰めに走っているだけで、じっくり見れる所がなくなってしまうからね」と言うので、「そりゃ、そうですね」と相槌を打っておいたのですが、なぜ、そんな事を言い出したのか、推測するに、つまりその、運転手さん、私と会話を続ける内に、結構、話し相手になる人間である事が分かり、私に対する評価点を、少し上げてくれたのでしょう。 で、朝、「行けない」と言って、断ってしまったコースについて、「実は、行くだけなら行けたんだが・・・」と、正直なところを、それとなく漏らしたんじゃないかと思います。

  私も、内心、そう思っていたので、それを聞いて、すっきりしました。 たぶん、石垣やいま村、昼食、米原キャンプ場などを抜けば、回れたはずです。 ただし、その場合、本当に走り詰めになるから、燃料代は、3倍くらいかかったんじゃないかと思います。 時間契約なので、タクシー会社側としては、走行距離が短いほど、得になるわけで、この点に関しては、運転手さんが私に、圧勝した事になりますな。 しかも、最終的に、正直なところを話して、客に不快感を残さない手並みも、鮮やか。 さすが、プロだ。 こうでなければ、客商売はできんな。

  石垣空港に着いたのは、予定通り、きっちり、午後1時30分でした。 お礼を言って、別れました。 たぶん、もう、会う事はないでしょう。 観光貸切タクシーだったせいか、車内に名札が出ていなかったので、名前も知らずじまいでした。 そもそも、私は、石垣島にも、もう来れないと思います。


≪石垣空港≫
  三日前、下り立った時には、路線バスの乗り場が気になって、空港を見て回るゆとりがありませんでしたが、この時は、着いたのが、1時30分で、宮古島行きの飛行機が、2時40分発だったので、1時間10分も、時間がありました。 とりあえず、搭乗手続きだけしてしまおうと思い、RACのカウンターに行きました。 RACというのは、「琉球エア・コミューター」の略で、日本航空のグループ企業です。 チェック・イン・マシンを探しましたが、見当たらないので、係員に訊いたら、とりあえず、手荷物預かり所へ行けば、そこで、搭乗手続きをするというので、それに従いました。

  タクシーの運転手さんから、「宮古島行きの飛行機は、以前はジェットだったが、客が減ったせいで、今はプロペラ機になってしまった」と聞かされていたので、乗る飛行機が小さい事は分かっていたのですが、ここへ来たら、機内持ち込み荷物に、機体別に、サイズの上限がある事が分かりました。 荷物を載せて、大きさを計る器具が置いてあります。 私の旅行鞄を載せてみたら、乗る飛行機の規定サイズ、ギリギリでした。 手荷物預かり所の人に、現物を見せて、訊いてみたところ、「大丈夫だと思います」というので、持ち込む事にしました。

  運転手さんから、「待ち時間があるようだったら、展望デッキに上がってみるといい」と、アドバイスされていたので、その入口を探したのですが、見つかりません。 構内マップを見ると、待ち合い場の奥にあるように見えたので、保安検査場を通って、待ち合い場に入ったのですが、ここでもやはり、展望デッキに繋がる通路は見当たりません。 もう一度、マップを見直したら、どうも、他の階から、エスカレーターで上がるようになっている様子。 しかし、確かめようにも、一度、保安検査場を通ってしまったら、戻れません。 やむなく、展望デッキは諦めて、待ち合い場で、一時間待つ事にしました。

  そういえば、この空港の保安検査場は、各社共用で、搭乗券を発行する機械が、会社ごとに別になっているのですが、間違えて、全日空の機械に、航空券のQRコードをかざし、エラーを出してしまいました。 うろたえていると、係の人が代わりにやり直してくれました。 なるほど、こういう所もあるわけだ。 以後、気をつけねば。

  待っている間に、沖縄県の職員らしき女性がやって来て、「空港を利用する、他都道府県の観光客に、アンケートをお願いしている」と言われました。 その場で書かせて集めるのではなく、返信用封筒で、郵送して欲しいとの事。 断る理由もないので、受け取っておきましたが、すっかり忘れていて、一ヵ月も経つのに、まだ出していません。 まあ、出さなくても、罰は受けないと思いますが。

  一時間、ぼーっと待ちます。 不思議と、空港の待ち合い場は、待つのが苦痛になりません。 それなりのお金を払わなければ、入れない場所にいるからでしょうか。 待ち合い場にテレビがあり、やっていたワイド・ショーを、ぼんやり見ていたのですが、タレントの誰それに、浮気の疑いがあるとか、下らない事ばかりで、熱が出て来ました。 そんなの知らんがな。 他人事でんがな。 ええ加減しときー。


≪石垣島から、宮古島へ≫
  やがて、搭乗ゲートが開きました。 ボーディング・ブリッジはなくて、一旦、屋外に出て、駐機場に停まっている飛行機まで、歩いて行きます。 うーむ、確かに、プロペラ機だ。 双発で、上翼。 水平尾翼が、垂直尾翼の上に着いています。 タラップもなくて、飛行機のドアが、下向きに開いて、そのドアの内側が、階段になっています。

  中は、左右2席ずつの、4席が、10列あって、40人乗り。 機種名は、≪DHC8-Q100≫。 家に帰ってから調べたら、カナダのボンバルディア社の製品でした。 客室乗務員は、一人です。 機内に、モニターやプロジェクター・スクリーンはなくて、離陸前の救命器具の説明は、実演で行なわれました。 実演の方が、分かり易いですな。

  私が乗った席は、「9K」で、後ろから二番目の列の、右の窓側でした。 窓側は、私が搭乗手続きの時に選んだのですが、不思議な事に、またしても、私の隣の席は、空席でした。 ついてるな。 この席の窓からは、右のエンジンの後ろ半分が見えます。 エンジンの下から、脚が出ているので、それも見えます。 エンジン・カバーを見ると、そこそこ、くたびれている感じ。 いや、それ以前に、外板の切り方や、リベットの打ち方に、手作り感がありありと窺えました。 不安は高まる一方です。 最初に小さい飛行機に乗って、少しずつ、大きいのに移って行けば、なんでもないのでしょうが、私の場合、その逆だから、不安になるなという方が、無理ですな。

  ところが、離陸してみると、振動も騒音も、大型ジェット旅客機と、ほとんど変わらないではありませんか。 これは、意外でした。 むしろ、軽々と飛び立つ様子は、ジェット・エンジンの力で、強引に機体を持ち上げる大型機より、安心感を覚えるほどです。 「ガコン!」という感じで、脚を引き込み、高度を上げて行きます。 このクラスの飛行機は、大型機より、飛ぶ高度が低く、5000メートルくらいを飛んでいると、機長が機内放送で、言っていました。 それでも、雲の上ですが、海の波がはっきり見えます。

  飛行時間、僅か、25分。 もちろん、ドリンク・サービスはなし。 その代わり、飴を配っていました。 水分は、自分の唾液で賄えという事ですな。 二種類あって、一つ取ったら、もう一つも勧められたので、結局、二種類取りました。 ポスト・カードもくれるようでしたが、そちらは、遠慮しておきました。 今頃になって、「荷物になるようなものでもないし、貰っておけばよかったかな~」と思うのですが、後の祭り。

  宮古島に近付きますが、先に、目に入って来るのは、宮古島の北東にある、伊良部島です。 伊良部島にも空港があるので、紛らわしいです。 通り過ぎてしまって、ようやく、違う事に気づく次第。 宮古空港は、島の西側の、少し内陸に入った所にあります。 やがて、着陸。 すぐそこに、脚が見えるので、タイヤが接地する瞬間が怖かったです。 しかし、台風の真っ最中に、≪B767-300≫で石垣島に下りた時よりは、ずっと安定した着陸でした。 当たり前か。

RACの、ボンバルディア≪DHC8-Q100≫。



≪宮古空港≫
  宮古空港でも、ボーディング・ブリッジはなし。 ターミナルまで、歩きました。 そもそも、≪DHC8-Q100≫は、背丈が低いので、ボーディング・ブリッジもタラップも、着けようがないんですな。 宮古空港は、大きな空港で、赤瓦を葺いた屋根が、複雑に組み合わさっています。 このデザインは、おそらく、文句なしで決まったのではありますまいか。 厳密に言えば、琉球建築の様式ではないわけですが、充分に、それらしく見えますし、何より、巨大建築に不可欠の、威厳があります。

宮古空港。


  私が空港に下り立ったのが、3時15分。 ホテルの送迎バスが、空港を出たのが、3時ちょうど。 間に合わなかったか・・・。 というか、間に合わない事は、予定段階で分かっていたんですがね。 次の送迎バスは、なんと、5時15分です。 2時間待ちだ~・・・。 一応、路線バスを探してみましたが、見つかりませんでした。 もっとも、無料の送迎バスがあるのに、路線バスに乗るほど、私の吝嗇度数は低くありません。 時間があったから、一応、探してみただけです。

  送迎バスは、待てば来るから、まだいいのであって、当初、○△商事の日程表では、宮古空港から、ホテルまでは、タクシーで行く事になっていたのです。 もちろん、自腹。 冗談じゃないよ。 いくらかかると思っているんだ。 そこで、自分で調べたら、ホテルの送迎バスがあるじゃありませんか。 まったく、人任せにはできません。 バス乗り場の地図と、時刻表をプリントして来て良かった。 かなり、大雑把な地図でしたが・・・。

  外で待っていても、暑いので、ターミナルの中に入り、到着ロビーの椅子に陣取って、5時頃まで、日記を書いていました。 この日は、石垣島の分だけでも、ごちゃまんと、いろんな事がありましたから、日記も膨大な文章量になってしまいます。 ここで、ここまでの事を書いてしまえば、ホテルに着いてから、夜の日記書きが、ぐっと楽になるのです。


≪ホテルへ≫
  やがて、5時になったので、外に出て、バス乗り場へ行きました。 私の他に、家族連れが一組、待っていました。 子供に、迷惑をかけられないように、距離を置いて、待ちます。 そこへ、ホテルの送迎バスがやって来ましたが、どうも、ホテルの名前が違うような気がします。 運転手さんに確かめると、私が泊まるホテルにも行くとの事。 バスに名前が書いてあるホテルと、私が泊まるホテルは、同じ会社が経営していて、互いに近くにあるようです。

  5時15分に出発。 何せ、西に来ているので、日暮れまでの時間は、まだ、充分にあります。 バスは、サトウキビ畑の中を通って行きます。 ホテルは、宮古島の南岸にあるので、空港からだと、まっすぐ南下する形になりますが、宮古島の中心市街地は、北東の方にありますから、バスの窓からは、農地しか見えませんでした。 宮古島は、平らな事で有名で、山の緑も見えません。


≪ホテル≫
  5時40分に、ホテルに到着。 下りたのは、私だけ。 多いな、このパターン。 ホテルの外観を撮影してから、中に入ったのですが、ロビーは狭く、フロントは小さくて、正直な感想、「ボロい」とか、「しょぼい」とか、そんな言葉しか浮かんで来ません。 また、フロントの係員が、一人しかいないので、お客が、ちっとも捌けません。 これは、イライラするわ。

  ようやく、私の番が来ました。 チェック・インの手続きは、すんなり行きましたが、その後の、食事の方式が、さっばり、理解できませんでした。 フロント係の話を要約すると、

・ このホテルは、大きなリゾート施設の一部である。
・ このホテルは、長期滞在者向けの、宿泊専用なので、レストランはない。
・ 夕食・朝食を予約してある人は、リゾート内にあるレストランに行ってもらう。
・ レストランの幾つかは、隣のホテルの中にある。
・ 隣のホテルや他のレストランに行くには、シャトル・バスが出ている。
・ 夕食は、レストランの予約が要る。
・ 朝食は、バスの予約が要る。

  なんじゃ、そりゃ? 理解できるか、そんな複雑なシステム! もう、真っ青ですな。 えらい所に来てしまった・・・。 とりあえず、4階の部屋に行きました。 エレベーターはありますが、どうも、全体的に、ボロいです。 廊下は、片側に壁が無くて、なんだか、アパートみたいな作りです。 日記には、「収容所のようだ」と書いてありますが、後になって考えると、それほど、ひどくはなかったです。

  部屋の中に入ると、一転、広々していて、「さすが、長期滞在者向けだ」と思うような設備が整っていました。 キッチンが付いていて、2ドア冷蔵庫と電子レンジ、電気ポットが置いてある他、電熱ヒーター用に薬缶もありました。 トイレは独立していて、浴室には、バスタブとは別に、洗い場があり、洗面所も別。 水回りだけ見ると、夫婦者向けの、小ぶりなマンションという感じです。

  寝室はツイン。 鏡台と机が兼用。 応接セットは、テーブルと、椅子が一脚しかないですが、その代わり、昼寝専用みたいな、ソファともベッドともつかない家具が置いてありました。 他に、テレビ台の上に、液晶テレビ。 ケーブル・テレビを入れているらしく、テレビの下にセット・トップ・ボックスがあり、リモコンは、そちら用しか置いてありません。 地デジとBSが映ります。 そんなところですか。

ホテルの部屋。


  窓からは、海と、すぐ隣にある、≪ドイツ村≫という観光地の、お城が見えます。 この点は、石垣島のホテルより、格段に上。 概ね、部屋は、宜しいわけですな。 もっとも、それは、しばらく経ってから、思い始めた事で、入った直後は、とにかく、食事の方式が理解できず、ストレス死するんじゃないかと思うほど、不安でした。

  食事そのものを、パスしてしまうという手もあるのですが、今回の旅では、食事代に、一食3000円以上使っている事を知っていたので、吝嗇家としては、その権利を捨てる事など、できたものではありません。 とりあえず、隣のホテルにあるという、バイキング専門のレストランに目星を着け、このホテルにいる2泊3日分の全食事を、そこで済ます事にしました。 食券が無駄にならなければいいわけで、この際、食べ物など、何でも宜しい。

  朝食の時間を調べたら、レストランが開くのは、7時。 それなのに、バスの始発は、7時55分になっています。 その事について、フロントに下りて、訊いてみたら、「必要なら、特別に、バスを出します」と言われました。 いやいやいや、そうまでしてもらう程の事でもありません。 「歩いたら、どのくらいかかりますか?」と訊いたら、「10分くらいです」との事。 それなら、朝だけ、歩いてもいいでしょう。

  一度、部屋に戻り、荷物を展開しました。 その後で、夕食の予約をしようと、フロントに内線をかけたら、レストランに繋ぐとの事。 ところが、繋がった先は、隣のホテルで、そこから更に転送されて、レストランへ繋ぐという煩雑さ。 しかも、途中で切れてしまいました。 フロントにかけ直したら、今度は、フロントが出ません。 四回くらいかけ直して、ようやく、フロントに繋がり、レストランまで、話が通りました。 どんどん、憔悴します。 えらい所に来てしまった・・・。

  レストランの予約は、7時40分にしました。 半端な時間なのは、バスに合わせたからです。 バスが来るのは、7時35分。 ≪こころ旅 とうちゃこ版≫、2014年春の旅・最終日が、7時から7時30分までですが、全部見ていたら、バスに遅れるので、5分早く切り上げて、下に下ります。 下りるなり、バスがやって来ました。 慌てて、乗ります。 ところが、それは、東回りのバスで、下ろされてしまいました。 リゾート内バスには、西回りと東回りがあり、隣のホテルに行くには、西回りに乗らなければならないのです。 どこまで、ややこしいのか・・・。 西回りのバスは、ほぼ、時間通りに来ました。

  隣のホテルまでは、5分です。 レストランの場所は、一階の奥で、直ぐに分かりました。 すでに、大混雑しています。 係の人に、夕食券を渡すと、席まで案内してくれました。 二人掛けの席に、「食事中」と書いた札を置いてから、料理を取りに行きます。 予約しているのに、なぜか、伝票も置いて行かれました。 料理は、バイキングですから、石垣島のホテルの朝食と似たり寄ったり。 頭が混乱していても、腹の方は食べたいらしく、満腹してしまいました。 食べ終わったら、「食事中」の札と、伝票を持って、受付に返して、おしまいです。

  家に電話をする為に、隣のホテルで、公衆電話を探したのですが、見つけられず、フロントで訊いたら、苦笑いと共に、「公衆電話は、ちょっと・・・」と言われてしまいました。 ないんですな、つまり。 バスを待つのが馬鹿馬鹿しくなり、暗い夜道を歩いて、自分のホテルまで帰りました。 所要時間は、8分くらいでした。 自分のホテルのフロントでも、公衆電話について訊ねましたが、やはり、ないとの返事。 これは困った。 しかし、子供じゃないんだから、一日くらい、電話を入れなくても、大丈夫でしょう。 後で、気づいたんですが、公衆電話がない代わり、部屋の電話で、外線にかけられるのです。 ただし、それは、チェック・アウトの時、別料金を取られます。

  部屋に戻って、洗濯。 もう、へとへとですが、やる事はやらなければ、眠れません。 その後、シャワーで風呂。 そうそう、このホテルで分かったのですが、石垣島のホテルで、バスタブにかけてあったタオルは、タオルではなく、足拭きマットだったのです。 タオルそっくりの布だったから、分からなかったのです。 このホテルでは、いかにも足拭きマットらしいのが掛かっていたので、すぐに、それと分かった次第。 いやあ、足拭きマットで、体を拭いたりしなくて、良かったですわ。 知らないというのは、恐ろしい事です。

  浴室の洗い場には、「ボディー・ソープ」、「シャンプー」、「コンディショナー」のボトルが並んでいましたが、慣れない事とて、シャンプーで体を洗ってしまい、いつまで流しても、ぬるぬるして、気持ち悪いったらありません。 結局、ボディー・ソープで、洗い直しました。 ああ、疲れてるってーのになー。 いや、疲れているからこそ、こういう、ミスをするのでしょうか。

  このホテル、つくづく、良し悪しです。 少なくとも、2泊3日くらいの短期滞在者は、予約して来た段階で、ホテル側で、断った方がいいんじゃないでしょうか。 最短でも、一週間はいないと、あの複雑な食事システムを、使いこなせますまい。 キッチンで、自炊するにしても、近くにスーパーはないのであって、どこで食材を買ってくるのか、首を捻ってしまいます。 車がなければ、お手上げですな。



≪四日目、まとめ≫
  この日は、めくるめく、いろいろな事が起こりました。 貸切タクシーは初めてでしたし、プロペラ機も初めて。 とどめに、ホテルが、こんな感じで、とてもじゃないが、一日で処理するには、脳のメモリーが足りません。 日記を空港で書いておいて良かったです。 ホテルに着いた後の分だけでも、相当なページ数になってしまいましたから。 この日の朝、まだ、石垣島のホテルにいたというのが、信じられませんでした。

2014/08/24

小浜島と竹富島

  沖縄旅行記の続き。 7月24日(木)、旅行の三日目ですな。 ・・・それにしても、ペースが遅い。 週に一回しか更新しないのに、一回に一日分では、10日間の旅行記を公開するのに、10週もかかってしまいます。 まあ、いいか。 どうせ、旅行記を書き終ってしまったら、その後は、記事のネタがなくなる事だし。 


≪ホテルの朝≫
  6時に起きました。 家の自室では、扇風機オンリーで夏を乗り切っているのですが、ホテルは、エアコン・オンリーとなり、「冷房」で夜通し点けておくと、明け方、冷え過ぎて、風邪を引いてしまいます。 そこで、「除湿 弱」にしたのですが、それでも冷えるので、リモコンをベッドの近くに置いて、夜中に切ったり点けたりしていました。

  それにつけても、浴衣は、始末が悪い。 寝返りを打つたびに、ベッドの中で裾が捲れ上がり、程なくして、下半身は、パンツ一枚になってしまいます。 夜中に尿意で目覚めた時にも、トイレで裾を捲るのが面倒で、一旦、浴衣を脱いでから、行っていました。 鞄の大きさにゆとりがある人は、薄手のパジャマを持って行った方が、断然、快適に過ごせると思います。 どうせ、ホテルの場合、浴衣のまま、部屋から出るという事はできないのですから。

  朝食に関しては、前日と同じバイキングで、特に変わった事はありませんでした。 コツが分かって来たので、一度に、トレイに、全部載せようとせず、メインの料理と、ご飯、味噌汁だけ取って、一旦、席に置いてから、飲み物やデザートを取りに行くようにしました。 食べる前に、複数回、取りに行くのは、OKでしょう。 問題は、食べた後で、また取りに行くという行為でして、別に咎められるわけではありませんが、「食事中」の札がない所では、再度取りに行っている間に、箸やおしぼりなどを、片付けられてしまう恐れがあります。

  離島ツアーは、船会社が運営していて、送迎バスが、予約者が泊まっているホテルまで、迎えに来てくれます。 9時50分に来るとの事。 それまでの時間に、荷物を片付けて、旅行鞄の中に入れました。 とはいえ、離島ツアーに旅行鞄を持って行くわけではなく、この日は、部屋の掃除に入ってもらわなければならなかったので、荷物を展開したままだと、都合が悪いと思ったからです。 

  このホテル、部屋に金庫は無く、「貴重品は、フロントに預けて下さい」との事でしたが、私の場合、貴重品というと、現金、カード、免許証、健康保険証、チケット・クーポンの類だけで、ナップ・ザックに、余裕で収まったので、預けるほどの事はありませんでした。 そもそも、清掃係が信用できないのなら、フロント係だって、同じホテル側の人間ですから、信用できる保証はないのであって、あまり意味が無い話。 金庫があっても同じ事で、金庫の開け方をホテル側が知っているのなら、やはり、意味はありません。

  残していく荷物の中で、最も高価そうなものというと、電気髭剃り機ですが、それでも、1000円に過ぎず、盗まれても、すぐに買い替えが利きます。 それ以外は、着替えとか、日記ノートとか、39年前の≪ブルー・ガイド・ブックス 沖縄≫とか、他人にとっては、何の価値もないような物ばかりですから、まあ、大丈夫でしょう。


≪送迎バス≫
  9時40分に、一階に下りて、フロントにキーを預け、外へ。 大きな観光バスが待っていて、「こんなに大勢、行くのか!」と驚いたのは一瞬の事。 そのバスとは限らない可能性がある事に気づき、運転手に訊ねる事もせず、しばらく待っていたら、やがて、ワン・ボックス・カーがやって来ました。 船会社の名前をつけているので、間違いなく、そちらです。 やっぱり、そんなものか。

  乗ったのは、私一人だけ。 やっぱり、そんなものなんですな。 それにしても、100室近くあるホテルで、石垣島を拠点にして行ける観光地には限りがあるというのに、≪小浜島・竹富島ツアー≫の参加者が、たった一人とは、少なからず、不思議な気がします。 他の連中、一体、何しに来とんの? ただ、海やプールで遊ぶだけなら、家の近所で済ました方がええんとちゃうんかい? 費用対効果を考えて、金使っとかんと、老後はホームレス直行やで。


≪石垣港≫
  次のホテルで、親子連れ一組を拾い、あとは、石垣港へ直行。 ≪離島ターミナル≫という大きな建物の前で下ろされました。 どうなる事かと思ったら、運転手さんも一緒に下りて、建物の中にある、船会社の受付まで、案内してくれました。 ここで、クーポンを渡すと、引き換えに、もぎり式のツアー券をくれました。 「小浜島への乗船券」、「小浜島のバス観光券」、「昼食券」、「竹富島への乗船券」、「竹富島の水牛車観光券」、「石垣島への乗船券」が、くっついたもので、各所で、一枚ずつ、もぎって行ってもらう方式です。 「ツアーと言っても、参加者が一団になって、一日、行動を共にするというわけではないらしいぞ・・・」という事に、ここで初めて、気づきます。

  船着場の方に出ると、具志堅用高さんの銅像がありました。 チャンピオン・ベルトを巻いて、両腕をまっすぐ上に挙げたポーズ。 うーむ、確かに、英雄じゃのう。 40歳以下の人は、ピンと来ないと思いますが、私は、具志堅さんの輝かしい現役時代を、リアルタイムで見ていた世代なので、当時、石垣島の人々が、どれだけ熱狂したかを、容易に想像できます。


≪小浜島行きの船≫
  小浜島まで乗る船は、≪ちゅらさん2≫。 結構大きな船で、冷房されたデッキが、前後に二つあります。 屋外デッキはありませんでした。 私は、船があまり好きではなく、やむなく乗る時には、すぐに逃げられるように、極力、屋外デッキに出ているようにしているのですが、そもそも、屋外デッキがないのでは、是非もなし。 出港し、外海に出ると、その理由が分かりました。 高速船で、ムチャクチャ速いのです。 凄まじい波しぶきで、瞬く間に、窓ガラスがビシャビシャに。 水滴だらけで、写真一枚撮れたもんじゃありません。 いくらなんでも、こんなに速くなくてもいいんですがね。 南国の、ゆったりした雰囲気に合わんではないですか。

  デッキには、大型液晶テレビがあって、テレビ放送を流していましたが、私は、窓際に座ったので、外に気をとられて、ほとんど見ていませんでした。 まして、やっていたのが、テレビ・ショッピングでは・・・。 大体、走り出すと、エンジン音と波が砕ける音以外、何も聞こえなくなり、テレビどころではありません。 字幕オンにしておけば、窓際以外の席の人は、見るかもしれませんな。 もっとも、ここまで来て、テレビ放送を見たい客もいないと思うので、観光ビデオでも流した方が、受けがいいと思います。

  この付近、海が浅いので、航路を示す標柱が、海底地盤に直截立てられていて、それを目安に進んで行きます。 不思議な事に、磯臭さが、全く感じられません。 船旅というと、磯の臭いと、塗り重ねられた船のペンキの臭いで、動き出す前から、酔ってしまうものですが、この航海では、どちらも、一切感じませんでした。 船酔い対策に、飴を持って来ていたのですが、一応、なめてはいたものの、たぶん、使わなくても、酔わなかったと思います。 高速のおかげで、たった30分の航海でしたし。


≪小浜島バス観光≫
  小浜島に上陸すると、船着場に、小浜島の観光バスの運転手さんが、案内札を持って立っていました。 そこで、券をもぎってもらい、指示されたバスへ向かいます。 マイクロバスで、20人乗りくらい。 正直な観察、かなりくたびれていて、外観も内装も、ボロボロとは言わないものの、確実にボロでした。 やはり、潮風が厳しい土地だと、車のもちが悪い様子。 ほぼ、満席で出発。

  お客は、全組、寄せ集めで、このバスに乗っている間だけ、道連れになる関係です。 つまり、≪小浜島・竹富島ツアー≫という、一つのツアーがあるわけではなく、≪小浜島 バス観光ツアー≫とか、≪竹富島 水牛車観光ツアー≫とかが、個別にあって、それらを船会社が纏めて、一日分にしているだけなんですな。 分かった分かった。 2時間サスペンスで、名取裕子さんが添乗員をやるようなツアーとは、全く違うシステムなわけだ。

  バスの運転手さんが、運転しながら、観光案内をするという、ちょっと安全面で不安を感じる方式。 しかし、走り出してみると、他に走っている車が、ほとんどがないので、さほど、危険ではない事が分かりました。 小浜島は、私は、この旅行に来るまで、名前を知らなかったのですが、NHKの2001年の朝ドラ、≪ちゅらさん≫の舞台になった島だとの事。 道理で、船の名前も、≪ちゅらさん2≫だったわけだ。 運転手さんの観光案内の内容も、全体の3分の1くらいが、≪ちゅらさん≫関連の話でした。 テレビの影響力は大きい。 一本、全国区で受けると、撮影地は、とてつもない観光資源を得る事になるわけだ。 ≪ちゅらさん≫は、好評を得た作品で、続編が≪4≫まで作られたそうですから、尚の事です。

  私は、≪ちゅらさん≫の放送当時、勤め人でしたから、NHKの朝ドラは見ていなかったのですが、主演の国仲涼子さんは好きな女優さんなので、全く興味がない作品というわけではありません。 その後、再放送もされているようですが、惜しむらく、朝ドラは回数が多過ぎて、一気に見るという事ができません。 総集編を作ってくれれば、腰を据えて、じっくりと見るんですがね。

  ところで、「ちゅらさん」というのは、「美しい人」という意味ですが、運転手さんの話では、「ちゅらさん」は、沖縄本島の言葉であって、小浜島では、「○・・・○」と言うとの事。 ○・・・○の部分は、私が覚えられませんでした。 知らなかった・・・。 私は、昔、言語学を趣味にしていたのですが、その頃に得た知識によると、沖縄の言葉は、島ごとの違いが甚だしく、互いに通じないので、方言というより、それぞれ、別言語と見た方が良いとの事。 「方言」と「言語」の違いは、互いに通じるか通じないかで決まるわけですな。

  つまりその、小浜島の話なのに、本島語で、「ちゅらさん」という題名をつけたという事は、例えて言うなら、ドイツの話なのに、フランス語で題名をつけたのと同じなわけです。 「どっちも西洋だから、大して変わらんだろう」、「どっちも沖縄県だから、大して変わらんだろう」というノリで・・・。 NHKよ、いいのか、それで? もし、自分の故郷だったら、そういういい加減な事を、笑って許しますかね。 あー、断っておきますが、これは、私個人の意見でして、運転手さんが、そういう批判をしたわけではありません。

  つっこみはその程度にして・・・、バスは、≪ちゅらさん≫で出て来たという、「シュガー・ロード」という畑の中の道を通りました。 撮影当時は、サトウキビ畑だったらしいのですが、サトウキビは利益が出ないそうで、その後、牧草地に転換した畑が多く、もはや、シュガー・ロードではなくなりつつあるとの事。

  牧草は儲かるのかというと、意外にも、サトウキビよりは、高く売れるらしいのです。 その理由は、牧草のラッピング技術が普及して、サイロがなくても、牧草を保存できるようになったからだと言ってました。 なるほど、そういう変化があったんですな。 私が初めて、ラッピングされた牧草を見たのは、2010年に、岩手に応援に行った時ですが、あれは、そんなに昔からあった物ではなく、少なくとも、≪ちゅらさん≫の放送より後に、普及したわけだ。

  その後、村の中に入り、主人公の家として、ロケに使われた家の前を通りました。 普通の家で、人が住んでいます。 いやー、毎日毎日、観光客がバスで押しかけて来て、家の中を覗き込まれるというのは、敵わんでしょうなあ。 そう言うこちらは、覗き込んでいる方の一人なわけで、冷や汗が出て来ます。 観光会社は、いくらかのお礼をしているんでしょうねえ。

ちゅらさんの家。


  バスは、島の西の方へ向かい、≪細崎≫へ。 「くばざき」と読むそうです。 ここからは、西表島が、すぐ向かいに見えます。 恨めしや、西表ツアーを中止にした船会社・・・。 ちなみに、この日のツアーの船会社は、別の会社です。 でなきゃー、心穏やかに観光なんてできるものですか。 そういや、運転手さんが、何気なく言ったところでは、「昨日も、船は出ましたけどね」との事。 ますます、恨めしい。 一生に一度しか来れないというのに、西表に行かずじまいだったとは・・・。

  それはさておき、小浜島と西表島の間の海を、≪ヨナラ水道≫と言いますが、その中程に、色が濃くなった部分があります。 そこだけ深くなっていて、マンタが通る道になっているのたそうです。 マンタというのは、巨大なエイ。 最大で、横幅8メートル。 は、は、はちめえとる? 何喰ったら、そんなに大きくなるとですか?

  少し移動して、細崎港へ。 そこそこ大きな、漁港です。 ≪ちゅらさん≫では、この細崎港の突堤を、小浜港の突堤に見立てて、主人公が走る場面を撮影したとの事。 つくづく、テキトーじゃのう、NHKよ。 宮城県籍の小型漁船が引き揚げられていて、東日本大震災の後、太平洋をぐるっと回って、流れ着いたのではないかと言っていました。

  いやあ、それにしても、あの運転手さん、喋り詰めに喋っていたなあ。 知識欲が旺盛で、自分でどんどん調べて、案内の内容を充実させて来たという感じでした。 そういえば、この辺の海に、磯臭さがない理由も、話してくれました。 磯臭さの元は海藻らしいのですが、この付近の海では寒暖差がないせいで、海藻が育たないから、臭くないのだとか。 なるほど、それで納得。

  その後、引き返して、小浜島で最も高い、≪大岳≫へ。 「うふだき」と読みます。 標高99メートル。 いかに私でも、「最大級のマンタが、13匹並べば、この山より高くなるわけだな」などと、比較する意味のない事を考えたりはしません。 中腹まで、車で行き、そこからは、徒歩で登山。 しかし、いくらも歩かない内に、頂上に着きました。 あずまやがあります。 眺望は見事の一語。 ここからは、与那国島を除く、八重山諸島の全ての島が見えるとの事。 しかし、島の位置関係が頭に入っていない私には、どれが何島なのか、分かりませんでした。 与那国島が見えないのは、西表島の山陰に入ってしまうからです。

大岳から見た西表島。


  ところで、この大岳ですが、島の中で最も高い所であるはずなのに、頂上に立つと、東の方にある山の方が、もっと高いように見えます。 地図を見ると、大岳の横に、≪西大岳≫というのがあり、どうも、私達が登ったのは、そちらの方だと思われるのです。 東の方に見えた山が、本物の大岳だったわけだ。 そちらに登れない理由でもあったんでしょうか。 眺めの良さは、どちらも同じだと思いますが。

  バス観光は、ここでおしまい。 この後、バスは、島の南東部にある、リゾート施設に向かいました。 そこで、私と、もう一組、若い女性の二人連れだけが下ろされました。 この施設、メインはホテルなのですが、私らは、そこに泊まるわけではなく、ホテル内にあるレストランで、昼食だけ取る予定になっていたのです。 とことん、入り組んだツアーだ。 昼食後、同じバス会社の、別のバスが、別の運転手で、迎えに来るとの事。 ややこしいなあ。


≪昼食と昼休み≫
  ホテル一階にあるレストランに入ると、ちゃんと予約は入っていて、昼食券をもぎられました。 昼食は、塗り箱に入った、高級そうな、お弁当で、飲み物と汁物だけ、自分で取って来る方式でした。 私は、コップに冷水二杯と、味噌汁の代わりに、白っぽい麺が入った汁を取って来ました。 その時は知らなかったのですが、これが、「八重山そば」だったんですな。 お弁当も、八重山そばも、おいしかったです。 というか、この旅に出て以来、食べる物がおいし過ぎて、腹が出る一方・・・。 ズボンのウエストがきつくなり始めたのが、この昼食辺りからでした。


高級弁当。


  食事の後、迎えのバスが来るまで、一時間くらいあったので、ホテル内の売店を見て回りました。 シーサーのお土産がたくさんあります。 私は、基本、食べて、あとを残さない物以外、土産を買わない主義なのですが、シーサーは、実に魅力的な品で、思わず買いたくなりました。 単なる置物ではなく、魔除けになるというのが、お買い得感を、弥が上にも盛り上げるではありませんか。 しかし、まだ、旅行3日目で、先は長い事とて、荷物になるようなものは、なるべく増やしたくありません。 シーサーなら、沖縄のどこででも売っているだろうと思って、ここでは諦めました。

  ホテルの庭に、大きな池あり。 蓮のような植物が水面を覆っていて、岸近くに、一頭の水牛が、浮きながら昼寝していました。 この水牛、私が、池の周辺にいた30分ほどの間、口元をもごもご蠢かす以外、全く姿勢を変えませんでした。 石の上にも三年、水の中にも30分・・・、いや、3時間くらい、同じ姿勢でいるのかもしれません。 確かに、浮いたまま眠るのは、快楽の至る所でしょうなあ。

不動水牛。


  池の畔には、他に、ヤギ一頭、カラス、バン、顔が赤くて、体が白黒のカモなどが、うろついていました。 ヤギは、紐で繋がれていましたが、動ける範囲内にある草を食べ放題。 つくづく思うに、草食動物というのは、幸せものですなあ。 食べ物が、地面から生えてるんだから。

  ちょっと奥の方に、フェンスで囲まれたケージがあり、ヤギ数頭と、黒ウサギがいました。 このヤギ達、所在なさそうにしていましたが、順番で、池の畔に繋いで貰えるんでしょうかね? 刑務所に於ける、「映画鑑賞の日」みたいに、「草食べ放題の日」があるのだとしたら、さぞや、指折り数えて、その日を待っている事でしょう。 指、二本しかないですが・・・。 黒ウサギの名前は、「ラッキー」。 「暑くて敵わんわー」という感じで寝ており、あまり、幸運そうには見えませんでしたが・・・。

  リゾート内マップを見たら、昆虫博物館があるようです。 「よし、そこで、時間を潰せば、冷房が利いているに違いない」と思って、行ってみたら、まさかの土禁! なんで、昆虫を見るのに、靴を脱がなければならんのよ? やむなく、入口から、写真だけ撮って、引き揚げました。 土禁にすると、何か、得があるんですかね? 結局、定期的に、掃除はするわけですから、管理側の負担に変わりはないと思うんですがねえ。 解せんなあ。

  もう、見る所もないので、ホテルの入口前で待っていたら、ホテルの係員と思しき若い女性が、ニコニコ笑いながら近づいて来ました。 迎えのバスまでには、まだ時間があるから、ホテルのロビーで座って待っていれば、呼びに行くと言うので、それに従いました。 サービス、または、親切で言ってくれたのか、入口前で、うろうろされると、ホテルのイメージが悪いから、追っ払うつもりだったのか、それは、さておくとして・・・。

  程なくして、ロビーに、バス会社の案内札を持った男性が入って来て、昼食前に、私と一緒に、ここで下りた若い女性二人連れを連れて、出て行きました。 私は、ホテルの係員が呼びに来るものだとばかり思って、おっとり構えていたのですが、三人が出て行ってしまってから、「もしや!」と気づいて、慌てて追いかけました。 外へ出ると、先程のホテルの係員がいたので、「あのバスじゃないんですか?」と言ったら、「ああ、そうですね」という、呑気な返事。 だったら、呼びに来いよ! 洒落にならんわ! 私が、自分で気づかなかったら、置いて行かれるところでした。 これだから、他人は信用できない。 ニコニコ笑って、悪意がなければ、仕事をいい加減にやってもいいってもんじゃないよ、あなた。

  しかし、こういう事は、これが初めてではありません。 全国津々浦々、特定の土地に限らず、特定の世代に限らず、いい加減な仕事をしているのに、何の後ろめたさも感じていない人間というのは、うじゃうじゃいます。 一昔前と比べると、そういう職業意識の希薄な人が、次第に増える傾向にあるのは確か。 個人主義全盛の時代に、職業意識だけで、他人への責任感を持てという方が、無理な相談なのかもしれません。 とにかく、置いて行かれずに済んだのだから、それで良しとしました。


≪小浜港へのバス≫
  午前中に乗ったのより、少し状態がいいバスに乗って、小浜港へ向かいます。 運転手さんの話では、このリゾート施設の池にいる水牛は、西表島で水牛車を引いていたのが、引退して、余生を送っているのだとか。 なるほど、道理で、寝てばかりいるわけだ。 水牛は、元々、沖縄にいたわけではなく、台湾から来た人達が、連れて来たのだそうです。 それは意外。 しかし、よく考えてみると、台湾も島なのであって、元からいたわけではありますまい。 大元は、どこだったんでしょうねえ。 また、沖縄では、普通の牛も育つわけで、特に、水牛でなければならないわけではなかったと思うのですが、なぜ、水牛が普及したのかも不明。 水牛の方が、飼い易かったんですかね?


≪竹富島行きの船≫
  小浜港で、竹富島へ向かう船に乗ります。 ≪サザン・コーラル≫という、≪ちゅらさん2≫より、一回りか二回り、小さい船でした。 デッキは二つありますが、冷房されているのは、前側だけで、私が乗り込んだ時、そちらはもう、満員に近かったので、後ろの、開け放しのデッキの方に座りました。 開け放しと言っても、側面は閉じられて、波しぶきが入ってこないようになっています。 船体も、座席も、かなり、年季が入っていて、「この船なら、ゆったりした航海になるだろう」などと思った私が愚か。 走り出したら、速い速い! どんだけ、馬力あるエンジン、載せとんのよ? またまた、窓は、水滴で埋め尽くされ、何も見えません。

  余談中の余談ですが・・・、私の目の前にあった、トイレのドアが、船の揺れで開いてしまって、戻りそうで戻らないのが、終始気になりました。 ようやく、閉まったと思ったら、船が反対側に傾くと、また開いてしまいます。 ストッパーが壊れているのかもしれませんな。 自分で閉めに行こうかとも思いましたが、船が速過ぎて、立ち上がるのが怖い。 どうせ、すぐに着くと思って、そのままにしておきました。


≪竹富島水牛車観光≫
  25分で、竹富島に到着。 今度は、観光水牛車の会社が出しているマイクロ・バスで、西集落の水牛車乗り場へ向かいました。 10分くらいでしたか。 竹富島では、バスに乗る前ではなく、この水牛車乗り場の受付で、券をもぎられました。 その時、絵葉書を一枚くれました。 一人一人、名前をチェックして、どの水牛車に乗るか、割り振っています。 個人で船に乗って来た人が、ちゃっかり、紛れ込んでしまうのを避けるためだと思いますが、見るからに、手間のかかる作業です。

  水牛車は、20人乗りくらいで、マイクロ・バスくらいの大きさがあります。 基本部分は鉄の骨組みで、その上に、木材で、長椅子と屋根を作りつけ、屋根の上には、トタンを葺いてあります。 椅子は、通勤電車方式で、左右に一列ずつ、内側に向かって座るようになっているのに対し、見る対象は、外側にあるわけで、常に片側の人は、体を捩って、外を見る格好になります。 まあ、仕方がないか。

  私が乗った車を牽いていた水牛は、「ピー助」という名前で、確か、3歳のオスだと言っていました。 オス・メスに関係なく、片方の角に、花をつけていて、大変、可愛らしいです。 御者兼ガイドさんが、名調子で説明しながら、西集落の中を見せて回ります。 出だしは、水牛の扱い方の説明から始まり、ここで、かなりの笑いを取ります。 水牛は、もともと、水の中を好むので、暑さが苦手。 そこで、コースの途中に、数箇所、給水ポイントが設けてあり、ホースで、水をかけてやるのだとか。 これは、説明された後、すぐに、実演されました。 水をかけてやらないと、立ち止まってしまうのです。

  他に、水牛が立ち止まる理由は、大と小で、大の方は、やはり、実演されました。 いや、別に演じていたわけではないから、実演というのも、おかしいか。 何て言ったらいいのか、分かりません。 つまり、実際に、排便したわけです。 御者兼ガイドさんが、すかさず、バケツを取り出し、キャッチしたのは、鮮やか過ぎるお手並み。 いくら何でも、反射が速過ぎるので、少しは、地面に落ちたのかもしれませんが、私は、一番後ろに乗っていたので、細かい所まで観察する事ができませんでした。

水牛車を牽く、ピー助。


  村の道は狭いので、角を曲がる時、長い水牛車を方向転換するには、石垣に擦れないギリギリを大回りしなければならないのですが、水牛達は、歩く軌跡を覚えていて、何も言わなくても、大回りして行くのだそうです。 それでも、うっかり、水牛車を石垣に当てて、崩してしまった時には、御者兼ガイドさんが、仕事が終わった後で、積み直しに来るのだとか。 石垣は、セメントなどで固めずに、ただ積んであるだけ。 隙間があるがゆえに、台風でも崩れず、強い風を和らげて、屋敷の中に柔らかい風を通す効果があるとの事。

  他に、御者兼ガイドさんから説明された事というと、竹富島では、集落全体が、伝統的な建築様式を残すように取り決められていて、平屋以外の建物が建てられないため、民宿はあるが、ホテルはないという事。 各家の屋根に乗っているシーサーの位置は、家の中の神棚の位置と同一線上にあるという事。 井戸は、13メートル掘って、水が出れば良いが、14メートルまで行くと、海水になってしまうという事。 水がないから、米が作れず、他の島へ米を作りに行っていたという事。 竹富町の役場は、元は、竹富島にあったが、他の島との交通が不便だったせいで、船便のハブになっている石垣島に移転し、今、役場に勤務している人達は、石垣市に住んでいるので、みんな石垣市民だという事。 他にも、いろいろ聞いたと思うのですが、覚えているのは、そんなところです。

  この水牛車ツアーの、一番の見所は、≪安里屋クヤマ≫という人の、「生誕の地」前を通る事です。 「あさとや くやま」と読みます。 18世紀に生きた絶世の美女で、琉球王府から派遣された役人に、妻になるよう請われたにも拘らず、きっぱり断った事で、名を残した人。 当時は、役人の妻になれば、左団扇で暮らせたらしいのですが、それを、嫌なものは嫌と断ったのだから、天晴れと讃えられたのだそうです。

  あくまで、生誕の地であって、生家ではないので 18世紀の建物そのものではないと思いますが、住んでいるのは、子孫の方で、やはり、美人なのだそうです。 その時の経緯を謡った、≪安里屋ユンタ≫という民謡があり、御者兼ガイドさんが、三線を奏でながら、謡い始めたのですが、客の大半が、沖縄県民ではないものだから、手拍子のリズムが、うまく合いません。 せっかくの歌をぶち壊している感が、甚だ濃厚。 聞いていて、冷や汗ぞ下る。

  その内、客の中の小学5・6年生くらいの女の子が、何か言ったらしく、御者兼ガイドさんが、謡うのをやめて、「じゃ、あなた、謡って」と、その子供に三線を渡そうとして、すったもんだしている内に、歌は、それっきりになってしまいました。 大方、「弾ける」とか何とか、言ったんじゃないかと思いますが、礼儀を知らない馬鹿ガキが、余計な事を言いおって・・・。 聞けるものまで聞きそびれてしまったではないか。 これだから、他人の子供など、有害でしかないというのです。

  もう一人、困った客に、本島から来たという中年男性がいたのですが、この人が、御者兼ガイドさんが説明した事に、いちいち、何か一言、付け加えたがる。 当人は、家族の前で、ガイドさんと掛け合いをして、おどけているだけのつもりだったのだと思うのですが、ガイドさんの説明を、100パーセント聞きたい私としては、この人がつっこみを入れるたびに、話が本道からずれてしまうので、鬱陶しいったらなかったです。 知ってても、黙っていればいいんですよ。 さもなきゃ、ガイド付きの水牛車なんか乗らずに、自分で家族を案内して回ればいいのに。

  思い起こすに、私が中学3年生の時、京都に修学旅行に行ったのですが、同級生の一人に、以前、家族で京都旅行に来た経験がある奴がいて、バス・ガイドさんの先を越して、ああだこうだと知ったかぶるので、クラス中から、馬鹿扱いのブーイングを浴びて、それ以降、黙り込むという事件がありました。 私も、小学生の頃に、親と一緒に、京都に行った事はあったのですが、もちろん、そんな事は口にしません。 他の者も同じだったでしょう。 ガイドの前で知ったかぶるというのは、営業妨害以外のなにものでもないのです。


≪フリー・タイム≫
  水牛車観光が終わった後は、石垣島へ戻る最終の船便まで、フリー・タイムになりました。 どうして、ここだけ、フリーが利くかというと、石垣島へ帰れば、もう、次の予定がないからでして、同じ船会社ですから、どの便で帰ってもいいというわけなんですな。 レンタ・サイクルがあり、村の大きさに比して、ちょっと異常なくらい多くの自転車が走り回っていましたが、私は、借りませんでした。 お金が惜しいというのが第一の理由。 水牛車に乗っている間に、村の大きさが大体分ったので、徒歩でも充分、見て回れると踏んだのが、第二の理由です。


≪なごみの塔≫
  鉄筋コンクリートの展望台です。 水牛車のガイドさんが、「島で一番高い所で、村が一望できる」と言っていたので、登ってみました。 高いといっても、塔自体の高さは、5メートルくらいで、≪あか山≫という小山の上に建てる事で、高さを稼いでいる格好です。 塔というより、火の見櫓みたいなイメージでして、異様に急な傾斜で、一人通るのがやっとという、幅の狭い階段があり、しかも、最上部の平面が狭く、最多で二人しか立てません。

あか山に立つ、なごみの塔。


  二人連れなら、一人ずつ上って、上で記念写真を撮り、一人ずつ下りるというパターン。 一人なら、一人で上がって、写真だけ撮って、さっさと下りて来るというパターン。 三人以上の場合、二組に分けるしかありませんな。 小さい子供は、最初から、やめた方が無難。 上がるだけ上がっても、上で、びびって、泣き出されると、大人が何人いようが、もはや、下ろす方法がありません。 階段の傾斜がきつ過ぎて、負ぶって下ろすなど、とてもとても・・・。

  人の回転が悪いので、行列が出来ています。 とりあえず、並んでいる人間の面子を観察し、上で泣き出しそうな子供とか、ヒールがついたサンダルを履いた女とかがいない事を確認してから、列に並びました。 私の前にいたのは、3組ほどでしたが、それでも、10分以上待ったと思います。 階段の下に、注意書きがあり、「怪我は自己責任です」とあります。

  私の番が来て、急いで上がりましたが、特段、高所恐怖症というわけではない私も、この、「狭くて高い」場所には、頭がくらくらして、手すりで体を支えなければ、立っていられない有様でした。 急いで、写真だけ撮り、下り始めましたが、それがまた怖い。 一度、経験すると、大きな事が言えなくなるスポットですな。

なごみの塔から見下ろした家並み。



≪西桟橋≫
  集落の西の方へ行くと、すぐに、海に出ます。 西桟橋は、その名の通り、西の端から、西の方へ向かって、ドーンと突き出している桟橋です。 桟橋以外には、エメラルド・グリーンの海しか見えないので、開放感が半端ではありません。 桟橋の先の方に、二人連れがいたので、「邪魔するのも、無粋かな」と思って、立ち止まったのですが、よく見たら、若い女性の二人連れだったので、「そんじゃ、いいか」と思い、真ん中くらいまで行ってみました。 写真だけ撮って、さっさと引き返したので、邪魔にはならなかったでしょう。

西桟橋で盛り上がる女性二人。


  観光客を観察していて思うのは、観光地を最も満喫しているのは、女性の二人連れなのではないかという事です。 これは、はしゃぎ具合を見れば、一目瞭然で分かります。 一方、男というのは、友人二人で行動を共にする事はあっても、せいぜい、近場に遊びに繰り出すくらいで、泊まりで観光旅行というのは、まずやりません。 「野郎同士で旅行に行っても、侘しいだけ」とか言うわけです。 その点、女は、同性の友人同士というのが、最も気楽な組み合わせでして、泊まりでも、海外旅行でも、ホイホイ出かけて行きます。

  異性同士で二人というのは、イメージほどは、盛り上がりません。 性別が違うと、同じ物を見ても、抱く興味の程度がまるで違うわけで、そんな者同士で、会話が弾むわけがないんですな。 互いに一言も喋らず、ニコリともしない異性二人連れを、割とよく見かけますが、恐らく、交際を始めて久しく、相手への興味は、すっかり尽きてしまって、それでも、結婚を打算しているために、別れる理由もなく、交際の体裁を保つために、観光地を回っているだけなんでしょう。 交際初期で、ベタベタしている頃なら、どこへ行っても楽しいと感じるかもしれませんが、そういう人達は、何も、高い旅費を払って、遠くへ出かけて来る必要はありますまい。 どこでもいいなら、近場の遊園地にでも行くのが適当。

  家族連れも同じ。 子供は、はしゃぎますが、それは、その観光地へ来ているからはしゃいでいるのではなく、単に、普段とは違う状況に置かれて、興奮している上、旅行中は、普段より厚い親の庇護が受けられるので、調子に乗っているだけです。 子供を喜ばせたかったら、今まで行った事がない所へ連れて行けば、それで充分なのであって、遠くである必要もなければ、観光地である必要もありません。 家族連れの大人の方は、尚の事で、子供の事が気になって、観光を楽しむどころではありますまい。

  最後に、一人で来ている人間。 これは、言うまでもなく、はしゃぎようがないです。 地味~な所を、地味~に、見て回るだけ。 しかし、前回も書いたように、「見る・学ぶ」系の観光地巡りなら、自分の見たいものだけを見れるので、一人の方が、ずっと効率がよいです。 それに、腹が減っていなければ、昼食を抜くというような事も、自由にできますから、同じ一日でも、見て回れる所が、複数人の場合より、遥かに多くなります。

  これは、ブログの旅行記を見ると、よく分かります。 たとえば、私のこの、異様に細部に拘る旅行記は、典型的に、一人で行った者の産物ですが、複数人で行った人のそれは、同じ所を巡ったとしても、この10分の1の量にもならないでしょう。 極端なケース、予定表に、写真を貼って、一言コメントを付けただけ、みたいな旅行記も珍しくないです。 同行者に気を使わなければならない分、肝心の観光が疎かになってしまうんですな。


≪皆治浜(かいじはま)≫
  西桟橋から、海岸線に沿った外周道路を南下していくと、島の南西部に、この浜があります。 かの有名な、「星砂(ほしずな)」の浜です。 星の形に見える有孔虫の死骸で、砂浜が出来ているという所。 39年前、母が海洋博に来た時、星砂が入った小壜をつけたキーホルダーを、土産に買って来ましたが、それは、本島で買ったもので、母自身は、竹富島には来ていません。 私は、その現物がある浜まで来たわけですから、旅行キャリアとして、母に勝ったわけですな。 あまり、意味のない勝利ですが・・・。

  ところが、手で砂を掬って、見てみても、星の形をしていません。 どーゆーこっちゃねん? 浜の入り口に、板屋根とビニール壁だけの土産物店があり、そこの品を除いてみたら、ちゃんと、星砂が入っています。 もう一度、浜へ出て、今度は、少し離れた所で掬ってみましたが、やはり、一つも見つけられません。 どーなっとんの、マジで? 台風の後だから? それとも、大量の砂の中から、選び出して、土産物を作っているんでしょうか?

皆治浜(左)/ 星砂はどこだ?(右)


  とにかく、一個も見つけられないまま、探し疲れて、撤退する事になりました。 母に勝ったとばかり思っていたのに・・・。 こういうのを、「虚しい勝利」と言うのでしょうか・・・。 もちろん、私は、自分で見つけられなかったからと言って、土産物を買って帰るような財布の紐の緩い男ではありません。 星砂そのものだったら、39年前の土産が、家にありますからのう。 ちなみに、星砂でも、珊瑚でも、観光客が、直截、現地から持ち帰るのは、たぶん、アウトだと思います。 沖縄のように、毎年、こらしょと観光客が押し寄せる所では、それを許していると、浜の真砂も尽きてしまいますから。


≪蔵元跡≫
  八重山の中心地が竹富島だった頃に、役所が置かれた場所。 皆治浜のすぐ陸側にあります。 しかし、まだ未整備のようで、説明板の図にある蔵元跡の辺りは、現状、ほぼ、密林でした。 竹富島には、ハブがいるらしいので、その中へ踏み込んでいくほど、無謀ではありません。 説明板によると、蔵元があった頃には、皆治浜が船着場になっていたのだそうです。 今は、ただの浜で、船を着けられそうな所は、全く見当たらないのですが、思うに、基本的に遠浅だから、桟橋を作れば、どこでも、港に出来たのかも知れませんな。


≪徒歩で西集落へ≫
  皆治浜で、星砂を見れなかった私は、地図に、もう一ヵ所、星砂の浜が載っていた事を思い出し、そちらへ行って、星砂を探したい欲望に駆り立てられました。 場所は、島の南東部です。 このまま、海岸線に沿って歩いていけば、着くに違いない。 あわよくば、海岸線の道路で、港まで歩いてしまおうとまで、目論んでいました。

  ところが、歩けば歩くほど、周囲は藪だらけになって、海から離れているような気がします。 改めて、地図を出して、見直したところ、もう一ヵ所の星砂の浜、≪アイヤル浜≫というのは、確かに南東部にありますが、そこへ行ける海岸線沿いの道は存在せず、一度、集落へ戻らなければならないのです。 また、アイヤル浜から、港へ海岸線を通って行ける道もありません。 結局、集落へ戻るしかないわけだ。 そして、一度、戻って、そこから、アイヤル浜まで往復するとなると、船の最終便までに、時間が足りません。 結局、星砂を見るのは、諦めるしかありませんでした。

  アイヤル浜どころか、皆治浜から、集落に戻るだけでも、えらい距離がありました。 日差しが強くて、もう大変。 歩いているのは私くらいで、他の観光客は、みな自転車です。 ここで、また、ちょっとした事件が起こりました。 私の後ろからやって来た、自転車の親子三人連れの内、小学3・4年生くらいの少年が、目にゴミが入ったらしく、自転車に乗ったまま、私の方へ突っ込んで来たのです。 まったく、犬も歩けば棒に当たる。 こんなんばっかし、起こるな。

  私は、子供の声が近付くと、警戒する癖がついているので、未然に気づいて、間一髪のところで避ける事ができました。 少年は、私を抜いて、2メートルばかり行った所で、ブレーキをかけて停まりました。 慌てたのは、父親と母親で、私に向かっては、「すいません」を繰り返し、息子に向かっては、「なんで、人のいる方へ行くんだよ」と、問い質していました。

  少年は、答えませんでしたが、私には、この小僧の考えの軌跡が、簡単に読めます。 目にゴミが入って、前がはっきり見えなくなってしまったが、急ブレーキをかけたら、倒れてしまいそうで、怖い。 しかし、このまま進むと、藪の中へ突っ込んでしまい、ハブに咬まれるかもしれない。 ブレーキはかけたくない、藪には突っ込みたくない。 どうしようかと迷っている内に、第三の道である、「歩行者に突っ込む」へ追い込まれていったのでしょう。 刑法上の「緊急避難」に該当する? しませんよ!

  子供というのは、無責任の権化であり、大人がどうにかしてくれると、虫のいい事を考えている上に、他人なんか、どうなってもいいと思っているものです。 私は、親になった事がない分、自分が子供の頃の事を、よく覚えているので、そういう考え方が手に取るように分かります。 しかし、親は、「とりあえず、いい子」だと思っていた自分の子供が、こういう事をやるのを目の当たりにしたら、仰天するでしょうな。 私が避けなかったら、たぶん、病院行きの怪我になっていたでしょうから、尚の事。

  でも、この件に関しては、怒りは、全くと言っていいほど感じませんでした。 私が、「子供なんか、そういうものだ」と思っていた事と、この両親が、すぐに謝った事で、怒る理由がなくなってしまったわけです。 ちなみに、子供本人は、謝りませんでした。 子供というのは、結果的に悪事をしても、悪意がなければ、罪にはならないと思っているのだから、無理もない。 親が子供に、形だけでも謝らせれば、親の対応としては、完璧だったわけですが、それもありませんでした。 だけど、今時の親子に、そこまで期待するのは、そもそも酷というものでしょう。


≪竹富港へ≫
  西集落に戻り、北の方にある御嶽を二つ見てから、水牛車乗り場へ行ったら、ちょうど、港へ向かうバスが、出る寸前でした。 今、このバスに乗れば、最終の船便の、一つ前の便に間に合います。 最終となると、石垣港へ戻ってからが、ちと不安なので、ゆとりを持って、一つ前の便に乗って帰りたいところです。

  このバスには、予約がいると聞いていたので、駄目元で、受付に行き、「あれに乗れますか?」と訊いたら、乗れるとの返事。 喜んで乗ろうとしたら、「名前、名前!」と呼び戻されました。 そうでした。 ツアーに参加した客以外は、バスに乗れないのです。 戻って、名前を言い、名簿にチェックを入れてもらって、ようやく乗れたのですが、いざ、出発という時になって、乗り込んで来た運転手さんは、その名簿をチェックしていた人でした。 うーむ、全国的に人手不足な御時世じゃのう。

  満席で、助手席まで使って、出発。 「ばす、いや~っ! そとにいるの~っ!」と、引っ切りなしに金切り声を上げる幼女に悩まされながら、港まで、10分。 運転手さんの話では、この時間帯の船が、一番混むのだとの事。 なるほど、みんな、考える事は同じか。 ターミナルの待合室は、かなり広いのですが、エアコンがぬるく感じられるほど、人が大勢、集まっていました。


≪石垣港へ≫
  15分ほど待って、港に入って来た、≪ちゅらさん2≫に乗りました。 朝、石垣港から、小浜港へ行く時に乗ったのと、同じ船です。 船も、満席。 相変わらずの超高速で、波を蹴立てて、ぶっ飛ばし、25分ほどで、石垣港に着きました。 すでに、5時を過ぎています。

ちゅらさん2(上)/ サザン・コーラル(下)



≪ホテルへ≫
  離島ターミナルで、船会社の受付へ行き、ホテルに戻る送迎バスが出るか訊いたら、出るとの事。 しばらく待つように言われましたが、5分もしない内に、呼ばれて、客三組でマイクロ・バスに乗り込みました。 たぶん、客がある程度溜まるのを待って、不定期で走らせているのでしょう。 各ホテルを回って、私が最後に、一人で下りました。


≪ホテルの夜≫
  フロントで、キーを受け取り、ついでに、夕食の時間を予約しました。 夕食は、客が集中すると困るので、予約がいるのです。 すでに、5時半でしたが、早目に食べてしまいたくて、6時に予約しました。 部屋に戻ると、中は掃除されて、タオルや浴衣も、新しいのに取り替えられていました。 やはり、新しい方が、気分は良いです。 もっとも、このホテルにいるのも、この夜限りなのですが。

  クローゼットにしまっておいた旅行鞄を出し、一晩過ごすのに必要なだけの荷物を展開し直します。 これが面倒臭い。 途中で、時間になったので、レストランへ、最後の晩餐に出かけました。 細々とは書きませんが、二日目の晩と同じ、和洋会席を頼み、肉の焼き方だけ、ミディアムにしてもらいました。 前日のウェルダンが、少し硬く感じられたからですが、ミディアムでも、そんなに変わらなかったです。 デザートに、さとうきびアイスを頼みましたが、素朴な甘さで、独特な味わいがありました。

  部屋に戻って、テレビをつけたら、なんと、電波状態が悪いとかで、BSプレミアムが映りません。 ≪こころ旅≫が見れませんがな。 難視聴対策電波チャンネルというのに切り替えたら、画質極悪なものの、一応映ったので、それで、何とか見ました。

  それから、洗濯。 この日の昼間、気づいたのですが、前日、雨に濡れて、ズボンの裾だけ洗ったのが、洗った所と洗わない所に、塩が白く浮き出たような、境目が出来ていて、「げっ・・・」と絶句。 こんな状態で、翌日の貸切タクシーに乗るわけには行かないので、全部水に浸けて、洗う事にしました。 バスタブに浅く湯を張って、ズボンを浸け、石鹸で、少しずつ洗って行きます。 シャツくらいなら、何とかなりますが、ズボンを手だけで洗うのは、非常につらい事なのだと、初めて知りました。 洗い終わったら、シャワーで流し、これまた少しずつ、絞って行きます。 これがまた、きつい。

  ハンガーにかけ、しばらく、ユニット・バスのカーテン・レールに吊るしておいて、水滴が落ちなくなってから、部屋に移しました。 エアコンの風が当たる、ベッド脇の電気スタンドの笠に、ハンガーを引っ掛けましたが、笠が丈夫で良かった。 他の場所では、翌日の朝までに乾かなかったでしょう。 洗濯が終わった後で、シャワーで風呂。  日記を書き、10時頃、就寝。



≪三日目、まとめ≫
  この日は、概ね、人任せで、あちこち見て回ったわけですが、自分で調べるのと比べると、やはり、地元のガイドさんの話の方が、情報量が段違いに多い事を、思い知りました。 ただ、もちろん、お金もかかるわけで、私は今回、ポイント消化だったから、遠慮なくツアーを使いましたが、もし自腹で、他へ行って、同じようなツアーに参加するかというと、まず、しないと思います。 しかし、お金にゆとりがある人なら、自力で回るより、ツアーに加わってしまった方が、より、見聞は広まるでしょう。

  他人と一緒に行動すると、嫌な事も増えるわけで、特に、子供や、子連れの家族には、迷惑をかけられないように、神経を使いました。 一人で行動する時には、最初から、そういう危険な連中に近付かないようにするのですがね。 お金を使って、楽しい思いをするために、旅行に来ているのに、嫌な思いをさせられたのでは、あまりにも割に合わない。

  行った先自体は、小浜島も、竹富島も、大変、良かったです。 どちらも、他の土地とは、家並みも、風景も、全く違う点が、素晴らしい。 やはり、観光は、こういう所へ来なくては、醍醐味がありません。 他の観光客がいなければ、もっと良かったと思いますが、季節柄、それは、無理な相談というものですな。

2014/08/17

石垣島を歩く

  沖縄旅行記の続きです。 今回も、性懲りも無く、項目ごとにコメントを書く方式に拘るつもりですが、結局、長引いて、紀行文方式と変わりなくなってしまうような予感がします。 それと言うのも、○△商事から連絡があり、次に行く北海道旅行の日程が決まったのですが、予想していたよりも、ずっと遅く、8月25日からという事になったので、それまでの間、これといって、する事が無くなってしまったんですな。 しかも、ここのところの猛暑で、おちおち外にも出かけられないと来たもんだ。 勢い、家の自室に籠って、扇風機の風に当たりつつ、氷水を舐めながら、沖縄旅行記をしたためる時間が増えるという次第なのです。


≪ホテルの朝≫
  野宿ツーリングでは、何時に起きようが、私の勝手だったのですが、今回の旅行は、貸切タクシーや、船会社の送迎バスなど、朝出かける時間が決まっていたので、寝過ごしてはまずいと思い、目覚まし時計を持って行きました。 岩手で入院中、病室に時計がなかったため、世話をしに駆けつけた母に頼んで、100円ショップで買って来たもらった物です。 岩手から家に戻ったら用無しとなり、箱に入れて、しまっておいたのですが、今回、旅行に行くのに、小ささ・軽さ的にちょうどいいので、再登板させたという次第。

  リゾート・ホテルの部屋には、壁掛け時計が無いので、結構、重宝しました。 しかし、この最初のホテルでは、備え付けで、大きめの目覚まし時計が置いてあったので、そちらを使いました。 なぜか、文字盤カバーの透明プラスチックが白く曇っていて、異様に見難い時計でしたが・・・。 束子かなんかで、こすったんですかね? なぜ、時計を束子で? よく分からん。

  起きたのは、6時。 朝食は、7時からと書いてあったので、混まない内に食べてしまおうと、髭剃り・洗面を済ませ、6時55分に、下へ下りて行ったのですが、一階のロビー横にある朝食用食堂は、すでに人で、ごった返していました。 家族連ればかりだから、数組だけでも鬱陶しいのに、十数組どかっと来られたのでは、正に芋を洗うが如し。

  しかも、バイキングなので、立って歩き回っている人間が多くて、およそ、落ち着きません。 家族連れで、一番厄介なのは、トレイを持って走り回っているガキどもでして、選びたい放題、食べ放題のバイキングに興奮して、前も横も見ずに、猪突猛進。 正に、狂った猿。 危険極まりないので、最大限の注意が必要です。 バイキング会場には、「クソガキ警報」を、常時発令しておくべきですな。

  次に厄介なのが、動きの鈍い父親どもで、こいつら、「一家の長」として、妻子の前で、威厳を見せつけようと、わざと、ゆったり構えた動作をします。 御飯や味噌汁の所など、次がつかえているのに、のったらのったら・・・、茶碗に一杯飯をよそうのに、何十秒かかっとんねん? 今まで、一度もやった事がないのか? しかも、わざわざ、ガキを呼びよせて、ガキの分までよそってやったりします。 割り込みと、何の変わりもありません。

  その上、夏場の事とて、判で押したように、半ズボンにサンダル履きで、脛毛が剥き出し。 これから、食事をしようというのに、そんな物を見せられた日には、吐き気を催さずにはいられますまい。 半袖は、まあいいとして、要警戒なのは、ノー・スリーブでして、男の場合、腋毛が落ちる事がある。 料理の中に、他人の腋毛を見つけた時の衝撃たるや、≪シックス・センス≫のラスト・シーンに匹敵するものがありますな。 「あ、が、・・・」 いくら、リゾート・ホテルったって、少しは、他人の迷惑を考えて、服を選べよ。 

  イメージとは裏腹に、割とマナーがいいのは、母親達でして、常に他人の目を気にしながら行動しているせいか、それほど、邪魔にはなりません。 ただ、朝っぱらから、ぷんぷんと香水臭いのは、閉口します。 というか、閉鼻したいところですが、あいにく、そういう筋肉はなし。 これも、バイキング会場で、吐き気を誘引する原因の一つです。 なんで、そんなに、香水に拘る? よっぽど、体臭が臭いのか? 他に理由が考えられません。 ああ、結婚しなくて良かった。 こんな悪臭源どもに飯を食わせるために働くなんて、地獄の責め苦だよ。

  同じ大人の女でも、孫と一緒に来ている婆さんどもは、更に強力な有害分子となります。 もう、色気のかけらも残っていないので、他人の視線なんか、微塵も気にしておらず、傍若無人にして、縦横無尽。 嫁の前で、孫から点数を稼ごうとでもいうのか、大声で孫の名前を呼び、余計な世話を焼き、後ろにいる他人に肘打ちを喰らわせ、並んでいる列を無視して、反対方向から割り込んでくる、筋金入りの図々しさ。 人間とは、かくも醜いものか・・・。 ああ、結婚しなくて良かった。 こんな化け物どもに飯を食わせるために働くなんて、地獄の責め苦だよ。

  またまた、脱線気味ですが、バイキングの料理自体は、おしいかったです。 極力、琉球料理っぽいものを選んで食べましたが、「これは、外れ」というものはありませんでした。 沖縄へ行くと、ゴーヤが入った料理を、無性に食べたくなるのは、なぜでしょう。 ジュースが飲み放題というのも良し。 シークヮーサー・ジュースも飲みましたが、爽やかな酸味がありました。 もっとも、バイキングだと、ついつい取り過ぎて、食べるだけで満腹してしまい、飲む方は、何杯も入らなくなってしまうのですがね。

  ちなみに、こういう、大衆食堂よりも雑然としたバイキングであっても、食後の片付けは、係の人がやってくれます。 私のように、会社の食堂のセルフ方式しか知らない人間は、つい、自分で片付けたくなってしまうのですが、汚れた食器を出す場所は、存在しないんですな。 そういや、このホテルでは、朝食券は、入り口の所に置かれた籠に入れるだけでしたが、もし、券を持っていない人間が入ろうとしたら、どうやって、見分けるんでしょう? 密かに、監視している係員がいるんでしょうか?

  朝食にしては、明らかに食べ過ぎた腹で、食堂を後にしました。 ロビーの隅に、観光地のパンフを集めたコーナーがあり、そこで、雑誌風の、数十ページある、石垣島のガイド・パンフを見つけました。 フロントで訊くと、自由に持って行って良いとの事だったので、部屋に持ち帰りました。 西表ツアーが中止になってしまったので、今日、どうやって過ごすか、決めなくてはなりません。 前の晩、眠る前と、この日、朝起きてから、漠然と考えていたのは、

「石垣島から出られないのだから、石垣島観光をするしかない。 しかし、貸切タクシーでの島内観光が、明後日に予約されているから、今日、全てを回ってしまっては、無駄になる。 極力、金を使わずに過ごすには、歩いて行ける範囲内にある、市街地の観光地を、今日回ってしまい、明後日は、島の北部へ行ってもらう事にしよう」

  といった方針。 それに従い、パンフに載っていた石垣市街の地図を見て、大体の目的地を決めました。 ところで、西表島へ渡る船が出るかどうか、この日の朝になったら分かると言われていましたが、船会社からは、何の連絡もありませんでした。 恐らく、台風で離島ツアーが中止になる事など、日常茶飯事で、断り慣れているから、アフター・サービスなどは、一切やっていないのでしょう。 恨み言を言わせて貰えば、そちらは断り慣れていても、こちらは、一生に一度の沖縄旅行なのであって、断られ慣れてはいないのですがね・・・。

  午前9時頃に出発。 旅行鞄は部屋に置いて行きます。 ナップ・ザックに、湯冷ましの水を入れた500ccのペットボトル、折り畳み傘、チケット類を入れた封筒、観光パンフなどを入れました。 雨に降られるとまずいと思い、貴重品であるチケット類の封筒は、更に、レジ袋に入れて、防水しました。 部屋の中に展開した荷物を、旅行鞄に戻すのが面倒臭くて、フロントにキーを預ける時、この日の部屋掃除をパスしておきました。 ツインに一人で泊まっているから、タオルなどは、二日分、もつのです。


≪石垣市街へ≫
  歩いて、石垣市街を目指します。 前日、バスで来た時に、大体の距離は把握していたので、徒歩でも、充分に行ける事は分かっています。 どうせ、丸一日ある事だし、慌てる事はありません。 台風が、まだ近くにいるせいで、時々、雨が、さーっと降って来るのですが、そういう時には、シャッターが下りている店の軒先などに入って、やり過ごしました。 こちらの雨は、降り出しても、すぐにやむようです。

  思ったより時間がかかって、ホテルから、市街地の西の外れまで、45分くらいかかりました。 やはり、徒歩は遅い。 自転車があればなあ・・・。 実は、ホテルに、レンタル自転車があったのですが、利用料が、一日1080円と、そこそこ高かった事と、雨がいつ降るか分からない天気で、借り物の自転車を使う事に抵抗があって、借りなかったのです。

  市街地に入ると、最初にぶつかったのが、≪具志堅用高記念館≫。 具志堅さんは、石垣島の出身だったんですな。 郷土の英雄ですから、記念館があっても、ちっとも不思議ではありませんが、肝心の私が、ボクシングに興味がないので、400円も払って入る気にならず、建物の写真だけ撮って、パス。

  次に、≪八重山平和祈念館≫。 ここは、入館料100円で、頗る私好みの施設だったのですが、私は、こういう所の展示には、どっぷり嵌まってしまう傾向があり、一度入ったが最後、一時間くらい出て来なくなる可能性が高い。 まだ、市街観光を始めたばかりなのに、そんなに時間は割けないと思い、帰りに寄る事にして、先に進みました。


≪御嶽≫
  路上観察的興味が湧いて、大通りから、路地に入ったら、たまたま、神社がありました。 沖縄では、「神社」とは言わず、「御嶽」と書いて、「うたき」と読みます。 石垣島を含む八重山諸島では、同じ字面で、「おん」と読むようです。 日本の神社とは、本質が違っていて、記紀神話とは全く関係なく、土地の神を祀った所です。 拝殿は、前後の入口に扉がなく、開放されています。 ここの御嶽には、本殿がありましたが、本殿がなくて、ただの空き地なっているケースも多いです。 場所に、神がいるという考え方ですな。

  ちなみに、日本各地の神社も、ヤマト人に征服されて、記紀神話の影響を蒙る以前は、沖縄の御嶽と同様に、土地神を祀っていて、本殿や拝殿の形式にも、様々なタイプがあったようです。 今、神社というと、必ず、記紀神話の神が祀られている事になっていますが、それは、明治政府が押し付けて回ったもので、本来の御神体とは、まるで関係ないです。 古くからあり、境内が広い神社は、大抵、土地神を祀っていたと思って良いと思います。 もっとも、そういう事を云々する以前に、信じていないのなら、神社に参ったりしない方がいいと思いますが。

御嶽と鳥居。


  御嶽に話を戻します。 ここには、鳥居がありました。 後々、あちこち見て回ったところ、鳥居がある御嶽が多かったですが、鳥居は、明治以降に、日本から持ち込まれた風習のようです。 見るからに、不似合いで、違和感を覚えずにはいられませんが、征服者の手から御嶽を守るために、鳥居だけつけて、神社に擬装したと考えると、納得し易いです。 日本の画一化された神社と比べると、神秘的な雰囲気は、遥かに濃厚ですが、私は、よそ者に過ぎないので、祈るのは、やめておきました。 場所に限らず、神の種類に限らず、「障らぬ神に祟りなし」の原則は生きていると思うので。

  ちなみに、多神教に於いては、神は、他の神と対立関係にある事が多く、一人の人間が、複数の神に祈るのは、危険極まりないです。 日本人は、神社はもちろん、寺でも教会でも、片っ端から、祈りまくりますが、神を畏れぬにも程がある。 自殺行為に等しい。 なぜ、そんな事ができるのかといえば、まず、無知であるから。 次に、神も仏も信じていないからでしょう。 どうせ、何の力もないと思っているから、祟りも罰も怖くないわけだ。

  そういや、モスクでは祈ろうとしないようですな。 周囲にいるイスラム教徒に誤解を与えるのが怖いからかもしれませんが、よく知らない神に祈って、祟りがあるのを畏れているのだとしたら、少なくとも、アラーの存在は、信じているわけだ。 たぶん、ユダヤ教のシナゴーグでも、祈らないと思うので、ヤハウェの神の存在も信じているわけか。 それなのに、本来同じ神である、キリスト教の神には、祈ると・・・。 境目になっているのは、やはり、割とよく知っている神か、よく知らない神かの違いですかね。 しかし、知っている神は信じておらず、知らない神は信じるとは、これいかに?

  こと、日本人に関して、法廷での宣誓は、良心などという、あやふやなものにではなく、知らない神に誓わせるのが、効果的かも知れませんな。 祟りが怖くて、嘘の証言ができんじゃろうて。 念の為、繰り返しますが、神も仏も、一切信じていないなら、この種の問題について考えを巡らすのは、不毛にして、無意味です。 神社や寺、御嶽、教会、モスクに近付くのも、やめた方が無難。 そういう人が恐れるべきは、神仏ではなく、信者である人間の方ですな。


≪桃林寺≫
  ようやく、観光地らしい観光地に到着しました。 沖縄では珍しい、お寺です。 薩摩藩の侵略・占領後に、押し付けで造られたもの。 臨済宗妙心寺派。 山号は、「南海山」で、それっぽいですが、よく考えてみると、石垣島民は、特段、自分達が南の海にいるとは思っていないわけで、北方から見た命名なのは明らか。 一度、津波で流されたのを、元の場所に再建した物のようです。 そのせいか、桃林寺自体は、文化財指定されておらず、隣にある、≪権現堂≫の方だけ、重要文化財になっています。

桃林寺の山門。


  このお寺、仁王像がある事で有名ですが、平屋程度の山門の両翼に、こじんまりと収まっており、そんなに大きなものではありません。 格子の幅が狭いので、写真が非常に撮り難い・・・。 この仁王像も、津波で流されたらしいですが、幸い、発見されて、元の場所に戻されたのだとか。 そういう事情で、仁王像は、県指定の文化財になっています。

  正直な感想、寺の建物は、瓦が赤い以外、日本のものと大差無く、感動は薄いです。 瓦の葺き方も、琉球風ではなく、漆喰で固めない日本風。 周りを囲んでいる石垣の方が、ずっと趣きがあります。 隣の権現堂も、薩摩藩の圧力で、同時期に建てられた物ですが、熊野権現を祀ってあるそうで、どうやら、神仏習合を、まるごと押し付けた模様。 建物の配置は、拝殿が本殿と完全に独立している、御嶽風です。

  評価できるのは、拝観無料だという点。 もし、有料だったら、たとえ100円でも、ちと、ためらうかなという程度のボリュームです。 街なかに、さりげなくあるので、レンタカーで行ったりすると、通り過ぎてしまうのでは? いや、今時のレンタカーは、カーナビ装備だから、心配無用か。 ただ、駐車場は無いみたいです。


≪宮良殿内≫
  「めーらどぅぬず」とか、「みやらどぅんち」とか、「めーらどぅぬじぃ」とか、「めーらやらどぅぬじぃ」と読むらしいのですが、どーしてまた、石垣島の、石垣市街の、この場所に、一軒しか存在しないのに、読み方が一定しないのか、解せない話です。 読み方が一定してしないのではなく、平仮名での書き方が一定していないのかもしれません。 英単語をカタカナで書き表す時、実際の発音を忠実に表現できずに、人によって、書き方が異なるケースが、まま発生しますが、それと同じ事が、石垣語と日本語の間にも起こるのでは? 私自身は、駿東方言っほく、「みゃーらどんち」と読んでいましたが、勿論、そんな読み方は、よそ者の独り決めに過ぎず、何の正当性もありません。

  琉球王国時代、八重山の行政官が、本島・首里の貴族の屋敷を模して建てさせたものだそうです。 本島の貴族屋敷は、みな、戦災で焼けてしまったので、今や、沖縄県内でも貴重な建築になっているとの事。 重要文化財。 宮良家自体は、そんなに高級な家柄ではなかったようで、分不相応として、取り壊しを命じられたものの、無視して、押し通したのだとか。 無視したお陰で、大変な観光資源が残ったわけで、結果オーライの典型例ですな。 石垣島の人は、身近過ぎて、却って、ピンと来ないかもしれませんが、よそ者の目から見ると、こういう建築物が、当時のままの姿で残っているのといないのとでは、その土地の歴史に対する畏敬の念の度合いが、まるで違って来ます。

  場所は、市街地の、少し北の方にあります。 面している通りは、露地というほど狭くはありませんが、歩道が無い程度の広さです。 庭木が鬱蒼と茂っているので、近くまで行ったら、緑を目安に接近すれば、大体、当りだと思います。 塀の正面が布積みの石垣になっているのは、さすがに支配階級の屋敷らしい。 入り口は、思いの外、小さくて、琉球風の瓦を乗せた門があります。 門を入ると、敷地が、道路より低くなっていて、屋敷が石垣塀の中に埋没しているような印象を受けます。 これは、台風対策かも知れませんな。

  門の内側に、大きなヒンプンがあります。 「ヒンプン」とは、「屏風」の中国読みと説明されていますが、普通話では、「ピンフォン」なので、たぶん、福建語の発音ではありますまいか。 屏風と言っても、家の中で使う屏風ではなく、石を積み上げた塀でして、門の外から、家の中が直截見えないように、目隠し、兼、魔除けの目的で建てるのだとか。 ここのヒンプンは、塗り壁になっていて、上に瓦が載っていました。 ヒンプンの中央に、木の扉をつけた門が設けられていましたが、こういう門内門は、ここでしか見れませんでした。

  ヒンプンを向かって左側から回り込むと、主屋の正面に出ます。 そこの縁側に、係の人がいて、観覧料、200円を払ったところ、建物と庭の簡単な解説をして、絵葉書を一枚くれました。 ありがたい事に、室内は立ち入り禁止。 私は、土禁が大嫌いなので、その方が都合がいいんですよ。 そーんなに、奥の奥まで見たいとは思いません。 病院と同じく、やたらと、靴を脱がせたがる観光施設がありますが、不衛生極まりない。 スリッパなんか用意してくれても、殺菌まではしていないわけで、誰が履いたか分かりゃしないんだから、結局、同じだっつーの。 全国津々浦々、みんな、土足OKか、屋内立ち入り禁止にしてしまえばよいのです。

宮良殿内の建物。


  建物は、平屋で、床面積が広いタイプ。 同じ琉球建築でも、庶民の家と違って、部屋数が多く、奥が見通せません。 東側の縁側に、ガラスが入った、木製の陳列ケースがあり、その中に、文具や遊び道具、食器、生活用品などが並んでいます。 薄い円筒形の駒があったので、「えっ! 平安時代の双六?」と驚いたのですが、よく見たら、中国象棋の駒でした。 後で調べたところ、琉球文化圏には、中国象棋と良く似たルールを持つ、「チュンジー」というゲームがあるそうで、その駒だったのかも知れません。

宮良殿内の庭。


  宮良殿内は、建物よりも、庭の方が、特徴が際立っています。 築山というよりは、奥に行くにしたがって高くなる傾斜地に、石灰岩の奇岩を使った石組みを配して、枯山水を作っています。 石橋を渡り、石組みの間を通って、傾斜を登り、戻って来れるようになっているのですが、決して広くはない場所に、回遊式庭園を造り込んでいるレイアウトは、実に巧みです。 説明文には、「日本の庭園様式の伝播」と書かれていましたが、奇岩を使う点は、むしろ、中国庭園に近く、蘇鉄を多用している点は、沖縄独特のもので、様々な様式を取り入れて、昇華させているように見えます。 山水画の理想郷を、具現化していると言ってもよいでしょう。

  ところで、この宮良殿内を見ている時、私と前後して、まだ若い女性が、一人で歩いてやって来て、観覧して行きました。 昨今、一人で、観光地を巡っている若者を、よく見かけるようになりましたが、そういう人達は、十中八九、ブロガーで、ブログに旅行記を書こうという算段なんでしょうなあ。 一見、侘しい趣味のように見えるかもしれませんが、目的地が、史跡や動物園・水族館などであれば、複数人で行くより、一人で回った方が、ずっと気分良く見学できます。 同じ物を見ても、興味の程度は人によって違うので、一人は興味津々なのに、一人は早く帰りたくてイライラしているといった、気まずい状況が発生するのを回避できるからです。


≪石敢當≫
  「いしがんとう」と読むそうです。 街なか、至る所で、塀や石垣に、この石板が埋め込まれているのを目にしました。 元は、独立した石に、「石敢當」と刻んで、石碑のように立てていたもので、そういう本格的なものも、ちょこちょこと見ました。 用途は、魔除け。 魔物が直進しかできない性質を利用して、T字路の突き当たりに、これを置き、魔物をぶつけて、粉砕してしまうのだそうです。 なぜ、直進しかできないのかは、分かりません。 曲がった事が嫌いなんでしょうか? 魔物というと、むしろ、曲がった事しかしないようなイメージがありますが。 こんな屁理屈は、余計ですな。

石板状の石敢當。


  琉球文化圏全域にありますが、元は、中国から来たもので、東南アジアの華人圏でも見られるとの事。 日本にも、鹿児島県などに入っているらしいです。 誰でも、魔物には来て欲しくないもの。 石敢當は、設置場所の条件が分かり易いので、流行らせれば、全国的にパーッと広がるかもしれませんな。 効果があるかどうかは、怪力乱心を信じるかどうかで、評価が変わって来ると思いますけど。


≪八重山島蔵元跡≫
  「蔵元」というのは、琉球王国が、八重山、宮古島、久米島に置いた、代官所のようなもの。 税を徴収して、収める蔵があったから、そう呼ばれたのだとか。 ここは、八重山島蔵元があった所ですが、今は、やけに綺麗な石垣の塀しかありません。 これは、あまりにも綺麗過ぎるので、近年に復元したか、もしくは、復元でも何でもなく、遺跡っぽい雰囲気を出すために、新造したかのどちらかだと思います。


≪道路元標≫
  蔵元跡前の歩道に立っている、コンクリート製の物体。 「道路の起点・終点の基準になる位置を定めた標石」だそうで、それだけなら、さして珍しくないのですが、ここのは、米軍統治時代、しかも、琉球政府が出来る前の、「八重山群島政府」時代の、1951年11月に立てられたものなのだそうです。 オベリスク形をしていて、いかにも、アメリカ人が好きそうなデザインです。 ただし、これは復元したもので、本物はすでに無く、名前と日付を刻んだ銅版だけ、八重山博物館に保管されて入るのだそうです。 


≪石垣市立 八重山博物館≫
  入館料200円。 抵抗無く払える金額で、真にありがたい。 これだから、公営施設は好きです。 石垣市街に入った辺りから、腹が重くなっていたのですが、ここへ来て、急降下の気配を感じ、たまたま、ここのトイレが、和式で、使い易かったので、15分ほど粘り、全部、出させてもらいました。 和式トイレは、膝に負担がかかりますが、靴底以外に接触部分がないから、衛生的で宜しいです。

  また、脱線するようですが、昨今、公衆トイレに、洋式が増えて、私のように、潔癖症の人間は、ほとほと、困り果てている次第。 何のためらいもなく、便座に座れる人というのは、他人の病気がうつるのが、怖くないんですかね? 気が知れません。 そういう連中が、感染症を広めるんだよ。 除菌剤が備え付けられていればいいですが、ない場合は、便座にトイレット・ペーパーを敷かねばならず、面倒臭いったらありゃしない。

  中には、座り心地を重視してか、内側に傾斜がついている便座があり、ズボンとパンツを下げて、腰を下ろそうとした瞬間、敷いたばかりのトイレット・ペーパーが、便器の中に落ちて行くのを見る、あの無力感と言ったら、筆舌に尽くしがたいものあり。 切羽詰っている時には、敷き直す暇もなく、中腰で出す事になりますが、「とても、そんな器用な事はできない」と思いきや、やってみると、案外、できるもので、「それなら、最初から、中腰でやればいいか」と思ったりもするわけですが、まあ、そんな事は、ここで、じっくり検討するのも、場違いと言うもの。

  で、腹が軽くなったので、意気揚々と、博物館内の見学です。 博物館と言うと、範囲が広くなってしまいますが、ここは、民俗資料館でして、石器、土器、祭祀用具、民族衣装、民具などを展示してあります。

石垣市立、八重山博物館。


  撮影禁止ではないようだったので、中の写真も撮ったのですが、ネット公開できるかどうかまで確認して来なかったため、そちらは出しません。 特徴的な展示物というと、

☆ 旗頭(はたがしら)
  豊年祭の時に使う、幟り旗の竿の上に立てる飾りですが、華やかな配色でありながら、日本の水引や松飾りに通じるデザインが感じられる、不思議な物体でした。 「八重山 旗頭」で検索すれば、たぶん、引っ掛かると思います。

☆ 獅子舞の獅子
  獅子頭は、色が黒っぽくて、顔に迫力があります。 胴体の覆いは、芭蕉や苧麻の毛を着けて、獅子の体毛を表現していおり、日本の獅子舞よりも、ケモノっぽいです。

☆ 漁師が使う刳り舟
  漁師というか、「海人(うみんちゅ)」ですな。 刳り舟というか、いわゆる、「サバニ」ですな。 室内に入るくらいなので、そんなに大きなものではありません。 今でも使われていますが、そちらはエンジン・スクリュー付き。 ここに展示してあったのは、昔のもので、帆柱と帆が付いていました。 中国式の縦帆でした。 ちなみに、縦帆の方が、横帆よりも、風の流れを阻害しないので、効率がいいです。

☆ 八重山風俗図絵
  八重山の風俗習慣を、絵で記録したもの。 蔵元所属の絵師がいたとの事。 こういうのが、貴重です。 いくら細かく書いても、文章では伝わらないものがあるのであって、祭りの行列の様子など、百ページ書いても、一枚の絵に及びません。 公文書でありながら、ユーモラスなタッチの絵で、見ていて、飽きませんでした。

☆ 紅型(びんがた)
  紅型というのは、染物の種類の事ですが、それは晴れ着でして、他に、普段着の服も展示されていました。 和服に比べて、胴の幅がゆったりしていて、袖が短いです。 見るからに、暑い土地用という感じ。 しかし、前で重ねる点は同じで、腹の方は、暑かったでしょうな。 帯は、性別問わず、腰の上辺りで、ゆったり締めるようです。 そりゃそうか。 和服の女物の帯なんかしていた日には、冬でも暑くて、泡を吹いてしまいますな。

  念の為に書いておきますが・・・、「かりゆし」というのは、アロハ・シャツを原型にして、1970年頃に考案されたもので、沖縄の伝統衣装ではありません。 沖縄旅行に来ても、マリン・レジャーやゴルフばかりやっていて、歴史に全く興味が無い人がいるようですが、その辺の所、とてつもない誤解をしている可能性あり。 他人事とはいえ、冷や汗の出る勘違いだわな・・・。 

☆ 厨子甕(ずしがめ)
  琉球文化圏には、土葬や風葬をした後、何年後かに、遺骨を洗い、「厨司甕」という陶製の容器に納める習慣があったのですが、展示室の一隅に、その厨子甕が、たくさん並んでいました。 高さ、60~70センチくらいはあったでしょうか。 なんで、こんなに大きいかといえば、火葬後の骨と違い、ほぼ元の大きさのまま残りますから、脚や腕の骨などを、損なわずに入れるとなると、このくらいのサイズにならざるを得ないのではないかと思います。 ただし、実際に、どんな風に納めるのか見たわけではないので、詳しい事は分かりません。

☆ 琉球人形
  琉球人形というと、私は真っ先に、1975年の≪沖縄海洋博覧会≫の時に母が買って来た、花笠を被った踊り手の人形を連想するのですが、その後、土産物としての需要は、だいぶ減ったらしく、今回の旅行では、博物館や資料館以外では、見かけませんでした。 今でも、私の部屋にありますが、現代風の顔立ちで、民芸品扱いするのはもったいないくらい、可愛らしい人形です。 この博物館では、その琉球人形を、20体くらい使って、嫁入り行列を再現してありました。 花嫁(アイナー)の黒い服が、渋い。

☆ 宮良殿内の骨組み
  宮良殿内の建物を、骨組みだけ、1メートル四方くらいのサイズで、模型にしたもの。 現物を見た時より、大きく感じられます。 もしかしたら、現物の方が、大きさが目立たないように、工夫して建てられているのかも知れません。

  と、まあ、こんなところですが、よくある、地方自治体の民俗資料館と比べると、内容は、かなり濃いです。 石垣島を中心とする八重山諸島は、琉球王国の支配下に入る前は、独立した一つの文化圏だったわけですが、ここの展示を見た限りでは、本島との文化的な差異は、あまり感じられませんでした。 琉球王国の影響力が、非常に大きなものだった事が窺えます。 ただし、それはあくまで、よそ者の目で見た場合の話でして、地元の人は、違いがはっきり分かるのだと思います。


≪メイン・ストリート≫
  石垣島の歴史上の人物というと、「オヤケアカハチ」が、断トツで有名で、琉球・沖縄の歴史を読むと、必ず、「オヤケアカハチの乱」という歴史的事件が出て来ます。 1500年、第二尚氏王朝の初期に、農民を率いて、反旗を翻したオヤケアカハチが、王府の軍勢に敗れたというもの。 一度聞いたら忘れない名前というのは、この人の事を言うのでしょう。 私は、30年くらい前に、≪NHK市民大学 沖縄の歴史と文化≫という番組を見ていて、この名前を聞いたのですが、それ以来、一度も忘れた事がありません。

  そのオヤケアカハチが住んでいたのが、市街地の東の方の「大浜」という所で、そこに碑と像があるとの事。 せっかく石垣島に来たのだから、見たいのは山々。 しかし、いかんせん、徒歩では遠くて、片道、一時間くらいかかりそうです。 すでに、11時半を過ぎていたので、ここから、往復2時間、オヤケアカハチの碑と像のためだけに費やすのは、ちと勿体無い。 やむなく、泣く泣く諦める事にしました。 「まあ、碑と像は、後世に作ったものだから、史跡と呼ぶほどのものではなかろう」と、自分に言い訳をして・・・。

  で、博物館を出た後、南西に向かい、国道360号線に出ると、その向こうは、もう、石垣港です。 北西へ、しばらく歩くと。 「730記念碑」という交差点に出ました。 たぶん、この辺が、石垣市街で、最も栄えている所なんじゃないでしょうか。 人通りの多さや、軒を連ねる商店の雰囲気で分かります。 「730記念碑」というのは、米軍占領以来、右側通行だったのを、左側通行に変えたのが、1978年の7月30日だった事から、それを記念して置かれた石碑の事。

  国道360号線は、この交差点で北東へ曲がってしまうのですが、私は、北西へ直進し、石垣市役所の前まで行きました。 ちなみに、この市役所のすぐそばに、竹富町役場があります。 竹富町は、八重山諸島の中で、石垣市と与那国町を除く、ほとんどの島が入っている自治体なのですが、交通の便の関係で、竹富島にではなく、石垣島に役場があります。 町役場に勤めている人も、石垣市に住んでいるため、石垣市民であるという、「ナニソレ?」な状況になっているとの事。 もっとも、この日はまだ、その事を知らず、この翌日に、小浜島と竹富島のツアーに行って、ガイドさんから聞いたのですが。

  港の前から、730交差点を挟んで、この辺りまで、飲食店や、土産物屋が立ち並んでいて、おそらく、石垣市のメイン・ストリートに当たるんじゃないかと思うのですが、何せ、徒歩なので、市街を隈なく回ったわけではなく、私の知らない繁華街が、他にもあるのかもしれません。 石垣市街地は、相当には大きな街でして、「離島」のイメージからは、とんと掛け離れています。 さすがに、都会とまでは言いませんが、堂々たる地方都市ですな。 街が大きい事の、良し悪しは、別として。


≪市街北郊へ≫
  石垣市役所で、北東に曲がり、市街地の北へ。 ≪石垣島鍾乳洞≫へ向かうためです。 私は、今回の沖縄旅行に来る前に、母が海洋博の時に買った、≪ブルー・ガイドブックス 沖縄≫を読み、持って来てもいたのですが、その中に出ている石垣市街地の地図に、鍾乳洞があったのを記憶していて、この朝、ホテルのロビーで手に入れた観光パンフにも出ていたので、そこへ行ってみようと決めていたのです。

  市街地と言っても、北の外れで、少し離れているんですが、歩いて行ける距離と判断しました。 少なくとも、オヤケアカハチの碑と像よりは、かなり近い。 で、北へ北へと歩を進めます。 途中、雨に降られ、集合住宅の軒下で雨宿りしましたが、朝の雨と同様に、5分くらいで上がりました。 地元の人達も、同じように、雨宿りしては、上がるのを待って先に進むという行動を取っていました。 この日は、台風がまだ近くにいて、特に雨が多かったようなのですが、普段でもたぶん、降る回数が少ないだけで、同じように雨宿りしながら進むのが、習慣になっているのではありますまいか。


≪長田大翁主霊≫
  市街地の北の方、さりげない一角に、さりげなく、お墓らしきものがあり、琉球式というよりは、日本式に近いものだったので、ちょっと気になって、写真を撮っておいたのですが、家に戻ってから、写真を大きくして見直したら、なんと、「長田大主(なーたふーじぃ)」の墓でした。 この人、石垣島の歴史的人物としては、オヤケアカハチの次くらいに有名。 アカハチの乱の時に、琉球王国側について、戦った人です。 妹さんの一人が、アカハチに嫁いでいたというから、複雑な人物相関ですな。

  それにしても、この墓の形、あまりにも、地元っぽくありません。 「・・・霊」と刻んであるという事は、墓ではなく、単なる慰霊塔で、割と時代が浅いものなのかも知れませんな。 背面に、建てた日付があった可能性が高いですが、そもそも、写真を撮った時には、そんな大物関係とは思っていなかったのですから、見て来るわけもなく、今となっては、後悔のしようもありません。 つくづく、遠くに旅行に行く時には、綿密な下調べを怠るべきではありませんなあ。


≪琉球墓≫
  石垣市街は、北の方に行くと、住宅街になりますが、徐々に傾斜が強まり、やがて、住宅地が途切れると、サトウキビ畑が広がる、農地に出ます。 一面、すべて傾斜地ですが、勾配が緩やかなので、徒歩ならば、息が上がる程ではありません。 ここら辺に来ると、道路の脇や、畑の中に、お墓が、たくさん見られるようになりました。 ちょっと、びっくりするくらい、数が多いです。

  単独であるのもあれば、墓地と思しき場所に、十・二十と集まっている所もありました。 みな、沖縄式の大きな墓で、日本のものと比べると、敷地面積だけで、5倍以上ある上、納骨室は、人が入れるくらいの大きさがあり、墓というより、家、・・・いや、家とまでは言いませんが、小屋くらいの規模は、充分にあります。 古いものは、屋根が緩やかに膨らむ曲線を描いていて、「亀甲墓」と言うらしいですが、そういうのは僅かで、大部分は、直線だけで構成された、新しいものでした。 日付を見ると、「平成○○年」などとあり、最新のものでも、このサイズが普通なのだという事が分かります。

  納骨室の上に、四角柱の石塔が立っているものがあり、後で知ったところでは、これは、「やまと墓」と呼ばれる形式で、薩摩の支配時代以降に作られるようになったものらしいです。 しかし、納骨室の大きさは、他と変わらないので、日本式の墓という感じは、全くしません。 石塔がない墓の方が多数派ですから、無理に石塔を立てなければならない理由はないわけですが、どうして、このタイプが、ある程度シェアを持つに至ったのかは、不思議な事です。 石塔には、「○○家之墓」と刻まれるので、遠くから見た時、分かり易いというだけの事か、はたまた、もっと、複雑な背景があるのか・・・。

  実は、各タイプのお墓の写真も撮って来たのですが、観光名所ではなく、普通の家のお墓なので、公開はまずいと思われ、出さない事にします。 その家の人が見れば、「うちの墓ではないか」と、すぐに分かってしまうので。 もし、逆の立場で、私の家の墓を、よそから来た人が、日本式の墓の例として、無断でネットに公開していたら、やはり、気持ちのいいものではありませんからのう。


  この後、あろう事か、ロストしました。 とっくに見えていいはずなのに、どこまで登っても、鍾乳洞の看板一枚出て来ないのです。 見通しのいい、畑の中の道を歩いているのに、どうして迷うかなあ? で、やむなく、ナップ・ザックから、観光パンフを取り出し、地図を見直して見たら、通りを一本間違えていました。 市役所前から、真っ直ぐ北へ行けばいいと思っていたのが、そもそもの見間違えでして、もう一本西側が、鍾乳洞へ行く道だったのです。

  それを知って、げんなり。 畑の中の道の事とて、交差道路が少なく、登って来た道を、一旦戻らなければなりません。 すでに、時刻は12時半で、ホテルを出てから、3時間半、ほとんど歩き詰め。 しかも、坂を登ってきた後ですから、このロスは厳しかったです。 空は、ずっと曇っていたので、暑さがそれほどではなかった点は、不幸中の幸い。

  数百メートル引き返し、交差道路を数百メートル、西進し、ようやく、大きな交差点に出て、本来登って来るべきだった道に入りました。 そこからは、ちょっと登っただけで、鍾乳洞の看板が見えて、一安心。 ところが、すぐ隣に、≪八重山鍾乳洞 動植物園≫という看板があり、どうやら、類似施設が近くにある模様。 しかし、動植物園が付随しているとなると、写真の枚数が増えるのは、必至。 まだ、長い旅行の二日目なのであって、メモリーの残量が気になった私は、その看板は見なかった事にして、予定通り、≪石垣島鍾乳洞≫の方へ向かう道に入りました。


≪石垣島鍾乳洞≫
  大通りから、鍾乳洞までの道が、地味に長くて、徒歩にはきつかったです。 横をタクシーや、レンタカーに乗った観光客がどんどん抜いていくのが、妙に腹立たしい。 本来なら、この日、私は、西表ツアーに行っていて、ここへは、翌々日に、貸切タクシーで来る予定だったんですがね。 恨むぞ、ツアーをあっさり中止にした船会社よ。

  ようやく到着。 入場料、1080円。 さりげなく、高い・・・。 しかし、鍾乳洞は、洞内の通路を整備するのに、莫大な初期費用がかかりますし、照明代も相当にはかかるので、このくらいでも、高過ぎるというわけではありません。 それに、せっかくここまで歩いて来たのに、入場料を理由に入らないほど、高いわけでもありません。 というわけで、入る事にしました。 入口の建物が、竜宮城風になっています。 妙に、周囲の景色に馴染んでおるなあ。


  石垣島鍾乳洞は、説明板によると、

1 全長3200m(全国7位)。
2 観光洞、660m。
3 日本最南端の観光鍾乳洞。
4 鍾乳石の数は50万本あり、色彩は極めてカラフルである。 石筍の数は日本一。
5 鍾乳洞の中で化石を見ることができる。
6 洞内は、蜂の巣状の迷路になり、各広場は特徴的である。
☆平成6年11月22日オープン。

  との事。 なに? 平成6年、オープンですと? つーことは、1995年ですな。 では、どうして、母が1975年に買ったガイドブックに載っているんでしょう? もちろん、鍾乳洞そのものは、遥か昔からあったのだと思いますが、75年の時点では、存在は知られていたけれど、観光用に公開はされていなかったという事なんでしょうか? それとも、95年に、リニューアル・オープンしたという意味なんでしょうか?

  鍾乳洞も風穴も、鉱山跡も石切り場も、洞窟系はみんな同じですが、暗いので、写真は、みんなブレてしまい、ろくなものがとれません。 狭い所に、他の観光客もいますから、三脚を立てるわけにも行きませんし、フラッシュを使ったら、幽玄な雰囲気がぶち壊しになってしまうし、どうにも、処置なしといったところ。 と、言い訳をした上で、最もまともに撮れたのを、一枚だけ出しておきます。

板状になった鍾乳石。


  ろくな写真を撮って来なかったせいで、記憶があやふやに溶け合ってしまっているのですが、漠然とした印象では、「ここは、なかなか、レベルの高い鍾乳洞だな」というものでした。 鍾乳石の形が、奇々怪々で、「どういう条件が揃えば、こういう形になるんだ?」と、自然の神秘を感じさせるようなものが、多かったです。 もっとも、そんな事を言い出せば、人間の体だって、自然に出来たもので、複雑怪奇さは、鍾乳石より、数十段上だと言えないでもないですが。

  そういや、洞内で、係員、もしくは、業者と思われる人達が、記念写真を撮っていました。 昨今の観光地によくいる、観光客を捉まえて、写真を撮り、「気に入ったら、後で買ってください」という、アレです。 私にも声をかけて来ましたが、習慣的・反射的に、断ってしまいました。 断った後で、「あ! もしかしたら、高い入場料の中に、写真代が含まれていたのかもしれないぞ。 そりゃ、もったいない事をしたな」と、臍を噛んでいたら、すぐ先の広場で、700円で売っていて、「なんだ、やっぱり、別料金か。 断って良かったぜ」と、安堵の胸を撫で下ろしました。 たぶん、係員ではなく、業者なのでしょう。


≪西へ≫
  鍾乳洞を出たのが、1時半頃。 朝から歩き詰めで、汗を掻いたので、ここで、飲み物を買って、休憩しようと思っていたのですが、外にベンチがない上に、自販機に、500ccで120円という、私好みの炭酸飲料がありません。 やむなく、出発して、南へ下りました。 20分くらい下った所で、サトウキビ畑と牛小屋の間に、奇跡のように、ダイドーの自販機を発見。 夏場のツーリングの救世主である、「ミスティオ」があったので、それを買い、畑の脇で、黒毛の牛を見ながら、一気飲みしました。 こういう時、ふと、我に返って、「おりゃ、一体、こんな遠くまで来て、何やってんのかねえ・・・」と、つくづく思います。

  朝通った、ホテルから市街地に向かう道に出て、ホテル方向へ向かう内、また雨が降り出しました。 もう、郊外に出ているので、雨宿りする軒がありません。 慌てて、街路樹の下に駆け込みました。 ところが、今度は、なかなか、やまないのです。 それどころか、どんどん雨脚が強くなって来て、木の葉の重なりだけでは防ぎきれなくなり、頭の上から、雫がボタボタ垂れてくるようになりました。 足元も、俄かに出現した水溜りが、木の根元に立つ私の靴の下まで、じわじわと、勢力圏を広げて来ます。

  ナップ・ザックを下ろして、腹に抱え、紙類や電子機器が濡れないようにしていましたが、雨は、強くなるばかりで、もはや、応急対処では、間に合わない様相。 「こら、あかんわ」とて、ナップ・ザックから、折り畳み傘を出し、慌ててさしました。 後で乾かすのが面倒臭いので、ためらっていたんですが、どうせ使うなら、もっと早く出せばよかった。 中途半端に濡れて思う、判断の甘さの、惨めな結末である事よ。

  15分くらいで、雨はやみました。 歩き疲れて、脚が棒だというのに、服全体が湿気てしまって、気持ちが悪いったらありゃしません。 ホテル方向に向かって、また、歩き出しましたが、傘を半開きにして、手に持ったままなのが、どうにも鬱陶しい。 しかし、ホテルに帰ってからでは、部屋の中に干す場所などありませんから、歩いている間に乾かしてしまわなければならず、畳めないのです。

  途中、大きなホテルの隣に、芝生を敷き詰めた、広大な公園があり、そこで、海の方へ出てみました。 普段なら、綺麗な色なのだと思いますが、この日は台風の後なので、波打ち際から、数十メートル沖までが、ドス黒く濁り、その先の、エメラルド・グリーンの海域と、不気味なコントラストを作っていました。 この黒いのは、一体、何の色なのか・・・。

  やがて、泊まっているホテルの前まで戻って来ましたが、まだ、3時を少し過ぎたばかりだったので、そのまま素通りし、ホテルの西の方にも行ってみる事にしました。 少しでも多くの観光地を見てしまい、明後日の貸切タクシーで、近場を回らなくて済むようにしようという目論み。 脚が棒だというのに、我ながら、奇妙な欲ばかり出ます。 依然、傘は、半開きのままです。 こんな風にして、傘を乾かしながら歩いたのは、小学生の時以来ですな。 大人のやるこっちゃありません。 でも、幸いな事に、歩行者は、私の他に誰もいなかったので、「人の迷惑にならないなら、傘を乾かす実利の方を優先した方が、後々の始末が良かろう」と判断しました。 「旅の恥は掻き捨て」気分も、半分くらい。


≪冨崎観音堂(ふさきかんのんどう)≫
  ここが目当てではなかったのですが、途中にあったので、寄ってみました。 説明文を要約すると、「乾隆年間に、西表直香という人が、中国福州に行った時、以前、八重山で世話をした事がある中国人から、観音像二体を贈られた。 その間、石垣島で直香の無事を安じていた妻が、熱心に神仏に祈っているというので、桃林寺の住持が、観音像一体を与えた。 やがて、直香は、無事に帰り、合わせて三体の観音像を、自宅に安置し、篤く信仰した。 後に、託宣があったとして、観音堂を建てたが、二回、場所を移して、最終的に、ここに落ち着いた」というもの。

  ちなみに、琉球時代の史跡では、説明文の元号が、中国の王朝のものになっています。 これは、元の文献が、そうなっているからでしょう。 琉球は、明や清の朝貢国だったので、独自の元号は使わなかったんですな。 これは、朝鮮やベトナムでも同じ事。 支配者の称号も、中国の「皇帝」に対して、朝貢国では、「王」となります。 

  見に行ってみると、石畳みと石段がある参道の両側に、石燈篭が並び、どうにも、日本の神社臭いです。 この辺りは、明治以降に作ったんでしょう。 本堂がある所まで上がると、日本風の拝殿と、琉球式の本殿がありました。 観音堂なのですから、拝殿は要らないと思うのですが、どうも、こちらでは、伝統信仰、日本神道、仏教の混ざり具合の配分が、日本とは違っているようですな。


≪唐人墓≫
  ここが、西へ来た主な目的地。 説明文を要約すると、「1852年に、『苦力』として、アメリカの商船で、カリフォルニアに送られようとしていた、福建省人、約400人が、理不尽な待遇に耐えかねて、反乱を起こし、船長らを殺して、船を乗っ取ったが、台湾へ向かう途中、座礁して、石垣島に上陸した。 八重山の蔵元では、仮小屋を作って収容していたが、そこへ、米英の軍船が攻撃を仕掛け、多数の死傷者が出た。 犠牲者の墓が、この付近一帯に、多数、点在していたが、1971年に、合祀慰霊するために、この墓を建てた」というもの。

唐人墓。 裏側に、納骨室があります。


  天気が悪かったので、写真では色が分かり難いですが、原色乱舞で、ど派手です。 墓というより、モニュメントと呼ぶに相応しいのでは? 観光資源としては、間違いなく、強烈なインパクトがあります。 この写真を見たら、事情はともあれ、見に来たくなりますわな。 点在していたという、元の墓は、石積みで、煉瓦に名前や出身地を刻んだ墓碑銘が添えられていたそうです。 本当に、犠牲者の身になって考えるのなら、遺骨は、福建の出身地に返した方がいいと思いますが、この墓を建てるのに協力したのが、台湾政府だったとか、いろいろと複雑な事情がありそうなので、これ以上のコメントはやめておきます。


≪観音崎灯台≫
  1953年に、米軍によって建てられたもの。 そう言われてみると、形が変わっています。 特に、ライトの部分が、どうなっているのか、よく分かりません。 現役の灯台のようですが、どんな具合に点灯するのか、見てみたかったです。 もちろん、無人。 というか、今時、人がいる灯台の方が、珍しいですけど。 よく見ると、普通の灯台より、複雑なデザインです。

観音崎灯台。



≪観音崎≫
  今日の最終目的地。 石垣島の西南端の岬です。 「冨崎(ふさき)」とも言うそうで、向かって右の方には、「フサキビーチ」という浜もあります。 元は、冨崎と言っていたのが、観音堂が出来た事で、観音崎になったらしいです。 海の向こう、左の方に見える平べったい島は、竹富島です。 すぐそこなんですねえ。 ここも、天気が良い日なら、綺麗な海の色が見られたと思うんですが・・・。 つくづく、台風が恨めしいです。 岬の一帯には、岩や林の中を通る細い道があって、それぞれ、眺めのいい場所に出ます。

観音崎のあずまや。



≪ホテルへ≫
  この後、まっすぐ、ホテルへ戻りました。 4時着。 まずまず、よく活動した一日でした。 傘も乾いたし。 昼食は抜きましたが、仕事を辞めて以来、腹が出て、困っていたので、一食抜くくらいで、ちょうど良かったです。 部屋に戻って、まずは、服を脱ぎ、洗濯。 シャツ類とパンツ、靴下は、前日同様ですが、ズボンも、街路樹の下で雨宿りした時、裾が濡れてしまったので、そこだけ洗いました。 その事が、この翌日に尾を引くのですが、それはまた、後に記します。 

  続いて、風呂。 岩手の寮のユニットバスは、体育座りしかできないサイズでしたが、このホテルのバスタブは、足を伸ばせるくらい、ゆとりがありました。 「あ~、生き返るなあ・・・」と寛いだ、と言いたいところですが、実は私、大人になって以来、シャワー派を通していまして、家でも普段、湯船には浸かりません。 習慣というのは恐ろしいもので、すぐに、手持ち無沙汰になって、湯を抜いてしまいました。 ちなみに、このホテルには、海が見える展望大浴場もあったのですが、私は一度も行きませんでした。 どうせ、箍の外れたクソガキどもが、狂ったように、はしゃぎ回っているに決まっているからです。

  夕食は、前日同様、外のレストランです。 この日は、風が強いせいで、屋外のグリルで焼くバーベキューが選べず、和琉会席と和洋会席のどちらかの選択になりました。 同じ物ばかり頼むのも曲がないので、和洋会席にしたのですが、運ばれて来た料理を見ると、和洋と言いつつ、地元食材が多く使われていました。 調理法が、琉球式でなければ、琉球料理とは言わないのかも知れませんな。

  メニューの写真に、ステーキが載っていて、ナイフ・フォークの使い方など、惨めなくらい、うろ覚えだった私は、内心ドキドキしていましたが、運ばれて来てみると、箸で食べられるように、切り分けられていました。 客のほとんどが、箸文化圏の人間ですし、レストラン側にしても、ナイフ・フォークを使わせると、洗い物が増えるわけで、割り箸だけで食べられる形にした方が、メリットがあるのでしょう。

  そういや、焼き方を聞かれた時、「一番、よく焼いたので、お願いします」と答えてしまいましたが、「ウェルダン」という言葉が、咄嗟に出て来なかった自分に、ショックを受けました。 私ゃ、若い頃、ファミレスで、ステーキ焼いてたんですがねえ・・・。 継続は力、不継続は無力ですな。


≪二日目 まとめ≫
  これが、7月23日、旅行の第二日の行動、全てです。 中止になった西表ツアーの代わりに、急遽でっち上げた石垣市街地観光計画を実行したわけですが、まあまあ、行きたい所は、網羅できたと思います。 一番良かったのは、≪宮良殿内≫ですかね。 次が、≪鍾乳洞≫。 ≪博物館≫も良かったですが、もっと時間をかけて、じっくり見たかったです。 年齢的・経済的に、もう二度と行けないと思いますけど・・・。 そうそう、≪平和祈念館≫には、結局、行けませんでした。 鍾乳洞の後、ホテル方向へ、ショート・カットしてしまったので、市街地に戻れなかったんですな。 あそこも、見たかったなあ。

  それにしても、長い記事になってしまったものです。 たった一日分の記述が、どうして、こんなに長大化するかな? こんなに多くの事を、一日の間に考えているのだから、脳細胞がいくらあっても足りないわけだ。 実は、もっと長かったのですが、脱線した部分を、5分の1くらい削って、この長さにしたのです。 努力だけは、認めてください。 次からは、なんとか、短くします。

2014/08/10

沖縄の土を踏む

  沖縄旅行ですが、日程は、9泊10日で、ホテルは、石垣島に3泊、宮古島に2泊、本島北部に3泊、那覇に1泊しました。 10日間に及んだ長い旅行なので、紀行文風に記して行くと、膨大な量になってしまいます。 日記をつけるために、ノートを持って行ったのですが、帰って来てから数えてみたら、なんと、60ページも書いていて、我ながら、たまげました。 道理で、毎晩、四苦八苦したわけだ。 これだけの量になってしまうと、もはや、パソコンの日記に書き写すのは不可能。 そもそも、人様の目に触れるような書き方をしていませんから、そのまま出すという事はありえないのですが、これを要約するとなると、一から書くのと同じくらいのエネルギーが必要になってしまいます。

  ちょいと話は逸れますが、他人に見せる見せないは別として、旅行はもちろん、ちょっとした遠出でも、イベントでも、普段と違った事をやった後には、こまめに記録を取っておいた方がいいです。 人間、後々まで記憶に残る事など、ごく一部に過ぎず、細部は、時間の経過と共に、みんな忘れてしまいます。 また、記憶違いも、頻繁に発生します。 そういう時、書いた物が残っていると、確認ができますし、何より、読み返した時、実に面白い。 この世の中の読み物で、自分が体験した事を、自分で書き留めた文章ほど、我が事のように感情移入して読めるものはありません。 だって、我が事だものね。 箇条書きのメモのようなものでも、無いよりは、ずっといいです。

  話を戻します。 そういうわけで、文章の長大化を避けるため、行った先や、気になった事について、項目を立て、その感想を書くという形にしようと思います。 沖縄旅行に行った人は、無数にいると思いますし、私が回ったのと同じ所へ行った人も、たくさんいるでしょう。 何も私が最初の一人というわけじゃなし、探検記のように細大漏らさず書き記す必要はないわけだ。 ・・・と、開き直って。 その実、ただ、紀行文風に書くのが面倒なだけなのですが・・・。


≪家から、羽田まで≫
  北海道応援の時に使ったのと同じルートなので、不安は少なかったのですが、何せ、他人任せの乗り物の事ですから、油断はできません。 乗る飛行機は決まっていますから、それに遅れたら、アウト。 その後の旅行を続けたかったら、次の便の航空券を、自腹で買い直すしかなく、それだけで、何万円すっ飛ぶか分かったもんじゃありません。 自分が飛ばんで、金を飛ばしてて、何とする。

  まず、最寄のバス停から、沼津駅に行くのですが、路線バスが遅れて、早くもヒヤヒヤです。 出発日は7月22日の火曜日で、平日なので、8時半というと、通勤時間帯に入っているのかもしれませんな。 7分遅れで来ましたが、いつも、こんなに遅れるんですかね? バスの場合、渋滞があるので、電車の遅れに比べたら、まだ、納得し易いですが、それにしても、7分とは・・・。 電車の時間に、ゆとりを持たせておいて、幸いでした。

  ちなみに、駅までの運賃は、200円。 自転車なら、30分くらいで行ける距離なんですが、駅の近くには、自転車を10日間も置いておける場所がありません。 帰りの到着時刻が、夜になる予定で、バスが無い可能性が高く、その点でも、自転車の方が好都合なんですが、置き場所が無いのでは、是非も無し。 図書館の駐輪所に置きっ放しなどして、放置自転車として片付けられてしまっては、たまりませんからのう。

  沼津から三島までは、数分おきに、電車が出ています。 未だ大動脈の東海道本線なので、そこは便利なもので、東京方面、名古屋方面、どちらへ向かうにしても、何十分も電車を待つという事はありません。 沼津⇔三島間は、180円ですが、今回は、沼津から品川までの乗車券があったので、一円も払いませんでした。

  予定通り、9時20分のこだまに、乗れました。 北海道応援以来、新幹線には何度も乗っているので、感動が全く無くなっています。 三島から品川だと、途中駅は、熱海、小田原、新横浜だけで、各駅停車のこだまでも、遅いとは感じません。 というか、のぞみはもちろん、ひかりでさえ、三島に停まる便は、ほとんどありませんから、こだましか選べないんですがね。 ちなみに、小田原での停車時間が長く、そこで、のぞみやひかりに抜かれます。

  10時10分に品川に着きました。 ここで、私鉄の京浜急行に乗り換えます。 乗り換え用の改札を通れば、品川駅の中を通って、京急のホームへ直行できるのですが、私は、東海道本線と新幹線の使用済み切符を貰う必要があったので、JRの改札で一旦、外に出て、京急の切符売り場まで歩き、そこから、京急の改札を通って、再入場しました。 乗り換えが分り難い時は、一旦、外へ出てしまう方が、確実で、却って早いものです。 通勤客ではないのですから、一分一秒も惜しいというわけじゃなし。

京急・品川駅

  京急品川駅は、一本のホームに、次から次に、行き先の違う電車が入って来ます。 電光掲示板だけでは混乱するので、ホームに専門の案内係がいて、構内放送をしています。 これを聞き逃すと、大変。 羽田に行くには、エアポート快特が早いのですが、半年の間に、その事を忘れていて、ちょうど入って来た蒲田行きの各駅停車に乗ってしまいました。 まあ、これでも、行けるんですがね。 蒲田で乗り換えて、羽田へ向かいましたが、これも各駅停車でした。 まあ、着けばいいんですがね。

  品川から羽田までは、410円。 北海道応援の時は、400円でしたから、消費税増税の分、値上げしたんでしょうな。 いくら、ケチが信条でも、このくらいの出費は、気になりません。 ○△商事の担当者が計画した当初のルート通り、浜松町からモノレールに乗っていたら、自腹を切る必要はなかったかもしれませんが、その代わり、十中八九、迷子になっていたでしょう。 とにかく、飛行機の時間は、最も重要なので、絶対確実に間に合うルートを選んでおかねばなりません。 往復820円程度のお金には代えられますまい。


≪羽田から、石垣島まで≫
  羽田に着いてから、航空券を見たら、何と、座席指定がまだでした。 北海道応援の時には、片道4便、全て、事前に座席指定されていたのですが、こういう券も、あるわけだ。 ちなみに、券は、旅行会社のプリンターで打ち出したもので、A4の普通の紙です。 右下に、QRコードが入っています。 チェックイン・マシンへ行き、搭乗手続きをします。 まず、画面上の「バー・コード」を選びます。 実際には、QRコードなんですが、たぶん、分かり易いように、「バー・コード」と表示しているのでしょう。 後は、自分の場合に合う選択肢を選んで行くだけ。 座席を選ぶ画面になったので、後ろの方にしました。 窓側は全て塞がっていて、通路側しか選べませんでした。

  飛行機に、自力で乗った事が無い人の為に、ちょっと書いておきますと、航空券が無いのなら、まず、自分が乗りたい飛行機の航空会社のカウンターに行きます。 機械でも買えるようですが、最初は、係員に訊いた方が、確実です。 空港や航空会社によっては、機械が無い所もあるので、とにかく、カウンターへ行ってしまえば、どうにかなります。 ただし、格安航空でない限り、当日券を買うと、かなり高いです。 2ヶ月前から予約できるらしいですが、その期間内で、買うのが早ければ早いほど、安くなります。 半額くらいになるので、旅行の日程が決まっているのなら、早めの方が、断然、お得。

  航空券をすでに持っているのなら、この日の私のように、チェックイン・マシンに直行できます。 乗る前にやらなければならないのは、最低限二つで、「搭乗手続き」と「保安検査」です。 その搭乗手続きをするのが、チェックイン・マシンなんですな。 ただし、荷物を機内に持ち込まず、貨物室に預ける場合は、まず、「手荷物預かり所」へ行きます。 人が大勢、並んでいるので、すぐに分かります。 荷物を預けた場合、その場で、搭乗手続きもやってくれるので、もう、チェックイン・マシンに寄る必要はありません。

  ところで、「手荷物預かり所」と書いてあるのを、「手荷物 = 機内持ち込み荷物」と勘違いして、混乱に陥る人が多かろうと思いますが、「手」がついていても、それは、意味上、無視して宜しい。 航空会社側から見ると、乗客が持って来るのは、全て、「手荷物」なのであって、「荷物」と「手荷物」を区別していないのです。 区別があるのは、「預ける荷物」と「機内持ち込み荷物」の二種のみ。

  飛行機の大きさによって、機内持ち込みできる荷物の大きさと重さが違って来るのですが、予め、航空会社のサイトで調べて、もし、そのサイズ内に収まる旅行鞄があれば、そちらにした方がいいです。 「飛行機に乗る時には、荷物を預けなければならない」というのは、単なるイメージ、もしくは、思い込みであって、特に、国内旅行の場合、帰りはともかく、行きに関しては、そんなに大きな荷物にならない場合が多いですから、機内持ち込みできるサイズの荷物まで、律儀に預ける必要はありません。

  預ける時は、大抵、時間にゆとりがあるからいいのですが、下りた後、受け取るのに時間がかかるのですよ。 たとえば、300人乗った飛行機で、全員が荷物を預けていた場合、「手荷物受け取り所」では、一個ずつ、列になって、コンベアーの上を流れて来るので、最悪の場合、自分の荷物が出て来るのが、300個目になるかもしれません。 平均して、20分くらいは、ゆうにかかるのであって、その間、空港から出られません。 その点、機内持ち込みしておけば、自分で持って出るだけですから、飛行機から下りた後、ものの5分で、空港を出られます。 大違いでしょう?

  去年の10月末、私が初めて飛行機に乗った時には、席の上の荷物入れに、ギリギリで入るくらい大きな荷物を持ち込んでいる人を見て、「なんで、預けてしまわないんだろう?」と首を捻ったものですが、そういう人達は、旅慣れていて、空港から出る時間を惜しんでいたんですな。 次に乗るのが、バスにせよ、タクシーにせよ、早く、空港から出て来るに、越した事はありません。 特に、バスは、一本逃すと、一時間待ちなどというのが、ざらにありますから。

  で、搭乗手続きが済んだら、次は、保安検査です。 危険物を持っていないか調べる所。 機内持ち込み荷物と、身に着けている金属製の物を籠の上に出すと、向こうで検査機械を通して、危険物の有無を調べます。 結構、いい加減な所も多くて、腕時計は着けたままでもいいとか、小銭入れはポケットに入れたままでもいいとか、いろんなケースがありました。 スプレー缶や液体も検査対象なのですが、飲み物に関しては、自分で荷物から出すか、「中に入ってます」と言わないと、調べられない事が多いです。 ここでも、鉄道の改札係の極意が生きていて、係員が注意しているのは、物よりも、「人の挙動」なのかもしれません。 飲み物は、中身を調べる機械があり、「反応しなかったので、一口、飲んでみてください」と言われた事があります。

  一旦、保安検査場を通ってしまうと、後戻りできないので、注意が必要。 「展望デッキに上がってみたい」とかいう場合、そういう場所は、保安検査場より先には、絶対ありませんから、案内図を良く見て、先に寄っておくべきです。 それ以外の用事、たとえば、お土産を買いたいとか、トイレに行きたいといった事なら、保安検査場の先にもあります。 早めに空港に着いてしまうと、座って待ちたいわけですが、待ち合い場が、保安検査場の先にあるので、さっさと通ってしまった方が、体が楽という面もあります。 なぜ、保安検査場手前の出発ロビーに椅子が無い空港が多いのか、それは謎です。 到着ロビーには、大抵あるんですがね。

  そうそう、保安検査場を通る時、航空券のQRコードをかざす機械があり、そこで、「搭乗券」がプリントされて出て来ます。 大き目のレシートみたいな紙で、搭乗口番号と座席番号が印刷してあります。 航空券の段階で、座席指定されていれば、それらの番号はすでに分かっているわけで、この搭乗券は余分ですが、この時の私のように、空港に来てから座席が決まったという場合、搭乗券を見なければ、座席が分りません。 あと、社用で飛行機を使う人で、実際に乗った証拠が必要という場合、この搭乗券が証明になります。 航空券では駄目。 なぜなら、キャンセルして払い戻しを受けても、航空券は手元に残ってしまうので、不正が可能になるからです。

  搭乗手続きと、保安検査が終わると、待ち合い場で、自分が乗る便の搭乗案内が始まるまで待ちます。 ちなみに、搭乗手続きと保安検査は、早く済ませてしまっても、問題無いです。 同じ搭乗口から、先に出る飛行機が、何便あろうと、関係無し。 肝腎なのは、自分が乗る便の搭乗案内が始まった時に、そこにいる事ですな。 遅れるのは、駄目だけど、早過ぎるのは、問題無いのです。 ただ、待っているのが、退屈なだけで・・・。

  なぜ、「待合室」ではなく、「待ち合い場」というのかというと、「室」ではないからです。 「大きな部屋」と言えないでもないですが、ぶち抜き大空間なのであって、イメージ的に、「部屋」と掛け離れています。 そこに、ずらーっと、椅子が並んでいるわけですな。 前面の壁はガラス張りで、飛行機が見えますが、前の方の席に行くと、優先席になっていたりするので、注意が必要。 バスや電車の中ならともかく、なぜ、待ち合い場に、優先席があるのか、合理的な説明が思いつきませんが、つまらん事で他人から指摘を受けると、旅の記憶を汚しかねないので、避けておくのが無難でしょう。

  搭乗案内にも、優先順があり、まず、子供が一人で乗るケースから先に搭乗が許されます。 私個人の意見としては、子供を、一人で飛行機に乗せるような旅には出すべきでないと思いますがね。 「何でも、経験だ」とか言って、行かせるんでしょうが、そんな親心があるのなら、まだ、自力では一円も稼いでいない人間が、飛行機のように高い料金を必要とする乗り物に慣れてしまう事の方を警戒するべきでしょう。 自分が稼いだ金で乗るなら、何の文句もありません。

  容易に想像できるように、飛行機慣れした子供は、大人になれば、平気で飛行機を使う旅をしまくる事になるわけですが、よほどの高給取りにでもならない限り、常に素寒貧の経済状態になるのは、目に見えています。 飛行機の乗り方なんか、知らなくても、ちっとも恥ではありません。 現に、私は、去年の10月まで、半世紀近く、飛行機とは無縁で生きて来ましたが、その事で馬鹿にされた事など、一度もありません。 恥になるのは、自分の収入の限度を超えた旅行で、破産する事の方でしょう。 「こいつ、馬鹿でねーの? 大方、親も馬鹿だったんだろう・・・」

  次が、障碍者で、これは、納得できます。 一般客が搭乗し始めると、機内がごった返すので、体が悪い人では、席まで辿り着けません。 車椅子に至っては、二進も三進も行かなくなってしまいます。 その次が、乳幼児を連れた家族連れ。 私個人としては、こんなやつら、どうでもいいと思うのですが、幼児は、さっさと席に座らせてしまわないと、お祭気分で、うろうろして、他の客の邪魔になるから、致し方ないですか。 まったく、他人のガキほど、有害なものは無い。

  次が、ファースト・クラスや、プレミアム会員になっている客。 この人達は、それなりのお金を払っているわけで、納得できます。 ただ、国内線の飛行機だと、ファースト・クラスも、一般席も、大した差が無いような気がせんでもなし。 飛行機が墜落した時には、後ろの方が、生存率が高いのであって、わざわざ高いお金を出して、死に易い席を買うというのも、どんなもんでしょう?

  最後に、一般客になります。 いつも思うのですが、搭乗ゲートに並ぶ行列が、結構、割り込み自由なのは、不思議な光景です。 たとえば、一人が並んでいて、その家族が後からやって来て、ごそっと割り込む事がありますが、誰も何も言いません。 これは、全席指定で、早い者勝ちではないから、みんな、「最終的に、乗れればいい」と、鷹揚に構えているんでしょうねえ。 私は、それが分かっていても、割り込まれると、腹が立ちますが。

  搭乗ゲートでは、航空券のQRコードを機械にかざします。 日本航空では、A4の紙ですが、全日空では、チェックイン・マシンで搭乗手続きをすると、もう一枚、小さな航空券が出て来るので、保安検査場と搭乗ゲートでは、そちらについているQRコードを使います。 分らん時には、係員に、「どちらですか?」と訊けばいいです。 全日空の方が、券が一枚多くて、面倒ですが、A4の紙を持ち歩くのは、大き過ぎて、邪魔なので、わざわざ、小さい券を出しているのかもしれません。

全日空の、航空券・大(左)、航空券・小(右下)、搭乗券(右上)

  この時、私が乗った、石垣空港行きは、全日空でした。 まだ、待ち合い場で待っている間の事ですが、あいにく、台風が石垣島に近付いていて、「石垣空港に着陸できない時には、那覇空港に着陸する、条件付のフライトです」と、放送していました。 翌日からの予定が決まっている私としては、それは、非常に困ります。 で、ゲートの係員に、「那覇空港に下りてしまった場合、どうやって、石垣島へ行けばいいんですか?」と訊いたら、「それは、私どもで、手配させていただきます」との返事。 「今日中に着けますか?」と訊くと、「それは、まだ分りません」との事。 そりゃそうか。 だけど、マジで、困るのですよ。 石に齧りついてでも、今日中に、石垣島のホテルに入らなければ・・・。

  11時55分発の予定が、離陸したのは、12時10分頃でした。 「出発時刻は、離陸時刻の事なので、15分前には、搭乗ゲート前に来ていて下さい」と、くどいほど断る割には、飛行機の離陸時刻は、なりゆき任せのようです。 まあ、天候に問題があると、全ての便が、遅れ遅れになるので、仕方がないのですが。

全日空のレトロ・デザイン、≪B767-300≫

  北海道応援の時に乗った機体は、全日空も日本航空も、≪ボーイング777-200≫でしたが、この時乗ったのは、≪ボーイング767-300≫でした。 ≪777-200≫より、小さくて、ちと不安に。 また、外観の塗装が、昔のデザインで、垂直尾翼に、レオナルド・ダ・ビンチの飛行機械が描いてある、あれなのです。 乗ってしまうと、全く見えないので、外観をレトロ塗装する事に、どういうメリットがあるのか、よく分りません。 内装は、≪777-200≫より、角張ったデザインで、狭いのも加わって、ちょっと、圧迫感がありました。 ただし、これらの感覚は、相対的、且つ、主観的なものなのでしょう。

≪B767-300≫の機内

  私の座席番号は、「42C」。 行ってみたら、一番後ろでした。 よしよし、生き残る確率が、少し上がったぞ。 左列の、通路側。 ところが、幸運な事に、窓側の席は空席でした。 私がチェックインした時には、埋まっていたわけですから、その後、キャンセルされたんでしょうね。 単に、来なかっただけかもしれませんが。 で、離陸後、窓の方ばかり見ていたら、CAの人が来て、「空いてますから、窓側へどうぞ」と言ってくれたので、ホイホイ喜んで、席を移りました。

  私見ですが、飛行機に乗ったら、窓側に座らなければ、楽しみは10分の1以下です。 高い所から、地上を見下ろすのは、どうして、あんなに面白いのでしょう? 私の精神年齢が、子供だから? いや、そうとも限りません。 子供だからといって、窓にへばりつく者ばかりではないのであって、席に座るなりイヤホンの袋を破り、機内放送にしか興味がない、もったいない奴も多いです。

  あいにく、羽田から沖縄へ向かうルートは、本州・四国・九州では、陸地の上を、ほんのちょっとしか飛ばなかったのですが、奄美大島から先は、島々が、はっきり見下ろせました。 地図と見比べて、形が分るのが、また面白い。 旅行なんか、どうでもいいから、飛行機の窓からの景色をずっと見ていたい気分でした。

どこかの環礁

  飛行時間は、3時間弱。 食事は無く、ドリンク・サービスが2回来て、私は2回とも、ホット・コーヒーにしました。 3時間弱でも、食事が無いとなると、もしや、今の国内線では、一切、食事を出していないんでしょうか? 私の母が盛んに旅行をしていた、20年くらい前には、2時間以下の飛行でも、食事は必ず出たそうですが。

  ちなみに、客室乗務員の立場からすると、食事なんぞは、出さないで済めば、それに越した事はないと思われます。 ドリンク・サービスだけでも、結構、時間と手間がかかるのであって、それを食事なんかになった日には、あーた・・・。 狂ったクソガキどもが、席をぐじゃぐじゃにしてしまうのは、火を見るよりも明らか。 いっそ、ドリンク・サービスもやめてしまい、搭乗ゲートで、250㏄のペットボトルを選ばせるようにすれば、乗務員の人数を、もっと減らせるんじゃないでしょうか? それは、LCC的発想か。 いや、LCCなら、そもそも、何も出さないか。

  やがて、飛行機が石垣島に接近。 台風も接近。 高度を下げると、空は曇って、灰色と白しか見えません。 石垣市街が見え、旧石垣空港が見え、それから、新石垣空港へ近付いていきますが、猛烈な向かい風で、大型ジェット旅客機とは思えぬほどの低速になり、機体が、ガタガタ揺れ始めました。 もはや、五郎八航空の乗客になった気分。 一回で着陸しましたが、車輪が接地した後も、機体がバンバン跳ねて、引っ繰り返るんじゃないかと思いました。 何とか、無事、停止したものの、こちとら、魂が抜けてしまったような感じ。

石垣島に接近

  こんな悪条件で着陸したのは、機長の腕を誉めるべきなのか、慎重さに欠けると批難すべきなのか・・・。 ちなみに、同じ台風で、台湾の旅客機が、着陸に失敗して、大勢の死者が出ています。 ああ、怖い怖い。 こういう事を、機長の腕などという、あやふやなものに頼るのは、あまりにも無謀じゃて。 着陸失敗したのが私の乗った飛行機であっても、ちっとも不思議ではなかったのです。 もっとも、とにもかくにも、下りてくれて、予定が狂わずに済んだのは、感謝しなければなりませんが。

  私の場合、荷物は機内持ち込みしていたので、すぐに、外に出られました。 雨混じりの強風が吹いています。 この空港は、正式名称、「南ぬ島 石垣空港」と書き、「ぱいぬじま いしがきくうこう」と読みます。 後で知ったんですが、石垣島の言葉で、「ぱい」というのは、「南」の事を意味するとの事。 つまり、「南の島 石垣空港」という事ですな。 新しい空港ですが、そんなに大きいわけではないので、迷うような事はありません。

ぱいぬじま 石垣空港


≪石垣空港から、ホテルへ≫
  「そーんな細かい項目まで、立てんでえーわ!」と、憤るなかれ。 ここが、結構、苦労したのですよ。 計画段階での、○△商事の担当者の話では、「石垣空港からホテルまでは、バスが無いので、タクシーで行ってください」と言われ、「タクシー代は、ポイントから出るんですか?」と訊いたら、「出ません」との事。 ご丁寧に、「3500円くらい、かかるそうです」と付け加えてくれましたが、冗談じゃありません。 ポイント消化のために行く旅行で、なんで、私が、3500円も自腹を切らねばならんのですか! そんな金があったら、古本でも買うっつーの。

  地図を見たら、空港は、島の東の方にあるのに対し、ホテルは、西の端に近い所にあります。 どーしてまた、こんなに離れた所に、ホテルを取るかなあ? 「二日目と三日目が、離島ツアーで、石垣港から船が出るので、港に近い所が、便利だと思いまして」とか言っていましたが、いやいやいや、地図で見ると、港からも、充分に遠いのです。 島の南岸にあるホテルとしては、港から最も遠いと言ってもいいくらい、きっちり遠い。

  基本的に健脚な方なので、「タクシーに乗るくらいなら、いっそ、歩く!」とも考えましたが、手ぶらならともかく、旅行鞄を持ってでは、かなりきつそうです。 北海道応援の時、同じ鞄を持って、寮からバス停まで、40分くらい歩いた事がありますが、その時は、歩道の舗装がしっかりしていたので、ほとんど、キャスターで引いていったのであって、石垣島の歩道の状態が分らない時点では、そんな無謀な計画は立てられません。 それに、ホテルに入る時刻があまり遅くなっても、夕食時間の関係など、後々、面倒な事が噴出しそうな予感がしました。

  で、○△商事に丸投げを決め込んでばかりもいられなくなり、自分でネットで調べてみたら、・・・なんだ、バスがあるじゃありませんか。 空港から、港の近くにある、バスターミナルまで、540円。 更に、調べると、ターミナルから、ホテルまで行くバスもあり、そちらは、210円でした。 バス停の名前が、「○○ホテル前」なのですから、これほど確実な事は無い。 合計、750円で、タクシー代とは、桁が違う安さです。 インターネット、様様。 自分で調べておいて良かった。 人任せにはできんのう。

  その後、○△商事の方でも、調べ直したらしく、チケット類が送られて来た時に、一緒に入っていた日程表に、空港からバスターミナルまでのバスの発車時刻が書き込んでありました。 たぶん、最初は、調べるのが面倒だったんでしょうな。 気持ちは分からんではないですが、仕事でやっているのなら、もそっと職業意識を高めてもらいたいものです。 ただし、調べ直しても、ターミナルからホテルまでのバスの存在は漏れていたわけで、やはり、自分で調べておいて良かったわけです。 その距離だけでも、タクシーを使ったら、1000円以上かかっていた事でしょう。 そんな金があったら、古本を買うっつーの。

空港⇔バスターミナル間のバス

  で、実際に、石垣空港に下り立ち、バス停に行くと、すでに、ターミナル行きのバスが来ていました。 車内に入ると、「バスターミナル⇔空港 540円」と大きく書いた紙が貼ってあり、「よしよし、調べた通りだ」と、更に安心しました。 3時半、ほぼ満席で、出発。 サトウキビ畑がたくさんあり、つい、写真を撮ってしまうのですが、街路樹があるので、バスの側面窓から写真を撮ると、街路樹が流れて、ろくな写真になりません。 曇っていて暗いので、シャッター・スピードが遅くなり、ピントまで合わないという、最悪の撮影条件。

  石垣市街に入ると、街の様子は、静岡県と大して変わらず、ちと、がっかりしました。 旅の最大の楽しみは、自分が住んでいる所との違いを見る事なのですが、日本国内だと、どこもかしこも、嫌がらせのように似通っていて、およそ、変化がありません。 沖縄も、例外ではなかったか・・・。 実は、街路樹を始め、庭木、山の木など、植物は、だいぶ違うのですが、無知の悲哀という奴で、初日は、畑のサトウキビ以外、気がつきませんでした。

  市街地に入ると、地元の人が何人か乗り降りしましたが、空港から乗った観光客は、全員、バス・ターミナルまで行きました。 面白いもので、同じ飛行機で、空港に下り立った人達は、みんな、同じホテルに行くのではないかと思ってしまうのですが、それは単なる錯覚でして、ターミナルに着くと、即座にバラけました。 今時、旅は道連れでもなんでもないんですなあ。

  ここのターミナルには、バス乗り場が一ヵ所しかなく、行き先の異なるバスが、時間になると、その乗り場に入って来るという方式で、それが分るまで、ホテル行きのバス停を探して、不様にうろちょろしてしまいました。 しかも、ターミナルの窓口で、先に切符を買った方が良いというのです。 しかし、私の場合、発車時刻が迫っていたので、切符を買っている暇が無く、運転手さんに断った上で、整理券を取り、降りる時に払う事にしました。 ちょうど、210円持ってましたから、両替の手間も無いし。

  バスは、市街地にあるホテルを少し回った後、西の郊外に出て、あっという間に、私が泊まるホテルに着きました。 手ぶらなら、確実に歩けた距離です。 降りたのは、私一人だけ。 つくづく、旅は道連れではないのだなあ。 想像していた通り、ホテルの周囲には、コンビニはおろか、人家一軒ありません。 これだから、リゾート・ホテルは怖い。 人里離れた所を、わざと選んで建てているのですから、周りに何も無いのが当たり前なんですが、買い物は、ホテル内の売店に限られ、日用品の類いは、一切手に入りません。 「足りない物は、現地で買う」という、昨今の旅の極意が、通用しないんですな。


≪石垣島のホテル≫
  八重山諸島にいる3泊4日間は、このホテルに泊まる事になります。 フロントで、○△商事から送られて来た、旅行会社発行の宿泊予約券(ただのA4の紙に、プリンターで印刷したもの)を見せると、確認だけして、戻されました。 当然といえば当然ですが、宿泊予約は、コンピューターで管理されていて、私の名前は、すでに、その中に入っているわけです。 ただ、それとは別に、氏名・住所・電話番号を、専用の用紙に書かされました。 面倒な話で、本人確認が目的なら、免許証のコピーでも取ってくれた方が、楽なんですがねえ。 ちなみに、旅行中、車を運転する予定はありませんでしたが、何があるか分からないので、身分証明用に、免許証は、一応、持って行きました。

  チェックインの時、一番、注意して聞いておかなければならないのは、食事の方法です。 私の場合、夕食と朝食が、予約の中に入っていたのですが、このホテルでは、それぞれ、別の場所で食べるとの事。 あああ、面倒臭い。 これだから、ビジネス・ホテルで、朝食オンリー、バイキングくらいの方が、楽でいいというのです。 説明を受けた後、3泊分の夕食券と朝食券、それと、部屋のキー、キーの引換証をもらいました。 引換証というのは、外出時、キーをフロントに預ける決まりなのですが、帰って来た時に、キーを受け取るために提示する、カード大の紙です。 ただ、この引換証があったのは、今回の旅で、このホテルだけでした。

  部屋には、案内してくれません。 部屋番号を告げられ、自分一人で行きます。 これは、全てのホテルで同じでした。 中には、「荷物は、運んでくれないのか」と訊いているお客もいましたが、「ご自分で、お願いします」と答えていました。 恐らく、到着が何組も重なった時などに、人出が足りなくなってしまうので、最初から、そういうサービスはしていないのでしょう。 古い旅館や、高級ホテルなどと比べて、従業員の数が、遥かに少ないのではないかと思いました。 その点は、ビジネス・ホテルに近い運営方法なのだと思われます。

  私の部屋は、2階の、一番奥でした。 歩く歩く。 エレベーターもありましたが、2階では、待っている時間の方が長くなってしまうので、旅行鞄を持っている時と、疲れている時以外は、階段を使いました。 廊下は、曲がったり、戻ったり、スロープを下りたり上がったり・・。 旅館にせよ、ホテルにせよ、どうして、こう、入り組んだ建物を造りたがるのかは、大いなる謎です。 地形に合わせるからですかねえ。 単純な建物の方が、迷わなくていいと思うんですが。 どうせ、各部屋の造りなんて、大体、同じなんですから。

  部屋は、ツイン。 意味がねー。 今回の旅は、全ホテル、ツインでした。 リゾート・ホテルだから、シングルが無いのは、致し方ないか。 他の部屋の中は見ませんでしたが、ドアとドアの間隔は、どこも同じだったので、たぶん、ツインの部屋が多いのだろうと思います。 それでいて、二人連れで来ている客は少なく、家族連れが圧倒的多数なのです。

  夫婦と子供の組み合わせで来た場合、部屋をどうやって分けるのか、下司な興味が湧くところです。 子供は一部屋に押し込んで、夫婦は、もう一部屋で新婚気分なんでしょうか? いやいや、そうは簡単に分けられますまい。 子供だけでは、洋風のベッドや、ユニット・バスを安全に使うのは、かなり難しいです。 まー、んな他人事は、どーでもいーか。

ツイン・ルーム

  部屋は、綺麗なものでした。 まだ、ホテル自体が、新しいんでしょうな。 古くても、20年は経っていないと見た。 ベッド二つに、窓際に、応接セット。 壁の一面に、食器棚と、鏡台がついています。 ユニット・バスの広さは、まずまず、ゆとりがありました。 岩手で住んでいた、独身寮のユニット・バスに比べれば、遥かに上等です。 普通サイズのタオルと、バス・タオルが二枚ずつ。 これは、ツインだからでしょう。 他に、バス・タブに、タオルが一枚掛けてあり、「なぜ、こんな所にタオルが?」と首を捻りました。 このタオルが何なのかは、次のホテルへ行った時に、判明する事になります。

  バス・タブの土手に、ハンド・ソープ、シャンプー、コンディショナーのボトルが置いてありました。 やっぱり、あるんだなあ、こういうものは。 万一の備えに、石鹸を一つ持っていたのですが、それは、それで、洗濯するのに役に立ちました。 洗濯機と乾燥機は、ホテル内にあるにはあるんですが、どちらも有料。 それに、私の場合、一日に出る洗濯物は、上着シャツ一枚、下着シャツ一枚、パンツ、靴下だけで、洗濯機を煩わすほどの量にはなりません。 手で洗ってしまった方が、楽なのです。 結局、旅の間、毎日、手で洗濯していました。

  テレビは、もちろん、液晶で、地デジとBSが映りました。 沖縄県は、地方局が3つで、日テレに相当する局がありません。 しかし、私は、普段から、専らBSしか見ないので、別に問題ありませんでした。 鏡台の上に、ティッシュの箱あり。 これも、用心に、詰め替え用のを持って来ていたんですが、不要でした。 基本的に、日常生活に必要な衛生関係用品は、全て揃えてあるわけだ。 無いのは、電気髭剃り機くらいのもの。 T字剃刀はありましたが、あれで、髭を剃るのは、慣れとコツが要ります。

  ドライヤーは、最初から部屋に置いてあるホテルと、フロントに言えば、貸すというホテルがありましたが、ここでは、たぶん、後者だったと思います。 撮って来た室内の写真に、ドライヤーが写っていないので。 私は、髪が短いので、ドライヤーは用無しで、あまり、注意していないのです。

  湯沸し用のポットは、どのホテルでもありましたが、このホテルでは、電気ケトルがありました。 ユニット・バスの洗面シンクで、ギリギリ水が汲める背丈。 普通のポットだったら、汲めなかったと思います。 そうなると、バスタブの方についている蛇口から汲むしかありませんが、それはちょっと、抵抗を感じるところ。 別に、不衛生というわけではないですが、自宅では、まず絶対、飲み水をそんな所から汲んだりしませんから。

  「夏なのに、ポットがいるのか?」と思うかもしれませんが、要るんですよ。 よその土地に行った時には、水道水は、そのまま飲まない方が無難。 水が変わったせいで、腹を壊すのは、非常によくあるパターンです。 著名人の旅行記を読むと、「せっかく、ここまで来たのに、下痢でダウン・・・」といった記述が、かなり高い頻度で出て来ますが、ほとんど、飲み水のせいです。 食べ物の方は、一度加熱してあるから、あたる事は、そんなにありません。 水も、一度加熱してやればいいわけで、ポットは、そのために使えるのです。 水を買って飲む習慣がある人には、ポットのそういう用途は不要ですけど。

  とりあえず、鞄を開けて、荷物をテキトーに出している内に、はっと気づいて、家に電話をかけるために、ロビーに下りました。 私は携帯を持っていないので、旅先ではいつも、昨今めっきり減った公衆電話を探すのに、少なからぬ骨を折る事になります。 もっとも、旅なんて滅多に行かないから、そのためだけに携帯を契約するなど、馬鹿げた事ですが。

  ロビーをざっと見渡しても、公衆電話が無いので、フロントで訊いたら、「あります」と言って、わざわざ、案内してくれました。 ロビーの隅の衝立の後ろに隠されていて、なぜかと思ったら、そこの天井が、雨漏れだか何だか、とにかく、壊れていて、修理するまで、隠してある模様。 家に電話。 今や、骨董品となりつつある、テレホン・カードを使うのですが、さすが、沖縄⇔静岡間だけあって、どんどん、度数が減る。 とりあえず、無事に着いた事が伝わればいいので、飛行機の着陸が、えらい揺れた事だけ話して、さっさと切りました。

  部屋に戻り、日記を書いていたら、フロントから内線電話があり、翌日の西表島ツアーを担当している、「●●観光」という会社から、電話がかかっているので、繋ぐとの事。 嫌~な予感・・・。 話を聞いてみると、案の定、「明日のツアーは、台風で、水牛車が出ない事に決まったので、中止です」との事。 水牛車のせいにしているところが、カチンと来て、「西表島に渡るだけでも渡れませんか?」と訊き返したら、その場合、ツアーとは関係無くなるので、船賃は自腹になるとの回答。 いくらか訊いたら、往復で、3400円ですと。 高いわ。 しかも、船自体が、出るかどうか、朝にならなければ分らないと言います。 不確定要素が多すぎて、もはや、検討の余地無し。

  「ツアー代金は、旅行会社に連絡して、払い戻してもらって下さい」と言われましたが、そんな簡単な話ではありますまい。 石垣島在住者ならいざ知らず、こちらは、遠くから来ているのであって、西表ツアー代だけ払い戻してもらっても、後日、また、石垣島まで来るのには、何万円か飛行機代がかかるわけで、とても、足りません。 しかし、それ以上、文句を言っても、中止の決定が変わるわけではないので、不承不承ながらも、承って、電話を切りました。 観光の第一日目から、これでは、気分が腐るなというのが無理というもの。

  6時になったので、夕食に下りました。 ロビーへ行くと、フロントの係が出て来ていて、外にある、別棟のレストランへ行くように、教えてくれました。 レストランの海側に、大きなテラスがあり、パンフを見ると、そこにテーブルと椅子が並んでいて、屋外で食事する 写真が載っているのですが、台風で風があるせいか、その日は何も出されていません。 つまり、食事は、屋内オンリーなわけですが、私には、何の問題もありません。 むしろ、冷房が利いている所の方が、ありがたいです。

  夕食券は、予約されていたもので、メニューは決まっており、「和琉会席」「和洋会席」「バーベキュー会席」の3種類から選べるとの事。 せっかく、沖縄に来たのだから、御当地料理を食べようと思って、「和琉会席」にしました。 レストランで、会席料理というのは、どんな事になるのかと思っていたら、コース料理のように、一皿ずつ運ばれて来るのでした。 盛り付けは、和風、洋風の混合。 料理の説明をしてくれましたが、琉球料理に関する知識が、決定的に欠如している私には、猫に念仏、馬の耳に小判で、ほとんど、頭に残りませんでした。 覚えているのは、「ミーバイ」という魚の刺身だけ。 味は、どれもおいしかったです。 デザートのアイスクリームの種類を選べたので、沖縄らしく、「紅芋味」にしました。 これもおいしかったです。

  西へ来ているので、日が沈むのが遅く、暗くなるのも遅いです。 部屋に戻ったのは、7時頃でしたが、まだ、ゆうゆう、明るかったです。 私の部屋は、最奥である上に、窓が山側に向いていて、道路と、小高い丘と、その上にある病院の建物以外、何も見えません。 リゾート・ホテルでありながら、こういう部屋があるとは、意外という以外ありませんな。 恐らく、ツインといっても、一番安い部屋なんでしょうなあ。 福利ポイントを、45万円分も注ぎ込んだのに、ホテル代をケチっているのは、奇妙な話のようですが、9泊10日もあって、貸切タクシーを5日も使うから、ホテルの方まで、ゆとりが出なかったのかも知れません。

部屋の窓からの景色

  8時頃、すっかり暗くなってから、部屋の電灯を点けようとして、ある事実に気づきました。 この部屋。 天井に電灯が無いのです。 壁と鏡台脇と、ベッドの近くにスタンドがありますが、全部点けても、本を読むのに困難を感じるほどの暗さ。 寝るだけなら、明るさは要らないという事なんでしょうか? むしろ、ツイン本来の用途としては、明るいと、逆に不都合とか? いやあ、こういう事は、泊まってみなければ、分からんものですなあ。 こんな事を知ったって、後の人生の肥やしにはならないと思いますけど。

  日記を書き、洗濯し、シャワーを浴び、9時から、BSプレミアムで、≪ゴジラVSデストロイア≫を見ました。 つまらんものを見てしまった。 長い一日が、ようやく、終わりました。 無事に石垣島に辿り着けた点は、吉。 翌日の西表ツアーが中止になった点は、凶。 「明日は、どうやって、一日潰そうか・・・」と考えながら、眠りにつく事になりました。 30年ぶりくらいで、浴衣を着ましたが、寝ている間に、裾が捲れて、なんとも言えぬ不快感に悩まされながら・・・。


  信じられない話ですが、これはまだ、10日間の旅行の、第1日目の記録に過ぎません。 「長大化を避けるため」などと、前置きしながら、十二分に、長大化していますな。 こんなに長引くとは、誰が想像したでしょうか。 次回からは、もっと、簡略化する事にします。 それと、今回の前半、なんだか、紀行というより、飛行機の乗り方を説明したハウツー記事みたいになってしまいましたが、私が、ここで書いたような事は、二回くらい乗れば、誰にでも分かる事です。 少なくとも、国内線に関しては、どんな人でも、全く、恐るるに足りません。