2015/10/25

終の棲家

  NHK総合で、木曜夜10時55分から放送している、25分間の情報番組に、「所さん!大変ですよ」というのがあります。 スタッフが調べて来た、世相の変わった現象を、ビデオ映像を中心に、男性アナが紹介し、司会の所さんと女性アナ、及び、三人のコメンテーターが、それを見て、ああだこうだと語る番組。

  所さんと女性アナは、司会という事になっていますが、実際には、彼ら二人がコメンテーターで、三人のコメンテーターは、専門家として呼ばれており、情報の補足役です。 そういや、所さんは、司会として出ている番組が多いですが、その実、本当に司会をやっているのは、一つ二つくらいで、ほとんどの番組では、コメンテーターしか、やっていませんな。 その事に気づかない視聴者も、結構いるのでは?

  本業は、あくまで、ミュージシャンですが、この人の最大の才能は、コメントの面白さでして、所さんの番組を見たがる視聴者は、所さんが何を口にするか、それが聞きたくて、大して興味のないビデオでも、つきあって見ているのだと思います。 おそらく、現在、日本のテレビ出演者の中では、ダントツの才能。 冠番組を、いくつも掛け持ちできるのは、司会を人に任せて、コメンテーターの立場で、気楽に出演しているからでしょう。 全部で、司会をやっていたら、体がもちません。

  いまや、芸能人は、掃いて捨てるほどいますが、コメントだけで喰って行ける人は、指を折って数える程度でしょう。 全く同じ才能を、北野武さんも持っていますが、ここ数年、言葉が聞き取り難くなってしまったのが、残念。 ちなみに、タモリさんは、コメントだけだと、あまり、面白くないです。 不思議な事に、関西出身の芸人には、この種の才能を持った人が少なくて、冠番組で、全力で司会をやって、燃え尽きてしまう傾向があります。


  いきなり、脱線してしまいましたが、「所さん!大変ですよ」の話でした。 この番組、時々、見ているんですが、10月15日の回を、たまたま見ていて、この番組には珍しく、興味を引かれました。 自分に関係して来るかも知れないテーマだったからでしょう。 その回のタイトルは、

「一軒10万円!? 超格安“土地つき一戸建て”の謎」

  というもの。 東京から、車で2時間の距離にある、茨城県鉾田市に、バブル時代に売り出され、その後、ゴースト・タウン化した別荘地があり、長年、荒れるに任されていたのを、リフォームなしの格安価格で売り出したら、高齢男性達が、首都圏から移り住んで来て、飛ぶように売れてしまったという話。

  移り住んで来た人達の事情は様々で、生涯独身者、熟年離婚者、妻と死別した人、母親を看取った後、終の棲家として、そこを選んだ人など、いろいろ出て来ました。 いずれも、すでに、仕事はしていない引退者で、壊れかけていた家を、自力で修繕し、一人で暮らしています。 家の広さは、元々は家族向けの別荘だったわけで、一人で暮らすには、充分です。 車を持っている人が多く、ペットは、犬を飼っている人が二人、インコを飼っている人が一人、登場しました。

  特に、男性の方々に言いたいのですが、この番組、アンコール放送が結構あるので、もしまた、この回を放送するようだったら、是非、見ておいた方が良いと思います。 こういう老後の姿があるのだという事を知っているだけでも、大変な参考になると思うからです。 登場した人達の中で、全面的に満足していると言ったのは、一人だけでしたが、傍から見ると、涎を垂らして羨ましがる人達が、膨大な数に上るんじゃないでしょうか?

  この番組は、「社会問題というほどではないけれど、ちょっと、心配な兆候が見られる」というテーマを、主に取り上げているのですが、この回に限っては、心配な事と言えば、番組を見て、「俺も! 俺も!」と、高齢男性達が、茨城県鉾田市に殺到するのではないかという、それだけですな。 こーんな、自由な暮らしが、他にあるでしょうか? いいや、あるはずがない。

  今時の、低空飛行志向の若者なんか、「歳を取るのが待ちきれない! 今すぐにでも、こんな生活がしたい!」と思う事でしょう。 だけど、残念だったな。 年金受給しているか、ある程度、貯金がないと、こんな生活は、無理なのさ。 引退者の特権だね。 しかも、男性だけの。 女性では、荒れ果てた別荘を修繕するなんて、とても、できないでしょうし、一戸建てでの一人暮らしは、危険過ぎます。


  テレビ朝日に、「人生の楽園」という番組があり、もう、随分長い事、続いていますが、あちらは、夫婦で、都会から田舎へ引っ越して、ペンションや、店、農業などを始めたという人達が対象。 最初の頃は見ていたんですが、その内、見なくなってしまいました。 生涯独身者の私とは、縁が薄い生活であるのも然る事ながら、社会の事を知れば知るほど、世の中には、そんなに幸福な人などいない事が分かって来て、番組では映されない裏側が想像できてしまうようになったのです。

  ペンションも、店も、事業ですから、中には、経営に失敗して、行き詰ってしまった夫婦もいると思うのですがね。 いまや、私は、「第二の人生」などという考え方自体に、疑いを抱いています。 そういう生き方をしている人達は、自分の寿命が、無限にあると思っているんじゃないでしょうか? 第二の人生を始める為には、第一の人生で貯えた資金を投入する事になりますが、失敗した場合、一気に、生活保護まで落ちてしまいます。 他人のお金に頼って暮らす事になるわけで、それを思うと、軽々に踏み出せるような道ではありますまい。

  その点、こちらの人達は、まず、「諦め」からスタートしているので、逆に、見ていて、安心できます。 「これから、一旗挙げよう」などと、大それた事は考えておらず、貯金と年金を計算して、確実に続けられる生活だけをしているんですな。 欲がない分、無敵に近いです。 そもそも、「後は、死ぬだけ」と、覚悟してから、住み始めているのですから、死すら、怖がっていないわけだ。


  物件が、土地・家屋付きで、30万円とか、10万円とか、格安を通り越して、激安、爆安である事が強調されていましたが、その点は、あまり、細かい事を言わない人が多いんじゃないでしょうか。 土地・家屋を買おうと考えている人は、10万・20万の差など、気にしないからです。 一千万円くらいは、覚悟しているのが普通なので、100万円を切っている物件なら、どれでも、同じに見えると思います。

  ちなみに、そこの別荘地は、すでに、荒れ果てて久しく、家屋の方は、どれも、値段がつくような物件には見えませんでした。 値段の差は、「土地が、平地か傾斜地か」、「交通の便が、良いか悪いか」などの要素で決まっているんじゃないでしょうか。 歳を取って来ると、交通の便は、結構、重大でして、車がなくて、徒歩や自転車で買い物に行く場合、最も近い食料品店から、どれだけ離れているかで、その家に住み続けられる限界が決まって来ます。

  車がある場合、道さえ通じていれば、どんなに辺鄙な所でも生活できますが、何歳まで車に乗れるかは、考えておかなければなりませんな。 車を運転できないほど衰えてしまったら、自転車も、たぶん、乗れなくなっていると思うので、移動手段は、徒歩オンリーになりますが、そうなったら、近くに食料品店がなければ、餓死してしまいます。 「それはそれで、いいではないか」という見方は、ひとまず、措くとして・・・。


  登場した人達が、一人を除いて、一様に口にしていたのは、「寂しい」という事でした。 それは、よく分かります。 だけど、場所が辺鄙だから、寂しいのではなく、一人暮らしそのものが寂しいのであって、それは、街なかのアパートなどに住んでいても、変わらないと思います。 一人暮らしに憧れているのは、世間知らずの、アホな高校生だけでして、実態を知っていれば、怖気を振るいこそすれ、憧れたりなんぞするものですか。

  でも、ここの人達は、仕事をしていないから、街なかの一人暮らしより、ずっと、ストレスが少ないと思うのですよ。 職場で、負いたくもない責任を負わされたり、嫌な奴との刺々しい関係を耐え忍んだりしていて、その上、一人暮らしだと、愚痴をこぼす相手もおらず、生きているのが、くさくさ、嫌になってしまいます。 その点、仕事をしていないのなら、私生活の事だけ、心配していればいいのであって、気楽なものです。

  私も、岩手異動の時、独身寮で一人暮らししていて、職場でも碌な事が起こらず、ストレスを発散できるところがなくて、鬱病になりかけましたが、退職を決めて、出勤しなくてもいい身になった途端、ドーンと、お気楽な気分になり、寮を引き払うまでの十日あまりの間、三度三度の食事の準備なども、嬉々として楽しんでいました。 仕事が良くないんですよ、仕事が。


  コメンテーターの一人が、「犬は、ポイントですよ。 犬がいると、友達になれるんですね」と言い、所さんも同意していましたが、確かに、その通りだと思います。 「女性と一緒に暮らしたい」というような事を言っている人もいましたが、気持ちは分からないではないものの、引退男性と一緒に暮らそうという女性には、毒物を隠し持っている危険性が、常に付き纏います。 実際、保険金目当てで、夫を殺す事件も多いですし、やめておいた方が、無難でしょう。

  どうせ、異性なんて、心を割って話し合える相手にはなりませんよ。 これは、女の側から見ても、同じ事でして、生活が苦しいから、貯えがある爺さんを捉まえて、テキトーに家事だけやってやって、そいつの金で喰わせてもらおうと目論む女性が多いようですが、よせよせ、碌な目に遭いませんよ。 性別も違う、世代も違うでは、共通の話題なんか、何もないのであって、爺さんがくっちゃべる、糞下らない話を、延々と聞かされるのは、地獄ですぜ。

  それでも何とか、我慢できるのは、その爺さんが、自力で動ける間だけでして、寝たきりになったが最後、赤の他人の糞尿の始末で明け暮れる事になります。 それこそ、毒殺でもしない限り、そんな生活が、何年続くか、分かりませんよ。 「そんな事をする為に、生まれて来たわけではない」と、何歳になっても、思うと思うんですがね。 相手が、自分の親なら、まだ分かりますけど。

  男性側にしても、いくら、女性とはいえ、皺だらけの歳では、イチャつくわけにも行きますまい。 想像するだに、醜悪この下ない。 で、やっぱり、話し相手にはならないのです。 女性に、よく、いますよねえ、「うん、うん」と、テキトーな相槌だけ打って、その実、こちらの話を何も聞いていない人。 興味がないんですよ。 男の考えている事なんか。 ぜーんぜん。

  「食事を作ってもらえる」なんて、期待している人もいるでしょうが、歳をとったら、尚の事、家事は、自分でやった方がいいと思いますよ。 体を動かさなければ、頭も体も、衰える一方です。 糖尿病も怖い。 生活習慣病なんて、自分で動いていれば、難なく、避けられる事ばかりです。

  む・・・、また、脱線していますな。 戻しましょうか。 犬の話でした。

  その点、犬は、主人を、毒殺しませんし、「あれが欲しい、これが欲しい」と、引退者には到底応じられないような、無茶な要求もしません。 主人を軽蔑して、隣の部屋で、聞こえよがしに毒づく事もないです。 生きて行く上で、何が嫌だと言って、同じ家の中に、「敵」が住んでいる事ほど、嫌なものはありませんからのう。 歳を取ってから、伴侶が見つけられるなどとは思わずに、犬を可愛がっていた方が、ずっと、充実度の高い生活になると思います。 

  猫が好きな人なら、猫を飼えば、もっと、いいかも知れませんな。 なぜというに、猫は、登録も、注射も必要ないし、散歩にも連れて行かないで済みます。 かかるお金は、エサ代だけ。 外飼いしていれば、歳をとっても、要介護にならず、そっと姿を消して、死んでくれる点も、密かにありがたい。 犬ほど、同志意識は、高まらないかも知れませんが、もともと、猫好きなら、そんな事は、気にならないでしょう。


  「子供達が、いつ、孫を連れて来てもいいように、三ヵ月かけて、囲炉裏を作ったが、ほとんど、使う事はない」という人がいました。 いや、その気持ちも、よく分かります。 完成後の使い道を、あれこれ想像しながら、物を作るのは、楽しいものです。 だけど、遠くに移り住んでしまうと、子供や孫は、まず、来ないでしょう。 年に一度、様子を見に来れば、多い方なんじゃないでしょうか。

  その人は、180万円と、結構、高い物件に住み、車も持ち、犬も飼っていて、他の人達より、裕福に見えましたが、なまじ、子供や孫がいるから、「なぜ、来てくれないのか?」と、寂しく感じてしまうんでしょうなあ。 期待があるから、失望もあるのであって、最初から、そんなのがいなければ、ずっと、気楽に暮らせると思います。


  一番、幸福そうに見えたのは、支配欲の強い母親に、ずっと、人生を抑えつけられて来て、母親を介護して看取った後、ここへ来て、自分のしたかった事をしているという人でした。 この人だけが、ここの生活に、「全面的満足」の意を表明していたのですが、この人は、ここへ移り住む事で、人生を成功裏に締め括れる位置に、一気に昇りつめたんですな。 こんな幸福な老後を暮らしている人は、そうそう、いますまい。

  何度も言うように、家族がいても、自分が愛されていないのなら、それは、同じ家の中にいる、「敵」です。 金持ちが出て来るドラマを見ると、財産欲しさに、心底、憎みあい、恨みあい、毎日、罵りあっている家族が出て来ますが、あんなのは、自分から進んで、地獄に暮らしているようなもので、幸福とは、対極にある生活です。 一人暮らしの方が、どれだけ、幸せか分かりません。

  ここに暮らしている人達は、必要にして充分な生活をしている上に、何よりも、家の中に、「敵」がいません。 犬もインコも、みんな、自分の味方です。 こんな、恵まれた生活が、他にあるでしょうか? 「寂しい」のだけが、問題点ですが、それは、一人暮らしに限った事ではなく、家族と一緒に暮らしていても、老人は、大抵、他の家族から相手にされず、寂しい思いをしているものです。 変わりゃしませんよ。



  思うに、この番組の、この回、密かな激震を、日本全国に走らせたのではないでしょうか。 鉾田市だけでなく、全国のゴースト・タウン化した別荘地で、100万円以下の物件を探す人が、激増するに違いない。 惜しむらく、大抵の別荘地は、山の上の方にあって、鉾田市のそれのように、交通の便が良くないのですが・・・。 それでも、「敵」と暮らし続けるよりは、ずっと、マシ。

  若い頃の魅力など、遥か昔に消え失せて、すっかり、妖怪と化した女房に、奴隷同然に扱き使われている、憐れな亭主達など、「俺も・・・、俺も、こんな生活がしたい。 何の価値もない女に求婚してしまったばかりに、一生を棒に振ってしまったが、最期だけは、せめて、人間らしく死んで行きたい」と、ぼろぼろ涙を零しているのではないでしょうか。

2015/10/18

富士宮・芭蕉天神宮

  8月7日に、「河口湖カチカチ山ツーリング」から帰った後、バイクの任意保険の継続手続きをしたのですが、その時、「月に一度は、遠出する」という決心をしました。 それを、実行する為に、8月29日に、気が進まないのを、無理やり、自分を叱咤し、ツーリングに行って来ました。 「月一」と言いながら、前回と同じ、8月中にしたのは、元々、月末にしたかったのを、前回は、諸般の事情で、7月中に行けず、8月にズレ込んでしまったから、それを修正しようとしたわけです。

  静岡県・富士宮市の内房地区に、「大晦日」という集落があるのですが、その近くに、「芭蕉天神宮」という神社があり、そこが目的地です。 そもそもは、地図を見ていて、「大晦日」という地名が目にとまり、どんな所か興味が湧いたのがきっかけですが、ネットで調べたら、神社があるというので、「何もなくても、神社だけは見れるだろう」と考えて、出かけた次第。


  朝5時半に起きて、父と朝食。 今回は、遠出と言っても、距離が近いから、あまり早く出かけても、時間が余ってしまいます。 再び、横になって、しばらく、グダラグダラ過ごし、8時半頃、徐ろに起きて準備を整えました。 髭剃り・洗面してから、弁当のおにぎりを作ります。 私の場合、何度握っても、三角にはできず、丸になってしまいます。 味は塩だけで、具はなし。 理由は、用意するのが、面倒臭いから。

  ツーリングの格好というのは、大体、決まっていて、夏場なら、上は、半袖シャツの上に、薄いジャンパーを一枚重ねるだけ。 下は、バイク用の黒いズボン。 靴は、黒のマジック・テープ式のスニーカー。 ちなみに、紐靴はバイクには適さず、クラッチやブレーキのペダルに紐が引っかかって、転倒する恐れがあります。 手袋は、作業用の、合成皮革と布を縫い合わせたもの。 これらは、通勤の時の装備をそのまま使っています。 もう、バイク用に、新しくグッズを買うつもりはありません。

  他に、腹に、腰痛対策の、エア・ベルトを巻きます。 このベルトは、勤めていた時に、会社で貰ったものです。 空気を入れて、圧迫する事で、コルセットのような働きをします。 普段はしませんが、ツーリングや庭仕事など、腰に負担がかかりそうな時だけ、転ばぬ先の杖的な用心で、巻くようにしています。 考えてみると、会社で貰った物で、今でも役に立っているのは、このベルトだけですな。

  手首には、ツーリングと登山の時だけ使う、腕時計。 この時計、2001年に、積立貯金契約の記念品として貰った物ですが、14年経って、未だに電池が切れないという、不気味なほどの優れ物。 カメラは、フジの、「FINEPIX JX550」。 2012年の夏、房総・鹿嶋ツーリングに行く前に買った物ですが、こいつも、北海道応援、岩手異動、沖縄・北海道旅行と活躍し、すっかり、馴染みました。 あまり、写りは良くないですけど。

  弁当と、ペット・ボトル(500cc)2本の水、帽子、免許と財布を入れた小物袋を、これも、通勤時代から使っている、黒のナップ・ザックに入れ、バイクの荷台に縛りつけます。 大した重量ではなくても、長距離ツーリングでは、背中に荷物を背負わない方がいいです。 肩や腰が痛くなって、地獄になってしまうからです。

  私のバイクは、オフロード・タイプですが、荷台は別売で、今のバイクの、前のバイクに付ける為に買った物。 スチール・パイプ製とはいえ、7500円くらいしました。 同じ車種を買い換えたので、今のバイクにも付けられたのです。 元は、白だったのを、バイクの色の変更に合わせ、自分で黒に塗り直しました。 それをやったのも、もう、何年か前になります。

  どうも、所有物の話をし始めると、個人的に、曰く付きの物ばかりなので、記憶の泉がゴボゴボ湧き出し、果てしなく、脱線して行ってしまいますな。 このくらいにして、ツーリングの話を進める事にします。


  9時に、出発。 出る前に、バイクのトリップ・メーターを撮影しておきます。 「走行距離を知りたいなら、トリップ・メーターを、ゼロにして出発すればいいではないか」と思うかもしれませんが、バイクの場合、燃料計がないのが普通でして、私は、トリップ・メーターを、燃料計の代用にしている関係で、距離を測る為だけに、ゼロにはできないのです。 この撮影をしておくと、カメラに時間が記録されるので、出発時刻を忘れてしまっても、後で調べられるという利点もあります。

  富士宮は、同じ県内で、しかも、同じ東部なので、大した距離ではありません。 前回行った河口湖に比べたら、3分の2くらいですな。 富士宮市街までなら、昼過ぎから出かけても、夕方までに往復できるくらいです。 しかし、今回は、買い物ではないので、弁当を持って、一日かけるつもりで行きました。 天気は、沼津を出た時には、晴れていたのが、向こうに着くと、雨になったものの、まあ、そんなに濡れる程ではなかったです。 むしろ、涼しくて、好都合でした。

  沼津から、富士市までは、国道1号線を走り、富士市街地に入る手前で下りて、県道396号線で西に向かい、富士川橋を渡りました。 橋を渡りきった所が、T字路の交差点になっていて、橋の上で、赤信号待っている間に写真を撮ったのですが、突然、前の車が動き出して、焦りました。 まだ、赤信号なのに、動くなよ、紛らわしい。

  富士川橋を渡って、右折すると、すぐの所に、「富士川楽座」という、東名高速道路のサービス・エリアと、道の駅が合体した施設があり、ちょうど、出発してから、1時間経っていたので、そこで、休憩しました。 ここには、随分前に、母と車で来ているんですが、あまり、記憶が残っていません。 故に、漠然としたイメージによる比較ですが、あちこち、新しくなっているようでした。

  「富士川スマートIC」という設備があり、ETC搭載車なら、ここから、東名に上がれるようになっていました。 私は、高速道路とは縁がないので、詳しい事は分かりませんけど。 確かに、機械が計算するのなら、どこから出入りしても、いくらでも細かく、料金を割り出せますわな。 それなら、サービス・エリアには、全部、スマートICを整備してしまえばいいのに。 とんだ山奥で下りてしまっても、カーナビがあれば、迷子にはなりますまい。

  メインの建物の上層階に上がると、富士川を眺める事ができます。 富士川は、歴史的に言うと、源平合戦で平家方が、水鳥の音に驚いて逃げ出した所。 地理的に言うと、フォッサマグナの西線、「糸魚川・静岡構造線」が通っている所。 川を遡っていくと、山梨県の甲府に至ります。 言語的に言うと、ここが、東西アクセントの境目です。 これより東に住んでいる人が、西に来ると、耳に入る言葉に若干の違和感を覚え始めます。 逆の場合も、同様。

1 富士川橋で信号待ち
2 「富士川楽座」のメインの建物
3 富士川スマートIC
4 富士川の眺め


  東名サービス・エリア部分に上がってみました。 前に来た時には、メインの建物から一歩も出なかったので、こちらは、初めて見ました。 サービス・エリアなんだから、当時も、この空間は、当然、あったはずなんですがね。 なぜ、行かなかったんだろう? その時には、サービス・エリアを兼ねた施設である事を知らず、ただの大きな道の駅だと思っていたのかも知れません。

  サービス・エリア部分の奥に、「EXPASA 富士川」という平屋の建物がありました。 ちょっと入ってみたのですが、主に、服飾品を売っている所で、バイク乗りには、場違いな雰囲気だったので、すぐに出ました。 昨今のサービス・エリアは、何でも売っている。 旅の途中で、服飾品を買う理由が分かりませんが、人それぞれに、事情があるんでしょう、きっと。

  駐車場の脇に、充電スタンドがあり、初めて目にしたので、しげしげ見入ってしまいました。 お誂え向きに、リーフが充電されていましたが、するってーと、電気自動車で、高速を走る人もいるわけだ。 バッテリー残量ほど当てにならないものもないので、高速上で立ち往生してしまう事を考えると、ちと、怖いような気もしますが、考え方は、人それぞれなんでしょう、きっと。

  メインの建物の中には、土産物店や飲食店が、ぎっしり詰まっています。 こういう店は、サービス・エリアでも、道の駅でも共通だから、両者を合体させようという発想が出て来たんでしょう。 こういう所に来ると、「商品というのは、無限に種類があるものなのだなあ」と、つくづく思います。 もちろん、私は、日帰りツーリングごときで、土産物を買うほど、太っ腹ではなく、全て、スルーです。

  ここは、富士市なので、メインの建物の中に、富士山と、かぐや姫がシンボルになった図案が掲げられていました。 富士市には、「比奈」という地区があり、そこに、かぐや姫の伝説があるのですが、一般的に知られている話とは、少し違います。 かぐや姫の絵ですが、ちと、色気がありすぎなのでは? 水商売じゃないんだから。 「魅力的」と「色気がある」を混同している人は、思いの外、多いようです。

1 東名サービス・エリア部分
2 「EXPASA 富士川」の建物
3 電気自動車の充電スタンド
4 メインの建物内の売店(左)/ 色っぽい、かぐや姫(右)


  休憩のつもりが、写真を撮って回っている内に、30分も経って、結構な運動になってしまいました。 10時4分に、富士川楽座を後にし、北へ。 富士川の本流・支流を、渡ったり戻ったりしながら、徐々に、北東へ向かい、身延線の芝川駅を過ぎた辺りで、ぐるっと回って、南へ。 遠回りをしているようですが、山があるせいで、南側から、直に行ける道がないらしいのです。

  富士川楽座から、芭蕉天神宮へ行く途中、橋を、6・7本、渡りました。 写真に撮って来たものだけ、出します。 ちなみに、往路では、目的地に到着するかどうか不安で、先を急ぐあまり、撮影どころではなく、これらの写真は、帰りに撮ったもの。 順番だけ、往路に合わせて、並べ直しました。

1 宮原橋
2 芝川大橋
3 釜口橋
4 内房橋
5 稲瀬川橋
6 廻沢橋


  富士宮市の、内房地区というのは、山に囲まれた平地で、田んぼが多いです。 住宅も結構あるのですが、大きな店のようなものはなかったです。 「交通至便」とは言えないものの、車があれば、買い物に困る事はないと思います。 そういや、小学校がありましたが、子供が育つには、絶好の環境でしょうな。 子供なら、遊ぶ所は、いくらでもありそうです。

  南下して、山裾に近づくと、住宅地の交差点に、案内看板が出ていました。 よそから来た人間には、こういうのが、助かるんですわ。 その後の山道でも、いくつか分岐があったのですが、標識がしっかりしていて、迷う事はありませんでした。 もしかしたら、この辺、全国平均より、親切な人達が住んでいるのかも知れませんな。 案内標識を、全く立てない土地というのもありますが、そういう所の人は、不親切を通り越して、たぶん、よそ者に来て欲しくないのだと思います。

  すぐに、山道に入りましたが、標高が高いらしく、8月の終わりだというのに、まだ、ガクアジサイが咲いていました。 蕾まであり、咲く前に、寒くなって、枯れてしまうのではないかと、心配になりました。 実際、そういうケースもあるかもしれません。 つまり、本来は、この標高で自生する植物ではないという事なのかな?

  芭蕉天神宮までの道は、ずっと上り坂でした。 舗装されていますが、傾斜は結構あって、バイクのエンジンが、悲鳴を上げ続けでした。 いや、バイクが古いという事もあるんですがね。 道幅は、バイクなら、何の問題もありませんが、車の場合、対向車が来たら、冷や汗を掻くでしょう。 ただ、私が行った時には、一台もすれ違いませんでした。

  途中、道が左右に分かれて、小島のような塊を囲んでいるところを見ました。 道を作った時に、削り残した岩ではないかと思います。 カーブ・ミラーがあるせいで、隻眼の妖怪のように見えます。 夜に来る所じゃありませんなあ。 もちろん、街灯などないので、夜は、真っ暗になる事でしょう。 この上に、集落があるというのが、驚き。

1 内房地区の原風景
2 親切な案内看板(左)/ 8月末のガクアジサイ(右)
3 舗装された山道
4 隻眼の妖怪


  山道を進むと、やがて、三叉路に行き当たり、「芭蕉天神宮」と刻んだ、巨大な社標石が立っていました。 バイクと比べてみると、その大きさが分かると思います。 いかにも、氏子にお金がありそうな神社です。 この三叉路には、他に、神社の由来を刻んだ石碑や、大晦日集落の地図を描いた案内看板が立っていました。 とことん、親切だ。

  ネットで調べた時、「下る参道があり、珍しい」と書いてあったのですが、三叉路から、少し行くと、下り坂になり、谷へ下りて行く格好で、鳥居の前に出ました。 鳥居の大きさは、それほど、大きいわけではありませんが、このサイズで、朱塗りは、珍しいと思います。 到着は、11時15分でした。

  鳥居から少し入った所の左右に、石碑が立っていて、寄進者の名前と、金額が刻んであります。 「金は出す。 だが、名前も残す」というわけですな。 もっとも、神社の石碑や石柱に残っている名前に、大きな価値を感じる人は、そんなに多くありませんが。 その人を知っている人間が、全員死んでしまったら、名前だけ残っても、それは、ただの記号に過ぎません。

  鳥居から先には、更に、下り坂が続きます。 そこそこの傾斜でして、「下乗」とは書いてなかったから、足が悪い人は、車で下まで行った方が、安全かも知れませんな。 私は、用心して、鳥居の手前に、バイクを置きました。 実は、神社の神を、ほとんど信じていないのですが、もし、地元の人に見られた時に、嫌な気分にさせたり、悶着が起こったりするのを避ける為です。

  これは、一般論ですが・・・。 自転車で、神社に入って行く人は、珍しくないと思いますが、子供ならともかく、大人の場合、社殿に一番近い鳥居から先は、下りて押した方が、無難です。 どんな人が来ているか分かりませんから。 「下乗の立て札が見えんのか!」などと怒鳴られた日には、一生、記憶に残ってしまいます。 そういう、うるさい奴に限って、「自分は特別」と思っていて、裏から、車を乗り入れていたりするものですが。

  芭蕉天神宮の境内全景。 平地の神社なら、普通の広さですが、ここが、谷の中腹である事を考えると、これだけの敷地を確保しているのは、驚きです。 湧き水の池があるのは、山の中ですから、それほど、珍しくはないですが、トイレがあったのには、ちょっと、ビックリしました。 屎尿処理をどうやっているんですかね? 浄化槽を埋めてあるのかな? 

1 三叉路の社標石
2 赤鳥居
3 境内に下りる坂道
4 境内全景


  「芭蕉天神宮」の「芭蕉」というのは、松尾芭蕉とは関係なく、境内の山側に、芭蕉が群生しているから、そう呼ばれるようになったとの事。 自生なのか、植えた物かは、分かりません。 芭蕉というと、バナナみたいな大きな葉の木ですが、ここにあるのは、見上げるばかりの巨木で、知らずに目に入ると、ぎょっとすると思います。

  この神社は、建武の親政の頃、戦勝報告の為に、富士宮浅間大社へ派遣された、大納言・久我長通が、帰途に、持病の発作を起こし、この付近で亡くなったのを、当人の希望に従い、この地に葬って、菅原道真と併せて祀ったのだそうです。 とはいうものの、実話かどうかは分かりません。 ただし、久我家の子孫とは、交流がある様子。

  本殿の彫刻が有名なのだそうで、確かに、凄い迫力。 惜しむらく、かなり、高い位置にある上に、私が行ったのが、どす曇りの日で、光量が足りないせいか、細かい部分まで、よく見えませんでした。 写真は、5倍ズームいっぱいで撮りましたが、形も色も、駄目駄目になってしまいました。

  ほぼ実物大の、白い馬の像が、専用の社の中に入っていました。 造形は、簡略化されていましたけど。 大納言・久我長通が、ここを通りかかった時、馬に乗っていたので、その関連で、馬の像なのだと思います。 普通、天神様には、「撫で牛」という、寝そべった牛の像があります。 ここの馬は、撫でるようには、出来ていないようでした。

  境内にある石碑を見たら、なんと、「芭蕉天神宮音頭」というのがあるようです。 この神社、只者ではありませんな。 機会があったら、一度、聞いてみたいもの。 恐らく、お祭りは、大変、盛大なのではないでしょうか。 近くに人家が少ないので、どこから人が集まるのかが、ちと、解せませんが。 内房の平野の方にも、氏子がいるんでしょうなあ。

1 芭蕉群落
2 本殿の彫刻
3 白馬の像
4 芭蕉天神宮音頭


  境内の端から、更に、谷の下へ下りる石段がありました。 かなり急でして、手摺がないと、怖い角度です。 最初から、手摺はあった思われるので、そんなに古い石段ではないのでしょう。 石組みは、しっかりしていました。 下の方で、石の上にオレンジ色の物体が動くのが見え、ハッと目を見張ったら、サワガニでした。 いい角度から写真を撮ろうと、上を跨いだら、石の間に隠れてしまいました。 その場で撮れば良かった。

  どんな所に出るかと、期待していたんですが、一番下まで下りたら、細い沢が流れているだけでした。 しかも、大水が出た後なのか、かなり荒れている感じ。 整備すれば、多少は風情が感じられると思うんですが、残念です。 だけど、あまり、人工的に手を入れ過ぎない方が、いいかも知れませんな。 観光地ではないのですから。 

  境内に上がって来たら、細かい雨が、霧のように降り出しました。 ここで、11時半。 鳥居の近くに、石で出来た机と椅子があったので、なるべく、立ち木の葉陰になる所へ座って、家から持って来た、おにぎりを食べました。 隠れきれず、背中が、かなり、濡れましたけど。 一体、私は、こんな所で、何をしているのやら・・・。 もっとも、それは、ツーリングに出ると、いつも、思う事なのですがね。 だけど、「一人だから、つまらない」という事はないです。 そもそも、一人でなければ、こういう所へ来る機会はなかったと思います。 

  11時45分には食べ終わりましたが、雨がやむのを待つ事にし、大きな木の下に停めてあるバイクのそばで、うろうろしていました。 細かい雨が霧のように流れ、なかなか、上がりません。 急ぐ旅ではないとはいえ、ただ、ぼーっとして、時間を過ごすのは、つらいものです。

  近くの木に、花が咲いていて、一輪だけ、中心が黒いので、近づいて見てみたら、虫が頭を突っ込んで、蜜を吸っているのでした。 私が、そこにいる間中、出て来ませんでした。 ≪赤毛のアン≫に、ジャムの壜の中で死んだネズミの話が出て来ますが、それと同じで、極楽気分なんでしょうなあ。 虫が羨ましい。 人間のサイズだと、埋もれられるような大きさの花は、ラフレシアくらいしかありますまい。 それはそれで、極楽往生しそうですけど。

  鳥居の横に、たぶん、先代の鳥居の礎石と思われる石が置いてありました。 こういうのは、処分ができずに、境内に放置されている事が多いです。 礎石しかないという事は、鳥居は、木製だったんでしょう。 そういや、東日本大震災の津波で流された鳥居が、アメリカに漂着し、元の土地に返還されたというニュースがありましたが、アメリカ人は、鳥居の貴重度が、さほど高くない事を知らないから、「送り返してやれば、喜ぶだろう」と思ったんでしょうなあ。 「そっちで焼いてくれれば、新しく作ったのに・・・」というのが、地元の本音なのでは? そもそも、津波を防げなかった神なんて、祀り直しても、御利益は期待できません。

1 谷底へ下りる階段
2 残念な谷底
3 石で出来た机と椅子
4 花に突っ込んだ虫(左)/ 先代鳥居の礎石(右)


  しばらく待ちましたが、雨はやみそうにありません。 「ここは、山の中だから、降っているのだろう。 標高が低くなれば、やんでいるかも知れない」と思い、出発の準備をしました。 雨対策に、腕時計と、免許・財布をレジ袋に入れ、カメラは、おにぎりを包んでいたラップを畳んで、べたつく面を出させないようにして、それに包みました。 12時10分には、出発。

  来た道を、少し引き返して、大晦日の集落の方へ向かいます。 別に、集落に用はないのですが、「五輪の大榧」と「大晦日のタブの木」という巨木があるらしく、それを見て行こうという算段。 ところで、分岐点にあった地図を見たところ、「大晦日」は、「おおみそか」ではなく、「おおずもり」と読む事が分りました。 なんだ、そうだったのか。 ネットで調べた時、それが分からなかったのが、不思議です。 「おおずもり」というのは、「おおつごもり」が変化したんでしょうな、たぶん。 家は、9軒しかない様子。

  途中、案内標識に、「久我大納言石」の文字を見つけ、そちらに寄り道しました。 標識には、「60メートル先」とありましたが、20メートルくらい行った所に、山の中へ分け入る細い道があり、その登り口に、「これより約40メートル」という案内看板が立っていました。 おいおい、この道かよ? 「久我大納言石」というのは、大納言が発作を起こした時、馬から下ろし、横たえた石の事で、ネットで調べて、知っていたので、見ないわけには行きません。

  誰も来そうにない所だったのをいい事に、荷物は荷台に付けたまま、ヘルメットは被ったままで、バイクを離れ、山道に入りました。 これが、凄い道だった。 「獣道」と言ったら、獣に失礼なくらい、荒れ放題に荒れていました。 アオキなど、もはや、草とは言えない、しっかりした植物に覆われ、足元が見えません。 オマケに、倒木までありました。 掻き分けたり、這い蹲ったりして進んで行くと、確かに石はありましたが、人が横になれるような大きさではなかったです。 それより何より、こんな細い道を、馬で通ったというのが、信じられぬ。 滑落必至ではありませんか。

  戻って、大晦日の集落へ。 一軒目の家が見えたと思ったら、廃屋でした。 二軒目の手前に、割と新しい石垣で囲まれた中に、大木が、何本か生えていて、それが、「五輪の大榧」と「大晦日のタブの木」でした。 手前に、「塩の道」と彫られた、真新しい標石あり。 昔は、山梨方面へ、塩を運ぶ道だったようです。 「私有地につき、立ち入りは遠慮願います」という注意書きがあったので、家の方には行きませんでした。

  大榧の下にあった説明板を読むと、大晦日の集落は、鎌倉時代に、七名の侍が住居を構えたのが始まりだとの事。 「七人の侍」ではなく、「七名の侍」になっているのは、映画を意識して、わざと変えてあるんでしょうか。 ちなみに、廃屋も含めて、9軒の家は、すべて、同じ苗字でした。

1 獣道以下(左)/ 久我大納言石(右)
2 空き家
3 「五輪の大榧」と「大晦日のタブの木」


  まだ、雨が降っていたので、写真だけ撮って、早々に撤退。 帰って来てから分かったのですが、大木がある所に行く途中に、細い道が分岐していて、そっちへ行けば、公民館がある集落の中心に出たのです。 三叉路にあった地図をしっかり見ていれば、分かったはずなんですがねえ。 まあいいです。 気になったら、また行く事にします。 集落の中心部を確認するだけなら、半日で行って来れますから。

  帰途に着きます。 帰りは、ずっと、下り坂。 エンジンを切って、元来た道を戻って行きます。 思った通り、下って来ると、雨はやんでいました。 行きに写真を撮っていなかったので、帰りに、橋や川といった、要所要所でバイクを停め、振り返ったり、下りたりして、撮影しました。 でも、行きと帰りでは、道路の停まる側が違うから、行きに撮るはずだった写真とは、違ったものになるんですな。

  帰りも、富士川楽座に寄りました。 1時20分。 トイレだけ使って、1時半頃、出発。 後は、ほぼ、来た道を戻りました。 家着は、2時36分でした。 走行距離は、往復92キロ、片道46キロ。 ちなみに、ネットのナビの計算では、片道、42.2キロでした。 常に、実際より、短めに出るようです。 私のバイクのメーターがおかしいという可能性も捨てきれませんが。



  場所が場所、天気が天気だけに、「素晴らしく充実したツーリング」というわけには行きませんでしたが、とりあえず、今まで知らなかった所に行けたわけで、まずまず、成功と言えると思います。 半径50キロ以内でも、まだまだ、私が知らない場所がたくさんあるんでしょうなあ。 惜しむらく、それらの場所に行く事で、経験値を高めても、すでに、それを活かせる歳ではなくなっているのが、厳しいです。

2015/10/11

サブ・パソコン計画 【決着編】

  8月末に、完了したはずの、サブ・パソコン計画ですが、その直後から、モバイル端末の不調に悩まされ始めました。 ネット接続までの時間や通信速度が遅くなった上に、長く接続していると、通信が切れてしまいます。 そうなってしまうと、USB切替器を一旦、切り替えるか、パソコンを再起動しなければ、再接続できません。 メイン・パソコンに、モバイル端末を直結していた時には、こんな事は一度もありませんでした。

  専ら、メイン・パソコンの方で、そういう症状が発生するので、「USB切替器までの、ケーブルの距離が長過ぎるのではないか?」と思っていたのですが、もし、そうなら、解決のしようがない事でして、騙し騙し使っていたのです。 ケーブルの質を良くすれば、改善するかと思って、「フェライト・コア付き」というのを、ネットで物色していたのが、9月10日の夜中の事。

  とりあえず、候補商品を決め、もう寝ようと思って、横になったのですが、ちょっとだけ、サブ・パソコンをやろうと思ったら、パソコンが、モバイル端末を認識しません。 「サブ・パソコンの方まで、同じになってしまったか!」と、顔色真っ青です。 ところが、見ていると、画面に、「モバイル端末の電力が足りません。 パソコンに直結して下さい」という表示が出ました。 これで分かったのは、障碍が起こっているのは、ケーブルではなく、USBハブの方だいう事でした。

  モバイル端末は、バス・パワーで動いているのですが、その電力が、ハブを介すると、足りなくなってしまうようなのです。 試しに、ハブを介さず、切替器に、モバイル端末を直結したら、どちらのパソコンでも、中途切断は、全くなくなりました。 パソコンから、切替器までの間は、問題ないわけだ。 ハブが悪さをしている。 しかし、ハブを外したら、外付HDDの方を共有できなくなってしまいます。

  この4ポート・ハブは、ダイソーの324円商品ですが、とりあえず、USB機器が動作する事が分かり、喜んでいたのは、束の間の事で、三日天下にもなりませんでした。 ハブ自体が使えないというわけではなくて、たぶん、バス・パワーではなく、セルフ電源を持つUSB機器だけを繋ぐのなら、問題なく、動作すると思います。 しかし、モバイル端末は、今持っている物しかありませんから、いかんともし難し。 セルフ電源のモバイル端末に買い換えるとなると、3万円くらい、かかってしまいます。 冗談はよせ。


  ハブに付いている、ケーブルの長さが短ければいいのかと思って、ネットで、そういうハブを探してみました。 値段ピンキリで、あるにはあります。 レビューが1000件も付いている、売れ筋商品があったので、読んでみたら、驚いた事に、半分以上が、ボロクソに貶していました。 結構、有名な会社の製品であるにも拘らず、こんなに不具合が出るものかと、呆れた次第。

  しかし、レビューも、これだけ多いと、参考になる事があります。 多くのレビューに共通していたのは、ハブに繋ぐ機器に、バス・パワー・タイプとセルフ電源タイプが混じっていると、正常に動作しないらしいという事です。 その製品だけでなく、USBハブ全般に、そういう傾向があるようです。 中には、ベタ誉めしている人もいるわけですが、そういう人は、混用をしていないのではないかと思います。 繋ぐ機器の種類が、人それぞれなので、うまく動作する場合と、そうでない場合があるのでしょう。

  そもそも、データと電力を、同時に送るというのが、技術的に、欲の張り過ぎの感があります。 とりわけ、バス・パワー機器は、パソコン直結なら、問題ないものの、ハブで分けると、いろいろと問題が起こって、苦情の嵐という事になるわけですな。 「最初から、壊れていた」なんてーのも多かったですが、品質チェックしてから、工場を出ているのに、そんなのばかり発生するのは、工業の常識からして、ちょっと考えられません。

  やはり、繋ぎ方に問題があると思うのです。 ただ、人によって、使い方が異なり過ぎているせいで、どういう繋ぎ方なら、正常に動作するかが、誰にも言い切れないだけで・・・。 ハブの説明文を読むと、必ず、「どんなUSB機器にも使えるわけではありません」と書いてあるのですが、それ即ち、USBという規格自体に、根本的欠陥がある証拠でしょう。 パソコン直結なら、問題ないのだから、セルフ電源を持たないハブを、販売中止にすれば、いいのでは?

  それに気づいた後が大変で、セルフ電源のハブを探したのですが、あるにはあるものの、私がリーズナブルと感じる価格帯の製品だと、「パソコンの電源を切っても、ハブのスイッチを切らなければ、電力が供給され続ける」とか、面倒臭い物ばかり。 もう、うんざりだ。 2時過ぎに眠ったのですが、あれこれ考え過ぎたせいで、知恵熱が出て、よく眠れず、朝5時には起きてしまいました。


  翌、9月11日の朝方も、ネットで、いろいろと調べていましたが、いい加減、振り回される事の虚しさを悟り、思い切って、外付HDDの共有を諦めてしまう事にしました。 それなら、切替器は、モバイル端末を直結にして、正常に使えます。 そもそも、外付HDDの方は、サブ・パソコン計画完了後、一度も、サブ・パソコンの方で、使っていませんでした。 そんなに、保存しておきたいものはないのです。


  そこまで決めてから、ダイソーに行って、改良に必要になった、ケーブル一本を買って帰って来ました。 ちなみに、100円ショップでは、USBケーブルがあったとしても、長さは、1メートルが限界です。 延長ケーブルも、1メートル。 ネットでは、2メートルのを、216円では買えませんから、この組み合わせは、価格的には得ですが、二本繋ぐと、データ的にも、電力的にも、よくないのは、容易に想像できるところ。




  午後になってから、本格的に作業にかかり、サブ・パソコン計画で、苦労して張り巡らせたケーブルを、非情にも取り払って、役割と場所を変え、繋ぎ直しました。 ダイソーの4ポート・ハブは撤去して、パッケージに戻し、お蔵入り。 縁があれば、また使う時もあるでしょう。 ふと、「返品できないものか・・・」と思いましたが、一度使った物を、未開封に見せかけようと、こせこせとパッケージに戻している自分の浅ましい姿が目に浮かんで、やめておきました。

  それまで、ハブに挿していた、モバイル端末を、切替器の方に移したのですが、直結してしまうと、その後ろにある、目覚まし時計の台と干渉する上に、向きの関係で、表示ランプが見え難くなってしまいます。 そこで、一度、お蔵入りさせていた、セリアのUSB延長ケーブルを引っ張り出し、それを介して繋いでみたところ、別に問題なく、動作するようなので、そのケーブルで、位置と方向を案配して、切替器の固定枠の上に、モバイル端末を載せるような配置にしました。

  簡単に書いていますが、これが、なかなか、面倒な工作だったのです。 ベニヤ板と、細い角材をカッターで切って、ボンドで着けて行くのですが、ベニヤというのは、なぜ、ああと、切りにくいのか・・・。 木目が邪魔で、真っ直ぐ切れないのです。 いや、カッタ-で切れるだけ、普通の板よりは、マシなんですがね。

  モバイル端末の固定方法を説明しますと、ベニヤと細い角材で、小さな角筒を作り、それを横にして、切替器固定枠の上に接着。 筒の後ろからは、延長ケーブルを挿し、前からは、モバイル端末を挿して、両者を結合する事で、固定されるように工夫しました。 外す時は、両者を抜けばいいだけ。 泥縄にしては、いいアイデアだと思います。




  サブ・パソコンで、外付HDDを全く使えないというのも、勿体ないので、配線を工夫し、ケーブルを挿し替えれば、繋げられるようにしました。 普段は、メイン・パソコンから来ているケーブルを繋いでおいて、サブ・パソコンで使いたい時だけ、挿し替えるわけですな。 モバイル端末に比べて、外付HDDを、サブ・パソコンで使う機会は、桁違いに少ないですから、これでも、ほとんど、支障がないはずです。

  USBのコネクターは、Aタイプよりも、Bタイプの方が緩いですから、ちょこちょこ挿し替えても、壊れる恐れは、かなり低いです。 それでも、心配だという人は、Bタイプ・コネクターの、延長ケーブルというのが売っているので、短いのを買って、その先に繋ぎ替えるようにすれば、外付HDD本体のポートで、直接、抜き挿ししなくて済むと思います。 私は、そこまで、挿し替え頻度が高くないから、やりませんけど。




  結果的には、まずまず、綺麗に仕上がりました。 サブ・パソコンと、切替器、モバイル端末が、同じ所に集中したお陰で、他の所がすっきりしたのです。 とりわけ、ハブを置いてあった、カラー・ボックス天板上の、キャノン・プリンターの手前が、何もなくなって、以前のように、自由に使えるようになったのが、ありがたい。 ケーブルのルートは、基本的に変わっていません。




  ダイソーで新たに買って来た、1メートルの、USBケーブルは、キャノン・プリンターと、メイン・パソコンを繋ぐのに使用しました。 それまでは、2メートルので繋いでいたのを、1メートルにしたのだから、かなり、無理あり。 メイン・パソコンのUSBポートを、背面から、前面に変えて、30センチくらい稼いだものの、長さは、ギリギリでした。 別に、問題なく、動作します。

  USBケーブルは、家電量販店や、パソコン店はもちろん、ネットでさえも、結構、値が張ります。 ダイソーで、1メートルのが108円で売れるのなら、2メートルのを216円で、3メートルのを、324円で売れば、確実に歓迎されるのでは? コネクター部分は1メートルのと変わらないわけで、ケーブルだけ長くすればいいわけですから、長くなるほど、儲けが増えると思うのですが。




  上の写真は、サブ・パソコンの背面です。 USBポートは、背面に4ヵ所あり、内3ヵ所を、「USB切替器」、「外付HDD」、「ワイヤレス・マウス」で、使っています。 前面には、5ヵ所ありますが、そちらは、使わない事にして、埃が入らないように、吸着ビニールで塞いでしまいました。 そういや、このパソコンが居間に置いてあった頃にも、そうしてましたっけ。

  前にも書きましたが、液晶テレビとの間を繋いでいる、モニター・ケーブルは、2014年の初めに、応援先の北海道・苫小牧のハードオフで、315円で買ったもの。 上の、細くて黒いケーブルは、100円ショップで買って来た、オーディオ・ケーブルです。 こういう、ごちゃごちゃした所の掃除は、雑巾など使わず、静電ブラシを使うのが一番だと、最近になって気づきました。



  以上が、9月11日までにやった事。 それから、一ヵ月経ちますが、モバイル端末は、問題なく、使えています。 サブ・パソコンの出番は、二日に一度くらいでしょうか。 寝ている状態で、ちょっと、ネットを調べたいと思った時に、使うパターンが、ほとんどです。 切替器を、ベッドから手が届く所に設置したのは、正解でした。

  外付HDDの方は、まだ、3回くらいしか、使っていません。 ケーブルの挿し替えが面倒な上に、スイッチも入れなければならないので、そこまでして、サブ・パソコンで使う用事がないんですな。 まあ、それは、想定していた事だから、問題ないです。 なぜ、ハブを買う前に、その事に気づかなかったのか、我ながら、血の巡りが悪い事よ。 いや、地団駄踏むほど、大きな損失ではありませんでしたが。



  サブ・パソコン計画と直接の関係はありませんが、以下は、オマケです。


≪写真上≫
   うちで一番古株のプリンター、キャノンの「BJ F860」です。 12年間、居間に置いてあったのですが、去年の岩手異動の前に、居間のパソコン・セットを片付けた結果、行き場がなくなり、私の自室に引き取って、机横のカラーボックスに上に置きました。

  岩手には、hpの複合機、≪PSC1315≫を持って行き、こちらは、帰省した時にだけ使う事にしようと思い、留守中、給紙口に埃が入らないように、カバーを作って行きました。 今にして思うと、嘘みたいな話ですが、引越しの当日になって、大急ぎで作ったもの。 材料がなくて、コピー用紙を切り貼りしたのですが、どうやって作ったのか、全然、覚えていません。

  岩手から帰って来てからも、そのまま、埃避けカバーとして使い続けていましたが、軽いので、窓を開けていると、風で飛んでしまう事が、よくありました。 厚紙で作り直そうと何度も思いながら、なかなか、その気にならず、一年以上、放ってあったというわけです。

≪写真中≫
  それが、8月の末頃になり、サブ・パソコン計画のついでに、ようやく、作る気になりました。 材料は、手持ちの厚紙と、糊です。 コピー用紙で作ったカバーから採寸したので、作る事自体は簡単でしたが、材料が硬くなったせいか、ぴったり被さるというわけには行かず、「ただ、載せてあるだけ」みたいな感じになりました。 やはり、現物で採寸し直した方が確実だったか・・・。 もはや、手遅れ。

  前端に付いている取っ手は、三角柱を長短二本作って、貼り合わせたもの。 トラス構造なので、丈夫で、指で抓んでも、潰れません。

≪写真下≫
  後ろ側。 取っ手を除く、本体部分は、二枚の厚紙を折り曲げて、張り合わせただけです。 後ろの方が、複雑な形になり、何やら、カッコ良さを感じますが、偶然こうなったに過ぎません。

2015/10/04

逢魔が時

  この文章は、8月の中頃に、自転車ブログ用に書いた記事に、加筆・修正したものです。 途中から、自転車の話になるのは、そのせいでして、こちらに移すに当たって、自転車とは関係ない内容に絞って書き直そうかと思ったのですが、夜について、そーんなに思い入れが強いわけではなく、新ネタを捻出するのが億劫だったので、そのまま、出す事にしました。




  7月11日に、犬が死んだ後、火葬・納骨をした翌12日から、一ヵ月後の、8月11日まで、ほぼ毎日、供養塔があるお寺に通い、線香を上げていました。 その間、雨で一日休み、河口湖カチカチ山ツーリングで、一日休んだだけですから、正味29日も、自転車で、4キロの道程を往復したわけで、よくもまあ、続けたものだと思います。

  暑過ぎて、昼日中は出かけられず、早い時は、朝9時までに、遅い時は、午後3時半以降に行っていました。 それでも、頭がクラクラするほど暑かったです。 あまり、早く行くと、お寺の方で迷惑ですし、うちは、夕飯が、4時45分からと、一般より早いせいで、夕方の方にも、外出時刻の限界があります。 私は、個人的な方針で、もう何十年も、夕飯を過ぎたら、外出しない事にしているので、尚の事。


  なぜ、夕飯後に出かけないのかというと、ろくな事が起こらないからです。 20代の半ば頃、暗くなってから、ビデオ・レンタル店に行って、入口で自動ドアにぶつかり、眼鏡の蔓を曲げたのが、主なきっかけだったでしょうか。 それ以前から、「逢魔が時」という言葉を知ってはいたのですが、「これは、確かにその通りだ。 視力が低下する時間帯に出かけていたのでは、どんな事件や事故に遭うか分かったもんじゃない」と思い切って、その後、夜に出るのをやめてしまった次第。

  私にも、若い頃がありましたから、夜遊びが好きな人の気持ちも分かるのですが、何かのきっかけで、自分の人生を大事にしたくなったら、暗くなってから出歩くのは、控えた方がいいと思います。 これを読んで、「そんなの、人生の楽しみを、半分捨ててしまうようなもんじゃないか」と笑っている方も多かろうと思いますが、よくよく、自分の経験を思い起こしてみれば、トラブルの多くが、夜に起こっている事に気づくはず。

  酒を飲む人は、とりわけ、要注意です。 それでなくても、暗さで視力が落ちるのに、判断力まで落ちたのでは、何が起こっても不思議はないです。 「飲んだら、乗るな」なんて標語は、ジレンマ丸出しでして、飲んだら、判断力が落ちてしまうのですから、運転が危険だなんて思うわけがありません。 一方、「乗るなら、飲むな」は、有効です。 飲む前なら、判断力がありますから。 いやあ、酒飲みに、こんな忠告をしたって、絶対に聞かないのは、承知の上で書いているんですがね。

  フロイト的に見ると、夜遊びが好きな人というのは、夜の世界に対して、性的な期待があるのだと思われます。 飲み屋の女将、スナックのママ、バーのホステス、キャバクラ嬢、もしくは、ホスト・クラブのホスト、あわよくば、一般人で、同じように夜遊びに出ている異性との接触を求めているのでしょう。 だけど、そりゃ、とんだ落とし穴ですぜ。 昔から、「夜に見合いはするな」と言われている通り、暗いと、相手が不細工だと気づかないのですよ。 夜、出会って、ぞくぞくするような凄い美形だと思っていたのが、昼間、顔を合わせたら、化粧お化けだったなんて話は、枚挙に暇がありません。

  特に、真面目に、結構相手を探しているような人は、極力、昼間に活動すべきです。 男の場合、お金があれば、水商売の女性と交際したり、結婚したりするのは、難しくないですが、相手の女性を、昼間の世界に引っ張り出せるとは限らず、自分の方が、闇の世界に引き込まれてしまう危険性の方が高いです。 相手が一般人でも、夜、歓楽街にいるような女性は、アル中になっていたり、たかりだったり、詐欺や恐喝といった、もっと良からぬ事に関わっていたりして、危険極まりない。

  くれぐれも、「真面目な自分とつきあえば、その影響を受けて、相手も真面目な人間になって行くはず」などと、根拠のない思い込みをしないように。 「悪貨は良貨を駆逐する」と言いまして、普通は、逆になります。 悪人が改心するより、善人が転落して行く方が、ずっと容易に起こる事です。 とりわけ、アル中を治すなんて、専門施設ですら難しいのであって、素人では、手も足も出ず、ただただ、振り回されて、一生を滅茶苦茶にされるのがオチです。 アル中の美人より、酒が飲めない不美人の方が、一億倍、価値が高い。

  ちなみに、アル中患者が、治療施設に入ると治るのに、出て来ると、また、アル中に逆戻りしてしまうのは、アル中の根源にあるのが、依存症だからです。 施設に入ると、依存対象が、「アルコール」から、「集団生活」に変わるから、飲まないでいられるようになるのでしょう。 ところが、それを、「アル中が治った」と勘違いして、出て来てしまうから、依存対象がなくなり、また、アルコール依存に戻ってしまうんですな。

  何か、別の依存対象を見つければいいのですが、当人が自発的にそうする気にならないと、依存するほど続かないので、なかなか、簡単には行きません。 また、その依存対象が、お金がかかるものだったりすると、破産の危険性も出て来ます。 ちなみに、お金がかからないと思って、物を拾って来る事に依存すると、ゴミ屋敷になります。 数独でもやればいいと思うのですが、依存するほど、数独にのめりこむ人というのは、やはり、稀なケースでしょうなあ。

  そういや、「ゲーム依存」というのが、静かに、全世界に広がっていて、今は、一部の専門家が警鐘を鳴らしている程度ですが、いずれ、とてつもない大問題になるのではないかと思います。 オンライン・ゲームに囚われて、自分の部屋から出て来ないというのは分かり易い症例ですが、スマホのゲームに嵌まって、ちょっと時間があれば、必ずやらなければ、不安でいられなくなっている人となると、桁違いに数が多いと思います。 亡国ゲームどころか、人類滅亡ゲームだね。 私は、やらないから、他人事ですけど。


  話を戻します。 女の場合、水商売の男性を、お金だけでものにするのは、至難の技でして、さんざん、貢いだ挙句に、何の成果も上げられずに終わる事が多いです。 「結婚してくれなくてもいいから、子供だけ産ませて」なんて頼む人もいるらしいですが、職業ホストというのは、そんな厄介事に関わるほど、間抜けではありません。 「一緒に、泊まりの旅行に行ってくれ」と、何度も誘って、ようやく連れ出したものの、夜になっても、指一本触れてくれなかったなんて話もあるそうです。 なんともはや、惨めな話であることよ。

  だから、相手を見つけるなら、若い内に活動しろというのに。 「笑うと、皺だらけ」の歳になってから、男が寄って来るわけないじゃんか。 アンチ・エイジングで対処する? 無理無理! だって、あなた、一晩こっきりの遊び相手を探しているわけじゃないんでしょう? 外見だけ、10歳若返ったって、実年齢を口にした途端、男から、「魔法使い(のおばあさん)を見る目」で見られて、それっきり、連絡が途絶えてしまいますぜ。 気持ちが悪い。

  お金の力で、若い頃にし損ねた事をやり直そうというのは、土台、無理な相談です。 今や、女性の人生は、「仕事を取るか、男を取るか」の二択になってしまった観がありますな。 子供が欲しいなら、当然、男を取る事になります。 しかし、今の男が、人生全てを賭けて頼るには、全く非力である事も事実。 そちらを選ぶと、一か八かになってしまうのは、致し方ないところです。 仕事を取れば、少なくとも、自分一人の人生は、無事に全うできると思いますが、さて、それは、若い頃に決断できる事なのかどうか・・・。


  話を戻すと言いながら、戻っていないので、また、戻します。 夜遊びは、やろうと思えば、平日・休日問わず、毎晩でもできる事なので、出て行くお金の額も、半端ではありません。 稼ぎの半分以上を、夜遊びで使ってしまって、残りは生活費に消え、貯金など皆無。 そればかりか、車は3年と置かずに乗り換え、家まで買って、ローンを常に抱えているのが当たり前。 それでいて、「自分の生き方は、普通」と思っている、おめでたい奴らが存在する。

  定年間近になってから、周囲の同年代の人達が、老後資金を、しっかり確保しているのを見て、真っ青になり、「なーに、死ぬまで働けばいいさ」なんて、精一杯の虚勢を張るわけですが、その実、そういう奴に限って、若い頃には、「定年になったら、遊びまくるぞ」と思っていたに違いないのであって、一体、どこから、そのお金を持って来るつもりだったのか、お釈迦様でも解せますまい。 そんなのは、身から出た錆、もしくは、自業自得としか言いようがなく、惨めとは思っても、憐れとは思いません。 典型的なキリギリス・タイプですな。 それだけ、前半生で楽しんだんだから、後半生は、ツケを払って暮らすしかないでしょう。

  頭に来るのは、生活保護受給者の中に、少なからず、そういう前半生を送った奴らがいる事でして、自分で稼いだ金は、全て使ってしまい、他人の金で、老後を暮らそうというのだから、いくら、キリギリスとはいえ、虫がいいにも程がある。 生活保護の受給資格審査の中に、前半生で、どういう生活をしていたかのチェックも含めるべきでしょう。 ギャンブル狂や、アル中、女狂い、ホスト狂いなどは、自治体が養ってやる必要はないです。 野垂れ死にするってーんなら、させりゃーいーんだよ。 何が、最後のセーフティー・ネットだ。 話にならんわ。


  懲りずに、また、話を戻しますが、私が子供の頃には、夜、出かけなければならない時には、必ず、懐中電灯を持って行きました。 乾電池式の懐中電灯が普及したのは、戦後だと思いますが、それ以前には、提灯を使っていたのであって、夜の外出に、灯りを持って行くのは、当然だったんですな。

  いつの頃からか、そういう習慣がなくなってしまいましたが、街灯の普及が関係しているのか、アスファルト舗装になって、足元の危険が減ったせいなのか、懐中電灯を持ち歩くのをカッコ悪いと見做すようになったからなのか、理由は定かではありません。 ちなみに、うちの近所に限って言えば、街灯の数は、別段、増えてはいませんな。

  東日本大震災の後、省電力の為に、街灯が消されていた期間があり、その時、「懐中電灯が復活するかな?」と思ったのですが、そんな事にはなりませんでした。 一度、なくなった習慣というのは、おいそれとは、元に戻らないんですな。 そういや、その頃、房総半島に、バイクで野宿ツーリングに行ったんですが、丘の上の畑の脇で夜を明かして、まだ暗い内に、南側から犬吠埼へ向かったところ、その道が、街灯ゼロで、ものの見事に、真っ暗け。 小刻みにアップ・ダウンの続く直線で、前を走っていた原付の尾灯が、道の向こうに沈み込んだと思ったら、そのまま、出て来ません。 ありゃ、怖かったなあ。 まあ、沈んだ所で、横道に曲がったんだと思いますが。


  もう、40年も前から、反射材を使ったグッズが出回っていて、暗い時間帯に、散歩やジョギングをするような人は、それを身に着けています。 だけど、自分の存在を他者に知らせる事はできても、足元を照らす事はできないわけで、歩道の縁石などで、躓いて転ぶ人は、結構いるんじゃないかと思います。 子供が転んでも、膝や腕に擦り傷を作るくらいですが、大人が転ぶと、最悪、骨折する事もあるのであって、暗さを甘く見ていると、えらい事になります。

  そういや、仕事帰りの女性で、バス停から家まで、戦々兢々としながら歩いて帰っている人が、たくさんいると思うのですが、工事現場の交通整理係が着ているような、反射材が付いたベストを買って、バスから下りた後、着てしまえば、襲われる心配は、極端に低くなると思いますよ。 痴漢や変質者は、性欲をエネルギー源にして活動していますから、白けさせてしまえば、それまでです。 車に対しても、視認性が上がって、有効です。 その上、懐中電灯を点けていれば、もう、完璧。 なに、もしかしたら、素敵な男性とすれ違うかもしれないから、カッコ悪い? アホ抜かせ。 漫画じゃあるまいし、バス停から自宅までの道で、罷り間違っても、ロマンスなんぞ、発生するものか。 安全の方が、よっぽど大事だわ。


  自転車のライトも、頼りになりませんなあ。 光量からして、自分の存在を周囲に知らせるのを目的に付けられているライトでして、進む先の道路を照らすには、呆れてしまうほど、非力です。 通勤に自転車を使っている人達は、電池式の強力なライトを装備しているそうですが、むべなるかな。 ダイナモの自家発電では、せいぜい、自転車の先頭から、1メートル先の、直径10センチ程度の道路を照らせるだけで、使い物になりません。 何か、障害物が照らし出された時には、もう、手遅れですな。

  この事情は、リム・ダイナモでも、ハブ・ダイナモでも、同じです。 ハブ・ダイナモのオート・ライトは、確かに便利なんですが、結局、発電量は大差なく、道路を広範囲に照らすほどの明るさはありません。 街灯が少ない道を通わなければならない高校生は、帰りが怖いでしょうなあ。 当人が思いつかない場合、親が、電池式の強力ライトを付けてやるべきでしょう。 盗難対策に、取り外せるようにして。

  ダイナモでも、小さなバッテリーを積んで、逐電しておけば、そこそこ、明るくできると思うんですが、そういう自転車は、見た事ありませんな。 後付けユニットでも発売してみれば、結構、売れるのでは? 電動アシスト車は、元から、バッテリーを積んでいるわけですが、ライトの明るさは知れています。 ライトの球そのものが、違うんでしょうか。 50ccの原付スクーター・クラスになれば、ライトも、実用的な明るさになるんですがねえ。


  赤いランプが点滅する、自転車用の尾灯があり、100円ショップでも売っていますが、あれは、効果があると思います。 バイク通勤していた頃は、未明や深夜に走っていたのですが、あの点滅を見ると、すぐに、自転車だと分かって、その視認性の良さに驚き、大変な優れ物だと思いました。 私自身も、2010年の岩手応援の時に、先輩から借りた折自に付ける為に、北上市北部のダイソーで買ったのを、今でも一つ持っています。 何せ、夜、外出しないので、今は使っていませんが・・・。 乾電池が、どのくらい持つかが鍵ですが、安全性が遥かに高まる事を考えれば、乾電池くらい、安いものでしょう。


  そういや、私の折自には、後ろの泥除けに、反射板が付いていますが、ライトはありません。 最初から付いていなかったので、そのまま、乗っているだけなんですが、ライトが付いていなくても、即、道交法違反にはならないようで、警察官の目の前を通る事があっても、何も指摘された事がありません。 「夜間に乗る時には、ライトが要る」のであって、昼間しか乗らない場合、なくても、問題ないんでしょう。 ちなみに、子供自転車も、れっきとした軽車両ですが、大抵は、ライトが付いてないです。 子供は、夜、乗りませんからねえ。

  それでも心配な人は、取り付け式のライトが売っているので、それを荷物の中に入れておいて、警官に何か言われたら、「夜になったら、これを着けます」と言ってもいいし、「夜になったら、下りて押します」という、言い方もできます。 歩行者は、無灯火でも、なんら、法律に抵触しませんから。 ただし、その時には、冗談めかして、ニタニタ笑ったりせず、真顔で言うのが肝要です。 警官というのは、人を喰ったような態度を取る人間には、一際厳しくなるものです。


  ところで、リム・ダイナモという奴は、何十年経っても、使い難い機械ですなあ。 漕ぐのが苦痛になるほど、ペダルが重くなるのですから、前輪タイヤのサイド・ウォールにかかる摩擦抵抗が、どれだけ強いかが分かろうというもの。 年中使っている人は、タイヤ側面が磨耗して、繊維が出てるんじゃないでしょうか? 「ないよりは、マシ」程度の代物であって、「技術的に完成した機構」とは、到底、言えません。

  北海道応援の時に、向こうで買ったシティー・サイクルには、リム・ダイナモが付いていました。 平日の食料品買い出しで、やむを得ず、暗くなってから乗らなければならない時には、それを使っていましたが、あの、「ザーーーーッ!」という、何かを擦り切れさせ続けているような音には、ぞーっとしました。 嫌な音だよ、本当に。

  ハブ・ダイナモの登場が、技術の進歩と言えば言えるわけですが、金額的には、高くなってしまうわけで、廉価自転車向けに、リム・ダイナモがなくなる事は、当面、なさそうです。 何とか、リム・ダイナモ自体を発展させて、もっと、低い抵抗で回せるようにならんものですかねえ。 「それができないから、ハブ・ダイナモが出て来たのだ」と言われれば、その通りだとは思いますが。

  ハブ・ダイナモの場合、大抵、オート・ライトになっていて、暗くなると、センサーが感知して、自動的に灯りが点くわけですが、「ハブ・ダイナモ = オート・ライト」というわけではないのでして、オート・ライトに関しては、全く無意味な機構だと思います。 センサーなんか不要。 常時点灯でいいではありませんか。 バイクなんか、みんな、そうなんだし。 昼間でも点けっ放しで、何の不都合があるのか分かりません。 寿命が長いLEDを使っているのなら、尚更です。 センサー機構を省くだけでも、少しは安くなるのでは? 


  だけど、まあ、ライトがどんな物であれ、夜は、出かけないで済むなら、出かけない方が、確実に安全だと思います。 徒歩だろうが、自転車だろうが、車だろうが、公共交通機関だろうが、移動手段に関係なくね。 通勤・通学の場合は、やむを得ないですけど。




≪左≫
  私が使っている旧母自の、リム・ダイナモ・ライト。 夜に乗らないので、使った事がなく、どこをどうやれば、作動するのか、普段は忘れています。 前籠ステー兼ライト・ガードが、少々錆びているのは、見なかった事にしてください。 放置されていた期間が長かったから、磨いても、これ以上、落とせないのです。

≪中≫
  父自の、ハブ・ダイナモ、オート・ライト。 夜でなくても、ガード下や並木の下くらいの暗さで、点灯します。 光量が知れているので、乗っている本人が気付かないだけ。 前籠ステー兼ライト・ガードが、ひどく錆びているのは、父が整備をしないから悪いのであって、私のせいではありません。

≪右≫
  母自の、LEDオート・ライト。 電動アシスト車なので、ダイナモがどうなっているのか、詳しい事は分かりません。 LEDですが、母の話では、明るさは、昔乗っていた原付スクーターとは比較にならないほど、弱いとの事。 まあ、LEDだから、明るいって事はないですわなあ。 むしろ、青っぽい光で、電球より暗いような感じがします。 前籠ステー兼ライト・ガードが、そこそこ錆びているのは、母が整備をしないから悪いのであって、私のせいではありません。 この自転車が、一番、新しいんですがねえ。