2017/01/29

三島スカイウォーク ①

  三島市の箱根山麓に出来た新名所、「三島スカイウォーク」へ、2016年10月4日に、母と車で行って来ました。 「全長400メートルで、日本最長の大吊り橋」というのが、売り文句。 どこからどこまでを結んでいるというわけではなく、富士山が見える所に、最長の吊り橋を架けて、観光地にしようという発想で作られた歩行者専用の橋です。 去年、2015年の12月14日にオープンして、一年を経ずして、入場者100万人を突破したそうで、まんまと企画が図に当たったわけですな。 ちなみに、民間企業が作ったもので、三島市営ではありません。




  そもそもは、母が、「あの車で、登れるか?」と訊いて来たので、「そんなに高い所ではないから、何とかなるだろう」と答えたら、早速行く事になったという次第。 三島市から、国道1号線を箱根へ登って行くと、左側にあります。 19歳のセルボ・モードですから、もちろん、アクセルはベタ踏み。 車全体が悲鳴を上げている感じ。 それでも、登坂車線をうまく使って、割とストレスなく、到着しました。

≪写真1≫
  駐車場。 広大というほどではありませんが、かなりの収容台数があります。 一般車は、400台分。 私らが着いたのは10時頃で、まだ、すいていましたが、約1時間いて、帰る頃には、満杯に近くなっていました。 駐車場は、無料。 という事は、箱根越えの途中で、トイレ休憩だけに、ここを使う事もできるわけですが、あくまで、満車でなければの話。

≪写真2≫
  駐車場側から、建物群を見た様子。 これらは、ほとんど、飲食店です。 食事をさせるのが、最も金が落ちると考えているように見受けられます。 右の方へ行くと、トイレがあります。 母が、着くなり、利用しましたが、驚くくらい綺麗に作られたトイレだったそうです。

≪写真3≫
  トイレの横にある、駐輪場。 箱根の中腹なので、自転車よりも、専ら、バイク客への便宜として、作られたのではないかと思われます。 ピクトグラムも、バイクの絵でしたし。 観光地で、バイク用の駐輪場を設けているのは、珍しいです。 残念ながら、この時点で、私はすでに、バイク乗りではなくなっていましたが。

≪写真4≫
  駐車場からだと、お目当てのスカイウォークは、これだけしか見えません。 もうちょっと、無料エリアで近づけますが、眺めは、大差なし。 



≪写真1≫
  トイレのある建物の、エントランス部分に、模型がありました。 これを見ると、無料エリアでも、高い所に登れば、スカイウォークが見えそうです。 トイレから出て来た母に、そう説明し、高い所へ行ってみる事にしました。 この時点では、まだ、お金を払う気はなかったわけです。

≪写真2≫
  飲食店の間から、奥の高台へ向かう道が延びています。 カラフルなのは、バナーの列で、その下が階段になっています。 階段の右側の白い屋根がかかっている所には、上りと下りのエスカレーターがあります。 心臓が悪い母は、長い階段など、とても無理なので、エスカレーターには助かりました。

≪写真3≫
  左側は、エスカレーターの手すり。 まだ、新しくて、ピカピカしていました。 このエスカレーターは、人感センサー式で、普段は停まっており、人が近づくと、動き始めます。

  右側の写真は、高台の上にあった、土産物店の入口です。 そして、この高台は、土産物店に案内する為だけのものでした。 店内には、天井一杯に、花が吊られていました。 土産物は、スカイウォーク用に開発されたものが多かったです。 母が、お菓子を、2種類、買って来ましたが、個人の感想としては、名物になるようなものではなかったです。

≪写真4≫
  これが、高台からの眺め。 駐車場からと、大差ありません。 有料エリアに入らないと、せいせと見えないように、巧く作ってあるんですなあ。 私は別に、見たくはなかったんですが、母が、「ここまで来て、見ずに帰れない」というので、一人千円払って、見に行く事にしました。



≪写真1≫
  左は、橋の現物の一部分を切り取った物。 これは、無料エリアに置いてあります。 上に上がれますが、別に、橋を渡っている気分にはなりません。

  右上は、説明看板の一部。 全長400メートルで、2100人というと、二列に並んだとして、一人当たり、40センチくらいの間隔になります。 つまり、ほぼ、びっしり載っても、落ちないわけですな。 安心する? 逆に不安になる? 微妙ですなあ。 実際には、みんな歩いているわけで、間隔はもっと広くなり、いちどきに橋の上にいる人数は、500人もいかないでしょう。 ところで、人間が橋の上にのる場合、「乗る」なのか、「載る」なのか、どっちなんでしょうね?

  右下は、料金表。 向こう側に着いたら、帰って来るしかありませんから、往復料金です。 私だけかもしれませんが、橋を渡って返って来るだけで、千円は高いと感じますなあ。 大人を基準にして考えると、ほとんど、体重が変らない中高生が半額なのは、安過ぎ。 小学生200円は、まあ、リーズナブルですか。 二分して、小・中学生200円、高校生以上500円くらいが、妥当なんじゃないでしょうか。

≪写真2≫
  左側は、チケット売り場。 母が、私に買わせようとしたので、「自分でやんな」と、お金をつき返しました。 もちろん、私は、チケットくらい買えますが、そんな問題ではありません。 何でも、子に頼っていると、どんどん衰えてしまうのを、父で経験済みだからです。 そもそも、私は、千円も払って、橋を渡りたいとは思っておらず、積極的に関与する理由がないです。

  右側は、入場券と、オマケに付いて来たソフトクリームの値引券。 入場券は、ゲートを入る時に、青いスタンプを押され、橋の向こうに渡ってから、帰って来る時に、赤いスタンプを押されます。 ソフトクリームの値引券は、「牧場の濃厚な牛乳のソフトクリーム」とあります。 50円も安ければ、お買い得と思うのが普通ですが、後で、母が行ってみたところ、元の値段が高かったそうです。 それでも、行列していたとの事。

≪写真3≫
  橋の入り口側の広場。 「MISHIMA 400m SKYWALK」という立体文字と、立ち段があり、記念写真を撮る場所になっています。 中央の奥に、富士山。 まだ、雪が積もっていないので、真っ黒です。 もしかしたら、富士山だと気づかない人もいるかもしれません。

≪写真4≫
  左側は、吊り橋の片方の柱。 さすがに、高いです。 しかし、歩行者専用で、橋自体の幅は狭いですから、柱の幅も狭くて、形もシンプルです。

  右側は、橋の入口。 幅の狭さがよく分かります。 係員がいますが、この人は別に、決まった仕事はない模様。 もし、渡っている途中で、歩けなくなってしまうようなお客がいたら、救援を呼ぶのが仕事なのかもしれません。



≪写真1≫
  行きは、南から北へ向かいます。 これはまだ、渡り始めて、間もない辺り。 ところが、まだ、100円分も渡っていないというのに、母がビビリまくって、「引き返す」などと言い出しました。 私が渡りたいと言ったんじゃない、母が渡りたいと言うから、2千円も払って、渡り始めたというのにです。 そんなに吊り橋が怖いなら、そもそも、渡りたがらなければいいではありませんか。

  あまりにも、馬鹿げているので、そんな泣き言は一蹴し、叱咤して、先に進ませました。 「母が出したお金だから、母がどうしようが勝手」という理屈は却下します。 お金の大切さを分かっていないにも程がある。 2千円あれば、どれだけうまいものが食えたか分からんではないですか。 

≪写真2≫
  ここら辺が、ほぼ、真ん中です。 横に張られているワイヤーが低くなっている事で、それが分かります。 その時間帯、橋の上にいた人数が多かったようで、かなりの揺れがありました。 だけど、ビビって歩けなくなるほど、怖くはありませんでした。 吊り橋は、揺れるから怖いのではなく、落ちそうだから怖いのであって、これだけ頑丈に作ってあって、落ちないと分かっていれば、いくら揺れても、何ともありません。

  手すりがあって、いざとなれば、それに掴れるのに、何を怖がっているのか分からない。 他の人達も、みんな、普通に歩いていましたよ。 ヨッタヨッタ、ガニ股で一歩一歩進んでいたのは、私の母だけです。 この人ねえ。 私が小学生の時、家族でドライブに行った先で、小さな吊り橋がありまして、私が、へっぴり腰で渡っている写真を撮って、後で、さんざん、笑い者にした前科があるのですよ。 40年後に、仇をとってやりました。

  今の母は、歳が歳ですから、子供の頃の私と、直接比較できませんが、それ以前の問題として、吊り橋を渡れるかどうかくらい、自分で分かりそうなもんじゃありませんか。 自信がなかったら、最初から、有料エリアになんかに入らなきゃ良かったのです。 馬鹿じゃなかろうか。

≪写真3≫
  ここが、中央。 横の留め具が、他よりも、大きな物になっています。 まだ新しいから、つい撮影してしまいました。 ちなみに、この灰色は、錆どめの色です。

≪写真4≫
  下を覗き込むと、こんな感じ。 小川が流れていました。 落ちたら、もちろん、死にますが、そんなに高いというわけではないです。 三島スカイウォークの売りは、あくまで、「最長」の、歩行者用吊り橋でして、「最高」ではないからです。 「最高」の歩行者用吊り橋は、確か、大分か熊本の方にあって、とっくの昔から、観光名所になっているはず。




  今回は、ここまで。 正味の滞在時間は、1時間くらいだったのですが、写真ばかり、たくさん撮ってしまったので、二回に分けます。

2017/01/22

セルボ・モード補修⑤

  セルボ・モード補修の、 最終回です。 前回の記事を準備している時に、「ん? 何か忘れてるぞ・・・」と思って、考えたら、ヤフオクで最後に買った、取扱説明書の写真を撮るのを忘れ、公開日記のブログの方にすらアップしていない事に気づきました。 大慌てて、写真を撮り、解説文を書いて、アップし、今回、こちらでも、最後の1枚となった次第。




【バッゲージ・トレイ・キャッチ】

≪写真上≫
  ハッチ・バック車の、トランク・ルームの上に被さっている板の事を、「バッゲージ・トレイ」、もしくは、「ラッゲージ・トレイ」と言います。 元の綴りは、「baggage」「luggage」で、発音は、「バギッジ」「ラギッジ」の方が近いのですが、自動車工場では、バッゲージやラッゲージの方が通りがいいです。 ラッゲージの方は、簡略化して、「ラゲージ」という言い方もあります。

  バッゲージを、「パッケージ」と間違えている人も多いですが、語源はたぶん、同じと思われるものの、一応、違う単語です。 バッゲージもラッゲージも、意味は、「小荷物」でして、そのトレイですから、「ちょっとした物を置く為の、お盆」というわけです。 「ラゲージ・トレイ」で検索すると、トランク・ルームの中に敷く、大型のトレイが引っかかって来ますが、それは、本来の自動車部品ではなく、アクセサリーですな。

   で、私が買ったセルボ・モードのバッゲージ・トレイなんですが、経年で、中央部が垂れて来てしまっているのは、まあ、仕方ないとして、両脇の、後ろ側キャッチ部分のプラスチック部品が割れていました。 換え部品が手に入らないので、こういうのは、非常に困ります。 別に、キャッチがなくても、トレイが落ちる事はないですが、割れたままというのは、気になるものです。  

≪写真中≫
  左側は、割れた部品が、一部、欠けてしまっており、どこを捜しても見つかりませんでした。 やむなく、ビニール・テープを扁平な巻き物にして、両面テープで貼り付けました。

  右側は、割れているだけで、欠けた部分はありませんでした。 ABS接着剤でくっつけて、何とか、形を保ちました。

≪写真下≫
  トレイを載せた状態。 左側は、ビニール・テープの巻き物が膨らんで、キャッチの役目を果たしています。 右側は、見た目は、本来の形になっています。 その後、あまり気にせず、テキトーに扱っているのですが、壊れないようなので、安心しました。



【運転席ドア・バイザー交換】

≪写真1≫
  ドア・バイザーの内、運転席用の後ろの端が、欠けていました。 これも、中古車店で見た時には気づかなくて、家に帰ってきて、しばらくしてから、「何か、変・・・」と思って、よくよく見たら、欠けていたというわけ。 欠け口が直線的だったから、分かり難かったんですな。

  それにしても、前の持ち主は、一体、どこへぶつけて、こんな所を欠いてしまったんでしょう。 運転手以外、気づかないような所ですが、乗り降りするたびに目に付いて、鬱陶しいので、交換する事にしました。

  ドア・バイザーは、両面テープと、クリップで、固定されています。 クリップは、ドア枠の内側に入っているゴムを引っ張り出せば、外せます。 てっきり、金属製だと思って、思い切り引っ張ったら、実はプラスチック製で、あっさり折れてしまい、冷や汗かいたものの、交換用に買ったバイザーに付属していたので、助かりました。

  両面テープを剥がす方法を、ネットで調べたら、「細い針金で、鋸のように切って行く」とあり、その通りにやったのですが、確かにとれたものの、窓枠に、キズが、かなりついてしまいました。 コンパウンドをかけても、消えません。 塗装が剥がれてしまった所には、筆で塗料を注しておきました。

  当初、運転席がうまく行ったら、他のドアのバイザーも、交換しようと思っていたのですが、こんなに、キズだらけになるのでは、冗談ではないと思い、そちらの計画は中止しました。 一応、バイザーを貼り直せば、隠れるキズなのですが、そういう問題ではなく、錆びる事を考えると、キズはないに越した事はないです。

≪写真2左≫
  ヤフオクで落札した、セルボ・モード5ドア用ドア・バイザー、一台分。 本体価格1000円、送料1400円で、合計2400円。 広島県の福山市から発送されたのですが、えらい日数がかかって到着しました。 梱包してある箱に、ダイハツのマークがあります。 元々は、ダイハツの部品が入っていたんでしょう。

≪写真2右上≫
  箱から出すと、前二枚、後ろ二枚を組にして、プチプチ・ビニールで巻いてありました。 これなら、折れますまい。 出品者は、しっかりした人のようです。

≪写真2右下≫
  用がある、運転席用の1枚を出したところ。 出品ページの説明にあった通り、キズがありましたが、欠けに比べたら、なんぼのものでもありません。 写っていませんが、クリップも、全て揃っていました。

≪写真3左≫
  100円ショップ、セリアで買って来た、「超強力・アクリルフォーム・両面テープ 屋外・屋内用 グレー」。 幅は1.5センチ、長さは1.5メートル、厚さは0.6ミリ。 108円。 必要な幅は、8ミリなのですが、8ミリ幅の製品は、ホーム・センターやネットにならあるものの、値段が高いので、これを半分に切って使う事にしました。 ロール状態のままで、カッターで切り込みを入れて行きました。

≪写真3右≫
  取り寄せたバイザーを貼りました。 後ろ端に合わせたら、前端が、前に貼ってあったバイザーの痕まで、届きませんでした。 僅かに短いんですな。 プラスチックも、金属も、20年近く経つと、延びたり縮んだりするのでしょう。

≪写真4≫
  おお、すっきりした! 一番上の写真と比べると、いかに私が、清々した気持ちになったか、想像して貰えると思います。 ビフォーとアフターじゃ、大違いですわ。 2508円で、この清々感を買ったと思えば、安いもの。

  両面テープは、厚さが0.6ミリで、ドア・バイザーに使うには、少し薄かったのですが、問題なく、接着できました。 セルボ・モードのドア・バイザーは、二辺しか窓枠に接しませんから、原理的に、浮く事がありえない点も、密着させるのに、寄与したと思います。



【全体写真 前側】

  補修が、ほぼ終わった頃、「三島スカイウォーク」という観光地に行き、そこの駐車場で、車全体を撮影しました。 まずは、前側。 バンパー左側の大キズ修理痕ですが、映り込みとごっちゃになって、ほとんど分かりません。 このくらいの距離だと、細部の補修痕に気づく人はいないと思います。

  近づくと、鉄板部分の塗装の劣化が、すぐに分かってしまいます。 それを、解決するには、板金塗装工場へ、全塗装に出すしかないのですが、丁寧にやってもらうと、30万円くらいかかるという話で、問題外です。 そんなにお金をかけるほど、エンジンやトルコン、サスなどの状態がいい車ではありません。



【全体写真 後ろ側】

  後ろ側。 今は、こういうデザインの車が、ほとんど、なくなってしまいましたが、1990年代には、流行っていました。 セルボ・モード(1990年~1998年)は、この種の丸め方の車の中では、かなり、完成度の高い方でした。 2代目、日産・マーチ(1992年~2002年)と比べると、セルボ・モードの方が登場が早いのに、むしろ、いい形をしています。 4代目ダイハツ・ミラ(1994年~1998年)の後姿は、セルボ・モードによく似ていて、間違える事があるくらいなのですが、あれはたぶん、セルボ・モードを参考にしたのだと思います。

  今では、ほとんどの車が、砲弾型になってしまい、リヤ・エンドは、スパッと切り落としたようになっているので、こういう、丸いお尻の車は、車らしく見えなくなってしまいました。 時代と共に、感覚は変っていくものなんですなあ。

  21世紀に入ってから、車のデザインに興味を持った世代の人は、セルボ・モードのようなスタイルを見ると、全く理解できないか、レトロに見えるかのどちらかでしょう。 だけど、このデザインは、当時は、最新のものと見做されていたのであって、スバルのヴィヴィオ・ビストロ(1995年~1998年)に始まる、レトロ・ブームの車とは、全く違うものでした。

  セルボ・モードの外観は、前期型(1990年~1995年)と後期型(1995年~1998年)で、フロント・グリルとリヤ・コンビネーション・ランプのデザインが異なります。 フロント・グリルは、前期型の方が、車全体のフォルムに似合っていると思いますが、リヤ・コンは、後期型の方が、洗練されているように見えます。 



【ステッカー・エンブレム】

≪写真上≫
  車名のエンブレムは、90年代の車らしく、ステッカーです。 若い人で、勘違いしている人もいるようですが、元々、車のエンブレムは、みな、立体のプラスチック製でして、それは、軽でも変わりませんでした。 1980年代の半ば頃から、ステッカー・エンブレムが登場し、しばらく、使われていたのです。

  技術の向上で、ステッカーの耐久性が上がり、最新流行として使われたのであって、別に、コストが安かったのが主な理由ではなかったと思います。 車本体の平均耐用年数と同じくらいの期間なら、ステッカーでも、充分にもつようです。

  一般論はさておき、このヒビ割れと褪色には、19年の歳月を感じますなあ。 貼り換えたいところですが、もはや、新品はもちろん、中古品さえも、手に入りません。 生産中止後、10年くらいは、交換部品として売っていたんでしょうが、とっくに、在庫がなくなっている模様。

  ネットで調べたら、2006年版セルボの、「Cervo」エンブレムと、ラパン・モードの、「MODE」エンブレムを組み合わせて、セルボ・モードに貼っている人がいるようですが、そういう工夫は、粋なのか、子供っぽいのか、評価が微妙に分かれるところでしょう。 私は、年齢的に、もう、そういう遊びはできません。

≪写真中≫
  リア・ウインドウの左下に貼られた、「SUZUKI」のステッカー。 確か、90年代頃のスズキ車には、みんな、ここに、このステッカーが貼ってあったと思います。 劣化が激しいながらも、剥がされずに残っていたせいで、過去の記憶が甦りました。 それにしても、汚らしい。 このステッカーは、ヤフオクで出ていた事もあったらしいのですが、今では、出品されていません。

≪写真下≫
  フロント・グリルの中央にある、「S」マークのエンブレム。 これは、今でも、手に入るらしいですが、さほど、劣化していないので、買う気になりません。


  ところで、「セルボ・モード」という車ですが、本当の名前は、何なんでしょう? 普通に考えれば、「セルボ」がメイン・ネームで、「モード」が、サブ・ネームという事になりますが、車名ステッカーを見ると、「MODE」の方が大きくて、「CERVO」は、オマケのように小さいです。 これを、常識的に判断すれば、本名は、「モード」という事になるんじゃないでしょうか。

  たぶん、「モード」という名の、全く新しい車種として開発されていたのが、発売前に、「知名度が低いと、売れないのでは?」という意見が出て、スズキのスペシャルティー・カーの血筋である、「セルボ」の名前を、後から、くっつけたのではないかと思うのです。 ところが、「セルボ」という名前の知名度が高過ぎて、「モード・セルボ」ではおかしいという事になり、便宜的に、「セルボ・モード」と呼んでいたら、その呼び方が固定してしまったと・・・。 全て推測に過ぎませんが、そうとでも考えなければ、文字の大きさの謎が解けません。

  2006年版セルボの、「Cervo」エンブレムと、ラパン・モードの、「MODE」エンブレムを組み合わせて、貼り換えた人は、「Cervo」エンブレムの方が大きいですから、本名が、「モード」から、「セルボ」に変ってしまう事になりますな。



【取扱説明書】

≪写真上左≫
  ヤフー・オークションで落札した、セルボ・モードの取扱説明書です。 本体が500円、送料が250円で、計750円でした。 前の持ち主が、どういう保存方法をしていたのか、妙な色の褪せ方をしています。 こういった古冊子を買う場合、状態が良いに越した事はないですが、すでに、20年近く経っている品ですから、この程度なら、充分なのであって、文句はありません。 肝心なのは、中身です。

≪写真上右≫
  裏表紙。 セルボ・モードの後期型は、1995年10月に登場し、97年の5月に、小改良されています。 私の車は、97年の7月に、初回登録されているから、最終の6型だと思っていたのですが、いろいろと調べたら、その前の、5型である事が分かりました。 つまり、ディーラーに来てから、しばらく、店番をしていたわけですな。 もしかしたら、試乗車だったのかも知れません。

  取説も、本来なら、96年9月から、97年5月までの物でなければいけないのです。 その版のが、ヤフオクに出品されていたものの、認証制限があって、スマホを持っていないと、買えないとの事。 そんな規則あったんですか? うーむ、それでは、致し方ない。 一旦は、諦めたのですが、更に調べたら、後期型の最初の、95年10月の版が出品されていて、ほぼ、同じ内容と思われたので、それを買ったという次第。

≪写真中≫
  裏表紙の右下を、拡大しました。 ヤフオクで出品されていた時にも、この部分の拡大写真が付いていました。 発行年月は書いてないので、「9901-50E08 U・L」 という数字から、版を特定するしかないのです。 つきとめるのに、えらい、苦労した記憶があるのですが、もう、3ヵ月近く前の事で、どうやって調べて行ったか、細かい事は忘れてしまいました。

  表紙・裏表紙の色は、この版では、オレンジですが、96年9月以降の版は、青系統に変わります。 ちなみに、95年10月以前の、前期型では、取説の作りそのものが違っていて、もっと高級な感じになっています。 前期型の登場は、90年7月で、バブルの真っ盛り。 取説も豪華だったわけですが、バブル崩壊後、じわじわと、コスト削減の圧力が高まり、後期型へのマイナー・チェンジを期に、シンプルな物に変えたのだと思います。

≪写真下≫
  中身も、前期型より、かなり、簡素化されている様子。 ターボ車なども、同じ取説だったようで、「タイプ別装備」という但し書きが、あちこちに出て来ます。 各部の操作方法が説明されていますが、そのほとんどは、私がすでに知っている事でした。 昔の車の場合、現物を見れば、大体、どう使うか分かるものなんですな。

  私が、どうしても知りたかったのは、車を買った時、テキトーに突っ込まれていた、ジャッキ・ハンドルの、正確な取り付け位置だったのですが、それは分かりました。 固定フックがあるわけではなく、スペア・タイヤの後ろに、普通に置くだけでしたけど。

  エンジン・オイルやエレメントの交換方法が書かれていなかったのは、意外でした。 スズキ車では、そういう事は、「メンテナンス・ノート」という、別の冊子に書かれているようなのですが、それは、ヤフオクでは出品されていませんでした。 ただ、オイルの交換頻度に関しては、スズキのホーム・ページで調べる事ができました。 取説に書いてくれてもいいような気がするんですがね。


  この取説、もちろん、必要だと思って、買ったわけですが、今になってみると、「なければないで、どうという事はなかったなあ」と、言えば言えます。 苦笑するしかないですねえ。 「車に積んでおくように」と書いてあるものの、グローブ・ボックスに入れておくと、曲がって、傷みそうなので、自室の本棚に置いてあります。

  去年の10月頃には、車が売られていた当時のカタログも欲しいと思っていたのですが、ドンピシャの版が出品されていなかったので、そのまま、諦めてしまいました。 今でも、出ていないようです。 カタログこそ、版違いを買っても意味がないです。




  年末年始を挟んで、5回分 使って、紹介しましたが、組写真の枚数が多いので、本来なら、もっと、小分けにした方が、読み易かったと思います。 申し訳ない。

  最後に、取扱説明書を手に入れたのが、去年(2016年)の10月下旬でして、すでに、3ヵ月くらい経っています。 その後、車は、時々、汚れを取る程度で、何も手を加えていません。 一通り、直したから、飽きてしまったんですな。 私の場合、よくある事です。

  運転席のパワー・ウインドウが、一度 下げきってしまうと、上げようとしても、途中でガッタンガッタン言って、それ以上あがらなくなるという故障ですが、買った時に、中古車店の社長が、「部品が入ったら、無料で直します」と言ってくれたものの、未だに、連絡はありません。 暑かった頃は、電話を待っていましたが、寒くなってからは、窓を開ける事がなくなったので、気にならなくなってしまいました。 

  ヤフオクには、パワー・ウインドウ・レギュレーターが出品されているのですが、タダで直してくれる当てがあるのに、自腹を切るのも馬鹿馬鹿しい話。 自力で交換できるかどうかも自信がないですし。 自動車の組立工場に勤めていた時、解体作業をやった事がありますが、ドア・トリムを外すと、大抵、クリップが壊れるものでして、クリップも買っておかなければなりません。 クリップにも、種類があり、外してみないと、どんなタイプか分からないというのが、また、面倒です。

  問題点が気にならなくなったのには、他にも理由があります。 せっかく、買って、補修した、セルボ・モードですが、2年後に、次の車検をとるかどうか、分からなくなったのです。 私一人ならともかく、そもそもの目的が、親を乗せる為に維持している車ですから、私の好みで、安い車に拘り続けるのも、どうかと思うのですよ。

  もし、2年後に、「新車に換えようか?」と、母に相談したら、たぶん、「そうしな」と言うでしょう。 「半分、お金を出してくれ」と言えば、たぶん、出してくれると思います。 全額でも出してくれるかもしれません。 もう、老い先短い身で、お金をケチっても仕方ないからです

  駐車場の幅の問題は、2年後でも変わっていないと思いますが、私が、いくらかの不便を我慢すれば、現行規格の軽でも、入らない事はないです。 なんだか、そういう事になりそうな気がするのですよ。 つまり、セルボ・モードは、2年間もてばいいわけだ。 そう思うと、これ以上、お金や手をかけるのが、無意味に思えてしまうんですな。

2017/01/15

セルボ・モード補修④

  セルボ・モード補修の、四回目。 もしかしたら、私と同様に、最近になって、セルボ・モードを手に入れた人が、検索に引っかけて、見に来ているかもしれませんが、当方、車の修理方法に詳しいわけではなく、安く買った車の見てくれを、極力 お金をかけずに、少しでも良くしようという、お世辞にも高いとは言えない志で直しているだけなので、あまり、参考にはならないと思います。




【マットガードの洗浄】

≪写真上≫
  前後のマット・ガードが汚れていたので、締め付けを外して、ボディーやバンパーから浮かせ、水洗いしました。 ボディー・バンパー側には、コンパウンドをかけて、垢を除去。 写真は右側ですが、左側も同じようにしました。

≪写真中≫
  ビス・ボルトは、赤く錆びていました。 酸で錆を落としてから、艶消し黒で塗装。 小さい部品は、乾かす時に、いろいろと、小細工が必要です。 全部塗ってしまうと、置くに置けません。 半分ずつ塗るか、吊るす所を準備しておく必要があります。

  トヨタ車では、マット・ガードは、全て、ワッシャー一体型のビスで締めますが、スズキは違っていて、セルボ・モードの後輪側は、ボルト・ナットでした。 前輪側は、ビス。 いずれも、ワッシャーは別になっていました。 前後左右とも、一本だけ、外れ難い所があって、そこは、つけたまま、ボルトやビスの頭だけ黒く塗りました。

≪写真下≫
  締め付け直した様子。 ビス・ボルトの赤錆が見えなくなっただけでも、だいぶ、スッキリした印象になりました。 マット・ガードは、雨の日に乗った後、泥撥ねが乾く前に、如雨露で水をかけておくだけでも、綺麗に保てます。 泥を溜めないようにするのが肝要。



【運転席敷居塗装補修】

≪写真上左≫
  塗装部分を補修するには、ボデーと同じ色の塗料が必要です。 まず、それを調べなければなりません。 セルボ・モードの場合、エンジン・ルームの奥の壁に、プレートがありました。 見え難いので、書き写しますと、

SUZUKI MORTOR CORPORATION JAPAN

TYPE      E-CN22S
CHASSIS NO.CN22S 89…1
ENGINE     F6A 657cc
COLOR     1VN   D05
         BBML-5
        スズキ株式会社

  ボディーのカラー名は、「1VN」です。 その後ろの、「D05」というのは、内装の色らしいです。 とりあえず、「1VN」だけ分かれば良し。

≪写真上右≫
  アマゾンで買ったスプレー塗料、「ホルツ アンチラストペイント180ml スズキ [ 1VN ] マーキュリーシルバーM」です。 税込み、908円でした。 ホーム・センターでは、ソフト99の、300mlのが、1400円くらいします。 そんなに大面積を塗る予定がなかったので、小さい方にしました。 

≪写真中左≫
  最初に塗ったのが、運転席の敷居部分。 なぜか、ここだけ、錆びていました。 スカッフは、割と綺麗でして、前の持ち主は、スカッフに足をつけないように気をつけていたのだと思いますが、その分、ボディーの方に、足が当たっていたんでしょうなあ。

  重傷だったので、応急処置として、車が来てすぐに、コンパウンドをかけて、極力、錆を取り除き、自転車のレストアの時に使った、カラー錆取りグレーを、筆で塗っておきました。 その時の写真は、撮り忘れました。

≪写真中右≫
  1ヵ月半くらい経って、材料が揃ってから、本格的に塗装し直しました。 カラー錆取りグレーの上から、コンパウンドをかけ、テープと新聞紙でマスキングして、1VNを吹き、更に、父の遺品のクリヤーを吹きました。 クリヤーも、ホルツ製品でした。

  結果、元の色と、新しく吹いた色の違いが、かなり、出てしまいました。 写真だと分かり難いですが、肉眼で見ると、はっきり、違いが分かります。 しかし、ほとんどの部分は、ドアを閉めると、隠れてしまうので、私が気にしなければいいだけの事。

≪写真下≫
  ドアを閉めた時に見えるのは、この程度です。 ここまで、目を近づければ、はっきり、塗った跡が分かります。 だけど、わざわざ、しゃがんで、こんな所を眺める人は、いますまい。

  塗装補修の方法を教えるサイトには、元の色と、新しい色の境目をなくす為に、「ボカシ剤」を使えと出ていますが、私に言わせてもらえば、やめた方がいいです。 特に、色の違いが、見た目にも、はっきりしてしまっている場合、ボカシ剤でボカしきれるものではなく、患部を広げてしまうだけで、見るも無残な結果に終わります。

  よその車を観察しましたが、「あ~、これは、ひどい・・・」というのを、何台見た事か。 ボカシ剤というのは、塗装のプロが、様々な条件を整えた上で使うものであって、素人が、技能の低さをごまかす為に使うものではないのでしょう。 そもそも、色を合わせる必要があるわけですが、素人の場合、車の塗料といったら、スプレー缶以外に手に入りませんから、調合など不可能でして、その段階からして、解決できないのです。

  塗装面積が小さい場合や、目立たない場所の場合、たとえ、境目が出来ても、患部ぎりぎりをマスキングして塗る方が、間違いなく、いい結果になります。



【リヤ・バンパー・キズ補修】

  バンパーは、前後共に、左側にキズがついていました。 元からついていたのであって、私がつけたんじゃありません。 まずは、リヤから。

≪写真上≫
  買って来て、間もない頃、水をかけ、タオルで水拭きした後の様子。 この大面積に圧倒され、しばらくは、手を着けられませんでした。 コンパウンドや、スプレー塗料など、補修材料が揃ってから、しげしげ見直したところ、「もしや、キズがついているのは、ほんの一部で、前の持ち主が、テキトーに塗料を塗ったくっただけなのでは?」と思えて来ました。

≪写真中≫
  で、コンパウンドで、少し、しつこく、磨いてみたところ、思った通り、本当にキズがついている部分は、たった、これだけでした。 一体、どういう直し方をしたのよ? だけど、この状態になった時には、嬉しかったです。 このままでも良かったくらいですが、せっかく、塗料があるので、使う事にしました。

≪写真下≫
  バンパー・プライマーを塗り、テープと新聞紙でマスキングしてから、プラサフ、1VNシルバー、クリヤーと吹いて、仕上げたら、こうなりました。 色の違いが、はっきり分かるものの、面積が小さいから、ちょっと離れると、ほとんど、目につきません。 恐らく、普通に車間距離を取っていたら、後続車から見ても、キズの存在に気づかないと思います。 下の方の細いキズに至っては、この距離でも見えなくなりました。

  小さいキズの場合、キズの形に合わせて、ギリギリの所をマスキングし、塗る面積を極力小さくするのが、お薦めです。 円、楕円、陸上トラック形、正方形、長方形、といった、定形に整えようとすると、面積が大きくなり、目立ってしまいます。 ボカシ剤を使うのは、論外の禁じ手。 患部を大きくして、いい事は何もないです。



【フロント・バンパー・キズ補修①】

  セルボ・モード補修の天王山となった、フロント・バンパーのキズ補修です。

≪写真上≫
  これが、買って来た時の状態。 中古車店で、周囲をぐるっと見た時には気づかずに、家に帰って来てから、発見して、相当な重傷である事が分かりました。 ただ、店で気づいていたとしても、このキズを理由に買わなかったという事はないです。

  到底、素人に直せるとは思えず、板金塗装工場に頼む事も検討しましたが、調べてみたら、思っていたより、料金が高い事が分かりました。 この大きさのキズだと、新品同様に戻すとしたら、5万円以下では、とても、できない様子。 本体価格8万円で買った車の、バンパー・キズを直す為に、5万円以上使うなど、馬鹿げているにも程があります。

  プロに頼むのは却下したものの、依然として、自分でどうにかできるレベルとは思えず、修理方法を延々と考え続ける事になります。 買って来てから2ヵ月以上、考えに考えて、ようやく方針が決まり、9月29日から、補修に着手しました。

≪写真中≫
  ソフト99の「99工房」の動画や写真解説を参考にして、まず、150番の紙鑢で、粗削りし、パンパー・プライマーを塗ってから、パテで、抉れた所を埋めました。 2時間待ってから、150番の紙やすりで、パテの盛り過ぎた部分を削り始めたのですが、すでに、コチコチに硬くなっていて、まるで、歯が立ちません。 より粗い目の、120番でも駄目。

  手でやっていたのでは日が暮れると思い、グラインダーを使おうと、ホーム・センターへ、研磨用の回転砥石を買いに行ったのですが、プラスチック用は存在せず、断念。 代わりに、耐水ペーパーの120番を買って来ました。 目詰まりした削り滓を、水で洗い流せるタイプの紙鑢です。 それを、研磨パッドに巻いて、使ってみたら、普通の紙鑢とは雲泥の差で、かなり、効率よく削れました。 餅は餅屋だったんですな。

  120番で粗削りした後、400番と1000番で、表面を滑らかにした後の状態が、この写真です。 黒は、パンパーの素地の色。 白は、パテの色。 シルバーは、塗装色。 この色の斑が問題なのでして、どの程度、滑らかになったのかを、目で確認できないのです。 指の腹で触って、細かな凹凸を感じ取るなんて、とても無理である事を、この後、思い知る事になります。

≪写真下≫
  「大体、この程度で良かろう」というところで、削るのはやめ、おおまかにマスキングしてから、まず、プラサフを吹きました。 灰色になっているのは、プラサフの色です。 プラサフ用のマスキングを剥がし、その周囲に、1.5センチ幅のマスキング・テープを使い、ピクセル・パターンで囲んで行きました。

  デジタル迷彩から思いついて、ピクセル・パターンだけ戴き、新旧の色の境界にしようとしたわけです。 最初は、1.5センチ角でやろうとしたのですが、貼り始めたら、大き過ぎる事が分かり、目分量で半分にして、7.5ミリ角で囲みました。 これらのテープは、予め、直角に切って、用意しておいたものです。

  リヤ・バンパーでやったように、キズの形ギリギリでマスキングしなかったのは、フロント・バンパーのキズが、大き過ぎたからです。 これだけ大きいと、それだけで目立ってしまうので、「目に入らないようにする」という方向でごまかすのには無理があったのです。 で、何かしら、新旧の色の境目を説明する、「哲学」が必要になり、ピクセル・パターンに辿り着いたわけです。



【フロント・バンパー・キズ補修②】

≪写真上≫
  ピクセル・パターンで囲んだ後、新聞紙で、その周囲を覆いました。 大事を取って、少し広めに覆っておきました。 まずは、1VNシルバー、次に、クリヤーをスプレーしました。 一回ざっと塗っては、5分乾かし、また、次を塗るというパターンを繰り返し、1時間以上かけて、塗りました。

  壁にしてあるダンボールは、埃がつかないよう、用心したもの。 塗る時だけ外し、乾かしている間は、写真のように近づけていました。 だけど、この日は、風が弱く、こんなに気を使う必要はなかったかもしれません。

≪写真中≫
  で、完成したのが、これ。 「これは、ひどい・・・」と、溜息が出る、仕上がりの悪さです。 下地の凹凸が、モロに出てしまっています。 指の腹で触れて、滑らかになったと思っていても、実際には、こんなだったんですなあ。 乾いてから、コンパウンドをかけてみましたが、変化なし。 元が凸凹だから、コンパウンドで、どうにかなるものではないのです。

≪写真下≫
  十日くらいしてから、もう一度、耐水ペーパーで削り、やり直したのが、これ。 「おお、随分、マシになったではないか」という感じですな。 しかし、まだ、小さな凹凸が分かります。 もう一度、やり直せば、更に綺麗になると思いますが、もう、その気力がありません。

  ピクセル・パターンの境界は、「まあまあ、こんなものか」というところです。 バンパーの下の方なので、普通の目の高さで見たら、気づかない人の方が、圧倒的に多いと思います。 車の前側というのは、後ろ側と違い、落ち着いて見られる事が多くないから、尚の事。 すれ違う車からでは、一瞬しか目に入らないので、とても、塗り替えた部分を察知できますまい。



【ヘッド・ライトの黄ばみ取り】

≪写真上≫
  ビフォー写真を撮り忘れたので、こんな写真しかないのですが、買って来た直後の、ヘッド・ライトの黄ばみ具合です。 これがまた、車を古ぼけて見せるのに、絶大な威力を発揮するんですな。 黄ばみというのは、表面が紫外線で劣化して、微細な凸凹が出来、そこに汚れが溜まる事で、発生するもののようです。  

≪写真中左≫
  遠くのホーム・センターで買って来た、黄ばみ取り、ウィルソンの「ヘッドライト クリア mini」。 税込みで、615円でした。 表面の微細な凸凹を削り、黄ばみを取ると同時に、紫外線を防ぐコートもしてくれるという触れ込み。 ところが、使ってみたら、黄ばみが強過ぎて、これでは歯が立たない事が判明しました。

≪写真中右≫
  で、面倒臭くなり、コンパウンドを使いました。 これは、すでに買ってあったもの。 惜しげなく塗りたくって、こすったら、だいぶん、綺麗になりました。 最初から、これを使えばよかった。 せっかく買った黄ばみ取りが勿体ないので、綺麗にした上から塗り、コートだけしておきました。

≪写真下≫
  アフター写真。 随分な変わりようですな。 コンパウンドの威力、恐るべし。 専用の黄ばみ取りを買うか、コンパウンドで済ませてしまうか、迷っている方で、これを見て、「よし、コンパウンドで行こう!」と決心した方もいると思いますが、全てのコンパウンドが使えるかどうかは分からないので、自己責任でやってください。 完全な透明部分があるヘッド・ライトも、どうなるか、分かりません。




  今回は、ここまで。 フロント・バンパーの補修という、最大の難関を終えたところで、区切りにしようかと思ったのですが、急遽、組写真を、もう一枚追加する事になり、今回 6枚出さないとまずい事になってしまったので、ヘッド・ライトまでにしました。 次回は、かなり、バラバラな内容の、シリーズ最終回になりますが、車の全体写真も出しますから、乞うご期待。 ・・・、いや、それほどの事でもないか。 そういや、昨今、「乞うご期待」といった言葉を、あまり聞きませんな。 知らない内に、死語の領域に入ってしまったか。

2017/01/08

セルボ・モード補修③

  年末年始は、喪中の家なので、お飾りや、神棚の供え物もせず、地味~に過ごしました。

  テレビ番組は、ほとんど、見るものがありませんでした。 紅白なんか、もちろん、パス。 だーからよー、流行った曲が存在しないのに、「この人、誰?」みたいな、歌手・グループの、これといって特徴がない曲なんか聴いたって、間が持ちませんがな。 大晦日は、≪ホビット 三部作≫の録画だけ入れて、さっさと寝ました。

  正月バラエティーなんぞ、もう、20年も見てませんが、ドラマまで、火が消えてしまったんですなあ。 シリーズ・ドラマのスペシャル版はあったけど、単発の作品がなかったのは、驚きです。 地デジの衰退は、留まるところを知らないようで・・・。 その事に、テレビ局が気づいていないらしいところが、また、お先真っ暗的。

 ・・・、今回は、別に、そういう事を書きたいわけではないんですよ。 年末年始も過ぎたので、車の補修シリーズを再開します。 これらの補修、去年の何月頃やったのか、俄かには思い出せません。 後文までには、調べておきます。




【グリル上端の固定】

≪写真上≫
  1枚で撮った写真がなかったので、三分割しています。 セルボ・モード後期型は、前バンパーとグリルが一体式になっているのですが、やけに、ボンネット前端と、グリルの間に、隙間があると思ったら、グリルの上端を固定する部品が、三つとも付いていませんでした。 プッシュ・リベットか、ボルト・ナットでとめられていたものと思われます。

≪写真下≫
  どうせ、見えない所なので、持っていた結束バンドで、とめてしまいました。 プッシュ・リベットや、ボルト・ナットよりは、なんぼか、丈夫ですから。 バンパーと一体式のせいで、常に下に引っ張られており、結束バンドが、最も適当と思ったのです。

  ちなみに、エンジン・ルーム内には、整備した時に貼ったと思われる、整備記録用のステッカーが、何枚も貼られており、劣化してぼろぼろになっていたので、工場出荷時に貼られていた注意ラベル以外、全て剥がしてしまいました。 ペイントうすめ液で、糊も拭き取りました。 清々した。

  ちょこっと見えていますが、エンジン・ルーム内は、お世辞にも綺麗とは言えない状態でした。 しかし、19年も経っていれば、汚れている方が当たり前だと思うので、気にしていません。 逆に、綺麗過ぎると、エンジンの載せ換えをしている恐れがあり、要注意です。



【ヤフオクでホイール・カバー】

  車に元から付いていたホイール・カバーの内、左後輪の1枚が、種類が違っていた上に、他の3枚も、キズやら割れやらで、見るに耐えぬ有様でした。 傷や割れは、直せるにしても、種類が違うのは、どうにもならないので、ヤフー・オークションで、中古品を買いました。 足りなかったのは1枚なんですが、値段の都合と、予備を1枚欲しかった関係で、2枚セットのを選択。

  ネット・オークションは、初めてだったので、ハラハラ・ドキドキものでしたが、「他に手に入れる方法がない」という、切羽詰った虚仮の一念で、何とか、乗り切りました。 支払いは、ヤフー簡単決済の、コンビニ払い。 それが、一番、個人情報漏れの危険が少ないです。

≪写真1≫
  相手は、ストアだったのですが、落札日の次の日が、休日で休み。 向こうから連絡が来たのは、二日後でした。 それから、更に四日後に、西濃運輸で届きました。 ダンボールで包んであります。

≪写真2≫
  ダンボールを開くと、ぷちぷちビニールで包んでありました。 出品者も、大変ですな。

≪写真3≫
  2枚で、税込み、502円。 送料が、1560円で、合計、2062円でした。

≪写真4≫
  自室で、コンパウンドをかけている現場。 ヤフオクで買った2枚は、車に元から付いていた3枚よりも、程度が良かったです。 キズはありましたが、割れはありませんでした。 裏側の爪が、一枚折れ曲がっていたのは、ABS接着剤で、直しました。

  コンパウンドで、表側を磨いた結果、ヤフオクで買った2枚は、そのまま使えると判断し、車の左側前後輪に取り付けました。 元から付いていた3枚は、要塗り替えという事に決定。

  ちなみに、このデザインのホイール・カバーは、もちろん、スズキの純正品なのですが、セルボ・モードの後期型(1995年~1998年)と、他に、ごく僅かな車種にしか使われなかったようで、出回った数が少ないせいか、ヤフオクでの出品数は、3件しかありませんでした。 一方、生産数が多かった前期型(1990年~1995年)のホイール・カバーの方は、まだ、新品が売っているくらいです。

  同じ13インチですから、前期型のホイール・カバーでも、当然、取り付けられるわけですが、後期型の車体に、前期型のホイール・カバーを付ける事に、抵抗があり、さんざん悩んだものの、結局、後期型の中古品を買う事にしたわけです。



【ホイール・カバー塗り替え】

  元から車に付いていたホイール・カバー3枚ですが、割れていた所を、ABS接着剤で貼り合わせてから、紙鑢で削り、バンパー・プライマーを塗り、パテで段差を埋め、紙鑢で削り、プラサフを吹き、シルバーの塗料を吹き、クリヤーを吹いて、直しました。

≪写真1左≫
  近所のホーム・センターで買って来た、ABS接着剤。 ホイール・カバーの裏を見たら、「ABS+PP」と刻印してあったので、これを買って来た次第。 接着剤は、材質に合った物を使うと、大変、良く着くもののようです。 セメダイン株式会社製、168円。

≪写真1右≫
  アマゾンで買った、「サンド・ペーパーを巻いて使う専用パッド」という商品名の、研磨パッド。 ソフト99製、263円。 これは、実店舗で買うと、400円近くします。 これに巻くとなると、紙鑢を大きく切る事になるので、幅が狭い側面部分を使ったり、いろいろと工夫が必要になります。 大面積を削るのでなければ、もう一回り、小さい品の方が使い易いと思います。 手で直にかけると、爪で指が圧迫されて、内出血したりするのを、これを使えば、容易に防げます。 だけど、万能と言うほど、劇的に効率が上がるわけではないです。

≪写真2左≫
  ちょっと遠くのホーム・センターで買った、紙鑢150番。 プラスチックのキズを削るには、粗めの番手で、ザクザク行きます。 1枚38円で、耐水ペーパーではありません。 後で分かった事ですが、プラスチックが相手の場合、耐水ペーパーに水をつけて削る方が、遥かに、効率が良いです。 というか、普通の紙鑢では、駄目なんですな。 パテ埋めの後は、400番と1000番の耐水ペーパーで、表面を均しました。

≪写真2右≫
  パンパー・プライマーとパテは、父の遺品があったのですが、プラサフはなかったので、近所のホーム・センターで買って来ました。 ソフト99製、680円。 割と大きいスプレーでして、値段が高いと感じません。 プラサフというのは、プライマーとサーフェイサーを足した物で、プラスチックに塗料を着き易くする効果と、細かい凹凸を埋めてくれる効果があります。 確かに、その効果はありました。

≪写真3≫
  ダイソーで買って来た、シルバーのアクリル・スプレー2本と、クリヤー1本。 各108円。 ホイール・カバーだから、別に車体色に合わせる必要はないわけで、100円ショップの品で間に合わせました。 この3本で、ホイール・カバー3枚を塗り切りました。 ちょうど足りたと言うよりも、重ね塗りを何回やるかで、案配が可能なのです。 塗っている最中に気づいたのですが、このクリヤー、なんと、艶消しでした。 艶ありと間違えて買って来たのです。 クリヤーにも、艶消しがあるんですねえ。 まあ、ホイール・カバーだから、そんなに光らなくても良かろうと思って、そのまま使いましたけど。

≪写真4≫
  家の北側に仮設した、塗装スペース。 下に新聞紙を敷き、開いたダンボール箱二枚分で囲っただけ。 塗る物が小さければ、こんなので、充分です。 プラサフは、ホイール・カバーを下に置いて、上から吹けたのですが、シルバーとクリヤーは、下向きの噴射ができず、ホイール・カバーをダンボールの壁に立てかけて吹きました。

  スプレーで塗料を塗るには、コツが必要で、やる前に、ネットで、くどいくらい、体験記を読みました。

「試し吹きをしてから、塗り始める」
「スプレーは、一方向だけに動かし、往復塗りはしない」
「一度吹いた所には、すぐに重ね塗りせず、ある程度乾いてから、次を吹く」
「埃が附着しないように、乾かしている間は、何かで覆う」

  最後の一つは、テキトーになりましたが、他の三つは、愚直なまでに、忠実に守りました。 そのせいで、時間は、かなりかかりました。 閑人でなければ、できない作業のようです。



【塗り替え後のホイール・カバー】

  元から車についていたホイールカバー3枚を塗り替え、その内、程度が良い2枚を、車の右側前後輪に取り付けました。 左側は、工場で塗装した物。 右側は素人が塗装した物で、並べて見ると、全然違うのですが、車の左右を同時に見れる人はいないわけで、120パーセント、気付かれる心配はありません。

≪写真1≫
  これは、右前輪。 写真に撮って見ると、新品同様に見えますが、素人塗装なので、艶は、全然、足りません。 クリヤーが艶消しでなかったとしても、とても、工場塗装のレベルには追いつかなかったと思います。

≪写真2≫
  右後輪。 前輪と色が違うのは、カメラのカラー・バランスの問題で、実物の色は同じです。 写真では分かりませんが、肉眼で見ると、若干、ムラがあります。 でも、もう、やり直す気力がないです。

≪写真3≫
  斜め前から見たところ。 ホイール・カバーのキズがなくなっただけでも、だいぶ、車の印象が違って見えます。

≪写真4≫
  斜め後ろから見たところ。 素人塗りとは、分からんでしょう? 割と、うまく直せたと、自己満足しています。


  この後、遠くにある、大きなホーム・センターに行ったら、マーキング用のスプレー塗料が、200円で売っていて、シルバーとクリヤーもありました。 大きなスプレー缶なので、100円ショップで何本か買うより、得だと思います。 もし、やり直すとしたら、そちらを使う事になると思いますが、たぶん、やりません。


  ところで、ホイール・カバーの脱着ですが、左も右も、結構には苦労しました。 外す時には、タイヤ・レバーを使うのですが、割れないように、爪がある所を、一つずつ少しずつ持ち上げて行くのに、神経を使いました。

  着ける時は着ける時で、せっかく綺麗にしたカバーを割っては一大事。 少しずつ均等に押し込んでいくのですが、金属リングが入っているので、弾かれて、思うように収まってくれません。 結局、最後は、軽く叩き込む事になりました。

  右前輪のカバーは、元から爪が一本なかったのですが、それだけは、簡単に入りました。 種類にもよりますが、グイグイ振り回すような運転をしないのなら、爪が一本なくても、外れてしまうような事はないです。



【ワイパー・アームの錆】

  ワイパーは、特段、古い車でなくても、錆びているものですが、19年も経っているセルボ・モードですから、当然のように、ひどい状態になっていました。 前後とも、ブレードは、過去に交換してあるようで、綺麗でしたが、アームとゴムが駄目でした。

≪写真1≫
  フロント・ワイパー。 ちょっと見え難いのですが、アームの平面部が凸凹している上に、七色に光っていました。 たぶん、前の持ち主が、錆びて来たのを、マジック・インキで塗ったのではないかと思います。 運転していると目につくので、是が非でも直さねばなりません。 ゴムも、端の方に、3・4センチ、切れ込みが入ってしまっていて、要交換です。

≪写真2≫
  リヤ・ワイパー。 リヤなんて、まず使いませんが、セルボ・モードのМセレクションというグレードでは、標準装備だったようです。 こちらは、アームに、ひどい錆が出ています。 ここまで腐蝕すると、マジック・インキを塗る気にもならなかったのか、手付かずでした。 幸い、錆びているのはアームだけで、ブレードは無事。 リヤは、ゴムも切れていませんでした。 前の持ち主も、たぶん、使わなかったんでしょう。

≪写真3≫
  アマゾンで買った、筆塗り塗料。 アサヒペンの、「水性 スーパーコート ツヤ消し黒 1/5L」。 税込み、541円。 スプレー缶も探したものの、安いのがなくて、やむなく、これにした次第。 ワイパー用に買ったのですが、その前に、ホイールの鉄部分の錆びた所も、これで塗りました。 水性塗料は、筆が洗い易いから、扱いが楽です。 防錆効果もあるとの事。

≪写真4≫
  アマゾンで買った、ワイパー・ゴム。 フロント用だけです。  PIAAという会社の、「ワイパー替えゴム 【スーパーグラファイト】」 という製品。 「No.5 400mm WGR40」と、「No.7 450mm WGR45」の二本。 車種適合表には、まだ、セルボ・モードが記載されていました。 一本、税込み、515円で、合計1030円。 長さが違うのに、値段は同じです。

  左側の写真は、荷姿です。 大きな箱に、写真右側の二本が、Xの字になって、入っていました。 アマゾンには、細長い箱がないんですかね?



【ワイパー・アーム塗り替え】

≪写真1左上≫
  マスキング・テープで、元の位置をバミってから、アームを取り外しました。 セルボ・モードの場合、締め付けナットのカバーが、ゴムのキャップになっていて、簡単に外れました。 ワイパーのナットは、ボックス・レンチがあれば、外せます。 種類によっては、メガネ・レンチでも、外せますが、レンチをボンネットに当ててしまう恐れがあるので、布を巻くなど、養生してからやった方が無難。

≪写真1左下≫
  リヤは、ゴム・キャップではなく、割と普通に見られる、プラスチック・カバーを起こすタイプでした。 しかし、カバーを開けて、ナットを外したものの、アームが、どうしても、抜けません。 外板が歪んだら困るので、断念し、車体につけたまま、錆を取り、塗り直しました。 修理中に、アームが倒れて、ガラスにキズをつけないように、タオルを巻いてあります。  

≪写真1右≫
  フロントのアーム二本は、紙鑢をかけ、プラサフのスプレーを吹いてから、艶消し黒を筆で塗りました。 プラサフを介しているにも拘らず、塗料の乗りが悪くて、一時は、筆目が、凸凹に残って、どうなる事かと思いました。 しかし、二日間かけて、充分な乾燥時間を確保しつつ、3回、重ね塗りしたら、まあまあ、見れる状態になりました。 塗装作業に、焦りは禁物だと、思い知りましたっけ。

  写真は、乾かしている様子。 左右でアームの長さが違うので、外す前に、長短どちらが、左右どちらなのか、メモっておいた方がいいです。 ブレードも、左右の長さが違います。 普通は、「運転席側が、短いアームに、長いブレード」、「助手席側が、長いアームに、短いブレード」の組み合わせになっていると思いますが、例外もあると思うので、要注意。 ちなみに、当然の事ですが、ゴムの長さは、ブレードの長さと同じだから、間違えようがありません。

≪写真2≫
  塗り替えが終わったフロント二本を、取り付けた様子。 近づいて、肉眼で見ると、やはり、凸凹があるのですが、筆目は、ほとんど、分かりません。 

≪写真3≫
  フロントの運転席側を、別の角度から見た様子。 カメラの金属部分の表面処理に、「梨地」というのがありますが、そんな感じに見えます。 まあ、こんなもんでしょう。

≪写真4≫
  リヤも、ちょっと離れると、素人塗装とは見抜けないレベルに仕上がりました。 「こんな古い車のワイパーが、錆びていないわけがない」という、疑り深い人が、目を近づけて、しげしげ眺めでもしない限り、問題なし。 リヤ・ワイパーの錆は、後続車から見られるせいで、フロント以上に、車のボロさを主張してしまいます。 綺麗に直せて、良かったです。


  ワイパー・アームですが、車の外見で、一番最初に錆びて来る所でして、どんなに高い車でも、赤錆色が見えると、ボロに見えてしまいます。 表面積が小さくて、素人塗りでも、分かりゃしませんから、こまめに塗り替えた方が、気持ちよく、車を使えると思います。 艶消し黒やプラサフは、そこそこの値段ですが、ワイパーを塗り替えるだけなら、一回買えば、一生分もつんじゃないでしょうか。 




  今回は、ここまで。 シリーズの前回、「残り、22枚を、5・5・6・6で出す」と書きました。 それに従えば、今回は5枚になるはずなのですが、ワイパーの写真が分断されてしまうのを避ける為に、6枚出しました。 残り2回も、どちらが5枚になり、どちらが6枚になるか、分かりません。 まあ、どうでもいいと言えば、どうでもいい事ですけど。

  これらの作業をしたのは、【グリル上端の固定】が、去年、つまり、2016年の、8月上旬で、まだ、父が生きていた内ですな。 【ホイール・カバー】が、9月の上旬で、バイクを売却した直後です。 【ワイパー】は、9月の中頃。 ううむ、ついこの間、やったような気がするんですが、実際には、もう、4ヵ月くらい経っているんですなあ。 月日が経つのは早いものじゃて。 

2017/01/01

私の2016年

  すでに、新年になってしまっていますが、2016年の総括をしておこうと思います。 実は、先週、これを書く予定だったのが、十大出来事のトップである、父の死について書き始めたら、いつのまにか、父の人生の話になってしまったのです。 で、今回は、脱線を避ける為に、最初から、10項目、挙げてしまいます。 カウント・ダウンも、ドラム・ロールもなし。 大きい方から並べます。




1 父の死
2 父の介護
3 父の見舞い
4 父の遺品の片付け
5 父の死後の役所関係の処理

6 母の狭心症手術
7 バイクの売却
8 車の購入
9 自転車のレストア
10 掃除機2台の購入



  ・・・といったところ。 上位5項目を、父関係が占めています。 父の死は、大事件だったから、当然と言えば当然ですな。 以下、ざっと、解説します。 今までに、記事で紹介したものも含まれますが、いちいち、チェックしないので、重複があっても、御容赦下さい。



【1 父の死】
  6月6日の朝から、腹痛を訴え始め、その夜から、激しい嘔吐。 7日の朝には、救急車で、近くの総合病院に入院しました。 原因がよく分からないまま、とりあえず、物が食べられて、出せるようになったので、6月28日に退院しました。 家に戻ったものの、心身の衰えが甚だしく、自分では何もしなくなり、夜間、頻繁に、大小問わず、漏らすようになりました。 食は細り、好物のそうめんも残すようになって、少しずつ痩せていきました。

  7月21日に、家の階段の最後の一段を踏み外して、転倒し、壁に頭をぶつけて、3針縫う怪我をしました。 近所の外科まで、タクシーで通ったのですが、往復で、2千円も飛んでしまうので、あれには、参りました。 5回くらい通って、頭の方は治ったのですが、治療の途中から、足がむくみ始め、治療が終わって、外科の薬を飲まなくなってからも、元に戻りませんでした。

  8月1日から、また、体調が悪くなり、2日に、私の車で病院へ連れて行って、再度、入院しました。 一週間いて、8月8日の夕方に、病院から家に電話があり、食べた物を戻して、それが肺に入って、危篤だとの報せ。 母と二人で病院へ行き、説明を受けたのですが、呼吸器をつけなければ、すぐに死に、呼吸器をつけても、心臓の負担が大きくなるから、やがて死ぬという、究極の選択みたいな話でした。

  細かい事を言えば、誤嚥を起こしたのは、病院の責任なのですが、訴えようなんていう気が全くなかったのは、父が、もう、半年も前から、死んでいるようなものだったからです。 認知機能が衰えた上に、何もしたい事がないのでは、生きているのか死んでいるのか、分かりません。

  一晩、呼吸器で持たせ、病状が落ち着いたように見えたのですが、病室で徹夜した私と母が、朝、一旦、家に戻っている間に、心臓が止まってしまいました。 電話を受けて、すぐに、病院へ行ったら、まだ、胸は動いていたものの、それは、呼吸器で動かしているだけでした。

  その後、母が喪主、兄が施主になって、通夜と葬儀が執り行われますが、兄が、予想外の大馬鹿者だったせいで、父の生き方とは不釣合いな、大きな葬儀にしてしまい、私は、この上なく、苦々しい思いをさせられました。 思い出すのも胸糞悪いので、改めて書く事はしません。 もう、兄と、真面目な話をする事は、永久にないでしょう。 この歳になって、馬鹿に振り回されてたまるか。



【2 父の介護】
  これも、大きな出来事でした。 私が、ほぼ一人で取り組まなければならなかったから、「激闘」に近い仕事になってしまいました。 父の言動がおかしくなり始めたのは、2015年の秋からで、「テレビが夜中に点く」と言い始めました。 真相は、父がテレビを点けたまま眠ってしまって、夜中に目覚めたら、テレビが点いたままなので、「テレビが勝手に点いた」とか、「誰かが点けた」とか、そんな妄想を抱くようになったのです。

  妄想は、どんどんエスカレートし、最もひどい時には、「夜中に、ケーブル・テレビ会社の人間が、外で工事をしていた」などと、言っていました。 テレビの中で、会議をやっている様子が映ったのを、自分の部屋で、他人が会議をしていると思い込んだ事もありました。 夢で見た事を、現実だと思い込んで、真面目に私に相談して来る事も多かったです。

  だけど、その頃はまだ、まあまあ、普通の生活をしていて、できなくなってしまった事を、ちょっと手伝ってやるだけで済んでいたのです。 介護が厳しくなったのは、最初の入院から、二度目の入院の間の、7月の1ヵ月間でした。 一応、立って歩けたので、寝たきりではなく、紙オムツもパンツ式で何とかなっていたのですが、夜中に大小便を漏らすせいで、朝が大変。 私が朝食の仕度をして、父を呼びに行くと、糞尿の中に座っているような有様で、服を脱がせて、綺麗にし、着替えさせるまでに、30分もかかり、こちらがうんざりしてしまいました。

  なまじ、汚れた下着を、自力で脱ぐ事ができたのが、よくないのであって、汚れたまま、待っていてくれればいいのに、脱ぐだけ脱いでも、新しいオムツを穿けないものだから、普通のパンツを穿いて、汚れ物をどんどん増やしてしまうのです。 私に見つからないように、ゴミ箱に汚れ物を押し込む事もしていました。 子供に戻ってしまうんですなあ。

  私は気が短い方で、元々が介護向けの性格ではなく、無理にやっていたのも、よくなかった。 正直なところ、父が再入院した時には 、「これで、しばらく、介護しないで済む」と思って、ホッとしました。 こんなに早く死んでしまうなら、施設に入って、プロに介護してもらった方が、父も幸せだったろうと思うのですが、後の祀りです。



【3 父の見舞い】
  父が入院している間は、介護をしなくていいので、家では楽な生活をしていたのですが、その代わり、毎日、病院まで、見舞いに通っていたので、そちらが大変でした。 6月が、22日間。 母と二人で、自転車に乗り、片道30分くらいかけて行きましたが、毎日、暑くてねえ。 私一人で行った時には、徒歩でしたが、それも、暑かったなあ。

  母も私も入院経験があり、いかに退屈か、いかに、見舞い客がありがたいかが分かっていたから、毎日行っていたのですが、父の場合、すでに、認知機能が衰えていたから、私達が来ても、喜ぶようなそぶりは、一切見られませんでした。 むしろ、看護師やリハビリ療法士の人達に構ってもらう方が楽しいようで、家族なんて、来ない方がいいと思っていた風も見られました。 なんとも、見舞い甲斐のないこって。

  8月の入院の時は、私一人だけが、7日間、通いました。 うち、一回だけ、車。 他は、自転車だったと思います。 母は、自分が見舞いに来ている事を、父が分かっていない事が分かったせいで、二度目の入院の時には、一度も見舞いに行きませんでした。 



【4 父の遺品の片付け】
  これは、現在も進行中ですが、手間と時間がかかる点に於いては、介護よりもきついです。 父の百箇日が過ぎた11月の後半から、一日おきのペースで始めたのですが、もう使わない物を、解体し、分類し、資源ゴミや埋め立てゴミに出しまくっているにも関わらず、一向に、終わりが見えて来ません。 つい先週、ようやく、父の部屋の分が片付き、父が仕事場にしていたプレハブ離屋に主戦場が移ったのですが、そこがまた、不用品の倉庫みたいな有様で、どう片付けていいか、毎回、途方に暮れてしまいます。

  去年の秋から冬にかけて、自分の物を整理し、かなりの不用物を捨てたのですが、今年のは、量的に、その比ではありませんな。 父の持ち物についているのは、父自身の思い出でして、私の思い出ではないから、処分するとなったら、ほとんど、全てが対象になってしまうのです。



【5 父の死後の役所関係の処理】
  これも、面倒でした。 父の死後、すぐに取りかかり、市役所には、何度行ったか分からず、年金事務所にも行きました。 一通り終わった後から、郵便で通知が来て、介護保険や、市・県民税などの、まだ払ってなかった分を追加したり、還付金を受け取る為に、申請書を送ったりと、11月頃まで、面倒な思いをさせられました。

  相続に関しては、兄が全部取るので、手続きを任せてあるのですが、なにせ、馬鹿なので、役所関係を真っ先に対処しなければならないという事が分からず、「四十九日の後でやる」、「(母の狭心症の)手術が終わってから、やる」などと、先延ばしにして、私と母は、未だに、相続放棄の手続きをしていません。 まあ、私と母が取り分を主張しなければ、争い事にはならないわけですが。

  何を勘違いしているのか、税務署より、四十九日の法事の方が、大事だと思っていた様子。 アホけ? そんなの私的な行事ではないか。 それでいて、父を悼もうなどという気は、微塵もなくて、ただ単に、親戚の前で、施主の体裁を取り繕おうとしているだけなのですが・・・。 こういう人間て、いるんだよね。 身内にいやがったのは、私にとって、明らかに不幸です。



【6 母の狭心症手術】
   一年くらい前から、母が、家の階段を上る時に、ゼイゼイ息をするようになり、私が何度も、病院で相談して来いと言っていたのですが、今年の春に、通っている糖尿病医院で心電図をとってもらったら、異常があると分かり、心臓の専門病院を紹介されました。 7月の終わり頃、買ったばかりの車で、そこへ送って行き、初診。 8月の初めに、一泊入院して、カテーテル検査したところ、心臓を取り巻く血管の一本が詰まっている事が分かりました。

  カテーテル手術をする事になったのですが、その後、父が死んで、それどころではなくなり、結局、カテーテル手術をしたのは、10月28日でした。 その時は、二泊三日の入院で、27日に送って行って、翌日が手術。 手術の日は、私はずっと、病院に詰めていたのですが、手術中も、手術室の外ではなく、大部屋の母のベッドの所で、待つように言われました。 とにかく、病院側としては、家族が、すぐに連絡が取れる所にいれば良かったんですな。

  午後3時45分頃から、6時まで、2時間くらい待ちました。 やがて、ストレッチャーで戻って来て、成功したとの事。 結構、難易度の高い手術だったそうで、年に二回も葬式を出さなければならないかと、ヒヤヒヤしました。 三日目の、29日に、迎えに行って、帰宅。 その後は、割と普通に暮らしています。 しかし、手術前に比べると、体力は衰えたようで、自転車で買い物に行く頻度が減りましたし、外掃除も、滅多にしなくなりました。

  いずれ、母も死んでしまうのでしょう。 そうなったら、私の余生は、寂しくも厳しいものになるでしょうねえ。 私の方が先に死ねば、それは免れますが、いくら、突然死の恐れを宣告されているからと言って、そう、うまく行くかどうか。 



【7 バイクの売却】
  7位から、ようやく、自分の事になりますが、2002年から、14年間乗ったバイク、「ヤマハ セロー225WE」を、車を買った中古車店に、5万円で売却しました。 9月1日の事です。 なぜ、バイクの売却の方が、車の購入より、順位が上かというと、1993年から、23年間続いた、バイク生活そのものに、ピリオドを打つ出来事だったからです。

  そもそも、通勤目的で、二輪の免許を取ったので、仕事を辞めた時点で、バイクは不要になっていたのですが、すぐに手放さなかったのは、自賠責保険の残りがあったから。 その事は、以前にも、書きましたな。 それが、今年になって、最初の入院の後、父が自転車に乗れなくなってしまい、バス停まで歩くのも覚束ない有様。 病院へ通うのに、タクシーを使っていたのでは、お金がいくらあっても足りません。 やむなく、車を買う事にしたのですが、車とバイク、両方の任意保険を払うのは厳しいので、残りの自賠責を捨てて、バイクを処分したのです。

  つまり、売却の原因は、私の都合ではなかったわけですが、あまり、惜しいとは思いませんでした。 当初の目的だった、通勤の方は、つつがなく、完遂しましたし、野宿ツーリングで、あちこち行って、見聞も広められました。 車や電車では、金額的に、絶対に行かなかったような所にも行けたから、バイクが私の人生に齎してくれた恩恵には、ささやかならぬものがあったと言えます。

  引退後は、一転、お荷物になってしまいました。 バッテリーの為に、最低でも、十日に一度はエンジンをかけなければならないので、冬場は辛かったです。 夏場は夏場で、ツーリングに行かなければならないという強迫観念に苦しめられて、困りました。 そんなこんなで、手放して、ホッとした気持ちもあります。  

  今年の夏は、カーの本を借りる為に、三島図書館に、何度も行ったのですが、それが、バイク最後の、実利的なお役目になりました。 ツーリングも、富士市の「丸火自然公園」と、山梨県の「四尾連湖」に行きましたが、その時の事は、すでに、記事にしてあります。 バイクの事は、23年分も思い出があるから、また、いつか書くかもしれません。



【8 車の購入】
  この件については、ごく最近も、記事を書いたので、細かい経緯は繰り返しません。 1986年に最初に買った車、初代ミラを廃車にしたのは、1992年でしたから、私が車を所有したのは、実に、24年ぶりです。 だけど、母や父の車を借りて乗っていたから、運転自体は、2012年までしていて、そちらのブランクは、4年間に過ぎません。

  今現在、割と普通に乗っていますが、やはり、私も歳を取っているわけで、若い頃と同じようなわけには行きません。 50代前半でも、ヒヤッとする場面が多いのですから、80歳過ぎの老人が運転するなんて、寒気がする話ですな。 当人に自覚がないのが、また怖い。



【9 自転車のレストア】
  年初にやった事なので、もう、記憶が遠くなってしまいましたが、これも、大仕事でした。 詳しく書いた記事があるので、興味のある方は、どうぞ。 私の乗っている旧母自は、また、だいぶ、錆が出てきましたが、しばらくは、錆取りをする気がありません。 ああいう作業は、ノリが必要でして、一度、やめてしまうと、なかなか、もう一度という気分にはなれないものです。

  父自の方は、父の最初の入院の途中から、もう半年も、プレハブ離屋に入れたままです。 埃は被っていますが、濡れないから、錆は復活していません。 父自に乗る人間がいなくなってしまったので、捨てるべきか、そのままとっておくべきか、懊悩中。 リサイクル店で買ってもらうというのは、駄目。 素人がレストアした自転車なんて、買う人はいませんわ。



【10 掃除機2台の購入】
  車の補修と、掃除機購入と、どちらを10位に入れるか迷いましたが、車の事は、8位でも触れているし、まだ、補修シリーズが途中なので、外す事にし、こちらにしました。 このブログでは、掃除機購入の件について、全く触れていなかったので。

  2台の内、1台は横型、もう1台は、スティック型で、どちらも、電源コード式です。 横型は、6月3日に、スティック型は、父の最初の入院中の、6月16日に、いずれも、通販で買いました。 横型は、アマゾンのカード払いでしたが、スティック型は、ノジマ・オンラインの方が安くて、初めて、コンビニ払いを試しました。 送料込みで、3千円ポッキリだったから、メチャクチャ安かったです。 ちなみに、横型の方は、4380円。

  6月以前は、一階にある掃除機を、週に一回、二階に運び上げて、自室の掃除をしていたのですが、それが、結構、きつかったのです。 その上、父が衰えて、自分の部屋の掃除をしなくなってしまい、そちらも私がやる事になって、掃除機購入意欲が盛り上がったわけですな。

  最初、横型を買って、自室で使おうとしたのですが、吸引力が強過ぎて、絨毯に吸い付いて、前に進みません。 押さずに、手前に引いて使っていましたが、いつまでも、そんな事をやっていられないと思い、スティック型を買い直して、自室用にしたのです。 そちらは、問題なく、前に進みました。 横型は、フローリングなら、何の問題もないので、二階の廊下と、父の部屋用にしました。

  父が生きていた間は、2台とも、私の部屋の押入れに収納していたのですが、父の死後、父の部屋が片付くに従い、そちらに置きっぱなしにするようになりました。 私の部屋の押入れに入れる為に、元箱とは別に、キャスター付きの収納箱を、わざわざ作ったのに、今では、無駄になってしまいました。 まあ、事情が変わって、せっかく作った物が、短期間で用なしになるというのは、よくある事です。




  私の、2016年の、十大出来事は、こんなところです。 ざっと解説するなどと言いながら、長くなってしまって、申し訳ない、面目ない。 こうして書き出してみると、一年の間には、結構いろんな事があるものなんですねえ。 2016年は、父の死の分、出来事が多すぎでした。