2017/04/30

読書感想文・蔵出し (22)

  引き続き、読書感想文です。 もう、だいぶ長い事、このブログ専用の記事を書いていませんなあ。 正直に白状しますと、個人的な事にかまけているだけで、日々、どんどん過ぎてしまって、世情の事を考える気がなくなってしまったのですよ。 時事ニュースを取り上げて、ああだこうだ書くだけなら、できない事もないですが、そういう記事を読みたがる閲覧者には、距離をおきたくてねえ。

  結局、この世界なんてーのは、自分が生きている間だけ、自分にとって意味があるのであって、それならば、自分の事を第一に考えた方が、時間を有効に使えるのではないかと思うのですよ。 人類の未来がどうのこうのと、大きな事ばかり考えていると、死が急速に近づいてきた時、「自分の人生は、一体、何だったのか?」と、後悔しそうでねえ・・・。

  そんな事は、いいとして、感想文です。 ようやく、推理小説から脱却する芽が出て来ました。




≪地下室の記録 【新訳】≫

集英社 2013年
フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー 著
亀山郁夫 訳

  沼津市立図書館の、青春本特集コーナーにあった、単行本。 ≪地下室の記録≫という書名ですが、一般的には、≪地下室の手記≫という名前で知られている作品です。 発表は、1864年。 流刑・軍役時代の後、後期の代表的長編群の前に書かれたもの。


  第一部【地下室】は、勤めていた役所を辞め、地下室的な自分の精神世界に閉じ籠って暮らしている、40歳の男が、うまくいかない他人との関係に悩み、問題の根源を人類全体の特質にまで広げて、ああだこうだと、理屈を並べる話。

  第二部【ぼたん雪にちなんで】は、まだ勤めていた若い頃、ぼたん雪の降る日に、学生時代の同級生の送別会に無理やり参加して、醜態を曝した上に、若い娼婦を相手に、青臭い理屈を並べ立て、惨めさのどん底に落ち込む話。


  第一部は、小説とは言い難いです。 自分の性格分析をしたり、その頃、流行っていた思想について、理屈を並べているだけ。 何だか、自分の事を、知性と教養に溢れていると思い込んでいる高校生が、頭に浮かんだ事を、垂れ流しているような、稚拙この下ない印象を受けます。 その嫌らしさたるや、小学生の模範児童的作文にも劣る。

  作者自身が、43歳の時の作品で、すでに、文壇に名が売れていたから、これでも通ったんでしょうが、もし、無名の人間が、新人賞の応募作として送ってきたら、編集者による篩い分けで落とされるのは当然として、よほど親切な編集者なら、「あなたの作品は、小説とは言えません。 もっと、いろいろな作品を読んで、勉強し直すように」と、アドバイスしてくれるかもしれませんが、普通の編集者なら、無言で、ゴミ箱にポイですな。

  第二部は、形だけは、小説っぽいですが、主人公の、やる事、なす事、考える事、口にする事、一点たりとも、正気とは思えず、狂人の生態を観察した記録そのものになっています。 それがまた、一人称で書いてあるから、こっちまで、狂人の相手をさせられているようで、時間の無駄、人生のロスを感じてしまうんですわ。

  ほんのちょっとでも、共感できるところがあれば、まだ、評価のしようもあるんですが、あまりにも、駄目人間過ぎて、「地下室に籠るくらいでは足りぬ。 いっそ、埋めてやった方がいいのでは?」と思ってしまうから、ムカムカと腹が立ちこそすれ、感動なんて、全くしません。 人に説教なんて、できる人間か? 実際、当人が書いているように、ハエ同然、いや、ハエ以下ではないですか。


  こんなムチャクチャな作品を、絶賛した編集者や著名作家がいたというから、他人の考えている事は分かりません。 その人達も、狂人なんですかね? 人生の一時期であっても、この主人公みたいな事をしていたんでしょうか? そりゃまた、迷惑千万な事ですなあ。 呆れて、ものが言えない。



≪狂人日記 他二篇≫

岩波文庫
岩波書店 1983年
ゴーゴリ 著
横田瑞穂 訳

  ゴーゴリという人は、名前はもちろん知っていて、20年くらい前に、≪外套≫という短編を読んだ事もありますが、内容は、おぼろげにしか覚えていません。 ウクライナ生まれのロシア文学作家。 1809年生、1852年没だそうですから、日本では、もろ江戸時代でして、近代文学というよりは、近世文学の作家なのではありますまいか。

  ≪狂人日記≫に収録されている3作品も、発表は、1834年と、大昔です。 大デュマと、ほぼ同じ時代と言えば、分かり易い。 イギリスのディケンズより、ちょっと早いくらい。 ちなみに、トルストイやドストエフスキーが活躍するのは、19世紀の後半で、ゴーゴリより、半世紀近く後になります。


【ネフスキイ通り】
  ペテルブルクのネフスキー通りで起こった、二つの事件を例に、都会の人間模様を描き出そうとした話。 一つ目は、高級娼婦に熱を上げて、妄想を膨らませる画家の話。 二つ目は、自分の美しさに自惚れて、ドイツ人の鍛冶屋の女房にちょっかいを出そうとする軍人の話。

  これは、小説というより、「おはなし」ですな。 というか、「おはなし」から、「小説」へ脱皮しつつある途中という感じがします。 これならば、大デュマの作品の方が、小説への脱皮度が、ずっと進んでいます。 もっとも、こちらは短編だから、おはなし風の雰囲気が色濃く残るのは致し方ないのかもしれませんが。

  ストーリーは、おはなしレベルなのに、情景描写や心理描写は、完全に、小説レベルになっていて、細か過ぎて、ちょっと、くどさを感じるくらいです。 だけど、心理描写に関しては、スタンダールの≪赤と黒≫は、もっと早く出ているから、当然、ゴーゴリも読んでいたはずで、このくらい細かくても、不思議はないです。

  何と言っても、おはなしレベルのストーリーなので、現代の感覚で読むと、お世辞にも面白いとは言えません。 なまじ、中途半端に、小説化しているせいで、おはなし特有の、メルヘンチックな面白さも損なってしまっているように思えます。


【肖像画】
  修行中の若い画家が、独特の目つきに特徴がある高利貸しを描いた肖像画を手に入れて以降、顧客に阿った絵を描き始め、富と名声を得るものの、歳を取ってから、自分の間違いに気づき、元の道に戻るに戻れず、破滅して行く。 ところが、実は、それは、高利貸しの肖像画の呪いせいで・・・、という話。

  前半だけなら、小説。 後半、肖像画の呪いという謎解きで纏めてしまったせいで、「おはなし」になってしまってしまいました。 この頃の作家にとって、いかに、「おはなし」の誘惑が強かったかが分かります。 不思議な話にしないと、面白くならないと信じ込んでいたのでは? 因習ですなあ。

  不思議な話の要素があるので、【ネフスキイ通り】よりは、幾分、面白いですが、これまた、現代の読者には、食い足りないでしょうなあ。 ただ、人生訓的なものが含まれていますから、中高生など、若い読者なら、参考になる部分もあると思います。 それは、【ネフスキイ通り】も同じ。


【狂人日記】
  頭のおかしい役人が、岡惚れしている長官の娘の秘密を知る為に、犬の手紙を読んだり、自分をスペイン国王だと思い込んだりする話。

  狂人が考えている事を、小説にするのは、そんなに奇抜なアイデアではないと思うのですが、この作品は、使っている小道具が気が利いていて、大変、面白いです。 途中、筒井康隆作品を読んでいるような気分になりました。

  長官の家で飼われている犬が書いた手紙を、手紙を受け取った犬の所から横取りして来て、それを読むというのは、そうそう簡単に思いつける事ではありません。 もちろん、犬は手紙を書いたりしないわけで、一体、主人公は、何を読んで、こんな日記を書いているのか? 不思議不思議! 不粋な謎解きをしていないのも、いいですな。

  スペイン国王が死に、その後継者がいないというニュースを聞いた後、しばらく経ってから、突然、自分が、新しいスペイン国王なのだと気づくところも、妙におかしい。 だけど、こちらのエピソードは、犬の手紙に比べると、ありふれた精神異常の例ですな。

  最終的には、精神病院行きになるわけですが、そうしないで、もう一つくらい、異常なエピソードを書き加えて、そこで、スパッと終わりにしてしまえば、もっと面白くなったと思います。 だけど、時代的に、そこまで欲張るのは、無理があるかな?



≪世界終末十億年前≫

群像社 1989年初版
アルカージイ&ボリス・ストルガツキイ兄弟
深見弾 訳

  作者の兄弟は、ソ連・ロシアのSF作家。 ソ連を代表するSF作家というと、イワン・エフレーモフになりますが、ソ連・ロシアを代表するとなると、このストルガツキー兄弟になるのではないかと思います。 こちらの方が、シニカルで、世界の平均的SFファンの好みに合っていますから。

  発表は、1977年。 ペーパー・バックの単行本で、一段組み、190ページくらい。 一冊で一作品ですが、長編というには、短くて、中編と言った方が、しっくり来る長さです。 なんだか、大仰なタイトルですが、世界の終末の十億年前の話ですから、別に、終末の様子が描かれているわけではありません。 そういうのを期待して読むと、とんでもない肩透かしを食らいます。


  それぞれ、全く関係ない分野の、最先端の研究をしている学者達に対し、それぞれ別の手法で、研究を中止するように仕向ける働きかけがある。 その手法に、常識では考えられないような、大きな力の持ち主の存在が窺われるが、地球上の謎の組織なのか、宇宙人なのかは、はっきりしない。 学者達が、額を集めて、どうしたらいいか、議論する話。

  まさに、議論する話でして、ほとんどの場面が、主人公の部屋や、他の学者の部屋での会話で進行します。 地の文の、情景描写もありますが、それは単なる肉付けに過ぎず、会話部分だけ読めば、ストーリーは、理解できます。 ストーリーに関わる、人物の動きが、大変 乏しいので、物語としては、お世辞にも面白くありません。

  モチーフやテーマは、ストルガツキー兄弟の話に、よく出て来るものでして、何が言いたいかは分かるものの、語り方が平板すぎるせいで、小説としての評価は、低くならざるを得ません。 ≪路傍のピクニック≫も、かなり、変わった語り方でしたが、動きがあったから、この作品よりも、ずっと、面白かったです。



≪守銭奴の遺産≫

論創海外ミステリ 174
論創社 2016年 初版
イーデン・フィルポッツ 著
木村浩美 訳

  1926年の発表。 私が今までに読んだフィルポッツ作品の発表年は、≪赤毛のレドメイン家≫が1922年、≪だれがコマドリを殺したのか?≫が1924年、≪極悪人の肖像≫が1938年ですから、この作品は、長編推理小説としては、前期に入るのでしょう。 作者が、64歳の時の作です。

  原題は、イギリスでは、≪メリルボーンの守銭奴≫、アメリカでは、≪ジグ・ソー≫。 英題は、被害者が、メリルボーンに住んでいる守銭奴である事から。 米題は、事件の解決に至る手がかりを集める作業を、ジグソー・パズルに譬えているから。 糸鋸と紛らわしいから、≪ジグ・ソー・パズル≫にすれば良かったのに。 てっきり、糸鋸で殺されたかと思ってしまうじゃないですか。


  メリルボーン地区にあるビルの一室に於いて、高利貸しをしている因業な老人が、完全な密室の中で殺される。 事件と前後して、被害者の弟と、ビルの管理人の娘が行方不明になる。 遺産に関係して来る、被害者の甥と姪、秘書には、アリバイがあり、被害者の弟の義理の娘夫婦にも怪しいところはなく、容疑者が浮かんで来ない。 引退した元刑事リングローズが、友人である現役警部補アンブラーと、協力したり衝突したりしながら、謎を解き、特異な人格を持つ犯人像を炙り出して行く話。

  以下、ネタバレを含みます。

  密室トリックは、全然、面白くありません。 というか、あまりにも幼稚なので、とても、長編推理小説を書き慣れた作家が思いつくアイデアとは思えないのです。 もしかしたら、わざと、チャチにして、「この小説は、トリックなんて、どうでもいいんだよ」と、新しいトリックを捻り出すのに汲々としていた、他の推理作家達を、皮肉ったのかも知れません。 ただ、もし、あっと驚くようなトリックが用意されていたら、この作品は、より高い評価を受けただろうとも思います。

  捜査の進み具合を描写する形式で、話が展開します。 探偵役の二人が、中途段階の推理を披露する場面が、何度か繰り返されますが、それは、最終的な正解ではないわけですから、読者は、それと承知の上で、間違った推理を読まされる事になり、そういうところは、まどろっこしい感じがします。

  中盤で、農村の小川の畔から、樽が発見される場面があり、そこだけ、妙に面白い。 ゾクゾクします。 だけど、すぐに、低テンションの捜査物に戻ってしまって、後は最後まで、そのまんまです。 リングローズが、密室トリックの方法に気づく場面ですら、子供騙しの度が過ぎて、クライマックスというには、お粗末過ぎ。 ちっとも面白くありません。

  この作品のテーマは、犯人の、大変、変わった人格を描き出す事にあると思うのですが、それだけでは、長編推理小説として、読み応えに欠けるのは、致し方ないところ。 本来なら、密室トリックなど取っ払って、推理小説ではなく、犯罪小説として書くべき内容なのでしょう。

  結末が、倫理的におかしいのも気になります。 人格が変わっているからと言って、罪人扱いしない理由にはなりますまい。 「もし、逮捕に向かったら、罪を認めないだろう」というのであれば、それは、捜査する側が、確たる証拠を掴んでいないという事になり、事件が解決したとは言えなくなってしまいます。

  逮捕しないまでも、精神病院には連れて行くべきなのでは? たぶん、この犯人は、その後も、似たような状況で、必要に迫られれば、同じ事をするはずでして、「それを、外国で起こすのであれば、知った事ではない」というのは、警察官や、その協力者のとるべき考え方ではありません。




  以上、四作です。 読んだ期間は、

≪地下室の記録≫が、2016年の、10月半ばから、下旬。
≪狂人日記 他二篇≫が、2016年の、10月下旬から、10月末。
≪世界終末十億年前≫が、2017年の、1月中旬から、下旬。
≪守銭奴の遺産≫が、2017年の、2月上旬から、中旬。

  間が開いているのは、これらの本は、カー作品の合間に読んでいたからです。

2017/04/23

読書感想文・蔵出し (21)

  カー作品以外の本の、読書感想文の続きです。 長編推理小説が続きます。 よくも、立て続けに、こんなに読んだものです。 これだもの、推理小説に嵌まって、出て来れなくなる人が多いわけだ。 あまり、若い内に、読まない方がいいかも知れませんねえ。 他のジャンルの本が、読めなくなってしまいますから。 推理小説しか楽しめないというのは、やはり、不幸でしょう。




≪だれがコマドリを殺したのか?≫

創元推理文庫
東京創元社 2015年初版
イーデン・フィルポッツ 著
武藤崇恵 訳

  発表は、1924年。 フィルポッツの推理小説の代表作と言われている、≪赤毛のレドメイン家≫が、1922年で、どちらも、初期作品の内に入ります。 「だれがコマドリを殺したのか?」は、パタリロのセリフ、「だーれが殺した、クックロビン」なのですが、元は、マザー・グースの一節なのだそうです。 他の作家の推理小説にも、よく使われますが、それらが大抵、童謡の歌詞に擬えた、見立て殺人を扱っているのに対し、この作品は、そうではありません。


  大恩ある叔父の意向に背き、南仏で出会った娘と結婚した医師が、情熱が冷めた後、叔父の遺産をもらえない事を、妻に知られてしまい、頭が上がらなくなる。 妻の元求婚者と結婚していた、妻の姉が交通事故で大怪我をした後、妻が体調を崩して死ぬが、数年後になって、妻が遺した、「自分は夫に毒殺された」という手紙が明るみに出て、医師に殺人容疑がかけられる。 私立探偵である、医師の友人が、事件の捜査を進め、意外な事実を突き止める話。

  半分くらいまでは、普通の心理小説で、推理物的な気配は、全くありません。 それ以降、急ハンドルを切って、推理物に仕立てたという感じ。 大筋を決めてから書き始めたとは思うのですが、フィルポッツは、もともと、純文学作家なので、心理描写による人物造形が興に乗ると、そちらの方が面白くなってしまったのではないかと思われます。

  だけど、もし、前半の細かい書き込みがなかったら、この小説の魅力は半減するでしょうねえ。 情熱的な恋愛が、いかに、急激に冷めるかを、無慈悲なまでに、突き放して描いていますが、こういうのは、人生経験が豊富になければ、とても書けますまい。 ちなみに、フィルポッツは、1924年には、62歳でした。

  冒頭、恋愛小説のような甘い雰囲気で始まるのに、財産が手に入らないと分かった途端に、夫を恨み始める妻を見るにつけ、「こういうものなのだろうなあ」と、つくづく思います。 貴族がまだ幅を利かせていた時代の小説には、自分で働いて富を手に入れようという気が全くない人物が、頻繁に登場しますが、現代から見ると、人間的魅力を何も感じないばかりか、無能者にして、社会の寄生虫としか思えません。

  妻は、夫にあてつけて、女優になろうとするのですが、「お、なんだ、自分で人生を切り開こうとするのか?」と期待したのも束の間、すぐに、諦めてしまい、演技者としての才能を、まるで違う目的に使うようになります。 別に、女性の自立を描きたいわけじゃないんですな。 どうも、現代的感覚では、測りかねる部分が多い。

  事件の謎の方は、現実に起こったとしたら、びっくり仰天なものですが、推理小説の世界では、定番になっているパターンで、現代の読者を唸らせるようなものではありません。 むしろ、私立探偵が捜査に乗り出した時点で、「ああ、なんだ、アレか」と見抜いてしまい、がっかりすると思います。 勘のいい人は、妻の体調が突然、悪化し始めたところで、もう、先が読めてしまうのでは?



≪フレンチ警部最大の事件≫

創元推理文庫
東京創元社 1975年初版 1991年13版
F・W・クロフツ 著
田中西二郎 訳

  発表は、1925年。 フレンチ警部が初めて登場するという点で、特別な作品。 これ以後のクロフツの長編推理作品には、全て、フレンチ氏が登場して、探偵役というか、捜査員役を務めているとの事。 そういうわけで、≪クロイドン発12時30分≫にも、多少、役不足の感を漂わせつつも、出ていたわけですな。


  宝石商の事務所で、支配人が殺され、金庫の中の宝石が盗まれる事件が起こる。 担当になったフレンチ警部が、宝石と殺人犯を追って、ロンドンから、オランダ、スイス、スペイン、フランスを、船や列車で行き来し、膨大な無駄足を踏みつつ、少しずつ少しずつ、手がかりの糸を手繰り寄せ、やがて、犯人と、事件の真相に辿り着く話。

  推理物というよりは、捜査物です。 この二つは、分けた方がいいと、この作品を読むと、つくづく思います。 フレンチ警部は、人格的に優れているという以外は、警察式の捜査方法を実行するだけの、割と平凡な捜査員でして、天才的なひらめきのようなものは、一切、見せません。 それは、≪クロイドン発12時30分≫でも感じた事ですが、最初の登場から、意図的に、そういうキャラ設定にしてあったんですな。

  手がかりを掴んだと思ったら、肩透かしだったり、犯人側が、明らかに、フレンチ警部より一枚上手で、もう少しで捕まえられると思うと、とっくに逃げてしまっていたり、そんな事ばかり繰り返されます。 大変、泥臭い感じがするのですが、しかし、実際の捜査というのは、たぶん、こういうものなのでしょう。 警察に、ホームズばりの探偵刑事がいたら、そちらの方が、奇怪です。

  つまらないわけではないですが、≪クロイドン発12時30分≫に比べると、やはり、パッとしません。 小説で読むと長く感じられますが、映像作品にすれば、手に汗握る面白さを、醸し出せるかも知れませんな。 日本の刑事ドラマでも、こういう風に、地道な捜査を取り上げればいいのに。 事件に託けているだけで、単なる人情物になってしまっている場合が、ほとんどです。

  ≪最大の事件≫というタイトルですが、最初の登場で、早くも、「最大」を出してしまうのは、確かに変でして、訳者あとがきにあるように、当初は、この作品だけの捜査担当として、フレンチ氏を構想したものの、「こういうタイプの探偵役も面白い」と思って、その後も使い続けたのではないかと思います。



≪フレンチ警部と漂う死体≫

論創海外ミステリ 4
論創社 2004年 初版
F・W・クロフツ 著
井原順彦 訳

  発表は、1937年。 クロフツの長編推理小説は、全部で、34作あり、これは、20作目に当たるそうです。 ≪クロイドン発12時30分≫よりも、5作あとで、3年あと。 原題は、≪Found Floating≫で、過去分詞と現在分詞を組み合わされると、正確な訳が推定し難いのですが、「見つけられた、浮いているもの」とでもすべきなんでしょうか。 意味を暈してあるのは明白ですが、「浮いているもの」とは、死体の事です。


  イギリスのある地方で、電気製品の会社を経営している富豪が、兄の息子をオーストラリアから呼び寄せて、事業の後継者にしようとしたところ、一族が集まった夕食会で、参会者6人全員が、毒物を盛られる事件が起こる。 真犯人が分からないまま、時が過ぎ、体調回復の為に、豪華客船による地中海クルーズに、一族全員と、富豪の姪と婚約した医師が加わる。 ところが、北アフリカの港に停泊中に、一人が行方不明になり、やがて、水死体が発見されて・・・、という話。

  この作品、日本で翻訳出版されたクロフツ作品の中では、最後になったらしいですが、「なるほど、これでは、わざわざ、訳そうという気にならないだろう」と思わせる、中途半端な出来です。 とても、≪クロイドン発12時30分≫と同じ人が書いたとは思えない。 全体の纏まりが悪いのです。

  毒を盛られる事件が前半で、後半が、地中海クルーズになるのですが、この取り合わせに、なんとなく、無理を感じます。 途中で、作品が変わってしまったような、木に竹感が、半端ではありません。 前半と後半を、別々に思いついて、後でくっつけたと勘繰られても、否定し難いのでは?

  この頃、欧米の富裕層では、地中海クルーズが、最高に贅沢な娯楽と見做されていたらしいのですが、今は、そういうわけでもないから、ピンと来ないのかも知れません。 また、やけに、土地土地の描写が、細かいんだわ。 「トラベル・ミステリー」という、2時間サスペンス・ドラマで多用されるカテゴリーがありますが、あれ、そっくり。 観光案内を兼ねているのであって、こういうのを、推理小説と言ってしまって、いいものかどうか・・・。

  水死体の発見された場所や、損壊の状態から、犯人を推理して行くのですが、それらは、船乗りの専門知識がなければ分からない事でして、一般人向けの推理小説としては、失格しています。 これは、結構、重要な事で、推理小説で、専門知識が、トリックや謎の肝になっていた場合、作品の出来が悪いと判断する材料にしても差し支えないと思います。

  前半と後半の繋がりを悪くている最大の原因は、視点人物が、変わってしまう事でしょう。 前半では、富豪の姪の目で、事件が描写されますが、後半では、途中から、フレンチ警部が登場し、以降、ラスト直前まで、彼の視点で、話が進みます。 富豪の姪は、船内にいるのに、ただの一証言者になってしまい、作者に見放されたような感じを読者に与えます。

  捜査員役として、フレンチ警部を出すにせよ、≪クロイドン発12時30分≫のように、別人の視点で描写する方法もあるわけで、そうした方が、纏まりが良くなったと思うのですがね。



≪薔薇の名前≫

東京創元社 【上巻】1990年初版 1993年18版 【下巻】1990年初版 1990年5版
ウンベルト・エーコ 著
河島英昭 訳

  ≪薔薇の名前≫というと、映画をテレビ放送の時に見たのが、もう、遥かな昔。 調べたら、1986年の作で、日本では、87年公開だったそうですから、テレビ放送は、その1・2年後としても、やはり、30年近い大昔という事になります。 その後、沼津の図書館で、本を見つけ、読みたいと思ったものの、下巻しかなくて、いつまで経っても、上巻が戻って来ないので、その内、諦めてしまいました。

  今回、カー作品を相互貸借で取り寄せている間の繋ぎに読む本として、何か推理小説の古典を探していたら、≪薔薇の名前≫が、上下巻、揃っているのを見つけ、えらい遅れ馳せながら、借りて来た次第。 奥付けを見てみたら、下巻は、1990年の5版でしたが、上巻の方は、1993年の18版でした。 結局、上巻は返却されずに、後から、購入し直されたのでしょう。

  イタリアでの原作の発表は、1980年で、映画が、1986年。 それに対して、日本での翻訳の発行が、1990年というのは、なんとも、遅い反応ですな。 映画の日本公開に合わせて発行すれば、どんと売れたものを。 推測するに、原作の内容が専門的過ぎて、一般受けしないと思われたのではないでしょうか? 東京創元社は、海外の推理小説を多く出版している会社ですが、≪薔薇の名前≫も推理小説と見做されたわけですな。 他の出版社が手を出さなかったのは、やはり、翻訳にてこずると思われたからではないかと思います。

  ちなみに、ウンベルト・エーコという人は、本業は、記号学・哲学の学者。 ≪薔薇の名前≫が、小説の処女作品だそうです。 私は、後年の作、≪フーコーの振り子≫の方を、先に読んでいるんですが、お世辞にも、面白い小説ではありませんでした。 壮大な屁理屈を、延々と並べられているような感じ。 あれには、まいったなあ。 それはさておき、≪薔薇の名前≫です。


  14世紀初頭、教皇と皇帝の対立が激しくなる中、「清貧論争」をテーマに、教皇派と肯定派の修道士達が、イタリア北部の僧院で会合を持つ事になる。 それに参加する為に、ドイツ人の弟子と共に、僧院へやって来たイギリス人修道士が、僧院長の依頼で、院内で起こった死亡事件の捜査を手がける事になる。 その僧院は、蔵書の豊かさで、キリスト教世界屈指であり、イギリス人修道士は、迷路になっている文書館の奥に眠る一冊の写本が、事件の鍵を握っている事に気づくものの、連続する死亡事件をとめられない話。

  推理小説の枠を借りて、カトリック教会の宗派争いを嵌め込み、一般的な読者にも、知的な読者にも、楽しめる作品にしています。 カトリックの歴史に興味がない場合、その部分を、そっくり飛ばしてしまっても、面白さに、さほど変わりは発生しません。 しかし、そんな事をするくらいなら、わざわざ、≪薔薇の名前≫を読むより、他の推理小説を読んだ方が、有意義でしょうな。

  映画を見ている人は、あえて読む必要がないほど、映画と近い内容です。 弟子と村娘のラブ・シーンも、映画サイドで、話に色を着ける為に追加したわけではなく、原作に、ちゃんと出て来ます。 しかも、弟子が、物語の語り手になっている関係で、修道士見習いの恋愛心理を細かく描写してあって、結構、重要なパートになっていたのは、意外でした。

  映画にない点というと、文書館がある、「異形の建物」が、三階建てで、文書館は、その三階を占めているに過ぎないという事。 つまり、ワン・フロアなのです。 映画の方では、塔になっていて、その全ての階が文書で埋まっていました。 小説では、平面でなければ成り立たない迷路になっていて、その謎を解くところが、前半最大の見せ場になっています。 映画の方で、そこを端折ったのは、些か、解せないところです。

  異形の建物は、三階が文書庫、二階が写字室で、その配置は合理的です。 ところが、一階が、厨房になっているというのが、かなり奇妙。 当然の事ながら、書物は、火気と湿気を嫌うのであって、厨房が下にあれば、火事の危険性は常に高いですし、下で煮炊きしていれば、上の階が湿気ないはずがなく、こんな配置は、非常識極まりないです。 作者が、文系過ぎて、知らなかったんでしょうか?

  カトリックの宗派争いの部分ですが、哲学的な要素は希薄で、現代的なテーマも含んでいないので、一生懸命読んでも、得るところは、ほとんどないと思います。 読み終わった端から、忘れてしまう感じ。 価値観が全く違う、大昔の人達が、屁理屈合戦に命を懸けているだけの印象。 物語の実質的主人公である、イギリス人修道士にしてからが、その不毛な論争に加わっているので、何だか、白けてしまいます。

  「死にそうな人間が全て死んでから、謎を解き、犯人を指名するだけの、無能な探偵」というのは、金田一耕助の事ですが、この作品の主人公にも、カッチリ当て嵌まります。 作者が、事件を謎めいたものにしたいあまり、探偵が捜査に手間取り、謎を解く前に、死体の山が出来てしまうんですな。 「バスカヴィルのウィリアム」という名前でも分かるように、シャーロック・ホームズをモデルにしているのですが、ホームズのような、頭の切れはないですし、劇的な解決場面を披露してくれるわけでもないです。

  繰り返しになりますが、映画を見ているのなら、わざわざ、読む必要はないと思います。 小説でしか味わえないというと、文書館の迷路の謎と、あとは、ラストですかね。 映画よりも、更に徹底していて、カタルシスを、強烈に感じさせます。 事件に立ち会った見習い修道士が、年老いてから書き綴ったものが、現代になって、ほんの短期間、作者の手に入り、それを書き写して発表したという、凝った設定が、巧みに余韻を響かせています。




  以上、四作です。 読んだ期間は、2016年の内ですが、≪だれがコマドリを殺したのか?≫、≪フレンチ警部最大の事件≫、≪フレンチ警部と漂う死体≫の三冊は、9月中旬。 ≪薔薇の名前≫は、9月末から、10月上旬でした。 もう、半年も経ってしまったか。

2017/04/16

読書感想文・蔵出し ⑳

  読書感想文というと、長い事、≪カー連読≫シリーズをやって来て、カー以外の本に関しては、最後に出したのが、2016年の4月24日と、ほぼ、一年も前でした。 え゛っ! そんなに経ってるの? なんだか、去年の夏に、父の他界が挟まっているせいか、時間の感覚が狂ってしまいましたよ。

  カーを連読している間にも、相互貸借で取り寄せ中の繋ぎとして、他の作者の本を、かなり読んでいて、感想文も書いてあるので、溜まっているそちらを出します。 推理小説の合間に読んだものなので、やはり、推理小説です。 他のジャンルを読む気にならなかったのです。




≪極悪人の肖像≫

論創海外ミステリ 166
論創社 2016年 初版
イーデン・フィルポッツ 著
熊木信太郎 訳

  カー作品を、相互貸借で、他の図書館から取り寄せるのに、時間がかかるので、その間を埋める為に、沼津の図書館にある本を借りて来ました。 その一冊目が、これ。 フィルポッツの作品は、≪赤毛のレドメイン家≫を読んだ事がありますが、それっきりになっていました。 カーよりは、明らかに、一世代前の人。 推理小説の草創期を形作った作家の一人です。

  ≪極悪人の肖像≫は、1938年の発表。 古典推理小説の傑作にして、フィルポッツの代表作である、≪赤毛のレドメイン家≫が、1922年の発表なので、それから、16年しか経っていませんが、作者の生年が1862年でして、≪赤毛のレドメイン家≫にしてからが、60歳の時の作品なのであって、≪極悪人の肖像≫の頃には、もう、76歳になっていた事になります。


  イギリス南西部に、准男爵の身分で、荘園と屋敷を所有している一家に、三男として生まれた男が、持って生まれた冷徹な性格をフルに活用し、自分と比べれば、何の価値もないと見做している長男と次男を、完全犯罪で殺して、自分が一家の主になろうと画策する話。

  ≪赤毛のレドメイン家≫は、推理小説でしたが、こちらは、単なる犯罪小説で、読者の推理が入りこむ余地はありません。 犯人である主人公本人の一人称で書かれていて、心理描写、というよりは、心理分析で、地の文の多くが占められており、なんだか、精神分析学の本でも読んでいるような気になります。

  他にも、何かに似ていると思ったら、マキャべりの文体に似ている。 そう思って読んでいたら、マキャベリについて触れている箇所が出て来て、どうやら、直接的に参考にしたらしいと分かりました。 では、主人公が、マキャベリ並みに頭が切れるのかというと、そうでもなくて、完全犯罪というほど、緻密な計画ではなく、単に、犯行現場を他人に見られないようにするとか、精神面にダメージを与えて追い込むとか、その程度の事です。

  妙に小難しい書き方をしている割に、主人公の知性の高さが感じられず、そのせいで、せっかくのアイデアが、尻すぼみになっています。 最後の犯罪が終わった後には、読者が期待しているような事が何も起こらずに、終わってしまうのです。 探偵役が登場し、主人公を追い詰めれば、少なくとも、探偵小説にはなったはずですが、そこを、敢えて外した結果、何が言いたいのか、今一つ伝わらない、変な小説になってしまったんですな。



≪クロイドン発12時30分≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 2006年発行
F・W・クロフツ 著
加賀山卓朗 訳

  発表は、1934年。 ≪樽≫で有名な、イギリスの推理作家、フリーマン・ウィルズ・クロフツの作品ですが、≪樽≫よりも、この作品の方で、有名なのかも知れません。 幸い、私は、≪樽≫も読んでいるので、比較ができるのですが、どちらが上かと言えば、確実に、こちらが上です。 ≪樽≫は、処女長編で、それから、14年も経って、この作品が書かれているから、作家として、成熟したんでしょうなあ。


  大恐慌の余波で、経営している工場が資金難に陥り、結婚の計画も破綻しそうになっている男が、金持ちの叔父から、貰える予定の遺産の前渡しとして、資金を引き出そうとするが、にべもなく断られてしまい、目前に迫った破産を免れる為に、自らの手で、叔父を殺し、手っ取り早く、遺産を手に入れようとする話。

  倒叙形式という、最初から、犯人が分かっていて、犯人側の視点でストーリーが語られていく小説です。 そんなに珍しいわけではなく、≪刑事コロンボ≫の、ほとんどの回が、その形式で作られています。 ただ、普通、一人の作家が、何作にも、倒叙形式を用いる事はないです。 変化がつけにくいからです。 この作品は、倒叙形式の代表例として、推理小説の歴史に名が残るくらい、有名なのだそうです。

  「とにかく、何も訊かずに、読んでみろ」と推薦できるくらい、面白いです。 カー作品で言えば、≪ユダの窓≫クラスの面白さ。 クリスティーで言えば、≪そして誰もいなくなった≫クラスといえば、その程度が伝わるでしょうか。 ちょっと、誉め過ぎか。 フレンチ警部が出て来なければ、そのくらい誉めても、差し支えないんですが。

  ≪刑事コロンボ≫では、視聴者が犯人に共感し過ぎないように、犯人のキャラを工夫して、わざと好感度を下げてあるのですが、同じ倒叙形式でも、この作品では、そこまで、配慮していないようで、普通に読んでいると、すっかり、犯人側の立場になってしまい、追い詰めて来る官憲を憎たらしく感じるようになります。 そのせいか、読後感は、あまり、良くありません。

  フレンチ警部がやった捜査は、名探偵の仕事とは、程遠いもので、普通に、警察が行なう捜査メニューをこなしただけ。 そんな事で、追い詰められてしまうのは、犯行計画の方に問題があるのであって、金に困っていた事や、遺産相続人である事、青酸カリを入手する機会があった事など、警察側から見れば、「こいつしか、いない」と思うような動機や証拠を、いくらも残しており、杜撰もいいところです。

  ところが、犯人側の視点で語られるものだから、読者が、計画の杜撰さに気づかず、犯人と一緒になって、「これは完璧な計画だ。 バレるはずがない」と、確信してしまうんですな。 そう思わせるところは、作者の力量が高い証拠なわけですが、その分、結末では、犯人と一緒に、突き放されてしまうので、覚悟しておいた方がいいです。

  こりゃ、ネタバレになってしまったかな? いや、大丈夫だと思うんですがね。 ネタバレしていても、充分、面白いです。 欠陥があるのに、尚、面白いというのは、ある意味、より凄いですな。 ちなみに、「クロイドン発12時30分」というのは、旅客機の離陸時間でして、鉄道とは関係ありません。



≪ブラウン神父の秘密≫

創元推理文庫
東京創元社 1982年初版 2003年16版
G.K.チェスタトン 著
中村保男 訳

  発表は、1927年。 ブラウン神父シリーズの短編集としては、四冊目だそうです。 私は、ブラウン神父も、チェスタトン作品も、読むのは、これが初めてです。 昔見た、アメリカのドラマと混同していたのですが、調べてみたら、そちらは、ダウリング神父でした。 全然、違いますがな。

  発表年から分かるように、かなり、古いです。 ブラウン神父シリーズが書かれていたのは、ドイルが、ホームズ物を書いていた頃と重なっているんですな。 ちなみに、27年というのは、ホームズ物の最後の作品が発表された年です。

  10作品収められていますが、第1話と、第10話は、プロローグとエピローグで、ブラウン神父が、スペインに住む友人フランボウ(元デュロック)を訪ねて行き、そこで出会ったアメリカ人観光客を相手に、近年の事件の例を挙げて、自分の推理方法を説明する形式で、間に挟まっている8話が語られます。 しかし、それぞれの作品は、三人称で、ブラウン神父は、登場人物の一人に過ぎません。

  ブラウン神父の推理方法というのが、犯人と完全に同じ気持ちになるというもので、その例になるような話ばかりが集められています。 ただ、私は、他の短編集を読んでいないので、ブラウン神父シリーズの全てが、こんな感じなのか、この短編集だけが、特別なのか、判断できません。


【大法律家の鏡】
  法律家が射殺され、屋敷内にいた詩人が逮捕されるが、詩人と、警察・法曹関係者では、ものの考え方が、全く違う事を、ブラウン神父が指摘し、鏡が割れていた事から推理して、真犯人を言い当てる話。

  いわゆる、「バカの壁」が存在し、職業の違いが、決定的なまでに、発想の違いを生む事を指摘しています。 かなり、理屈っぽいですが、真理を突いていると思います。


【顎ひげの二つある男】
  有名な泥棒が、逮捕され、服役した後、養蜂をして暮らしていた村で、宝石泥棒と、それに伴う殺人が起こり、彼が疑われるが、実は、彼は、とことん、悔い改めていて、真犯人は、別にいたという話。

  元泥棒が変装に使っていた顎鬚の事とか、窓から覗いていた顔とか、謎やトリックもあるのですが、力点は、元泥棒の心が、いかに洗い清められていたかを、神父が語る件りにあります。 一般的な考えではなく、神父という職種独特の考え方で、「そういう考え方もあるか」程度にしか、納得できません。


【飛び魚の歌】
  東洋で作られたという金の魚の置物を自慢にしている男の家で、アラビア風の服を着た男が、家の外から歌を歌っただけで、金の魚が奪われてしまうという、不思議な事件が起こる話。

  これは、犯人の考え方云々より、トリックの方が主体。 しかし、あっと驚くようなものではありません。 エキゾチックな怪奇趣味が漂っていて、その点は、面白いです。


【俳優とアリバイ】
  イギリスのとある劇場で、イタリアの若い女優が、役が不満で、楽屋に閉じこもっている間に、劇場支配人が殺される事件が起こる。 神父が、芝居の内容から、意外な人物を犯人と見抜き、犯人の性格分析を行なう話。

  推理小説というより、精神分析の本を読んでいるような気分になります。 チェスタトンという人は、たぶん、フロイトなどに、嵌まっていたんでしょうねえ。 この短編集の中では、結構が、結構、しっかりしていて、話らしい話です。


【ヴォードリーの失踪】
  自分の領内にある村に出かけた地主が、行方不明になり、やがて、河原で、奇妙な笑顔を浮かべたまま、喉を切られた死体となって発見される。 神父が、死体の表情から、犯行現場と、犯人を推理し、背景にあった恐喝事件まで解明する話。

  短編にしては、ちょっと、内容を欲張り過ぎ。 笑った状態で喉を切られたのは分かるのですが、切られた瞬間に死ぬわけではないのですから、笑顔が残るかどうかは、疑問。 だけど、話全体の雰囲気はいいです。 村の地形が、分り易く描き込まれていて、当時のイギリスの田舎町の感じが、良く伝わって来ます。


【世の中で一番重い罪】
  姪の縁談相手の大尉が、どんな人物か調べる為に、大尉の実家である城を訪ねた神父が、その父親の挙動に不審を感じ、ごく最近に行なわれた殺人事件の存在を嗅ぎ着ける話。

  入れ替わり物。 単純な話で、神父が、どんな点から、それに気づいたかというところに、力点がありますが、驚くような事ではありません。 「老人は、歩く事はできても、ジャンプはできない」というのは、なるほど、確かに、その通りだとは思いますけど。


【メルーの赤い月】
  東洋の魔術・奇術に凝っている家で、インドの占い師を呼んだところ、その占い師が高価な宝石を盗んで、取り押さえられる事件が起こる。 神父が、真犯人をつきとめる一方、占い師が、なぜ、盗みを否定しなかったのかを心理分析する話。

  【大法律家の鏡】と同じ趣向で、考え方が違うと、目的も違うという事を言いたいようです。 神父の指摘は、占い師を批判するような方向性になっていますが、余計なお世話という感じがします。 今の感覚で見ると、インドの占い師も、カトリックの神父も、非科学的な事で、人をまやかしている点は、大差ないです。


【マーン城の喪主】
  若い頃、兄弟同然に育った従弟を、決闘で殺してしまい、外国でしばらく暮らし、帰国してからは、実家の城に閉じこもっている人物を、気の毒に思った昔の知人達が、城に訪ねて行こうとするのを、彼の事情を知った神父が、止めようとする話。

  これも、入れ替わり物。 入れ替わり物と言ってしまうと、ネタバレになるわけですが、こういうのは、古い推理小説では、あまりにも多いので、読み始めれば、すぐに分かってしまう事でして、ネタバラシの謗りを受ける事もありますまい。

  この話の肝は、城の主が犯した罪を、赦せるか、赦せないかにあり、昔の知人達は、赦すつもりで行ったのが、真相を知って、赦せなくなってしまったのに対し、神父は、真相を知って、尚、赦すと言う事で、一般人との考え方の違いを際立たせています。 しかし、「神父というのが、そういう職業なのだ」と言ってしまえば、それまでの事です。




  以上、三作です。 数が少ないのは、短編集が一冊入ってせいで、感想文が長引き過ぎたから。 これだから、短編集は、困る。 読む時には、お気楽でいいんですが、感想文が一作ごとになるから、長編の5倍くらい、手間と行数がかかってしまうのです。

  読んだ期間は、2016年の、

≪極悪人の肖像≫は、8月末から、9月初め。
≪クロイドン発12時30分≫は、9月上旬。
≪ブラウン神父の秘密≫は、9月上旬。

  となります。 父の葬儀から、四十九日にかけての期間ですな。 バイクを売却し、車の補修を始めた頃。

2017/04/09

遺物との戦い ⑤

  父の管轄場所から出たゴミのシリーズ、5回目です。 今回で、とりあえず、おしまいなので、お目汚しとは思いますが、つきあって下さい。

  こういう汚らしい写真を、わざわざ公けにする者の心理というのは、交通事故で子供を亡くした親が、いつまでも、事故現場に花を供え続ける心理と、似たところがあります。 自分だけ不幸になったのが、納得行かないので、他人にも不幸のお裾分けをしてやろうというわけですな。

  私も、父の遺品の片付けを、否応なしにさせられたのが、納得行かないので、他人に、迷惑のお裾分けをしてやろうと・・・、とんでもねーヤローだな、我ながら。




≪製図台の解体・ダンパーを切る≫

≪写真1≫
  プレハブ離屋の片付けに於いて、最大最強の敵だったのが、製図台でした。 「ドラフター」という、L字型の定規が、上下左右に自由に動く装置が付いています。

  とても、私の手には負えそうにないので、なかなか 自分が片づけるような気にならなかったんですが、とにかく、これを片付けないと、空間を広げられないので、恐る恐る、且つ、地道に、バラして行きました。

≪写真2≫
  んまー、一口では言えない苦労がありましたが、何とか、バラバラにはなりました。 架台の部分は、全て金属ですから、理屈の上では、そのままでも出せるんですが、重過ぎて、とても運べないので、L台車に乗せられる程度の、大きさ・重さにしたわけです。 これだけ、バラせば、もはや、元が何だったのか、想像がつきますまい。

≪写真3左右≫
  ところが、バラしたら、ダンパー(ショック・アブソーバー)が、大小2本出て来てしまい、さあ、困った。 中に、ガスやオイルが入っているから、資源ゴミ・金属類に出すわけには行かないのです。

  市役所のゴミ担当部署に電話したら、鉄屑業者に持っていけとの事。 ネットで調べてみたら、無料で引き取る所もあれば、有料の所もあるようで、私としては、リサイクル家電でもないのに、捨てる物にお金をかけるなど、冗談ではないと思い、そちらは、没。

  で、ネットで、ダンパーの壊し方を調べ、ゴーグルを着用、多少の危険は覚悟の上で、鉄鋸で切って、ガスとオイルを出し、更に、シリンダーの両端を切り落として、ただの金属パイプと金属棒にしてしまいました。 これなら、元がダンパーだろうと、ただの金属として、回収せざるを得ますまい。

  この後、資源ゴミに出したところ、全て、ちゃんと、持って行ってくれました。 めでたし、めでたし。



≪プレハブ内のあれこれ≫

≪写真上≫
  プレハブの、ロッカーの上に置いてあった箱から出て来たもの。 ざっと、説明します。

・ 上に二つある板状の物は、角鉢の盆栽を屋内に飾る時に使った台。 父の手製で、脚が付いています。

・ 右の方にあるのは、粗品の、ミニ・タオルの類。 変色してしまって、使いようがありません。

・ 右下にある団扇は、私が小学生の頃、家族で、四国・徳島の阿波踊りを見に行ったのですが、その時に、ツアー会社から配られた物だと思います。 イラストは、大鳴門橋になっていますが、橋の完成は1985年で、かなり、後。 私達が行ったのは、「これから、橋を作りますよ」という時期でした。 私達は、フェリーで四国へ渡りました。

  マイカーでのドライブ以外で、父と一緒に出かける事は、滅多になかったので、私は、父が駅などで迷子にならないように、気を配っていました。 徳島で泊まった宿が小さくて、ほぼ、民宿。 風呂が一つしかなくて、家族で入っている時に、他の客が入ってきそうになり、慌てた記憶があります。 夜食に、そうめんを出してくれましたけど。 あの宿も、とっくに、閉めたんだろうなあ。

  もう、大昔の事です。 思い出の品として、とってあったというより、父には、使える物を捨てるという発想がなかったんですな。

・ 中央下のブラシは、父が仕事で使っていた物。 図面についた消しゴムのかすを払い落とすのに使われていました。 同類の物が何本かありました。

・ 中央左の、額に入っている絵は、父の友人が描いた物です。 その人は、画家ではなく、絵は、ただの趣味。 それを、友人に売りつけて、セミ・プロ気分を味わっていたらしいのです。 まーた、私の父は、お人好しなので、そういうのを薦められると、断れなかったんですな。 たかが趣味で描いた絵を売りつける方は、もとより言語道断ですが、軽率に買ってしまって、素人画家を増長させてしまう方も、感心しません。

  下手とは言いませんが、スケッチに、水彩の色を載せただけで、よほど名前が売れている画家ならともかく、お金で売買されるような絵では、全くありません。 よく、これを売ろうなどと思いついたものです。 とんでもないわ。

・ 左端の、光ってしまっているのは、合羽です。 父は、雨の日でも、犬の散歩に行っていたので、一時期、合羽は、必需品でした。

≪写真下≫
  プレハブから出て来た、「成功する話し方 ハンドブック 冠婚葬祭編」。 父が買ったものだと思いますが、どこで買ったのかと考えると、こういう品を売っている店を思いつかないので、たぶん、通販ではないかと思います。 カセットが、10巻もあるのは、凄い。 いくら、したんだろう?

  父は、よその家の結婚式や、葬式、法事に出るのが好きで、一生の間に、ゆうに、100回以上、参列したと思います。 そういう機会に、備えて、買ったんでしょうなあ。 熱心な事です。

  だけど、父は、性格的に見て、司会はもちろんの事、短いスピーチですら、向かない人でした。 兄の結婚式の時の、新郎の父の挨拶では、私が文例を元に書いた文を、棒読みしたくらいですから。 ちなみに、私は、もっと苦手ですが、そもそも、そういう席に、進んで出て行こうなどと考えませんから、何の問題もありません。



≪父の遺した機械≫

≪写真上≫
  プレハブには、父が買った電動工具が、ごそっと、残っていました。 この写真に写っているのは、左側から、コードレス・インパクト・ドライバーと、そのケース。 真ん中の列が、トリマーと、そのケースと、外箱。 右上の茶色い箱のが、ジグソー。 右手前の、本体が青で、袋が黒いのが、ブロワーです。

  コードレス・インパクト・ドライバーは、納戸を作る時に、長い木ネジを捻じ込む為に買った物だと思いますが、父の生前から、「バッテリーが、もう駄目だ」と言われていて、確認したら、ほんとに駄目でした。 バッテリーを買い直すと、5400円くらいするようです。 今、買い直しても、使いたいと思った時には、また死んでいる恐れがある上に、98パーセントくらいの確率で、今後、私が、インパクトを使うほどの日曜大工をしないと思うので、本体もケースも、全部、捨ててしまいました。 最初からなかったと思えば、何ともありません。

  トリマーという機械は、未だに、何に使うのか、分かりません。

  ジグソーは、犬小屋を改造して出窓を付ける時に、ベニヤ板を刳り抜くのに使った形跡があります。

  ブロワーも、何に使うか分らなかったのですが、その後、取り扱い説明書が、他から出て来て、どうやら、ゴミを吸い込む為の機械らしいと分かりました。 納戸を作っていた時に、屋内で電動丸鋸を使って、そのゴミを吸うのに、ブロワーを買って来たのかも知れません。

  どうも、父は、何か特定の物を作りたいと思いついてから、その為の機械を買いに行ったようです。 そして、目的の物が出来てしまった後も、機械は、「いつか、また、使うだろう」と、しまいこんでいたわけだ。 トリマー、ジグソー、ブロワーは、私には、使いようがないから、リサイクル店に持って行ったら、「もう、10年以上経っている品だから」という事で、三つで、500円でした。
≪写真下≫
  これは、物置に入れてありました。 電動ではなく、灯油を入れて使う、草焼きバーナーです。 こんな凄いものを使わなければならないほど、草ボウボウな庭でもないのですが・・・。 父も、すぐに、使い難いと分ったらしく、私が、これの存在に気づいた時には、もう、使わなくなっていました。


  この他に、電動工具としては、丸鋸、グラインダーと、ドリルが二つあります。 丸鋸とグラインダーは、私にも使えるので、残す予定。 ドリルは、トルクが出なくなっており、次に使った時に、駄目なようなら、捨てるつもりでいます。



≪プレハブ・物置のゴミ≫

≪写真1≫
  すでに、処置した後の様子です。 製図台の板2枚を、電動丸鋸で四分割して束ねた物や、犬小屋を解体して束ねた物を、並べてあります。 全て、埋め立てゴミ。 L台車で運びました。

≪写真2左≫
  板類の他に、一月の埋め立てゴミの日に出した物。 プレハブから出た小物がごっそりあったので、袋も結構な数になりました。

≪写真2右≫
  物置にあった、茣蓙です。 2012年12月まで、父の車に積んであったのが、一枚。 他の二枚は、元々、物置にあったものです。 もはや、茣蓙の時代ではなく、今後も出番はないので、捨てました。

≪写真3左≫
  これは、門の横の流しの隣に立て掛けてあった、ブリキ製の如雨露。 ブリキのは、二つありましたが、古い方は、すでに捨てています。 ブリキ製は、重くて、何かと使い勝手が悪いんですわ。 うちには、プラスチック製のも、二つあって、それだけで充分なので、これも、資源ゴミ・金属類に出しました。

≪写真3右≫
  物置から出てきた、針金細工。 これは、かつて、父が、菊を育てていた時に、花が落ちないように、宛がったものだと思います。 父の手作りです。 父は、菊を、結構、本格的にやっていたんですが、展覧会に出品するほどではなく、数年でやめてしまいました。 他に、菊用の鉢が、別の植物が植えられて、幾つか残っています。

≪写真4左≫
  父の物と思われる、高速道路用の、三角反射板。 物置の中に、母の物と、二つあったんですが、母の物の方が、幾分、新しいようなので、父の方を捨てました。 もっとも、残した母の物も、使う予定はないんですけど。

≪写真4右≫
  折り畳んだ姿。 うまく、出来てますな。 車があった頃には、ずっと、トランク・ルームに。 それ以後は、ずっと、物置にあったので、状態は良いです。 プラスチック部分は埋め立てゴミに。 金属部分は、資源ゴミに出しました。



≪液物系の処分≫

≪写真1≫
  物置の、車関係の物を入れてあった箱から出てきたもの。 手前左は、父が歴代の車から外して残しておいた、発炎筒。 右は、車載用の非常用懐中電灯です。 奥の列は、左側から、

・ウィルソン ホワイト・シャンプー
・ウィルソン パーコート90
・クレ ガラス・クリーン
・トヨタ ウィンド・クリーナー
・タイホー工業 クリンビュー
・艶出シ一発
・ホルツ 耐熱ペイント(黒)

  発炎筒は、しばらく、水に浸けた上で、燃やすゴミに出しました。 非常用懐中電灯は、分解して、埋め立てゴミと、資源ゴミ・金属類へ。

  ホワイト・シャンプー、パーコート90、艶出シ一発、耐熱ペイントの四点は、私が、1986~87年頃に、買ったものです。 もしかしたら、クリンビューも、私のかも知れませんが、記録を取っていないから、確かめられません。 最初の車、ダイハツ初代ミラに使っていたわけですが、全部使い切らない内に、1992年には廃車にしてしまい、これらだけ残ったわけです。 車の色がアイボリーだったせいで、水垢には、さんざん泣かされました。

  耐熱ペイントは、排気管の見える所が錆びていたので、それを黒く塗る為に買いました。 客観的に見れば、安物車でしたが、少しでも見てくれをよくしようと努力した点は、今持っている、セルボ・モードと変わりませんでした。

≪写真2≫
  エンジン・オイルの残り。 手前の二つは、ミラ専用オイルなので、私が買ったものです。 最低でも、二回は、自分でオイル交換をしたのでしょう。

  奥側の「R」と書いてあるのは、スバルのオイルですが、我が家にスバル車があった事はないので、父が、テキトーに安いのを買って来たのではないかと思います。 私は、父が車のオイル交換をしている姿を、一度も見た事がなく、相当、昔の物と思われます。

  奥側右端の、ホンダの2サイクル・オイルは、母が1980年代前半に乗っていたスクーター、初代タクト用に買ったものだと思います。

  こういう古いオイルは、潤滑油代わりに使う分には問題ないですが、エンジンに入れるのは、厳禁だそうです。 時間が経つと変質してしまうのだとか。

≪写真3左≫
  物置の、灯油の一斗缶の中に入っていた、得体の知れない液体。 容器は、一升瓶と、焼酎の瓶です。 恐る恐る、口を開け、出してみたら、どうやら、エンジン・オイルの廃油のようでした。 父が、廃油の捨て方が分からなくて、しまいこんでいたんでしょうなあ。 毒物・劇物でなくて良かったです。

≪写真3右≫
  液物を捨てるついでに、私の部屋にあった、金魚や亀の殺菌治療薬、メチレン・ブルーと、墨汁も出しました。 メチレン・ブルーは、もう、20年も前のもので、出番があったとしても、古過ぎて怖いので、捨てる事にしました。 墨汁も、30年くらい経っていると思います。 ラジオ番組に出す投稿ハガキに絵を描く為に使ったんですが、大昔の事。 今の私には、絵を描く気は、かけらも残っていません。

≪写真4≫
  プレハブから出て来た、墨汁2本と、製図用紙用の修正液、それと、薬の小瓶に入った得体の知れない液体。 父は、60歳くらいの頃に、趣味で、墨絵を少し描いていたので、書道セットと墨汁が残っていました。 墨汁の一本は未開封でした。


  液物は、シュンのペット・シートや、父が末期に使った尿取りパッドに浸み込ませて、燃やすゴミへ出しました。 墨汁は、中で、ゼラチン状に固まってしまっていました。 有毒性が低いと判断し、下水に流しました。



≪物置内のあれこれ≫

  メインの物置や、プレハブ離屋に父が増築した、サブ物置から出て来たもので、2月に捨てた品々です。

≪写真1≫
  二段ベッドの上段部品。 枠はあったんですが、肝心の板部分がありませんでした。 とっくに腐ってしまって、父が、燃やすか埋めるかしたんでしょう。 梯子もありませんでした。 ちなみに、下段は、私が現役で使っています。 頭板と足板は、嵌め込んであるだけで、ハンマーで叩いたら、簡単にバラバラになりました。

  左上の、緑色のホースと、ビニール袋がくっついたものは、以前、亀の汚れ水を、ベランダから下りた雨樋の出口から、排水升まで持って行くのに使っていた道具。 犬がいなくなってから、庭に水を流してしまっても問題なくなり、これは使わなくなりました。

≪写真2≫
  奥の深緑色のは、セメントのトロ舟。 中央は、古いホース。 パイプを複雑な形に繋いであるのは、池から水を抜くのに使っていた道具。 その右側の板は、1960年代のテレビ台の板です。 脚は、腐ってしまい、一本しか原形を留めていませんでした。 右下に、ネズミ捕りが、少し写っています。 その隣の白っぽいのは、ステンレスの板ですが、何に使っていたのか、不明。 左の方の、バケツに入っているのは、ペンキ塗りの道具。

≪写真3≫
  左上は、1980年代のテレビ台の側面板。 左下は、古い俎板。 その隣は、車の輪止め。 長いのの一番左は、兄が使っていたソフトボールのバット。 その隣の茶色いの4本は、解体したワゴン代車の柱。 一番長い板は、用途不明。 右の木箱二つは、メイン物置の棚で、物を入れるのに使われていたもの。

≪写真4左≫
  この紫色のウインド・ブレーカーは、私が、バイク通勤を始めた1995年頃に買ったもの。 買って間もない内に、エキゾースト・パイプに触れて、肘の所を溶かしてしまい、捨てたのですが、父が取っておいたようです。 物置に突っ込んであったところを見ると、着たとは思えませんが。

≪写真4右上≫
  父が使っていた落ち葉マーク。 いずれ、私も使おうかと思っていたのですが、見たら、ヒビだらけになっていたので、捨てました。

≪写真4右下≫
  台所の外に置いてあった、ホース・リール。 母が買ったものですが、ほとんど使わなくて、ホースの中の方が扁平に潰れてしまい、もはや、巻いた状態では、水が通らなくなってしまいました。 だから、使わない物を、買うなというのに。 この後、ホースを引き出して行ったら、隙間に蟻の巣が作られていて、王国を崩壊させてしまいました。



≪植木鉢・引き出し式書類ケース・包丁その他≫

  またもや、バラバラですが、捨て物です。 すでに、父の遺品は、粗方、片付いているので、取り零しやら、他の捨て物やらが、混じっています。

≪写真1≫
  庭の、盆栽棚の下にあった、植木鉢。 私は、園芸の趣味は皆無ですし、母も、プランターと花壇が主なので、植木鉢には、出番がありません。 もう絶対に使わないと思われる、小さい鉢や、角型の鉢から先に、全体の半分くらいを選び出し、埋め立てゴミに捨てました。

  一見、少ないようですが、2月の埋め立てゴミを出す日が、あいにくの雨でして、片手に傘を差し、片手だけで、物を運んだので、えらい回数を往復しなければなりませんでした。 植木鉢は重いから、ちょっと大きいのだと、片手では、一度に二つしか持てないのです。

≪写真2≫
  父の部屋の、机の上に並んでいた、引き出し式の書類ケース。 中身を空にして、押入れに場所を移した後の写真です。 一つは金属製、もう一つは、プラスチック製。 元々は、各種契約関係の書類が入っていたのですが、それは、別の入れ物に移して纏めたので、これらは、用済みになりました。

  こういう物ですから、私や母が、使おうと思えば使えるのですが、今まで、自分で買おうと思わなかった物は、つまり、必要ないから、買わなかったわけでして、どうせ、これらも、使わないと思われ、またどこかに押し込んで、死蔵するのも嫌なので、捨てる事にしました。

  深緑色の物体は、父が机に取り付けていた、隠し貴重品入れです。 父がブリキで作ったもの。 スライド式の蓋があり、中には、実印や、印鑑登録証、銀行印、クレジット・カードなどが入っていました。 どれも、すでに無効になり、隠しておく意味がなくなったので、他の入れ物に移しました。

  なぜ、ブリキ製なのかというと、机の奥の天井部分に、マグネット・シートが貼ってあって、それに吸着させて、吊り下げてあったからです。 隠し場所としては、いいアイデアだと思いますが、私は別の方法を使っているので、これを受け継ぐ事はしませんでした。

≪写真3≫
  これは、台所で、母が死蔵していた、歴代の包丁です。 よくも、こんなに、溜め込んだものです。 後生大事にしていたわけではなく、捨てる方法が分からなかったようです。 一本ずつ、刃の部分を新聞紙に包み、束ねた上で、「包丁」と書いた紙を貼り、資源ゴミ金属類に捨てました。

≪写真4≫
  これは、物置から出てきた、刃物類。 ダンボール箱に、無造作に突っ込んであったから、怖い。 まあ、錆びていて、切れはしませんけど。 包丁2本は、台所のと同じように処理しました。 右端の、途中で折れた折り込み鋸と、左端の、先が丸まったマイナス・ドライバーは、柄の部分をハンマーで叩いて壊し、金属部分だけ、小物金属の箱に入れました。 箱が満杯になったら、捨てるつもり。




  あー、もー、うんざりだ。 というわけで、父の管轄していた場所から出た、捨て物シリーズは、今回で終わりです。 父の遺品が片付いた後、自分の物を捨て始め、それは、今現在も続いています。 いずれ、そちらの写真も出す事にしましょう。

2017/04/02

遺物との戦い ④

  父が管轄していた場所から出てきた物を片付けた時の写真です。 あるわあるわ。 写真を見返しているだけで、頭がクラクラしてきます。 この大量の品を、私一人で全て処分したというのが、自分でも信じられないくらいです。 これだけ働いても、誰も誉めてくれないのが、腹立たしい。 父の物ばかりではないから、父だけを恨むわけにはいかないのですが。




≪ちりとりと、折自用荷台・前籠ステー≫

≪写真上≫
  物置やプレハブ離屋にあった、ちりとりです。

  左の青いのは既製品ですが、もう、掃き込み口が割れてしまっていて、大雑把な掃除にしか使えなくなっていました。 それに、取っ手が短いので、屈まなければならず、腰を悪くするだけなので、捨てました。 今は、もっと、取っ手が長いちりとりが売っています。

  真ん中のは、父が、プレハブ離屋の室内用に、自作したもの。 木の色から見て、そんなに古いとは思えないのですが、なんで、店でプラスチックのを買って来ずに、こんな重いのを、わざわざ作ったか、気が知れません。 たぶん、構造を思いついて、作れそうだったから、作っただけなのでしょう。 捨てる為に、解体したのですが、釘が多用されていて、怪我をしないように、ヒヤヒヤものでした。

  右のは、庭用ですが、灯油の一斗缶を利用して、木の取っ手をつけたもの。 父が、作りました。 私が子供の頃から、似たような物がありました。 缶を取り換えて、何代か経ているはず。 最後のこれも、もう、ボロボロで、何年も前から、穴が開いていました。 父の存命中、捨てていいか訊いたら、「缶を換えれば、まだ使えるんだがな」と言っていました。 勘弁してください。 重いし、取っ手が短いし、腰痛もちには、とても使えません。 解体して、捨てました。

≪写真下≫
  これはねえ。 母が、親戚のローソンで、アルバイトをしていた頃に、ローソンの懸賞で、16インチの折りたたみ自転車を当てたのですが、それに付ける為に、ホーム・センターで買って来た、荷台と、前籠ステーです。 大変、乗り難い自転車で、母も私も、ほとんど乗らないまま、兄嫁が引き取って行きましたが、やはり、乗らなかったようです。

  前籠も一緒に揃えたのですが、それだけは、今、旧母自に取り付けられて、役に立っています。 もう、自転車本体がないのに、なんで、こんなものを保存してあったのか、分かりません。 父は、物を捨てない人だから、それは納得できるとして、私が、2016年の初めに自転車のレストアをした時に、見ているはずなのに、どうして、捨てなかったんでしょう?

  資源ゴミの金属類に捨てました。



≪父の部屋の片づけ中≫

  このシリーズ、もう終わりにしたつもりだったのですが、見逃していた写真が見つかったので、もうちょっとだけ、出します。

≪写真上≫
  ベッドを解体した後の様子。 一番奥に束ねて立てかけてあるのが、ベッドの残骸です。 部屋の中央にあるのは、箪笥の引き出し。 箪笥本体はとっくになくなっていて、父が、引き出しだけ残し、物入れ代わりに、ベッドの下の奥に入れていたのです。 これ以外に、納戸の中にも入っていて、全部で、大きいのが4つ、小さいのが2つありました。 金槌とプライヤーでバラバラにして、埋め立てゴミや、燃やすゴミに出しました。   

≪写真中≫
  片付けは、二日に一度、半日使うペースで進めていたのですが、埋め立てゴミの日まで、日数があって、しばらくの間、父の部屋は、こんな状態のままでした。 捨てる準備ができた順に、早く、捨ててしまいたかったのですが、どうにもしようがありませんでした。

  右の方に、細長い姿見が写っています。 その昔、母が、懸賞か何かで貰ったもの。 しばらく、私の部屋にありましたが、その後、納戸にしまわれ、数年前に父が出して、父の部屋で使っていました。 これも、解体して、捨てました。 長いガラスは、父の遺品のガラス切りで、三分割にしました。

≪写真下≫
  押入れ。 元から入っていたものは、全部出し、解体・分別して、捨てる準備を整えてから、一時置き場として、また入れたら、こんな状態になりました。

  上段奥の、巻いてある長いのは、ベッドの擬畳から剥がした畳表です。 こうしてしまえば、茣蓙と変わらないので、埋め立てゴミに堂々と出せます。

  父が使っていたハンガーが、ごっそり。 父は、下着と靴下、パジャマ以外は、全て、ハンガーにかけていました。 木製のとプラスチック製のがほとんどでした。 今じゃ、木製ハンガーなんて、売ってないでしょうねえ。 さりとて、記念に残すほどのものでもありません。

  右端の、大きな茶封筒は、父が身罷った病院から受け取った、領収書などの書類が入っています。 二回入院したから、二袋。 すでに、高額療養費の還付手続きは終わっており、もう用はないと思うんですが、念の為、2年くらい、保存して、役所から、何も言って来ないようなら、捨てるつもりでいます。

  下段は、解体したテレビ台とか、ソファ風座椅子から抜きとったスポンジとか、天袋に入っていた兄の鞄類とか、そんなものが入っています。 釣り竿は、兄が子供の頃に使ったものです。 同じ時に買ってもらった、私のもあったのですが、それは、2015年の大整理の時に、先に捨てています。

  キッチン蛍光灯は、父が、ホーム・センターで買って来て、自室の姿見の上に取り付けていたもの。 その姿見は、2014年に、父がぶつかって、割れてしまい、その後、納戸から、≪写真中≫の自立式姿見を出したわけです。 壁に貼った姿見が割れた時点で、蛍光灯は不要になっていたのですが、父が死ぬまで、そのままになっていました。

  父は、キッチン灯が好きだったようで、二階の流しにも、同じ物をつけていました。 それは、別に邪魔になりませんし、たまに点ける事もあるから、そのままにしてあります。 実は、私も、以前、居間で使っていたパソコン・デスク用に買った、同じキッチン灯を保存してあります。 あれも、捨てねばなあ。



≪五月人形の処分≫

  12月の中旬に、父の部屋に最後に残っていた廃棄対象物である、五月人形を解体しました。 たくさんあるので、ざっとだけ、解説します。

≪写真1≫
  左側は、鐘馗様。 これは、風体を見るだけで分かります。 ケース入り人形7体の内、私が、覚えていたのは、これだけでした。 右側は、よく分かりません。 神武天皇? この二体だけは、大人の顔をしています。 それ以外は、人形の想定年齢に関係なく、子供の顔です。

≪写真2≫
  左側は、「六法」という名札がありますが、正体は不詳。 右側は名札がないのですが、たぶん、源義経ではないかと思います。

≪写真3≫
  左側は、「牛若丸」の名札あり。 京の五条の橋の上で、弁慶と戦った時の服装ですな。 右側は、名札が、「月○」とあり、下の字が読めないのですが、「月糸」なのかも知れません。 一方、人形の方は、どう見ても、弁慶だと思われ、もしかしたら、「月糸」というのは、作者の名前なのかも。

≪写真4≫
  左側は、「龍神」の名札があります。 正体は不詳。 右側は、五月人形を入れてあった、サンヨー・テレビのダンボール箱の中に、埃除けとしてかけてあった新聞。 「1979年(昭和54年)5月5日 土曜日」の日付がある、朝日新聞朝刊の番組欄です。 「まんが日本昔ばなし」、「クイズダービー」、「Gメン75」などが載っています。 この頃、静岡の民放は、まだ、3局でした。

 1979年は、私が、15歳になった年でして、五月人形を最後に出した年としては、遅過ぎるのですが、詳しい事は分かりません。 前年に、家を建て替えているので、荷物を移動したついでに、整理し直したのが、79年だったのかも。

≪写真5≫
  人形以外の、飾り物。 組み立て方が分からず、ここまでにするのに、苦労しました。 完成図の紙も出て来たものの、どうせ、撮影の後、直ぐに壊すと思うと、真剣に調べる気になれませんでした。 左側の黒い箱には、鎧兜が入っていました。 この鎧兜が、金属板を紐で綴ったものでして、紐を切るのに、えらい手間がかかりました。


  ガラス・ケースは、ガラスを枠で挟んで、紐で縛ってあるだけでした。 紐を解いたら、枠はバラバラになり、ガラスも外せました。 ちょっと、構造が華奢過ぎて、怖いくらいでした。 ガラスは埋め立てゴミ。 枠は、短く折って、燃やすゴミへ。

  人形は、金属部品だけ外して、燃やすゴミへ。 「人形には魂が入っているから、捨てる時には、お寺へ持って行って、焼いてもらわないと・・・」という人もいますが、私は、そういう事を気にしないようにしています。 結局、人間が作ったものですから。 物に魂なんて事を言い出したら、ティッシュ1枚にも魂がある事になってしまいます。

  ちなみ、これらの人形は、頭と手足だけ、土で作ってあって、胴体は、針金に藁を巻いたものでした。 一万歩譲って、人形の魂に祟られたとしても、私はもう、人生の最終ステージにいるので、何も怖くありません。

  写真を撮り忘れたのですが、これらが入っていたダンボール箱の解体が、また大変でした。 昔のダンボール箱は、接合部を、大きなホチキスでバシバシ留めてあって、それを、プライヤーで、一つ一つ外さねばならなかったのです。 もう、勘弁してくれ。


  母に聞いたところでは、ケース入りの五月人形は、うちで買ったものではなく、親戚などが贈ってくれたものなのだそうです。 男の子が生まれた家には、そういう贈り物をする習慣があったとの事。 もしかしたら、今でも続いているのかも知れませんが、私は結婚しなかったし、兄夫婦にも子供がないので、経験せずじまいでした。 もし、人形の種類が重なってしまった場合、交換とかしてくれたんですかね? どちらを交換しても、角が立つような気がしますが。



≪レコードを捨てる≫

  12月の中頃に、父の部屋の納戸にしまってあったレコードを、ごっそり、捨てました。 兄のレコードもあると思っていたのですが、調べてみたら、一枚もありませんでした。 家を出た時に、持って行ったんでしょう。

≪写真上≫
  一番多かったのは、この、「日本民謡大全集」。 全16巻。 レコードも、「巻」で数えるんですねえ。 母が買ったもの。 昔の、大きなステレオで、これを流されると、うるさくて、他の家族には、拷問でした。 地域ごとに分けられているわけですが、ジャケット絵は、北斎の富嶽三十六景で、それぞれの土地とは無関係です。

≪写真中≫
  クラシック3枚や、「ゴールデン・ハワイアン」、「禁じられた遊び」、「軍歌・戦時歌謡」「懐かしの歌謡曲」は、母が買ったものだと思いますが、「西城秀樹 ゴールデン・ヒット・デラックス」は、誰が買ったのか、分かりません。 うちの家族の、誰の趣味でもないような気がするんですが。

≪写真下≫
  これは、左下の「CD-4」を除き、私が買った、シングル盤です。 シーナ・イーストンの、「マシーナリー」、「モダン・ガール」、原由子の、「横浜レディ・ブルース」。 私は、基本的に、レコードもCDも買わない人間でして、多分に、きまぐれに突き動かされて買ったのが、この三枚です。

  1980年に、「モダン・ガール」を耳にした時には、「ああ、時代が変わったんだなあ」と思いましたねえ。 今聴くと、歌詞の内容は、当たり前の事になってしまいましたが・・・。 80年は、私が高一の時ですが、このレコードを買ったのは、高三の時で、「マシーナリー」がCMに使われていた頃に、レコード店にあったので、一緒に買って来たのです。 決まった小遣いなんて貰ってなかったのに、よく買えたなあ。

  「横浜レディ・ブルース」に至っては、1983年ですから、ひきこもっていた頃ですが、ほとんど、自由になるお金がなかったのに、レコードなんか買ってしまって、当時の私の気が知れません。 これは、ラジオで聴いて、気に入って、買いに行ったんだと思います。 ちなみに、CDが、レコードを、一気に駆逐してしまうのは、1987年頃で、もう少し先です。

  「CD-4」というのは、ステレオに付いて来た、サンプル・レコードだと思います。 「4チャンネル」という、スピーカーを4つ使う方式のステレオで、1970年代に登場したもの。 あまり、普及しなかったようですけど。 ステレオ本体も、長い事、納戸にしまってありましたが、去年(2016年)の5月に捨てています。

  これらのレコードは、分別して、ジャケットは、資源ゴミ・紙類に。 レコード本体は、埋め立てゴミに。 ビニールは、プラスチック・ゴミに捨てました。



≪プレハブの蛍光灯と扇風機≫

≪写真1≫
  父が、かつて、機械設計の仕事場にしていた、プレハブ離屋の蛍光灯です。 これは、製図台の上に吊ってあった物。 もともとは、建て替える前の家で、どこかの部屋の天井灯に使われていた物ではないかと思います。 30ワット×2本。 金属と、プラスチック、蛍光管に分け、捨てました。

≪写真2≫
  これは、机代わりにしていた台の上に吊ってあったもの。 30ワット×1本。 素性は不明。 他で見た記憶がないから、たぶん、父がプレハブ用に買って来たものだと思います。 蛍光管以外は、ほとんど、プラスチックだったので、小型家電扱いで、埋め立てごみに出しました。

≪写真3≫
  これは、プレハブのメインの天井灯で、部屋のほぼ中央に吊られていました。 これらの天井灯は全て、父が自分で取り付け工事をしたようです。 生前、「電気は分からん」と言っていましたが、その割には、プレハブでも自室でも、部屋中に配線コードを張り巡らせて、生活を少しでも便利にしようと、工夫し倒していましたっけ。

  この蛍光灯は、母屋を建て替えた後、最初に和室に設置されたもので、その後、新しいのに取り替えた時に、母屋から離屋に移されたというのが、母の説ですが、私の記憶では、これは、建て替える前の家で、居間に吊られていた物ではないかと思います。 しかし、今や、確かめようがありません。 これは、メイン天井灯なので、そのまま、残しました。 夜にプレハブに入るような事は、もうないのですが、万一・緊急という事もありますから。

≪写真4≫
  壁掛け扇風機。 紐スイッチで、強弱が、2段階、切り替えられます。 同じ型で、羽根の色が緑色なのが、母屋に、二台あります。 その二台は、1978年に家を建て替えた直後、私と兄の部屋用に買ったもの。 この青いのも、ほぼ同じ時期の製品ですが、緑の二台と、どちらを先に買ったのかは分かりません。 母屋の二台は、洗面所と台所で、まだ使っていますが、このプレハブのは、もう不要なので、解体して、捨てました。



≪プレハブのロッカー≫

≪写真1・2≫
  プレハブ離屋に、事務ロッカーがあり、開けてみると、昭和50年代の「趣味の園芸」や、植木の手入れの本が、ズラリと並んでいました。 他に、水墨画の描き方の本など。 細々と、コメントするのも疲れるので、割愛。 私は、盆栽にも植木にも興味がないから、この種の本は、全く不要です。 割と状態が良かった、和英辞典だけ残して、他は、資源ゴミ・紙類に捨てました。

  ちなみに、「趣味の園芸」で、最も後に買われたのは、平成元年9月のものでした。 その頃にはもう、父も、新しい植物に手を出すような事はなくなり、趣味の園芸を新しく買う必要を感じなくなっていたのでしょう。

  昭和50年代のが多いのは、当時、最寄の書店と契約して、毎月、届けて貰っていたから。 いいかげんな配達係がいて、代金の二重取りをされかかった事件をきっかけに、父は契約を打ち切ってしまい、その後は、自分で本屋に行って、欲しい号だけ買っていたようです。

  その配達係は、中年女性でしたが、忘れっぽい人で、代金をすでに受け取っているのを忘れて、また、取りに来て、「絶対に受け取ってません」などと、言い張ったので、それまでにも、いろいろと腹に据えかねる事があったのを我慢していた、父の堪忍袋の緒が切れてしまい、契約打ち切りとなったのです。 後になって、「調べたら、受け取っていました」と電話して来たようですが、もう手遅れ。 私の父は、温厚な性格で、滅多に怒る事はなかったのですが、その時には、怒りが収まらないという態でした。

  私が、「この世には、いい加減な仕事をする人間がいる」という事を、初めて印象付けられたのが、その事件でした。 それまでは、仕事は、みんな、真面目にやっているものだと思っていたのですがね。 忘れっぽいのは、性分だから、仕方ないとしても、周りから、それを指摘されているはずなのに、メモもとらないのでは、いい加減と言われても仕方ありますまい。

  あのおばさん、たぶん、その後も、失敗ばかり続けたんでしょうねえ。 忘れっぽいのに、自分でそれを認めない性格って、最悪ですなあ。 仕事に向かない人って、いるんですよ。

≪写真3左≫
  これは、ロッカーではなく、机の上の本立てに並んでいた物。 機械関係の辞典類ですな。 趣味の園芸ほどではないですけど、三束分くらいはありました。 これこそ、私には、何の縁もありません。 捨てました。

≪写真3右≫
  ロッカーに入っていた、湯呑み・コップ・グラス類。 私が小学生の頃、父は同じ町内会の人二人と懇意になり、三人で、週に一度くらい、夜、プレハブに集まって、話をしていました。 続いた期間は、何ヵ月だったのか、何年だったのか、もう忘れてしまいました。 その頃に、使っていた器のが、いくつか。 他は、酒屋や寿司屋から、粗品で貰ったもののようです。

  こういう物は、母屋にも、ゴチャマンとあるので、残す理由がなく、全て、埋め立てゴミに捨てました。 

≪写真4≫
  ロッカーの上にあった、ダンボール箱を下ろして、中を見たら、なんと、書類がごそっと出て来ました。 公共料金の領収書の類で、個人情報が記されているので、えらい、処分が面倒なのです。 プレハブは、片付け中で、ゴチャゴチャしていたので、父の部屋に運び、処理しました。

  右側は、父の部屋にあった、同類の書類を処分した時の写真です。 個人情報が記された部分だけ破りとって、別のゴミ袋に入れ、別の日に、燃やすゴミに出しました。 名前や住所が入っていても、それだけでは、誰が出したゴミかしか分からないので、危険はないです。 一方、本体の方は、名前も住所も分かりませんから、これまた、何かしらのデータが載っていても、悪用のしようがないわけだ。

  そもそも、それ以前の問題として、燃やすゴミは、回収車に入れられてしまえば、もう、衛生プラントの焼却炉まで、一直線ですから、途中で暴かれる心配は、ます、ありません。 気をつけなければならないのは、量が多いからと言って、資源ゴミ・紙類に、この種の書類を出してしまう事の方です。



≪プレハブの机の中から≫

≪写真1・2≫
  プレハブ離屋の中で、机代わりにされていた台があるのですが、それに、引き出しや扉があり、中に入っていた物を出したら、こんな有様になりました。 あまりにも、物が多すぎて、解説ができません。

  父は、機械設計の仕事をしていたから、文房具は多かったです。 シャープペンの芯は、ごそっと出て来て、0.5ミリのだけ残しましたが、それだけでも、10ケースくらい。 たぶん、私が生きている内には、1ケースも使い切れないでしょう。 関数電卓の取扱説明書が、7冊。 そんなに壊れるもんなんですかねえ。 本体は、一台しかなかったです。 作動しなかったので、埋め立てゴミに。

  父が仕事をやめてからの14年間、プレハブは、父が自分で散髪する為の部屋になっていました。 そのせいで、散髪用具が、多く残っていました。 合わせ鏡を使って、後ろの方まで、自分で切っていたのだから、器用なものです。 父は、私から見ると、異様なくらい、髪の手入れには拘っていました。 「バリカンで、丸坊主にしてくれ」と私に頼んできたのは、最後になった散髪の、たった一回だけでした。

≪写真3左右≫
  この台は、事務用品だと思います。 引き出しの一番上だけ、施錠できるようになっているのですが、そこに鍵がかかっていて、中に、何か入っている模様。 最初に見た時には、青くなりましたが、他を片付けている内に、鍵を発見し、開ける事ができました。 中身は、セールスマンが置いて行った書類や、文具でした。 台は、資源ゴミ・金属類に出しました。




  あー、もー、うんざりだ。 というわけで、今回も、この辺で、勘弁してください。 とりあえず、もう一回分はあります。