2018/07/29

時代を語る車達 ⑤

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 あくまで、私個人の意見なので、自分が好きな車を貶されたからと言って、怒髪衝天するに及びません。 ちなみに、私は、ブログだから、こういう事を書いているのであって、現実世界では、面と向かって、人様の車を、ああだこうだ、批評したりしません。 普通、乗せてもらったら、いい所を探して、誉めます。

  そういえば、人の車に乗せてもらっていながら、感謝するどころか、乗せてもらっている負い目を感じるのが嫌で、わざと、横柄な態度をとるばかりでなく、ぞんざいに、車のあちこちを弄り回し、貶せる所をほじくり返して、貶しまくるという、苛烈な馬鹿が、決して少なくない割合で存在します。

  もし、相手が、親しい人間なら、やんわりと、「そういう事は、言うもんじゃない。 自分が同じ事をされたら、嫌だろう」と諭してやるべきですな。 「冗談だよ、冗談!」などと、その場では、笑ってごまかされてしまうかも知れませんが、こちらの言った事が、じわりと効いて、恐らく、二度としなくなるでしょう。 遅れ馳せながら、常識の片鱗を知って、ほんのちょっと、大人になれたわけだ。

  さして親しくない相手なら、車を停め、引きずり下ろして、「この馬鹿が。 他人の車に乗ろうなんて、二度と思うな」と言い放ち、そこへ捨てて行くべきでしょう。 そして、職場でも学校でも、共通の知人がいる場で、「あいつには、こういう事をされた」と、先手を打って喋りまくるのが良いと思います。 そういう馬鹿は、自分のどこが悪いのか分からなくて、他の人間に対しても、同じ事をするので、いずれ、評判が悪くなって、誰も相手にしなくなります。




  9代目カローラ。 2000年から、2006年まで、生産・販売されていた型です。 実は私、この車を工場で作っていました。 ほとんど、記憶がないのは、やっていた仕事が、タイヤ取付で、他の車種も、やる作業は同じだったからです。 ちなみに、私が勤めていた工場だけではなく、他の工場でも、同じ車種を生産していました。

  自分で作っていた事とは関係なく、このカローラのデザインはいいと思います。 パッケージングに、全く無駄を感じさせない一方で、特徴もあって、良く纏まっています。 惜しむらく、この型が現行だった頃には、もう、セダン人気が落ち込みきっていて、カローラといえども、かつてのような大量販売など、望むべくもありませんでした。

  2000年代初頭の2時間サスペンスに、覆面パトカー役で、この車が登場すると、「ああ、いいなあ」と思うのですが、それは、ノスタルジーではなく、逆に、このデザインが、古さを感じさせないからでしょう。 下手に、カッコつけようとしていない分、この後の10代目よりも、成熟感は高いと思います。 この型に、今でも乗っている方々には、無理してでも、乗り続けていただきたいもの。



≪写真右端≫
  ダイハツの、ミラ・ココア。 2009年から、2018年3月まで、生産販売されていた車。 モデル・チェンジはせずに、一代限りで終わってしまったようです。 たぶん、「キャスト」が、後継車という事になるのでしょうが、ココアは、完全に女性向けなので、ほとんどのユーザーは、ココアの後に、キャストに乗り換える事はしないと思います。

  デザインは、「女性向けレトロ」とでも言うべきコンセプトに、ピッタリ合っていて、大変良いです。 「ルノー4」のパクリと分かっていても、貶す気にならないから、大した完成度。 ほぼ同じコンセプトの、スズキ・ラパンを横目に見て企画されたものだと思いますが、ラパンの、初代(2002年-2008年)には、僅かながら勝り、2代目(2008年-2015年)には、普通に勝ち、3代目(2015年-)には、圧勝というところ。

  ホイール・カバーのデザインが凝っていて、それがまた、質感を盛り上げるのに、大きな役割を果たしています。 シルバー単色のホイール・カバーを付けた車と並べて見ると、段違いに良い。 大抵のアルミ・ホイール車と比べても、こちらの方が勝っていると思います。 もっとも、ツートンのホイール・カバー、もしくは、アルミ・ホイールというのは、過去の他の車でも例があり、ココアの発明というわけではないようですが。

  この車を見るたびに、女に生まれなかった事が、悔しくて悔しくて、地団駄踏む思いです。 ちなみに、男が、これに乗るのは、かなり、無理があります。 その人のイメージが悪くなるのを心配しているのではなく、車のイメージを悪くしてしまうので、控えてもらいたいもの。

≪写真中央≫
  ダイハツの、初代ミラ・イース。 2011年から、2017年まで、生産・販売されていました。 ハイブリッドではないのに、ハイブリッド並みの燃費を実現していた、稀有な車です。 しかも、70万円台と、驚くほど安かったのだから、凄い企画もあったもの。 ハイブリッド車は、元が取れない、マヤカシ技術だと思いますが、イースだけは、本当の低燃費車と言えます。

  デザインもいいと思うんですが、リヤコンに、LED球を並べていたのが気に入らなくて、「あれさえ、変われば、買うのになあ」などと、具体的に買う予定もないくせに、思っていました。 結局、最後まで、変わりませんでしたけど。

  この写真の車は、前期型ですが、後期型になると、フロント・バンパーの下の方のデザインが変わり、フォグ・ランプのダミーのような整形になってしまいました。 あんなのにするくらいなら、前期型のままの方が、ずっと良かったのに。

≪写真左端≫
  ダイハツの、5代目ムーヴ。 2010年から、2014年まで生産・販売されていた型。 これの前の、4代目が、歴代ムーヴの中では、最も、デザインが纏まっていたと思うのですが、5代目は、ちょっと、崩した感じですな。 恥ずかしながら、私は、前側だけ、パッと見たのでは、4代目と5代目の区別が付きません。 横に回って、プレス・ラインの位置を見て、ようやく分かるという程度の認識です。


  ムーヴだけでなく、トール・ワゴン全てに言える事ですが、シートが高いので、もし、老人を乗せるのであれば、避けた方がいいです。 アルトやイースなど、普通の軽なら、お尻を先に乗せて、後から脚を入れるという順序で、体に負担をかけずに乗り込めるのですが、トール・ワゴンとなると、片足を先に入れ、手を、ドアやシート座面に踏ん張りながら、体を浮かせて、尻を乗せるという順になり、若い人間なら、何でもない事ですが、高齢者には、非常にきつい、もしくは、全くできない、乗り込み方になってしまいます。

  「年寄りを乗せるのだから、天井が高い方が、頭がぶつからなくて、いいだろう」とは、誰でも考える事ですが、乗り方を細かく分析すると、トール・ワゴンは、高齢者向きではないんですな。 ワン・ボックスなら、尚の事で、体が利かなくなっている人に、高いシートに這い上がれというのは、限りなく、拷問に近いです。



≪写真上≫
  逆光で、分かり難くて、申し訳ないのですが、向かって左側の車は、ダイハツの、エッセです。 2005年から、2011年まで、生産・販売されていた車。 一代限りで、終わったようです。 比較的、廉価で、ダイハツ車の入門モデルという位置づけだったとの事。

  ミラ・ココアの時に、「ルノー4のパクリ」と書きましたが、このエッセは、それ以上のパクリ度で、「ルノー5のパクリ」だと思います。 最初に見た時に、「ややっ! これ、いいのかいな?」と、他人事ながら、心配になりましたから。 ルノー4とココアの方は、指摘されなければ気づかない人も多いと思いますが、ルノー5とエッセは、両方を見た事がある人なら、誰でも気づくレベルの似方です。 似せ方というべきか。

  後ろ姿は、違うように見えるかもしれませんが、ルノー5には、ミッド・シップに改造した、ターボ車がありまして、そちらも有名でした。 そのルノー5・ターボの、特徴的なオーバー・フェンダーを、エッセでは、リア・バンパーのデザインで写しているように見えます。 とことん、ルノー5のイメージを戴いているわけですな。

  「オマージュ」という言い方は、映像作品では良く使われますが、製品デザインの場合も、使えるんですかね? 10年くらい前、中国の新興自動車メーカーの幾つかが、日本車そっくりの車を出していた時、日本では、「パクリ! パクリ!」とボロクソに扱き下ろしていたのですが、そういう人達が、ちょうど、その頃に売られていたエッセを、どういう目で見ていたのか、訊いてみたいです。 「オマージュ」と言いますかね? まさか、「ルノーの許可を取っていたに違いない」なんて、言わないだろうね?

  あまりにも、ルノー5に似過ぎているので、デザインに関しては、評価のしようがありません。 大抵の人は、エッセを見ると、「いいデザインだ」と感じると思うのですが、それは、エッセのデザインが優れているのではなく、モデルになった、ルノー5のデザインが優れているという事なんですな。

  とはいえ、エッセを買っていたのは、恐らく、世代的にも、性別的にも、ルノー5を全く知らない人達だったと思うので、「似ている」と指摘しても、「それが、どうした?」と言われるのがオチだと思います。

≪写真下≫
  右側の黒い車は、ますます、写真が悪くて、恐縮ですが、日産で販売されていた、3代目モコです。 期間は、2011年から、2016年まで。 生産は、スズキで、3代目MRワゴンの相手先ブランド供給製品。 スズキより日産の方が販売力が強いので、かなりの数が売れたものと思われます。

  デザイン的には、これも、いい評価はできません。 後ろ姿には、個性があって、私が好きというわけではないものの、ああいう形を好む人もいると思のですが、前がねえ・・・。 元になった、3代目MRワゴンの方は、ヘッド・ライトの形に特徴があって、「困ったナー」という感じの目つきが面白かったのに、このモコでは、オーソドックスな形に変えられて、後ろ姿とのバランスが崩れてしまっています。

  そもそも、日産も、なんで、ワゴンRの4代目・5代目を、供給して貰わなかったんですかねえ? そうしていれば、馬鹿売れしたと思うのですが。 同じスズキが作った、トール・ワゴンでも、大違いです。 モコは、3代目で終わり、その後継車は、日産と三菱が共同開発した、デイズになるのですが、3代目モコに比べると、デイズは、劇的に良くなった感じがしますねえ。




  今回は、以上、5台まで。

  このシリーズ、写真の在庫は、まだ十数枚ありますが、今現在は、増えていません。 なかなか、私が食いつきたくなるような、古い車がなくてねえ。 90年代の車は、まだ、見かけますが、80年代となると、もう、ほとんど、姿を見ませんなあ。 86とか、2代目ソアラとか、その筋の人達が好みそうな車なら、残っていますが、私は、そういう車に、まるっきり興味がないのです。

  ネットの中古車サイトで、古い軽を探すと、アルト・ワークスとか、ミラXXとか、ハイ・パワー・スポーツ・バージョンの残存率が高いのが分かりますが、「車好き」=「スポーツ走行好き」という図式には、否定し難いものがあります。 残念ながら、普通の車に乗っている人達は、どんどん、新しいのに買い換えて、古い車は、廃車にされてしまうのでしょう。

2018/07/22

セルボ・モード補修 ⑫

  車の修理・整備記録のシリーズ。 買ってから、2年目の終わりに近づき、今年は、7月20日までに車検を受けねばならなかったのですが、これといって、車検対策を取るという気がなくて、車検前の最大のイベントは、オイル・フィルターの交換だと思っていました。 この頃は、まだ、能天気に暮らしていたわけですな。 




≪オイル交換≫

  5月22日に、半年に一度のオイル交換をしました。 去年の11月から、ドレン・ボルトを外す、下抜きで行く事にしたので、やる事は前回と同じです。

≪写真上≫
  近所を一回りして、エンジンを温めてから、カー・ステップを組んで、前輪を10センチ持ち上げました。 下に潜る為に、ダンボール箱を開いて、敷きます。 レジャー・シートなどより、ダンボールの方が、背中の滑りがいいです。 前回、廃油が飛び出して、地面のコンクリートを汚してしまった失敗に懲りて、今回は、オイル・パンの下に、まず、大きいビニール袋を敷き、その上に新聞紙を敷いてから、廃油トレイを置きました。

≪写真中≫
  ドレン孔が後ろを向いているせいで、ボルトを抜くと、廃油が後ろに飛び出すわけですが、それを受ける為に、新聞紙をガム・テープで貼って吊り下げ、壁を作りました。 廃油は、新聞紙に当たって、廃油トレイに全て入りました。 よしよし、少しはノウハウが蓄積されたようだな。

  ちなみに、ドレン・ボルトは、普通の長さ(20センチ弱)の、コンビネーション・レンチがあれば、緩める方も、締める方も、簡単にできます。 初めて緩める時に、硬過ぎて回らない場合は、もっと長いのを使うのもアリですが、締める時には、長いのを使うと、オーバー・トルクになって、ネジ山を潰してしまうので、要注意。 長いレンチでも、短く持って締めるのなら、OKです。

  どのくらい締めればいいかは、言葉では伝わり難いところがあります。 最初、軽めに締めて、オイルを入れた後、漏れるようなら、少し力を入れて締め増すくらいが、コツと言えば、コツ。 いきなり、思い切り締めるのは、とにかく、まずいです。 よほど、怪力の人でない限り、普通の長さのレンチを普通に持って、一回だけ、グッと締めれば、大体、大丈夫なんじゃないでしょうか。

  それ以前に、ボルトの斜め入りには、注意して注意し過ぎる事がないくらい、注意すべき。

≪写真下≫
  ドレン・パッキン。 去年の11月に、3枚入りのを買いました。 右側が、使用済み。 ボルトの笠の痕がついています。 左側は、新しく付けた方。 ドレン・パッキンは、何回か使う人もいるようですが、1枚30円程度の安いものなので、毎回、新しくした方が無難だと思います。 材質は、アルミか、銅。 ある程度、押し潰される事で、隙間をなくす仕組みでして、再使用には、限度があります。

  オイル交換だけなら、この後、新しいオイルを入れるわけですが、今回は、オイル・フィルターの交換もしたので、手順が変わりました。



≪オイル・フィルター交換≫

  廃油を抜き、ドレン・ボルトを締めた後、オイル・フィルターの交換に着手しました。 オイル交換は、車を所有している限り、半年に一度はやり続けなければなりませんが、フィルターの方は、1万キロに1回という指定なので、たぶん、これが、最初で最後になると思います。 ちなみに、去年の5月から、今日までの走行距離は、863キロで、年間、千キロを割ってしまいました。

≪写真1≫
  去年、フィルター交換の為に買い揃えた、フィルター・キャップ・レンチと、ジョイント類ですが、全部で、7パーツも繋いでいたも拘らず、ちゃんと、回せました。

  ラチェツト・レンチやジョイント類は、他の用途でも使えるものの、キャップ・レンチは、これ一回で、お役御免となります。 勿体ない話ですが、フィルター交換を整備工場に頼んだ場合の工賃より、キャップ・レンチの値段(259円)の方が、ずっと安いのですから、是非もなし。

≪写真2左≫
  前のナンバー・プレートを外すと、バンパーに穴が開いていて、そこから、中を覗くと、こんな風になっています。 青緑色の丸いのが、エンジン・オイル・フィルターです。 前回、いつ、交換したのかは、不明。

  キャップ・レンチを被せ、ジョイントを繋いで、ラチェット・レンチを回したら、最初はきつかったものの、何とか、緩みました。 緩み出すと、すぐに、フィルター内の廃油が流れ出て来るので、予め、真下に、廃油トレイを持って来ておく必要があります。 エンジンの表面が廃油で汚れるのは、避けられないので、流れきった後で、拭き取ります。

≪写真2右≫
  フィルターを外すと、エンジン側は、こんな感じ。 写真がブレていますが、ブレている事に気づいたのは、新しいフィルターを付けた後でして、撮り直す事ができませんでした。 申し訳ない。

≪写真3左≫
  外した、古いフィルター。 外れたはいいんですが、キャップ・レンチが取れなくなってしまい、ハンマーで側面を叩いて、無理やり、取りました。 廃油を抜いてから、資源ゴミ・金属類へ。

  日東工業の「ファースト・グリッド オイル・フィルター <SU-12>」という製品です。 今でも売られていますが、別に、純正品でもないし、値段が最安ではなかったので、同じ物に拘りはしませんでした。

≪写真3右≫
  去年の6月に買っておいた、新しいオイル・フィルター。 アルプス工業の「AO-801」。 アマゾンのオートパーツエージェンシーという店で、513円。 送料が、640円かかったものの、エア・フィルターと一緒に買ったので、実質半額の送料でした。 オイル・フィルターは、ホーム・センターでも、800円台で売っているところがあったのですが、エア・フィルターの方の送料を半額にしたかったから、一緒に買った次第。

≪写真4≫
  新しいフィルターを取り付けました。 本当なら、締め付けトルクを合わせるのですが、トルク・レンチを持っている人は、稀なので、もっと簡便な方法が用意されています。 フィルターのゴム・パッキンが、エンジン側に接したところから、指定された回転数まで閉め込むというやり方です。

  このフィルターの場合、指定回転数、4分の3回転です。 手で回して行って、接触したところで、フィルターにテープを貼ってバミり、キャップ・レンチを被せて、4分の3回したら、それ以上、回らない程度に締まりました。 なるほど、そういう風に出来ているのか。

  ちなみに、フィルターを付ける前に、ゴム・パッキンに、指で、エンジン・オイルを塗っておきます。 これは、フィルターの取説に書いてあります。 締め付け中に、ゴムが捻れないようにする為だそうです。


  この後、エンジン・オイルを入れ、エンジンをかけ、オイル量と、下から漏れてないかを確認し、作業終了しました。 オイル・フィルター交換は、もし、次があるとしても、8年後か、10年後です。 それまで、セルボ・モードに乗っているかどうか、大いに怪しいところ。




  前文で、少し匂わせたように、この頃の私は、まだ、車検をナメきっていて、オイル・フィルターの交換が終わったら、そのまま、車検に出す気でいました。 恐れを知らぬ子供のように、甘~い考えに浸りきっていたのです。 すでに、この頃、走行中に、ブレーキ警告灯が、点いたり消えたりするという、明らかな異常サインを車が発していたにも拘らず、何もしないで、車検に出すつもりでいたのです。 呆れたもんだ。

2018/07/15

読書感想文・蔵出し (40)

   読書感想文です。 コリン・デクスター作品の続き。 デクスター作品が、途轍もなく優れているとか、無茶苦茶に面白いとか、そんな風には思いませんが、今までに読んだ推理小説と比べると、読み応えが、数段上という感じがします。 専ら、文学的な趣きがあるという点で。 かといって、その方向に、押し進め過ぎると、トリックや謎が浮いて、陳腐化してしまいそうです。 デクスター氏は、絶妙なところで、バランスを取っているわけだ。




≪ジェリコ街の女≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1982年6月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 私が、1994年の夏に、デクスター作品を何冊か読んだ時にも、たぶん、この本は、沼津の図書館にあったはずですが、その時には、読んでいないと思います。 全く、記憶に残っている部分がなかったから。 もっとも、24年も前の記憶なんて、当てになりゃしませんが・・・。

  発表は、1981年。 コリン・デクスターの第5作。 前作から、2年開いてますね。 次第に、ペースが落ちて行ったんでしょうか。 デクスターという人は、長編を、全部で、13作しか書かなかった人で、明らかに、多作タイプではないです。 作品数を増やす事より、一作一作を充実させる方にエネルギーを傾注したのかも知れません。


  モース警部が、あるパーティーで、ドイツ語の個人教授をしている女性と知り合うが、その後、一度も再会できないまま、半年後、彼女は、自宅で首を吊った姿で発見される。 続いて、すぐ向かいに住む便利屋の男性が殺される。 二つの事件が関係している事が明白になった時点で、担当を引き継いだモース警部が、ルイス巡査部長と共に、女性が死んだ原因を探り、男性が関わっていた恐喝事件の謎を解いて行く話。

  これが、ちょっと、凝った話でして、入り組んだ構造になっています。 暈して書くと、何がなんだか分からなくなってしまいそうなので、もろ、ネタバレさせてしまいますと、最初に起こる、女性の死は、結論、自殺でして、その動機の解明が問題になります。 二人目の、便利屋の男性の死は、殺人で、彼が殺された原因が、自殺した女性が残した手紙をネタに、女性と関係していた男をゆすったからというもの。 つまり、殺人事件は一件なんですな。

  女性が自殺した動機として、ギリシャ神話の、「オイディプス王の悲劇」を、ほぼ、そのまま、なぞってしまったのだという、モース警部の推理が展開され、仰天します。 あまりにも、そのまんまなので、「ちょっと、軽薄すぎる取り入れ方なのでは?」と違和感があったのですが、その後、ルイス巡査部長が、女性の経歴を調べてみると、その推理が全く間違っていた事が分かり、読者としては、拍子抜けすると同時に、「やっぱり、デクスター作品で、神話そのまんまは、ないよなあ」と、納得します。

  これが、作者が意図的に入れた誤推理なのか、それとも、本命の謎のつもりで書いたけれど、あまりにも、こじつけが過ぎるので、後で、誤推理にしてしまったのかは、分かりません。 モース警部は、最終的には謎を解くものの、誤推理も頻繁にやらかす探偵役で、その間違いの多さが、彼のキャラクターに、他の名探偵には見られない、リアリティーを与えているという面もあります。

  で、本命の謎は、入れ替わり物、つまり、人物が、すり替わっているわけですが、そちらの方です。 すり替わり方の工夫は、よく練ってあると思いますけど、入れ替わり物は、昔から、よく書かれているので、新味は感じません。 また、こういうアイデアは、映像化するとなると、更なる工夫が必要になります。 観客や視聴者は、その人物の顔が映った時点で、すり変わっている事に、気づいてしまいますから。 小説ならではの、アイデアなわけだ。

  この作品でも、モース警部は、恋愛をするわけですが、それは、事件に関わる、きっかけとして、盛り込まれているに過ぎず、本格トリック物として、焦点がボケているわけではないです。 どうも、デクスターという人は、「ヴァン・ダインの二十則」を、わざと崩そうとしていたように感じられますねえ。 モース警部が熱心なのは、「恋愛」ではなく、「女遊び」なのではないかという気もしますが、それでも、二十則に抵触する事に変わりはないです。



≪謎まで三マイル≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1985年3月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 未読でした。 かなり、くたびれており、一部のページに、水濡れ痕もあります。 ただし、水没はしていないようです。 ページが、1枚だけ、分離していました。 私が壊したと疑われるのも嫌なので、木工用ボンドを少量つけて、接着しておきました。 本来は、そういう補修は、図書館の職員に任せるべきなのですが、私が歳を取ったせいか、そういう、やり取りが面倒臭くてねえ・・・。 

  発表は、1983年。 コリン・デクスターの第6作。 これも、前作から、2年開いています。 デクスターは、≪死者たちの礼拝≫、≪ジェリコ街の女≫と、二作続けて、英国推理作家協会の賞を受賞し、この作品もノミネートされたものの、他の作家の作品が粒揃いの年だったせいで、三作連続の受賞は逃したと、訳者あとがきにあります。


  オックスフォード大学・ロンズデール・カレッジの学寮長の座を狙って、対立関係にあった二人の教授が、相次いで、姿を消した後、運河に、首と手足が切断された身元不明の死体が上がる。 行方不明になっているどちらかの死体ではないかという見込みで、捜査が始まるが、教授の一人に、第二次世界大戦中の遺恨を抱いている双子がいると分かり、死体の候補者は、4人まで増え、ますます、混迷する話。

  以下、ネタバレ、あり

  何というか、コリン・デクスターの面目躍如という感じの作品で、大変、複雑な話です。 読み終わってから、振り返ると、事件の内容そのものは、繰り返しパターンが使われているので、割とすっきりした構図なんですが、読んでいる間は、何がなにやら、どうなっているのやら、さっぱり、分かりません。 ところが、面白いんですわ。

  読者が謎を解くタイプの推理小説としては、複雑過ぎて、失格。 しかし、面白い事は疑いないので、小説としては、大変、よく出来ていると言えます。 デクスターという人は、ストーリーを語るのが巧いんですな。 どんな書き方をすれば、読者が喰い付いて来るか、勘所を、しっかり掴んでいるのだと思います。

  冒頭近くから、最後まで、一本通った謎として、「運河に上がった死体は、一体誰なのか?」というのが、気にかかり続けるわけですが、種明かしをされると、「はあ?」という感じで、強烈な肩透かしを喰います。 なんと、肩書きだけで、名前すら出て来ない、読者が全く忘れていた人物なのです。 だけど、それで、腹が立つ事はないです。 犯人が取るに足らない人物だったら、ヴァン・ダインの二十則的に反則になりますが、被害者が取るに足らない人物の場合、何の問題もないわけだ。

  この作品、まず、アイデアを思いついてから、書き方を、練りに練って、組み上げたんでしょうねえ。 事件の方は、大きな思い違いが二つ重なるという偶然に頼っている点や、「学寮長選挙の悶着程度で、バラバラ殺人までやるか?」という点で、ちょっと、リアリティーが足りない感じもしますが、なんと言っても、話が面白いので、そういう欠点は、気になりません。

  デクスターの文体は、地の文が長くなり過ぎる事がなく、会話が適度に配されている上に、一場面一場面がぶつ切りになっているので、読む側の負担は、重くないです。 1994年に、何作か読んだ時には、「とにかく、難しい」と思ったのですが、今は、むしろ逆で、「読み易いといえば、これほど、読み易い推理小説も珍しい」と感じています。 それでいて、長編推理小説にありがちな、空疎な描写がなくて、時に、純文学のような深みを感じさせる文章が出てくるから、興味深い。 どういう読書歴を積み重ねれば、こういう作品が書けるんでしょうね?



≪別館三号室の男≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1994年6月 初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 沼津図書館のデクスター本は、新書版が多いのですが、この作品に関しては、文庫版しかありませんでした。 購入方針に統一性がないのか、それとも、どちらのシリーズも、一揃え購入したけれど、盗まれたり、破損・汚損たりして、欠けてしまったのか・・・。 これは、未読でした。 

  発表は、1986年。 コリン・デクスターの第7作。 前作から、3年経っています。 だんだん、間隔が開いて行くわけだ。 それでも、充分、暮らして行けるのなら、多作作家より、寡作作家の方が、作品の質は、良くなるでしょうねえ。 もっとも、常に、〆切りにせっつかれていないと、創作意欲が衰えてしまうというタイプの人もいるようですから、一概には言えませんけど。


  あるホテルで、年越し・仮装パーティーが開かれた後、別館の三号室で、アフリカ系イスラム教徒に仮装したままの、男の殺害死体が発見される。 宿帳の名前は仮名で、死体の身元は不明。 その上、その夜、別館に宿泊した客、数組の身元も分からず、捜査は回り道を余儀なくされる。 やがて、ある夫婦と、その妻の不倫相手が、事件関係者である事が分かるが、容疑者には、アリバイがあり・・・、という話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  凝ってますなあ。 なるほど、3年考えると、こういう話ができるわけですなあ。 一見、テキトーに書いて行って、成り行き任せで仕上げたような感じを受けるものの、よく考えると、そうでない事が分かります。 終わり近くで、容疑者が逮捕された後に、アリバイがあるという主張がなされ、一度、引っ繰り返るのですが、そのアリバイ・トリックが、メインの謎になっており、そこを最初に考えておかないと、始めの方に出て来るパーティー場面の描写が、意味をなさなくなってしまうからです。 

  トリックは、物質的なものをベースに、人間の錯覚を利用しています。 ある物質について、使用経験がないと、分からない事でして、専門的過ぎる点が、フェアではないのですが、そもそも、デクスター作品は、読者に推理させるつもりで書いていないと思うので、別に、瑕にはなりません。 面白ければ、フェアか、アンフェアかなんぞ、問題ではないです。

  例によって、モース警部と、ルイス部長刑事のコンビで捜査して行くわけですが、この作品では、ルイス部長刑事の出番が多く、独自の推理も披露され、単なる助手ではない事が印象づけられます。 よく、名探偵役とコンビを組む登場人物を、「ワトソン役」と言いますが、ルイス部長刑事の役回りは、ワトソン氏から、だいぶ遠いです。

  モース警部のロマンスは、この作品でも盛り込まれていますが、相手の女性の方から近づいてくるパターンで、今までとは、少し違います。 しかも、相手の女性が、事件関係者は事件関係者でも、単なる証言者である関係で、謎には直接関わって来ず、全体的に見ると、オマケのようなエピソードに留まっています。

  モース警部は、ポルノ本に目がなくて、事件現場で見つけた証拠品でも、その場で、すぐ見始めるという、およそ、名探偵らしくない癖があるのですが、それを、わざと、キャラ設定しているところが、面白い。 この作品では、ルイス部長刑事との会話の中で、「わたしも隠れた色情狂だ」と口にしかけてしまうのですが、それでも、名探偵役として、別段、問題がないだから、よくぞ、こんな人物を創作したものだと感心します。



≪オックスフォード運河の殺人≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1996年6月 初版 2003年11月 4版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 この作品は、1994年に読んでいます。 読んでいるだけでなく、話の内容を、割とはっきり覚えていた、唯一の作品です。 その時には、新書版で読んだんですが、今回は、文庫版があったので、そちらを借りて来ました。 懐かしさよりも、小奇麗さを選んだ次第。 今世紀に入ってから購入されただけあって、汚れが少ない本でした。

  発表は、1989年。 コリン・デクスターの第8作。 この作品も、前作から、3年経っています。 この頃は、そういうペースで書いていたようですな。 89年というと、昭和が終わり、平成が始まった年。 そして、私が、専門学校を中退し、最も長くいた会社に就職した年です。 もう、30年近い歳月が流れてしまったか・・・。 デクスターとは、何の関係もない事ですが・・・。


  胃潰瘍で入院したモース警部が、同室で、すぐに亡くなった大佐の遺族から、大佐が書いた本を記念に贈られる。 本の中身は、19世紀半ばに、オックスフォード運河で起こった殺人事件と、その後の裁判を記録したものだった。 事件の内容に疑問を持ったモース警部が、図書館や警察の資料を、ルイス部長刑事らに調べてもらい、入院しながらにして、130年前の事件を解決しようと試みる話。

  以下、ネタバレ、含みます。

  1994年に読んだ時の記憶が、割とはっきり残っていた、と書きましたが、なぜかというと、面白いんですよ。 デクスター作品の中でも、変わり種で、その時現在に起こった事件ではなく、とうの昔に決着がついている事件を、資料や、当時の遺物を頼りに、検証しなおして行くというところが、この上なく、ゾクゾクします。 ゾクゾク感がある事は、推理小説の重要要素ですが、その点、この作品は、飛び抜けて、優れています。

  警察署の整理中に、130年前の証拠品が出て来る場面とか、被害者が住んでいた家が、まだ残っていて、壁紙を何枚か剥がした裏から、丈比べの書き込み線が出て来る場面とか、もーう、たまりませんな。 出来過ぎているという点で、リアリティーを損なう嫌いがないでもないですが、何せ、話が面白いので、その出来過ぎに、進んで、つきあいたくなるのです。

  退院したモース警部が、アイルランドまで出かけて行って、被害者の夫の苔むした墓を掘り起こすところも、面白い。 大昔の事件で、今更、解決したって、何の意味もないのに、ただ、「謎を解かなければ、気が済まぬ」という一心で、そこまでやってしまうモース警部の病的拘りが、たまらなく、面白いのです。

  面白い面白いばかりで恐縮ですが、19世紀半ばの事件なのに、保険金が絡んでいるというのが、また、面白い。 イギリスでは、そんな昔から、生命保険が普及していたんですねえ。 日本で生命保険が普及するのは、戦後ではないかと思いますが、イギリスは、100年近く早かったんですな。 普通に驚かされる話です。

  デクスター作品を一冊だけ読むのなら、これを薦めますが、たぶん、これを読めば、他の作品も読んでみたくなると思います。 デクスター作品を楽しむコツは、読みながら謎解きをしようと思わず、普通の小説を読むように、ストーリーの流れに身を任せて、ダラダラと、読み進める事ですな。 なまじ、自分で解こうとするから、推理の材料が少ないとか、モース警部のやり方が論理的でないとか、粗ばかり見えてしまうのです。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪ジェリコ街の女≫が、5月25日から、6月1日にかけて。
≪謎まで三マイル≫が、6月2日から、6日。
≪別館三号室の男≫が、6月8日から、15日。
≪オックスフォード運河の殺人≫が、6月22日から、26日にかけて。

     今年の6月は、これといった予定がなく、楽に過ごせるだろうと思っていたのですが、当月になってから、いろいろと、予定外の、「やらなければいけない事」が発生し、読書の妨げになりました。 しかし、今は、一回に一冊しか借りて来ないので、読み切れないほどの切迫感はありません。 特に、推理小説なら、よほど、ゆっくり読んでも、二週間あれば、終わります。

2018/07/08

読書感想文・蔵出し (39)

   読書感想文です。 前回から、2ヵ月くらい経っていますな。 前回以降、どっぷり、コリン・デクスターの世界に浸っているので、クイーンやセイヤーズを読んでいたのが、遥か昔のように感じられます。

  なぜ、デクスター作品に向かったかというと、BSプレミアムで、2月10日から、4月7日まで、イギリス製のドラマ、≪刑事モース ~オックスフォード事件簿~≫を放送したのを見て、昔何冊か読んだのを懐かしく感じたから。 ただし、このドラマは、モース警部の若い頃を、ドラマ製作サイドで創造して描いたもので、原作とは、内容が全く違います。

  ワープロ日記を調べたら、1994年の7月頃に読んでいました。 すでに、大人になっていて、最も長く勤めた会社に入ってから、5年が過ぎ、バイクにも乗り始めていた頃ですが、それでも、充分に大昔ですな。 道理で、懐かしく感じるわけだわ。

  確か、3・4冊は、読んだと思います。 面白いものもあれば、ややこし過ぎて、よく分からないものもありました。 デクスターの名前を知ったのは、当時、新聞で、赤川次郎さんがエッセイ書いていて、その中に出て来たから。 夕刊のエッセイだったと思いますが、当時の夕刊は、文化の香りが高く、読み応えがありました。 それも、懐かしい。




≪ウッドストック行最終バス≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1976年11月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 実は私、この本を、1994年の夏に、一度借りて、読んでいます。 同じ図書館ですから、全く同じ本なのですが、昔は、もっと綺麗でした。 24年も経っているのだから、無理もないか。 沼津図書館には、デクスターの作品が、かなり揃っていそうなので、一通り読んでみようと思っています。 読めればの話ですが。 難しかった記憶あり。

  発表は、1975年。 イギリスの推理作家、コリン・デクスターの処女作で、モース主任警部が探偵役を務めるシリーズの、第一作でもあります。 この作者は、作家デビュー前は、オックスフォード大学で働いていたそうですが、教授・講師など、教える側だったのか、職員だったのかは分かりません。 それ以前は、中学の教師をやっていたとの事。


  ウッドストック行きのバスに乗ろうとしていた、若い女性二人の内、一人が、酒場の駐車場で殺される事件が起こる。 テムズ・バレイ警察のモース主任警部と、ルイス巡査部長は、女性二人が、バスに乗らず、ヒッチ・ハイクで目的地へ向かったと見て捜査するが、もう一人の女性に該当する人物が複数いた上に、嘘つきが混じっており、事件関係者の背後にある複雑な相関を解きほぐすのに、手間を喰う話。

  24年前に借りた時より、ずっと、気軽に読めました。 してみると、その頃と比べて、私の読書能力が上がったんでしょうなあ。 複雑は複雑ですが、難しいという感じは、全然しませんでした。 なぜ、昔は、この程度の小説に手こずっていたのだろう? この間に、古典推理小説を、100冊以上は読んでいるので、推理小説の作法に慣れたという事なのかも知れません。

  ちなみに、前回読んだのが、24年前であったにも関わらず、私は、犯人が誰か、覚えていました。 記憶力がいいのではなく、犯人指名の仕方が急転直下で、印象に残っていたのです。 処女作であるせいか、犯人指名の場面で意外性を強める為に、工夫した跡が見られます。 三人称なのですが、後に犯人と分かる人物の心理を、読者にそれと知らせずに描いている部分があって、些か、アンフェアな嫌いもありますが、1975年頃となると、もはや、フェアだアンフェアだと目くじら立てる人もいなくなり、面白ければ、何でもアリになっていたのだと思います。

  この作者の特徴ですが、描写が細かくて、推理小説というより、一般小説のような文体です。 一般小説の文体で、推理小説の平均を遥かに上回るパズル性を盛り込んだのだから、緻密な内容になったのも不思議はないです。 この作品に限って言えば、ラストに、謎解きの重心が寄り過ぎていて、それが始まる前の時点では、誰が犯人で、どういう動機で、どういう経過で事件が起こったのか、さっぱり分かりません。 分からないように、書いてあるんですな。

  謎はあるけれど、トリックはなくて、「成り行き上、そうなってしまった」という事件なのですが、ちと、偶然が過ぎるような気がしないでもなし。 バスがなかなか来なくて、困っている時に、知り合いの車が通りかかる確率って、どのくらいなんですかね? その点は譲って、事件が起こるところまでは、アリだとしても、これだけ複雑な人物相関があるのを、警察が全て見抜いてしまうというのも、現実には、ありそうにないです。



≪キドリントンから消えた娘≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1977年12月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 デクスターの本は、1994年の夏に、何冊借りて、読んでいるのですが、この作品は、初見だったようで、一ヵ所たりとも、覚えている部分がありませんでした。 いくらテキトーに読んだとしても、完全に記憶から消えてしまうというのは稀で、何かしら、どこかしら、覚えているものです。 それがないという事は、つまり、読んでいなかったわけだ。

  発表は、1976年。 イギリスの推理作家、コリン・デクスターの第2作。 一年に一作のペースで、発表していたようです。 1976年か・・・、アメリカ建国200周年の年ですなあ。 市川崑監督の映画、≪犬神家の一族≫が公開された年でもあります。 私は、小学5年生から、6年生になる年でした。 その頃、地球の裏側で、この小説が書かれていたわけだ。


  キドリントンに住んでいた女子学生が失踪してから2年後、その行方を追っていたエインリー警部が事故死し、娘の手紙が親元に届いた事で、モース警部とルイス巡査部長に、継続捜査の命が下る。 娘は殺されていると考えたモースは、関係者に聞き込んで、様々な推理を逞しくするが、なかなか、真相に辿り着かない話。

  これは、ひどい。 いや、ひどいという事はないのですが、こういう話とは、思っていませんでした。 掟破りではないものの、推理物の中では、悪いパターンです。 モース警部が、推理を幾つも組み立てるのに、それらが、ことごとく外れて、空振りしまくるのです。 失敗失敗の連続。 これでは、有能な探偵役とは、とても言えません。

  幾つもの推理を並べれば、ページ数は稼げますし、複雑な話になりますが、それは、作者側の都合です。 読者側が知りたいのは、最後の一つの、正しい推理だけでして、探偵の間違いにつきあって、あれでもない、これでもないと振り回されるのは、疲れるだけです。 また、中途放棄された推理の断片が、読者の頭に残ってしまうので、最終的に正しい推理が説明されても、すっきりせず、気持ちの悪い読後感になってしまいます。

  2年前に消えた娘が、生きているのか、死んでいるのか、それさえも、ラスト近くまで分からないのですから、読者側で、推理しながら読むのは、全く不可能。 しかし、デクスター作品は、そもそも、そんな読み方を許していないという見方もできます。 推理小説というより、一般小説に近く、モースやルイスが捜査を進める様子を見て楽しむのが、本来の読み方なのかも知れません。

  モースは、理詰めで謎を解くのではなく、インスピレーションで推理して、それを、捜査で裏付けるという手法を取ります。 インスピレーションですから、何でもアリでして、モースが探偵役として優れているという印象は、全くありません。 推理物に必須の、ゾクゾク感もないです。 ただ、一般小説として読むのなら、決して、つまらないという事はないです。


  どうでもいいような事ですが、モースが乗っている車が、第1作では、「ランシア」と書かれていたのが、この第2作では、「ランチア」に変わっています。 「LANCIA」は、イタリアの自動車メーカーでして、日本では、「ランチア」と言われています。 第1作が訳された1976年の時点で、訳者が、それを知らなかったのか、それとも、日本で、「ランチア」という読み方が一般化していなかったのかのどちらかでしょう。 スーパー・カー・ブームは、1975年からですが、翻訳家が、≪サーキットの狼≫を読んでいなくても、別に不思議ではないですな。

  で、ランチアの、何という車種だったかは、書いてありません。 1975年に売っていたというと、「フルヴィア」か、「ベータ」か・・・。 「モンテカルロ」は、スポーツ・カーだから、違うと思うんですが。 モースのイメージに合うというと、「ベータ」ですかね。 「デルタ」なら、もっと合いますが、75年では、まだ出ていません。



≪ニコラス・クインの静かな世界≫

ハヤカワ・ポケット・ミステリ・ブックス
ハヤカワ・ミステリ
早川書房 1979年1月初版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  沼津市立図書館にあった本。 1994年の夏に、何冊か借りて読んだ内の一冊。 話の内容は、ほとんど忘れていましたが、作中に出てくる小謎、「横書きの文章を、右端の単語だけ、縦に読む」というのだけ、覚えていました。 それだけしか覚えていないというのは、我ながら、見事な忘却力と言うべきか・・・。

  発表は、1977年。 コリン・デクスターの第3作。 原作の方は、一年一作のペースが守られていたようですが、日本語訳の発行は、間に合わなかったようで、年を越えて、前作から、2年目に入ってしまっています。 1977年は、私が小学校を卒業して、中学生になった年。 まだ、読書は始めたばかりで、友人が読んでいたものを、真似して読むという程度でした。 推理小説は、ホームズ物の文庫を買い始めたのが、この年か、翌年です。


  外国の学校に、英語の試験問題を提供し、採点もする委員会で、ニコラス・クインという若い男が、難聴のハンディーがありながら、新しく審議委員になるが、その3ヵ月後に、自宅で死体で発見される。 モース警部が捜査を続ける内に、被害者が読唇術ができたばかりに、たまたま、試験問題の漏洩を知ってしまったのが、事の発端である事が分かる。 モース警部が、関係者の嘘に振り回されながら、辛うじて、真犯人の逮捕に至る話。

  以下、ネタバレあり。 この話も、誤推理が繰り返されます。 真犯人ではない人物を、一人逮捕して、釈放。 また一人逮捕して、釈放し、ようやく、真犯人に辿り着くという、切れ味の鈍さ。 先の二人が、真犯人ではないという事は、残りのページ数から推して、読者にも、見当がつきます。 厳密に言うと、間違えて逮捕した内の一人は、共犯だったわけですが、主犯ではないです。

  誤認逮捕があるという事は、それらに至る推理は、間違っているわけで、読んでいる方は、頭がこんがらがります。 作者は、たぶん、表を作って、辻褄合わせをしながら書いていると思うので、混乱しないのでしょうが、読者は、そんな面倒臭い事はしないのであって、大変、分かり難いです。 表やメモを書き出しながら読まないと、意味が取れないような小説は、読み物として、失格と言ってもいいです。

  あるパーティーの席で、ある人達が、試験の不正について話してあっているのを、被害者が、たまたま、読唇術で読み取ってしまうという、そこだけ、ゾクゾク感があります。 コリン・デクスター作品は、「本格派」の中に入れられているのですが、トリックらしいトリックが使われず、専ら、謎だけで、話を構成しています。 それはそれでいいんですが、偶然や、嘘が重なって来るので、読者の推理を許さず、ただ、作者の説明を受け入れるしかないという点が、ゾクゾク感が不足する原因になっているように感じられます。

  モース警部が、誤認逮捕をやらかしているくせに、その都度、自信満々な態度を取る様子には、違和感があります。 この警部は、決して、超人的な名探偵ではなくて、ひらめきで、事件の大体の流れが掴めると、すぐに、犯人指名に及んでしまうタイプ。 ただ、間違っていたと分かったら、素直に引くので、嫌な感じはしません。 些か綱渡り的に、好感度を保っているキャラです。



≪死者たちの礼拝≫

ハヤカワ・ミステリ文庫
早川書房 1992年7月 初版 1996年9月 6版
コリン・デクスター 著
大庭忠男 訳

  相互貸借で取り寄せてもらった、掛川市立図書館の蔵書。 「新書版でも、文庫でもいい」と言ったら、文庫の方が来ました。 デクスターの作品は、日本では、早川書房が版権をもっているそうで、1976年から、まず、新書版のハヤカワ・ポケット・ミステリで発行され始め、最終作が出たのは、2000年。 文庫版は、1988年から追いかけ始めて、最終作は、2002年だそうです。 

  発表は、1979年。 コリン・デクスターの第4作。 前作から、一年以上開いていますな。 一年一作のペースが、きつくなって来たんでしょうか。 ちなみに、日本語訳の、新書版ハヤカワ・ポケット・ミステリの方は、発行年が、1980年で、原作発表の一年後です。 1979年というと、私は、中2から中3になった年です。 市川崑監督の横溝正史シリーズが、≪病院坂の首縊りの家≫で、終わった年。 デクスターとは、全く関係ないですけど。


  ある教会で、平日ミサの最中に、教区委員をしている男が、奥の部屋で刺し殺され、翌月には、牧師が塔の上から転落死する。 休暇中だったモース警部は、ギリシャ旅行に出かけ損ねたせいで、この事件に、たまたま、首を突っ込んでしまう。 その後、更に、その教会に関わっていた人物が殺され続けるに至って、モース警部が捜査を任される事になり、ルイス部長刑事と共に、複雑な背景を持つ犯罪の謎を解き明かして行く話。

  以下、ネタバレ含みます。

  そんなに、面白いという小説ではないですな。 さりとて、目を吊り上げて扱き下ろすほど、つまらなくもないという、中途半端な読後感です。 ゾクゾク感は、全くなし。 という事は、推理小説としては、一級作品とは言えないわけですな。 しかし、腐っても鯛という奴で、ヴァン・ダイン作品と比べたら、プロが書いた小説という感じがしますし、クイーン作品と比べても、鼻につく登場人物が出て来ないお陰で、随分と読み易いです。

  休暇中の探偵役が、たまたま知った事件に首を突っ込んで、解決まで関わってしまうというパターンは、他の作家の作品でも、よくあります。 職業病で、休暇を楽しめない様子を見ると、滑稽さを感じるよりも、気の毒に思えてしまうのは、私だけかな? とはいえ、この作品では、事件が新展開を見せた後は、正式に、モース警部が担当する事になるから、後半は、遠慮なく、読む事ができます。

  問題は、起こる事件が、アホ臭く感じられるスレスレ手前程度に、複雑過ぎる事でして、その点、他のデクスター作品と同様に、読者に、「ついていけない」意識を強く抱かせます。 終わり近くになって、容疑者の一人の偽供述による、誤誘導が出て来るのが、また、厳しい。 てっきり、それが真相だと思って、読書の締め括りに入っていたら、その後で、モースに引っ繰り返されるわけですが、ドンデン返し的な驚きはなく、ただただ、「紛らわしい書き方だな」としか思いません。

  モースは、第一作の≪ウッドストック行最終バス≫で、恋愛をしていましたが、この作品でも、容疑者の一人と、恋愛関係になります。 恋愛関係と言うより、恋愛をすっとばかして、肉体関係まで行ってしまうのですが・・・。 探偵役の恋愛は、「ヴァン・ダインの二十則」では、禁じ手なのですが、デクスター作品だと、ストーリーの邪魔になっているような感じがしません。 モースのキャラ設定が、リアルに人間臭いお陰で、謎解きのパズル的要素と、恋愛要素が、反発しあう事がないからだと思います。

  クライマックスに、アクション場面が入っていますが、何とも、モース警部シリーズらしくない、浮いた描写になっています。 刑事物ドラマのクライマックスを、そのまま、文章で書いたような、安っぽさ。 これは、どういうつもりだったんでしょうねえ? モース警部シリーズがテレビ・ドラマ化されるのは、1986年からでして、この作品が書かれた時点では、映像化を意識した場面を入れる必要はなかったと思うのですが。




  以上、四作です。 読んだ期間は、今年、つまり、2018年の、

≪ウッドストック行最終バス≫が、4月14日から、18日にかけて。
≪キドリントンから消えた娘≫が、4月20日から、25日。
≪ニコラス・クインの静かな世界≫が、4月27日から、5月1日。
≪死者たちの礼拝≫が、5月14日から、18日にかけて。

  こうして見ると、デクスター作品に関しては、どれも、大体、4・5日で、読み終わっているようですな。 貸し出し期間は、最長で、2週間だから、一度に、2・3冊借りて来ても、読めない事はないのですが、昨今は、読書意欲が減退しているのか、そんなにガシャガシャ、先を急ぐ気にはなれません。 一回に、1冊借りて来て、読み終わっても、すぐには返さず、閑な日や、図書館がある街なかに行く用事がある日を選んで、返しに行き、次を借りて来る、というパターンになっています。

2018/07/01

良性発作性頭位めまい症


  母自(電動アシスト車)のサドルを、ヤグラを引っ繰り返して、より低くした、という記事を、先日書きましたが、その後どうなったかと言うと、母が、全く、自転車に乗らなくなってしまいました。 「乗れなくなった」と言った方が、正確でしょうか。 サドルを低くしてから、乗ったのは、ものの一回か二回だと思います。


  理由は、サドルが低くなったから、ではなく、目眩がするようになったから。 時折、くらくらっと来るので、怖くて、自転車に乗れなくなったのだそうです。 半月くらい、そんな事を言っていて、その後、耳鼻咽喉科へ行って、検査を受けたら、「良性発作性頭位めまい症」と診断されました。

「りょうせい・ほっさせい・とうい・めまいしょう」

  長い名前だな。 私が、これを、淀みなく言えるようになるまでに、半日かかりました。 耳の半規管の中に、耳石のかけらが入って、一時的・発作的に、平衡感覚が失われる病気なのだそうです。 薬と、体操で治すのですが、最初に病院に行ってから、もう、一ヵ月くらい経つのに、まだ、治っていません。 治ったかどうかは、本人の自覚以外に、検査でも分かるらしいです。   

  「良性」が付いているという事は、そんなに深刻な病気ではないわけですが、私の母は、歳が歳ですから、完治するかどうか、怪しいところ。 自転車に乗らなくなってから、ますます、体力が衰えてしまって、たとえ、目眩が治っても、「もう、自転車は、無理だ」と言い出すかも知れません。

  なまじ、私が車を持っていて、通院や、食料品の買い出しくらいなら、乗せて行けば済んでしまうから、良くないのかも。 これが、一人暮らしで、否が応でも、自力で出かけなければならないとなったら、当人の意欲が、全然、違って来ると思うのですよ。 生活扶助者と一緒に暮らしているというのは、良し悪しなんですな。

  一昨年、他界した父も、もしも私が、岩手異動から戻って来ずに、家で唯一の男手の立場にあったら、衰えるのが、もっと遅れたかもしれません。 人間、末期が近づくと、体よりも頭よりも、まず、生きる意欲から衰えて行くのですが、意欲が衰える原因は、「やらなければならない事」がなくなってしまうのが、最大のものだと思います。 その点、やらなければならない事を代わりにやってしまう、扶助者の存在は、有害と言えます。

  ちなみに、「やりたい事」というのは、それより、遥かに先行して、消滅します。 引退後、4年しか経っていない私ですら、もう、やりたい事なんて、ないですからねえ。 「引退したら、趣味や旅行で、悠々自適の生活を送るぞ」と、楽しみにしている人は多かろうと思いますが、あまり、大きな期待はしない方がいいと思います。 お金を制限なく使えるのなら、話は別ですが、老後破産の恐怖を考えると、普通は、「ただ、生きているだけで、充分」と、そちらを選びますねえ。


  で、母は、もう、自転車に乗らない可能性が、極めて高くなったわけです。 父自は、主を失い、プレハブ離屋の隅で、片隅自転車化していますが、このままでは、母自も、同じ運命を辿るでしょう。 電動アシスト車は、長い間乗らないと、バッテリーが死んでしまうから、尚更、厄介です。 えっ? 私がたまに乗って、バッテリーを維持するの? 冗談じゃないですよ。 自分の自転車だけでも、旧母自、折自と、2台もあるのに、この上、電アシの面倒まで見きれるもんじゃありません。


  他にも問題が・・・。 自転車保険を更新したのですが、最初、私と父と母、三人で割り勘していた保険料が、父が死んで、私と母の二人になり、今度、母が自転車に乗らなくなって、とうとう、私一人で、払う事になりました。 4730円。 車の任意保険の方で、人身傷害を外してあるから、その代わりに、自転車保険に入っていると考えれば、別に、無駄金を払っているわけではないのですが、実際に、2000円以上、余分に払う事に代わりはなく、貯金を取り崩して生きている身としては、結構、痛いです。


  つくづく思うに、うちの家族は、消滅への坂を転げ落ちているんでしょうなあ。 何事も、無限に続くわけではないんだわ。 結局、みんな、死んでしまうんだわ。 理屈では、以前から分かっていた事だけれど、実際に、自分や家族の健康レベルが、一段一段、下がっていくと、何とも、寂しい感じがします。


  発作性の目眩というのは、確かに、自転車に乗っている途中で起こったら、危険極まりないですが、車の運転だったら、どうなんですかね? 運動量が、ずっと少ないから、目眩発作が起こる率も低いんでしょうか。 前々から、「車の運転ができなくなったら、自転車に乗るのも、無理」、もしくは、「自転車に乗れなくなったら、車の運転も、無理」と思って来ましたが、病気によっては、差が出る可能性も考えられますねえ。