読書感想文・蔵出し (67)
読書感想文です。 この前文を書いているのは、8月23日です。 梅雨明け以降、ずっと、日照り続きだったのが、ようやく、雨が降って、酷暑が一段落したところ。 しかし、まだまだ、充分に暑いです。
≪松本清張全集 23 喪失の儀礼・強き蟻≫
松本清張全集 23
文藝春秋 1974年4月20日/初版 2008年7月5日/7版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。 前回が、全集39で、そこから、遡っていく予定だったのですが、短編集が多くて、それらを避けたら、23まで、戻ってしまいました。 読む分には、短編の方が気楽なのですが、数が多いと、感想を書くのが大変でねえ。
【喪失の儀礼】 約186ページ
1969年(昭和44年)1月から、12月まで、「小説新潮」に連載されたもの。 連載時のタイトルは、【処女空間】。
東京の医師が、名古屋で行なわれた学会に出席した後、宿泊予定のとは別のホテルで、失血死体で発見される。 その後、東京の深大寺でも、別の医師が、失血死体で発見される。 名古屋の事件は、迷宮入りしてしまったが、たまたま、東京を訪れて、捜査の続きをしていた刑事が、俳句同人誌や、薬品会社社員の線から、両事件に関係があると考え、東京の捜査陣に後を託す話。
これは、複数回、ドラマ化されているので、そちらで知っている人が多いはず。 私は、1994年の古谷一行さんのと、2016年の村上弘明さんのを見ています。 上の梗概からだけでは、ピンと来ないと思いますが、「妙に前衛的な現代俳句を作る老女」や、「仲が悪いように装っている、姑と嫁」といった設定、「雨の夜に、家の前で、姑の帰りを待っていた女が、実は、嫁ではなく、女装した息子だった」といった場面には、記憶があるのでは。
原作を読んで分かったのは、ストーリーそのものは、ドラマの方が、よく出来ているという事です。 原作は、面白いのですが、ストーリーよりも、クロフツ的な捜査の進め方が面白いのであって、ドラマとは、魅力のポイントが異なっているのです。 特にラストが、ドライで、犯人側の心理は掘り下げられる事がなく、起こった事や、やった事が、羅列されて、あっさり終わりです。
松本清張作品の探偵役は、みんなそうですが、どの警察署にもいそうな、普通の刑事達で、人格については、少しは語られますが、私生活については、ほとんど、設定がなされていない、捜査という仕事をするだけのキャラクターです。 この作品も同様。 前半は、名古屋の刑事、後半は、東京の刑事が受け持つのですが、単に、管轄の違いから、分担しているに過ぎず、両者に、ストーリー上の密接な関係はありません。
それでも、充分、面白いのだから、松本清張さんは、目の付け所が、他の作家とは違っていたわけだ。 捜査の過程そのものが面白ければ、探偵の個性的魅力に頼る必要はない、という考え方ですな。
もしかしたら、救急患者の受け入れを断った事で、死んだ患者の遺族から恨まれ、その復讐が行われるというアイデアは、この作品が嚆矢なんですかね? 2時間サスペンスや、刑事物で、どれだけ繰り返し使われたか分かりませんが。
【強き蟻】 約190ページ
1970年(昭和45年)1月から、1971年3月まで、「文芸春秋」に連載されたもの。
30歳も年上の男の後妻に入った女が、金欲、物欲、性欲ともに絶倫なせいで、年寄りの亭主に飽き足らず、若い男をツバメにして遊んでいた。 ところが、その男が、同棲していた女を殺した容疑で逮捕されてしまう。 昔のパトロンに弁護士を紹介してもらったら、今度は、その弁護士と出来てしまい、亭主が心臓病で倒れると、遺産目当てに、早く死ぬように工作するという、恐ろしい女の話。
殺人事件が出て来ますが、推理小説ではないです。 強欲さに一途な女の、歪んだ人間性を克明に描いた、文学ですな。 会話が多いので、ページはスイスイ進みます。 しかし、主人公の醜い心の内を、これでもかというくらい、書き連ねているせいで、読んでいて、楽しいというものではないです。
男をとっかえひっかえは、今の時代の感覚では、それほど、罪深いとは思いませんが、発表当時としては、その点が一番、許し難い非道として、受け取られたのでしょうねえ。 それより、腹立たしいのは、遺産を独り占めする為に、前妻の娘二人を、亭主に近づけようとしない点でして、正に、鬼畜の所業という感じがします。
ネタバレになってしまいますが、こういう主人公が、ハッピー・エンドを迎えられるはずはなく、最終的には、ひどい事になります。 それは、主人公とは正反対の人格を持つ速記者の存在などで、話の半ばくらいで、大体、予測がつきますが、予測できても、別に、面白さが損なわれるという事はないです。 善悪バランスがとられて、最後には、罰が当たると分かっているからこそ、安心して読めるのです。
今でも、「後妻業」などと言われ、社会問題になっていますが、男側の立場で考えると、いい歳になったら、若い女と再婚しようなどと、決して考えるものではありませんな。 結局、こういう悲劇を産み、周囲の人々に、多大な迷惑をかける事になるのです。 まあ、5歳とは言いませんが、10歳近く離れたら、もう、恋愛や結婚の対象にはならないと判断すべきではないでしょうか。 お金以外に、相手をひきつけておく魅力がないというのは、あまりにも、危うい。
【聞かなかった場所】 約119ページ
1970年(昭和45年)12月18日号から、1971年4月30日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。 ≪黒の図説≫の、第7話。
農水省に勤める男が、地方出張している間に、妻が、出かけた先で急死したという報せが入る。 妻が死んだのが、心当たりのない場所だったので、もしや、その付近で、浮気相手と密会していたのではないかと、素人捜査を始めたところ、次第に、証拠が集まって来る。 浮気相手の男をつきとめて、決着をつけようと、尾行するが・・・、という話。
以下、ネタバレ、あり。
筋立ては、二段階になっています。 まず、妻が浮気をしていたのではないかと疑って、その相手をつきとめていく過程。 次が、相手の男を殺してしまい、逃げる途中で会った目撃者と顔を合わさないように、あの手この手で、相手を避ける過程。 前半は、推理小説で、後半は、喜劇です。 前半だけでも、中編の推理小説になりますし、後半だけでも、短編の犯罪小説になります。 アイデア満載で、豪華といえば豪華ですが、前半と後半で、テーマが変わってしまうのは、違和感を覚えるところでしょう。
前半だけでも、相当、面白いですが、後半は、本気で笑わせようとしているだけに、爆笑ものの場面が多いです。 目撃者と顔を合わせたくないばかりに、裏から手を回して、相手を海外旅行に行かせてしまうのは、ナンセンス・ギャグそのもの。 それが裏目に出て、相手が、お礼を言いに来てしまうのですが、「地方の人間は義理堅い」とて、いないと言っても、なかなか帰らず、最後には顔を見られてしまうのだから、これが、笑わずにいられましょうか。
この作品も、ドラマ化されており、私は、2011年の、名取裕子さん主演の作品を見ています。 主人公の性別が、変えられていて、その余波で、あちこち、相当、弄ってありましたが、後半を、うまく、前半と馴染ませているので、ストーリーの完成度は、小説よりも良かったような記憶があります。
≪松本清張全集 22 屈折回路・象の白い脚≫
松本清張全集 22
文藝春秋 1973年8月21日/初版 2008年7月5日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。 こういう全集、基本的に、図書館が販売対象だと思いますが、個人でも買う人がいるのでしょうか。 ほとんど、全作が入っているのはいいんですが、場所を取ると思うのですよ。 全集の為に、本棚を買う人もいると思いますが、家族からは、思いっきり、嫌な顔をされているのではないでしょうか。
【屈折回路】 約172ページ
1963年(昭和38年)3月から、1965年2月まで、「文學界」に連載されたもの。
ウィルスの研究をしていた従兄が自殺し、その未亡人と深い仲になった英文学の教授。 従兄が、死の直前に訪ねた、北海道でのポリオ(小児麻痺)の流行を調べている内に、ウィルス性流行病の背後に、某略がある事に気づき・・・、という話。
社会派作品ですが、事件らしい事件が起こらず、社会派推理小説の、「社会派」の部分だけ取り出したような話です。 一応、最後に犯罪が出て来て、締め括られますが、木に竹もいいところ。 作者が下調べをしている内に、データばかり集まり過ぎてしまって、話に盛り込みきれなくなってしまったのでは?
主人公が、ポリオの流行について調査を進め、人為的に広めたという某略を暴く話なら、まだ、いいんですが、その内、ウィルスが原因の病気なら、何にでも首を突っ込むようになり、3分の2を過ぎても、そんな有様なので、読者としては、「あ、これは、一つの話として、纏める気がないな」と思われ、読む気が萎んで来ます。
未亡人との関係は、主人公が、疑り深く、被害妄想的である事の伏線にはなっていますが、何せ、ラストの犯罪が、オマケみたいに唐突なので、伏線が生きているとは、到底、言えません。 いわゆる、アンフェア物ですが、それにしては、面白くないです。 「屈折回路」というのは、松本さんの作品にしては、内容に合った、分かり易いタイトルです。 屈折しているのは、主人公の頭の中。
【象の白い脚】 約186ページ
1969年(昭和44年)8月(109号)から、1970年8月(113号)まで、「別冊文藝春秋」に連載されたもの。 原題は、【象と蟻】。
アメリカの支援を受ける政府と、反政府勢力が内戦を続けているラオス。 その首都ビエンチャンにやって来た日本人作家が、先立って、当地で殺された知り合いの編集者の事件を調査していたところ、アメリカ絡みのアヘン密売ルートに気づき・・・、という話。
社会派推理小説ですが、外国が舞台となると、勝手が違うようで、「どの程度、現地で取材したのか?」、「この描写は、正確なのか?」と、疑問符ばかり、頭に浮かんでしまいます。 旅行記のネタにするつもりで、書き留めた記録を元に、小説を仕立てたら、こうなった、という感じが濃厚。
主人公の立場になって考えるとしても、初めて当地に来た外国人が、現地の言葉も分からないのに、こんな短期間で、事件の真相に迫るほど調査を進められるとは、到底、考えられず、リアリティーを著しく欠きます。 まして、事件の背後に、国際的な陰謀があるとなれば、尚の事。 よほど、無軌道な性格の人間でなければ、こんな恐ろしい調査など、最初から、やろうともしないでしょう。 そして、そんな性格の人間は、小説の主人公として、失格です。
【砂の審廷】 約96ページ
1970年(昭和45年)12月(114号)から、1971年9月(117号)まで、「別冊文藝春秋」に連載されたもの。
ある無名の人物の日記を手に入れた作者が、その日記の中で、「先生」と呼ばれている人物に興味を抱き、調べていったら、大川周明という思想家だった。 戦前、国粋主義と、アジア主義を唱えて、大きな影響力を持った人物の、東京裁判の際に行なわれた取り調べについて、書かれた文章。
小説の体をなしていないので、文章としました。 この題材に、特別、興味がある人以外、読むに耐えないと思います。 なまじ、部分的に、小説作法で書こうとしているだけに、非常に、読み難い。 漢字カタカナまじり分の部分は、もう、拷問に近いです。 戦前に教育を受けた世代は、漢字ひらがなまじり、漢字カタカナまじりも、読めたわけですが、戦後世代には、もう、全然、駄目です。
大川周明(1886年-1957年)というのは、よく使われる東京裁判の映像で、東條英機の頭を、後ろの席から叩いた人。 狂人のふりをして、東京裁判を生き残ったとの事。 完全に、過去の人物で、この作品が書かれた当時ですら、何の影響力も残していなかったと思うのですが、なんでまた、題材に取り上げたのか、首を傾げてしまいます。
わざわざ、時間をかけて、読むような作品ではないので、2・3ページ読んで、つまらんと思ったら、そこで、やめた方がいいと思います。 ところどころ、小説調になりますが、それが続く事はありません。
≪山名耕作の不思議な生活≫
角川文庫
角川書店 1977年3月10日/初版
横溝正史 著
2020年5月に、アマゾンに出ていたのを、本体177円、送料255円、合計432円で買ったもの。 ≪山名耕作の不思議な生活≫は、角川文庫・旧版の発行順では、47番に当たります。 元は、単行本として発行された、≪恐ろしき四月馬鹿≫の後ろ半分。
昭和初期に書かれた短編、14作を収録していますが、その内、【山名耕作の不思議な生活】、【ネクタイ綺譚】、【あ・てる・てえる・ふぃるむ】、【角男】、【川越雄作の不思議な旅館】の5作は、すでに、他の本で読んで、感想を書いているので、省きます。
【鈴木と河越の話】 約10ページ
1927年(昭和2年)1月、「探偵趣味」に掲載。
長編小説を書き終えた鈴木という男が、「河越」というペン・ネームでそれを発表したところ、大いに話題になった。 ある時、好きな女性を部屋に招いたところ、部屋の中に、河越と名乗る男がいて・・・、という話。
推理小説ではなく、ちょっと不思議な話。 強いて、カテゴリーを探すなら、ファンタジー系のショートショートが近いです。
【夫婦書簡文】 約16ページ
1927年(昭和2年)8月、「サンデー毎日」に掲載。
かつては、才能を発揮していたが、今は、すっかり、妻のオマケのような存在になった夫に、人気作家の妻は、いつも苛立っていた。 ある時、夫から始めて、同居している夫婦間で、何回か手紙のやり取りがなされ、夫が妻の苛立ちを解消してしまう話。
ショートショートというよりは、戦前ですから、やはり、O・ヘンリー的な短編を手本にしていたのだと思います。 良く出来た話だとは思いませんが、良く出来た話を狙って書いたのは、間違いない。 横溝さんの初期短編には、そういう、アイデア勝負に賭けて、負けに終わるパターンが、大変、多いです。 勝敗率を見ると、短編向きの才能でなかったわけですな。
【双生児】 約29ページ
1929年(昭和4年)2月、「新青年増刊」に掲載。
生後引き離され、別々の家で育った双子の兄弟が、同じ家で暮らす事になる。 弟と同じ家で育った女性が、兄の方と結婚する事になり、弟は、姿を消してしまう。 ある時、その夫人は、弟が兄にすり変わっているのではないかと疑念を抱き・・・、という話。
江戸川乱歩さんに、同題の短編があり、それをオマージュしたもの。 江戸川作品の方は、本格トリック物ですが、こちらは、心理物になっています。 というか、入れ子式にして、強引に、心理物に仕上げたという感じ。 夫人の告白文の内容を、部分的に、精神医学博士の解説で否定してしまっていますが、そういう事をやられると、読者は、放り出されたような気分になってしまうんですわ。
【片腕】 約38ページ
1930年(昭和5年)2月、「新青年」に掲載。
二重生活をしていた男が、妊娠していた内縁の妻を殺し、新たに好きになった若い女の元へ向かうが、犯罪の一部始終を見ていたものがいて・・・、という話。
話がバラバラ。 二重生活という題材が、テーマのレベルまで、引き上げられておらず、ただの題材に終わってしまっています。 四人の人物の証言を書き取って、並べた体裁になっていますが、これまた、ストーリー上、不可欠なものではなくて、ただ、そういう書き方をしたかったから、そうしたというだけの事。
特に悪いのは、「片腕」の使い方で、ラストの見世物小屋の部分は、ストーリー本体とは、何の関係もなく、取って付けたかのようです。 なまじ、最初の人物の証言に、リアリティーがあるだけに、後ろの方は、肩透かしを食う感じがします。
【ある女装冒険家の話】 約13ページ
1930年(昭和5年)11月、「文学時代」に掲載。
何事にも飽きてしまった有閑人種の元教師が、変装に興味を覚えて、別人を装って、街なかをうろついていたところ、以前、教え子だった男子生徒にそっくりの女性を見つけ、彼女が、実は、彼なのではないかと、しつこく訊ねると、女である事を証明すると言われ・・・、という話。
中間性がモチーフで、割とよくある話。 大したオチではないので、ネタバレさせてしまいますと、性別を証明する段だけ、良く似たた別人と、すり替わるというものでして、これまた、よくある話。
モチーフは中間性ですが、テーマは、何に対しても興味を失ってしまう、心の問題でして、そちらの方は、うまく語られています。 つまりその、読者の立場として、主人公の気持ちがよく分かるわけです。
【秋の挿話】 約10ページ
1930年(昭和5年)12月、「文学時代」に掲載。
友人から紹介されて行った歯医者で、これといった理由もなく、偽名を使った男がいた。 後日、その名前が新聞の尋ね人欄に出ているのを見つけ、なぜ捜されているのか分からず、さまざまな憶測を逞しくする話。
捜されていた理由は、大した事ではないんですが、それが分かるまでの、主人公の不安な気持ちが、よく伝わって来て、面白いです。 当時は、健康保険制度が、なかったようですな。
【二人の未亡人】 約15ページ
1931年(昭和6年)1月、「新青年」に掲載。
育った環境が悪かったせいで、様々な犯罪に走ってしまった男が、獄中記を書いたところ、大変な人気を博し、同情心から、有名な女性二人が、求婚者となった。 男が殺人罪で裁判を受けている間、二人で、男の妻になろうと競い合っていたが、判決を前に、想定外の事態が起こる話。
実際、凶悪犯と結婚したがる人間というのは存在します。 恐らく、世間の注目を浴びている人間と結婚すれば、自分も、注目を浴びる事ができるという計算なのだと思います。 この作品の二夫人の場合、すでに有名人なので、これ以上、有名になる必要はないと思うのですが、まあ、全くありえないといわけでもない、というところでしょうか。
テーマは、世間の、無責任な同情心に対する、皮肉ですが、極端なオチのあるコメディーになってしまっているので、あまり、心に響きませんな。
【カリオストロ夫人】 約23ページ
1931年(昭和6年)5月、「新青年」に掲載。
ある夫人に可愛がられていた青年に、若い恋人が出来た。 夫人と別れようとしたところ、意味不明の予告を残して、夫人は自殺してしまう。 晴れて、若い恋人と結婚した青年だったが、新婚旅行の夜、妻の様子がおかしい事に気づき・・・、という話。
これは、ネタバレさせない方が、これから読む人の楽しみを奪わないで済みそうです。 よくあるパターンですが、すぐには気づかないかも知れないので。 ミステリアスな、ファンタジーです。 世界中の伝説・伝承にある話を、ほんの少し、近代風に変えてあるのですが、科学的説明はないので、SFではありません。
【丹夫人の化粧台】 約28ページ
1931年(昭和6年)11月、「新青年」に掲載。
丹博士の未亡人の寵愛を巡り、二人の青年が決闘に及び、一方が自殺同然の手段で死ぬ。 彼は最期に、「丹夫人の化粧台に気をつけろ」と言い遺した。 生き残った青年が、鍵を手に入れて、その化粧台を開けると、中から飛び出して来たのは・・・、という話。
この作品、角川文庫・新版で、再編集された短編集では、表題作になっているので、期待して読んだのですが、面白いのは、タイトルの雰囲気と、冒頭の決闘の部分だけで、後ろの方は、話の体をなしていない、しょーもない作品でした。
しょーもないので、ネタバレさせてしまうと、丹夫人が、化粧台の中に、少年を閉じ込めて、飼っていたという話なのですが、そちらを話の中心とすると、冒頭の決闘部分が、あまりにも、関係が薄い。 全体が一つの話になっていないのです。
決闘ではなく、青年を一人にして、丹夫人から、何かを頼まれる。 しばらく、言われる通りに従っていたが、その内容があまりにも奇妙なので、調べみたら、化粧台の中に・・・、という話にした方が、無理がなかったのでは?
≪松本清張全集 21 小説東京帝国大学・火の虚舟≫
松本清張全集 21
文藝春秋 1973年4月20日/初版 2002年6月1日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。 全集ですから、小説以外の作品も含まれているのは承知していたんですが、この本は、【小説~】とあるので、てっきり、小説だと思って借りてきたら、そうではありませんでした。 羊頭狗肉だ。
【小説東京帝国大学】 約344ページ
1965年(昭和40年)6月27日号から、1966年10月23日号まで、「サンデー毎日」に連載されたもの。 原題は、【小説東京大学】。
日露戦争前後の、東京大学と文部省の確執を描いた、半小説、半ドキュメンタリー。
小説的に書かれている部分もありますが、総体的に見て、これは、小説ではないです。 タイトルに、わざわざ、【小説~】と付けてあるのは、ドキュメンタリーにしては、小説的部分があるから、「フィクションが含まれていますよ」という意味であって、小説の読者向けに言っているのではなく、ドキュメンタリーとして読もうとする読者向けに、断り書きをしているわけですな。
小説的に読むと、全く面白くなくて、自然に、飛ばし読みになります。 無理して、全文字を読んでも、すぐに、頭から抜けてしまいます。 第一に、時代が明治後半と、古過ぎて、ピンと来ない。 第二に、大学が関わっているのに、文系の論戦ばかりで、科学とは無縁の事が題材になっている。 第三に、論戦のテーマが複数ある上に、主人公が決まっていないせいで、バラバラ感が強烈で、興味が集中しない。
これから読むというのなら、中ほどのページを、ちょっと読んでみて、こういう事に興味がある人だけ、読んだ方がいいです。 推理小説ファンは、買うだけ、お金の無駄、借りるだけ、時間の無駄です。 それにしても、よくこれを、週刊誌で連載したもんだ。
【火の虚舟】 約142ページ
1966年(昭和41年)6月から、1967年8月まで、「文藝春秋」に連載されたもの。
明治時代の、思想家・政治家である、中江兆民の評伝。 それ以外の何ものでもなし。
中江兆民本人や、明治時代の政治に興味がある人以外には、何の縁もない作品です。 タイトルから、推理小説だと思って買った人、借りた人には、大変、お気の毒で、無理に読まない方がいいです。 頭が痛くなるだけ。 私は、飛ばし読みしましたが、晩年が不遇だったという以外、記憶に残った部分が、ほとんどありません。
それにしても、よくこれを、文芸誌で連載したもんだ。 歴史雑誌なら、まだ分かりますが。
【小説東京帝国大学】の方もそうですが、明治時代そのものに、興味が湧かないのは、私だけではありますまい。 それは、明治を舞台にしたドラマや映画が、江戸時代以前と比べると、比較にならないほど少ないのを見ても、分かる事。 イメージ的には、日本史上の暗黒時代と言ってもいいと思います。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、
≪松本清張全集 23 喪失の儀礼・強き蟻≫が、6月22日から、28日。
≪松本清張全集 22 屈折回路・象の白い脚≫が、7月5日から、11日まで。
≪山名耕作の不思議な生活≫が、6月30日から、7月15日。
≪松本清張全集 21 小説東京帝国大学・火の虚舟≫が、7月16日から、23日まで。
例によって、手持ちの本である、≪山名耕作の不思議な生活≫は、図書館で借りた本の合間に読んだので、日付が、重なっています。 今回で、感想文の在庫を出し終えましたから、今後、しばらくは、やりません。
≪松本清張全集 23 喪失の儀礼・強き蟻≫
松本清張全集 23
文藝春秋 1974年4月20日/初版 2008年7月5日/7版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。 前回が、全集39で、そこから、遡っていく予定だったのですが、短編集が多くて、それらを避けたら、23まで、戻ってしまいました。 読む分には、短編の方が気楽なのですが、数が多いと、感想を書くのが大変でねえ。
【喪失の儀礼】 約186ページ
1969年(昭和44年)1月から、12月まで、「小説新潮」に連載されたもの。 連載時のタイトルは、【処女空間】。
東京の医師が、名古屋で行なわれた学会に出席した後、宿泊予定のとは別のホテルで、失血死体で発見される。 その後、東京の深大寺でも、別の医師が、失血死体で発見される。 名古屋の事件は、迷宮入りしてしまったが、たまたま、東京を訪れて、捜査の続きをしていた刑事が、俳句同人誌や、薬品会社社員の線から、両事件に関係があると考え、東京の捜査陣に後を託す話。
これは、複数回、ドラマ化されているので、そちらで知っている人が多いはず。 私は、1994年の古谷一行さんのと、2016年の村上弘明さんのを見ています。 上の梗概からだけでは、ピンと来ないと思いますが、「妙に前衛的な現代俳句を作る老女」や、「仲が悪いように装っている、姑と嫁」といった設定、「雨の夜に、家の前で、姑の帰りを待っていた女が、実は、嫁ではなく、女装した息子だった」といった場面には、記憶があるのでは。
原作を読んで分かったのは、ストーリーそのものは、ドラマの方が、よく出来ているという事です。 原作は、面白いのですが、ストーリーよりも、クロフツ的な捜査の進め方が面白いのであって、ドラマとは、魅力のポイントが異なっているのです。 特にラストが、ドライで、犯人側の心理は掘り下げられる事がなく、起こった事や、やった事が、羅列されて、あっさり終わりです。
松本清張作品の探偵役は、みんなそうですが、どの警察署にもいそうな、普通の刑事達で、人格については、少しは語られますが、私生活については、ほとんど、設定がなされていない、捜査という仕事をするだけのキャラクターです。 この作品も同様。 前半は、名古屋の刑事、後半は、東京の刑事が受け持つのですが、単に、管轄の違いから、分担しているに過ぎず、両者に、ストーリー上の密接な関係はありません。
それでも、充分、面白いのだから、松本清張さんは、目の付け所が、他の作家とは違っていたわけだ。 捜査の過程そのものが面白ければ、探偵の個性的魅力に頼る必要はない、という考え方ですな。
もしかしたら、救急患者の受け入れを断った事で、死んだ患者の遺族から恨まれ、その復讐が行われるというアイデアは、この作品が嚆矢なんですかね? 2時間サスペンスや、刑事物で、どれだけ繰り返し使われたか分かりませんが。
【強き蟻】 約190ページ
1970年(昭和45年)1月から、1971年3月まで、「文芸春秋」に連載されたもの。
30歳も年上の男の後妻に入った女が、金欲、物欲、性欲ともに絶倫なせいで、年寄りの亭主に飽き足らず、若い男をツバメにして遊んでいた。 ところが、その男が、同棲していた女を殺した容疑で逮捕されてしまう。 昔のパトロンに弁護士を紹介してもらったら、今度は、その弁護士と出来てしまい、亭主が心臓病で倒れると、遺産目当てに、早く死ぬように工作するという、恐ろしい女の話。
殺人事件が出て来ますが、推理小説ではないです。 強欲さに一途な女の、歪んだ人間性を克明に描いた、文学ですな。 会話が多いので、ページはスイスイ進みます。 しかし、主人公の醜い心の内を、これでもかというくらい、書き連ねているせいで、読んでいて、楽しいというものではないです。
男をとっかえひっかえは、今の時代の感覚では、それほど、罪深いとは思いませんが、発表当時としては、その点が一番、許し難い非道として、受け取られたのでしょうねえ。 それより、腹立たしいのは、遺産を独り占めする為に、前妻の娘二人を、亭主に近づけようとしない点でして、正に、鬼畜の所業という感じがします。
ネタバレになってしまいますが、こういう主人公が、ハッピー・エンドを迎えられるはずはなく、最終的には、ひどい事になります。 それは、主人公とは正反対の人格を持つ速記者の存在などで、話の半ばくらいで、大体、予測がつきますが、予測できても、別に、面白さが損なわれるという事はないです。 善悪バランスがとられて、最後には、罰が当たると分かっているからこそ、安心して読めるのです。
今でも、「後妻業」などと言われ、社会問題になっていますが、男側の立場で考えると、いい歳になったら、若い女と再婚しようなどと、決して考えるものではありませんな。 結局、こういう悲劇を産み、周囲の人々に、多大な迷惑をかける事になるのです。 まあ、5歳とは言いませんが、10歳近く離れたら、もう、恋愛や結婚の対象にはならないと判断すべきではないでしょうか。 お金以外に、相手をひきつけておく魅力がないというのは、あまりにも、危うい。
【聞かなかった場所】 約119ページ
1970年(昭和45年)12月18日号から、1971年4月30日号まで、「週刊朝日」に連載されたもの。 ≪黒の図説≫の、第7話。
農水省に勤める男が、地方出張している間に、妻が、出かけた先で急死したという報せが入る。 妻が死んだのが、心当たりのない場所だったので、もしや、その付近で、浮気相手と密会していたのではないかと、素人捜査を始めたところ、次第に、証拠が集まって来る。 浮気相手の男をつきとめて、決着をつけようと、尾行するが・・・、という話。
以下、ネタバレ、あり。
筋立ては、二段階になっています。 まず、妻が浮気をしていたのではないかと疑って、その相手をつきとめていく過程。 次が、相手の男を殺してしまい、逃げる途中で会った目撃者と顔を合わさないように、あの手この手で、相手を避ける過程。 前半は、推理小説で、後半は、喜劇です。 前半だけでも、中編の推理小説になりますし、後半だけでも、短編の犯罪小説になります。 アイデア満載で、豪華といえば豪華ですが、前半と後半で、テーマが変わってしまうのは、違和感を覚えるところでしょう。
前半だけでも、相当、面白いですが、後半は、本気で笑わせようとしているだけに、爆笑ものの場面が多いです。 目撃者と顔を合わせたくないばかりに、裏から手を回して、相手を海外旅行に行かせてしまうのは、ナンセンス・ギャグそのもの。 それが裏目に出て、相手が、お礼を言いに来てしまうのですが、「地方の人間は義理堅い」とて、いないと言っても、なかなか帰らず、最後には顔を見られてしまうのだから、これが、笑わずにいられましょうか。
この作品も、ドラマ化されており、私は、2011年の、名取裕子さん主演の作品を見ています。 主人公の性別が、変えられていて、その余波で、あちこち、相当、弄ってありましたが、後半を、うまく、前半と馴染ませているので、ストーリーの完成度は、小説よりも良かったような記憶があります。
≪松本清張全集 22 屈折回路・象の白い脚≫
松本清張全集 22
文藝春秋 1973年8月21日/初版 2008年7月5日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。 こういう全集、基本的に、図書館が販売対象だと思いますが、個人でも買う人がいるのでしょうか。 ほとんど、全作が入っているのはいいんですが、場所を取ると思うのですよ。 全集の為に、本棚を買う人もいると思いますが、家族からは、思いっきり、嫌な顔をされているのではないでしょうか。
【屈折回路】 約172ページ
1963年(昭和38年)3月から、1965年2月まで、「文學界」に連載されたもの。
ウィルスの研究をしていた従兄が自殺し、その未亡人と深い仲になった英文学の教授。 従兄が、死の直前に訪ねた、北海道でのポリオ(小児麻痺)の流行を調べている内に、ウィルス性流行病の背後に、某略がある事に気づき・・・、という話。
社会派作品ですが、事件らしい事件が起こらず、社会派推理小説の、「社会派」の部分だけ取り出したような話です。 一応、最後に犯罪が出て来て、締め括られますが、木に竹もいいところ。 作者が下調べをしている内に、データばかり集まり過ぎてしまって、話に盛り込みきれなくなってしまったのでは?
主人公が、ポリオの流行について調査を進め、人為的に広めたという某略を暴く話なら、まだ、いいんですが、その内、ウィルスが原因の病気なら、何にでも首を突っ込むようになり、3分の2を過ぎても、そんな有様なので、読者としては、「あ、これは、一つの話として、纏める気がないな」と思われ、読む気が萎んで来ます。
未亡人との関係は、主人公が、疑り深く、被害妄想的である事の伏線にはなっていますが、何せ、ラストの犯罪が、オマケみたいに唐突なので、伏線が生きているとは、到底、言えません。 いわゆる、アンフェア物ですが、それにしては、面白くないです。 「屈折回路」というのは、松本さんの作品にしては、内容に合った、分かり易いタイトルです。 屈折しているのは、主人公の頭の中。
【象の白い脚】 約186ページ
1969年(昭和44年)8月(109号)から、1970年8月(113号)まで、「別冊文藝春秋」に連載されたもの。 原題は、【象と蟻】。
アメリカの支援を受ける政府と、反政府勢力が内戦を続けているラオス。 その首都ビエンチャンにやって来た日本人作家が、先立って、当地で殺された知り合いの編集者の事件を調査していたところ、アメリカ絡みのアヘン密売ルートに気づき・・・、という話。
社会派推理小説ですが、外国が舞台となると、勝手が違うようで、「どの程度、現地で取材したのか?」、「この描写は、正確なのか?」と、疑問符ばかり、頭に浮かんでしまいます。 旅行記のネタにするつもりで、書き留めた記録を元に、小説を仕立てたら、こうなった、という感じが濃厚。
主人公の立場になって考えるとしても、初めて当地に来た外国人が、現地の言葉も分からないのに、こんな短期間で、事件の真相に迫るほど調査を進められるとは、到底、考えられず、リアリティーを著しく欠きます。 まして、事件の背後に、国際的な陰謀があるとなれば、尚の事。 よほど、無軌道な性格の人間でなければ、こんな恐ろしい調査など、最初から、やろうともしないでしょう。 そして、そんな性格の人間は、小説の主人公として、失格です。
【砂の審廷】 約96ページ
1970年(昭和45年)12月(114号)から、1971年9月(117号)まで、「別冊文藝春秋」に連載されたもの。
ある無名の人物の日記を手に入れた作者が、その日記の中で、「先生」と呼ばれている人物に興味を抱き、調べていったら、大川周明という思想家だった。 戦前、国粋主義と、アジア主義を唱えて、大きな影響力を持った人物の、東京裁判の際に行なわれた取り調べについて、書かれた文章。
小説の体をなしていないので、文章としました。 この題材に、特別、興味がある人以外、読むに耐えないと思います。 なまじ、部分的に、小説作法で書こうとしているだけに、非常に、読み難い。 漢字カタカナまじり分の部分は、もう、拷問に近いです。 戦前に教育を受けた世代は、漢字ひらがなまじり、漢字カタカナまじりも、読めたわけですが、戦後世代には、もう、全然、駄目です。
大川周明(1886年-1957年)というのは、よく使われる東京裁判の映像で、東條英機の頭を、後ろの席から叩いた人。 狂人のふりをして、東京裁判を生き残ったとの事。 完全に、過去の人物で、この作品が書かれた当時ですら、何の影響力も残していなかったと思うのですが、なんでまた、題材に取り上げたのか、首を傾げてしまいます。
わざわざ、時間をかけて、読むような作品ではないので、2・3ページ読んで、つまらんと思ったら、そこで、やめた方がいいと思います。 ところどころ、小説調になりますが、それが続く事はありません。
≪山名耕作の不思議な生活≫
角川文庫
角川書店 1977年3月10日/初版
横溝正史 著
2020年5月に、アマゾンに出ていたのを、本体177円、送料255円、合計432円で買ったもの。 ≪山名耕作の不思議な生活≫は、角川文庫・旧版の発行順では、47番に当たります。 元は、単行本として発行された、≪恐ろしき四月馬鹿≫の後ろ半分。
昭和初期に書かれた短編、14作を収録していますが、その内、【山名耕作の不思議な生活】、【ネクタイ綺譚】、【あ・てる・てえる・ふぃるむ】、【角男】、【川越雄作の不思議な旅館】の5作は、すでに、他の本で読んで、感想を書いているので、省きます。
【鈴木と河越の話】 約10ページ
1927年(昭和2年)1月、「探偵趣味」に掲載。
長編小説を書き終えた鈴木という男が、「河越」というペン・ネームでそれを発表したところ、大いに話題になった。 ある時、好きな女性を部屋に招いたところ、部屋の中に、河越と名乗る男がいて・・・、という話。
推理小説ではなく、ちょっと不思議な話。 強いて、カテゴリーを探すなら、ファンタジー系のショートショートが近いです。
【夫婦書簡文】 約16ページ
1927年(昭和2年)8月、「サンデー毎日」に掲載。
かつては、才能を発揮していたが、今は、すっかり、妻のオマケのような存在になった夫に、人気作家の妻は、いつも苛立っていた。 ある時、夫から始めて、同居している夫婦間で、何回か手紙のやり取りがなされ、夫が妻の苛立ちを解消してしまう話。
ショートショートというよりは、戦前ですから、やはり、O・ヘンリー的な短編を手本にしていたのだと思います。 良く出来た話だとは思いませんが、良く出来た話を狙って書いたのは、間違いない。 横溝さんの初期短編には、そういう、アイデア勝負に賭けて、負けに終わるパターンが、大変、多いです。 勝敗率を見ると、短編向きの才能でなかったわけですな。
【双生児】 約29ページ
1929年(昭和4年)2月、「新青年増刊」に掲載。
生後引き離され、別々の家で育った双子の兄弟が、同じ家で暮らす事になる。 弟と同じ家で育った女性が、兄の方と結婚する事になり、弟は、姿を消してしまう。 ある時、その夫人は、弟が兄にすり変わっているのではないかと疑念を抱き・・・、という話。
江戸川乱歩さんに、同題の短編があり、それをオマージュしたもの。 江戸川作品の方は、本格トリック物ですが、こちらは、心理物になっています。 というか、入れ子式にして、強引に、心理物に仕上げたという感じ。 夫人の告白文の内容を、部分的に、精神医学博士の解説で否定してしまっていますが、そういう事をやられると、読者は、放り出されたような気分になってしまうんですわ。
【片腕】 約38ページ
1930年(昭和5年)2月、「新青年」に掲載。
二重生活をしていた男が、妊娠していた内縁の妻を殺し、新たに好きになった若い女の元へ向かうが、犯罪の一部始終を見ていたものがいて・・・、という話。
話がバラバラ。 二重生活という題材が、テーマのレベルまで、引き上げられておらず、ただの題材に終わってしまっています。 四人の人物の証言を書き取って、並べた体裁になっていますが、これまた、ストーリー上、不可欠なものではなくて、ただ、そういう書き方をしたかったから、そうしたというだけの事。
特に悪いのは、「片腕」の使い方で、ラストの見世物小屋の部分は、ストーリー本体とは、何の関係もなく、取って付けたかのようです。 なまじ、最初の人物の証言に、リアリティーがあるだけに、後ろの方は、肩透かしを食う感じがします。
【ある女装冒険家の話】 約13ページ
1930年(昭和5年)11月、「文学時代」に掲載。
何事にも飽きてしまった有閑人種の元教師が、変装に興味を覚えて、別人を装って、街なかをうろついていたところ、以前、教え子だった男子生徒にそっくりの女性を見つけ、彼女が、実は、彼なのではないかと、しつこく訊ねると、女である事を証明すると言われ・・・、という話。
中間性がモチーフで、割とよくある話。 大したオチではないので、ネタバレさせてしまいますと、性別を証明する段だけ、良く似たた別人と、すり替わるというものでして、これまた、よくある話。
モチーフは中間性ですが、テーマは、何に対しても興味を失ってしまう、心の問題でして、そちらの方は、うまく語られています。 つまりその、読者の立場として、主人公の気持ちがよく分かるわけです。
【秋の挿話】 約10ページ
1930年(昭和5年)12月、「文学時代」に掲載。
友人から紹介されて行った歯医者で、これといった理由もなく、偽名を使った男がいた。 後日、その名前が新聞の尋ね人欄に出ているのを見つけ、なぜ捜されているのか分からず、さまざまな憶測を逞しくする話。
捜されていた理由は、大した事ではないんですが、それが分かるまでの、主人公の不安な気持ちが、よく伝わって来て、面白いです。 当時は、健康保険制度が、なかったようですな。
【二人の未亡人】 約15ページ
1931年(昭和6年)1月、「新青年」に掲載。
育った環境が悪かったせいで、様々な犯罪に走ってしまった男が、獄中記を書いたところ、大変な人気を博し、同情心から、有名な女性二人が、求婚者となった。 男が殺人罪で裁判を受けている間、二人で、男の妻になろうと競い合っていたが、判決を前に、想定外の事態が起こる話。
実際、凶悪犯と結婚したがる人間というのは存在します。 恐らく、世間の注目を浴びている人間と結婚すれば、自分も、注目を浴びる事ができるという計算なのだと思います。 この作品の二夫人の場合、すでに有名人なので、これ以上、有名になる必要はないと思うのですが、まあ、全くありえないといわけでもない、というところでしょうか。
テーマは、世間の、無責任な同情心に対する、皮肉ですが、極端なオチのあるコメディーになってしまっているので、あまり、心に響きませんな。
【カリオストロ夫人】 約23ページ
1931年(昭和6年)5月、「新青年」に掲載。
ある夫人に可愛がられていた青年に、若い恋人が出来た。 夫人と別れようとしたところ、意味不明の予告を残して、夫人は自殺してしまう。 晴れて、若い恋人と結婚した青年だったが、新婚旅行の夜、妻の様子がおかしい事に気づき・・・、という話。
これは、ネタバレさせない方が、これから読む人の楽しみを奪わないで済みそうです。 よくあるパターンですが、すぐには気づかないかも知れないので。 ミステリアスな、ファンタジーです。 世界中の伝説・伝承にある話を、ほんの少し、近代風に変えてあるのですが、科学的説明はないので、SFではありません。
【丹夫人の化粧台】 約28ページ
1931年(昭和6年)11月、「新青年」に掲載。
丹博士の未亡人の寵愛を巡り、二人の青年が決闘に及び、一方が自殺同然の手段で死ぬ。 彼は最期に、「丹夫人の化粧台に気をつけろ」と言い遺した。 生き残った青年が、鍵を手に入れて、その化粧台を開けると、中から飛び出して来たのは・・・、という話。
この作品、角川文庫・新版で、再編集された短編集では、表題作になっているので、期待して読んだのですが、面白いのは、タイトルの雰囲気と、冒頭の決闘の部分だけで、後ろの方は、話の体をなしていない、しょーもない作品でした。
しょーもないので、ネタバレさせてしまうと、丹夫人が、化粧台の中に、少年を閉じ込めて、飼っていたという話なのですが、そちらを話の中心とすると、冒頭の決闘部分が、あまりにも、関係が薄い。 全体が一つの話になっていないのです。
決闘ではなく、青年を一人にして、丹夫人から、何かを頼まれる。 しばらく、言われる通りに従っていたが、その内容があまりにも奇妙なので、調べみたら、化粧台の中に・・・、という話にした方が、無理がなかったのでは?
≪松本清張全集 21 小説東京帝国大学・火の虚舟≫
松本清張全集 21
文藝春秋 1973年4月20日/初版 2002年6月1日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。 全集ですから、小説以外の作品も含まれているのは承知していたんですが、この本は、【小説~】とあるので、てっきり、小説だと思って借りてきたら、そうではありませんでした。 羊頭狗肉だ。
【小説東京帝国大学】 約344ページ
1965年(昭和40年)6月27日号から、1966年10月23日号まで、「サンデー毎日」に連載されたもの。 原題は、【小説東京大学】。
日露戦争前後の、東京大学と文部省の確執を描いた、半小説、半ドキュメンタリー。
小説的に書かれている部分もありますが、総体的に見て、これは、小説ではないです。 タイトルに、わざわざ、【小説~】と付けてあるのは、ドキュメンタリーにしては、小説的部分があるから、「フィクションが含まれていますよ」という意味であって、小説の読者向けに言っているのではなく、ドキュメンタリーとして読もうとする読者向けに、断り書きをしているわけですな。
小説的に読むと、全く面白くなくて、自然に、飛ばし読みになります。 無理して、全文字を読んでも、すぐに、頭から抜けてしまいます。 第一に、時代が明治後半と、古過ぎて、ピンと来ない。 第二に、大学が関わっているのに、文系の論戦ばかりで、科学とは無縁の事が題材になっている。 第三に、論戦のテーマが複数ある上に、主人公が決まっていないせいで、バラバラ感が強烈で、興味が集中しない。
これから読むというのなら、中ほどのページを、ちょっと読んでみて、こういう事に興味がある人だけ、読んだ方がいいです。 推理小説ファンは、買うだけ、お金の無駄、借りるだけ、時間の無駄です。 それにしても、よくこれを、週刊誌で連載したもんだ。
【火の虚舟】 約142ページ
1966年(昭和41年)6月から、1967年8月まで、「文藝春秋」に連載されたもの。
明治時代の、思想家・政治家である、中江兆民の評伝。 それ以外の何ものでもなし。
中江兆民本人や、明治時代の政治に興味がある人以外には、何の縁もない作品です。 タイトルから、推理小説だと思って買った人、借りた人には、大変、お気の毒で、無理に読まない方がいいです。 頭が痛くなるだけ。 私は、飛ばし読みしましたが、晩年が不遇だったという以外、記憶に残った部分が、ほとんどありません。
それにしても、よくこれを、文芸誌で連載したもんだ。 歴史雑誌なら、まだ分かりますが。
【小説東京帝国大学】の方もそうですが、明治時代そのものに、興味が湧かないのは、私だけではありますまい。 それは、明治を舞台にしたドラマや映画が、江戸時代以前と比べると、比較にならないほど少ないのを見ても、分かる事。 イメージ的には、日本史上の暗黒時代と言ってもいいと思います。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2020年の、
≪松本清張全集 23 喪失の儀礼・強き蟻≫が、6月22日から、28日。
≪松本清張全集 22 屈折回路・象の白い脚≫が、7月5日から、11日まで。
≪山名耕作の不思議な生活≫が、6月30日から、7月15日。
≪松本清張全集 21 小説東京帝国大学・火の虚舟≫が、7月16日から、23日まで。
例によって、手持ちの本である、≪山名耕作の不思議な生活≫は、図書館で借りた本の合間に読んだので、日付が、重なっています。 今回で、感想文の在庫を出し終えましたから、今後、しばらくは、やりません。