EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑳
> 週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、20回目です。 すでに、在庫放出は終わったので、今回からは、その月の最終週に、前月に行った所を出すようにします。 なに、何を言っているのか、よく分からない? それは、無理もない。 勝手に決めた私一人が分かっているわけですな。 具体的に説明しますと、つまり、今回は、5月の最終週でしょう? だから、前月、つまり、4月に行った所の分を出す、という意味です。
【三島徳倉・八乙女神社①】
2021年4月6日に、三島市徳倉にある、「八乙女神社」に行って来ました。 箱根の麓ですが、国一よりは、ずっと北側です。
≪写真1≫
思いっきり、傾斜地にあります。 この一帯は、古い集落で、この神社が、その中心だったようです。 なぜ、そう思うのかというと、近所に、他の神社がないから。 バイクを停める場所がなくて、向かって右側の坂道の路肩に停めました。
≪写真2左≫
石段の踊り場にある、鳥居。 コンクリート製。 名額もなく、シンプルなもの。
≪写真2右≫
鳥居の近くにあった、石燈籠。 丸っこいですな。 石燈籠の世界にも、ポップ・デザインがあると見えます。 面白い。
≪写真3左≫
手水舎。 屋根は、銅板葺き。 漱盤は、前面にヒビが入っていて、すのこで蓋をしてありました。 水が漏れてしまうのかも知れません。 水を溜めるのが目的ではないから、漏れても、別段、問題はないと思いますが。 蛇口は、パイプだけ、突き出していました。 ハンドルは、下の方にあるのかも。
≪写真3右≫
境内別社。 二つありました。 手前のは、別社にしては、大きなものでした。 主な社殿が、これよりも小さい神社は、いくらでもあると思います。
解説板によると、境内別社は、全部で九つあるらしいです。 建物を共有しているのか、私が、他のを見つけられなかっただけなのか。 元は、徳倉地区の、あちこちに散在していたのを、大正時代の初めに、ここに集めたとの事。
≪写真4左≫
狛犬は、オーソドックスな、戦後・唐獅子型。
奥に写っている石燈籠は、断面が六角形のタイプ。 神社の場合、断面が、四角形タイプ、六角形タイプ、円形タイプなど、何でもアリですが、お寺の場合、四角形タイプは、見た事がありません。
右端に写っているのは、ブランコです。 静岡県の駿東部では、境内を児童公園にしている神社が、ちょこちょこと、見られます。 そういう事は、土地によって違いがあり、「事実上、子供の遊び場になっているが、遊具は置かない」という所もあれば、信心が深甚で、「子供が遊ぶのも、不可」という所もあると思います。
≪写真4右≫
レイアウトの都合上、ここに持って来ましたが、一番上の写真の、石段の脇で咲いていた、躑躅です。 品種名は、不詳。
≪写真5≫
社殿を正面から。 鉄筋コンクリート製ですが、堂々たる建物です。 屋根は、銅板葺き。 この距離で、障碍物なしに撮影できる事からも分かるように、手前に、かなり広い空間があります。 山裾とは思えないほど、境内が広いのです。
社殿の手前、左右にある、大きな石燈籠を、覚えておいてください。 次回に、大きい写真を出しますから。
【三島徳倉・八乙女神社②】
≪写真1≫
八乙女神社の、社殿手前に鎮座する、大石燈籠。 高さは、ゆうに、3メートル以上あると思います。 この、凝った彫刻に注目。 竿に龍が絡みつき、火袋に獅子が吼え、宝珠の上で鷹が羽ばたいています。 これは、大作にして、力作だわ。 値段も高かったでしょうねえ。
こういうのを見て、「やり過ぎ」とか、「下品」とか思う人もいるかと思いますが、そんな事はないです。 あちこちの神社を、三十社くらい見て回れば、自然と分かって来る事ですが、基本的に、神社アイテムは、何でもアリでして、こういう豪勢な石燈籠を奉納できるという事は、それだけ、氏子に、資金力やエネルギーがあるという事なのです。
≪写真2左≫
社殿の側面。 左右に、翼が出ています。 伊豆長岡の日枝神社でも、同じような様式を見ました。 この翼ですが、たぶん、神社建築用語で、名前がついていると思います。 ネットで調べるのは、わけない事ですが、用語を知ってしまうと、用語ばかり使うようになって、分かり難い文章になってしまうので、敢えて、調べません。
≪写真2右≫
翼の後ろに、本殿がありました。 拝殿と正殿が、短い廊下で繋がっているタイプ。 翼には、本殿を隠す役割があるのかもしれません。 伊豆長岡の日枝神社では、翼の後ろを確かめて来なかったのですが、同じようになっていた可能性あり。 しかし、それを確かめる為だけに、もう一度行く気にはなりませんなあ。 今後、近くに行ったついでの時に、見てみる事にします。
≪写真3左≫
レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、氏子一同によって立てられた、解説板です。 正面の石段登り口の横にあります。 祭神、天鈿女命(あのうずめのみこと)。 あの、天岩戸を開く為に、踊った人です。 人ではなく、神ですが。
珍しい。 しかし、記紀神話の神が祭神になっている場合、明治になって、宛がわれたケースが多いので、元は、全然違う神を祀っていた可能性もあります。
≪写真3右≫
バイクを停めた道路脇で咲いていた、タンポポ。 こんな日陰でも、健気に咲くのだな。
≪写真4≫
境内の横を通る坂道。 バイクを停められる場所が、ここしかありませんでした。 境内の横から、車を入れられるようになっているのですが、そこは、塞がれていました。 もちろん、車も停められません。 つまり、他所者には、なるべく、来て欲しくないわけだ。 神社を管理している氏子側としては、当然の事でして、別に、その点に不平を言うつもりはないです。
他所者としては、常に、「見せていただく」という姿勢を忘れないように心がけています。 神に対して、というより、氏子の人達に対して。 私は、どの神社に行っても、お参りはしないので、神には、無縁。 氏子の人達が、その神社を、どう思っていて、どう扱っているか、そちらに興味があります。
【裾野麦塚・見目神社①】
4月15日、バイクで、裾野市麦塚にある、「見目神社」へ行って来ました。 「見目」は、「みるめ」と読むらしいです。
≪写真1≫
裾野市の南の端、三菱アルミの工場の東側にあります。 附近まで行けば、大きな鎮守の森で、場所が分かります。 鳥居も、標柱も、割と新しい物。
≪写真2左≫
入り口が、橋状になっています。 下に、結界の川があるという見立て。 実際には、川はありません。 手前にある石は、以前の鳥居の礎石だと思います。
≪写真2右≫
境内は、大きく分けて、二段になっています。 下の段は、広いです。 おそらく、昔は、下の段も、森になっていたのでは?
≪写真3左≫
下の段にある、流し。 これは、手水場ではないです。 あまりにも、実用的過ぎる。
≪写真3右≫
下の段の一隅に、遊具あり。 滑り台と、鉄棒。 境内を、児童公園にするのは、駿東地区では、珍しくないです。 といって、そんなに多くもないですが。
≪写真4左≫
下の段にあった、椅子。 たぶん、石製。 痔になるから、石の椅子には、長時間、直接、座らない方がいいと言いますな。 体温を奪われないように、何か敷けばいいわけですけど。
≪写真4右≫
下の段から、上の段に上がる石段があり、その踊り場に、まだ新しい石燈籠が立っていました。 寺社共通の、断面・六角形タイプ。
≪写真5左≫
本殿。 木造・瓦葺き。 昭和の戦前・戦中くらいですかね。 「疫病終息祈願」の、幟旗あり。
≪写真5右≫
狛犬。 獅子タイプ。 昭和60年とあります。 つまり、1985年。 「カワイイ系」というか、「ファニー系」が入っていますな。
【裾野麦塚・見目神社②】
≪写真1≫
鎮守の森の空。 半分、山です。 杉・檜の高木あり。
≪写真2≫
石段の上から、下の段を見下ろした景色。 下の段の広さが、良く分かると思います。 ゆうに、運動会ができる広さ。
≪写真3左≫
拝殿・本殿の側面。 複雑な形状の建物です。 本殿の屋根が、一般住宅風の切り妻になっているのが、興味深い。
≪写真3右≫
境内別社。 たくさん、ありました。 独立した建物が、神武社、神明社、祇園社、北野社、吉田神社。 三社ずつ纏められていたのが、耳石社、風社、姥社と、八幡社、愛宕社、今川社。 もしかしたら、見落として来ただけで、もっと、あったのかも。
≪写真4左≫
上の段の、流し。 しかし、こちらは、手水場として、設置されているようです。 それが証拠に、「手水の作法」という絵入り解説板があります。
≪写真4右≫
解説板、「手水の作法」。 以前、他の神社で、「手水のつかいかた」という、赤地に白の水玉ワンピースを着た女の子の、絵入り解説板を見た事がありますが、そちらは、絵が3枚で、ずっと、簡単なものでした。 こちらでは、絵の枚数が、2倍に増えており、良く言えば、より丁寧に、悪く言えば、より口うるさくなっています。
ちなみに、私は、見学はしても、参拝はしない人間なので、手水を使った事はないです。 柄杓なんて、問題外で、あんなのは、病気をうつす為に置いてあるようなもの。 温泉の脱衣所マットと、感染推進アイテムの双璧を成していると思っています。
≪写真5左≫
境内で咲いていた花。 タンポポそっくりですが、名前は、野芥子(ノゲシ)です。 背が高くなるのと、葉っぱが、茎を巻くようにして出るのが、特徴。 うちの庭にも、あります。
≪写真5右≫
境内の隣にある、公会堂のような所の敷地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 後輪タイヤを写しました。 乾いた路面でしか乗らないので、まだまだ、もちそうです。
このタイヤは、デフォルトではなく、前の持ち主が換えた、「ダンロップ TT100GP 90/90-18」です。 7500円くらいします。 もっと安いタイヤだと、4000円台からありますが、前後で、別のタイヤになってしまうと、何となく気分が悪いので、もし換えるとしたら、7500円、払う事になると思います。 高いですが、私の使用頻度から考えて、タイヤ交換をするとしても、後輪を、あと一回だけで、最後になると思うので、3000円程度の価格差は、受け入れられます。
【長泉町名米里・八幡神社】
2021年4月20日に、バイクで、長泉町の名米里(なめり)に行って来ました。 「神社が、2ヵ所か、3ヵ所あるはず」という大雑把な下調べで、出かけました。
≪写真1≫
最初に見つけた、「八幡神社」。 住宅地の細い道路に面しています。 ここに神社がある事を調べた上で来ないと、まず、見つけられません。 境内は、お世辞にも広くはないです。 鎮守の森の木は、よく手入れされています。 バイクを置く場所がないので、道路脇に停めました。 車で来ても、道路以外に、停める場所はないです。
≪写真2左≫
鳥居の名板。 神社によっては、名板を額に入れてある鳥居もあるわけですが、本来、鳥居のこの部分は、名前を入れる為の部品なのかもしれませんな。
≪写真2右≫
社殿。 変わっています。 拝殿が小さいというより、前方に飛び出している幅の狭い部分は、エントランスなのではないでしょうか。 階段も、垂直面が抜けた、神社らしくないものです。 強いて、似た雰囲気の建物を探すと、ロッジや、コテージでしょうか。 大変、面白い。 この写真では、分かりませんが、扉に、賽銭投入口らしき穴が開いています。
≪写真3左≫
社殿を、側面から見ました。 建物の後ろにも、飛び出した部分がありますが、この中が、本殿になっているのではないかと思います。 という事は、建物本体が拝殿で、やはり、前方の突出部分は、エントランスという事になりますな。 うーむ、面白い。
≪写真3右≫
手水場。 自然石を穿った、漱盤。 写真では、木と一体になっているように見えますが、他の角度からみると、ちゃんと分かれています。 蛇口はありますが、ハンドルは外されています。
≪写真4左≫
境内に、水準点がありました。 水準点マニアは、こういうのを見逃さないんでしょうね。
≪写真4右≫
少し北に行った所にある、高架道路。 伊豆縦貫道のもので、まだ、新しいです。 こういう風景は、なんというか、そのう、人の心を押し潰すような圧迫感がありますねえ。
【長泉町名米里・山神社】
≪写真1≫
伊豆縦貫道から、少し南に戻ると、黄瀬川沿いに、「山神社」がありました。 社殿は、木造、トタン葺き。 かつて、大きな神木があったようですが、切り株だけになっていました。
ここも、境内が狭くて、バイクは、道路に停めました。 車では、来ない方が無難。 神社の向かいは、個人のお宅でして、道路を塞いでしまうと、まずい事になると思います。
≪写真2左≫
鳥居の名板。 「山神」とだけあります。 これだけだと、「山神社(やまじんじゃ)」なのか、「山神神社(やまがみ・じんじゃ)」なのか、紛らわしいですが、「山神社」が正しいようです。 この板、鉄製ですかね? 少し、怖いです。
≪写真2右≫
社殿の扉のガラスに開けられた、賽銭投入口。 ガラスを切るのは難しくて、余計な部分まで、割れてしまっています。 プロのガラス屋さんの仕事ではないようです。
≪写真3左≫
これこれ。 境内の隅にあった、この建物。 大きさ的には、物置くらいですが、なんと、↓
≪写真3右≫
「上組山神社 寶物殿」と、あります。 神主が住んでいない神社で、宝物殿があるのを見たのは、ここが初めてです。 大変、興味深い。 中を拝見したいところですが、時節柄、人様を煩わせるのは、以ての外なので、諦めました。
≪写真4左≫
境内に置いてあった、ベンチ。 高級品ですな。 この神社は、意想外な物が多いです。
≪写真4右≫
境内に咲いていた花。 花だけ見ると、潮菊や磯菊に似ていますが、葉は、多肉食物のような感じで、まるで違っています。
≪写真5≫
境内の、すぐ横が、黄瀬川です。 ダイナミックな景観ですな。
【長泉町名米里・日吉神社】
2社、見たので、帰りかけたのですが、すぐ近くで、もう1社見つけてしまい、そこにも寄りました。
≪写真1≫
「日吉神社」です。 この日に寄った中では、最大。 といっても、村社クラスですけど。
≪写真2左≫
社殿。 木造、銅板葺き。
≪写真2右≫
手水場。 左に、自然石の漱盤がありますが、これは、引退している模様。 中央の流しが、現役のようですが、蛇口のハンドルは外されています。 流しの右側の台は、何なんでしょう? 物を置く場所でしょうか? もしや、井戸水で、この下に、汲み上げポンプのモーターが入っているとか?
≪写真3左≫
境内別社。 詳しく見ては来ませんでした。 「疫病終息祈願」の幟旗があります。
≪写真3右≫
社殿の側面。 拝殿と本殿が、別建物で、短い廊下で連結されている様式。 拝殿の横の窓には、シャッターが付いています。
≪写真4左≫
神社の裏手は、児童公園になっています。 たぶん、昔は、鎮守の森だったんでしょうな。 神域を子供の遊び場に変えてしまうのは、駿東地区では、よくある事です。
≪写真4右≫
神社の南側にあった、この建物。 公会堂のような趣きですが、地図には、名前が載っておらず、よく分かりません。
≪写真5左≫
児童公園で咲いていた、タンポポ。 野芥子と比べると、タンポポの花は、やはり、大きいです。
≪写真5右≫
同じく、白詰草。 この花は、大抵、一部が欠けていますな。 赤詰草は、完全な形が多いですが。
≪写真6左≫
神社の西側にある、長泉町指定有形文化財、「仏名碑」。 「観音弥勒」、「文殊普賢」といった文字が彫ってあります。
≪写真6右≫
神社の鳥居前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 参道らしき細い道を走って、ここまで来ました。 バイクだから、できる事。 車で来る場合、幹線道路の、県道87号線(旧246号線)側から入る道を探した方がいいと思います。
【長泉町下長窪・植木畑の祠】
2021年4月26日に、バイクで、出かけました。 長泉町・上長窪の「山神社」を目指したのですが、着きませんでした。 その代わり、下長窪の、とある植木畑の奥で、祠を発見し、その写真を撮って来ました。 そこを、山神社かと思っていたのですが、家に戻ってから調べたら、全く違っていたという、前にもやらかしたパターンです。
≪写真1≫
「山岸」の交差点から、坂道を登った、すぐの所です。 道路にバイクを停め、中に入ってみました。 この時点ですでに、「神社」ではないなと思ってはいたのですが、祠くらいはあってもおかしくない雰囲気でした。
≪写真2≫
何に使っている土地なのか、よく分かりませんでした。 平戸躑躅が多く植えられていて、花が咲いていました。 植木畑なんですかね?
≪写真3≫
こちら側には、一段高くなった所があります。 祠のニオイがしますねえ。 祠を置きたくなる地形とでも言いましょうか。
≪写真4≫
一番高い所まで行ったら、果たして、祠がありました。 私の嗅覚も満更ではありませんな。 しかし、これは、神社として、地図に載る規模ではないでしょう。 個人で祀った祠に違いありません。 結果的に、不法侵入になってしまって、申し訳ありません。
今回は、ここまで。
長泉町の名米里では、一遍に、3ヵ所の神社を回ってしまいましたが、プチ・ツーリングの作法上、こういうのは、大変、良くありません。 3ヵ所あったら、3回に分けて行くべきだったのです。 こんなにバタバタと、多くの所を見てしまったのでは、すぐに、目的地が払底してしまいます。 家から、2時間程度で往復できるくらいの近場なのだから、尚の事、何度かに分けて行くべきだったのです。
第一目的地が、規模の小さい神社だと、ついつい、「もう一ヵ所、見ておこうかな」などと、不埒な考えを起こしがちですが、いけませんなあ。 目的地を回り尽くしてしまったら、その時が、プチ・ツーリング趣味の終焉だというのに・・・。
たっくさん、いるでしょう? 「バイクには乗りたいけど、出かける先がなくなっちゃって・・・」という人が。 私も、引退後2年間は、そうでしたから、気持ちは良く分かります。 出かける先を確保するのが、バイクを趣味として続ける上で、最も重要な事だと思います。
【三島徳倉・八乙女神社①】
2021年4月6日に、三島市徳倉にある、「八乙女神社」に行って来ました。 箱根の麓ですが、国一よりは、ずっと北側です。
≪写真1≫
思いっきり、傾斜地にあります。 この一帯は、古い集落で、この神社が、その中心だったようです。 なぜ、そう思うのかというと、近所に、他の神社がないから。 バイクを停める場所がなくて、向かって右側の坂道の路肩に停めました。
≪写真2左≫
石段の踊り場にある、鳥居。 コンクリート製。 名額もなく、シンプルなもの。
≪写真2右≫
鳥居の近くにあった、石燈籠。 丸っこいですな。 石燈籠の世界にも、ポップ・デザインがあると見えます。 面白い。
≪写真3左≫
手水舎。 屋根は、銅板葺き。 漱盤は、前面にヒビが入っていて、すのこで蓋をしてありました。 水が漏れてしまうのかも知れません。 水を溜めるのが目的ではないから、漏れても、別段、問題はないと思いますが。 蛇口は、パイプだけ、突き出していました。 ハンドルは、下の方にあるのかも。
≪写真3右≫
境内別社。 二つありました。 手前のは、別社にしては、大きなものでした。 主な社殿が、これよりも小さい神社は、いくらでもあると思います。
解説板によると、境内別社は、全部で九つあるらしいです。 建物を共有しているのか、私が、他のを見つけられなかっただけなのか。 元は、徳倉地区の、あちこちに散在していたのを、大正時代の初めに、ここに集めたとの事。
≪写真4左≫
狛犬は、オーソドックスな、戦後・唐獅子型。
奥に写っている石燈籠は、断面が六角形のタイプ。 神社の場合、断面が、四角形タイプ、六角形タイプ、円形タイプなど、何でもアリですが、お寺の場合、四角形タイプは、見た事がありません。
右端に写っているのは、ブランコです。 静岡県の駿東部では、境内を児童公園にしている神社が、ちょこちょこと、見られます。 そういう事は、土地によって違いがあり、「事実上、子供の遊び場になっているが、遊具は置かない」という所もあれば、信心が深甚で、「子供が遊ぶのも、不可」という所もあると思います。
≪写真4右≫
レイアウトの都合上、ここに持って来ましたが、一番上の写真の、石段の脇で咲いていた、躑躅です。 品種名は、不詳。
≪写真5≫
社殿を正面から。 鉄筋コンクリート製ですが、堂々たる建物です。 屋根は、銅板葺き。 この距離で、障碍物なしに撮影できる事からも分かるように、手前に、かなり広い空間があります。 山裾とは思えないほど、境内が広いのです。
社殿の手前、左右にある、大きな石燈籠を、覚えておいてください。 次回に、大きい写真を出しますから。
【三島徳倉・八乙女神社②】
≪写真1≫
八乙女神社の、社殿手前に鎮座する、大石燈籠。 高さは、ゆうに、3メートル以上あると思います。 この、凝った彫刻に注目。 竿に龍が絡みつき、火袋に獅子が吼え、宝珠の上で鷹が羽ばたいています。 これは、大作にして、力作だわ。 値段も高かったでしょうねえ。
こういうのを見て、「やり過ぎ」とか、「下品」とか思う人もいるかと思いますが、そんな事はないです。 あちこちの神社を、三十社くらい見て回れば、自然と分かって来る事ですが、基本的に、神社アイテムは、何でもアリでして、こういう豪勢な石燈籠を奉納できるという事は、それだけ、氏子に、資金力やエネルギーがあるという事なのです。
≪写真2左≫
社殿の側面。 左右に、翼が出ています。 伊豆長岡の日枝神社でも、同じような様式を見ました。 この翼ですが、たぶん、神社建築用語で、名前がついていると思います。 ネットで調べるのは、わけない事ですが、用語を知ってしまうと、用語ばかり使うようになって、分かり難い文章になってしまうので、敢えて、調べません。
≪写真2右≫
翼の後ろに、本殿がありました。 拝殿と正殿が、短い廊下で繋がっているタイプ。 翼には、本殿を隠す役割があるのかもしれません。 伊豆長岡の日枝神社では、翼の後ろを確かめて来なかったのですが、同じようになっていた可能性あり。 しかし、それを確かめる為だけに、もう一度行く気にはなりませんなあ。 今後、近くに行ったついでの時に、見てみる事にします。
≪写真3左≫
レイアウトの都合で、ここに持って来ましたが、氏子一同によって立てられた、解説板です。 正面の石段登り口の横にあります。 祭神、天鈿女命(あのうずめのみこと)。 あの、天岩戸を開く為に、踊った人です。 人ではなく、神ですが。
珍しい。 しかし、記紀神話の神が祭神になっている場合、明治になって、宛がわれたケースが多いので、元は、全然違う神を祀っていた可能性もあります。
≪写真3右≫
バイクを停めた道路脇で咲いていた、タンポポ。 こんな日陰でも、健気に咲くのだな。
≪写真4≫
境内の横を通る坂道。 バイクを停められる場所が、ここしかありませんでした。 境内の横から、車を入れられるようになっているのですが、そこは、塞がれていました。 もちろん、車も停められません。 つまり、他所者には、なるべく、来て欲しくないわけだ。 神社を管理している氏子側としては、当然の事でして、別に、その点に不平を言うつもりはないです。
他所者としては、常に、「見せていただく」という姿勢を忘れないように心がけています。 神に対して、というより、氏子の人達に対して。 私は、どの神社に行っても、お参りはしないので、神には、無縁。 氏子の人達が、その神社を、どう思っていて、どう扱っているか、そちらに興味があります。
【裾野麦塚・見目神社①】
4月15日、バイクで、裾野市麦塚にある、「見目神社」へ行って来ました。 「見目」は、「みるめ」と読むらしいです。
≪写真1≫
裾野市の南の端、三菱アルミの工場の東側にあります。 附近まで行けば、大きな鎮守の森で、場所が分かります。 鳥居も、標柱も、割と新しい物。
≪写真2左≫
入り口が、橋状になっています。 下に、結界の川があるという見立て。 実際には、川はありません。 手前にある石は、以前の鳥居の礎石だと思います。
≪写真2右≫
境内は、大きく分けて、二段になっています。 下の段は、広いです。 おそらく、昔は、下の段も、森になっていたのでは?
≪写真3左≫
下の段にある、流し。 これは、手水場ではないです。 あまりにも、実用的過ぎる。
≪写真3右≫
下の段の一隅に、遊具あり。 滑り台と、鉄棒。 境内を、児童公園にするのは、駿東地区では、珍しくないです。 といって、そんなに多くもないですが。
≪写真4左≫
下の段にあった、椅子。 たぶん、石製。 痔になるから、石の椅子には、長時間、直接、座らない方がいいと言いますな。 体温を奪われないように、何か敷けばいいわけですけど。
≪写真4右≫
下の段から、上の段に上がる石段があり、その踊り場に、まだ新しい石燈籠が立っていました。 寺社共通の、断面・六角形タイプ。
≪写真5左≫
本殿。 木造・瓦葺き。 昭和の戦前・戦中くらいですかね。 「疫病終息祈願」の、幟旗あり。
≪写真5右≫
狛犬。 獅子タイプ。 昭和60年とあります。 つまり、1985年。 「カワイイ系」というか、「ファニー系」が入っていますな。
【裾野麦塚・見目神社②】
≪写真1≫
鎮守の森の空。 半分、山です。 杉・檜の高木あり。
≪写真2≫
石段の上から、下の段を見下ろした景色。 下の段の広さが、良く分かると思います。 ゆうに、運動会ができる広さ。
≪写真3左≫
拝殿・本殿の側面。 複雑な形状の建物です。 本殿の屋根が、一般住宅風の切り妻になっているのが、興味深い。
≪写真3右≫
境内別社。 たくさん、ありました。 独立した建物が、神武社、神明社、祇園社、北野社、吉田神社。 三社ずつ纏められていたのが、耳石社、風社、姥社と、八幡社、愛宕社、今川社。 もしかしたら、見落として来ただけで、もっと、あったのかも。
≪写真4左≫
上の段の、流し。 しかし、こちらは、手水場として、設置されているようです。 それが証拠に、「手水の作法」という絵入り解説板があります。
≪写真4右≫
解説板、「手水の作法」。 以前、他の神社で、「手水のつかいかた」という、赤地に白の水玉ワンピースを着た女の子の、絵入り解説板を見た事がありますが、そちらは、絵が3枚で、ずっと、簡単なものでした。 こちらでは、絵の枚数が、2倍に増えており、良く言えば、より丁寧に、悪く言えば、より口うるさくなっています。
ちなみに、私は、見学はしても、参拝はしない人間なので、手水を使った事はないです。 柄杓なんて、問題外で、あんなのは、病気をうつす為に置いてあるようなもの。 温泉の脱衣所マットと、感染推進アイテムの双璧を成していると思っています。
≪写真5左≫
境内で咲いていた花。 タンポポそっくりですが、名前は、野芥子(ノゲシ)です。 背が高くなるのと、葉っぱが、茎を巻くようにして出るのが、特徴。 うちの庭にも、あります。
≪写真5右≫
境内の隣にある、公会堂のような所の敷地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 後輪タイヤを写しました。 乾いた路面でしか乗らないので、まだまだ、もちそうです。
このタイヤは、デフォルトではなく、前の持ち主が換えた、「ダンロップ TT100GP 90/90-18」です。 7500円くらいします。 もっと安いタイヤだと、4000円台からありますが、前後で、別のタイヤになってしまうと、何となく気分が悪いので、もし換えるとしたら、7500円、払う事になると思います。 高いですが、私の使用頻度から考えて、タイヤ交換をするとしても、後輪を、あと一回だけで、最後になると思うので、3000円程度の価格差は、受け入れられます。
【長泉町名米里・八幡神社】
2021年4月20日に、バイクで、長泉町の名米里(なめり)に行って来ました。 「神社が、2ヵ所か、3ヵ所あるはず」という大雑把な下調べで、出かけました。
≪写真1≫
最初に見つけた、「八幡神社」。 住宅地の細い道路に面しています。 ここに神社がある事を調べた上で来ないと、まず、見つけられません。 境内は、お世辞にも広くはないです。 鎮守の森の木は、よく手入れされています。 バイクを置く場所がないので、道路脇に停めました。 車で来ても、道路以外に、停める場所はないです。
≪写真2左≫
鳥居の名板。 神社によっては、名板を額に入れてある鳥居もあるわけですが、本来、鳥居のこの部分は、名前を入れる為の部品なのかもしれませんな。
≪写真2右≫
社殿。 変わっています。 拝殿が小さいというより、前方に飛び出している幅の狭い部分は、エントランスなのではないでしょうか。 階段も、垂直面が抜けた、神社らしくないものです。 強いて、似た雰囲気の建物を探すと、ロッジや、コテージでしょうか。 大変、面白い。 この写真では、分かりませんが、扉に、賽銭投入口らしき穴が開いています。
≪写真3左≫
社殿を、側面から見ました。 建物の後ろにも、飛び出した部分がありますが、この中が、本殿になっているのではないかと思います。 という事は、建物本体が拝殿で、やはり、前方の突出部分は、エントランスという事になりますな。 うーむ、面白い。
≪写真3右≫
手水場。 自然石を穿った、漱盤。 写真では、木と一体になっているように見えますが、他の角度からみると、ちゃんと分かれています。 蛇口はありますが、ハンドルは外されています。
≪写真4左≫
境内に、水準点がありました。 水準点マニアは、こういうのを見逃さないんでしょうね。
≪写真4右≫
少し北に行った所にある、高架道路。 伊豆縦貫道のもので、まだ、新しいです。 こういう風景は、なんというか、そのう、人の心を押し潰すような圧迫感がありますねえ。
【長泉町名米里・山神社】
≪写真1≫
伊豆縦貫道から、少し南に戻ると、黄瀬川沿いに、「山神社」がありました。 社殿は、木造、トタン葺き。 かつて、大きな神木があったようですが、切り株だけになっていました。
ここも、境内が狭くて、バイクは、道路に停めました。 車では、来ない方が無難。 神社の向かいは、個人のお宅でして、道路を塞いでしまうと、まずい事になると思います。
≪写真2左≫
鳥居の名板。 「山神」とだけあります。 これだけだと、「山神社(やまじんじゃ)」なのか、「山神神社(やまがみ・じんじゃ)」なのか、紛らわしいですが、「山神社」が正しいようです。 この板、鉄製ですかね? 少し、怖いです。
≪写真2右≫
社殿の扉のガラスに開けられた、賽銭投入口。 ガラスを切るのは難しくて、余計な部分まで、割れてしまっています。 プロのガラス屋さんの仕事ではないようです。
≪写真3左≫
これこれ。 境内の隅にあった、この建物。 大きさ的には、物置くらいですが、なんと、↓
≪写真3右≫
「上組山神社 寶物殿」と、あります。 神主が住んでいない神社で、宝物殿があるのを見たのは、ここが初めてです。 大変、興味深い。 中を拝見したいところですが、時節柄、人様を煩わせるのは、以ての外なので、諦めました。
≪写真4左≫
境内に置いてあった、ベンチ。 高級品ですな。 この神社は、意想外な物が多いです。
≪写真4右≫
境内に咲いていた花。 花だけ見ると、潮菊や磯菊に似ていますが、葉は、多肉食物のような感じで、まるで違っています。
≪写真5≫
境内の、すぐ横が、黄瀬川です。 ダイナミックな景観ですな。
【長泉町名米里・日吉神社】
2社、見たので、帰りかけたのですが、すぐ近くで、もう1社見つけてしまい、そこにも寄りました。
≪写真1≫
「日吉神社」です。 この日に寄った中では、最大。 といっても、村社クラスですけど。
≪写真2左≫
社殿。 木造、銅板葺き。
≪写真2右≫
手水場。 左に、自然石の漱盤がありますが、これは、引退している模様。 中央の流しが、現役のようですが、蛇口のハンドルは外されています。 流しの右側の台は、何なんでしょう? 物を置く場所でしょうか? もしや、井戸水で、この下に、汲み上げポンプのモーターが入っているとか?
≪写真3左≫
境内別社。 詳しく見ては来ませんでした。 「疫病終息祈願」の幟旗があります。
≪写真3右≫
社殿の側面。 拝殿と本殿が、別建物で、短い廊下で連結されている様式。 拝殿の横の窓には、シャッターが付いています。
≪写真4左≫
神社の裏手は、児童公園になっています。 たぶん、昔は、鎮守の森だったんでしょうな。 神域を子供の遊び場に変えてしまうのは、駿東地区では、よくある事です。
≪写真4右≫
神社の南側にあった、この建物。 公会堂のような趣きですが、地図には、名前が載っておらず、よく分かりません。
≪写真5左≫
児童公園で咲いていた、タンポポ。 野芥子と比べると、タンポポの花は、やはり、大きいです。
≪写真5右≫
同じく、白詰草。 この花は、大抵、一部が欠けていますな。 赤詰草は、完全な形が多いですが。
≪写真6左≫
神社の西側にある、長泉町指定有形文化財、「仏名碑」。 「観音弥勒」、「文殊普賢」といった文字が彫ってあります。
≪写真6右≫
神社の鳥居前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 参道らしき細い道を走って、ここまで来ました。 バイクだから、できる事。 車で来る場合、幹線道路の、県道87号線(旧246号線)側から入る道を探した方がいいと思います。
【長泉町下長窪・植木畑の祠】
2021年4月26日に、バイクで、出かけました。 長泉町・上長窪の「山神社」を目指したのですが、着きませんでした。 その代わり、下長窪の、とある植木畑の奥で、祠を発見し、その写真を撮って来ました。 そこを、山神社かと思っていたのですが、家に戻ってから調べたら、全く違っていたという、前にもやらかしたパターンです。
≪写真1≫
「山岸」の交差点から、坂道を登った、すぐの所です。 道路にバイクを停め、中に入ってみました。 この時点ですでに、「神社」ではないなと思ってはいたのですが、祠くらいはあってもおかしくない雰囲気でした。
≪写真2≫
何に使っている土地なのか、よく分かりませんでした。 平戸躑躅が多く植えられていて、花が咲いていました。 植木畑なんですかね?
≪写真3≫
こちら側には、一段高くなった所があります。 祠のニオイがしますねえ。 祠を置きたくなる地形とでも言いましょうか。
≪写真4≫
一番高い所まで行ったら、果たして、祠がありました。 私の嗅覚も満更ではありませんな。 しかし、これは、神社として、地図に載る規模ではないでしょう。 個人で祀った祠に違いありません。 結果的に、不法侵入になってしまって、申し訳ありません。
今回は、ここまで。
長泉町の名米里では、一遍に、3ヵ所の神社を回ってしまいましたが、プチ・ツーリングの作法上、こういうのは、大変、良くありません。 3ヵ所あったら、3回に分けて行くべきだったのです。 こんなにバタバタと、多くの所を見てしまったのでは、すぐに、目的地が払底してしまいます。 家から、2時間程度で往復できるくらいの近場なのだから、尚の事、何度かに分けて行くべきだったのです。
第一目的地が、規模の小さい神社だと、ついつい、「もう一ヵ所、見ておこうかな」などと、不埒な考えを起こしがちですが、いけませんなあ。 目的地を回り尽くしてしまったら、その時が、プチ・ツーリング趣味の終焉だというのに・・・。
たっくさん、いるでしょう? 「バイクには乗りたいけど、出かける先がなくなっちゃって・・・」という人が。 私も、引退後2年間は、そうでしたから、気持ちは良く分かります。 出かける先を確保するのが、バイクを趣味として続ける上で、最も重要な事だと思います。