EN125-2Aでプチ・ツーリング (35)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、35回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年7月分。
【長泉町下長窪・山神社】
2022年7月10日、バイクで、長泉町下長窪にある、「山神社」へ行って来ました。 沼津高専の、すぐ北側です。 しかし、ここを目当てに訪れる人は、ほぼ皆無ではなかろうか?
≪写真1≫
個人宅の、すぐ前にあります。 規模的には、個人で祀れるサイズです。 立派な鳥居あり。
≪写真2左≫
鳥居の裏に、文字が彫ってありました。 手前の柱には、「平成十九年四月吉日」。 2007年ですな。 奥の柱には、「奉納 ○○・△△寺 共同」。 個人と、寺で、管理している模様。
≪写真2右≫
社殿。 石の祠。 社殿がどんなに小さくても、「神社」を名乗る事に問題はありません。 単なる、「祠」になっていないのは、鳥居があるからでしょう。
≪写真3≫
神社の隣の、駐車場。 遠くの山は、愛鷹山ですが、考えようによっては、ここも、愛鷹山の裾野です。
≪写真4≫
祠の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 7月10日は、日曜でした。 普段、土日に、プチ・ツーに出る事はないのですが、この週は、車の車検と、天気の関係で、日程が押してしまい、日曜に、辛うじて晴れたので、出かけた次第。 今年は梅雨明けが早かったですが、こうと雨が多いのでは、梅雨と変わりません。
【中沢田・神明宮】
2022年7月13日、バイクで、沼津市中沢田にある、「神明宮」へ行って来ました。 10日の次が、13日で、間隔が狭いですが、前の週に、車の車検と雨天で、日程が押したのが、原因です。
≪写真1≫
梅で有名な、大中寺の北の方にあります。 私は、住宅地図で見つけましたが、ネット地図にも載ってるはず。 畑の奥にあります。
≪写真2左≫
正面。 鳥居は、石製。
≪写真2右≫
鳥居に、「神明宮」の名額がかかっていますが、針金で何とか吊っている状態。 落ちたら割れてしまうわけですが、割れていないという事は、落ちた事がないんでしょう。 そちらが、凄い。
≪写真3左≫
社殿。 本殿・拝殿一体式。 もしかしたら、拝殿の中に、本殿が安置されているのかも知れませんが、中を覗く事ができませんでした。 賽銭箱は、なし。 賽銭投入口もなし。
≪写真3右≫
斜め後ろから。 木造、瓦葺き。 前面の壁は、蔀戸風。 側面・背面は、波板トタン。
≪写真4左≫
石燈籠。 完品は、この一基だけでした。
≪写真4中≫
社殿背後の木と木の間に、注連縄が張ってありました。 背面に、結界を作ってあるのは、初めて見ました。 理由は、不明。 結界ではなく、単に、左右の木が神木である事を示しているだけなのかも知れません。
石燈籠の柱の残骸があり、「文政八年」とありました。 1825年、江戸後期、徳川家斉の治世。 その頃の遺物なら、そんなに珍しくないのかも。
≪写真4右≫
境内の裏の方にあった、大木の残骸。 怪獣のようです。 形から推して、切られたのではなく、枯れたか、雷にやられたのではないかと思います。
≪写真5左上≫
鳥居の土台の、すぐ後ろに、もう一組、土台がありました。 先代の鳥居のものでしょう。 もっと小さい、たぶん、木製の鳥居だったんでしょうな。 なぜ、残してあるのか? 答えは一つ。 神物は、捨てる所がないからです。 せめて、埋めたら、どうですかね? その種の事情は、この神社に限った事ではありませんが。
≪写真5左下≫
境内に用水路あり。 綺麗な水が、勢いよく、流れていました。
≪写真5右≫
道路を挟んで、向かい側にあった、個人墓地の敷地に停めさせていただいた、EN125-2A・鋭爽。 神社の前まで行くのが億劫で、ここに停めさせてもらいいました。 申し訳ない。 ちなみに、車で行っても、停める場所はないです。 畑の中の参道へ乗り入れるか、路上駐車するしかありません。
【西沢田・子の神神社①】
2022年7月18日に、バイクで、住宅地図で見つけた、鳥居マークを目的地に、中沢田へ出かけて行ったのですが、見つけたものの、個人宅の中にある神社で、入れませんでした。 やむなく、すぐ近くにある、「子の神神社」へ向かいました。 以前に、折自で来た事があります。
≪写真1≫
丘陵地帯。 住宅地と森が混在した所にあり、全体を写す事ができませんでした。 これは、鳥居の正面。 手前は、畑になっています。
石製鳥居の名額には、「子の神社」とあります。 「ねのかみ・しゃ」なのか、「ねの・じんじゃ」なのか、不明。
≪写真2左≫
鳥居の横にあった木。 この幹の質感が、たまりませんな。 エロチックだ。
≪写真2右≫
手水場。 庭の蹲用の石です。 前面に、右から、「奉納」と彫ってあります。 蛇口あり、ハンドルなし。 水が溜まっているところを見ると、排水設備なし。
≪写真3≫
社殿。 鉄筋コンクリートではなく、木造モルタル塗りなのでは? 瓦葺き。 扉のガラスが、一部抜いてあって、中に、賽銭箱が置いてあります。
≪写真4左≫
石燈籠。 これは、古い方で、一基しかありませんでした。 火袋に、修理跡があります。 なるほど、塗りつぶしてしまえば、それ以上、壊れませんわな。
柱を見たら、「寛延二龍舎巳已年九月吉祥日」とありました。 中間部分の「龍舎巳已」は、「星宿るは、巳已(の年)」という意味らしいですが、よく分かりません。 とにかく、「寛延二年」なんでしょう。 1749年。 九代将軍、徳川家重の治世。 だいぶ、古いな。
≪写真4右≫
こちらは、新しい石燈籠。 二基、対で、ありました。 昭和44年、つまり、1969年に、氏子の御夫妻が、金婚式の記念に奉納したもの。 そういう理由の奉納というのも、ありなんですな。 すでに、53年も経っているわけですが、まだまだ、新しい感じがします。
【西沢田・子の神神社②】
≪写真1≫
実はここ、前方後円墳があります。 沼津市に、前方後円墳は、三つしかありませんが、その内の一つ、「子の神古墳」なのです。 社殿の東側の、こんもりした墳丘が、後円部です。
≪写真2≫
こちらが、社殿の背後に当たる、前方部。 かなり、削られています。 おそらく、社殿を造る為に削ったのだと思いますが、元は、人の墓ですから、随分と思い切った事をしたものです。 被葬者よりも、神の方が大事だったんでしょうな。 私だったら、神社は他へ移し、前方後円墳を復元して、歴史公園に整備しますが・・・。
≪写真3左≫
社殿は、拝殿と本殿が、廊下で繋がれているタイプ。 廊下は割と長い方で、窓があります。
≪写真3右≫
沼津市教育委員会による、「子の神古墳」の解説板。 平成7年(1995年)に立てられたもの。 ここでは、神社の事を、「子の神神社(ねのかみ・じんじゃ)」と表現しています。 古墳は、「古墳時代後期初頭」のものと推測されているとの事。 発掘調査がされていないそうなので、詳しい事は分からないのでしょう。
≪写真4≫
社殿の横まで入れて停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘッド・ライトが、ウインカーと一緒に点けると、息をするようになり、この日は、ポジション球を点かないようにして、試し乗りをしました。 境内が暗かったので、ほんの数秒、点灯試験をしてみましたが、やはり、息をします。 しばらく、様子を見てみます。
≪写真5≫
神社の前から、少し東へ行った所で、眺望が開けていました。 沼津市街地が見えます。 右手、遠くの山並みは、沼津アルプス。 すぐ下に、トウモロコシ畑があります。 なるほど、この眺めが欲しくて、ここに古墳を造ったのだと、納得。
【西沢田・稲荷神社】
7月25日、バイクで、西沢田にある、「稲荷神社」へ行って来ました。 住宅地図には、名前が載っておらず、行って初めて、稲荷神社だと分かった次第。 個人祭祀なら、稲荷はたくさんありますが、こういう公けの神社だと、珍しいです。
≪写真1左≫
南側の入口。 ここから、歩き。 参道が、山坂になっています。
≪写真1右≫
孟宗の竹林を抜けて行きます。 密林化しておるのう。
≪写真2左≫
1分くらいで、稲荷の鳥居が見えて来ます。 2基、縦列で並んでいました。
≪写真2右≫
鳥居の基礎。 以前は、もう1基あった、というより、壊れたから、新しいのを立て直したのだと思います。
≪写真3≫
社殿。 木造、モルタル壁、瓦葺き。 賽銭箱は、中に置いてありました。 どこが投入口なのかは、分かりませんでしたが。
≪写真4左≫
社殿側面。 建物は、拝殿のみで、正殿は、小さな祠が、中に置いてありました。
≪写真4右≫
狛狐。 狛犬は、造形から、年代を推定できますが、狛狐は、滅多に見ない事もあり、全く分かりません。 筋ばっていて、今風の人間が好む造形ではありませんな。 台座は、新しい物でした。
≪写真5左上≫
社殿正面の庇の梁についていた、電灯。 片側だけというのが、割り切っていて、面白い。 「ヨーロッパの車は、後退灯が、片側にしかない、というのを思い出しました。
≪写真5左下≫
境内のすぐ北側を、東海道新幹線が通っています。 これは、その跨線橋。 現地で名前を確認して来ませんでしたが、住宅地図では、「子の神跨線橋」となっています。 確かに、子の神神社は近いですが、なぜ、もっと近い、「稲荷跨線橋」にしなかったんでしょうねえ。
新幹線が通る様子を撮影したかったんですが、隙間がなくて、断念。
≪写真5右≫
境内の横手に、道が通っていて、そちらから入りました。 この場合、バイクを停めてある場所は、路肩ではなく、境内の端です。 道路を挟んで反対側は、住宅が並んでいます。 怪しい人間と思われない為に、カメラを常に手に持ち、「神社を撮影に来たんですよ」というポーズを、少し大袈裟に演じると、つまらぬトラブルを避けられます。
今回は、ここまで。
おお、今回は、組み写真の枚数が、5枚ですな。 少ないと、アップが楽です。
本文中にもありますが、ヘッド・ライトが、ウインカーと一緒につけると、暗くなったり明るくなったり、息をするようになりました。 今年は、オイル交換以外、何もしなくて済むかと思っていたんですが、甘かったか。
去年の夏に、バッテリーを新品に換え、ヘッド・ライトとポジション・ライトを、ハロゲン球に戻したのですが、そのハロゲン球が、35ワットなのが、電力を喰っている様子。 その前に付いていた、LED球は、18ワットでしたから、前の持ち主が、18ワット用の回路に改造してあるとしたら、35ワットでは、バッテリーに負担がかかっても、不思議はないか。
とりあえず、ポジション・ライトを、切れている球に換えて、5ワット、消費電力を少なくしたのですが、しばらく様子を見ても、まだ、息をします。 結局、ヘッド・ライトを、LED球にするしかないか。
【長泉町下長窪・山神社】
2022年7月10日、バイクで、長泉町下長窪にある、「山神社」へ行って来ました。 沼津高専の、すぐ北側です。 しかし、ここを目当てに訪れる人は、ほぼ皆無ではなかろうか?
≪写真1≫
個人宅の、すぐ前にあります。 規模的には、個人で祀れるサイズです。 立派な鳥居あり。
≪写真2左≫
鳥居の裏に、文字が彫ってありました。 手前の柱には、「平成十九年四月吉日」。 2007年ですな。 奥の柱には、「奉納 ○○・△△寺 共同」。 個人と、寺で、管理している模様。
≪写真2右≫
社殿。 石の祠。 社殿がどんなに小さくても、「神社」を名乗る事に問題はありません。 単なる、「祠」になっていないのは、鳥居があるからでしょう。
≪写真3≫
神社の隣の、駐車場。 遠くの山は、愛鷹山ですが、考えようによっては、ここも、愛鷹山の裾野です。
≪写真4≫
祠の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 7月10日は、日曜でした。 普段、土日に、プチ・ツーに出る事はないのですが、この週は、車の車検と、天気の関係で、日程が押してしまい、日曜に、辛うじて晴れたので、出かけた次第。 今年は梅雨明けが早かったですが、こうと雨が多いのでは、梅雨と変わりません。
【中沢田・神明宮】
2022年7月13日、バイクで、沼津市中沢田にある、「神明宮」へ行って来ました。 10日の次が、13日で、間隔が狭いですが、前の週に、車の車検と雨天で、日程が押したのが、原因です。
≪写真1≫
梅で有名な、大中寺の北の方にあります。 私は、住宅地図で見つけましたが、ネット地図にも載ってるはず。 畑の奥にあります。
≪写真2左≫
正面。 鳥居は、石製。
≪写真2右≫
鳥居に、「神明宮」の名額がかかっていますが、針金で何とか吊っている状態。 落ちたら割れてしまうわけですが、割れていないという事は、落ちた事がないんでしょう。 そちらが、凄い。
≪写真3左≫
社殿。 本殿・拝殿一体式。 もしかしたら、拝殿の中に、本殿が安置されているのかも知れませんが、中を覗く事ができませんでした。 賽銭箱は、なし。 賽銭投入口もなし。
≪写真3右≫
斜め後ろから。 木造、瓦葺き。 前面の壁は、蔀戸風。 側面・背面は、波板トタン。
≪写真4左≫
石燈籠。 完品は、この一基だけでした。
≪写真4中≫
社殿背後の木と木の間に、注連縄が張ってありました。 背面に、結界を作ってあるのは、初めて見ました。 理由は、不明。 結界ではなく、単に、左右の木が神木である事を示しているだけなのかも知れません。
石燈籠の柱の残骸があり、「文政八年」とありました。 1825年、江戸後期、徳川家斉の治世。 その頃の遺物なら、そんなに珍しくないのかも。
≪写真4右≫
境内の裏の方にあった、大木の残骸。 怪獣のようです。 形から推して、切られたのではなく、枯れたか、雷にやられたのではないかと思います。
≪写真5左上≫
鳥居の土台の、すぐ後ろに、もう一組、土台がありました。 先代の鳥居のものでしょう。 もっと小さい、たぶん、木製の鳥居だったんでしょうな。 なぜ、残してあるのか? 答えは一つ。 神物は、捨てる所がないからです。 せめて、埋めたら、どうですかね? その種の事情は、この神社に限った事ではありませんが。
≪写真5左下≫
境内に用水路あり。 綺麗な水が、勢いよく、流れていました。
≪写真5右≫
道路を挟んで、向かい側にあった、個人墓地の敷地に停めさせていただいた、EN125-2A・鋭爽。 神社の前まで行くのが億劫で、ここに停めさせてもらいいました。 申し訳ない。 ちなみに、車で行っても、停める場所はないです。 畑の中の参道へ乗り入れるか、路上駐車するしかありません。
【西沢田・子の神神社①】
2022年7月18日に、バイクで、住宅地図で見つけた、鳥居マークを目的地に、中沢田へ出かけて行ったのですが、見つけたものの、個人宅の中にある神社で、入れませんでした。 やむなく、すぐ近くにある、「子の神神社」へ向かいました。 以前に、折自で来た事があります。
≪写真1≫
丘陵地帯。 住宅地と森が混在した所にあり、全体を写す事ができませんでした。 これは、鳥居の正面。 手前は、畑になっています。
石製鳥居の名額には、「子の神社」とあります。 「ねのかみ・しゃ」なのか、「ねの・じんじゃ」なのか、不明。
≪写真2左≫
鳥居の横にあった木。 この幹の質感が、たまりませんな。 エロチックだ。
≪写真2右≫
手水場。 庭の蹲用の石です。 前面に、右から、「奉納」と彫ってあります。 蛇口あり、ハンドルなし。 水が溜まっているところを見ると、排水設備なし。
≪写真3≫
社殿。 鉄筋コンクリートではなく、木造モルタル塗りなのでは? 瓦葺き。 扉のガラスが、一部抜いてあって、中に、賽銭箱が置いてあります。
≪写真4左≫
石燈籠。 これは、古い方で、一基しかありませんでした。 火袋に、修理跡があります。 なるほど、塗りつぶしてしまえば、それ以上、壊れませんわな。
柱を見たら、「寛延二龍舎巳已年九月吉祥日」とありました。 中間部分の「龍舎巳已」は、「星宿るは、巳已(の年)」という意味らしいですが、よく分かりません。 とにかく、「寛延二年」なんでしょう。 1749年。 九代将軍、徳川家重の治世。 だいぶ、古いな。
≪写真4右≫
こちらは、新しい石燈籠。 二基、対で、ありました。 昭和44年、つまり、1969年に、氏子の御夫妻が、金婚式の記念に奉納したもの。 そういう理由の奉納というのも、ありなんですな。 すでに、53年も経っているわけですが、まだまだ、新しい感じがします。
【西沢田・子の神神社②】
≪写真1≫
実はここ、前方後円墳があります。 沼津市に、前方後円墳は、三つしかありませんが、その内の一つ、「子の神古墳」なのです。 社殿の東側の、こんもりした墳丘が、後円部です。
≪写真2≫
こちらが、社殿の背後に当たる、前方部。 かなり、削られています。 おそらく、社殿を造る為に削ったのだと思いますが、元は、人の墓ですから、随分と思い切った事をしたものです。 被葬者よりも、神の方が大事だったんでしょうな。 私だったら、神社は他へ移し、前方後円墳を復元して、歴史公園に整備しますが・・・。
≪写真3左≫
社殿は、拝殿と本殿が、廊下で繋がれているタイプ。 廊下は割と長い方で、窓があります。
≪写真3右≫
沼津市教育委員会による、「子の神古墳」の解説板。 平成7年(1995年)に立てられたもの。 ここでは、神社の事を、「子の神神社(ねのかみ・じんじゃ)」と表現しています。 古墳は、「古墳時代後期初頭」のものと推測されているとの事。 発掘調査がされていないそうなので、詳しい事は分からないのでしょう。
≪写真4≫
社殿の横まで入れて停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘッド・ライトが、ウインカーと一緒に点けると、息をするようになり、この日は、ポジション球を点かないようにして、試し乗りをしました。 境内が暗かったので、ほんの数秒、点灯試験をしてみましたが、やはり、息をします。 しばらく、様子を見てみます。
≪写真5≫
神社の前から、少し東へ行った所で、眺望が開けていました。 沼津市街地が見えます。 右手、遠くの山並みは、沼津アルプス。 すぐ下に、トウモロコシ畑があります。 なるほど、この眺めが欲しくて、ここに古墳を造ったのだと、納得。
【西沢田・稲荷神社】
7月25日、バイクで、西沢田にある、「稲荷神社」へ行って来ました。 住宅地図には、名前が載っておらず、行って初めて、稲荷神社だと分かった次第。 個人祭祀なら、稲荷はたくさんありますが、こういう公けの神社だと、珍しいです。
≪写真1左≫
南側の入口。 ここから、歩き。 参道が、山坂になっています。
≪写真1右≫
孟宗の竹林を抜けて行きます。 密林化しておるのう。
≪写真2左≫
1分くらいで、稲荷の鳥居が見えて来ます。 2基、縦列で並んでいました。
≪写真2右≫
鳥居の基礎。 以前は、もう1基あった、というより、壊れたから、新しいのを立て直したのだと思います。
≪写真3≫
社殿。 木造、モルタル壁、瓦葺き。 賽銭箱は、中に置いてありました。 どこが投入口なのかは、分かりませんでしたが。
≪写真4左≫
社殿側面。 建物は、拝殿のみで、正殿は、小さな祠が、中に置いてありました。
≪写真4右≫
狛狐。 狛犬は、造形から、年代を推定できますが、狛狐は、滅多に見ない事もあり、全く分かりません。 筋ばっていて、今風の人間が好む造形ではありませんな。 台座は、新しい物でした。
≪写真5左上≫
社殿正面の庇の梁についていた、電灯。 片側だけというのが、割り切っていて、面白い。 「ヨーロッパの車は、後退灯が、片側にしかない、というのを思い出しました。
≪写真5左下≫
境内のすぐ北側を、東海道新幹線が通っています。 これは、その跨線橋。 現地で名前を確認して来ませんでしたが、住宅地図では、「子の神跨線橋」となっています。 確かに、子の神神社は近いですが、なぜ、もっと近い、「稲荷跨線橋」にしなかったんでしょうねえ。
新幹線が通る様子を撮影したかったんですが、隙間がなくて、断念。
≪写真5右≫
境内の横手に、道が通っていて、そちらから入りました。 この場合、バイクを停めてある場所は、路肩ではなく、境内の端です。 道路を挟んで反対側は、住宅が並んでいます。 怪しい人間と思われない為に、カメラを常に手に持ち、「神社を撮影に来たんですよ」というポーズを、少し大袈裟に演じると、つまらぬトラブルを避けられます。
今回は、ここまで。
おお、今回は、組み写真の枚数が、5枚ですな。 少ないと、アップが楽です。
本文中にもありますが、ヘッド・ライトが、ウインカーと一緒につけると、暗くなったり明るくなったり、息をするようになりました。 今年は、オイル交換以外、何もしなくて済むかと思っていたんですが、甘かったか。
去年の夏に、バッテリーを新品に換え、ヘッド・ライトとポジション・ライトを、ハロゲン球に戻したのですが、そのハロゲン球が、35ワットなのが、電力を喰っている様子。 その前に付いていた、LED球は、18ワットでしたから、前の持ち主が、18ワット用の回路に改造してあるとしたら、35ワットでは、バッテリーに負担がかかっても、不思議はないか。
とりあえず、ポジション・ライトを、切れている球に換えて、5ワット、消費電力を少なくしたのですが、しばらく様子を見ても、まだ、息をします。 結局、ヘッド・ライトを、LED球にするしかないか。