
「実話風小説」の24作目です。 冬の植木手入れを早目に済ませ、11月末から、12月初めにかけて、書いたもの。 書き始めれば、その気になるんですが、それまでが、きついです。
【ドラマチックな男】
ある日の宵、A氏の家の電話が鳴った。 A氏の妻が取り、A氏に、「Bさんだって」と、受話器を向けて来た。 一瞬、ためらったのは、A氏は、Bが誰だか、分からなかったからだ。 割と、ありふれた苗字だが、つきあいの範囲内に、該当する者はいなかった。 とりあえず、出てみるしかない。
「Aですが」
「・・・・、おお、A? 俺だよ。 Bだよ」
「どちらの、Bさんですか?」
「・・・・・。 なにぃ?」
「私の知り合いですか?」
「おまえ・・・、そういう言い方はないだろう!」
「分からないものは分かりません! 犯罪関係か、悪戯電話なら、切りますよ!」
「俺だよ! 高校の時に、同じクラスだっただろう!」
A氏、記憶を探ったが、まだ、顔が思い出せない。
「うーん。 Bさんねえ。 分からないなあ。 友人じゃなかったですよねえ。 さすがに、友人なら、覚えているものねえ」
「おまえ・・・・、本気で言っていのか? それとも、しらばっくれてるのか?」
A氏、カチンと来た。
「もちろん、本気だ! しらばっくれてるって、どういう意味だ! あんたが誰だろうが、そんな事を言われる筋合いはない!」
「なんで、おまえが怒るんだよ! 怒りたいのは、こっちだ! 俺は、お前のせいで、8年もくらってたんだぞ!」
つまり、刑務所にいたという事なのだろう。 A氏、突然、迷宮に引きずり込まれた気分である。
「何を言ってるんだ? 俺のせい? 頭は大丈夫か? おまえ、一体、何者なんだ!」
「だから、高校の同級生の、Bだって言ってるだろうが!」
「ちょっと、待ってろ。 卒業アルバムを見るから」
A氏は、自分の部屋に行って、押入れを引っ掻き回し、高校の卒業アルバムを出した。 その場で、自分のクラスの顔写真一覧を見る。 写真の下に、名前が書いてある。 Bの名はない。 五十音順に並んでいるから、見落とすはずがない。 そこで、他のクラスのも見てみると、そちらで、Bの名を見つけた。 つまり、1年か、2年の時の同級生だったのだろう。 顔には、見覚えがある。 ああ、こいつか。 確かに、友人ではない。 しかし、次第に、Bがどんな人間か、記憶が蘇えって来た。
「ドラマ野郎だ・・・」
A氏は、熱が出るのを感じた。 なんで、50歳を過ぎてから、あんな奴から電話がかかってくるのか。 厄年は、何とか、無事に乗り越えたと思っていたのだが、今頃になって、本番が来たのだろうか。
Bは、特に、人格に問題があるというわけではなかったが、テレビ・ドラマで見た内容を、真似たがる癖があった。 無類のドラマ好きで、登場人物に傾倒、心酔してしまい、セリフをそっくり真似たり、場面そのものを再現しようとするのだった。 その度が過ぎているせいで、周囲から、距離を置かれていた。
普通に、世間話をしていたのが、Bが、妙に芝居がかったセリフを言ったかと思うと、周囲の人間が凍りつく。 そのセリフは、Bが見たドラマの中からいただいたものに違いなく、ドラマのやり取りそのものでないにしても、相応しいセリフで返さないと、Bにつっこまれてしまうからだ。
「違うだろ~! そこは、○○○って、言ってくれなきゃあ! 分かってないな~!」
しかし、同じドラマを、他の人間が見ているとは限らないのだから、そんな返事を期待するのは、土台、無理な相談なのだ。 Bが、その無理を、周囲に強要していたのには、一応、理由がある。 ドラマには、一定の決まり事があり、同じドラマを見ていなくても、大体、パターンが決まっているのだから、対応できるはずだと言うのである。 やはり、無茶だな。
ふっと、もう一つ、Bに関して、思い出した事があった。 3年生の3月、学年末の事だが、A氏は、インフルエンザにかかったようで、熱が出て来たので、午後から早退する事にした。 もちろん、担任教師の了解は取っての事だ。 あまり、気風のいい高校ではなく、全体の1割くらいが、不良化しており、遅刻・早退は、日常的に見られた。
A氏が、廊下を歩いて、他のクラスの前を通りかかると、窓から、その様子を見たBが、突然、大声を上げた。
「おいっ! Aっ! どこに行くんだっ! まだ、終わってないぞっ!!」
A氏は、ちらっと、Bを見たが、喉の調子が悪くなっていて、返事をするのも億劫なので、無視して、先を急いだ。
「待てっ! 戻って来いっ!! 人生、投げるな!!」
どうやら、Bは、A氏が、不良化して、早退するのだと決め込み、引き止めようとしているようなのだ。 大方、学園物・青春ドラマの友情に篤い主人公にでもなったつもりでいるのだろう。 病気の時には、最も、関わり合いになりたくない類いの、鬱陶しい奴なのだ。 A氏は、調子が悪い体に鞭打って、走って逃げた。 Bと、野次馬根性で、教室を飛び出して来た数人の男子生徒は、階段の所まで来たが、それ以上は、追って来なかった。
A氏が、Bの事を思い出して、嫌悪感が真っ先に湧いて来たのは、この一件があったからだ。 なにが、「人生、投げるな」だ、馬鹿野郎が。 友人どころか、一対一で話した事も、ほとんど、ないくせに、勝手に、人を不良化したと決め込んで、大騒ぎする、その自己中心的な性格には、虫唾が走る。
後で聞いた話によると、Bが、自分のクラスの担任教師に、「Aが逃げた」と告げ、A氏の担任に問い合わせが行き、インフルエンザで早退した事が分かった。 Bの担任が、Bにそれを伝えたが、Bは、なかなか、信じなかったらしい。 思い込みが激しいのである。 自分が一度、決め込んだ事が、間違っていたと分かっても、非を認めず、相手の方が嘘をついていると考えるタチなのである。
A氏は、高校卒業後、Bのようなタイプに会わなかったので、清々していた、というか、そんな変な奴がこの世に存在する事すら、すっかり忘れて暮らしていた。 ところが、50歳を過ぎてから、当の本人から、またぞろ、わけの分からない電話がかかって来るとは、思わなかった。
10分ほどで、電話がある居間に戻り、受話器を取ると、切れていた。 少し、待たせ過ぎたか。 まあ、いいか。 あんな、変な奴。 これに懲りて、もう、かけて来なければいいのだが。
ところが、受話器を本体に戻すなり、また、鳴り始めた。 A氏が出た。
「もしもし」
「Aさんですか? 私、Bの姉なんですが」
「はあ。 お姉さんですか。 さっき、B君から電話があったんですが」
「それは分かっています。 この電話でかけていましたから」
「で、何か?」
「あの、えーと、Bが、怒ってました。 ちょっと、尋常でない怒り方で、泣きながら、怒ってました」
「なんで、そんなに、怒るんです? 私に何の関係があるのか、さっぱり、分からないんですが」
「本当に、分からないんですか」
「本当に、分かりません」
「弟は、あなたの代わりに、刑務所へ行ったと言ってました」
「なんですって!? えっ? えーっ! 一体、何の罪で?」
「強盗致死です」
「・・・、致死、という事は、相手を殺してしまったという事ですか? えええーーっ! 私の代わりに!? 知りませんよ、そんな事!! 何を言ってるんですか!!」
「私も、Aさんの事は、ついさっき、初めて聞いたんです。 出所したのが今日で、迎えに行って、とりあえず、私の家に連れて来て、ご飯を食べさせたんですが、弟の奥さんと子供が、8年前から、奥さんの実家に帰っていると言ったら、『Aは、何もしてくれてないのか?』と、言い出しまして、私も、Aさんの名前は初めて聞いたので、何の事だか分からなくて・・・」
Bの姉の話が途切れたので、A氏が喋った。
「ちょっと、待ってください。 私は、B君とは、高校の卒業式以来、一回も会っていません。 友達でもなかったから、卒業式の時にも、話なんかしていません。 とにかく、そんな親しい関係ではないんです。 何で、私の代わりに、刑務所なのか、全く、話が分かりません」
「はあ、そうですか。 あいつの、やりそうな事だ・・・」
「どういう事ですか」
「たぶん、弟は、事件が起こった時に、誰かの身代わりになったんだと思います。 真犯人の姿を目撃したんでしょう。 その犯人が、あなたに似ていたんじゃないでしょうか」
「だって、8年前の事でしょう?」
「事件が起こったのは、9年前です。 逮捕、起訴、裁判で、服役したのが、8年間ですから」
「ええ、9年前でも構いませんが、9年前といったら、私らは、42歳ですよ。 高校卒業してから、24年も顔を見てないのに、真犯人が私に似ていたって言うんですか?」
Bの姉は、少し考えてから、こう訊いて来た。
「Aさんには、何か、外見的な特徴はありませんか?」
「うーん。 高校の頃には、天然パーマでしたがね。 B君が覚えているとしたら、それかな」
「それかも知れませんね。 弟が目撃した真犯人が、天然パーマだったから、Aさんだと、思い込んだのかも知れません」
「ムチャクチャだ。 天然パーマなんて、珍しくもないのに」
「弟は、思い込みの激しい性格なんです。 一度、決め込んだら・・・」
「あー、それは、分かってます。 何でもかんでも、ドラマの場面みたいに解釈するんでしょう」
「そうそう、それです!」
A氏は、思いついて、言っておいた。
「どこで起こった事件か知りませんが、私は真犯人なんかじゃないですよ。 天然パーマも、手入れが面倒で、35歳から、坊主頭にしてますから、その事件が起こった頃には、天然パーマの私を目撃する事なんか、できなかったんです」
「そうですか・・・」
Bの姉は、黙ってしまった。 しかし、話はまだ、終わっていなかった。
「包丁がね・・・」
「何ですか? 包丁?」
「ええ。 うちの包丁が、なくなってるんですよ」
「それが、何か?」
「さっき、弟が、電話を切った後、家を飛び出して行きまして。 その時に、持って行ったんじゃないかと思うんです」
「待ってください! それは、つまり、B君が、包丁を持って、私を刺しにやって来るという事ですか?」
「そうかも知れません・・・」
「そんな馬鹿な! なんで、身に覚えがない犯罪のとばっちりで、私が刺されなくちゃならないんですか! B君が、勝手に、私が真犯人だと思い込んだんでしょうが! あまりにも、馬鹿過ぎる!!」
「そうなんです。 馬鹿なんです」
Bの姉は、否定しなかった。 おそらく、それまでにも、思い込みの激しい弟のせいで、さんざん、迷惑をかけられて来たのではなかろうか。
「ドラマの影響を、すぐに、受けてしまうんです。 Aさんは、2時間サスペンス、ご覧になりますか?」
「ええ、見ますよ」
「探偵役が、ある家を訪ねて行って、ドアに鍵がかかっていないと、中で、その家の住人が殺されているという、お約束があるでしょう?」
「はい。 よく、ありますね」
「弟は、しょっちゅう、あれと同じ事をやっていたんです。 自宅に帰って来たり、よその家を訪ねたりした時、玄関に鍵がかかっていないと、中に死体があると思い込んで、家中、探し回るんです。 馬鹿でしょう?」
「馬鹿ですねえ」
Bの姉も、Bが馬鹿だと認めているので、妙に話が弾んだ。
「もっと、小さい頃に、こんな事もありました。 私が、9歳、弟が、7歳の時に、父と母が離婚して、母が出て行って、私達は、父と家に残ったんです。 私もまだ、小さかったものですから、家事がこなし切れなくて、父が、友人に相談して、その人の奥さんに、昼間、2時間くらい、手伝いに来てもらっていたんです。 家政婦さんを雇うまで、一週間くらいなんですけど」
「ふむふむ」
「ところが、ドラマ好きだった弟が、その女性を、父の後妻だと勘違いしまして・・・」
「ああ~、やりそうですね、あいつなら」
「で、その人に向かって、あろう事か、『お母さん』と呼んだんです。 私も父もいる時だったんですが、驚いたのなんのって! 父なんか、取り乱してしまって、『馬鹿、馬鹿! 勘違いするな!』と、弟を怒鳴りつける有様。 その女性も、真っ赤になって、それっきり、来なくなってしまいました」
A氏は、自分まで恥ずかしくなって、耳まで赤くなったが、その直後、堪えきれずに、笑い声を上げた。
「わはははは!」
「あはははは!」
「馬鹿ですねえ!」
「馬鹿でしょう? もう、あれを思い出すと、恥ずかしいやら、おかしいやら。 本人は、すっかり、忘れているようですけど」
「たぶん、『お母さん』て呼んでやれば、『えっ! 今、何て言ったの? 私の事を、お母さんて呼んでくれたのね!』とか言って、ギュウッと抱き締めてもらえると、期待してたんでしょうね」
「そうそう! ドラマによく出て来る、くっさい場面そのまんま!」
「馬っ鹿だなーっ!」
「馬っ鹿だわーっ!」
横で聞いていた、A氏の妻が言った。
「随分、盛り上がっているようだけど、あんまり、長電話すると、向こう様に迷惑なんじゃない?」
「おお、そうだ!」
A氏は、我に返って、Bの姉に言った。
「B君は、私の家の住所を知ってるんですか?」
「卒業アルバムを調べて、Aさんの電話番号を知ったようです」
「それじゃあ、住所も載っているから、バレてるな。 申し訳ないが、緊急事態だから、警察を呼びますよ」
「そうして下さい。 殺人よりは、未遂の方が、いいですから」
A氏は、すぐに、警察に電話した。 110番である。 その後、最寄の交番にも電話して、「110番したんですが、間に合わないかもしれないから、そちらからも、来てもらえませんか」と、頼んだ。
Bは、A氏の家に来た事がなく、住所だけでは、なかなか、見つけられなかったようだ。 自転車で駆けつけた交番警官が、包丁を持った男を発見し、取り押さえたのは、A氏の家の門前だった。
「放せよーっ! Aの野郎、ぶっ殺してやるーっ!!」
「おとなしくしろっ! 公務執行妨害で逮捕するっ!」
「俺は、Aのせいで、8年間も、臭い飯を食って来たんだっ! それなのに、Aの奴、俺の女房子供の面倒も見てくれやがらねえっ! 身代わりになってやった俺に、この仕打ちはねーだろーっ!」
A氏は、玄関の内側まで来て、ドアを開けようとしたが、警官に止められた。
「開けないで下さい! まだ、手錠をかけてませんから!」
そこへ、所轄署から、刑事達が4人、覆面パトカーで到着して、Bを完全に押さえ込んだ。 やれやれ、とんだ、アクション・ドラマの一場面だったな。
Bは、A氏が、9年前の事件と、金輪際、無関係である事を、何度、説明されても、受け入れなかった。 思い込みが激しいのである。 9年前の事件は、Bが勤めていた、Z製陶という陶器製造会社で起こった。 午後7時、会社が終わった後に、強盗が、社屋の裏口ドアから侵入したのだ。 事務所の金庫を狙って入ったのが、社屋と社長宅が繋がっていたせいで、迷って、自宅の方へ入り込んでしまったようだった。
社長の姿を見た犯人は、気が動転したのか、果物ナイフを取り出し、社長の背後から刺した。 社長は、その場にうつ伏せに倒れた。 犯人は、社長宅から、社屋の方へ戻り、事務所に辿り着いたものの、金庫が、大きく重くて、数センチしか動かせなかった。 机やキャビネットの、引き出しや扉など、開くところは、全て開けて、滅多やたらに引っ掻き回したが、金目のものを見つけられず 結局、何も取らずに逃げたようだ。
一旦退社したBは、会社のロッカーに忘れ物をした事に気づき、戻って来た。 社屋の裏口ドアの鍵を、こっそり、複製して持っていたので、それで入ろうとしたのだが、突然、中からドアが開き、飛び出して来た犯人と鉢合わせした。 犯人は、黒い帽子に、黒いマスクをしていたが、天然パーマの髪だけは、はっきり、見えた。 犯人は、Bをかわすと、脱兎の如く逃げて行った。
社長は、倒れたまま、動く事ができなくなり、そのまま、昏倒した。 犯人が刺した果物ナイフが、心臓にまで達しており、体内で出血していたのだ。 数分後、社長の娘が発見した時には、すでに、反応がなかった。 強盗殺人である。 地方都市では、滅多に起こらない大事件であった。
娘は、取り乱しつつも、110番と、119番に通報した。 Bは、社屋のロッカー室で、普通に天井灯を点けて、自分のロッカーから、忘れ物を取り出しているところを、駆けつけた警官に、取り押さえられた。 所轄署に連行されてから、社長が刺され、事務所が荒らされた事を聞かされた。 「ああ、裏口ドアの所で鉢合わせした奴が、犯人に違いない」と、Bは思った。
Bは、当初、容疑を否認した。 当時、Bを取り調べた刑事達の話によると、Bは、終始、ハイだったらしい。 怒ったり、泣いたり、笑ったり。 刑事達は、Bの性質を知らなかったから、稀に、罪を犯した者が見せる、興奮状態だと思ったようだ。 実は、刑事ドラマの世界に、自分が、どっぷり、身をおく事になって、これまでの人生にない、悦楽に浸っていたのだったが。
刑事達は、取り調べの合間に、語りあった。
「昨日まで、社長の子供達の相続争いが原因だと言ってたのに、今日は、新説が出たな」
「若手デザイナーのアイデアを、社長が盗んだから、殺された、ってんでしょう? だけど、Z製陶は、一応、デザイン部門があるけど、伝統的な図柄が主流で、創作デザインなんか、やってないらしいですよ。 Bも、それは、知ってるはずなんですけどね」
「Bは、社長とは、折り合いが悪くて、しょっちゅう、衝突していたらしいし、社屋の裏口ドアの合鍵を、勝手に作っていたのも、計画性が窺える。 それより何より、あの態度だ。 心象は、真っ黒なんだが・・・。 それにしても、言ってる事が、支離滅裂だな」
「犯人の動線を辿ると、建物の構造を知らなかったとしか思えませんが、Bは、良く知っていたに違いないし、何か、おかしいですよね。 外部の者の犯行に見せかける為に、わざと、不合理な行動をとって見せたんでしょうか」
「話をした印象では、そんな凝った細工ができるようなタイプとは思えないがな。 非常に、薄っぺらい人間性を感じる」
「俺も、そう思いました。 なんだか、ドラマのセリフを、テキトーに喋っているような」
「それそれ! ドラマの場面を演じてるんだよ、あれは」
「最初に取調室に入れた時、興味津々で、部屋の中を見回して、いきなり、『あの、ピカッと眩しいライト、使わないんですか?』と訊いて来ましたからね」
「突然、マジック・ミラーの方へ、大声で訴えかけたり・・・」
「カツ丼を頼んで、泣きながら食ったり・・・」
「警察をナメてるな、あいつ」
「取り調べの雰囲気を楽しむ為に、思わせぶりな態度をとっているだけで、全くのシロなんじゃないですかね。 あいつに割いている時間が、無駄かも知れませんよ」
「ちょっと、引っかけてみるか」
取調室に戻った刑事達は、今までとは打って変わって、改まった態度になり、丁寧語で、Bに話しかけた。 最初は、テキトーな質問のつもりだった。
「Bさん。 もしかしたら、あなた、犯人を目撃したんじゃありませんか?」
ところが、この質問に、Bが、意外な反応を示した。 急に、縮み上がり、表情から浮ついた興奮が消えた。
「お手数かけて、申しわけありません。 私がやりました」
「はあ~ぁ? 自白~ぅ? なんで、そこで、自白になるんだよ? おまえ、ほんと、おかしいんじゃないの?」
そうなのだ。 Bは、おかしいのだ。 ただ、おかしさのピントが、刑事達の想像の域を超えるものだった。 まず、天然パーマの男を見た途端に、それが、高校時代の同級生、A氏だと、思い込んでしまった。 顔を、はっきり見たわけでもないのにだ。 Bにとって、過去に関わりがあった天然パーマの男といったら、A氏だけだったので、A氏に違いないと決めてしまったのだ。
四半世紀近く会っていないA氏が、なぜ、Bの勤め先に押し入ったのかについては、Bなりの解釈があった。 Bは、あまりにも、自己中心的で、思い込みが激しいが故に、過去にBが関わった他人は、みんな、Bの事が気にかかっているに違いないと思っていた。 だから、A氏も、Bの様子を見に、近くをうろついていたのだと考えたのだ。
取り調べに対して、自分が疑われている間は、否定し続けるが、もし、警察が、A氏を疑い始めるようなら、自分がやったと、言うつもりでいた。 常日頃、自分には、ドラマの主人公のような、数奇な運命が巡って来るはずだと思い込んでいたBは、「道を踏み外した、かつての同級生の為に、自分が罪をかぶってやる」という絶好の機会を得たと思ったのだ。 A氏に、一生の貸しを作る事に、この上ない魅力を感じてしまったのだ。 身代わりになってやれば、A氏は、死ぬまで、感謝するだろうと、根本から間違った算盤を弾いてしまったのだ。
警察というところは、仕事で捜査をしている。 正義感に突き動かされた素人探偵とは、似て非なるものなのだ。 明白に犯人が分かる場合には、もちろん、真犯人を逮捕するが、そうでない場合、「犯人らしき人物」でも、良しとする。 要は、検事に引き渡した後、公判を維持できるだけの証拠があればいいのである。 その際、本人の自白は、極めて有力な証拠となる。
Bは、真犯人ではないのだから、証言は矛盾だらけなのだが、Bが辻褄合わせに頭を使う必要はなく、刑事達の方で、何とか、辛うじて、筋が通るストーリーを作ってくれた。 Bは、頷いているだけで、良かった。
「これこれこういう事だったんだな」
「はい、その通りです」
Bが拘ったのは、殺意がなかったという点だけだった。 強盗殺人だと、死刑か無期懲役になってしまうが、強盗致死なら、ぐんと、刑が軽くなるからである。 そういう知識があったわけではなく、国選弁護人から、聞かされたのである。 出所できなくては、A氏に、貸しを返せと、言えないからだ。
以上が、9年前の事件の顛末。 さて、今回、A氏の家に押しかけたBが連行されたのは、別の警察署だった。
「9年前の社長殺しは、Aが犯人なんだ! 俺は、Aの罪をかぶって、刑務所に行ったんだ!!」
真犯人が野放しになっているとしたら、聞き捨てならないので、9年前に事件を扱った所轄署から、担当した刑事が呼ばれた。 年配の刑事は、すでに定年退職していたが、若い方が、現役だった。 当時の捜査資料を持って、やって来た。
「Aさんねえ。 そんな人は、捜査線上に、全く浮かびませんでしたよ。 どこの人なんですか? 害者との関係は?」
A氏も、警察署に呼ばれて、聴取を受けたが、関係なんか、あるはずがない。 Bが戯言を言っているとしか思えない、と言った。 Bは、取調室で、9年前の担当刑事相手に、絶叫した。
「俺は、天然パーマの男を見たんだ!!」
「天然パーマ? おまえ、9年前は、そんな事、一言も言わなかったじゃないか」
「だから、それは、Aを庇ってぇ!!」
「顔は見たのか」
「見てないけど、天パーっていったら、A以外に、考えられないじゃないか!!」
「なんで、そうなる? 天パーなんて、珍しくもない」
「・・・・・」
そう言われてみれば、そうだ。 「憑き物が落ちる」という現象があるが、Bは、刑事に言われて、ようやく、その事に気づいた。 天然パーマの男なんて、いくらでもいるのである。 ただ単に、Bが過去に関わった該当者が、A氏だけだったというだけの話で。 呆然としているBの前で、刑事が、ある事に気づいた。
「ちょっと待て。 天パーの男? そういえば、Z製陶の取引先の営業に、一人いたな」
「そいつだ!」
「なーにが、『そいつだ!』だよ。 なんで、9年前に、天パーの事を言わなかったんだ! 馬鹿か、お前は!!」
真犯人でもないのに、刑事から、馬鹿呼ばわりされる奴も、珍しい。
調べたところ、Z製陶の取引先にいた天然パーマの営業マンは、Bが刑務所に送られた頃に、病死していた。 身寄りがない人物で、遺品も、自治体によって、処分されており、捜査のしようがなかった。 これでは、Bの無実を証明するには、材料が乏し過ぎる。
A氏が、「結局、未遂だったのだから、今回の件は、大ごとにしないで下さい。 また、ムチャクチャな理由で恨まれちゃ、敵わないから」と言ったので、Bは、数日、拘留されただけで、釈放された。
さて、B。 とりあえず、姉の家に戻ったが、姉の夫や、その息子夫婦からは、白い目で見られるのを避けられなかった。 家族でもない人間の罪をかぶって、8年も服役するなど、常識がある人達には、とても、正気の沙汰とは思えなかったのだ。 その上、包丁を持ち出すなど、物騒極まりない。 姉からも、なるべく早く、仕事と住む所を見つけて、出て行くように言われた。
呆れるというより、驚くべき事であるが、仕事を探す必要に迫られたBは、会社もあろうに、Z製陶へ行った。 殺された社長の長男が、後を継いでいたのだが、まず、Bがヌケヌケと訪ねて来た事に、驚愕した。 謝罪しに来たのかと思って、一応、社屋の応接室に通したが、Bの用向きは、謝罪ではなく、再雇用の要望だった。 現社長が激怒して、「どういうつもりだ!」と、声を荒らげると、「俺は、身代わりになっただけで、犯人ではないから」と、涼しい顔で言った。
現社長が、9年前の事件の所轄署に電話をし、担当刑事と話をすると、出所後のBについて、詳しい経緯を伝えられた。 刑事は付け加えた。
「でも、Bが見たって言う天然パーマの男は、もう死亡していて、証拠も処分されているから、Bの証言を証明する方法がありません。 再審請求しても、裁判まで、もって行けないでしょうねえ。 なに? そこへ来てるんですか? えっ? 再雇用しろって? わはははは! 馬鹿馬鹿しい! 私の名前を出して、追っ払って下さい」
現社長は、その通りにした。 Bは、必死に無実を訴えたが、現社長にしてみれば、狂人の戯言としか思えなかった。
「いいから、帰れ! そんなに無実だって言うなら、再審請求して、無罪判決を受けてから、出直して来い!」
次に、妻の実家に行ったが、一応、中に入れてもらえたものの、いきなり、離婚届を突きつけられた。 妻からは、9年前の事件の前から、愛想を尽かされていたのだ。 交際していた時には、Bが、洒落た愛の言葉を口にするので、すっかり騙されてしまったのだが、結婚して、正体が分かって来ると、それらが、ただ、恋愛ドラマのセリフを真似ているだけである事に気づいた。 恋は盲目、痘痕も靨、若気の至りとはいえ、こんな馬鹿男と結婚してしまったとは、一生の不覚!
その頃から、用意してあった離婚届で、歳月を経て、変色していた。 Bは、ムスッとして、離婚届を押し返した。
「無実の罪で、8年も服役して来た俺を、少しは、労わる気はないのか」
それを聞いた妻の、怒るまい事か。
「労われぇ? 馬鹿も休み休み、言え! 何が、無実の罪だ! 自分で、殺したって、認めたんだろうが! 私や子供の事は、全然、考えなかったのか! 家族が、いきなり、人殺しの妻や、人殺しの子供にされたら、どうなるか、考えもしなかったのか! この馬鹿がっ!!」
「俺は、Aを庇ってだなぁ!!」
「話は、義姉さんから聞いてるぞ! そのAさんは、何の関係もなかったんだろうが! 馬鹿っ! 馬鹿っ! 地獄行きの馬鹿がっ! その頭は、スッカラカンか! いーや、スッカラカンの方が、まだ、マシだ! 何も考えられなきゃ、ドラマの真似なんか、しないからなっ!!」
妻が姿を消したと思ったら、デッキ・ブラシを握って戻って来た。 Bは、腕や背中を、力任せに、ガンガン叩かれ、追い出された。 門から逃げ去るBを、二階の窓から、高校生の娘が見ていたが、その目は、憎悪に燃えていた。 父親の有罪が決まった後、彼女が、学校で、どんな目に遭ったかは、想像に余りある。
娘が窓を開けた音に気づき、Bが振り向いた。 ぎこちなく笑顔を作って、片手を上げた。 父親を見下ろす娘の顔が、悪鬼の形相に変わった。 そして、怒鳴った。
「死ねっ!!」
Bは、妻の実家近くにある、海に突き出した断崖の上に、長時間、立っていた。 崖の上に立っていれば、誰かが駆けつけて、因縁話を聞いてくれ、自殺を止めてくれると思ったのだろう。 しかし、誰も来なかった。
Bの姿を、沖合いに船を出していた漁師が、ちらっと目撃している。 飛び込んだところは、見ていなかったから、通報もしなかった。 妻も、娘も、姉も、Bがどうなったかは、関知していない。 7年後に、失踪届が出され、死亡した事になった。