2024/08/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (59)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、59回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年7月分。





【伊豆の国市中・金比羅神社】

  2024年7月4日。 伊豆の国市・中にある、「金比羅神社」へ行って来ました。 反射炉の、上の道を登って行くと、割と近い所にあります。 以前から、地図では見ていたのですが、どこにあるか分からず、ストリート・ビューで、ようやく、目星がつけられました。

≪写真1左≫
  水道施設。 タンクのようなものがあります。 ここを見つけられれば、神社も分かります。

≪写真1右≫
  水道施設の横に、階段があり、鳥居が見えます。 この前の道は、何度も通っているのですが、ちょっと、奥に入っているだけで、この鳥居に気づかなかったのです。

≪写真2左≫
  鳥居に、一般家庭の表札のような名板が入っていました。 「金比羅神社」。 「こんぴら・じんじゃ」。

≪写真2右≫
  参道。 「どこに、道があるのだ?」と思うでしょうが、コンクリートの板のような、段差不明瞭な階段があるので、迷う事はないです。 左手前に、山漆が写っています。 行きには気づかず、帰りに気づいて、震え上がりました。

≪写真3≫
  境内。 草ボウボウ。 参道同様、ほぼ、放棄状態。 建物は、コンクリート・ブロックで出来た覆いで、中に、木製の祠が入っていました。

≪写真4左≫
  この石ですが、おそらく、火袋が失われた、石燈籠だと思います。 自然石を使った石燈籠は、神社では、珍しいです。

≪写真4右≫
  道路を挟んだ向かい側に、飲食店の廃墟のような所がありました。 そこの、レイアウト絵図。 兵どもが夢の後、という感じ。

≪写真5≫
  廃虚の方の空き地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 これといって、問題なく、走っています。 目的地が、内陸だと、錆びる心配がないから、手入れが楽です。




【伊豆の国市中・千利休竹取之碑】

  2024年7月8日。 伊豆の国市・中にある、「千利休竹取之碑」へ行って来ました。 反射炉の、上の道を登って行くと、前回行った、金比羅神社より、手前にあります。 以前から、ある事は分かっていたのですが、停まったのは、初めて。

≪写真1≫
  手前は、駐車場。 奥が、庭園。 とうも、石材に関係する民間企業が造った施設のようです。

≪写真2左≫
  幕末の韮山代官、江川坦庵の石像。 ざっくりした造形。 石だと、風化しますから、このくらいの方が、長もちするのかも知れません。

≪写真2中≫
  石の、五重塔。 細かい細工。

≪写真2右≫
  石のオブジェ。 黒い部分に、水が流れ落ちていました。

≪写真3左≫
  オブジェの裏側。 給水設備が見えます。

≪写真3中≫
  鶴の石像。 番なんでしょうな。 これは、大きい方で、もう一組、小さいものもありました。

≪写真3右≫
  駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 一応、キーは抜きましたが、他に誰もいなかったから、挿したままでも、大丈夫だったでしょう。 山の中腹なので、突然、誰かか現れて、バイクを乗り逃げして行くという状況は、考え難いです。

≪写真4左≫
  これが、千利休竹取之碑。 説明板が、上4分の1くらい、なくなっており、千利休が、この付近の竹で、花入れを作って、豊臣秀吉に贈ったらしいのですが、千利休本人が、ここに来たのかどうかが、はっきりしません。

≪写真4右≫
  竹取之碑の近くにあった、あずまや。 一体式の、テーブル・椅子があります。 ピクニック客用でしょうか。

≪写真5左≫
  ガス灯風の、庭園灯。 千利休とも、江川坦庵とも、時代が一致しませんが、細かい事を考えなければ、いい雰囲気です。 夜は、点灯しているんでしょうかね。 それを確かめる為だけに、夜にここに来るほど、興味があるわけではありませんが。

≪写真5右≫
  江川坦庵像の下にあった、大砲。 江川さんは、幕末に、反射炉で、臼砲を作らせたのですが、それは、もっと、ずんぐりしたものです。 これは、カノン砲ですな。




【伊豆の国市中・道祖神】

  2024年7月17日。 伊豆の国市・中にある、「道祖神」へ行って来ました。 ネット地図に、史跡として載っていたところ。 反射炉より、少し北ですが、地図を調べて行かないと、辿り着けません。

≪写真1≫
  ひと形の坐像が、道祖神。 左右の石碑は、文字が薄くて、確かめて来ませんでした。 こういう風に、集まっているものは、大抵、区画整理などで、行き場がなくなった神物・仏物を、一ヵ所に集めたものです

≪写真2左≫
  道祖神だけ。 笏を持っているという事は、仏像ではないという事です。 服装も、衣冠束帯。

≪写真2右≫
  これは、注意書きの石碑。

「之より上流の分水に、他区の者手をつけるな 中区」

  かなり、きつい物言いですな。 過去に、水争いがあったんでしょうか。 この石碑は、さほど、古いものではないです。

≪写真3≫
  道祖神のすぐ後ろを、川が流れています。 元からあった小川を、用水にしたんじゃないでしょうか。 上流側は、こんな景色。 のどかですが、人が複数人 住んでいれば、いろいろな事が起こるわけだ。

≪写真4左≫
  道祖神の、道路を挟んで向かい側にあった、「中区 自主防災倉庫」。 消防分団の詰所ではないです。

≪写真4中≫
  近くに咲いていた、花。 キク科っぽいですな。

≪写真4右≫
  道祖神横の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日の走行距離は、29キロ。 伊豆の国市の、旧韮山町だから、まだまだ、遠いですな。 時間的には、1時間足らずで、帰って来ているのですが、それは、目的地での滞在時間が短いからでしょう。




【伊豆の国市中・馬頭観音】

  2024年7月22日。 伊豆の国市・中にある、「馬頭観音」へ行って来ました。 ネット地図に出ていたところ。 前の週に行った、「道祖神」から、山側に少し入った、道路脇にあります。

≪写真1≫
  家型の覆いの中に、石像があります。 バイクは、置き場所がなくて、路肩に停めました。 特に広くなった場所でもなく、車が来ないか、ヒヤヒヤでした。

≪写真2左≫
  犬小屋よりは、だいぶ、立派な覆いです。 屋根は、トタン。 いささか、素人っぽい葺き方ですが、日曜大工にしては、上級の腕前ですな。 私がやれと言われたら、とてもできません。

  昔、よく見られた、お墓用の、緑色の花立てがあります。 仏物だからでしょう。 神物では、こういう花立ては、普通、使われません。

≪写真2右≫
  覆いの中。 確かに、仏物の石像ですが、馬頭観音について詳しく知らないので、どういう所を見ればいいのか、分かりません。 ペット・ボトルと、缶のお茶が供えてあります。 ワン・カップよりは、印象がいいですな。

≪写真3≫
  消火栓と、ホース格納箱。 地下に水槽があるのか、隣の川から吸い上げるのかは、不明。 ホース格納箱は、新しい物でした。 赤い色は、目を引きますな。

≪写真4≫
  隣を流れていた、川。 消火栓で吸い上げられるほどの水量ではないか。 この川が下って行って、道祖神の背後を流れているのかも知れません。




【伊豆の国市南條・南条公園】

  2024年7月29日。 伊豆の国市・南條にある、「南条公園」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 地区名は、「南條」ですが、公園名は、「南条~」で、漢字が違います。

≪写真1≫
  全景。 特に、何もないです。 広さは、野球やサッカーができるクラス。

≪写真2左≫
  物置。 左側の小さいのは、傾いていて、ドアが引っ掛かって、辛うじて、倒壊を免れている観あり。

≪写真2右≫
  トイレ。 社殿のような趣き。 目隠しの裏に、ドアもあって、使い易いように、よく考えられています。

≪写真3左≫
  ベンチ。 草に覆われている上に、だいぶ、ヤレている様子。 座るのは考えもの・・・、というか、誰も座らないから、こうなってしまったのでしょう。

≪写真3右≫
  注意書き。

「ゴルフの練習は危険です  絶対にやらないでください」

  広いですが、ゴルフとなると、かっ飛ばせば、外へ飛び出すので、道路の人や車に当たる危険性があるのでしょう。 過去に、そういう事があったから、禁止になり、この注意書きが立てられたのかも。

≪写真4≫
  公園の入り口前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 30メートルくらい、未舗装路を走って、ここまで来ました。

  未舗装路は、できれば、走りたくありません。 何が落ちているか、分からないからです。 出先でパンクなんて、車でも嫌ですが、バイクでは、スペア・タイヤがないから、最悪ですな。 最寄のバイク屋まで押して行って、直してもらうか、最寄のホーム・センターまで歩いて行って、パンク修理剤を買って来て、応急修理をするしかありません。





  今回は、ここまで。

  7月は、伊豆の国市の、旧韮山町に行きました。 韮山町というと、前後・北条氏の根拠地で、日本の歴史に深く関わっている土地ですが、そういう所は、折自でポタリングをしていた頃に、行き尽くしているので、プチ・ツーでは、目的地から外しています。 それでなくても、人が大勢 来るような所には、行きたいと思いませんし。

2024/08/18

実話風小説 (31) 【シェア・ハウスの怪人】

  「実話風小説」の31作目です。 6月の13・14日頃に書いたもの。 シェア・ハウスのあるある体験は、実際に暮らした事がある人なら、もっと、わらわら、出て来ると思います。 私は、経験がないので、読んだ話を元に、想像を膨らませて書きました。 当初、結末は、もっと、露悪趣味的なものだったのですが、あまりにも、尾籠度が高いので、インパクトが減るのを覚悟の上で、少し軟らかくしました。




【シェア・ハウスの怪人】

  「シェア・ハウス」というと、せいぜい、この20年ほどの間に出て来た言葉だが、複数の他人が、一つの住宅に住むという点では、昔からあるものである。 中小企業で、独身寮を用意できない会社が、賃貸住宅を借りて、独身社員を複数人、同居させるというのも、同類のシステムであろう。

  自ら進んで、シェア・ハウスに住みたがる人には、性格的に、大きく分けて、三種類がある。 一つは、進学や就職などで、親元から離れるにあたり、自分一人で生きて行く自信がない人達。 最初から、依存心全開で、他人を親代わりにして、家事をやらせ、おんぶに抱っこで暮らそうというのである。 虫のいい連中だな。

  もう一つは、その対極で、他人の世話を焼くのが好きな人達。 世話を焼いてもらう側からすると、一見、ありがたい性格と思えるかもしれないが、もちろん、世話焼きタイプには、それなりの目的がある。 要は、他人より、上位に立ちたいのだ。 「俺は、お前の世話をしてやってるんだ。 お前が文化的な生活していられるのは、俺のお陰なんだぞ」と、恩を売っているのである。

  世話焼き型と、依存型の組み合わせになると、うまく噛み合って、しばらくは、平穏に事が進む。 ところが、依存型にも、プライドがあり、世話されているのに、相手に感謝しようとせず、逆に、「世話をさせてやってる」といった傲岸な態度を取る場合がある。 陰で言っているくらいなら、まだしも、本人の前でからかうなど、あからさまになると、もう行けない。 罵り合いの喧嘩の挙句、世話焼き型の方が、馬鹿馬鹿しくなって、出て行ってしまう。

  三つ目は、依存型でも、世話焼き型でもない、中間型。 自分の事は自分でできる上に、他人に対して、思いやりがあり、それでいて 、出しゃばらず、余計な事はしない。 一口で言えば、常識がある人達である。 中間型だけが集まると、うまく行く期間が長くなる。 しかし、こういう人達は、自分一人でも生きて行く事ができるだけに、他人との共同生活を、是が非でも必要としているわけではない。 それでも、シェア・ハウスを選ぶのは、経済的な事情からだろう。 一人で、アパート一室を借りるよりも、家賃が安いからだ。


  さて、この話の舞台になるシェア・ハウスは、たまたま、中間型の4人が集まった所だった。 場所は、大都市の郊外。 まだ新築で、最初に入った人と、2番目に入った人が、しっかりしていたので、3人目、4人目も、先住者に倣って、自立性の高い生活をしていた。 同居しているからと言って、互いに頼り過ぎるのは、悶着の元だという事を、全員が承知していたのだ。 4人目が入って、半年くらいは、非常にうまく行っていて、管理会社の担当者が、「お宅は、模範的です」と、誉めて行ったくらい。

  先に入った二人が、勤め人で、3人目と4人目は、大学生だった。 入居順に、A、B、C、Dとする。 たまたま、年齢順でもある。 全員、男性。 ちなみに、性別混合のシェア・ハウスというのも、皆無ではないかもしれないが、自分や、自分の子供が入るのであれば、避けた方が良い。 必ず、恋愛絡み、性行為絡みの問題が起こる。 同性だけでも、外から異性が訪ねて来れば、そういう問題は起こるわけだが、日常的に、一つ屋根の下に暮らしているのでは、発生する頻度が違う。


  おかしくなったのは、D君の先輩が、訪ねて来てからだ。 D君は、故郷の町にいた時、割と有名な神社の祭を運営する団体に所属していたのだが、そこの先輩だった男Zが、突然、訪ねて来たのだ。 Zは、25歳で、Aさんと同い歳である。 旅行鞄と、トランクまで持っていた。 D君、嫌な予感がしたが、Zは、お構いなしに、ズカズカ、上がり込んでしまった。

  そのハウスでは、訪問者は、個別の部屋で、話をする程度なら、許容されていた。 D君は、Zを部屋に入れた。 思ったより、狭い部屋だったので、Zが、「居間の方でいいじゃないか」と言った。 D君は、ルールを説明して、承知させようとしたが、Zは、先輩風を吹かせて、言う事を聞かず、さっさと居間へ行ってしまった。 他に誰もいなかったのは、とりあえず、幸い。

  D君は、早く話を済ませて、Zを追っ払いたかったが、Zは、なかなか用件を言おうとしない。 飲み物を要求したり、菓子を要求したり、のらりくらりと、話をはぐらかす。 こんな事をしていたら、他の同居人が帰って来てしまう。 D君は、いよいよ、切羽詰って、丁寧語は保ちつつも、きつい調子で、用件を問い質した。

  Zの返答は、D君に脂汗を流させた。 「しばらく、泊めてくれ」と言うのだ。 それは、ハウスのルール違反。 親や兄弟姉妹でさえ、泊められないのである。 広さ的に言っても、個人の部屋は、6畳くらいしかないから、二人寝るのは、無理だ。 しかし、Zは、意に介さなかった。

「ここで寝るから、いいよ。 大丈夫だよ。 その管理会社の連中、毎日来るわけじゃないんだろ? 他の3人だけ、納得させりゃ、いいんだろが。 任しとけ」

  D君は、Zの不敵な態度に、ゾッとした。 そこへ、D君のスマホに、電話が入った。 同じ町の出身者で、同じ都市の専門学校に通い、郊外に、アパート住まいしている、Y君である。 D君とは、同い歳。 D君は、自室へ行って、話し始めた。 電話のY君は、脅すように言った。

「おい、気をつけろ。 Zさんが、押しかけて来るらしいぞ」

「もう、来てるよ」

「中に入れるな」

「手遅れだ」

「馬鹿だなあ。 あの人の性格、知ってるだろ。 入れたら、居座るぞ」

「まずいとは、思ってるんだが・・・。 ところで、お前、その情報、どこから知った?」

「先に、Xのアパートへ行ったらしいんだよ」

  X君というのは、D君やY君より、一つ年下の同郷者である。 同じ都市の大学に入学したばかりだ。

「一番若いから、狙われたんだな。 Xの所に、半月以上、居座ってたらしい。」

「そんなに? Zさんて、地元で就職してたよなあ。 仕事は、どうしたんだ?」

「辞めたらしいよ」

「どうして、また?」

「それが、呆れちゃうんだが・・・。 クラス会で、都会に出た同級生に会って、からかわれたらしいんだわ。 『よく、こんなダセー所で、暮らしてられるよな』って。 『お前も、都会に出て来いよ。 こんなド田舎でくすぶってたら、一生、後悔するぞ』って」

「余計な事を言ってくれたもんだ。 Zさん、それを真に受けて、仕事辞めて、出て来たのか? 馬鹿だなあ。 中途半端な年齢で出て来たって、仕事なんか、見つかるもんか」

「最初は、その同級生を訪ねて行ったらしいんだが、その人、アパートを引き払ってたんだと」

「どうして?」

「特殊詐欺の受け子をやって、逮捕されたらしい」

「まったく、いい加減な上に、非常識な奴だ。 そんな奴に唆される、Zさんも問題だが・・・」

「で、行き場がなくなって、Xの所へ転がり込んだらしいんだ」

「迷惑だったろうな」

「そりゃ、もう。 Zさんの性格だ。 やりたい放題で、Xの奴、奴隷扱いされたらしい」

「よく、半月で出て行ったな」

「親に泊まりに来てもらったんだと。 アパートの大家さんにも来てもらって、『一人部屋として貸しているんだから、こういうのは困る。 どうしても、二人で住むのなら、家賃を2倍にする』って言ってもらったら、渋々、出て行ったんだそうだ」

「つまり、そこまでやらないと、出て行かないという事か・・・」

「でも、お前の所は、シェア・ハウスだから、同居人と協力して当たれば、住み着くのを阻止できるかもしれないな」

「うん。 それは期待できるが・・・」

「できれば、クニに帰るように勧めてくれよ。 お前ん所を追い出されて、俺ん所へ来られても困る」

「うーん・・・、 あの人、年下の言う事なんか、聞かないと思うがなあ」

  居間に戻ると、同居人の、Aさん、Bさんが、帰宅していた。 Zと、和気藹々と話をしている。 D君、「まずい・・・」と思った。 Zが、すでに、二人を言いくるめている恐れがあった。 案の定、Aさんが、D君に向かって言った。

「Zさん、今夜は、泊まって行くんだって?」

「いや、それは・・・」

「ルール的には、駄目だけど、一晩くらいなら、目を瞑るよ。 先輩なんでしょ?」

「いや、それが・・・」

  Bさんも、頷いている。 二人とも、年上として、物分かりのいい、懐の広い、いい人を演じているのだろう。 やがて、Cさんも帰って来て、Aさんから話を聞いた。 彼は、あまり、いい顔をしなかった。 Zのようなタイプを知っていて、ひと目で本性を見抜き、警戒していたのだ。 しかし、すでに、Zを泊める事に同意している、Aさん・Bさんの手前、反対はしなかった。

「管理会社の担当が来なければいいんですがね」


    で、Zは、居座ってしまったのだ。 二日目の昼間、出かけていたので、もう、いなくなったのかと思ったが、荷物は置いてある。 暗くなる前に戻って来て、「一日中、ハロー・ワークにいた」と言った。 これは、暗に、「仕事が見つかるまでは、ここに住む」と、主張しているのである。 一見、前向きな態度のようだが、Zの性格を知っているD君は、懐疑的。 Cさんは、D君を、外に呼び出して、きつい言葉で言った。

「あれは、居座るつもりだろう。 君は、知っていて、受け入れたのか?」

「いやその・・・、押しかけられてしまったんです。 すいません」

「つまり、あいつは、君の言う事も聞かないわけだな。 まずい事になったな・・・」

  三日、四日、五日・・・。 一週間経っても、Zは、出て行かなかった。 出て行くどころか、いつのまにか、D君の部屋とベッドを占領してしまい、D君は、別に布団を買って来て、居間で寝起きしなければならなくなった。 4人とも、Zに仕事が見つかれば、出て行くだろうと、淡い期待を抱いていたのだが、その内、Zは、昼間でも出かけなくなった。 二日目に、ハロー・ワークに行ったと言うのも、嘘かも知れない。 就職する努力をしているようには見えなかった。


  一般論だが、シェア・ハウスによって、生活ルールが異なっている。 ほんとに、部屋を分け合っているだけで、居間、浴室、トイレなど、共用部分の清掃は、管理会社がやっている所は多い。 食事の用意の当番制もなくて、台所が付いていても、電子レンジを使ったり、水道で食器を洗うくらいの用にしか使われていない事もある。 大学生や専門学校生はもちろん、勤め人でも、出かける時間、帰って来る時間は、バラバラだから、食事を一緒にとる事は稀なのだ。 その用意も、バラバラになるのは、致し方ない。

  共用部分の掃除を、当番制にすると、必ず、やらない奴が出て来る。 たとえば、4人いて、週に一度、掃除するとする。 大体、一人当たり、一ヵ月に一度、掃除当番をすればいいわけだが、たった、それだけの負担でも、やらないのである。 親元にいた時には、自室の掃除も、親に任せっ放しで、雑巾一つ絞った事がない。 箒なんか、家では、一回も持った事がない。 やり方も知らなければ、やる気もない。

  同居人から、「今週、あんたが掃除当番だろう」と指摘されると、「ああ、忘れてた。 明日やるよ」と答えるが、実際には、やろうとしない。 うやむやにして、次の週に、次の当番が掃除するのを待つのである。 そんな、いい加減な人間は、うじゃうじゃいるのだ。 自分が掃除したくない、他人にやらせたいから、わざわざ、シェア・ハウスを選んだのであろう。

  自分以外の同居人全員から、文句を言われ、「分かったよ。 やりゃあ、いいんだろー!」と、不貞腐れて、掃除を始めると、嫌がらせで、家具を動かすような大掃除をやる。 「俺は、やる時には、徹底的にやるんだよ。 お前らとは、根性が違うんだよ」などと言いながら。 はっきり言って、迷惑なだけなのだが。 そして、次に、自分の当番が回ってくると、「こないだ、大掃除をやったから、一年間は、やらなくていいんだよ」などと、うそぶく。

  嫌がらせで、個人の部屋まで侵入し、「言われた通り、綺麗に片付けなきゃなあ!」と言いながら、部屋の中にある物を、手当たり次第、ゴミ袋に押し込んで、捨ててしまった例もある。 部屋の主が帰って来て、ビックリである。 さすがに、これは、犯罪なので、相応の処置が取られたようだが・・・。

  そういうタイプの人間は、一口に言って、共同生活に向かないのである。 結婚にも向かない。 死ねとまでは言わないが、他人に迷惑をかけないように、一生、独りで暮らすのがいいと思う。


  さて、Zだが、共用部分の掃除当番など、全くやらなかった。 「俺は、Dの部屋の居候なんだから、掃除当番は、Dがやれば、それでいい」という理屈だ。 夜は、D君の部屋のベッドで眠り、昼間は、居間で、ゴロゴロしていた。 最初の内、宵には、一緒にテレビを見ていた、Aさん・Bさんも、Zがチャンネル選択権を握ってしまったので、次第に、居間に寄りつかなくなった。


  すぐに問題になったのは、Zがトイレで、立って小便をする事だった。 管理会社の担当者から、トイレを汚さないように、排尿も座ってするよう、注意を受けていたのだが、D君が、Zにそれを伝えても、聞く耳持たなかった。

「ああん? 何言ってんだ? 男が立って小便は、当たり前だろ。 座ってする方が、おかしいだろ」

  鼻で笑って、トイレを汚し続けた。 当番に迷惑をかけられないと思い、毎日、D君が掃除していた。 他の3人もそれを知っていたが、Zの性格が分かって来ると、どうせ、何を言っても聞かないだろうと諦めてしまった。


  風呂の掃除も然り。 追い炊き機能がないので、風呂は、一人入るたびに、湯を捨てて、浴槽内を、シャワーとブラシで、軽く洗っておくのが、決まりだったが、Zが、そんな事をするわけがない。 昼間から、ハウスにいるから、一番先に入って、汚れた湯は、そのまま。 二番目の者は、古い湯を流し、浴槽を洗ってから、新しい湯を入れなければならなかった。 Cさんなどは、それが馬鹿馬鹿しくなり、シャワーだけで済ますようになった。

  Zは、涼しい顔である。

「俺の家じゃ、そのつど、湯を捨てるなんて、もったいない事はしなかったぜ。 お前らが、おかしいんだ。 環境意識がねーのかよ?」

  D君が、入る時間がバラバラだし、追い炊き機能がないから、湯をとっておいても、冷めてしまうのだという事を、何度、説明しても、理解しようとしなかった。 知能が低いのではなく、性格がねじけているせいで、他人の言う事を聞こうとしないのだ。 また、頭が硬くて、それまでの習慣を頑なに変えようとしないのだ。 自己中心的で、周囲が自分に合わせるべきだと、勝手に決め込んでいた。


  洗濯は、全自動洗濯機があったが、一人一人、別々に洗っていた。 毎日ではないから、適宜、相談して、それで、うまく行っていた。 ところが、Zは、自分で洗おうとはしなかった。 D君に、押し付けて、「一緒に洗っといて」である。 それだけなら、まだしも、他の者が洗濯している時でも、途中で、蓋を開けて、自分の汚れ物を放り込んだ。 干す段になって、見知らぬ衣類が混じっている事に気づき、背筋が凍る思いをするのであった。 Zに言うと、

「ああ、一緒に干しといて。 取り込んだら、俺の部屋に置いといてよ。 畳むのは、俺がやるよ」

  譲歩しているつもりらしい。 こいつ、一体、何様だ? 最初の内は、やんわり注意していたが、Zが一向にやめようとしないので、籠を一つ用意し、洗い終わった時点で、Zの洗濯物は、その籠に放り込んでおく事になった。 それでも、Zは干そうとせず、仕方なく、D君が干した。 もちろん、D君が洗濯した時には、Zの物も一緒で、干すのも、取り込むのも、畳むのも、D君がやらなければならなかった。


  このシェア・ハウスでは、夕食の用意も当番制だった。 料理をする場合は、当番が人数分を作る。 料理をしない、もしくは、できない場合、当番が、惣菜弁当などを人数分買って、冷蔵庫に入れておく、というパターンを取っていた。 カップ麺や袋ラーメンなどは、昼食や夜食用で、各個人で、自分の部屋に用意していた。

  D君が、「飲み食いは、自分のお金でやってよ」と、当番に入る事を要求したところ、Zは、「俺は、自分で用意するから、いいよ! 住人でもないのに、当番なんて、やれるか!」と言って、拒否した。 ところが、自分の食料を買い出しに行くわけでもなく、D君が、部屋に買い置きしているカップ麺を、全部食べてしまったのだ。 やると思ってはいたから、驚きはしなかったが・・・。

  Zが、どれくらい、お金を持っていたのかは、よく分からない。 以前は働いていたのだから、預金があったのかも知れないが、どう見ても、キリギリス型であり、稼いだ端から使ってしまって、ほとんど、持っていなかった可能性もある。 夕食の当番制は、一定金額を予め出し合っておかないと成り立たないから、懐の都合で、入ろうとしなかったのかも知れない。

  Aさんが、夕食当番の日に、その事件は起こった。 Aさんは、退勤後、コンビニで、弁当4個を買って帰宅したが、誰もいなかったので、冷蔵庫に入れておいた。 その上で、用事を済ませる為に、また、出かけて行った。 2時間後に帰って来たら、揉め事が起きていた。 Zが、中学時代の同級生を連れて来て、冷蔵庫にあったコンビニ弁当を、振舞ってしまったのだ。 しかも、二人で、4人分を平らげていた。 空になった缶ビールが、6本あったが、これは、同級生に買わせたらしい。

  さすがの、Aさんも、キレた。 Zにガンをつけると、凄味を利かせて言った。

「おい! どういうつもりなんだ? 自分の飯じゃない事は、分かってたんだよな! そもそも、夕食当番に入ってないんだから!」

  対するZ、酒が入っているせいもあるが、元から、こういう性格なのだろう。 この上なく、ふてぶてしい態度で応じた。

「あ~ん? な~に~、その態度~? あんた、喧嘩する気~?」

  Bさんが、慌てて、止めに入った。

「Aさん、待った! ここで、喧嘩はまずいよ!」

  実は、Aさん、柔道の有段者なのだ。 弱いからではなく、強いから、喧嘩ができないという立場にある。 Bさんも、Cさんも、D君も、Aさんの、Zに対する怒りが どれくらいか、我が事の如く想像できるだけに、ここで喧嘩になったら、血を見るくらいでは済まず、殺人事件に発展してしまうのではないかと、そちらを心配していた。 Aさんは、辛うじて、理性を保った。

「喧嘩はしない。 管理会社の担当者を呼ぶ」

  Bさんが言った。

「今回は、見送ろう。 D君が、責任を問われてしまうから。 いや、最初は、俺も、Aさんも、見て見ぬフリをしたんだから、俺たちも、追い出される危険性がある」

  と宥めておいて、今度は、Zに向かって、きっぱり言った。

「あんた、いい加減、出て行ってくれないか。 後輩に迷惑かけるのも、これだけやれば、もう、充分だろ」

  Zは、ヘラヘラ笑って、答えない。 事の成り行きに、身を小さくしていた、Zの客が、おずおずと、Zに訊いた。

「なに? ここって、お前の部屋じゃないの?」

「Dの所に住んでんだから、俺の部屋みたいなもんだ」

  Aさんが言った。

「違うだろ! あんたは、ただの居候だ! ルール違反のな!」

  Zの客が立ち上がり、Bさんの腕を引っ張って、屋外に連れて行った。

「すいませんでした。 こういう事情とは知らなかったもんで。 弁当代は、私が払います」

「そうしていただけるとありがたいですね。 いや、お金だけもらっても、困りますから、今から、コンビニに行って、4人分、買って来てくれませんか。 私ら、仕事から帰ったばかりで、体力が残ってないですから」

「分かりました」

  常識がある人間で助かった。 Zの友人だったら、こうは行かなかったかもしれないが、彼は、同級生に過ぎなかったのだ。 どこで調べたのか知らないが、突然、Zがアパートを訪ねて来て、「飯を食わせてやる」と言うので、ついて来ただけだったのだ。 彼は、30分後に戻って来て、弁当4個を置いて、帰って行った。 ちなみに、この人物、それ以降、Zとは縁を切って、二度と会わなかったそうだ。


  Zは、頑として、出て行かなかった。 常識がある者からすると、理解し難い事だったが、「一度、住み始めたら、そこに居続ける権利がある」と、勝手に思い込んでいるようだった。 銀行のATMコーナーで、自分の番になると、用が済んでも、通帳をじっと眺めて、なかなか、どこうとしない人間が、よく見受けられるが、あれと同じで、「一度取った場所は、自分のもの」という意識が発生するのかも知れない。 何とも、動物的な意識ではある。


  また、事件が起こった。 今度は、生臭い話だ。 A、B、C、Dの4人は、「Zの事だから、いつか、やるのでは・・・」と予想していたが、案の定、やらかした。 女を連れ込んだのである。 ある日曜日の夕方、D君がハウスに帰って来ると、A、B、Cの3人が、廊下に立っている。 何かと訊いたら、Cさんが、唇に人指し指を当てた。 耳を澄ますと、女の喘ぎ声が聞こえる。 D君の部屋からだ。 D君は、さすがに、カッと頭に血が上り、自分の部屋のドアを開けようとした。 中から鍵がかかっている。 ドンドンと叩いた。

「おい! 開けろっ! 何やってるんだ! 開けろ! 開けろ!」

  普段、大人しいD君としては、凄じい剣幕。 他の3人が、止めようとしたが、その前に、ドアが、少し開いた。 Zが立っているのが見えた。 大急ぎで、ズボンだけ穿いたという様子。 D君は、ドアを、力任せに開いた。 D君のベッドの上には、上半身裸の女がいて、掛け布団で胸を隠しながら、こちらを睨んでいた。

  D君は、喫驚した。 その女は、高校時代に、D君が交際していた相手だったのだ。 卒業で別れて、それっきりになっていた。 噂では、地元で就職し、他の男と交際しているらしいと聞いていたのだが、その相手が、Zだったとは・・・。 おそらく、Zに呼び出されて、わざわざ、性交渉をする為に、出て来たのだろう。

  女は、D君の顔を見て、目尻を吊り上げ、ヒステリックに、わめいた。

「何! あんた、どうして、ここにいるんだ! ストーカーになったのか! 私らが、何してるか、分かるだろ! 最低限のエチケットも知らないのか!」

「お前こそ、なんで、ここにいるっ!」

「Zさんの部屋だから、いるんだよっ!」

「ここは、俺の部屋だっ!」 Zを指さして 「こいつは、ただの、居候だっ!」

「・・・・・」

  絶句した女が、Zを見ると、あらぬ方向を向いて、耳の穴を小指で掻いている。 女は、それ以上、一言も喋れなくなった。 首筋から耳まで、ドス赤くなり、大慌てで、服を着ると、中腰姿勢で、出て行こうとして、廊下の3人とぶつかりそうになった。 3人が避けて、道を開けたところへ、後ろから、D君が、女のバッグを持って追いかけて来た。

「バッグを持ってけ!」

  女は、半身 振り向いたが、下を向いたまま、手を伸ばし、バッグを受け取って、出て行った。

  D君の激昂メーターの針は、振り切ったままだった。 Zに向かって行って、肩を掴み、外へ追い立てようとした。

「出て行けっ! なんだ、お前はっ! 狂ってるのかっ!」

「お前、誰に向かって、そんな口を・・・」

「お前は、一体、何なんだ! 化け物か? 俺に取り付いている、妖怪か! いいから、出て行けっ!」  

  Zは、D君の部屋から出て行ったが、居間に移っただけだった。 Aさんが、他の3人の同意を得た上で、管理会社に連絡した。 担当者は、夜になって、やって来た。 Zは、担当者が来る前に出かけてしまっていた。 荷物は、そのままである。 4人から事情を聞いた担当者は、渋い顔を作った。

「つまり、最初に、泊まっていいと言ってしまったんですね。 その上、居座るつもりだと分かった後も、出て行くように、強く言わなかったと。 それで、2ヵ月も・・・。 まずいなあ、そういうのは。 法律上、管理会社の権限で追い出せなくなってしまうんですよ。 強制的に外へ出しても、そういうタイプの人間は、また戻って来ます。 あなた方が悪い人達でないの知っているけど、お人好しが過ぎましたねえ・・・」

「どうしたら、いいでしょう?」

「そのZという人には、親はいないんですか?」

  全員が、D君を見た。

「分かりません。 地元でも、家を訪ねるような仲じゃなかったですから」

「荷物が置いてあるなら、住所や、実家の電話番号が書いてあるものがありませんかね?」

  全員で、D君の部屋に行き、Zの鞄やトランクを開けて、物色した。 漫画雑誌以外、文字を書いたものは、何もなかった。 D君が、自分の実家に電話した。 掻い摘んで事情を話し、自治会長に訊いてもらい、Zの実家の電話番号が分かった。 担当者が電話をかけた。 Zの母親が出ているらしい。 担当者は、事情を説明したが、相手が怒鳴っているようだ。 しかし、担当者は、この種の問題に経験があるようで、冷静だった。

「あなたが怒るのは、筋違いでしょう。 お宅の息子さんのせいで、大変な迷惑を被っているのは、こちらなんですよ。 いいえ、詐欺師じゃないですよ。 シェア・ハウスの管理会社です。 どうぞ、いくらでも調べて下さい。 何なら、こちらで、警察に届けますが、それでもいいですか?」

  これは、ハッタリだったが、警察の名前を出したのは、利いた。 電話の相手は、父親に変わったようだ。 父親は、事情をすぐに飲み込んだようである。

「ああ、お父さんが、いらっしゃる? そうして下さい。 明日? 昼頃ですね。 ○○駅の南口。 はい、はい、」

  翌日、Zが、ハウス内にいる事を、D君が担当者に電話で報告すると、駅前で待ち合わせた担当者と、Zの父親が、営業車で一緒にやって来た。 父親が居間に乗り込んで来た時の、Zの顔は見ものだったが、その直後が修羅場になったので、誰も笑えなかった。 父親は、物も言わずに、ソファに座っていたZの腹の上に馬乗りになると、その頬に、力任せの往復ビンタを食らわせた。

「この馬鹿めっ! お前は、何をやってるんだっ! せっかく、紹介してもらった仕事を放り出して、こんな所で、よそ様に大迷惑をかけやがって! お前は、一体、何がしたいんだ! 少しは、頭を使って、先の事を考えろ! 一生、他人の居候で、暮らすつもりか! 馬鹿者がっ! この大馬鹿者がっ!!」

  誰も止めなかった。 Zの頬が脹れ上がり、人相が変わるまで、往復ビンタは続いた。 Aさんは思った。

「ここまでやれるなら、もっと小さい内に叱っておけば、こんな人間にならなかったのに・・・」

  父親に蹴飛ばされながら、Zは、荷物を纏め、出て行った。 そのまま、クニまで連れて行くというので、担当者が、車で、駅まで送って行った。


  翌日、担当者がやって来て、ハウスの4人に、出て行ってくれと、通告した。 一見、理不尽なようだが、外部の者を宿泊させないというルールを破ったのは、やはり、見過ごせなかったのだ。 ただし、系列会社の運営している、リフォームしたばかりのシェア・ハウスが少し離れた街にあり、入居者を募集していたので、4人で、そこに移れるように、取り計らってくれた。 新築ではないから、家賃は、5パーセントほど安かった。 4人に、断る理由はなかった。


  実家に連れ戻されたZは、ちょうど一ヵ月後の深夜、眠っていた父親の頭に、庭から持って来たコンクリート・ブロックを投げ下ろして、殺害した。 目を覚まして、悲鳴を上げた母親も、裁ち鋏で刺して、殺した。

  翌日、事件が発覚しない内に、電車で、都市に出て、例のシェア・ハウスへ向かった。 ところが、住んでいたのは、前とは違う4人だった。 前の4人がどこへ行ったのか訊いたが、誰も知らなかった。 仕方がない。 こいつらでもいいか。 持って来た食材を見せながら、精一杯、愛想のいい顔を作って、言った。

「前の4人と一緒に食べるつもりで、買って来たんだけど、無駄になっちゃうから、お宅ら、食べますか? 俺が鍋を作りますよ」

  シェア・ハウスに住みたがる若者には、経済的に苦しい者が多い。 一食でも、ただ飯が食えれば、儲けものだと思っている。 断る理由もないと思って、Zをハウス内に入れた。 5人で、居間のテーブルを囲み、カセット・ガス・コンロに載せた鍋が煮えるのを待つ。 野菜が煮えた頃合で、肉が入れられた。 最後に、Zが、500ccのペット・ボトルくらいの大きさの、見慣れない容器を出した。 「何か、特別な調味料かな?」と、4人が思った直後、Zが、中身を一気に鍋の中に搾り出した。 強烈な刺激臭が、部屋中に広まった。

  それは、Zが、以前勤めていた工務店で使っていた、接着剤だった。 固まるまでは、凄いニオイがする。 この時は、水と熱に反応して、ブクブクと泡が盛り上がり、ニオイも、更に強くなった。 その時、鍋を囲んでいた4人が、後で証言したところでは、「塩酸のニオイ」とか、「尿のニオイ」とか、「古い布団を干した後のニオイを、千倍くらいに増幅したもの」とか、様々な表現がされている。

  Zは、狂っていたのだ。 悲鳴を上げて、逃げ出す4人を見て、ゲラゲラと笑った。

「ざまあ見やがれ! お望み通り、夕飯を作ってやったぞ! ありがたく、喰いやがれ! わはははは!」

  前の4人と、今の4人の区別がついていないというより、シェア・ハウスに住んでいる者を、全て同一視し、敵視していたのだろう。 警察が呼ばれ、逮捕、送検されたが、殺人を2件犯していたものの、心神喪失で、不起訴。 精神病院に入ったが、同室の者達を、顎で使う癖が治らず、個室に隔離されて、間もなく、首を括って死んだ。 これほど勝手放題な性格なのに、孤独には耐えられない人間だったのである。


  Zが接着剤を煮たシェア・ハウスは、リフォームを繰り返しても、なぜか、悪臭が消えず、長い事、空き家のままだった。 20年後に解体された後も A、B、C、Dの4人は、その付近に、絶対に近づかなかった。 Zと接触した彼らは、怪物や妖怪の存在を信じるようになっていたのだ。


  そうそう、D君の元カノだが、D君が、大学を卒業して、地元の企業に就職し、Uターンして来ると、入れ代わるように、町を出て行った。 小さい町なので、顔を合わせる確率が高く、恥に絶えられなかったのだろう。 D君の方も、ホッとした。 その女の顔を見れば、否が応でも、Zの事を思い出してしまうからだ。

2024/08/11

パソコン・ネット関連機器 ⑩

  日記ブログの方に書いた記事。 私的な、パソコン・ネット関連機器の変遷史です。 日記からの移植なので、日付が付いている次第。 このシリーズは、今回で終わり。 




【2023/11/09 木】
  パソコン・ネット関連機器の変遷史。 最後は、デジカメです。



≪写真1左≫
  オリンパスの、「CAMEDIA C-2」。 2001年10月に、「ワットマン」で、34500円で買いました。 たっか! でも、当時は、そのくらいしたのです。 ズーム機でないから、これでも、安かった方。

  2001年10月に、亀のホーム・ページ、≪換水録≫を立ち上げ、写真が要るというので、デジカメを買ったのです。 マクロ撮影をするから、その性能だけは、拘りました。 最短撮影距離10センチですから、今思うと、大した事はないですけど。 写りは、「肉眼で見たまんま、撮れる」という地味な感じでした。 200万画素。

  電池は、単三アルカリか、ニッケル水素充電池が、2本。 最初は、充電池を使っていたんですが、瞬く間に、メモリー効果が出て、一回の充電で、2枚くらいしか撮れなくなりました。 そのせいもあり、外に持ち出す事は、ありませんでした。

  2004年4月に、母に譲ったのですが、母は使いこなせなくて、死蔵。 2009年3月に、返してもらって、しばらく使いましたが、スマート・メディアの容量が少な過ぎたのと、乾電池のもちが悪かったので、すぐに、使わなくなりました。 その後、自室で死蔵。 2017年3月に、リサイクル・ボックスに入れて、処分しました。

≪写真1右≫
  バンダイの、「FSTYLE mini」。 2002年6月に、清水町のパソコン・ショップ、「O.Aナガシマ」で、1980円で買いました。 30万画素の、トイ・カメラです。 「C-2」を、家用にしていたので、外出に持ち出せるカメラが欲しかったのです。

  ひどい写りでしたが、値段を考えると、そんなものでしょう。 結構、あちこち、持って行きました。 フラッシュを使わなければ、単四電池2本で済んだので、軽いのは、ありがたかったです。 外出用に、他のカメラを買ってからは、死蔵。 その後、パソコンを換えたら、カメラのソフトをインストールできなくなってしまい、使用不能に。 2017年3月に、リサイクル・ボックスに入れて、処分しました。

≪写真2左≫
  日立の、「i.mega HDC-2」。 2004年4月に、沼津の大岡にあった、「ヤベ電器」で、10000円で買いました。 その店は、今は、ハード・オフになっています。

  母用に買ったのですが、操作にコツが必要な上、屋内で撮影すると、暗くなってしまい、とても、母に渡せないので、自分で使う事にしました。 外出用カメラのメインにしていた頃もあります。 2010年の岩手応援の時にも、持って行きました。 死蔵していた期間もあり。 私が仕事をやめてからは、月に一度、折自でポタリングに行く時だけ、このカメラを使っています。

  200万画素ですが、それは、カタログを飾る為の数値で、実質100万画素。 固定焦点なので、最短撮影距離よりも離れていれば、ピンボケが起こらない気楽さがあります。 AEロックが可能で、明るさの調節ができます。 使い方次第では、中の下くらいの写真なら、撮れるカメラです。

  今でも使っているわけだから、随分と、長持ちした事になります。 時計はとっくに壊れて、日時データは記録できなくなりました。 もはや、モニターも薄くなったり、写らなくなったり。 でも、撮影は、まだ、できるのです。 単三乾電池2本ですが、非常にもちがよくて、200枚以上、楽に撮れるのも、捨て難い魅力。

≪写真2右≫
  キャノンの、「PowerShot A60」。 2004年5月に、清水町のショッピング・センター、「エスポット」で、14800円で買いました。 ちと、ややこしい話になりますが、母用に買った、「HDC-2」が、性能的に、母に渡せなかったので、私が使っていた、「C-2」を母に譲り、代わりに、私のメイン機として、この、「PowerShot A60」を買ったという流れです。

  200万画素。 「さすが、キャノン!」という、画質で、今見返しても、このカメラで撮った写真には、目を持って行かれます。 撮影者の腕なんか関係なく、シャッターを押せば、カメラが勝手に、いい写真にしてしまう感あり。

  惜しむらく、単三乾電池が4本も必要で、アルカリを買っていたのでは、お金がたまらないので、ニッケル水素充電池を使っていたら、またまた、メモリー効果の嵐。 外に持ち出せませんでした。 2007年8月以降、腹を括って、アルカリ電池を使い、外で使うようになったのですが、酷使が祟ったのか、2009年3月に撮影不能になり、引退させました。

  とはいえ、このカメラが、今まで私が買った中で、最も良く写るカメラだったのは、否定できません。 「さすが、キャノン!」と、繰り返しておきます。 2016年4月に、リサイクル・ボックスに入れて、処分しました。

≪写真3左≫
  オリンパスの、「CAMEDIA X200」。 2004年5月、沼津市大岡のハード・オフで、中古を、17850円で買ったもの。 父にやる為だったのですが、家に帰って、調べてみたら、壊れていて、まともな操作ができません。 「中古の電子機器とは、こういうものか・・・」と、思い知りました。 前の持ち主の立場で考えると、カメラなんて、壊れてなければ、売ったりしないわけだ。 店は、良心的で、返品に応じてくれました。

≪写真3右≫
  キャノンの、「PowerShot A310」。 2004年5月、「X200」を返品した、その足で、沼津市大岡の西友へ行き、20790円で、これを買いました。 どうしても、父に、デジカメを買ってやりたかったのです。

  すぐに、父に渡してしまったので、どんなカメラだったのか、よく分かりません。 父は、ほんの数枚、撮っただけで、興味を失ったらしく、死蔵。 10年くらい経ってから、私が回収したのですが、長期間使っていなかったせいか、壊れていました。 2016年4月に、リサイクル・ボックスに入れて、処分しました。

≪写真4左≫
  ペンタックスの高倍率ズーム機、「X70」。 2009年10月、「カメラのキタムラ」で、23800円で買いました。 元展示デモ機が、アウトレット・コーナーに移されていたもの。 定価は、40000円。

  「PowerShot A60」が壊れた後、半年くらい、「C-2」を使っていたのですが、その頃、野鳥の撮影に凝り始め、新しいカメラが欲しく成りました。 デジスコでは、高過ぎるので、高倍率ズーム機に妥協して、これを買ったのです。 買った当初は、外に持ち出して、野鳥撮影をしていましたが、その内、飽きてしまい、家の中と、庭の敷地内だけで使うようになりました。 これを外出に持って行くとなると、ケースが必要なので、何かと面倒。 抵抗があるのです。

  諸元を書いておきますと、1200万画素、光学24倍ズーム、広角端26ミリ(35ミリ判換算)、開放F値2.8~5.0、マクロ最短1センチ、ISO感度50~6400、SD(HC)カード、マニュアル・フォーカス、マニュアル露出可能、連写最高11コマ/秒、バッテリー撮影可能枚数170枚、全備重量410グラム。 液晶モニターは、2.7インチ。

  高倍率ズーム機なので、機能・性能的には、お釣りが来ます。 何の不満もありません。 12メガでは、サイズが大き過ぎるので、3メガで撮っています。 写りは、「PowerShot A60」ほどではないですが、私が使ったデジカメとしては、それに次ぐくらいのレベル。 1センチ・マクロもできますし、庭の花を撮るには、充分です。 たぶん、家用にしている分には、まだまだ、もつでしょう。

  バッテリーは、附属品で付いて来た物を、まだ、使っています。 外に持ち出していた頃、予備に、互換バッテリーを買って、使っていましたが、そちらの方が、先に、使えなくなりました。 純正品は強いな。

≪写真4右≫
  フジフィルムの、「FinePix JX550」。 2012年8月に、沼津のノジマで、6980円で買いました。 その頃が、コンパクト・デジカメが、最も安かった時期なのでは?

  「HDC-2」が、曇天に弱いので、普通に撮れる外出用のカメラが欲しくて、買ったもの。 買ってすぐに、最後の野宿バイク旅行、「房総・鹿島灘ツーリング」へ持って行きました。 期待通りの、写りでした。

  ごくありふれた、沈胴式ズームのコンパクト・デジカメで、5倍ズームの1600万画素。 外寸は、94.0×56.6×21.3ミリ。 重量は、113グラム。 隅をなだらかに丸めてあって、角張ってないので、ポケットに、スルリと入って行きます。 シャツの胸ポケットに入れると、少し、下へ引っ張られますが、肩が凝る程ではありません。 液晶モニターは、2.7インチで、≪X70≫と同じ。

  その後、北海道応援、岩手異動、沖縄旅行、北海道旅行など、遠出を始め、引退後の、香貫山運動登山、プチ・ツーリングにも、持って行き、大変、よく働いてくれています。 一度、落として、暗い所で、露出が狂うようになってしまったのですが、マニュアル露出で、対応しています。

  写りは、「X70」に次ぐくらいですかね。 画像サイズは、小さくして、撮っています。 16メガなんて、私にとっては、全く無意味なので。 バッテリーは、付属品をそのまま使い続けています。 もう、11年も経ったのですが、別段、衰えは感じられません。 リチウム・イオンは、大した発明だったんですなあ。



  以上です。 カメラは、家の中で使っている分には、いつまでも、もちますが、外出に持って行くと、その内、必ず、壊れますねえ。 特に、落下は、致命的。 値段が高いカメラは、外に持ち出すものではありませんな。 もっとも、今では、スマホ全盛になってしまって、デジカメを別に持っている人は、少数派になってしまいましたが。

2024/08/04

読書感想文・蔵出し (115)

  読書感想文です。 今回も、4冊です。 読書意欲は、低調なままですが、ぎりぎりのところで、貸し出し期限の2週間に、2冊借りるパターンを続けています。 なかなか、読む気にならないのではなく、精神的な負担になるので、借りて来ると、バタバタと読んでしまって その後、期限が来るまで、何も読まないという調子。





≪トーノ・バンゲイ 上・下≫

岩波文庫
岩波書店
上巻 1953年9月 5日 第1刷発行 1983年4月1日 第2刷発行
下巻 1960年2月25日 第1刷発行 1983年4月1日 第2刷発行
ウェルズ 作
中西信太郎 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 「ウェルズ」というのは、SFで有名な、「H.G.ウェルズ」さんの事。 岩波だけあって、妙なところに、拘りがある。 「ウェルズ」と言えば、「H.G.ウェルズ」に決まっているという事なんでしょうか。 そうとは限らないと思いますが。

  第1刷発行年が、上巻と下巻で、7年も離れているのは、驚き。 上巻を買って読み、下巻が出るのを待っていた人は、さぞかし、痺れを切らしたでしょうねえ。 ページ数は、上下巻合わせて、660ページくらい。 かなり、長いです。 1909年の発表。 有名なSF作品群よりも、後になって書かれたもの。


  大きな屋敷の住み込み家政婦だった母に育てられた少年が、素行に些か問題があった事から、屋敷を出され、薬屋をやっていた父方の叔父夫婦に引き取られる。 やがて、叔父は、投資に失敗して破産し、夫婦でロンドンへ行ってしまう。 人手に渡った薬屋に残り、勉強を続けていた少年は、やがて、ロンドンへ出るが、ある時、叔父から、仕事を手伝ってくれるように頼まれる。 叔父は、「トーノ・バンゲイ」と名付けた薬を大々的に売り出して、事業家として、大成功を収めようとしていた。 叔父の右腕となって働きながら、恋愛したり、結婚したり、飛行機械の発明に凝ったりと、若い時代の事を、懐かしくも、ほろ苦く思い出す、自伝的小説。

  これがねえ、自伝的小説であって、自伝そのものではないんですわ。 一人称主人公の名前も、H.G.ウェルズではないです。 普通、自伝だったら、本名を使いますわなあ。 「トーノ・バンゲイ」という薬で大成功した件についても、どこでまで本当なのか、分かりません。 どこまで事実で、どこから創作なのか、解説を読んでも、さっぱり分からないのです。 どうも、そういう微妙なところを故意に狙って書いているようなフシがある。 真実性を暈して、小説らしくしているような・・・。

  印象を一口で言うと、「変な話」。 自伝にしては、起こる事が、極端過ぎるのです。 こんなに極端な内容であれば、もっと、世間に広まっていてもいいはず。 ところが、ウェルズさんの伝記など、知る人ぞ知る世界の代表例で、一般的には、まったく知られていません。 つまり、この作品は、自伝ではなく、やはり、自伝的小説に過ぎないのです。

  事業家を主人公にした、ビジネス小説というジャンルがありますが、主人公の叔父に関する記述部分は、それに近いです。 しかし、商売の奥深さを知り尽くした者が書いたという体裁ではなく、資本主義経済の上っ面だけ観察して、事の経緯を外部から見て書いたというような、薄っぺらい感じがします。 この本を読んでも、事業家になる参考にならないのはもちろんの事、詐欺師になる参考にもならないでしょう。 SF作家にありがちな欠点ですが、話を語るのに最低限の知識だけ勉強して、深い所まで首を突っ込まない癖が出ている観があり。

  飛行機械の発明ですが、主人公は、叔父の事業を手伝う事で得た収入を、そちらに注ぎ込みます。 出て来る機械が、グライダーと、飛行船で、ライト兄弟の初飛行が、1903年ですから、何だか、時代錯誤のような気がしますが、この作品は、主人公が、若い頃を振り返って書いているという形式だから、飛行機械の発明に凝っていたのも、1903年より昔の事なのであって、別に、おかしくはないわけだ。 それにしても、飛行機なら飛行機、飛行船なら飛行船に絞って開発すればいいのに、何にでも手を出すのではねえ。 ムラッ気のせいで失敗しているように見えます。

  主人公の恋愛にも、多くのページ数が割かれています。 よくもまあ、これだけ、つまらん女にばかり、引っかかるものです。 外見しか見てないのでしょう。 中身が、スカスカ。 また、主人公の方も、職業が怪しくて、一時的に、高収入になる事があっても、それが、生涯 続く保障がありません。 これでよく、所帯を持とうなどと、望めるものです。 求婚するたびに、断られる場面がありますが、無理もない。 登場する女性の中で、叔父の妻、つまり、主人公から見て、義理の叔母ですが、この人だけは、人間的魅力が感じられます。 たぶん、実在の人物がモデルなのでしょう。

  ドン引きしてしまうのは、この主人公が、殺人犯である事です。 西アフリカの島へ、放射性物質を盗みに行く件りがあるのですが、そこで、現地人を、ただ、後ろめたい目的で、そこに来ている自分の姿を見られたと言うだけで、射殺してしまうのです。 いやあ、こりゃ、まずいでしょう! 殺人ですよ、殺人! 知らぬ顔をして、帰ってきてしまうのですが、ますます、まずい。 もしかしたら、この件りがあるから、自伝ではなく、自伝的小説にしたのかも知れません。

  主人公は、この殺人に対して、大して悩んでもおらず、現地人を、動物扱いしているのは、明らか。 いかにも、帝国主義時代のイギリス人らしいと言えば言えます。 外国人を、同じ人間だと思っていないわけだ。 当時のイギリスには、軍人・兵隊を始め、「外国へ行って、人を殺して来た」人間が、うじゃうじゃいて、主人公も、その一人に過ぎないと開き直っているのでしょう。 だけど、これは、まずいですぜ。 殺人犯が書いた小説を読んで、プラス評価なんか、できるもんですか。 こちらまで、「殺人行為を肯定する奴」にされてしまいますよ。




≪発狂した宇宙≫

ハヤカワ文庫 SF222
早川書房 1977年1月15日 発行 1980年7月31日 14刷
F・ブラウン 著
稲葉明雄 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 著者は、アメリカ人で、フル・ネームは、「フレデリック・ブラウン」。 コピー・ライトは、1949年になっています。 約290ページ。 筒井康隆さんの解説が付いています。


  失敗した月ロケットが、地球に落ちて来て、搭載されていた特殊な装置が爆発する。 墜落地点にいて、爆発に巻き込まれた雑誌編集者が目覚めると、そこは、元いた世界とそっくりだが、地球が、他恒星系の宇宙人を相手に星間戦争をやっている、別の世界だった。 顔は違うが、自分と同じ名前で、ほぼ同じ社会的地位の人物が存在しているので、すり代わる事もできない。 小銭しか持っていない身で、何とか生きて行く方法を探る傍ら、この異常な状態に対して、解答を知っていると思われる人工知能に相談する為に、最前線の土星へ向かおうとするが・・・、という話。

  邦題の問題ですが、「発狂した宇宙」とするより、「狂った宇宙」とした方が、内容に合っています。 主人公からすれば、突然、異世界に放り込まれたわけだから、その世界が、「狂っている」と感じるのは、当然の事。 どうしてまた、「発狂した」なんて形容を持って来たのやら、とんと、分からぬ。

  それはさておき、面白いです。 休日の朝食後から読み始めれば、読み入ってしまい、速い人なら、昼食までに、遅い人でも、夕食までには、読み終えてしまいます。 スラスラ簡単に読めるという意味ではなく、面白過ぎて、没入してしまうのです。 勤めがある人は、夜、眠る前に読み始めない方がいいです。 徹夜になってしまったら、翌日の仕事に支障を来たしますから。 そういう類いの本。

  ただねえ、長編小説としては、そんなに出来がいいわけではありません。 主人公が、未知の世界で生きて行く為に、小説を書いて、出版社に持ち込もうとする辺りが、妙にリアルなのに対し、前後のSF部分が、取って付けたようで、とりわけ、盗んだ宇宙艇で土星へ向かう、後ろの展開が、軽薄に感じられてしまうのです。 全く同じアイデアで、長編慣れしたSF作家が書けば、もっと面白くなったかも知れません。 もっとも、中には、そういう、ちょっと書き慣れていない感じが、初々しくて、好ましいと感じる読者もいるとは思いますが。

  むしろ、もっと短くして、中編くらいの作品にすれば、アイデアの秀逸さが際立ったかも。 つまり、中ほどの、リアルな部分を取り去ってしまえば、前後だけ残って、SFとしての純粋度が上がるのではないかと思うのです。 もっとも、SF度が下がっても、リアル部分があった方が、小説としては、味わい深くなるのも事実ですけど。

  放り込まれた異世界に、主人公に馴染みがある要素が、妙に多い理由が、最後に明かされますが、その件りが、面白いですねえ。 御都合主義を、プラス方向に最大限 活かしたら、こうなったわけだ。 このアイデアだけでも、図抜けています。 作者は、SFのハード面は苦手なのかも知れませんな。 文系の、科学技術に対する岡目八目的な発想だけで勝負して、このレベルの作品を書き上げた、そこが、賞賛に値すると思います。

  筒井さんが、解説を書いている点が、また、面白い。 やはり、ハード知識より、アイデアを重視する人好みなんだわ。 ハード好きな読者の場合、ミシンが消える辺りで、「なんじゃ、こりゃ?」で、放り出してしまうかも知れません。 そういう人は、SF読者よりも、理工系技術者の方に向いていると思いますけど。

  あと、本筋とは関係ありませんが、気になる点があります。 主人公が放り込まれた異世界では、太陽系内の天体の幾つかにも、知的生命体がいて、月人は、地球人の奴隷、金星と火星は、地球に征服されて、植民地にされているというのです。 異世界だから、何でもありと言えば、それまでですが、「だから、問題がある」という書き方はされておらず、「そんなの、当然」と、スルーされています。

  これは、現代的な感覚では、相当、やばいです。 「1949年発表だから、仕方ない」とも言えぬ。 むしろ、「イギリス人ならまだしも、アメリカ人が、1949年にもなっているのに、まだ、こういう認識なのか?」と呆れるのが、適切な反応でしょう。 地球人が、こういう野蛮な考え方で、宇宙進出しているのなら、いっそ、アルクトゥールス人が勝った方が、いいのでは?

  奇妙だと思うのは、別に、奴隷主義や、帝国主義、植民地主義を入れなくても、本筋を語るのに、何の問題もないという点です。 月人は、数人出て来ますが、金星人や火星人は、一人も出て来ませんし、それらの星へ行く場面もありません。 リアルな世界観を演出したくて、こうしたというのなら、あまりにも、軽率。




≪宇宙の眼≫

ハヤカワ文庫 SF1975
早川書房 2014年9月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
中田耕治 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 著者は、アメリカのSF作家で、映画、≪ブレード・ランナー≫の原作を書いた人。 これが、アメリカのSF映画が全盛だった、80年代・90年代頃だったら、「フィリップ・K・ディック」という名前だけで、説明不要だったのですが、今では、何かしら、有名な作品を挙げなくては、ピンと来なくなってしまいました。 コピー・ライトは、1957年になっています。 約366ページ。


  ある企業の研究所で、ベバトロン陽子ビーム加速器が事故を起こし、見学者7人と、ガイド一人が、設備の中に落ちてしまう。 全員、命に別状はなかったが、一人を除いて、目覚めた世界に、妙な違和感を覚えていた。 その世界は、ある新興宗教が広まり、神の恩寵で、全てが決まる所だった。 どうやら、8人の内の一人の幻想が具現化しているようで・・・、という話。

  「多元宇宙物」、「並行世界物」の代表作とされているようですが、これは、「主観世界物」と言った方がいいと思います。 もっとも、そんなカテゴリーはありませんが・・・。 8人は、最初から存在する、並行世界に行ったわけではなく、8人の内の一人の主観で創作された世界に行ったに過ぎないからです。

  主観で、現実世界と異なるというと、夢の世界が、それですが、この作品の主観世界が、夢と違うのは、一人だけではなく、他に7人が、同じ体験をする点です。 割と簡単に、並行世界物と違う事が分かると思うのに、なぜ、その点を指摘する評者がいないのか、不思議。 作者本人にしてからが、並行世界物を書いている認識はなくて、他人が他人の夢に入り込む話のつもりで、発想したという事も考えられます。

  8人全員の主観世界が紹介されるわけではなく、四人分だけです。 新興宗教の世界、道徳教条の世界、偏執狂の世界、共産主義者の世界の四つ。 後ろに行くに従い、描写が、短く、しょぼくなるのは、作者が、アイデア切れを起こしたのではないでしょうか。 ディックさんは、アメリカで最も映画化された作品が多いSF作家ですが、そのせいか、買い被られ過ぎているところもあります。 眉に唾をつけて読まなければなりません。

  道徳教条の世界では、その世界を創り出した婦人を唆して、どんどん、物を消させて行くのですが、この件りに、悪ノリを感じない読者はいないでしょう。 安直と言っても良い。 作者が、この時点で、一回、作品を放り出している観すらあります。 一つ目の世界は、細かく描き込んだが、二つ目で、もう、考えるのが億劫になってしまい、当初、八つの世界を描くつもりだったのが、四つに減らした上に、その四つですら、進むに連れて、どんどん萎んで行ったという様子が覗えます。

  このアイデア、もっと細部まで考えて、8人分の世界を、ぎっちり描き込み、2倍くらいの長さにするか、逆に、さらっとやっつけて、短編にしてしまった方が、いい小説になったと思います。 ディックさん本人が、ヤク中の挙句に、とっくに死んでしまっているので、今更話もここに極まりますが。

  8人の内、一人だけ、中南部アフリカ系で、差別を受ける場面が出て来ます。 この人の主観世界が出て来ないのが、残念。 中南部アフリカ系と、ヨーロッパ系の立場が逆転した世界は、さぞや、面白かっただろうと思うではありませんか。 作者も、当然、それは考えたと思うのですが、敢えて入れなかったのは、ヨーロッパ系である自分が差別される立場になる事に、おぞましさを感じたからでしょうか。 アメリカ合衆国の社会に於ける人種差別は、外国人が想像するより、遥かに、根深いものがありますから。

  とにかく、ディックさんの小説を読む時には、「鬼才」とか、「異端児」といった宣伝文句に惑わされず、買い被りを、常に警戒する必要があります。 先に、ヤク中患者が書いた、与太小説、【スキャナー・ダークリー】を読んだ方が、むしろ、バランスがとれた批評ができるようになるかも知れません。 【スキャナー・ダークリー】ですら、「後期の傑作」などといって、誉める者がいるのだから、買い被りにも、病的なクラスがあるものですな。




≪虎よ、虎よ!≫

ハヤカワ文庫 SF277
早川書房 1978年1月31日 発行 1992年7月31日 16刷
A・ベスター 著
中田耕治 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 著者は、アメリカのSFも書く作家で、フル・ネームは、「アルフレッド・ベスター」。 コピー・ライトは、1956年になっています。 約336ページ。


  宇宙空間で破壊された宇宙船で、一人の男が、必死の努力で、半年間 生き延びていた。 他の宇宙船が通りかかり、接近して来たにも拘らず、救助せずに、素通りされてしまう。 辛うじて生き延びた男は、小惑星帯に巣食っていた一族に捕まり、顔に、虎のような斑の刺青をされる。 荒っぽい方法で、そこを脱出した男が、自分を見殺しにした宇宙船に復讐を誓い、太陽系狭しと、仇を求めて、暴れ回る話。

  解説(解題)にも触れられていますが、大デュマの【モンテ・クリスト伯】がベースの、復讐物語です。 ストーリー展開にも、似たところがあり、「脱出 → 巨万の富を手に入れる → その金を元に復讐に乗り出す」という順序になります。 もっとも、【モンテ・クリスト伯】の復讐は、もっと知的な方法を取るので、それに比べると、こちらは、相当、残忍なもの。

  テレポーテーションを始めとする、SFのモチーフをこれでもかというくらいに盛り込んでいますが、厳密に言うと、SFではなく、SF仕立ての冒険物です。 スペース・オペラというには、ちと、アクが強過ぎるか。 露悪趣味的な部分もあります。 何でもぶちこんで、闇鍋化させたせいで、最終的に、何が言いたかったのか、分からなくなってしまっているような感じもしますねえ。 特に、主人公の五感が混線するクライマックスは、取って付けたようですが、これは、解説に、説明があります。

  「ジョウント」という、精神感応技術としてのテレポーテーションを、人類のほとんどが使えるという設定の未来世界なのですが、話の展開を速くする為に作った設定で、確かに、速くなっているものの、些か、安直な感がなきにしもあらず。 ジョウント技術が発見される経緯は、安直そのもので、フレデリック・ブラウン作、【発狂した宇宙】の、消えるミシンと、発想の類似性を感じます。 ハードな科学技術知識に欠ける作者が、「どうせ、与太話だから、この程度の設定で、充分だろう」と、やっつけた感じが。

  とはいえ、この展開の速さは、読者をぐいぐい、先へ引っ張って行くのには、充分な効果を上げています。 読み始めると、安直と分かっていても、どんどん、ページをめくってしまうという類いの小説なのです。 こういうのが、大好きという人がいても、ちっともおかしくありません。 昔、「SFアドベンチャー」という雑誌がありましたが、この作品に影響されて、創刊したのではありますまいか? いや、一度も読んだ事がなかったから、憶測に過ぎませんが。

  原題は、【TIGER! TIGER!】で、そのまま、【虎! 虎!】でいいと思うのですが、冒頭に掲げられている、ウィリアム・ブレイクさんの詩が元らしく、その詩の日本語訳に従ったのかも知れません。 この虎というのは、主人公の顔に刺青された模様から来ていますが、ストーリーと、それほど、密に関係しているわけではないです。

  見捨てられたとはいえ、命が助かったのだから、こんなに執念深く、復讐に拘るのは、不自然な感じもします。 私だったら、どんなひどい目に遭おうが、巨万の富を手に入れた時点で、綺麗に忘れて、その後、安楽に暮らしますよ。 「難破船に生存者がいると分かったら、助けてくれるのが、当然」と思っているから、見捨てられて腹が立つのであって、「他人なんて、自分の事しか考えていないもの」という、社会の真理が分かっていれば、こんな危険な復讐はしないと思うのですがねえ。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪トーノ・バンゲイ 上・下≫が、5月1日から、7日。
≪発狂した宇宙≫が、5月11日から、13日。
≪宇宙の眼≫が、5月18日から、20日。
≪虎よ、虎よ!≫が、5月25日と、27日。

  3冊は、古典SF。 自分でも奇妙だと思うのですが、ここ10年近く読み続けた、推理小説から興味が遠のいてしまい、SF回帰が本格的になりました。 といっても、古典SFは、無数にあるわけではないから、その内、また読みたい物がなくなってしまうと思うのですが。