2025/01/26

EN125-2Aでプチ・ツーリング (64)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、64回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年12月分。





【沼津市北園町・北園公園】

  2024年12月3日。 沼津市・北園町にある、「北園公園」へ行ってきました。 古い都市地図に載っていたところ。 行ってみると、児童公園でした。 児童公園が、都市地図に載っているのは、珍しいです。

≪写真1≫
  全景。 と言っても、写真がゴチャゴチャして、よく分かりませんな。 住宅地の中にあり、俯瞰できる高台もないので、致し方ないところ。

≪写真2≫
  ブランコ。 児童公園の定番設備ですが、住宅地の中の公園だと、遊んでいる子供を見た事がありません。

  左は、物置。 キットではなく、この場で建てたもの。 前面に、シャッターが付いています。

≪写真3≫
  こちらは、キットの物置、二基。 自主防災倉庫。

≪写真4≫
  藤棚。 児童公園でも、自然公園でも、藤棚の需要は多いようです。 ちなみに、藤は、4月頃、花が咲きます。

≪写真5≫
  滑り台。 これも、児童公園の定番設備ですが、これまた、住宅地の中の公園だと、遊んでいる子供を見た事がありません。




【沼津市岡宮・岡宮2号公園】

  2024年12月12日。 沼津市・岡宮にある、「岡宮2号公園」へ行ってきました。 以前、「岡宮1号公園」へ行った事があり、「1号があるなら、2号もあるだろう」と思って調べたら、果たして、あったという次第。

≪写真1≫
  1号よりは、小さいですが、住宅地の中の児童公園としては、広いです。

≪写真2≫
  ジャングル・ジムは、割と小規模なもの。 転落による怪我を恐れているんでしょうな。

  ブランコは、昔と変わりません。 よく、ドラマなどに、児童公園で、大人がブランコに乗る場面が出て来ますが、やめた方がいいです。 そもそも、大人の体重を前提にして、設計されていませんから。

≪写真3≫
  なんだ、これ? ああ、シーソーか! これは、昔と変わったわ。 昔は、持ち手がついた、木の板でした。

≪写真4左上≫
  水場。 このタイプを、よく見ますが、どうやって、水を出すのか、分かりません。

≪写真4左下≫
  レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、公園の名板です。 フェンスに貼ってありました。

≪写真4右上≫
  ベンチ。 背凭れは、ないんですな。 ちょっと休むだけなら、凭れる必要はないですが。 手すりなど、いいデザインだと思います。

≪写真4右下≫
  入口から、公園内に入って停めた、EN125-2A・鋭爽。 子供が遊んでいるところへ、バイクで乗り入れて行ったら、問題になってしまいますが、無人だったので、遠慮せずに、入りました。 今日日、どこでも、子供は激減しており、駐車場がない児童公園は、大抵、無人です。




【沼津市岡宮・岡宮3号公園】

  2024年12月16日。 沼津市・岡宮にある、「岡宮3号公園」へ行ってきました。 1号、2号があるなら、3号もあるかも知れないと思って、インター・ネットで調べたら、案の定、あったというわけ。

≪写真1≫
  全景。 といっても、半分くらいしか写っていませんが。 大きさは、2号より、僅かに小さい程度。 誰もいなかったので、バイクは、公園内に入れて、停めました。

≪写真2≫
  右は、滑り台を中心にした複合遊具。 左は、雲梯のようです。 どうでもいい事ですが、私は、小学生の頃、雲梯が得意でした。 今では、体重が増えているので、昔取った杵柄というわけには行きませんが。

≪写真3≫
  動物の乗り物、というか、跨り物。 左から、コアラ、ライオン、パンダ。 本物の場合、ライオンとパンダはともかく、コアラに跨るのは、サイズ的に無理ですな。

≪写真4左上≫
  フェンスに貼ってあった、名板。 「岡宮」と書きますが、読みは、「おかのみや」です。

≪写真4左下≫
  物置には、「御堂林町 防災倉庫」とあります。 岡宮の中で、更に細かく、町内が分けられているわけだ。

≪写真4右≫
  水飲み場。 昔ながらの、先が球形になった蛇口が付いています。 これを口に咥えて、水を飲む子供がいますが、感染症の危険を考えると、ゾッとします。 

≪写真5左≫
  ベンチ。 この背凭れ、少し角度が付き過ぎていますな。 手すりもありますが、何だか、二人しか座っては行けないような感じ。

≪写真5右≫
  ピクニック・テーブル・セット。 一組しかないので、早い者勝ち、という事でしょうか。 露天の雨曝しですから、使用前には、何か、敷いた方がいいかも。




【沼津市岡宮・馬頭観音】

  2024年12月25日。 沼津市・岡宮にある、「馬頭観音」へ行ってきました。 ネット地図に出ていた所。 以前、近くにある、神明社に行った時に、この前を通っているはずなんですが、こういうものがあるとは、気づきませんでした。

≪写真1≫
  住宅地の中に、そこそこ広い、家一軒分くらい建ちそうな敷地をとってあります。 柵のような物はなくて、誰でも、入れるようになっていました。 ただし、乗り物は、自転車くらいしか入れません。

≪写真2≫
  正面から。

  観音像は、三体、並んでいます。

  左右に、石燈籠。 観音像は、仏物ですが、石燈籠は、四角断面のタイプが使われています。 竿がシンプル。

≪写真3左≫
  向かって右側の像。 馬頭観音というのは、本当に、額の部分に、馬の頭が付いているんですな。 現物を初めて見ました。

≪写真3右≫
  向かって左側の像。 顔が怖いですが、やはり、額の部分に、馬頭が付いています。

  中央の一体は、陰になって、顔を撮れなかったのですが、たぶん、同じなのでは?

≪写真4≫
  路肩の、溝蓋の上に停めた、EN125-2A・鋭爽。 オイル交換して間もないので、エンジンが、スムースに回っています。 エンジンが渋い中古車や中古バイクは、オイル交換を頻繁にやっていると、次第に滑らかになって来ます。 その前に、オイル・フィルター(エレメント)を、新品に換えた方がいいですが。




【沼津市岡宮・宮窪山神社】

  2024年12月31日。 バイクで、沼津市・岡宮にある、「宮窪山神社」へ行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。 地図上では、「山神社」としか出ていなくて、正式名称が分かったのは、現地に行ってからです。 沼津にある、最上級の進学校、「東高」の南にあります。

≪写真1≫
  石製の社殿と、欄干。 金属製の鳥居。 境内からして、全て、真新しいです。 造り直したというより、どこかから移転して来たのかも知れません。

≪写真2左≫
  神社には珍しく、門柱があり、表札が掲げられていました。 「宮窪山神社」。 こういう風に、名前を、はっきり書いてもらえると、大変、ありがたいです。

≪写真2右≫
  花立ての前面にも、文字が。 向かって右に、「宮上氏子一同」。 左に、「宮下氏子一同」。 実に、図式的だ。

  ちなみに、花立て自体が、神社では、滅多に見られません。 おそらく、供えてあるのは、榊でしょう。

≪写真3左≫
  最初、この森が、鎮守の杜かと思ったんですが、間違いでした。 この中には、墓地がありました。

≪写真3右≫
  北を向くと、申しわけ程度に、富士山が見えました。 下の山は、愛鷹山です。

≪写真4≫
  この付近、宅地の造成中で、神社と墓地の近くには、臨時の駐車場が設けられていました。 といっても、道路の一部ですけど。 案内板が三枚もあって、親切至極。

≪写真5≫
  指定された駐車場所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 真横から撮影するのは、珍しいです。 こうして見ると、実に、オーソドックスなフォルムですな。 1990年代頃のスタイルです。 今のバイクは、だいぶ、変わっています。




  今回は、ここまで。

  前半は、児童公園ばかり行きましたが、理由は、目的地の選定が楽だったからです。 その結果、三回連続で同じような写真ばかりになってしまったので、少し反省し、後半は、仏物・神物に振った次第。

  大晦日まで出かけたのは、次の日から、気温が下がるという予報だったから。 実際には、大晦日の方が風があり、元日は無風で、穏やかな天気でした。

2025/01/19

実話風小説 (36) 【横並び】

  「実話風小説」の36作目です。 11月の中旬に書いたもの。 鼠蹊ヘルニアと糖尿病で、二重苦状態にあり、正直言って、小説どころではありません。 だいぶ、創作意欲が減退していますが、ごく短いものを、何とか、書きました。




【横並び】

  男A(55歳)のところに、高校時代の友人、男Bから、電話がかかって来た。 クラス会などには出ていなかったので、同じ市内に住んでいるBと話すのも、10年ぶりくらいである。

「ああ、A? 俺、B」

「おお。 久しぶりだな。 元気でやってる?」

「うん。 変わらない。 そっちは?」

「うーん・・・、ポンと訊かれて、ポンと応えるような事じゃないけど・・・、2年前に離婚したよ。 女房が、子供と一緒に、出て行っちゃった」

「そうか。 そりゃ、大変だったな」

  Bの反応は、冷めていた。 昨今、熟年離婚は、珍しくないからだろう。 大袈裟に驚かれなかったのは、Aにとっては、気が楽だった。 Bの用件は、もっと深刻なものなのかも知れないと思った。


「今日は、何?」

「うん。 Cの事は、覚えてる?」

「C? C・・・、C・・・、高校時代で、Cというと、何人かいたからなあ」

「一時期、学校から、スポーツ公園まで、自転車で一緒に行ってた奴がいたろ?」

  AとBは、同じ陸上部だったので、確かに、そういう事があった。 しかし、陸上部に、Cという苗字の者がいたような記憶がない。

「陸上部?」

「違う。 サッカー部だったかな?」

「ああ。 スポーツ公園に行く時だけ、一緒に行ってたという事か」

「思い出したか? Cの事」

「いいや。 分からない」

「自転車で走っていて、向こうから来た爺さんにぶつかった奴だよ」

「・・・・、! ! ああ、あいつか!」

  思い出した。 思い出した。 そんな事があった。

  5人で、自転車に乗り、住宅地の生活道路を走っていたのだが、前からも後ろからも、車が来ないので、いつしか、横並びになり、横一列で走っていた。 ごく自然にそうなった。 Aは、一番、右側。 Bは、その隣。 そして、Cは、一番左側だった。 なぜ、それを覚えているかというと、向こうから、角を曲がって現れた高齢男性が、道路の右端、つまり、こちらから見ると、左端を歩いて来たからだ。

  歳の頃、70代くらい。 もう、40年近く前の事だから、70代と言っても、今のそれより、ずっと老けていた。 右手に持った傘をついていた。 一歩一歩、音を立てていたから、杖代わりにしていたのだろう。 少し、足を引きずっていたような記憶もあるが、定かではない。

  自転車5台が、横並びで走っているのだから、道路の幅、いっぱいである。 このまま行けば、高齢男性にぶつかってしまう。 Aは、てっきり、左端を走っているCが、後ろに下がって、高齢男性を避けるものだと思っていた。 後で聞いたところ、Bも、他の者も、そう思っていたらしい。 ところが、Cは、そうしなかった。 横並びのまま、進んだ。

  高齢男性は、立ち止まったが、突っ込んで来る自転車の横列を見て、体が竦んでしまったのか、身動き取れない状態でいる。 もっとも、横は、住宅のブロック塀で、逃げる所もなかったのだが。

  Cは、寸前になって、ハンドルを切り、高齢男性を僅かに避けようとしたが、間に合わず、ハンドルの左端で、高齢男性の腕を突き飛ばした。 高齢男性は、「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて、ブロック塀に倒れかかりながら、尻餅をついた。 Cも、自転車ごと倒れて、道路上に投げ出された。

「あぁ~あぁ~!」

  C以外の者は、すぐに停まり、高齢男性と、Cを見下ろした。 一人が自転車を下りて、高齢男性を助け起こそうとしたが、どこか痛めたようで、立ち上がれなかった。 近所の人が数人、それぞれの家から出て来た。 高齢男性を知っている人達だ。

「まあ! ○○さん、大丈夫?」

  と言ったと思うが、その名前を、Aは、覚えていない。

「どうしたの? 何が起こったの?」

  その時には、もう、高校生全員が、自転車を下りていた。 Bが代表して答えたのだが、どう説明していいか分からず、しどろもどろだったような気がする。

「自転車で、向こうから、走って来たんですけど・・・、横並びだったもんで・・・、左端を走っていた奴が、お爺さんにぶつかっちゃって・・・」

「なんで、避けないの?」

  そうだ。 なんで、Cは避けなかったのか。 Aは、見当がついていた。 後で聞いたところでは、Bも、同じ事を考えていたらしい。 Cは、他の4人と、対抗していたのだ。 そもそも、横並びになったのも、自分だけ後ろを走る事に、負けたような気がして、耐えられなかったからだろう。 自分は、他の4人と、対等なのだ。 シジイなんて、知った事か。 ここで、後ろに下がったら、負けを認めた事になってしまう。 他の奴が右へ寄れば、俺も寄るが、俺一人だけ後ろに下がるなんて事はできない。

  下らない理由である。 言い訳にもならない。 しかし、それが真実なのだ。 Cは、何を優先するべきか、判断ができなかったのだ。 仲間への対抗意識を貫徹する事が、最も重要だと思っていたのだ。

  高齢男性は、顔を苦痛に歪めていた。 これも後で聞いた事だが、ブロック塀にぶつかった時に、肩を脱臼していたらしい。 救急車が呼ばれた。

「そんな大袈裟な。 誰かの車で、病院に連れて行けばいいんじゃないですか?」

  Cが、そう言ったら、近所の人から、ピシャリとやっつけられた。

「こんなに痛がってるのに、そんな悠長な事、してられるもんですか。 普通の車で行ったら、待合室で順番待ちしなきゃならないんだよ。 あんた、ぶつかった本人でしょ? よく、そんな、無責任な事が言えるね」

  他の人が、Cや、他の4人に向かって言った。

「君は当然だが、みんな、まだ、ここにいてよ。 今、警察を呼んだから」

  警察と訊いて、5人とも震え上がった。 もはや、高校生の意見が通る雰囲気ではない。 黙っているしかなかった。

  救急車とパトカーが、前後して到着。 高齢男性は、救急車で運ばれ、高校生5人は、自転車を近くの家に預けて、交通課のパトカーで、警察署へ連れて行かれた。 交通課と少年課の担当者から、事情聴取を受けた。 一応、事故の扱いになったが、保護者が呼ばれ、厳重注意となった。

  後日、高齢男性の治療代と示談金を、5人の親が、分担して払った。 高齢男性が退院した後、5人と、その親で、謝りに行く話も出たが、高齢男性の方が、家に押しかけられると困ると言って来て、それは沙汰止みになった。


  Aとしては、その一件は、それだけの記憶である。 すっかり、忘れていた。 電話して来たBに、訊き返した。

「で、そのCが、どうしたの?」

「死んだって」

「ああ、そう」

  あまり、感慨はない。 名前はもちろん、顔も、よく覚えていないのだ。 Bは、続けた。

「俺が、それを知ったのは、つい昨日の事で、たまたま出会った高校時代の知り合いから聞いたんだが、Cが死んだのが、20代の半ばくらいの事だったらしいんだよ」

「ずいぶん、早死にだったんだな。 病気か?」

「同僚に刺し殺されたんだって」

「ええっ! そりゃ・・・、また、どうして?」

「同じ職場にいた、同期入社の一人が、昇進して、Cの上司になったらしいんだ。 それが気に入らなくて、毎日、喧嘩を吹っかけていたらしいんだが、口だけじゃなくて、手まで出したんで、相手が怒っちゃって、給湯室にあった果物ナイフで、ブスリと・・・」

「凄絶だな・・・」

「刺した方は、殺人罪で、服役。 もちろん、会社も解雇されたらしいが、そっちが気の毒だ。 同期同士で、上司と部下になるなんて、別に、珍しい事でもないのに」

「・・・・・」

「・・・・・」

  しばし、沈黙。 やがて、Aが、しみじみと言った。

「Cの奴、あの、仲間への対抗意識が治らなかったらしいな」

「病的な対抗意識だったんだな」

「病的だよ」

「そういう話だ。 昨日、それを知って、何だか、誰かに話さないと、気が落ち着かなくてな。 で、お前に電話したってわけだ」

「ああ。 お前の気持ちは、分かるよ。 ショッキングな話だからな」

  電話は、終わった。


  Aは思った。 自分もBも、この歳まで生きて来られたのは、Cほどの異常さがなかったからなんだろう。 異常と言っても、仲間への対抗意識という点で、自分やBと、Cの間に、極端に大きな差があったとは思えない。 自転車で横並びで走っていた時、もし、自分が一番左側にいて、高齢男性とぶつかる位置だったら、自分も、後ろに下がれたかどうか、微妙なところなのだ。

  しかし、問題はその後だ。 あの衝突事件の後、自分やBは、仲間への対抗意識は、程々にしておかないと、人生にプラスにならないと知った。 しかし、Cは、そういう教訓を得なかったようだ。 ほんの僅かの差でも、自分やBと、Cの間には、境界があった。 Cの対抗意識は、社会人として許される範囲を超えていたのだろう。 その結果が、生死を分けてしまったのだ。

  意外と、そんな理由で、早死にしている者が多いのかも知れない。 55歳までの人生を振り返って思うのは、世の中は、結構、厳しいという事である。 能力が足りないとか、性格が悪いとか、考え方かおかしいとか、そういう人間は、いつのまにか、周囲から姿を消してしまう。 河岸を変えて、生きているのかも知れないが、死んでしまっている例の方が、多いのではなかろうか。

2025/01/12

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ①

  今回から、月の第二週は、闘病記になります。 健康な方は、全く興味がないと思いますが、他に書く事もないので、御容赦あれ。 例によって、日記ブログからの移植が主になります。




  鼠蹊ヘルニアとは、下腹と脚の境目で、腸が筋肉から食み出して来る病気です。 腸そのものが出て来るわけではありませんが、ゴルフ・ボール半球くらいの大きさに、下腹部が膨らむのです。 押すと引っ込みます。 また、体を横にしていると、引っ込んでいます。 即ち、寝たきりの人は、鼠蹊ヘルニアになっても、別段、支障はないわけだ。

  そもそも、鼠蹊ヘルニアが始まったのは、2023年の6月16日からなのですが、ほぼ同時に、新型肺炎の後遺症と思われる、右腿の痛みも始まり、私自身、何がどうなっているか分からない時期が続いたので、日記の記述も、分かり難くなっています。 腿の痛みは、その内、収まって、鼠蹊ヘルニアだけが残ったわけですが、23年から24年にかけての冬の間は、あまり、気にしませんでした。

  気になり始めたのは、2024年の夏になった頃で、それまで、出ている時もあれば、引っ込んでいる時もあったのが、立っている時には、常に出ているようになりました。 これはもう、気のせいなどと言っていられないと思い、病院に行く事を決意しました。 で、新型肺炎の感染者数か減る、秋を待った次第。 そこら辺りから、日記を紹介します。



【2024/08/05 月】
  昨年の6月16日から発症した、推定・鼠蹊(そけい)ヘルニアですが、ここ一ヵ月くらい、下腹の右下端に、ゴルフ・ボールくらいの半球形に、ボコッと膨らんだ状態が、見た目で分かるようになりました。

  これはもはや、心気症のレベルではないので、病院へ行って、手術する事を決意しました。 今は、新型肺炎が第11波の最中ですから、すぐにすぐには行けませんが、例年、10月頃になると、感染者数が減って来るので、そうなったら、行く所存。

  10年以上前に、兄が同じ病気をやっていて、兄の場合、悪化させて、救急車で病院に担ぎ込まれたのですが、そこまで ひどかったという事は、腸が出たまま戻らなくなる、「嵌頓(かんとん)」まで行っていたのかも知れません。 兄がやっていたから、私も、この病気の存在を知っていたのですが、知らなかったら、何が起こったのかと、プチ・パニックを起こしていたでしょうな。

  私の場合、最初の食み出し感があってから、すでに、1年2ヵ月近く経っているわけですが、疼きのような痛みが続き、立っている時や座っている時に、ゴルフ・ボールが出る以外は、極端な症状はないです。 おそらく、10月くらいまでは、このままなんじゃないでしょうか。 ちなみに、横になっている時には、重力で腸が引っ張られて、膨らみは、出ません。

「だったら、横になっている間に、治らないものか」

  と、思うでしょう? 私もそう思いましたが、いろいろ、調べたところ、治らないらしいんですよ。 病気ではなく、怪我でもなく、体の構造上の問題なので、自然治癒力が働かないらしいんですな。 手術以外、治療方法がないらしいです。 難易度が高い手術ではないが、専門医の手で、慎重にやらないと、再発する事もあるとか。 ちなみに、兄は、最初に担ぎ込まれた病院に、専門医がおらず、そうでない医師が手術した結果、再発。 さらに、再発。 合計、3回手術したそうです。 まあ、今は、普通に暮らしているようですが。

  兄弟で罹ったから、遺伝かな?とも思ったのですが、父は、なっておらず、母方の方も、該当者はいないとの事。 よく分かりませんな。 「鼠蹊ヘルニア」と言われると、知らない人が多いですが、「脱腸」なら、聞いた事があるのでは? 名前の滑稽さだけ知れ渡って、どういう病気なのか知らないのでは、意味がありませんが。 手術例は、盲腸よりも多い、割とありふれた病気らしいです。


【2024/08/11 日】
  鼠蹊ヘルニアですが、近隣で扱っている病院を調べたら、大きな総合病院だけでした。 今日日、総合病院にかかるには、かかりつけ医の紹介状が要るとの事。 小さい医院の経営を助ける為に、そういう制度になっているらしいです。 で、近場の医院を探したのですが、外科が異様に少ない。 痔の治療をやっている所だけです。 

  2012年に、疣痔を切ってもらった医院が候補に上がりましたが、当時の日記を読んだら、術後、大腸カメラを勧められて、やっており、今回も、行けば、勧められそうです。 そんな面倒臭い事には、関わっていられません。

  2016年に、父が階段から落ちて、頭を怪我した事があったのですが、その時に行った外科医院が、近所にあります。 そちらに行くしかないか。 未だに、スリッパ式なので、気が進まないんですが、マイ・スリッパで、対処する事にします。 いずれにせよ、9月の後半になってからですが。


【注】
  結局、かかりつけ医の紹介状は諦めて、総合病院へ、直接、行く事に決めました。


【2024/10/02 水】
  明日、鼠蹊ヘルニアで、総合病院へ行く予定なので、ネットでダウン・ロードした受診申込書に、先に書き込んでおきました。 外来受付が、7時半からで、診察は、9時からとの事。 朝食を食べたら、すぐに出かけなければなりません。 診察だけだから、正午前に戻れると思いますが。

  正直なところ、鼠蹊ヘルニアよりも、病院内で、新型肺炎をうつされる方が、心配です。 なるべく、外で待とうと思っていますが、そう、うまく行くかどうか。


【2024/10/03 木】
  30分、早く起きて、朝食・その他を済ませ、7時に家を出て、旧母自で、総合病院へ。 鼠蹊ヘルニアをいよいよ、何とかする為です。

  7時半から、外来の受付ですが、すでに、20人くらい待っていました。 番号札を取るのに気づくのが遅れて、22番。 しかし、それは、あまり関係がなくて、初診の場合、カルテを作るから、ひと通り、待っている人がいなくなってから、処置されました。

  外科の受付は、8時半からで、問診表を書いて、提出。 初診の人は、予約の人の合間に呼ぶと言われました。 9時から、診察開始で、待合室で、ずっと待っていましたが、なんと、呼ばれたのが、11時半でした。 予め、合間に呼ぶと言われていなかったら、耐えられなかったでしょう。

  診察時間は、10分以下。 症状を話したら、家族構成を訊かれました。 触診は、医師が薄いビニール手袋をして、行ないました。 「鼠蹊ヘルニアは、よくある病気だから、見ただけでも分かるけれど、一応、触ってみました」という感じ。 ちなみに、診察中、「鼠蹊ヘルニア」という言葉は一回も使われませんでした。

  すぐに、手術の話にはならず、まず、検査。 今日は、レントゲン、血液採取、呼吸力検査、心電図。 10日に、CTを撮ると言われて、帰って来ました。 9千円。 出費は、まだまだ、序の口です。 私は、心臓に不整脈があるので、もしかしたら、手術できないと言われるかも知れません。 その場合は、ずっと、この病気と付き合い続けるしかないです。 最初に症状が出てから、もう、1年以上経ち、だいぶ、慣れて来たので、それならそれでも、いいんですが。

  家に帰って、12時40分くらい。 天気がもってくれて、助かりました。 外掃除。 水やり。


  いよいよ、病院へ行ったわけですが、こうなったらもう、俎板の上の鯉です。 向こうの指示通りにするしかありません。 こういう厄介な病気をやると、「大金をかけてまで、治すよう価値が、自分にあるんだろうか」と、しみじみ、思ってしまいますな。 待合室に出入りする他の患者を見ると、圧倒的に高齢者が多くて、昔だったら、とっくにあの世に行っている歳だろうに、「やっぱり、みんな、生きられる限りは、生きたいんだなあ」と、つくづく、思わされます。

  医学や医療制度がなかったら、みんな、とっくに死んでいるのです。 動物の一種類としては、そちらの方が自然なのは、議論するまでもない事。 私なんか、23歳の時に、胆石をやっていて、医学がなければ、その時に死んでいたのです。 私の人生は、3分の2、医学のお陰で与えられた、オマケなんですな。 そう思うと、尚更、自分の命の価値が、少なく感じられて来るのです。


【2024/10/08 火】
  次第に、気温が下がって来て、血行不良による、手先足先の動きの鈍さが気になり始めました。 運動散歩に行きたいところですが、鼠蹊ヘルニアの飛び出しが気になって、運動そのものが怖くなっています。 手術前に、悪くするのも、馬鹿馬鹿しいし。

  これは、病院にかかる前にも考えていた事なのですが、たとえ、手術で、鼠蹊ヘルニアが治ったとしても、私が、完全な健康体になるわけではなく、歳を取るに連れて、どんどん悪い所が増えて行くのは、避けられないんですな。


【2024/10/10 木】
  午後から病院で、CT検査があるので、昼食は軽めにせよとの指示に従い、食パンを、1切れだけ食べました。

  2時45分から、母自で、病院へ。 今日は、検査だけです。

  心臓エコー。 他の部位のエコーと同じようなものですが、時間が、5分くらいかかりました。 技師は、私の背後にいたので、何をやっているのか、分かりませんでした。

  CT。 鼠蹊ヘルニアが出た状態で撮るので、うつ伏せです。 腹の上の方と、腿の下に、硬い枕のような物を入れ、鼠蹊部を浮かせました。 地味に、辛い姿勢。 まず、そのままで撮って、次に、右手の甲に注射針を刺し、生理食塩水と、造影剤を注入。 「熱くなりますよ」と言われ、確かに、腹の方が熱くなったような気がしました。

  これで、終わり。 10560円。 高いな。 料金を高くする為に、やらなくてもいい検査をしているような気もしますが、手術してもらえないと、困るから、そんな事は、口が裂けても言いません。 また、検査の結果、手術不可と言われても、文句を言うつもりはないです。 検査自体は、無駄にはならないと思うので。

  特に、気持ちが悪くなるような事もなく、自転車を漕いで、帰って来ました。 次は、一週間後の、17日です。 検査の結果を聞くという予定。




  今回は、ここまで。 ここまでは、順調だったのですが、この次の受診から、変調します。 思えば、この頃までの私は、幸福ではないものの、能天気でした。

2025/01/05

読書感想文・蔵出し (120)

  読書感想文です。 闘病中なので、読書は、辛くなる一方です。 一時、休止にしようかとも思ったのですが、読書をやめると、このブログの更新ネタがなくなってしまうのが、痛い。 そもそも、幾つものブログを維持しようと思うからいけないのであって、更新間隔が開いていて、閲覧者が少ないブログは、閉めてしまえばいいのですが、なかなか、踏ん切りがつきません。





≪死の迷路≫

ハヤカワ文庫 SF 2070
早川書房 2016年5月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 「著者まえがき」が、2ページ。 本文、291ページ。 コピー・ライトは、1970年。 


  ほとんど、バラバラに、とある惑星に送り込まれた、14人。 全員が集まったところで、任務が指示される予定だったが、その指令が途中で切れてしまう。 全員、片道の燃料しか積めない乗り物で来ていたので、帰る事もできない。 何をすればいいのか分からないまま、一人一人、死んだり、殺されたりする者が出て来て・・・、という話。

  14人は多いですが、主な人物は、その半分くらいなので、【シミュラクラ】ほど、混乱しません。 特段、注意せず、普通に読んで行っても、どの名前が誰の事か、見失う事はありません。 最初に出て来た人物が、割と早めにいなくなってしまうのは、意外。 何か、作者の方で、構成上の手違いがあったのかも知れません。 70年代のディックさんは、ヤク中に足を突っ込んでいるから、そういうところは、疑ってかからねば。 「著者まえがき」にも、LSD体験の事が、さらっと出て来ます。 剣呑、剣呑・・・。

  未知の惑星で、探検に出かける場面が出て来ますが、レムさんの、【エデン】と比べると、スカスカに薄っぺらで、作者が、ほとんど、想像力を働かせてない事が分かります。 この作品のテーマは、異文明との接触などという大仰なものではないから、致し方ないか。 それにしても、これだけ、チープな異世界探検も珍しい。 だけど、つまらないわけではなく、チープななりに、面白く読めます。

  後半に入ると、航空機による、空中戦があり、なかなか、手に汗握らせてくれます。 ディックさんは、こういう活劇描写が、実に巧い。 映画化される作品が多いのは、映画人が、こういった活劇部分に惹かれるからだと思います。 どんな絵を撮るかしか考えていない映画人に、SFのテーマなんぞ、分かるものですか。

  神学や宗教が出て来ますが、テーマというよりは、モチーフのレベルです。 全く無視してしまっても、ストーリーは楽しめます。 むしろ、積極的に、無視した方が、いいかもしれません。 興味がなければ、鬱陶しいだけですから。 創作された、架空の宗教なのですが、キリスト教世界の作家は、どうしても、キリスト教の影響から逃れられないと見えます。 「著者まえがき」によると、【易経】からも戴いたらしいですが、易経は、宗教とは、直接 関係ありませんな。

  オチがあり、全体の10分の1くらいが、種明かしに当てられています。 更に、その中に、オチがあり、ちょっと、不思議な気分にさせられて、話が終わります。 推理小説で、ドンデン返しを何度もやられると、白けるものですが、この作品の場合、程良い姿勢制御で、着地に成功しています。

  そうそう、「目次」がありますが、内容とズレまくっていて、これは、ジョークでしょう。

  そうそう、「訳者あとがき」が、妙に長いです。 こんなに語ってくれなくてもいいというのよ。 この訳者、変わった人ですなあ。 本文の訳も、大変、砕けていて、元の英文を、どう捉えれば、こういう日本文になるのか、なんとも、不思議。 別人の訳で読んだら、全く印象が違って来るのかも知れません。




≪シン・レッド・ライン 上・下≫

角川文庫 10951・10952
角川書店
上巻 1999年2月25日 初版 1999年10月10日 4版
下巻 1999年2月25日 初版
ジェイムズ・ジョーンズ 著
鈴木主税 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 上巻が、375ページ。 下巻が、347ページ。 合計、722ページ。 コピー・ライトは、1972年になっていますが、作品が発表されたのは、1962年。 この文庫は、1998年に映画化された時に、日本公開に先立って、出版されたもの。


  太平洋戦争で激戦地になった、ガダルカナル島へ送り込まれた、C中隊の、戦闘や後方生活を描いた群像劇。 期間は、上陸直前から、ガダルカナル島での日本軍掃討任務が終了し、別の島に移動になる直前まで。

  ノーマン・メイラー作、【裸者と死者】を読んだ後、「そういえば、似たような話を、映画で見たな」と思い、その原作である、この本を借りて来ました。 「シン・レッド・ライン」とは、「細く赤い線」という意味で、アメリカ中西部の古い諺、「正気と狂気の間には、一本の細く赤い腺があるだけだ」からとったもの。 この諺が、英語のものなのか、先住民のものなのかは、分かりません。

  作者のジョーンズさんは、実際に、ガダルカナル島で、戦闘に参加した経験があるそうですが、この小説は、戦記ではなく、架空の地形の、架空の戦闘に変えられています。 これは、実際に戦死した人達に配慮したのでしょう。 つまり、【裸者と死者】同様、戦争小説としか言えないわけです。

  【裸者と死者】は、1948年発表ですから、こちらの方が、だいぶ、後に書かれています。 ジョーンズさんが、【裸者と死者】を読んでから、これを書いたのは、まず間違いないところで、物語の大枠から、細部に至るまで、多大な影響が見られます。 おそらく、「自分には、メイラー氏より濃厚な戦場体験があるのだから、超えるものが書けるはず」と考えたんでしょう。

  戦闘場面を描いた部分は、【裸者と死者】より遥かに多く、アメリカ兵の死者・負傷者も、二桁違いに多いです。 戦争小説としては、こちらの方が普通の配分で、【裸者と死者】が少な過ぎるのです。 戦闘場面が少ないと、それを期待して戦争小説を手にした読者が、飽きてしまいますから。 この配分の違いが、【裸者と死者】を純文学に近づけ、この作品を、戦争小説に近づけています。

  とはいうものの、登場人物、個々の心理描写も、ふんだんに盛り込まれていて、ちと、くどいくらい。 一人一人の心理を事細かに掘り下げているという点、「神視点三人称」の極限。 こんな細かい事まで、生存者に直接 取材したって、聞き取りできないだろうと思わせ、その点、逆に、リアリティーを損なっています。 所詮、作者の想像に頼っているわけだ。

  日本軍の描写は、【裸者と死者】同様、完全に、虫ケラ扱い。 しかも、出て来る死者の数が、二桁、いや、三桁多いので、もう、戦争というより、害虫駆除の様相を呈しています。 しかし、大袈裟に書いているわけではなく、実際に、こんな感じだったのでしょう。 アメリカ側は、日本軍同様、基本的に捕虜はとらない方針で、降伏した日本兵を、怒りと戦場ハイに任せて、容赦なく殺してしまいます。 これは、虫ケラ以下の扱いだな。

  激しい戦闘をしながらも、昇進する事に命をかけている兵士が何人も出て来て、人間の欲望というのが、どういうものなのか、まざまざと、見せつけてくれます。 日本軍は、虫ケラ以下なので、問題外。 彼らにとって、本当の敵とは、上官や、自分の出世のライバルになる同輩達なんですな。 非常に醜いのですが、彼らの方が、人間の本質をよく見せているとも言えます。

  後方での生活も、細かく描かれていますが、そちらは、別に、面白いわけではないです。 特に、現代から見ると、個々の一般的なアメリカ人に、人間的魅力を感じるような事はありません。 文化的な背景を感じさせないからでしょうか。 集団を評価する上で、その集団が作り出す文化が与える影響には、大きなものがあるんですな。

  さて、1998年の映画ですが、私は、テレビ放送された時に、見ているんですが、ほんの一部しか、覚えていません。 子供達が、水場に飛び込んで泳いでいる場面。 日本軍の野戦病院に、アメリカ軍がなだれ込んでくる場面。 あと、装備のいい日本軍が現れて、アメリカ兵の主人公を、「おまえが、俺の兄弟を殺したんだな」と詰問する場面。

  原作からは、大幅に話が変えられていて、テーマもモチーフも、原形を留めないくらい。 原作のままなのは、主な登場人物の名前だけです。 作者は、1977年に他界していますが、もし、生きてあの映画を見ていたら、自分の書いた作品と、あまりにも違うので、怒ったのではないでしょうか。

  映画では、日本兵も、一応、人間として扱われていますが、それは、日本でも公開されると分かっていたから、監督や映画会社が、配慮したのでしょう。 ちなみに、アメリカ映画は、日本での配給収入が、そこそこ多いので、日本の観客に阿った配役が、時折り、行われます。




≪いたずらの問題≫

ハヤカワ文庫 SF 2195
早川書房 2018年8月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 315ページ。 コピー・ライトは、1956年。 ディックさんの長編としては、第3作目だそうです。 この時期なら、安心して読めます。


  2100年代の地球は、歴史的な偉人、スレイター大佐が考案した、道徳制度で統治された監視社会になっていた。 公共放送の下請けで、CMや番組を企画している会社の社長が、スレイター大佐の像に、いたずらを仕掛けたが、その記憶がない。 バレたら、どうなる事かとビクビクしつつ、精神科医に相談したりしていたが、そこへ、公共放送の局長にならないかと声がかかって、ますます、ビクビクする事になり・・・、という話。

  変なタイトルですが、内容を直接、表しています。 大方、ディックさん本人が、誰か偉人の像を見て、「こうしてやれば、面白いだろう」と、想像を逞しくした事があるのでしょう。 ただし、像にいたずらした記憶が、主人公にない事について、説明が弱く、ちょっと、モヤモヤした感じが残ります。 いたずらは、やはり、積極的な意志でやるものだと思うので。

  監視社会なので、主人公がどうなるか、ハラハラしますが、うまい具合に、緩~く、吊るし上げや、罰を回避して行きます。 この点、オーウェル作、【1984】などより、ずっと、娯楽性が高いです。 明るいとまでは言いませんが、少なくとも、いい意味で、軽い雰囲気があるのです。 もっとも、【1984】が暗過ぎるのであって、読者の気分を悪くさせる為に書いた小説と、比較するのも、意味がないですけど。

  で、結局は、追い詰められますが、転んでもタダでは起きずに、残された時間をフル活用して、今度は、積極的な意志で計画した、反撃に出ます。 この辺りは、ノリノリでして、読んでいて、わくわくします。 ディックさんは、こういう展開が、実に巧いですなあ。 クライマックスでは、カー・チェイスまで入っていて、サービス満点。

  それにしても、こんなセコセコした地球に暮らすより、他恒星の惑星で、ゆったりのんびり生きた方が、ずっと幸せな人生になるような気がしますねえ。 主人公、なんで、戻って来ちゃったかなあ。 精神科医の妹と暮らすのが嫌なら、妻を呼び寄せれば良かっただけなのでは?




≪マルタの鷹≫

世界ロマン文庫
株式会社 筑摩書房
1970年7月10日 初版・第1刷発行
1978年2月20日 新装版・第1刷発行
ダシール・ハメット 著
鳴海四郎 訳

  沼津図書館にあった、ソフト・カバーの本です。 「世界ロマン文庫」とありますが、文庫サイズではなく、新書本よりも大きいです。 長編、1作を収録。 二段組みで、240ページ。 作品の発表は、1930年。 タイトルは、知らない人がいないと思いますが、それは、映画の方で知れ渡ったからです。 筒井さんの、≪漂流≫で、紹介されていたもの。


  サンフランシスコに事務所を構える私立探偵、サム・スペード。 彼のもとに、失踪した妹を捜して欲しいと、女の依頼者が訪ねて来る。 早速、妹と関係している男のもとへ、サムの相棒が張り込みに出かけて行くが、翌朝には、相棒の射殺死体が発見される。 女の妹の話は、でたらめで、マルタ騎士団がスペイン国王へ贈ろうとして、途中で行方不明になった、計り知れない価値を持つ鷹の置物を取り合う争いに、サムが巻き込まれて行く話。

  映画版は、1941年作で、ジョン・ヒューストンさんが、監督・脚本。 主演は、ハンフリー・ボガートさん。 私は、一度見ているんですが、探偵事務所を始め、室内の場面ばかり多くて、セリフがやたらと多く、面白いという印象はありませんでした。 ただ、この映画が、その後、数十年に渡り、推理小説の映像化で、手本になったという事は、知っています。

  それまでにも、推理小説の映画化はあったんですが、面白いものが出来ず、ハード・ボイルドの特徴を前面に出したら、初めてウケたんですな。 というわけで、戦後、小説の発表直後に映画化された、横溝さんの本格トリック物でも、片岡千恵蔵さんの金田一耕助が、スーツ姿で登場するのは、映画、≪マルタの鷹≫の影響です。 当時の映画人が、「探偵と言ったら、スーツ姿」と、決め込んでしまったわけだ。

  ちなみに、本格トリック推理物の映像化で、最初に成功するのは、1974年のイギリス映画、≪オリエント急行殺人事件≫。 それを見て、角川春樹さん・市川崑さんらが、横溝正史、5部作(1976-1979年)を、原作に忠実な金田一像で作るという流れです。 ≪オリエント急行殺人事件≫までは、本格トリック推理物を、どうやったら、面白く映像化できるかが、分かっていなかったわけだ。

  話を、元に戻します。

  この小説ですが、確かに、クリスティー、カー、クイーン諸氏の、本格トリック推理小説とは、全く異質です。 どちらかというと、スパイ物に近い。 ただ、登場人物が、スパイではなく、探偵、悪党、警察官に代わっているだけ。 謎はありますが、トリックはなし。 一つの街の、数ヵ所の建物の部屋を、行ったり来たりしながら、会話中心で、話が進みます。

  謎の中心にある、「マルタの鷹」ですが、その来歴は、数百年の昔に遡り、その説明の部分だけ、他とは、異質な内容になっています。 要は、大変高価なお宝なら、何でもいいのであって、特に、マルタ騎士団の財宝である必要はないです。 なぜ、そんなに高価なのかというと、宝石がちりばめられているからだそうですが、埋め込んであるんですかね? 飛び出しているのだとしたら、上から塗料で塗っても、突起で宝石が分かってしまいそうですが。

  都会、孤独、女、酒、煙草、暴力・・・、サム・スペードは、いかにも、ハード・ボイルドの権化という感じ。 探偵として、こういうキャラが出て来た時には、さぞや、読者に衝撃を与えただろうとは思いますが、私の世代だと、物心ついた頃から、ハード・ボイルド探偵は、テレビで、見飽きるほど見て来たので、これといって、新鮮さはないです。

  ハメットさんは、実際に、探偵事務所で働いた経験があるらしいです。 レイモンド・チャンドラーさんは、本格トリック推理小説を、「非現実的な、機械的な、作り話」と批判し、ハメット作品を、「事実に基礎をおいて、現実的な世界を描いている」と、激賞したとの事。 確かに、本格トリック物には、子供騙しのトリックを使ったものもありますが、では、ハード・ボイルドが、現実的かというと、これはこれで、嘘っぽい。

  1930年頃の、アメリカの大都市というのが、実際に、こういうものだったのかも知れませんが、こんな世界では、命が幾つあっても足りません。 頭が切れるとか、腕っ節が強いとか、肝が据わっているとか、喧嘩慣れしているとか、そんな問題ではなく、誰でも、拳銃を持っている社会では、至近距離で、パンと一発 撃たれたら、それで、おしまいではありませんか。 鍛え上げられた体を持つ大男が、5歳の子供に殺される可能性もある。 そんな社会は、異常としか思えません。 どこが、リアルなのか?

  少なくとも、私と同じ世代か、それより若い世代なら、この作品を読んで、面白いと感じる事はないはず。 主人公の性格が、今の日本人の感覚では、理解し難いので、共感する事ができず、ゾクゾクしたり、ハラハラしたりする事もありません。 これは、ハード・ボイルドに限らず、探偵シリーズでは、みな同じですが、探偵本人が死ぬ事は、あったとしても、シリーズ通して、一回だけなので、他の作品では、窮地に陥っても、「どうせ、大した事にはならないだろう」と分かってしまうのです。

  逆に、こういうハード・ボイルド探偵の、生活・人生に憧れているという人は、この作品はもとより、他のハード・ボイルド作品も、読まない方がいいです。 映画・ドラマも、駄目。 影響されて、真似しようとすると、人生が台なしになりかねません。 高倉健さんのヤクザ映画に心酔して、現実世界で喧嘩を吹っかけ、殺されたり、殺して刑務所に行った者達のように・・・。 こんな危なっかしい事とは、一生 無縁でも、充分に、人生は成り立ちます。 むしろ、こういう事を積極的に避けるのが、大過なく生きる秘訣というものでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪死の迷路≫が、9月22日・23日。
≪シン・レッド・ライン 上・下≫が、9月24日から、27日。
≪いたずらの問題≫が、10月7日。
≪マルタの鷹≫が、10月8日。

  ≪シン・レッド・ライン≫は、上下巻二冊だから、日数がかかっていますが、他の三冊は、一日か二日で読み終えており、読むのが速い方ではない私としては、随分と忙しなく、ページをめくっていた模様。 これも、読書に時間と手間を割くのが辛いので、さっさと終わらせてしまおうという意識が表れているのだと思います。