読書感想文・蔵出し (120)
読書感想文です。 闘病中なので、読書は、辛くなる一方です。 一時、休止にしようかとも思ったのですが、読書をやめると、このブログの更新ネタがなくなってしまうのが、痛い。 そもそも、幾つものブログを維持しようと思うからいけないのであって、更新間隔が開いていて、閲覧者が少ないブログは、閉めてしまえばいいのですが、なかなか、踏ん切りがつきません。
≪死の迷路≫
ハヤカワ文庫 SF 2070
早川書房 2016年5月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 「著者まえがき」が、2ページ。 本文、291ページ。 コピー・ライトは、1970年。
ほとんど、バラバラに、とある惑星に送り込まれた、14人。 全員が集まったところで、任務が指示される予定だったが、その指令が途中で切れてしまう。 全員、片道の燃料しか積めない乗り物で来ていたので、帰る事もできない。 何をすればいいのか分からないまま、一人一人、死んだり、殺されたりする者が出て来て・・・、という話。
14人は多いですが、主な人物は、その半分くらいなので、【シミュラクラ】ほど、混乱しません。 特段、注意せず、普通に読んで行っても、どの名前が誰の事か、見失う事はありません。 最初に出て来た人物が、割と早めにいなくなってしまうのは、意外。 何か、作者の方で、構成上の手違いがあったのかも知れません。 70年代のディックさんは、ヤク中に足を突っ込んでいるから、そういうところは、疑ってかからねば。 「著者まえがき」にも、LSD体験の事が、さらっと出て来ます。 剣呑、剣呑・・・。
未知の惑星で、探検に出かける場面が出て来ますが、レムさんの、【エデン】と比べると、スカスカに薄っぺらで、作者が、ほとんど、想像力を働かせてない事が分かります。 この作品のテーマは、異文明との接触などという大仰なものではないから、致し方ないか。 それにしても、これだけ、チープな異世界探検も珍しい。 だけど、つまらないわけではなく、チープななりに、面白く読めます。
後半に入ると、航空機による、空中戦があり、なかなか、手に汗握らせてくれます。 ディックさんは、こういう活劇描写が、実に巧い。 映画化される作品が多いのは、映画人が、こういった活劇部分に惹かれるからだと思います。 どんな絵を撮るかしか考えていない映画人に、SFのテーマなんぞ、分かるものですか。
神学や宗教が出て来ますが、テーマというよりは、モチーフのレベルです。 全く無視してしまっても、ストーリーは楽しめます。 むしろ、積極的に、無視した方が、いいかもしれません。 興味がなければ、鬱陶しいだけですから。 創作された、架空の宗教なのですが、キリスト教世界の作家は、どうしても、キリスト教の影響から逃れられないと見えます。 「著者まえがき」によると、【易経】からも戴いたらしいですが、易経は、宗教とは、直接 関係ありませんな。
オチがあり、全体の10分の1くらいが、種明かしに当てられています。 更に、その中に、オチがあり、ちょっと、不思議な気分にさせられて、話が終わります。 推理小説で、ドンデン返しを何度もやられると、白けるものですが、この作品の場合、程良い姿勢制御で、着地に成功しています。
そうそう、「目次」がありますが、内容とズレまくっていて、これは、ジョークでしょう。
そうそう、「訳者あとがき」が、妙に長いです。 こんなに語ってくれなくてもいいというのよ。 この訳者、変わった人ですなあ。 本文の訳も、大変、砕けていて、元の英文を、どう捉えれば、こういう日本文になるのか、なんとも、不思議。 別人の訳で読んだら、全く印象が違って来るのかも知れません。
≪シン・レッド・ライン 上・下≫
角川文庫 10951・10952
角川書店
上巻 1999年2月25日 初版 1999年10月10日 4版
下巻 1999年2月25日 初版
ジェイムズ・ジョーンズ 著
鈴木主税 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 上巻が、375ページ。 下巻が、347ページ。 合計、722ページ。 コピー・ライトは、1972年になっていますが、作品が発表されたのは、1962年。 この文庫は、1998年に映画化された時に、日本公開に先立って、出版されたもの。
太平洋戦争で激戦地になった、ガダルカナル島へ送り込まれた、C中隊の、戦闘や後方生活を描いた群像劇。 期間は、上陸直前から、ガダルカナル島での日本軍掃討任務が終了し、別の島に移動になる直前まで。
ノーマン・メイラー作、【裸者と死者】を読んだ後、「そういえば、似たような話を、映画で見たな」と思い、その原作である、この本を借りて来ました。 「シン・レッド・ライン」とは、「細く赤い線」という意味で、アメリカ中西部の古い諺、「正気と狂気の間には、一本の細く赤い腺があるだけだ」からとったもの。 この諺が、英語のものなのか、先住民のものなのかは、分かりません。
作者のジョーンズさんは、実際に、ガダルカナル島で、戦闘に参加した経験があるそうですが、この小説は、戦記ではなく、架空の地形の、架空の戦闘に変えられています。 これは、実際に戦死した人達に配慮したのでしょう。 つまり、【裸者と死者】同様、戦争小説としか言えないわけです。
【裸者と死者】は、1948年発表ですから、こちらの方が、だいぶ、後に書かれています。 ジョーンズさんが、【裸者と死者】を読んでから、これを書いたのは、まず間違いないところで、物語の大枠から、細部に至るまで、多大な影響が見られます。 おそらく、「自分には、メイラー氏より濃厚な戦場体験があるのだから、超えるものが書けるはず」と考えたんでしょう。
戦闘場面を描いた部分は、【裸者と死者】より遥かに多く、アメリカ兵の死者・負傷者も、二桁違いに多いです。 戦争小説としては、こちらの方が普通の配分で、【裸者と死者】が少な過ぎるのです。 戦闘場面が少ないと、それを期待して戦争小説を手にした読者が、飽きてしまいますから。 この配分の違いが、【裸者と死者】を純文学に近づけ、この作品を、戦争小説に近づけています。
とはいうものの、登場人物、個々の心理描写も、ふんだんに盛り込まれていて、ちと、くどいくらい。 一人一人の心理を事細かに掘り下げているという点、「神視点三人称」の極限。 こんな細かい事まで、生存者に直接 取材したって、聞き取りできないだろうと思わせ、その点、逆に、リアリティーを損なっています。 所詮、作者の想像に頼っているわけだ。
日本軍の描写は、【裸者と死者】同様、完全に、虫ケラ扱い。 しかも、出て来る死者の数が、二桁、いや、三桁多いので、もう、戦争というより、害虫駆除の様相を呈しています。 しかし、大袈裟に書いているわけではなく、実際に、こんな感じだったのでしょう。 アメリカ側は、日本軍同様、基本的に捕虜はとらない方針で、降伏した日本兵を、怒りと戦場ハイに任せて、容赦なく殺してしまいます。 これは、虫ケラ以下の扱いだな。
激しい戦闘をしながらも、昇進する事に命をかけている兵士が何人も出て来て、人間の欲望というのが、どういうものなのか、まざまざと、見せつけてくれます。 日本軍は、虫ケラ以下なので、問題外。 彼らにとって、本当の敵とは、上官や、自分の出世のライバルになる同輩達なんですな。 非常に醜いのですが、彼らの方が、人間の本質をよく見せているとも言えます。
後方での生活も、細かく描かれていますが、そちらは、別に、面白いわけではないです。 特に、現代から見ると、個々の一般的なアメリカ人に、人間的魅力を感じるような事はありません。 文化的な背景を感じさせないからでしょうか。 集団を評価する上で、その集団が作り出す文化が与える影響には、大きなものがあるんですな。
さて、1998年の映画ですが、私は、テレビ放送された時に、見ているんですが、ほんの一部しか、覚えていません。 子供達が、水場に飛び込んで泳いでいる場面。 日本軍の野戦病院に、アメリカ軍がなだれ込んでくる場面。 あと、装備のいい日本軍が現れて、アメリカ兵の主人公を、「おまえが、俺の兄弟を殺したんだな」と詰問する場面。
原作からは、大幅に話が変えられていて、テーマもモチーフも、原形を留めないくらい。 原作のままなのは、主な登場人物の名前だけです。 作者は、1977年に他界していますが、もし、生きてあの映画を見ていたら、自分の書いた作品と、あまりにも違うので、怒ったのではないでしょうか。
映画では、日本兵も、一応、人間として扱われていますが、それは、日本でも公開されると分かっていたから、監督や映画会社が、配慮したのでしょう。 ちなみに、アメリカ映画は、日本での配給収入が、そこそこ多いので、日本の観客に阿った配役が、時折り、行われます。
≪いたずらの問題≫
ハヤカワ文庫 SF 2195
早川書房 2018年8月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 315ページ。 コピー・ライトは、1956年。 ディックさんの長編としては、第3作目だそうです。 この時期なら、安心して読めます。
2100年代の地球は、歴史的な偉人、スレイター大佐が考案した、道徳制度で統治された監視社会になっていた。 公共放送の下請けで、CMや番組を企画している会社の社長が、スレイター大佐の像に、いたずらを仕掛けたが、その記憶がない。 バレたら、どうなる事かとビクビクしつつ、精神科医に相談したりしていたが、そこへ、公共放送の局長にならないかと声がかかって、ますます、ビクビクする事になり・・・、という話。
変なタイトルですが、内容を直接、表しています。 大方、ディックさん本人が、誰か偉人の像を見て、「こうしてやれば、面白いだろう」と、想像を逞しくした事があるのでしょう。 ただし、像にいたずらした記憶が、主人公にない事について、説明が弱く、ちょっと、モヤモヤした感じが残ります。 いたずらは、やはり、積極的な意志でやるものだと思うので。
監視社会なので、主人公がどうなるか、ハラハラしますが、うまい具合に、緩~く、吊るし上げや、罰を回避して行きます。 この点、オーウェル作、【1984】などより、ずっと、娯楽性が高いです。 明るいとまでは言いませんが、少なくとも、いい意味で、軽い雰囲気があるのです。 もっとも、【1984】が暗過ぎるのであって、読者の気分を悪くさせる為に書いた小説と、比較するのも、意味がないですけど。
で、結局は、追い詰められますが、転んでもタダでは起きずに、残された時間をフル活用して、今度は、積極的な意志で計画した、反撃に出ます。 この辺りは、ノリノリでして、読んでいて、わくわくします。 ディックさんは、こういう展開が、実に巧いですなあ。 クライマックスでは、カー・チェイスまで入っていて、サービス満点。
それにしても、こんなセコセコした地球に暮らすより、他恒星の惑星で、ゆったりのんびり生きた方が、ずっと幸せな人生になるような気がしますねえ。 主人公、なんで、戻って来ちゃったかなあ。 精神科医の妹と暮らすのが嫌なら、妻を呼び寄せれば良かっただけなのでは?
≪マルタの鷹≫
世界ロマン文庫
株式会社 筑摩書房
1970年7月10日 初版・第1刷発行
1978年2月20日 新装版・第1刷発行
ダシール・ハメット 著
鳴海四郎 訳
沼津図書館にあった、ソフト・カバーの本です。 「世界ロマン文庫」とありますが、文庫サイズではなく、新書本よりも大きいです。 長編、1作を収録。 二段組みで、240ページ。 作品の発表は、1930年。 タイトルは、知らない人がいないと思いますが、それは、映画の方で知れ渡ったからです。 筒井さんの、≪漂流≫で、紹介されていたもの。
サンフランシスコに事務所を構える私立探偵、サム・スペード。 彼のもとに、失踪した妹を捜して欲しいと、女の依頼者が訪ねて来る。 早速、妹と関係している男のもとへ、サムの相棒が張り込みに出かけて行くが、翌朝には、相棒の射殺死体が発見される。 女の妹の話は、でたらめで、マルタ騎士団がスペイン国王へ贈ろうとして、途中で行方不明になった、計り知れない価値を持つ鷹の置物を取り合う争いに、サムが巻き込まれて行く話。
映画版は、1941年作で、ジョン・ヒューストンさんが、監督・脚本。 主演は、ハンフリー・ボガートさん。 私は、一度見ているんですが、探偵事務所を始め、室内の場面ばかり多くて、セリフがやたらと多く、面白いという印象はありませんでした。 ただ、この映画が、その後、数十年に渡り、推理小説の映像化で、手本になったという事は、知っています。
それまでにも、推理小説の映画化はあったんですが、面白いものが出来ず、ハード・ボイルドの特徴を前面に出したら、初めてウケたんですな。 というわけで、戦後、小説の発表直後に映画化された、横溝さんの本格トリック物でも、片岡千恵蔵さんの金田一耕助が、スーツ姿で登場するのは、映画、≪マルタの鷹≫の影響です。 当時の映画人が、「探偵と言ったら、スーツ姿」と、決め込んでしまったわけだ。
ちなみに、本格トリック推理物の映像化で、最初に成功するのは、1974年のイギリス映画、≪オリエント急行殺人事件≫。 それを見て、角川春樹さん・市川崑さんらが、横溝正史、5部作(1976-1979年)を、原作に忠実な金田一像で作るという流れです。 ≪オリエント急行殺人事件≫までは、本格トリック推理物を、どうやったら、面白く映像化できるかが、分かっていなかったわけだ。
話を、元に戻します。
この小説ですが、確かに、クリスティー、カー、クイーン諸氏の、本格トリック推理小説とは、全く異質です。 どちらかというと、スパイ物に近い。 ただ、登場人物が、スパイではなく、探偵、悪党、警察官に代わっているだけ。 謎はありますが、トリックはなし。 一つの街の、数ヵ所の建物の部屋を、行ったり来たりしながら、会話中心で、話が進みます。
謎の中心にある、「マルタの鷹」ですが、その来歴は、数百年の昔に遡り、その説明の部分だけ、他とは、異質な内容になっています。 要は、大変高価なお宝なら、何でもいいのであって、特に、マルタ騎士団の財宝である必要はないです。 なぜ、そんなに高価なのかというと、宝石がちりばめられているからだそうですが、埋め込んであるんですかね? 飛び出しているのだとしたら、上から塗料で塗っても、突起で宝石が分かってしまいそうですが。
都会、孤独、女、酒、煙草、暴力・・・、サム・スペードは、いかにも、ハード・ボイルドの権化という感じ。 探偵として、こういうキャラが出て来た時には、さぞや、読者に衝撃を与えただろうとは思いますが、私の世代だと、物心ついた頃から、ハード・ボイルド探偵は、テレビで、見飽きるほど見て来たので、これといって、新鮮さはないです。
ハメットさんは、実際に、探偵事務所で働いた経験があるらしいです。 レイモンド・チャンドラーさんは、本格トリック推理小説を、「非現実的な、機械的な、作り話」と批判し、ハメット作品を、「事実に基礎をおいて、現実的な世界を描いている」と、激賞したとの事。 確かに、本格トリック物には、子供騙しのトリックを使ったものもありますが、では、ハード・ボイルドが、現実的かというと、これはこれで、嘘っぽい。
1930年頃の、アメリカの大都市というのが、実際に、こういうものだったのかも知れませんが、こんな世界では、命が幾つあっても足りません。 頭が切れるとか、腕っ節が強いとか、肝が据わっているとか、喧嘩慣れしているとか、そんな問題ではなく、誰でも、拳銃を持っている社会では、至近距離で、パンと一発 撃たれたら、それで、おしまいではありませんか。 鍛え上げられた体を持つ大男が、5歳の子供に殺される可能性もある。 そんな社会は、異常としか思えません。 どこが、リアルなのか?
少なくとも、私と同じ世代か、それより若い世代なら、この作品を読んで、面白いと感じる事はないはず。 主人公の性格が、今の日本人の感覚では、理解し難いので、共感する事ができず、ゾクゾクしたり、ハラハラしたりする事もありません。 これは、ハード・ボイルドに限らず、探偵シリーズでは、みな同じですが、探偵本人が死ぬ事は、あったとしても、シリーズ通して、一回だけなので、他の作品では、窮地に陥っても、「どうせ、大した事にはならないだろう」と分かってしまうのです。
逆に、こういうハード・ボイルド探偵の、生活・人生に憧れているという人は、この作品はもとより、他のハード・ボイルド作品も、読まない方がいいです。 映画・ドラマも、駄目。 影響されて、真似しようとすると、人生が台なしになりかねません。 高倉健さんのヤクザ映画に心酔して、現実世界で喧嘩を吹っかけ、殺されたり、殺して刑務所に行った者達のように・・・。 こんな危なっかしい事とは、一生 無縁でも、充分に、人生は成り立ちます。 むしろ、こういう事を積極的に避けるのが、大過なく生きる秘訣というものでしょう。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、
≪死の迷路≫が、9月22日・23日。
≪シン・レッド・ライン 上・下≫が、9月24日から、27日。
≪いたずらの問題≫が、10月7日。
≪マルタの鷹≫が、10月8日。
≪シン・レッド・ライン≫は、上下巻二冊だから、日数がかかっていますが、他の三冊は、一日か二日で読み終えており、読むのが速い方ではない私としては、随分と忙しなく、ページをめくっていた模様。 これも、読書に時間と手間を割くのが辛いので、さっさと終わらせてしまおうという意識が表れているのだと思います。
≪死の迷路≫
ハヤカワ文庫 SF 2070
早川書房 2016年5月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 「著者まえがき」が、2ページ。 本文、291ページ。 コピー・ライトは、1970年。
ほとんど、バラバラに、とある惑星に送り込まれた、14人。 全員が集まったところで、任務が指示される予定だったが、その指令が途中で切れてしまう。 全員、片道の燃料しか積めない乗り物で来ていたので、帰る事もできない。 何をすればいいのか分からないまま、一人一人、死んだり、殺されたりする者が出て来て・・・、という話。
14人は多いですが、主な人物は、その半分くらいなので、【シミュラクラ】ほど、混乱しません。 特段、注意せず、普通に読んで行っても、どの名前が誰の事か、見失う事はありません。 最初に出て来た人物が、割と早めにいなくなってしまうのは、意外。 何か、作者の方で、構成上の手違いがあったのかも知れません。 70年代のディックさんは、ヤク中に足を突っ込んでいるから、そういうところは、疑ってかからねば。 「著者まえがき」にも、LSD体験の事が、さらっと出て来ます。 剣呑、剣呑・・・。
未知の惑星で、探検に出かける場面が出て来ますが、レムさんの、【エデン】と比べると、スカスカに薄っぺらで、作者が、ほとんど、想像力を働かせてない事が分かります。 この作品のテーマは、異文明との接触などという大仰なものではないから、致し方ないか。 それにしても、これだけ、チープな異世界探検も珍しい。 だけど、つまらないわけではなく、チープななりに、面白く読めます。
後半に入ると、航空機による、空中戦があり、なかなか、手に汗握らせてくれます。 ディックさんは、こういう活劇描写が、実に巧い。 映画化される作品が多いのは、映画人が、こういった活劇部分に惹かれるからだと思います。 どんな絵を撮るかしか考えていない映画人に、SFのテーマなんぞ、分かるものですか。
神学や宗教が出て来ますが、テーマというよりは、モチーフのレベルです。 全く無視してしまっても、ストーリーは楽しめます。 むしろ、積極的に、無視した方が、いいかもしれません。 興味がなければ、鬱陶しいだけですから。 創作された、架空の宗教なのですが、キリスト教世界の作家は、どうしても、キリスト教の影響から逃れられないと見えます。 「著者まえがき」によると、【易経】からも戴いたらしいですが、易経は、宗教とは、直接 関係ありませんな。
オチがあり、全体の10分の1くらいが、種明かしに当てられています。 更に、その中に、オチがあり、ちょっと、不思議な気分にさせられて、話が終わります。 推理小説で、ドンデン返しを何度もやられると、白けるものですが、この作品の場合、程良い姿勢制御で、着地に成功しています。
そうそう、「目次」がありますが、内容とズレまくっていて、これは、ジョークでしょう。
そうそう、「訳者あとがき」が、妙に長いです。 こんなに語ってくれなくてもいいというのよ。 この訳者、変わった人ですなあ。 本文の訳も、大変、砕けていて、元の英文を、どう捉えれば、こういう日本文になるのか、なんとも、不思議。 別人の訳で読んだら、全く印象が違って来るのかも知れません。
≪シン・レッド・ライン 上・下≫
角川文庫 10951・10952
角川書店
上巻 1999年2月25日 初版 1999年10月10日 4版
下巻 1999年2月25日 初版
ジェイムズ・ジョーンズ 著
鈴木主税 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 上下巻二冊で、長編、1作を収録。 上巻が、375ページ。 下巻が、347ページ。 合計、722ページ。 コピー・ライトは、1972年になっていますが、作品が発表されたのは、1962年。 この文庫は、1998年に映画化された時に、日本公開に先立って、出版されたもの。
太平洋戦争で激戦地になった、ガダルカナル島へ送り込まれた、C中隊の、戦闘や後方生活を描いた群像劇。 期間は、上陸直前から、ガダルカナル島での日本軍掃討任務が終了し、別の島に移動になる直前まで。
ノーマン・メイラー作、【裸者と死者】を読んだ後、「そういえば、似たような話を、映画で見たな」と思い、その原作である、この本を借りて来ました。 「シン・レッド・ライン」とは、「細く赤い線」という意味で、アメリカ中西部の古い諺、「正気と狂気の間には、一本の細く赤い腺があるだけだ」からとったもの。 この諺が、英語のものなのか、先住民のものなのかは、分かりません。
作者のジョーンズさんは、実際に、ガダルカナル島で、戦闘に参加した経験があるそうですが、この小説は、戦記ではなく、架空の地形の、架空の戦闘に変えられています。 これは、実際に戦死した人達に配慮したのでしょう。 つまり、【裸者と死者】同様、戦争小説としか言えないわけです。
【裸者と死者】は、1948年発表ですから、こちらの方が、だいぶ、後に書かれています。 ジョーンズさんが、【裸者と死者】を読んでから、これを書いたのは、まず間違いないところで、物語の大枠から、細部に至るまで、多大な影響が見られます。 おそらく、「自分には、メイラー氏より濃厚な戦場体験があるのだから、超えるものが書けるはず」と考えたんでしょう。
戦闘場面を描いた部分は、【裸者と死者】より遥かに多く、アメリカ兵の死者・負傷者も、二桁違いに多いです。 戦争小説としては、こちらの方が普通の配分で、【裸者と死者】が少な過ぎるのです。 戦闘場面が少ないと、それを期待して戦争小説を手にした読者が、飽きてしまいますから。 この配分の違いが、【裸者と死者】を純文学に近づけ、この作品を、戦争小説に近づけています。
とはいうものの、登場人物、個々の心理描写も、ふんだんに盛り込まれていて、ちと、くどいくらい。 一人一人の心理を事細かに掘り下げているという点、「神視点三人称」の極限。 こんな細かい事まで、生存者に直接 取材したって、聞き取りできないだろうと思わせ、その点、逆に、リアリティーを損なっています。 所詮、作者の想像に頼っているわけだ。
日本軍の描写は、【裸者と死者】同様、完全に、虫ケラ扱い。 しかも、出て来る死者の数が、二桁、いや、三桁多いので、もう、戦争というより、害虫駆除の様相を呈しています。 しかし、大袈裟に書いているわけではなく、実際に、こんな感じだったのでしょう。 アメリカ側は、日本軍同様、基本的に捕虜はとらない方針で、降伏した日本兵を、怒りと戦場ハイに任せて、容赦なく殺してしまいます。 これは、虫ケラ以下の扱いだな。
激しい戦闘をしながらも、昇進する事に命をかけている兵士が何人も出て来て、人間の欲望というのが、どういうものなのか、まざまざと、見せつけてくれます。 日本軍は、虫ケラ以下なので、問題外。 彼らにとって、本当の敵とは、上官や、自分の出世のライバルになる同輩達なんですな。 非常に醜いのですが、彼らの方が、人間の本質をよく見せているとも言えます。
後方での生活も、細かく描かれていますが、そちらは、別に、面白いわけではないです。 特に、現代から見ると、個々の一般的なアメリカ人に、人間的魅力を感じるような事はありません。 文化的な背景を感じさせないからでしょうか。 集団を評価する上で、その集団が作り出す文化が与える影響には、大きなものがあるんですな。
さて、1998年の映画ですが、私は、テレビ放送された時に、見ているんですが、ほんの一部しか、覚えていません。 子供達が、水場に飛び込んで泳いでいる場面。 日本軍の野戦病院に、アメリカ軍がなだれ込んでくる場面。 あと、装備のいい日本軍が現れて、アメリカ兵の主人公を、「おまえが、俺の兄弟を殺したんだな」と詰問する場面。
原作からは、大幅に話が変えられていて、テーマもモチーフも、原形を留めないくらい。 原作のままなのは、主な登場人物の名前だけです。 作者は、1977年に他界していますが、もし、生きてあの映画を見ていたら、自分の書いた作品と、あまりにも違うので、怒ったのではないでしょうか。
映画では、日本兵も、一応、人間として扱われていますが、それは、日本でも公開されると分かっていたから、監督や映画会社が、配慮したのでしょう。 ちなみに、アメリカ映画は、日本での配給収入が、そこそこ多いので、日本の観客に阿った配役が、時折り、行われます。
≪いたずらの問題≫
ハヤカワ文庫 SF 2195
早川書房 2018年8月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳
沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 315ページ。 コピー・ライトは、1956年。 ディックさんの長編としては、第3作目だそうです。 この時期なら、安心して読めます。
2100年代の地球は、歴史的な偉人、スレイター大佐が考案した、道徳制度で統治された監視社会になっていた。 公共放送の下請けで、CMや番組を企画している会社の社長が、スレイター大佐の像に、いたずらを仕掛けたが、その記憶がない。 バレたら、どうなる事かとビクビクしつつ、精神科医に相談したりしていたが、そこへ、公共放送の局長にならないかと声がかかって、ますます、ビクビクする事になり・・・、という話。
変なタイトルですが、内容を直接、表しています。 大方、ディックさん本人が、誰か偉人の像を見て、「こうしてやれば、面白いだろう」と、想像を逞しくした事があるのでしょう。 ただし、像にいたずらした記憶が、主人公にない事について、説明が弱く、ちょっと、モヤモヤした感じが残ります。 いたずらは、やはり、積極的な意志でやるものだと思うので。
監視社会なので、主人公がどうなるか、ハラハラしますが、うまい具合に、緩~く、吊るし上げや、罰を回避して行きます。 この点、オーウェル作、【1984】などより、ずっと、娯楽性が高いです。 明るいとまでは言いませんが、少なくとも、いい意味で、軽い雰囲気があるのです。 もっとも、【1984】が暗過ぎるのであって、読者の気分を悪くさせる為に書いた小説と、比較するのも、意味がないですけど。
で、結局は、追い詰められますが、転んでもタダでは起きずに、残された時間をフル活用して、今度は、積極的な意志で計画した、反撃に出ます。 この辺りは、ノリノリでして、読んでいて、わくわくします。 ディックさんは、こういう展開が、実に巧いですなあ。 クライマックスでは、カー・チェイスまで入っていて、サービス満点。
それにしても、こんなセコセコした地球に暮らすより、他恒星の惑星で、ゆったりのんびり生きた方が、ずっと幸せな人生になるような気がしますねえ。 主人公、なんで、戻って来ちゃったかなあ。 精神科医の妹と暮らすのが嫌なら、妻を呼び寄せれば良かっただけなのでは?
≪マルタの鷹≫
世界ロマン文庫
株式会社 筑摩書房
1970年7月10日 初版・第1刷発行
1978年2月20日 新装版・第1刷発行
ダシール・ハメット 著
鳴海四郎 訳
沼津図書館にあった、ソフト・カバーの本です。 「世界ロマン文庫」とありますが、文庫サイズではなく、新書本よりも大きいです。 長編、1作を収録。 二段組みで、240ページ。 作品の発表は、1930年。 タイトルは、知らない人がいないと思いますが、それは、映画の方で知れ渡ったからです。 筒井さんの、≪漂流≫で、紹介されていたもの。
サンフランシスコに事務所を構える私立探偵、サム・スペード。 彼のもとに、失踪した妹を捜して欲しいと、女の依頼者が訪ねて来る。 早速、妹と関係している男のもとへ、サムの相棒が張り込みに出かけて行くが、翌朝には、相棒の射殺死体が発見される。 女の妹の話は、でたらめで、マルタ騎士団がスペイン国王へ贈ろうとして、途中で行方不明になった、計り知れない価値を持つ鷹の置物を取り合う争いに、サムが巻き込まれて行く話。
映画版は、1941年作で、ジョン・ヒューストンさんが、監督・脚本。 主演は、ハンフリー・ボガートさん。 私は、一度見ているんですが、探偵事務所を始め、室内の場面ばかり多くて、セリフがやたらと多く、面白いという印象はありませんでした。 ただ、この映画が、その後、数十年に渡り、推理小説の映像化で、手本になったという事は、知っています。
それまでにも、推理小説の映画化はあったんですが、面白いものが出来ず、ハード・ボイルドの特徴を前面に出したら、初めてウケたんですな。 というわけで、戦後、小説の発表直後に映画化された、横溝さんの本格トリック物でも、片岡千恵蔵さんの金田一耕助が、スーツ姿で登場するのは、映画、≪マルタの鷹≫の影響です。 当時の映画人が、「探偵と言ったら、スーツ姿」と、決め込んでしまったわけだ。
ちなみに、本格トリック推理物の映像化で、最初に成功するのは、1974年のイギリス映画、≪オリエント急行殺人事件≫。 それを見て、角川春樹さん・市川崑さんらが、横溝正史、5部作(1976-1979年)を、原作に忠実な金田一像で作るという流れです。 ≪オリエント急行殺人事件≫までは、本格トリック推理物を、どうやったら、面白く映像化できるかが、分かっていなかったわけだ。
話を、元に戻します。
この小説ですが、確かに、クリスティー、カー、クイーン諸氏の、本格トリック推理小説とは、全く異質です。 どちらかというと、スパイ物に近い。 ただ、登場人物が、スパイではなく、探偵、悪党、警察官に代わっているだけ。 謎はありますが、トリックはなし。 一つの街の、数ヵ所の建物の部屋を、行ったり来たりしながら、会話中心で、話が進みます。
謎の中心にある、「マルタの鷹」ですが、その来歴は、数百年の昔に遡り、その説明の部分だけ、他とは、異質な内容になっています。 要は、大変高価なお宝なら、何でもいいのであって、特に、マルタ騎士団の財宝である必要はないです。 なぜ、そんなに高価なのかというと、宝石がちりばめられているからだそうですが、埋め込んであるんですかね? 飛び出しているのだとしたら、上から塗料で塗っても、突起で宝石が分かってしまいそうですが。
都会、孤独、女、酒、煙草、暴力・・・、サム・スペードは、いかにも、ハード・ボイルドの権化という感じ。 探偵として、こういうキャラが出て来た時には、さぞや、読者に衝撃を与えただろうとは思いますが、私の世代だと、物心ついた頃から、ハード・ボイルド探偵は、テレビで、見飽きるほど見て来たので、これといって、新鮮さはないです。
ハメットさんは、実際に、探偵事務所で働いた経験があるらしいです。 レイモンド・チャンドラーさんは、本格トリック推理小説を、「非現実的な、機械的な、作り話」と批判し、ハメット作品を、「事実に基礎をおいて、現実的な世界を描いている」と、激賞したとの事。 確かに、本格トリック物には、子供騙しのトリックを使ったものもありますが、では、ハード・ボイルドが、現実的かというと、これはこれで、嘘っぽい。
1930年頃の、アメリカの大都市というのが、実際に、こういうものだったのかも知れませんが、こんな世界では、命が幾つあっても足りません。 頭が切れるとか、腕っ節が強いとか、肝が据わっているとか、喧嘩慣れしているとか、そんな問題ではなく、誰でも、拳銃を持っている社会では、至近距離で、パンと一発 撃たれたら、それで、おしまいではありませんか。 鍛え上げられた体を持つ大男が、5歳の子供に殺される可能性もある。 そんな社会は、異常としか思えません。 どこが、リアルなのか?
少なくとも、私と同じ世代か、それより若い世代なら、この作品を読んで、面白いと感じる事はないはず。 主人公の性格が、今の日本人の感覚では、理解し難いので、共感する事ができず、ゾクゾクしたり、ハラハラしたりする事もありません。 これは、ハード・ボイルドに限らず、探偵シリーズでは、みな同じですが、探偵本人が死ぬ事は、あったとしても、シリーズ通して、一回だけなので、他の作品では、窮地に陥っても、「どうせ、大した事にはならないだろう」と分かってしまうのです。
逆に、こういうハード・ボイルド探偵の、生活・人生に憧れているという人は、この作品はもとより、他のハード・ボイルド作品も、読まない方がいいです。 映画・ドラマも、駄目。 影響されて、真似しようとすると、人生が台なしになりかねません。 高倉健さんのヤクザ映画に心酔して、現実世界で喧嘩を吹っかけ、殺されたり、殺して刑務所に行った者達のように・・・。 こんな危なっかしい事とは、一生 無縁でも、充分に、人生は成り立ちます。 むしろ、こういう事を積極的に避けるのが、大過なく生きる秘訣というものでしょう。
以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、
≪死の迷路≫が、9月22日・23日。
≪シン・レッド・ライン 上・下≫が、9月24日から、27日。
≪いたずらの問題≫が、10月7日。
≪マルタの鷹≫が、10月8日。
≪シン・レッド・ライン≫は、上下巻二冊だから、日数がかかっていますが、他の三冊は、一日か二日で読み終えており、読むのが速い方ではない私としては、随分と忙しなく、ページをめくっていた模様。 これも、読書に時間と手間を割くのが辛いので、さっさと終わらせてしまおうという意識が表れているのだと思います。