2005/08/31

自転車


  いまや、自転車は子供の小遣いでも買える値段になりました。 安い物は7000円くらいで売ってますから、ゲームソフトを買うと思えば、何でもない金額でしょう。 だからなのか知りませんが、捨てるのも惜し気が無くなったようです。 資源ゴミの日にゴミ出し場に行けば、「この自転車はまだ乗れます。 ご自由にお持ち下さい」と貼り紙された自転車が何台も並んでいます。

  捨てるという事は、新しい自転車に買い換えているのだと思いますが、新品を買った所で、半年もすればくたびれてしまうのですから、勿体無いを通り越して、非常に無駄な事をやっているような気がします。 自転車は単純な機械ですから、消耗部品だけを交換していれば、ほぼ無限に使い続ける事が出来ます。 部品が手に入らなくなるという事もありえません。 たとえ、50年前の自転車でも、タイヤやチューブの規格は今に到っても変わっていませんし、ブレーキパッドなども、ブレーキごと換えるという手があるので、やはり無限の延命が可能です。

  昔の自転車と今の自転車の違いは、何といっても重さですが、わざわざ軽さを求めて買い換えるほど、技術の進歩が著しいわけではありません。 材質が鉄であれば、すでに20年前の時点で軽量化は限界に達していますから、これ以上の進歩は見込めないでしょう。 アルミなら、ぐっと軽くなりますが、その分値段も高いです。 私の先輩に、10万円で買ったオールアルミのマウンテンバイクを、まだ新品の内に盗まれてしまった人がいますが、気の毒で慰めの言葉もありませんでした。 盗んだ奴は、当然アルミだから盗んだものと思われます。 アルミ自転車は人力で持ち上げられるので、鍵をかけておいてもあまり役に立たないのが弱点です。 高いから狙われ、軽いから盗み易いというのは、泣きっ面に蜂ですな。 その点、鉄の自転車は、安心して停めておける気楽さがあります。

  今の高校生が乗っている自転車には、後ろに荷台が付いていません。 あれは、いいのか悪いのか、判断に迷う所です。 私自身は、高校の時、自転車通学でしたが、軽くしたいと思って、元々付いていた荷台を外して乗っていました。 学生だと、荷台に荷物を載せるような事は滅多に無いからです。 荷台がないと、持ち上げる所が無いので、スタンドが掛け難いですが、傾けスタンドならば、持ち上げる必要も無いと言うわけなんでしょう。 でも、傾けスタンドは風には非常に弱いです。 大人の場合、荷台は使いようでして、箱をつけるなど、うまく工夫すれば、車と同じくらい多くの荷物が運べます。 でも、最近はそういう賢い使い方をしている人の姿が減りました。

  大人になって車の免許を取ると、自転車から離れてしまう人が多いですが、勿体ない話です。 自転車には自転車の使い道がありますから、両者をうまく使い分けなければ損です。 買物一つとっても、車に乗ると、駐車場がある店にしか行かなくなります。 一見、行動半径が広がったようでいて、実は近くの店に行かなくなってしまうんですな。 馬鹿馬鹿しい話です。

  それにしても、自転車の後輪のドラムブレーキというのは、どうしてあんなにキーキー鳴くんでしょうねえ。 凄い音がして周囲の迷惑になるのが分かりきっているので、使いたくても使えません。 前ブレーキと同じようなタイプにすれば、静かになると思うんですが、何か技術上の問題でもあるんでしょうか? 謎です。

  最近、パンクしないタイヤのアイデアが幾つか実用化されています。 パンクは空気が減って来ると起こり易いので、タイヤの回転力を利用してポンプを動かし、常に空気圧を一定に保つという凄いメカもありますし、チューブの中に常温で固まるジェルを充填し、穴が開いても走り続けられるというコロンブスの卵的アイデアもあります。 自転車のパンクに悩まされている我が家では、真剣に検討してみましたが、どちらも値段が一万円以上するとわかって、スパッと断念しました。 自転車本体より高いタイヤを付けて走るわけにはいきませんからねえ。

2005/08/28

国家詐欺


  イスラエルが、ガザ地区から、軍隊と入植者を撤退させました。 1967年の第三次中東戦争で侵攻して以来、実に38年ぶりの撤退だそうです。 イスラエルとパレスチナ、国や民族の対立の事はさておき、自主撤退しなかった入植者達が、軍による強制退去に抵抗する様子を見ていると、『移民』 という行為の持つ危うさを痛感せずにいられません。

  軍隊は、命令一つで動きますから、撤退を嫌がる者はいないでしょう。 むしろ、危険な地域から離れる事が出来るので、表向きはともかく、内心では歓迎しているはずです。 しかし、入植者は違います。 国に 「住んでも良い」 と言われて移り住み、30年以上にわたって生活を営んできたのですから、突然 「出て行け」と言われたら、反発しない方がおかしいです。 体を張って抵抗している人達を、「往生際が悪い」 と批判するのは簡単ですが、もし自分が同じ立場だったら、長年暮らした土地から追い出されるのは、耐え切れない事だと思います。 また、そこで生まれ育って大人になったという人は、故郷を永遠に失うわけで、また別格の問題があります。

  いやいや、もちろん、分かっていますよ。 そもそもパレスチナ人が住んでいた土地に、イスラエル人が入植したのが、事の発端である事は。 イスラエル人入植者達は、自分達がパレスチナ人に対して行なった行為のしっぺ返しを喰らっているのであって、同情に値する事ではないという事も。 また、撤退に抵抗している者の中には、入植者以外に、外部から入り込んだ民族主義者が多く混じっている事も。

  それらを承知の上で、一般論として言うのですが、国の政策に沿って行なわれる 『集団移民』 や 『入植』 というのは、ほとんど 『詐欺』 なのではないでしょうか? 日本でも、満州移民やドミニカ移民の例がありますが、国の募集に応じて移民したのに、国の保護が受けられず、地獄の憂き目を見るというパターンがよく見られます。

  ハワイ移民では、どしどし送り出して、日系人がハワイ人口の四分の一を占めるまでにしておきながら、そこへ真珠湾攻撃です。 実際、日系人の死者も多かったわけですが、ここには、送り出した国の責任意識は、微塵も見て取れません。 もし、日本軍がハワイに上陸していたら、日系人を敵国民として扱っただろうという事も容易に想像できます。

  満州移民は、更に凄まじく、ソ連が参戦すると、日本軍はさっさと逃げてしまい、移民した人々は取り残されました。 しかも、取り残すだけでは飽き足りないのか、日本軍は逃げ出す寸前に、現地召集をかけ、民間人の男性を軍籍に入れて行きました。 この措置のせいで、軍人として捕虜になり、シベリアに送られた人が多数に上るのですが、戦う気もないのに、どうしてこんな事をしたのか皆目理由がわかりません。 とにかく、国側からすれば、移民させた民衆など、いざとなれば捨ててしまえる、ゴミのような存在だった事だけはよく分かります。

  移民の単位は家族が多いですが、中には親族ごととか、村の半分とか、大人数が固まって行くケースもありました。 現在の日本では、ちょっと分かりにくいですが、昔は血縁地縁で支えあって生きている 『村社会』 でしたから、周りが 「移民する」 と言い出すと、行きたくなくても行かざるを得ない状況に追い込まれてしまったようです。 気が進まない者を説得する時に使われる決まり文句が、「国が募集しているんだから、こんなに確実な事はない。 ○○へ行けば、豊かな土地がただで手に入るんだ」 といったセリフ。 昔は小作人が多かったですから、土地が貰えると言われると、魅力に抗い難かったんでしょう。

  しかし、常識的に考えて、「豊かな土地が、ただで貰える」 などという事はありえません。 地球は広いようで狭いですから、そんな豊かな土地があれば、とうの昔に他の誰かが住んでいます。 ただで貰えるとしたら、ドミニカ移民が与えられたような、石ころだらけの工作不適地か、満州やガザ地区のような、先住民を追い出して奪った土地か、どちらかではないでしょうか? 人から奪った土地は、国の庇護が無くなれば、当然返さなければなりませんから、手を入れれば入れるほど損をする事になります。

  この世には、『うまい話』 というのが皆無ではありませんが、そういう幸運は、国が募集をかけるほど大人数に行き渡る事はないと思います。 つまり、募集の段階で、既に 『詐欺』 なのです。 騙された後で文句を言っても失われた時間や労力は戻りません。 騙される前に気付くべきなのです。 幸い、『うまい話』 というのは、強制される事はないですから、自分で判断する余地は残されているはずです。

  国のやる事を、無条件で信じてしまう人が多いのには驚きます。 そして必ず、重大な損害を被った後で、「国に騙された」 というのです。 確かにその通りなんですが、一方で決して騙されない人がいるのも事実です。 国よりも、自分の判断力を信じている人達です。 もちろん、集団移民や入植なんて危なっかしい事には、首を突っ込みません。 騙す方が悪いのは言うまでもありませんが、一度しかない人生なのですから、騙されないように、判断力を磨いておく事も必要だと思います。

2005/08/24

地震国の建築


  日本列島は人間が住み着く以前から地震多発地域でした。 そんな地理条件の上に築き上げられてきた日本文化なのだから、建物の耐震性もさぞや高いだろうと思うのが常識的な感覚ですが、これは全くの錯覚です。

  日本の伝統建築の耐震性について、よく例に挙げられるのが 『五重の塔』 です。 「地震の時は塔全体が揺れる事でエネルギーを分散し倒壊を免れる」 とか、「中心部の柱が吊り下げ構造になっていて、振動を吸収する効果がある」 とか、伝統技術が褒めちぎられています。 しかし、五重の塔は、潤沢な資金を注ぎ込み、最高の技術を採用した、例外中の例外です。 普通の日本建築は、耐震性について何も考えていないといっていいほど脆弱です。

  「日本の家は、木と紙で出来ている」 と、以前はよく言われました。 これは貧相な事を馬鹿にして言っているのですが、特徴を誉められていると思っていた、おめでたい日本人も多かったです。 それはさておき、本当に木と紙だけで出来ているなら、軽いですから、地震には強いはずです。 ところが、木と紙で作ったその上に瓦屋根を載せているのですから、体が華奢で頭が重いという、耐震面では最悪の構造になります。

  柱や梁を木で作るのは、他に簡単に手に入る材料がなかったからです。 壁を土で塗るのも、障子や襖に紙を使うのも同じ理由。 屋根に瓦を載せたのは、他に耐水性がある建材がなかった為です。 まず、初めに材料の制約があるわけです。

  次に、優先機能の制約があります。 本来壁が入る部分を障子や襖などで仕切っていて、それらを取り外せば開口部が異様に大きくなりますが、これは、湿度対策として、風通しを優先しているからです。 また、襖を取り外すと、続き部屋になって、大きな空間を作れるようになっていますが、これは冠婚葬祭の行事などで大勢の人を家に招く時に必要だったからです。 瓦屋根には、台風の時、屋根が飛ばないように重さで押さえつける効果も期待されました。

  材料と優先機能という二つの制約があり、それを満たした後に、ようやく地震対策が出て来るわけですが、見たところ、何もしていないも同然です。 『筋交い』 を入れるくらいが関の山で、他に耐震性に配慮している部分が見当たりません。 『地震・雷・火事・親父』 などと言われ、怖いものの順位ではトップに君臨している地震ですが、建築を見る限りでは、地震を恐れている様子はほとんど覗えません。

  では、昔の大工達は、地震を無視していたかというとそうでもなく、消極的な対策をとっていたようです。 その最たるものが、『二階屋を作らない』 というものです。 彼らは自分達の技術では地震に耐えられる二階屋が作れない事を知っていました。 江戸時代以前に建てられた家では、たとえ階段があっても、上がった先は屋根裏部屋という事が多いです。 神社仏閣や武家屋敷でも二階建ては稀です。 城の天守閣や合掌作りなどは例外の口。 温泉旅館など木造の伝統建築で、二階建てのものを見つけたら、明治以降に建てられたのではないかと疑ってみた方がよいでしょう。

  しかし、「作れない物は、作らない」 というのは、消極的とはいっても、それはそれで責任がある態度だったといえるでしょう。 自分の作った家が地震でつぶれて、施主の家族を死なせてしまったとなれば、道義的責任も大きいですし、何より大工としての名声にかかわるからです。 出来ない事には手を出さないのが一番です。 非常に恐ろしいのは、「作れないけど、仕事だから作る」 という考え方で、明治以降、二階建ての需要が高まるに連れ、徐々にこの考え方が広まり、現代では日本全国に蔓延してしまいました。

  テレビで家の新築や改築をする番組を見ていると、「こんな無理な建て方をして、地震に耐えられるんだろうか?」 と他人事ながら心配になる事がよくあります。 建物の強さに最も深く関わってくるのは壁の多さですが、広い空間を作るために、壁を取り払っている様子などを見ていると、ぞっとします。 「プロの建築士が構造計算をしながら作っているのだから大丈夫だ」 と思いたいのは山々ですが、これまでに地震で倒壊した家屋のほぼ100%が、プロの建築士の構造計算を経て建てられていた事を考えると、とても安心できるものではありません。 特に、改築して部屋を継ぎ足したような家は、元の構造計算が狂ってしまっているので、非常に危ないです。 改築にも建築士は関わりますが、普通、施主が 「こんな風にしたい」 と求めれば、多少無理があっても、その通りに作ってしまいますから、あまり当てになりません。

  なぜ、現代の工務店が、こんなに危ない家ばかり建てるようになってしまったかというと、たとえ地震で倒壊したとしても、工務店が責任を問われる事が無いからでしょう。 個々の建築士は尚更です。 「残念でした」 の一言で済んでしまいます。 それすら言わないかもしれません。 面白い事に、現代日本人は、手抜き建築や悪質リフォームに対しては激怒するくせに、地震による倒壊では、工務店や建築士を責めません。 天災だから仕方がないと諦めてしまうのでしょう。

  日本の住宅の耐震性がいつまでたっても上がらないのは、工務店と施主の両方に責任があると思います。 地震の後、伝統的な木造軸組み工法の家が無残に倒壊している横で、ブレハブ工法や2×4工法の家が平然と建っているのを見れば、少しは考えが変わると思うのですが、なぜか今でも伝統工法に拘る人は多いです。

「日本は世界有数の地震国だ。 その日本で育まれた建築方法が地震に弱いはずがない」

  そう信じたい気持ちは分かりますが、取り敢えず、何冊か本を読んで、各工法の違いを調べてみてから決めても遅くはありますまい。 「木造軸組み工法は、地震に強い」 と書いてあったら、その本の著者は、嘘をついているか、甚だしい無知かのどちらかです。 最新の耐震基準では、木造軸組み工法の建築に補強金具の取り付けが義務付けられていますが、そもそも弱いから補強が必要なのであって、元から強ければ、新築の家に補強金具をつけるなど馬鹿げた話です。

  耐震構造として最も優れているのは、科学的に考案された2×4工法ですが、日本では名前こそ広く知られてるものの、まだまだ実際の建築例は少ないです。 頼む人が少ないから、2×4工法を扱える工務店が増えず、工務店が少ないから、施主も頼まないという悪循環に陥っています。 もし、私が家を建てるとしたら、2×4工法が取れないのなら、ブレハブ工法にしておきます。 損傷はしても倒壊はしませんから。 見た目や間取りの制約などは、地震の恐ろしさに比べたら、何でもない事です。 家は高い金を払う一生に一度の買物なのに、その家に押し潰されて死ぬなど、理不尽にも程があるではありませんか。

2005/08/19

いのしし村

  さて、土肥を後にした私は、伊豆半島の内陸にバイクを向けました。 伊豆半島の道というのは、葉っぱの外縁と葉脈のように走っているので、海岸沿いのどの街からでも、内陸へ入る道があります。 土肥から山の中へ入って行くと、修善寺と天城湯ヶ島の中間くらいの場所に出ます。 土肥も修善寺も天城湯ヶ島も、今では全部、伊豆市ですが、道路標識は、元のままの表示になっています。 まあ、当然ですな。 だから、市長村合併は何かおかしいって言うんですよ。

  半島の中心を走っている国道136号に入って、しばらく南下しますと、『浄蓮の滝』 から間もない所に、『天城いのしし村』 があります。 今でこそ伊豆半島には、亀やら猫やらペンギンやら、一種類の動物を取り上げたテーマパークが犇いていますが、その中でも 『いのしし村』 は古参組に入ります。 私が子供の頃にはもう 『猪レース』 が評判の呼び物になっていたんですから、いかに古いかが分かろうというもの。 数年前に創立者が亡くなって、経営母体が他へ移ったらしいですが、今でも人気のある観光スポットである事に変わりはありません。

 浄蓮の滝を過ぎると、左手に突然この看板が現われるので、うっかり通り過ぎてしまう場合もあります。 この写真は、南側から撮った物。 ちょっと分かり難いですが、手前にあるのが私のバイクです。

 駐車場は、無料で、そこそこ広いです。 何せ交通不便な所ですので、そんなに観光客が押し寄せるという事もなく、大概は駐車できると思います。 ただ、バイク専用駐車場はありません。 適当に隙間を見つけて停める事になります。

 中に入って、最初に出会う雄のイノシシ。 雄にはキバがあり、面構えが違うので、直ぐに分かります。 イノシシの体長は、大きくても1.2m程度だそうですから、こやつは最大の口に入ります。 見るからに、ストレスが溜まっていそうな態度でした。

 こちらは、園の中の方にいた雌イノシシ。 雄よりずっと温厚な感じがします。 犬などと違い、ひっきりなしに地面の匂いを嗅ぎ、エサを探しています。 「ブーブー」 という泣き声は、エサの匂いを嗅ぐ時の鼻の音なんですね。

 アップ。 鼻がすらっと長いので、何となくバクを思わせます。 イノシシというのは、かなりカッコいい動物です。

 こちらは、ミニブタ。 比較すると、イノシシのスマートさが際立ちます。 やはり、自然は偉大ですな。 隣にいるのはヤギの子。 なぜか同居してます。

 こちらは、大人の雌ヤギ。 『いのしし村』 とは言うものの、いろんな動物がいます。 ヤギも雌の方が顔付きがすっきりしていますね。

 性別不明のロバ。 ロシナンテのイメージから、非常に可愛い動物のように思われていますが、間近で見ると、ちと怖いです。 こうして見ると、馬に近い事が分かりますね。

 何、これ? 最初見た時は、有袋類かと思ったんですが、『ラーマ』 という南米のネズミ類だそうです。 カピバラの仲間かな? 足が長いのが特徴。 でも、如何にも臆病そうで、ほとんど動きません。

 イノシシ博物館、『ぼあぼあ』。 ここまでデザインしなくても、看板かければ、分かるって。 まあ、経営者の勝手ですが。

 世界のイノシシ類の揃い踏み。 大陸によって生息している種類が違うそうです。 左から、イノシシ、カワイノシシ、イボイノシシ、一番向こうは、アメリカ大陸のイノシシですが、名前を忘れてしまいました。

 イノシシの頭蓋骨。 実に博物館らしい展示物。

 世界各国のイノシシの民芸品。 これも動物系テーマパークではよく展示されていますが、見てそんなに面白いものではありません。

 『猪ショー』 もやってました。 恐らく、水族館でやっている 『アシカ・ショー』 が原形だと思います。 駄目役のイノシシを登場させたりして、笑いを取りながら進んでいきます。 橋渡り、滑り台、サッカー、樽乗りなどを見せてくれます。 お客も大概は協力して、笑い所では笑い、うまい芸を見せたら拍手します。 しかし、小さい子供というのは正直というか、残酷というか、配慮が足らず、「下らなーい!」 などと、言わなくてもいい事を聞こえよがしに言います。 また親も注意しません。 明らかに営業妨害ですから、そういう奴らは親子一緒に摘まみ出してやるのが良いと思います。

 ヤギと触れ合う家族連れ。 こういう光景は、大変微笑ましいですな。

 一方こちらは、『猪レース』 に群がる欲の亡者ども。 入場券に連勝単式の数字が印刷されていて、当ると景品がもらえるのですが、誰一人として権利を放棄する者がいません。 さして広くもない園内にこんなに人がいたとは驚きです。

 イノシシのゲート。 かなり本格的に出来ています。 条件の統一など、管理は厳格です。 恐らく、外れた客の中に怒り出す人がいるので、その対策なのでしょう。 係員の動作は機敏で無駄が無く、イノシシに負けず劣らず、訓練が行き届いている感じがします。

 『猪レース』 発走! 猪突猛進と言いますが、凄い早さです。 同じ伊豆半島の、河津町にある 『アンディー・ランド』 では、『亀レース』 をやっていますが、その原形になったのが、この 『猪レース』 です。

 下り坂のコーナーでも、ノーブレーキで突入して行きます。 イノシシの運動能力は、想像を絶するものがあります。 迫力は凄いですが、あまりにも速くて、ほんの15秒程度で終わってしまうので、たっぷり二分以上かかる 『亀レース』 に比べると、何となく呆気ないです。 ちなみに、私の番号は外れました。

 『猪レース』 だけかと思っていたら、夏季限定、『猪・水泳レース』 もやってました。 何でもやらせるのう、いのしし村! こちらは、会場入り口で団扇を200円で売っていて、それを買った人だけが、好きなイノシシに賭けられるという方式を取っていました。 ほとんど全員が買うので、時間が掛かって、始まるのが大幅に遅れました。 全く、どいつもこいつも、欲の皮ばかり突っ張らせおって・・・。 もちろん、私は買いませんでした。 イノシシの泳ぎを見たかったのです。

 ゴール! 「イノシシが泳ぐといっても、足が細いから、速いはずがない」 と思っていたんですが、とんでもない思い違いで、犬よりずっと速かったのにはびっくりしました。 イノシシ恐るべし! 離島にもイノシシがいるそうですが、泳いで渡ったという説が信じられるような光景でした。

 施設の関係上、泳ぎ終わった後は、客席の中を通って帰ります。 たぶん、みんな雌でおとなしいんでしょうが、それにしても、世間で害獣扱いされている動物とは思えませんな。 大変よく馴らされています。 怖がっている女性が写っていますが、彼氏の手前のポーズでしょう。 そんな緊張した雰囲気ではなかったです。

 最後に見つけた、『ウリ坊』。 三ヶ月以上たっているのか、もう縞が消えていますが、まだまだ可愛いですね。

 帰り道に見かけた 『天城ドーム』。 山の中に忽然とドームの屋根が見えてきたので、びっくりしました。 近づいてみると、野球場ではなく、総合スポーツ施設の中にある室内競技場でした。 それでもかなり大きいです。 構造を見る限り、屋根も開くようです。 金が掛かったでしょうねえ。 作ったからには、どんどん使わなきゃ、損ですな。


  帰りは、国道136号で、真っ直ぐ北上する予定だったんですが、天城から修善寺に向う途中、早くも渋滞しているのを見て気が変わり、来たのと同じコースで帰る事にしました。 しかし、この判断が大失敗。 地図で見れば分かりますが、距離にして二倍以上の遠回りになるのです。 『いのしし村』 を出たのは2時半だったのに、家に着いたのは5時でした。 時間はいいとしても、腰が痛くなってまいりました。

  目的地にはちゃんと行ったし、見るべき物も見たので、まずまずの旅行だったと言っていいと思います。 でも、気になった事もあります。 近年ますます顕著になりましたが、観光地で大勢の人の中に入ると、女も男も香水の匂いをプンプンさせている者が多くて、辟易してしまうのです。 あまりにも臭いので、同じコースを歩いていられません。 やはり、恋人同士にそういう臭い奴らが多いですが、「一緒に旅行に来るほど親しいなら、もう香水なんていらないんじゃないか?」 と思います。 いや、口に出して説教なんかしませんがね。

2005/08/15

土肥金山

  連休はいつもそうですが、出かけたくなくても、どこかしら出かけないと、後々その年の事が記憶に残らなくて、味気ないものです。 というわけで、今年の夏も形ばかりですが、出かける事にしました。 そういう時に目的地として手頃なのが、伊豆半島です。 いやあ、本当に観光地の近くに住んでいて幸いでした。

  今回の目的地は、土肥の『土肥金山』と、天城の『いのしし村』です。 市町村合併のせいで、土肥も天城も、同じ伊豆市になってしまいましたが、旅行者の感覚では全然違う所です。 恐らく、住民の方々は、もっと違うと思っている事でしょう。

  まずは、沼津から海岸線伝いに南下して、土肥へ。 伊豆の西海岸の道は、グネグネ折れ曲がっている上に、高低が激しく、お世辞にも走り易い道路とは言えませんが、道なりに走っていけば確実に到着するので、その点は気楽です。 静浦、西浦、大瀬崎、井田、戸田と進んでいきます。 戸田までは、今年の五月に来ているので、この辺は別に語る事はありません。 戸田から土肥までは直ぐです。 土肥は戸田より一回り大きい町で、都市的な生活をするのにほぼ充分な体裁を備えています。

  土肥金山には、15年位前にも一度来ているのですが、その頃は、坑道跡をちょっと見せるくらいの軽い見学場所でした。 その後、大規模に整備されて、土肥最大の観光スポットに生まれ変わったそうで、一度見てみようと思っていたのです。 特に、三菱マテリアルという会社が、ギネス記録を狙って作った世界最大250キロの金塊が展示されているという話は県内ニュースで何度も流れており、一見の価値ありと期待して行きました。

  以下、写真でご案内。



 土肥金山の入り口。


 駐車場は大変広い上に、無料です。 確実に停められます。


 土肥金山の門ですが、最近作ったものです。 昔の施設は坑道以外、何も残ってません。


 門番の人形。 年中無休、24時間立ちっ放し。


 坑道の入り口。 猛烈に暑い日でしたが、中に入ると寒気がするほど涼しかったです。


 坑道の壁沿いには、解説の為の 『からくり絵図』 が幾つか並んでいました。 土肥金山は1965年まで掘っていたのですが、展示の内容は江戸時代の物になっています。


 『からくり絵図』 の中に、一体だけ白い物があったので、よくよく見てみたら、全身カビに覆われているのでした。 なぜ、こやつだけ?


 坑道の奥にある神社。 これも最近になって整備されたもの。 15年前に来た時には、もっと素朴な社でした。 狭い坑道に、こんなに大きな神社があったのでは、仕事の邪魔で仕方ないです。


 坑夫の人形。 スピーカーで会話まで流しています。 人形が好きだねえ、最近の観光地は。


 送風機係の人形。 そんなに深くないんですが、それでも酸素不足で死ぬものがあったらしく、送風機は必需品だったようです。 一日中これを回し続けるのは、地獄ですな。


休憩時間に寛いでいる人形。 怖いわ。


 水掛け地蔵がありました。 しかし、これも最近作られたもの。 坑道のまん中にこんなのがあったら、邪魔で仕事になりません。


 外へ出ると、ムッとする暑さです。 あっさり出て来てしまいましたが、そういえば、垂直坑道がありませんでした。 15年前に来た時は、確かにあったんですが。 観光客が歩き易いように、埋めてしまったのかも知れません。


 ふと気付くと、山の上にも人形が! 雨ざらしでは傷みも早い事でしょう。


 資料館の中。 土肥金山の歴史や、金に関する知識が、模型や歴史的遺物で解説されています。 これは千両箱ですが、意外に小さかったです。 千両箱には、いろんなサイズがあったのだとか。


 出た! 250キロの金塊! 時価4億2250万円!


 うーむ、よく光る。 穴から手を入れると触る事が出来ますが、触感はただの金属です。


 みんな触り捲ります。 もし金塊が生きていたら、くすぐったくて笑い死にしてるでしょう。


 お土産物も金色づくし。


 池の鯉も金色。 これは洒落ですな。


 坑夫の像も金色。 これは悪乗りでしょう。


 観光地によくある、後ろから顔を出す仮装パネル。 こういう所で写真を撮っている家族連れの姿は微笑ましいですな。


 一方、こちらは、砂金取りの体験コーナー。 金の亡者に見えます。


 土肥の海岸。 海水浴客がかなりいました。

  というわけで、土肥を後にしたわけですが、今回はここまでにしましょう。 『いのしし村』 は次回に回します。 写真の加工で、疲れきってしまいました。