2008/03/30

亡命政治家

  さて、チベットの暴動ですが、まったく奇妙といえば奇妙なもので、暴動を起こしている方より、鎮圧している方が批判されているのだから、偏頭痛がして来ます。 映像を見ても分かるように、あれは平和的デモなどというものではなく、市街地の破壊行為で、当局が放って置いたら、その方が異常です。 坊主どもが、法衣を着たまま、力任せにガンガン器物損壊をぶちかましているのには、お釈迦様もびっくりだね。 一体、何者なんだよ。 僧侶なのは外見だけで、仏教について何も学んでいないのか?

  破壊行動をともなう暴動を平和的に鎮圧するのは非常に困難、というか、実際問題として不可能です。 「放水車を使えば」と思った人もいるでしょうが、放水車というのは、暴徒の目的地が決まっていて、そこへ向けて突入して来るのを蹴散らす時にだけ有効なのです。 市街地に分散して商店を片っ端から破壊するような暴動では、放水車の据え場所が決められません。 「銃器を使わなくても」と思う人もいるでしょうが、盾と警棒だけで立ち向かう場合、暴徒側は怖がりませんから、抑え込む為には数倍の数の鎮圧部隊が必要になります。 一口に暴動と言っても、様々な形態があるのですよ。


  ダライ・ラマ14世率いるチベット亡命政府が、中国当局の鎮圧行動を、「武力弾圧」といって批判するのは、別段おかしくありません。 対立しているのだから相手を罵るのは当然ですな。 しかし、第三者がこの問題に関して中国を批判する場合、資格の有無が問題になります。 自分の国が、同じような少数民族との対立を抱えている場合は、批判する資格がありません。 この事は、その国の政府だけでなく、その国に所属する国民すべてに当て嵌まります。

  まず、イギリスですが、他国の事をどうこう言う前に、北アイルランドを独立させるべきでしょう。 中国政府に、「ダライ・ラマと対話せよ」と言っていますが、これはつまり、「ダライ・ラマの要求を受け入れよ」と言っているわけで、それなら、まず自分の国がIRAの要求を受け入れる方が先です。 そういえば、スコットランドにも独立運動があるようですが、正式に独立要求が出たら、当然二つ返事で承諾するんでしょうね。 他国に偉そうな事を言うくらいだから、まず自国が範を垂れねばなりませんな。

  次に、フランス。 ニューカレドニアやグアドループを手放し、アフリカの旧植民地に謝罪と弁償、旧状復元を果たしてから、チベット問題を語るべきです。 北京オリンピックのボイコットを検討中だそうですが、オリンピックを人質にするなど、≪スポーツに政治を持ち込む≫の典型例で、今回の暴動の扇動者達と全く同じ発想です。 恐怖で圧力をかける事をテロリズムと言うわけですが、オリンピック・ボイコットをちらつかせて圧力をかけるのと、テロリズムとどこが違うのかな? 数年前、フランスで青年層が雇用関係の法案に反対して全国規模の暴動を起こしましたが、もしあの時、中国政府がフランス政府の対応について何か批判したとしたら、聞き入れましたかね? 「内政干渉だ!」といって激怒したんじゃないですかね?

  次、日本。 よく批判なんかできるね。 まず、自分が過去を反省し、謝罪・賠償・旧状復元してから言いなよ。 一般犯罪に譬えれば、強盗放火殺人犯が被害者の家庭内の問題についてあれこれ批判しているわけですが、そんな事が出来る立場だと思っているんですかね? 更に言えば、チベット独立を支持するのなら、日本も当然の義務として、アイヌモシリと琉球を独立させる必要があります。 アイヌモシリの方は、入植した日本人を全員引き上げなければ旧状復元できませんから、大変だと思いますが、チベット独立を正しい事だと思うなら、当然自ら率先垂範すべきですな。 よろしく努力されたし。

  お次、アメリカ。 ここが一番すごい事になりそうです。 チベット独立を支持する為には、ネイティブ・アメリカン以外の入植者をすべて、出身国に戻す必要があります。 アメリカで生まれた場合は、先祖の出身国に戻る事になります。 また、アメリカ合衆国自体が移民によって建てられた国なので、国そのものも解体しなければなりません。 いや、本当に大変でしょうが、何といってもチベット独立を支持する為には、最低限必要な資格ですから、勇躍実行していただきたい。

  最後に、台湾。 ちょうど総統選挙に重なったので、チベット暴動とその鎮圧のニュースが、反中国政府票になって民進党に流れるかと思ったんですが、そうはならなかったようですな。 やはり、経済停滞を克服したいという欲求には勝てないか。 中国政府を批判すれば溜飲は下がるでしょうが、金は一台湾ドルも入って来ませんからねえ。


  実は私、基本的には、民族自決を支持する立場です。 グローバル化が進めば進むほど、文化の多様性が重要になると思いますから、文化の基礎である民族が自治権を持つ事は、独自文化を維持・発展させる為に不可欠だと考えているわけです。 ただねえ、チベットに関していうと、事は複雑になるのです。

  まず、ダライ・ラマ14世という人がよくわかりません。 チベット自治区内に住んでいて、反政府活動をしているなら分かるんですが、この人、外国へ亡命してしまっていますよね。 この亡命者というのが曲者でして、およそ信用ならんのですよ。

  最近の例としては、イラクがあります。 イラク戦争の前にアメリカに亡命していたイラク人が大勢いて、ブッシュ政権にイラク侵攻を唆す役割を果たしました。 彼らは、亡命政府のような組織も作っていました。 で、その中の代表的な人物が、フセイン政権崩壊後にイラク入りして、暫定政府の要職についたんですが、こやつが食わせ者でね。 糞の役にも立たぬばかりか、犯罪やら汚職やら、ろくでもない事ばかりして、結局アメリカに逮捕されてしまいました。 ただのゴロツキだったんですな。

  東チモールの例もあります。 国外亡命してインドネシアからの独立支援を諸外国に訴えていた人達が、独立達成後、国に帰ったわけですが、いざ政権についてみると、肝心の統治能力が全く無かったのです。 かつての同志同士で権力闘争に突入し、あっという間に治安能力を失ってしまいました。 で、結局、オーストラリア軍に進駐してもらって、治安回復したわけですが、そんな様じゃ、何の為にインドネシアから独立したか分かりませんわな。 インドネシア軍もオーストラリア軍も、外国軍である事に変わりがないではないですか。 なぜ再び、しかも自分達の手で外国軍を受け入れるような真似をしたんでしょう。

  それと、アフガニスタンのカルザイ政権。 このカルザイという人も亡命していた人ですが、大統領就任当初うまく行っているのかなと思っていたら、実際には軍閥割拠状態は変わっていないそうで、カルザイ政権の勢力範囲は、カブールの周辺だけだというじゃありませんか。 タリバンは復活するし、ドイツ軍を筆頭に駐留外国軍はアフガニスタン人を殺し続けているし、何もよくなっていません。 がっかりしたね、これには。

  亡命していた政治家というのは、大概そんなもののようですな。 政治家が亡命する場合、身の危険を避けて外国へ逃げるわけですが、一番苦しい時に外国へ逃げていた人物を、国に残っていた民衆は信用しないんですよ。 「危険だから逃げる」、「旧政権が倒れた。 これで安全に国に帰れる」って、随分と虫がいい考え方でしょう。 亡命政権で過去に成功した事例というと、第二次大戦時のフランスのド・ゴールのそれが有名ですが、他にはあまり思いつきません。 独立運動で最大の成果を上げた人物というと、ガンジーがいます。 彼は、若い頃にイギリスや南アフリカへ行っていましたが、留学や仕事で行っていたのであって、亡命していたわけではありません。 イギリス統治下のインドで、何度も逮捕されていますが、亡命はしませんでした。

  さて、ダライ・ラマ14世ですが、あの人、本当にチベットを独立に導けると思いますか? ガンジーのように、逮捕されてまでチベット自治区内にいようという気はないようですな。 ダライ・ラマだけでなく、外国へ亡命して、独立への支援を呼び掛けているチベット人達がたくさんいますが、独立達成後、チベットに戻って、普通の生活が出来ると思ったら、とんだ当て外れになると思いますよ。 恐らく、残っていた人達は、彼らを仲間だと認めないでしょう。 死ぬまで家に篭りきりで、人目を避けて暮らす事になると思います。

  もし外国の支援を受けて独立を達成したとして、チベット文化を純粋な形で維持・発展させられるかというと、それも大いに疑問です。 中国とは対立する事になりますから、強大な軍隊が必要ですが、チベット人だけでは人口が少ないですから、とても足りません。 中国から分離すれば、中国経済と切り離されますから、成長どころか、経済の大収縮が起こるのは必至で、武器を買う金も捻出できないでしょう。 となれば、インドを頼りにする事になりますが、それでは、東チモールと同じでして、威嚇される対象が中国からインドに変わるだけです。

  恐らく、ダライ・ラマは、独立まではインドに身を寄せても、独立達成後は距離を置いて、インドと中国と牽制させあい、夷を以って夷を制すつもりでいるのだと思いますが、チベットが独立すれば、地理的に離れる事でインドにとって中国は目の上のたんこぶではなくなるので、むしろ両国の関係はよくなるはずです。 ダライ・ラマにとってもう一つの道は、インドでも中国でもなく、アメリカやEUを頼る事ですが、これがどういう結果を招くかは、容易に想像がつきます。 ラサ市街にマクドナルドやセブンイレブンが溢れ、Tシャツ・ジーパンで、チベット中が埋め尽くされるわけです。 チベット文化の危機を訴えて独立したのに、自分から文化を磨り潰してどうする?

  ところで、自覚がない人も多いと思いますが、日本の文化も、明治以降自主的に磨り潰し、戦後はアメリカ文化の流入で磨り潰されて、ほぼ絶滅状態です。 江戸時代の人を連れて来て、今の日本を見せたら、感想はたった一言、「バテレン」でしょう。 韓国も似たような状態ですが、韓国ではまだ時代劇が盛んに作られているのに対し、日本ではテレビの時代劇枠がほとんどなくなってしまいました。 今後は江戸時代の風習すら記憶から消え去っていくでしょう。 もはや、何人なのか分かりませんわな。


  今回の暴動と鎮圧、中国政府が一方的に批判されていますが、天安門事件の時のそれに比べると、批判のトーンは遥かに低いです。 天安門事件の時には、民主国家のマスコミが、まるで中国政府がすぐにでも転覆するかのような報道をしていましたが、今になって振り返ると、民主国家のマスコミに未来を見通す目が如何に無かったかを痛感させられます。 転覆どころか、グイグイ成長して、経済力世界一までもう一歩という所まで来ているではありませんか。 それに対して、当時学生運動の指導者として名を売った人達がどうなったかといえば、外国へ亡命した後は只の人になってしまい、生きているのか死んでいるのかも分からない有様です。

  今回も同じパターンになると思いますよ。 「今こそ好機! ここで言わなきゃ、いつ言うんだ!」とばかりに中国政府を批判している方々、少し頭を冷やしなさいな。 オリンピックを人質に取られたくらいで、チベット自治区ほどに広大な領土を手放す国などありえませんよ。 主だった外国が全てボイコットしたところで、北京オリンピックは行なわれると思いますし、よしんば、国際オリンピック委員会が中止をちらつかせたところで、中国政府がオリンピックと引き換えにチベットを独立させる事などありえません。 どちらを取るかとなれば、当然チベットを取るはずです。 とどのつまり、オリンピックなどやらなくたって、どうという事はないのですから。

  それにつけても思うのは、今回の暴動を起こしている側の考え方です。 まさに、オリンピックを人質にして、中国政府を恫喝しているわけですが、オリンピックは、どの国で行なわれるかという以前に、全世界のスポーツの祭典ではありませんか。 自分達の目的を遂行するためなら、オリンピックを中止に追い込んでも構わないという、その発想が恐ろしいです。 また、便乗して抗議行動を始めるNGOも、うじゃうじゃ出て来ましたが、全くもって、NGOなどという連中は、ヤクザ以外の何者でもありませんな。 採火式を妨害した、≪国境なき記者団≫ですが、何なんだ、その名称は? ≪国境なき医師団≫をもじっているんでしょうが、やっている事は完全に政治活動家のそれで、とても報道関係者の所業とは思えません。 報道の命である客観性・中立性を放棄している事に気付いていないのかな?

2008/03/23

漁師のイメージ

  今週も六日出勤だったのですが、その六日目が、またぞろ残業二時間だった為、疲労困憊し、とてもコラムどころではありません。 大体、ブログの更新などというものは、心身ともにゆとりがある時に、楽しむ事を目的として行なうものであって、艱難辛苦を乗り越えてノルマを果たすようなものではありますまい。 山中鹿之助かよ、私は。 というわけで、パスしたいのは山々ですが、先々先週も書いたように、一度パス癖がついてしまうと、雪崩を打つようにパスの嵐になってしまいそうなので、形ばかり一文ものす事にします。

  前置きはさておき、減った減った、減りましたよ! 何が減ったかって? 閲覧者数が減ったのです! 約三分の一に減りました。 前々回、「今年に入ってから閲覧者が増えて気味が悪い」と言って、増加分の大半を占めると思われる三無能どもを徹底的に扱き下ろしたんですが、それが覿面に効きました。 その時、閲覧者中の三無能の割合を六割と書きましたが、三分の二がいなくなったわけですから、ほぼ的中していた事になります。 普通、推測が当たると嬉しいものですが、こういう場合、ただただ不気味なだけですな。 まったく、ろくでもない。

  よし、これで清々したから、心置きなく、テケトーな事を書き捲る事にしましょう。 もっとも、疲れているので、テーマを考えるのが面倒臭い。 ここは一つ、時事ネタで乗り切る事にします。


≪イージス艦・漁船衝突事件≫

  マスコミも世間一般も、明らかに、漁船側の肩を持ちすぎです。 私は自衛隊なんぞ反吐が出るほど嫌いですが、それとこれとは話が別で、この事件は双方に過失があると見るのが当然でしょう。 イージス艦側が漁船に気付くのが遅れた、回避を怠ったと、責められているわけですが、では、漁船側はあのばかでかいイージス艦に気付かなかったのか? 回避できなかったのか? と言われれば、返す言葉が無いでしょうに。

  船の場合、経験者が少ないので、車に置き換えて考えてみましょう。 道路ではなく、大きな駐車場のような場所で、自分が乗用車に乗っていて、前方から大型トレーラーが来たとします。 このままで行けばぶつかる。 さあ、どうします? 小型車の自分が積極的に避けますか? それとも、大型トレーラーが避けてくれる事を期待しますか? 大型トレーラーが小型車よりも動きが緩慢である事は、物理的直感で分かるはずです。 普通、小さい方が避けますよね。 でかい方が避けてくれるのを呑気に待っていられません。 漁船とイージス艦でも同じ事です。

  今回、イージス艦が直進しているのに対し、漁船はイージス艦の進路に入ってくるような形で右に舵を切っているわけですが、自分から見て左側へイージス艦が避けてくれる事を期待していたとは到底思えません。 相手が大き過ぎて簡単に向きを変えられない事は分かっているはずですし、距離も近すぎるからです。 となれば、考えられる可能性は一つしかありません。 漁船側がイージス艦に気付くのが遅れ、気付いた途端に反射的に右へ舵を切ったが、避けるどころか、却ってイージス艦の進路に飛び込んでしまったと見るべきです。 どちらに回避義務があったかなどと、法律上の問題を云々するのは、真相究明とは次元の違う話です。 その場を支配していたのは、法律ではなく、人間の直感や反射、パニック心理なのですから。

  一方、イージス艦側ですが、早い段階で漁船の群に気付いていたのに、回避も停船もしなかったわけですが、これも本当の理由は簡単に想像できます。 漁船側が避けると思っていたのでしょう。 普通そう考えますわな。 実際、他の漁船は避けていますし。 まさか、寸前になって進路に突っ込んでくる漁船があろうとは、お釈迦様でも気がつくまいて。 だからねえ、双方の過失で起こった事故なんですよ。 イージス艦側は、積極的に回避しなかったのが悪かった。 漁船側はイージス艦に気付くのが遅れたのが悪かった。 海難審判の場では、防衛省側も言う事は言った方がいいです。 100%の責任にはならないはずです。

  イージス艦の艦長が事故当時寝ていた件や、当直の引継ぎが疎かだった件、そして、海上保安庁の捜査が始まる前に防衛相が当直士官に事情聴取をしていた件について、「なんて、いい加減なんだ!」とマスコミが鬼の首でも取ったかのように批判していますが、なに言ってやがる。 お前らだって、仕事でしょっちゅう、いい加減な事してるだろうが。 外国はいざ知らず、この日本に住んでいる人間で、いい加減でない奴など、一人でもいるのか? じゃあ聞くが、お前がイージス艦の当直士官だったとしたら、絶対に事故を起さなかった自信があるか? 私はありません。 だから、大きな事も言いません。 そういう緩い社会なんだよ、今の日本は。 それが原因で重大事故も起こる反面、そのおかげで気楽に暮らしていられるわけです。


  ところで、遺体の捜索の仕方ですが、深海潜水艇まで使うかね? どこかに閉じ込められているとかで、生存している事が分かっているのなら、人命救助の為に使える手段は全部使うというのは分かります。 しかし、事故発生から既に時間がたっていて、もはや、救助の為というより、遺体収容の為に捜索しているわけですから、深海潜水艇はお門違いでしょう。 母船ごと現場海域に釘付けですから、一日に何千万円消えているか分かりません。 ああいう機械の使用料というのは目玉が飛び出るほど高いんですよ。

 「金の問題じゃない」と思っている人達に訊きたいんですが、じゃあ、これが自衛艦ではなく、普通の貨物船が起こした事故だったら、「金の問題じゃない」といって、深海潜水艇を持って来ましたかね? ありえないでしょ、そんな事。 今回の捜索費用がどこから出るかといえば、最終的には税金から出ます。 防衛相やイージス艦の乗組員が自腹で払うわけじゃありません。 そいつら、せいぜい、辞任や降格を喰らうだけで、金は一円も払やしません。 全部、国民の税金で賄うのです。 一体、誰の判断で、誰の責任で、深海潜水艇なんか頼んだんですかね?

  また、マスコミを始めとして、誰もおかしいと言い出さない所がおかしい。 物事には、必ず限度というものがあって、遺体の捜索に深海潜水艇を使うのは、明らかにその限度を超えているんですが、それに気付かないか、不謹慎だと思われるのが怖くて言い出せないのでしょう。 どうしょもないね、まったく。 それで、見つからなきゃ、永久に捜索を続ける気かね? 打ち切りの決定は誰がするのよ? みんな、怖くて言い出せないんでしょうが。 どうすんのさ?


  今回の件に絡んで、漁船側を擁護する勢いが余って、漁民を天使の如く美化する風潮まで出現したのには呆れました。 「板子一枚下は地獄だが、国民の食卓へ新鮮な魚介類をお届けする為に、命懸けで頑張っている」のだそうです。 アホ抜かせ。 よくそんな原始的なセリフが出て来るな。 聞いている方が赤面するぞ。 まるで、善意で漁業をやっているかのような言い草ですが、とんでもない! 金を稼ぐ為にやっているに決まっているではありませんか! 人間社会は分業が基本である事は、ギリシャ文明の昔から常識になっているはずですが、日本の漁民だけは、それ以前の段階で止まっているらしいですな。 恩着せがましい! いやらしい!

  何も、「命懸け」で獲って来てくれなくてもいいよ。 ああ、そんなに危ないのなら、今すぐにやめてくれ。 別に魚食わなくても死にはしないから。 私、子供の頃から思っているんですが、魚が食卓に上ると、魚に気の毒で仕方ありません。 魚の身なんて御飯の味付け程度にしかついていないのに、たったそれだけの量を食べるために、命を一つ殺しているのです。 人が生きる為に動物の殺生が避けられないとしても、魚の殺生はあまりにも効率が悪すぎます。 わざわざ魚を殺すくらいなら、豆腐でも食った方がなんぼかうまい。

  それに、ただ獲ってくるだけの漁民というのは、到底尊敬に値するような職業ではありません。 養殖業者に関しては、大変高度な技術を必要としますし、生態系への悪影響も少ないですから、その努力には敬意を抱いていますが、収奪漁民のイメージはまったく逆です。 獲れるだけ獲り尽して魚を根絶やしにする、領海侵犯はする、宇宙ロケットの打ち上げは邪魔する、漁業権だ、補償金だと、二言目には金、金、金。 ろくな印象がありません。

  今回、漁船側の擁護に必死になっていた人達、一回でも漁師と話をした事があるのかな? あんた方が想像しているような、弱者でもなければ、善人でもありません。 はっきり言って、最もマヌケな漁師でも、あなた方の誰よりも、心身ともに強靭で、尚且つ、こすっからいです。

2008/03/16

壊れる

  最近、身の周りで、壊れる物が続出し、日々の陰鬱な気分を盛り上げるのに多大な貢献をしてくれています。 形ある物、いつかは壊れるわけですが、できれば、一時期に集中しないで、適度な間隔を開けて壊れて欲しいなあ。


  まず、古い方から行きますと、自室の壁掛け時計が、遅れがちになりました。 もう四半世紀近く使っているので、いつ壊れても不思議ではないんですが、その壊れ方が微妙なのです。 「もう駄目です。 これ以上動けません。 実家へ帰らせて貰います」というくらいに完璧に壊れてくれれば、買い直すのに吝かではないんですが、はっきりしないんですな、これが。 ひと月に三分くらいの遅れ方。 どうです、絵に描いたように微妙でしょう? 電池を新しい物に入れ替えても、症状は変わりません。 そんな状態で、もう二年くらい使い続けています。 確か、この時計を買ったのは中学生の時で、親からお金を貰って、最寄のホームセンターで購入したのだと思います。 3000円だったかな。 なまじ長く使っているから、愛着というか、情緒的癒着が生まれてしまい、なかなか捨てられないんですな。 しばらくは、ひと月毎に修正しながら延命する状況が続きそうです。


  次も時計ですが、ベッドの枕元に置いている目覚まし時計が、進むようになりました。 こちらはズレが甚だしくて、三日で五分くらい進みますから、週に二度は修正しなければなりません。 さすがに、この頻度では面倒臭い。 買ったのは6年くらい前なので、目覚まし時計としては長持ちした方ですが、買い換えるとなると、後継機がなかなかみつからないのです。 電源コード式の発光ダイオード・大型デジタル表示タイプなんですが、同型の品はもう売っていません。 液晶タイプならいくらでもあるんですが、夜中に真っ暗な中で見る事が多いので、自家発光しない液晶では、用を為さないのです。 また、発光ダイオードでも、小さい物ならあるんですが、こちとら、寝ている時には眼鏡を外しているので、大型デジタルでないと困るのです。 やれやれ、どうしたもんだか。

  ちなみに、この時計を買ったのは、≪ワットマン≫という家電量販店でした。 定価8000円の品が、売れ残りで2000円に値下げされていたのを見つけて、すかさず買ったのです。 その前日に、電池式の目覚ましが鳴らなくなって遅刻し、「もはや、電源コード式でなければ信用できん!」と意を決して購入したのでした。 その後、≪ワットマン≫は会社ごと潰れ、今は≪ドンキホーテ≫になっています。 ああ、商業無常、いや、諸行無常。


  次は、長靴。 昨年の暮に、バイク通勤に使っていた革製ブーツの爪先に穴が開いてしまい、さすがにみっともなくて履く気にならなくなったのですが、買い替えようと思って、店に行ってビックリ。 十年前はホームセンターのバイク・コーナーでブーツが売っていたのに、今は一掃されていて、一足も見当たりません。 思うに、バイクに乗る人がすべてブーツを履くわけではないので、売れ行きが悪くて、取り扱わなくなってしまったのでしょう。 やむなく、バイク用品店に行くと、前とおなじ銘柄の物がなんと、14000円。 前のも13000円しましたから、ビックリするほど高いわけではありませんが、「あと何年バイクに乗るか分からないのに、14000円も出して、元が取れるのか?」と自問すると、甚だ自信がありません。 以前、ホームセンターで売っていたブーツは、8000円くらいだったので、そのくらいの予算を想定していた私としては、14000円は高すぎたのです。

  しょうがないので、今年に入ってから、雨天用のゴム長靴を履いて、毎日通勤していました。 「ゴム長靴じゃ、穴開きブーツよりかっこ悪くないか?」と思うでしょうが、冬場は、ズボンの上にもう一枚防寒ズボンを穿くので、長い裾でくるぶしの辺りまで隠れてしまい、ブーツでも長靴でも分かりゃしないのです。 しばらく、それで通っても支障が無かったので、「おっ、これで行けるじゃん。 ブーツは14000円、長靴は700円。 こりゃ、どえらい得だぞ」と思ったのも束の間、二ヶ月たったら、両足とも側面の内側が長さ2センチばかり、裂けてしまいました。 あにはからんや、やはり、ゴムはゴムか! バイクに乗っている間はいいんですが、駐輪場から会社まで、500メートルくらいある道を毎日往復していたので、材質がもたなかったんですな。 ゴム長靴というのは、普段履きには使えないのだという事を、この歳になって知りました。 ちょっとした、アハ体験だね。

  で、どうしたかというと、全く同じゴム長靴を、もう一足買って来ました。 古い方は、裂けてしまったとはいえ、内側なのでどうせ他人には見えません。 ただ、雨が降ると、水が入ってくるから、それは困ります。 そこで、晴れた日には裂けた長靴を使う事にし、雨天専用に新しい長靴を買ったというわけ。 何だか、貧乏臭い対策ですが、いいんです。 どうせ、冬にバイクをに乗っている奴なんか、誰も見やしませんし、そもそもそれ以前に、私はもう充分にオッサンなので、ズボラに生きる権利を獲得しているのです。


  次、手回しシュレッダーが壊れました。 ダイレクトメールの封筒を入れたら、噛み込んでハンドルが回らなくなってしまい、無理に回そうとしたら、「ガクン」と嫌な音がして、一回転だけ空回り。 そしてまた回らなくなりました。 私の所有物ではなく、母が購入した品だったので、一瞬青くなりました。 しかし、出勤する直前だったものですから、やむなく、そのままにして家を出ました。 その日は遅番だったのですが、残業が2時間もあったので、帰って来たのは、夜中というか、もはや明け方が近い、午前3時です。 でね、飯を食べた後、直しましたよ。 ビスを12本も外して分解し、詰まった紙をチマチマ取り除きました。 苦労の甲斐あって、一応復活しましたが、前より空回りが増えたような気がしないでも無し。 もし駄目なら、買い直すしかないです。

  いまや、個人情報保護のために、シュレッダーは必需品ですからのう。 ゴミの分別が厳しくなって、回収車に持って行って貰えない時など、当番の人にゴミ袋を暴かれる事があります。 そういう時、名前や住所が刷られた紙が入っていたりすると、とんだ大恥掻くわけです。 まあ、分別をしっかりやるのが前提ですが、最悪の事態に備えて、身元が分かるような物は、極力粉砕しておかないとねえ。 ちなみに、手回しシュレッダーは、1500円くらいで売っています。 カードやCDの破砕も出来るマルチ・タイプもありますが、歯車が増える分だけハンドルが重くなるので、紙オンリーのシンプル・タイプがお薦めです。 そして、封筒は必ず、開いてから入れるようにすると・・・・。 何だか、歳を取ってから肝に命じる事が多いなあ。


  最後に、プリンターのインクが無くなりました。 私のプリンターは、黒とカラーの2カートリッジ・タイプで、無くなったのは、赤色です。 その時点では、まだ壊れたわけではなかったんですが、詰め替えインクを使っているので、詰め替えようとしたら、赤のインクが入らない事を発見しました。 カートリッジの底部にある布を張った染み出し口が、固まったようになっていて、滴下してもインクを吸って行きません。 なんてこったね! 詰め替えに詰め替え続けて十回弱、とうとうカートリッジの寿命が来たと思われます。 無限に詰め替え続けられると思っていた私が浅はかでした。 またまた、アハ体験だ。

  しょうがないので、新品のカートリッジを買ってくる事にします。 そういえば、去年、カートリッジの再生品に関する裁判が話題になりましたが、そもそも、メーカーが売るカートリッジの値段が高すぎるんですよ。 たかが、プラスチックの容器にインクが入っているだけの単純な製品が、千円以上するというのが変じゃありませんか。 「プリンター本体を安くして、インクの方で利益を確保しているんだ」と言うんでしょうが、そんな理屈は、商人のいやらしい算盤勘定に過ぎません。 プリンターなんて、高くたっていいんだよ。 滅多に買わないんだから。 消耗品のインクを安くしなければ、使用者の利便を損なうこと甚だしいではないか。

  というわけで、私は長年、詰め替えインクを愛用しているわけですが、最近は、100円ショップでも扱うようになり、大変重宝しています。 ただのインクなんだから、100円くらいが妥当な値段でしょう。 絵の具のチューブや墨汁と比較してみても分かる事。 律儀にメーカー純正のカートリッジを買っている人もいるようですが、経済原則を無視した馬鹿な行為はやめなされ。 入っているインクは、純正でも詰め替え用でも同じです。 カートリッジは、メーカーの回収箱に入れたとしても、結局粉砕されてしまうのですから、まだ使える物を一回で捨ててしまったのでは、勿体ないではありませんか。 メーカーの意向に従う事が、即エコになると思ったら、大間違いですぜ。

2008/03/09

末期ブログ時代

  どうも今年に入った辺りから、閲覧者数が増えてしまって、気味が悪くて仕方ないです。 前にも書きましたが、ブログの閲覧者などという者は、100%が閑人です。 その内、まともな人物で、たまたま閑だから、「他人のブログでも読むか」と思い立った人は、せいぜい1割くらい。 残りの内、3割は主婦層で、この人達はまあいいとして、最後の6割は、≪ネットの三無能≫と私が呼んでいる、学生・フリーター・ひきこもりのクズどもです。 そんな連中に読んで貰ったって、ちっとも嬉しくないばかりか、はっきり言って迷惑です。

  ひきこもりは端から問題外として、学生やフリーターは、本分に励んでいるだけなら何ら問題は無いんですが、ネットにしゃしゃり出て来ると、自分が半端者である事を棚に上げて、ろくでもない事を書き捲り、他人を傷つける事にのみ無上の喜びを覚えるという、クズ中のクズと化します。 こういう連中に限って、政治発言が三度の飯より好きで、馬鹿丸出しの外国攻撃などやっている掲示板やブログに、うにょうにょ集まって来て、最低レベルの基礎知識も欠いているくせに、扇動漫画や新聞記事から拾い集めた稚拙な単語を、誤用だらけに並べ立て、一端の論客ぶって悦に入っているわけですが、書けば書くほど手前の馬鹿を宣伝しているようなもので、その醜態には吐き気すら覚えます。 大体、学生やひきこもりは、税金すら払っていない社会のお荷物なのであって、政治発言など、寝言以外では許されないような無資格者ではありませんか。 この馬鹿どもめ! 世間に何か言いたかったら、まず税金を払え!

  閲覧者というものは、少なければ少ないほど、まともな人間の割合が増える傾向があり、個人ブログなら、一日10人くらいが望ましいと思います。 「一度でいいから、炎上するほどお客に来て欲しい」などと望んでいるあなた、とんでもない料簡違いですよ、そんな欲望! 炎上ブログに集まっている客なんぞ、正真正銘の人間のクズです。 クズに来て貰ったって、何の価値やあらむ! 「つきあいが大切だ」などといって、コメントを受け入れにして、真面目にレスを書いているあなた、くっだらない! クズに返事を書くなど時間の無駄です。 人生の無駄です。 レスなど書く時間があったら、マスでも掻いていた方が、まだ有意義です。 いや、至って真面目な話。

  それが証拠に、トラックバックの使われ方を見れば分かるでしょう。 本来の用途など無視して、ほぼ全て、自分のブログを宣伝したいがために、一方的にリンクしているだけではありませんか。 本来の用途がちょっと複雑なので、論理が分からない日本人には理解できず、≪トラックバック=宣伝リンク≫と思い違いしているという可能性も濃厚ですが、いずれにせよ、クズか馬鹿かの違いに過ぎず、ありがたがるような客じゃありません。 宣伝リンクに利用されているだけなのに、「トラックバックしていただいて、ありがとうございます」などと礼を言っている人もいますが、ありゃ、やられた方もトラックバックが何なのか分かってないんでしょうな。 無知とは憐れなものです。

  だからよー、トラックバックが入ったら、入れた奴のブログへ行って、自分が書いた記事や自分のブログについて触れているかどうか、確認せえっつーのよ。 まーず、一言も触れていないから。 そんなのは宣伝リンクなんだから、にべもなく削除すべきなの。 ありがたがって、礼を述べている場合か! ・・・・と言っても、トラックバックの本来の用途が理解できないんだから、どうしょもないか。 ああ、理解力が足りないというのは、救い難い知能上の欠陥なのだなあ。 外国でも宣伝リンクは行なわれていますが、トラックバックではなく、コメントの方へ入れるのが普通です。 トラックバックと宣伝リンクを区別できないのは日本人だけ。 溜息が出るほど情けないのう。 とにかく、ブログ・サービスのセンターへ行けば、≪トラックバックとは≫という解説文が必ず載っていますから、それを読みなさい。 それでも分からなきゃ、もう諦めて、ずっと他人に利用されてなさい。

  おっ、何の話だったっけ? そうだ、このブログの閲覧者が増えすぎたという話でしたな。 でねー、本来、こういう随想型のブログに、そんなにお客が来るわけないんですよ。 他人が何を考えているかなんて、普通は興味持ちませんからね。 じゃ、どういう連中が来て閲覧数が増えたかと推測すると、たぶん、私がたまに書く、国際政治関連の話題に食いついてきていると思うんですよ。 もちろん、前述した通り、読んでいる人間の6割はクズですから、良い意味でではなく、悪い意味で興味を持っているに違いありません。 見ての通り、私はコメントもトラックバックもオフにしているので、直接の被害はなく、至って涼しい顔で運営しているわけですが、他のブログで、「≪心中宵更新≫というブログで、こんな事をほざいている奴がいる」と紹介して、吊るし上げる事なら出来ますから、大方それをやられているんじゃないかと思うんですな。 くっくっく・・・・・やりそうな事だよね、クズどもの。 頭が弱くて、自分じゃ何も思いつけないものだから、他人の吊るし上げに情熱を注ぐしかないという憐れさよ。

  また、逆方向ですが、私が書いた文章をパクっているパープーもいると思うんですよ。 私のところに限らず、他人の文章をコピー貼り付けして、自分のブログを更新している不埒者というのは、実際にたくさんいるようです。 ブログというのは、更新頻度が高ければ高いほど閲覧者が増える仕組みになっているので、更新する為なら、他人の書いた文章でも平気で利用するという泥棒野郎が出て来るんですな。 全くそのまんまコピーする低能な奴もいれば、≪しかしの所を、だがに変え≫式に、部分的に置換して偽装する、チンパンジー程度には知能のある奴もいます。 更に段階が上がると、元の文章のテーマや内容はそのままに、自分の文体で全面的に書き直すという奴も出て来ます。

  一口に文才といってもいろいろな段階がありまして、文章の内容は考えられないけれど、自分の文体だけは持っていて、人の書いた文章を自分風に書き直す事なら得意という半端な輩がいやがるのです。 画才の方でも、自分のオリジナルの絵は駄目だが、模写は得意とか、有名画家のタッチを真似て贋作を描けるとか、そんな才能だけある人がいますが、文才にも、似たような階層が見られるわけです。 こういう連中の困ったところは、盗作もしくは盗用しているという意識が希薄で、「アイデアのヒントを貰った」くらいの位置づけをしており、罪の認識を持っていない事です。 盗用を指摘されて、必ず言い返すセリフが、「どんな人でも、他人が書いた物を参考にして、そこから出発するんじゃないですか」という開き直り。

  だけどよー、「あ、これじゃあ、ほとんど内容丸写しだな・・・・」と、自分で分かるだろう? 分かった時点で筆を置けよ。 天はお前に文章を書く事を求めていないんだ。 他に自己主張の途が無いから、やるなと言ってもやるだろうが、お前のやっている事は、子供の塗り絵と同レベルだという事を、常に忘れないようにな。 どんなにうまく塗れても、それが芸術作品はもちろんの事、独自作品にもなり得ない事は分かるよな。

  そうそう、パクリ関係の余談ですが、とてつもなくひどい例になると、日記をコピー貼り付けでパクる馬鹿もいるようです。 他人の日記をですぜ。 「そんなのもはや、自分のブログでもなんでもないではないか!」と思うでしょう。 でも、やってる奴にはそんな事はどうでもいいらしんです。 とにかく、閲覧者数を増やしたいというその目的だけで視野狭窄に陥っていて、頻繁に更新する為なら何でもやるというのです。 こりゃもう、病気だね。

  そもそもブログが、個人サイトより受けたのは、ブログ・サービスがセンター・サイトを持っていて、そこへアクセスする利用者に、最近更新が行なわれたブログを自動的に紹介表示する機能があったからでした。 この機能がなければ、個人サイト同様、≪存在しているが、誰も知らないから、誰も来ない≫という憐れなブログが大半を占めて、ブログがこんなに増える事は無かったはずです。 この紹介機能を最も有効に活用する為には、頻繁に更新するのがベストだったわけですが、今は状況が変わりました。 ブログ・センターを利用する人間が極端に減ったのです。

  この≪心中宵更新≫にしても、ブログ・センターから来る人は、週にほんの数人です。 ほとんどの閲覧者は、単語検索や、上述した≪悪い噂≫を辿ってやって来るか、パクリ目的の常連です。 センターで紹介されたいが為に、中身も無いのに、更新を繰り返すやつらがうようよ出て来て、紹介機能を麻痺させてしまったのでしょう。 私もたまーに、センターの≪最近更新されたブログ≫を覗くんですが、題名につられて行ってみると、ほんの一二行、意味は分かるが意図不明の文が書いてあって、過去ログを遡ると、そんな記事ばかりが頻々と更新されているような所があり、一気にアホ臭くなってしまいます。 もちろん、読む価値などありません。 そんなのばかり増えて来れば、そりゃ誰もセンターを使わなくなるわなあ。

  4年くらい前、ブログが流行り出した時、「自己表現の手段として、個人サイトより遥かに大きな可能性がある」なんて褒めちぎられていたものですが、今となっては戯言もいい所ですな。 個人サイトの時は、コンテンツが必要だった為、みんな必死で、無い知恵絞って、お客が興味を示しそうなコンテンツを考えたものです。 一方、ブログでは、最初からそんな努力が不要だったから、どいつもこいつも、テケトーな記事書いて、だらりんだらりん更新し続けている内に、駄文の掃き溜めのようになってしまい、もはや個人サイト以上にゴースト化が進んでしまったわけです。

  そもそも、プロの作家ですら、編集者にせっつかれ、読者の反応に怯えつつ、毎回毎回キンキンに緊張しきって文章と格闘しているのに、名も無い素人がビロンビロンに弛緩しきって書いたような文章が、いつまでも人の興味を引き続けられるわけがないんですよ。 ブログなんて、長く続いている方が、おかしいのです。

2008/03/02

バイクの事でも

  木曜の帰りにバイクのタイヤがパンクしている事に気付きました。 夜中に帰って来るので、近所迷惑を慮り、家の1ブロック手前でエンジンを切って、惰性走行で門前まで辿り着くのですが、その勢いが普段より弱かったので、漸く気付いた次第。 「走ってて分からんのか?」と思うでしょうが、分からんのですわ、それが。 オフロード・タイプのバイクで、タイヤがごついので、パンクしても割と普通に走れるのですよ。 スカスカの状態でも、時速90キロくらいは出ます。

  空気が自然に減る事もあるので、金曜に出かける前に、空気を満タンにしてみました。 その時ついでに調べてみたら、なんと溝の中にピンが刺さっているじゃありませんか! 頭が5ミリばかり飛び出しています。 しかし、出勤時間が迫っていたので、取り敢えず、そのまま出発。 その日一日は行きも帰りも大丈夫でした。 「もしかしたら、短いピンで、表面に刺さっているだけかもしれない」と淡い期待を抱きつつ、土曜の朝に、ピンを引き抜いてみたら、なんと5センチ近い長物でした。 抜いた途端にプシューッと勢いよく抜ける空気。 ちびまる子風に額に縦線が・・・・。 こりゃ、否でも応でも修理しないわけには行きません。 金が飛んで行きそうだなあ。

  「ピンが刺さった状態で、一日もったんだから、抜かなきゃ良かったんじゃないの? 空気が減るたびに補充すればいいじゃん」とお思いのあなた。 いや、私も稀代の吝嗇家ですから、それは過去に試した事があるのです。 だけど、そういう事をやっていると、だんだんひどくなって、タイヤそのものを駄目にしてしまい、もっと高くつくんですわ。 世の中、ごまかしてごまかしきれる事と、きれない事があるんですな。 ある意味、タイヤのパンクは、借金取りよりも怖い。

  何年かぶりにバイクの説明書を引っ張り出して、諸元表を見てみたところ、リヤ・タイヤだけが、チューブレスである事を確認。 ラッキー! チューブ式だと、タイヤを外さなければならないので、素人の手に余りますが、チューブレスなら、市販の修理キットで、比較的簡単に直せるからです。 私は一度もやった事は無いんですが、大昔に読んだ本に、そう書いてあったのを覚えていたんですな。 修理キットは、ネットで調べた所、1500円くらいするらしいです。 高いな! バイク屋に持って行っても、1500円から2000円は取られるらしく、どっちが得か悩む所ですが、キットの方は一度買えば、4・5回分は入っているらしいので、ケチな私は自ずからそちらを選ぶ事とあいなりました。 こういうキットは、往々にして、最初の一回は使っても、二回目に使おうと思うと、材質が劣化したりしていて、結局捨てる事になりがちですが、まあ先の事は考えない事にします。

  で、土曜日に修理キットを買いに行きました。 ところが、ホームセンターやバイク用品店、100円ショップなど、あちこちを見て回っても、値段が手頃なのが置いてありません。 穴を広げるキリ状の工具と、ひも状のゴム片、接着剤、それとゴム片を押し込む工具だけなので、300円くらいであってもよさそうですが、店にあるのは2000円以上する品ばかり。 頼みの綱の100円ショップは、自転車コーナーに、チューブ用の修理キットがあっただけで、チューブレス用は全滅でした。 ホームセンターに無いのはまだ分かるとしても、バイク屋にも無いのはこれ如何に? たぶん、修理用具を売ってしまうと、お客が自分で直してしまうので、修理依頼が減るからでしょう。 うむ、理の当然、あっさり納得だ。 腹立たしくはあるけれど。

  やっと、980円のを見つけて買って来ましたが、6軒くらい回ったので、午後を全部潰してしまいました。 ええい、せっかくの休みなのに勿体ない! 普通、買物をすると気分が晴れるものですが、それはあくまで、欲しい物を買う場合の話でして、否が応でも必要な物を買っても、ちっとも楽しくありません。 なんで、休みの日まで、義務で動き回らなければならんのか。 車で回ったのですが、土曜の午後の事とて、渋滞だらけで、もううんざり。 ラジオをかければ、これがまたとことん下らん詰まらんと来たもんだ。 名前も知らんパーソナリティーのトークなんて、全然面白くありません。 お前の日常生活なんか知るか! 公共の電波で何を私的な事をべらべら喋っている! そういう事はブログにでも書け!

  今回、なんで、こんな中身の薄い事を書いているかというと、つまり、土曜日の午後にクタクタに疲れてしまったので、コラムなんか書くエネルギーは残っていないんだという事を、暗に伝えたいわけです。 まあ、そういう時もあるわさ。 毎週読んでいる人というのもあまりいないようなので、一週くらい休んでもバレやしないと思うんですが、習慣になっている更新パターンを一度崩すと、「ああ、いいやいいや、今週もパス」で、どんどん崩れていってしまうので、書かざるを得ないんですな。


  あまり短いのもなんなんで、バイクの話でもしましょうか。 私は、結構歳が行ってから乗り始めたのですが、それでもそろそろ12年くらいになります。 車に乗っていたのが6年でしたから、もうその倍になるんですね。 歳月経るのは早いもの。 うーん、感無量だ。

  普通は、18歳くらいで乗り始めて、2・3年乗るとやめてしまいます。 車の方が道具として圧倒的に便利ですから、バイクはだんだん乗らなくなり、結局は物置の邪魔物として腐って行くのが通り相場。 車とバイク、両方乗っている人もいますが、あまり多くは無いですし、大抵、車が主で、バイクの方は遊び目的です。 バイクに乗り続けたかったら、所有をバイクだけにするしかありません。

  私の場合、今の会社に入社した当初は、車で通勤していたんですが、エンジンの調子が悪くなって来たのと、ワックス掛けが面倒になったのが理由でやめてしまい、電車通勤に切り替えました。 ところが、3年ほどしたら、会社の通勤時間割が変更になり、電車が動いていない早朝や夜中に通勤しなければならなくなった為、やむなくバイクの免許を取ったのです。 かなりの変わり種と言えますな。 最初から実用目的オンリーだったので、速く走ろうとか、コーナーを攻めようなどという気は毛頭無く、徹底的に安全運転に務めてきました。 だから、12年も大きな事故を起こさずに乗って来れたのでしょう。

  バイクは怖い乗り物でして、うまい人ほど、早く死にます。 うまい人は、バイクの性能を限界まで引き出すので、何か予期せぬ状況にぶつかった時、避けるゆとりが無くなってしまうんですな。 どのくらいのスピードで、どのくらいまで倒せるかという事を、完全に把握し、体得しているつもりでも、路面状況や気象条件、他の車の挙動など、計算しきれない要素はいくらでもあります。 腕が良ければ良いほど、自信があればあるほど、死が近いのです。 死なないまでも、一度速いスピードで転倒して大怪我をすると、心理的に怖くなってしまって、二度とバイクに乗れなくなるというケースはよくあります。

  道路を走っていると、道の脇をテレテレ低速で走っているビジネス・バイクのお爺さんがよくいますが、ああいう人達がなぜ長い年月バイクに乗って来れたかといえば、無理をせず、慎重な運転に務めてきたからに外なりません。 いや、慎重でもまだ足りない。 臆病さすら必要です。 「事故は起こらない」と思った途端に、死神が寄ってくるのです。 臆病な運転をしていると、どうにも様にならないもので、決してうまいとは言われませんが、そういう人達だけが、バイクに乗り続けていられるのです。

  最後に豆知識を。 バイクのエンジンをかける時には、必ず、乗ってからかけるようにします。 クラッチをニュートラルにしてあっても、何の拍子にシフト・ペダルが落ちて、走り出してしまうか分かりません。 乗っていればそういう危険は避けられるからです。 同様に下りる時にも、エンジンを切ってから下りるようにします。 とにかく、エンジンをかけたままシートから離れてはいけないわけです。 もし、そういう事をやっている馬鹿を見かけたら、そのバイクの前には絶対に行ってはいけません。 一旦暴走すると、5メートルくらいスポーンと飛び出す事もありますから、逃げようがありません。 後ろなら大丈夫。 バック・ギヤ無いですから。

  そうそう、スーパーの駐輪場などで、スクーターのエンジンを掛けたまま、押して歩いて人がいますが、あの光景はいつ見てもぞっとします。 自転車と同じようなつもりでいるのです。 自分がアクセルを握ってる事が念頭に無い! いつ手が滑って暴走するかわかったもんじゃありません。

  暖機運転の為に、乗る前にエンジンをかけるというのは、まだ分からんでもないですが、下りた後もエンジンを切らないというのは、何の意味があるんですかねえ? ターボがついているわけじゃあるまいし。 ありゃ、ひょっとすると、周りの人間に、自分のバイクを見て貰いたいというアピールなのかも知れませんな。 「どうだい、俺のバイクは。 いいエンジン音だろう。 羨ましいだろう。 妬ましいだろう」と言いたいわけだ。 馬鹿か? 他人のバイクなんか見てる奴は、誰もおらんわ。 うるさくて、不愉快だから、目を背ける人ならたくさんいるがのう。 百歩譲って、バイクを見たがる奴はいても、お前を見たがる奴はいない。 早く気づけよ。