2012/07/29

バイク・シート、張り替え

  バイク・シート張り替え計画について、材料と道具を揃えたところまで書いた後、前々回、前回と、時事ネタを優先させてしまいましたが、張り替え自体は、三週間前に実行しました。 つまりその、7月8日、日曜日の朝、≪バイク・シート、張り替え準備≫の記事をアップした、その直後から、張り替え作業に取り掛かったわけです。

  しかし、張り替え作業の前に、古い表皮の剥がし作業を行なっており、それは、更に、二日前の金曜日に遡ります。 会社から帰って来た後、もう、週末にバイクに乗る事は無いので、「とりあえず、剥がすだけ剥がしておくか」と思って、さっさと実行してしまった次第。 以下、日記から加筆移殖します。


≪7月6日 金曜日≫
  夕食後、バイクのシートを外しておき、8時過ぎてから、表皮剥がしに取り掛かりました。 なぜ、明日を待たないかというと、中のスポンジが濡れていた場合、乾かさなければならず、一晩分の時間が惜しいからです。

  ちなみに、私のバイクのシートは、サイド・カバーを外し、左右のボルトを2本外せば、簡単に取り外す事ができます。 シートを外すと、バッテリー周辺が全露出。 考えてみると、バイクから部品を盗むなど、全くわけの無い事で、ドライバーと組スパナがあれば、ものの数分で、目当ての品は手に入りますな。 いや、私は、そんな事はしませんが。

  表皮を留めてあるタッカーの針は、マイナス・ドライバーで抉り出して、プライヤーで引っ張ったら、簡単に抜けました。 錆びていて、折れてしまう物もありましたが、針の脚が残ってしまっても、さして不都合はありません。 針が抜ければ、表皮は上から被せてあるだけなので、簡単に取れます。

「んっげっ!」

  剥がして、びっくり! スポンジが、ぐっしょり濡れて、なんとも汚らしく、黒いしみが広がっています。 表皮に隙間が出来ているのですから、雨水が浸みこんでも、全然不思議ではないのですが、実際に、この有様を見ると、たじろがずにはいられません。 知らぬが仏。 今まで、こんな状態のまま、涼しい顔で上に跨っていたとは。

  いきなり、作業意欲が減退し、そのまま新聞紙に包んで、明日まで放置する事にしました。 たぶん、黒いのは黴だと思うのですが、スポンジを洗っても、表面の汚れしか取れないでしょう。 天日に干すのが一番いいのですが、あいにく、明日は雨との事。 どうしたものか。

  剥がした純正表皮ですが、裏を見てみると、破れていたのは、縫い目ではありませんでした。 そもそも、縫ってなどありません。 生地を熱で圧着してあるのです。 これでは、切れていない方を残し、新しい生地と縫い直して、修復するというわけには行きませんな。 捨てるしかないか。

  さて、剥がしてしまったからには、新しい表皮を張るまで、バイクには乗れません。 こうなったら、この土日で、何としても、乗れる状態にまで仕上げる所存です。


≪7月7日 土曜日≫
  バイク・シートのスポンジですが、一晩新聞紙に包んでおいても、さほど乾きませんでした。 朝になって、曇りだったものの、風があったので、ベランダへ。 しかし、一時間もしない内に、雨がポツポツ降り出して、大慌てで取り込む羽目になりました。

  スポンジが乾かないのでは、表皮を張る事ができません。 「今日は駄目か」と思って、そのまま放置して、後は、喰っちゃ寝喰っちゃ寝。 この週末は、シート張り替えしか予定を入れてなかったので、それができないとなれば、もう、やる事が無いと来たもんだ。

  午後4時頃、妙に暑くて、汗を掻いて起きたら、晴れてるじゃありませんか。 大急ぎで、スポンジをベランダへ。 それから、2時間くらい干したら、何とか、乾きました。 やれやれ、明日は、朝から、張り替え作業ができそうです。


≪7月8日 日曜日≫
  朝7時半から、早速、シートの表皮張りに取り掛かりました。 作業場所は、自室。 服は、会社の作業服を着て、ベッドに座って、シートを抱えるようにして作業しました。

  まず、新しい表皮の上に古い表皮を載せて、少し大きめに裁断。 一応、ネット情報に従って、生地の裏側に中心線を描いたのですが、なにせ、裏なので、シートに被せると隠れてしまい、見えません。 やむなく、大体の按配でやっつけたので、結果的には不要でした。 要は、左右の張り代が、均等になればいいのです。

  ネット情報では、浸水防止のため、スポンジと生地の間に、ゴミ袋を切ったビニールを挟むように指示しているものがありますが、よくよく読むと、それは、縫製や熱圧着した表皮の場合のようです。 合わせ目に隙間が出来る可能性があるから、そこから浸水しても、ビニールがあれば、スポンジへの浸水を喰い止められると言う寸法ですな。

  しかし、私が張る表皮は、合成皮革の一枚物で、それ自体が、厚手のビニールなので、スポンジに直接被せても、問題無い様子。 ビニールは、あるにはあったのですが、間に何か挟むと皺が出そうだったので、やめておきました。

  ここで、ダイソーで315円で買ってきた、≪工作用ホッチキス≫を開封します。 タッカーとして使う場合、台座は不要ですが、それは、嵌め込んであるだけだったので、簡単に取れました。 針を装填します。 附属の針は、100本。 とても足りそうにありませんが、替え針が1200本あるから大丈夫。 針の装填は、文具ホチキスよりも簡単です。 最初の一本から使える点、むしろ優れています。 

  で、タッカーで、生地をシート本体のプラスチックに留めて行くわけですが、最初の内は、カチカチうまく打てたものの、後に行くに従い、成功率が低くなりました。 湿度の関係で、プラスチックの方が硬くなったせいでしょう。 平均して、3本打って、1本成功というところ。

  先に、前と後ろ、それに、左右の真ん中あたりを留めてから始めたんですが、問題は、やはり、シートが反り上がっている部分で、最初は大きな皺だらけで、絶望的な観がありました。 引っ張っても、皺が小さくならないので、ドライヤーを持って来て、温めながら引っ張ったら、少しずつ伸びて来ました。 お、いけるのか?

  片側を伸ばしては、タッカーで打ち、もう片側を伸ばしては、タッカーで打ち、また反対側の針を抜いて、引っ張って打ち直す、を繰り返します。 やがて、生地が針の穴だらけになってしまったので、タッカーは暫く措き、洗濯ばさみで挟む方法に変えました。 洗濯ばさみでも、引っ張っておく分には支障無いのですが、痕が着くのが難点。

  だいぶ皺が減ったので、タッカーの本打ちにかかったのですが、これがうまく行きません。 失敗率が急騰した上に、洗濯ばさみを外す時に、また皺が出来てしまいます。 しかし、やり直しても、同じ事の繰り返しになりそうだったので、多少の皺には、目を瞑る事にしました。

  前後の折り込みもうまく行かず、これも目を背けたくなるような出来になりました。 しかし、やり直しても、綺麗に仕上げる自信がありません。 もう、こんなところで、妥協するしかありませんな。 最後に、バイクに合わせてみてから、はみ出した余分な生地を、鋏とカッターで切り取りました。

  出来としては、ネットで出ている実例の、最悪のものより、更に数段悪いです。 でも、表面には穴が開いていないので、雨水の浸入だけは、確実に防げるはず。 それが、主目的だから、まあ、いいとしましょう。

  純正のツートンから、黒の単色になったので、バイクの色との兼ね合いがどうなるかと思っていたんですが、着けてみると、思ったより悪くなく、却って、引き締まった感じがします。 それでなくても、私のバイクは、とっくに型落ちしているので、パッと見て、色の違いで、シート表皮が純正でない事を見抜ける人は、ほとんど、いないでしょう。

  一応、午前中で終わって、片付けたんですが、夜になってから、また皺が気になり始め、シートを外して、針を抜き、もう一度、皺伸ばしに取り組みました。 多少は良くなったか。 今度こそ、本当に、これ以上やる気はありません。


≪7月9日 月曜日≫
  シート張り替え後、初めて、バイクに乗って、出勤。 約45分で会社に着き、下りて、びっくり! 凄い皺が出来ています。 ネット情報で、「乗ると、皺が出来るが、また伸ばせば良い」とありましたが、ほんとに、そうなんですな。 甘く見ていました。 仕事を終えて、帰りに見てみたら、下りた直後よりは減っていましたが、それでも、容認できないような皺が残っています。 どうしたものか。


≪7月14日 土曜日≫
  先週、張り替えた、バイクのシートですが、一週間乗って、皺ができる位置が、大体、決まって来ました。 外して、温めて、引っ張って、留め直せば、少しは伸びるんでしょうが、何だか、面倒臭いです。


≪7月22日 日曜日≫
  二週間も経ってしまいましたが、梅雨も明けた事だし、バイクを清掃するついでに、シートを外し、皺退治に手をつける事にしました。 面倒臭いので、タッカーは使わず、ドライヤーで温めるだけ。

「引っ張られているから、皺が出来るのであって、突っ張っている部分を温めてやれば、そこが伸びて、皺が消えるのでは?」

  という理論を、この二週間温めて来たのですが、それを実行した次第。 一応、指で引っ張って、皺を伸ばした状態で、皺が出来ていた部分の左右にドライヤーを当てました。 そしたら、まあまあ、伸びましたよ。

  ところが、バイクに取り付けたら、また、うっすらと皺が・・・。 これで、乗れば、また大きな皺が復活する可能性、大。 しかし、もう疲れました。 シート張り替え計画は、この辺で終了させていいでしょう。


  まとめですが、

「シート表皮の張り替えは、素人でもできない事はない。 しかし、純正品のようなクオリティーを実現できるとは思わない方が良い」

  といったところでしょうか。 ネット情報では、「張り替え後、何の問題も無し」という追伸が付いているのが普通ですが、どうも、疑わしい。 本当は、皆さん、目立つくらいの皺を残したまま、乗っているんじゃないでしょうか? 皺があっても、浸水しなければ、使用に問題は無いので、それでオッケーにしてしまっているのではありますまいか?

  タッカーですが、315円の品でも、打てる事は打てたので、高い物を買う必要は無いと思います。 「打てない」という人は、プラスチックの方をドライヤーで温めれば、打てるようになるはず。 成功率が、3本に1本でなく、5本に1本であっても、替え針なんか、1200本で105円ですし、しかも、一生に一回か二回、やるかどうか分からないような作業ですから、惜しいとは思いません。

  生地の皺を伸ばす時に、どこを温めればいいか、最初、悩んだのですが、理詰めで考えてみたところ、皺の部分は、たるんでいるから、皺になっているのであって、そこを更に伸ばしても仕方ありません。 温めて伸ばすべきなのは、皺が無い所、つまり、引っ張られている部分なんですな。 温めただけでは伸びないので、引っ張りながら温める必要があります。


↑ シート本体のプラスチックとスポンジ。 スポンジの方は、だいぶ浸水の被害を受けていますが、形状的には、破損部分はありません。


↑ シート本体とスポンジを重ね、その上に、裁断した生地を、そのまま被せたところ。 とても、これが、ぴったり張れるとは思えないのですが・・・。


↑ 引っ張っては伸ばし、引っ張っては伸ばし、だいぶ、皺が取れて来ました。


↑ ここまで、伸びれば、まずまずといったところ。 この後、タッカーで、生地の端を、プラスチックに本留めました。


↑ ところが、バイクに取り付けると、また皺が・・・。


↑ 取り外して、また伸ばし、再チャレンジ。 何とか、このくらいまで、持って来ました。 しかし、この後、会社に乗って行ったら、また、皺が出てしまいました。 イタチごっこか。

2012/07/22

デモはデモ

  少々、ジレンマに陥っています。 正確に発音すると、「ディレンマ」。 一見、フランス語のような響きの単語ですが、一応、英単語で、フランス語では、同語源と思われる、「ディレム」。 元はギリシャ語だそうで、大方、哲学用語として伝わったんでしょう。 意味は、「板挟み」です。

「だったら、板挟みと言えよ」

  ええ、そうなんです。 板挟まっているんです。 何に板挟まっているかというと、昨今巷を賑している、あの、≪反原発デモ≫です。 何かしら、関与すべきなのか、それとも、距離を置いて、様子見を続けるべきなのか。

  去年から書いているように、私は、終生一貫、「原発なんぞ、全廃にすればいい」と思っている人間です。 もし、このデモの勢いで、全廃に追い込めるのならば、大いにしめたものなわけであって、手書きのプラカードを携えて、積極的に参加しても、全然不思議ではありません。

  逆に、「反原発のくせに、なぜ、参加せぬ?」と訊かれると、「なんでだろう?」と自分で首を傾げてしまうほど、私には利害一致した運動といえるわけですな。 この状況、何かに似ている。

  たとえば、職場で私一人だけが非喫煙者で、前々から、「禁煙にならんかなあ」と思っていたところ、私の心中の欲求とは全く関係なく、他の部署から、社内全面禁煙化の運動が始まり、次第に大きなうねりとなって、経営陣に影響を及ぼし始めた。

  といった状況でしょうか。 自分は何にもしていないのに、自分の望んでいる方向へ、事が動いている、このくすぐったいような感覚が、分かるでしょうか? もし、運動が実を結んで、全面禁煙になれば、勿怪の幸い。 たとえ駄目でも、私は何の関与もしていないので、挫折感を味わわなくて済むという、非常においしい立場です。

  こんな例え話を繰り広げていると、

「ふざけるな! おまえのように、口先だけで、行動しようとしない奴ばかりだから、政治を動かせないんだ! 本気で、原発を全廃したいのなら、街へ出て、声を上げろ!」

  と、怒る人もいるでしょう。 いや、絶対いると思うね。 うじゃうじゃいると思いますよ。 実際に、金曜の夜にデモに参加している人達のほとんどが、そう思ってんじゃないの?

「はいはい。 おっしゃる通りです。 では、来週の金曜から、最寄のデモに参加させていただきます。 遅れ馳せながら、何分、宜しくお願いいたします」

  と、すんなり行けば、何も、板挟まる事もないわけですが、ここに、もう一つの私の信条が立ちはだかり、堅固なバリケードを構築して、妨害に及ぶわけです。

「冗談はよせ! 政治運動に参加など、絶対に許さんぞ! 特定政党の主導でないとか、思想的背景が無いとか、そんな事は関係ない! 今まで、政治的活動を一切避けて来たから、安穏とした生活を維持してこれたのではないか! 一時の風潮に流されて、ホイホイ他人に同調してたら、とんでもない災厄が降りかかるぞ」

  とね。

  でねー、本音を言わせて貰いますと、やはり、民衆運動には、眇目で見たくなる胡散臭さがあるのですよ。

  前にも書きましたが、民衆運動は、あくまで、民衆運動に過ぎず、民主主義とは、似て非なるものです。 選挙で、反原発を唱えている候補に投票し、議会で原発廃止を実現するのが、民主主義的手続きというものであって、デモで直截、政府に訴えて、原発を廃止させようというのは、民主的とは、全く言えません。 悪い言葉で言えば、やっている事は、≪威嚇≫、≪恫喝≫と同類ですな。

  なぜ、デモが民主的でないかというと、デモに参加していない人間の意見が、反映されていないからです。 デモに参加している人達は、「自分達は、多数派民衆だ」と思っているのかもしれませんが、世界中、どの場所で起きた、どの時代の、どんなデモでも、実際には、参加していない人達の方が、圧倒的に多かったのです。 それは、今回の反原発デモでも変わりません。

  一部の人間の意見が、デモという手段によって、通ってしまったら、それは、民主主義とは言えないでしょう?

「反原発に反対なら、反対デモをすればいいではないか」

  またまた、中学生みたいな青臭い屁理屈を・・・。 そんな事をしたら、両者がぶつかって、暴動ですよ。 民衆同士のぶつかり合いは、怖いぞー。 誰も止める者がいないから、一度始まったら、収集が着かぬ。 たちまちエスカレートして、焼き討ち、強奪、何でもありになってしまいますよ。 そんな恐ろしい事、したいのかね?

  私は、民主主義が、特段優れた制度だとは思っていないのですが、一応、日本社会の現行制度ですから、それを真っ向から否定してしまうのは、問題だと思うのです。 別に、デモ自体は、違法ではありませんが、首相官邸前へ押しかけて、政策を変えさせるとなると、正当な民主的手続きとは言えないのです。

「だって、反原発を唱える有力政党が無いんだから、選挙で意思表示のしようがないじゃないか。 だから、デモをやってるんだ」

  だったら、そういう政党を作ったら、どうですかね? 毎週毎週、何万人も集まるほどの支持があるなら、選挙でも勝てると思いますが、どうでしょう?

「もし、勝てなかったら、結局、原発は存続するじゃないか」

  それはそうかもしれませんが、そうなった場合、それは民主的に決まった結果だから、仕方がないではありませんか。 原発を廃止したいと思っている人間より、存続させたいと思っている人間の方が、多いという事ですよ。 どんなに腹に据えかねる結果であっても、制度上の手続きに則って決まった事であれば、従わざるを得ません。 それは、裁判の判決などと同じ事。

  だけどねえ、今の流れを見るに、反原発を党是にして、新政党を旗揚げすれば、かなりの高確率で、勝てると思いますよ。 その際、余計な尾鰭は付けない事が肝要ですな。 「消費増税反対」とか、「TPP反対」とか、そういう、別の問題を絡めず、「反原発」一本に絞って戦えば、今の世の中の流れを100%取り込んで、かなりの議席数を確保できると思います。

  ただねえ、「毎週一回デモに参加するのは、何とかやりくりできるけれど、政党を作るとなると、勤めもやめねばならんし、面倒過ぎるな」と思うのも無理からぬこと。 誰か、閑な人が中心軸になってくれればいいんですがね。

「反原発以外に、何もしない政党が政権を取ってしまったら、いろいろと困るのではないか?」

  いやあ、どうにかなりますよ。 何なら、原発廃止法案だけ可決して、すぐに解散してしまえば宜しい。 次の政権が原発を復活させたら、また、反原発政党を起こして、潰してやればいいのです。 そんな事を何度か繰り返している内に、他の政党も、「反原発政党には、逆らわない方がいい」と悟って、原発復活を諦めるでしょう。

  それに、いくら、反原発の流れが大きくなっているといっても、単独で政権を取れるほどにはなりますまい。 50議席くらい取っておいて、脱原発を掲げる政権が出来た時だけ、協力するという手もあります。

  いずれにせよ、この種の民主的手続きに則ったやり方は、時間はかかりますなあ。 デモで政権を恫喝して、強制的に原発を廃止するのに比べたら、数倍、いや、数十倍の年月がかかるかもしれません。 逆に、メリットは、「民衆運動で、政治を動かした」という前例を作らずに済む事です。

  一度、そういう例を作ってしまうと、民主主義制度は、脆いです。 フィリピンやタイの国政ように、民衆運動を起こさなければ、政治が機能しなくなってしまう習い性に陥る危険性があります。

  それにつけても、頭が痛くなるのは、デモ参加者の中に、民衆運動を民主主義の一部だと勘違いしていて、「自分達のやっている事は、民主的だ」と思っている人達が、相当な割合で存在する事です。

  違うって。 逆だって。 デモで圧力をかけて、一部の人間の意見を通すのは、民主主義とは、正反対だって。 何度言っても、分からんかなあ。 分からんよなあ。 それでなくても、論理が分からんちんの日本人だものなあ。 区別つかんよなあ。

  もし、次の選挙で、脱原発政権を誕生させる為に、有権者の意識を啓発するのが目的で、デモをするというなら、集まる場所が違うでしょう。 国会議事堂前とか、各自治体の庁舎前とか、そういう所に集まった方が、理屈に合っていると思います。 首相官邸前で、直截、政権を恫喝するのは、まずいって。

  有名人が、かなりの数、デモの主導的立場に身を置いているようですが、その人達にも、民主主義と民衆運動の区別がついているかどうか、大いに疑わしいです。 特に、「3.11以降、考えが変わった」式の物言いをしている人には、要注意です。 反体制派になるという事が、どういう事か、よく分かっていない恐れがあります。

  デモに参加するなとは言いませんが、老婆心ながら、御忠告しますと、

・ プラカードなどは持たず、なるべく目立たない。
・ 主導的な行動をせず、群集の一部に徹する。
・ マスコミのカメラが近づいたら、顔を撮られないようにする。
・ 警察とは、絶対に争わない。
・ 政治団体や宗教団体の勧誘に乗らない。

  と言ったところでしょうか。 どんなに穏やかな雰囲気のデモであっても、政治運動である事をお忘れなく。 公安が自宅に踏み込んでくるような事態になったら、フェイス・ブックの同志なんぞ、糞の役にも立たないので、くれぐれも、御自重あれかし。


  以下、オマケ。

  いやはや、おったまげました。 例の≪エネルギー政策の意見聴取会≫で、中部電力の課長とやらが、「放射能の影響で亡くなった人はいない」等々、原発推進側の意見を、ぬけぬけと述べた、あのニュースですよ。

  福島第一事故の前とは違って、現在では、原発存続派であっても、「産業競争力を維持するためには、電力の安定供給が必要だ」という風に、搦め手から、必要性を説いてくるのが普通なのですが、この課長、「原発比率は、高ければ高いほど、安全」などと、何を根拠にしているのか分からない、無茶苦茶な事を言っていて、今では珍しい、原発推進派ですらなく、原発礼讃派としか言いようがないカテゴリーに属する人物である様子。

  今の世情で、そういう事を、臆面もなく言えるというのが、ある意味、凄い。 もしかしたら、原発関係者というのは、テレビ・ニュースとか新聞とか、全く目にしてないんじゃないですかね? ああいう事を言って、世間の人々に同意してもらえると思ってたんでしょうか?

  はたまた、旗色が悪いのを承知の上で、「ここから巻き返すには、極端な事を言わなければ、追いつかない」と思って、わざと原発擁護べったりの意見を言ったのか。 何だか、しょっぱ過ぎる味噌汁を、甘くしようと思って、砂糖をドバドバ注ぎ足している、アホ嫁みたいですが。

  いずれにせよ、結果を見ると、今後、電力会社関係者は、意見聴取会から締め出される事になってしまったわけで、目論見は大失敗だったと言うべきでしょう。 あの人、たぶん、高学歴だと思うのだけれど、その辺の機微が読めなかったのかのう? やはり、原子力ムラの住人は、特殊なのか。 いや、異常と言うべきか。

2012/07/15

いじめ自殺

  いじめ自殺は、過去に多くあったものの、これだけ、騒ぎが続く例は、珍しいです。 死んだ中学生が生き返るわけではないですが、せめてもの弔いに、命一個分に見合うだけ、騒動の限りを尽くしてやるのが、宜しいでしょう。

  逆に言えば、今まで、同じように追い詰められて、自ら命を断って来た、いじめ被害者達の存在が、軒並み世間から無視されて来たのは、あまりにも、むごいと言わざるを得ません。 ≪葉隠れ≫によれば、「人の命は、屁よりも軽い」のだそうですが、どうやら、事の真理を衝いている模様。


  奇怪奇天烈だと思うのは、いじめ問題が話題になると、新聞紙面に決まって登場する、≪人生経験豊かな諸先輩方の、励ましの言葉≫です。 いじめられている側に向かって、拳を固く握り締める熱心さで語りかけます。

「君はちっとも悪くない」
「親でも先生でも、話を聞いてくれるまで、相談しろ」
「嫌なら、学校なんか行かなくてもいい」
「死んだら、負けだ」

  いやはや、よくもまあ、こんな月並みなアドバイスを、何度も何度も何度も何度も、繰り返せるものですな。 口にタコが出来んか? あんたら、いじめられている側を、最低限の知能も無い、≪バ・カ≫だと思ってんじゃないの?

  馬鹿は、そっちだ。 およそ、お前らが、単純な頭で思いつくような対策は、とうの昔に取っておるわ。 その程度の事で、いじめが解決などするものか。

  そもそも、どうして、いつも、いじめられる側にばかり、「ああしろ、こうしろ」と要求するのだね? あんたら自身が言うように、いじめが、いじめられる側の責任でないのなら、当然の事として、いじめる側の責任だろうが。 どうして、いじめる側に対して、「ああするな、こうするな」と言わないんだね?

  ふふふ、分かるぞ分かるぞ、人生経験豊かな諸先輩方よ。 あんたら、いじめる側のガキどもが怖くて仕方ないんだろう? 怖いから、声を出して、「いじめるな!」と言えないのさ。 いじめを見て見ぬふりをする、教師や同級生と、全く同じレベルだな。 いじめられている側にすれば、そんな腰の引けた≪他人≫のアドバイスなんか、糞の役にも立ちません。

  もしくは、かつて、自分が、いじめる側だったのかな? それなら、いじめられる側にあれこれ注文をつけ、いじめる側を直截に非難しないのも合点が行く。 自分がいじめをやっていたものだから、後ろめたいんだろう? いじめの原因を、いじめられる側の対策不備に帰してしまえば、自分の過去の罪を意識しないで済むものねえ。

  以下、例によって、個別に、分析して行きましょう。


≪君はちっとも悪くない≫
  個別案件の具体的な事情も分からずに、いい加減な事を言うべきではありません。 私の経験で言うと、学生時代でも、社会人になってからでも、「いじめられる謂れが全く無いのに、その集団内での人間関係のバランス不良が原因で、いじめられている人」は、たくさん見ましたし、「性格に問題があって、いじめられて当然」と思うような人間も、決して少なくありませんでした。

  こういう事は、当事者にしか分からないのであって、真相を明らかにしたかったら、完全な立場の第三者が、双方の一人ひとりから事情を聞くしかありませんが、恐らく、いじめる側もいじめられる側も、相応の理由を述べるでしょう。 ちなみに、いじめられている側が、最初は、いじめる側だったというような例もあれば、いじめられる側から逃げたいばかりに、いじめる側へ鞍替えする奴という例も、うじゃうじゃあるようです。

  いじめを社会問題の枠内で捉えていると、対処法には限界があります。 動物の世界でも、いじめはありますが、殺すまで行く例も珍しくなく、人間社会で同じ事が起こっても、「動物として、普通の習性」という事になってしまいます。

  浜の真砂が尽きるとも、世に泥棒の種は尽きないのと同じ原理で、いじめも根絶できない可能性が極めて高いです。 動物の集団というのは、そういう関係を生み出すように出来ているんでしょうな。

  ただし、だから、放っておけというつもりは、毛頭ありません。 動物なら許される事でも、人間には許されない事があります。 いじめ行為の多くは、犯罪であり、犯罪であれば、処罰が可能です。 罪を犯したものは、粛々と断罪すべきでしょう。


≪親でも先生でも、話を聞いてくれるまで、相談しろ≫
  親に~っ? アホか。 親が、学校の事なんか、聞いてくれるわけないだろが。 自分が学生だった頃の事を忘れてしまったんですか? 学校で起きた事を、親に話していたのは、何歳までだったね? せいぜい、小一の最初のひと月くらいまでだったんじゃないの?

  子供は親に、そんな事は喋らないし、親も子供の話なんか聞きたくないんですよ。 「うちの子供は、毎日学校へ行って、世間並みに健全に成長している」と信じ込んでいるのが、親なのです。

  いじめられている子供が、いよいよ、追い詰められて、親に相談したとしましょう。 果たして、親は、どんな顔をするか。 リゾート・ホテルのレストランで、床を走るゴキブリを見たような、嫌~~な顔をするんですよ。

「なんて、厄介な事を言い出しやがったんだ、この小僧は・・・。 こっちは、仕事だけで、毎日毎日、いっぱいいっぱいなんだよ。 どうして、お前は、自分の問題を自分で解決できないんだ? 誰に似たんだ、情けない奴め」

  そういう心の内が、顔にもろに出ます。 子供は、親にそういう顔をされるのが一番嫌なので、親に相談するのを、ためらいます。 早い内なら、いじめの芽を摘むのは、不可能ではありませんが、もう、人間扱いされないほどひどくなってから、親に言ったって、元の状態に戻すのは、到底、無理です。

  また、子供というのは、微妙な按配が利きませんから、「ちょっとでも、いじめられたら、すぐに言え」などと、予め親から言い含められていると、本当に、些細な事でも、すぐに親に言いつけるようになり、同級生から、「あいつは、面倒な奴だ」という目で見られるようになって、程なく、友人を失います。

  大人ならともかく、小中学生で、友人を失うのは、怖いよねえ。 自殺するよりはマシですが、やはり、話し相手無しで、長い年月を乗り越えるのは、厳しい。 いじめられる側が、反撃という思い切った対策を取れないのは、その辺の兼ね合いが難しいからでしょう。

  ちょっと、脱線しますが、いじめの単純な対策として、

「常時、金属製で重量感のあるペンを携行し、いじめられたら、腕でも脚でも、命に関わらないような部位を、ブスっと刺してやれ」

  というのは、ちょっと血の気の多い人なら、すぐに思いつくと思います。 しかし、そんな事をしていたら、自分の方が、いじめている奴ら以上の悪人になってしまいます。 「刺す奴」に、そりゃ、友人はできんわなあ。 

  最悪の場合、そんな時に限って止めに入って来た教師によって、いじめた奴らに向かって謝らせられるという、耐え難い屈辱を強いられる恐れもあります。 まったく、教師なんていうのは、何の役にも立たないばかりか、事を余計にこじれさせおる。


  親でさえ当てにならないのに、教師に相談など、冗談でなければ、世迷言としか思えません。 テレビ・ドラマの架空の教師じゃないんですよ。 一人一人の生徒の問題なんか、構ってくれるわけないでしょうが。 そもそも、教師などという職種は、世間知らずで名を馳せているくらいですから、一般人以上に、人間関係の調整能力が弱い。

  成績がいいとか、外見がいいとか、特別目をかけている生徒が、何かトラブルに巻き込まれれば、目を血走らせて解決に当たりますが、並み以下の生徒が相手では、いじめられようが、登校拒否しようが、不良化しようが、自殺しようが、知ったこっちゃありません。 もちろん、自分のせいで、そうなったなどとは、思いもしませんし、当然、認めもしません。

  「教師がしっかり指導していれば・・・」というのは、いじめ自殺が起こると、かならず言われる事ですが、教師がごとき社会人の出来損ないに、そんな指導能力を期待する方が間違っています。 根本的勘違いですな。 駄目人間に、「ちゃんとやれ」と言ったって、できるわけないでしょうが。 言うだけ、無駄。


  そういや、今回の事件ですが、市の教育長の吐いたセリフには、思わず知らず、額に縦線入りましたぜ。

「自殺には、家庭の問題など、様々な要因がある。 いじめもその要因の一つだったかもしれない」

  この一言が、今回の事件で、最も印象深く、記憶に残ると思います。 もう、責任逃れしか、念頭にねーのよ。 しかも、この中学生じみた屁理屈といったら、どうですか。 あなた言えます、こんな恥ずかしい屁理屈? 言えないわよねえ、こんな事。 まあ、やだ、どうしましょ。

  今回の事件は、誰がどう見たって、いじめが原因なのは明らかですが、それでも、認めようとしないんですな。 最低限の常識的感覚すら無い。 自分の子供や孫が、同じ目に遭わされたら、「家庭にも原因がある」と言うかね? 唇が曲がっても、言わないと思いますね。

  まあ、確かに、いじめられている子供を、学校に通わせ続けていたという点を指摘すれば、「家庭に要因がある」と言えないでもないですが、その考え方自体が、屁理屈のこじ付けなのであって、そもそも、誰が悪いんだとなったら、いじめた奴らが悪いに決まっているではありませんか。 家庭の問題の方は、付随して起こったに過ぎず、自殺の根本原因は、いじめ以外に考えようがありません。

  こういう人間が、市の教育長をやっているというのが、ある意味、凄い。 だけど、この人だけが特別なのではなく、日本全国、どこの市の教育長も、みんなこんなレベルだと思うのですよ。 まーあ、肩書きに「長」がつくような人で、自ら進んで、自分の責任を認めるような人は見た例しがありません。

  滋賀県の人は、この人の名前をメモして覚えておくといいです。 いずれ、春秋叙勲で、「○○市の教育長を勤めた、○○○○氏が、○○○○章を受賞」などという地方ニュースを耳にする事になるでしょう。 くっくっく・・・、全く以て、変竹林な社会だよねえ。


≪嫌なら、学校なんか行かなくてもいい≫
  そんな簡単に言うなよ。 それは、大人の私だって、嫌な事はたんとあるけど、会社にゃ行かなきゃならないから、行ってるんですよ。 子供だって同じ事ですぜ。 たとえば、親に言ったとします。

「いじめられるから、学校に行きたくない」

  するとまた親が、土曜の夜の風呂上り、ソファで寛いでいる時に、名前も知らないような胡散臭い会社から、「お使いのお電話を光回線にしませんか」などと、無神経な勧誘電話がかかって来たような、嫌~~~な顔をするわけだ。

「行きたくないって、じゃあ、明日から、どうするんだ? 家にずっと篭ってるのか? 一体、どうするつもりなんだ。 具体的に言ってみろ」

  こりゃもう、「行かなきゃ、殺すぞ」と脅迫しているようなものですが、親は、自分の子供が、自殺寸前まで追い詰められているとは思ってませんから、平気で、そんな事を口にするのです。

  つまりねえ、親というのは、「自分の子供は、普通だ。 健康で健全で、すくすく育っている」と信じ込みたいんですよ。 あわよくば、「他の子供より、優れている」とさえ思い込みたがっている。

  そんな考えで日々暮らしている人間にとって、「子供が学校に行かない」なんて状況は、全く、受け入れられないのです。

「登校拒否? ありえんわ。 おまえ、どーゆーつもり? どこの子? うちには、そんな子、いないよ」

  そーゆー心理が、もろに顔や態度に出る。 子供にしてみれば、≪いじめる奴ら≫、≪無視する教師≫に加えて、ここに、≪厄介事を嫌う親≫という、第三の敵が登場するわけですな。

  まーあ、親なんてものは、子供が子供の世界の問題で困っている時に、何の力にもなってくれないものですよ。 普段、偉そうな事を言っている割に、問題が発生した時には、解決する意志もなければ、能力も無い。 「飯だけ喰わせときゃ、勝手に育つ」くらいにしか思ってないんだから、無理もないですがね。

  「普通の子供であって欲しい」と願っていて、自殺されてれば、世話はないわけですが、現実に、死なれてからでないと、子供の置かれていた窮状を理解できない親というのは、非常に多いです。 親子であっても、分からない事なんて、いくらでもあるんですよ。


≪死んだら、負けだ≫
  あー、嫌だ嫌だ! 勝ちだの負けだの、そんな評価基準を持ち出す事自体が、勝ち組や成功者の驕りなのであって、いじめられて、自殺寸前に追い込まれている者にとっては、最も忌むべき価値観なのです。

  勝てばいいのか? いじめてる奴らを刺し殺せば、勝てるが、そうすればいいのか? そうじゃないよな。 何なんだ、勝つって? いじめに耐え続ける事か? そうでもないよな。 どういう事なんだ、勝つって? 親や教師に言って、解決してもらう事か? でも、それがうまく行かないのも分かってるよな? 結局、どうやれば、勝てるんだ?

  死んだら終りなのは、おまえらなんかより、一億倍身に浸みてわかっとるわい! それでも、死ぬ以外に、苦しみから逃れる方法が無いんだ。 なぜ、それが、分からぬ! この馬鹿どもめが! 自殺する人間の気持ちが分からないなら、繊細で深刻な問題に口を出すな!

  まったく、生きている間はいじめられて、死んでからも罵られたのでは、ほとほと、たまらんわ。 浅墓この下無いアドバイスなんかしようと思わなくていいから、黙っとけ! 分からないんだろう? 死ななければならない人間の気持ちが、分からないんだよな? なぜ、分からない事に、首を突っ込んで来る? なぜ、ズカズカ土足で踏み込んで来る? おまえらと、いじめてる奴らと、どこが違うんだ?

  全てを勝ち負けで評価するというなら、≪弱肉強食≫の世界なわけで、気に喰わない奴ををいじめて、自殺に追い込み、始末した連中は、勝者という事になります。 それで、いいのかね? 違うだろう。 もし、それでいいというなら、こんな問題は、世間を騒がすような事件になっていないわな。


  今回の事件、≪いじめ≫という社会問題のカテゴリーで片付けるべきではなく、≪自殺教唆≫として、刑事犯罪扱いで、犯人を逮捕すべきでしょう。 当然、犯人ばらは、少年院なり、どこへなり、送るのが筋です。 実際に、人一人の命を奪っているのですから、罪を償わせるのは、当たり前の事。

  学校や教育委員会に調査を任せるなど言語道断で、そもそも、これらの組織は、犯罪捜査をするのが目的で作られているわけではないのですから、真相究明能力など持ち合わせていません。 責任逃れのために、問題の隠蔽に走るのが、関の山です。 最初から、警察が担当すべき事件だったのです。


  ただねえ、そうは言ったものの、実際には、いじめた奴らは、何のお咎めもなしに、いけしゃあしゃあと、今後の人生を生きて行くのだと思うのですよ。 もちろん、罪の意識など、微塵も無く。 そして、いつか、世間でいじめ自殺事件が起こると、「死んだら、負けだ」とか何とか、いじめられた側に責任を転化するような事を言い出すわけだ。

  まったく、変梃子倫な社会だねえ。

2012/07/08

バイク・シート、張り替え準備

  破れ始めたバイク・シートを張り替える話ですが、前回の最後に、「実際に張り替えたら、また、その時、報告します」と書いて締め括ったにも拘らず、今回、いきなり、続編となりました。 まだ張り替えていないんですが、まあ、中間報告ですな。

  ・・・なんと言うか、今の私は、頭の中が、シートの張り替え問題でいっぱいでして、他の事を考える余裕がないんですよ。 民主党が分裂しようが、ロンドン五輪が迫ろうが、ヒッグス粒子が発見されようが、目下の私には、一切関係無し。 自動的に、ここの記事も、他のテーマを探す気分になりません。 勢い、書ける事と言ったら、シート張り替えに関する事に限定されてしまうのです。


  先週の日曜日、前回の記事をアップした日ですが、午後から、材料と道具を探しに、車で出かけたのです。 本当は自転車で行きたいところなんですが、雨だったので、やむなく、車を借りました。 父の車ですが、父はとっくに引退していて、車を使うのは、週に一回か二回程度なので、土日、私が「貸してくれ」というと、まず間違いなく借りられます。

  車を所有しておらず、たまに家族の車を借りて運転する立場の人間から言わせて貰いますと、車という道具には、雨の日にしか必要性を感じません。 バイクや自転車とは、屋根が付いているかどうか、ただそれだけの違いでして、もし、一人乗りの車があったら、私はそれで充分です。

  家族の成員が全て大人だと、一緒に出かけるという事はまずありませんし、大型家電でも買わない限り、荷物を積めるスペースも、さして必要とは思いません。 手提げバッグが一つ置ける場所があれば、それで、用が足ります。 雨の日に濡れさえしなければいいわけで、フカフカのシートも、ラジオも、CDプレーヤーも、カーナビも、エアコンも、ヒーターも、一切不要です。 そういうのは、移動用具の本来の目的とは、直接関係ないですからのう。

  ああ、ちなみに、エアコンをオートにして乗っている人が多かろうと思いますが、燃費を良くしたかったら、切ってしまって、他の方法で、温度調整した方が、利口ですぜ。 一度やってみれば分かりますが、エアコンをオンにした時と、オフにした時の、ガソリンの減り方は、まるで違います。 エアコン無しでも、窓を開けたり、送風だけにしたり、いろいろと、調整方法はあるものです。

  何だか、えらい脱線しとりますな。 で、日曜の午後に、出かけたんですよ。 買うべきものは、

・ 合成皮革
・ タッカー

  の、二点。 合成皮革は、ビニール・レザーの事で、リーズナブルな価格帯の革張りソファーなどに張られている表皮が、たいてい、それです。 他にも、「革っぽいけど、どう見ても、動物の革じゃねえな」と思うような革は、たいてい、合成皮革。 ネット情報では、長さ50センチで、1000円くらいとの事。

  タッカーというのは、前回も書いたように、ホチキスの親分みたいな道具で、革をシート本体に留める時に使います。 サイズが大きい以外に、文房具のホチキスと違うところは、受け側の部品を外す事ができて、挟み打ちだけではなく、押し打ちもできる事。 ネット情報では、これも、1000円くらいという話。 ただし、ダイソーにも置いてあって、315円で買えるという情報もありました。 それでいいなら、そりゃ、安い方がいいですわなあ。


  最初に行ったのは、沼津市の片浜駅の南にある、ダイソーです。 ここは、結構大きな店なので、期待して行ったんですが、タッカーはありませんでした。 なぜか、針だけ売っています。 ちっき・・・、本体が無いのに、針だけ買って、どな異性中年?

  ああ、ちなみに、ダイソーでの売り場は、工具コーナーです。 ホチキスの類似品だからといって、文具コーナーではないので、御注意。 工具コーナーは、ペンチとか、レンチとか、ビス・ボルトとか、そんな品が並んでいるところ。

  この店では品切れのようでしたが、針があるという事は、店によっては本体もあるという事ですから、近辺にあるダイソーを回ってみる必要がありますな。 うーむ、面倒臭い。 しかし、安さの魅力には抗い難い。 こうなったら、なんとしても、315円で手に入れなければ。

  次に行ったのは、ホーム・センターのカインズ・ホーム。 これは、片浜駅から、更に西に行ったところにあります。 もうちょっと行けば、富士市に入るような場所。 ここのカインズは、沼津市内では、最も大きなホーム・センターです。

  日曜の午後の事とて、客でごった返していました。 雨なのに、というより、雨だからこそ、車で行ける郊外の大型店に、人が集まるんですな。 いや、その気持ちはよく分かりますよ。 これといって、買う物が無くても、店に行って、ぶらぶらと商品を眺めていると、気分が晴れてくるものです。

  ネット情報では、「カーペット・コーナーにある」との事だったので、そこへ行ったんですが、カーペットしかありませんでした。 続いて、資材コーナーに行きましたが、そこにも無し。 何かロール状に巻いてあると思って近づいたら、亀甲金網でした。 金網でシートが張れるか! 次のロールは、波トタン。 トタンでシートを張って、座れるか!

  椅子の表皮の張り替えにも使うだろうから、と思って、家具コーナーに行ってみましたが、家具コーナーには、家具が置いてあるのであって、家具の材料を売っているわけではないという、甚だ常識的な事を再認識しただけで終わりました。 やむなく、人混みを縫って、店中探しましたが、結局、どこにも無し。

  青くなりましたよ。 だって、市内で一番大きなホーム・センターに無いとなったら、それより小さな店には、無くて当然という可能性が極めて高くなりますからねえ。 事ここに至って、心中に不安が増幅し始めます。

「もしかしたら、バイクのシートを張り替える奴なんて、ほとんどいないんじゃないの?」

  それどころか、

「もしかしたら、バイクのシートを張り替える奴なんて、半径100キロ以内に、一人も棲息していないんじゃないの?」

  とまで、訝り始めます。 店で探すのを諦めて、ネットで買うべきか・・・。 ネットでなら、通販されているのを確認してありましたが、そちらは、2000円で、純正品ほどではないにせよ、あまり安いという感じはしません。

  この時点で、午後2半時。 まだ時間があるので、念の為、清水町のホーム・アシストにも行って見る事にしました。 ホーム・アシストは、大きさは、沼津のカインズ・ホームと同じくらいですが、系列が違うので、商品も異なる可能性があります。

  ただし、沼津カインズと、清水町のホーム・アシストは、私の家から見ると、正反対の方向にありまして、西の外れから、東の外れに行くくらい、距離感が遠いです。 借りた車で、そんな長距離を走るのは気が進まないのですが、この際、仕方が無いか。

  国道一号に出れば、そのまま東行するだけで、自然に、清水町のホーム・アシストまで行けるので、運転は楽なんですが、国一の清水町近辺は、結構渋滞するのが厄介。 でも、この日は、雨だったためか、車の並びは、それほどではなく、思ったより、時間を喰わずに、到着する事ができました。 3時15分くらいでしたか。

  ただ、着いてからが大変でした。 立体駐車場が満杯らしく、整理係が、ライト棒を振って、入って来る車を全て、平面駐車場の方へ送り込んでいるのですが、彼らは、空きを確認してから入れているわけではないので、中に入った車は、自分で空きを探さなければなりません。 冗談じゃないですよ。 いつ空くか分からないところで、停車して待っているのも邪魔臭いなので、ぐるぐる動き回るのですが、一向に空きが見つかりません。

  10分くらいかかって、ようやく、駐車できましたが、それでも、運がいい方でした。 下手をすれば、諦めて帰らなければならなかったところです。 車から店に向かう途中、私より先に入ったのに、まだ駐車できないで、通路で空きを待っている車を見ましたが、お気の毒に・・・。 私が駐車できたのは、全くの偶然に過ぎず、動き回っていれば、早く見つかるというわけではないのは、経験則で分かります。

  幸いな事に、この店のカーペット・コーナーで、目当ての合成皮革を発見しました。 ありましたよ。 ネット情報は、嘘ではなかったのです。 1メートル、1280円で、私が必要なのは、50センチですから、640円で済みます。 純正の10101円に比べて、何たる安さか!

  色は、黒、灰、赤、白の四色がありました。 私のバイクのシートは、黒と灰のツートンなので、黒でも灰でもよかったんですが、灰色では汚れが目立つという事に気づいて、黒に決定しました。 時間が無いですし、何度も来るには遠いところですから、速やかな決断が必要とされたのです。

  係の人を見つけて、切って貰ったのですが、鋏ではなく、棚にセットする、大きなレール・カッターがあって、それで、スーッと一気に切る光景は、ちょっとしたアハ体験でした。 もちろん、切り口はまっすぐで、綺麗なものです。

  ロールの一番外側の表面に汚れが着いていて、「そのくらいなら、拭けば落ちるだろう」と思っていたんですが、何と、その係の人は、汚れが着いた部分を、40センチほど切り捨てて、綺麗な部分を出してから、私の分を切ってくれました。 職業意識の高い人もあったものです。 昔、文房具屋で、色画用紙を買った時、一番上にあった紙を、折れ目や皺がついているのに、そのまま売ってよこした厚顔なオバハンとは、天地の差です。

「よし、これで、合成皮革は手に入ったぞ。 これさえあれば、張り替えは成功したも同然だな」

  なんでやねん? いや、気分的に、そのくらい、昂揚していたという事です。 次は、タッカーだ。 先に行った、沼津カインズでは、合成皮革が無かった事にショックを受け、タッカーどころではなく、探しもしませんでした。 この、ホーム・アシストでは、工具コーナーに、タッカーがありましたが、職人が使うプロ仕様の製品で、安いのでも、6500円もしました。 いやー、これは、買えんなー。

  この時点で、3時45分。 我が家の夕食は、4時45分からなので、それまでには帰りたいところです。

「なに! そんなに早く食べるのか?」

  いや、私も、そう思いますが、そういう習慣だから、致し方ありません。

「夜中に腹が減らんか?」

  減りますよ。 でも、菓子とか食べますから、さして問題はありません。 いや、そんな事は、どうでも宜しい。 問題は、タッカーです。 この日は諦めて、後日を期そうかとも思いましたが、翌週は早番になるので、勤めの帰りに寄り道できるものの、平日に買い物をするのは、心理的負担になりそうで、気が進みません。

  ふと思いついたのが、ホーム・アシストから少し北上した、旧国一沿いにも、ダイソーの店舗があるという事でした。 小さい店ですが、すぐそこなので、覗いてみる価値はあります。 早速、裏道を抜けて、北上。 8分くらいで、着きました。

  嬉しい事に、ここの工具コーナーで、タッカーを発見しました。 商品名は、≪工作用ホチキス≫でした。 いやあ、店の大きさに関係なく、ある所にはあるんですねえ。 惜しむらく、本体だけで、針がありません。 本体のパッケージ内に、附属の針が入っているものの、多く見積もっても、200本くらいです。 何本使うか分からないので、できれば、補充用の針も欲しいところです。

  店の人に尋ねたら、バック・ヤードに調べに行ってくれましたが、返事は、「今、入荷待ちで、品切れ中です」との事。 うーむ、最初に行った片浜のダイソーには、針だけがあり、ここには、本体だけがあるわけだ。 先に、こちらへ来ていれば、順序良く買えたんですがね。 とりあえず、ここでは、本体だけ買って出ました。 315円。

  時間は、4時。 片浜まで、また戻るわけにはいきませんが、沼津市街にある青山ダイソーになら、旧国一を西進すれば、割と簡単に行けます。 45分あれば、何とかなるでしょう。 行く事に決定。 この日は、雨に追い立てられているせいか、何かと、決断が早かったです。

  4時20分頃、沼津の青山ダイソーに到着。 なんで、青山ダイソーと言うかというと、紳士服チェーンの青山の二階に、ダイソーが店を出しているからです。 沼津市内では、一番大きいダイソーだと思います。 交通量の多い道路に面しているのと、駐車場が狭いのが、玉に瑕ですが。

  ここには、タッカー本体も、針もありました。 最初にここに来れば良かったという見方もできますが、まあ、いいや。 予定していた半日で、必要なものが全部揃ったんだから、終り良ければ、全て良しという事にしましょう。 

  補充用の針は、1200本入りで、105円。 1200本もあれば、どんな失敗しても、足りなくなる事だけは無いでしょう。 問題は、315円のタッカーで、シート本体に針を打てるかという事ですな。 ネット情報では、「充分」という声も聞かれればば、「千円のでも、打てなかった」という意見もあります。 たぶん、タッカーの性能以外に、シート本体側の硬さの違いも関係しているのでしょう。 とりあえず、やってみなければ分かりません。

  青山ダイソーを出たのは、4時30分頃。 家には、4時45分ギリギリに着きました。 時間的には、ほぼ完璧な午後の過ごし方でしたが、ガソリンを相当使ってしまいました。 安い物を探す為に走り回って、高いガソリン代を払っていれば、世話はないか。 いや、父の車なので、私は滅多に給油しないんですがね。


  とりあえず、これで、バイク・シート張り替えの材料と準備は整いました。 善哉善哉。 とりわけ宜しいのが、材料費・道具代が、合計1060円で済んだという事です。 シートごと、純正を買えば、26145円ですから、26分の1です。 泣くほど、安い。 もっとも、張り替えに成功しなければ、更なる出費が発生する恐れがあるのですが・・・。

  張り替え作業は、天気が良くて、気温が高い日が良いとの話なので、土日がそういう条件になり次第、チャレンジしてみようと思います。

2012/07/01

バイク・シート、切れる

  ここ1年ばかり、バイクの修理に関する記事が多いです。 それもそのはず、今乗っているバイクを買ったのは、2002年の5月ですから、すでに、10年選手になっており、あちこちガタが来ても、ちっとも不思議ではないのです。

  ちなみに、先代のバイクは、買ってから8年目に、エンジン・オイルの漏れが止まらなくなり、買い換えざるを得なくなりました。 オイル交換のたびに、エレメント(フィルター)を洗浄していたのですが、その蓋を留めているボルトの穴から、オイルが染み出すので、少しずつ強く締めて行ったら、やがて、ネジがバカになってしまい、オイルがボタボタ漏れるようになってしまったのです。

  エレメントは、エンジンの一番下にあるので、そこから漏れが始まると、止まっている時にも、間断無く漏れるようになり、もはや、日常的に使う道具としては、不適当な状態に陥ります。 家に置いてあるだけなら、エンジン下にトレイを置いて、漏れたオイルを回収しつつ、一週間に一度くらいの頻度で、新しいオイルを足すという対策も取れますが、勤め先の駐輪場では、そんな真似はできません。 買い換えざるを得なかったんですな。

「エンジンの部品ごと、換えてしまったら?」

  と思います? いや、私もそれは考えたんですよ。 でも、バイク屋の話では、バイクの修理というのは、エンジンを車体から下ろすレベルになると、工賃がどーんと高くなるのだそうで、10万以上かかるような話だったので、「もう8年も乗って、あちこち、ボロボロだから、そんなに、お金をかけてまで、延命するのも、馬鹿な話か」と思って、やめたのです。

  で、今のバイクに買い換えたのですが、先代の同轍を踏まぬよう、オイル交換時に、エレメントの洗浄をするのは、やめました。 「洗浄しなくて、大丈夫なのか?」とは、私も思いましたが、実際に、10年もったところを見ると、大丈夫のようですな。 エレメントと言っても、車に着いているような、綿状の物質で濾すわけではなく、金属の網に、大きなゴミを引っ掛けるだけの方式ですから、洗浄しなくても、さしたる障碍にはならんのでしょう。 

  車もそうですが、バイクというのは、ある年数を越えると、いろんな所が、まるで、示し合わせたかのように立て続けに壊れ始めます。 前のバイクも、終りの頃は、あちこち壊れて、上述したオイル漏れ問題が起こる前の時点で、すでに、10万円近く、修理代を出していました。 本体価格が、40万円くらいですから、修理に、4分の1かけてしまったとなると、「買い換えた方が得か?」と、迷い始めるわけです。


  今のバイクも、昨年の3月から、≪ぶっ壊れステージ≫に突入しました。 まず、エンジン・ヘッドからオイル漏れが発生して、修理代が6000円。 8月には、電気系統が壊れて、エンジンがかからなくなり、5万円が飛びました。 12月に、前後タイヤを自力交換して、13000円。 今年に入って、スピード・メーター・ケーブルが切れ、部品代が1300円。 5月には、フロント・ブレーキ・ディスクが割れ、パッドと合わせて、部品代が3000円ちょい。 この間に、ヘッド・ライトのバルブが、三回切れ、テール・ライトのバルブも一回換えました。 まあ、バルブ類の値段は、大した事はありませんでしたが。

  いやあ、こうして、列挙すると、壊れまくってますなあ。 勤め先で、「まーた、壊れちゃいましたよ~」と、自虐型の話題にするにはいいんですが、通勤を正常に続ける為には、否が応でも直さなければならず、面倒この上無いです。 バイクそのものを買い換えてしまえば、状況は一気に改善しますが、それにも、二の足を踏む理由があります。

  勤め先の工場が、いつ閉鎖になるか不透明なので、新しいバイクを買った場合、寿命半ばで不要になってしまう可能性があります。 会社が倒産しなくても、工場が閉鎖されてしまえば、他工場に移籍する事になりますが、岩手か宮城にしか工場は無いので、移住するか、会社を辞めるか、人生の岐路に立つ事になります。

  もし、移住した場合ですが、東北地方では、バイクは有効な移動手段ではありません。 冬場、雪が降ると、全く使えなくなってしまうからです。 バイクどころか、自転車にも乗れません。 車を買う事になれば、ケチな私の事ですから、バイクを趣味で持ち続けるという事はしないでしょう。

  一方、思い切って、会社を辞めた場合、もう、働くつもりは無いので、通勤の必要もなくなり、やはり、バイクは不要になります。 買い物に行くくらいなら、自転車で充分です。 私にとって、バイクとは、ほぼ100%、通勤用具なんですな。 連休にツーリングに行くのは、全くのオマケ的用途なのです。

  バイクというのは、趣味で持っていると、ツーリングにしか使えないのですよ。 自転車なら、普通の服装で乗れますが、バイクを出すとなると、メットはかぶらにゃならんし、手袋はしなきゃならんし、服は夏でも長袖を着なきゃならんし、冬は冬で、全身防寒しなきゃならんしで、もう大変。 その上、カゴなんて付いていませんから、ちょっとした買い物でも、リュックを背負わねばなりません。 手軽さに欠けるのです。

  いや、私の勤め先は、今のところ、倒産するような気配は感じられませんし、工場閉鎖の話は、時折、噂が流れるものの、現状では否定されており、こんな心配をするのは、杞憂に過ぎないかもしれませんが、一応、用心しておくに越した事はありません。

  もし、倒産も工場閉鎖も無かった場合、私は、バイク通勤を続ける事になりますが、それも、結局は、定年までの話。 で、1台10年もつとして、計算すると、もう1回買い換えれば、定年まで乗れるわけですが、今すぐ買い換えると、10年以上あるので、1台では足りなくなる恐れがあります。 できれば、あと、3年くらい、今のバイクを生き長らえさせたいところ。

  もっとできれば、あと、13年くらい、延命させられれば、もう買い換えなくて済むわけですが、さすがに、そこまで望むのは、神をも恐れぬ強欲か。 いや、強欲とは言いませんかね? 強欲というのは、次から次へ、新しいバイクを欲しがる輩の事を指すのに相応しい言葉でしょう。 私の場合、「買いたくない」と、言っているわけですから、正反対です。


  ・・・といった事を、チマチマ計算しながら、乗っているわけですが、先週、また、問題が発生しました。 今度は何だ? シートの表皮の継ぎ目が、切れ始めたのです。 うーわっ! もう、勘弁してくれよ。 ヤマハよ、どうして、継ぎ目のあるシート表皮など使うのだ。 一枚革で、出来るだろうに。

  今のところ、まだ、縫い目の糸が見える程度ですが、15センチくらい、切れ目が広がっており、このまま乗り続ければ、いずれ、バカッと口を開いてしまうのは、火を見るよりも明らか。 バイクの外見で、何がダサいといって、シートが破れて、スポンジが食み出しているのが、一番ダサい。 それだけは、避けたい。

  また、見てくれだけでなく、シート表皮が切れると、そこから、雨水が浸みて、スポンジが腐り始めます。 乗るたびに、ズボンが濡れるというのも、是非、避けたいところ。 家に置いてある時には、バイク・カバーをかけてあるからいいとして、乗っている最中や、会社にの駐輪場で雨に降られた場合、シートを濡らさずに済ますというわけにはいきませんからのう。


  最初に思いついた対策は、100円ショップで売っている、バイク・シートの補修テープを貼る事。 確か、どこかの店で見ました。 今日、行ってみたところ、近所の100円ショップには無かったのですが、ネットで調べたら、ダイソーの品で、そういうのがあるとの事で、それなら、駅北まで行けば、すぐ手に入ります。

  ところが、ネットで分かった事は、それだけではなかったのです。 さすが、安いだけあって、あまり、密着性が高くないらしく、真ん中を押すと、端が剥がれてくる率が高いとのこと。 これは、ダイソーの品だけではなく、ホームセンター扱いの高い物でも、似たり寄ったりの欠点があるらしいです。

  困った事がもう一つ。 私のバイクは、シートが、黒と灰色のツートンなのです。 そして、黒い部分と灰色の部分の境目が裂け始めているのです。 補修テープは、黒ですから、それを貼るとなると、灰色部分にも黒い補修テープが、ベタッとかかる事になり、想像するだに、貧乏臭い。 当て接ぎだよ。 アップリケだよ。 昭和中期の子供の服だよ。

  「いっそ、シートだけ買い換えては?」と思って、ヤマハの製品サポートを調べたら、在庫はあるものの、シート全体だと、26145円! 冗談はよせ、そんなに出せるか。 しかし、その下位項目に、シート表皮のみというのがあり、そちらは、10101円。 それでも高いですが、一応、半額以下ですな。 どうやら、バイクのシートというのは、表皮だけ張り替える事ができる模様です。

  で、更に、「バイク シート 張り替え」で、ネット検索してみたら、おやおや、結構、引っ掛かって来ましたよ。 いるんですねえ、自分で張り替える人が。 しかも、メーカー純正のカバーではなく、切り売りの合成皮革を買ってくれば、それでも行けるとの事。 合成皮革は、1000円くらい。 他に、≪タッカー≫という、ホチキスの親分みたいな器具が必要で、それも、1000円くらいとの事。 つまり、2000円あれば、張り替えられるわけだ。

  ここまで調べた段階で、もう、「自分でやるしかない」と腹を括りました。 しかし、失敗すると、翌日からバイクを使えなくなってしまいますから、おいそれとは取り掛かれません。 夏の連休を待つか、それ以前にやるとしても、充分な準備が必要です。

  だけどねー、今着いている純正のシートには、両サイドの後ろの方に、≪YAMAHA≫のロゴが入っているんですよ。 切り売りの合成皮革には、もちろん、そんなものは入っていないわけで、そこが、ちいっと、残念ですな。 いや、まだ、張り替えられるかどうかも分からないのに、今から、そんな事を残念がるのも、変といえば、変ですがね。

  実際に張り替えたら、また、その時、報告します。