2015/03/29

読書感想文・蔵出し⑩

  前回、書きかけたので、忘れない内に、書いてしまいます。 北海道応援期間中に、向こうで読んだ本の感想です。 応援に行っていた期間は、2013年10月末から、2014年の一月半ばまででした。 暮れ・正月を挟んでいた事が、向こうで本を読む事になった理由に、少し関わって来ます。

  行く前の段階では、私は、「小松・筒井作品 文庫本蒐集計画」の遂行中で、読む本は、手元にいくらもあり、図書館には通っていませんでした。 それが、北海道応援が決まると、赴任先である苫小牧市の図書館について、予め調べ、借りる本のリストまで作って行きました。 そのわけは、まず、手元に読む本があるからと言って、本のように重い物を、北海道まで運んだり送ったりするのは、ナンセンスだと思ったからです。

  会社から支給される宅配便料金の限度額を超え、自腹を切って、プチ引越しかと思うような、大荷物を持ち込んでいる人もいましたが、私に言わせれば、たかだか、2ヵ月半の為に、そんなにお金をかけるのは、勿体ないの一語に尽きます。 私の荷物は、宅配便で送ったのが、120サイズのダンボール箱二つと、あと、キャスター付き旅行鞄を一つ、自分で持っていただけでした。 IHクッキング・ヒーターとか、ビデオ・デッキとか、大物があったので、本なんか入れるゆとりは、全くありませんでした。

  図書館を利用した、もう一つの理由は、応援途中の行き来は旅費が自腹になる関係で、暮れ・正月に沼津へ帰って来る気がなかったので、10日間くらいある年末年始休暇を過ごすのに、向こうで、読む本がなければ、きついだろうと思ったからです。 北海道の冬というと、雪に立て籠められるに違いないから、あちこち遊びに行く事などできないと、決め込んでいたのです。 雪で出かけられないというなら、図書館にも行けない事になりますが、まあ、図書館くらいなら、街なかだから、歩いてでも、何とかなるだろうと、自分に都合のいい予想を立てていたわけです。

  しかし、これらの予想は、いくつか、斑らに外れました。 年末年始休暇は、向こうに行ってから、旅費に会社の福利ポイントが利用できる事が分かり、飛行機のチケットを手に入れて、沼津に帰って過ごす事ができました。 雪の方ですが、苫小牧は、北海道一、雪が少ない地域で、雪のせいで出かけられないという事は、私がいた間中、一回もありませんでした。 一月になってからも、自転車に乗っていたくらいですから。 どこでも、土地の事情というのは、住んでみなければ、分からないものですな。

  苫小牧にも、ブック・オフがある事は、分かっていたので、文庫本蒐集計画も進めるつもりでいましたが、恐らく、未読の本は、ほとんど、手に入らないだろうと踏んでいました。 この予想だけは、的中します。 苫小牧の古本屋で買った本を挙げますと、

≪首都消失 下巻≫ (ハルキ文庫)
≪アメリカの壁≫ (ケイブンシャ文庫)
≪さよならジュピター 上巻≫ (ケイブンシャ文庫)
≪小松左京ショートショート全集①≫ (ケイブンシャ文庫)

≪将軍が目醒めた時≫ (新潮文庫)
≪馬の首風雲録≫ (文春文庫)
≪ネオ・ヌルの時代 PART2≫ (中公文庫)
≪霊長類 南へ≫ (講談社文庫)

  の、8冊で、この内、未読なのは、≪馬の首風雲録≫と、≪ネオ・ヌルの時代 PART2≫だけでした。 この2冊は、11月3日に、「ブックオフ・苫小牧柳町店」で、同時に買い、すぐに読みましたが、案の定、十日程で、読み終わってしまいました。 で、11月12日が、有給休暇で休みだったので、図書館まで行き、アルツィバーシェフの、≪サーニン≫から借り始めたという流れです。

  細かい事を書きますと、図書カードを作ってもらったのは、もっと前で、11月4日の事。 最初に、苫小牧図書館に行ったのは、更に、その前日の、11月3日だったのですが、カードを作るには、寮の住所が分からないと駄目だと言われ、次の日に出直したんですな。 出直すと言っても、まだ、自転車を手に入れていない頃だったので、寮から図書館まで、一時間も歩かねばならず、大変でした。 4日は月曜日でしたが、この日は「ハッピー・マンデー」という、会社のカレンダー上の休みだったのです。 たぶん、一般世間でも、何かの祭日だったのではないかと思います。

  2010年に、岩手応援に行った時に、金ヶ崎図書館でも、カードを作ってもらいましたが、その時には、寮の住所ではなく、自宅の住所 を訊かれました。 もし、本を返さないまま、来なくなってしまった場合に、問い合わせる先を知りたかったらしいです。 苫小牧の方では、そこまでは考えていない様子で、割と、事務的に手続きが進みました。 苫小牧から離れる時には、また、手続きに来れば、記録を抹消すると言われましたが、図書館のデータから、個人情報が漏れたとしても、どうせ、大した事は書いていないので、知れているだろうと思い、そのまま、カードを持ち帰って来ました。

  借りる本のリストを作って行ったというのは、行く直前に、筒井康隆さんの、≪壊れ方指南≫という本の中に入っている、【耽読者の家】という短編を読み、知られざる名作に興味が湧いたので、作中に出て来る本を書き出し、苫小牧図書館のサイトで、検索をかけて、ある本を確かめておいたのです。 10作品くらいは、調べておいたのですが、実際に読めたのは、三作品だけでした。 観光もしなければならなかったので、時間を捻出できず、長編は、そんなに読めなかったのです。


  で、これから、感想を書くわけですが、なにせ、もう、一年以上、時間が経っているので、細かい事は、覚えていません。 あまり、いい加減な事も書くのも無責任ですから、沼津の図書館にあるものは、見直してみましたが、長編は、とても読み直せないので、パラパラめくって、大体のストーリーを思い出した程度。 冊数も、かなりある事ですし、テキトーに、ざーっと片付けますが、あしからず。



≪馬の首風雲録≫

文春文庫
文芸春秋 1980年(初版発行)
筒井康隆 著

  筒井康隆さんの、初期の長編。 1966年から、67年にかけて、≪SFマガジン≫に連載されたもの。 大昔ですなあ。 地球暦の24世紀、馬の首星雲にある、犬の顔をした知的生命体が住む惑星と、その隣の殖民惑星を舞台に、国家軍と共和国軍の戦争が、地球人の干渉を受けながら進行する中、「戦争婆さん」と呼ばれる商人の息子四人が、それぞれ、違った形で戦争に関わり、翻弄されていく様子を描いた話。

  いやあ、読んだのが、2013年の11月初旬ですから、1年4ヵ月も経っているわけで、さすがに、記憶が曖昧になっていますなあ。 幸い、この本は、買った物なので、今、手元にあるのですが、簡単に読み直せるほど、短くもなければ、中身が薄くもありません。 この本には、「あとがき」と「解説」があり、そこから、使えそうな所だけ抜き出せば、数段落の感想文くらい、容易にデッチあげられるのですが、それをやったら、評者として自ら首を絞める事になるので、やらない事にして、参考にする程度にしましょう。

  あとがきによると、戦争に関する、筒井さんの全ての思いを投入した作品であるとの事。 筒井さんは、昭和9年生まれで、終戦の年に、やっと、小学5年生。 疎開していたので、空襲も直截には経験していないのではないかと思います。 もちろん、戦場で戦った経験はなし。 なので、この作品を書くにあたり、過去の様々な文学作品や文芸作品をデフォルメして、コラージュしたのだとか。 なるほど、言われてみると、そんな感じです。

  よく言えば、いいとこどり。 悪く言えば、寄せ集め。 参考にした物には、映画も相当、含まれていると思われ、どこかで見たような場面が、基本ストーリーの中に、幾つも嵌め込まれているのが分かります。 読んでいる間中、「似たような世界観の作品を読んだ事があるな」と思っていたんですが、後で、≪虚航船団≫が、それだと気づきました。 ≪虚航船団≫の方が、ずっと後に書かれたのですがね。 そちらが、世界史のパロディーであるのに対し、こちらは、一般的な戦史のパロディーと見る事もできます。

  ただ、≪ベトナム観光公社≫や、≪通いの軍隊≫のような、戦争を茶化すようなパロディーではなく、物語の展開は、至って、真剣。 SFの枠を借りて、架空の戦記を書いたわけです。 90年代に、食い詰めたSF作家どもが飛びついて、日本社会に計り知れない害毒を垂れ流した、「仮想戦記物」とは違い、歴史そのものを創作しているので、現実に存在する、どの国を批判しているとか、どの民族をあてこすっているとか、そういう事は感じられません。

  戦争賛美をしているわけでもなく、戦争批判をしているわけでもなく、起こった事を、客観的に書き記す立ち位置を保っていますが、戦闘場面になると、作者自身が、興奮し、感動し、のめり込んでしまって、「泣きながら書いたのではないか?」と疑われる箇所が、ちらほらあります。 平均的な感性を持った読者なら、貰い泣きするところですが、私の場合、過去に、さんざん、戦記物を読んでいたので、そういう事はなかったです。

  明治以降の日本文学は、ほとんどが、スカですが、唯一、読むに値するカテゴリーがあり、それが、「敗戦文学」です。 実際に、戦場に行っていた人達が、帰って来て、自身の体験を記したもの。 小説とは限らず、日記が多いですが、とにかく、外れがないくらい、凄まじいです。 なにせ、大人と子供くらい力の差がある戦争だったので、負け方も極端で、生きながら地獄を見た兵隊が、うじゃうじゃいて、それを、そのまま書いたものだから、戦場を知らないない人間が読むと、鬼気迫る内容に、戦慄を禁じ得ません。

  そういうのを読んでいると、創作は、やはり、創作の限界を超えられないと感じるのです。 逆に言えば、創作の限界が、最もよく表れてしまうのが、戦記物という事になるでしょうか。 実体験があるかどうかで、内容の濃さが、極端に変わってしまうカテゴリーなんですな。 ≪馬の首風雲録≫は、悪い小説とは言いませんが、戦争について、誤解を深めてしまう読者もいると思うので、あまり、薦めません。 まず、「敗戦文学」を、いくつか読んでからにした方がいいと思います。



≪ネオ・ヌルの時代 PART2≫

中公文庫
中央公論社 1985年
筒井康隆 編

  筒井さんが作った、SF同人誌、≪NULL≫を、10年後に復刊した、≪新 NULL≫で募集した短編やショートショート作品に、筒井さんが寸評を加えたもの。 ≪新 NULL≫は、1975年前後に出版されていたらしいですが、詳しい事は分かりません。 いずれにせよ、今となっては、大昔の事です。 ≪PART2≫の収録作は、一編だけ短編で、あとは全部、ショートショートです。

  ≪PART2≫に関してのみ言えば、よくもまあ、これだけ、駄作ばかり集まったものだと、感心してしまうような陣容でした。 駄作と言うのも、おこがましく、スカ・ゴミと言っても、言い過ぎには程遠い。 私でも、もそっと、マシなものが書けそうな気がしますが、私だったら、このレベルの作品が出来上がったとしても、他人には見せません。 まして、プロの目に曝すなど、連続500回、首を括っても追いつかぬほど、恥ずかしい。

  ≪ショートショートの広場≫収録作と比べると、あまりにも、ひどい。 普通のコンテストなら、編集者による一次選考で落とされるレベルですな。 そんな事は、筒井さんも、劇痛でのた打ち回るほど分かっていたはずですが、同人誌である建前上、落とせなかったのでしょう。 「作品よりも、寸評の方が面白い」と言われたそうですが、そんなのは当たり前でして、そもそも、応募作の方は、小説どころか、文章の書き方も知らないような連中が書いているのですから、筒井さんの寸評に敵う道理がありません。

  ≪PART2≫で、まともな作品と言えるのは、夢枕獏さんの、≪魔性≫だけです。 他が、スカばかりなので、突然、これが出て来ると、びっくりします。 灰とダイヤモンドというか、掃き溜めに鶴というか、そんな存在。 だけど、夢枕獏さんも、≪新 NULL≫のレベルが、どの程度か分っていたら、応募しなかったんじゃないでしょうか。

  その余の方々は、その後、どうなったのか知りませんが、もし、穴を掘って、隠れているのだとしたら、この本が、この世から一掃されてしまうまで、ずっと隠れていた方がいいと思います。 自分で買い集めて、焼き捨てるというのも、有効な処置法ですな。 みんなで手分けしてやれば、死ぬまでには、恥の証拠を、全て、湮滅できるんじゃないでしょうか。



≪サーニン≫

ロシア文学全集 29 ≪アルツィバーシェフ サーニンほか≫
日本ブック・クラブ 1971年
ミハイル・アルツィバーシェフ・他 著
昇曙夢・他 訳

  【サーニン】は、筒井さんの短編、【耽読者の家】に出て来た作品。 この本には、他の作者の作品も入っていましたが、そちらは、読みませんでした。 いや、全部、読む気で借りたんですが、【サーニン】が、思ったほど、面白くなかったので、他を読む気がなくなってしまったのです。 ロシア文学は、ある程度、長さがないと、良さが発揮できない傾向がありますな。

  それらはさておき、【サーニン】です。 都会から、生まれ故郷の町に帰って来た青年が、人生の意味について悩む、同年代の男女の中で、自分の率直な欲求の侭に生きる方針を貫き、友人の恋人と性交渉に及んだり、妹を陵辱して捨てた騎兵大尉を殴りつけたり、やりたい放題やって、直接間接に、自殺する者を続出させた挙句、自ら、町を後にする話。

  お、しまった、これでは、ネタバレになってしまうかな? いや、この本を読もうという人が、そんなにいるとは思えないから、大丈夫かな? まあ、いいか、「ストーリーなんて、小説の価値とは関係ない」と、カート・ボネガットさんも、言っていたし。 なに、そんな事、言ってなかったって? いや、そんなような事を言っていたのです。

  でねー、この小説、1907年の発表当時は、大変な問題作と見做されて、特に、主人公サーニンの、極端な行動優先主義が、「サーニン主義」と呼ばれて、一大流行を巻き起こしたというのです。 あれこれ、理屈を考えるより先に、やりたいと思った事をやってしまうという、陽明学みたいな考え方ですな。 その事で、作品の名が残ったと言っても良いらしいです。 だけど、当時は当時、今は今でして、その間、百年の変化は大きい。 今、読むと、そんなに騒ぐほど、極端な考え方とは思えないんですわ。

  いやいや、百年前であっても、こういう考え方の人は、結構いたと思うんですよ。 一般市民には、珍しかったかも知れませんが、犯罪者の中になら、いくらでもいたはずです。  サーニンが、犯罪者的考え方を持ちながら、犯罪には走らず、あくまで、一般市民として暮らしていたから、そこに、落差が感じられたんでしょうかね? よく、分かりません。 この作品に感動する人というのは、生きて行く上で、自分自身に対して、かなり厳しい戒めを課している人なんじゃないでしょうか。 だから、サーニンが、ぶっとんだ人間に見えるのでしょう。



≪従妹ベット≫

バルザック全集 19
東京創元社 1974年
オノレ・ド・バルザック 著
水野亮 訳

  19世紀のフランスを代表すると言われている文豪、バルザックが、1846年に、新聞連載の形で発表した作品。 小説群、≪人間喜劇≫の中の一編で、更に、≪従妹ベット≫と、≪従兄ポンス≫を合わせて、≪貧しき縁者≫という、セット名が与えられているそうですが、そういう事は一切知らなくても、この小説を読むのに、何の障碍もありません。

  どうも、バルザックという人は、壮大な構想に取り付かれていたらしく、自作を体系化して、登場人物達を密接にリンクさせ、時代そのものを描き取ろうと目論んでいたようなのですが、そういう大風呂敷を広げた人というのは、大抵、道半ばで死ぬものと相場が決まっており、この人も、その例に漏れません。

  それはさておき、≪従妹ベット≫です。 「ベット」というのは、主人公の名前、「リズベット」の略愛称。 婚期をとっくに過ぎた、醜くて貧しい女が、貴族の夫人になった従姉に、以前から嫉妬心を燃やしていたのが、その夫人の娘に、自分が養っていた若い芸術家の男を取られた事で、いよいよブチ切れて、復讐を誓い、とある妖艶な人妻を仲間にして、夫人の夫や、若い芸術家を誘惑させ、夫人の家庭を破壊しようとする話。

  実際には、もっと複雑で、登場人物も多いです。 その夫人の夫というのが、女癖が異様に悪い男でして、この家庭が壊れた理由は、ベットの策謀だけでなく、この夫の性格が大きな原因になっているのではないか?とは、誰もが感じる事だと思います。 夫がそういう人間ですから、夫人の方も、幸せなはずがないのであって、ベットが嫉妬するほど、良い暮らしをしていたわけではないのですが、そこは、ちょっと皮肉なところですな。

  二段組みで、425ページもあり、かなりの長さなんですが、飽きる事がありません。 つまり、面白いのです。 悪意を持った主人公が、密かに策を巡らすという、隠微な雰囲気が、妙に、人の心を魅惑するのです。 もしかしたら、私の性格が、ひねているから、こういう話を面白いと感じるのであって、素直な読者だと、顔を顰めるんでしょうか? 素直な性格になった事がないので、私には分かりません。

  ベットは、一応、主人公ですが、文体は三人称で、ベットの立場に偏って書かれているわけではないで、誰に感情移入して読むかによって、中心人物は変わって来ます。 感情移入と言っても、批判的に見る場合と、共感する場合があり、私は、ベットに共感して読みましたが、夫人に共感した人は、「ベットなんか、主人公じゃない」と思うでしょう。 こういう複雑な人物相関を持つ小説の読み方は、人それぞれになります。

  確かに、面白いとは思うものの、この作品が、「バルザックの最高傑作」と言われると、「え、その程度の人なの?」とも、思ってしまいます。 バルザックから影響を受けたという、トルストイの作品と比べると、題材が下世話な上、作り話っぽくて、まだまだ、前世代の尾を引きずっている感じがします。 ほぼ同時代の人、スタンダールの≪赤と黒≫(1830年)と比べても、16年後に出た小説とは思えないくらい、古臭いです。

  スタンダールと言えば、なんでも、バルザックは、≪パルムの僧院≫(1839年)を絶賛していたそうですが、それは、穿ってみれば、納得できる話でして、≪パルムの僧院≫に比べれば、≪従妹ベット≫の方が、上だと思います。 すなわち、≪パルムの僧院≫を誉めるという事は、「自分の作品は、もっと上だ」と言っている事になるわけだ。 ≪赤と黒≫について、バルザックが、どう思っていたのかは分かりませんが、ほとんど、心理描写だけで成り立つ小説というのが、理解できなかった可能性はありますな。 ≪従妹ベット≫を読むと、物語を作るのが巧い人が、巧いが故に、型に嵌まってしまい、新しい表現を開拓できなかった、そんな感じがするのです。

  あと、人によっては、別段、気にならない事かも知れませんが、私には引っかかる点があります。 終りの方で、妖艶な人妻を殺す為に、ブラジル由来という、ある感染症が使われるのですが、その病名が、はっきり書いてないのです。 恐らく、架空の感染症を創作したものと思われます。 なぜ、架空にしたかというと、まず、毒婦に天罰が下った事を印象付ける為に、想像を絶するくらい、惨たらしい病状が欲しかった。 次に、医者に治されては困るので、現実に存在する病気では、都合が悪かったのでしょう。 だけど、これは、正に、御都合主義としか言いようがないものでして、作品全体を胡散臭いものにしてしまいます。

  地球上に、まだまだ、未知の領域が多く残っていた当時なら、通用したのだと思いますが、今から見ると、非科学的としか思えません。 そういや、コナン・ドイルは、バルザックの小説が嫌いだったそうですが、≪シャロック・ホームズ≫シリーズには、よく、架空の病気を出していますな。 それが、あのシリーズの、数少ない欠点の一つになってしまっているのですが。 半世紀近く後なのに、まだ、通用していたというのが驚き。 19世紀というのは、進歩がゆっくりしていたんでしょう、きっと。



  「テキトーに、ざーっと片付ける」とか何とか、大きな口を叩いておきながら、随分、長くなってしまったので、二回に分けます。 面目次第もない。 なにせ、引退者の身で、毎日毎日、弩閑ぶっ託っているので、一旦、書き始めると、知らず知らず、長くなってしまうのです。 これは、一種の病気ですな。 しかし、こんなに、長々と文章を書き連ねても、私が死んでしまえば、みんな、ネットの海に沈んで、消えて行くんだろうなあ。 無駄なエネルギーである事よ。

  次回こそは、テキトーにやっつけますから、期待していて下さい。 読んでから時間が経っていると、印象が磨耗して、感想の中身まで薄くなる事が、今回の経験で、何となく掴めましたから、たぶん、大丈夫です。 なにせ、内容を全く覚えていない本もあるくらいですから、絶対の自信があります。


  ところで、書籍情報の発行年についてですが、≪馬の首風雲録≫と、≪ネオ・ヌルの時代 PART2≫は、手元にある本を見たから、正確です。 ≪従妹ベット≫は、同じ本が、沼津の図書館にあり、それを確認したから、これも正確。 問題は、≪サーニン≫で、沼津では蔵書がなくて、苫小牧図書館のオンライン・データに拠ったので、そちらが間違っていたら、それまでです。

  なぜ、疑うのかというと、≪従妹ベット≫の方が、沼津図書館の現物では、1974年になっているのに、苫小牧のデータの方では、1979年になっているからです。 打ち込み間違いなのか、苫小牧にある本が重版されたもので、そちらの発行年を打ったのかは、不明。 ちなみに、アマゾンでは、1974年になっていました。 前回も書きましたが、データが食い違っている場合、どれを信用していいのか分からないのが、いっちばん、困る。 こればっかりは、多数決で多い方を取る、というわけにも行きません。

  考えてみると、本が出版された年なんて、作品そのものとは無関係ですから、省いてしまってもいいんですが、今まで添えて来たのに、ここへ来てやめるのも、何となく、自分に対して妥協しているような、嫌な感じがするのです。 どうも、歳を取ると、変なところに、拘りが出来て、いけません。

2015/03/22

読書感想文・蔵出し⑨

  今回も、読書感想文です。 ≪未成年≫は、2013年6月に読んだもの。 その後、私は、「小松・筒井作品、文庫分収集計画」に着手し、図書館とは、しばらく、縁が切れます。 それ以外の三冊は、一年間以上、飛んで、2014年7月に、読んだ本です。 実は、その間にも、買い入れた、小松・筒井作品を、何冊も読んでいるんですが、感想文を書かなかったから、出せないという事情。 なにせ、文庫本蒐集計画に続いて、北海道応援、岩手異動と、厄介事が続き、バタバタしまくって、感想文を書く気分になれなかったのです。



≪未成年≫

ドストエーフスキイ全集 11
河出書房新社 1969年
ドストエススキー 著
米川正夫 訳

  河出書房新社の≪ドストエフスキー全集 11巻≫に収められている、2段組600ページの長編。 順番的に言えば、≪悪霊≫の4年後、≪カラマーゾフの兄弟≫の5年前に書かれたもので、ドストエフスキー・後期五大長編の一つだそうです。

  貴族の実父を持ちながら、母親が戸籍上、別の男の妻だったために、私生児として、施設に預けられて育った青年が、秘書として形式的に勤めていた、実父の友人の老公爵の家で、遺産相続に関わる秘密の手紙を手にしてしまい、老公爵の娘と、老公爵と結婚しようとしている自分の異腹の姉の間で、振り回される話。

  いや、実際には、もっと複雑で、このあらすじは、一番外側の枠を説明したに過ぎないのですがね。 主人公の青年が、題名の未成年でして、中学(現代日本で言えば、高校も含む)は卒業したけれど、大学へはまだ行っていないという年齢。 彼の一人称で物語が語られるのですが、この作品の場合、語り手が、同時に、主人公でもあります。

  ところが、巻末に添えられていた訳者による解説を読んだら、「主人公は、青年の実父」と書いてあって、仰天しました。 さすがに、それはないでしょう! これだけ、語り手が自分の事を中心に語っていれば、余人が主人公という見方は、穿ち過ぎているとしか思えません。 青年の実父は、確かに、作中で最も注目に値するキャラクターで、露出も多いですが、主人公と見るには、話の中心軸から、ずれ過ぎています。

  で、主人公の青年ですが、正直な感想、「こいつ、アホちゃうか?」というような人物でして、やる事なす事、語る事、全て、奇矯というか、突拍子もないというか、人格に尋常さが感じられません。 他の人物からは、「まだ、子供だから」というような扱いをされているのですが、いやいやいや、もう、仕事をするような年齢になっているのに、こんなに落ち着きがない気質では、この先、一生、もう変わりゃしないでしょう。

  ≪白痴≫の主人公は、その実、馬鹿でも何でもなく、ただ、純粋な心を持っているだけの人物でしたが、この≪未成年≫の主人公には・・・、いや、彼にこそ、「馬鹿」という形容が、ぴったり当て嵌まります。 ≪白痴≫で、馬鹿を描き切れなかった作者が、≪未成年≫で、捲土重来を期したのではないかと思うくらいです。 どうして、そんなに、馬鹿に拘るのか、その点は理解し難いですが・・・。

  軽薄で、口が軽く、相手が誰でも、秘密でも何でも、べらべら喋ってしまう。 生業がなく、借金があるくせに、賭博狂い。 その割に洒落者で、外見を着飾り、綺麗な女にはすぐに言い寄る。 更に、恐喝を業とする、ろくでもない友人がいる。 ・・・というだけでも、充分有害ですが、最も始末が悪い事には、生半可で皮相な教養があるため、他人に持論をぶつけて、やりこめるのが大好きという、もう、救いようのない、馬鹿さ加減。

  この物語は、老公爵の遺産相続を巡る事件が解決してから、半年後に、過去を振り返って書かれたという形式になっており、主人公は頻りに、当時、自分の取った行動・言動を反省し、恥じ入っているのですが、なーに、こんな人間の性格が、半年ばっか経ったくらいで、直るわけがないのであって、書いている時にも、依然として、つける薬のない馬鹿だったに相違ありません。

  主人公の実父ですが、この人も、相当には問題がある人物で、女癖が悪く、あちこちに私生児を作っている模様。 終わりの方になって、唐突に老公爵の娘に言い寄る場面など、何だか取って付けたようで、作者が、プロットをちゃんと考えていたのか、疑いたくなります。

  この実父に関しては、最後まで、どういう人間なのか、理解の限度を越えます。 なにやら、二重人格を仄めかすような事も、終りの方で書かれていますが、それならそうと、もっと、早い段階で知らせてくれなくては・・・。 いや、二重人格であったとしても、なぜ、この物語に、そういう人物が必要だったのか、説明はつかないのですが・・・。

  女性は、主要なところで、5・6人出て来ますが、タチヤナという、主人公の伯母さんが、一番、性格がはっきりしています。 ドストエフスキーは、若い女性というと、みんな、聡明な美人にしてしまう傾向がありますが、彼女らは、判で押したようなキャラで、ちっとも面白くありません。 歳が行った女性に対する観察眼の方が、遥かに優れていたんでしょうねえ。

  馬鹿が語り手なので、話も、あっちへ飛んだり、こっちへ飛んだり、目まぐるしく舞台が変わり、展開の先読みを許してくれません。 しかし、いろいろと、引っ掛かる所は多いものの、話自体は、≪白痴≫よりは、面白いです。 馬鹿を馬鹿として、完璧に描き切っている点が、明快で宜しい。 ≪悪霊≫よりは、幾分、劣るでしょうか。 スチェパン氏のように、好感が持てる人物が出ていないと、長編で読者の興味を引き続けるのは、難しいですな。

  ドストエフスキーの小説は、ストーリーだけ知っても意味がなく、膨大な量のセリフに盛り込まれた、≪思想≫を読み解く事で、真の価値が味わえるのかもしれません。 ちなみに、ドストエフスキーの作品を映画化すると、セリフだらけになって、およそ、不自然な会話になります。 ある意味、小説という形でしか、表現できない内容と言えるかもしれませんな。



≪都市と星≫

ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2009年
アーサー・C・クラーク 著
酒井昭伸 訳

  ≪2001年宇宙の旅≫の原案者、アーサー・C・クラークさんの初期の代表作。 遥か未来、宇宙に進出した地球人は、銀河帝国を作るほど繁栄した後、侵略者との戦争に負けて、地球に逃げ帰り、常に10万人だけが暮らす都市に籠って、10億年の時を過ごすが、ある時、外の世界を知りたい衝動に駆られた青年が、都市創成期に作られた通路から外へ出て、超能力者達の村を見つけ、更に、帝国時代に作られた宇宙船に乗って、銀河を巡り、地球人が宇宙から撤退した、真の理由を知る。 ・・・という話。

  こう書いても、「壮大な話らしいな」という以外、何も伝わらないと思いますが、実際そうでして、私は、小松左京さんの、≪天変地異の黙示録≫という新書本の中にある、ユートピアについて論じた章の中で、この作品の存在を知ったんですが、そこでは、もっと詳しく紹介されていたものの、「とにかく、壮大な話らしい」という事しか受け取れませんでした。

  実際に読んでみたところ、小松さんが高く評価しているだけあって、確かに面白いです。 テーマが深遠である一方で、クラークという人は、読み易く、分かり易い語り口を身上にしているため、読者の興味を小刻みに引っ張っていく技術に長けていて、どんどん、ページが進みます。 読み始めると、止まらなくなって、時間が経つのも忘れ、一気に最後まで読んでしまうという類の本なのです。

  ただ、物語全体を見渡すと、そんなに出来のいい話とは言えません。 都市を脱出し、超能力者達の村まで行くだけでも、冒険物として、充分に面白いのに、そこから更に、宇宙船に乗って、銀河の中心まで行ってしまうというのは、舞台の広げ過ぎとしか思えません。 そういう事をやってしまうと、相対的に、前半の冒険が、取るに足らない事のように見えて、白けてしまうのです。 クラークさんの小説は、他のも、みんな、似たような欠点を持っていて、「アイデアは一流、ストーリーは二流」になってしまっています。

  追求しているテーマも、大き過ぎ。 つまり、欲張り過ぎ。 人類が、「純粋な精神」を作出する件りなど、都市とも星とも、まるで関係ないと思うのですが、どうしてこう、余計な物を出すかなあ? 一つの物語を作りたいというより、その時、頭の中に思いついていたアイデアを、手当たり次第、全部盛り込んでしまったという感じがします。 いいのか、これで・・・。

  登場する「都市」は、小松さんが指摘しているように、ユートピアの究極の姿としては、興味深いのですが、それと、作品全体の完成度とは、また、別の話でして、「自ら作った殻を、打ち破っていくのが、人類だ」といった、青臭い結論では、現実に、人類文明の限界が見えつつある現代では、説得力があるメッセージにはなり得ないでしょう。 一度、殻を打ち破ったって、どうせ、また、殻を作るのなら、同じ事の繰り返しではありませんか。



≪幼年期の終り≫

ハヤカワ・SF・シリーズ
早川書房 1964年
アーサー・C・クラーク 著
福島正実 訳

  これも、アーサー・C・クラークさんの初期の長編。 ≪都市と星≫が、1956年であるのに対し、こちらは、1953年で、少し早いですが、≪都市と星≫の原型になった≪銀河帝国の崩壊≫は、1953年に発表されていて、同じ年です。 しかし、≪幼年期の終り≫にも、原型になった≪守護天使≫という短編があり、それは、1946年に書かれたとの事。 大昔ですなあ。 話の内容は、未来なんですが。

  米ソによる、宇宙進出競争が始まろうとしていた時、突如現れた、圧倒的な科学力を持つ宇宙人に征服された人類が、百数十年に及んだ支配の後、それが、支配ではなく、人類の進化を見守るための、保護だった事を知る話。 ・・・ちょっと、違うか? でも、まあ、そんなところです。 些か、ネタバレ気味ですが、今や、日本では、SFの地位は、地底に堕ちた感があり、目くじら立てて怒る人もいないでしょう。

  SFファンの間では、「クラーク作品のベスト」との評価を得ているとの事。 しかし、そのSFファンというのが、どの国のファンの事なのかと、首を傾げてしまうのは、私がキリスト教徒ではなく、この作品に出て来る、「悪魔の姿」という設定が、ピンと来ないからでしょう。 その点で、未来SFでありながら、世界中の誰にでも通用する作品にはなっていません。

  人類の進化がテーマなわけですが、進化と言っても、ダーウィンの進化論的な進化ではなく、人類のある世代に、突如として起こる、「変化」に過ぎず、なぜ、そんな変化が起きたかについて、説明が足りないので、御都合主義的な臭いが漂わずにはいられません。 作品の中で、最も重要な部分が、御都合主義というのは、相当まずいでしょう。 百数十年ではなく、10万年くらい、期間を取ってくれれば、まだ、説得力があるんですがねえ。

  この作品が書かれた頃の、イギリスのSFは、深遠なテーマを扱ったものが多く、評価も高いのですが、なまじ、深遠なばかりに、「人類の進化」などという、今となっては、戯言としか思えない事が、真顔で語られていると、「先が読めとらんのう・・・」と、SFの巨匠達の蒙昧さを嘆かざるざるを得ないのです。



≪夏への扉≫

ハヤカワ文庫 SF
早川書房 2010年
ロバート・A・ハインライン 著
福島正実 訳

  これは、アメリカのSF作家、ロバート・A・ハインラインさんの、1957年の長編。 共同経営者と自分の婚約者に騙されて、会社を乗っ取られたロボット技術者が、冷凍睡眠で、未来へ送られたり、ある学者が密かに発明したタイム・マシンで過去に戻ったりして、最終的に幸福な人生を実現しようとする話。

  「夏への扉」という題名は、主人公が飼っている猫が、冬の間、家の中にあるドアのどれかが、夏に通じていると信じて、それらを片っ端から開けたがるから、という設定からつけられたものですが、実のところ、この作品に於いて、猫は、大して重要な役割を担っておらず、主人公の窮地を一度救うだけで、後は、飾り的小道具に使われているだけです。 いかにも、アメリカ人的に、「洒落た題名をつけてみました」という程度の事。

  テーマはなし。 「冷凍睡眠」、「タイム・マシン」、「ロボット」という、SFの三種の神器を使って、二匹の蛇が、絡み合いながら、互いの尻尾を飲み込んでいくような、くるくるっと纏まった話を作っただけです。 ストーリー構成に敏感な人は、すぐに気づくと思うのですが、この話、復讐譚として始まるのに、そちら線は、途中で消えてしまい、後半の主人公は、単に、時間上の辻褄を合わせるためだけに、行動します。 ストーリーを完結させる為だけに、ストーリーが進行するのです。 誰も乗っていない駕籠を担いで、えっほえっほ運んでいる感じ。 

  この作品、日本では、「ハインライン作品のベスト」という事になっているのに対し、日本以外では、さほど高い評価を受けていないそうですが、何となく、分かるような気がします。 日本人は、こういう、タイム・トラベルで人生が変わって行くパターンの話が好きなんですな。 映画の≪バック・トゥ・ザ・フューチャー≫や≪時をかける少女≫は代表格ですが、テレビ・ドラマでも、過去のある時点に戻って、人生をやり直すなんてアイデアの話が、ほとんど同じ趣向なのに、飽きられもせず、繰り返し繰り返し、作られています。

  私も日本人なので、そういうのを面白いと感じる気持ちは分かるのですが、SF設定を使っただけの話と、テーマを持つ、本物のSFの区別はつけた方がいいと思います。 ベストに選ぶような話ではありますまい。



  以上、4冊、4作品です。 ≪未成年≫の記憶は、随分、遠くなってしまいましたが、SF三作は、退職後、沼津に帰ってから、暇に飽かせて読んだので、思い出すと、妙に、充実した気分になります。 やっぱり、心のゆとりは、大切なんですなあ。


  う・・・、つまらない事を思い出してしまった。 ≪未成年≫から、SF三作までの一年ちょいの間に、小松・筒井作品以外にも、読んだ本がありました。 北海道応援に行っていた間、苫小牧の図書館で、カードを作ってもらい、何冊か借りて、読んでいたのです。 北海道応援は、仕事の方が、さほど苦しくなかったので、私生活にもゆとりがあり、読書も結構、捗ったのですよ。 古本屋で買った本も含めると、

≪馬の首風雲録≫ 筒井康隆
≪ネオ・ヌルの時代 PART2≫
≪従妹ベット≫ バルザック
≪サーニン≫ アルツィバーシェフ
≪ボバリー夫人≫ フローベール
≪シャベール大佐≫ バルザック
≪三銃士 下巻≫ 大デュマ
≪仮面の男 抄訳≫ 大デュマ
≪スキャナー・ダークリー≫ フィリップ・K・ディック

  ヒイイッ! 思った以上に多いではないか! これらを無視すべきか否か・・・。 読んだ後の印象を覚えているので、感想文が書けないではないですが、こんなにあるんじゃ、ちっと、勘弁して欲しいっすねー。 とりあえず、今回は見送るとして、どうするかは、いずれ考えます。 やっぱ、感想文は、読んだ後、すぐに書かなければ、駄目なんですねえ。 といっても、応援先だと、パソコンがなくて、日記も手書きしていたくらいですから、感想文まで書く気にならなかったんですよ。

2015/03/15

読書感想文・蔵出し⑧

  これと言って、理由はありませんが、他にネタがないので、読書感想文を蔵出しします。 今回の分を読んだのは、2013年の、4月から、5月にかけての間で、もう、だいぶ前の事になります。 ロシア文学に再嵌まりしていた頃で、「あと、何々を読めば、ドストエフスキーの長編を、全て読破できる」とか何とか、以前に書いた記憶があります。 「まさか、もう、感想を出してあるんじゃないだろうな?」と思って、調べてみたら、当時、このブログでは、映画評を出していて、その枕で、その時の読書状況を知らせていただけでした。 よしよし、それなら、問題なし。



≪ドクトル・ジバゴ≫

新潮文庫
新潮社 1989年
ボリス・パステルナーク 著
江川卓 訳

  ロシア・ソ連の詩人、ボリス・パステルナークが書いた長編小説。 ソ連国内では、発禁処分になり、原稿が国外に持ち出されて、1957年にイタリアで刊行。 1959年にノーベル文学賞に選ばれたものの、ソ連の政府や作家同盟から猛烈な批判を受け、受賞辞退に追い込まれた事で、世界的に有名になったのだとか。

  裕福な家庭に生まれ、上流社会で育って、医師になった男が、第一次世界大戦や、ロシア革命、その後の内戦など、身に迫る危機に振り回されつつも、妻子や、中学生の頃から思い続けてきた女性への愛情を見失わずに生きようともがく話。

  非っ常に読み難い小説で、特に出だしから、大人になるまでは、「これが小説?」と首を傾げたくなるような、風変わりな語り口で話が進みます。 いや、進んでいる事が、はっきり分かれば、まだいいんですが、何が言いたいのか分からない場面が、ボテボテッと繋がっているので、読んでいて、拷問でも受けているような、不愉快さを感じるのです。

  で、最後まで、その調子が続くなら、途中で放り出すところですが、そうではないから、また困る。 第一次世界大戦の辺りから、徐々に、普通の小説に近くなり、後ろの方へ行くに連れて、読み易くなるのです。 作者の本業は詩人なので、最初の方は、単に、小説の書き方に慣れていなかっただけなんでしょうな。

  心理描写、情景描写、自然描写、いずれも、詩人の言葉で紡がれていて、美しいと言えば美しいのですが、小説に流用するには、些か、くど過ぎる感じがしないでもなし。 ただし、これも、後ろへ行くに連れて、常識的なボリュームに落ち着いて行きます。

  ソ連政府に睨まれただけあって、確かに、政権批判は含まれています。 しかし、この程度の批判なら、≪静かなドン≫にも見られるのであって、どうして、逆鱗に触れたのか、ちと解せないところです。 もしかすると、≪静かなドン≫のグレゴーリイが、純朴なコサックで、時代に翻弄されただけだったのに対し、ジバゴは、知識人で、分厚い教養を武器に、論理的に政権を批判しようとした、そこが許されなかったのかもしれませんな。

  ヒロインのラーラですが、絶世の美女という事になっているものの、所詮、文章でそう書いてあるだけなので、「子供の頃から、さんざん苦労して来た人なのに、そんなにいつまでも、美貌を維持できるものかねえ?」と思わないでもなし。 性格もべた誉めですが、これまた、文章でそう書いてあるだけで、実際の言動や行動を見る限りでは、ごくごく普通の人であるように感じられます。

  ジバゴは、とてつもない悲劇の主人公のように語られていますが、これまた、客観的に見て行くと、そんなにひどい人生とも思えません。 特に、女性関係は、大変お盛んで、正妻、不倫相手、内縁の妻と、三人もいます。 しかも、彼女らとの間に出来た子供が、合計五人もいるのですから、「この上、何の不満があるのか?」と言いたいです。


  パステルナークは、ノーベル文学賞を辞退した後、作家生命を奪われ、失意の内に他界してしまうのですが、果たして、それは、ソ連政府のせいなのか、それとも、ノーベル文学賞のせいのか、判じかねるところです。 どう考えても、大した小説とは思えず、ノーベル文学賞の選考委員達は、単に、ソ連を批判したいがために、あてつけで、この作品を選んだのは、疑いないと思われるからです。

  この事件の後、ノーベル文学賞が、政治的意図による選考を避けるようになったのは、一人の天才詩人の一生を台なしにしてしまったという、苦い経験の反省があったからでしょう。 その代わり、平和賞の方が、政治意図丸出しになって行くのですが・・・。



≪悪霊≫

新集 世界の文学 15・16
中央公論社 1969年
ドストエフスキー 著
池田健太郎 訳

  ロシアの文豪、ドストエフスキーの長編小説。 新聞連載開始が1871年で、73年に単行本化。 60歳で他界したドストエフスキーの没年は81年ですから、50歳の時の作品という事になります。 円熟期に書かれたわけですが、その割には、ちょっと首を傾げたくなるようなところもあります。

  ロシアの、とある田舎町で、土地の実力者である大地主、スタブローギン家に関わる人々が織り成す、政治結社絡みの事件をモチーフにした、ゴシップ群像劇。 ・・・と言ったら、いくら梗概と言っても、簡単過ぎて、何も伝えていないも同然でしょうか。

  この小説は、ロシア史上の実際の事件、≪ネチャーエフ事件≫を題材にして発想されたらしいのですが、事件に関わる展開が出て来るのは、後ろ4分の1に入ってからで、それまでは、単なる貴族のゴシップ話が延々と続き、正直、何が言いたいのかよく分かりません。 新聞小説だったからでしょうかね。

  主な登場人物は、スタブローギン家の主人である未亡人。 その息子、ニコライ。 その元家庭教師である食客のスチェパン氏。 その息子、ピョートル。 ニコライの隠し妻、マリヤ。 その恋敵、リーザ。 ピョートルが作る秘密結社の幹部である五人組。 県知事レムプケー。 その夫人、ユリア。 語り手の、G。 ・・・などなど、まーあ、たくさん出て来ます。

  冒頭からしばらくは、スチェパン氏が主人公のように見えるのですが、ニコライが登場すると、そちらへ軸が移り、スチェパン氏は出たり引っ込んだりで、存在感が薄れてしまいます。 ネチャーエフ事件が話の中心とするなら、作中でネチャーエフに相当する、ピョートルが主人公という事になりますが、読んでいて、そういう気は全くしないのであって、むしろ、脇役以外の何者でもないキャラに見えます。

  ネチャーエフ事件と言うのは、革命家のネチャーエフが作った秘密結社の中で、内紛が起こり、ネチャーエフが中心になって、メンバーの一人だった大学生を殺した事件。 割と単純な事件で、細々書いても、中編小説くらいが限界だと思うのですが、それを長編にしてしまったのだから、ほとんど関係のないようなエピソードばかり並ぶのも、無理からぬ事です。

  これも、新聞小説だったのが理由だと思いますが、文章は、異様に読み易いです。 とても、≪罪と罰≫や≪カラマーゾフの兄弟≫と同じ作者の書いたものとは思えない平易さ。 しかし、だから、どんどんページが進むかと思うと、そんな事はなくて、前述した通り、何が言いたいのか分からないせいで、話に引き込まれるほど興味が盛り上がらず、四苦八苦させられます。

  ドストエフスキーらしいところと言うと、ニコライとチーホン僧正の対話や、ラスト近くに出て来る、スチェパン氏の告白などが、そうでしょうか。 物語自体も、ラスト近くだけを見るなら、殺人、自殺、病死など、陰惨な事件が立て続けに起こり、構成の妙が感じられぬでもなし。 ただし、そういう技法を、ドストエフスキーらしいと評価すべきかどうかは、それまた、疑問を感じぬでもなし。



≪白痴・賭博者≫

ドストエーフスキイ全集 7・8
河出書房新社 1969年
ドストエフスキー 著
米川正夫 訳

  河出書房新社の≪ドストエフスキー全集 7・8巻≫です。 7巻は、長編小説、【白痴】の上。 8巻は、【白痴】の下と、【白痴創作ノート】、そして、中編の【賭博者】が収められています。


【白痴】
  書かれた時期は、1868年で、【罪と罰】の2年後です。 作者の当時の年齢は、47歳。 【悪霊】が、この後に続くという並びです。 中央公論社の、≪新集 世界の文学≫で読んだ【悪霊】は、上下二巻ぎっしりで、合計950ページくらいありましたから、それら比べると、【白痴】は、合計、650ページくらいで、だいぶ短いです。 それでも、10日くらい、かかりましたけど。

  子供の頃から癲癇症で、スイスで治療を受けていた、ムイシュキン公爵が、20代半ばになって、ロシアに帰って来るが、着いたその日に、ナスターシャという素性の悪い美女に対する求婚者達の争いに巻き込まれ、遠い親戚に当たるエバンチン家の末娘と、ナスターシャのどちらを取るか、他の求婚者達との折り合いをどうつけるかなど、次々に押し寄せる難題に、翻弄される話。

  主人公は、「馬鹿に見えるほど、純真にして、無類の善人」という設定になっているのですが、周囲の人間が、そう言っているだけで、客観的に見る限りでは、そんな愚かさは、微塵も感じられません。 「白痴」という日本語の語感は、完全に的外れで、「馬鹿」くらいが、妥当な意訳だと思いますが、実際の主人公は、その、馬鹿にすら見えないのです。

  善人という点も、素直には認められません。 周囲の要求を、みんな受け入れてしまうものの、それで身上潰すほど、極端ではなく、現実に存在する善人貧乏人士と比べても、「この程度では、とりわけて、善人とは言えないのではないか?」と思ってしまいます。

  これらの点、物語の基本を成す条件設定すら満たしていないわけで、作者が、主人公のキャラを決めきれないまま、書き始め、書き進め、書き終えてしまった疑いがあります。 これは、映画でも、よくある事ですが、主人公を善人の設定にしたせいで、思い切った行動を取らせられなくなり、周囲の雰囲気に流されるだけの、およそ主人公らしからぬキャラになってしまった典型例ですな。

  主人公以外のキャラも、女はみんな、ヒステリー、男は男で、ろくでなしばかりという感じで、愛すべき人物はもちろんの事、共感できるような人さえ出て来ません。 とりわけ、主人公を巡って、ライバル関係になる、ナスターシャとアグラーヤの性格が、はっきり描き分けられていないのは、重大な欠点と言えるでしょう。 どちらも、鼻持ちならぬ高慢痴気で、身勝手で、ただ、金切り声を張り上げているだけで、何の魅力も見出せません。

  随分と貶していますが、正直のところ、読んでいて、全く面白さを感じなかったので、貶す以外に、批評の進めようがないんですな。 登場人物のキャラだけでなく、ストーリーも、いいところがありません。 【悪霊】よりも短いにも拘らず、話に纏まりがない点では、上を行っており、先の展開に対する期待が、まるで膨らみません。 第一日目の出来事の記述が、あまりにも長くて、時間の配分が悪いのも、バランス的に、どうかと思います。

  恋愛物にしてしまったのが、最大の失敗か。 いや、恋愛物といっても、物語の大枠がそうなっているだけで、実は、誰一人、恋愛などしていないのですが、形式だけであっても、恋愛物の体裁を整えるために、ページを使い過ぎており、本来のテーマである、主人公の善性の方を、描き足りていないのです。 名作扱いされているのが、不思議なくらい。


【賭博者】
  書かれたのは、1866年。 【罪と罰】と同じ年ですな。 作者は、45歳。 二段組みで、150ページ程度の中編ですが、中編というカテゴリーを認めない場合、短かめの長編です。  スイスのある町で、カジノに入り浸って、身上潰したロシアの将軍と、その周囲の人々の、醜く惨めな人間模様を、将軍に雇われている家庭教師の目から描いた話。

  ドストエフスキー自身が、賭博に嵌まって、しょっちゅう、すってんてんになっていたそうなので、その体験を小説化したものなのでしょう。 将軍は、話が始まる前に、すでに破産しているので、主人公の家庭教師と、途中でロシアから乗り込んでくる将軍の伯母が、主な博徒となります。 大勝ち場面が三回、大負け場面が二回出て来ます。

  この伯母さんが、凄い性格で、当初、死が近いと思われ、遺産を期待されていたのが、現金にも回復し、死ぬどころか、自分からスイスに出張って来て、将軍一行を、ビシバシと叱り飛ばし、一躍、物語の中心人物に躍り出ます。 胸がすくような登場の仕方というのは、この事を言うのですな。

  しかし、やはり、賭博の陥穽は避けて通れず、ささやかな興味から、カジノを覗きに行ったのが運の尽き、ルーレットに取りつかれて、見るも無残に敗退して行きます。 元の性格が強烈だっただけに、この萎れぶりは、凄まじい落差を引き起こし、この作品の最大の見せ場になっています。

  主人公は、将軍の義理の娘に気に入られようとして、賭博をするのですが、どんなに勝っても、思い通りに事は進まず、逆に、距離が広がってしまうのは、「所詮、あぶく銭の効力など、こんなもの」という皮肉ですな。 最も大きな問題は、賭博に夢中になると、頭に血が上って、何が目的で始めたのかさえ忘れてしまうという、深刻な中毒性なのですが・・・。

  賭博の場面は、そこそこ面白いですが、テーマがテーマだけに、ハッピー・エンドにはなりようがなく、後味は、良くありません。 もっとも、ドストエフスキーの作品で後味が良いものというのは、まだ読んだ事がありませんけど・・・。

  あと、細かい事ですが、「フローリン」、「フリードリッヒ・ドル」、「ルーブリ」と、通貨の単位が何種類も出て来るせいか、どのくらいの価値のお金が動いているのか掴み難いところが、ちと、もどかしい感あり。



  以上、3冊、4作品です。 前回の、≪読書感想文・蔵出し⑦≫から、写真の代わりに、本のデータを添えるように改めたのですが、今回、そのデータを調べていて、沼津市立図書館のオンライン・データ・ベースに、一杯喰わされました。 上下巻セットなのに、上巻よりも、下巻の方が、発行年が早くなっている事に気付いたのです。 そーんなこたーありえねーだろー! どーんなに個性的な出版社だってよー!

  上下巻のどちらの年数が間違っているのか分からないので、アマゾンで調べてみたら、どちらとも違っていて、ますます、顔色が青くなりました。 こうなると、どれを信用していのか、判定のしようがなくなります。 そこで、図書館まで、自転車で走って、本の奥付けを確認して来ましたよ。 春一番が吹き荒れ、向かい風で、漕いでも漕いでも進まんというのに。 いやまあ、帰りは、その分、楽だったんですがね。

  結局、間違っていたのは、沼津市立図書館のデータでした。 蔵書データって、共通データ・ベースがあるんじゃなくて、図書館ごとに、打ち込んでるんですかね? もしかしたら、ISBNが付く前に発行された本に限り、それぞれの図書館で、データ入力したのかも知れませんな。 それにしても、一体どこから、全然違う数字が割り込んで来たのだろう? 具体的に言うと、≪悪霊≫の上巻が1974年、下巻が1972年になっていたのですが、正しくは、どちらも、1969年でした。 考えられない間違え方でしょう? わけ分からん。

2015/03/08

退職したら、後が大変

「退職したら、やらなければならない手続きが、いっぱい」

  ・・・というのは、最後に会社へ行った時に渡された書類に、弱った顔のオジサンのイラストと共に、書かれていた文句ですが、「たぶん、その通りなんだろうなあ」と思っていたら、本当に、その通りでした。 洒落にならないくらいに・・・。

  というわけで、日記の方から、関係する記述を抜き出し、その怒涛の波乱ぶりを、垣間見ていただこうと思います。 岩手での退職手続きについては、過去の記事にあるので、2014年の6月辺りを探してみて下さい。 帰って来たのが、6月24日ですから、以下は、沼津へ戻ってからの記録になります。

  ちょちょちょちょっと待った! 読む前の注意ですが、退職手続きをした事がない人には、細かい用語が、全く理解できないと思うので、深く考えずに、テキトーに、読み飛ばしてください。 後々の参考くらいにはなるかもしれませんが、同じ境遇にならないと、必要にならない知識ばかりなので、すぐに、忘れてしまって、結局は、自分がそうなった時に、一から覚え直す事になるからです。 いかに、ややこしいかを、分かっていただければ、それで、充分。



≪2014年 6月30日(月)≫
  午前中に、市役所へ行ってきました。 退職すると、健康保険の扱いが変わるのですが、国民健康保険に乗り換える以外に、社会保険の任意継続というのが選べるのだそうで、どちらか、払い込み金額が安い方を選ぶのだとか。 で、最終的な退職手続きをする前に、役場へ行って、国民健康保険に乗り換えた場合の、払い込み金額を試算してもらえと言われ、行って来たという次第。 同じ用向きで来る人間は多いようで、すぐに計算してもらえました。

  結果は、1ヵ月あたり、大体、5万円くらい。 高いな、結構。 つまり、収入が全くなくても、健康保険と国民年金の払い込みで、月々10万円くらいは、取られるわけだ。 うーむ・・・、年金不払いの若者が激増している理由が、実感として分かりました。 バイトや派遣社員の収入では、役所に10万円払って、更に、生活費を残すのは、相当、厳しいでしょう。 貯金に至っては、まず、不可能ではありますまいか。



≪2014年 7月11日(金)≫
  今日は、会社に行き、最後の退職手続きをして来ました。 岩手ではなく、裾野市の工場と同じ所にある事務棟へ行ったのです。 25年通った、この工場へ来るのは、2ヵ月半ぶりにして、これが最後です。 久しぶりに通勤路を走ると、長く感じられます。 また、今日が暑かったんだわ。 手続きは、ほとんど、お金の話です。 健康保険は、任意継続だと、月に4万円ちょっとになるそうで、国民健保より安いので、そちらにしておきました。

  他にも、年金、退職金、労金、持株、福利関係と、一遍にどかっと説明されたので、頭が混乱してしまいました。 もしかしたら、今日の話を、しっかり理解していなかったために、後々、かなりの金額を損する事になるかもしれませんが、もはや、その種の話に、執着を感じなくなってしまいました。 恐らく、私は、年金を貰う年齢を待たずに、この世を去るでしょう。 もう、やりたい事が、何もないのです。 この分では、あと10年生きるかどうかも、怪しい。 自分の貯金も使いきれない人間が、退職手続きに完璧を期し、一円でも多くのお金を手にしたがるなど、滑稽至極ではありませんか。

  情けない事を書いているような気もしますが、その実、今の私は、かつてなく、幸福な日々を送っているのです。 何もしなくていい、働きに行かなくてもいい、子供の時と同じように、母親が作った飯を食べて、ぐだぐだ暮らせる毎日を、幸せの歯応えを確かめるような気持ちで生きています。 本当に、きっぱり退職して、家へ帰って来て、良かったです。 こんな生活は、長くは続かないと思っているからこそ、輝いて見えるのでしょうか。



≪2014年 9月1日(月)≫
  会社の退職日が、8月25日だったのですが、その日が、北海道旅行の出発日だったので、退職後の各種手続きが、一週間遅れとなりました。 とりあえず、やらなければならないのは、厚生年金から国民年金への切り替えで、今日、市役所に行って来ました。 手続きは、用紙一枚書くだけでしたが、振り込み票が送られて来るのは、一ヵ月先になるとの事で、簡単には片付きません。

  その後、銀行に行ったら、退職金の一部が、口座に振り込まれていました。 家に帰ってから、書類を読み直してみたところ、退職金は、三分割されていて、この日入ったのは、「退職一時金」。 あとの二つは、「キャッシュ・バランス」と、「新確定給付年金」で、それらは、60歳まで待てば、もっと額が多くなるのですが、10年先の事など、どうなるか分かりませんから、最後に会社に行った時に、「退職時一括」で貰う方を選んで来たのです。 で、書類によると、それらの入金は、3週間、先になるとの事。

  それ以外の退職後手続きは、健康保険も、確定拠出年金も、向こうからの通知待ちです。 なかなか、思い通りには進まないものですな。 まあ、他にやる事もない事だし、ぼちぼち、片付けて行く事にします。



≪2014年 9月4日(木)≫
  昨日、会社が契約している銀行から、退職金の残り分を振り込んだという通知が届きました。 3週間もかかりませんでした。 今日、銀行へ行って、入金を確認して来ました。

  これで、退職金は、確定拠出年金の分を除けば、全て受け取った事になります。 退職金と言っても、私の場合、定年の10年も前に退職したので、世間一般で思われているほどの額ではありませんでした。 聞かされたら、大抵の人が、「え! 25年も働いたのに、そんなに少ないの?」と、感じるくらいの額です。

  辞める前に、上の人から説明された話では、55歳以降なら、「早期退職」という扱いになって、額が上がるのだそうです。 私は、それ以前だったから、ただの、「中途退職」なわけです。 だけど、退職金を、倍額くれると言われても、岩手工場で、10年働くのは、御免被ります。 その点の後悔は、一切ないです。 ほんと、思い切って、退職して、良かったわ。

  夕方、会社から小型封筒で、持株の換金した分を、振り込んだとの通知。 9万円ちょい。 通知より、入金の方が先になり、口座に入った事は、昼間、銀行で確認済みでした。 持株会は、入ってから、退会するまで、間がなかったので、株数は僅かでした。 そのまま、持っている事もできたんですが、早々に会社と縁を切りたかったので、退職時に、全部、換金してしまったのです。

  退職後、いつまでも、会社との繋がりを保ち続けようとする人もいるようですが、ほとほと、気が知れません。 嫌な記憶とか、ないんですかね? 私なんか、嫌な記憶しか思い出さないといっても過言でないくらいです。 いい記憶もありますが、そちらは、少し努力しないと、思い浮かべる事ができません。

  ちなみに、同僚からは、退職後、一人から、一回、電話がかかって来ただけで、それっきりになっています。 いや、それで、いいのです。 そもそも、私は、在職中も、現在も、携帯・スマホを持っていませんから、私の家の電話番号を知っているのは、職制だけでして、わざわざ調べてまで、かけようとする同僚など、いないわけです。 実に、都合が良かった。

  なまじ、自分の電話番号を知っている同僚が多いと、退職してから、「なんで、誰もかけて来ないんだろう?」と、泣きそうな顔になって暮らしている人も多いでしょうねえ。 気持ちは分かりますが、それが、「同僚」と、「友人」の違いなのです。 同僚というのは、仕事だから、やむなく、付き合っているだけなのです。 たとえ、私生活で一緒に遊びに行くような相手でも、それは、あくまで、仕事上の人間関係の延長に過ぎないんですな。

  そこのところを錯覚していると、退職後の精神生活は、厳しいものにならざるを得ませんなあ。 「仕事で築いて来た人間関係が、自分の人生の財産だ」と思っている人は、退職と同時に、人生まで失ってしまう事になります。 愚かな・・・。 他人は、結局、他人だって。 私は、退職して、つくづく、私生活に軸足を置いて生きて来た事を、正しい判断だったと痛感しています。

  毎日、ぷらぷらしていても、退屈する事がないのは、高校卒業後、3年間、ひきこもり生活をしていた経験がものを言っているのですが、それと合わせて、友人や同僚に頼らなくても、一人で、楽しみを見つけられる事こそが、私の、「人生の財産」になっているのです。 こういう事は、歳を取ってから、会得できるような事ではないですから、会社人間だった人達は、気の毒ですが、濡れ落ち葉になってもらうしかありません。 誰も、助けられんのよ。



≪2014年 9月8日(月)≫
  任意継続した、会社の健康保険に、来年3月までの、8ヵ月分の保険料、30万円弱を、郵便局で振り込みました。 この後、新しい、保険証が送られて来たら、古い保険証と、会社の社員証と、岩手で入院した時に取り寄せた、「高額療養費限度額適用認定証」などを、返送用封筒で、返送する事になります。



≪2014年 9月9日(火)≫
  銀行に、「退職金定期」という、金利がちょっと高い、預金商品があり、貰った退職金を、そこに全部入れてしまいました。 期間は1年だけで、金利は、0.275。 これでも、普通の定期よりは、随分と高いです。 これからは、預金の取り崩し生活になるので、利息は少しでも高い方が宜しい。



≪2014年 9月11日(木)≫
  健康保険組合から、入院した時の保険料が、6万円弱、8月29日付で、振り込まれたという葉書通知が来ました。 保険料が出るはずだという事は、聞いていたのですが、退院した時に払ったのは、9万円弱だったので、全額ではなかったんですな。 口座への入金は、確認済み。

  健康保険組合から、別の封書で、新しい保険証が届きました。 任意継続したわけですが、会社に在籍している時とは、扱いが異なるので、保険証番号も変わります。 なぜか、「高額療養費適用限度額認定証」も、新しいのが入っていました。 新しいと言っても、保険証番号の変更に伴って、更新されただけで、有効期間は、今年いっぱいです。 たぶん、使わないと思いますが、一応、取っておきます。

  古い保険証、会社の社員証、古い「高額療養費限度額適用認定証」を送り返す為の、返送用封筒が入っていたのですが、その宛て先が、神奈川県にある健保組合になっていました。 退職した時に、会社で貰った返送用封筒もあり、そちらは、宮城県の本社人事部宛てです。 どちらに送ればいいのか、電話で訊いてみようかと思ったものの、宮城県にかけるのでは、電話代が勿体ないです。 「どうせ、返すだけだから、そんなに厳密でなくてもいいか」と思い、一筆、説明を添えて、健保向けの返送用封筒も突っ込んで、本社人事部へ送りつけてしまいました。



≪2014年 9月14日(日)≫
  退職後手続きの一つに、確定拠出年金を、企業型から、個人型へ切り替えるというものがあります。 次の会社にすぐ就職すれば、不要なんですが、私は、再就職する予定がないので、個人型に切り替えざるを得ません。 個人型でも、掛け金を払い続ける事ができますが、私は、貯金を取り崩して暮らすつもりでいるので、それは不可能。 で、運用指図だけをするタイプを選びました。

  確定拠出年金は、自分で運用会社と、運用商品を選ばなければならないのですが、その選択で、この三日ばかり、頭がキリキリする思いをしました。 選べるのは、大雑把に分けると、「定期預金」、「国内株式」、「外国株式」、「国内債券」、「外国債券」、「株式債券の組み合わせ」で、これらを、割合配分して組み合わせる事もできます。

  元本保証は、定期預金だけです。 定期預金は、5年物でも、金利、0.04で、ほとんど増えず、手数料を差し引かれると、むしろ、減ります。 しかし、さんざん考えた末、結局、定期預金という結論になりました。 なぜかというと、株式や債券を信用できなかったからです。

  まず、株式・債券の特性として、「永遠に上がり続ける事はない」という、原理的にも経験的にも、確実と言える事実があります。 下がれきれば、また上がり、上がりきれば、また下がるのです。 今、最も高いとしたら、今後は、下がる可能性の方が高い。

  次に、確定拠出年金の運用は、終了時点が決まっていて、私の場合は、10年後です。 もし、株式・債券を選んだ場合、その時に、今よりも上がっていなければ、損になります。 そして、10年後に、株価がどうなっているかは、全く予測できないのです。

  とどめに、今後、日本経済は衰微し、世界経済は混乱に向かって行くと思われ、株・債権には、不利な流れです。 同じ相場商品でも、世の中が混乱するほど価値が上がる、純金などとは、全く違うのです。

  昨日、株にしようと考えていた時には、どの商品にするかで悩んでいたのですが、株式相場が暴落する時には、市場全体で起こるのであって、危険性は、どれでも変わりはない事に、今日、気づきました。 事は単純。 相場頼みの株にするか、元本保証の定期預金にするか、それだけの選択だったわけです。

  「途中で見直せる」というのも、相場商品では、あまり意味がありません。 単に、損害を減らせるというだけの話だからです。 期間が10年もあれば、その間に必ず、暴落は起こると考えた方がいいでしょう。 それを避けられるのは、相場を読める、特殊な能力を持った人達だけです。 私のような素人が、そんな危険な物に、貴重な資産を委ねるわけには行かないではありませんか。

  欲を掻くな・・・。 今までの経験が示しているように、金とは、執着すれば、逃げて行き、執着を捨てれば、向こうから寄って来るものなのです。 確実に手に入る物以外は、追わぬのが賢明というものでしょう。

  定期預金の5年物にして、今から手続きすれば、誕生日までには、運用が始まると思うので、一回、自動継続すれば、ほぼ、ピッタリ、10年になります。 もし、二回目の満期までに、日数が足りず、利息が手に入らなかったとしても、金利0.04ですから、大した損にはなりません。 株で、すってんてんになるよりは、ずっとマシです。



≪2014年 9月22日(月)≫
   市役所から、封書で通知が来て、市民税・県民税の、払っていない分を納めよとの事。 11月に、納付書を送ると書いてあります。 げ! 市民税・県民税なんてーのも、あったのか。 いや、そういう税がある事は、もちろん知っていたのですが、退職後も払う事になるとは、思い至らなかったのです。

  ネットで調べてみたら、どうやら、前年の所得を元に計算されるようです。 退職した8月までの分は、会社の方で払ってあって、その後の第3期・第4期分を、収めなければならないわけです。 合計で、25万円くらいあるらしく、馬鹿にできる金額ではありません。 だけど、所得を元に計算されるのであれば、無収入状態が続けば、いずれは、ゼロになるはず。 その暁を、楽しみに待つしかありますまい。

  ところで、この通知、紙の質が悪く、何となく、偽物っぽいのが気にかかります。 役所の通知というのは、紙の種類を統一していないんでしょうか? 納付書が送られて来たら、払い込む前に、市役所へ持って行って、本物かどうか、確認してみる事にします。 もし、詐欺だったら、25万円の損失は、洒落になりません。



≪2014年 9月30日(火)≫
  昨日、封書で、国民年金の払い込み通知が届きました。 8月から来年3月までの、月毎の納付書と、26年度下期・前納用の納付書、それに、口座振替依頼書が入っていました。 口座振替は、今から申し込むと、来年度からでなくては、できないらしいです。 つまり、今年度分は、全て、用紙で納めるしかないわけだ。

  収入がなかったり、少ない場合、納付額が、全額、もしくは、一部免除になるという制度があり、私も無収入なので、いずれ、該当する事になるのではないかと思っていたのですが、調べてみたら、その制度は、「お金がないのなら、とりあえず、払わなくても、未納扱いにせず、資格上、納めた事にする」という意味で、年金を貰う時に、その分、金額が減るらしいです。 それもそうか。 納めないで、貰うだけ、普通に貰ったのでは、おかしいですからねえ。

  で、今日、銀行へ行き、国民年金、8・9月分と、26年度下期分、合計、12万円あまりを、納付して来ました。 下半期前納の割引額は、現金の場合、740円。 口座振替で、2年分、前納すると、割引額が、どーんと大きくなるそうで、来年度分からは、そうする事にし、口座振替依頼書を提出して来ました。



≪2014年 11月17日(月)≫
  11月15日(土)に、市役所から、封書で、市民税・県民税の払い込み用紙が来ました。 9月に来た通知の方は、偽物っぽかったのに対し、こちらは、本物っぽいです。 25万円くらい。 市役所へ出向いて、確認するつもりでいたのですが、印刷されている担当課の電話番号が、ネットで調べたそれと同じだったので、わざわざ確認するまでもないと判断し、素直に、銀行で払い込みました。



≪2015年 1月9日(金)≫
  「高額療養費適用限度額認定証」の有効期限が切れた事に気づき、神奈川県の健保組合に送り返しました。 切れたのは、去年の12月末日ですが、認定証の裏の説明によると、「5日以内に送り返すように」とあり、青くなりました。 で、また、一筆書いて、詫びておきました。 「拝啓」と、「敬具」なんて、使ったのは、何十年ぶりかな? 今時珍しいほどに、丁寧な文面にしておけば、文句は言って来ないでしょう。



≪2015年 1月29日(木)≫
  ここ半月ばかりの間に、会社や、健保組合、市役所などから、私が払った各種料金の、払い込み証明書が、続々と届いています。 いずれも、「確定申告に使うように」との事。 いよいよ、最大の難関が近づいて来たか。 確定申告さえ乗り切れば、しばらくは、のほほんとして暮らせます。 というか、確定申告に行くのが嫌なばかりに、年明けからこっち、鬱々として、愉しめないのです。



≪2015年 2月18日(水)≫
  25年ぶりに、確定申告に行って来ました。 25年前は、税務署へ行ったのですが、いつのまにか、別会場でやる事に変わっていて、沼津駅の北にある、イベント施設へ向かいました。 もちろん、自転車。 本当は、昨日行くつもりでいたのですが、雨で一日延ばしたのです。 久しぶりに、目覚まし時計をかけて、8時に起き、急いで支度して、会場へ。 9時の開始から、ほとんど遅れていなかったと思うのですが、すでに、50人くらい人がいました。 ただ、二本の流れで、処理しているらしく、待ち人数は、片方、20人くらいでした。

  20分ほど待ったら、順番が来たので、指示された、「事前①」というカウンターへ。 25年前、税務署でやっていた頃には、税務署員の机に呼ばれて、病院での問診のように、椅子にかけて、マン・ツー・マンで話が進められたのですが、今日の会場では、係員も、こちらも立ったままで、流れ作業で、人を捌いていました。

  源泉徴収票は、4枚ありましたが、3枚は、すでに納税されていると言われました。 国民年金の社会保険料控除と、生命保険料の控除は、当然認められたものの、去年、岩手で入院した時の医療費は、出費が少な過ぎて、控除対象になりませんでした。 そこまでは、順調だったのですが、持株の処理で引っかかりました。 退職した時に、持株会から退会し、現金に換えてもらったのですが、それが、株式の譲渡益になる場合、課税対象になるというのです。

  「事前①」のカウンターでは、株式譲渡益を扱えないというので、奥の、対面処理コーナーへ送られました。 壁際に並べられた椅子で、5人くらい待ち、席に呼ばれてから、さらに5分ほど待つと、係の人が来ました。 40歳くらいの男性で、関西方言の、いかにも、頭が切れそうな人物でしたが、私が持って来た持ち株売却の書類に謎があるらしく、睨めっこして、何度も電卓を叩き直すものの、なかなか、解読できません。

  係員一人で、複数を相手にしているので、途中、他の人の所に行きましたが、たぶん、その間にも、考え続けていたのでしょう。 戻って来て、ちょっとで、「分かった」と言って、謎が解けた様子。 説明してくれたところによると、株の購入代金より、売却金額の方が少ないので、申告する必要はないとの事でした。 ほっとしたような、がっかりしたような、複雑な気分・・・。

  しかし、後で考えたら、私は別に、持ち株で損をしていたわけではなかったのです。 そもそも、会社の福利ポイントを有効活用する為に入った持株会だったわけで、購入代金の半額は、福利ポイントから出ていた上、会社の補助もありましたから、むしろ、得をしたのです。 対面処理コーナーでは、待ち時間も含めて、30分くらいかかったでしょうか。

  やっと、パソコン入力コーナーに進み、入力の仕方なんぞ分からないので、係員に任せて、打ち込んでもらいました。 横で見ていましたが、入力画面が何ページも続き、とてもじゃないけど、素人にできるとは思えませんでした。 今は、確定申告は、「e-tax」というシステムで、自宅でもできるらしいですが、こんなに複雑では、やれる人が、ほとんどいないと思います。 たとえ、できるようになったとしても、一年に一回では、毎年、忘れてしまうに決まっています。 パスワードを決め、還付金の振込口座を打ち込んでもらって、終了。

  最後が、プリント・コーナーで、ここで、提出書類と、控え書類をプリントしてもらい、提出書類の方を、出口に置いてあるポストに入れて、おしまいです。 パソコン入力した上に、書類も提出するんですな。 ちょっと、二度手間っぽいですが、ほとんどを、係員にやってもらった手前、文句を言える筋合いではありません。 かかった時間は、全部で、1時間15分くらいでしょうか。 持株で引っかからなかったら、30分早かったと思います。

  外に出たら、まさかの雨。 自転車の所に戻ると、サドルが水玉でいっぱいです。 天気予報で、曇りである事を確認してから、出かけてた来たんですがねえ。 まったく、気象台は当てにならない。 しかし、パラパラ程度だったので、立ち漕ぎして、走り出し、近くのダイソーで、ちょっと買い物をして、後は、家まで、サドルに座る事なく、帰って来ました。 家着が、11時頃。

  ところで、母から、「代わりに、確定申告に行って来て欲しい」と言われていたので、会場から出る前に、係員を捉まえて、「申告は、本人じゃないとできませんよね?」と訊いたところ、「家族なら構わないです」という返事でした。 ちっ・・・、余計な仕事が増えてしまうではないか・・・。 帰ってから、母に、その事を伝えましたが、「今年だけは、自分で行く事にした」との返事。 なんだ、それなら、問題はありません。 母が心配しているのは、今後、体が弱って、自力で出かけられなくなってからの事のようでした。 まあ、その時は、その時ですな。

  母の分はさておき、私の確定申告は、来年からは、ありません。 なぜというに、収入がないからです。 個人の確定申告は、所得税が対象になるわけですが、収入がないという事は、所得がないわけで、納税の必要がなく、納税していなければ、還付もないので、還付申告もできません。 「取られてないのだから、取り返す事もできない」のは、理の当然。

  私の場合、その状態が、年金受給開始まで続きます。 年金は収入なので、所得税がかかり、確定申告する事になります。 年金が、年間400万円以下の場合は、申告しなくてもいいのですが、生命保険に入っていて、還付が期待できる場合は、申告した方が得になります。 母は、そのケース。 父は、生命保険に入っていないので、もう、確定申告はしていません。

  私が年金を受給し始めるまで、今から、ざっと、20年くらいですかね。 今日は、25年ぶりに、確定申告に行ったわけですが、次に行くのは、20年後というわけだ。 うーむ、20年と思うと、長いですなあ。 それまでは、とても、生きていないような気がします。 もし行ったとして、まーた、やり方が、様変わりしている可能性は高いですなあ。



≪2015年 3月6日(金)≫
  2月に確定申告を済ませ、還付金も入り、「やれやれ、これで、退職手続きは、全部、終わったな」と、安心していたら、思わぬ所に伏兵が潜んでいました。 昨日、任意継続していた、会社の健康保険組合から通知が来て、4月からの保険料を振り込めとの事。 「一年分、纏めて払えば、いくら、割引されるのだろう」と、計算をしている時に、ふと、重大な事に気づきました。 健康保険の保険料は、前年の所得金額を元にして決められるのですが、任意継続の場合、退職の前年の所得で計算した保険料が、2年間、そのまま続くのです。 私の場合、年間にして、50万円くらいになります。 2年で、100万円。

  冗談じゃない! こちとら、去年は、8月までしか給料を貰っていませんし、その後は、無所得ですから、国民健康保険に切り替えれば、もっと安くできるはずです。 で、今日、市役所に行って、計算してもらったら、案の定、今年度払う分は、35万円程度で、任意継続の方より、15万円も安くなる事が分かりました。 今年は、完全に無所得ですから、来年度は、もっと安くなり、10万円を切ると思われます。 油断も隙もあったもんじゃない。 なぜ、会社の健保組合の方で、そういう注意をしてくれんのかなあ。 退職後、無所得になるケースが、珍しいからでしょうか。

  で、市役所から戻って、すぐに、会社の健保組合に電話して、退会したいと告げたところ、至って事務的に、3月半ば頃に、「健康保険喪失証明書」と、返送用封筒を送るので、4月になったら、保険証を返却するようにと言われました。 電話にかかった時間は、せいぜい、2分くらいです。 物慣れた応対から察するに、退会希望の電話は、よくかかって来るんでしょうな。 その、「喪失証明書」がないと、国民健康保険の方の入会手続きができないのです。 結局、4月に入るまで、決着しないのか。 なかなか、会社と縁が切れない事よ。

  それにしても、切り換えに気づいてよかったです。 ぼんやりしていたら、50万円以上、損をするところでした。 新品のバイクが買える金額ですわ。 いや、買いはしませんけどね。 ちなみに、任意継続でも、国民健康保険でも、医療費の本人負担割合は、変わりません。



  以上が、これまでの経過です。 整理しますと、この、9ヵ月の間に、私が戦った相手は、

厚生年金から、国民年金への切り替え・払い込み
健康保険の任意継続・保険料の払い込み
市・県民税の払い込み
確定既出年金の切り替え
退職金の処置
持株売却金の処置
確定申告
国民健康保険への切り替え

  実は、細々したものが、他にも、いろいろあったのですが、自分でも把握しきれていないので、敢えて、書きません。

  とりあえず、会社からくれると言われたものは、全て貰い、役所から払えと言われたものは、全て払いました。 そちらが前哨戦で、年が明けた後の、確定申告が、天王山。 申告に行く前には、書類を全部、読み直したのですが、どうしても、漏れはあるものです。 申告後、だいぶ経ってから、控除対象になる書類を、一枚出し忘れていた事に気づきました。 しかし、もう、還付も済んでしまっていて、今更、修正するのも面倒臭いので、そのままにしておこうと思います。 申告漏れではないから、私が、いくらか損をするだけで、税務署から文句を言われる事はありますまい。

  退職金で、そこそこ大きな金額が動いたせいで、金銭感覚が麻痺して、数万程度の差が、ピンと来なくなってしまいました。 ふだん、私は、一円を惜しんで暮らしているのですがねえ。 やっぱり、あんまり、「カネ! カネ!」と目を血走らせるものではありませんな。 「お金と警察には、関わらないに越した事はない」というのは、誰の言葉だったでしょうか。 ・・・私か。

2015/03/01

≪風立ちぬ≫ 鑑賞

  宮崎駿さんの、長編アニメの最終監督作品で、原作・脚本も、兼ねています。 最終作という点を除いても、公開時、いろいろと物議を醸した作品で、正直のところ、私は見たくなかったんですが、テレビ放送したのを、つい、録画してしまい、しばらく、そのままにしておいたものの、レコーダーの録画残量の関係で、いつまでも見ないわけにもいかず、やむなく、見た次第。 私個人的に、これだけ、後ろ向きの姿勢で見た映画も珍しいです。

  飛行機に憧れていた少年が、近視のせいで、操縦士になれない事から、設計技師を目指す事にし、長じて、飛行機製造会社に入社して、戦闘機の開発に励む一方、関東大震災の時に助けた女性と、後年、高原の避暑地で再会し、互いに想いあうようになるが、彼女は、結核を患っていて・・・、という話。

  ゼロ戦の設計主任である、堀越二郎さんの伝記を軸にして、堀辰雄さんの小説≪風立ちぬ≫のエピソードをくっつけたもの。 ただし、ゼロ戦の開発までは、時代が進まず、その一つ前の、「九試単座戦闘機」の試験飛行が、クライマックスになっています。 この作品の何が変と言って、実在の人物の伝記なのに、全くの他人が書いた、全く無関係な内容の小説とくっつけてしまった事が、最も奇妙奇天烈です。 この発想自体が、非常識で、乱暴で、怖いの三語に尽きます。

  それに比べたら、小さな問題ですが、実在の人物の伝記なのに、その人物の業績で、最も有名な部分を避けているというのが、また、奇妙。 ゼロ戦は、最後に出て来ますが、戦後の回想シーンで、ちょこっと顔を出すだけです。 なぜ、ゼロ戦の開発まで、描かなかったのかを推測するに、「戦争を美化している」と批判されるのが、嫌だったからでしょう。 だけど、そう言われたくないのなら、そもそも、戦闘機の設計者の伝記アニメなんて、作らなければ良かったじゃないですか。

  変でしょう? 変ですよ。 絶対、変です。 堀越氏の奥さんが、どんな人だったかは知りませんが、子供が6人いたというから、結核で早死にしたわけではない事だけは、間違いないです。 ところが、この作品では、そうなってしまうんですよ。 だって、奥さんとのエピソードが、そっくり、小説≪風立ちぬ≫の方に入れ替えてあるんだもの、死なないわけがない。 おかしいでしょう? 堀越二郎氏も、その奥さんも、実在の人物なんですよ。 その伝記なのに、なんで、何の関係もない小説の筋立てが、割り込んで来るんですか?

  「伝記そのものではない。 伝記から、着想を得ただけだ」というのなら、それは、もはや、伝記ではないわけですから、当然の処置として、主人公の名前を変えるべきです。 なぜ、変えない? 変えられないのですよ。 「七試艦上戦闘機」や、「九試単座戦闘機」は、実在の飛行機で、設計主任が、堀越氏だからです。 それならば、それらの飛行機も、形や名前を変えて、完全なフィクションにすれば良かったのです。 そこまでやって、初めて、「堀越二郎氏の伝記から着想を得た」と言えるのではないですか?

  飛行機や戦闘機に興味がある人の中で、この映画を見て、こう感じた人もいると思います。

「堀越氏の伝記が、映画にできるのなら、他の戦闘機や、飛行機の開発者だって、世界中に、うじゃうじゃいるのだから、それらの伝記も映画化できるのではないか? なぜ、そういう映画がないのだろう?」 

  レオナルド・ディカプリオさんが主演した、≪アビエイター≫という、ハワード・ヒューズ氏の伝記映画ならありましたが、彼は、実業家で、飛行機開発以外にも、様々な事業に手を出していました。 自動車の開発では、≪タッカー≫という、プレストン・トマス・タッカー氏を取り上げた映画があり、そちらでは、かなり、技術的な方向へ踏み込んで描いていましたけど、タッカー氏も、技術者というよりは、実業家でした。

  設計技師が、映画の主人公になり得ないのは、やっている仕事が地味で、映画の見せ場になるような活動をしていないからです。 そういや、家電製品の開発で、≪陽はまた昇る≫という日本映画がありましたが、あれも、見せ場には困っていましたねえ。 VHSデッキの発売日の様子をクライマックスに持って来て、辛うじて、格好をつけていましたが、もし、もう一本、同じような映画を作ってくれと言われたら、監督は、嫌~な顔をすると思います。

  もし、設計技師が主人公になりえるのなら、アメリカ映画界が作っていないわけがない。 第二次大戦期の戦闘機だけに限っても、F6F、F4U、P-47、P-51、P-38など、名機のオン・パレード。 当然の事ながら、それらの飛行機にも、設計者はいるわけで、彼らを主人公にして、映画が作れそうなものなのに、そんなな、見た事がありません。 アメリカの場合、戦争をしかけられた側ですから、「戦争美化」の引け目もないわけですが、作らないのは、なぜか? 答えは一つ、見せ場が思いつかないからですよ。 見せ場欲しさに、戦闘場面を入れるとなると、もはや、設計者の話ではなく、操縦者の話になってしまいます。

  この映画も、事情は同じでして、見せ場がないので、主人公の夢の世界を出したり、関東大震災を絡めたり、世界恐慌に見舞われる世相を描いたり、絵になるエピソードを盛り込むのに大わらわ。 さながら、借り物競争みたいな有様になっています。 そして、一番大きな借り物が、小説≪風立ちぬ≫というわけだ。 しかし、よくもまあ、こんな無茶苦茶な設定を思いつき、実行したものです。 誉めてません。 呆れています。 常識を疑うとしか、言いようがありません。

  宮崎駿さんが、変なものを作り始めたのは、これが最初ではなく、≪ハウルの動く城≫は、何が言いたいのか分かりませんでしたし、≪崖の上のポニョ≫は、珍作としか言えず、「そろそろ、引退した方がいいのでは?」と囁かれていた頃に、この、≪風立ちぬ≫で、思いっきり、「やっちまった」わけです。 「晩節を汚す」とは、正に、この事で、どうにもこうにも、フォローのしようがありません。 元は、雑誌に漫画として連載していたのを、プロデューサーの勧めで、最後の監督作品にする事になったらしいですが、プロデューサーもプロデューサーで、発想がおかしい事に気づかなかったんでしょうか?

  そういや、テレビ放送の話ですが、≪風立ちぬ≫の前の週に、≪ポニョ≫を放送していました。 二週連続、宮崎駿監督作品放送企画で、≪風立ちぬ≫への期待を盛り上げる為に引っ張り出して来たわけですが、なんだってまた、≪ポニョ≫にしたんだか、理解に苦しみます。 そもそも、この下ないくらい、出来が悪い上に、街が海に沈む話ですぜ。 東日本大震災から、まだ、5年も経っておらず、大津波の凄まじい映像が、人々の記憶に生々しいというのに、よくも、≪ポニョ≫を放送できたものです。 「そろそろ、ほとぼりが冷めたろう」とでも思ったんですかね? ほとほと、気が知れぬ。 ≪紅の豚≫にしておけば、まだ、≪風立ちぬ≫と馴染みが良かったものを・・・。


  話を、≪風立ちぬ≫に戻しますが、全体を見ると、駄目駄目なわけですが、部分を見るなら、また、話は違って来ます。 概ね、前半は、未来に希望を感じさせる雰囲気で、ワクワクさせ、自然に、観客を引き込んで行きます。 夢の世界の案内役になる、イタリア人技師、カプローニ氏は、この作品のベスト・キャラですな。 カプローニ氏が出て来ると、ほっとします。 軍用機よりも、旅客機の方に興味が強いという設定が、イメージを明るくしているのです。 ちなみに、この人も、「ジョバンニ・バチスタ・カプローニ」という、実在の人物。

  主人公の友人で、後に同じ会社に入る事になる、本庄氏との、学生生活や私生活の様子も、細かく描き込まれていて、つい、見入ってしまいます。 主人公より、本条氏の方が、キャラが立っていますな。 一癖ありそうな表情も、面白い。 この、「本庄季郎」という人も、実在の人物で、戦闘機よりも大型の、攻撃機(爆撃機)を開発していた人。 作中には、「九六式陸上攻撃機」が出て来ますが、「一式陸上攻撃機」の方が、いろいろな意味で有名です。

  ところで、主人公はもちろんですが、実在の人物については、製作に当たって、子孫の方の了解を得たんですかね? もし、私が子孫だったら、自分の父親や祖父の人格が、半分、創作された話の登場人物として使われるのには、大きな抵抗感を覚えます。 それは、つまり、実在した本人とは別人格になるわけで、中途半端に、名前を貸すだけになり、故人の冒涜になってしまうのではないかと恐れるからです。 もし、こういう事に許可を出せる資格がある者がいるとしたら、それは、本人だけなのかも知れません。

  関東大震災の場面は、大変な迫力です。 実写映画で、地震の場面というと、カメラやセットを揺らしたり、家を何軒か倒壊させるくらいが関の山ですが、アニメだと、どれだけ、表現の自由が利くか、その、お手本みたいな映像になっています。 町全体の家並みが、跳ね上がってから崩れ落ちたり、線路が波打つ様子は、実に、凄まじい。 もっとも、実写でも、CGを使えば、できるのですがね。

  ああ・・・、それで気づきましたが、日本のアニメが斜陽になったのは、やはり、CG技術の発達で、実写の表現力が、大幅に上がった事と関連しているんでしょうなあ。 二昔前くらいまでは、アニメでなければ描けない事が多かったから、アニメに人気があったのであって、実写CGで、何でも行けるとなれば、アニメの存在意義が翳るのも致し方ないところです。 結局、アニメは、実物を写しているに過ぎないわけですから。 もっとも、日本映画に限っては、CG技術は、未だに、驚くほど、低レベルですけど。

  ちょっと、気になったのは、大震災の場面で、列車から逃げる時に、「機関車が爆発する」と、人々が言っているのに対し、主人公が、いかにも、技術者然と落ち着き払って、「馬鹿なことを。 機関車は爆発なんかしない」と否定します。 しかし、この見解は、間違っています。 蒸気機関ですから、汽罐の爆発が起こっても、別段、不思議ではありません。 汽車が普通に使われていた時代には、汽罐の爆発事故は、日常的なもので、年に一人は、死者が出ていたというのを、エンジンの歴史を書いた本で読んだ事があります。 主人公は、何を根拠に、爆発しないといっているのか、いや、それ以前に、なぜ、この場面で、そんなセリフが必要なのかが、よく分かりません。

  この時、足を骨折するのが、ヒロインに同行していた、使用人の女性なのですが、主人公は、その女性を背負って、安全な所まで逃げます。 だけど、どうせ、創作場面なのですから、足を折るのは、ヒロイン当人にした方が、主人公との絆が出来て、後の再会の伏線として、より、効果的だったんじゃないですかね? 私はまた、この使用人の女性の方と、ロマンスが発生するのかと思ってしまいましたよ。 単に、神社の境内に独りで残すのが、お嬢様の方では都合が悪いから、使用人の方にしたんでしょうか? なんだか、よく分からん事が多いのう。

  最後に、最も違和感が強かったのは、キス・シーンです。 後半に、何度も出て来ます。 戦前の話とは思えないくらい、こんなに必要ないんじゃないかと思うくらい、頻繁に交わされる。 ところがねえ、このヒロイン、結核なんですよ。 初キッスの時点で、すでに、二人とも、それを承知しています。 不自然なほどの頻度から考えて、つまり、「主人公は、結核がうつる事なんか、全く気にしていないのだ。 それくらい、彼女を愛しているのだ」という事を表現したいが為に、わざと入れていると思われるのです。

  だけどねー・・・、結核は、この頃には、治癒率が低い、代表的な、「死病」だったんですよ。 一方は、すでに発病しているわけですから、キスなんか繰り返してたら、感染するのは、まず間違いないところ。 いいんですかね、こういうシーンを入れてしまって? 「当時は、ほとんどの人間が保菌者で、キスしようがすまいが、結核菌は持っていたのだ」という事情も知っていますが、それはそれとして、観客に、感染症に対する誤解を与えてしまいそうで、怖いのです。

  愛情表現にも、超えてはならない一線があると思うのですよ。 いくら、愛情が強くても、エボラ出血熱の患者を抱き締めたり、エイズ患者と、コンドームなしで性交渉するのが、無謀であるのと同じでして、結核患者とキスは、やはり、まずいでしょう。 愛情の美しさよりも、無神経な粗雑さを感じてしまうのです。 病気の美化自体が、どうも、現代風価値観に合いません。 病気で死ぬのは、美しくも、何ともないですよ。 悲惨なだけです。

  キス・シーン以前の問題ですが、高原での二人の接近が、早過ぎませんかね? それより前に、大震災の時に会っているわけですが、上述したように、その時、主人公が背負って助けたのは、使用人の方で、お嬢様の存在は、オマケに過ぎませんでした。 高原で再会して、ほんのちょっと会話して、紙飛行機で遊んだだけで、すぐ、求婚して、OKというのは、あまりにも、急転直下です。

  なんで、そんなに大急ぎになるかというと、言わずと知れた事、二つの話を足しているからです。 小説≪風立ちぬ≫は、過去に何度も映像化されており、単独でも、90分くらい埋めるボリュームがあります。 それだけの分量のエピソードを、堀越氏の伝記に埋め込もうというのですから、125分あっても、まだ、時間が足りぬ。 で、互いの想いが深まる過程に皺寄せが行き、駆け足になってしまったわけです。 だけど、恋愛結婚が稀だった時代である上に、真面目な性格の人物同士ですよ。 そんなに急激に接近するのは、不自然でしょう? 理屈だけで、そう言っているのではなく、見ていて、そう感じてしまうのです。


  主人公の妻という、一人の人間の命の大切さを強調する一方で、主人公の仕事は、戦闘機を作る事でして、その戦闘機で殺される事になる人間の命には、何の頓着も感じていないらしいのは、身勝手さを感じずにはいられません。 普通、伝記の映画化では、主人公の、仕事と私生活の両面を描く事で、物語に奥行きを与えようとするわけですが、この作品では、両者の間に、矛盾が発生していて、観客の方は、主人公に対し、素直に共感していいのかどうか、ためらいが生まれてしまいます。 どだい、戦闘機の設計者と、悲恋を組み合わせるのは、無理があるのです。

  そういや、2001年に、≪パール・ハーバー≫というアメリカ映画がありました。 戦闘機乗りが、真珠湾攻撃で仲間を殺されて、日本に復讐する為に、爆撃機乗りに転向して、ドゥーリトル爆撃隊に加わるという話。 それだけなら、まだ良かったんですが、≪タイタニック≫の大ヒットの後だったものだから、二匹目の泥鰌を狙おうと、恋愛を強引に絡めたせいで、目を背けたくなるような、最低最悪の大失敗作になっていました。 それと同じような、強引な組み合わせの無理無理感に、この作品も覆われているのです。

  この作品、海外では、「主人公が、戦争協力者である事に対して、批判が感じられない」と言われて、ほぼ、無視されてしまったのですが、その、そっけない指摘は、全面的に正しいです。 ゼロ戦に殺された側の人間から見れば、「結核の女房が死んだくらいが、ナンボのもんじゃい! てめーの作った戦闘機で、どれだけの人間が殺されたと思ってるんだ!」という反発しか感じられないでしょう。

  ちなみに、ゼロ戦は、太平洋戦争末期に、特攻機の中心機種になったわけですが、ほとんどが、アメリカ艦隊に到達する前に撃墜されたものの、辿り着いて、体当たりに成功すると、沈没すれば、もちろん、大量の死者を出し、沈没しなかったとしても、甲板上にいたアメリカ兵が、少なくても、数十人、多いと、百人以上、死んだらしいです。 戦闘中は、対空戦闘要員として、甲板上に出ている兵隊が、たくさんいるので、そこへ、爆弾を積んだ飛行機が突っ込むと、そのくらい死者が出てしまうんですな。

  日本では、神風特攻隊というと、必ず、突っ込んだ方の悲劇だけが強調されますが、突っ込まれた方は、少なくとも、操縦士の数十倍の人数が死んでいるのです。 もちろん、その一人一人にも、人生があったわけです。 ゼロ戦の操縦士は、設計者を恨みはしないでしょうが、特攻を受けて、死んだ者や、その遺族は、この映画を見て、主人公の悲恋に、同情は、決して、しないでしょうよ。 話にならんわ。 常識的に考えれば、「怒る」と思います。

  そこでまた、堂々巡りして出て来る問題が、この話が、堀越二郎氏の伝記そのものではなく、大幅に創作が加わっているという点なのです。 明らかに、堀越氏の事績に対して、誤解を増幅するだけだと思うのですが、本当に、子孫の人達は、この映画の製作に、了解を与えたんですかね? そこが、理解し難い。 もっとも、実際の堀越氏自身は、戦闘機の開発に携わった事に、別段、罪の意識を感じていたわけではないようですが。

  その点は、戦前に教育を受けた世代や、その世代を観察して育った世代の日本人なら、説明されずとも、感覚的に分かると思います。 「大日本帝国」に於いて、「帝国臣民」は、「帝国の遂行する聖戦」に協力するのは、当たり前であり、拒絶する人間の方が異常、特例中の特例だったからです。 堀越氏も、他の日本人と同じように、仕事として、戦闘機を開発していたのであって、他の日本人以上に、戦争の犠牲に対して、責任を感じる必要はないと考えていたと思います。 むしろ、生前は一貫して、「名戦闘機の設計者」として、尊敬を受けていたのであって、「悪い事をした」なんて、全く思っていなかったんじゃないでしょうか。

  だけど、それは、日本国内でしか通用しない、ガラパゴス論理です。 ゼロ戦がなくても、堀越氏が戦闘機の開発に携わらなくても、日本が戦争を始め、続行したのは、疑いありませんが、だからといって、戦争推進に積極的に協力していいという事にはなりません。 何もしないという選択肢もあるからです。 してしまった事に、責任が発生するのは、致し方ありませんな。

  映画が公開された時、宮崎駿さんが、主人公の仕事について質問され、「やらないよりは、やった方が良かった」と言っていました。 それは、戦争協力を指していたわけではなく、もっと、一般化して、人生について、「やりたい事をやらないで終わるよりは、やった方が良かった」という意味だったと思うのですが、たとえ、そういう意味であっても、さあ、どんなものでしょうか。

  もし、そういう一般化が許されるのであれば、チンギス・ハンや、コルテス、ピサロ、イギリスやフランスの植民地主義者達、豊臣秀吉、ナポレオン、ヒトラー、最も、主人公に近いところでは、大日本帝国のキチガイ軍人ども、更には、オウム真理教など、自分の夢や理想の為に、大量殺人を実行した連中についても、「やりたい事をやらないで終わるよりは、やった方が良かった」という理屈が適用できる事になるのではないですかね? 一般化というのは、怖いものですな。 他人の夢の実現の為に、殺される方は、たまったもんじゃありません。


  そもそも、この映画の企画をOKした時点での、宮崎駿さんに、この種の、慎重な判断が必要とされる問題について、真っ当に考える能力があったかどうかが、疑わしいのです。 ≪ポニョ≫の、ぐじゃぐじゃぶりを思い出すにつけ、そう思わざるを得ません。 誰にでも、加齢と共に、思考能力の衰えはやって来るのであって、名監督、世界的クリエーターだからといって、例外ではありますまい。 黒澤明さんだって、晩年には、大した作品を作れなかったのですから。 ただし、黒澤監督は、晩節を汚すというほど、問題のある作品も、遺しませんでした。

  雑誌に、漫画を連載しているくらいなら、問題なかったのですよ。 読んでいる人間の数が、桁違いに少ないですし、読んでいる人間の種類も限られていますし、宮崎駿さんが、昔から兵器好きだったという事は、知る人ぞ知る事実でしたから。 だけど、それを、劇場用アニメにして、「監督最終作」と銘打って、大々的に公開してしまったら、そりゃ、顰蹙を買いますよ。 「ゼロ戦を前面に出さなければ、ごまかせる」といった、レベルの問題じゃないです。

  立場を逆転させてみれば、分かります。 もし、アメリカで、F6Fヘルキャットの設計主任の伝記を元にした映画が作られ、半分創作で、悲恋と絡めて、「美しい悲劇」として、仕上げてあったとします。 さて、グラマンの機銃掃射から、命からがら逃げまくった日本人が、その映画を見て、感動して、涙を流しますかね? ちなみに、私の父も、戦時中、動員先の工場へ向かう途中、そういう目に遭い、必死で、ガード下まで、駆け込んだらしいですが、たぶん、そんな映画を見たら、鼻で笑うと思いますよ。


  ところで、

「そこまで、ボロクソに貶すようなひどさか! 私は、見終わった後、感動で、胸が熱くなったぞ」

  と言う人もいると思います。 だけど、この作品に限っては、「感じ方は、人ぞれぞれだ」といった認め方をするつもりはありません。 そういう人達は、勘違いをしているのです。 あなた方の胸を熱くしたのは、アニメ≪風立ちぬ≫ではなくて、小説≪風立ちぬ≫の方の要素です。 ラスト・シーンを見た時の、自分の感情を分析してみれば、その感動の中に、堀越二郎氏の伝記部分が、まるで、関係していない事が分かるはずです。 小説≪風立ちぬ≫を読むか、単独で映画化された作品を見てみれば、主人公が、戦闘機の設計者でなくても、何の問題もなく成り立つ話である事が分ります。 というか、そっちの方が、本物だと言うのよ。

  勘違いした方々に、更に追い討ちをかけますと・・・。 戦前の日本には、「結核文学」というジャンルがありまして、なにせ、代表的な死病だったので、悲劇を盛り上げるには、大変、都合がよく、ちょっと、びっくり呆れるくらい、多くの作家が書いています。 他にも病気はありそうなものですが、喀血の場面が、ビジュアル上、群を抜いて衝撃的なものだから、悲劇の中の病気というと、ほぼ、結核に限定されてしまっていたんですな。 なんともはや、安直、極まりない。

  私の家にある日本文学全集には、そんな小説ばかり入っていましたが、読んでいるだけで、こっちまで、胸がぜいぜい苦しくなるわ、口の中の肉を噛んで、血が出ただけで、ギョッとするわで、くさくさ、嫌になりました。 なんだってまた、こんなに暗いのかねえ。 という事情で、私は、いつしか、結核文学と分かった時点で、感動停止する癖がついてしまいました。 映画好きの人なら、頷いてもらえると思いますが、同じ、ヒロインの死でも、≪ミリオン・ダラー・ベイビー≫などと比べたら、結核文学を原作にした映画が、いかに安直かが分かろうというものです。