父の死
私の場合、短期間とはいえ、父の介護をしていたので、突然訪れた父の死に、結構、精神的ダメージがありまして、すぐには、その事に触れる気にならなかったのですが、9月20日に、四十九日の法要も終わって、父の死から、だいぶ、日にちが経った事だし、そろそろ、心覚え程度の事を記しておこうと思います。
自分以外の人間の世話をしていると、その人が段々、自分の体の一部のような気がして来るものでして、二度目の入院をして一週間後に、「誤嚥性肺炎」という、入院理由とは全く関係ない病名で父が死んだ時には、自分の手足を失ったような気分になりました。 あの喪失感には、ペットの死とは、ランクが違うものがありましたねえ。 結局、元気な状態に戻すのに、有効な事は何もできなかったという点は、ペットでも父でも同じでしたが・・・。
自分で言うと、いやらしいですが、私ゃ、父が要介護になってから、実にいろいろな事をやりましたよ。 父が夜中に漏らしても、朝、簡単に片付けられるように、ベッドの防水対策に知恵を絞ったり、安い紙オムツを探し回ったり、階段に手すりを増設したり、欲しくもないのに、車を買ったり、毎日毎日、創意工夫と悪戦苦闘の連続でした。 でも、そのほとんどが、後手に回り、効果があっても、一回きりで、二度目には、父の衰えが更に進んで、もう通用しなくなってしまいました。
たとえば、父が、ベッドから下りようとして、床に尻餅をつき、そのまま立ち上がれなくなってしまう事がありました。 重くて、抱き起こす事ができないので、困ってしまったのですが、あれこれ考えている内に、体をうつ伏せにし、四つん這いになってから、手をベッドの上にかければ、起き上がれる事が分かりました。 「よし、これからは、これで行けるぞ」と喜んだものの、次の機会には、父の体力がなくなって、そもそも、うつ伏せになる事もできなかった、という具合です。
年老いた親が、車椅子生活になったから、自宅をバリア・フリー化しようと、玄関前にスロープを設けている家を、よく見かけますが、そこを、実際に車椅子で通っている姿はあまり見ないでしょう? その理由が分かりましたよ。 スロープをつけた頃には、もう、症状が進んでしまって、寝たきりになり、車椅子に乗れなくなっているんですわ。 そうに違いない。
若い内に、病気か怪我で、車椅子生活になった人と、老化して、車椅子を使うようになった人とでは、使う期間が違うのです。 前者に取って、車椅子は日常的な道具ですが、後者は、衰えて行く途上にありますから、いつまでも、車椅子に乗れるわけではありません。 上体を自力で支えられなくなったら、車椅子に乗る事はできないのです。 老人が車椅子生活になったら、寝たきりに移行するのは、時間の問題と見るべきでしょう。
ところが、介護している家族は、そんな事は分からないから、「車椅子なら、スロープが要るな」と、イメージで判断して、ン十万円費やして、ドドーンと造ってしまうんですな。 勿体ないこって。 そんなお金があったら、本人を施設に入れる足しにすればいいのに。 そういや、以前、このブログで、「要介護の患者は、極力、施設に入れるよう努力すべきだ」と力説しましたが、今回の一件で、ますます、その思いを強くしました。
うちのように、家で何もせずに暮らしている人間が一人いても、介護なんて、とても、できないんですよ。 父の場合、二度目の入院の前夜まで、自力で立つ事ができたから、着替えは、手伝うだけで済みましたが、もし、完全な寝たきりになってしまったら、パンツ1枚、換えられなかったと思います。 老人の体重を甘く考えては行けないのであって、赤ん坊や犬と同列には語れません。
紙オムツには、テープ式という、寝たきり患者専用の物がありますが、それでも、交換する時には、患者の体をベッドの上で転がさなければなりません。 当人に、転がる気があれば、割とうまく行きますが、そうでない場合、重すぎて、腕の力だけでは、片側を浮かせる事もできません。 病院で介護士さんがやっているのを見たら、全身を使って、柔道の寝技でもかけるような力の使い方をしていました。
紙オムツも、何度も買いに行きました。 パンツ式は、20枚入りで、1300円くらい。 テープ式は、その2倍くらい、しましたかね。 「一日に、何枚使う」という計算ができないのが厄介なところでして、なぜかというと、父の場合、自力でトイレに行ける時と、行けない時があり、行けない時が多いと、オムツがしょっちゅう濡れて、そのつど、交換しなければならないからです。
紙オムツにだけ限って言えば、いっそ、完全に寝たきりになってくれた方が、楽でした。 なまじ、本人が、自分の力で、脱ぐ事ができたものだから、夜中に漏らすと、パンツ式オムツを脱いでしまい、その後、新しいのを穿く事ができずに、そのまま、眠り直し、朝までに、また漏らして、ベッドがぐしょ濡れ、という事が何度もありました。
父の場合、体の衰えの先を行く格好で、認知機能の衰えが進んだのですが、人間、普段、何気なくやっている事でも、実は、頭を使っている事が、驚くほど多いいんですな。 頭がイカれると、ごくごく簡単な事ができなくなってしまうのです。 パンツやズボンに脚を通す事ができず、片方の穴に、両脚入れてしまって、「このパンツは、おかしい」などと、言っている始末。 風呂から出た後、パンツ一枚穿くのに、一時間かかっていた事もありました。
こういう話をすると、笑い所だと思って、笑う人がいますが、とんでもない! 小指の爪の先ほども笑える事ではないのであって、そんな状態になってしまった自分の親を見て、どうして、笑えるものですか。 ぞーっと、冷や汗が流れるだけです。 肉親の介護を経験した人は、決して笑えないと思います。 介護士や看護師が、他人の介護をする場合だと、また、感じ方が違うようですけど。 彼らの場合、笑いでもしなければ、やっていられないのでしょう。
で、「一時間もかかっているようなら、見てないで、手伝ってやれよ」と思うでしょう? ところが、それも駄目なんですよ。 手伝い始めたら、「あれもやってくれ、これもやってくれ」で、全面的に、介護者に頼るようになり、自分では何もできなくなってしまうのです。 これは、介護側からすると、恐ろしいの一語に尽きる。 体の一部どころか、患者と完全に一体化してしまう事になり、二人分の事を毎日しなければならなくなり、出かける事もままならなくなります。
だけどねー。 こういう事を、文章でいくら書いても、経験していない人には、伝わらないと思うんですよ。 一家の中で、一人が介護係になると、その一人に任せきりになり、他の家族がいても、何もしなくなります。 うちの場合、私が介護係になったので、母は、食事の仕度以外で、父の介護に携わる事はありませんでした。 その結果、母は、最後の最後まで、介護の難しさが分からないままでした。 家の中に、要介護者がいたにも拘らず、です。
最初の入院の時に、母が、父のパンツが汚れているのに気づいて、もう、救急車が来るというのに、パンツを穿き替えさせようとしていましたが、当人が意識混濁状態になっているのに、着替えなんか、させられるわけがないのであって、尻を持ち上げる事ができず、結局、諦めてしまいました。 母にとって、介護というのは、他人に汚れたパンツを見せたくないという、世間体を気にする程度のものであって、実際の介護は、知らずに終わったんですな。
他にも、「近所のスーパーで、紙オムツを買うと、知り合いに見られて恥ずかしい」と言って、わざわざ遠くのスーパー行って、しかも私に買わせたりしていましたが、紙オムツを買うのが恥ずかしいと思う事自体、すでに、介護者の発想ではありません。 私は、紙オムツを買う時には、お金がいくらかかるか、その心配しかしていませんでした。 何が、恥ずかしいものですか。 馬鹿馬鹿しい。
いや、それもこれも、もう済んでしまった事です。 死んでしまえば、もう、その人は戻りません。 私は介護をしていたから、喪失によるショックがあったわけですが、父が徐々に衰えて行く様子を、間近に観察していただけに、父の死そのものは、冷静に受け止められました。 最後の半年くらいは、もう、何もやる事がなく、やりたい事もなく、趣味の盆栽や植木にも興味を失い、テレビさえ、見ても見なくても同じという有様でしたから・・・。
人間は、やりたい事が、何もなくなった時に、頭が壊れ始め、体が壊れ始め、健康のバランスが取れなくなって、積木の山のように、ガラガラと崩壊して行くのだと知りました。 当人に、健康体に戻りたいという意志が感じられなくなり、食も細くなって来たら、もう、家族が何をしても、死への落下は止められないのだと悟りました。
私が、最も恐れていたのは、父が、長期介護になり、私の引退生活を、喰い尽してしまう事でしたが、幸いにも、それは避けられました。 その点に関しては、父に感謝するしかありません。 人間の生き方に、優劣をつけるのには、慎重さが必要ですが、死に方の方は、容易に、点数評価ができます。 人に迷惑をかけて死ねば、点数が低く、そうでなけば、高くなります。
孤独死は、何かと批判が多いですが、周囲への迷惑が少ないという点では、100点に近いです。 死んだ後の片付けなんか、介護に比べたら、物の数ではありません。 葬儀は別として、遺品整理業者に頼めば、一週間もあれば、全部、片付いてしまうではありませんか。 介護は、一週間じゃ終わりませんよ。
一方、在宅介護で、家族を介護者にして、何年も寝たきりで生きながらえた後、死ぬケースというのは、限りなく、0点に近いです。 家族の人生を、よーく、喰い潰してしまうからです。 日々、家族の生活を破壊していると言っても良いです。 そういう家では、口にはしないものの、死が待ち望まれているのであって、死んで、喪失を感じるどころか、逆に、解放感で、呆けてしまうくらいでしょう。 要介護患者が死んで、ようやく、家族の人生が再スタートするわけです。
うちの父は、0点になりかけてから、大逆転し、95点くらいで死んだ事になります。 減点の5点分は、私が介護に投入したエネルギーの分です。 それは、譲る気がありません。 父本人は、自分の親の介護をしなかったから、尚の事です。 ちなみに、私の祖父は、死ぬ前の一年間、要介護状態で、介護は、祖母がしていたそうです。 祖母の方は、クモ膜下出血で、夕方倒れて、夜中には死んでしまいましたから、要介護期間はありませんでした。
自分が親の介護をしていないのに、自分の介護は、子供にして欲しいと願うのは、随分と虫がいい話です。 だけど、そういう親は、多くいそうですな。 「子供が、親の面倒を見るのは、当然だ」とか、思っているわけだ。 自分は、やらなかったくせこいて、ヌケヌケと。 そういう親がいたら、はっきり言ってやった方がいいです。 「だけど、自分は親の面倒を見なかったんだろう?」って。 大方、ああだこうだと言い訳してくるでしょうが、聞く耳持つ必要はないです。
自分はやらなかったどころか、親の面倒を見たくないばかりに、高校卒業するなり、さっさと実家を出てしまって、できうる限り、実家から遠い大学へ行き、そこで就職して、結婚して、家を建てて、「俺は、独立したから、もう、実家には戻れない」と宣言する人は、非常に多いですな。 だけど、自分が親を捨てるのであれば、自分も、子供から捨てられる事は、当然、覚悟しておくべきです。 子は親を見て育つわけですから。
何だか、いくら書いても、とりとめがないので、今回は、このくらいにしておきます。
自分以外の人間の世話をしていると、その人が段々、自分の体の一部のような気がして来るものでして、二度目の入院をして一週間後に、「誤嚥性肺炎」という、入院理由とは全く関係ない病名で父が死んだ時には、自分の手足を失ったような気分になりました。 あの喪失感には、ペットの死とは、ランクが違うものがありましたねえ。 結局、元気な状態に戻すのに、有効な事は何もできなかったという点は、ペットでも父でも同じでしたが・・・。
自分で言うと、いやらしいですが、私ゃ、父が要介護になってから、実にいろいろな事をやりましたよ。 父が夜中に漏らしても、朝、簡単に片付けられるように、ベッドの防水対策に知恵を絞ったり、安い紙オムツを探し回ったり、階段に手すりを増設したり、欲しくもないのに、車を買ったり、毎日毎日、創意工夫と悪戦苦闘の連続でした。 でも、そのほとんどが、後手に回り、効果があっても、一回きりで、二度目には、父の衰えが更に進んで、もう通用しなくなってしまいました。
たとえば、父が、ベッドから下りようとして、床に尻餅をつき、そのまま立ち上がれなくなってしまう事がありました。 重くて、抱き起こす事ができないので、困ってしまったのですが、あれこれ考えている内に、体をうつ伏せにし、四つん這いになってから、手をベッドの上にかければ、起き上がれる事が分かりました。 「よし、これからは、これで行けるぞ」と喜んだものの、次の機会には、父の体力がなくなって、そもそも、うつ伏せになる事もできなかった、という具合です。
年老いた親が、車椅子生活になったから、自宅をバリア・フリー化しようと、玄関前にスロープを設けている家を、よく見かけますが、そこを、実際に車椅子で通っている姿はあまり見ないでしょう? その理由が分かりましたよ。 スロープをつけた頃には、もう、症状が進んでしまって、寝たきりになり、車椅子に乗れなくなっているんですわ。 そうに違いない。
若い内に、病気か怪我で、車椅子生活になった人と、老化して、車椅子を使うようになった人とでは、使う期間が違うのです。 前者に取って、車椅子は日常的な道具ですが、後者は、衰えて行く途上にありますから、いつまでも、車椅子に乗れるわけではありません。 上体を自力で支えられなくなったら、車椅子に乗る事はできないのです。 老人が車椅子生活になったら、寝たきりに移行するのは、時間の問題と見るべきでしょう。
ところが、介護している家族は、そんな事は分からないから、「車椅子なら、スロープが要るな」と、イメージで判断して、ン十万円費やして、ドドーンと造ってしまうんですな。 勿体ないこって。 そんなお金があったら、本人を施設に入れる足しにすればいいのに。 そういや、以前、このブログで、「要介護の患者は、極力、施設に入れるよう努力すべきだ」と力説しましたが、今回の一件で、ますます、その思いを強くしました。
うちのように、家で何もせずに暮らしている人間が一人いても、介護なんて、とても、できないんですよ。 父の場合、二度目の入院の前夜まで、自力で立つ事ができたから、着替えは、手伝うだけで済みましたが、もし、完全な寝たきりになってしまったら、パンツ1枚、換えられなかったと思います。 老人の体重を甘く考えては行けないのであって、赤ん坊や犬と同列には語れません。
紙オムツには、テープ式という、寝たきり患者専用の物がありますが、それでも、交換する時には、患者の体をベッドの上で転がさなければなりません。 当人に、転がる気があれば、割とうまく行きますが、そうでない場合、重すぎて、腕の力だけでは、片側を浮かせる事もできません。 病院で介護士さんがやっているのを見たら、全身を使って、柔道の寝技でもかけるような力の使い方をしていました。
紙オムツも、何度も買いに行きました。 パンツ式は、20枚入りで、1300円くらい。 テープ式は、その2倍くらい、しましたかね。 「一日に、何枚使う」という計算ができないのが厄介なところでして、なぜかというと、父の場合、自力でトイレに行ける時と、行けない時があり、行けない時が多いと、オムツがしょっちゅう濡れて、そのつど、交換しなければならないからです。
紙オムツにだけ限って言えば、いっそ、完全に寝たきりになってくれた方が、楽でした。 なまじ、本人が、自分の力で、脱ぐ事ができたものだから、夜中に漏らすと、パンツ式オムツを脱いでしまい、その後、新しいのを穿く事ができずに、そのまま、眠り直し、朝までに、また漏らして、ベッドがぐしょ濡れ、という事が何度もありました。
父の場合、体の衰えの先を行く格好で、認知機能の衰えが進んだのですが、人間、普段、何気なくやっている事でも、実は、頭を使っている事が、驚くほど多いいんですな。 頭がイカれると、ごくごく簡単な事ができなくなってしまうのです。 パンツやズボンに脚を通す事ができず、片方の穴に、両脚入れてしまって、「このパンツは、おかしい」などと、言っている始末。 風呂から出た後、パンツ一枚穿くのに、一時間かかっていた事もありました。
こういう話をすると、笑い所だと思って、笑う人がいますが、とんでもない! 小指の爪の先ほども笑える事ではないのであって、そんな状態になってしまった自分の親を見て、どうして、笑えるものですか。 ぞーっと、冷や汗が流れるだけです。 肉親の介護を経験した人は、決して笑えないと思います。 介護士や看護師が、他人の介護をする場合だと、また、感じ方が違うようですけど。 彼らの場合、笑いでもしなければ、やっていられないのでしょう。
で、「一時間もかかっているようなら、見てないで、手伝ってやれよ」と思うでしょう? ところが、それも駄目なんですよ。 手伝い始めたら、「あれもやってくれ、これもやってくれ」で、全面的に、介護者に頼るようになり、自分では何もできなくなってしまうのです。 これは、介護側からすると、恐ろしいの一語に尽きる。 体の一部どころか、患者と完全に一体化してしまう事になり、二人分の事を毎日しなければならなくなり、出かける事もままならなくなります。
だけどねー。 こういう事を、文章でいくら書いても、経験していない人には、伝わらないと思うんですよ。 一家の中で、一人が介護係になると、その一人に任せきりになり、他の家族がいても、何もしなくなります。 うちの場合、私が介護係になったので、母は、食事の仕度以外で、父の介護に携わる事はありませんでした。 その結果、母は、最後の最後まで、介護の難しさが分からないままでした。 家の中に、要介護者がいたにも拘らず、です。
最初の入院の時に、母が、父のパンツが汚れているのに気づいて、もう、救急車が来るというのに、パンツを穿き替えさせようとしていましたが、当人が意識混濁状態になっているのに、着替えなんか、させられるわけがないのであって、尻を持ち上げる事ができず、結局、諦めてしまいました。 母にとって、介護というのは、他人に汚れたパンツを見せたくないという、世間体を気にする程度のものであって、実際の介護は、知らずに終わったんですな。
他にも、「近所のスーパーで、紙オムツを買うと、知り合いに見られて恥ずかしい」と言って、わざわざ遠くのスーパー行って、しかも私に買わせたりしていましたが、紙オムツを買うのが恥ずかしいと思う事自体、すでに、介護者の発想ではありません。 私は、紙オムツを買う時には、お金がいくらかかるか、その心配しかしていませんでした。 何が、恥ずかしいものですか。 馬鹿馬鹿しい。
いや、それもこれも、もう済んでしまった事です。 死んでしまえば、もう、その人は戻りません。 私は介護をしていたから、喪失によるショックがあったわけですが、父が徐々に衰えて行く様子を、間近に観察していただけに、父の死そのものは、冷静に受け止められました。 最後の半年くらいは、もう、何もやる事がなく、やりたい事もなく、趣味の盆栽や植木にも興味を失い、テレビさえ、見ても見なくても同じという有様でしたから・・・。
人間は、やりたい事が、何もなくなった時に、頭が壊れ始め、体が壊れ始め、健康のバランスが取れなくなって、積木の山のように、ガラガラと崩壊して行くのだと知りました。 当人に、健康体に戻りたいという意志が感じられなくなり、食も細くなって来たら、もう、家族が何をしても、死への落下は止められないのだと悟りました。
私が、最も恐れていたのは、父が、長期介護になり、私の引退生活を、喰い尽してしまう事でしたが、幸いにも、それは避けられました。 その点に関しては、父に感謝するしかありません。 人間の生き方に、優劣をつけるのには、慎重さが必要ですが、死に方の方は、容易に、点数評価ができます。 人に迷惑をかけて死ねば、点数が低く、そうでなけば、高くなります。
孤独死は、何かと批判が多いですが、周囲への迷惑が少ないという点では、100点に近いです。 死んだ後の片付けなんか、介護に比べたら、物の数ではありません。 葬儀は別として、遺品整理業者に頼めば、一週間もあれば、全部、片付いてしまうではありませんか。 介護は、一週間じゃ終わりませんよ。
一方、在宅介護で、家族を介護者にして、何年も寝たきりで生きながらえた後、死ぬケースというのは、限りなく、0点に近いです。 家族の人生を、よーく、喰い潰してしまうからです。 日々、家族の生活を破壊していると言っても良いです。 そういう家では、口にはしないものの、死が待ち望まれているのであって、死んで、喪失を感じるどころか、逆に、解放感で、呆けてしまうくらいでしょう。 要介護患者が死んで、ようやく、家族の人生が再スタートするわけです。
うちの父は、0点になりかけてから、大逆転し、95点くらいで死んだ事になります。 減点の5点分は、私が介護に投入したエネルギーの分です。 それは、譲る気がありません。 父本人は、自分の親の介護をしなかったから、尚の事です。 ちなみに、私の祖父は、死ぬ前の一年間、要介護状態で、介護は、祖母がしていたそうです。 祖母の方は、クモ膜下出血で、夕方倒れて、夜中には死んでしまいましたから、要介護期間はありませんでした。
自分が親の介護をしていないのに、自分の介護は、子供にして欲しいと願うのは、随分と虫がいい話です。 だけど、そういう親は、多くいそうですな。 「子供が、親の面倒を見るのは、当然だ」とか、思っているわけだ。 自分は、やらなかったくせこいて、ヌケヌケと。 そういう親がいたら、はっきり言ってやった方がいいです。 「だけど、自分は親の面倒を見なかったんだろう?」って。 大方、ああだこうだと言い訳してくるでしょうが、聞く耳持つ必要はないです。
自分はやらなかったどころか、親の面倒を見たくないばかりに、高校卒業するなり、さっさと実家を出てしまって、できうる限り、実家から遠い大学へ行き、そこで就職して、結婚して、家を建てて、「俺は、独立したから、もう、実家には戻れない」と宣言する人は、非常に多いですな。 だけど、自分が親を捨てるのであれば、自分も、子供から捨てられる事は、当然、覚悟しておくべきです。 子は親を見て育つわけですから。
何だか、いくら書いても、とりとめがないので、今回は、このくらいにしておきます。