2020/05/31

EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑤

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録。 5回目です。

  本文の内容とは全く関係ありませんが、「○回目」という時の、「目」とは、日本語のやまと言葉の、順序を表わす接尾辞です。 漢語では、接頭辞になり、「第○回」のように、前に、「第」が付きます。 この違い、一般的には、全く意識されておらず、ごっちゃになって、「第○回目」のように、両方付けても、別段、違和感を覚えないくらい、よく言えば、柔軟に、悪く言えば、いい加減に扱われています。

  現代中国語でも、「第」は使います。 しかし、「回」は使われず、代わりに、「届(JIE\)」が使われます。 「第○届」というふうに。

  英語では、「first、second、third、forth、以下、~th」が使われ、概ね、数を表わす単語の後ろに、接尾辞「th」が付くから、やまと言葉の「目」と近いです。 僅かながら語尾が変化しますが、大体のパターンは決まっているから、一度覚えてしまえば、忘れるような事はないです。 「sixth」なんて、非常に、発音し難いですが。

  むむ、なんで、こんな事を書いている? 脱線も甚だしい。 プチ・ツーの話でしたな。




【かんなみスポーツ公園】

  1月30日に、バイクで、函南町にある、「かんなみスポーツ公園」に行って来ました。 前の週に、火雷神社と酪農王国オラッチェに行った帰りに、場所が分かったので、改めて、行ってみたという次第。 この日から、靴下止めをして行きました。

≪写真1≫
  門。 函南の街の方から、熱函道路を山の中に入って行くと、左手にあります。

≪写真2左≫
  駐車場。 30台くらいは、楽に停められそうです。 だけど、観光地ではなく、利用者以外は、来ても意味がないような所です。

≪写真2右≫
  管理棟近くの、駐輪場。 私は、バイクで上まで来てしまったので、ここに停めました。

≪写真3左≫
  門のすぐ横にある、駐輪場。 妙に、広い。 おそらく、中高生が自転車で押しかけて来る事を想定して、たっぷり用意してあるのだと思います。

≪写真3中≫
  屋外時計。 セイコーのもの。 太陽電池パネルが付いていますが、こういうのは、全て、自家発電で賄えているんでしょうかね?

≪写真3右≫
  隣の敷地にあった、奇妙な建物。 何の為に建てたのか、全く分かりませんが、こういう変わった物を造ろうという、その心意気が、楽しいです。

≪写真4左≫
  あずまやベンチ。 デザインされていますなあ。

≪写真4右≫
  芝生広場から、多目的運動広場へ上がる為の階段。 階段は上がれますが、上の扉が閉まっているので、広場には入れません。

≪写真5左≫
  一番高い所から見た、多目的運動広場。 夜間照明設備あり。 遠くに、管理棟が見えます。 左手の奥に、テニス・コートがあります。 これらは、有料施設で、単なる訪問者は、入れません。

≪写真5右≫
  かんなみスポーツ公園を後にして、JR函南駅へ行ってみました。  熱海と三島の間にある駅ですが、函南の街からは離れていて、駅だけが、山懐にあります。 私は、この駅で下りた事は、一度もありませんが、駅前に来た事は、5・6回はあります。 そんなに広くはなくて、長居するような所ではない事を再確認して、撤収。

≪写真6≫
  函南駅から、幹線道路へ戻る途中で撮った、富士山。 函南からだと、宝永山が、こんな風に見えるわけだ。


  この後、前の週に来た時、閉店していた菓子屋に寄りました。 この日は、やっていて、猪最中を買えました。 10個入り、1300円。 何とか、ナップ・ザックに収まりました。 バイクには、荷台が付いているのですが、紐を忘れたので、使えませんでした。



【元野牧付近】

  2月7日に、バイクを出し、愛鷹山麓の、「元野牧」という、江戸時代の馬牧場跡に向かいました。 何度か、道を間違えつつも、それらしき所まで行ったのですが、沼津市が立てた、解説立札を見つけられずに帰って来ました。

≪写真上≫
  家で調べたら、本当に近い所まで迫っていた事が分かりました。 この森の道を奥に入って行くと、立札があったはず。 見つけたとしても、ただの、杉・檜林ですけど。

≪写真中左≫
  停めたバイクの南側、つまり、向こう側に見えているのは、新東名です。 新東名の南側には、富士通の敷地があります。 逆から説明すると、富士通の北にある、跨道橋を渡り、新東名の北側側道を東へ向かうと、行き止まりのすぐ手前に、この森の道があるのです。

≪写真中右≫
  同じ場所で、EN125-2A・鋭爽。 今のところ、別に、問題なし。 近場しか行かないので、山道ばかり走っていて、バイクのエンジンやミッションには、負担をかけています。 

≪写真下≫
  これは、少し上の方に上がって、下界を見下ろした景色。 駿河湾が見えます。 遠くに見えるのは、清水や、日本平ではないかと。


  ドス曇りで、寒い寒い。 それでも、バイクに乗っている間は良かったのですが、家に戻ってから、風呂に入るのが、めちゃくちゃ寒くて、死ぬかと思いました。 風呂場での死亡率が最も高いというのは、大いに頷けるところです。

  帰って来てから、日が射して来て、室温が11℃まで上がりましたが、 もう、遅いと言うのよ。



【原の史跡】

  2月11日に、バイクを出し、沼津市の西の方、原地区にある、史跡に行って来ました。 基本的に、沼津市のホーム・ページに出ていた所。

≪写真1≫
  桃里という所にある、「浅間愛鷹神社」。 読みは、たぶん、「せんげん・あしたか・じんじゃ」だと思います。 「あさま」ではないはず。 横の方に駐車場がありますが、鎖を張ってあって、車は入れないようでした。

≪写真2左≫
  「桃里改称記念碑」。 鈴木助兵衛という人が開拓した土地なので、「助兵衛新田」と言われてきたのが、「スケベエは、まずいだろう」という事で、1908年(明治41年)に、「桃里」に改めた、という、ちょっと笑える経緯が書かれているらしいです。

≪写真2右≫
  狛犬、というか、獅子。 今風の造形ですな。 「平成19年 奉納」とあります。 2007年です。

  一般論ですが・・・。 神社にある物は、伝統が守られているのだろうと思いがちですが、狛犬の造形は、30年もすると、ガラリと変わります。 そもそも、狛犬と獅子では、元々、別物です。 いつのまにか、入れ代わってしまったんですな。

≪写真3≫
  拝殿。 鉄筋コンクリート造り。 沼津近辺では、鉄コンの社殿は多いです。 信心深い土地の人なら、「神社に鉄コンなんて、とんでもない!」と驚くでしょうけど、一度、鉄コンにしてしまえば、腐らないから、維持する側としては、都合がいいんでしょう。

≪写真4左≫
  旧東海道沿いにある、「元堀(水落堀)跡」。 1706年頃に、浮島沼から、一本松の海岸まで、用水路を掘った、その跡だそうです。 ところが、この写真を撮るのだけに気が行って、解説文を、その場で読まなかったので、肝心の堀を確認して来ませんでした。 また、いつか、行きます。 これは、沼津市のホーム・ページには、出ていませんでした。 富士市との境界付近なので、もしかしたら、沼津市ではないのかも知れません。

≪写真4右≫
  旧東海道を、少し東へ戻った所にある、「要石(かなめいし)神社」。 元々、ここに、大きな安山岩があり、それより上には、高潮でも波が来ないと言われていたそうです。 農地を開墾する上で、高潮の限界を知る事が重要だったのでしょう。

  しかし、ここでも、どれが、その安山岩なのか、分かりませんでした。 石の鳥居と、小さな石の祠があるだけ。



【馬渡橋】

  2月19日に、バイクを出し、三島市の箱根山麓、山田という地区へ行って来ました。 三島は、隣の自治体ですが、この日に行ったのは、完全に初めての場所でした。

≪写真1≫
  目的地の、「馬渡橋」。 名前の由来は、分かりません。 地図を見ていて、目についたので、目的地にした次第。 河原ヶ原集落の山側の外れに架かっています。 もしかしたら、昔は、馬が渡れる橋と、渡れない橋の区別があったのかも知れませんな。 耐えられる荷重の関係で。

≪写真2左≫
  読み方は、「うまわたりはし」で、「うまわたりばし」ではないようです。

≪写真2右≫
  山田川。 橋の下流側です。 両岸は、コンクリート・ブロック垣で固められていますが、川底には、結構大きな石が、ゴロゴロしています。 いかにも、山の中の川という感じ。

≪写真3≫
  橋のすぐ山側に、空き地があり、そこに、バイクを停めました。 長居するような所ではなく、ヘルメットは脱ぎませんでした。 後ろにあるのは、仏ものの石像。

≪写真4左≫
  橋のすぐ上にある、高架道路。 たぶん、伊豆縦貫自動車道です。 割と近年に造られたもの。 高いです。 大きな地震が来たら、どうなるんでしょう?

≪写真4右≫
  馬渡橋から、少し登った所にあった、「完工碑 土地改良総合整備事業(山田地区)」。 真新しく見えますが、裏には、平成元年(1989年)とあり、すでに、30年以上経っています。 更に上に進むと、「三島・子供の森」の方へ繋がるようですが、そちらは、前に行った事があるので、ここで、引き返しました。



【山田川自然の里①】

  馬渡橋から、完工碑の間に分岐があり、なにか、見所がありそうだったので、帰りに、そちらへ入ってみました。

≪写真1≫
  すぐに到着したのが、ここ。 「山田川自然の里」です。 駐車場が、5・6台分くらいありました。 1台しか停まっていなかったので、バイクは、1台分使って、停めました。

≪写真2左上≫
  駐車場の隅にあった、案内地図。 この写真の大きさでは分かりませんが、川に沿って作られた、細長い自然公園です。 基本的に私有地で、無料公開している模様。

≪写真2左下≫
  「鬼石橋」。 下の川は、山田川。 川沿いの遊歩道を遡って行くわけですが、とりあえず、この橋は渡りません。

≪写真2右≫
  川の右岸を登って行きます。 梅が咲いていました。

≪写真3左≫
  まずは、森や竹林を抜けて行きます。

≪写真3右≫
  「へびに注意」の看板。 ほぼ、山の中で、竹林もあるわけですから、蛇もいるでしょうなあ。 まあ、冬だから、気にしませんでしたけど。

≪写真4≫
  やがて、空間が開けて、こんな感じになります。 川の流れる音がして、大変、気持ちがいい。 この辺りから、日本昔話っぽい景色になりました。



【山田川自然の里②】

≪写真1≫
  山田川。 ほぼ、自然のまま。 ところどころ、石垣を組んだ所がありましたが、田畑を作る為に、河岸を固めたんでしょうな。

≪写真2左≫
  この写真では分かり難いですが、水は、清流です。 ここより上に、集落がないから、汚れようがないわけです。

≪写真2右≫
  これは、川の本流ではなく、河原にある細い流れです。 「せせらぎには はいっていいよ」とあります。 子供の遊び場にしてあるんですな。

≪写真3≫
  一番奥に近い所にある、大きな竹林です。 最も、日本昔話っぽい。

≪写真4左≫
  河原には、所々に、巨石があります。 この石は、高さ、3メートルくらいでしたかね。 箱根は火山だから、火成岩なんでしょうな。 こんなのが、大水の時に、上流から、ゴロゴロ、転がって来たわけだ。

≪写真4右≫
  右岸の道の、どん詰まり。 本来なら、橋を渡って、左岸の道を下って行けるのですが、昨年の台風で、被害を受けたそうで、立ち入り禁止になっていました。 やむなく、ここから、元来た道を引き返しました。

≪写真5左≫
  道の途中で咲いていた、オオイヌノフグリ。 ゴマノハグサ科。

≪写真5右≫
  駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 入る前から、10分以上は確実に戻って来ないだろうと踏んでいたので、ヘルメットは脱いで、バイクに着けて行きました。 他に、客がいなかったから、悪戯される心配はありませんでした。 やはり、プチ・ツーリングは、すいている平日に限りますな。 実際の滞在時間は、40分くらいでした。 一番奥まで、行って帰って来るだけで、結構、歩いたわけです。




  今回は、ここまで。 組み写真の枚数が、前回、5枚で、多過ぎると言っていたのが、今回は、6枚に増えてしまい、ますます、多過ぎ。 一回に、何ヵ所か寄るから、一回分が長引いて、枚数が増えてしまうのです。

  どうせ、プチ・ツーで行ける半径は限られているのだから、その内、行き尽くしてしまうに違いないのであって、目的地を温存する為には、一回に一ヵ所に留めておけばいいんですが、理屈では分かっていても、すぐ近くに、他の所があると思うと、つい、行ってしまうのです。

2020/05/24

EN125-2Aでプチ・ツーリング ④

  新型肺炎の緊急事態宣言が、静岡県では解除されたので、プチ・ツーリングを再開しました。 と言っても、人がいない所にしか行かないのですが・・・。

  で、このブログでも、宣言前に行った所の紀行文を出す事にします。 宣言中に紀行文なんか出すと、出かけた日付を見もせんと、「この非常時に、バイクで、物見遊山に出かけるとは、何事かっ!」と、激怒する人がいそうなので、用心して避けていた次第。




【富士竹類植物園の門前】

  1月9日に、バイクで、長泉町の南一色にある、「富士竹類植物園」の門前まで行って来ました。 冬季休業期間中で、開いていないのは知っていたんですが、他に目的地が思い浮かばなかったのです。

≪写真上≫
  門前。 当然ですが、門は閉まっていました。 ここには、過去に、2回来ています。 最初は、1990年の8月17日に、自分の車(初代ミラ)で一人で、その後、間もない内に、母の車(初代トゥデイ)に、母を乗せて、二人で来ました。 最初に来た時から数えると、ほぼ、30年ぶり。

  なぜ、そんなに来なかったかというと、何度も行きたくなるような場所ではないからです。 ここに限らず、植物園は、みんな、そうなんじゃないでしょうか。 誤解のないように言っておきますと、一度だけなら、来る価値はあると思います。 入園料は、500円と書いてありました。

≪写真中≫
  植物園の南側が、すぐに、東名高速道路です。

≪写真下≫
  植物園の北側に回ると、新東名が通っていました。 どっちも、交通量は、同じくらいでしょうか。

  この辺り、山の中ですが、道は多くて、しかも、クネクネと曲がっているので、大体の方向性で走っていると、どこへ出るか分かりません。 迷いそうになったら、元に道に戻る方が確実です。



【妙法華寺①】

≪写真1≫
  1月16日の午後、バイクを出し、三島市の箱根山麓にある、妙法華寺に行って来ました。 母の話では、私が子供の頃に、父の運転する車で、ドライブに行った事があるとの事。 しかし、ほとんど、記憶がありませんでした。 正しくは、「日蓮宗 經王山 妙法華寺」。

≪写真2左≫
  寺の案内地図。 結構、いろんな物があるようですが、そんなに広い範囲ではないです。

≪写真2右≫
  本堂。 門から、本堂まで、あまり、距離がないので、全体を収められませんでした。 普通のお寺よりも、大きいです。 本堂の中に、仁王像が立っていました。

≪写真3≫
  ちょっと分かり難いですが、中央の白っぽい木、低い立て札が立っているのが、徳川家康の側室である、お萬の方、お手植えの桜。 私が、おぼろげに覚えていたのは、どこかへドライブに行って、「○○様、お手植えの○○」というのを見たという、それだけでした。 たぶん、ここだったのでしょう。

  400年くらい前の人なので、桜の寿命が、そんなにもつのか疑わしいですが、もしかしたら、挿し木などで受け継いでいるのかも知れませんな。

≪写真4左≫
  境内。 敷地そのものが、谷あいにあるので、そんなに広いわけではありません。 ドーム屋根の建物は、宝物殿。

≪写真4右≫
  三島市指定建造物の、鐘楼。 案内地図には、「中鐘楼」とあります。 鎌倉にあったものを、移築したらしいです。 建てられたのは、700年以上前だとの事。 周囲を巡ってみましたが、登る所がありませんでした。

  鐘は、ありません。 戦争で、供出したとの事。 させた方も、した方も、馬鹿な事をしたものです。 後になってみれば、のらくら、言い訳を並べて、供出しなかった寺の住職達に、先見の明があったとしか言いようがありません。 寺の鐘や、一般家庭の鍋釜を鋳潰して、金属を確保しているような戦争が、そんなに長く続けられるわけがないです。



【妙法華寺②】

≪写真1≫
  墓地の方の奥にあった、古い墓石群。 普通の墓石よりも、ふた回りくらい、大きいです。 ギョッとします。 威圧されます。

≪写真2左≫
  上の墓石群のすぐ隣、五輪塔の区画に付いていた、石の扉。 怖い。 これ自体も、不気味ですが、石で扉を作るという発想が、また、怖いです。 良く言えば、ド迫力。 夢に出て来そうです。 

≪写真2右≫
  一般墓地の隅に建っていた、鐘楼。 案内地図には、「大鐘」とあり、こちらは、鐘があります。 戦後に建てられたのでしょう。 写真には写っていませんが、正月の玄関飾りが吊るしてありました。 ああいう飾りは、神ものだと思っていましたが、仏ものでもあるんですかね?

≪写真3≫
  妙法華寺から、更に山の上の方へ向かうと、国道一号に出るのですが、そのちょっと手前で、海の方の風景を撮りました。 曇り空の、寒い日でねえ・・・。 遠くに駿河湾。 中央から、左の方にかけて、沼津アルプス。 その向こうに、伊豆半島・北西部の山並みが見えます。

≪写真4≫
  同じ所で撮った、EN125-2A・鋭爽。 ヘルメットは被ったままで、手袋だけ、荷台の上に置いてあります。 ロー・ギヤードで、平地では、少々、使い難いですが、山の中では、シフトの回数が少なくて済むから、走り易いです。



【火雷神社 / 不動滝 / メルヘンの里】

  1月22日に、バイクを出し、函南町の山の中にある、田代という所へ行って来ました。 丹那断層で出来た、石段と鳥居のズレ跡を見られる、「火雷神社(からいじんじゃ)」があります。 随分前に、一度行ったのですが、その後、道を忘れてしまい、近くまで行っても、寄れずにいました。 今回は、ネットで地図を印刷して、挑戦してみた次第。

≪写真1≫
  前回と違う道で、到着。 案内標識に、「伊豆ジオパーク」のマークが入っています。 これは、ごく最近になって、作ったのでしょう。

≪写真2≫
  20年くらい経っているかもしれませんが、神社そのものは、変わっていませんでした。 断層によるズレというのは、石段と、鳥居が、元は直線状にあったのが、地震で、ズレてしまったというもの。

  写真では、分かり難いですが、向かって右側の石段が、その頃からのもの。 鳥居は、崩れてしまっていますが、逆トの字になっている柱と、右の方にある短く折れた支柱が、その痕跡です。 こちらからみると、石段に対して、鳥居が右側にズレたわけです。

≪写真3≫
  田代地区の、北の方。 集落は南の方にあり、幹線道路沿いにある、軽井沢の集落から、すぐです。 北の方は、ほぼ、水田。 広々して、気持ちがいい所です。

≪写真4≫
  近くにある、「不動滝」。 山の麓というか、平地の端っこというか、そんな場所にあります。 どうも、人工的に作った滝のようでした。 その割には、うまく作ってありましたけど。

≪写真5≫
  近くにある、「メルヘンの里」にも寄りました。 コスモスの名所ですが、季節的に、遅過ぎで、枯れ茎しかありませんでした。 秋に、また来ようと思います。



【酪農王国オラッチェ】

  田代の帰りに、丹那にある、「酪農王国オラッチェ」へ寄りました。 ここには、何度も来ています。 前回は、2014年9月で、セロー225WEで来ました。 もう、5年以上経ってしまったか。 一度、折自で来ましたけど、基本的に、バイクがないと、厳しい距離です。 山の上だし。 様々な説明板を除き、5年前と、変化なし。 驢馬、山羊、羊、鯉、牛、馬などがいました。 ここは、入園無料なのがありがたい。

≪写真1≫
  バイクを、前回来たのと、同じ場所に停めました。 左が、今回の、EN125-2A・鋭爽。 右が、2014年9月に来た時の、セロー225WE。 セローの方が力がありますが、山の中での使い易さは、EN125-2Aの方に分があります。 同じ場所ですが、季節が違うので、植え込みの植物の様子が、だいぶ、違います。

≪写真2≫
  駐車場から見た、酪農王国オラッチェの、入口建物正面。 駐車場は、充分に広くて、いつ来ても、停められないという事はないと思います。 この建物は、酪農製品の土産物売り場になっています。 そこを通って、中庭へ抜けると、飲食店があります。

≪写真3左≫
  入口建物の、中庭側に置かれている、寄贈品のトラクター。 年代ものですな。 エンジン・フード横に、「昭和38年度 農業構造改善事業」と書いてあります。 私より、年長だ。

≪写真3右≫
  驢馬。 動き回れる範囲が狭そうでした。 動物園ではないから、致し方ないか。

≪写真4左≫
  羊。 モコモコですな。 ひっきりなしに、口をもぐもぐさせていました。

≪写真4右≫
  山羊。 歯を見せて、笑っています。 愛想がいいのか、元から、そういう顔なのか。

≪写真5左≫
  牛。 ホルスタインの女の子、「はなちゃん」。 客に興味がないようで、この姿勢のまま、動きませんでした。 牛の大きな目で、ジロッと見られると、ギョッとしますな。

≪写真5右≫
  馬。 ミニチュアホースの女の子、「しろちゃん」。 ミニチュアホースは、ポニーとは別種で、大きな馬と、体形が似ています。 サイズが小さいだけ。


  帰りに、函南の菓子屋に、猪最中を買う為に寄りましたが、「社員研修の為、2時半で閉店」という貼紙がしてあり、買えませんでした。 よくあるパターンです。 菓子屋は、後回しにしては駄目なようですな。




  今回は、ここまで。 宣言前に行った所を、早く出してしまおうと思って、組み写真の枚数を増やしたら、 アップが大変になってしまいました。 3枚と5枚じゃ、大違いだな。

  プチ・ツーは、一人で行くわけで、非常に孤独な趣味であり、複数で行く旅行と比べると、感動は桁違いに薄いです。 声を出して笑う場面など、全くないですし。 しかし、全てを自分で決められるお陰で、諍いは全く起こりませんし、ハプニングも起こり難く、安心して出かけられる利点があります。

  人生経験が長くなると、どういう所へ行くと、何が起こるか、大体、予測がつくようになるので、悪い事が起きそうな所は、最初から避けるようになるという仕組みです。 感動が薄いとは言え、それなりに楽しむ為に出かけるのであって、嫌な思いをしていたのでは、本末転倒になってしまいます。

2020/05/17

新型肺炎あれこれ ⑧

  新型肺炎について、日記ブログの方からの移植。 5月1日から、10日までの分を出します。 毎日、新型肺炎について書いているわけではないので、日付が飛ぶ事があります。 このブログの記事は、大体、公開の6日前くらいに纏めているので、公開する頃には、また、旧聞になってしまいますけど。




【2020/05/01 金】
  午後3時から、母を、心臓の病院へ送迎。 今回は、薬だけというわけには行かず、診察あり。 そもそも、健康を維持したいから、医者にかかるのに、そのせいで、感染の危険が高まるというのは、ジレンマですな。 私だったら、流行が収まるまで、通院をやめてしまいますが、薬を飲み続けなければ、死んでしまうというのでは、致し方ない。

  送って行った帰りに、庭掃除用のデッキ・シューズを買おうと、ワークマンに寄ってみたのですが、なんと、駐車場が、ほぼ満杯。 店内に入る気にならず、そのまま、引き揚げて来ました。 迎えに行く時に、もう一度、前を通ったのですが、まだ、半分以上、埋まっており、素通りしました。 閑人が増えると、こういう店に来るのだな。


  病院の駐車場で、母が薬局から出て来るのを待つ間、ふと、思ったのですが・・・、ほんの3ヵ月程度で、世界は、よーく色褪せてしまいましたなあ。 「新たな日常(ニュー・ノーマル)」という概念も出て来ましたが、私はもう、結構な歳なので、そういうのに先回りして飛びつく気になれません。

  旅番組のタレントと地元の人のふれあいとか、ドラマ・映画のキス・シーンとか、かつては、微笑ましかったり、魅力的だったりした光景が、今や、おぞましさしか感じさせてくれません。 「ああ、今まさに、感染させているのだな」と思うと、ゾッとする。 ゾーーーーッとする。

  新たな日常に於いては、握手の習慣が滅び去り、マスク着用が当たり前になるとも言いますが、握手はともかく、マスクの方は、重大問題で、ドラマや映画は、もう、成り立たないのでは? 現実社会では、全員、マスクしているのに、映像作品の中でだけ、外してたら、変でしょ?

  そういう個別の事とは違う次元で、世界の価値そのものが、著しく落ちてしまったように感じられます。 人間が、魅力ある存在と思えなくなってしまった。 まず、相手を、「汚いもの」として警戒しなければならないのは、きついですなあ。 私のような社交嫌いであっても、尚、きついと思います。



【2020/05/02 土】
  緊急事態宣言の延長は決まったも同然ですが、世間の反応が、2種類出て来ると思います。 今まで通り、自粛を続けるという人達と、「馬鹿馬鹿しい。 つきあいきれるか」と、無視し始める人達と。

  所詮、「要請」に過ぎないという点が肝要で、たとえ無視する人間がいても、警官や自治体職員は、注意する事しかできず、指一本触れる事はできません。 それなら、勝手にやろうという人間が出てくるのは、無理からぬ事。 どうしても、やめさせたいのなら、法律を改変して、罰則を設けるしかありません。

  今回は、一回目の延長ですが、もし、二回目の延長となった場合、無視する人が、もっと増えて来ると思います。 前にも書きましたが、日本の専門家は、能力的に信用できません。 「感染者は減っている」と、自分達の対策の成果を主張しながら、同じ口で、「減り方が足りないから、また、延長」というのでは、矛盾もいいところで、「いい加減にしろ」と思われるのも、致し方ない。

  「どの数値まで減れば、解除する」と言えないのは、日本の専門家が、何かしらの法則に従って判断しているわけではないという事の証明でしょう。 地震学界や、火山学界の予測と、酷似している。 いい加減な事を言っても、責任を問われないと安心しているわけだ。 死者が積み上がっても、責任を問われずに済むと思うのは、後生がいいとしか思えませんが。

  地震や火山噴火は、計算方法がないだけで、データはありますが、新型肺炎の専門家には、データすらありません。 あるのは、ただ、調査・検査能力との相似形を表す、いい加減なグラフだけ。 騒ぎが始まってから、3ヵ月以上経っているのに、データの基本中の基本である、感染者の実数を掴んでいないというのだから、もはや、科学の内にも入りません。 データを得る為のサンプリング調査すらしようとしないのは、科学者である事を放棄していると言ってもいいです。

  権威に弱いタイプで、今、辛うじて、「政府や専門家の指示だから」という理由で、規制を受け入れている人達も、もう一回、延長という事になったら、さすがに、眉間の皺がぎゅーーっと深くなってくると思います。 「ええかげんにせーよ」と。 しかし、権威には逆らえないものだから、怒りの持って行き所がなくて、家庭内暴力や、犯罪に走るという流れ。 

  倒産・失業が増えてくると、当然、食って行けない人が出て来ますから、犯罪が増えます。 窃盗や強盗は、どんどん増える。 失業した人全てに、生活保護を出せば、そういう事は防げますが、役所は、絶対、出さないと思います。 生活難民から犯罪者を出さない為には、食い詰めて住む場所も失ってしまった人達を、宿泊施設に入れて、最低限の生活だけ面倒見るのがいいかもしれませんが、たぶん、それも、行なわれないでしょう。 とにかく、政府、自治体、役所は、普段やっていないような事は、極力、やりたくないわけだ。

  すでに、新型肺炎が原因で、犯罪が起こった例が出て来ていますが、今後、更に増えると思うので、早めに、対策を取った方がいいかもしれませんな。 在宅中でも、家の戸締まりをするとか、鍵を一つ増やすとか。 そういや、ここ半月ばかり、うちに、非通知の電話が、毎日のようにかかって来て、出ると、向こうに人の気配がするのに、切れてしまうのですが、あれはたぶん、空き巣狙いが、電話をかけて、出ない家を特定しようとしているんでしょうなあ。 すぐそこまで、犯罪者が迫って来ていると思うべきなのでしょう。



【2020/05/03 日】
  緊急事態宣言ですが、全国一律に、5月末まで延長であるにも拘らず、特定警戒区域以外は、規制内容を緩和するとの事。 矛盾しているようですが、つまり、区域外への移動をされては困るから、「緊急事態宣言は、全国的に維持されている」という建前が欲しいという事ですかね? この期に及んで、まだ、建前が出てくるのだな、この国は。

  だけど、実際に緩和という事になれば、店が再開するから、特定警戒区域から、また、人がやってくると思いますよ。 個人主義に、どっぷり浸かって生きてきた、「自由な市民」を甘く見てはいけません。 家でじっとしてなんて、いるものかね。


  あちこちの民間病院で行なわれた、抗体検査の結果が出て来ていて、東京で6パーセントとか、大阪で1パーセントとか言っていますが、人口比で考えると、数十万人、数万人になってしまうのであって、私が思っていた通り、とっくの昔に、市中蔓延していたわけですな。 たぶん、地方でも、各県、数万人は行っているのではないかと思います。 都市部以上に、検査・調査がいい加減だから、数値が出て来ないだけでしょう。

  こんなに増えてしまっては、もはや、有症状感染者を全員見つけるのは、非現実的で、否が応でも、集団免疫が出来るか、ワクチンが出来るまで、規制の緩急で凌ぐしかありません。 どれだけ、倒産・失業するか、分からない。 ウィルスの性質から考えて、どの地域でも、規制緩和すれば、どっと感染が増えると思いますが、倒産・失業で自殺者が出るのと、どっちが悲惨か、天秤にかけられませんな。 困ったねえ。

  もし、横浜のクルーズ船で騒いでいた2月頃に、追跡システムを入れて、有症状感染者と、その接触者を、全員、補足していれば、こんな事にはならなかったんですが、旧人類ばかりの日本の政治家・役人・専門家に、そんな事を望むのは、とても無理だった事は、もちろん、承知しているので、言っても、詮ない事ですな。


  私個人としては、とりあえず、静岡県が規制緩和されたら、プチ・ツーリングを再開しようと思います。 どうせ、人がいる所には行きませんけど。 マスクも、もちろん、装着。 ウィルスと同じくらい、吊るし上げが怖いので、「不要不急の外出」の規制が外れれば、ビクビクしないで、出かけられると踏んでいます。



【2020/05/05 火】
  認定感染者数が、また、低く出ていますが、まだまだ、未感染者の方が圧倒的に多いのに、実際の感染者数が減るなんて、常識的に考えて、ありえません。 検査センターなどが、チラホラ出来てきて、むしろ、検査件数は増えていると思うのですが、なぜ、認定感染者数は減っているのか?

  一番、疑わしいのは、世間の風当たりが強くなって、検査数を少ないまま抑えきれなくなったから、陽性結果を隠蔽し始めたという可能性です。 軽症者を検査して、陽性が出ても、「陰性です」と伝えて、帰してしまっているのでは? 「そこまで、やるか?」と思うかもしれませんが、今までの流れから見て、発表感染者数を少なく見せかける為なら、何でもやると思います。

  残念ながら、日本という国は、そういう国なんですな。 私も、この新型肺炎騒ぎが始まる前までは、これほど、ひどいとは思っていませんでしたが、クルーズ船の処置を見ていて、「あ、これは、戦時中そのものだわ・・・。 こういう習性が生き残っておったのだなあ」と、暗澹たる気分になった次第。 とりわけ、誰が見てもおかしいと思う事に対して、平然と嘘や屁理屈を押し通してしまう体質は、絶望的だわ。

  個人なのか、組織なのか分かりませんが、どこかに、検査を増やさない方が、得をする存在がいる。 もしくは、得をすると信じ込んでいる、存在がいる。 そう考えなければ、これだけ、甚だしい妨害が罷り通るとは思えません。

  政治家が、ゲストとして出演する報道番組があり、政府に近い与党の政治家も出て来るのですが、聞いていて、痛々しいほど、苦しい言い訳を並べて、政府の施策を擁護しています。 頭が回るタイプの人ほど、言い訳が苦しい。 本音では、「こんな対策では駄目だ」と思っているのに、立場上、政府を批判できないから、屁理屈を総動員して、擁護するしかないのでしょう。

  しかし、検査数が増えないなんていうのは、政府のせいというより、どこかで、増えるのを妨害している連中のせいですぜ。 もう、とっくから、オリンピックを気にする必要はないのだから、認定感染者がどんなに増えようが、政府が、それを忌み嫌う理由はないです。 馬鹿馬鹿しい。 「検査数を増やしてはいけない」なんて、世界の常識的に、馬鹿・アホ・間抜け・キチガイとしか言いようがない戯言を言っている連中を庇ってやって、そのせいで、政府自身が無能呼ばわりされて、何の得があるのよ?



【2020/05/08 金】
  人間の方の寺から通知ハガキ。 猛暑対策で、8月から6月に前倒しになった施餓鬼会が、新型肺炎の影響で中止になったとの事。 それはありがたい。 これを機会に、永久に中止にしていただきたい。 施餓鬼がないという事は、施餓鬼料は要らないとして、お盆料は、どうなるのだろう? 施餓鬼の後に配る卒塔婆は? あと、お盆に坊さんは来るのだろうか? いや、来ない方がありがたいですけど。 そういう事は、一切書いていないのだから、困ってしまう。


  新型肺炎の話。

  どうやら、どやつもこやつも、緊急事態宣言を解除させたくて仕方がない様子。 やはり、延長が無理だったか。 たった一度の延長で、ブチ切れならぬ、プチ切れして、「もーえーわ」になってしまった人が多いのでしょう。

  検査・調査に関わっている人達も、同じ思いでいるに違いなく、陽性結果の隠蔽に走っているような気がするなあ。 だって、新規の認定感染者が劇的に減れば、緊急事態宣言が解除されて、とりあえず、規制が減るんだものね。 そりゃ、やるでしょう。

  今になって、著名人やマスコミは、PCR検査を増やせ増やせの大合唱になっていますが、実際に検査作業に当たっている人達は、まるで、逆の事を望んでいるのかも知れんぞ。


  静岡県は、緩和されて、「不要不急の外出規制」の対象は、「県境を越える帰省・旅行」だけになったのですが、なんと、沼津市が、駄目で、未だに、「不要不急の外出規制」が、全面的に適用されているのです。 それでいて、「休業規制」は、解除されており、たとえば、外食は、観光地での飲食は、不要不急ですから、「店が開いても、客が来ない」という、ちぐはぐな現象が起こります。

  もしかしたら、「不要不急の外出規制」を、基本的な対策だと勘違いしているのでは? 「三密を避ける」は、基本対策ですが、「不要不急規制」は、基本対策ではないですぜ。 「不要不急規制」は、「休業規制」とセットなのであって、一方を解除して、もう一方を続けるというのは、意味がないです。



【2020/05/10 日】
  ほんとに、この話題にも飽きた感あり。 ワイド・ショーや報道番組も、見る時間が、だいぶ、減りました。

  一周回ってしまったとでも言いましょうか、もはや、新型肺炎よりも、経済崩壊の方が、大きな問題になってしまって、緊急事態宣言の解除を求める勢いは、止めようがありません。 新型肺炎に鈍感になってしまい、「感染しても、大した事はないだろう」とか、「もう、感染して、超軽症で治って、抗体があると思うから、大丈夫だろう」とか、手前勝手な解釈をしている人が、多数派になりつつあると見た。

  こうなって来ると、医学者や医師が、どんなに、「警戒を緩めるな」と言っても、聞く耳持たないでしょう。 もう、すぐそこまで、解除が迫っていると決め込んで、前夜祭でも計画しかねない有様。 それどころか、「もう、解除されたも同然だから」と思って、早くも無マスクで、ほっつき歩き始めた人が、うようよいるのでは?

  スウェーデンは、集団免疫作戦を取った、対策が最悪の国ですが、唯一、正しい事を言っている点がある。 「厳しすぎる規制は、長続きしない」という事です。 まさに、その通りで、欧米では、収束してもいないのに、規制緩和が、続々と行なわれている模様。 もたなかったんですな。 明らかに、対策に失敗したのです。

  ドイツやフランスでは、マスクを義務化して、外出規制を解除しようとしていますが、その取材に出て来る面々が、ほとんど、マスクをしていないのには、驚きます。 どうも、欧米人というのは、言葉だけではなく、顔の表情も使って会話する習慣があるようで、喋る時には、口元を見せなければならないと、深く刷り込まれているように見受けられます。 そりゃ、収束は遠いわ。

  「ドイツは、対策に成功している」なんていう論調がありますが、とーんでもない。 医療崩壊していないというだけで、押さえ込み対策の方は、てんで、駄目駄目です。 だから、早く、追跡システムを入れろというのよ。 死人が増えるより、いいだろう。 死体の山を築いた後で、「プライバシーを保護し、民主主義的価値観を守り抜いた」なんて言ったって、負け犬の遠吠えもいいところです。

  「イギリスでは、こうしている」と、イギリスを手本に挙げる論客も多いですが、馬鹿も休み休み言いなさい。 イギリスの対策なんて、失敗も失敗、大失敗だわ。 そんな国を、まだ、手本にしようとしているのだから、笑ってしまう。 「首相の目つきが、どう見ても、正気の人と思えないから」というのも、強ち、無関係ではありませんが、指導者の資質がどうこうというより、国全体が、駄目駄目と見た方がいいでしょう。

  アメリカは・・・。 もはや、アメリカを誉める人はいないか。 CDCを絶賛していたアメリカ通の人達も、昨今、アメリカの事については、触れたがらなくなったからのう。 大統領も大統領だが、国務長官まで、あんな人物ではなあ。 「失敗しかしようがない人達」という称号が相応しい。 何か、全然、場違いな人達に、国の運営を任せているのでは?

  オーストラリアが、電話作戦の接触者調査で、抑え込みに成功? ニュージーランドが、終息宣言? まあ、お待ちなさい。 南半球は、これから冬だから、ウィルスが活性化する季節を、どう乗り切るか、お手並み拝見してからでも、評価は遅くないです。 収束宣言なんて、よく出したなあ。 油断していると、どんな目に遭っても、おかしくないと思いますが。 欧米の惨状を見て、「マヌケどもが」とか、思っているんですかね? そんなに簡単なもんじゃないと思いますよ。

  外国の事を批判していられないのであって、未だに、一番まずいのが、日本です。 それなのに、もう、終わったようなつもりでいるのだから、恐ろしい。 「もう少しの我慢ですね」なんて言っている人が多いですが、とーんでもない、これからだと思いますよ。 今後、感染者が増加に転じても、全て隠蔽するというのなら、話は別ですが、結局、死者は積み上がると思います。 死因が、新型肺炎だろうが、名目上、別の肺炎になっていようが、死んでしまう事に変わりはないです。




  今回は、ここまでにします。 5月10日の日記にも書いてあるように、そろそろ、書き飽きたというか、書き尽くした感があり、このシリーズも、今回で終わるかもしれません。

  一番良く見た番組は、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」と、BS-TBSの「報道1930」ですかね。 他の番組は、定見がない出演者が多くて、見ていても、すぐに、チャンネルを変えてしまう事が多かったです。 出て来る専門家の影響が大きくて、駄目な番組というのは、第一に、専門家選びに失敗しているんですな。 まともな人が捉まらないから、駄目と承知で、似非専門家を呼んでいる観あり。

  「民衆を安心させるのが、自分の使命」と思い込んでいる、科学者というより、人生相談家みたいな人とか、「日本(国・社会・民族)には、こういう特徴があるから、外国よりうまく行く」という方向へ話を持って行きたがる、専門家というより、単なる民族主義者とか、そんな奴等の話を真面目に聞いていたって、何の益にもなりません。

  羽鳥慎一モーニングショーは、対策を真面目に提案する点で、図抜けて存在感が強いですが、良いアイデアであればあるほど、ほとんど、実行されないから、出演者も視聴者も、疲れてしまいますな。 政府関係者は、別に、この番組を見ているわけではなくて、何か、政府に文句をつけてきた時だけ、誰かが注進するだけなのでしょう。 それじゃあ、提案が実行されなくても、不思議はない。

  NHKは、新型肺炎の報道に関しては、全然、駄目で、呆れてしまいます。 Nスペなんて、あの、世界中を驚かせるほど能力がない、専門家会議のヨイショをしている始末。 自分達で取材していて、「あ、この連中、全然、駄目だわ。 こんなやつらに任せておいたら、とんでもない事になるぞ」と、気づかなかったんですかね? これは、Nスペとしては、「魂の旋律 音を失った作曲家」の一件を遥かに超える、大失態なのでは?

  テレビではありませんが、新聞も、駄目ですなあ。 といっても、うちは、朝日しかとってないんですが、取材能力が、ワイド・ショーの3分の1もありません。 この騒ぎほど、新聞が過去のメディアになってしまった事を、明白に感じさせたものはないです。 週刊紙も、情けないほど、筆鋒が鈍い。 どこをどうやって、取材したらいいか、分かっていない様子。

  NHKや朝日新聞で、たまげたのは、この、世間が新型肺炎の話題で持ちきりの時に、東日本大震災を振り返る特集に、膨大なエネルギーを割いていた事です。 世の中の流れが、見えないのかね? 「準備していたから、予定通り、出した」? あまりにも、鈍感過ぎる。 今、震災の特集をやって、人々が興味を抱くと思うのかね? 状況を見て、機敏な対応を取る事が、全くできないのだなあ。 その点、新型肺炎対策に於ける、政府、厚労相、医学界と通じるものがあります。

2020/05/10

読書感想文・蔵出し (59)

  新型肺炎に関する日記からの移植は、リアル・タイムに追いついてしまったので、また、いずれ。 今回は、読書感想文です。 




≪江戸川乱歩全集④ 孤島の鬼≫

江戸川乱歩全集 第四巻
講談社 1978年11月20日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 なぜ、第四巻から借りて来たかというと、一二三巻がなかったからという事もありますが、【孤島の鬼】が名作だという話を何かで読んだ事があったから。 二段組です。


【孤島の鬼】 約168ページ
  1929年(昭和4年)1月から、翌年2月まで、雑誌「朝日」に連載されたもの。 

  何者かに婚約者を殺されてしまった美青年が、婚約者が遺した系図や、彼女が幼い頃に見た景色の記憶を手掛かりに、素人探偵の友人と共に、密室殺人の謎を解こうとするが、その友人までが、衆人環視の中で殺されてしまう。 青年に同性愛的な感情を抱いている、もう一人の友人が、探偵役を引き継ぐが、婚約者が幼い頃に見た景色というのが、その友人の実家がある孤島から見える景色とそっくりで・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  密室殺人、衆人環視殺人の辺りは、本格トリック。 しかし、江戸川乱歩さんは、物理的な本格トリックを馬鹿にしていたところがあり、それが文章に出てしまうので、読者側も、ゾクゾクしきれないものがあります。 壺を利用するアイデアは面白いですが、そんな頼みを引き受けるほど馬鹿な子供が、殺人などという、強固な意志を必要とする任務を遂行できるのかという、疑念が湧いてしまうのです。

  中ほどで出て来る、シャム双生児の告白文は、【アルジャーノンに花束を】的な面白さがありますが、モチーフとしての、シャム双生児のアイデアは、今から見ると、白けるだけです。 横溝作品にも、さんざん出て来ましたから。 しかし、当時は、読者をゾクゾクさせるのに、充分なインパクトを持っていたのでしょう。

  で、最終的な舞台である、孤島ですが、どうにも、良くありません。 前半を読んでいた時には、孤島というのは、犯人の精神的な孤独を意味しているのではないかと思っていたのですが、そうではなく、本当に、孤島に行くんですな。 シャム双生児が閉じ込められた蔵とか、洞窟とか、これまた、横溝作品で見慣れたものばかり。 もっとも、先に、その種の道具立てを使ったのは、江戸川さんだと思いますけど。

  「発表当時は、」という限定をつけるのなら、傑作と認めるのに吝かではないです。 そうでない場合、やはり、江戸川さんらしい、子供騙し的な、「お話」としか言いようがありません。 作者本人も、子供騙しになっている事が分かっていながら、戦前日本の怪奇小説界のリーダーとして、立場的に書かざるを得ずに書いていたというところが、痛々しい。

  特に問題なのは、シャム双生児を、人為的に作ったという設定になっている点でして、馬鹿も休み休み・・・、そんな簡単に、くっつけられるわけがないではありませんか。 拒絶反応とか、知らなかったんですかね? 科学を無視していたのでは、近代以後の小説は成り立たないと思うのですがねえ。


【猟奇の果】 約124ページ
  1930年(昭和5年)1月から、12月まで、「文芸倶楽部」に連載されたもの。

  金に困っていない男が、閑に飽かせて、奇妙な体験ばかりを漁っていた。 ある時、友人の科学雑誌編集長に、顔も体つきも、そっくり瓜二つな人物を目撃し、最初は面白がっていたものの、その後、その人物が、男の妻と不倫を働いている疑いが持ち上がって、次第に翻弄されて行く。 一方、総理大臣の娘や、総理大臣本人が、外見そっくりの別人に成り代わられてしまう事件が発生し、明智小五郎が出張るものの・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  前半から、ダラダラという感じ。 顔形がそっくりな二人の人間というのは、確かに奇妙な事なんですが、劇的なエピソードを用意せずに、描写を細かくするだけで、書き綴ろうとしているので、緊張感がない展開が続いて、読む気がなくなって来ます。 それもそのはず、解説によると、江戸川さん自身が、どんなストーリー展開にするか見失っていたらしいのです。 道理で、こんな文章になるわけだ。

  途中で、完全に行き詰ってしまい、編集者からの要望で、明智小五郎を出し、「国家乗っ取りの陰謀」という方向に、強引に持って行ってしまうのですが、そちらも、何のアイデアもなしに書いているので、全く面白くありません。 大体、最初、主人公だった人物は、どこから、友人の一味になったのか、何も書いていないから、読者側は、さっぱり分かりません。

  最終的に、そっくりというのは、整形手術で作られたものと分かるのですが、それは別に、アイデアというほどのアイデアではないのでは? どうも、医学知識を、生半可に齧って、テキトーに書き飛ばしたようなところがあり、感心しません。



≪江戸川乱歩全集⑤ 蜘蛛男≫

江戸川乱歩全集 第五巻
講談社 1978年12月20日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 第四巻を借りた次だから、第五巻。 【芋虫】が含まれており、ちと、敬遠したい気持ちもあったのですが、短編だから、読み始めれば、すぐに終わるだろうと思って、借りて来ました。 二段組みです。


【芋虫】 約16ページ
  1929年(昭和4年)1月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。 

  戦争で、手足を失い、耳が聞こえず、声も出せなくなった夫を、復員以来、世話し続けていた妻が、次第に夫を、性的欲求の捌け口として扱うようになり、世間から隔絶された環境の中で、病的な夫婦関係が混迷して行く話。

  これは、傑作だわ。 誰が、どんなに誉めても、誉めたりないくらいの傑作。 江戸川さんは、この短編を書く為に、生まれてきたのではないかと思うほどの傑作。 この作品一作と、それ以外の作品全てを秤に掛けても、この作品の方が価値が高いと思います。 更に言えば、日本で書かれた短編小説で、これ以上のものはないでしょう。 世界レベルでも、十指に入るのでは?

  いやいや、こんな私の感想なんかで判断するより、この作品は、自身で読んだ方がいいと思います。 ページ数が少ないですから、30分もあれば、誰でも読み終えられますし。 これを読まずして死んだのでは、読書人として生きた甲斐がないというもの。

  ところで、この作品を、反戦小説として評価する人もいるようですが、それは、読み方がズレているというもの。 夫が手足その他を失った原因が、戦争ではなく、事故や犯罪であっても、成立する話だからです。


【蜘蛛男】 約156ページ
  1929年(昭和4年)8月から、翌年6月まで、雑誌「講談倶楽部」に連載されたもの。 

  自分の好みのタイプの女性ばかりを狙い、次々に、惨殺して行く、「蜘蛛男」と名付けられた犯人を捕えようと、素人名探偵の畔柳博士が、警視庁の波越警部らと共に、様々な知略を戦わせるが、ことごとく、蜘蛛男にしてやられてしまう。 外遊から戻った明智小五郎が、蜘蛛男の正体を、立ち所に看破し、形勢逆転して行く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  求人広告で集めた女性達の中から、好みのタイプを選び出し、その日の内に殺して、バラバラにしてしまうという出だしは、大変、ショッキングで、あまりにも簡単に人が殺されてしまう事に、背筋が凍る思いがします。 また、江戸川さんは、そういうドライな情景を描写するのが巧みなんだわ。

  畔柳博士と、蜘蛛男の戦いは、トリックや謎を含んだアクション活劇で、江戸川作品としては、ありふれたもの。 【黒蜥蜴】は、5年後の1934年ですが、この作品の時点で、すでに、スタイルが確立しており、延々と、似たような話を書き続けていた事が分かります。 問題は、この作品、発表されるや、大ウケしたという事でして、当時の日本では、読者の方も、その程度だったわけです。

  「蜘蛛男」というのは、蜘蛛が、メスがオスを食べてしまう、血も涙もない生き物だという意味合いで使われているだけで、蜘蛛に関係した技を使うとか、犯人が女だとか、そういう意味ではないです。 その事は、作者自身が断っていますが、蜘蛛の性質が、他の生き物と比べて、特別、酷薄だとは思えず、このタイトルは、ちと考えが足りないのではないでしょうか。


【魔術師】 約134ページ
  1930年(昭和5年)7月から、翌年5月まで、雑誌「講談倶楽部」に連載されたもの。 

  ある宝石商の一族に恨みを持つ男が、魔術的なトリックを用いて、殺人予告を行なう。 捜査を依頼された明智小五郎が、犯人の策に嵌まり、誘拐されている間に、一族の一人が殺されてしまう。 明智小五郎の恋を絡めて、犯人である魔術師との戦いを描く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  これも、トリックや謎を含んだアクション活劇。 くるくると場面が展開する、同じパターンの話なので、真面目に梗概を書く気になりませんな。 当時の怪奇小説界のリーダーだった、江戸川さんが、こういう話を書いていたから、その後に続いた、横溝正史さんたちが、似たようなパターンの作品を粗製乱造して行ったんですな。

  当時の世界的な流れとして、ホームズ物はすでに古典となり、アルセーヌ・ルパン物が流行っていて、ルパン物の冒険小説的な性格から大きな影響を受け、この種の作品が書かれたのだと思います。 江戸川さんが、アガサ・クリスティーらの長編本格推理小説の存在を知らなかったはずはないですが、発表の場が、雑誌の連載しかない日本では、受け入れられないと思っていたんでしょうな。 その点、冒険物は、アクション活劇的な見せ場で、毎回、クライマックスを作れるから、都合が良かったんでしょう。

  この作品の感想に戻します。 地下室の水攻めが出て来ます。 これは、後に、横溝作品で、何度も使われるネタでして、戦後になると、少年向け作品で使い回されるようになります。 先にそちらを読んでいると、安っぽくて、アホらしくなってしまいますが、この作品で最初に読んだ人達は、結構には、手に汗握ったかも知れませんな。

  酔っ払いを地下の穴倉に押し込んで、それから、入口に煉瓦を積んで、出られなくするという、随分と悠長な殺し方が出て来ますが、セメントだろうが、漆喰だろうが、地下で、そう早く乾くわけがないのであって、足で蹴飛ばせば、崩れると思うのですがね。 しかし、こういう細かいツッコミは、活劇調の江戸川作品を読む場合、封じ手にしておかないと、科学的・技術的におかしなところは、無数と言っていいほど、出て来てしまいます。

  それにつけても、気の毒なのは、宝石商の次男の婚約者だった、花園洋子さんでして、別に、魔術師の恨みの対象でもないのに、無残極まりない殺され方をしてしまいます。 また、明智小五郎が、それを止める気もなかった様子なのは、大いに解せないところ。 宝石商一族以外の者は、守る気がなかったわけだ。 人間の命が、あまりにも、軽い。



≪江戸川乱歩全集⑥ 押絵と旅する男≫

江戸川乱歩全集 第六巻
講談社 1979年4月20日/初版
江戸川乱歩 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 箱やカバーがあったものと思いますが、外されて、ビニール・コートされています。 第五巻に続き、第六巻を借りて来ました。 二段組みです。 短編1、中編2、長編1の、4作収録。


【押絵と旅する男】 約18ページ
  1929年(昭和4年)6月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。

  魚津へ蜃気楼を見に行った帰りの列車内で、押絵を窓枠に立てかけている男と会話をする事になり、押絵の世界に閉じ込められた人間の、不思議な顛末を聞く事になる話。

  ファンタジーという言葉を使うと、ちと、ズレてしまいますが、幻想小説ですな。 オチがあるわけでもなく、物語としては、別に、面白くはないです。 「こういうのが好きな人なら、評価するかも知れぬ」と思う程度。


【盲獣】 約78ページ
  1931年(昭和6年)2月から、3月まで、「朝日」に連載されたもの。 「朝日」は、たぶん、雑誌だと思います。

  盲人の按摩師が、触感的に美しい女性をたらしこんで、触感的快楽の世界に引き込み、飽きては殺し、バラバラにして、世間に曝すという犯罪を繰り返していた。 やがて、彼は、「触感芸術」を提唱し、批評家から高い評価を得るが・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  江戸川さん十八番の、変体趣味が、全開。 後年になって、自薦全集を作る事になり、読み返したところ、「大変な変態趣味だ!」と自身でも驚いたというから、筋金入りです。 しかし、別に、官能的なところがあるわけではなく、やはり、犯罪小説の一類です。

  推理小説になっていないのは、事件を解決する人物が出て来ないから。 犯人が、やりたい放題やって、最後は、触感芸術を創始しておしまいという、ストーリー的には、楽しみようがない展開になっています。 解説にある通り、触感芸術というアイデアだけ、面白いです。


【何者】 約40ページ
  1929年(昭和4年)11月から、12月まで、新聞「時事新報 夕刊」に、30回前後、連載されたもの。 

  ある軍人の屋敷に、泥棒が入り、その家の息子の足を、ピストルで撃って逃げた。 ところが、庭の先にある井戸まで往復した足跡はあるものの、そこから先の足取りが全く掴めない。 金製品だけ盗まれていた事から、近所に住む金製品収集狂が疑われる。 撃たれた本人が推理を働かせ、他に犯人がいる事を証明するが、実は・・・、という話。

  コチコチというか、ガリガリというか、トリックと謎解きだけで出来た、本格物としか言いようがない本格物です。 2段組みとはいえ、このページ数ですから、小説的肉付けは、ほとんどなくて、推理遊びみたいな趣きになっています。 横溝作品に、【かめれおん】というのがありますが、それと同類。 だけど、私は、こういうのは、結構、好きです。

  真犯人の動機が、最初、隠蔽されていたのが、後で分かると、「ああ、なるほど」と思います。 息子が撃たれた箇所が、なぜ、足だったのかにも、理由があり、よく考えられていると思います。 明智小五郎が出てくるのは、ちと、詰め込みすぎか。 江戸川さんは、明智小五郎を、大変、便利に使っていたようで、こんな短い話でも、強引に出していた模様。


【黄金仮面】 約141ページ
  1930年(昭和5年)9月から、翌年10月まで、雑誌「キング」に掲載されたもの。

  黄金の仮面をつけた怪盗が、有名な古美術品ばかりを狙い、日本各地に出没していた。 明智小五郎や、警視庁の波越警部が、黄金仮面を相手に、丁々発止の知恵比べや、追いかけっこを繰り広げた挙句、相手の正体が明らかになり、あっと驚く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  黄金仮面の正体は、中ほどで明らかになりますが、マジで、あっと驚きます。 驚くと同時に、「こんな人、勝手に登場させてしまって、著作権的に、いいのかいな?」と、心配するより先に、笑ってしまいます。 まあ、バラしてしまうと、アルセーヌ・ルパンなんですがね。

  モーリス・ルブランさんに許可を得て書いたわけでないのは疑いないところで、戦前の日本では、海外作品のパクリなんて、珍しくもなかったんですな。 「どうせ、日本の作品なんて、外国で読む人はいない」と高を括っていて、しかも、それが、事実、実情だったわけだ。 もっとも、ルブラン作品にも、【ルパン対ホームズ】という、たぶん、無許可で書いたであろうと思われるものがあります。

  後半は、明智小五郎とルパンが、騙し騙され合い、出し抜き出し抜かれ合うわけですが、アクション活劇でして、推理小説が目当てで読むと、全然、面白くありません。 ただただ、連載用に、毎回、見せ場を作って、次回に送っているだけ。 どう考えても、子供騙しですなあ。 これが、大人向けの国民的雑誌に連載されていたというのだから、戦前日本の読書人のレベルが、窺い知れようというもの。

  ちなみに、ルパンにたらし込まれてしまう日本女性で、「大鳥不二子」という人物が出て来ます。 もしかしたら、≪ルパン三世≫の峰不二子は、ここから取ったんじゃないでしょうか?



≪刺青された男≫

角川文庫
角川書店 1977年6月10日/初版 1977年8月30日/3版
横溝正史 著

  2019年8月に、ヤフオクで、角川文庫の横溝作品を、24冊セットで買った内の一冊。 ≪刺青された男≫は、角川文庫・旧版の発行順では、52番に当たります。 戦後間もない頃に書かれた、金田一物以外の短編、10作を収録。 その内、【神楽太夫】、【靨】、【蝋の首】は、≪横溝正史探偵小説コレクション⑤ 消すな蝋燭≫の時に、感想を書いているので、外します。 


【刺青された男】 約28ページ
  1946年(昭和21年)4月、雑誌「ロック」に掲載されたもの。

  神戸や上海で、刺青師に関連する人物が殺害される。 歳月が経ち、戦時中、船乗り仲間の間で、どんな時にも、シャツを脱がない男の事が、たびたび話題に上っていた。 インドネシアの山奥で、その男を診察した医師が、刺青を見て、なぜ、シャツを脱げなかったのかを知る話。

  事件が起こったのは大昔なのに、刺青を見られると、犯行がバレてしまうから、死ぬ寸前まで、シャツを脱げなかったという、長い時間の経過で、ゾクゾク感を出そうという狙い。 しかし、刺青の秘密に捻りが足りないせいで、無残に失敗しています。


【明治の殺人】 約32ページ
  1946年(昭和21年)7月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。

  かつて、秘かに、政府要人の暗殺を実行した男が、後年になって、殺した相手の息子と、自分の娘の縁談が持ち上がり、理由を話せないまま、反対している内に、病死してしまう。 縁談について、後事を託された友人の医師が、暗殺事件の事を調査する内に、意外な真実が分かって来る話。

  以下、ネタバレ、あり。

  実は、暗殺が成功したと思っていたのは当人だけで、政府要人が死んだのは、別の原因だったというのが真相。 では、暗殺事件の時に、ピストルで撃たれた相手は誰だったのか? というのが、結末になります。

  これも、遥か昔の事件が事の起こりで、長い時間の経過で、ゾクゾク感を出そうという狙いです。 しかし、またもや、無残に失敗しています。 一番良くないのが、暗殺事件の時に、実際に撃たれた人物が、存命だったという事ですな。 それでは、話が、ぬるいではありませんか。 死んでしまった事にして、その息子にでも後を継がせ、何十年かしたら、真相を話すように、言い残してあったという事にすれば、もっと、劇的になったのに。


【かめれおん】 約26ページ
  1946年(昭和21年)8月、「モダン日本」に掲載されたもの。 「モダン日本」は、たぶん、雑誌。

  学校前の横丁で起こった、女が殺されている傍らで、男が首を吊っていた事件について、犯人と、首を吊った男が着ていたレイン・コートの色の解釈を巡り、探偵小説ファン2人が、それぞれ、違った推理を披露し、一方の推理が正しいと思われつつあったが、意外なところで、逆転して行く話。

  コチコチの本格物。 みな、顔が分からず、違う色のレイン・コートを着ていた男が、3人登場して、コートは着替える事も、重ねて着る事もできるので、誰が何を着ていたか分からない、というトリック・謎です。 ややこしくて、推理しながら読むなんて事はできません。 謎解きをされて、「ああ、そういう事か」と思うだけ。 だけど、私は、こういう話は、好きな方です。 本格物は、雰囲気だけでも、面白いです。


【探偵小説】 約43ページ
  1946年(昭和21年)10月、雑誌「新青年」に掲載されたもの。 この作品、横溝さんが、戦後最初に書いたもので、本来は、仙台の「河北新報社」の依頼されたものだったのを、長くなり過ぎたので、そちらには、【神楽太夫】を送り、後に、「新青年」に、こちらを送ったという曰く付き。

  雪国の町で起こった、若い女性が犠牲になった殺人事件を題材に、その地を訪れていた探偵小説家と、その連れ達が、駅の待合室で、推理を繰り広げる話。

  舞台が、駅の待合室というのが、変わっていて、面白いです。 こういうのは、新人作家が思いつき易いアイデアですな。 もう、戦後第一作の時点で、戦前まで書いていた作品とは、全く毛色が違っていて、戦争を境に、横溝正史という小説家が、完全に変身した事が、よく分かります。 一から出直したから、こういう柔軟なアイデアが出て来たのではないでしょうか。

  事件の推理の方は、そんなに複雑なものではなく、漫然と読んでいても、分かり易いです。 読者が見抜けるという意味ではなく、理解し易い、つまり、無理がないという意味ですが。 アリバイ崩しがメイン。 サブに、死体の移動トリック。 後者は、ホームズ物から戴いていて、その事も書いてあります。


【花粉】 約26ページ
  1946年(昭和21年)10月、雑誌「ロック」に掲載されたもの。

  大学教授の妻が、近所で起こった殺人事件に首を突っ込み、容疑者にされた知人を助けたいばかりに、謎を解くものの、そのせいで、別の知人が犯人である事を証明してしまう話。

  2時間サスペンスに多い、素人探偵物ですが、この作品の時代が古いとはいえ、別に、横溝さんが創始者というわけではなく、イギリスの推理小説界には、いくらも、前例があります。 ただ、ノリのいい奥様が探偵役だと、どうしても、コミカルなタイプの2時間サスペンスっぽい感じになりますねえ。 この作品自体は、そんなに、コミカルではないですけど。

  謎は、時計と鏡が出てくるもので、横溝作品では、何度も焼き直されています。 こんなネタを使ったという事は、注文が立て込んで、新しいアイデアを練っている暇がなかったのかも知れませんな。


【アトリエの殺人】 約22ページ
  1946年(昭和21年)10月、雑誌「オール読物」に掲載されたもの。

  同じ女性モデルで描かれた、何枚もの絵が飾られた部屋で、画家が殺されていた。 1枚の絵と、陶器の像がなくなっており、死体の上には、天井灯の電球の破片がちらばっていた。 殺された画家の友人であり、モデルになった女性の婚約者でもある男が、謎を解く話。

  以下、ネタバレ、あり。

  なぜ、電球が割られていたのかは、腕時計の蓋が割れてしまったのを、ごまかす為で、これは、よく使われるアイデアですな。 こんな短編で使っているところを見ると、横溝さんが思いついたわけではなく、過去の作家の作品からの戴き物ではないでしょうか。 絵が1枚だけ持ち去られていたところが、この作品に特徴的な謎になっています。

  暗い雰囲気ですが、長さの割には、人物設定がしっかりしていて、バランスが良い作品だと思います。


【女写真師】 約25ページ
  1946年(昭和21年)10月、「にっぽん」に掲載されたもの。 「にっぽん」は、たぶん、雑誌。

  信州S湖畔に、女写真師が経営している写真館があった。 そこで、夜な夜な、元レビュー女優が、煽情的な写真を撮られている様子を、スタジオの天窓を通して、隣の病院の屋上から覗き見していた、薬剤師の青年がいた。 ある朝、S湖に、元女優が、心臓を刺された死体となって浮かび、青年は、覗き見していた顛末を、警察に語らざるを得なくなるが・・・、という話。

  これだけでは分かりませんが、ややこしくなるので、犯人の事は書かないでおきます。 軽い話で、犯人は、割と、つまらない人物です。 殺人事件は、平凡な人間の、ごく身近でも起こっているという事を言いたいのが、作品のテーマ。

  S湖というのはたぶん、諏訪湖でしょう。 横溝作品では、諏訪湖が、よく出てきます。




  以上、四作です。 読んだ期間は、去年、つまり、2019年の、

≪江戸川乱歩全集④ 孤島の鬼≫が、9月16日から、25日。
≪江戸川乱歩全集⑤ 蜘蛛男≫が、9月29日から、10月6日まで。
≪江戸川乱歩全集⑥ 押絵と旅する男≫が、10月8日から、19日。
≪刺青された男≫が、9月27日から、10月21日にかけて。

  ≪刺青された男≫の期間が開いているのは、図書館から借りて来た、≪江戸川乱歩全集≫の借り換えの合間に、手持ちの本を、ちょこちょこと読んでいたからです。

  去年、読んだ本なのですが、今振り返ると、新型肺炎騒ぎが挟まっているので、もう、大昔のような感じがします。 確かに、世界は変わったな。

2020/05/03

新型肺炎あれこれ ⑦

  新型肺炎について、日記ブログの方からの移植。 新型肺炎の事を書かない日もあるので、日付が飛ぶ事があります。

  騒ぎが始まった頃、ワイド・ショーを見ているのは、引退者くらいのものでしたが、緊急事態宣言後、閑人が桁違いに増えたので、ワイド・ショーの視聴者も増え、俄かコメンテーターも増えている事でしょう。 ワイド・ショーを見ていなかった頃、どれだけ、新型肺炎について無知だったか思い知らされて、いかにズボラな生活をしていたか、今更ながらに震え上がっている人も多いのでは? 




【2020/04/21 火】
  いまや、庭掃除が、唯一の運動になっています。


  バイクの冬用ヘルメット、自粛要請が解除される頃には、暑くなって、出番がなくなっていると思われ、しまう事にしました。 内装を外して、漂白剤に浸け、しばらくおいてから、水で流し、脱水して、干しました。 メット本体は、濡れタオルで拭いただけ。 通勤時代のように、毎日被るわけではないから、これで充分でしょう。


  体温。 35.3℃。 低過ぎる。 体温計が、壊れているんだろうか?



【2020/04/22 水】
  昨日に引き続き、冬用ヘルメットの手入れ。 頬当ての中のスポンジが黒ずんでいたので、昨夜一晩、漂白剤溶液に浸けました。 だいぶ、薄くなりましたが、新品同様には程遠いです。 スポンジが乾くまで、今日の昼間中、かかりました。 


  午後、昼寝した後、徒歩で散歩へ。 ポタリングや、プチ・ツーリングは不要不急ですが、散歩は別に禁止されていないようなので。 山は、マスクをしたままでは登れないので、香貫山の麓をぐるっと一周歩いて来ました。 久しぶりに、歩いたせいか、異様に疲れました。

  私は自粛しているのですが、バイクで走っている奴らが、結構いて、見ていて、腹が立ちます。 おまいら、みんな、不要不急じゃない用事で走ってるのか? うそつけー!

  住宅街に入ると、人が多い。 避けられる場合は避けますが、交差点が遠い場合は、道路の反対側を歩きます。 マスクをしていない者もいて、そういう場合は、引き返してでも、避けます。 この避難行動が、馬鹿馬鹿しいから、運動登山をやめたのですが、どうしても、運動したいのなら、そういう行動に慣れるしかないです。


  夜になってから、冬用メットの内装を組み直しました。 明日、明るくなったら、撮影して、しまう予定。


  新型肺炎の話。

  ワールド・ニュースで見たのですが、どうやら、フランスでは、集団免疫を当てにし始めた様子。 「まだ、感染者が少ないから、集団免疫が出来ないのは、問題だ」ですと。 国を代表するメディアが、そんな事を言っているようでは、つまり、押さえ込みの方は、諦めてしまったという事なのでしょう。 やれやれ・・・。

  そりゃ、諦めるのは簡単ですけど、集団免疫を当てにする一方で、休業・外出規制も続けているわけで、それをかけたり、解除したりしなから、1・2年続ける事になりますぜ。 経済がもつわけないと思いますがねえ。 集団免疫を当てにするなら、スウェーデンのように、何の対策もしなければ、阻害なく、集団免疫が形成されますが、それをする気はないわけだ。 なんだか、どっちつかずですな。

  フランスだけでなく、他の欧米諸国や日本も、今の流れで行くなら、なし崩しに、集団免疫しか当てにできない事になりそうですが、つまり、対策に失敗したという事ですな。 追跡システムで収束させた、中国・韓国・イスラエルなどとは、明らかに、別の道を下っているわけだ。 いや、道を下っているのではなく、崖を転げ落ちながら、バラバラになっていると言うべきか。



【2020/04/23 木】
  今日は、外掃除だけ。 散歩は、1日おきにする予定。


  体温計ですが、どうも、35℃台ばかり出るので、壊れているのではないかと思い、もっと古い、私が子供の頃に使っていた、家族用の体温計で測ってみたところ、やはり、35℃台でした。 いくら古いとはいえ、単純な水銀柱が、2本とも壊れているとは考え難い。

  で、自室の体温計の方に、説明書が付いていたので、読んでみたら、「平熱を測る時には、10分」と書いてあるのを見つけました。 で、10分測ってみたら、36.3℃と出ました。 これが、正確な数値なのでしょう。 別に、私の平熱が低いわけではなかったわけだ。



【2020/04/24 金】
  午後、マスクを着けて、散歩へ。 横山峠を越え、清水町・徳倉の横山の麓を歩き、八重坂峠を越えて、帰りました。

  南中時で、人が少ない時間帯ですが、それでも、すれ違う人はいて、汚染は避けられぬ様子。 家に帰って来たら、帽子とマスクは、除菌アルコールで浄化。 服は洗濯機に入れ、風呂に入るという処置が欠かせません。 腐海から戻ったナウシカの方が、まだ楽だ。 


  新型肺炎の話。

  あくまで、東京の要請ですが、「スーパーへ行くのを、三日に一度に」との事。 「不要の買い溜めをしない」とも言っていますが、三日に一度になったら、不要でなくても、買い溜め並みに、たくさん買う事になるではありませんか。 単純に考えて、毎日行っていた人が、三日に一度になったら、三倍買う事になるのでは? それだけ、滞在時間が長くなるから、逆に危険です。

  「籠の数を減らす」というのは、ますます、分からない。 店になければ、自分の籠を持って行くだけなんじゃないの? そんな事をするくらいなら、入口前に店員を立たせて、入店人数を限った方が、いいです。 立つ店員は、防護服並みの装備が必要ですけど。

  東京都の担当の方々、ほんとに、ちゃんと考えてから、要請内容を決めてますか? 傍から聞いても、かなり、変ですよ。

  それにしても、テレビに映る、東京のスーパーの小さい事よ。 商店街の中に入っている個人商店なんですな。 地方では、80年代には姿を消したタイプです。 東京には、イオン系のような、郊外型大型店がないんですな。 たまげた。 あれじゃあ、うつるわ。 ウィルスの坩堝だわ。 駐車場もないから、露天販売もできやしない。


  世界のあちこちで、抗体検査が行われているとの事。 過去にかかっていたかどうかを調べる検査で、今現在かかっているかどうかは分からないから、陽性が出ても、患者として扱う必要がなく、医療崩壊している所でも、調べ易いのでしょう。

  ドイツやニューヨークでは、14パーセントくらいだそうで、日本も同程度だとしたら、1680万人が、すでにかかっているという事になります。 凄い数だな。 日本の認定感染者数は、現在、1万2千人に過ぎませんから、お話にならないくらい、僅かな数しか検知できていない事が分かります。

  ところが、集団免疫が形成されるには、70パーセントが、抗体を持つ事が必要で、遥かに遠い。 譬えて言うなら、

「700メートル沖に島がある海水浴場で、波にさらわれた人が、浜から、140メートルも離れてしまった。 引き波が強くて浜には戻れない。 では、島へ渡ってしまおうかと思ったが、島までは、あと、560メートルもある。 さあ、どうしましょ?」といったところ。

  つまり、70パーセントに到達するまでに、まだまだ、死人が出るという事です。 最初から、集団免疫を目指すなら、何の対策もしないのが、一番早道ですが、急激に感染者が増え、大々的に医療崩壊するので、死者数は、一桁多くなります。 ただし、速く終息する分、経済の打撃は少なくなります。

  知らぬ間に抗体を持ってしまった人達というのは、つまり、感染したけれど、無症状か、超軽症だったわけですが、当然の事ながら、それらの人達にも、濃厚接触者はいたはず。 それを全部辿るのは、保健所の人数的能力では、全く無理です。 辿れないほど、数が増えてしまうと、中韓イスラエル式の追跡システムを入れても、濃厚接触の対象者が多くなり過ぎて、調査や処理ができなくなるのは、避けられません。

  欧米や日本では、すでに、そういう状態になっていると思います。 先の譬えを、もう一度、引っ張り出すと、浜にも戻れず、島にも渡れない状態になっているわけだ。 いずれ、潮流に乗って、島に流れ着きますが、その頃にはもう、死んでいるのではないかと・・・。 経済が。

  今、注目しているのは、ロシアでして、まさに、感染爆発中なのですが、その一方で、追跡システムを導入しており、検査もザクザクやっている模様。 感染爆発して、その後、押さえ込んだと言うと、中国の武漢・湖北省の例がありますが、ロシアでも可能かどうか、興味深いところです。



【2020/04/25 土】
  ハンカチで作った、手作りマスク。 少し、黄ばみが出て来たので、漂白剤溶液に浸けました。 綺麗になりました。 白くなっただけでなく、消毒もできるので、一石二鳥です。


  あとは、昼寝で過ごしました。 だけど、まあ、私は引退者ですから、新型肺炎がなくても、こんなもんです。


  新型肺炎の話。

  未だに、分かっていない人がいるようなので、繰り返しますが、毎日、発表されている、新規感染者の数は、実際の感染者数とは、全く関係ありません。 あのグラフを見て、「抑えられている」とか、「鈍化している」などと評価するのは、馬鹿馬鹿しいほどに、無意味です。

  あの人数は、調査・検査をして、陽性になった数でして、すなわち、あのグラフは、調査・検査能力の相似形を表しているに過ぎません。 調査・検査が及ばない感染者は、いくらでもいるのです。 前にも書きましたが、もし、調査・検査能力が無限に上がれば、入れ食い的に見つかるほど、大量にいると考えた方が宜しい。 蔓延しているのだわ。


  トランプ大統領が、「消毒液を注射してはどうか」と口にしたとの事。 とうとう、狂ったか。 いや、もとから、正気だったとは思えないから、想定内の発言か。 いくら何でも、消毒液を注射したら、どうなるかくらいは分かっているでしょうから、ヤケクソで、軽口を叩いたと見るのが、妥当なところ。 あらゆる点で世界一だと思っていた自分の国が、死者数でも断トツ世界一となってしまい、何が起こっているのか信じられない心理状態なのでしょう。

  アメリカが不運だったのは、こういう事態が起こった時に、ああいう人物が大統領だった事ですな。 しかし、トランプ氏だけがおかしいのではないのであって、アメリカ人の多数派が、トランプ氏と同じような人間になったから、トランプ氏が大統領になれたわけだ。 避けられぬ悲劇だったのか。

  それにしても、アメリカCDC(疾病対策センター)は、とんだ、張り子の虎でしたな。 未だに、何やってんだか、全然、存在感がありません。 初っ端、独自の検査キットが不良で、よーく信用を失ってしまい、それっきり、回復していない観あり。 CDCを絶賛していた、アメリカ通の日本の識者も、憮然としているでしょうな。



【2020/04/26 日】
  6の付く高齢者特売日なので、母と車で、イオン系スーパーへ。 スーパーの特売日は、東京では禁止になったらしいですが、静岡県では、そうではないようです。 いつもより、1時間早く行きましたが、考える事は、みな同じのようで、いつもの半分程度には、客がいました。

  店員は全員マスクになりましたが、客には、まだ、無マスクがいます。 ほとんど、高齢男性。 もう、感染して、死んでもらうしかありませんな。 その内、無マスクの人間を吊るし上げる光景が、あちこちで見られるようになると思いますが、そういう現場に居合わせても、一切、関わらない方がいいです。 その争いで、うつりますから。


  午後、紺色のハンカチを使って、手作りマスクを、もう一つ作りました。 これは、バイク用です。 緊急事態宣言が解除されたら、プチ・ツーリングを再開するつもりなので、その準備として、作っておきました。 全国的に蔓延していると思っているのに、緊急事態宣言が解除されるのを期待しているのは、矛盾ですが、私は、金輪際、人のいる所へは行かないので、私が感染拡大させる事はないです。


     ところで。 熱や咳、頭痛などが、単独、もしくは、同時に、しばらく、出たり、治ったりを繰り返して、明らかに、風邪やインフルエンザとは違う感じの症状が出た人はいないでしょうか。 そして、そのまま、一ヵ月くらい過ぎて、何の症状も出なくなったという人・・・。 そりゃ、たぶん、新型肺炎だったんですぜ。 コロナだったんですぜ。 あなた、感染していたんですよ。 そして、抗体が出来て、治ってしまったのですよ。

「よし! 抗体が出来たから、これでもう、かかる事はないぞ! やったね! ラッキー!!」

  ラッキーじゃねーよ。 何が、ラッキーだよ。 発症期間中に、他人にうつしただろう? おのれがうつした相手が、重症化して死んでるかも知れんのだぞ。 分かっとんのかい、雄鶏ゃ!

  雄鶏はさておき、もし、そういう人がいたら、その事を、家族も含めて、他者には、言わない方がいいです。 家族にも言うなというのは、家族に、うつさないで済んだ場合ですけど。 自分がうつして、死人が出てしまった場合、責任の取りようがないので、知らぬ存ぜぬで通すしかないです。 正直に言っても、遺族が激怒するだけで、絶対、赦してくれません。 赦すわけがない。 自分一人の秘密にして、墓場まで持って行くしかありません。

  もう一つ。 たとえ、もう感染しないと思っていても、「マスク、手洗い、他者との接触を避ける」は、続けるベきです。 無マスクで他者に話しかけて、注意されても、「大丈夫、大丈夫。 俺、抗体あるから」などと、口が裂けても言ってはいけません。 「なに? どういう事? おまえ、いつ、かかってたの?」という話になって、大揉めになるのは、必定。 「じゃあ、○○さんにうつしたのは、お前か!」なんて言われたら、どう答えるのよ?

  誰にも言わないだけでなく、未感染の時と同じように、警戒して暮らした方が良いです。 再感染も、ないわけではないらしいですから。 「もう治ってるのに、マスクなんて、面倒臭い」と思う気持ちは分かりますが、周囲が戦々兢々として暮らしているのに、あなただけ、お気楽な態度もできないでしょう。 面倒でも、マスクは続けた方がいいです。 手洗いも。



【2020/04/29 水】
  外掃除をしただけで、あとは、ほとんど、寝ていました。 月水金を散歩の日にしようかと思っていたのですが、どうも、世の中が、そんな雰囲気ではないようなので、散歩程度の目的で出かけるのは、やめました。


  岡江久美子さんの追悼番組を見ています。 ≪終着駅≫は、一番、よく見ていますが、岡江さんの出番は、そんなに多くありません。 ≪密会の宿≫では、女将役で、主演。 10作くらいあるようですが、今までに私が見たのは、2作だけです。 もっと、放送してくれんかのう。



【2020/04/30 木】
  午前8時から、一人で車で、食料品の買い出し。 店にいる間に、じわじわと、客が増える感じ。 この時間帯に来る客は、割合的に、無マスクが多いです。 マスクをしたくないから、早く来ているのかも知れません。 ほとんど、高齢男性。

  マスクをしているものの、レジで、くしゃみをした高齢女性あり。 店員は、背筋を寒くした事でしょう。 花粉症かもしれませんが、花粉症と新型肺炎を両方患っている事も考えられます。 「花粉症ですバッジ」というのがありますが、花粉症なら、新型肺炎に罹らないわけではないので、あまり、説得力がありませんな。


  新型肺炎の話。

  緊急事態宣言の延長が決まりそうで、ワイド・ショーに出て来る面々が、司会もコメンテーターも、激怒モードに入った観あり。 彼らは、別に仕事がなくなったわけではないから、休業を余儀なくされている中小事業者などに比べると、追い詰められているわけではありませんが、それでも、遠隔出演などで不便を被っているわけで、あと一ヵ月も延長と言われると、怒りを抑えられないのでしょう。

  なぜ、腹が立つかと言うと、「頑張って、接触8割減すれば、一ヵ月で終わらせられる」と言われて、不便を我慢しているのに、「終わりそうにないから、延長する」と、いとも軽々と、ゴールを延ばされてしまったので、専門家や政府を信用できなくなったからだと思います。 「感染拡大が収まるまで、規制も終わらない」というのなら、そんなのは、素人でも分かる事で、専門家の指導など必要ないです。

  日本の専門家の質が問題。 本当に、彼らの指示を聞いていて、感染を終わらせられるのか、信じている人間が、急激に減っているのではないでしょうか。 もし、日本の専門家に、韓国の専門家ほどの能力があれば、こんな事にはならなかった。 具体的に言うと、志村さんも岡江さんも、死なずに済んだろうと思うと、ますます、信用できぬ。

  その能力がないのに、対策を指導しようとしているのなら、辞任した方がいいです。 日本に住む全員の命がかかっているので、言い訳して済む事ではないです。 辞めるのが、最も責任ある態度という事になります。 正直、どうしたらいいか、分からないんでしょう? 辞めるしかないじゃありませんか。 おそらく、彼らが辞めれば、もう少し、能力がある人間が出て来ると思います。




  今回は、ここまでにします。 いよいよ、次回で、リアル・タイムに追いついてしまうので、次回は、他の記事にしようと思っています。