EN125-2Aでプチ・ツーリング (30)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、30回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年2月分。
【長泉町上長窪・山神社】
2022年2月3日、バイクで、駿東郡長泉町、上長窪(かみながくぼ)にある、「山神社」に行って来ました。 昨年の4月26日に行こうとして、見つけられなかった所。 今回は、じっくり調べて行ったので、難なく、到着しました。
≪写真1≫
道路の脇から、急な石段で、境内に上がります。 鳥居は、新しいもの。 石段で上がる神社は、大抵、下の方に、鳥居があります。 神社の存在を知らせる為でしょうな。
≪写真2≫
石段。 些か、荒れていて、石が斜めになっています。 山でも、地盤沈下が起こるんですな。 石の下の土が、雨で流れてしまうのでしょう。 手すりがあるのは、親切ですが、手すりがあっても、高齢者では、上がる気にならないかも知れません。
≪写真3≫
社殿。 本体は、小さな木製で、コンクリート・ブロックを積んだ、覆いの中に置かれています。 この種の覆いは、仏物だと、「鞘堂(さやどう)」と言いますが、神物だと、何というのか、不詳。
境内は狭くて、この写真に写っているのが、全体の半分くらいです。 これでも、元が斜面だったのを、平らに削り出すのに、大変な労力が要ったはず。 昔の人は、マメですな。
≪写真4左≫
分かり難い写真で申し訳ない。 木漏れ日の中で撮ると、こうなってしまうのです。 左側は、境内別社。 石の祠です。 右側は、石燈籠の残骸のようです。
≪写真4右≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車が来たらまずいと思い、下りて押して、山側ギリギリに寄せて、停めました。 出る時には、このままでは、跨がれないので、また、押して、山側から離して、乗りました。
ちなみに、私は、バイクに乗り下りする時には、必ず、サイド・スタンドを立てた状態で行ないます。 たった、それだけの事で、立ちゴケを避けられるのなら、容易い事。 面倒臭さから、僅かな手順を端折ったばかりに、バイクを倒してしまった時のショックは、並大抵ではないです。
「そんな事は、考えた事もない」という人の方が多いかもしれませんが、二輪車というのは、走っている時が、最も倒れ難く、停まっている時が、最も倒れ易いです。 車輪のジャイロ効果が働くか働かないかの違い。 停まっている時の方が、コケる危険性は高いわけで、侮れません。
特に、自分が立っているのと反対側に倒れ始めると、止めようがないので、手を放すしかありません。 いつまでも、放さないでいると、バイクが倒れるのを阻止できない上に、腰をやってしまうので、要注意。
【東沢田・馬頭観音 / 緬羊牧場跡①】
2月8日に、バイクで、沼津市内、東沢田にある、「馬頭観音」と、「緬羊牧場跡」に行って来ました。 どちらも、住宅地図に、石像、石碑の記号だけ、出ていたもの。
≪写真1≫
石像記号の所へ行ってみたら、こうなっていました。 石段が造られ、屋根まで、あります。
≪写真2≫
左は、浮き彫りの石仏。 中央の石碑には、「馬頭観世音菩薩」と彫ってあります。 右の二つは、読んで来ませんでした。 写真を拡大しても、読めません。
≪写真3左≫
前の道路から、北側を見た景色。 愛鷹山へ登って行きます。 ここも、愛鷹山の裾野にあたります。
≪写真3右≫
前の道路から、南側を見た景色。 少し下ると、根方街道に出ます。 この周辺は、起伏が激しいですが、開墾され、農地になっています。
≪写真4≫
道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 右側から撮った写真ばかり多いので、なぜかと思ったら、出先で停める時には、サイド・スタンドを使うから、バイクが左に傾いており、左側からだと撮影し難いんですな。
【東沢田・馬頭観音 / 緬羊牧場跡②】
≪写真1≫
馬頭観音から、ほんのちょっと、南に行った所で、西の方に、石碑があるのを見つけました。 おおっ、地図の通りだ。
≪写真2左≫
入口の標柱。 「緬羊牧場跡碑入口」。 「緬羊」は、「綿羊」の事でしょう。 明治初頭にあった牧場だから、まだ、使う漢字が定まっいてなかったんでしょうな。
≪写真2右≫
「緬羊牧場跡」の石碑と、解説板。 両者の位置が、近いですな。 たぶん、敷地の関係で、こうなってしまったのでしょう。
解説文の内容は、大政奉還後、江戸から沼津へ移って来た旧幕臣の武士達が、明治6年に、ここで牧羊を始めたが、疫病で羊が全滅し、明治10年頃には、やめてしまった、といった事。 沼津に、そんな歴史があったんですねえ。
≪写真3≫
石碑の前から、南西方向を見た景色。 起伏が激しくて、広々という感じではないです。 羊を飼うには、問題ないと思いますが。
≪写真4≫
道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクは、どこに停めても、邪魔にならない点、便利でいいです。 車だと、停める場所がある事を確認してからでないと、出かけられません。
しかし、バイクで、神社や石碑を巡っている人間は、間違いなく、少数派でしょうから、この便利さに気づかないバイク乗りも多い事でしょう。 我ながら、地味なものに興味がある性格で幸いだった。
【小屋敷・神明社①】
2022年2月15日、沼津市の、根方街道沿いにある、小屋敷地区の、「神明社」に行って来ました。
≪写真1≫
住宅地の中にありました。 先に、神社があって、その後、周囲を、住宅に囲まれてしまったのだと思います。 地形は、愛鷹山の裾で、緩いで、傾斜地になっています。
鳥居は、石製。 名額に、「神明社」とあります。
≪写真2左≫
鳥居に向かって右側に立っていた注意看板。 こちらでは、「神明宮」になっています。 呼び方が幾つもあるのは、地元では、よくある事。 犬を入れてはいけないんですな。 こういう規則は、他の神社では見た事がありません。 糞害が問題になった事があるのかも知れませんな。
≪写真2右≫
鳥居の向かって左側に、スロープがありました。 駐車場のようで、車で入れるのかと思いきや、スロープの上端に、丸太が横たわっており、乗り越えられない事はないですが、知らずに上がっていくと、あっと驚く目に遭いそうです。 バイクでは、とても無理だと思い、ここには入りませんでした。
カーブ・ミラーの支柱が面白いです。 車に突っ込んでこられるのが、よほど怖いのか、へっぴり腰ですな。
≪写真3≫
拝殿。 ですが、ここで拝むわけではないようです。 鉄筋コンクリート・瓦葺き。
正面壁の、向かって右上に、時計が掛けてあります。 おそらく、境内で遊ぶ子供に、帰りの時刻を知らせる為の物。 内浦長浜の、「白髪神社」でも見た事があります。 壁掛け時計ですが、防水機構など、屋内用とは、物が違うんでしょうな。
≪写真4≫
拝殿の横手から、本殿を見た様子。 拝殿と本殿が、完全に分離しています。 根古屋の、「浅間神社」でも、同じような形式を見ました。 拝殿の方が簡素で、拝殿の役をしていない点が、そっくり。
【小屋敷・神明社②】
≪写真1左≫
本殿の側面。 鉄筋コンクリート・瓦葺きですが、あちこち、造形が凝っていて、質感が高いです。 定礎に、昭和47年とありました。 1972年ですな。 まだ、ディスカバー・ジャパン・ブームの前で、「鉄筋コンクリートの方が、丈夫で良い」という考え方が主流だった頃でしょうか。 この建物を見ると、その判断が間違っていたとは思えません。 普段、人が住む建物ではないから、木造だと、ボロボロになってしまいますからのう。
≪写真1右≫
本殿の正面扉。 賽銭投入口があります。 つまり、ここで拝むわけだ。 やはり、拝殿は、拝殿の役をしていません
≪写真2左≫
境内別社。 この建物も、鉄筋コンクリート・瓦葺き。 ガッチリしてます。
≪写真2右≫
「小屋敷清掃器具倉庫」。 これは、既製品の物置ですな。 わざわざ、「倉庫」と書いてあるのは、管理者の折り目正しい性格を表しています。
≪写真3左≫
手水場。 漱盤は、コンクリート製。 型枠を組んで、流し込んで作ったようです。 印象はコチコチ。 蛇口あり、ハンドルあり。
≪写真3右≫
漱盤の反対側。 しっかり、排水設備が整っています。 神社らしさには欠けますが、機能的には、満点です。
≪写真4左≫
境内、西側の空間。 ベンチが置いてあります。 祭りの時に、人が集まるんでしょうな。 大変、綺麗になっています。
≪写真4右≫
境内の東側。 こちらは、鎮守の森。 下草が一切見られず、少し、綺麗過ぎる感じもします。 管理者の性格が顕われている観あり。
≪写真5≫
西側に回りこみ、北側から境内に入って、本殿の東に停めた、EN125-2A・鋭爽。 地面が柔らかく、サイド・スタンドがめりこんでしまうので、小石を置いて、その上に、スタンドを立てました。 スタンドの底面より、ほんの僅かに大きい程度の石でも、充分、役をします。 もちろん、もっと大きい石の方が安心ですが、バイクを支えたまま、手が届く範囲に、そうそう都合よく、大きい石はないですし、スタンドの下に入らないような厚さの石でも困るので。
出る時には、跨って、エンジンをかけてから、バイクの力で、転回しました。 地面が柔らかい所で、人力で押して転回するのは、無理があります。 125ccでも、そうですが、それより重いバイクでは、尚の事。
【宮本・愛鷹シックスハンドレッドクラブ】
2022年2月23日、バイクで、沼津市の西方、愛鷹山麓の宮本地区にある、「愛鷹シックスハンドレッドクラブ」へ行って来ました。 といっても、私は、ゴルフ場には用がなくて、ゴルフ場の西辺を通っている道を、どこまで登れるか、見に行っただけですが。
≪写真1左≫
かなりの急坂を、ほとんど、2速で登って行ったら、北のドン詰まりは、こんな場所でした。 「仮置き場」と書いた、立て看板あり。 ゴミでも置くんでしょうか。 この時には、なかったです。 道幅が狭いので、大型のダンプは入らないと思います。
≪写真1右≫
ドン詰まりから、東の方へ道が伸びていました。 この道を進むと、以前行った、「休場遺跡」に出るものと思われます。 冬枯れの林が美しい。
≪写真2≫
ドン詰まりの少し手前で、南の方を見下ろした景色。 茶畑が美しい。 ゴルフ場の外周路として作られたのか、この茶畑に来る為の道が先にあったのか、不明。 針葉樹の森は、人工林のようです。
≪写真3≫
ドン詰まりを僅かに東へ行ったところに、何かの施設の基礎跡のような、コンクリートが打たれた場所があり、そこに、バイクを停めました。
EN125-2A・鋭爽は、ロー・ギヤードなので、登りでは、頼りになります。 ここに至る坂が、どの程度の傾斜かというと、下りは、エンジンをかけなくても、楽に下りられるくらいです。
≪写真4≫
元来た道を、下って、行きには素通りしたゴルフ場の建物を、少し下から撮影しました。 坂が急過ぎて、道端にバイクを停めるにも、一苦労しました。
≪写真5左≫
ゴルフ場のコース。 客が、結構いました。 邪魔をしては悪いので、さっさと退散。
≪写真5右≫
だいぶ、下の方ですが、ゴルフ場と道路の境に、貝塚伊吹(カイヅカイブキ)の木が、何十本も植えられていました。 7・8メートルには育っており、幹の捩れ具合が、逞しくて、壮観。
今回は、ここまで。
2月は、7日から、母が再不調化し、2週間、寝たきりになってしまって、その介護に追われました。 去年の秋のように、「新たに処方された薬が合わなかった」といった、明確な原因がなく、ただ、「胸が痛い」と言って、動けなくなってしまったもの。 てっきり、このまま、お迎えが来るかと覚悟しながら、食事を作って、母の部屋に運んでいたのですが、奇跡的に回復し、今では、割と普通に暮らしています。
もしかしたら、新型肺炎に罹っていたのかも知れません。 症状は、標準的なものと、掛け離れていたのですが、他に原因が考えられないので。 当然、介護していた私にもうつったと考えられますが、私は、何も悪くならなかったところを見ると、無症状だったという事になります。 しかし、それらは全て、推測に過ぎず、本当に罹っていたかどうかは、抗体検査をしてみなければ分かりません。
で、介護で時間をとられていたわけですが、バイクでの、プチ・ツーリングは、週に一度、きっちり、出かけていました。 介護ばかりしていたのでは、精神的に窒息してしまうからです。 母が、痛い痛いと言いながらも、トイレだけは、自力で行けたので、2時間くらい留守にしても、問題なかったのも、幸いでした。
【長泉町上長窪・山神社】
2022年2月3日、バイクで、駿東郡長泉町、上長窪(かみながくぼ)にある、「山神社」に行って来ました。 昨年の4月26日に行こうとして、見つけられなかった所。 今回は、じっくり調べて行ったので、難なく、到着しました。
≪写真1≫
道路の脇から、急な石段で、境内に上がります。 鳥居は、新しいもの。 石段で上がる神社は、大抵、下の方に、鳥居があります。 神社の存在を知らせる為でしょうな。
≪写真2≫
石段。 些か、荒れていて、石が斜めになっています。 山でも、地盤沈下が起こるんですな。 石の下の土が、雨で流れてしまうのでしょう。 手すりがあるのは、親切ですが、手すりがあっても、高齢者では、上がる気にならないかも知れません。
≪写真3≫
社殿。 本体は、小さな木製で、コンクリート・ブロックを積んだ、覆いの中に置かれています。 この種の覆いは、仏物だと、「鞘堂(さやどう)」と言いますが、神物だと、何というのか、不詳。
境内は狭くて、この写真に写っているのが、全体の半分くらいです。 これでも、元が斜面だったのを、平らに削り出すのに、大変な労力が要ったはず。 昔の人は、マメですな。
≪写真4左≫
分かり難い写真で申し訳ない。 木漏れ日の中で撮ると、こうなってしまうのです。 左側は、境内別社。 石の祠です。 右側は、石燈籠の残骸のようです。
≪写真4右≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車が来たらまずいと思い、下りて押して、山側ギリギリに寄せて、停めました。 出る時には、このままでは、跨がれないので、また、押して、山側から離して、乗りました。
ちなみに、私は、バイクに乗り下りする時には、必ず、サイド・スタンドを立てた状態で行ないます。 たった、それだけの事で、立ちゴケを避けられるのなら、容易い事。 面倒臭さから、僅かな手順を端折ったばかりに、バイクを倒してしまった時のショックは、並大抵ではないです。
「そんな事は、考えた事もない」という人の方が多いかもしれませんが、二輪車というのは、走っている時が、最も倒れ難く、停まっている時が、最も倒れ易いです。 車輪のジャイロ効果が働くか働かないかの違い。 停まっている時の方が、コケる危険性は高いわけで、侮れません。
特に、自分が立っているのと反対側に倒れ始めると、止めようがないので、手を放すしかありません。 いつまでも、放さないでいると、バイクが倒れるのを阻止できない上に、腰をやってしまうので、要注意。
【東沢田・馬頭観音 / 緬羊牧場跡①】
2月8日に、バイクで、沼津市内、東沢田にある、「馬頭観音」と、「緬羊牧場跡」に行って来ました。 どちらも、住宅地図に、石像、石碑の記号だけ、出ていたもの。
≪写真1≫
石像記号の所へ行ってみたら、こうなっていました。 石段が造られ、屋根まで、あります。
≪写真2≫
左は、浮き彫りの石仏。 中央の石碑には、「馬頭観世音菩薩」と彫ってあります。 右の二つは、読んで来ませんでした。 写真を拡大しても、読めません。
≪写真3左≫
前の道路から、北側を見た景色。 愛鷹山へ登って行きます。 ここも、愛鷹山の裾野にあたります。
≪写真3右≫
前の道路から、南側を見た景色。 少し下ると、根方街道に出ます。 この周辺は、起伏が激しいですが、開墾され、農地になっています。
≪写真4≫
道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 右側から撮った写真ばかり多いので、なぜかと思ったら、出先で停める時には、サイド・スタンドを使うから、バイクが左に傾いており、左側からだと撮影し難いんですな。
【東沢田・馬頭観音 / 緬羊牧場跡②】
≪写真1≫
馬頭観音から、ほんのちょっと、南に行った所で、西の方に、石碑があるのを見つけました。 おおっ、地図の通りだ。
≪写真2左≫
入口の標柱。 「緬羊牧場跡碑入口」。 「緬羊」は、「綿羊」の事でしょう。 明治初頭にあった牧場だから、まだ、使う漢字が定まっいてなかったんでしょうな。
≪写真2右≫
「緬羊牧場跡」の石碑と、解説板。 両者の位置が、近いですな。 たぶん、敷地の関係で、こうなってしまったのでしょう。
解説文の内容は、大政奉還後、江戸から沼津へ移って来た旧幕臣の武士達が、明治6年に、ここで牧羊を始めたが、疫病で羊が全滅し、明治10年頃には、やめてしまった、といった事。 沼津に、そんな歴史があったんですねえ。
≪写真3≫
石碑の前から、南西方向を見た景色。 起伏が激しくて、広々という感じではないです。 羊を飼うには、問題ないと思いますが。
≪写真4≫
道路の反対側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクは、どこに停めても、邪魔にならない点、便利でいいです。 車だと、停める場所がある事を確認してからでないと、出かけられません。
しかし、バイクで、神社や石碑を巡っている人間は、間違いなく、少数派でしょうから、この便利さに気づかないバイク乗りも多い事でしょう。 我ながら、地味なものに興味がある性格で幸いだった。
【小屋敷・神明社①】
2022年2月15日、沼津市の、根方街道沿いにある、小屋敷地区の、「神明社」に行って来ました。
≪写真1≫
住宅地の中にありました。 先に、神社があって、その後、周囲を、住宅に囲まれてしまったのだと思います。 地形は、愛鷹山の裾で、緩いで、傾斜地になっています。
鳥居は、石製。 名額に、「神明社」とあります。
≪写真2左≫
鳥居に向かって右側に立っていた注意看板。 こちらでは、「神明宮」になっています。 呼び方が幾つもあるのは、地元では、よくある事。 犬を入れてはいけないんですな。 こういう規則は、他の神社では見た事がありません。 糞害が問題になった事があるのかも知れませんな。
≪写真2右≫
鳥居の向かって左側に、スロープがありました。 駐車場のようで、車で入れるのかと思いきや、スロープの上端に、丸太が横たわっており、乗り越えられない事はないですが、知らずに上がっていくと、あっと驚く目に遭いそうです。 バイクでは、とても無理だと思い、ここには入りませんでした。
カーブ・ミラーの支柱が面白いです。 車に突っ込んでこられるのが、よほど怖いのか、へっぴり腰ですな。
≪写真3≫
拝殿。 ですが、ここで拝むわけではないようです。 鉄筋コンクリート・瓦葺き。
正面壁の、向かって右上に、時計が掛けてあります。 おそらく、境内で遊ぶ子供に、帰りの時刻を知らせる為の物。 内浦長浜の、「白髪神社」でも見た事があります。 壁掛け時計ですが、防水機構など、屋内用とは、物が違うんでしょうな。
≪写真4≫
拝殿の横手から、本殿を見た様子。 拝殿と本殿が、完全に分離しています。 根古屋の、「浅間神社」でも、同じような形式を見ました。 拝殿の方が簡素で、拝殿の役をしていない点が、そっくり。
【小屋敷・神明社②】
≪写真1左≫
本殿の側面。 鉄筋コンクリート・瓦葺きですが、あちこち、造形が凝っていて、質感が高いです。 定礎に、昭和47年とありました。 1972年ですな。 まだ、ディスカバー・ジャパン・ブームの前で、「鉄筋コンクリートの方が、丈夫で良い」という考え方が主流だった頃でしょうか。 この建物を見ると、その判断が間違っていたとは思えません。 普段、人が住む建物ではないから、木造だと、ボロボロになってしまいますからのう。
≪写真1右≫
本殿の正面扉。 賽銭投入口があります。 つまり、ここで拝むわけだ。 やはり、拝殿は、拝殿の役をしていません
≪写真2左≫
境内別社。 この建物も、鉄筋コンクリート・瓦葺き。 ガッチリしてます。
≪写真2右≫
「小屋敷清掃器具倉庫」。 これは、既製品の物置ですな。 わざわざ、「倉庫」と書いてあるのは、管理者の折り目正しい性格を表しています。
≪写真3左≫
手水場。 漱盤は、コンクリート製。 型枠を組んで、流し込んで作ったようです。 印象はコチコチ。 蛇口あり、ハンドルあり。
≪写真3右≫
漱盤の反対側。 しっかり、排水設備が整っています。 神社らしさには欠けますが、機能的には、満点です。
≪写真4左≫
境内、西側の空間。 ベンチが置いてあります。 祭りの時に、人が集まるんでしょうな。 大変、綺麗になっています。
≪写真4右≫
境内の東側。 こちらは、鎮守の森。 下草が一切見られず、少し、綺麗過ぎる感じもします。 管理者の性格が顕われている観あり。
≪写真5≫
西側に回りこみ、北側から境内に入って、本殿の東に停めた、EN125-2A・鋭爽。 地面が柔らかく、サイド・スタンドがめりこんでしまうので、小石を置いて、その上に、スタンドを立てました。 スタンドの底面より、ほんの僅かに大きい程度の石でも、充分、役をします。 もちろん、もっと大きい石の方が安心ですが、バイクを支えたまま、手が届く範囲に、そうそう都合よく、大きい石はないですし、スタンドの下に入らないような厚さの石でも困るので。
出る時には、跨って、エンジンをかけてから、バイクの力で、転回しました。 地面が柔らかい所で、人力で押して転回するのは、無理があります。 125ccでも、そうですが、それより重いバイクでは、尚の事。
【宮本・愛鷹シックスハンドレッドクラブ】
2022年2月23日、バイクで、沼津市の西方、愛鷹山麓の宮本地区にある、「愛鷹シックスハンドレッドクラブ」へ行って来ました。 といっても、私は、ゴルフ場には用がなくて、ゴルフ場の西辺を通っている道を、どこまで登れるか、見に行っただけですが。
≪写真1左≫
かなりの急坂を、ほとんど、2速で登って行ったら、北のドン詰まりは、こんな場所でした。 「仮置き場」と書いた、立て看板あり。 ゴミでも置くんでしょうか。 この時には、なかったです。 道幅が狭いので、大型のダンプは入らないと思います。
≪写真1右≫
ドン詰まりから、東の方へ道が伸びていました。 この道を進むと、以前行った、「休場遺跡」に出るものと思われます。 冬枯れの林が美しい。
≪写真2≫
ドン詰まりの少し手前で、南の方を見下ろした景色。 茶畑が美しい。 ゴルフ場の外周路として作られたのか、この茶畑に来る為の道が先にあったのか、不明。 針葉樹の森は、人工林のようです。
≪写真3≫
ドン詰まりを僅かに東へ行ったところに、何かの施設の基礎跡のような、コンクリートが打たれた場所があり、そこに、バイクを停めました。
EN125-2A・鋭爽は、ロー・ギヤードなので、登りでは、頼りになります。 ここに至る坂が、どの程度の傾斜かというと、下りは、エンジンをかけなくても、楽に下りられるくらいです。
≪写真4≫
元来た道を、下って、行きには素通りしたゴルフ場の建物を、少し下から撮影しました。 坂が急過ぎて、道端にバイクを停めるにも、一苦労しました。
≪写真5左≫
ゴルフ場のコース。 客が、結構いました。 邪魔をしては悪いので、さっさと退散。
≪写真5右≫
だいぶ、下の方ですが、ゴルフ場と道路の境に、貝塚伊吹(カイヅカイブキ)の木が、何十本も植えられていました。 7・8メートルには育っており、幹の捩れ具合が、逞しくて、壮観。
今回は、ここまで。
2月は、7日から、母が再不調化し、2週間、寝たきりになってしまって、その介護に追われました。 去年の秋のように、「新たに処方された薬が合わなかった」といった、明確な原因がなく、ただ、「胸が痛い」と言って、動けなくなってしまったもの。 てっきり、このまま、お迎えが来るかと覚悟しながら、食事を作って、母の部屋に運んでいたのですが、奇跡的に回復し、今では、割と普通に暮らしています。
もしかしたら、新型肺炎に罹っていたのかも知れません。 症状は、標準的なものと、掛け離れていたのですが、他に原因が考えられないので。 当然、介護していた私にもうつったと考えられますが、私は、何も悪くならなかったところを見ると、無症状だったという事になります。 しかし、それらは全て、推測に過ぎず、本当に罹っていたかどうかは、抗体検査をしてみなければ分かりません。
で、介護で時間をとられていたわけですが、バイクでの、プチ・ツーリングは、週に一度、きっちり、出かけていました。 介護ばかりしていたのでは、精神的に窒息してしまうからです。 母が、痛い痛いと言いながらも、トイレだけは、自力で行けたので、2時間くらい留守にしても、問題なかったのも、幸いでした。