EN125-2Aでプチ・ツーリング (58)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、58回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年6月分。
【伊豆市熊坂・狩野川記念公園】
2024年6月3日。 伊豆市・熊坂にある、「狩野川記念公園」へ行って来ました。 狩野川沿い。 大仁に架かる、狩野川大橋を渡って、すぐの所にあります。 橋を渡ると、伊豆市になります。
≪写真1≫
駐車場と、管理棟。 駐車場は、見ての通り、広いです。 地図で見た時には、ただのスポーツ公園だと思っていたので、車と人が多かったのは、予想外でした。
≪写真2≫
狩野川の土手に上がって、北側を撮りました。 山は、城山(じょうやま)という岩山です。 大仁のランド・マーク。 橋は、狩野川大橋。 伊豆の背骨、国道136号線を南下する時には、必ず、この橋を渡るので、ドラマでも、よく映ります。
≪写真3≫
南側を見ました。 橋は、修善寺道路(有料)の、新狩野川大橋。 土手の上に、鳩の群がいます。
≪写真4≫
駐車場の土手近くに停めた、EN125-2A・鋭爽。 なまじ、広いので、停める場所に悩みます。 背景の、ネットで囲われた所は、テニス・コート。 その向こうは、野球場。 他にも、児童公園がありましたが、写真を撮って来ませんでした。
【伊豆市熊坂・狩野川台風浸水標識碑】
2024年6月12日。 伊豆・熊坂にある、「狩野川台風浸水標識碑」を見に行きました。 ネット地図で見つけて、予め、ストリート・ビューで、周辺の様子を確認してから、出かけました。 新鮮さは損なわれますが、到着するのが容易になるので、最近は、よく、その方法をとっています。
≪写真1左≫
「狩野川台風浸水標識碑」。 路傍と言うか、何かの事業所の敷地内にあり、道路側を向いています。 文字の上にある、左右矢印の線は、浸水2メートル27センチを表している模様。 たぶん、熊坂地区の平野部では、当時の家は、一軒も残っていないと思います。
裏に、解説が彫られていて、
-------------------------------
昭和三十三年(一九五八)九月二十六日夜、突如としてこの地方をおそった狩野川台風により、熊坂の惨状実に言語に絶す。 かかる惨事、再び繰り返さざることをこいねがい、此処に石を建て台風浸水の標識とする。
昭和五十六年七月十九日 熊坂土地改良区
-------------------------------
と、あります。 昭和五十六年は、1981年。
≪写真1右≫
道路の反対側、路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 熊坂は、伊豆市の旧修善寺町でして、沼津からだと、大変、遠いです。 この日は、往復34キロ。 もう、プチ・ツーで行ける、限界に近いです。
≪写真2≫
石碑の横から、背後の山を撮影。 トンネルの出入り口が見えますが、修善寺道路という有料道路のもの。
≪写真3≫
石碑の向かい側に、伊豆市の消防団・第二分団がありました。 シャッターに、「第二分団 中央部」とあるので、他にも、詰所があるのかも知れません。
たまたま、そこにあったから、分団の写真も撮ったのですが、伊豆市の分団巡りをする気はないです。 家から、遠過ぎなので。
≪写真4左≫
火の見櫓の上部。 人が上がれるようになっていて、半鐘が吊られています。
≪写真4右≫
火の見櫓の下で咲いていた、花。 名前は分かりません。 暑さで、萎えていますな。
【伊豆市堀切・堀切農村公園】
2024年6月19日。 伊豆市・堀切にある、「堀切農村公園」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 北から熊坂地区に入り、山田川に沿って西へ向かうと、川の南側にあります。
≪写真1≫
「農村公園」という名前から、農業テーマ・パークを連想したのですが、そんな大規模なものではなく、スポーツができる広場でした。 ブランコと、鉄棒があるので、児童公園も兼ねているという意味で、公園という名前が付いているのでしょう。
≪写真2左≫
西辺。 ベンチ、物置、ローラーなどがあります。
北辺には、ベンチが、4基。 奥に、トイレがありましたが、お目汚しなので、写真は出しません。
≪写真2右≫
山田川に架かる、「堀切大橋」。 現地には、名板なし。 地図に出ていた名前です。 それほど大きい橋ではないですが、どこかに、「堀切橋」があり、そちらと比較して、「大橋」なのかも知れません。
≪写真3左≫
橋の上から、上流、西の方を見ました。 堰堤が設けられて、段々になっています。
≪写真3右≫
端の上から、下流、東の方を見ました。 すぐ先で、左へ曲がっています。 味のある風景でした。
≪写真4≫
帰る途中で見た景色。 この山、名前が分かりませんが、記憶に残る特徴があります。 谷を見下ろしているわけですが、山と谷が、一目で目に入る、贅沢な場所。 この写真を撮った道路の、すぐ背後に、家がありましたが、おそらく、この景色が見たくて、そこに住んでいるのでしょう。 羨ましい話です。
【伊豆市堀切・堀切神社】
2024年6月26日。 伊豆市・堀切にある、「堀切神社」へ行って来ました。 前回行った、「堀切農村公園」から、更に奥に入った山間にあります。 間違えて、バイクを坂の上に停めてしまったせいで、道なき道を通り、境内の横手から、入る事になりました。
≪写真1左≫
これが、正面。 双林寺というお寺の手前で、西に向かうと、ここに着きます。 鳥居の前にある名標には、「村社 堀切神社」と彫ってあります。
≪写真1中≫
鳥居の横にあった、石2本。 他の神社でも見た事がありますが、何なんでしょう? 竿を立てて、幟を揚げる為の基礎でしょうか。
≪写真1右≫
鳥居がある段を含めると、境内は、3段になっています。 中段にあった、物置。 一般的な物。
≪写真2左≫
手水舎や、漱ぎ盤は見当たりませんでした。 その代わり、こういうものがありましたが、池にしては小さいし、ここに水を溜めて、手を洗うんでしょうか?
≪写真2右≫
下段から、中段へ上がる石段。 この角度で、少しずつ、社殿が見えて来るのは、趣きがあります。 そういう意図で設計したのかも知れません。
≪写真3≫
中段から、上段の社殿を見ました。 石垣が多くて、マヤの遺跡のようです。 石垣の組み方によって、造られた時代のバラツキが覗えます。
石燈籠が何基かありますが、いずれも、江戸時代のもの。
≪写真4左≫
拝殿と、本殿。 バランスのいい建物です。 本殿の方は、壁が、青いトタン張りですが、最初からこうではなく、腐り始めたので、応急処置で、こうしたのだと思います。
≪写真4右≫
拝殿正面。 注連縄ですが、藁ではなく、ビニール紐のような素材で出来ています。 珍しいものがあるものじゃて。
長方形の電灯は、LED。
≪写真5左≫
名額。 右から、「社神切堀」。
≪写真5右≫
注意書き。 英文併記。
【さい銭泥棒】 監視 警戒 捜査 強化
[警告 この行政区域内でさい銭泥棒をした者は逮捕されています。]
大仁警察署 熊坂駐在所
ちなみに、賽銭箱は、拝殿の外にはありませんでした。
≪写真6左≫
双林寺横の坂を登りきった所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここから、西へ向かうと、道なき道に入ってしまいます。 一応、神社には着きますが、境内に入るには、段差を飛び降りなければなりません。
≪写真6右≫
神社正面から、北側を見た景色。 のどかな山間です。 妙に落ち着く雰囲気。
今回は、ここまで。
6月は、現伊豆市の、旧修善寺町地区に行きました。 といっても、熊坂と堀切という、北の端だけですけど。 それ以上、南に行くと、遠くなり過ぎるからです。
【伊豆市熊坂・狩野川記念公園】
2024年6月3日。 伊豆市・熊坂にある、「狩野川記念公園」へ行って来ました。 狩野川沿い。 大仁に架かる、狩野川大橋を渡って、すぐの所にあります。 橋を渡ると、伊豆市になります。
≪写真1≫
駐車場と、管理棟。 駐車場は、見ての通り、広いです。 地図で見た時には、ただのスポーツ公園だと思っていたので、車と人が多かったのは、予想外でした。
≪写真2≫
狩野川の土手に上がって、北側を撮りました。 山は、城山(じょうやま)という岩山です。 大仁のランド・マーク。 橋は、狩野川大橋。 伊豆の背骨、国道136号線を南下する時には、必ず、この橋を渡るので、ドラマでも、よく映ります。
≪写真3≫
南側を見ました。 橋は、修善寺道路(有料)の、新狩野川大橋。 土手の上に、鳩の群がいます。
≪写真4≫
駐車場の土手近くに停めた、EN125-2A・鋭爽。 なまじ、広いので、停める場所に悩みます。 背景の、ネットで囲われた所は、テニス・コート。 その向こうは、野球場。 他にも、児童公園がありましたが、写真を撮って来ませんでした。
【伊豆市熊坂・狩野川台風浸水標識碑】
2024年6月12日。 伊豆・熊坂にある、「狩野川台風浸水標識碑」を見に行きました。 ネット地図で見つけて、予め、ストリート・ビューで、周辺の様子を確認してから、出かけました。 新鮮さは損なわれますが、到着するのが容易になるので、最近は、よく、その方法をとっています。
≪写真1左≫
「狩野川台風浸水標識碑」。 路傍と言うか、何かの事業所の敷地内にあり、道路側を向いています。 文字の上にある、左右矢印の線は、浸水2メートル27センチを表している模様。 たぶん、熊坂地区の平野部では、当時の家は、一軒も残っていないと思います。
裏に、解説が彫られていて、
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昭和三十三年(一九五八)九月二十六日夜、突如としてこの地方をおそった狩野川台風により、熊坂の惨状実に言語に絶す。 かかる惨事、再び繰り返さざることをこいねがい、此処に石を建て台風浸水の標識とする。
昭和五十六年七月十九日 熊坂土地改良区
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と、あります。 昭和五十六年は、1981年。
≪写真1右≫
道路の反対側、路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 熊坂は、伊豆市の旧修善寺町でして、沼津からだと、大変、遠いです。 この日は、往復34キロ。 もう、プチ・ツーで行ける、限界に近いです。
≪写真2≫
石碑の横から、背後の山を撮影。 トンネルの出入り口が見えますが、修善寺道路という有料道路のもの。
≪写真3≫
石碑の向かい側に、伊豆市の消防団・第二分団がありました。 シャッターに、「第二分団 中央部」とあるので、他にも、詰所があるのかも知れません。
たまたま、そこにあったから、分団の写真も撮ったのですが、伊豆市の分団巡りをする気はないです。 家から、遠過ぎなので。
≪写真4左≫
火の見櫓の上部。 人が上がれるようになっていて、半鐘が吊られています。
≪写真4右≫
火の見櫓の下で咲いていた、花。 名前は分かりません。 暑さで、萎えていますな。
【伊豆市堀切・堀切農村公園】
2024年6月19日。 伊豆市・堀切にある、「堀切農村公園」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 北から熊坂地区に入り、山田川に沿って西へ向かうと、川の南側にあります。
≪写真1≫
「農村公園」という名前から、農業テーマ・パークを連想したのですが、そんな大規模なものではなく、スポーツができる広場でした。 ブランコと、鉄棒があるので、児童公園も兼ねているという意味で、公園という名前が付いているのでしょう。
≪写真2左≫
西辺。 ベンチ、物置、ローラーなどがあります。
北辺には、ベンチが、4基。 奥に、トイレがありましたが、お目汚しなので、写真は出しません。
≪写真2右≫
山田川に架かる、「堀切大橋」。 現地には、名板なし。 地図に出ていた名前です。 それほど大きい橋ではないですが、どこかに、「堀切橋」があり、そちらと比較して、「大橋」なのかも知れません。
≪写真3左≫
橋の上から、上流、西の方を見ました。 堰堤が設けられて、段々になっています。
≪写真3右≫
端の上から、下流、東の方を見ました。 すぐ先で、左へ曲がっています。 味のある風景でした。
≪写真4≫
帰る途中で見た景色。 この山、名前が分かりませんが、記憶に残る特徴があります。 谷を見下ろしているわけですが、山と谷が、一目で目に入る、贅沢な場所。 この写真を撮った道路の、すぐ背後に、家がありましたが、おそらく、この景色が見たくて、そこに住んでいるのでしょう。 羨ましい話です。
【伊豆市堀切・堀切神社】
2024年6月26日。 伊豆市・堀切にある、「堀切神社」へ行って来ました。 前回行った、「堀切農村公園」から、更に奥に入った山間にあります。 間違えて、バイクを坂の上に停めてしまったせいで、道なき道を通り、境内の横手から、入る事になりました。
≪写真1左≫
これが、正面。 双林寺というお寺の手前で、西に向かうと、ここに着きます。 鳥居の前にある名標には、「村社 堀切神社」と彫ってあります。
≪写真1中≫
鳥居の横にあった、石2本。 他の神社でも見た事がありますが、何なんでしょう? 竿を立てて、幟を揚げる為の基礎でしょうか。
≪写真1右≫
鳥居がある段を含めると、境内は、3段になっています。 中段にあった、物置。 一般的な物。
≪写真2左≫
手水舎や、漱ぎ盤は見当たりませんでした。 その代わり、こういうものがありましたが、池にしては小さいし、ここに水を溜めて、手を洗うんでしょうか?
≪写真2右≫
下段から、中段へ上がる石段。 この角度で、少しずつ、社殿が見えて来るのは、趣きがあります。 そういう意図で設計したのかも知れません。
≪写真3≫
中段から、上段の社殿を見ました。 石垣が多くて、マヤの遺跡のようです。 石垣の組み方によって、造られた時代のバラツキが覗えます。
石燈籠が何基かありますが、いずれも、江戸時代のもの。
≪写真4左≫
拝殿と、本殿。 バランスのいい建物です。 本殿の方は、壁が、青いトタン張りですが、最初からこうではなく、腐り始めたので、応急処置で、こうしたのだと思います。
≪写真4右≫
拝殿正面。 注連縄ですが、藁ではなく、ビニール紐のような素材で出来ています。 珍しいものがあるものじゃて。
長方形の電灯は、LED。
≪写真5左≫
名額。 右から、「社神切堀」。
≪写真5右≫
注意書き。 英文併記。
【さい銭泥棒】 監視 警戒 捜査 強化
[警告 この行政区域内でさい銭泥棒をした者は逮捕されています。]
大仁警察署 熊坂駐在所
ちなみに、賽銭箱は、拝殿の外にはありませんでした。
≪写真6左≫
双林寺横の坂を登りきった所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここから、西へ向かうと、道なき道に入ってしまいます。 一応、神社には着きますが、境内に入るには、段差を飛び降りなければなりません。
≪写真6右≫
神社正面から、北側を見た景色。 のどかな山間です。 妙に落ち着く雰囲気。
今回は、ここまで。
6月は、現伊豆市の、旧修善寺町地区に行きました。 といっても、熊坂と堀切という、北の端だけですけど。 それ以上、南に行くと、遠くなり過ぎるからです。