2024/09/29

EN125-2Aでプチ・ツーリング (60)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、60回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年8月分。





【函南町桑原・馬頭観音】

  2024年8月5日。 函南町・桑原にある、「馬頭観音」へ行って来ました。 去年、桑原地区に来た時に、八巻橋の近くに立っていた史跡紹介地図を撮影したのですが、それに出ていたもの。

≪写真1≫
  T字路の突き当たりに、あります。 立て看板が2枚ありますが、その右側辺り。

≪写真2≫
  コンクリート・ブロック垣の一部が、龕になっていて、その中に、石碑があります。 磨り減っていて、よく分からないのですが、像ではなく、漢字で、「馬頭観音」と彫ってあるように見えました。

≪写真3≫
  T字路の手前から、東の方を見ました。 山懐ですな。 南箱根の西の端に当たります。 水田の緑が、印象深い。

≪写真4≫
  T字路の手前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 前輪側が少し上がっているのは、このT字路が、斜面の上にあるからで、これで、水平なのです。

  傾斜がある場所に、サイド・スタンドで停めなければならない時には、前輪側が、高くなるようにします。 前輪側が低いと、バイクの重さで、車体が前方に引っ張られるので、サイド・スタンドが外れてしまわないとも限りません。

  センター・スタンド? 傾斜地では、使わない方が無難でしょう。 前輪側が低いと、重くてかけられませんし、前輪側が高いと、かけ易いですが、その代わり、外す時に、バイクが重くて、外せなくなってしまいます。




【函南町桑原・長源寺】

  2024年8月13日。 函南町・桑原にある、「長源寺」へ行って来ました。 実は、他の所にある石碑を見に行ったんですが、行ってみたら、前に来て、写真も撮ってある所だったので、目的地を変更したのです。 「長源寺」の事は、大体の位置を、予め、調べてありました。

≪写真1≫
  本堂。 木の陰で、屋根しか写せませんでしたが、ゆったりした雰囲気の建物です。

≪写真2≫
  山を少し上がった所にある、「薬師堂」。 軒が傾いで見えますが、そんなわけはなく、写真を撮った位置の関係で、こんな風に写ってしまったのです。

≪写真3≫
  裏山に設けられた、「西国三十三所観音霊場」の、「西国三十三所観音札所霊場 順番配置案内図」。 名前が長いな。

≪写真4左≫
  これは、1番ですが、こういう石像が、山の斜面の道沿いに、33体、置いてあるのです。 1806年に造られたとの事。

≪写真4右≫
  頂上広場。 ここから先は、下りになります。 一巡りするのに、見るだけなら、10分くらいでしょうか。

≪写真5左≫
  本堂がある境内に、芭蕉の木がありました。 夏らしい。

≪写真5右≫
  道路から、本堂に上がる石段の下に停めた、EN125-2A・鋭爽。 道路が少し広くなっていたので、通行の邪魔にならないと思って、ここに留めました。 お寺の前ですから、悪戯する者もいなかろうと。




【函南町桑原・観音堂】

  2024年8月19日。 函南町・桑原にある、「観音堂」に行って来ました。 ネット地図で見つけたところ。

≪写真1≫
  桑原地区を、東の方へ向かい、少し山に入った辺りの、南側にあります。 予め調べて来ないと、見つけられないかも。

≪写真2左≫
  これが、観音堂。 トタン壁です。 プレハブではなく、この場で、一から作ったように見えます。

≪写真2右≫
  観音堂の、出入口側。 当然、入れないものだと思い込んでいたので、扉を開けようと試みる事すらしませんでした。 まあ、仏物には、そんなに興味がないから、いいんですが。 泥棒と間違えられる方が、怖いです。

≪写真3≫
  解説板に、「観音堂の裏の崖に、『万年杉不動』が祀られている」とあったので、裏手に回ってみたんですが、このように荒れた山で、どこにあるのか、分かりませんでした。 足場が悪くて、怪我をしてもつまらないと思い、諦めました。

≪写真4左≫
  まさか、これではなかろうね? 

≪写真4右≫
  解説板。 当地の史跡保存会による、詳細なもの。 仏教行事などにも触れられています。

≪写真5左≫
  階段の手すり。 水道管とその継ぎ手で出来ています。 大した技術。 水道管だと、気づかない人もいるのでは?

≪写真5右≫
  道路を挟んで、向かい側の空き地に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この辺りで、家から、往復、27キロ。 結構、走っている方か。 三島市になると、だいぶ、近くなるんですが。




【函南町桑原・神原七観音 / 日金山道標】

  2024年8月25日。 函南町・桑原にある、「神原七観音 / 日金山道標」へ行って来ました。 八巻橋の袂にある地図に出ていた所。 ここは、以前に、何回か通った事があるのですが、素通りしていたのです。 「神原~」というのは、桑原地区の中の、更に、神原地区である事を指しています。

≪写真1≫
  三叉路の一角にあります。 瓦葺きの、しっかりした屋根があり、路傍の石仏レベルより、数段、上の扱いになっています。

≪写真2≫
  右側に、七観音。 解説板によると、これらは、同じ桑原にある、長源寺の西国三十三所観音と、造作が似ており、同じ時期、つまり、1806年頃に作られたと見られているとの事。 観音の名前は、右から、

・ 千手千眼観音
・ 馬頭観音
・ 聖観音
・ 如意輪観音
・ 准胝観音
・ 不空権羂索観音

  左端の大きいのは、馬頭観音で、他の場所から移して来たものだそうです。

≪写真3左≫
  解説板。 「桑原字神原七観音略縁起」。 「略」と言っても、丁寧・詳細なもの。 これ以上、細かく書くと、読む方が読んでくれないでしょう。

≪写真3右≫
  自然石を穿った水盤。 お寺やお堂など、仏物でも、漱盤がある場合があります。 水が溜まっていますが、雨水? それとも、何か仕掛けがあって、給水されるようになっているんですかね? 

≪写真4左≫
  敷地の一隅にあった、建物。 トイレかと思ったんですが、トイレなら、トイレと、それらしい表示があるはず。 物置かも知れません。 流しと、水道の蛇口があります。

≪写真4右≫
  入口にあった、石碑。 これが、「日金山道標」のようです。 「左 やま道  右 あたみ道」。

≪写真5左≫
  こちらが、「やま道」。 名前が漠然としていて、どこへ着くのか分からないですが、私の経験では、月光天文台とか、火雷神社とか、田代地区とか、そちらへ繋がっているのでは?

≪写真5右≫
  こちらが、「あたみ道」。 日金山は、熱海峠の近くにあるお寺なので、あたみ道の方へ行けば、着くわけですが、どちらを通っても、結局は、着くと思います。  この道を進むと、もっと、近い所で、「函南スプリングス」というゴルフ場に着きますが、道が細いので、勧めません。 函南駅の東側から上って行った方がいいです。





  今回は、ここまで。

  8月は、函南町に行きました。 三ヵ所が、桑原地区、最後の一ヵ所が、桑原地区の中の、神原地区。 函南町の中心からは、かなり離れた、山の中です。 私は、そういう所の方が、好みです。 人が少なくて、何かと、警戒しなくて済むから。 バイクで来た余所者を警戒しているのは、その土地に住んでいる人達の方でしょうな。 訪ねて来た側は、迷惑行為はもちろん、怪しい行動は慎まなければなりません。

2024/09/22

実話風小説 (32) 【独立した男】

  「実話風小説」の32作目です。 7月の下旬初めに書いたもの。 ネタ切れするようなシリーズではないのですが、私の健康状態が怪しいので、いつ書けなくなってもいいように、とってあったネタを、先に使ってしまいました。




【独立した男】

  男Aは、高校卒業後、都会の大学へ推薦入学で入った。 私立の無名校なら、無試験で入れてくれるところは、珍しくない。 二人とも高卒だった両親は、息子が、曲がりなりにも大学生になれた事を喜んだ。 故郷から離れているので、当然、アパート住まいである。 男Aは、両親が自分の学費・生活費を払うのに、四苦八苦しているのを知らないわけではなかったのだが、本人は、アルバイトで得た金を、全て、遊興費に当て、生活費が足りなくなると、臆面もなく、両親に、仕送りの追加を頼んだ。

  元々、大学のレベルが低かったので、留年する事もなく、4年で、卒業。 しかし、就職口は、なかなか、見つからなかった。 男Aは、就職活動を始めてから、ようやく、無名大学卒業という肩書きが、どういう意味を持つのかが分かった。 面接まで漕ぎ着けても、相手が、驚いたように、こう言うのである。

「へええ・・・、こういう大学もあるんだ・・・。 ふーん・・・」

  そして、ニヤニヤする。 そういう対応をされた企業からは、全て、落とされた。 人を見るより先に、大学の名前で、落とすのである。 都会の企業を諦め、都会の衛星都市に本社があるところを受けたが、それらも、全滅。 やむなく、都会と故郷の中間くらいに位置する地方都市Zの、中企業を、いくつか受けたら、その内の一つで、何とか、引っ掛かった。

  どうせ、地方都市で就職するなら、故郷の近くにして、実家から通えばいいのにと、思うかもしれないが、男Aは、それを、最も嫌っていた。 本人は、自分の事を、独立心の強い人間だと思っていたのだ。 親元からは、少しでも早く独立しなければならない。 実家からは、少しでも遠くに住まなければならない、そう思っていた。


  会社の独身寮に、5年住み、その後、職場結婚して、社宅に、5年住んだ。 男Aは、どちらかというと、浪費家だったが、妻が、家計運営に人並みの配慮をしていたお陰で、地方都市の郊外に、新築の一戸建てを買う事ができた。 男Aが、34歳の時である。 もちろん、住宅ローンを組んだ。 35年タイプである。 頭金は、男Aの両親に出してもらった。 男Aは、それを頼む為に、結婚以降、初めて、実家に帰った。

  子供も、上に女、下に男と、二人出来ていたが、男Aには、子供達を祖父母に会わせてやろうという考え方は、全くなかった。 妻の方は、自分の実家に、子供達を連れて、何度も帰っており、子供達は、おじいちゃん・おばあちゃんと言ったら、母方の二人しか いないものだと思っている有様だった。


  更に、歳月は流れる。 男Aは、50代に入った。 特に有能な人間というわけではなかったので、会社では、平社員のまま。 しかし、本人は、給料・ボーナスさえ出ていれば充分で、中間管理職になって、責任を負わされるなど、真っ平だと思っていたので、昇進しない事については、文句はなかった。 

  歳が行っていたせいで、様々な社内事情だけには、詳しい。 職場では、若い者から、先輩として、一目置かれていて、結構、好き勝手放題、やりたい放題に暮らしていた。 30代の頃から、休憩時間に、若い者を掴まえて、よく言っていたのが、こんな事。

「お前、実家から通ってるんだって。 早く、独立した方がいいぞ。 もう大人なんだから、いつまでも、親の脛齧ってて、どうすんだ。 犬・猫だって、乳離れしたら、もう、親と一緒になんか暮らさないんだぞ。 自分で稼げるようになったら、独立する。 それが、自然の摂理ってもんだろうが」

  Z市周辺には、農家が多く、農家出身の社員が、2割くらいいた。 みな、跡継ぎとして、実家に残り、親と同居。 親が田畑をやっている間は、勤め人として暮らし、親が動けなくなったら、農業を継ぐという人生を受け入れた人達である。 彼らは、男Aの自説を聞いて、いい気分ではなかった。 自分だって、都会に出て、ドラマの主人公のような、洒落た生活をしてみたかった。 しかし、立場的に、許されなかったのである。 「親元を出るのが、自然の摂理」などと言われては、まるで、自分の人生を否定されたようではないか。

  同期の中には、「人それぞれ、事情があるんだ。 家を継がなければならない人もいるんだから、無神経な事を言うな」と窘める者もいたが、男Aは、聞く耳持たなかった。

「ふん! 最初から、独立心が足りないから、親元から逃げ出す機会を逃したのさ。 先を読む目がないんだよ。 俺なんか、中学の頃から、高校出たら、家を出る覚悟をして、準備してたんだぜ。 都会の大学に行くって言えば、親は反対できないものな。 反対どころか、逆に、喜んで、仕送りしてくれたぜ。 親の力は、うまく活用しなくちゃな」

  こういう考え方なのである。 こういう人間は、決して、少数派ではない。 親や実家を、自分の人生の踏み台だと思っているのだ。 兄弟姉妹がいて、家を出ざるを得なかった人にも、同じような事を言う人は多いが、それは、結果オーライ的発想であり、男Aのように、自分から、親や実家を、利用できるだけ利用して逃げ出し、後足で砂をかけた者とは違う。


  さて、50代になった男A。 ある時、職場の休憩所にやって来たら、ほぼ同年輩の同僚達が、認知不全を起こした自分の親のエピソードを、紹介し合っているところに、ぶつかった。 面白そうなので、座って、聞き始めた。

・ 長々と会話を交わした後で、息子に向かって、「どちら様ですか?」と訊く。

・ 雨が降りそうな日に出かけると、必ず、傘を忘れてくる。

・ 家からいなくなってしまい、警察署に頼んで、尋ね人の市内放送してもらった事が、何回もある。

・ テレビのリモコンの使い方を忘れるので、毎朝 教えなければならないが、10分もすると、また忘れてしまって、チャンネルそのままで、ずっと、同じ局を見続けている。

・ 財布や通帳がなくなったと言って、家族を泥棒扱いする。

・ 「夜中に、テレビが勝手に点く」と騒ぐ。

・ 「夜中に、部屋の壁が開いて、人が出て来る」と騒ぐ。

・ 「深夜に、ケーブル・テレビの工事人がやって来て、外で工事をしている」と訴える。

・ 「坊さんが、何も書いていない卒塔婆を持って、乗り込んで来て、『五十二回忌をやらないと、こうなっちまうぞ』と脅す」と訴える。

・ 風呂から出た後、パンツの穿き方が分からず、どこに脚を通していいか、30分も悩んでいる。


  男Aは、最初は、ニヤニヤしているだけだったが、途中から、ゲラゲラ笑い始め、誰かが何か言うたびに、ウケにウケまくった。 腹を抱え、ヒーヒー息をしながら、爆笑している。 話していた、3人の同僚は、一人も笑っていない。 冷め切った表情で、男Aを見ている。 男Aの先輩に当たる人物が、男Aに言った。

「おい」

「なに? わはははは! なによ? わはははは!」

「笑うな」

「なんで? 面白い話だから、笑ってるだけじゃん」

「笑い話をしてるんじゃないんだよ。 認知不全の家族を持つ者同士で、事例を紹介し合ってるんだよ」

「えー? そーなのー? でも、その話で、笑うなって方が、無理じゃないの?」

「こっちは、大真面目だ。 お前だって、親が、そうなるかも知れないだろうが」

  男Aは、先輩を小馬鹿にしたような言い方で返した。

「いやあ、俺は大丈夫だよ。 ちゃんと、それを見越して、若い頃から、親とは距離を保ってんだから。 人生、先読みが大事だよ」

  今度は、3人が笑う番だった。

「距離を保つって、まさか、『遠くに住んでるから、大丈夫』とか思ってるんじゃないだろうな。 そんなの、関係ないぞ。 親がボケたら、否が応でも、面倒見なきゃならなくなるんだからな」

  男Aは、少し不安になったが、そもそも、親の世話をする事になるなどと、それまで、一度も考えた事がなかったので、すぐに、忘れてしまった。 人間、いざ、その境遇に置かれてみないと、想像もつかないという事は、よくあるものである。 男Aは、親の面倒を見ている者の話を聞くと、「俺は、早めに実家を逃げ出しといて、正解だったな」と、自分の判断の正しさに惚れ惚れしている有様だった。 大変、後生がいい。


  男Aが、52歳の時、妹から電話があった。 妹は、夫の仕事の都合で、海外に住んでいる。 その妹が、実家に電話したところ、母親から、父親の認知能力が低下し、要介護状態になりつつあると、伝えられたというのだ。 何とか、母親が面倒を見ているが、その母親も、70代後半で、心身共に辛いと零されたらしい。

  男Aは、一瞬、言葉を失った。 「とうとう、来たか」と思い、目の前が暗雲に覆われたような気分になったが、すぐに、振り払った。 「大丈夫だ。 こういう時の為に、早く親元から、離れてたんだからな」と、自分に言い聞かせた。

「俺ん所には、そんな事、言って来てないぞ」

「ああ、そうだってね。 兄さん、そういう話を嫌うから、お母さん、言い難かったんでしょ」

  息子がいる母親にありがちな事だが、男Aの母親も、男Aを、誇らしい息子と思っており、息子が嫌う事を、なるべくしないように配慮していたのだ。 

「兄さん、様子を見に行ってくれない?」

「駄目駄目! 仕事が忙しいんだから!」

「だって、私は、そう簡単には、帰れないし・・・」

「お前も帰る必要はない! 母さんに、やらせとけばいいんだ! 下手に帰ると、同居して、介護しろって言われるぞ! そんな事になったら、人生、滅茶苦茶だ!」

  実は、妹が、海外勤務の多い男と結婚したいと言った時に、不安がる両親を尻目に、大賛成したのは、男Aだった。 妹の幸せを考えていたからではなく、自分だけが親元から離れていると、親戚から批難される恐れがあるので、妹には、もっと遠くに離れさせて、自分の方が、まだマシと、五十歩百歩を決め込む腹だったのである。 純粋に、自分の事しか考えていないのだが、そういう奴に限って、他の者をダシにして、自分の体裁を取り繕おうとするものなのだ。

  3年後、父親が死んだ。 認知不全が進行した結果、徘徊癖が出て、家から、10キロも離れた川の土手で、階段から転げ落ち、頭を打って死んだのだ。 河川敷で遊んでいた人の中に、目撃者が何人もいて、事故である事は、明白だった。

  男Aは、通夜・葬儀に出る為に、20年ぶりに、実家に戻った。 妻だけを、同伴。 子供は、連れて行かなかった。 母親は、久しぶりに、息子を見て、思わず、ぽろぽろ涙を流したが、男Aの方は、

「老けたなー! どこの婆さんかと思ったよ!」

  と、ゲラゲラ笑った。 男Aの妻も、妹夫婦も、表情を凍りつかせながら、こめかみに、脂汗を垂らした。 たとえ、そう思っても、本人に向かって、言うか、そんな事? しかし、男Aは、そういう人格なのだ。

  男Aは、葬儀が済むと、さっさと、妻を連れて、帰ってしまった。 妹夫婦が、しばらく残り、父親の死後の手続きをした。 相続は、母親の強い意向で、妹に相続拒否をさせ、母親と男Aで、折半という事になった。 男Aは、妹からの電話で、それを知らされたが、こう言った。

「あんな田舎の家なんか、要らん。 金に換えてから、くれ」

「兄さん、あの家に住むつもりはないの?」

「ないない! 俺は、独立してるんだ! 欲しけりゃ、お前にやる! 好きにしろ!」

「・・・・・」

  妹から、それを聞いた母親は、信じようとしなかった。 いつか、息子は、実家に帰って来ると信じていたのだ。 その為に、毎日、せっせと掃除して、綺麗な状態に保っていたのである。 夫が認知不全になる前には、増築して、二世帯住宅にする計画まで立てていた。 そんな事をしてやるほど、人間的な価値がある息子ではなかったのだが・・・。 息子の事を、愛してはいるが、理解してはいない親は、かくのごとく、憐れなものである。

  妹夫婦は、再び、海外に戻る事になった。 妹は、兄の家に寄り、2時間ほどかけて、父親の死後の手続きについて、説明した。 男Aは、始終、無関心で、「一応、聞いておく」という態度だった。 妹は、帰り際、兄を怒らせないように、さらっと言った。

「時々、お母さんの様子を見てね」

「あー、分かった分かった」

  妹は、「時々」という言葉を、3ヵ月に一度くらいのつもりで言ったのだが、男Aの方は、3年に一度くらいと思っていた。 事実、それから、58歳になる年まで、一度も実家に帰らなかったのだ。


  その電話は、突然、かかって来た。 もっとも、電話とは、大抵、突然かかってくるものであるが・・・。 実家のある町の、隣の市に住んでいる、男Aの亡父の弟、つまり、叔父さんからだった。 妻が取って、男Aに渡した。

「ああ、叔父さん? 何か用?」

「おい。 お前の母親、もう、一人じゃ暮らせないぞ」

「どういう事?」

「今日、兄さんの命日だから、墓参りした後に、実家に行ったんだよ。 墓の方が、掃除も、お供えもしてなかったから、変だと思ってたんだが、案の定、家の中が、ほぼ、ゴミ屋敷だ」

「・・・・・」

「義姉さん、ボケちゃってるんだよ。 一応、話はしたけど、話をしている内に、こっちが誰だか分からなくなってたな」

「・・・・・」

「どうするんだ?」

  男Aは、背筋に冷たいものが流れ落ちるのを感じていたが、すぐに、態勢を立て直し、平静を保ちつつ、前々から、こういう時に備えて、用意していたセリフを、口にした。

「俺はもう、独立してるんだよ。 こっちはこっちで、家のローンの支払いなんかで、大変なんだよ。 田舎の方は、田舎の方で、何とか、やってよ」

「何だと?」

「俺は、親の面倒を見るゆとりがないんだよ。 子供も、まだ、大学だし。 あれやこれやで、どんだけ、金がかかるか、叔父さん、分かる?」

  叔父さんの、怒るまい事か! 息を思い切り吸い込み、受話器に向かって、怒鳴りつけた。

「馬鹿野郎っ! お前の親だろうがっ! 何が、田舎は田舎でだっ! 子供が面倒見ないで、親戚が見るなんて、あるわけないだろがっ! お前、常識がないのかっ!!」

  男A、売り言葉に買い言葉で、反撃。

「そういう叔父さんは、親の介護なんて、したの?」

「したよ! 覚えてないのか?」

  ふっと、小学生の頃の記憶が、蘇って来た。 男Aの祖母が、寝たきりになっていた頃、叔父さんが、一日おきのペースで、家に来ていたのだ。 もっと小さい頃には、よく遊んでくれた叔父さんが、その頃には、「遊びに来たわけじゃないんだ」と言って、全然、かまってくれなかったのを覚えている。 叔父さんは、自分の母親の介護に来ていたのである。

「ああ、あれは、そうだったのか・・・」

「思い出したか?」

  思い出した。 連鎖して、こんな事も思い出した。 遊んでくれない叔父さんに不満があり、そこから、男Aの、介護に対する嫌悪感が生まれたのだ。 「俺は、親の介護なんか、しないぞ。 そんな事で、人生の大事な時間を奪われてたまるか」といった具合に・・・。

「とにかく、一度 帰って来て、様子を見ろよ」

「だけど、ほんとに、仕事があって・・・」

「仕事なら、俺だって、あったんだよ。 そこをやりくりして、一日置きに、通ってたんだ。 兄貴や義姉さんの負担を少しでも、軽くする為にな。 介護っていうのはそういうもんなんだ」

  そういうやりとりがあったにも拘らず、男Aは、なかなか、実家に帰ろうとしなかった。 高校卒業後、すぐに親元から離れて、親の面倒を見る羽目に陥るのを、極力避けて来たのに、ここへ来て、その努力が水の泡になる事に、猛烈な理不尽さを感じ、拗ねていたのである。 放っておけば、叔父さんが何とかしてくれるだろうという、丸投げ意識もあった。

  そこへ、妹から、国際電話。

「ちょっと! 叔父さんから、電話があったんだけど、お母さん、ボケちゃったんだって? 兄さん、もう、見に行ったの?」

「行けないんだよ」

「早く、行ってよ。 家の中が、滅茶苦茶になってるって言ってたよ」

「お前、行けよ」

「来週には、私だけ帰国する」

「じゃ、俺はいいな」

「いいわけない! 兄さん、先に行ってよ!」

「俺は、仕事があるんだよ」

「私だって、働いてるんだよ!」

  叔父さんの時と同じようなやり取りになった。

  呆れた事に、男Aは、それでも、帰らなかった。 妻に頼んで、様子を見に行ってもらった。 妻も働いていたので、わざわざ、休みを取って行かなければならなかった。 妻は、男Aの人と為りを見抜いており、たぶん、自分では、介護を引き受けないだろうと思っていた。 引き受けたくないから、現実を認めたくないのだ。

  男Aの実家に行き、日帰りで戻って来た妻は、状況をありのままに説明した。 ゴミ屋敷というのは、本当で、燃やすゴミやプラスチック・ゴミを出さないで、家の中に溜めているので、生ゴミのニオイが充満して、長時間、中にいられない状態になっていた。

  洗濯物は、洗った物が、ほとんど、なくなっていた。 洗濯機には、便がついた下着が、そのまま、押し込んであった。 引っ張り出してみると、上下40着分も詰め込まれていた。 なぜ、洗濯しないのか訊くと、洗濯機の回し方が分からないからと言われた。 機械の操作は、認知機能が低下すると、真っ先にできなくなるのだ。

  台所には、煮物が入った鍋が、所狭しと置かれていた。 男Aの母親は、一人暮らしになっても、家族が最も多かった時の、5人分の料理を作っていた。 食べきれないから、溜まって行くのも、むべなるかな。 不思議な事に、毎日、買い物には行っていて、ごっそり買い込んで来ては、冷蔵庫に、ギュウギュウと詰め込んでいた。 扉が閉まらず、隙間があるので、冷気が逃げて、冷蔵庫がウンウン唸っていた。

  妻の報告を、男Aは、他人事のように聞き流した。 妻が、勤め先の同僚の、介護経験がある人に相談すると、「その段階まで進んでいたら、もう、家族で面倒を見るのは難しいから、施設を探した方がいい」と言われた。 妻が、男Aに、そう伝えると、

「おお、それでいいじゃんか。 施設を探せよ」

  完全に、他人事である。 やむなく、妻が、経験者に相談したり、インター・ネットで調べたり、四苦八苦して、どうにかこうにか、要介護認定の審査を受ける所まで、漕ぎ着けた。 だが、どうしても都合がつかず、つきそいを、男Aに任せたところ、自慢の息子が一緒で嬉しかったのか、一時的に、母親の認知機能が回復し、その結果、要介護認定が受けられなかった。

  男Aは、介護に関する知識が全くなくて、ニコニコしながら、妻に、「軽くて済んだ」と自慢したが、妻は、真っ青になった。

「何言ってんの! 要介護認定が受けられないって事は、介護サービスが利用できないって事だよ!」

「何を怒ってんだよ? 軽かったって事は、安く上がるって事じゃないのかよ?」

「逆だ! 介護サービスが利用できなかったら、家族が介護しなきゃならないんだよ! 馬鹿だなっ!」

  男A、見る見る、顔色が真っ青に・・・。 知識がないというのは、恐ろしい事である。 妻が言った。

「あんたの母親なんだから、あんたが介護するんだろうね?」

「まさか! 俺は、それが嫌だから、高校卒業後、すぐに・・・」

「その話は、何百回も聞いた! で、その計画は、呆気なく、失敗したわけだ! どうしてまた、実家から離れさえすれば、親の介護から逃げられるなんて、単純な発想になったのか、そこが、不思議だわ!」

「しょうがない。 ヘルパーを雇って・・・」

「お金をどうすんの!」

「母さんの年金があるだろ」

「国民年金しかないのに、月6万5千円から、生活費を引いた残りで、人が雇えるわけがないだろっ! 世間知らずにも、程があるっ!」

「だから、そこは、お前が、工夫してだな・・・」

「冗談じゃない! 私は、今後、自分の親の介護が待ってるんだよ! あんたの母親の事は、あんたがやるのが、筋だろうがっ!」

  男Aの、あまりの馬鹿さ加減、身勝手さ加減に、妻が怒り立って、こういう、きつい会話になったが、怒りが収まると、妻は、現実的な対処法を探り始めた。 一つ一つ、問題を解決して行くタイプなのである。 まず、夫に相談するのをやめた。 こんな馬鹿を相手にしても仕方ない。 義妹、つまり、男Aの妹と連絡を密にし、何でも、隠す事なく話し合って、事を進める事にした。

  男Aの妹は、一人で帰国し、以前住んでいたアパートを借り直して、そこに住んでいたが、義姉と話した結果、実家に戻り、母親の介護に当たる事になった。 収入がないので、生活費を、男Aの妻が、家計から捻出して、送る事になった。 休みの日には、男Aの妻が、介護を交替し、男Aの妹は、息抜きをするというパターンが出来上がった。

  しかし、こうなると、男Aの家が、実家から離れたZ市にあるのが、恨めしい。 毎週、往復に、交通費を使わなければならないのである。 更に、男Aは、こういう条件下に於ける、お約束とも言える、馬鹿夫の馬鹿台詞を吐いた。

「土日、お前が留守にするんじゃ、俺の飯は、誰が作るんだよ?」

  馬鹿だなあ。 自分の小説の主人公とは言え、ここまで馬鹿・無能だと、呆れ返ってしまう。 今からでも遅くない、こんな馬鹿、放っておいて、妻を主人公にして、感動の介護話に変えてしまおうか。 いや、それはそれで、月並みか。

  妻は、男Aが、たぶん、そう言うだろうと思って、

「ご飯は炊いておくから、朝は、醤油・海苔でも、卵かけでも好きなようにして、常備菜で食べて。 昼は、袋ラーメンでいいだろ。 夕飯は、スーパーへ行って、惣菜弁当を買って来な。 400円以下のにしろよ、 それ以上 贅沢すると、マジで破産だぞ」

  と言って、毎週土曜の朝に、夫の実家へ、やしやし、出かけて行った。 実は、妻、義妹と仲良くなり、友達気分で、週末を楽しんでいたのである。 介護は、一人だと大変だが、二人いると、互いに頼もしい。 相談もできるし、体力的にも、半分の労力で済む。 嫁と小姑と言ったら、険悪な仲になる典型的組み合わせだが、立場が異なるから、衝突するのであって、目的を同じくする協力者になれば、うまく行くのである。

  男Aは、蚊帳の外に置かれた。 男Aの望み通り、介護の負担からは逃れられたが、妻からも、妹からも、能なしの烙印を押されてしまい、相談すらしてもらえない、情けない身になった。

  妻は男Aに、家計の報告だけは、しっかりと、した。 なぜかというと、家計がギリギリである事を夫に伝え、出費を抑えさせる為である。 男Aには、登山趣味があり、百名山巡りなどという、ありがちな目標を立てていたが、妻と妹で、睨みつけて、やめさせた。 一歩も引かない。 山に登るのに、大したお金はかからないが、百名山は、全国に散らばっているから、交通費や宿泊費で、大金が飛んでしまう。 そんな金があったら、介護費用に回せ、と言うのだ。

  子供二人も社会人になった。 傍目に観察していた、父親の失敗に鑑み、家から通える距離に就職。 週末には、母親と一緒に、父の実家に行って、介護を手伝うようになった。 子供は二人とも、20代半ばになってから、初めて、父方の祖母の顔を見た。 祖母の方は、彼らを孫だと認識できなかったが、まあ、いいじゃないか。 家は、賑やかな方がいい。


  男Aは、頑として、実家に帰らなかった。 よっぽど、介護への拒絶感が強かったのだろう。 嫌悪感とでも言うべきか。 介護以前に、親と関わりたくないという意識が、根底にあった。 親の事を、お荷物、足枷、自分の人生を阻害する存在としか思えなかったのだ。 バブル時代に社会人になった世代に、ありがちな考え方である。 親さえいなければ、自分の人生は、薔薇色になる事が約束されていると思い込んでいる。 馬鹿丸出しの勘違いである。


  勤め先では、定年が迫っていた。 引退後、どういう暮らしをするか、同期と話し合う機会も増える。 お金を貯めて来た、アリ・タイプは、定年過ぎたら、もう働かず、家事と趣味だけやって、気ままに暮らすつもりでいる。 キリギリス・タイプは、定年延長なり、再就職なりして、働き続けるつもりだが、本人が働くのが嫌いでなければ、それも良かろう。 収入があった方が、安心という考え方もあるからだ。

  男Aは、嫌でも、働き続けなければならなかった。 男Aの収入が途絶えたら、妻と妹が構築した介護体制が、崩壊してしまうからだ。 男Aの会社では、定年延長すると、収入が半分になるが、子供二人から、減った分の補填を受けて、何とか、それまで通り、やっていけるという計算だった。

  さて、定年の日。 かつて、会社の休憩所で、認知不全エピソードを語り合っていた面々の内、男Aの同期が、まだ、一人だけ、会社に残っていた。 男Aの方から、会いに行き、自分の母親の事を話し始めた。 ところが、それは、すぐに、相手によって、遮られた。

「おいおい、お前から、そういう話を聞きたいとは思わないよ。 なに、お前? 昔、若い連中を捉まえて、親元脱出計画とやらを、自慢してたよな。 その計画は、どうなったんだ? うまく行ったなら、親の認知不全の話なんか、関係ないだろ」

「世の中、いろいろ、あるんだよ。 もっとも、俺は、今でも介護なんて不様な事はしてないけどな」

「不様~あ? どうせ、嫌な事を、家族に押し付けてるんだろう」

「押し付ける相手がいる分、俺が強運なのさ」

「救いようがないな。 お前、俺達が話していたのを、笑い話扱いして、ゲラゲラ笑ったよなあ。 いいから、自分の親の事も、ゲラゲラ笑ってろよ。 一人でな」

「そういう言い方はないだろう」

「なーにがー? そういう言い方はないが、他人の親の不幸を、ゲラゲラ笑うのは、ありだってえのか?」

「お前、俺に、怒ってんの?」

「当たり前だ! この、人間のクズが! どのツラ下げて、俺の前に出て来やがった! 胸糞悪いから、とっとと、失せろっ!」

  驚いてしまった。 そんな事で、他人の恨みを買っているとは、想像もしていなかった。 男Aは、辛うじて平静を保ちながら、血の気が引いた顔で、逃げて行った。 定年で、それまでの職場を去る日に、同僚から、「とっとと、失せろ」と言われてしまうのは、男Aの生き方が間違っていた事の、何よりの証拠であろう。

  定年延長で、男Aの職場は、本社ではなく、Z市郊外の資材置き場に移った。 要らなくなった資材の片づけだと聞いていたので、遊び半分でできると思っていたのだが、とんだ、思い違い。 期限があり、人数は少なく、殺人的なスケジュールで、肉体労働をこなさなければならなかった。 同じような資材置き場が、20箇所もあり、定年延長した5年間、同じ仕事を続けなければならない事は、決まっていた。


  母親が、死んだ。 在宅で看取った、男Aの妹と妻は、よくやったと賞賛されて然るべきであろう。 もっとも、施設に入いれれば、そちらの方が、ずっと良かったのだが・・・。 男Aは、疲れていると言って、通夜にも出ず、葬儀が終わった頃に、普段着で、ちょっと顔を出しただけだった。 叔父さんを始め、親戚に挨拶するのが、億劫だったのだ。 もはや、男Aには、誰も何も期待していなかったので、文句も言われなかった。

  母親の遺産は、男Aが相続したが、在宅介護で、ほとんど 使い尽くされ、実家も、借金の抵当に入っていた。 妻が、お金の事に関しては、男Aと、その妹に、事細かに報告していたので、揉め事は起こらなかった。 実家は、人手に渡り、やがて、都会から移り住んだ、若い夫婦の所有になった。

  男Aは、元より、実家には何の執着もなく、自分と関係なくなった事で、清々したが、それを、妹や叔父の前で、大っぴらに口にしたせいで、ほとほと 呆れられてしまった。 男Aがいなくなってから、叔父は妹に向かって言った。

「どうやりゃ、あんな、薄情な人間が出来るんだ? ガキの頃から、ああだったか? 普通の子供だったような気がするがなあ」

「そうだねえ。 バブル時代に、高校卒業して、都会に出たせいかもしれないけど・・・」

  実家が人手に渡ってから、叔父と妹は、男Aと連絡を取るのをやめた。 つきあいを続けるような人間ではないと思ったのだろう。 それは、男Aの妻も同じで、義母を看取った後、「もう、いいだろう」と、機会を窺っていた様子で、離婚を切り出した。 男Aは、プライドだけは高かったので、執着がないところを見せようと、虚勢を張った。

「好きにしな。 だけど、この家は、おれの名義だから、渡せないぜ」

  ところが、取られてしまったのである。 結婚後に得た財産は、夫婦共有になる。 名義が誰かという問題ではないのだ。 まだ、ローンが残っていたので、実際には、複雑な計算になるのだが、大雑把に言うと、土地と家を、一旦 売って、得たお金を、半分ずつ分ける事になった。 その後、元妻は、子供二人の資金支援を得て、売りに出た家を買い戻した。 結果、男Aだけが、追い出される事になった。

  男Aは、家を売った時の金で、寂れた別荘地に、安い家を買った。 一応、二階建てだったが、安普請である上に、経年劣化で、ボロボロ。 家と言うより、小屋とか、納屋と言った方が、しっくり来る。 お金が少なくて、そんな物件しか、買えなかったのだ。 自力で、少しずつ直して、何とか、住めるようにすると、子供達に連絡を取り、見に来るように誘った。

  ところが、子供達は、来なかった。 何度、電話しても、「暇が出来たらね」と言って、はぐらかされた。 その内、電話が繋がらなくなった。 電話番号を変えたらしい。 元妻の物になっている家の固定電話も、解約されたようで、繋がらなくなった。 元妻は、もちろん、子供達も、男Aと縁を切ろうとしているようだった。

  やがて、定年延長の5年間が終わり、男Aは、勤め先も失った。 別荘地のボロ家に、一人ぼっちになった。 話し相手など、一人もいない。 近所に、男Aと同じような境遇の高齢男性が一人暮らしをしている家が何軒もあったが、彼らと交友するのは、怖かった。 誰が、破産寸前なのか分からないのだ。 食い詰めた奴に、取りつかれでもしたら、こちらまで、食い詰める事になる。 テレビだけが相手の、虚しくも寂しい日々が続いた。

  退職して、半年。 「元妻はともかく、子供達は、自分に会いたいと思っているはずだ」と、勝手に決め込んだ男Aは、夕方、車で、元妻の家の前まで行き、勤め先から戻って来た息子を捉まえて、車に乗せた。

「どうして、会いに来ないんだ?」

「うーん・・・、特に会いたいと思わないから」

「親に向かって、そういう言い方があるか! そんな育て方をした覚えはないぞ!」

「でもなあ・・・、子供は親を見て育つって言うだろ」

「だから、なんだ?」

「俺達は、父さんを見て、育ったわけだ。 父さんは、自分の親の事なんか、いないも同然と思ってたんだよな。 なにせ、俺達が、お祖母ちゃんに、初めて会ったのは、大人になってからだったもんな」

「俺は、早く親から独立しようとして・・・」

「独立と、親子の縁を切るのは、別の問題だと思わなかったのかい?」

「俺は、親から、特に愛情を注がれたわけじゃない。 俺の世代は、そもそも、親が子を愛するなんて言い方はしなかったんだ。 だけど、俺は、お前達に愛情を・・・」

「そんな事はないと思うよ。 お祖母ちゃんなんか、俺が行くたびに、父さんと間違えていたけど、これを飲めとか、あれを食べろとか、仕事はつらくないかとか、服を買ってやるとか、父さんの事ばかり、気にしてたよ」

「・・・・・」

「叔母さんや、母さんにも、父さんの子供頃の話ばかりしていたらしいよ。 父さんが、たった一度、料理がおいしいって言ったのを、ずーっと覚えていて、『あの子は、心根が優しい子だ』って言ってたらしい。 叔母さんも、お祖母ちゃんの料理を、何度もおいしいって言ってたのに、そっちは、全然覚えていないんだって」

「・・・・・」

「父さんは、両親の事を、全然、愛してなかったようだけど、少なくとも、お祖母ちゃんは、父さんの事を、深く愛してたってわけだ。 その事に気づかないまま、家を出ちゃっただけなんじゃないの? それとも、家から逃げ出す為に、わざと気づかないフリをしていたのかい?」

「・・・・・」

「自分は親を捨てたくせに、自分の子供には、自分を捨てるなって求めるのは、虫が良すぎるとは思わないかい? あんたがやったのと、同じ事を、俺達はしているだけなんだよ」

「・・・・・」

  何も言えない。 息子は、車を出て、家に入って行った。 玄関の扉が開いていた数秒の間、家の中から、暖かい家庭の雰囲気が漏れ出していた。 自分がいない家庭が、自分がいた頃より、うまく行っているのは、明らかだった。


  数年が経った。 男Aは、70代になっても、辛うじて、生きていた。 家は、ゴミ屋敷化していた。 物が増えるのではなく、ゴミが増えた、真・ゴミ屋敷だった。 どうせ、誰も訪ねて来ないから、ゴミを片付ける気にならないのだ。

  ある日、空き家だった隣の家に、高齢男性が引っ越して来た。 一人暮らしのようだ。 この別荘地では、引っ越しの挨拶などしないのが普通だ。 町内会すら、ないのである。 数日して、隣家の前に、車が停まり、若い男が、家の中に入って行った。 息子のようだった。 男Aは、それらの様子を見ていたわけではないが、物音や話声で分かるのだった。

  30分ほどして、若い男が隣家から出て来た。 足音が、男Aの家に向かって来る。 こんな、ゴミ屋敷に何の用だ? 呼び鈴が鳴った。 男Aが、髭ボウボウの顔、よれよれの服、ホームレスとしか思えない風体で、玄関を開けた。 菓子折りを持った若い男が、作り笑顔で立っていた。

「隣に越して来た者の息子ですが、父が高齢で、何かと心配なので、時折りでいいですから、様子を見てくれませんか」

  男Aは、ムッとして、

「時折りって、どのくらい頻度で? 週に一度? 月に一度?」

「できれば、一日一回くらい・・・」

「冗談はよしてくれ。 俺は、あんたの父親の面倒見る為に、ここに住んでるんじゃないんだ。 そんなに心配なら、自分で見に来ればいいだろ」

「私は仕事がありますし、遠くに住んでいるから・・・」

「そんなの、理由にならないね。 菓子折り一つで、他人に頼むような事じゃない。 親が心配なら、同居するか、施設に入れるかするしかないんだ。 そりゃ、子供の義務じゃないのかい?」

「うちにはうちの都合があるんですよ。 初めて会った人に、そこまで言われたくないですよ」

「都合都合なんて言ってると、その内、親が死んじまって、地団駄 踏む事になるぞ」

「もう、いいですよ」

  若い男は、「狂人の相手はできない」という素振りを見せながら、逃げるように帰って行った。

  男Aは、その場の勢いで口走った言葉の意味に、後で気づいて、慄然とした。 相手の言葉ではなく、自分の言葉に打ちのめされた。 母親の老けた顔が思い出され、涙が、ボロボロと流れ出て来た。 この歳になって、ようやく、人並みの情感が生まれて来たのかも知れない。 あまりにも、遅かったが・・・。 そのまま、寝室に行って、横になり、泣き続けた。

  男Aの死体が発見されたのは、その3ヵ月後である。 死後、2ヵ月以上 経過していた。 死因は、餓死だった。 享年、72歳。 こんな男が、その歳まで生きた事が、驚異である。

2024/09/15

時事旧聞 ②

  6月に予告した通り、時事旧聞の第2回目を、お送りします。 旧聞なので、話題が古いです。




【2024/02/18 日】 「H3」

  新型ロケット、H3。 打ち上げ成功で、騒いでいますが・・・。 ロケットを打ち上げる技術は、何十年も前から、あるんですよ。 問題は、技術ではなく、コストなのです。 コストを無際限にかけられるのなら、どんな国でも、どんな民間企業でも、必ず、成功させられます。 コストに制約があるから、難しいのです。

  失敗した1号機から、2号機までの間に、いくら開発費を投じたかが、問題。 実用機以降は、1機50億円で打ち上げるそうですが、たぶん、「開発費は別扱い」という考え方で、2号機には、50億円より遥かに多くの金額を注ぎ込んでいるはず。 これまでに、H3の開発に使った資金は、2197億円だそうですが、1機当たり、いくらの利益が出るかによって、開発費を回収するのに、何年かかるかが決まります。

  打ち上げ頻度について、詳しい事は知りませんが、年に、10機、打ち上げると仮定して、約2200億円を回収するには、1機当たりの利益が、1億円だとしたら、220年かかります。 2億円なら、110年。 この辺りでは、問題外ですな。 4億円なら、55年。 まだ、長過ぎるか。 8億円なら、27.5年で、一機種の寿命としては、まずまず妥当か。 しかし、1機50億円の廉価ロケットで、利益が、8億円も採れるものですかねえ?

「だったら、搭載する人工衛星の契約単価を、高くすればいいではないか」

  なに、寝ぼけた事を言ってるんですか。 全世界で、その単価を安くする競争をしているんですよ。 一番肝心なところを高くして、競争に勝てるわけがないでしょうが。 高くてもいいというのなら、H2シリーズの方が、ずっと、成功率が高いです。 しかし、契約単価が諸外国のロケットの2倍もするから、受注競争で、勝負にならぬ。 だから、安いロケットとして、H3の開発が始まったという流れなのです。

  JAXAや、製造メーカーが、どういう計算をして、事業計画を立てているのかが分からない。 たった、2機造るだけで、2197億円も使ってしまって、どうやって、元を取るつもりなのか? マスコミも、マスコミで、簡単に調べられる事なのに、なぜ、そういう問題点を取材をしないのか、気が知れません。 そんな様では、花火大会気分で種子島まで見学に押しかけている、単細胞のロケット・ファンと、大差ないではないですか。

  開発費を回収して、真の利益が出始めるのに、100年もかかるようなロケットは、到底、成功とは言えません。 利益が出なくても、国から金が出るから、事業は続行できますが、赤字分は、全部、税金で補填されるわけで、それを思うと、実に、苦い気分になります。 コンコルドでも、YS11でも、そうですが、黒字にならない事が分かっている事業は、それまでに、いくら投入していたとしても、途中でやめた方が、損害が少なくて済みます。

「頑張って、続けていれば、いつか、成功する」

  なんて事を、1号機の失敗の後で、ロケット・ファンの小学生が言ってましたが、そういう問題じゃないんだよ。 100パーセント、コストの問題なんだよ。 最終的に積み上がった損害は、君が払ってくれんのかい?



【2024/03/06 水】 「ドラマと出生率」

≪花嫁の賭け≫
  1986年の、2サス。 石野真子、柳葉敏郎、石橋蓮司、江波杏子、という出演者。 ゲーム好きの少年と知り合いになった若い二人が、誘拐犯と間違われたり、銀行強盗をやった男と戦ったりする話。

  2サスなんですが、誰も死にません。 それでも、そこそこ、ゾクゾクさせられて、観後感は良いです。 こういう、若い恋人同士が中心になって、ちょっとした冒険を繰り広げる話が、今では、とんと、見られなくなってしまいましたなあ。 今でも、若い世代は、減ったとはいえ、厳然と存在しているというのに。

  高齢者尽くしになった結果、廃止された2サス枠に、復活して欲しいとは思いませんが、推理小説を原作としたドラマは、まだ、作って欲しいものです。 原作の方まで、色褪せたわけではないのですから。


  そういえば、ドラマの傾向で思い出しましたが、韓国で、出生率が、恐ろしいほどに、低下しているとの事。 何が原因か? 私の考えでは、たぶん、ドラマが原因だと思います。 ドラマに出て来る人物達が、美形ばかりなので、視聴者も、面食いばかりになってしまい、「不細工な相手と結婚するくらいなら、生涯独身の方が、マシ」という考え方になってしまったのだと思います。

  日本でも、恋愛結婚の補完システムとして機能していた、見合い結婚を滅ぼしてしまったのは、1990年前後に流行した、トレンディー・ドラマでした。 「恋愛結婚以外は、結婚ではない」という風潮が広まって、結局、ある程度、外見がいい人間しか、結婚できなくなってしまったんですな。 日本の少子化も、そこに端を発しています。 ドラマの影響は、侮れません。

  少子化対策に、「子育て支援」なんて、やってますが、ほとんど、効果がありますまい。 結婚する人間そのものが、激減しているのですから。 一人の女性が産む人数を増やす方向性では、旗を振っても、誰もついて来ません。 お金にゆとりがあれば、子供を多く持ちたいという人間ばかりではないからです。 むしろ、そういう人は、少数派でしょう。

  そんな事より、見合い結婚や、結婚相談所の紹介で結婚するドラマを、テレビ各局、一期に一本ずつ作る事を義務化すれば、自然に、結婚する人間が増え、子供も増えて来ると思います。 効果の程には、自信があります。 しかし、たぶん、そんな作戦が採用される事はないでしょう。 表現の自由を制限する事になってしまいますから。 静かな引退生活を送りたいと思っている私としては、近所を騒がすガキどもなど、少ないに越した事はなく、採用されると困るわけで、大変、好都合です。



【2024/05/27 月】 「任意保険」

  車の任意保険の更新通知メールが来たので、手続き。 ノンフリート等級が上がっているのに、また何か、契約条件の抱き合わせがあり、数百円、高くなってしまいました。 まったく、自動車関連の業界は、詐欺まがいの事をやるところが多い。

  任意保険は、かけ捨てだから、事故を起こさない人は、毎年、払い損になってしまうのですが、なんで、繰り越しタイプが出て来ないのか、不思議です。 事故が起きない、つまり、保険会社側に損が出ない場合、翌年に繰り越せばいいではないですか。

  それができないのは、頻繁に事故を起こす顧客のせいで、賠償金が出て行くからです。 つまり、事故を起こす連中の為に、事故を起こさない人間が、金を補填してやっているわけで、理不尽極まりない。 世の中、何か、間違っている。




  今回は、以上です。 どうせ、旧聞なので、急いで出す必要もないでしょう。

  実は、この、≪心中宵更新≫というブログは、最初、こういう、時事問題を取り上げ、「世の中に、物申す」という内容の文章を書いていました。 読書感想文を出し始めるのは、ずっと後になってから、プチ・ツー紀行に至っては、僅か、ここ数年で始めた事です。

  記録に残っている、一番古い記事は、2002年6月1日付で、その頃は、まだ、ブログではなく、ホーム・ページに、コンテンツとして掲載していました。 「コンテンツ」は、もう、死語ですが・・・。 ブログとして独立させたのは、2005年頃でしたから、それ以前の記事は、ネット上では読めません。 私だけが読み返せるわけですが、何せ、時事ネタなので、わざわざ、読み返すような事はないです。

2024/09/08

セルボ・モード補修 (36)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 前回 出したのは、昨年、2023年の10月15日でした。 その後、記事数にして、9本溜まっています。 今回、4本、来月の第二週に、5本出します。





【ワックスがけ / ヘッド・ライト磨き / 排気管汚れとり / タイヤ空気圧】

  2023年11月12日。 セルボ・モードの、定期整備をしました。

≪写真1≫
  まずは、ワックスがけ。 霧吹きで塗らして、濡らしたスポンジで、半ネリ・ワックスをかけ、すぐに、乾いたタオルで拭きとっています。

  すでに、塗装の劣化は、どうにもならない段階に来ていますが、半年に一度のワックスがけのお陰か、まだ、錆は出ていません。 カー・ポートがあって、雨が当らないのも、効いていると思います。

≪写真2≫
  ヘッド・ライトの黄ばみを、コンパウンドで取り除きました。 右側は、取りきれませんが、どうやら、レンズの内側が黄ばんでいる模様。 磨きようがないです。 左側は、一度、交換しているので、もっと、綺麗です。

≪写真3左≫
  排気管(マフラー・テール・カバー)の汚れ。 どうしても、下に垂れ痕が付きます。

≪写真3右≫
  ティッシュで拭いたら、とれました。 前回までは、ペイントうすめ液をつけていましたが、そんな物を使わなくても、とれるようです。

≪写真4≫
  タイヤの空気圧も見ました。 規定が、1.8のところ、軒並み、1.4に減っていました。 自転車用空気入れで、補充。 5月には、減っておらず、足しませんでしたが、夏場に減るんですかね?




【オイル交換】

  2023年11月20日の午後、車のオイル交換をしました。 ホーム・センターのカーマへ行って、オイルを買って来て、エンジンが暖まっている内に、オイル交換作業に取りかかりました。

≪写真1≫
  庭敷き用の緑パネルと、コンクリート・ブロックで、カー・ステップを組み、前輪を載せて、エンジン下に潜れるようにしました。

≪写真2≫
  オイル・パンの下に、新聞紙、ビニール袋を敷き、その上に、オイル・バットを置きます。 春に作った、廃油飛び出し防止装置を立てました。

≪写真3左≫
  奥は、フィラー・キャップ。 その手前は、17ミリのコンビネーション・レンチ。 手前は、左から、ドレン・ボルト。 使用済みドレン・ワッシャー。 未使用ドレン・ワッシャー。

≪写真3右≫
  廃油を落としているところ。 廃油飛び出し防止装置は、ほぼ、所期の機能を発揮しました。 この廃油の色を見れば分かると思いますが、まだ、透明度が残っています。 半年に一度の交換では、頻度が高過ぎるのです。 半年では、200キロくらいしか乗らないのだから、汚れようがないわけだ。 資源の無駄なので、次からは、一年間隔にしようと思っています。

≪写真4左≫
  カーマで買って来た、「カーマ・オリジナル・エンジン・オイル 10W-30 4L」。 税込み、2178円。 一番安いのを探したら、これになったのです。

≪写真4右≫
  廃油飛び出し防止装置のお陰で、エンジン下のコンクリート面に、廃油を零さずに済みました。

≪写真5左≫
  ところが、車の後ろで、廃油の処理をしていたら、三滴、零してしまいました。 中性洗剤溶液に束子を浸してこすり、雑巾で吸い取った直後の様子。 乾けば、廃油の浸みはなくなっています。

≪写真5右≫
  レイアウトの都合上、ここに持って来ましたが、オイル交換中。 コンクリート・ブロックのハーフを、輪止め代わりに、後輪の後ろに咬ませておきました。 サイド・ブレーキの引き忘れというポカをやった時に、車が後ろに下がってしまうのを、これが防いでくれます。 車が後ろに傾いているので、前に動くという事はないです。




【バッテリー液量の確認】

  2024年1月3日。 外掃除の後、車のフードを開け、バッテリーの液量を確認しました。 この冬になってから、早朝に、かかりが悪くなって来たからです。 バッテリー自体が、すでに、寿命だと思いますが、その前に、電解液を足して、復帰するなら、安く上がります。

≪写真上≫
  バッテリーは、パナソニックの、「40B19L」。 メーカー指定は、一般地、「28B17L」、寒冷地、「38B20L」ですが、すでに、そういう品は、売っていません。 車を中古で買った時から、このバッテリーが付いていたから、これで、問題ないんでしょう。 新品が、アマゾンで、4000円ちょっとで買えます。

  メンテ・フリーではなく、キャップがあって、電解液を足せるタイプです。 上限線と、下限線が、ありますが、液がどこまで入っているかは、外からでは、分かり難いです。

≪写真中≫
  で、ヨーグルト台紙の厚紙を、幅8ミリくらいの短冊に切りました。 これの端を、バッテリーの下限線に当てて、天面で折り曲げてから、キャップを外し、中に挿し込んでみました。

≪写真下左≫
  液槽は、6箇所ありますが、概ね、このくらい、入っていました。 下限線と上限線の中間くらいで、量的に、問題なし。 つまり、電解液を足しても、意味はないわけだ。 それが分かっただけでも、この確認作業をした甲斐がありました。 バッテリーを買い換えるか、このまま、騙し騙し、使い続けるか、の二択になったわけです。

≪写真下右≫
  亡き父が買って、物置にしまってあった、電解液。 2リットルで、280円とあります。 もう一本、同じ物がありました。 いつ買った物かは、不明。 精製水なので、歳月が経っても使えると思って出したのですが、出番はなく、また、しまいました。




【バッテリーに電解液を補充】

  1月末、また、車のエンジンが、かかり難くなり、チャージャーでかけなければならなくなりました。 車を使うたびに、エンジン・フードを開けるのは手間なので、対策を取る事にし、1月31日に、電解液を、バッテリーに足し、チャージャーで、充電しました。 

≪写真上≫
  右から、父の遺品の、電解液。 2リットルで、280円。 いつ買った物か分かりませんが、ただの精製水なので、消費期限もありますまい。

  中央は、茶碗蒸しが入っていた、カップ。 中を洗い、水気を取ってから、電解液を一時出しするのに、使いました。

  左は、プリンターの詰め替えインク補充用の、注入器。 20mlごとに、目盛りが入っていて、便利なので、使う事にしました。

≪写真中左≫
  バッテリーの天面には、6ヵ所、電解液の注入口があります。 キャップは、五円玉で、緩めました。 十円玉でも、いけます。 工具などで、硬貨で回すようになっているネジは、少ないながら、存在します。

≪写真中右≫
  注入器で、1ヵ所当たり、60mlずつ、追加。 そのつど、厚紙の短冊を下ろし、液量を確認しました。

  追加するのは、精製水ですが、バッテリー内に入っているのは、希硫酸なので、手に着かないように、注意して、やりました。

≪写真下≫
  電解液の追加後、チャージャーで、3時間、充電しました。 実は、充電を受け付けないほど、バッテリーが劣化しているのですが、一応、電解液の使用説明書きに従った次第。




  今回は、ここまで。

  バッテリーは、前々回の冬まで、気にもしなかったのですが、前回は、やられました。 2016年に、車を中古で買った時に、新品のバッテリーに積み換えてあったかどうかは、不明。 もし、新品だったとしても、前回の冬までに、7年半経っていたわけだから、そろそろ、交換時期と言われても、不思議はありません。

  ちなみに、暖かくなってからは、普通にかかるようになりました。 気温の問題なんですよ。 7月の車検も、そのまま、通りましたし。 次の冬は、いよいよ、交換になる可能性が高いですが、もし、チャージャー始動で乗り切れるなら、乗り切ってしまうかも知れません。

2024/09/01

読書感想文・蔵出し (116)

  読書感想文です。 今回も、4冊です。 別に、批評で食っているわけではないから、読まなくてもいいんですが、一度、やめてしまうと、それっきりになって、認知不全を招き寄せてしまうのではないかと、それが、怖いから、読み続けている次第。





≪火星人ゴー・ホーム≫

ハヤカワ SFシリーズ 3003
早川書房 1965年3月15日 再版発行
フレドリック・ブラウン 著
森郁夫 訳

  沼津図書館にあった、新書本です。 長編、1作を収録。 フレデリック・ブラウンさんの作品。 ネット情報では、1954年に雑誌掲載され、翌55年に、本になったとの事。 二段組で、作者のあとがきも入れて、約178ページ。


  突然、地球上の様々な場所に現れた、10億人の火星人。 瞬間移動能力と透視能力をもっていて、どこにでも入り込んで、地球人を観察し始めたが、厄介な事に、嘘をつかないので、秘密をバラしまくる。 あるアメリカ人の小説家を、主な軸にして、火星人が世界中に引き起こした悲喜劇を描く話。

  ハードSFの対極にある作品。 SFというより、風刺小説の趣きですが、何を風刺しているのか、焦点が定まらないところがあります。 テーマなんか、ないです。 大雑把なアイデアが頭に浮かんだだけで、テキトーに書き始めて、テキトーに書き進め、テキトーに終わらせた、という態。 SF小説として、タイトルは、割と有名だと思いますが、勝負作品などでは、毛頭ないので、気合いを入れて読み始めると、肩透かしを食らうと思います。

  有名な作家であっても、やっつけ作品を書いてしまう事はあるものでして、新人や、売れない作家なら、編集者が没にするところを、なまじ、有名作家であるが故に、名前だけでも、読む人がいるから、こういう作品が、世に出てしまうんですな。 実際問題、これを、新人が書いて、編集者に見せたら、「こんな、お遊びで、作家になれると思ったら、大間違いだ」と、一時間も説教を食らうのが落ちでしょう。

  本気で風刺作品にしたいのなら、小説家などという、変わった職種の人物を中心にするのではなく、もっと一般的な人々に、火星人をぶつけてみれば良かったのに。 なぜ、小説家なのかというと、書いている作者も小説家だから、楽だと思ったんでしょう。 もう、最初から、手抜き全開ですな。

  こういう作品を、「傑作」などと讃えていると、ジャンル全体が、衰退して行きます。 読む方も読む方で、「こういうのも、アリ」などと、分かったようなフリをしない方がいいです。 業界内で、お遊びを許してしまうと、どんどん、読者が離れて行ってしまいます。 絶対、駄目とは言いませんが、こういうのが許されるのは、短編に限りでしょう。




≪盗まれた街≫

ハヤカワ文庫 SF 1636
早川書房 2007年9月25日 発行
ジャック・フィニイ 著
福島正実 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 コピー・ライトは、1955年。 約360ページ。 筒井さんの、≪漂流≫に載っていた作品。


  アメリカ西海岸の小さな町。 地元で生まれ育った開業医のもとに、「家族の一人が、別の人間になっている」と訴える患者が、立て続けにやって来る。 友人の小説家に相談されて、彼の家の地下室に行くと、友人に良く似た人体があるのを見せられる。 それは、生きてはいないが、死体でもなく、徐々に、その家の住人そっくりに変わって行って、いずれ、取り変わってしまうのだった。 何者かによる、乗っ取りが進行していると気づいた時には、町の住人のほとんどが・・・、という話。

  原題は、「THE BODY SNATCHERS」で、「体を奪う者」という意味。 内容を、そのまま、表しています。 大抵、邦題は、原題より、無粋になるものですが、「盗まれた街」も、内容をよく表していて、なかなか、いい題だと思います。 珍しい。

  原題で、何回か、映画化されているそうです。 私は、どれも、見た記憶はないですが、似たようなアイデアは、他の作品でも、よく使われているせいか、「どこかで、読んだような、見たような話だな」と思わせるものがあります。 どうやら、この小説が、それらの作品の嚆矢である模様。

  映画の話は別にしても、小説として、面白いです。 ページをめくる指が止まらなくなるタイプの作品。 私は、家事やら買い物やら、他にしなければならない事が多いので、三日に分けて読みましたが、閑な人なら、読み始めたが最後、夜中までかけても、読んでしまうのでは?

  解説によると、作者は、SF専業作家ではなく、推理小説や、ファンタジー小説も書く人らしく、スティーブン・キングさんが、この作者のファンらしいですが、なるほど、いかにも、キングさんが好きそうな話です。 また、SF専業でない作家の作品らしく、ハードな科学技術知識は、一切、使われていません。 日本にも、北杜夫さんや、横溝正史さんのSF作品がありますが、必ずしも、ハード知識がなくても、SFは書けるわけだ。

  そして、大変、上質な小説になっています。 こういう繊細な描写は、SF専業作家だと、書けないかもしれませんねえ。 アメリカの小説は、創作形容や、一人の人物を複数の呼び名で書くなど、非常に悪い癖がある作家が多いですが、この作品には、そういうところが全くありません。 翻訳も巧いのでしょうが、これだけ緻密でありながら、全ての文字を読んで行っても、スイスイと、先に進んで行きます。

  見せ場の配分も、巧み。 クライマックスが二段構えで、一段目は、冒険小説でよく使われる、監禁された部屋からの脱出です。 その類いの中では、他に例がないような、奇抜な方法をとります。 作品独自のSF設定を、うまく利用しているのです。 この作者、様々なジャンルの小説を、たくさん、読んでいるんでしょうねえ。

  無理やり、粗を探すとすれば、やはり、SF設定に、甘いところがあるという点でしょうか。 莢から出て来た種が変身して、人間そっくりになるわけですが、入れ代わられた元の人間が、どうなってしまうかについて、詳しく書いていません。 骨格標本を身代わりにする件りで、大雑把に書いてあるだけ。 予め、決めないまま書き始め、後回しにしていたけれど、結局、うまい処理法を思いつかなかったのかも知れませんな。

  そういえば、この作品でも、人種差別問題が、取り上げられています。 靴磨きをしている中南部アフリカ系の男が、普段、客のヨーロッパ系におべっかばかり言っているのが、隠れた所で、激しく、ブチ切れているというもの。 アメリカで、1950年代中期というと、公民権運動が始まった頃ですが、その問題に触れなければいけないような雰囲気が、世の中にあったのかも知れません。 

  総括。 小説でも映画でも、先に類似作品に触れていると、新鮮な感じはしませんが、それでも、読んで損する小説ではないです。 面白いという点では、太鼓判を押します。 とはいえ、買うほどではないかなあ・・・。 こういう作品は、何年経っても、内容を忘れないから、読み返す事は、そうそう、ないと思うのです。




≪人間の手がまだ触れない≫

ハヤカワ文庫 SF 1597
早川書房 2007年1月30日 発行
ロバート・シェクリイ 著
稲葉明雄・他 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 短編、13作を収録。 コピー・ライトは、1954年。 52年、53年に雑誌発表された作品を集めたようです。 全体のページ数は、約328ページ。 筒井さんの、≪漂流≫に載っていたもの。 解説によると、作者は、「不条理SF作家」と呼ばれるのを、気に入っていたとの事。 ちなみに、筒井さんが、売り出し中に、「和製シェクリイ」と言われていたそうです。


【怪物】 約24ページ

  ある惑星に、地球のロケットが下り立った。 出て来た地球人が、大変、醜い姿をしている事に、現地の人間は驚く。 現地人は、女性が、男性の8倍生まれる生態で、25日に一度、妻を殺して、新しいのに取り換える習慣があったが、地球人の女性にも、同じ扱いを・・・、という話。

  一見、「異なる文化の習慣は、尊重すべきである」というテーマのように取れますが、作者の狙いは、そんな高尚なところにあるのではなく、日々、女房を殺したくてうずうずしている亭主どもの、溜飲を下げる為に、こういう設定を考えたのでしょう。 分からないでもないですが、こんな作品を読んで、喝采している暇があったら、もっと理性的に、離婚手続きを進めては如何か。


【幸福の代償】 約22ページ

  様々な家電製品で埋め尽くされている家。 便利ではあるが、高価なので、一生かかっても、ローンが払いきれない。 息子にも、債務を負わせて、更に、新しい家電を買おうとするが、息子は・・・、という話。

  星新一さんのショートショートみたいな雰囲気です。 新しい家電が、どんどん増えるというのは、この頃の、アメリカの家庭で、よく見られる現象だったんでしょう。 「家電が増えるほど、幸福になる」という感覚は、誰でも、経験した事があると思いますが、何年かしてみると、錯覚である事が分かります。


【祭壇】 約16ページ

  ある町に住んでいる人物。 よそ者に道を訊かれたが、初めて聞く宗教関係の名前で、まったく、心当たりがない。 どうやら、怪しい宗教間の対立が、この町で起こりつつあるようだが、市長に訊いても、知らないという。 真相を探ろうと、再び出会ったよそ者に、ついていくと・・・、という話。

  SFというより、犯罪小説でしょうか。 怪しげな宗教団体の名前が出てくるところで、ゾクゾク感を覚えないでもないですが、アメリカのものなので、日本人には、今一つ、ピンと来ません。


【体形】 約32ページ

  体形を自由に変化させられる宇宙人。 原子力資源を求めて、地球に、何回か、調査隊を送ったが、一人も帰って来ない。 調査隊員達は、地球の生物種が、大変、多様で、化け甲斐があり、征服するよりも、自分達で好きな事をやった方がいいのではないかと考えて・・・、という話。

  ページ数が多い分、描き込みも細かくて、普通に、小説として、読み応えがあります。 アイデアは、奇抜とまでは行きませんが、まずまず、楽しめるもの。 ラストは、純文学的で、感動を覚えます。 人間が、動物に変身するというのは、どうして、こんなに心を打つのだろう? 人間より、動物の方が、生き物として、素晴らしいと思っているからでしょうか。


【時間に挟まれた男】 約40ページ

  人工的に作られた銀河の一部で、時間の歪みが発生。 ニューヨークに住む男が、階下へ下りようとすると、先史時代へ行ってしまい、逆に高い所へ上がると、酸素もないような遥か未来へ行ってしまう、という案配で、建物から出られなくなってしまう。 引っ越しの期限が迫っているのに、どうしよう・・・、という話。

  以上のような基本ストーリーに、タイム・パラドックスによる影響を避けようとする意思が加わって、主人公の制約が、更に、大きくなります。 結末は、ショートショート的な、気が利いたもの。 「悪事を企んでいる者といっても、消してしまうのは、まずいのでは?」と思わないでもないですが、銀河規模の問題と相対化されて、そのくらいは、小さな事と、片付けられています。


【人間の手がまだ触れない】 約34ページ

  食料が尽きた状態で、ある惑星に到着した、二人乗りの宇宙船。 尖った山の上に、ドーナツが引っ掛かっているような形の建造物を見つけるが、その惑星の人類は、他の星へ移民したようで、無人になっていた。 残された物資の中から、食べられそうな物を探すが、その惑星の人類が、何を食べていたのかさえ分からず・・・、という話。

  この短編集の表題作ですし、タイトルからして、深遠な哲学でもテーマにしているのかと思っていたんですが、そうではありませんでした。 とはいえ、短編SFのアイデアとしては、一級のもの。 化学や、栄養学がモチーフですが、さほど、ハードには踏み込みません。 一般的なSFファンには、分り易いですが、ハード好きの面々には、食い足りないかも。


【王様のご用命】 約24ページ

  店から電気製品が盗まれるのを捕まえようとした、共同経営者の二人。 張り込んでいたら、やって来たのは、魔神だった。 王様の命令で、王様が欲しがる物を盗みに来ているとの事。 魔術には魔術という事で、いろいろな呪文を試すが、魔神は聞いた事もない名前で、何の効果もない。 二人は、知恵を絞った挙句・・・、という話。 

  こういうのも、星新一さんのショートショートには、よくあります。 発表年から見て、これらの作品が、星さん始め、日本のショートショートに影響を与えたと見るべきか。 あまり、キレのいい結末ではないです。 魔神が、どこから来たのかも、最後に明かされますが、1970年代くらいまでならともかく、今では、ちょっと、ピンと来なくなっていますねえ。


【あたたかい】 約22ページ

  ある男の中から、別の者の声が聞こえて来る。 男は、近しい女性を誘って、パーティーに行こうとしていたが、声と話をする内に、人間の本質が何なのか、理解が進み、女性は袖にしてしまい・・・、という話。

  「人間なんて、所詮、ただの原子の塊に過ぎない」という、冷めに冷め切ったものの見方になって行くわけですが、そういう割り切り方が、役に立つ場合もありますな。 結末が付いているのですが、なぜ、そうなるのか、しっくり来ない所があります。 結末だけ見ると、ドラえもんに似たような話がありました。


【悪魔たち】 約22ページ

  街を歩いている時に、突然、消えてしまった保険外交員の男。 現れた先では、一人の人物がいて、どうやら、男の事を、悪魔だと思っているらしい。 「呼び出された悪魔は、必ず一つ、命令を聞かなければならない」そうで、ある物を持って来いと命じられるが、その物が、何なのかが分からない。 放免された男は、呪術を調べ、自分も悪魔を呼び出して・・・、という話。

  ループ型のストーリー。 ショートショート的で、そこそこ、気が利いた結末です。 しかし、大人が、真面目に読むような内容でもないか。 こういう話ばかり考えているから、ショートショートというジャンルは、消滅してしまったんですな。


【専門家】 約34ページ

  その宇宙船は、各部のパーツが、それぞれ、生物で、それぞれ、意思を持っていた。 事故で、「推進係」の生物が死んでしまう。 推進係がいないと、超光速移動ができないので、帰還ができない。 最寄の惑星から、推進係タイプの生物を探したところ、ちょうど、地球人がそれで・・・、という話。

  普通、物体と思われているものが、生物として描かれていると、異化効果が凄まじい。 筒井さんの、【虚航船団】が、それですが、もしかしたら、この作品から、ヒントを得たのかも。 ただし、こちらは、虚構文学ではなく、割と普通のSF小説です。

  スカウトされて、最初、渋っていた地球人が、結局、承諾するのですが、その気持ちはよく分かる。 私が同じ立場でも、誘惑に勝てないでしょう。 ラストで、全くやり方を知らなかったのに、他の部品達の力を借りて、「推進」をやってのける場面には、爽快感を覚えます。


【七番目の犠牲】 約30ページ

  戦争の代わりに、攻撃欲が強い人間だけ、自発的に登録して、殺し合いをさせる制度がある社会。 10人殺すと、名誉あるクラブに入る資格が得られる。 ある男が、7人目のターゲットに近づくが、相手の女は、狙われていると知らされているにも拘らず、全く無防備。 声をかけてみると、殺される覚悟でいるらしい。 女を好きになってしまった男は・・・、という話。

  これも、星新一さんのショートショートに、同じような設定の話がありました。 こちらの方が、先である事は、間違いありますまい。 星さんの作品より、結末の意外性が強いです。 1965年に、映画化されているそうですが、確かに、映画になりそうな話。 相当、膨らませてあるとは思いますが。


【儀式】 約18ページ

  かつては、様々な異星人の宇宙船を受け入れていた星の一族。 ある時を境に、宇宙船が寄りつかなくなった。 久しぶりに来た宇宙船に、歓迎の儀式を、5千年前の型で臨もうとする長老と、3千年前の改良された型を推す若者との間で、軋轢が起こる話。

  ネタバレさせてしまいますと、大抵の宇宙船の乗組員は、やっと辿り着いた惑星で、水や食料が欲しいのに、5千年前型では、踊りばかり踊っていて、一向に、出て来ない。 改良された3千年前型では、最初に、飲食物を出せとなっているという違い。 ちょっと、アイデアが、安直か。 ショートショートのコンテストに応募したら、一次審査で落とされそうです。 書き方が、プロのものなので、そこそこ、面白く読めますけど。


【静かなる水のほとり】 約10ページ

  小惑星に住み着いた男。 ロボットを改良して、話し相手になるようにし、何年か暮らしたが、やがて、岩盤から酸素を汲み出す機械が衰えて、耕作ができなくなり、男も歳をとり、ロボットも歳を取って・・・、という話。

  これは、小松左京さんの、【SOS印の特製ワイン】が、似ています。 もちろん、こちらの方が先に書かれています。 細部は事なりますが、基本的な設定と、読後に残る余韻が、ほぼ、同じ。


  ≪人間の手がまだ触れない≫の総括ですが、筒井さんが、「和製シェクリイ」と言われていたというのは、一部の作品についてだけ、納得できる事。 どちらかというと、星さんに与えた影響の方が大きいんじゃないでしょうか。 星さんといえば、日本のSF小説界の基礎を作った人なので、シェクリイさんは、更に、その基礎になっているわけだ。

  今まで、シェクリイ作品を一つも読まなかった私に、問題があります。 逆に、翻訳されるなり、片っ端から読んでいたという人達は、日本の作家が書いたSFを読むと、「ああ、これは、シェクリイからいただいたな」と、白けていたのかも知れませんねえ。




≪ドノヴァンの脳髄≫

ハヤカワ・SF・シリーズ 3002
早川書房 1957年12月31日 初版発行 1995年9月30日 4版発行
カート・シオドマク 著
中田耕治 訳

  沼津図書館にあった、新書サイズの本です。 長編、1作を収録。 2段組みで、186ページ。 雑誌発表が、1942年から、1943年。 単行本になったのが、1943年。  筒井さんの、≪漂流≫に紹介されていたもの。


  小型飛行機の墜落事故で、瀕死状態になった男の体から、脳髄を摘出して、脳髄だけで生存させる事に成功した医師。 脳髄の主は、事業家の大富豪だった。 精神感応で、脳髄から指令を受ける事ができるようになった医師は、命じられるままに動いて、大富豪のやり遺した事を実行しようとするが・・・、という話。

  脳髄だけで生存させるのは、現代でも不可能で、一見、リアルなようでいて、そうでもない、微妙なSF設定です。 冒頭からしばらく、医学・生命科学の専門用語が頻出するので、作者は、医師なのかと思いましたが、別に、そうではない様子。 おそらく、作品に必要な部分だけ、医学書を調べたんでしょうな。

  摘出した脳髄と、どうやって、意思の疎通をするかが問題でして、手足はもちろん、口も耳も目もなく、脳髄だけでは、脳波くらいしか、調べようがありません。 それが、ある時、実験室内で、ちょっとした事故が起こり、それをきっかけに、精神感応で、医師の左手が、脳髄の指令で、文字や図を書く事ができるようになります。 精神感応では、降霊術と大差ないのであって、ここで、ハードSFとしては、失格になります。 もっとも、SFは、必ず、ハードでなければならないという法はありません。

  そこから先は、脳髄の主である、大富豪のやり遺した望みを叶える展開になるのですが、アメリカ映画によくある、「血も涙もない男が、死ぬ寸前に、他の人間の体を借りて、迷惑をかけた人々に、罪滅ぼしをして回る」、あのパターンに、なって行きます。 この大富豪の場合、「罪滅ぼしをする為なら、新たな罪を犯しても構わない」という、罪の意味が分かっているのかいないのか、よく分からない人格でして、体を貸している形の医師は、窮地に立たされるわけですが。

  というわけで、後半は、SFではなくなってしまうわけです。 しかし、普通に、小説として、読み応えがあり、最後まで、一気に読み通す事ができます。 元々、文章力がある作家が、たまたま、SFのアイデアを思いつき、抓み食い程度の動機で、SFを書くと、SF度は低いけれど、小説としては、面白いという作品ができる傾向がありますねえ。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪火星人ゴー・ホーム≫が、5月28日から、30日。
≪盗まれた街≫が、6月8日から、10日。
≪人間の手がまだ触れない≫が、6月11日から、13日。
≪ドノヴァンの脳髄≫が、6月23日。

  4冊とも、古典SF。 古典になっているという事は、面白いという事ですが、人によって、面白さのツボが異なるので、やはり、当たり外れがあります。 時代が変わって、今、新作として出すのは、無理というモチーフもありますが、そういう点は、甘めに勘案して、読む事にしています。 アメリカSFに、人種差別や、その、わざとらしい否定は、必ず出て来るから、端から拒絶すると、読めなくなってしまうからです。