2025/02/23

EN125-2Aでプチ・ツーリング (65)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、65回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年1月分。





【沼津市岡宮・岡宮4号公園】

  2025年1月9日。 沼津市・岡宮にある、「岡宮4号公園」へ行ってきました。 2週前に行った、「馬頭観音」から、すぐ北にあります。 近過ぎて、通り過ぎてしまい、ぐるっと回って、急坂を登り、辿り着きました。

≪写真1≫
  ほぼ、全景。 1号よりは、かなり小さくて、2号と同じ面積だとの事。 3号が、一番小さいようですが、2号・4号と、大差ありません。

≪写真2左≫
  手前は、砂場。 奥は、複合遊具ですが、主に、滑り台のようです。

≪写真2右≫
  ブランコ。 これがないと、児童公園とは言えませんな。

≪写真3左≫
  運動ができるベンチが、4基、ありました。 これは、「腹筋ベンチ」。

≪写真3右≫
  これは、「脇ストレッチベンチ」。 他に、「十字懸垂ベンチ」、「背のばしベンチ」がありました。

≪写真4左≫
  跨る遊具。 これは、「シー・ライオン」。 アシカですな。 もう一基、「ピーコック」がありました。 孔雀。 本物の孔雀に跨るのには、無理がありますが。

≪写真4右≫
  公園の一角にあった、山神社。 石の祠です。 平成19年(2007年)に、他から、ここへ移転させたとの事。 道理で、真新しいです。

≪写真5≫
  ミラーを新しいのに換えてから、初めてのプチ・ツーリングになりました。 乗っている時は、ミラーの前側が見えないから、感動はありません。 こうして見ると、確かに、ピカピカです。




【沼津市東熊堂・大泉寺】

  2025年1月15日。 沼津市・東熊堂にある、「大泉寺」へ行って来ました。 「熊堂」は、「くまんどう」と読みます。 お寺を目的地にする事は、珍しいですが、住宅地図を見ていたら、新幹線のすぐ北にあり、見つけ易そうだったので、そこにした次第。

  神社と違って、お寺は、人が住んでいるから、境内に入るつもりは、最初から、ありませんでした。 山門だけでも、撮影できればいいという程度の当てで出かけました。

≪写真1≫
  山門。 シンプルなもの。 門の左右を車が通れるので、門本来の意味は、ほとんど、ないです。

  掲示板に書かれている言葉は、

「寒苦に鍛えた梅は、風雪に耐えて よく香る」

  なるほど。 梅の性質が、本当にそうなのかは知りませんが、言いたい事は分かります。

≪写真2≫
  本堂。 道路からでも、よく見えたので、撮っておきました。

  たぶん、鉄筋コンクリート。 戦後、建てられたのでしょう。 こういう建物は、冷暖房が利くので、檀家には、恩恵が大きいです。

≪写真3左≫
  道路に沿って、駐車場が並んでいました。 飛び出し坊やの下には、「真宗大谷派 東本願寺末 大泉寺」、「いずみ保育園」とあります。 保育園の名前に、「いずみ」が入っているところを見ると、大泉寺の運営かも知れません。

≪写真3右≫
  山門のすぐ南側を通っている、新幹線の高架。 南から来ると、高架の下を潜った後、東へ、ほぼ直角に曲がります。

≪写真4≫
  門の横に停めた、EN125-2A・鋭爽。 往復で、19キロ。 バイクで来る場合、近所と言っても、おかしくありません。 とりあえず、鼠蹊ヘルニアの手術が終わるまでは、近場で行こうと思っています。




【沼津市東沢田・八幡宮】

  2025年1月23日。 沼津市・東沢田にある、「八幡宮」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 「明治資料館」の近くで、「愛鷹神社」の、すぐ南なのですが、その愛鷹神社の方に、まだ、行っていません。

≪写真1≫
  小さい神社ですが、境内は、そこそこ、広いです。 もしかしたら、以前は、鎮守の森が鬱蒼としていたのかも知れません。 前の道路は、愛鷹神社の参道でもあります。

≪写真2左≫
  白く塗られた鳥居は、金属製。 名額に、力強いゴシック体で、「八幡宮」とあります。

≪写真2右≫
  銅板葺きの、社殿。 人が入れる大きさではないです。 これは覆いで、中に、小さな本殿が置かれていました。

≪写真3左≫
  背面。 本殿が置かれている部分が飛び出していない場合、この建物を拝殿とは呼べません。 やはり、覆いに過ぎないのです。

≪写真3右≫
  中には、賽銭箱もありました。 前面に書かれている文字は、左から、「奉納」。

≪写真4左≫
  鈴の代わりに、銅鑼が吊ってあります。 珍しい。 壊すと事なので、鳴らしませんでしたけど。

  向かって奥に、電灯が付いています。 たぶん、中は、電球。

≪写真4右≫
  鳥居の柱の裏側。 奉納年月日が書いてあったようなのですが、薄くなってしまって、読み取れません。 もう一本の柱には、「東沢田氏子一同」とありました。

≪写真5左≫
  道路の端、溝蓋の上に停めた、EN125-2A・鋭爽。 新品に交換したミラーが、ピカピカなのですが、このサイズの写真では、分かりませんな。 走っている間は、私には見えないわけですが、ピカピカだと思うだけで、気分はいいです。

≪写真5右≫
  神社の向かいの家で咲いていた、花。 葉っぱの形から見て、椿だと思います。 何とも、変わった花ですなあ。 珊瑚みたい。




【沼津市東沢田・愛鷹神社】

  2025年1月29日。 バイクで、沼津市・東沢田にある、「愛鷹神社」へ行って来ました。 「愛鷹」は、「あしたか」と読みます。 快晴なれど、寒風が強烈に吹き荒ぶ日で、冬装備の服装でも、まだ寒い。 若い頃以来ですが、新聞紙を胸に入れて行きました。 愛鷹神社は、明治資料館の近くで、新幹線のすぐ南側にあります。

≪写真1左≫
  正面からの、全景。 境内は、丘というほどではないですが、少し高くなっています。

≪写真1右≫
  鳥居は、石製。 名額は、御影石で、こざっぱりしたもの。

≪写真2左≫
  社殿。 瓦葺きだから、昭和に入ってからの建物。 その上、鉄筋コンクリートだから、戦後の建築でしょう。 見えているのは、拝殿です。

≪写真2右≫
  側面から。 拝殿と本殿が、廊下で繋がっている様式です。 本殿も、鉄筋コンクリートの、がっしりしたもの。 風情には、欠けますが。

  本殿のすぐ後ろには、新幹線が通っています。

≪写真3左端≫
  鈴の代わりに、銅鑼。 すぐ近くにある、八幡宮にもありました。 この付近の習俗なんでしょうか。 鈴だろうが、銅鑼だろうが、私は、こういう鳴り物には、触れない事にしています。 落ちて来ると、まずいからです。

≪写真3左中≫
  拝殿の扉のガラスが一枚外されていて、そこから、中の賽銭箱に、賽銭を入れられるようになっていました。 こういう工夫をしている神社は、昨今、多いです。

≪写真3右中≫
  手水、というより、流しと水道ですな。 タイルを貼った流しは、今では珍しいです。

≪写真3右端≫
  境内に祀られていた、石。 何なんでしょう? 奥のは、石碑ですが、文字が彫ってあったかどうか、確認を忘れました。

≪写真4左≫
  石燈籠。 六角断面の笠・火袋に、丸竿タイプ。 左右二基ありました。

≪写真4中≫
  石燈籠。 四角断面の笠・火袋に、丸竿タイプ。 一基だけ。

≪写真4右≫
  石燈籠。 四角断面の笠、球形の火袋に、丸竿タイプ。 一基だけ。 球形の火袋というのは、庭園用なら見た事がありますが、神社用は、初めて見ました。

≪写真5左≫
  境内別社。 詳細は不明。

≪写真5右≫
  境内別社。 詳細は不明。 どちらも、屋根庇は、銅板葺きで、手の込んだもの。

≪写真6左≫
  境内は、児童公園を兼ねているらしく、遊具が一つありました。 雲梯にしては、低いです。 吊る下がるのではなく、上に登って遊ぶものなんでしょう。 それにしても、時代がかっている。

≪写真6中≫
  境内に入れず、道路の端に停めた、EN125-2A・鋭爽。 短時間とはいえ、交通違反になる危険性があり、ヒヤヒヤです。 もっとも、周囲は、住宅地で、警察が巡邏に来るような所ではありませんでしたが。

≪写真6右≫
  しかし、東沢田自治会による、こういう注意書きもありました。 

「警告  不審車両 不審者等 見つけ次第 110番します」

  うーむ。 やはり、大急ぎで見て、早く戻った方が、正解だな。




  今回は、ここまで。 依然、闘病中という事もありますが、それより何より、この冬は寒くて、遠くへ行く気にならないので、近場ばかり、目的地にしています。 往復、45分くらいで帰って来れる半径内でも、まだまだ、行っていない所は多いわけだ。

2025/02/16

実話風小説 (37) 【いなくなる前に】

  「実話風小説」の37作目です。 12月の中ばに書いたもの。 闘病中の事とて、今回も、短いです。 短い方が、書く方も、読む方も、好都合という見方もありますが、どうも、書く方としては、好都合過ぎて、やっつけになってしまう傾向がありますな。




【いなくなる前に】

  男Aは、すでに、人生の半ばを過ぎた年配だが、時々、思い出す事がある。 亡き父が言っていた、祖父の事である。 A氏が生まれるより前に他界しているから、面識はないし、父から聞いた話というのも、祖父に関する、たった一つのエピソードだけである。

  祖父は、第二次世界大戦の末期、昭和20年7月に、21歳で、海軍に召集された。 国内の軍港で、南方へ送られる前の再訓練をしている途中で、敗戦となった。 しかし、外地からの復員事業の為に、船員として徴用されてしまい、家に戻れたのは、5年も経ってからだった。

  多くの復員者がそうであるように、家に戻った祖父も、半ば、廃人という態だったらしい。 家族とは、ほとんど、話をしない。 自分からは、全く話さないし、話しかけても、生返事ばかりで、会話にならない。 朝、親戚から紹介してもらった、引っ越し屋の手伝い仕事に出かけて行き、夕方、もしくは、夜に帰って来る。 母親が作った夕飯を、黙って食べ、風呂に入り、眠ってしまう。

  その内、縁談があり、結婚したが、妻に対しても、ほとんど、口を利かない夫だった。 家父長制が普通だった時代には、そういう男は、いくらでもいたのだが、祖父の場合、職場でも、最小限、必要な事しか喋らず、真面目だが、無愛想な男と見做されていたようだ。

  A氏の父親は、昭和30年に生まれたが、20歳の時、つまり、昭和50年に、祖父は、交通事故で死んでしまった。 運転していた引っ越し屋のトラックに、他のトラックが突っ込んで来て、運転席ごと押し潰されたのだ。 葬式では、「せっかく、戦争から生きて帰って来たのに・・・」と、惜しまれたが、すでに書いたように、祖父は、召集はされたものの、戦闘に参加したわけではない。

  A氏の父が言うには、「親父が話しているところを、見た事がなかったな」との事。 「喋れないわけじゃないんだが、一言、二言、そんなもんで、長い話なんか、一度も聞いた事がない」と言った後で、ふと思い出したように、「・・・あ! そういえば、一度だけ、少し長い言葉を喋ったぞ。 そうだ! あれは、親父が死んだ日の朝だ!」


  A氏の父親は、高校卒業後、その地方にある中堅の土建会社に就職していたが、その会社の社員はみな、現場が遠い時は、現地に泊まり込みになり、数ヵ月間、家に戻れない事があった。 A氏の父親にも、そういう仕事が回って来て、初めて、家から離れて暮らす事になった。

  出張が迫る中、A氏の父親は、一人暮らしの為の準備に忙しかったのだが、その最中に、彼の母親が、頼み事をして来た。 車で、自分の友人の家へ送って行ってくれと言うのだ。 何か、届け物があるらしい。 A氏の父親は、就職前に、車の免許を取っていて、家の車を運転して、自分の母親を、あちこちに、送ってやる事が多かった。 それを、この忙しい時にも、やれというのだ。 地方出張で息子がいなくなると、出かけるのに不便になるから、その前に、自分の用事を片付けてしまおうと考えたらしい。

  A氏の父親は、「この忙しい時に・・・」と、いい顔をしなかったが、何とか、時間をやりくりして、送って行ってやろうかと考えていた。 その時、一人で、遅い朝食を食べていた、A氏の祖父が、口を開いたのだ。

「これから、よそへ仕事へ行く息子に、そんな事を頼むんじゃない! 初めて、家から出て暮らすんだから、不安でいっぱいなんだ。 その気持ちを分かってやれ!」

  A氏の父親も、その母親も、ビックリした。 普段、滅多に口を利かない、魂が半分 抜けてしまっているような人が、長い言葉を、しかも、ピシャリと叱りつけるような、激しい口調で言ったからだ。

  A氏の父親は、思い出しながら、感想を述べた。

「親父って、あんなに長く喋れるんだって、その時、初めて、知ったな。 その日の内に、事故で死んじゃったんだがな」

「出張は、どうなったの?」

「親父の葬儀を済ませてから、一週間遅れで行ったよ」


  A氏が、祖父の言動について知っている事は、父親から聞いた、それだけである。 なんで、そういう事を口にしたのかは、深く考えなかった。 祖父の言葉の意味が分かったのは、A氏の父親が病気で他界して、数年経ってからだ。

  近所で、100歳になった男性がいて、自治会で、そのお祝いをするというので、A氏も参加した。 セレモニー・ホールを貸しきっていたが、割と小さな、立食パーティーだった。 100歳当人の家族・親戚が半数。 残りは、僅かな知人を除き、自治会の者だった。 年齢が年齢なので、友人はもう、一人もおらず、知人も、「昔、世話になった」という、当人より一回り以上若い世代ばかりだった。

  ホールのスタッフによる司会で、主だった者の挨拶が終わると、あとは、歓談という事になったが、家族・親戚以外は、さほど親しい間柄の面子ではない。 特に、自治会の者は、所在ない身となり、ごく自然に、一人ずつ、100歳老人の席に、お祝いを述べに行くようになった。 A氏も、それに倣った。

  A氏の順番が来た。 A氏が、近所に住んでいる、Aだと告げると、100歳老人の表情が変わった。 そして、割と、しっかりした喋り方で、こんな言葉が返って来た。

「すると、○○さんの、お孫さんに当たるのかい?」

  ○○というのは、祖父の名前だった。

「そうです。 祖父を、ご存知なんですか?」

「一緒に、船に乗っていたんだよ。 復員船にな。 といっても、俺たちは、船員の方だったんだが・・・」

「それは、父から聞いています」

「○○は、早死にだったな。 俺だけ、こんなに長生きしちまって、申しわけないくらいだ」

「いえいえ、そんな事はありません。 もっと、長生きして下さい」

  100歳老人は、少し間をおいてから、こう言った。

「お宅の物干し台は、まだ、あるかい?」

「えっ?」

「ああ、とっくに、家を建て替えたんだっけな。 それじゃあ、もう、ないだろうな」

「物干し台が、何か?」

「○○は、昔にしては、背が高かったからな」

  話が見えなくなってしまったが、なにせ、相手は、100歳だ。 こんなものだろうか。 ところが、100歳老人の話は、俄かに、筋が通り始めた。

「○○の奴、出征する前の日に、母親から言われたんだってよ。 『行く前に、物干し台の、上の段の腕木を直して行ってくれ』って」

  A氏、何か似たような話を聞いた事がある。

「どういう事ですか?」

「つまり、母親にしてみれば、背が高い息子が出征すると、物干し台の高い所に手が届く者がいなくなるから、その前に、修理させようって腹だったのさ」

「・・・・・・」

「○○の奴、何度も、その話をして、怒ってたな。 母親なのに、戦争に行く息子を心配するんじゃなくて、自分の都合で、便利に使おうとしたってな」

  ああ、そういう事だったのか。 だから、祖父は、自分の妻が、出張直前の息子、つまり、A氏の父親を、運転手として使おうとした時に、怒ったのだ。 自分の母親と、自分の妻がやった事が、オーバー・ラップして、怒り心頭に発したのだ。 あの話には、そういう裏事情があったのか。 もしかしたら、復員した祖父が、無口になったのも、母親に対する不信感が影響したのかも知れない、

  A氏が、父親から、その話を聞いてから、もう、40年にもなる。 特に、謎とも思っていなかったが、今頃になって、事情が分かった事に、何とも、不思議な気持ちになった。 このパーティーに参加しなかったら、一生、知らないままだったろう。

  しかし、ふと、自分の身に置き換えて考えてみると、A氏自身も、母親や妻から、似たような扱いを受けている事に気づいた。 何かにつけ、便利に使われているのである。 祖父がどうこうというより、女というものが、そういう現実的で、ドライな考え方をするものなのだろう。

2025/02/09

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ②

  月の第二週は、闘病記。 前回は、鼠蹊ヘルニアの手術をしてもらいに、総合病院へ行き、検査が済んだところまで、書きました。 今回は、その続きです。




【2024/10/17 木】
  8時45分から、母自で、病院へ。 外科。 今回は、予約されていたから、待ち時間は少なかったのですが、なんと、「血糖値が高過ぎて、手術どころではない」と言われてしまいました。 かなり、ひどい、糖尿病だとの事。

  で、まず、血糖値を下げなければならないという事で、内科、眼科と回され、あれこれと、検査の嵐。 心電図なんて、最初の日にやったのに、また、やりました。 眼科では、瞳孔を開く目薬を注されて、目がぼやけた状態に。 最後に、栄養士による食事指導を受けて、帰って来ました。 次は、来週の月曜日。

  血糖値、110以上が、糖尿病と言われるらしいのですが、私は、450もあるのだとか。 それは、凄い。 医師は、外科も内科も、「よく、生きてるな、こいつ」という目で見るし、内科の看護師は、「尿検査の結果次第では、即、入院です」と言うし、参ったな、これは。 私の自覚症状というと、「足が、真夏でも寒く感じられるようになった」くらいしかないのですが・・・。 ちなみに、尿検査の結果、最悪のパターンではなかったそうで、とりあえず、今日の入院は回避できました。

  まあ、こうなってしまったら、仕方ないですな。 俎板の上の鯉らしく、向こうの言う通りにします。 目下、健康状態よりも、検査検査で、お金が、どんどん出て行くのが、怖い。

  それにしても、鼠蹊ヘルニアなら、手術してしまえば、それで治りますが、糖尿病となると、一時的に、血糖値が下がっても、その後も、一生、薬を飲み続けなければならないわけで、げんなりしてしまいます。

  内科の医師に、「長生きできない」とか、「失明するかも知れない」とか言われましたが、ポックリ死ねるなら、長生きしたいとは思っていません。 もう、これといって、やりたい事もないし・・・。 ただ、失明は困ります。 母の介助も、自分の事もできなくなってしまいますから。

  とりあえず、栄養士の指導に従い、今日から、夕食後の間食は、やめました。 和菓子や、菓子パン、袋菓子の類を、一切 食べない事にしたのです。 数年前に、コーヒー、サイダーなどの、甘い飲み物断ちに成功しているから、たぶん、食べる方も、絶てるでしょう。 逆に言うと、歳のせいか、「どうしても、甘い物が食べたい」という欲望が、あまり、感じられなくなっているのです。 それはそれで、寂しい事ですが・・・。



【2024/10/18 金】
  昨日の夜に、スマホの電源を入れたら、午後に、17件も着信履歴があり、知らない番号だったので、全部 削除したのですが、その後で、番号をネットで調べたら、病院からでした。 最初に行った時に、外科の問診表に、携帯番号を書けとあったので、うっかり、書いてしまったのです。

  で、今朝、スマホの電源を入れて、自室に置いておいたら、また、かかって来ました。 出る前に切れてしまったので、かけ直したところ、病院の代表番号に繋がり、こちらの名前を言ったら、内科の看護師からかけた事が分かって、そちらに回してもらいました。

  用件は、大した事ではなく、今日、眼科の検査の続きを受けに来いとの事。 それは、断ったら、次の予約の月曜でもいいから、早めに来て、眼科へ行けと言うので、承諾しました。 そうそう毎日、病院まで行ってられません。

  17回も電話をしたのは、私の血糖値が異様に高いので、倒れたのではないかと、心配したからだそうです。 その看護師さん、昨日 話をした時にも、そう感じたのですが、どうも、心配し出すと、気になって仕方がない性格のようです。 平謝りに誤って、お礼も言っておきましたが、やはり、他人と関わるのは、厄介な事だと、つくづく思いました。

  私くらいの歳になると、他人の親切心や、前向きな職業意識を、建前通りに受け取る事ができなくなります。 それはそれで、寂しい話ですが・・・。 


  週末なので、部屋の拭き掃除。 掃除機かけ。 亀の水換え。

  入院したら、こういった事が、全くできなくなってしまうので、入院だけは、断らなくてはなりません。 とはいえ、昨日、「即、入院」の話が出た時には、思わず、ワクワクしてしまった自分がいたのも、事実。 私は、内心では、家事や買い出しなど、母の介助をする生活から、脱したいと思っているのかも知れません。



【2024/10/21 月】
  9時半頃、母自で出て、病院へ。

  まず、看護師により、血糖値計測器で、計測。 350でした。 前回、先週の木曜日には、450でしたから、四日間で、100落ちた事になります。 間食絶ちした甲斐があったか。 ここで、落ちていなかったら、入院になったかも知れず、ヒヤヒヤでした。

  眼科の検査の続きをやり、その後、眼科医の問診。 糖尿病的には、問題なし。 「いずれ、白内障になると思うが、今はまだ、大丈夫」との事。

  内科で、糖尿病専門医の問診。 何か、思い当たる事があるかと訊かれたので、夕食後に、間食で、菓子ばかり食べていたと、即答しました。 血糖値が高いから、本来なら、入院して、点滴で直すのが定石だが、入院が駄目となると、インスリンを自分で打つしかないと言われました。 入院さえ避けられれば、何でもやります。

  会計した後に、内科に戻り、インスリン注射器具と、血糖値測定器の使い方を教わりました。 その場で、インスリンを、一回打ち、10分後くらいに、血糖値を測定したら、250。 更に、100落ちた事になります。 効果が出るのが早いな。 しかし、正常値は、空腹時、110以下なので、まだまだ、遠い。


  眼科で、また、瞳孔を広げる目薬を注されたので、危なっかしい運転で、帰って来ました。 狩野川の土手を走っていた間は、大丈夫でしたが。



【2024/10/22 火】
  昼食後に、血糖値を測りました。 指の腹に、専用器具で、細い針を刺して、血を出すのですが、少な過ぎて、針と試験紙を、無駄にしました。 二度目も、少ない。 やむなく、指の甲の逆剥けを剥がして、出血させ、その血で測りました。 280。 昨日より増えていますが、昨日、病院で打ったインスリンの効果が下がったからでしょう。


  昼寝してから、運動散歩。 ダイソー、セリア、ドラッグ・ストア3軒を回りました。 万歩計は、今では、100円店に置いてないようです。 薬屋だと、千円くらい。 体重計も、針式のが、千円。 血圧計は、4千円くらい。 ネットの方が、2500円くらいと、安いです。 で、何も買わずに帰って来ました。


  夕食前に、インスリンを打ちました。 こちらも、専用器具を使います。 針だけ、毎回、交換。 こちらの方が、血糖値計測より、簡単です。 手順を間違えさえしなければ、失敗しないからです。 針を腹に刺すのですが、大変 細いので、痛みは、ほとんど、感じません。

  打った後は、少し、頭がボーッとする感じ。 2時間ほどで、消えました。 腹に、針の痕の小さな赤い点が残るので、次には、そこから、最低でも、2センチ離して、打ちます。 インスリンは、毎日、同じ時刻。 血糖値測定は、朝昼晩食の前と後、計6タイミングを、一日ずつ、ずらして行きます。 結構、面倒臭い。

  数値を記録するのですが、その表に、血圧、体重、歩数の欄があり、書き込む部分が多い方がいいようなので、それぞれ、器具を買おうというわけです。



【2024/10/23 水】
  昨夜、アマゾンで、血圧計、体重計、歩数計を注文したのですが、受付メールが来てから、到着予定日が、11月5日になっている事に気づき、仰天! キャンセルしました。 2週間も先ではありませんか。 次の診察日までの期間の内、測れる日数が、半分になってしまいます。

  各商品ページで到着予定日を調べてみたら、歩数計が、11月5日で、一番遅く、他2点も、10月31日で、一週間以上、先です。 話にならぬ。 それなら、体重計と歩数計は、実店舗と大差ない値段なのだから、店に買いに行ってしまった方が、早いです。

  今朝、起きて、血圧計だけ、アマゾンを調べ直したら、買おうとしていた品より、300円高いものの、送料無料で、10月25日には届くという品があったので、そちらを注文しました。

  ところが、間違えて、プライム会員登録のボタンを押してしまい、顔色真っ青に・・・。 注文画面のデザインが変更されていたのです。 まったく、紛らわしい所に、ボタンを設置してくれる。 すぐに、キャンセルしましたが、登録受付メールが来てしまいました。 追って、キャンセル受付メールが来て、「まだ、プライムを、一回も使っていないから、会費600円を返金する」との事。 クレカに? ヘルプを調べたら、クレカでも、返金ができるんですな。

  まあ、それはいいとして、間違えて登録してしまう人も多いのだから、一時間以内にキャンセルした場合、最初から引き落とししないようにすればいいと思うのですがね。 そもそも、間違えて押させるようなボタン配置が、おかしいです。 アマゾンほどの、超有名企業が、そんなセコい手を使って、プライム会員に誘い込もうとしているのが、奇怪千万。 おそらく、担当者が、「どんな手を使っても、登録させてしまえば、こっちのもの」といった考えを持っているのでしょうが、企業の格に合いません。

  それにしても、こちらも、不注意というもので、注文画面のデザインが変わっている事に気づいた時点で、隅々まで、よく読めば良かったんですな。 今後は、アマゾンに限らず、ネット利用全体で、そういう事に注意しなければ。 こういう失敗をやらかすと、つくづく、自身の高齢化による、社会からの疎外を感じます。 今は何とか対応していますが、その内、間違いばかり起こすようになり、ネットなんか、怖くて使えなくなってしまうでしょう。


  今日は、朝は、曇り。

  午前9時頃、外掃除の前に、ドラッグ・ストアへ。 母自を押して歩いて行きました。 自転車は、体重計が重いから、前籠に入れて帰って来る為に、同伴したものです。

  アナログ体重計は、タニタが輸入したもので、税込み、1188円。 3Dセンサーの歩数計は、オーム電機製で、税込み、1078円。 もっと安いのもあったのですが、そちらは、振り子センサーだったので、やめました。 3Dセンサー式なら、ポケットに入れたままで、測れるからです。

  帰りも、自転車を押していたのですが、途中から、雨が降り出してしまい、やむなく、乗って、急いで帰って来ました。 ちょっと、濡れた程度でした。 雨のお陰で、外掃除は、パス。

  体重計を開梱。 アルコール浄化して、自室に置きました。 アナログなので、乗るだけです。 66キロ。 デジタルより、重い。 しかし、体重計なんてものは、個体によって、数値が異なるものでして、見るべきは、同じ体重計で量った時の、日々の変化なのです。

  歩数計も開梱。 ボタン電池を入れましたが、振っても、数字が変わりません。 と思ったら、数秒してから、ドカっと変わりました。 そういう作りなんでしょう。 歩数計も、個体によって、数値が全然異なるのであって、日々の変化を見る為のものです。



【2024/10/24 木】
  午後、昼寝してから、運動登山。 4年半ぶりに、横山に登って来ました。 運動登山自体が、4年半ぶり。 香貫山を避けたのは、他の登山者と接近したくないからです。 その点、横山は、平日なら、まず、登っている人がいませんから。 もっとも、今の季節、新型肺炎の感染者数は、最低になっており、山に来ている人が感染している確率は、極めて低いです。

  横山の北側から登ったのですが、やはり、きつい。 マスクをしながらでも登れましたが、誰もいないなら、外してもいいか。 登りも下りも、ホイホイ、進めないから、人の姿を見てからかけても、間に合うでしょう。

  1時間半。 ちと、かかり過ぎですが、平地を歩くより、足へのダメージが少ないようで、爪が剥がれるような事はありませんでした。 これから、しばらく、雨天と、バイク、折自で出かける日以外は、横山に登ろうと思っています。 間食断ち、甘い物断ちだけでは、血糖値の低下が捗らないから、致し方ない。

  鼠蹊ヘルニアを抱えたまま、山なんか登って、大丈夫か、心配ではあるものの、とにかく、血糖値を下げなければ、鼠蹊ヘルニアの手術ができないのだから、そちらを優先するしかありません。

  ちなみに、歩数計は、登山のお陰で、1万歩近く、行きました。


  夜、2018年12月以来、約6年ぶりに、インスタント・コーヒーを飲みました。 ただし、ブラック。 大変、まずい。 血糖値を下げるのに、効果があると知ったからです。 ただし、ブラックに限る。 非常に、まずい。 薬だと思って、飲む所存。




  今回は、ここまで。 まだ、10月分が終わりませんが、長くなったので、この辺にしておきます。 この時期、糖尿病が判明したせいで、生活が激変しており、書く事が多かったのです。

2025/02/02

読書感想文・蔵出し (121)

  読書感想文です。 闘病生活が続き、読書は、どんどん、負担度が高くなっています。 2024年の12月末から、一度に借りる本を、1冊に減らしました。 それでも、読み始めるのが、億劫なのだから、困ったもんだ。 とりあえず、今回は、まだ、4冊分、出します。





≪銀河の壺なおし 〔新訳版〕≫

ハヤカワ文庫 SF 2150
早川書房 2017年10月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 264ページ。 コピー・ライトは、1969年。 ディックさんの長編としては、短い部類。


     父親の代から、割れた陶磁器の壺を直す仕事をしている男。 7ヵ月も仕事がなく、自殺を考えるほど追い詰められていたところへ、銀河の果てから、高額報酬の仕事が舞い込む。 ある惑星の海に、大昔に沈んだ大聖堂を引き揚げる事業で、その聖堂には、無数の割れた壺があるとの事。 様々な技能を持つ者たちが、銀河の各地から集められて、その惑星に連れて行かれるが・・・、という話。

  SF的に始まりますが、これは、SF風ファンタジーに分類すべきなのでは? 大聖堂引き揚げの依頼者である巨大生物が、ほとんど、神のような能力を持っており、何でもアリの大盤振る舞い。 これでは、SFとしては、面白くなりません。 巨大生物には、敵がいて、そちらとの戦いで、能力の限界が示されますが、科学技術的な限界ではなく、鬼や天狗の弱点と同類のもの。 やはり、SFになっていないなあ。

  ディックさんの作品は、必ずしも、科学的にハードではなくても、奇抜なアイデアで、それを感じさせないところに魅力があるのですが、この作品では、ファンタジーに傾き過ぎて、ディックさんらしくない話になっています。 解説によると、これを、ディック作品の上位に挙げている批評家もいるようですが、奇を衒っているとしか思えません。 黒澤明作品で、≪どですかでん≫を筆頭に挙げるような。

  主人公の壺直しが、ただの人過ぎて、何を考えているのか、何を望んでいるのか、よく分からないところが、また、ストーリーをつまらなくしています。 地球に帰っても、食い詰めるだけだから、大聖堂引き揚げを手伝うというのは、あまりにも、後ろ向きなのでは。 ディックさんの小説では、そういう、情けない主人公が多いですが、この作品では、各別に、パッとしない人物になっています。

  それにしても、壺直しという職業が、アメリカにもあるんですかね? 金継ぎの事らしいですが、中国と、その周辺にしかないと思ってました。




≪ティモシー・アーチャーの転生 〔新訳版〕≫

ハヤカワ文庫 SF 2150
早川書房 2015年11月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 382ページ。 コピー・ライトは、1982年。 ディックさんの遺作だそうです。 それで、この発表年か。


     キリスト教・聖公会の地方支部司教、ティモシー・アーチャー氏の、息子の妻が、ジョン・レノンが死んだ日に、すでに他界した、司教、その息子で自分の夫、司教の愛人、そして、まだ生きている愛人の息子との、ここ数年の出来事を回想する話。

  主な登場人物は、5人だけで、長い割には、シンプルな人物相関です。 そうそう、ディック作品ではありますが、この小説は、SFではないです。 オカルトが、少し入っていますが、オカルトとして捉えなくても、成り立つ話なので、一般小説の部類に入れるべきでしょう。 アメリカのSF作家の代表格みたいな人が、最後の作品で、SFを書かなかったというのは、興味深い。 もう、うんざりしていたんでしょうかね?

  薬中からは、完全に立ち直っていたようで、大変、しっかりした話になっています。 書き方も、地に足がついている感じ。 女性の一人称なので、日本語に訳すと、女言葉になってしまい、今となっては、「~だわ」どか、「~のよ」が、些か鬱陶しいですが、1982年頃なら、日本でも、まだ、そういう喋り方をする女性は、かなりいたと思うので、必ずしも、リアリティーを損なっているわけではないです。 そもそも、元は、英語ですし。 むしろ、下品で卑猥な言葉が頻出する事の方が、問題か。 しかし、それは、原文に忠実だからでしょう。

  テーマは、宗教。 他の宗教も出て来ますが、99パーセントは、キリスト教に関するもの。 「三つ子の魂、百まで」とは、よく言った。 物心ついた時から、キリスト教を刷り込まれて来た人間は、一生、その影響から、逃れられないんですな。 ユダヤ教、ゾロアスター教、仏教などからも、引用がありますが、上っ面もいいところで、作者が、ほとんど、理解していない、いや、ほとんど、興味がなかった事が、ありあり見て取れます。

  キリスト教がテーマといっても、イエスの、神の子としての資格を否定する内容でして、キリスト教徒なら、目を剥いて憤るような事。 しかし、キリスト教の知識がない者からすると、当然以前以前に、どーでもいーよーな事です。 イエスより前に、イエスの教えを説いていた文書があろうがあるまいが、そんな事、どーでもいーではありませんか。 そういう事を、大問題と捉えてしまう点が、キリスト教徒ならではでして、作者が、キリスト教の影響に、ガッチリ絡め取られている証明なのです。

  どーでもいーよーな事をテーマにしている小説を、面白いと感じられるわけがなく、キリスト教徒以外は、読んでも、時間の無駄にしかなりません。 いや、この本を読んで、生半可な知識を頭に入れ、キリスト教徒に論戦を吹っかけて、揉め事を起こす輩も出て来そうだから、却って、有害かも知れません。 私の経験から言って、宗教に関して、他人と話をする事は、決して、人生にプラスになりません。 用心深く避けて、口にしない方がいい事なのです。

  とはいえ、テーマを無視して、ただのお話として読むなら、普通に読めます。 耐えられないほど、つまらないという事はないです。 アメリカの一般小説としては、むしろ、面白い方。 それにしても、人様に薦めるような本ではないですなあ。 読まなくてもいい、というか、読まない方がいいというか。 作者が、薬中から脱しているのは確かだと思いますが、登場人物は、軒並み、薬中ですし、薬中を擁護する表現も多くて、薬中時代の自分を全て否定できない、作者の弱い心が見て取れます。 

  この作品を、高く評価している人もいるようですが、どうですかねえ? もし、ディックさんが、SFを一切書かず、こういう作品だけ書いた作家だとしたら、評価されましたかね? それは、アガサ・クリスティーさんが、推理小説を一切書かず、叙情小説だけ書いたとしたら、一流の作家と見做されたかどうか、それと同じ事ですが、さあ、どう思います?


  作品の評価とは、全く関係ないですが、日本車が出て来ます。 そして、「こういう小型車は、簡単に、横倒しになってしまう」といった評価をされています。 日本人なら、日本車を、横倒しになり易い車だとは、誰も思わないと思うので、奇妙だと感じるかも知れませんが、これは、アメリカ車と比較した場合の話でしょう。 背の高さが同じくらいでも、アメリカ車は、日本車より、長さも幅もあるので、よほど、急ハンドルで振り回しても、横倒しにはなりません。 それに比べたら、長さ・幅が小さい日本車が、倒れ易いのは、当然の事。

  ただし、それは、先にアメリカ車に乗って、ガンガン振り回していた人が、日本車に乗った場合の話でして、この作品の主人公のように、最初から、シビックに乗っているような人は、そもそも、振り回すような荒い運転をしませんから、横倒しになるような事はないです。 レーサーのように、普段、高性能な車やバイクに乗っている人が、公道で一般車に乗ると、よほど慎重に走らないと、すぐに事故ってしまうのも、同じ理由です。




≪ザップ・ガン≫

ハヤカワ文庫 SF 1997
早川書房 2015年3月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 367ページ。 コピー・ライトは、1965年。 解説によると、作者、20作目の長編で、大量に書き飛ばしていた頃らしいです。


  東西両陣営の対立が続く、2004年の地球。 双方に、兵器デザイナーが一人ずついて、架空の兵器を発表し合う事で、それぞれの国民に安心感を与え、平和を維持していた。 ところが、他の恒星系から来た異星人が、奴隷にする為に、地球人を都市ごと誘拐し始めたせいで、東西の兵器デザイナーが協力して、異星人を撃退できる兵器の考案を始めたが・・・、という話。

  「ザップ・ガン」というのは、ヒーロー物のSFに出て来る、強力な光線銃の事らしいですが、この作品の主人公達が開発しようとしているのは、その種の物ではありません。 先に、出版社から、「『ザップ・ガン』というタイトルで、SF長編を書いてくれ」と言われて、全然 関係ない内容の作品を書いたのだとか。 ディックさんらしいと言えば、実に、らしい。

  前半は、ほとんど、スパイ物の趣きで、SFとしては、面白くありません。 デザイナーの、兵器の考案の仕方が、薬物でトランス状態に入り、無意識にスケッチした絵から発想する、というもので、ディックさんらしいアイデアですが、ほとんど、オカルトすれすれですな。 超能力物の一類に入れるのなら、SFと言えますが、この作品のテーマは、超能力ではないから、困ります。

  異星人が攻めて来たあたりから、少し面白くなりますが、地球人と異星人の戦いを、細かく描いたりはせず、間接的に触れるだけなので、そちらに期待するのは、御法度。 ディックさんには、大掛かりな戦争を描写する才能はないです。 個々の戦闘の描写なら、うまいですが、この作品には、それも出て来ません。

  タイム・マシンも絡んで来ますが、それが、異星人を撃退する兵器になるわけではないです。 ちょっと、SF的な味を濃くする為に、強引に挟み込んだという態。 「共感」をテーマにした迷路ゲームから、兵器が作られるわけですが、説明はされているものの、そんなにうまく行くのか、読んでいるこちらが不安になる、いい加減さが感じられます。 作品を量産していたから、細部まで詰めるゆとりがなかったのかも知れませんな。

  この作品の最大の欠点は、東側のデザイナーである、若い女性を、どう活躍させていいか、作者が持て余している事です。 鳴り物入りで登場させたにも拘らず、これといった役もこなさず、ただ、主人公と恋愛関係になるだけ。 東西のデザイナーの協力が、最も重要なテーマになるはずなのに、不発で終わってしまったんですな。




≪去年を待ちながら≫

ハヤカワ文庫 SF 2145
早川書房 2017年9月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
山形浩生 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 377ページ。 コピー・ライトは、1966年。 解説によると、実際に書かれたのは、63年か64年で、玉石混交・量産期の作品だとの事。


  2055年の地球は、人類と祖先を同じくする、リリスター星人と同盟して、昆虫型生物のリーグ星人と戦争を続けていたが、敗色が濃厚だった。 地球人の代表である国連事務総長の担当医師になった男が、薬中の妻によって、新型の薬を飲まされ、タイム・スリップで未来に行くと・・・、という話。

  もっと、複雑ですが、壮大な構想を背景とした複雑さではなく、時間を行ったり来たりするタイプの細々した複雑さなので、梗概に書いても仕方がないです。 リリスター星人には、別の呼び方があるから、最初の内は、どの呼び方が、どの星人の事なのか、混乱します。 その内、分かって来ますが。

  薬の力で、タイム・スリップするわけですが、「個人の頭の中で、過去や未来を見たつもりになる」というわけではなく、実際に、過去や未来に行きます。 その辺の理屈が、理解し難いですが、他のディック作品にも、同じようなアイデアが使われているので、そこは、軽くスルーしておいた方がいいでしょう。

  未来や過去に行って、影響を与えるので、当然、タイム・パラドックスが発生するのですが、そこから、並行世界に発展し、なんとも、グラグラと足場の安定しない話になって行きます。 並行世界なんていったら、もう、何でもアリになってしまうわけで、ストーリーになりません。 で、作者が、御都合主義的に、取捨選択する事になり、読者は、それを受け入れるしかない、という事になります。 どうも、違和感が強い話だな。

  大枠としては、星間戦争の、政治的な面だけを描いているのですが、その一方で、主人公である医師の、薬中の妻との、泥沼化した対立も描いていて、作者が、どちらを主に描きたいのかが、分からなくなります。 この、しょーもない妻は、ディックさんの当時の妻がモデルだとの事。 大変な浪費家で、亭主が稼ぐ端から、買い物依存症的に使いまくっていたらしいです。 デイックさん、妻の事が気になって、小説の中に書き込む事で、何とか、精神のバランスを取っていたのかも知れませんな。 

  こう書いて来ると、バラバラな話のようですが、実際に読んでみると、異質なモチーフを、巧妙に絡めてあって、意外と一体感のある話になっています。 ここが、ディック作品の不思議なところです。 一言で言うと、話を纏めるのが、巧いんでしょうな。 おそらく、特技的に。 テケトーなアイデアで書き始めていても、書いている内に、それらしい話になって行くタイプの作家なんでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪銀河の壺なおし≫が、10月23日から、25日。
≪ティモシー・アーチャーの転生≫が、10月27日から、29日。
≪ザップ・ガン≫が、11月4日から、6日。
≪去年を待ちながら≫が、11月7・8日。

  今回は、4冊とも、ディック作品になりました。 ≪ティモシー・アーチャーの転生≫だけ、宗教系の一般小説で、他の三冊は、SFです。 ディックさんには、宗教系の作品が、他にもあるらしいのですが、一冊だけで、充分という感じ。 作者に関係なく、宗教系の小説で、面白いというのは、稀ですな。