2025/03/30

EN125-2Aでプチ・ツーリング (66)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、66回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年2月分。





【沼津市中沢田・沢の子橋】

  2025年2月6日。 沼津市・中沢田にある、「沢の子橋」まで行ってきました。 ネット地図で名前を見つけ、ちょっと変わっているので、見に行ったもの。 愛鷹神社から、北西に向かうと、谷あいに、架かっていました。

≪写真1≫
  右岸・上流側から。 「沢田ゴルフ練習場」の、北端に架かっています。

≪写真2左≫
  右岸・袂から。 幅は、バイクなら、問題なし。 車は、通れるとしても、気をつけないと、左右をこするかも知れません。 欄干は、歩行者用のタイプで、ガード・レールではないです。 という事は、やはり、車は通行禁止なんでしょうか? 何の標識も立っていませんでしたが。

≪写真2右上≫
  名板。 「沢の子橋」

≪写真2右中≫
  ひらがな名板。 「さわのこばし」。 普通、「~ばし」と発音しても、ひらがな名板では、「~はし」と書いて、濁音にしないものですが、ここのは、発音通りの表記ですな。

≪写真2右下≫
  竣工年月板。 「昭和54年8月 竣工」。 1979年。 70年代と思うと、だいぶ、古いですな。

≪写真3左≫
  「沢田ゴルフ練習場」。 北側から見ています。 南側の道路なら、以前、バイクで通った事があります。 北側は、橋になっていたわけだ。

≪写真3右≫
  橋が架かっている、川。 小川というには、幅が広いか。 山の中なので、雨が降ると、水量が激増するはず。

≪写真4左≫
  橋の左岸袂にあった、小屋。 電話ボックスくらいの大きさで、人が一人、詰められるようになっています。 何の為にあるのかは、不明。

≪写真4右≫
  右岸側の道路に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この日は、寒くて、正直、バイクに乗るような陽気ではなかったです。

  山の中ですが、未舗装路ではなかったので、汚れるような事もなく、無事に帰って来ました。 山中の道路は、乾きが悪いから、数日、晴天が続いていたとしても、油断ならないのです。




【沼津市中沢田・弾薬庫跡】

  2025年2月13日。 沼津市・中沢田にある、「弾薬庫跡」へ行って来ました。 ネット地図に載っていた所。 なぜか、より詳細な住宅地図には、載っていませんでした。 根方街道を、津島神社の交差点で、山の方へ入って行くと、東海道新幹線の、ちょっと先にあります。

  ガードで潜るのではなく、跨線橋で、上を通るので、新幹線を通り過ぎた事に気づかず、東名高速道路まで行ってから、引き返して来て、見つけました。

≪写真1≫
  道路から見えますが、登り方向では、気づき難いです。 上から下って来ると、左手、つまり、東側にあります。 観光地ではなく、史跡という扱いでもないようで、解説板の類いは、ありませんでした。 本当に、弾薬庫だったのかは、不明ですが、どう見ても、普通の建物ではありませんな。 鉄筋コンクリート製。

≪写真2左≫
  陰になっている所に、木製の扉があります。 出入口も、鉄筋コンクリートの覆いで、守られているわけだ。 空からの攻撃に備えていたのでしょうか。

≪写真2右≫
  南東側から。 本体部分は、シンプルな、蒲鉾形。

≪写真3左≫
  コンクリートが剥がれた部分がありました。 鉄筋が入っているのが分かります。 少なくとも、1945年以前に造られたものなので、すでに、80年を経ていると思うと、それなりの、時代の重みを覚えます。 なぜ、史跡にしないのだろう?

≪写真3右≫
  道路の反対側の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 この道は、以前、2・3回、通った事があります。 その時には、こんな建物があることに、全く気づきませんでした。

≪写真4≫
  弾薬庫から、南側を見ました。 愛鷹山の中腹という事になりますが、この辺りは、まだまだ、なだらかなので、高い所から見下ろした、という景色ではありませんな。 遠くに見えている山並みは、伊豆半島北部のもの。




【沼津市西沢田・日吉神社穀水】

  2025年2月19日。 沼津市・西沢田にある、「日吉神社穀水」へ、行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 日吉神社は、ここから、北へ少し行った所にあり、以前、プチ・ツーリングで訪ねています。 「穀水」は、たぶん、「こくすい」と読むのではないかと思います。

≪写真1≫
  湧き水です。 段々になっていて、古代の水時計、「漏刻」のようですが、もちろん、そういうものではなく、複数の人間が同時に使えるようにしてあるのでしょう。 しかし、今現在、ここを、洗い場に使っている人はいないんじゃないでしょうか。 コップが置いてあるので、水を飲む人はいると思いますが。 どうも、この造り自体が、復元されたか、それっぽい形に創作されたような感じがします、

≪写真2≫
  反対側から。 太い塩ビ・パイプが通っているのは、排水用でしょうか? まさか、水を循環させているという事はないと思います。

≪写真3左≫
  石碑に彫られた、由来。 ちょっと長いですが、書き写します。 ○○は、写真からでは、判読できなかった文字。

「遠い太古の昔、愛鷹山に降った雨水が地下水となって流れ、豊な湧き水となり、日吉神社穀田を潤し、穀水として、ご祭神大山咋神に奉上する米を作り、地域の人々にも、○○与えていた。 特に、大祭に捧げる穀は穀水でなければ、上手に出来ないとの言い伝えがある」

≪写真3右≫
  石碑の裏側。 作った人達の名前か彫られています。 「平成四年十月吉日」とありますが、この石碑を建てた時なのか、湧き水を整備した時なのかは、分かりません。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 周囲は、住宅地でして、バイクをどこに停めればいいか、分からなかったのです。 ちなみに、車で来た場合、路上駐車になります。 生活道路で、交通量は少ないから、短時間なら、問題ないと思いいますが。




【沼津市西沢田・大志建設の天然水】

  2025年2月25日。 沼津市・西沢田にある、「大志建設の天然水」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 建設会社が整備した、水場です。 先週行った、「日吉神社の穀水」を通り過ぎて、新幹線の南で、右へ。 最初の交差点で、跨線橋を渡って、そのまま、北へ向かうと、すぐに着きます。

≪写真1≫
  全景。 建設会社の敷地内ですが、道路に面しています。

≪写真2左≫
  大きな看板で、「天然水 どなたでも 自由にご利用 ください 大志建設」と、あります。 サービス精神に溢れておりますな。

≪写真2右≫
  解説板。 天然水という名前ですが、湧き水ではなく、地下70メートルら、汲み上げているようです。

  蛇口とコップ、あり、 飲むなら、ここから出すという事でしょう。

  右下の緑色のは、「募金箱 善意の樹」。 よほど大量に汲んで行かない限り、お金を入れる人がいるかどうか・・・。

≪写真3≫
  水槽の方には、金魚が飼われていました。

≪写真4≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 南から上がって来たのですが、帰りは、このまま、北へ向かい、適当な所で、西へ。 日吉神社の北側を大きく回り込んで、南へ下り、根方街道へ出ました。




  今回は、ここまで。 鼠蹊ヘルニア手術の方は、次から次へ、障碍が立ち塞がって、未だに、予定すら立てられない状況。 腸が膨れ出た状態で、遠出は怖いので、一時間以内に帰って来れる、沼津市内の目的地が続いています。 この冬は、寒くて、参りました。 バイクでツーリングなんかする陽気ではなかったと言うのよ。

2025/03/23

実話風小説 (38) 【早食い】

  「実話風小説」の38作目です。 1月下旬の初めに書いたもの。 また、長くなってしまいました。 かけている時間は、一日以内で、大きな負担ではありませんが、書き始めるまでが、なかなか、その気になりません。




【早食い】

  男Aは、最初から、早食いだったわけではない。 ただし、訓練はできていた。 高校生の時、バレー部に所属していたが、そこの顧問の教師が、病的と言っていいほど、権威的な性格で、部員たちに、自分の信条を押し付ける癖が強かった。 土日練習や、遠征試合の日には、昼飯時になると、必ず、大急ぎで弁当を食べさせた。

「早飯早糞、芸の内だ! 他の学校の連中より、早く食い終われば、それだけ、事前練習に時間を回せるんだ」

  ちょっと聞くと、理に適っているようだが、その実、早食いが原因で起こる健康上の弊害について、全く考慮しておらず、素人考えの、浅はかな信条であった。 ちなみに、この顧問、別に体育系の大学を出たわけではない。 文系崩れで、新聞社や雑誌社が就職希望先だったのだが、出版不況の折り、成績不良で雇ってもらえず、たまたま、教員資格を取っていたというだけで、その高校に潜り込んだのだった。 バレーは、中学生の頃にやっていただけ。 技術的な指導はできず、精神論で押し捲るタイプだった。

  しかし、部員たちは、そもそも、細かい事は考えない者が多い体育会系である上に、まだ、世間知が蓄積しておらず、顧問の言う事は絶対に正しいと信じて、早食いを実行した。 男子高校生用の大きな弁当箱に、ぎっしりつまった食べ物を、10分かけずに、腹に押し込んでいたのだから、乱暴極まりない事である。 食後血糖値が、どこまで上がったか分からない。

  そのせいか、試合では、必ず、初戦負けを喫した。 それでも、顧問始め、部員たちの誰一人、早食いのせいだとは思わず、もっと早く食べて、昼休みの練習時間を、より稼がなくてはいけないと考えた。 救いようがない蒙昧ぶりである。

  ただし、男Aの早食い経験は、高校の3年間だけで、卒業し、就職すると、自然に、元の速度に落ちた。 急いで食べる理由がなかったからだ。 社員食堂があり、同期入社の者たちと一緒に食べるから、会話しながらになり、自然と漫食に落ち着いて行ったのである。


  男Aの早食いが復活したのは、勤め先で昇進し、平社員から、係長補佐になって以降である。 直属の上司が、次長と趣味が同じで、私生活での付き合いがあり、コネで係長になった人物。 仕事の実力は、全くと言っていいほど、なかった。 一方、男Aは、高卒入社12年目の現場叩き上げで、実力はあった。 無能係長の代わりに、実務をやらせる為に、補佐に当てられたのだ。

  補佐とはいえ、中間管理職の内である。 平社員とは、仕事が違う。 そして、無能係長の分まで、やらなければならない。 就業時間中、トイレに立つ時間も惜しむくらい、ぎっちり働いていたが、それでも、こなしきれない。 仕事の性質上、社外秘になっているものも扱うので、家に持ち帰る事はできないし、労働時間の制約がきっちりした会社で、課長以下の社員は、定時上がりと決められており、残業もできなかった。

  となると、もはや、昼休みを削るしかない。 昼休みは、1時間。 社員食堂まで、歩いて、5分。 配膳と食事に、30分。 職場に戻るのに、5分。 職場で、同僚と雑談を交わして過ごすのに、20分。 平社員の時には、そういう配分だった。 それが、係長補佐になってからは、職場に戻った後の雑談をなくし、仕事に当てるようになった。 これは、職場での行動だから、別段、問題なかった。

  しかし、それでも、時間が足りないと分かり、そこから、男Aの変調が始まったのだ。

「こうなったら、食堂にいる時間を短くするしかないな。 配膳は、行列が短いメニューだけ選べば、5分もあれば、できる。 食べるのは、高校のバレー部での経験から、10分で掻き込める。 食事中の会話なんて、ただの世間話だから、端折ってもいい。 今まで、30分かかっていたのを、15分で済ませられれば、職場に戻ってからの時間に、どーんとゆとりができるじゃないか」

  大変、いい考え方だと思った。 男A、昇進したばかりなので、気が大きくなっており、仕事に打ち込んで、結果を出せば、今後も、どんどん、上に上がって行けるものと、錯覚していた。 実際には、無能係長の補助役として、便利に使われていただけなのだが、もちろん、上の方は、そんな事を教えてくれはしないのだ。


  男Aは、それまで、食堂では、同期入社の5・6人と、同じテーブルに着いて、昼食を食べていた。 職場はバラバラで、遠いところから10分以上かけて歩いて来る者もおり、面子が揃うだけでも、20分くらいかかった。 それから、食べて、食後の歓談をするのだから、食堂滞在時間が、30分を超すのも、やむをえない。

  男Aは、目立って、早食いになった。 一番に配膳を済まして、テーブルに着くと、一人でさっさと食べ始めて、同期の面子が揃う前に食べ終わってしまった。 実質、食事時間、5分強である。 すでに、30歳なので、高校生の頃より、食べる量は減っているが、それにしても、この急ぎ方は、不健康と言うものであろう。

  そして、早く席を立ちたくて、イライラし始める。 同期が揃い、彼らが、食事を始める頃には、男A、お茶も飲み終えて、テーブルを指先で、コツコツ叩きながら、貧乏揺すりを始める。 早く、職場に戻りたくて、仕方ないのだ。 しかし、入社以来、12年間、ほぼ毎日、昼食を共にして来た仲間たちの手前、それができないのである。 少なくとも、自分の次に食べ終わる者が出て来ないと、席を立つきっかけができない。

  同期の仲間たちは、一週間くらいで、男Aの変化に気づいた。 しかし、敢えて、無視していた。 そもそもが、入社直後、研修所で、合宿を共にしたというだけの仲なのだ。 職場が、バラバラだから、仕事の話が合うわけでもない。 話す事と言ったら、社内の噂、世間話、プロ・スポーツの話、趣味の話、くらいのもの。 私生活で、行動を共にする事も稀。 「食堂で、一人だけで食事をしたくない」というだけの理由で、グループが維持されて来たと言っても、外れていない。 そんな仲なのに、早く席を立ちたいなど、食堂で顔を合わせている目的に背いてしまうではないか。

  そういう同期たちの態度に、男Aの苛立ちは、激しく募るばかりだった。 

「俺、用事があるから・・・」

  と言って、早く席を立つ事が、週に一回、二回、と増えた。 走って、職場に戻り、溜まっている仕事に取りかかるのである。 3週目には、月曜から、木曜まで、4日も、そんな風に、早々と帰ってしまった。 5日目は、残っていたが、テーブルを叩く指先は、聞こえよがしと言っていいほど、激しくなっていた。 さすがに、同期の一人が、キレた。

「おい、A。 そんなに早く戻りたいなら、戻れよ。 用事があるんだろ」

「いやあ。 今日は、そんなに急がなくてもいいんだけどよ・・・」

「嘘つけ。 イライラし通しじゃないか」

「イライラなんて、してないよ」

「してるじゃないか。 テーブルを叩くなよ。 こっちは、昼飯を楽しみに来てるんだよ。 コツコツやられると、まるで、『早く食え!』って、急かされてるみたいだ」

  男A、元が、イライラしていただけに、逆ギレした。

「そう思うなら、もっと早く、食えばいいだろう。 『早飯早糞、芸の内』って言うだろうが。 チマチマチマチマ、食いやがって」

「なんだと!」

  喧嘩になりそうな雰囲気に、別の一人が、止めに入った。

「待て待て。 そんな事で、喧嘩するな。 Aは、もう、行った方がいいだろう。 お前、係長補佐になったから、仕事が増えて、時間が足りないんだろう? 俺も、経験があるよ。 無理に、同期につきあう事はない。 仕事をしに会社に来てるんだから、仕事優先でもいいんだ」

「俺は、別に、仕事がどうとか言いたいわけじゃ・・・」

「とにかく、忙しい内は、俺らにつきあわなくてもいい。 食堂に来るにしても、一人で食べた方が、早く済む。 はっきり言って、俺も、目の前で、テーブルをコツコツやられると、嫌なんだ。 ゆっくり、食べたいんだよ」

「そういう言い方をされると、まるで、俺が悪いみたいだ。 俺は、他にやる事があっても、お前らとのつきあいも大事だと思って、こうやって、お前らが食い終わるのを、待ってやってるのにな」

  最初にキレた男が言った。

「待ってて、く、れ、る、必要はないわ。 いいから、さっさと行けよ。」

「そうかよ。 じゃあ、明日から、俺は、別の場所で、一人で食うからな」

「そうしろ。 是非、そうしろ」

  また、別の男が、気を使って、言い添えた。

「Aよ。 別に、お前が気に食わなくて、追っ払うわけじゃないんだから、ゆとりが出来たら、また、一緒に食べよう」

「・・・・」

  男Aは、答えずに、席を離れた。 仲間から拒絶された精神的ショックもあったが、反面、これで、大幅に時間を節約できる事になったので、ホッとした気持ちもあり、好悪入り乱れて、半々という感じだった。


  男Aは、一人で、昼食を食べるようになったが、長くは続かなかった。 すぐに、「まだ、時間が足りない」と思うようになり、強迫観念に苛まれ始めた。

「あと、15分あれば、その日の仕事を、その日の内に、終わらせられるんだが・・・。 食堂へ行く往復の10分と、配膳に使う3分を節約すれば、だいぶ、楽になるかもしれない」

  考えが一方向にしか進まないのが、強迫観念の特徴である。 極端なのである。 大抵、悪い方向であり、症状が悪くなる事はあっても、良くなる事はない。 男Aは、妻に相談し、弁当を作ってくれないかと頼んだ。 即座に、断固、拒否された。

「冗談じゃない! 私だって、勤めがあるのに、これ以上、早起きなんて、無理無理! 自分で作ればいい」

「俺は、料理なんて、できないよ。 早起きしなくても、おかずは、前の晩の残り物でもいいから。 ご飯は、自分で詰めるよ」

「それじゃあ、前の晩の料理を多く作らなきゃならない! それも、無理! 頼むから、これ以上、私の負担を増やさないで!」

「だけど、俺が仕事を頑張って、出世すれば、給料も上がるし、お前だって、楽に・・・」

「あんたの給料を当てにして、暮らしてるんじゃないんだよ。 まるで、自分が養っているような言い方しないでよ! もーう! 聞いているだけで、気分が悪くなって来る」

  なんだな。 この夫婦は、弁当がどうのこうのと言う以前に、壊れかけているんだな。 壊れかけたものは、いずれ、本当に壊れるものだが、話はまだ、そこまで進んでいない。


  男Aは、コンビニ弁当を買う事にした。 思っていたより、高い。 弁当だけでも、食堂の平均的なメニューと、200円くらい、差がある。 それに、飲み物を付けると、もう、懐具合が苦しくなる。 平日、毎日の事だから、累積すると、馬鹿にならないのだ。 職場の洗面所の前に、自販機があるが、とても買えぬ。 家から、ポットにお茶を入れて、持って行く事にした。 その準備も、帰宅後のポットの洗浄も、自分でやらなければならず、負担感は、半端ないものになった。

  おかずが付いていると、高いので、海苔弁や、おにぎりが多くなる。 部下から、安い弁当の専門店があるという話も聞いたが、通勤経路から外れ過ぎていて、とても、寄れなかった。 「買って来てくれ」という言葉が、口から出かかったが、迷惑がられると思って、引っ込めた。 お礼をしなければならなくなると、却って、高くつく恐れもある。

  コンビニ弁当より、スーパーの惣菜弁当の方が安いのだが、通勤途中にあるスーパーは、男Aが立ち寄る時間帯には、開店はしていたものの、まだ弁当が入荷していなかった。 帰りに買って、家で冷蔵庫に入れておくと、結構、場所を取るせいで、妻が嫌がった。 また、冬場ならいいが、暑くなって来ると、前の晩に買った弁当を、翌日、会社に持って行って、半日以上、常温で置き、昼食に食べるのは、食中毒の危険がある。

  午前中の仕事が終わると、自分の机で、コンビニ弁当を食べる。 最初は、うまいと思ったが、同じような品ばかり買うせいか、すぐに飽きが来た。 しかし、他に、食べる物はないのだ。 10分で平らげて、満腹感が得られないまま、溜まっている仕事を片付けにかかる。

  他にも、職場の休憩所で、家から持って来た弁当を食べている社員がいて、最初は、「休憩所で、一緒に食べませんか」と誘われたが、それでは、食堂と変わらないと思い、断った。 一緒に食べ始めたが最後、早々と食べ終わって、席を立つタイミングが、非常に難しくなってしまうのだ。


  弁当ばかりの昼食を、大急ぎで掻き込んでいるせいというより、仕事の根を詰めすぎたのが原因だろう。 男Aの精神状態は、どんどん悪化して行った。 同僚、上司、部下、家族に関係なく、他者との関係が、ギスギスし始めた。 不必要な大声を出したり、そばに人がいるのに、独り言を言ったり、突然、怒り出したり。 精神科医に診せたら、最低限、通院するように言われるような状態になってしまった。


  ある時、決定的な事が起こった。 それまで、昼食は、社外に出て、次長の奢りで、趣味の話をしながら食べていた無能係長が、その日は、昼休みになっても、自分の机に残っていた。 そして、豪勢な手作り弁当を広げて、食べ始めたのだ。 この係長、前の週に結婚したばかりで、早速、愛妻弁当と洒落込んだわけだ。

  係長と、その補佐だから、男Aの机からは、すぐ近くだ。 男Aが、コンビニ弁当を、10分で食べ終えて、仕事に取りかかると、係長は、昼食とは思えないような御馳走を、ゆうゆうと頬張りながら、能天気に話しかけて来た。

「Aく~ん。 そんなに急いで食べたら、体に悪いよ~。 それに、もう少し、ゆっくり、味わって食べなきゃ、作った人に、失礼だよ~。 家畜が、餌を食べてるんじゃないんだからさ~」

  男A、耳を疑った。 ちなみに、無能係長は、男Aより、3歳、年下である。 大卒だから、社内階級は上であるが。 それはともかく、そもそも、この係長が無能で、仕事がまるで駄目だから、男Aが補佐につき、係長の分まで仕事を引き受けているのである。 そのせいで、時間がなくなり、食堂での同期との歓談の時間を諦め、こうして、自分の机で、コンビニ弁当を掻き込む、惨めな日々を過ごしているのだ。

(その俺に向かって、この言葉は何だ! 一体、こいつ、どういうつもりなのだ?)

  精神状態が不安定になっていたので、怒り始めると、どんどん、激昂メーターの針が上がって行き、容易に、レッド・ゾーンに突入した。

(こんな、ろくでなしの為に、俺は一体、なぜ、こんな大きな犠牲を・・・)

  男A、立ち上がった。 ものの 3歩で、係長の机の横に着いた。 係長は、男Aの顔が、ドス黒く充血しているのを見て、たじろいだ。

「なに? なんだよ、その顔は?」

  男Aは、部屋中に響き渡る大音声で怒鳴った。

「早飯ーっ!!! 早糞ーっ!!! 芸の内ーっ!!!!」

  係長の後頭部に右手を当て、豪華な弁当の中に、思い切り、顔を押しつけた。

「この馬鹿めっ! もっと早く食えっ! さっさと食って、仕事をしろっ! 最低限、自分の仕事は、自分でやれっ!! 馬鹿がっ! 馬鹿がっ!! 馬鹿がっ!!!」

  髪の毛をがっしり掴み、力任せに、何度も何度も押し付けたので、プラスチックの保温弁当箱が割れ、係長の顔が切れて、血が噴き出した。 休憩所にいた、他の社員が気づいたが、男Aの鬼気迫る剣幕に、取り押さえる勇気が出ず、警備員が呼ばれた。 男Aが、暴行をやめるまでに、15分もかかった。 係長は、顔面、血塗れで、机の上に無残に飛び散った愛妻弁当の海に沈み、気を失っていた。


  警察に引き渡された男Aは、支離滅裂な言葉を吐き続けていたので、取り調べに支障を来たし、検事の指示で、早い段階で、精神鑑定を受けた。 当人は、正常だと言い張ったが、医師の診断は、かなり進んだ統合失調症。 心神喪失で、不起訴となった。 その代わり、精神病院に入院である。

  会社の方は、事件の直後に、懲戒解雇になったが、社内には、男Aに同情的な意見も多かった。 男Aが、係長の代わりに、二人分の仕事をやらされていた事を、周囲が知っていたからだ。 社内で起こった傷害事件だったので、小規模ではあったが、調査委員会が設けられ、細かい事情が調べられた。

  この事は、問題になり、顔中 包帯だらけの係長が、重役会議に呼び出され、問責を受けた。 趣味が同じで、係長を可愛がっていた次長は、当然、係長を庇ったが、それが、薮蛇となった。 以前から、その次長の、会社を好き勝手やれる場所だと見做している態度に、疑問を抱いていた、比較的真面目な他の重役達が、ここぞとばかりに、吊るし上げに回ったのだ。 ただし、言葉だけは、穏当なものを選んで。

「そんな、仕事がまともにできない人間を、係長にして、実務も責任も、補佐に全部 押し付けるなんて、無茶苦茶じゃありませんか。 そりゃ、A君が怒っても、無理ないんじゃありませんか?」

「私も、そう思いますね。 いや、傷害罪を軽く見るつもりはありませんがね。 A君の懲戒解雇は、妥当だと思いますが、それと、この係長の問題は、別にして考えるべきでしょう」

「次長さんの趣味の仲間だそうですが、何の趣味なんですか? 『この件とは、関係ない』って事はないでしょう。 今は、事件の事より、係長の仕事を、A君がやらされていた事が問題になってるんですから。 なに、軍用機のプラ・モデル? その趣味が一緒だから、係長にしてやったんですか?」

  一同から、失笑が漏れた。 次長と係長は、赤面するのを抑えられなかった。

「ちょっと、勝手が過ぎるんじゃないですかねえ」

「ちょっとどころじゃありませんよ。 社長や会長、役員たちにも、報告しないと」

  結果、次長は、降格され、有閑部署の課長を任命された。 処分に激怒して、「こんな会社、自分から、辞めてやる!」と、秘書相手に息巻いていたが、退職金が減額されるのが惜しくて、定年までの数年を、移籍先で過ごした。 もちろん、何の仕事もせずに。 こんな、会社に遊びに来ていたようなジジイに、どんな仕事を任せられるというのだ?


  次長なんて、マシな方。 無能係長は、リストラの名目で、会社から追い出された。 こちらは、まだ若かったが、入社以来、仕事らしい仕事を、何もして来なかったのだから、有閑部署に回して、給料を払い続けるなど、ありえない。 上司から、マジマジと目を覗き込まれて、

「君は一体、どんな仕事なら、できるんだ?」

  と訊かれて、いくつか答えたが、新入社員が、職場に慣れる為にやらされるような作業ばかりだった。 その段階で、この男の仕事時計は停まっていたのだ。 これで、中間管理職を務め、部下を前に、朝礼や終礼で、訓示をかましていたのだから、呆れて物も言えない。

「どうやら、この会社に、君の居場所はないようだ。 今までに会社から受け取った給与・賞与を、全額 返還すれば、改めて、何か簡単な仕事を探してやってもいいが、それが嫌なら、退職願を書いてくれ」

  無能係長・・・、正確に言うと、軍用機のプラ・モデルを作る以外、無能な係長は、言い返す言葉もなく、素直に辞めて行った。 かねてから、この係長を、呆れ顔で見ていた職場の者たちは、みな、溜飲を下げた。 次長の庇護がなければ、とっくから、追い出したかったのだ。

  まだ、新婚の内だったが、事情を聞いた妻の両親が、呆れ返ってしまい、娘に強く迫って、離婚させた。 どうせ、無職では、食っていけないから、致し方ない。 子供が出来ない内に別れたのは、不幸中の幸いだった。 その後、この男がどうなったのかは、誰も知らない。 私の推測だが、モデラーとして、暮らしているのではなかろうか。


  さて、精神鑑定で、心神喪失と診断され、不起訴になった男Aだが、会社から課長と部長が、収容されている病院を訪ねて来て、懲戒解雇が取り消されたと告げられた。 病気だったのだから、それが理由で、解雇はできないわけだ。 すでに、3ヵ月 入院していた男Aは、すっかり落ち着いていて、正常な人間と変わりがないように見えた。 薬物療法が効いたというより、仕事から離れて、おかしくなった原因が取り除かれたから、自然に、元に戻りつつあったのだろう。


  その後、個室から、大部屋に移され、退院の日を待っていた男Aに、予想外の事態が襲いかかった。

  大部屋にいる患者は、症状が軽いので、ベッドまで食事を運んでもらえず、休憩室兼食堂で、いくつかのテーブルを囲んで食べる。 ある日、男Aは、入院したばかりの男と、同じテーブルに着いたのだが、その男が、いざ食べ始めたのを見て、ギョッとした。 驚くべき、早食いなのだ。 親の敵のように、スプーンで、料理を口に掻き込み、ろくに噛みもせずに、お茶で、ごくごく、呑み込んで行く。 そう、食べるというより、呑んでいるように見える。

  逮捕以来、早食いの必要がなくなり、自然に、普通の食事速度に戻っていた男Aは、凍りついたように、目の前の男の早食いぶりを眺めていた。 3分もしない内に、全て平らげてしまったその男は、爪楊枝代わりに、左手の小指の爪で、歯をせせりながら、男Aを見た。 見つめられて、男Aは、どぎまぎしながら、言葉を漏らした。

「凄い、早食いですね・・・」

「食える時に食っとかないとな。 その気になれば、もっと早く食えるよ。 次の飯で、見せてやろうか」

  男Aは、まだ、三口も食べていないのに、強烈な不快感に襲われ、吐きそうになった。 これが、かっての自分だったのだ。 なんと醜い存在だろう。 まるで、妖怪だ。 早食いを自慢している。 そんな事が、どうして、自慢になると思うのだ? ただ、自分の都合で、バクバク、口に掻き込んでいるだけではないか。 早食いなんて、周囲に迷惑なだけで、特技でも何でもない。 俺も、こんなに醜かったのか・・・。

  早食いの男は、言った。

「お前も、早く食えよ。 チマチマ食ってると、他の奴に、とられちまうぞ」

  気持ちが悪い。 本当に、吐きそうだ。 早食い男は、更に、決定的な言葉を口にした。

「早飯早糞、芸の内!」

  男Aは、吐かなかった。 吐くほどの物を、まだ、食べていなかったからだ。 その代わり、椅子をガタつかせて、席を立ち、休憩室兼食堂から、走って逃げ出した。 閉鎖病棟なので、窓は嵌め殺しになっていて、外に出られない。 その代わりに、男Aは、階段から、ダイブした。 頭から落ちた。 そして、死んだ。

  男Aが絶命した頃、休憩室兼食堂では、早食いの男が、男Aが残していった食事を、1分で平らげていた。

2025/03/16

時代を語る車達 ⑪

  出かけた先で撮影した車の写真に、個人の感想的な解説を付けたシリーズです。 前回やったのは、2019年6月23日でした。 随分と間が開きました。





  トヨタの、「ファンカーゴ」。 1999年から、2005年まで、生産・販売されていた車。 一代のみで、終了。 この写真を撮った2019年には、まだ、走っているのを見かけましたが、その頃でも、もう、だいぶん、昔の車という感じでした。 今では、ほぼ、姿を見なくなりました。 時代は、どんどん、過ぎ去っていく・・・。

  大きな道具を使う遊びや、移動販売に使うイメージあり。 しかし、元が、小型の車ですから、実際に移動販売に使うとしたら、大した量は積めないと思います。 エンジンは、1300と1500で、充分、ゆとりがありますけど。

  テレビCMの、前向き、開放的で、明るい雰囲気が印象に残っています。 音楽まで覚えている。 変り種グルマを、限定車ではなく、普通のラインナップに入れて、堂々と売っていたのが、面白かったです。 後継車になった、ラクティスには、そういう雰囲気が、全く残っていませんでした。




  日産の、「2代目ステージア」。  2001年から、2007年まで、生産・販売されていた型。

  ステージアは、初代(1996年-2001年)の方が、印象が強いです。 発売前に、当時の社長が、「こんな大きな車が売れるか」と文句を言ったけれど、いざ売ってみたら、人気車種になったという逸話つき。 その結果、その社長は、デザインや企画について、何も言えなくなってしまい、日産の衰退を早めたのではないかと・・・、いや、それは、私の想像に過ぎませんが。

  で、この2代目ですが、私は、こういう、ダイナミックなデザインが、あまり好きではなくて、売っていた当時は、ピンと来ませんでした。 しかし、今、見ると、悪くないと思います。 ステーション・ワゴンが流行らなくなり、目にする機会が減ったから、希少価値で、そう感じるのかも知れません。




  遠くから撮ったので、写りが悪くて恐縮ですが、日産の、「2代目ノート」です。 2012年から、2020年まで、生産・販売されていたモデルで、当時、日産の屋台骨を背負っていました。 巷にある日産車の、半分は、ノートだったと思いますから、ちょっと出歩けば、いくらでも、見かけました。

  現物を見ていただければ、感覚的に分かると思うのですが、最先端の鏃形フォルムをもつ、大変、存在感があるデザインで、しかも、適切なサイズで、スポーツ・ユースも、ファミリー・ユースも、何でも来いという感じ。 欠点が見つかりません。 この車、常に販売台数ランキングの上位を占めていましたが、売れて当然、ちっとも、不思議だと思いませんでした。

  日産は、この車を売っていた頃すでに、企業イメージが、地を這うがごとき、最低の状態になっていましたが、この2代目ノートの、開発、生産、販売、整備などに関わった人達は、それに関してのみ、胸を張り、自尊心をもっても良いと思います。




  白いポールが邪魔ですが、この角度からしか撮れなかったのです。 なかなか、街なかで、他人の所有物を撮影するのは、難しいのです。

  ダイハツの、「ミラ・トコット」です。 2018年から、2023年まで、生産・販売されていた車種。 いつまにか、現行から外れていたんですな。 現行車種については、下手にケチをつけると、販売妨害になってしまうので、基本的に評価しない方針です。 この車は、現行ではなくなったから、オーケーになった次第。

  モデル・チェンジはせずに、一代限りで終わった模様。 それでも、5年間、売っていたわけで、一モデルとしては、特に短いとは言えません。 この車、出て来た時には、あまりにも、地味なデザインなので、顔を顰めてしまいました。 ただの箱。 デザイン・レスと言ってもいいくらい。 ダイハツのデザインは、ヨーロッパの往年の名車から戴く事が多いのですが、「どうしてまた、この車は、こんなに特徴がないのだろう?」と、不思議に思っていました。

  ところが、先日、ネット上で、昔のヨーロッパ車を見ていて、「フィアット126」というのを見つけました。

「トコットのモデルは、これだろう!」

  本国イタリアでは、1972年から、1980年まで、ポーランドでは、1973年から、2000年まで、生産・販売されていたもの。 ちなみに、私は、現物を見た事は、一度もありません。 写真でなら、大昔に見た事があったのですが、すっかり、忘れていたのです。 どんな車か、検索すれば、すぐに画像が見つかりますから、見てみてください。

  ≪ルパン三世≫で有名な、「ヌオーバ・500」の後継車種ですが、時代の変化に合わせたとはいえ、実につまらないデザインで、「ほんとに、イタリア車か?」と、首を傾げずにはいられないレベル。 今でこそ、歳月が経っているから、味を感じて、「可愛い」と思う人もいるでしょうが、当時の人達は、何の感動も覚えなかったんじゃないでしょうか。

  126を真似たのなら、トコットが、同じくらい地味になっても、不思議はないです。 126も、往年の名車と言えなくはないですが、どうせ、パクるなら、ヌオーバ・500にすれば良かったのに。 あまりにも、特徴があり過ぎて、パクリがバレバレになってしまうから、駄目かな?

  トコットと、126を比べると、トコットの方が、遥かに使い勝手がいいです。 126は、リア・エンジンですから、買い出しなどで、多くの荷物を積むとしたら、後席しかありませんが、2ドアなので、前席の背凭れを倒さなければならず、かなり、面倒です。 車の機構レイアウトというのは、理由もなく、長い歳月をかけて進化して来たわけではないわけだ。 126は、旧車の不便さを楽しむ洒落心がなければ、とても、普段使いにはできないと思います。




≪写真上≫
  フォルクスワーゲンの、「up!」。 2011年から、2023年まで、生産・販売されていた車種。 日本では、2012年から、2021年まで、販売されていたとの事。 すでに、現行ではないので、批評してもいいでしょう。 

  排気量、1000ccで、VWの入門車種という事になりますが、この車を買うような人は、それより大きな車種には、興味を示さないような気がしますねえ。 ポロとゴルフでも、事情は同じ。 それぞれ、全く、客層が重ならないのでは? 次第に大きな車に乗り換えて行くという考え方が、廃れてしまった感があります。 外国車では、とりわけ、尚の事。

  5ドアもあるらしいのですが、私は、現物を見た事がありません。 何度か書いているように、3ドアと5ドアでは、5ドアの方が、圧倒的に、使い勝手が良いです。 3ドアの後席なんか、普段、全く使えません。 荷物を入れるのも、出すのも、大変。 買い出しで、ごっそり買って来るような人は、何とか前席の背凭れを倒さずに、荷物を出し入れできないかと無理をして、腰を悪くしてしまいます。

  「たまに、3人以上で乗る時に、使える」のは事実ですが、それなら、5ドアの方が、より適しています。 3ドアを、わざわざ選ぶ理由がないと言うのよ。 マイ・カーの普及初期なら、ドアの枚数を少なくすれば、安くできるので、需要があったと思いますが、そんな時代はとっくに過ぎ去っています。 

  デザインは、大変、卒なく纏まっていると思いますが、ちょっと、スッキリし過ぎていて、物足りないと感じる人もいるんじゃないでしょうか。 些か、オモチャっぽくて、質感に欠けるとでも言いましょうか。 あくまで、ポロやゴルフと比較しての話ですが。 それにしても、この形が、日本の軽自動車に出て来なかったのは、不思議。 

≪写真下≫
  同じ車ですが、後ろを撮りました。 バック・ドアの窓下が、ガラスでブラック・マスクされているのが、特徴。 スマホをイメージしたらしいのですが、馬鹿馬鹿しいアイデアだと思います。 スマホの画面には、情報表示という機能がありますが、この車のブラック・マスクは、ただの飾りに過ぎません。 鉄板塗装の方が、ずっと、いいと思います。




  今回は、以上、5台まで。

  ファン・カーゴは、2019年に撮ったもの。 2代目ステージアと、2代目ノートは、2020年に撮ったもの。 文章は、時制を現在からみたものに修正しました。 トコットと、upは、ごく最近、2025年に入ってから、撮ったものです。

  新型肺炎が流行し始めてから、外出を極力控えるようになったので、車を撮影する機会がなかったのですが、去年の秋、糖尿病を宣告されて、否が応でも、運動しなければならなくなったせいで、徒歩で出かける事が増え、自然と、車も目につくようになったという次第。

2025/03/09

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ③

  月の第二週は、闘病記。 前回は、重度の糖尿病であると宣告され、治療を始めた辺りまで書きました。 今回は、その続きです。




【2024/10/25 金】
  正午前に、ヤマト運輸が来て、血圧計が届けられました。 今夜、試して、明日から、測る予定。

  横山へ登山。 きつい。 右脚の股関節が痛くなってしまいました。 そういえば、去年の後半、新型肺炎の後遺症と思われる腿痛で、股関節も痛めていたのでした。 無理はできないか。 香貫山に変更すれば、楽になりますが、楽になると、血糖値を下げられないというジレンマがあります。

  今日は、平日にも拘らず、単独の登山者、3人とすれ違いました。 まだ、現役世代に見えましたが、どういう仕事をしてるんでしょうねえ。 私も人の事は言えませんが、単独登山しか する事がないというのは、ちと、寂しい生き方ですなあ。 まだ、先は長いというのに。

  今日の歩数は、11206歩。 1万超えは嬉しいですが、体が痛くなってしまっては、意味がありません。



【2024/10/26 土】
  朝食前に、血糖値を測ったのですが、なんと、110でした。 正常値の寸前です。 急に落ちたのは、運動登山のお陰でしょうか。 ほんの数日の間に、いろいろな事をやっているので、何が原因で落ちたのか、判断しかねます。

  午後、昼寝してから、運動登山。 股関節の痛みはなくなっていましたが、大事を取って、香貫山へ行って来ました。 こちらも、4年半ぶり。 中腹にある、閉鎖されたゴルフ練習場は、背が高い草が生い茂り、山に戻りつつありました。 八重坂から登って、展望台下で、昔からいた、2匹の猫に挨拶し、見晴し台コースで、四中の裏手に下りました。

  これが、うちから登る場合の最短コースなのですが、所要時間と歩数を見たら、横山と、ほぼ同じでした。 こちらの方が、道はいいですが、横山の方が、人が少ないので、どちらがいいか、悩むところ。 ちなみに、今日、すれ違った人数は、5人でした。 休日の香貫山にしては、少ないですが、曇りだったからでしょう。



【2024/10/27 日】
  朝食後に、血糖値測定をしたら、202でした。 昨日は、朝食前で、110だったから、2倍になってしまい、ガッカリ。 しかし、そもそも、血糖値とは、食前から食後で、ポーンと跳ね上がるものらしく、食後の正常値は、180という事なので、それほど、離れてはいません。 ガッカリするほどでもないか。

  午後、横山へ、運動登山。 今日は日曜なのに、誰とも、すれ違いませんでした。 曇天で、山に登っても、眺めが期待できないからでしょうか。 横山は、そもそも眺望が悪いですが、横山だけを登りに来る人は稀で、沼津アルプスのついでに通過するだけなので、沼アに来る人が少なければ、横山を通る人は、もっと少ないのです。

  夜になって、居間でテレビを見ていたら、急に心臓が痛くなり始めました。 やばい!やばい!やばい! 不整脈もちである事を軽く見て、急激に運動をし過ぎたのが原因でしょう。 糖尿病を治す為に、心臓で死んだのでは、本末転倒。 やはり、登山は、無理か。 明日、回復したとしても、運動登山はやめて、平地を歩くだけにします。 回復しなければ、寝ているしかありませんな。

  糖尿病治療のパンフを読むと、「続けられる運動を」とあるのですが、横山登山は、きつ過ぎて、とても、続けられそうにありません。 糖尿病とは、一生、つきあう事になるのだから、急いで血糖値を下げる為に無理をするより、続けられる運動を選ばなければ。



【2024/10/28 月】
  心臓の痛みが消えず、午前中は、ほとんど、眠っていました。

  昼食前に、血糖値計測。 181でした。

  分かった分かった! 一日の内で、測るタイミングによって、数値は変わるのです。 朝食前、朝食後、昼食前、昼食後、夕食前、夕食後、眠る前の、7回あり、計測は一日一回なので、一日ごとに、ずらして行きます。 だから、どう変化したかを見るには、同じタイミングで測った、7日前、つまり、一週間前の数値と見比べなければならないのです。

  一週間前は、病院で初めて測った日です。 その時は、朝食後、6時間くらい経過した昼食前で、インスリン注射の直後でしたが、250でした。 今日は、181だから、一週間で、だいぶ、下がった事になります。

  私の場合、普段は、朝食が、6時半、昼食が、10時半だから、間隔が4時間と短く、血糖値が下がりきらないんですな。 明日は、昼食後ですが、食べた後だから、やはり、高い数値でしょう。 今から、覚悟しておかなければ。

  午後は、読書と、屋内歩行。 この頃になったら、心臓の痛みが和らぎ始めました。 一時的なもので良かった。 どうなる事かと思いました。 もう、登山は、禁止ですな。 天気が回復し、外出可能になっても、平地の散歩に留めます。 要は、登山と同じ、7千歩くらい、歩けばいいんですわ。



【2024/10/29 火】
  終日、雨。 雨戸を閉めて、過ごしました。

  散歩に出られない日は、旧居間と床の間を、8の字に歩く事にしました。 1周、22歩くらい。 10周で、220歩。 50周で、1100歩。 気が遠くなって来ますな。 それでも、今日は、夜までで、6000歩、行きましたよ。 ちなみに、木造家屋で、一ヵ所で足踏みをしていると、床が軋んで来ます。 狭くても、歩いた方が、いいのです。

  血糖値。 昼食後で、185。 一週間前は、286だったから、だいぶ、下がりました。 このくらいなら、もう、正常と変わらないと思いたいところですが、然にあらず。 インスリンを一日一回 打っているから、この数値なのであって、健康人の正常値には、程遠いと考えなくてはなりません。 目下の目標は、インスリン注射をしなくても、薬でOKになる事です。 とにかく、次の診察日までに、低血糖になるくらいまで、下げておきたいところ。

  そういえば、今朝の起き抜け、朝食を食べる前まで、頭がクラクラしていましたが、もしかしたら、一時的に、低血糖になっていたのも知れません。 私の場合、夕食から、翌日の朝食まで、14時間くらい、食べ物は、何も口にしないから、血糖値は下がりきってしまうはずで、それに、インスリンの効果が加われば、低血糖になる可能性はあります。



【2024/10/30 水】
  午後、昼寝した後に、運動散歩。 心臓と相談しながらになります。 南へ向かい、2500歩 行った所で、引き返して来ました。 これで、5千歩。 結構、遠くまで行きますねえ。 他に、体を動かす用事がない日には、7千は歩きたいのですが、志下まで行ってしまいますな。 これを、残りの生涯 続けるのは、かなり、きつい。

  夕食前に、血糖値計測と、インスリン注射。 血糖値は、273と、想定より高かったですが、測る前に、水を飲むのを忘れていた事に、後で気づきました。 コップ一杯 水を飲むか飲まないかで、かなり違って来るのです。

「それなら、血液検査前に、水をガブガブ飲めば、糖尿病だと分からないではないか」

  その通りなんですが、それでは、治った事にならず、失明や落命の危険から逃れられません。 発想を逆転させて、検査や測定の前だけでなく、四六時中、水を飲んでいれば、常に血糖値は下がっているから、糖尿病ではなくなります。 生活習慣病だから、対策も習慣にすれば、解決するわけです。 しかし、その実行は、かなり、厳しいですな。 水ばかり、そんなに飲めるものではないです。

  夜になってから、気付いたのですが、この心臓の痛みは、山に登って、心臓を酷使したからではなく、インスリンの副作用なのかも知れません。 初めて起こったのは、27日ですが、横山に登った直後ではなく、インスリンを打った後、夜になってからでした。 もし、登山で痛めたのなら、登山中に痛くなるはずです。 どうも、インスリン注射の方が、怪しい。

  インスリン注射で、血糖値が急に下がる事によって起こる副作用に、「かすみ目」もあるらしいのですが、私の場合、それは、打ち始めた後、すぐに出ました。 パソコンの画面が、見難くなったのです。 逆に、遠くは、よく見えます。 一時的な遠視になるとの事。

  もし、心臓の痛みも、副作用なら、いずれ、インスリン注射をやめれば、なくなるわけで、そう思うと、気が楽になりました。 心臓が動悸でバクバクしていると、どうしても、「死が近いのでは?」と思ってしまいますが、そんな心配をしなくて済むからです。



【2024/10/31 木】
  血糖値、食後で、254。 一週間前と比較して、2 下がっただけ。 なかなか、落ちません。 これ以上、食べる物を絞ると、体重が減ってしまうのですが・・・。 何だか、やる気をなくしてしまいますな。 やる気がなくても、対策は続けますけど。




  今回は、ここまで。 ようやく、2024年10月分が終わりました。 治療開始から間がない時期なので、血糖値を下げるのに、四苦八苦していますな。 「分かった、分かった!」などと、いろいろと書いていますが、今から振り返ると、間違っている事もあるので、糖尿病の方々は、真に受けないで下さい。

  ちなみに、心臓の痛みは、登山をやめたら、消え去りました。 インスリン注射とは、全く関係なかった模様。 視力の低下も、今では、感じなくなりました。

2025/03/02

読書感想文・蔵出し (122)

  読書感想文です。 今回出す分は、2024年の11月・12月に読んだ本で、糖尿病の食事制限と運動療法に慣れようと、四苦八苦していた時期のものです。 精神的ショックも大きかったのに、よく、読書なんて、する気になったものだと、我ながら、今更ながら、驚いている次第。





≪タイタンのゲーム・プレーヤー≫

ハヤカワ文庫 SF 2274
早川書房 2020年3月15日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 397ページ。 コピー・ライトは、1963年。 ディックさんの長編としては、10作目で、この作品以降、乱造が始まるとの事。 必ずしも、粗製ではないようですが。


  中国の人工衛星から発射された兵器で、人類の出生率が激減したところへ、土星の衛星タイタンに住む、知的生命体との戦争に敗れ、タイタン人の支配を受け入れている地球。 主人公を始めとする、土地持ち達が、グループを作り、土地を賭けて、ゲームに興じていたが、ある時、よそから来た、凄腕のゲーム・プレイヤーが殺される事件が起こり、それをきっかけに、タイタン人急進派の目論見が露顕して、地球人類の未来を賭けたゲームに、挑む事になる話。

  殺人事件が起こりますが、推理物SFと言えるほどではなく、トリックは使われていませんし、謎解きも、別段、興味を引くような形で示されてはいません。 殺した側の記憶が消えているので、謎解きのしようがないと言うべきか。 推理物のパターンを借りて、部分的に、ゾクゾク感を盛り上げてみただけ、という感じ。

  全体を見渡すと、バラバラ感が強く、深いテーマのようなものは、なし。 SFのモチーフを、テキトーに寄せ集め、テキトーに繋げて、デッチ上げただけのように見えます。 ディックさんは、そういう書き方も得意なようです。 一番多く使われているモチーフは、超能力でして、他人の思考を読める、テレパスや、未来予知能力者が、ゲームに参加したら、どんな事になるか、そこだけ、よく考えられています。 確かに、こんな事になりそうですな。

  ゲームのルールは簡単なもので、解説の中で要約されていますから、先に、そちらを読めば、理解し易いです。 しかし、そんな事を知らないままでも、ストーリーを追うのに、不便はありません。 ゲームの経過を、読ませどころにしているわけではありませんから。

  バラバラ感が、主な理由で、面白いというところまで、行きません。 もし、新人が書いたら、編集者に、「直しようがないから、一から書き直せ」と言われるでしょうな。 ディックさんは、すでに名前が売れていたから、このままでも、出版されたのでしょう。




≪フロリクス8から来た友人≫

ハヤカワ文庫 SF 2245
早川書房 2019年8月25日 発行
フィリップ・K・ディック 著
大森望 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 435ページ。 コピー・ライトは、1970年。 ディックさんの長編としては、27作目だそうです。


  知能の高い「新人」と、超能力者の「異人」という、少数の者達が、60億の「旧人」を支配する、22世紀の地球。 この政治体制を打破する為に、外宇宙へ異星人の助けを求めに行った人物が、フロリスク8という星の知的生命体を連れて、戻って来る。 地球側は、パニックに陥って、あらゆる兵器で迎え撃つが、効果がなく、・・・、という話。

  【三体】を読んでいる人なら、「似たような話だな」と思うこと、疑いなし。 もちろん、こちらの方が発表が早いので、【三体】の方が、話の骨格を真似たんでしょうな。 ただし、ディックさんが嚆矢というわけではなく、他にも前例があると思われます。 【宇宙戦争】などと違うのは、圧倒的な力を持った異星人が、突如 攻めて来るのではなくて、遠い宇宙から、じわじわと近づいて来る点でして、そこが、大変、怖いです。

  主人公は、意外にも、「タイヤの溝彫り職人」という、一般人。 溝がなくなったタイヤに、もう一度、溝を彫り込むという、違法ではないが、安全上、感心しない事を、生業にしています。 宇宙スケールの話に、わざと、しょーもない職業の主人公を持って来るというのは、ディックさん流の、「落差狙い」なのでしょう。 ただし、ストーリー上、彼の職業は、彼の行動に、ほとんど、関係して来ません。

  この主人公が、たまたま出会った、16歳の少女に、反政府活動に引きこまれてしまい、警察に追われる身になる、というのが、ストーリーの中心軸で、異星人の到来は、サブ・ストーリーとして進みます。 しかし、読み終わってから、「さて、どんな話だったかな?」と思い返すと、主人公や少女など、ほとんど、印象に残っておらず、「異星人到来の話」という事になってしまうのです。

  主人公の中年男と、少女のやりとりは、ディック作品では、よく見られるもので、ディックさん本人の願望が、そのまま出ている観があります。 そして、決まって、会話の中身が、ペラッペラに薄っぺらい。 世代が違うのだから、会話が弾むわけがなく、ディックさん本人も、それが分かっているのに、まだ、少女の価値を見限りきれないでいるという感じ。 中年男の悲哀ですな。

  異星人が、地球に到着するまでは、そちらの興味で、ゾクゾクします。 到着後は、一転して、主人公と少女の話だけになってしまい、ガクンと、つまらなくなります。 たぶん、異星人と地球政府のやり取りを、細かく描写するのが、億劫になったんでしょうな。 実に、ディックさんらしい。




≪ジョーンズの世界≫

創元SF文庫
東京創元社 1990年11月9日 初版 1991年11月1日 3版
フィリップ・K・ディック 著
白石朗 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 327ページ。 コピー・ライトは、1956年。 図書館にある、ディック作品の内、早川文庫の方は、粗方 読んでしまったので、創元文庫の方へ移りました。


  宇宙から、大量の異星発祥生物が流れて来始めた頃、地球に、一年先までの未来を予知できる男が現れ、宗教的に支持者を集めて、警察国家の政権を打ち倒そうとする。 一方、金星で人類を繁殖させる為に、金星の環境に適応した改変人間が作られていた。 ・・・という話。

  異星発祥生物の話と、金星移民の話で、見事なくらい、話が二つに分裂しています。 というか、全然違う二つの話を、無理やり、一つの小説に合わせようとしたと見るべきか。 結合に完全に失敗しているところが、却って、珍しくて、興味深い。 おそらく、締め切りに追われて、話を煮詰められないまま、中編用のアイデアを二つくっつけて、長編にしようと試み、無残に失敗したのでしょう。

  異星発祥生物の方は、フィニイ作、【盗まれた街】が、この作品の前年の、1955年発表なので、そちらから、影響を受けたものと思われます。 ただし、この作品の生物は、【盗まれた街】のそれほど、積極的に、人間を脅かすものではなく、迫力に欠けます。 確かに、大量にやってくれば、脅威かも知れませんが、それは、理屈上の話で、読者に恐怖を感じさせるほどではないんですな。

  金星移民の方は、今の知識と突き合わせると、噴飯物。 金星が生物の住める星だと、1956年頃には想像されていたようで、金星独自の生物も何種類か出て来ますが、現実には、とてもとても・・・。 金星に生物がいる可能性は、火星のそれよりも、桁違いに低いです。 人間が住むなど、話になりません。 当時は、金星に関する知識・情報が、ほとんど なかったのだから、致し方ないですが。

  というわけで、読むに値するような内容が、ほとんど、ないです。 SFとしてではなく、主人公夫妻の、夫婦間の心の問題を扱っている一般小説としてなら、参考になる事もあるでしょうか。 他人と一緒に住むというのは、大きな困難が伴う事なんですなあ。 この時点で、それが分かっていながら、その後のディックさんは、結婚生活に失敗し続けるわけですが、一人で暮らした方が、精神的に、ずっと健康で過ごせるとは、思わなかったんですかね? 不思議な事です。




≪ヴァルカンの鉄鎚≫

創元SF文庫
東京創元社 2015年5月29日 初版
フィリップ・K・ディック 著
佐藤龍雄 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 251ページ。 コピー・ライトは、1960年。 創元文庫の方でも、割と新しい発行年のものがあるんですな。 日本で訳されたディック作品の中では、最も遅いものだそうです。


  地球規模の核戦争の後、世界連邦政府が作られ、「ヴァルカン3号」という人工知能が、政策を決定するようになった。 その場所は、統括弁務官一人しか知らない。 「癒しの道」という反政府団体が出現して、勢力を広げていたが、なぜか、ヴァルカン3号は、対策を指示しようとしない。 不審に思った、地域弁務官の一人が、統括弁務官に接触しようとするが・・・、という話。

  人類を統治する人工知能が出て来ますが、≪ターミネーター≫や、≪マトリックス≫など、後年のSF映画に出て来るそれとは、だいぶ、趣きが異なっています。 ハインライン作、【月は無慈悲な夜の女王】(1966年)よりも、更に前の発表なので、人工知能のイメージが、アメリカのSF界全体で、熟していなかったのではないかと思われます。 この作品に出て来るのは、人工知能と言うよりは、大規模・複雑なコンピューターですな。

  「ヴァルカン」は、バルカン半島とは関係なくて、神の名前から来たもの。 「鉄鎚」は、ヴァルカン3号が使う兵器で、本当に鉄鎚(金鎚・ハンマー)の形をしています。 「鉄鎚を下す」という言葉が英語にあるのか不詳ですが、解説にもある通り、日本語では、そのまんまですな。 飛行し、ビームを放ち、爆弾も落としますが、スタンド・アローンではなく、ヴァルカン3号に、遠隔操作されています。

  3号の前に、2号が作られていて、それが、まだ、稼動しているというのが、ストーリーの鍵。 この、3号と2号の力関係のアイデアは、作劇技法としては、面白いです。 しかし、人工知能を出しておいて、その、人類文明に対する意義を考察するのではなく、作劇技法の方に使ってしまったのは、些か、残念です。

  クライマックスは、戦闘場面でして、これが、ディック作品の中では、大変、長い。 戦争物かと思うくらい、長い。 スパイ物や、戦争小説なら、それもアリですが、SFで、それをやると、どうしても、邪道に走っている観が否めませんねえ。 そういった、細かい事を言わないのなら、ディックさんは、こういう描写がうまいので、迫力はあります。

  一つだけ、ツッコませてもらいますと、「手榴弾サイズの核爆弾」が出て来て、主人公が、それを、「投げる」のですが・・・、おいおい、核爆弾なんでしょ? アメリカ人が、放射線について無知なのは知っているので、そこは、スルーするとしても、小さいとはいえ、核爆弾が、投げられる距離で爆発したら、投げた本人は、とても、生きてはいられますまい。 普通の手榴弾で良かったんじゃないですかね?




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年の、

≪タイタンのゲーム・プレーヤー≫が、11月18日から、20日。
≪フロリクス8から来た友人≫が、11月25日から、27日。
≪ジョーンズの世界≫が、12月1・2日。
≪ヴァルカンの鉄鎚≫が、12月3・4日。

  ディック作品は、とりあえず、これで、一段落です。 早川文庫の方に、まだ読んでいない作品があったものの、どうも、宗教系の話のようなので、それらは避けて、創元文庫の方へ行きました。

  【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】、【ユービック】、【高い城の男】など、有名な作品の感想が入っていないのを、奇妙に思われる人もいるでしょうが、それらは、20年以上前、現役で働いていた頃に読んでいまして、今回、読み返すのを見送ったのです。 何せ、読書意欲が減退しているので。