2008/01/27

嘘八百八ネット

  最近何かで読んだんですが、現代人に必要なのは、知識の量ではなく、ネット検索の技術なのだそうです。

「何でもかんでも頭に入れておく必要は無いのであって、必要な時に、それに関する知識をネットから取り出せればよい。 だから、博覧強記よりも、ネット検索をうまく早く使いこなせる人間の方が優れているのだ」

  私、以前から、≪検索サービス≫というのが、どうしてあんなに利用者が多いのか、不思議でならなかったんですが、こういう考え方の持ち主が大量に存在するから大繁盛していたんですな。 この考え方、一見、もっともらしいですが、その実、完璧な間違いです。

  もし、私が何かを調べようとする時、最初に見るのは、電子百科事典です。 次が書籍の百科事典。 百科事典に載っていないような詳細を知りたい場合は、図書館へ行って、その事柄専門に書かれた本を調べます。 それでも分からなければネットを見ますが、あくまで、ざーっと眺める程度で、そのまま鵜呑みにはしません。 百科事典や本と一致している部分は信じますが、ネット上にだけ存在する記述の場合、すべて門前払いにして、頭に入れないようにしています。 なぜ、ネットの記述を信用しないかというと、もうズバリ、間違いと嘘だらけだからです。

  まず、本当に知識を伝達する資格があるのは専門家ですが、彼らは、ネット上に文章を書く事はありません。 なぜなら、その知識の伝達によって収入を得ているわけですから、無料で開陳するなどという馬鹿な事をするわけが無いのです。 次に、専門家ではないが、それに準ずるほど詳しい知識を持っている一般人の方々というのがいます。 この人達はある程度信用できるわけですが、やはり、専門家である事を職業としていない点が障碍になります。 95%専門書から得た知識を元にしていても、残りの5%で自説を入れてしまうのです。 これがまずい。 専門家も自説を持っていますが、彼らの説は常に同学界・同業者達のチェックを受けていて、間違った事を言えば、専門家としての肩書きを失ってしまいます。 それに対し、一般人の言説には、他者によるチェック機能が働かないので、間違いが間違いのまま一人歩きしていってしまうのです。

  さて、≪詳しい一般人≫の記述ですら問題があるのですから、ネット人口の99%以上を占めると思われる、≪詳しくない一般人≫の書く事など、一字一句すら信用できないのは、自明の理です。 人間というのは、とことん鼻持ちなら無い生き物で、知りもしないくせに知ったかぶり、先生面をして他人を見下そうとする癖があります。 検索サービスの≪教えて○○≫といったサービスで、自分がかなり詳しい知識を持っている事柄を検索してみると宜しい。 そこに回答しに出て来る連中が、どこから湧いて来たか分からないような超いい加減な知識を得意気に披露している様子を、ありありと目にする事が出来ます。

  いやいや、いい加減というより、完全な間違いなのです。 それを正しいと思い込んでしまっていて、当人大真面目で、根も葉もないような事を回答しているのです。 また、質問者側も、馬鹿っつやー馬鹿で、そんな回答を貰って、「ありがとうございました」などと、馬鹿にお礼を言っている始末。 更に、そのやりとりを読んだ馬鹿な第三者が、「なるほど、そうだったのか」と納得して、知識として頭に収め、他へ行って吹聴します。 まずいでしょう、このサイクルは。 間違いが雪達磨式にどんどん膨張していきます。

  間違いよりも更に悪質なのが、嘘です。 最初から、嘘の知識を広めようという魂胆で、ネットの雪達磨特性を利用する奴が、少なからずいるのです。 専ら、他者を貶める事を目的として使われるので、胸が悪くなるような誹謗中傷を結論にしているケースが多く、割と見分け易いですが、そういう人間のクズがネット上にうようよいる事を知らない人は、騙されて鵜呑みにし、これまた、他へ行って吹聴します。 最悪のパターンだね。 かくして、世の中、間違いと嘘ばかりが乱れ舞う事になります。

  だからねえ、ネットの信用度なんて、そんなもんなんですよ。 「検索能力が、その人の知性を決める時代が来た」? わははははは! 笑わせるなよ、マヌケ。 四六時中ネット検索しているくせに、ネットの根本欠陥も見抜けないような奴が、何を偉そうな事言うとんねん。 馬鹿も休み休み言えよ。

  とにかく、ネット上で何かの知識を得た時には、常に≪?≫マークをつけておく事ですな。 そして≪?≫マークがついた知識は、他人には伝えない事です。 医学知識など、場合によっては命に関わるようなケースもあるので、間違いを教えて、人を死なせてしまったなどという事も起こりかねません。 ちなみに、ネット上で得られる医学知識のほとんどは、医師が書いたものではありません。 必ず、書き手のプロフィールを確認してみて下さい。 医師は、書くとしても、概説程度の事しか書かないはずです。 症状や治療経過を事細かに記してあったら、その書き手は患者です。 患者の経験談は、その当人にしか当て嵌まらない場合が多いので、要注意です。

  いや、信用できる記述と信用できない記述を見分ける目を養うより、ネット上の知識は一切信用しない方が、より無難ですな。 重大な事であれば、必ず書籍を当たって、確認すべきです。 一度いい加減な事を口にしてしまうと、信用を著しく損ねますからねえ。 たとえ、「嘘か本当か知らないけど、ネットで、こんな事を書いている人がいたよ」というふうに、オブラートで包んで喋っても、結局間違いであれば、それを伝えた者の信用が落ちる事に変わりはありません。 現実世界でもネット上でも、周囲の人間をよく観察してみると、いわゆる、≪頭のいい人≫、≪物知り≫、≪学者肌の人≫と見做されている人は、ネット上で得た知識を口にしない事が分かると思います。 逆に言えば、「ネットで、ネットで」を枕詞にして話を始める奴は、信用されないという事ですな。

  ただねえ、ネット利用者が、悪人と善人にきっぱり分かれているというわけではなく、一人の人間の中に善悪が同居していて、どんな人間でも間違いや嘘を伝える危険性があるのが現実なんですよ。 現実世界でも、噂話で風評被害が出る事がよくありますが、間違い・嘘を広めてしまうのは人間社会の特性なのかもしれませんなあ。 ネットは言わば、≪キチガイに刃物≫になってしまったわけだ。 いやはや、恐ろしい時代になったもんだ。

2008/01/20

バブルの記憶

  2007年の映画、≪バブルへGO!! タイムマシンはドラム式≫を見ました。 なんだか不思議な感覚にさせられる映画ですな。

  ストーリーは、ほぼ完全に、≪バック・トゥ・ザ・フューチャー≫のなぞり。 なぞりと言えば聞こえはいいですが、あからさまに言えば、パクリです。 もし、アメリカ国内で、こういう映画を無断で作ったら、≪盗作≫として訴えられても文句が言えないほど、よく似せてあります。 「タイムマシン物で、面白くしようと思うと、結局同じような話になってしまうのだ」という見方もありますが、「だったら、最初から作らなければいいだろう」と言い返されれば、一言もありますまい。

  非常に奇妙なのは、映画にせよ、ドラマにせよ、アニメにせよ、日本の映像製作者というのは、なぜか、「アメリカ映画の人気作品なら、パクっても許される」と自分勝手に思い込んでいる節がある点です。 ディズニー・アニメの≪ライオン・キング≫がヒットした時、日本の漫画・アニメ関係者が連名で、「手塚治虫の≪ジャングル大帝≫を下敷きにしている事を、ディズニーは認めるべきだ」という声明を出した事がありましたが、盗人猛々しいとはこの事で、日本の漫画・アニメが、アメリカ映画の作品や作中ネタをどれだけ、パクりまくっているか、自分のやっている悪事には、とんと気付かないか、気付かないふりをしているのです。 ≪マトリックス≫の銃弾を避ける場面など、どれだけパクったか、とても数え切れないほどです。 よもや、「許可を取ってやりました」いう奴はおるまいて。

  ただ、この≪バブルへGO!!≫という映画、「パクリ」の一言で切り捨ててしまうには、惜し過ぎる魅力を確実に含んでいます。 バブル絶頂期という、鑑賞者の多くにとって、それほど昔でもない時代をタイムトリップの対象にしているために、猛烈な懐かしさを感じさせてくれるのです。 17年前という間隔が絶妙。 これが、30年以上前だと、≪ちびまるこちゃん≫くらいの時代になりますが、その時代を知っている人間の数がガクンと減りますし、知っていたとしても、記憶の彼方にかすれてしまっていて、ピンと来ません。 人間の脳というのは、意外につまらない事を覚えているものですが、逆に言うと、大半の事は忘れているわけで、完全に忘れてしまった事には、懐かしさを感じようがありません。

  この映画の見所は、前半のバブル時代の再現部分に集中していて、そこだけは滅法面白いです。 主人公とバブル時代人のファッション・センスのズレも面白いし、単語の意味が変わってしまっている所も興味深い。 使えないと分かっているのにケータイを持って行って、撮影機能でちょっと活躍しそうになるけど、結局使えずじまいで終るという皮肉もグッド。 人気が出る前の飯島直子さんや飯島愛さんが出て来ますが、同じパターンを10人くらいやっても、よかったんじゃないでしょうか。 基本的に喜劇なのですから、くどいくらいの方がちょうど良い。 阿部寛さんが、知らずに自分の娘をくどいてしまう所や、広末涼子さんが、知らずに自分の父親にキスを許してしまいそうになる所は、≪バック・トゥ・ザ・フューチャー≫のパクリと分かっていても、やはり面白いです。

  後半に入り、主人公が未来から来た事を信じて貰える辺りから、クライマックスにかけて、あまりに教科書通りの展開になるため、少なからず白けます。 特に最大の見せ場が、料亭での乱闘というのは、≪水戸黄門≫でも見ているようで、捻りが無さ過ぎでしょう。 大体、料亭接待はバブル時代に限った事ではなく、江戸時代から現在までずっと行なわれていますから、なんで、バブルの象徴になると考えたのか首を傾げてしまいます。

  タイムトリップ物で、それでなくても複雑な人間関係になる話なのに、主人公とその母親、父親の人間ドラマはよく出来ていて、不自然なところが感じられないのは、脚本の巧さでしょうな。 この映画、SF設定は、≪バック・トゥ・ザ・フューチャー≫をそっくりパクり、人間ドラマだけオリジナルで勝負しているわけです。 脚本家の君塚良一さんといえば、≪踊る大捜査線≫で有名ですが、≪バブルへGO!!≫では、お涙頂戴場面が無い分すっきりしていて、気持ちよく見る事が出来ます。

  いささか違和感があるのは、主人公である広末涼子さんの年齢です。 役の上では22歳ですが、実年齢では26歳の時に撮った映画で、僅か四年とはいえ、このズレが気に掛かります。 広末さん当人が、バブル時代と現在の中間頃、すなわち、≪失われた10年≫の最中に登場して来た人なので、「2007年現代の若い娘」という印象が無いのです。 まあ、ぶっちゃけて言いますと、少々薹が立ってしまっているというわけです。 個人差を勘定に入れても、やはり、女性の22歳と26歳は、明らかに異なる年齢域だと思いますよ。 無理やり若ぶっているように見えてしまうんですな。 ただ、それはあくまで、広末さんの実年齢という裏事情を知っているから感じる事に過ぎず、演技そのものは100点です。

  広末さんに限らず、この映画、俳優の演技は、軒並みいいですな。 配役に冒険をせず、実力のある人だけ使ったのが功を奏したのでしょう。 阿部寛さんや劇団ひとりさんが見せる、17年間の年齢間隔の演じ分けは、お見事の一語。 薬師丸さんの若い頃の方が、ちょっと戻りきれなかった感がありますが、顔が変わってしまっていますから、こりゃ、しょうがないですな。 ちなみに、1990年の薬師丸さんというと、≪病院へ行こう≫の頃で、人気のピークを過ぎたものの、まだ美女の称号を失ってはいませんでした。

  だけど、90年頃の若い女性のファッションというのは、こんなにケバケバしかったかなあ? なまじ、時間がそんなに経っていないだけに、記憶がごっちゃになってしまって、流行の境目がわかりません。 80年代というのは、大人の時代でして、ファッションもずっと渋かったんですが、90年代になると、70年代への回帰志向が出始め、服装は派手になって行きます。 1990年というのは、ちょうどその変わり目に当たる頃ですから、たぶん、こんな感じだったんでしょうなあ。

  なんで、こんなに自信の無い書き方をするかというと、この映画で描かれているような、バブル絶頂期の浮かれ騒ぎというのは、東京ローカル限定の風景だったからです。 地方では、そんなに金があり余っていたわけではなく、街の様子も、今とさして変わりませんでした。 地方人にすれば、バブル時代と今とで決定的に違うといえば、銀行の金利くらいのものです。 私も、定期預金の金利が、6.4%だった時を覚えています。 あの頃は、「10年働いて金を溜めれば、後は仕事を辞めてしまっても、利息だけで食っていけるな」と人生設計をしていたものです。 まあ、その後、定期預金金利は限り無くゼロに近くなり、私の皮算用は露と消えたわけですがね。

  この映画、物語設定にも少々問題があります。 「バブル崩壊の引き金になった、≪不動産融資の総量規制≫を阻止すれば、バブル景気がずっと続いたはず」という解釈をしているわけですが、もし本当にそう思っているなら、経済の原理について決定的に理解が足りないです。 たとえ、国が≪不動産融資の総量規制≫に踏み切らなくても、他にも躓く要素はいくらでもあったのですから、早晩どこかが決壊して、バブルは崩壊したはずです。 あれが、バブル景気ではなく、実態のある好景気であれは、持続可能だったわけですが、当時の日本経済は、もはや背伸びしきって、アキレス腱が切れそうな状態でしたから、それ以上大きくなる事など出来るはずがありませんでした。

  ちなみに、バブル景気というのは、製品、不動産、特定の権利などに、本来の価値以上の値段がついてしまう現象が社会全体で起こる事です。 価値の実態が存在せず、ただ人々の、「それを手にいいれば、必ず値上がりするから、もっと大きな利益を得られるはずだ」という期待が増幅する事により、値段だけが上がって行きます。 ところが、「もしかしたら、もう値上がりしないのではあるまいか?」という不安が一旦芽生え始めると、全員が早く売ろうとするので、上がっていた値段が一気に実態価値まで落ちてしまうのです。 その際、早く手放した者ほど得をし、遅くまで持っていた者ほど損をします。 社会全体の富の総量は変わらないのですが、得した者も損した者も、それ以上損をする事を恐れて、お金を使わなくなるので、社会全体の経済活動が不活発になるのです。

  ただねえ、80年代からバブル崩壊直前までの東京が、輝いていた事は事実なんですよ。 私のような地味な暮らしをしている人間でも、東京に行ってみたいと思ってましたからね。 その頃までの東京は、名実ともに文化発信地で、日本の≪都≫だったんですな。 それに比べると、バブル崩壊以後、現在までの東京は、火が消えたようです。 通夜か葬式でもロングランで営んでいるかのよう。 超高層ビルの数は増えているのですが、さながら死んだ東京文化の墓標ですな。 その事については、またいつか、別の文章で書く事にします。

  ああ、そうそう、≪バブルへGO!!≫の中に、タクシーが何回か出てきますが、見たところ、トヨタの≪クラウン・コンフォート≫です。 これは明らかに時代考証の間違いで、この車は1990年には、まだ出ていませんでした。 当時、東京を走っていたタクシーは、≪クラウン・セダン≫です。 この映画、ファッションの再現には拘ったものの、車に関してはテキトーにやっつけたみたいですな。 映画やドラマの中で、時代を特定するのに最も有効な材料になるのは、車の型なんですがねえ。

2008/01/13

増えるリコーダー

ソプラノ・リコーダーの所有数が増え続けています。 去年の11月に再開した時には、アルト一本、ソプラノ一本だけだったのが、たった三ヶ月の間に、ソプラノの方が、八本になってしまいました。 吝嗇家なので、「よし、安く買える物だけコレクションしよう」と思って、百円ショップの物から買い始め、100円が三本、420円が一本、1155円が三本、1260円が一本というのが現状。 千円以上の四本は、国内メーカー四社の最廉価版を一本ずつ買ったもの。

ダイソーABS 白
ダイソー ラメスケ 黄
成近屋 白
キョーリツ RK-50
アウロス 303A
ヤマハ YRS-28BⅢ
全音 スタンダード モデル SB
スズキ SRE-505

  おっと、書き始めてから、こんな事を言うのもなんですが、今回の話題、興味が無い人の方が圧倒的に多いと思うので、「リコーダーなんか知らんわ」と思ったら、ここまでで読み止めにして下さい。 というわけで、以下、一本ずつ講評を。


≪ダイソーABS 白≫
 105円 中国製 ジャーマン式 掃除棒付き

  これは、二年前に買ったものですが、今でも同じ商品が100円ショップの≪ダイソー≫で売っています。 ラベルには、≪たて笛(お手入れ棒付)≫とあるだけで、特に名前は付いていなかったので、私が勝手に呼び名を付けました。 100円とは言うものの、楽器として作られた製品なので、材質はABS樹脂で、千円以上の品と変わりません。 そこそこ良い音色が出ますが、素晴らしいと言うほどではなく、プラスチック・リコーダーとしては平凡な音です。

  ソプラノ・リコーダーの音域は、c2から、d4まで出ます。 c2というのは、ピアノで言うと、ほぼ中央に位置するドより、一オクターブ高いドの事。 d4は、ピアノの中央のレより三オクターブ高いレの事。 つまり、下から上まで、二オクターブとちょい出るわけです。 製品によって、低音が出易い物、高音が出易い物、どっちも出易い物、どっちも出難い物がありますが、≪ダイソーABS 白≫の場合、低音重視ですな。 笛の裏側にあって、左手の親指で押さえる穴の事を≪サムホール≫と言いますが、e3(ミ)から上の高音では、この穴を少しだけ開けます。 ≪ダイソーABS 白≫では、サムホール半開きの音域に入ると、かなり苦しくなります。


≪ダイソー ラメスケ 黄≫
 105円 台湾製 ジャーマン式 運指表付き

  これも、ダイソーです。 正式な商品名は、≪クリアカラー たて笛(ラメ入)≫とありますが、言い難いので、これまた勝手に呼び名をつけました。 つまり、スケルトンでして、しかもラメが入って、キラキラしているんですな。 どう見てもパーティー・グッズの外見なんですが、これが吹いてみると、どうしてどうして、ちゃんとした楽器の音が出るのです。 材質はポリスチレンですが、≪ダイソーABS 白≫よりも、音色は良いです。 低音から中音域まで、しっかりした音が気持ちよく出ます。 これだけの音色が出る笛を、パーティー用に使って、一晩で捨ててしまっては、勿体ないですな。

  惜しむべきは、スケルトンでラメ入りという点。 この音で、白か茶色があれば、文句無いんですがねえ。 色は他に、赤と青がありましたが、どれもあまりいい色ではなかったので、なるべく目立たない色にしようと思って、黄色を選びました。 ラベルの裏が取扱説明書になっていて、運指表も印刷してありますが、縮小のし過ぎで見難いです。


≪成近屋 白≫
 105円 中国製 ジャーマン式 掃除棒付き

  これは、100円ショップの≪セリア≫で買った物。 楽器ではなく、注意書きにオモチャと断ってありました。 ≪成近屋≫というのは、楽器メーカーではなく、オモチャ関連の商社の名前らしいです。 オモチャなので、音色はお世辞にも誉められたものではありません。 ダミ声のような音で、低音域は何とか出ますが、左手を開け始めると、もう音が割れ始めます。 楽器として使うとしたら、低音域だけで吹ける曲専用にするしかないですな。 材質は不明ですが、ABSでないことは確か。

  しかし、乳白色のボディーは、大変美しく、見ていて惚れ惚れするほどです。 頭部管の正面に、≪NARICHIKAYA≫という手書き風の金文字が入っており、どことなく、大正ロマンを感じさせる風貌。 デザインも良いので、置き物として飾っておくだけでも面白いと思います。 ちなみに、同じデザインで、スケルトン・タイプもあり、私は緑色のを見た事があります。


≪キョーリツ RK-50 白≫
 420円 ジャーマン式 掃除棒・運指表付き

  この製品は、ネット・ショッピングで検索を掛けると、一番安い値段で引っ掛かるリコーダーです。 最も安い所では280円というのがありましたが、ネットで買うと、送料や支払手数料で、結局千円以上になってしまうので、二の足を踏んでいた所、最寄のホームセンターで420円で売っているのを発見し、これ幸いと購入しました。 キョーリツという会社は、楽器関連の商社兼メーカーですが、この≪RK-50≫は、輸入品のようですな。 ただ、生産地は不明。

  色は白、青、赤、緑があり、私が買ったのは白ですが、厳密に言うとシルバーです。 材質そのものに光沢があるんですが、その材質のせいか、成型時のマーブルがあちこちに出ていて、外見はとてもじゃないけど、綺麗とはいえません。 吹き口の表側や穴の周囲などに、割れているように見える跡まであります。

  しかし、吹いてみると、これがビックリ。 えもいわれぬ、≪しとやかな音≫が出るのです。 「本当にプラスチック・リコーダーか?」と思うほど、囁くように落ち着いた音色。 ラビュームと呼ばれる振動板を厚くして、わざと息を通り難くしているようなのですが、小さい音が出るリコーダーというのは、騒音対策上、貴重なので、悩んでいる方は、試しに買ってみるのも良いと思います。 ただし、おとなしい笛だけに高音域は苦手で、レを超えると、音がかすれてしまって、著しく出難くなります。

  運指表が付いていて、これも縮小し過ぎなんですが、≪ダイソー ラメスケ≫のそれよりははっきり見えます。 運指表とその説明文が、≪ダイソー ラメスケ≫とほとんど同じなのは、偶然とは思えないので、たぶん、何か原典があって、それを写しているんでしょう。


  以上、四本は全部、ジャーマン式の運指です。 下から順に一穴ずつ開けて行くと、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・・・と上がっていく方式。 日本の小学校で習うリコーダーは、このジャーマン式が大多数です。 ジャーマン式の他にバロック式という運指方式があり、伝統的なリコーダーは、そちらが正式。 日本では旧文部省の方針で、単純に覚えられるジャーマン式の方が普及したんですが、それはあくまで、日本ローカルの標準でして、外国ではバロック式の方が普通です。 上の四本は、全部外国のメーカーが作っている製品ですが、日本の事情に合わせて、ジャーマン式を輸入しているんですな。 バロック式も輸入すれば面白いと思うんですが、知らない人が買った場合、「音程が変だぞ」となってしまうので、その辺は致し方ないところですか。

  どれも安い笛ですが、それぞれ特徴があって、大変面白いです。 もっとも、如何に安いといっても、色違いまで揃えようという気にはなりません。 色が違っても、金型が同じなら、同じ音色しか出ませんからのう。 本数を増やすのが目的ではないわけだ。


  ああ、疲れた。 今回、写真を多く入れたものだから、手間がかかり過ぎて、作文エネルギーが尽きました。 残りの四本の紹介は、来週か、事に因ったら、更に先に延ばす事にします。

2008/01/06

モテない理由

  映画≪間宮兄弟≫を見ました。 どうしても見たかったというわけではなく、ムービープラスでやっていたのを、たまたま終わりの15分だけ見かけ、何となく気になっていたら、翌日の深夜に地上波で放送されるという偶然に恵まれたので、録画して最初から見直したという次第。 配役にせよ、撮影場所にせよ、低予算と一目で分かる、いかにも今風のセっコい日本映画ですが、面白いとか何とか言うより、取り扱っているテーマがいろいろと考えさせられるものでした。

  ネット上の映画評を読むと、「≪電車男≫に続く、オタクに希望を与える映画」などと書いてありますが、そういうのを≪型に嵌め込みたがる月並みな批評≫というのであって、間宮兄弟程度では、オタクの内に入りません。 それに、この兄弟、生活の目標を恋人の獲得に置いており、そんなのはオタクとは言えんでしょう。 奥手だというだけで、やっている事は、ナンパそのものです。 ナンパするオタクなんて、聞いた事ないよ。 大体、これだけ積極的に働きかけが出来るなら、もっと早く彼女が見つかってるんじゃないですかね?

  ほぼ原作通りに映画化されているらしいですが、という事はつまり、原作者が独身男性の現実を知らんのでしょう。 10代20代をまるまる女っ気無しに生きて来た男が、30代になってから、ナンパなんて出来るわけがないでしょうが。 そんな事が出来るなら、若い頃にやってるよ。 まあ、作家が世間知らずなのは珍しい事ではないとして、カレー・パーティーに誘われた女二人が、さして考えもせずにOKする所がまた奇妙。 普通、断りませんか? 二人とも性関係にある彼氏がいるのに、ナンパ以外に解釈のしようがないパーティーの誘いに乗るはずがないではありませんか。 「下心があると思われたら困る」といったような間宮兄弟のセリフがありますが、何を寝ぼけているのか。 下心無しで、独身女性を自宅パーティーに誘う男なんぞ、この世にいるわけがありません。 下心が無いんなら、誘う相手は、公園で昼寝している爺さんでも何でも構わんではありませんか。 独身男性が独身女性を誘う時、し・た・ご・こ・ろ・があるのは、あ・た・り・ま・え・です!

  当然の事ながら、女の方も、男に下心があるのを承知の上でなければ、OK出来ないはずです。 その気もないのに、カレーが食べたいだけで、ホイホイ出かけて行く女なんていませんよ。 もし、暴行でもされたら、「カレー・パーティーだと言うから行ったのに」じゃ、言い訳にもなりません。 いや、現実に、ストーカー被害で大騒ぎしている連中には、そういう言い訳をする奴らがいますが、ガキの戯言ですな。 自分の警戒心が足りなくて、ストーカーの罠に嵌まっていながら、「警察が守ってくれない」が聞いて呆れる。 んじゃ、警察は、どこまであんたらの世話をすればいいのよ? 棺桶に入るまで、ボディーガードするのか?

  それに、異性と交際している勤め人というのは、休日にスケジュールを空けられないものです。 平日は仕事、休日は交際相手と会わなければならないのですから、呑気にナンパに引っ掛かっている閑などありますまい。 映画やドラマを見ていると、「こやつら、一体、どこからこの時間を捻り出しているんだ?」と首を傾げたくなる設定が頻繁に出て来ます。 平日に仕事が終わった後、彼氏彼女と街で落ち合って、夜中まで遊ぶといった場面が大変多いですが、毎日そんな事やってたら、体力使いきって、死にますぜ。 かくして、どんなにアツアツだろうが、会うのは休日がメインになるわけですが、同性の友人達とのつきあいもあるのですから、休日の予定はキツキツのギリギリになりがちです。 どこの誰とも分からない兄弟に誘われて、カレー・パーティーに出かけて行くような時間なんぞ作れるものですか。

  間宮兄弟の母親役で中島みゆきさんが出演しているんですが、そのセリフの中に、フラれた息子達に向かって、「女の人にモテなくたって、大した事じゃないから」という発言があります。 何をヌケヌケと言うか、この母親は! 30代で結婚もしていない、彼女もいないとなれば、もう始終頭の中で警報が鳴り響いているほどの危機的状況ではありませんか。 大体、子供が交際相手を見つけられない原因の95%は、親に責任があります。 恋愛結婚の時代に於いて、最も重要なのは外見、特に顔ですが、顔の良し悪しなど、親の責任でなければ誰の責任だというのか、教えておくれよ、おっかさん、てなもんです。 自分がまずいツラに産んでおきながら、「女の人にモテなくたって・・・」などとよく言えるな。 恋愛結婚の時代に彼女が出来ないという事は、結婚出来ない、子供も出来ないという事ですぜ。 その重大さが分かってて言ってるのかね?

  そういう事を無神経に口にする親ほど、自分達は見合いで結婚しているんですよ。 呆れるよねえ。 これを読んでいる人の中にも、いい年して独身の人が相当いると思いますが、「早く結婚しろ」などと、親や親戚に言われた事があるでしょう。 そう言われたら、きっぱりと、「そんな事言うなら、もっとモテる顔に産めよ」と言い返してやりましょう。 もう二度と言われなくなるから。 見合い結婚全盛期に見合いで結婚した連中には、恋愛結婚時代がどんなに厳しいものか、実感として想像できないのです。

  中には、「自分で相手を見つけらないなら、見合いをすればいいじゃないか」と食い下がってくる奴がいると思いますが、そういう場合は丁重に、「じゃあ、縁談を探してきて下さい」と答えましょう。 ふふふ、まあ、絶対見つけて来れないね。 今時、縁談なんぞ、転がっているものかね。 すると、「結婚相談所へ行け」などと言われるかも知れませんが、そう来たら、「結婚相談所は詐欺が多い。 詐欺師に金をくれてやるような真似は出来ないから、かかる経費を全額負担してくれるか?」と訊き返してやりましょう。 親だったら二度と「早く結婚しろ」なんて言わなくなるし、親戚だったら、それ以降、梨の礫になるから、見てて御覧なさい。

  間宮兄弟、最後の最後には、向かいのマンションの姉妹と、ちょっと脈があるような展開で終りますが、現実にはありえないですねえ。 自分で自分の顔がいいと思っているような女性の場合、彼氏との関係がうまく行かなくなったくらいで、他の男に自分を安売りしたりはしません。 その気になれば高く売れるものを、安売りするわけがないではありませんか。 それに、一度フった男に自分からもう一度近づく女というのもあまり例を知りませんな。

  ああ、そうそう、男性の方に忠告しておきますが、女性に一度フラれた場合、それ以上その人に付き纏ってはいけませんぜ。 30年くらい前までなら、「一押し二押し三に押し」は有効だったんですが、時代は変わりました。 今それをやると、ストーカーとして警察に通報されます。 マジマジ。 そういえば、子供の世界で、ラブレターという習慣が廃れてしまったのを知ってますか? なぜか? 今の女の子というのは、靴箱にラブレターが入っていると、先生の所へ持って行くんですよ。 即ストーカー扱いになるのです。 自分が好きな男の子から来たラブレターなら狂喜乱舞しますが、そんな偶然はまず起こりません。 女の子が好きな男の子というのは、大抵モテる子と決まっており、モテる男の子は、自分からラブレターを書いたりしないからです。 かくして、誰も書く奴がいなくなったんですな。 ちなみに今の子供は、「告る(こくる)」と言って、直接言葉で告白するようですが、想像するに、凄絶な自爆を遂げる者も多いでしょうな。 南無阿弥陀仏。

  悩める男性諸君よ。 「なぜ自分はモテないのか?」と思ったら、まず己の顔を疑うべし。 目鼻立ちの造作が悪くないのにモテないとしたら、歯並びを疑うべし。 それも問題ないのにモテないとしたら、背の高さを疑うべし。 デブやヤセは、はなから問題外。 頭の良し悪しも全く関係ありません。 というか、意外なようですが、社会人になってしまうと、馬鹿の方がモテます。 女性から見ると、操縦し易いかどうかが重要な鍵になって来るので、自分より頭のいい男にかしずいて、アゴで使われるより、馬鹿を捉まえて、下僕扱いした方が得と考えるのです。 これまた、昔と違っているのは、女性の置かれている社会的立場でして、昔は男に養ってもらわなければ生きていけなかったのが、今は自力でも生きていけますから、求める男性像が変わってしまったんですな。 かくして、頭はいいが顔が悪いという男性達が結婚できなくなり、社会全体の知能レベルが低下し始めたわけですが、まあ、それはしょうがないねえ。

  顔も頭も悪いけどモテるという男性たちがいます。 それは有名人。 別にテレビに出るような人でなくても、一定の集団内で、いい意味で有名になっている男性は、それだけでモテます。 女性の中には、「有名な男と一緒にいれば、自分も有名になれる」と算盤を弾く人が少なくありません。 お笑い芸人など、「こんなまずいツラで、どうしてあんなに美人の奥さんがいるんだ?」と思わせる例が多いですが、答えは単純、有名人だからです。

  金で釣るという手もありますが、この手は、当然の事ながら、資本がなければ出来ません。 ≪援助交際≫の存在を見ても分かるように、金に転ぶ女性はたくさんいます。 金持ちの奥さんを見ると、若い頃、水商売をしていたという人が多いですが、あれはつまり、網を張って、金持ちがかかるのを待ってたんですな。 そういえば、男の中には、金の使い方を間違えている奴が結構います。 指輪だのブランド物だの、滅多やたらにプレゼントしまくる馬鹿がいますが、効果ゼロ。 貰ったその足で質屋に売りに行かれるのがオチです。 だからねえ、女性というのは、自分が欲しくない物を貰っても、ちっとも嬉しくないのよ。 金を直接やった方が、ずっと喜ばれます。 物をプレゼントをするなら、何が欲しいか訊いてから、一緒に買いに行けば良いのです。 それを繰り返していれば、女性を捉まえられます。

  最後に人柄ですが、これはもう、全然・全く・金輪際、何の関係もありません。 女性は男の人柄なんぞ、まるっきり見ていません。 また見抜く能力もありません。 だから、ドメスティック・バイオレンスで、顔が変形するほどボコボコに殴られたりするのです。 街行くカップルを呼び止めて、「彼氏のどんな所が好きですか?」と訊くと、大抵の女性が、「優しいところ」などと答えますが、アホ丸出しだね。 交際し始めた頃に、男が女に優しいのは、あ・た・り・ま・え・です。 最初からぶん殴ってたら、獲物が捉まらんだろうが。 出だし、優しい所しか見ないので、すっかりそういう男だと思い込んで、交際したり、結婚したりしますが、「もう、本性出しても大丈夫だろう」と思うと、殴る男は殴り始めるんですな。 殴るだけでは収まらず、あばらが折れるまで蹴るというから恐ろしい。 人柄を見抜く能力があれば、そんな男に引っ掛かる女なんていないって。

  また、本当に男の人柄が良くても、女の方が腐れきっている場合、結局うまく行きません。 「あんたはお人好しだから、あたしの言う通りにしないと、すぐに人に騙されちゃうよ」とか吹き込んで、亭主の交友関係をメチャメチャにしてしまう女房というのが結構います。 もう、悪魔を家に引き入れたようなもんだね。 男の方も、女の人柄を見抜く能力が無いんですな。 そもそも、異性交際の目的は、ぶっちゃけて言えば、「セックスがしたい」の一点に尽きますから、他の部分なんて目に入らないんですよ。 セックスするのに、人柄なんて関係ないもんね。 あはははは! 身も蓋もないが、生物学的真理だから、致し方ない。

  相手を選んだ理由に、「趣味が共通しているから」と答える人達は多いですが、実際には稀なケースだと思います。 男と女ではもともと趣味の傾向が違っていますし、また趣味は時間が経てば変わっていきますから、いつまでも同じ趣味ではいられないのが現実です。 周囲にいる夫婦を観察してみれば、同じ趣味を楽しんでいる人達などいないでしょう? 夫婦で一緒にやっている事といえば、散歩か旅行くらいが関の山。 家庭内の話題にしてからが、子供がいれば子供の事、犬を飼っていれば犬の事、あとは近所の噂話といった所で、それぞれ自室を持っていれば、同じテレビ番組すら見ていません。 単に趣味が同じというだけで、付き合い始めた男女は、結婚まで行かない内に分かれているんじゃないでしょうか。 何といっても、異性交際の目玉は、≪セックス≫ですから、文字通り、趣味のいい事など言っていられないのです。

  ≪間宮兄弟≫から随分離れてしまいましたが、最後に引き戻しましょう。 この映画、決してつまらなくはないです。 森田芳光監督の作品の中では、ごく初期の作品群に近い雰囲気を持っていて、見ていて心地よい気分にさせてくれます。 脇役の配役がちょっとアンバランスですが、難というほどではありません。 ただし、これらの評価は、あくまで、映画という夢の世界での話としてならです。 現実的でもなければ、オタク向け映画でもないので、オタクの方々、間違えて真似などしないように。 レンタル屋の女性店員をナンパなんぞしたら、一生消えない悪夢のような思い出を作る事になりますよ。 ひっひっひ。