ブログと写真
ブログも、サービスによって、随分と能力が違うようですな。 特に差が際立つのが、最大容量でして、プロバイダーのホームページ提供サービスの中に繰り込まれていて、20メガしかないような所もあれば、無料で3ギガまで使えるような、太っ腹な所もあります。 文章は相当ぎっしり&しょっちゅう書いても、最大容量を気にするほどにはなりませんが、問題は画像ですな。 写真は重いので、20メガなんぞ、すぐに埋ってしまいます。
ブログが流行り出した頃は、どこも容量が少なくて、文章中心が多かったんですが、今では、ギガ・クラスのサービスを利用して、写真サイトも顔負けの、膨大な数の写真をアップしているブログもあります。 モニターいっぱいに広がるくらいの大きな写真を、一回に20枚も入れて、それをほぼ毎日更新しても、一・二年は大丈夫というのだから凄い。
いや、今回は、ブログ・サービスの話をしようってんじゃないんですよ。 ブログに大量の写真を出している人達の、写真の腕の方の話です。 ≪質より量≫という言葉がありますが、量が多いと、決まって、質の方は良くないのです。 あ、今までにも、写真に関する記事を何度か書いていて、それらと重複する内容が出て来るかも知れませんが、まあ気にせず、適当に読み流して下さい。
フィルム時代に比べると、写真を撮る人が増えたのは確実です。 昔から好きな人はいたわけで、写真関係のマーケットはもともと大きかったですけど、デジカメ時代の特徴は、写真術を究めようと志したわけではない普通の人でも、≪芸術写真≫を撮るようになったという事ですな。 芸術写真と言うと誤解を招きそうですから、≪作品写真≫とでも言いましょうか。 家族の記念として撮る、≪家族写真≫と区別して、作品として他人に見せる事を前提にして撮る写真の事です。
こういう写真は、フィルム時代には、写真趣味のある人しか撮りませんでした。 それが今は、サイトやブログを持っている人で、作品写真を撮った事がない人など、一人もいますまい。 時代は変わったんですねえ。 なぜ、作品写真を撮る人が増えたかというと、発表する場所が出来たからに外なりません。 フィルム時代には、自分が撮った写真を人様に見てもらおうと思ったら、雑誌のフォト・コンに望み無き投稿を繰り返すか、地元の写真クラブに入って、高い年会費と引き換えに、発表会の展示スペースを確保するしかありませんでした。 ネット時代になり、誰でも発表の場が持てるようになった事は、写真趣味に於ける最大の革新なんですな。
デジカメも、2002年頃までは、メモリー・カードの容量が小さくて、一回の撮影行に、20枚くらいしか撮れず、「これじゃ、フィルムと変わらんな」と思っていたものですが、その後、大容量化したメモリー・カードが価格破壊し、100枚分くらい楽に入る物が千円そこらで手に入るようになると、使い勝手が格段に上がりました。 残りの枚数を気にしなくて良くなったのは、写真趣味に於ける二番目の大革新ではないかと思います。
ところが、あまり急激に条件が改善されると、逆の弊害も出てくるわけですわ。 作品の質が落ちたのです。 ネット時代幕開けの頃、写真サイトを作っていたのは、程度の差はあれ、一度は写真術を究めようと志した事がある、そこそこ腕に覚えがある人達だったのですが、現在、大容量ブログに気軽に写真をアップしまくっているのは、そういう経歴の人達ではないのです。 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」式に、手当たり次第に撮りまくった写真を、良いも悪いも選り分けず、「せっかく撮ったんだから、全部載せよう」という調子で、片っ端からアップしているのです。
すっごいですよ。 ピンボケ・ブレボケ、当たり前。 水平・垂直、どうでもよい。 頭切れずに顎切れた。 露出は滅茶苦茶。 画面の半分が真っ白く飛んでいても、気にしない。 「夜景を撮ってみました」って、ブレブレで何が写っているか分からない。 手持ちで夜景が撮れるわけねーだろ。 はたまた、どでかい画面に、ちーいさい花が、ちんまり写っていたり、「花なら、何でも綺麗」と思っているのか、萎れて変色した花を撮ったり。 中でも、見ていて一番苦痛なのが、何を撮ろうとしたのか分からない写真でして、中心になる対象が無いのです。 もはや、芸術の冒涜以外の何ものでもない。
この種の問題点ですが、写真の撮り方について書かれた本を一冊読むだけで、八割方は解消します。 本当に基本的な技術を知らない為に、起こっている失敗なんですな。 残りの二割は、プロやハイ・アマチュアが撮った写真をたくさん見る事によって、解決する事が出来ます。 いくら気軽に取れるようになったといっても、写真はやはり芸術ですから、まず審美眼を養わなければ、自分でも良い物が撮れるようにはなりません。 その時まずいのは、下手な人の作品ばかり見て、「ああ、この程度でいいのか」と思い込んでしまうことです。 「これくらいなら、自分にも撮れる」と自信を持つことは大切なんですが、その基準になっている作品のレベルがあまりに低いと、却って有害なのです。
カメラの性能が上がっているので、下手な人でも、偶然うまい写真が撮れる事はあるわけですが、下手の下手たる所以は、うまく撮れた写真と、駄目な写真の判別が出来ない点にあります。 ブログに大量にアップしている写真の中に、しょーもない写真が混じっていて、「失敗写真ですが、ここで撮った物が他に無いので、やむなく載せます」といった、言い訳文がついてない場合、当人に判別眼が無い証拠ですから、その人と写真の話はしない方が良いと思います。 いや、その人が撮った写真も見ない方がよいくらい。 悪い手本ほど、上達の足を引っ張る要素もありません。
なにが凄いって、マクロ・モードのまま風景を撮ってしまったとか、その逆とか、誰がどう見てもボケボケなのに、それを平気でアップする神経ですな。 これは、もはや、基礎技術がどうのこうのといった次元の問題ではなく、その人物の性格に重大な欠陥があると見るべきでしょう。 ボケ写真を見せて、誰にどんな感動を与えようというのか、一度、腹を割って訊いてみたいものです。 返答次第によっては、腹を切ってもらっても宜しい。 介錯仕る。
わざとボカした写真が好きで、そんな作品ばかり出している人もいます。 確かに、高齢の女性を撮る時に、皺やシミが目立たないように、ボカす事はありますが、それはポートレートの話です。 風景でボカしを入れられると、見ている方が恥かしくなります。 プロの作品に先例が無いわけではありませんが、いわゆる、古い技法なんですな。
あと、モノクロばかり並べている人。 モノクロ写真は、独特の雰囲気になりますが、はっきり言って、今モノクロ写真を作品としてネットに出している人達は、腕が悪いのをごまかす為の技法として使っています。 この人達、判別眼はあり、自分の撮った写真が良くない事はわかるのです。 それをある時、モノクロに変換してみたら、「おやおや、面白い雰囲気になった!」というので、それ以降、モノクロに嵌まってしまったわけですな。 何の感興も湧かないようなカラー写真でも、モノクロにすると、それなりに作品らしく見えるようになるからです。 だけど、それは、結局ごまかしですぜ。 そっちへ行ってはいかんなあ。 せっかく、判別眼があるのだから、カラーで良い写真が撮れるように、努力を重ねるべきでしょう。
少し、レベルの高い話になりますが、実を言うと、ハイ・アマチュアの作品も、あまり持ち上げない方がいいです。 彼らは、プロの写真と見分けがつかないくらい高度な作品を撮りますが、なぜプロになれないのかというと、模倣の域から出ていないからです。 プロになるには、単にレベルの高い写真が撮れるだけでなく、その人にしか撮れない写真が撮れなければなりませんが、その独自性が欠けているわけですな。 ハイ・アマの中には、時折、報酬を貰って写真を売っている人がおり、こういう人達は、セミ・プロというカテゴリーになります。 写真で収入を得ているわけではないけれど、人様がお金を出して作品を買ってくれる、特別なレベルなわけです。 この人達の作品なら、手本にする価値があります。
ネットを見ていると、「ハイ・アマの先生に弟子入りした」などと書いている人が、稀にいます。 本来は、作品を見て手本とすべきなんですが、「手っ取り早く、当人に教わってしまえ」というわけなんでしょう。 そして、そのハイ・アマの先生が教えてくれた撮影スポットへ行って、全く同じような写真を撮っているのです。 だけどねえ、芸術活動はそういうものじゃないと思いますよ。 模倣から始めるのはいいですけど、模倣で完成してしまうのはよろしくない。 それはあくまで模倣技術に過ぎません。 基本だけ習ったら、他人の作風を真似るのはやめて、自分の独自の世界を探求して行った方がいいでしょう。
それにつけても、一日に20枚も、何が何だか分からん写真をアップされると、見る方には拷問ですな。 ブログの写真は、大抵、サムネイルで表示されているので、クリックして原寸大を確認せねばならんのが面倒臭いだけに、わざわざ拡大したのがクズ写真だと頭に来ます。 なめとんのか、われ。
貶してばかりもいるのも何なので、感心したブログについても触れておきましょうか。 目的意識があって写真を撮っている人は、うまい下手に関わりなく、作品に好感が持てます。 たとえば、いろいろな花の種類を撮り集めている人とか。 植物図鑑に近いようなブログを目指しているらしく、極力、標準的な外観の花を、分かり易く撮ろうとする為、破綻が少なく、結果的に良い写真になります。
屋内で、ブツ撮りをする人も、かなりいい写真を撮ります。 部屋の中での撮影は、ライティングが難しいんですが、他人の目を意識せずに済む分、カッコよりも、実用的な工夫の方にエネルギーが回るのか、「へえ~っ!」と驚くような、精緻な写真を撮っています。 風景ばかりが写真じゃないんですな。 おそらく、布や紙を使って、ミニ・スタジオを構築しているものと思われますが、やる人はやるんですねえ。 感服仕る。
ところで、写真を撮り始めて間も無い人で、近所の児童公園などに出かけていって、他人の子供を撮っている人がいますが、そんな事していて、手が後ろに回っても知りませんぜ。 聞いた事くらいはあると思いますが、この世の中には、≪肖像権≫というものがありまして、他人を許可無く撮影すると、それを侵害してしまうケースがあります。 堂々とやっていても、盗撮と同じ扱いを受けかねません。 フォト・コンやハイ・アマの作品などで、人物を撮った写真が出ている場合、大概は、家族・親戚・友人など、撮ってもいい相手を撮っているのであって、勝手に撮影した他人ではないので、ご注意あれ。 だからねー、人間ていうのはなかなか撮る機会が無いのよ。
観光地へ行けば、他人が入った写真を無許可で撮れますが、それとて、後姿や点景人物として撮るのがギリギリのラインでして、相手がこちらに気付いたら、ちょっと不穏な話になります。 カメラの方を見ている大人の男などがいたら、要注意であって、一旦カメラから体を離して、そやつが視線を逸らすのを待つか、もっと切迫している場合は、撮影を諦めて、慌てず騒がず、熊から逃げる時の要領で、静かにトンヅラした方が無難。 「おい、おまえ、何を撮ってる?」と寄ってきたら、もうアウトですな。 昔だったら、「フィルムを出せ!」でしたが、今は、「メモリー・カードを出せ!」となりますから、えらい損害になります。 カードなんぞ、パキッと割るくらいわけはない。 明らかに器物損壊ですが、警察を呼んで裁判沙汰など起こしても、こちらにも盗撮の容疑がありますから、さっぱりするような解決にはならんでしょう。 とにかく、悶着は避けるのが一番です。
写真の話なので、ついでに書きますが、最近、ソニーの一眼レフのCMで、岡田准一さんが手持ち撮影をしている映像が流れています。 モニターの機能を説明する為に、ああいう使い方を見せているわけですが、実際には、一眼レフをあんな風に使うのはナンセンスなので、騙されてホイホイ買わないように。 安いものじゃないんだから。
一眼レフをロー・アマが買う場合、大抵リーズナブルなレンズ・キットを選びますが、レンズ・キットのレンズは、ほとんどズーム・レンズなので、カメラ本体と合わせると、1キロ近い重さになります。 そんな物を片手で持っていたら、腱鞘炎になってしまいます。 CMをよくよく見れば、岡田さんの手が微妙に震えているのが分かりますが、重いのだから当然です。
また、CMの舞台が、住宅地の中のような場所ですが、そんな所で一眼レフなんぞ持って撮影していたら、近所の人がどう思うか、ちいっと想像してみれば分かろうというものです。 コンパクト・デジカメどころか、カメラ付き携帯ですら、ヒヤヒヤするロケーションではありませんか。 あのCMを企画した連中、写真を撮りに行った事が全く無いのではありますまいか。
もう、何度も何度も書いているんですが、一眼デジカメという機械は、ロー・アマでは使いこなせませんから、買っても無意味です。 ロー・アマが一眼デジカメで撮れる写真は、コンパクト・デジカメですべて撮れるばかりでなく、軽くて小さい分、コンパクト・デジカメの方が、ブレの少ない良い写真が撮れます。
メーカーもメーカーですな。 合わないと分かっていて、知らぬ顔で売っているわけですが、先々の信用を考えず、目先の利益に囚われているとしか思えません。 背伸びして一眼デジカメを買っても、重い器材を持ち歩くのは大変ですから、だんだん出不精になって、その内、写真趣味そのものが嫌いになってしまいます。 それが、カメラ・メーカーの得になるとは到底思えないんですが、そこの所をどう思っているんでしょうねえ。
また、デジカメの場合、最新機種を買っても、一年もしない内に次が出てしまうので、ほとんどの人がカタ落ちを使っている事になり、特定機種の良し悪しについての話題が、成立しなくなってしまいました。 値段が値段ですから、新型が出るたびに買い換えるわけにも行きますまい。
一眼デジカメは、手持ちで使う機械ではなく、三脚必須だと思っているくらいがちょうどいいです。 三脚を使える場所は限られていて、街なかや住宅地は、全域不可。 郊外の農地とか、山の中とか、海辺とか、川岸とか、人が近くにいないような場所でしか堂々と据えられません。 テーマ・パークや景勝地などの観光地ならOKですが、やはり他人には気をつけないと、「おい、おまえ・・・」になります。
最近は、植物園で、「三脚使用不可」という所が出てきました。 花壇の中に三脚の脚を突っ込んで、花をマクロ撮りする奴がいるので、他のお客からクレームがついたんでしょう。 三脚を実際に使ってみると、何かと制約が多過ぎて、撮りたい物の五分の一も撮れない事に気付きます。 三脚使用に制約が多いという事は、自動的に、一眼デジカメにも制約が多いというわけです。
一眼デジカメを買うなとは言いませんが、まずコンパクト・デジカメで出来る事をすべて試してからにしても遅くはありますまい。 そして、一眼まで試した後、両者を比べてみれば、写真の出来にはほとんど差がない事が分かるはずです。 そうなれば、コンパクトの方が断然使い勝手がいいです。
余談の余談ですが、一眼デジカメと交換レンズの組み合わせは、複雑過ぎて、当のメーカーですら、どう説明していいか分からなくなってしまっているようですな。 「このカメラに、このレンズを着けた場合、この機能は使えません」といった注意書きが、ずらりと並んでいると、頭がくらくらしてきます。 どうして、こんなに煩雑にする必要があるのか、必然性が思い当たりません。 合理的思考と、顧客に対する責任感があるなら、一眼デジカメは全廃し、高倍率ズーム機をフラッグ・シップに据えるべきでしょう。
ブログが流行り出した頃は、どこも容量が少なくて、文章中心が多かったんですが、今では、ギガ・クラスのサービスを利用して、写真サイトも顔負けの、膨大な数の写真をアップしているブログもあります。 モニターいっぱいに広がるくらいの大きな写真を、一回に20枚も入れて、それをほぼ毎日更新しても、一・二年は大丈夫というのだから凄い。
いや、今回は、ブログ・サービスの話をしようってんじゃないんですよ。 ブログに大量の写真を出している人達の、写真の腕の方の話です。 ≪質より量≫という言葉がありますが、量が多いと、決まって、質の方は良くないのです。 あ、今までにも、写真に関する記事を何度か書いていて、それらと重複する内容が出て来るかも知れませんが、まあ気にせず、適当に読み流して下さい。
フィルム時代に比べると、写真を撮る人が増えたのは確実です。 昔から好きな人はいたわけで、写真関係のマーケットはもともと大きかったですけど、デジカメ時代の特徴は、写真術を究めようと志したわけではない普通の人でも、≪芸術写真≫を撮るようになったという事ですな。 芸術写真と言うと誤解を招きそうですから、≪作品写真≫とでも言いましょうか。 家族の記念として撮る、≪家族写真≫と区別して、作品として他人に見せる事を前提にして撮る写真の事です。
こういう写真は、フィルム時代には、写真趣味のある人しか撮りませんでした。 それが今は、サイトやブログを持っている人で、作品写真を撮った事がない人など、一人もいますまい。 時代は変わったんですねえ。 なぜ、作品写真を撮る人が増えたかというと、発表する場所が出来たからに外なりません。 フィルム時代には、自分が撮った写真を人様に見てもらおうと思ったら、雑誌のフォト・コンに望み無き投稿を繰り返すか、地元の写真クラブに入って、高い年会費と引き換えに、発表会の展示スペースを確保するしかありませんでした。 ネット時代になり、誰でも発表の場が持てるようになった事は、写真趣味に於ける最大の革新なんですな。
デジカメも、2002年頃までは、メモリー・カードの容量が小さくて、一回の撮影行に、20枚くらいしか撮れず、「これじゃ、フィルムと変わらんな」と思っていたものですが、その後、大容量化したメモリー・カードが価格破壊し、100枚分くらい楽に入る物が千円そこらで手に入るようになると、使い勝手が格段に上がりました。 残りの枚数を気にしなくて良くなったのは、写真趣味に於ける二番目の大革新ではないかと思います。
ところが、あまり急激に条件が改善されると、逆の弊害も出てくるわけですわ。 作品の質が落ちたのです。 ネット時代幕開けの頃、写真サイトを作っていたのは、程度の差はあれ、一度は写真術を究めようと志した事がある、そこそこ腕に覚えがある人達だったのですが、現在、大容量ブログに気軽に写真をアップしまくっているのは、そういう経歴の人達ではないのです。 「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」式に、手当たり次第に撮りまくった写真を、良いも悪いも選り分けず、「せっかく撮ったんだから、全部載せよう」という調子で、片っ端からアップしているのです。
すっごいですよ。 ピンボケ・ブレボケ、当たり前。 水平・垂直、どうでもよい。 頭切れずに顎切れた。 露出は滅茶苦茶。 画面の半分が真っ白く飛んでいても、気にしない。 「夜景を撮ってみました」って、ブレブレで何が写っているか分からない。 手持ちで夜景が撮れるわけねーだろ。 はたまた、どでかい画面に、ちーいさい花が、ちんまり写っていたり、「花なら、何でも綺麗」と思っているのか、萎れて変色した花を撮ったり。 中でも、見ていて一番苦痛なのが、何を撮ろうとしたのか分からない写真でして、中心になる対象が無いのです。 もはや、芸術の冒涜以外の何ものでもない。
この種の問題点ですが、写真の撮り方について書かれた本を一冊読むだけで、八割方は解消します。 本当に基本的な技術を知らない為に、起こっている失敗なんですな。 残りの二割は、プロやハイ・アマチュアが撮った写真をたくさん見る事によって、解決する事が出来ます。 いくら気軽に取れるようになったといっても、写真はやはり芸術ですから、まず審美眼を養わなければ、自分でも良い物が撮れるようにはなりません。 その時まずいのは、下手な人の作品ばかり見て、「ああ、この程度でいいのか」と思い込んでしまうことです。 「これくらいなら、自分にも撮れる」と自信を持つことは大切なんですが、その基準になっている作品のレベルがあまりに低いと、却って有害なのです。
カメラの性能が上がっているので、下手な人でも、偶然うまい写真が撮れる事はあるわけですが、下手の下手たる所以は、うまく撮れた写真と、駄目な写真の判別が出来ない点にあります。 ブログに大量にアップしている写真の中に、しょーもない写真が混じっていて、「失敗写真ですが、ここで撮った物が他に無いので、やむなく載せます」といった、言い訳文がついてない場合、当人に判別眼が無い証拠ですから、その人と写真の話はしない方が良いと思います。 いや、その人が撮った写真も見ない方がよいくらい。 悪い手本ほど、上達の足を引っ張る要素もありません。
なにが凄いって、マクロ・モードのまま風景を撮ってしまったとか、その逆とか、誰がどう見てもボケボケなのに、それを平気でアップする神経ですな。 これは、もはや、基礎技術がどうのこうのといった次元の問題ではなく、その人物の性格に重大な欠陥があると見るべきでしょう。 ボケ写真を見せて、誰にどんな感動を与えようというのか、一度、腹を割って訊いてみたいものです。 返答次第によっては、腹を切ってもらっても宜しい。 介錯仕る。
わざとボカした写真が好きで、そんな作品ばかり出している人もいます。 確かに、高齢の女性を撮る時に、皺やシミが目立たないように、ボカす事はありますが、それはポートレートの話です。 風景でボカしを入れられると、見ている方が恥かしくなります。 プロの作品に先例が無いわけではありませんが、いわゆる、古い技法なんですな。
あと、モノクロばかり並べている人。 モノクロ写真は、独特の雰囲気になりますが、はっきり言って、今モノクロ写真を作品としてネットに出している人達は、腕が悪いのをごまかす為の技法として使っています。 この人達、判別眼はあり、自分の撮った写真が良くない事はわかるのです。 それをある時、モノクロに変換してみたら、「おやおや、面白い雰囲気になった!」というので、それ以降、モノクロに嵌まってしまったわけですな。 何の感興も湧かないようなカラー写真でも、モノクロにすると、それなりに作品らしく見えるようになるからです。 だけど、それは、結局ごまかしですぜ。 そっちへ行ってはいかんなあ。 せっかく、判別眼があるのだから、カラーで良い写真が撮れるように、努力を重ねるべきでしょう。
少し、レベルの高い話になりますが、実を言うと、ハイ・アマチュアの作品も、あまり持ち上げない方がいいです。 彼らは、プロの写真と見分けがつかないくらい高度な作品を撮りますが、なぜプロになれないのかというと、模倣の域から出ていないからです。 プロになるには、単にレベルの高い写真が撮れるだけでなく、その人にしか撮れない写真が撮れなければなりませんが、その独自性が欠けているわけですな。 ハイ・アマの中には、時折、報酬を貰って写真を売っている人がおり、こういう人達は、セミ・プロというカテゴリーになります。 写真で収入を得ているわけではないけれど、人様がお金を出して作品を買ってくれる、特別なレベルなわけです。 この人達の作品なら、手本にする価値があります。
ネットを見ていると、「ハイ・アマの先生に弟子入りした」などと書いている人が、稀にいます。 本来は、作品を見て手本とすべきなんですが、「手っ取り早く、当人に教わってしまえ」というわけなんでしょう。 そして、そのハイ・アマの先生が教えてくれた撮影スポットへ行って、全く同じような写真を撮っているのです。 だけどねえ、芸術活動はそういうものじゃないと思いますよ。 模倣から始めるのはいいですけど、模倣で完成してしまうのはよろしくない。 それはあくまで模倣技術に過ぎません。 基本だけ習ったら、他人の作風を真似るのはやめて、自分の独自の世界を探求して行った方がいいでしょう。
それにつけても、一日に20枚も、何が何だか分からん写真をアップされると、見る方には拷問ですな。 ブログの写真は、大抵、サムネイルで表示されているので、クリックして原寸大を確認せねばならんのが面倒臭いだけに、わざわざ拡大したのがクズ写真だと頭に来ます。 なめとんのか、われ。
貶してばかりもいるのも何なので、感心したブログについても触れておきましょうか。 目的意識があって写真を撮っている人は、うまい下手に関わりなく、作品に好感が持てます。 たとえば、いろいろな花の種類を撮り集めている人とか。 植物図鑑に近いようなブログを目指しているらしく、極力、標準的な外観の花を、分かり易く撮ろうとする為、破綻が少なく、結果的に良い写真になります。
屋内で、ブツ撮りをする人も、かなりいい写真を撮ります。 部屋の中での撮影は、ライティングが難しいんですが、他人の目を意識せずに済む分、カッコよりも、実用的な工夫の方にエネルギーが回るのか、「へえ~っ!」と驚くような、精緻な写真を撮っています。 風景ばかりが写真じゃないんですな。 おそらく、布や紙を使って、ミニ・スタジオを構築しているものと思われますが、やる人はやるんですねえ。 感服仕る。
ところで、写真を撮り始めて間も無い人で、近所の児童公園などに出かけていって、他人の子供を撮っている人がいますが、そんな事していて、手が後ろに回っても知りませんぜ。 聞いた事くらいはあると思いますが、この世の中には、≪肖像権≫というものがありまして、他人を許可無く撮影すると、それを侵害してしまうケースがあります。 堂々とやっていても、盗撮と同じ扱いを受けかねません。 フォト・コンやハイ・アマの作品などで、人物を撮った写真が出ている場合、大概は、家族・親戚・友人など、撮ってもいい相手を撮っているのであって、勝手に撮影した他人ではないので、ご注意あれ。 だからねー、人間ていうのはなかなか撮る機会が無いのよ。
観光地へ行けば、他人が入った写真を無許可で撮れますが、それとて、後姿や点景人物として撮るのがギリギリのラインでして、相手がこちらに気付いたら、ちょっと不穏な話になります。 カメラの方を見ている大人の男などがいたら、要注意であって、一旦カメラから体を離して、そやつが視線を逸らすのを待つか、もっと切迫している場合は、撮影を諦めて、慌てず騒がず、熊から逃げる時の要領で、静かにトンヅラした方が無難。 「おい、おまえ、何を撮ってる?」と寄ってきたら、もうアウトですな。 昔だったら、「フィルムを出せ!」でしたが、今は、「メモリー・カードを出せ!」となりますから、えらい損害になります。 カードなんぞ、パキッと割るくらいわけはない。 明らかに器物損壊ですが、警察を呼んで裁判沙汰など起こしても、こちらにも盗撮の容疑がありますから、さっぱりするような解決にはならんでしょう。 とにかく、悶着は避けるのが一番です。
写真の話なので、ついでに書きますが、最近、ソニーの一眼レフのCMで、岡田准一さんが手持ち撮影をしている映像が流れています。 モニターの機能を説明する為に、ああいう使い方を見せているわけですが、実際には、一眼レフをあんな風に使うのはナンセンスなので、騙されてホイホイ買わないように。 安いものじゃないんだから。
一眼レフをロー・アマが買う場合、大抵リーズナブルなレンズ・キットを選びますが、レンズ・キットのレンズは、ほとんどズーム・レンズなので、カメラ本体と合わせると、1キロ近い重さになります。 そんな物を片手で持っていたら、腱鞘炎になってしまいます。 CMをよくよく見れば、岡田さんの手が微妙に震えているのが分かりますが、重いのだから当然です。
また、CMの舞台が、住宅地の中のような場所ですが、そんな所で一眼レフなんぞ持って撮影していたら、近所の人がどう思うか、ちいっと想像してみれば分かろうというものです。 コンパクト・デジカメどころか、カメラ付き携帯ですら、ヒヤヒヤするロケーションではありませんか。 あのCMを企画した連中、写真を撮りに行った事が全く無いのではありますまいか。
もう、何度も何度も書いているんですが、一眼デジカメという機械は、ロー・アマでは使いこなせませんから、買っても無意味です。 ロー・アマが一眼デジカメで撮れる写真は、コンパクト・デジカメですべて撮れるばかりでなく、軽くて小さい分、コンパクト・デジカメの方が、ブレの少ない良い写真が撮れます。
メーカーもメーカーですな。 合わないと分かっていて、知らぬ顔で売っているわけですが、先々の信用を考えず、目先の利益に囚われているとしか思えません。 背伸びして一眼デジカメを買っても、重い器材を持ち歩くのは大変ですから、だんだん出不精になって、その内、写真趣味そのものが嫌いになってしまいます。 それが、カメラ・メーカーの得になるとは到底思えないんですが、そこの所をどう思っているんでしょうねえ。
また、デジカメの場合、最新機種を買っても、一年もしない内に次が出てしまうので、ほとんどの人がカタ落ちを使っている事になり、特定機種の良し悪しについての話題が、成立しなくなってしまいました。 値段が値段ですから、新型が出るたびに買い換えるわけにも行きますまい。
一眼デジカメは、手持ちで使う機械ではなく、三脚必須だと思っているくらいがちょうどいいです。 三脚を使える場所は限られていて、街なかや住宅地は、全域不可。 郊外の農地とか、山の中とか、海辺とか、川岸とか、人が近くにいないような場所でしか堂々と据えられません。 テーマ・パークや景勝地などの観光地ならOKですが、やはり他人には気をつけないと、「おい、おまえ・・・」になります。
最近は、植物園で、「三脚使用不可」という所が出てきました。 花壇の中に三脚の脚を突っ込んで、花をマクロ撮りする奴がいるので、他のお客からクレームがついたんでしょう。 三脚を実際に使ってみると、何かと制約が多過ぎて、撮りたい物の五分の一も撮れない事に気付きます。 三脚使用に制約が多いという事は、自動的に、一眼デジカメにも制約が多いというわけです。
一眼デジカメを買うなとは言いませんが、まずコンパクト・デジカメで出来る事をすべて試してからにしても遅くはありますまい。 そして、一眼まで試した後、両者を比べてみれば、写真の出来にはほとんど差がない事が分かるはずです。 そうなれば、コンパクトの方が断然使い勝手がいいです。
余談の余談ですが、一眼デジカメと交換レンズの組み合わせは、複雑過ぎて、当のメーカーですら、どう説明していいか分からなくなってしまっているようですな。 「このカメラに、このレンズを着けた場合、この機能は使えません」といった注意書きが、ずらりと並んでいると、頭がくらくらしてきます。 どうして、こんなに煩雑にする必要があるのか、必然性が思い当たりません。 合理的思考と、顧客に対する責任感があるなら、一眼デジカメは全廃し、高倍率ズーム機をフラッグ・シップに据えるべきでしょう。