震災中の風景
自動車関連の会社に勤めているので、震災以来、ほとんど休み。 出勤したのは、一日半だけです。 まあ、私としては、仕事人間の対極にいるような勤労意識の持ち主なので、一向に構わないんですが、毎日、だらだらと時間が過ぎて、メリハリが無いのが、問題と言えば問題です。
忌々しい事に、東京電力の管内に住んでいるので、計画停電は、今までに4回経験しました。 富士川以西の人には分からないと思うので、ちょっと書きますと、「○時○分から、○時○分まで」と決められていても、時間通りに始まる事は、まずありません。 というか、今までのところ、一回もありませんでした。 大抵は、7時とか、1時とか、切りのいい時刻に、突然、「ブツッ!」と切れます。 これが、困るんだわ。
「予告された時間に始まらないのなら、暫くの間、電気が使えるんだから、ありがたい事じゃないか。 文句は無いだろう」
というような事を言う人がいますが、それは、計画停電区域外に住んでいる人間の、無知から来る思い違いです。 予告したら、予告した時間に切れてくれないと、却って困るのです。 厳密に、何時何分から切れるという事が分からないのが、一番困る。
人間というのは、一日分と言わず、一時間分と言わず、一分分と言わず、常に先々の計画を立てて暮らしているのであって、時間通りに停電が起こらないと、その計画が全て狂ってしまいます。 たとえば、「夜の6時20分から停電」と予告されていたのが、6時20分になっても切れないと、「おお、切れないじゃないか。 それじゃあ、もう暫く、テレビを見よう」と、居間に残っています。 ところが、それが、7時になると、「ブツッ!」と切れる。 いきなり、真っ暗です。 困るんですよ、そういうのが。
「じゃあ、予告通り、6時20分から停電した事にして、実際には電気が来ていても、真っ暗生活をしていればいじゃないか」
それそれ! そういう指摘こそが、計画停電区域外に住んでいる人の、≪他人事的感覚≫なのです。 実際には電気が来ているのに、使わないで、真っ暗生活をする人間なんて、いやしませんよ。 自分の所もやられてみれば、すぐに分かります。
正に、≪計画停電≫とは名ばかりで、≪無計画停電≫としか言いようがないのですが、なんで、東電が、予告通りに停電開始しないかというと、二通りの理由が考えられます。 一つは、
「利用者の皆様に、極力、停電の御不便をおかけしないように、需給状況をこまめに予測して、開始時間をギリギリまで調整させていただいております」
というもの。 これは、良心的な見方ですな。 しかし、それでなくても、原発でアップアップの東電が、そんな細かい配慮をするとは思えないような気もします。 で、もう一つの可能性は、
「それでなくても、原発で大減収になるのに、これ以上、利益が減ってはたまらん。 一円でも多く、利用者から料金を取れるように、停電時間は、必要最小限ギリギリにしろ」
うーむ、いかにも、切羽詰った会社らしい考え方だ。 大方、こちらの方が正解ではないでしょうか。 そう思うと、東電の懐事情に振り回されているわけで、ますます、ムカムカして来ます。 どうせ、突然、「ブツッ!」と行くなら、いっそ、計画停電なんぞやめて、突発大停電の方が小気味いいとすら思えます。
ちなみに、会社の同僚の話によると、富士川以西では、停電はもちろん、節電もまるで関係なく、「ごくふつーに」 暮らしているそうで、思わず、「せめて、静岡県東部だけでも、中部電力に入れて貰えんかの~」 と、涎が垂れるところ。 それを聞いていた横須賀出身の人が、「それなら、神奈川県も、中部電力に入れて下さいよ~」 と縋って来ましたが、「いやあ、神奈川は、どう考えても、≪中部≫とは言えないでしょう」 と、静岡県民に拒絶されていました。
まだまだあります、計画停電の問題点。 最初、第1から第5までの5グループに分かれていたのが、更に各グループを5分割して、25グループになりました。 これが困るんだわ。 その日に停電があるかどうかは、前日の夜や、その日の昼に発表されるので、そのつど、テレビを見ていなければならないのですが、細分化されていると、自分のグループが表示されるまで、テレビを見続けていなければなりません。 あの時間の無駄な事、無為な事!
5グループの時でさえ、イライラしていましたが、事もあろうに、それを25グループに増やすとは、正気の沙汰とも思えません。 もしかしたら、東電の奴らって、自分の所は停電させてないんじゃないの? というか、停電していても、社内情報で公表前に時間が分かるから、不便していないのでしょう。 まったく、腹が立つったら、ありゃしない。 ほんっとに、電気とはおさらばして、≪オール・ガスの家≫にリフォームしようかしら。 そういや、往年の名作少女漫画、≪パタリロ≫に、「ガス・テレビ」というのが出て来ましたな。 原理は分からんが。
ちょっと、話が変わりますが、我が家では、震災直後に、地震とは全く関係ない事情で、洗面台の排水口が壊れてしまいました。 すぐに、業者の人に来て貰ったんですが、古い洗面台なので、修理できないとの事。 やむなく、新しい洗面台を注文する事になったのですが、契約書に判までついたにも拘わらず、一週間後に、業者の方から、契約の一時停止を通告して来ました。 商品が無いというのです。 どうやら、北関東や東北に工場があったらしく、四つくらいあるメーカーが、全て駄目。 当面、入荷する見込みが無いのだとか。
これにも参りました。 今は、応急修理だけして貰って使っていますが、水漏れ対策に、配管の下にバケツを置いている有様。 やれやれ。 それでも、被災地に比べれば、贅沢な悩みである事は疑いないですけど・・・。 静岡県東部人の感覚だと、「工業製品は、ほとんど、西の方からやって来る」という、≪上方信仰≫があるのですが、関東以北で作っている物も、結構あるんですねえ。
またまた、話が変わりますが、えらい事になっていますねえ、福島第一原発。 ズブドロ泥沼という感じ。
外部電源が引き込まれて、中央制御室に照明が点いた時には、テレビも新聞も、「これで、復旧する!」と、まるで、全て解決したかのような喜び方をしていました。 しかし、私は、無数にある障壁の一つを越えただけで、解決には程遠いと思っていました。 案の定、その後、次から次へと、新しい問題が発生しています。
なんで、マスコミが、照明の点灯だけで、あんなに喜んでいたのか、とことん、とんと解せません。 技術関連の常識が全然無いんでしょうか? 「あとは、冷却系統を復帰させるだけ」などと、さながら、自宅に帰って、部屋の電器を点けるようなノリで、お気楽に笑っていましたが、冷却系統が損傷していないと信じ込んでいる、その頭の構造が分からん。 建屋の外観だけ見ても、あれだけメチャメチャに壊れているのに、格納容器や配管が全く無事など、考えられないではありませんか。 爆発の破壊力をなめているんじゃないの?
汚染された水を入れるために、いくつかあるタンクの水を、玉突き式に隣へ引越しさせる計画を立てているとか。 いやはや、そんな事を始めるようでは、いよいよ、追い詰められていますな。 で、一番最後のタンクが一杯になったら、次は、どこへ移すのよ? 一方で新しい水を続々と原子炉に送り込み続けているのだから、そこから新たな汚染水が続々と漏れて来るわけで、いくつタンクがあっても、足りますまい。
現場で指揮を執っている連中も、そんな事は分かっていると思いますが、それでも、そんな先が見えている手段しか取れないのでしょう。 正に、≪場当たり的対応≫の典型事例。 学者が、「タンカーを持って来て、一時的に、その中に溜めろ」とか言ってますが、そのタンカーが一杯になったら、どうするんですかね? 伝説の、出来損ない原子力船、≪むつ≫みたいに、あっちへやったり、こっちへやったり、港を盥回しにするんですか? いっそ、イスカンダルに旅立たせて、≪放射能除去装置≫を取って来させては如何か?
ある原子力専門の学者が、笑いながら、さらっと、「水を移しかえるなんていうのは、原子力工学の領分じゃないですよ。 その分野の専門家に任せるべきでしょう」と言っていました。 なーに、言ってんですか! 放射性物質に汚染された水だから、問題になってんでしょうが。 ただの水なら、何のためらいも無く、そのまま海へ捨てているよ。 原子力工学は、原発の安全管理技術も含んでいるんだから、放射性物質に汚染された水が大量に出てしまった場合の対処法も研究しておくのが、当然じゃないのかね? 無責任極まりない!
迂闊にも、ここ数日で気付いた事なんですが、ニュース番組の解説に出て来る原子力関連の学者というのは、基本的に、原発推進派、もしくは、容認派なんですな。 反対派なら、うるさいくらいに、はっきりと原発批判をするはずですから、すぐ分かると思うのです。 つまり、客観的に解説をしている人でさえ、少なくとも、容認派なわけです。 大学というのは、金になる学問しかやらないわけですが、原発を作る方の研究は金になるのに対し、反対するための研究なんて一円にもなりませんから、そもそも、反対派の学者なんて、この世に存在し得ないのかも知れません。
で、この、最低限容認派の学者達ですが、いよいよ対策が行き詰ってくると、自分にも批判の矛先が向いてくるのを恐れて、責任逃れを始めると思うのです。 テレビに出て来なくなる人も、いるかもしれませんな。 最悪の事態、たとえば、原発の半径20キロ圏内が、半永久的に居住不能になってしまうとか、再臨界で、≪チャイナ・シンドローム≫ならぬ、≪ブラジル・シンドローム≫になるとか、そういう事態に至った時に備えて、学者達の名前と顔を、よーく覚えておくべきでしょう。 おっと、顔を覚えても、石なんか投げてはいけませんよ。 怪我をさせたら犯罪になってしまいますから。 ここは一つ、放射能に汚染された野菜を投げつけてやるべきでしょう。
そういえば、原発の地元自治体で、圏外避難している人達に対し、地震・津波の被災者に対するのと、ほとんど変わらない同情の声が集まっていますが、よくよく考えてみると、この人達の半数以上は、原発推進派か容認派だったわけです。 事故が起こる前までは、「原発は絶対に安全だ」と言って、反対派の事を、「地元経済の敵」だの、「ヒステリー」だの、「キチガイ」だのと、扱き下ろしていた人達なんですな。
どーしたもんかねー。 少なくとも、同情の余地は無いねえ。 自業自得ですから。 いくらでも、苦労してください。 というか、「絶対に安全」と言っていたんだから、自宅に戻って貰ったらいいんじゃないの? 絶対安全なのに、なんで、避難したんだろう?
問題は、誰が推進・容認派で、誰が反対派だったのか、外見では区別がつかない事です。 たぶん、推進・容認派の連中は、少しずつ、≪転向≫の根回しをしていると思うんですよ。 最初の内、
「さすがの原発も、想定外の津波じゃ、敵わないよなあ」
「東電の職員は、命がけで働いていると思うよ」
と言っていたのが、事態が悪化するにつれ、
「いやあ、まさか、こんな事になるとは思わなかった」
「東電には、すっかり騙された」
に変わっていくと思うのです。 こういうのを、≪保身≫と言います。 戦後も、こういう卑怯者がうじゃうじゃいたそうです。 まったく、人間は醜い。 人間に比べたら、今まさに仔鹿を食い殺しているライオンですら、まだ清らかに感じられます。
しかし、物事には、必ず、終わりがあります。 この原発事故にも、きっと、終息する時が来ると思います。 気が遠くなるほど、膨大な数の、≪場当たり的対策≫を積み重ねて行けば、どうにかこうにか、安定的に核燃料を冷却できる状態に漕ぎ付けられる可能性はあります。
事態はもはや、日本だけでは、手に負えないかもしれませんが、アメリカに泣きついても、向こうも経験が無いから、手の貸しようがないでしょう。 東電が、フランスの原子力関連企業に技術支援を要請したらしいですが、フランスでは過去に、こんな大規模な事故が起こっていないので、対策ノウハウなど、持っていないのではないでしょうか。 しかし、事によったら、日本人では思いつかないような方法を提案してくれるかもしれないので、世界中の学者に声を掛けてみる価値はあります。
ここまで汚染範囲が広がってしまうと、参考になるのは、スリーマイル島より、チェルノブイリの方です。 ≪石棺≫に倣って、1号炉から4号炉までをすっぽり覆う巨大なプールを作り、水を満たして、核燃料が冷えるのを待つのが、一番確実な対策ではないかと思います。 スマートに解決しようとすればするほど、土壷に嵌っていく恐れあり。 現実的に考えて、高濃度の放射線を避けながら、どれだけ壊れているか分からない原子炉本来の冷却設備を復旧させるのは、困難の極みでしょう。
だけどねー、日本人に限って、チェルノブイリの対策を参考にしないんじゃないかと思うんですよ。 学者達が、未だに、繰り返し言っているでしょう。 「チェルノブイリの事故とは、本質的に違うんだ」と。 頭の中が、そこで停まってしまっているんですな。 「あんなにひどい事故ではないんだ」と、それを強調したいばかりに、思考停止を起こしているのです。 このままで行けば、チェルノブイリ以上の事故にならないとも限らないというのに。
忌々しい事に、東京電力の管内に住んでいるので、計画停電は、今までに4回経験しました。 富士川以西の人には分からないと思うので、ちょっと書きますと、「○時○分から、○時○分まで」と決められていても、時間通りに始まる事は、まずありません。 というか、今までのところ、一回もありませんでした。 大抵は、7時とか、1時とか、切りのいい時刻に、突然、「ブツッ!」と切れます。 これが、困るんだわ。
「予告された時間に始まらないのなら、暫くの間、電気が使えるんだから、ありがたい事じゃないか。 文句は無いだろう」
というような事を言う人がいますが、それは、計画停電区域外に住んでいる人間の、無知から来る思い違いです。 予告したら、予告した時間に切れてくれないと、却って困るのです。 厳密に、何時何分から切れるという事が分からないのが、一番困る。
人間というのは、一日分と言わず、一時間分と言わず、一分分と言わず、常に先々の計画を立てて暮らしているのであって、時間通りに停電が起こらないと、その計画が全て狂ってしまいます。 たとえば、「夜の6時20分から停電」と予告されていたのが、6時20分になっても切れないと、「おお、切れないじゃないか。 それじゃあ、もう暫く、テレビを見よう」と、居間に残っています。 ところが、それが、7時になると、「ブツッ!」と切れる。 いきなり、真っ暗です。 困るんですよ、そういうのが。
「じゃあ、予告通り、6時20分から停電した事にして、実際には電気が来ていても、真っ暗生活をしていればいじゃないか」
それそれ! そういう指摘こそが、計画停電区域外に住んでいる人の、≪他人事的感覚≫なのです。 実際には電気が来ているのに、使わないで、真っ暗生活をする人間なんて、いやしませんよ。 自分の所もやられてみれば、すぐに分かります。
正に、≪計画停電≫とは名ばかりで、≪無計画停電≫としか言いようがないのですが、なんで、東電が、予告通りに停電開始しないかというと、二通りの理由が考えられます。 一つは、
「利用者の皆様に、極力、停電の御不便をおかけしないように、需給状況をこまめに予測して、開始時間をギリギリまで調整させていただいております」
というもの。 これは、良心的な見方ですな。 しかし、それでなくても、原発でアップアップの東電が、そんな細かい配慮をするとは思えないような気もします。 で、もう一つの可能性は、
「それでなくても、原発で大減収になるのに、これ以上、利益が減ってはたまらん。 一円でも多く、利用者から料金を取れるように、停電時間は、必要最小限ギリギリにしろ」
うーむ、いかにも、切羽詰った会社らしい考え方だ。 大方、こちらの方が正解ではないでしょうか。 そう思うと、東電の懐事情に振り回されているわけで、ますます、ムカムカして来ます。 どうせ、突然、「ブツッ!」と行くなら、いっそ、計画停電なんぞやめて、突発大停電の方が小気味いいとすら思えます。
ちなみに、会社の同僚の話によると、富士川以西では、停電はもちろん、節電もまるで関係なく、「ごくふつーに」 暮らしているそうで、思わず、「せめて、静岡県東部だけでも、中部電力に入れて貰えんかの~」 と、涎が垂れるところ。 それを聞いていた横須賀出身の人が、「それなら、神奈川県も、中部電力に入れて下さいよ~」 と縋って来ましたが、「いやあ、神奈川は、どう考えても、≪中部≫とは言えないでしょう」 と、静岡県民に拒絶されていました。
まだまだあります、計画停電の問題点。 最初、第1から第5までの5グループに分かれていたのが、更に各グループを5分割して、25グループになりました。 これが困るんだわ。 その日に停電があるかどうかは、前日の夜や、その日の昼に発表されるので、そのつど、テレビを見ていなければならないのですが、細分化されていると、自分のグループが表示されるまで、テレビを見続けていなければなりません。 あの時間の無駄な事、無為な事!
5グループの時でさえ、イライラしていましたが、事もあろうに、それを25グループに増やすとは、正気の沙汰とも思えません。 もしかしたら、東電の奴らって、自分の所は停電させてないんじゃないの? というか、停電していても、社内情報で公表前に時間が分かるから、不便していないのでしょう。 まったく、腹が立つったら、ありゃしない。 ほんっとに、電気とはおさらばして、≪オール・ガスの家≫にリフォームしようかしら。 そういや、往年の名作少女漫画、≪パタリロ≫に、「ガス・テレビ」というのが出て来ましたな。 原理は分からんが。
ちょっと、話が変わりますが、我が家では、震災直後に、地震とは全く関係ない事情で、洗面台の排水口が壊れてしまいました。 すぐに、業者の人に来て貰ったんですが、古い洗面台なので、修理できないとの事。 やむなく、新しい洗面台を注文する事になったのですが、契約書に判までついたにも拘わらず、一週間後に、業者の方から、契約の一時停止を通告して来ました。 商品が無いというのです。 どうやら、北関東や東北に工場があったらしく、四つくらいあるメーカーが、全て駄目。 当面、入荷する見込みが無いのだとか。
これにも参りました。 今は、応急修理だけして貰って使っていますが、水漏れ対策に、配管の下にバケツを置いている有様。 やれやれ。 それでも、被災地に比べれば、贅沢な悩みである事は疑いないですけど・・・。 静岡県東部人の感覚だと、「工業製品は、ほとんど、西の方からやって来る」という、≪上方信仰≫があるのですが、関東以北で作っている物も、結構あるんですねえ。
またまた、話が変わりますが、えらい事になっていますねえ、福島第一原発。 ズブドロ泥沼という感じ。
外部電源が引き込まれて、中央制御室に照明が点いた時には、テレビも新聞も、「これで、復旧する!」と、まるで、全て解決したかのような喜び方をしていました。 しかし、私は、無数にある障壁の一つを越えただけで、解決には程遠いと思っていました。 案の定、その後、次から次へと、新しい問題が発生しています。
なんで、マスコミが、照明の点灯だけで、あんなに喜んでいたのか、とことん、とんと解せません。 技術関連の常識が全然無いんでしょうか? 「あとは、冷却系統を復帰させるだけ」などと、さながら、自宅に帰って、部屋の電器を点けるようなノリで、お気楽に笑っていましたが、冷却系統が損傷していないと信じ込んでいる、その頭の構造が分からん。 建屋の外観だけ見ても、あれだけメチャメチャに壊れているのに、格納容器や配管が全く無事など、考えられないではありませんか。 爆発の破壊力をなめているんじゃないの?
汚染された水を入れるために、いくつかあるタンクの水を、玉突き式に隣へ引越しさせる計画を立てているとか。 いやはや、そんな事を始めるようでは、いよいよ、追い詰められていますな。 で、一番最後のタンクが一杯になったら、次は、どこへ移すのよ? 一方で新しい水を続々と原子炉に送り込み続けているのだから、そこから新たな汚染水が続々と漏れて来るわけで、いくつタンクがあっても、足りますまい。
現場で指揮を執っている連中も、そんな事は分かっていると思いますが、それでも、そんな先が見えている手段しか取れないのでしょう。 正に、≪場当たり的対応≫の典型事例。 学者が、「タンカーを持って来て、一時的に、その中に溜めろ」とか言ってますが、そのタンカーが一杯になったら、どうするんですかね? 伝説の、出来損ない原子力船、≪むつ≫みたいに、あっちへやったり、こっちへやったり、港を盥回しにするんですか? いっそ、イスカンダルに旅立たせて、≪放射能除去装置≫を取って来させては如何か?
ある原子力専門の学者が、笑いながら、さらっと、「水を移しかえるなんていうのは、原子力工学の領分じゃないですよ。 その分野の専門家に任せるべきでしょう」と言っていました。 なーに、言ってんですか! 放射性物質に汚染された水だから、問題になってんでしょうが。 ただの水なら、何のためらいも無く、そのまま海へ捨てているよ。 原子力工学は、原発の安全管理技術も含んでいるんだから、放射性物質に汚染された水が大量に出てしまった場合の対処法も研究しておくのが、当然じゃないのかね? 無責任極まりない!
迂闊にも、ここ数日で気付いた事なんですが、ニュース番組の解説に出て来る原子力関連の学者というのは、基本的に、原発推進派、もしくは、容認派なんですな。 反対派なら、うるさいくらいに、はっきりと原発批判をするはずですから、すぐ分かると思うのです。 つまり、客観的に解説をしている人でさえ、少なくとも、容認派なわけです。 大学というのは、金になる学問しかやらないわけですが、原発を作る方の研究は金になるのに対し、反対するための研究なんて一円にもなりませんから、そもそも、反対派の学者なんて、この世に存在し得ないのかも知れません。
で、この、最低限容認派の学者達ですが、いよいよ対策が行き詰ってくると、自分にも批判の矛先が向いてくるのを恐れて、責任逃れを始めると思うのです。 テレビに出て来なくなる人も、いるかもしれませんな。 最悪の事態、たとえば、原発の半径20キロ圏内が、半永久的に居住不能になってしまうとか、再臨界で、≪チャイナ・シンドローム≫ならぬ、≪ブラジル・シンドローム≫になるとか、そういう事態に至った時に備えて、学者達の名前と顔を、よーく覚えておくべきでしょう。 おっと、顔を覚えても、石なんか投げてはいけませんよ。 怪我をさせたら犯罪になってしまいますから。 ここは一つ、放射能に汚染された野菜を投げつけてやるべきでしょう。
そういえば、原発の地元自治体で、圏外避難している人達に対し、地震・津波の被災者に対するのと、ほとんど変わらない同情の声が集まっていますが、よくよく考えてみると、この人達の半数以上は、原発推進派か容認派だったわけです。 事故が起こる前までは、「原発は絶対に安全だ」と言って、反対派の事を、「地元経済の敵」だの、「ヒステリー」だの、「キチガイ」だのと、扱き下ろしていた人達なんですな。
どーしたもんかねー。 少なくとも、同情の余地は無いねえ。 自業自得ですから。 いくらでも、苦労してください。 というか、「絶対に安全」と言っていたんだから、自宅に戻って貰ったらいいんじゃないの? 絶対安全なのに、なんで、避難したんだろう?
問題は、誰が推進・容認派で、誰が反対派だったのか、外見では区別がつかない事です。 たぶん、推進・容認派の連中は、少しずつ、≪転向≫の根回しをしていると思うんですよ。 最初の内、
「さすがの原発も、想定外の津波じゃ、敵わないよなあ」
「東電の職員は、命がけで働いていると思うよ」
と言っていたのが、事態が悪化するにつれ、
「いやあ、まさか、こんな事になるとは思わなかった」
「東電には、すっかり騙された」
に変わっていくと思うのです。 こういうのを、≪保身≫と言います。 戦後も、こういう卑怯者がうじゃうじゃいたそうです。 まったく、人間は醜い。 人間に比べたら、今まさに仔鹿を食い殺しているライオンですら、まだ清らかに感じられます。
しかし、物事には、必ず、終わりがあります。 この原発事故にも、きっと、終息する時が来ると思います。 気が遠くなるほど、膨大な数の、≪場当たり的対策≫を積み重ねて行けば、どうにかこうにか、安定的に核燃料を冷却できる状態に漕ぎ付けられる可能性はあります。
事態はもはや、日本だけでは、手に負えないかもしれませんが、アメリカに泣きついても、向こうも経験が無いから、手の貸しようがないでしょう。 東電が、フランスの原子力関連企業に技術支援を要請したらしいですが、フランスでは過去に、こんな大規模な事故が起こっていないので、対策ノウハウなど、持っていないのではないでしょうか。 しかし、事によったら、日本人では思いつかないような方法を提案してくれるかもしれないので、世界中の学者に声を掛けてみる価値はあります。
ここまで汚染範囲が広がってしまうと、参考になるのは、スリーマイル島より、チェルノブイリの方です。 ≪石棺≫に倣って、1号炉から4号炉までをすっぽり覆う巨大なプールを作り、水を満たして、核燃料が冷えるのを待つのが、一番確実な対策ではないかと思います。 スマートに解決しようとすればするほど、土壷に嵌っていく恐れあり。 現実的に考えて、高濃度の放射線を避けながら、どれだけ壊れているか分からない原子炉本来の冷却設備を復旧させるのは、困難の極みでしょう。
だけどねー、日本人に限って、チェルノブイリの対策を参考にしないんじゃないかと思うんですよ。 学者達が、未だに、繰り返し言っているでしょう。 「チェルノブイリの事故とは、本質的に違うんだ」と。 頭の中が、そこで停まってしまっているんですな。 「あんなにひどい事故ではないんだ」と、それを強調したいばかりに、思考停止を起こしているのです。 このままで行けば、チェルノブイリ以上の事故にならないとも限らないというのに。