韓ドラ・ショック
なんでも、フジ・テレビの番組に、韓国ドラマが多すぎると言って、デモを繰り返している連中がいるとか。
「わはは! わはははは!」
いや、何が面白いかと言うと、この連中が、当人達の思惑とは裏腹に、日本のドラマが、韓国ドラマに完敗している事を、身を以て、証明してしまっているからです。 ドラマという文化の問題を、デモという政治的な手段でどうにかしようとしている、その姿が、滑稽な上にも憐れ。 恥の上塗りとは、正にこの事でしょう。
なんで、フジだけが標的になっているか、奇妙だと感じる向きもあるでしょうが、その理由は簡単に想像できます。 フジといえば、フジ・サンケイ・グループで、政治的には、保守的な主張をして来たメディアです。 当然、民族主義者や国家主義者の、お気に入り放送局になっていたわけですな。 そこが、他局以上に、大量の韓国ドラマを放送するようになったものだから、「フジだけは違うと思っていたのに、韓ドラ依存度が、最も高いとはどういう事だ! この、裏切り者めが!」と、ブチ切れてしまったのでしょう。
しかし、≪フジ=保守的≫というのは、国家主義者や民族主義者の勝手な思い込みです。 ニュースなど、報道番組こそ、保守的ですが、それ以外の番組を見れば、全ての放送局の中で最も明確に、既成の枠に囚われない事を身上にしているのが分かります。 日本の民放番組の発展は、常にフジが一歩先に踏み出し、それを他局が追い掛ける形で進んで来たといっても、過言ではありません。
つまり、フジに於いては、報道番組と、それ以外の番組が、全く異なるスタンスで作られているんですな。 報道番組が保守的だからといって、他の番組も保守的なはずだと思い込んでしまった方が悪いのです。 ドラマは、報道とは全く関係ないので、視聴率が取れる方向へ進むのは、経済原則に適っており、フジが責められる理由は、微塵もありません。
よく分からないのは、デモ隊の言い分の中に、「視聴者は、日本の伝統的番組を見たがっている」という主張がある事です。 え? なに? 「日本の伝統的番組」って? そんなのあったかいのう? まさか、時代劇の事ではありますまい。 いくら、保守派だからって、デモをやっている年代の奴らが、日本の時代劇を見たがっているとは、とても思えません。 だって、面白くないものねえ。
ちょっと、脱線しますが、TBSが、≪水戸黄門≫を打ち切ると発表してから、継続を求める嘆願があちこちで出されているとか。 ≪水戸黄門≫が終わってしまえば、民放の連続時代劇が全滅するわけで、他の時代劇が終わって来たのとは、別の意味合いがあり、恐怖心に囚われる気持ちはよく分かります。 しかし、視聴率が低迷しているのに、TBSにのみ、負担の継続を強いるのは、それはそれで、問題だと思います。
民放で時代劇が全滅しても、NHKは作り続けるでしょうが、NHKの時代劇は、何だかピントがズレていて、時代劇っぽくないんですわ。 大河ドラマは、時代劇ではなく、歴史劇ですが、習慣で見ている人が多いため、視聴率こそ高いものの、内容的には、スカです。 特に、今年の、≪江≫など、全く見るに値しないひどい出来だと思うのですが、視聴率だけは取っているから、奇っ怪至極。
そもそも、大河ドラマは、信長・秀吉・家康の時代が多過ぎる。 何十回、同じ時代を取り上げれば気が済むのか、プロデューサーの気が知れません。 戦国末でなきゃ、幕末。 時々、忠臣蔵。 見ている方も見ている方で、同じ話を何回も見せられて、飽きないもんすかね? 作品ごとに、歴史上の事件の細部や、人物キャラの設定は異なるわけですが、それも、作品の個性と評価するより、「これは、歴史ではなく、創作なんでねえの?」と疑念を抱くきっかけになると思うのですが、そんな事、考えもしないんでしょうか。
実際、お江のキャラ設定など、完璧なまでの創作で、あんな人物であったわけがないのは、常識的に考えれば、誰にでも分かる事。 その上、完全なミス・キャストと来たもんだ。 上野さんを、どう演出しても、≪戦国の姫≫にはならんと思うのですが、強引にやってしまったんですなあ。 向井さんも、戦国武将にゃ程遠い。 ただ、人気のありそうな俳優を、テキトーに宛がっただけでしょう。 誰が決めたのか分かりませんが、いやしくも、歴史劇を作るというのに、あまりにも、いい加減な姿勢ではありますまいか。
≪江≫はひどすぎるから、もそっとマシな作品を念頭に置くとしても、大河ドラマと、韓国の歴史劇・時代劇を比較すると、その差の大きさには、絶望的な気分になって来ます。 テーマの独自性、ストーリーの組み立て、映像美への拘り、配役、俳優の演技力、演出、あらゆる点で、全く及びません。 全く・・・。
知らない人は、今からでも遅くないから、≪チャグムの誓い≫辺りを見てみればいいのです。 「これが、テレビ・ドラマ?」と、固まってしまいますから。 優にA級映画レベルの品質で、何十話もの長編ドラマを作っているわけで、彼我の実力の差は、歴然です。 大河ドラマの映像は、韓ドラで言えば、オール・スタジオ撮影のホーム・ドラマのレベルですな。
随分長い脱線でしたが、元に戻しましょう。 「視聴者は、日本の伝統的番組を見たがっている」という主張の、「日本の伝統的番組」とは、何の事かという話。 時代劇でないとすると、現代ドラマでしょうか。 しかし、現代ドラマの数は、韓ドラに押されて減ったというわけではありません。 昔に比べると、確かに減りましたが、それは、ゴールデン帯が、バラエティーに埋め尽くされて、ドラマが9時以降に追いやられてしまったからで、韓ドラの増加とは、全く無関係です。
では、「日本の伝統的番組」とは、バラエティーの事でしょうか? それも変でしょう。 だって、バラエティーは、今が全盛で、芸人ばかり溢れ返り、猖獗を窮めていると言ってもよく、バラエティーに比べれば、韓ドラの市場シェアなど、桁違いに低いからです。 大体、バラエティーほど、新味が求められるカテゴリーも無く、伝統とは全く相容れません。
クイズ番組や教養番組は、尚の事、一国の伝統とは無関係。 一方、科学技術の紹介番組には、やたらと、日本の技術を誉めちぎる内容のものが多く、重大な誤解を流布するので、私は全く感心しないのですが、こういう傾向は、保守的な人間には、歓迎すべき事で、文句はありますまい。
歌番組? そんなもん、今や、絶滅同然ですな。 誰が見ているのか、想像がつかないです。 個別の歌手やグループのファンは、今でもいると思いますが、そのために、聴きたくもない、他の歌手・グループの曲にまで、付き合わないでしょう。 歌自体が、文化としてそっぽを向かれているので、専門番組が成り立たないは、当然の事です。
となると、何が、「日本の伝統的番組」なのか、さっぱり皆目、見当がつかないのです。 韓ドラが流行る前にはあって、今は無くなったというと、プロ野球中継が思い浮かびます。 ただし、野球中継の跡地には、バラエティーが入ったのであって、韓ドラと、直接の関係はありません。 そもそも、野球中継は、ほとんど、巨人戦でしたから、日テレにデモをかけるというなら、まだ分かりますが、フジでは、お門違いのこんこんちきというものでしょう。
いやあ、何なんでしょうねえ、「日本の伝統的番組」って? 皮肉でもなんでもなく、ほんとに分からん。 もしかしたら、そういう物が存在すると思い込んでいるだけなんでしょうか? 保守的な人間というのは、経験ばかり重視して、論理的思考には縁が遠いものですが、論理的分析の題材になる、現状を観察する能力に欠けるために、何がどう変化しているのか、実態が分からないまま、ただ、増えて来た韓ドラに、恐怖感を覚え、動物的拒否反応を示しているだけなのかもしれません。
そもそも大体、韓ドラが多く放送されているのは、地上波なら、午前中や、昼下がりであって、デモをやっているような連中が、テレビを見る時間帯とは、重ならないはずですが、一体、何の不利益があると言うんでしょう? まさか、連中全員、ひきこもりで、昼間からテレビ以外に楽しみが無いというわけでもあるまいに。
韓ドラを見ているのは、主婦層や、韓ドラのファン達ですが、昔なら、ワイド・ショーや、日本の古いドラマの再放送をやっていた時間帯に、韓ドラが入っただけなのであって、それらの番組を見ていたのも、主婦層だったのですから、彼女らが、「韓ドラの方がいい」と言うなら、他の誰に、その楽しみを妨害する権利があるのでしょう (いいや、あるわけがない)。
私は、スポーツ中継を全く面白いと思わない人間で、プロ野球中継があった頃には、楽しみにしていたバラエティーが潰されて、年中、激怒しまくっていました。 だけど、それは、ゴールデン帯の話であって、日曜の昼間にやっているスポーツ中継は、全く気になりませんでした。 大抵、家にいないので、テレビは見ないわけで、見ないのなら、何をやっていようが、気にならないのは当然の事。
自分が見てもいない時間帯に、気に喰わない番組をやっているからと言って、テレビ局にデモを仕掛けるほど怒るのは、とてもじゃないが、尋常な感覚ではありません。 どうも、ネットで情報が広まって、人が集まっているようですが、自発的に賛同して集まったというのなら、周りの連中をよく観察して、≪同志≫なのか、≪ただの異常者≫なのか、よく見極める事です。 ちなみに、精神異常者に同調していると、自分も精神異常になります。
一見、自発的集合のように見えて、どこかに種を蒔いている人間がいるのだとしたら、どんな政治的運動に巻き込まれるか分かりませんから、すぐに、距離を置く事です。 どうも、デモというのは、対象の如何を問わず、胡散臭さを感じずにいられません。 一人一人、別々の脳みそをくっつけているのに、そんなに大勢が一つの主張で集まって、大掛かりな示威行動をするなど、おかしな話ではありませんか。
なりゆきで流されているだけなのに、自分の意志で動いていると思い込んでいる、もしくは、思い込もうとしている疑いがちょっとでもあったら、大急ぎで、逃げるべきです。 学生運動の時代にも、そうやって、周囲に流されて、角材や鉄パイプを振り回し、やがて、目が覚めて、「あの頃の俺は、一体何だったんだろう・・・」と自問しながら、長い余生を送っている人が、うじゃうじゃいるのですから。
それにしても・・・、馬鹿げていると言って語弊があるなら、勿体無い話で、デモなんぞに繰り出している暇があったら、当の韓ドラを見た方がいいです。 現在の韓ドラは、日本だけでなく、アジア全域で引っ張り凧になっており、正に、最盛期といっていい状態です。 「売買価格が安いから」などという見方は、皮相極まりなく、たとえ、タダ同然でも、つまらん物は売れません。 まず、面白くて、その上、比較的安いから、売れるのです。
まあ、とにかく、一本、短か目のを選んで、見てみなさいって。 どれでもいいです。 日本で放送しているような作品は、本国でヒットしたものばかりですから、まず、ハズレは無いです。 第一話だけでも見れば、「あれ? これ、次はどうなるんだろう・・・」と思うから。 そういう風に、視聴者を物語に誘う仕掛けが施されているのです。
日本のドラマ界にも、優れた脚本家がいて、次へ次へと興味を引っ張っていく作品が、たまに見られますが、韓国ドラマでは、ストーリーは、脚本家個人の才能ではなく、理論を元にして組み立てられているので、全ての作品のレベルが高くなっているのです。 アメリカ映画を見ていて、「どうして、こんなに、面白い話ばかり作れるんだろう?」と不思議な気分になった経験がある方は多いと思いますが、それと同じでして、個人の才能に頼らないから、ハズレが少ないんですな。
≪冬ソナ≫の頃から嵌った人達は、かれこれ、8年も、韓ドラの清華を堪能しているのに対し、デモに繰り出している連中などは、大方、「一本も見ていない。 誰が見るか!」などと、片意地を張って、根拠の無い拒絶を続けて来たに違いなく、全く以て、道端に落ちている大金を、見す見す拾わず、素通りしているようなものです。
「アメリカ映画を一本も見た事が無い。 誰が見るか!」という映画ファンがいたら、「こいつ、アホか?」と思われるのが落ちです。 誰でも、「アメリカ映画を見た事が無いなんていう人間には、映画ファンを名乗る資格が無いだろう」と思うのが普通でしょう。 批判するには、まず、見なければならず、見ていない人間には、批判する資格はありません。 それでは、ネット上で、読んでもいない本の感想を書いたり、買ってもいない商品のレビューを書いている馬鹿タレと同じです。
そういえば、日本のドラマは、韓ドラが出て来てから、国際市場でさっぱり売れなくなったらしいですな。 いやはや、無理も無いです。 もし、韓ドラより、高い値段をつけているのだとしたら、てんで、勝負になりますまい。 「高いから」という以前に、まず、「面白くない」のであって、面白くなくて、高い物が売れないのは、理の当然です。
日本のドラマがつまらない最大の理由は、モデルになるべき、日本人の生活がつまらないからです。 誰も、自分の人生が輝いていると思っていない。 中学生でさえ、明るい将来像を思い描いていない。 「下手すりゃ、ニート。 うまく行っても、サラリーマンで、どうせ、つまらん人生に決まってる」と思っている。 そんな地盤の社会で、面白いドラマが作れるはずがありません。 製作技術以前の問題ですな。
日本のドラマで、そこそこ面白いのは、つまらない社会をシニカルに見ている、コメディーだけですが、日本のコメディーは、アメリカのそれと違って、言葉遊びに頼る部分が多く、外国人には、何が面白いのか伝わらないという、重大な欠陥があります。 現代日本の、≪笑い≫のセンスが、漫才を基軸にして構成されているために、情況の面白さよりも、言葉の面白さに重点が置かれてしまうのでしょう。
警察物、刑事物、探偵物など、やたらと、推理・捜査をテーマにした作品が多いのにも、うんざりさせられます。 あまりにも、一般人の生活から掛け離れている上に、警察や探偵の実態からも、遥かに遠く、もはや、妄想の世界で、うずたかく石を積み上げている観さえあり。
検事や警察署長ですら、そんな事はしないというのに、検視医や科捜研所員、鑑識班員らが、探偵のように捜査に奔走するなど、金輪際、ありえない事は、よほどの世間知らずでも分かる事です。 管轄違いも甚だしい。 刑事が主役であっても、やってる事は、古典的探偵と同じであって、現実の刑事の仕事とは、まるで違っています。 いいかげん、背広にレイン・コートの世界から、脱却できないものか。
一応、捜査会議を見せるようになったのは、昔よりはマシですが、実際の捜査になると、相変わらず、一人の刑事の≪勘≫で話が動くのであって、組織捜査の≪そ≫の字も窺えなくなります。 どうも、刑事ドラマの制作者というのは、組織捜査という概念を理解できないらしい。 原作を書いているのは、推理作家達ですが、彼らにしてからが、警察の捜査方法について、からっきし無知なのですから、お話になりません。
糞真面目に、そんなドラマを作って、人を感動させようなど、片腹痛いにも程がある。 いや、片腹痛くても、笑えませんがね。 作っている方は、自分達で、おかしいと思わないんでしょうか? 変な所を指摘されても、「いやあ、ドラマの話ですから」と言って、笑っているだけ? そのチンケなドラマが、そっぽ向かれている事に、気付かないかな?
捜査物でなければ、医者物、子供物、動物物で、どれもこれも、判で押したような、似たり寄ったりの話を、もっくり返し、引っ繰り返し、作り直しているだけ。 これじゃあ、海外で評価なんて、夢のまた夢ですなあ。 「子供と動物を組み合わせれば、視聴者が喰い付くだろう」といった、信じられないほど、低次元な発想で、企画がなされているのは、とても、21世紀の光景とは思えません。
9時台に放送すれば、そこそこ視聴率が取れるものだから、国際レベルで見れば、子供騙しとしか思えないような恥ずかしい作品を、平気で作りよる。 また、変だと気付かないのか、そんな低レベルのドラマを、見ている視聴者も視聴者です。 韓ドラに走っている人達の方が、遥かに、選別眼があると言うべきです。
テレビ局にデモを仕掛けるのなら、むしろ、「韓ドラに負けないレベルのドラマを作れ!」と主張するべきでしょう。 それなら、異常者扱いどころか、桁違いに多い人々の賛同を得られるはずです。 いや、更に一歩進んで、自分達で、ドラマの制作会社を興し、韓ドラを超える作品を企画して、テレビ局に売り込むべきですな。 文化の優劣は、同じ、文化の土俵でしか、決められないのですから。
「わはは! わはははは!」
いや、何が面白いかと言うと、この連中が、当人達の思惑とは裏腹に、日本のドラマが、韓国ドラマに完敗している事を、身を以て、証明してしまっているからです。 ドラマという文化の問題を、デモという政治的な手段でどうにかしようとしている、その姿が、滑稽な上にも憐れ。 恥の上塗りとは、正にこの事でしょう。
なんで、フジだけが標的になっているか、奇妙だと感じる向きもあるでしょうが、その理由は簡単に想像できます。 フジといえば、フジ・サンケイ・グループで、政治的には、保守的な主張をして来たメディアです。 当然、民族主義者や国家主義者の、お気に入り放送局になっていたわけですな。 そこが、他局以上に、大量の韓国ドラマを放送するようになったものだから、「フジだけは違うと思っていたのに、韓ドラ依存度が、最も高いとはどういう事だ! この、裏切り者めが!」と、ブチ切れてしまったのでしょう。
しかし、≪フジ=保守的≫というのは、国家主義者や民族主義者の勝手な思い込みです。 ニュースなど、報道番組こそ、保守的ですが、それ以外の番組を見れば、全ての放送局の中で最も明確に、既成の枠に囚われない事を身上にしているのが分かります。 日本の民放番組の発展は、常にフジが一歩先に踏み出し、それを他局が追い掛ける形で進んで来たといっても、過言ではありません。
つまり、フジに於いては、報道番組と、それ以外の番組が、全く異なるスタンスで作られているんですな。 報道番組が保守的だからといって、他の番組も保守的なはずだと思い込んでしまった方が悪いのです。 ドラマは、報道とは全く関係ないので、視聴率が取れる方向へ進むのは、経済原則に適っており、フジが責められる理由は、微塵もありません。
よく分からないのは、デモ隊の言い分の中に、「視聴者は、日本の伝統的番組を見たがっている」という主張がある事です。 え? なに? 「日本の伝統的番組」って? そんなのあったかいのう? まさか、時代劇の事ではありますまい。 いくら、保守派だからって、デモをやっている年代の奴らが、日本の時代劇を見たがっているとは、とても思えません。 だって、面白くないものねえ。
ちょっと、脱線しますが、TBSが、≪水戸黄門≫を打ち切ると発表してから、継続を求める嘆願があちこちで出されているとか。 ≪水戸黄門≫が終わってしまえば、民放の連続時代劇が全滅するわけで、他の時代劇が終わって来たのとは、別の意味合いがあり、恐怖心に囚われる気持ちはよく分かります。 しかし、視聴率が低迷しているのに、TBSにのみ、負担の継続を強いるのは、それはそれで、問題だと思います。
民放で時代劇が全滅しても、NHKは作り続けるでしょうが、NHKの時代劇は、何だかピントがズレていて、時代劇っぽくないんですわ。 大河ドラマは、時代劇ではなく、歴史劇ですが、習慣で見ている人が多いため、視聴率こそ高いものの、内容的には、スカです。 特に、今年の、≪江≫など、全く見るに値しないひどい出来だと思うのですが、視聴率だけは取っているから、奇っ怪至極。
そもそも、大河ドラマは、信長・秀吉・家康の時代が多過ぎる。 何十回、同じ時代を取り上げれば気が済むのか、プロデューサーの気が知れません。 戦国末でなきゃ、幕末。 時々、忠臣蔵。 見ている方も見ている方で、同じ話を何回も見せられて、飽きないもんすかね? 作品ごとに、歴史上の事件の細部や、人物キャラの設定は異なるわけですが、それも、作品の個性と評価するより、「これは、歴史ではなく、創作なんでねえの?」と疑念を抱くきっかけになると思うのですが、そんな事、考えもしないんでしょうか。
実際、お江のキャラ設定など、完璧なまでの創作で、あんな人物であったわけがないのは、常識的に考えれば、誰にでも分かる事。 その上、完全なミス・キャストと来たもんだ。 上野さんを、どう演出しても、≪戦国の姫≫にはならんと思うのですが、強引にやってしまったんですなあ。 向井さんも、戦国武将にゃ程遠い。 ただ、人気のありそうな俳優を、テキトーに宛がっただけでしょう。 誰が決めたのか分かりませんが、いやしくも、歴史劇を作るというのに、あまりにも、いい加減な姿勢ではありますまいか。
≪江≫はひどすぎるから、もそっとマシな作品を念頭に置くとしても、大河ドラマと、韓国の歴史劇・時代劇を比較すると、その差の大きさには、絶望的な気分になって来ます。 テーマの独自性、ストーリーの組み立て、映像美への拘り、配役、俳優の演技力、演出、あらゆる点で、全く及びません。 全く・・・。
知らない人は、今からでも遅くないから、≪チャグムの誓い≫辺りを見てみればいいのです。 「これが、テレビ・ドラマ?」と、固まってしまいますから。 優にA級映画レベルの品質で、何十話もの長編ドラマを作っているわけで、彼我の実力の差は、歴然です。 大河ドラマの映像は、韓ドラで言えば、オール・スタジオ撮影のホーム・ドラマのレベルですな。
随分長い脱線でしたが、元に戻しましょう。 「視聴者は、日本の伝統的番組を見たがっている」という主張の、「日本の伝統的番組」とは、何の事かという話。 時代劇でないとすると、現代ドラマでしょうか。 しかし、現代ドラマの数は、韓ドラに押されて減ったというわけではありません。 昔に比べると、確かに減りましたが、それは、ゴールデン帯が、バラエティーに埋め尽くされて、ドラマが9時以降に追いやられてしまったからで、韓ドラの増加とは、全く無関係です。
では、「日本の伝統的番組」とは、バラエティーの事でしょうか? それも変でしょう。 だって、バラエティーは、今が全盛で、芸人ばかり溢れ返り、猖獗を窮めていると言ってもよく、バラエティーに比べれば、韓ドラの市場シェアなど、桁違いに低いからです。 大体、バラエティーほど、新味が求められるカテゴリーも無く、伝統とは全く相容れません。
クイズ番組や教養番組は、尚の事、一国の伝統とは無関係。 一方、科学技術の紹介番組には、やたらと、日本の技術を誉めちぎる内容のものが多く、重大な誤解を流布するので、私は全く感心しないのですが、こういう傾向は、保守的な人間には、歓迎すべき事で、文句はありますまい。
歌番組? そんなもん、今や、絶滅同然ですな。 誰が見ているのか、想像がつかないです。 個別の歌手やグループのファンは、今でもいると思いますが、そのために、聴きたくもない、他の歌手・グループの曲にまで、付き合わないでしょう。 歌自体が、文化としてそっぽを向かれているので、専門番組が成り立たないは、当然の事です。
となると、何が、「日本の伝統的番組」なのか、さっぱり皆目、見当がつかないのです。 韓ドラが流行る前にはあって、今は無くなったというと、プロ野球中継が思い浮かびます。 ただし、野球中継の跡地には、バラエティーが入ったのであって、韓ドラと、直接の関係はありません。 そもそも、野球中継は、ほとんど、巨人戦でしたから、日テレにデモをかけるというなら、まだ分かりますが、フジでは、お門違いのこんこんちきというものでしょう。
いやあ、何なんでしょうねえ、「日本の伝統的番組」って? 皮肉でもなんでもなく、ほんとに分からん。 もしかしたら、そういう物が存在すると思い込んでいるだけなんでしょうか? 保守的な人間というのは、経験ばかり重視して、論理的思考には縁が遠いものですが、論理的分析の題材になる、現状を観察する能力に欠けるために、何がどう変化しているのか、実態が分からないまま、ただ、増えて来た韓ドラに、恐怖感を覚え、動物的拒否反応を示しているだけなのかもしれません。
そもそも大体、韓ドラが多く放送されているのは、地上波なら、午前中や、昼下がりであって、デモをやっているような連中が、テレビを見る時間帯とは、重ならないはずですが、一体、何の不利益があると言うんでしょう? まさか、連中全員、ひきこもりで、昼間からテレビ以外に楽しみが無いというわけでもあるまいに。
韓ドラを見ているのは、主婦層や、韓ドラのファン達ですが、昔なら、ワイド・ショーや、日本の古いドラマの再放送をやっていた時間帯に、韓ドラが入っただけなのであって、それらの番組を見ていたのも、主婦層だったのですから、彼女らが、「韓ドラの方がいい」と言うなら、他の誰に、その楽しみを妨害する権利があるのでしょう (いいや、あるわけがない)。
私は、スポーツ中継を全く面白いと思わない人間で、プロ野球中継があった頃には、楽しみにしていたバラエティーが潰されて、年中、激怒しまくっていました。 だけど、それは、ゴールデン帯の話であって、日曜の昼間にやっているスポーツ中継は、全く気になりませんでした。 大抵、家にいないので、テレビは見ないわけで、見ないのなら、何をやっていようが、気にならないのは当然の事。
自分が見てもいない時間帯に、気に喰わない番組をやっているからと言って、テレビ局にデモを仕掛けるほど怒るのは、とてもじゃないが、尋常な感覚ではありません。 どうも、ネットで情報が広まって、人が集まっているようですが、自発的に賛同して集まったというのなら、周りの連中をよく観察して、≪同志≫なのか、≪ただの異常者≫なのか、よく見極める事です。 ちなみに、精神異常者に同調していると、自分も精神異常になります。
一見、自発的集合のように見えて、どこかに種を蒔いている人間がいるのだとしたら、どんな政治的運動に巻き込まれるか分かりませんから、すぐに、距離を置く事です。 どうも、デモというのは、対象の如何を問わず、胡散臭さを感じずにいられません。 一人一人、別々の脳みそをくっつけているのに、そんなに大勢が一つの主張で集まって、大掛かりな示威行動をするなど、おかしな話ではありませんか。
なりゆきで流されているだけなのに、自分の意志で動いていると思い込んでいる、もしくは、思い込もうとしている疑いがちょっとでもあったら、大急ぎで、逃げるべきです。 学生運動の時代にも、そうやって、周囲に流されて、角材や鉄パイプを振り回し、やがて、目が覚めて、「あの頃の俺は、一体何だったんだろう・・・」と自問しながら、長い余生を送っている人が、うじゃうじゃいるのですから。
それにしても・・・、馬鹿げていると言って語弊があるなら、勿体無い話で、デモなんぞに繰り出している暇があったら、当の韓ドラを見た方がいいです。 現在の韓ドラは、日本だけでなく、アジア全域で引っ張り凧になっており、正に、最盛期といっていい状態です。 「売買価格が安いから」などという見方は、皮相極まりなく、たとえ、タダ同然でも、つまらん物は売れません。 まず、面白くて、その上、比較的安いから、売れるのです。
まあ、とにかく、一本、短か目のを選んで、見てみなさいって。 どれでもいいです。 日本で放送しているような作品は、本国でヒットしたものばかりですから、まず、ハズレは無いです。 第一話だけでも見れば、「あれ? これ、次はどうなるんだろう・・・」と思うから。 そういう風に、視聴者を物語に誘う仕掛けが施されているのです。
日本のドラマ界にも、優れた脚本家がいて、次へ次へと興味を引っ張っていく作品が、たまに見られますが、韓国ドラマでは、ストーリーは、脚本家個人の才能ではなく、理論を元にして組み立てられているので、全ての作品のレベルが高くなっているのです。 アメリカ映画を見ていて、「どうして、こんなに、面白い話ばかり作れるんだろう?」と不思議な気分になった経験がある方は多いと思いますが、それと同じでして、個人の才能に頼らないから、ハズレが少ないんですな。
≪冬ソナ≫の頃から嵌った人達は、かれこれ、8年も、韓ドラの清華を堪能しているのに対し、デモに繰り出している連中などは、大方、「一本も見ていない。 誰が見るか!」などと、片意地を張って、根拠の無い拒絶を続けて来たに違いなく、全く以て、道端に落ちている大金を、見す見す拾わず、素通りしているようなものです。
「アメリカ映画を一本も見た事が無い。 誰が見るか!」という映画ファンがいたら、「こいつ、アホか?」と思われるのが落ちです。 誰でも、「アメリカ映画を見た事が無いなんていう人間には、映画ファンを名乗る資格が無いだろう」と思うのが普通でしょう。 批判するには、まず、見なければならず、見ていない人間には、批判する資格はありません。 それでは、ネット上で、読んでもいない本の感想を書いたり、買ってもいない商品のレビューを書いている馬鹿タレと同じです。
そういえば、日本のドラマは、韓ドラが出て来てから、国際市場でさっぱり売れなくなったらしいですな。 いやはや、無理も無いです。 もし、韓ドラより、高い値段をつけているのだとしたら、てんで、勝負になりますまい。 「高いから」という以前に、まず、「面白くない」のであって、面白くなくて、高い物が売れないのは、理の当然です。
日本のドラマがつまらない最大の理由は、モデルになるべき、日本人の生活がつまらないからです。 誰も、自分の人生が輝いていると思っていない。 中学生でさえ、明るい将来像を思い描いていない。 「下手すりゃ、ニート。 うまく行っても、サラリーマンで、どうせ、つまらん人生に決まってる」と思っている。 そんな地盤の社会で、面白いドラマが作れるはずがありません。 製作技術以前の問題ですな。
日本のドラマで、そこそこ面白いのは、つまらない社会をシニカルに見ている、コメディーだけですが、日本のコメディーは、アメリカのそれと違って、言葉遊びに頼る部分が多く、外国人には、何が面白いのか伝わらないという、重大な欠陥があります。 現代日本の、≪笑い≫のセンスが、漫才を基軸にして構成されているために、情況の面白さよりも、言葉の面白さに重点が置かれてしまうのでしょう。
警察物、刑事物、探偵物など、やたらと、推理・捜査をテーマにした作品が多いのにも、うんざりさせられます。 あまりにも、一般人の生活から掛け離れている上に、警察や探偵の実態からも、遥かに遠く、もはや、妄想の世界で、うずたかく石を積み上げている観さえあり。
検事や警察署長ですら、そんな事はしないというのに、検視医や科捜研所員、鑑識班員らが、探偵のように捜査に奔走するなど、金輪際、ありえない事は、よほどの世間知らずでも分かる事です。 管轄違いも甚だしい。 刑事が主役であっても、やってる事は、古典的探偵と同じであって、現実の刑事の仕事とは、まるで違っています。 いいかげん、背広にレイン・コートの世界から、脱却できないものか。
一応、捜査会議を見せるようになったのは、昔よりはマシですが、実際の捜査になると、相変わらず、一人の刑事の≪勘≫で話が動くのであって、組織捜査の≪そ≫の字も窺えなくなります。 どうも、刑事ドラマの制作者というのは、組織捜査という概念を理解できないらしい。 原作を書いているのは、推理作家達ですが、彼らにしてからが、警察の捜査方法について、からっきし無知なのですから、お話になりません。
糞真面目に、そんなドラマを作って、人を感動させようなど、片腹痛いにも程がある。 いや、片腹痛くても、笑えませんがね。 作っている方は、自分達で、おかしいと思わないんでしょうか? 変な所を指摘されても、「いやあ、ドラマの話ですから」と言って、笑っているだけ? そのチンケなドラマが、そっぽ向かれている事に、気付かないかな?
捜査物でなければ、医者物、子供物、動物物で、どれもこれも、判で押したような、似たり寄ったりの話を、もっくり返し、引っ繰り返し、作り直しているだけ。 これじゃあ、海外で評価なんて、夢のまた夢ですなあ。 「子供と動物を組み合わせれば、視聴者が喰い付くだろう」といった、信じられないほど、低次元な発想で、企画がなされているのは、とても、21世紀の光景とは思えません。
9時台に放送すれば、そこそこ視聴率が取れるものだから、国際レベルで見れば、子供騙しとしか思えないような恥ずかしい作品を、平気で作りよる。 また、変だと気付かないのか、そんな低レベルのドラマを、見ている視聴者も視聴者です。 韓ドラに走っている人達の方が、遥かに、選別眼があると言うべきです。
テレビ局にデモを仕掛けるのなら、むしろ、「韓ドラに負けないレベルのドラマを作れ!」と主張するべきでしょう。 それなら、異常者扱いどころか、桁違いに多い人々の賛同を得られるはずです。 いや、更に一歩進んで、自分達で、ドラマの制作会社を興し、韓ドラを超える作品を企画して、テレビ局に売り込むべきですな。 文化の優劣は、同じ、文化の土俵でしか、決められないのですから。