2011/09/25

韓ドラ・ショック

  なんでも、フジ・テレビの番組に、韓国ドラマが多すぎると言って、デモを繰り返している連中がいるとか。

「わはは! わはははは!」

  いや、何が面白いかと言うと、この連中が、当人達の思惑とは裏腹に、日本のドラマが、韓国ドラマに完敗している事を、身を以て、証明してしまっているからです。 ドラマという文化の問題を、デモという政治的な手段でどうにかしようとしている、その姿が、滑稽な上にも憐れ。 恥の上塗りとは、正にこの事でしょう。

  なんで、フジだけが標的になっているか、奇妙だと感じる向きもあるでしょうが、その理由は簡単に想像できます。 フジといえば、フジ・サンケイ・グループで、政治的には、保守的な主張をして来たメディアです。 当然、民族主義者や国家主義者の、お気に入り放送局になっていたわけですな。 そこが、他局以上に、大量の韓国ドラマを放送するようになったものだから、「フジだけは違うと思っていたのに、韓ドラ依存度が、最も高いとはどういう事だ! この、裏切り者めが!」と、ブチ切れてしまったのでしょう。

  しかし、≪フジ=保守的≫というのは、国家主義者や民族主義者の勝手な思い込みです。 ニュースなど、報道番組こそ、保守的ですが、それ以外の番組を見れば、全ての放送局の中で最も明確に、既成の枠に囚われない事を身上にしているのが分かります。 日本の民放番組の発展は、常にフジが一歩先に踏み出し、それを他局が追い掛ける形で進んで来たといっても、過言ではありません。

  つまり、フジに於いては、報道番組と、それ以外の番組が、全く異なるスタンスで作られているんですな。 報道番組が保守的だからといって、他の番組も保守的なはずだと思い込んでしまった方が悪いのです。 ドラマは、報道とは全く関係ないので、視聴率が取れる方向へ進むのは、経済原則に適っており、フジが責められる理由は、微塵もありません。

  よく分からないのは、デモ隊の言い分の中に、「視聴者は、日本の伝統的番組を見たがっている」という主張がある事です。 え? なに? 「日本の伝統的番組」って? そんなのあったかいのう? まさか、時代劇の事ではありますまい。 いくら、保守派だからって、デモをやっている年代の奴らが、日本の時代劇を見たがっているとは、とても思えません。 だって、面白くないものねえ。


  ちょっと、脱線しますが、TBSが、≪水戸黄門≫を打ち切ると発表してから、継続を求める嘆願があちこちで出されているとか。 ≪水戸黄門≫が終わってしまえば、民放の連続時代劇が全滅するわけで、他の時代劇が終わって来たのとは、別の意味合いがあり、恐怖心に囚われる気持ちはよく分かります。 しかし、視聴率が低迷しているのに、TBSにのみ、負担の継続を強いるのは、それはそれで、問題だと思います。

  民放で時代劇が全滅しても、NHKは作り続けるでしょうが、NHKの時代劇は、何だかピントがズレていて、時代劇っぽくないんですわ。 大河ドラマは、時代劇ではなく、歴史劇ですが、習慣で見ている人が多いため、視聴率こそ高いものの、内容的には、スカです。 特に、今年の、≪江≫など、全く見るに値しないひどい出来だと思うのですが、視聴率だけは取っているから、奇っ怪至極。

  そもそも、大河ドラマは、信長・秀吉・家康の時代が多過ぎる。 何十回、同じ時代を取り上げれば気が済むのか、プロデューサーの気が知れません。 戦国末でなきゃ、幕末。 時々、忠臣蔵。 見ている方も見ている方で、同じ話を何回も見せられて、飽きないもんすかね? 作品ごとに、歴史上の事件の細部や、人物キャラの設定は異なるわけですが、それも、作品の個性と評価するより、「これは、歴史ではなく、創作なんでねえの?」と疑念を抱くきっかけになると思うのですが、そんな事、考えもしないんでしょうか。

  実際、お江のキャラ設定など、完璧なまでの創作で、あんな人物であったわけがないのは、常識的に考えれば、誰にでも分かる事。 その上、完全なミス・キャストと来たもんだ。 上野さんを、どう演出しても、≪戦国の姫≫にはならんと思うのですが、強引にやってしまったんですなあ。 向井さんも、戦国武将にゃ程遠い。 ただ、人気のありそうな俳優を、テキトーに宛がっただけでしょう。 誰が決めたのか分かりませんが、いやしくも、歴史劇を作るというのに、あまりにも、いい加減な姿勢ではありますまいか。

  ≪江≫はひどすぎるから、もそっとマシな作品を念頭に置くとしても、大河ドラマと、韓国の歴史劇・時代劇を比較すると、その差の大きさには、絶望的な気分になって来ます。 テーマの独自性、ストーリーの組み立て、映像美への拘り、配役、俳優の演技力、演出、あらゆる点で、全く及びません。 全く・・・。

  知らない人は、今からでも遅くないから、≪チャグムの誓い≫辺りを見てみればいいのです。 「これが、テレビ・ドラマ?」と、固まってしまいますから。 優にA級映画レベルの品質で、何十話もの長編ドラマを作っているわけで、彼我の実力の差は、歴然です。 大河ドラマの映像は、韓ドラで言えば、オール・スタジオ撮影のホーム・ドラマのレベルですな。


  随分長い脱線でしたが、元に戻しましょう。 「視聴者は、日本の伝統的番組を見たがっている」という主張の、「日本の伝統的番組」とは、何の事かという話。 時代劇でないとすると、現代ドラマでしょうか。 しかし、現代ドラマの数は、韓ドラに押されて減ったというわけではありません。 昔に比べると、確かに減りましたが、それは、ゴールデン帯が、バラエティーに埋め尽くされて、ドラマが9時以降に追いやられてしまったからで、韓ドラの増加とは、全く無関係です。

  では、「日本の伝統的番組」とは、バラエティーの事でしょうか? それも変でしょう。 だって、バラエティーは、今が全盛で、芸人ばかり溢れ返り、猖獗を窮めていると言ってもよく、バラエティーに比べれば、韓ドラの市場シェアなど、桁違いに低いからです。 大体、バラエティーほど、新味が求められるカテゴリーも無く、伝統とは全く相容れません。

  クイズ番組や教養番組は、尚の事、一国の伝統とは無関係。 一方、科学技術の紹介番組には、やたらと、日本の技術を誉めちぎる内容のものが多く、重大な誤解を流布するので、私は全く感心しないのですが、こういう傾向は、保守的な人間には、歓迎すべき事で、文句はありますまい。

  歌番組? そんなもん、今や、絶滅同然ですな。 誰が見ているのか、想像がつかないです。 個別の歌手やグループのファンは、今でもいると思いますが、そのために、聴きたくもない、他の歌手・グループの曲にまで、付き合わないでしょう。 歌自体が、文化としてそっぽを向かれているので、専門番組が成り立たないは、当然の事です。

  となると、何が、「日本の伝統的番組」なのか、さっぱり皆目、見当がつかないのです。 韓ドラが流行る前にはあって、今は無くなったというと、プロ野球中継が思い浮かびます。 ただし、野球中継の跡地には、バラエティーが入ったのであって、韓ドラと、直接の関係はありません。 そもそも、野球中継は、ほとんど、巨人戦でしたから、日テレにデモをかけるというなら、まだ分かりますが、フジでは、お門違いのこんこんちきというものでしょう。

  いやあ、何なんでしょうねえ、「日本の伝統的番組」って? 皮肉でもなんでもなく、ほんとに分からん。 もしかしたら、そういう物が存在すると思い込んでいるだけなんでしょうか? 保守的な人間というのは、経験ばかり重視して、論理的思考には縁が遠いものですが、論理的分析の題材になる、現状を観察する能力に欠けるために、何がどう変化しているのか、実態が分からないまま、ただ、増えて来た韓ドラに、恐怖感を覚え、動物的拒否反応を示しているだけなのかもしれません。

  そもそも大体、韓ドラが多く放送されているのは、地上波なら、午前中や、昼下がりであって、デモをやっているような連中が、テレビを見る時間帯とは、重ならないはずですが、一体、何の不利益があると言うんでしょう? まさか、連中全員、ひきこもりで、昼間からテレビ以外に楽しみが無いというわけでもあるまいに。

  韓ドラを見ているのは、主婦層や、韓ドラのファン達ですが、昔なら、ワイド・ショーや、日本の古いドラマの再放送をやっていた時間帯に、韓ドラが入っただけなのであって、それらの番組を見ていたのも、主婦層だったのですから、彼女らが、「韓ドラの方がいい」と言うなら、他の誰に、その楽しみを妨害する権利があるのでしょう (いいや、あるわけがない)。

  私は、スポーツ中継を全く面白いと思わない人間で、プロ野球中継があった頃には、楽しみにしていたバラエティーが潰されて、年中、激怒しまくっていました。 だけど、それは、ゴールデン帯の話であって、日曜の昼間にやっているスポーツ中継は、全く気になりませんでした。 大抵、家にいないので、テレビは見ないわけで、見ないのなら、何をやっていようが、気にならないのは当然の事。

  自分が見てもいない時間帯に、気に喰わない番組をやっているからと言って、テレビ局にデモを仕掛けるほど怒るのは、とてもじゃないが、尋常な感覚ではありません。 どうも、ネットで情報が広まって、人が集まっているようですが、自発的に賛同して集まったというのなら、周りの連中をよく観察して、≪同志≫なのか、≪ただの異常者≫なのか、よく見極める事です。 ちなみに、精神異常者に同調していると、自分も精神異常になります。

  一見、自発的集合のように見えて、どこかに種を蒔いている人間がいるのだとしたら、どんな政治的運動に巻き込まれるか分かりませんから、すぐに、距離を置く事です。 どうも、デモというのは、対象の如何を問わず、胡散臭さを感じずにいられません。 一人一人、別々の脳みそをくっつけているのに、そんなに大勢が一つの主張で集まって、大掛かりな示威行動をするなど、おかしな話ではありませんか。

  なりゆきで流されているだけなのに、自分の意志で動いていると思い込んでいる、もしくは、思い込もうとしている疑いがちょっとでもあったら、大急ぎで、逃げるべきです。 学生運動の時代にも、そうやって、周囲に流されて、角材や鉄パイプを振り回し、やがて、目が覚めて、「あの頃の俺は、一体何だったんだろう・・・」と自問しながら、長い余生を送っている人が、うじゃうじゃいるのですから。


  それにしても・・・、馬鹿げていると言って語弊があるなら、勿体無い話で、デモなんぞに繰り出している暇があったら、当の韓ドラを見た方がいいです。 現在の韓ドラは、日本だけでなく、アジア全域で引っ張り凧になっており、正に、最盛期といっていい状態です。 「売買価格が安いから」などという見方は、皮相極まりなく、たとえ、タダ同然でも、つまらん物は売れません。 まず、面白くて、その上、比較的安いから、売れるのです。

  まあ、とにかく、一本、短か目のを選んで、見てみなさいって。 どれでもいいです。 日本で放送しているような作品は、本国でヒットしたものばかりですから、まず、ハズレは無いです。 第一話だけでも見れば、「あれ? これ、次はどうなるんだろう・・・」と思うから。 そういう風に、視聴者を物語に誘う仕掛けが施されているのです。

  日本のドラマ界にも、優れた脚本家がいて、次へ次へと興味を引っ張っていく作品が、たまに見られますが、韓国ドラマでは、ストーリーは、脚本家個人の才能ではなく、理論を元にして組み立てられているので、全ての作品のレベルが高くなっているのです。 アメリカ映画を見ていて、「どうして、こんなに、面白い話ばかり作れるんだろう?」と不思議な気分になった経験がある方は多いと思いますが、それと同じでして、個人の才能に頼らないから、ハズレが少ないんですな。

  ≪冬ソナ≫の頃から嵌った人達は、かれこれ、8年も、韓ドラの清華を堪能しているのに対し、デモに繰り出している連中などは、大方、「一本も見ていない。 誰が見るか!」などと、片意地を張って、根拠の無い拒絶を続けて来たに違いなく、全く以て、道端に落ちている大金を、見す見す拾わず、素通りしているようなものです。

  「アメリカ映画を一本も見た事が無い。 誰が見るか!」という映画ファンがいたら、「こいつ、アホか?」と思われるのが落ちです。 誰でも、「アメリカ映画を見た事が無いなんていう人間には、映画ファンを名乗る資格が無いだろう」と思うのが普通でしょう。 批判するには、まず、見なければならず、見ていない人間には、批判する資格はありません。 それでは、ネット上で、読んでもいない本の感想を書いたり、買ってもいない商品のレビューを書いている馬鹿タレと同じです。


  そういえば、日本のドラマは、韓ドラが出て来てから、国際市場でさっぱり売れなくなったらしいですな。 いやはや、無理も無いです。 もし、韓ドラより、高い値段をつけているのだとしたら、てんで、勝負になりますまい。 「高いから」という以前に、まず、「面白くない」のであって、面白くなくて、高い物が売れないのは、理の当然です。

  日本のドラマがつまらない最大の理由は、モデルになるべき、日本人の生活がつまらないからです。 誰も、自分の人生が輝いていると思っていない。 中学生でさえ、明るい将来像を思い描いていない。 「下手すりゃ、ニート。 うまく行っても、サラリーマンで、どうせ、つまらん人生に決まってる」と思っている。 そんな地盤の社会で、面白いドラマが作れるはずがありません。 製作技術以前の問題ですな。

  日本のドラマで、そこそこ面白いのは、つまらない社会をシニカルに見ている、コメディーだけですが、日本のコメディーは、アメリカのそれと違って、言葉遊びに頼る部分が多く、外国人には、何が面白いのか伝わらないという、重大な欠陥があります。 現代日本の、≪笑い≫のセンスが、漫才を基軸にして構成されているために、情況の面白さよりも、言葉の面白さに重点が置かれてしまうのでしょう。

  警察物、刑事物、探偵物など、やたらと、推理・捜査をテーマにした作品が多いのにも、うんざりさせられます。 あまりにも、一般人の生活から掛け離れている上に、警察や探偵の実態からも、遥かに遠く、もはや、妄想の世界で、うずたかく石を積み上げている観さえあり。

  検事や警察署長ですら、そんな事はしないというのに、検視医や科捜研所員、鑑識班員らが、探偵のように捜査に奔走するなど、金輪際、ありえない事は、よほどの世間知らずでも分かる事です。 管轄違いも甚だしい。 刑事が主役であっても、やってる事は、古典的探偵と同じであって、現実の刑事の仕事とは、まるで違っています。 いいかげん、背広にレイン・コートの世界から、脱却できないものか。

  一応、捜査会議を見せるようになったのは、昔よりはマシですが、実際の捜査になると、相変わらず、一人の刑事の≪勘≫で話が動くのであって、組織捜査の≪そ≫の字も窺えなくなります。 どうも、刑事ドラマの制作者というのは、組織捜査という概念を理解できないらしい。 原作を書いているのは、推理作家達ですが、彼らにしてからが、警察の捜査方法について、からっきし無知なのですから、お話になりません。

  糞真面目に、そんなドラマを作って、人を感動させようなど、片腹痛いにも程がある。 いや、片腹痛くても、笑えませんがね。 作っている方は、自分達で、おかしいと思わないんでしょうか? 変な所を指摘されても、「いやあ、ドラマの話ですから」と言って、笑っているだけ? そのチンケなドラマが、そっぽ向かれている事に、気付かないかな?

  捜査物でなければ、医者物、子供物、動物物で、どれもこれも、判で押したような、似たり寄ったりの話を、もっくり返し、引っ繰り返し、作り直しているだけ。 これじゃあ、海外で評価なんて、夢のまた夢ですなあ。 「子供と動物を組み合わせれば、視聴者が喰い付くだろう」といった、信じられないほど、低次元な発想で、企画がなされているのは、とても、21世紀の光景とは思えません。

  9時台に放送すれば、そこそこ視聴率が取れるものだから、国際レベルで見れば、子供騙しとしか思えないような恥ずかしい作品を、平気で作りよる。 また、変だと気付かないのか、そんな低レベルのドラマを、見ている視聴者も視聴者です。 韓ドラに走っている人達の方が、遥かに、選別眼があると言うべきです。


  テレビ局にデモを仕掛けるのなら、むしろ、「韓ドラに負けないレベルのドラマを作れ!」と主張するべきでしょう。 それなら、異常者扱いどころか、桁違いに多い人々の賛同を得られるはずです。 いや、更に一歩進んで、自分達で、ドラマの制作会社を興し、韓ドラを超える作品を企画して、テレビ局に売り込むべきですな。 文化の優劣は、同じ、文化の土俵でしか、決められないのですから。

2011/09/18

ゴチャゴチャ装備

  テレビの買い替えが一段落して、休みの日にやる事が無くなると、結局、また、折り畳み自転車に乗って出掛けるパターンに戻ってしまいました。 一時期、魘されていた、スポーツ自転車熱はすっかり冷めて、新しい自転車を欲しがる気持ちも雲散霧消しましたが、他に興味を向ける対象が無いため、≪直前のページに戻る≫ボタンをクリックしたかのように、自転車へ向かわざるを得ない様子。


  巷に溢れる軽快車を見ていて、つくづく思うのは、「随分と、ごちゃごちゃした装備が付いているなあ」というもの。 シティー・サイクルに関しては、そんな印象は受けないので、この違いは、後輪の周辺にあると思われます。

  まず、荷台。 荷台は、自転車を運搬道具として使う場合、必須装備なのですが、それを承知していて尚、外観の悪さには、うんざりさせられます。 最大の問題点は、素材ではないかと思うのです。 細い鉄の棒を繋ぎ合せ、表面をメッキしてあるわけですが、これが、パイプを塗装したフレーム部分と、イメージが馴染まないのです。

  このメッキ棒は、泥除けや前籠の支柱にも使われているので、シティー・サイクルにも付いているわけですが、そちらがあまり気にならないのは、あくまで、支柱という、補助部品に留まっているからでしょう。 一方、荷台は、厳然たる主要部品です。 補助部品と同じ素材で、主要部品を作るから、ちぐはぐな外観になってしまうのです。

  軽快車ではなく、クロス・バイクのカテゴリーになっていますが、ファッション重視のデザインが施されている自転車には、細身のパイプを曲げて溶接し、フレームと同じ色に塗った荷台を付けたものが、たまに見受けられます。 ちなみに、私が持っている折自、≪レイチェル・OF-20R≫にも、それが付いています。 デザインの統一性という点では、そちらの方が、ずっとフレームとの相性がいいです。 ただ、塗装面に直接荷物を載せる事になるので、塗装の損傷が心配。 厚手の布でも挟めばいいわけですが、そのために、いちいち、布を持ち歩くのも、面倒ですなあ。


  次に、邪魔なのが、後輪の前側斜め上に付いている、スカート・ガードです。 大抵、プラスチックの格子か、半透明の板で出来ていて、扇形をしています。 軽快車は、性別による区別無しに売られているので、全ての自転車に付いているわけですが、「こりゃ、何だ?」とも思わず、そのまま乗っている人が大変多い。

  スカートの巻き込み防止が目的の部品ですから、スカートを穿いて乗る人だけに意味があるのであって、「スカートで自転車に乗る事なんか無い」という人の場合、取ってしまっても、全く問題ありません。 というか、付けといても、重いだけ。 且つ、汚れが付着する面積が増えるだけです。

  かなりの割合で、シティー・サイクルではなく、軽快車に乗っている男子高校生がいますが、スカート・ガードを外している野郎を、まず見た事がありません。 そもそも、この連中、シティー・サイクルという、わざわざ、男子高校生のために用意された車種が存在するにも拘らず、軽快車に乗っているという事は、シティー・サイクルと軽快車の区別がついていない可能性が高い。

  大方、「荷台が付いている分、使い勝手がいいだろう」くらいの軽い考えで、軽快車にしたのだろうと思われます。 自転車そのものに興味が無く、まして、自転車の装備について深く考えた事など一回も無いので、スカート・ガードが、自分には無用の部品である事に思いが至らないんですな。

  「家族と共用していて、母親や姉妹が乗る事があるからじゃないの?」という、良心的な見方もできないではないですが、今日日、大概の家では、自転車は個人専用になっていて、一台で全て賄っているというのは、珍しいケースです。 そもそも、女性であっても、大人になると、スカートで自転車に乗る事は、稀になります。 「女はみんな、スカートを穿いているもの」と思っているのは、観察眼が足りない男の思い込みに過ぎず、実際に見てみれば、大人の女性の大半は、ズボン姿で自転車に乗っています。

  選択の余地無く、スカートを穿いて自転車に乗らざるを得ないのは、女子高校生に限られると言っても、過言ではありません。 すなわち、軽快車というのは、女子高校生の利用を第一に考えて、装備が決められているわけですな。 その事に気付くと、スカート・ガードを付けたまま、軽快者に乗っている、男性や、スカートを穿かない女性が、余計な部品を運搬させられている阿呆に見えて来ます。

  いや、実は、白状しますと、私の父も、スカート・ガードを付けたまま乗っていまして、私も買い物に行く時には、それを借りるわけですが、自分の自転車ではないので、勝手に外すわけには行かず、そのまま乗っています。 つまり、私も阿呆の一人というわけです。 勿の論、もし、自分の所有なら、真っ先に外します。


  次に、両立スタンドが、何とも、重苦しく、鬱陶しく、見えます。 ただ、両立スタンドは、素材を変えるわけにも行かないし、荷台に大きな荷物を載せる時には、片掛けスタンドより、遥かに安定性がいいので、簡単に、「無くせ」とは言い難いのも事実。

  せめて、錆が出ないように、ステンレスにできないものか。 メッキ部品は、みんなそうですが、とにかく、錆び易いです。 塗装の方が、まだ錆に強いですが、一旦錆びると、メッキのように、「CRCをつけて、磨けば取れる」というわけは行かないので、却って厄介です。

  また、スタンドを掛けた時に下側になる所は、磨くにも磨き難く、また、乗っている時に、本人からは見えない位置なので、錆びている事に気付かないケースも多いです。 やはり、ステンレスにしてもらうのが、一番か。 だけど、コスト低減が非常に重要な、軽快車では、スタンドにステンレスは、難しいでしょうなあ。


  あと、これは、シティー・サイクルにも言える事ですが、オート・ライト付きの自転車の場合、ハブ・ダイナモから、ライトまで、前籠の支柱に巻き付ける形で延びているコードも邪魔臭いです。 見た目はそれほどではないのですが、あの螺旋コードがあると、支柱部分を磨けないので、そこだけ、集中的に錆びて来るんですな。 勘弁してくれよ。 それでなくても、錆び易いメッキ部品なのに。

  あれは、コードを専用のケースに納めて、取り外し可能なアタッチメントで、支柱に取り付けるようにすれば、すっきりするんじゃないでしょうか。 ライトを低くして、ハブのすぐ横に付けてしまうという手もありますが、それをやると、灯りの位置が低くなり過ぎて、被視認性が悪くなるのが難点。

  オート・ライトは、確かに便利ですが、それ以前の問題として、夜間に自転車に乗るのは、少なからず、危険を伴う行為と考えた方がいいです。 通勤通学が使用目的でないのならば、夜に乗るのは、極力控えた方が無難でしょう。 ≪逢う魔が時≫と言いますが、夜をなめて掛かっていると、とんだ火傷を負わされます。

  真昼間でさえ、出会い頭の衝突事故は多いのですから、夜間では尚の事。 自転車の場合、オート・ライトであっても、光量は知れているので、車のように、ヘッド・ライトの光芒で、こちらの位置を相手に分からせる事もできません。 「夜だから、出歩いている人間は少ないだろう」という思い込みが、また輪を掛けて怖いのです。 考えている事は、歩行者側も同じで、「夜だから、車が少ないだろう」という発想の元、暗くなるのを待って、買い物や散歩に出て来る人は、決して少なくありません。 双方とも油断しているので、何が起こるか分かったもんじゃない。

  ちなみに、スポーツ自転車で通勤をしている人のブログを読むと、かなり強力な電池式ライトを装備している様子。 スポーツ自転車は、買った状態では、ダイナモ・ライトすら付いていないので、夜に乗るとしたら、電池式ライトを後付けせざるを得ないわけですが、光量が多いので、被視認性が高くなるのは、怪我の功名ですな。


  も一つ。 邪魔と言うほど邪魔ではありませんが、無くてもいいと思われる装備が、ベルです。 車のクラクションに相当する装備と思われていますが、自転車の場合、≪警笛鳴らせ≫の義務があるわけではなく、ほとんど、使い道がありません。

  歩道を走っている時に、前を行く歩行者をどかせるために鳴らしている人が多いと思いますが、意外な事に、そういう使い方は、違法なのだそうです。 歩道は歩行者優先で、客分に過ぎない自転車が、主人である歩行者をどかせるなど、以ての外なのだとか。 いやあ、知らなかったなあ。

  では、どんな時に使うのかというと、相手に自分の存在を知らせる事で、危険を回避できる場面で使うらしいのですが、そういう漠然とした事を言われてもねえ・・・。 で、結局、有効な使い道が無いのですよ。 違法行為を犯したくなかったら、ベルには一切触らず、スピードを出し過ぎないとか、周囲の確認を怠らないとか、別の方法で、危険を避けるしかないんですな。

2011/09/11

激怒誘発店員

  元々の性格のせいか、歳を取ったせいか、その両方が相俟ったせいか分かりませんが、ここのところ、日常的且つささやかな事で、頭に来たり、胸糞悪かったり、腹が立ったり、地団駄踏んだりするようになりました。

  夏休み前にバイクのエンジンが掛からなくなり、ずっと、バイク屋に預けてあったのですが、それが、数日前に、「修理が終わった」という電話が来ました。 ガソリンだの、プラグだの、コイルだの、エア・クリーナーだの、エンジン・オイルだの、あちこち交換しまくって、42500円も掛かってしまった事にも釈然としないものがありますが、まあ、古いバイクの事だから、それは堪忍するとして、ドタマに来たのは、引き取りに行った時の、受付店員の態度です。

  30代半ばくらいの女の店員で、初めて顔を見たのは、バイクを預ける一週間くらい前の事。 フロントのブレーキ・パットを買いに行ったら、店長は接客中で、私の相手をしたのが、その女店員でした。 この店の特徴で、必ず、女性店員が一人いるものの、しょっちゅう入れ替わっています。 そして、彼女らに共通するのが、仕事が大雑把だという事。

  ブレーキ・パッドの現物を持って行ったのに、「品番が分からないと、在庫が調べられない」と言われました。 メーカーの専門店ですから、そんなにパッドの種類があるわけではないんですが、外観を見ただけでは、分からないらしいのです。 もう、この時点で、嫌な予感がしていたのですが、見事に的中しました。

  バイクの車種と年式を伝えましたが、パソコンであれこれ調べても、つきとめられない様子。 痺れを切らした私が、「顧客名簿に、名前がありませんか」と言うと、こちらを見もせずに、「ああ・・・」と頷き、ようやく、データが見つかったようなのですが、分かった品番で、在庫確認したら、無かったそうで、「取り寄せになります」ですと。 この間、10分くらい。

  普通、ブレーキ・パッドの在庫など、店には置いてないものなので、取り寄せになります。 この店に、パッドを買いに来たのは、10回を軽く超えますが、在庫があったのは、ただの一回きりなので、こちらには、それが分かっているのです。 それ故、どうせ無いに決まっているのに、在庫確認のやり取りをするのが、非常に煩わしい。

  よしんば、在庫があったとしても、店長が探せば出て来たと思いますが、この新人女店員には見つけられないと思うのです。 小さな店ですから、店長や古株の整備士しか知らない事がいっぱいあるのであって、新人なんかに、部品倉庫の全レイアウトが把握できるとは、とても思えません。

  また、新しく入った店員というのは、必ず、前払いを要求します。 バイク屋で部品を注文する時には、前払いが多いのですが、それは、不良少年や暴走族が、注文だけして取りに来ないケースがあるからで、普通、大人で何度も来ている客は、除外されます。 その辺の見分けが、新しい店員にはつかないらしく、当然のような態度で、前払いさせるのです。 「お前は、信用できない」と言われているようなもので、何度やられても、気分が悪いです。 顧客リストに名前があった時点で、その判断がつきそうなものですが、そこまで頭が回らないのか、元から性格が悪いのか・・・。

  具体的なやり取りもさる事ながら、この店員、バイク屋の仕事が分からないくせに、「自分は何もかも分かっている」と思い込んでいるような態度が見られ、それが、客を苛立たせます。 「少なくとも、客よりは、店員である自分の方が、店の事に詳しいはずだ」と思っているようなのですが、それが大きな思い違いなのです。 バイクの車種ごとの部品があるか無いかなどは、客の方が良く知っているのです。 この新人が勤め始める15年も前から、この店に来ているのですから。


  で、そういう、嫌な店員なのですが、バイクを引き取りに行った時にも、店長が不在で、その女が受付をしていました。 私が先に店に入り、その後ろから、スクーターを取りに来た老人がやって来たのですが、この女店員、私を無視して、老人の方に駆け寄って行きました。 その老人、釜を掘られて転倒し、足を悪くしたらしいのですが、駐車場や電車の席ならいざしらず、店の順番で、怪我人優先など聞いた事がありません。 

  それも、先に一言、私に向かって、「少々、お待ち下さい」とでも言っていれば、堪忍のしようもありますが、全くの無視です。 接客の基本も分かっていない。 自分が同じ目に遭わされたら、どう感じるか、考えた事も無いのか? たぶん、この女、ブレーキ・パッドの一件で、在庫確認に手間取って、私を苛立たせたのを逆恨みし、嫌がらせを込めて、無視したのでしょう。 もし、私が、「こっちが先だろう」と怒り出しても、「怪我をしている人が先です」と応じれば、言い訳が利くとでも思って。 いかにも、馬鹿の図りそうな事だて。

  で、そういう情況になった時、若い頃ならば、「世の中、こういうものだろう」と思い、じっと堪忍して、平静を装っていたのですが、最近は、堪え性がなくなり、不快な思いをすると、その感情が、もろに態度に出てしまうようになりました。

  老人がスクーターを受け取って帰り、女店員が、否が応でも、私の相手をしなければならなくなると、思いっきり、つっけんどんに、言ってやりました。

「バイクを取りに来ました!」
「お名前は」

  馬鹿が、もう忘れたのか。

「○○です!」
「車種は?」

  どこまで馬鹿だ。 客の名前を覚えられなくても、バイクと客の組み合わせくらい、イメージで分かるだろうが。 大体、修理が終わったバイクの数など、一日に何台も無いのだし、修理明細や領収書も用意してあるのだから、名前だけでも分かりそうなものだ。

「○○○です!」
「42500円です」

  で、金を払ったものの、それでおしまい。 バイクの所まで案内するわけでもなく、私が乗って来た代車を片付けるでもない。 どこまで、無能だ? こんな馬鹿店員を雇っている店長の気が知れません。 そういえば、足を悪くした老人も、「店長はいる?」と聞いていましたが、おそらく、ほとんどの客が、そのセリフを口にしているのではないかと思います。 別に、店長と話をしたいからではなく、この馬鹿女が相手では、心許ないからです。

  まだ、勤め始めで、仕事内容が分かっておらず、オロオロしている店員も困りますが、分かっていないのに、その自覚が無く、もう、30年も勤めているような顔をして、態度ばかり一人前という奴は、とことんむ骨の髄まで、救いようがありません。 こういう人間、店だけでなく、いろんな職場で見られますな。


  こういう事を書いていると、若い男性などは、「女に向かって、そんなに怒ってどうすんの? 心が狭いんじゃない?」と、思うと思います。 私も、若い頃なら、そう感じたと思います。 確かに、心が狭い。 しかし、それが分かっていても、こういうタイプの店員が、許せなくなって来たのです。

  やはり、結婚を諦めた辺りが、ターニング・ポイントだと思いますが、女性に特別に優しくする理由が無くなってしまったんですな。 私も若い頃には人並みに、周囲から、特に女性から、「いい人」と思われたいと思っていました。 また、フェミニズムに共感するところもあったので、性差別の類は今でも、嫌いです。 しかし、性差別をしないという事は、女性だからといって、特別扱いしないという事でもあります。 そういう基礎があった所へ、「ええカッコしい」の動機が失われてしまったので、他人を全て、能力のみで判定するようになり、この種の、「無能なくせに、性格が悪い女」が許せなくなったのです。


  そういえば、昔、フィルム式の一眼レフで写真を撮っていた頃の事ですが、近所のカメラ屋に、しょーもない女店員がいました。 その店員は、私より年上で、つまり、オバサンだったわけですが、カメラ屋に常勤で勤めているくせに、写真機器の知識が足りず、頓珍漢な応対ばかりしていました。

  ポジ・フィルムを見る時に、下から光を当てる、≪ライト・ビュアー≫という機械があるのですが、それを買いに行った時、私が、「フジ・フィルム社製の、薄型のライト・ビュアーがあるばずなんですが」と、指で厚みを示しながら訊くと、「そんなに薄いのは無いですねえ。 みんな、こういうタイプですよ」と、ショー・ケースで売れ残っている、倍以上分厚い、旧式の機械を売りつけようとしたのです。

  「無い」と断言するところが凄い。 こちらは、本屋でカタログを調べてから来ているので、無いわけが無いのです。 で、しつこく粘って、店用のカタログで調べてもらうと、ちゃんと載っているのです。 品目もメーカー名も分かっているのですから、調べるのに掛かった時間は、正味30秒くらいです。 なぜ、「無い」と言い切る前に、調べないのか? あまりにもいい加減な態度に、呆れて物も言えません。 仕事を何だと思っているんでしょう?

  このカメラ屋の店員と、バイク屋の店員に共通しているのは、「自分は、客よりも、扱っている商品に対して、詳しい知識を持っている」という、思い込みです。 そして、その思い込みを元に、「客は、専門知識を持っている自分の言う事に従うべきである」という、論外極まりない増上慢に陥っているのです。 自惚れも、ここまで来ると、有害の一語に尽きます。

  こういう人間を雇う方にも問題があると思います。 「受付店員など、誰にでもできる」と考えている点が、そもそもの間違いです。 なるほど、コンビニの店員は、高校生バイトでもやっていますが、専門店では、取り寄せや、修理以来など、込み入った仕事が多くなるので、その店の商品に興味が無いとか、あったとしても、素人レベルに留まっているという人では、務まらないのです。

  ちなみに、素人レベルというのは、自分が持っている製品や、欲しいと思っている製品には詳しいが、それ以外の物には興味が無いという人の事で、専門店に入り浸って、常連面で、べらくちゃと話をしこましている連中などが、軒並み、その口です。 時折、こういう馬鹿な奴が、準店員気取りで、しゃしゃり出て来て、他の客の持ち物だというのに、「こんなバイクなら、もっと安い部品で充分じゃないの? えへらえへら・・・」などと、軽口を叩いき、赤の他人を怒らせて、顔面蒼白、そそくさと逃げ出したりします。


  話を戻しますが、「客のほとんどが男」みたいな業種では、店員に女性を雇わない方がいいと思います。 中には、スケベー根性で、「女の店員の方が、当たりが柔らかくていい」みたいな事を言う人もいますが、肝腎の商品について、話が通じないのでは、言葉通り、話になりません。 まして、詳しくない奴が、一番詳しいような顔をしていると、腹が立って腹が立って、健康に悪いったらありゃしない。

  実は私のバイク、タイヤが前後ともに、もう山が減り切っていまして、まずくすると、今年の冬には、交換しに行かなければなりません。 その時までに、あの女店員がいなくなっていればいいんですがねえ。 その店、結構、従業員の入れ替わりが激しく、3年くらい経つと、店長以外のメンバーが、総入れ替えになってしまうのですが、それでも、半年くらいでは、まだ残っている可能性大。 嫌だなあ、また、馬鹿に煩わされるのは。

  ちなみに、カメラ屋の方は、もう昔の話なので、すでにその店は無くなっています。 「そんな物は無い」と言い切った馬鹿女は、たぶん、最後までいたんじゃないでしょうか。 客から見ると、無能以外の何者でもない店員でも、店長は気付かないというケースが、非常に多くあるようですな。 客を不愉快な気分にさせるような店員がいたのでは、他の面でどんなに経営努力をしたとしても、営業を続けるのは難しいでしょう。

2011/09/04

台所テレビ

  性懲りも無いのにも限度があると思うでしょうが、またまたまた、テレビの話です。 今度は、台所のテレビを買い換えるという計画。 私が自室に液晶テレビを買ったのを横目で見ていた母が、「台所のも、液晶にしたい」と言い出したのです。

  実は、この展開は想定内でした。 初めて台所にテレビを置いたのは、もう四半世紀も前の事ですが、その時も、私が自室にテレビを買ったのを見て、母が父に相談し、私が買ったのと全く同じ機種を買って来やがったんですな。 シャープの、14型ブラウン管、リモコン無しでしたが、3年くらいで、2台ともチューナーがいかれて、ビデオ・デッキのモニターにしか使えなくなり、ここ10年ほどは納戸にしまいこまれていたのですが、つい先日、家電リサイクルに出されました。

  で、今回も、同じパターンになるのではないかと予想していたのですが、案の定、そうなったというわけ。 人の心というのは醜いもので、家族に対しても、対抗心を燃やすわけです。 息子が液晶を買ったから、自分も買いたい。 しかし、自分の部屋の大型ブラウン管テレビは、まだピンピンしていて、映りも抜群にいいものだから、買い替えるわけには行かない。 そこで、台所においてある、14型の古いテレビを換えてしまおうと目論んだのでしょう。

  この14型テレビは、ナショナル、つまり、今のパナソニック製で、すでに、30年くらい経っている代物です。 チャンネルが、まだ、ダイヤル式で、ガチャガチャ回すタイプ。 正確に言うと、ダイヤルは二つあり、ガチャガチャ回すのは、VHFの方だけで、UHFの方は、無段階に回って、映像を見ながら、位置を調節します。 こういうテレビを見た事が無い人も多くなったでしょうなあ。 そういえば、某自治体の歴史資料館に行った時、ダイヤル式のテレビが、高度経済成長期コーナーの展示の中に置いてありました。 歴史的遺物になっているのか・・・。

  そんな古い物でも、VHFの12チャンネルを受信できれば、ケーブル・テレビのデシアナ放送を、ちゃんと見る事ができるのです。 ただ、このテレビは、元が14型なので、デジアナ放送の、上下に帯が入る映像では、画面が小さくなり、台所で三人で見るには、不都合が出ていました。 実質、12V型くらいの画面になってしまうのですから、1.5メートルも離れると、地震速報のテロップも、はっきり見えない始末。

  「買い換えろ」と母に言われても、「まだ、映るのに、勿体無い」と言って、突っぱねる事もできたのですが、私自身が、デシアナになってから、「これでは、小さすぎるな」と思っていたので、話に乗る事にしました。 ちなみに、我が家では、家電量販店に行って、家電製品を買って来れるのは、私だけです。 父も母も、あまりに歳を取ってしまい、スーパーやホーム・センターには行けても、製品について下調べが必要な物を売っている店には、近づけなくなってしまったんですな。

  いわゆる、≪街の電気屋さん≫が、近所にあるにはありますが、同じ製品の値段が、家電量販店の1.5倍もするので、さすがの私の両親も、ここ10年ほどは、全く声を掛けなくなりました。 値段が高い代わりに、設置・設定や修理をサービスしてくれるというなら、まだ分かりますが、ちょっと見て貰っただけで、「出張料、2000円、いただきます」などと言い出すので、呼ぶに呼べなくなったという次第。

  街の電気屋さんで買うと、なぜ高くなるかというと、人件費を値段に上乗せしているからだと思われます。 工場を出荷した時点では値段は全く同じなのであって、運送代にも差が出る道理がありません。 となれば、店に着いてから、何かが加算されるわけで、それは何かと言われたら、人件費しか考えられないのです。 街の電気屋さんで、金持ちという家は、まず見ないので、ぼったくっているとは思えませんが、規模が小さ過ぎて、合理化が利かないのかもしれませんな。

  「高いけど、困った時に、いろいろやってくれるから」という理由で、街の電気屋さんと付き合い続けている家もあると思いますが、うちの近所の電気屋の場合、私の母に家電製品の知識が無い弱味に付け込み、高い物を売りつけるような真似を一度したので、それ以来、信用を失ってしまいました。

  具体的に語ると、もう15年くらい前の事ですが、母が自室のテレビを買い換える時、「衛星放送が映るテレビが欲しい」と電話したのを、すでに、衛星チューナーが母の部屋にある事を知っていながら、衛星チューナー付きテレビを持って来たのです。 当然、チューナーがダブります。 衛星チューナー無しのテレビなら、2万円も安いというのに。

  私は、その時、テレビの買い換えの事を、事前に知らされていませんでした。 女の浅知恵という奴で、「家族に内緒で、いいテレビを買えば、羨ましがられるだろう」と考えて、わざと言わなかったのでしょう。 馬鹿だねえ。 前々から、「家電製品を買う時には、必ず相談しろ。 何も分からないまま、近所の電気屋に頼むと、高くつくから」と言っておいたのに、親というのは、いつまでたっても、子供より自分の方がしっかりしていると思い込んでいるようで、私の言う事なんか、真面目に聞いちゃいなかったのです。

  夜勤明けで、昼頃起きたら、母の部屋に電気屋が入っていて、衛星チューナー付きテレビを据え付けているのを見て、仰天しました。 衛星チューナー付きテレビなんぞ、録画もできないし、糞の役にも立たない事を知っていたからです。 電気屋を怒るわけにもいかないので、母に向かって、「こんな物を買って、どうするつもりなんだ? 録画なんか、できないぞ」と詰問すると、案の定、何の事やら、まるで理解していない様子。

  自分の懐ではないとはいえ、家族が2万円も高い物を買わされた事に我慢がならず、地団駄踏んで悔しがっていると、電気屋の方は、私が何を怒っているのか、すぐに分かったようで、「じゃあ、録画は、衛星チューナーの方を、ビデオに繋いでおきますから・・・」と言って、接続して行きましたが、もし私が起きて来なければ、そのまま帰ったのは間違いないところで、後になって、録画できない事に気付いた母は、途方に暮れた事でしょう。

  知識無しに、「衛星テレビが欲しい」などと電話した母もよくないですが、なぜ、そう言われた時に、「お宅には、衛星チューナーがもうありますから、普通のテレビでも衛星放送が見られますよ」と教えなかったのか、そこが許せません。 2万円高い物を売ろうとして、黙っていたに違いないのです。 ちなみに、その時買わされた衛星テレビは、まだ健在ですが、もちろん、アナログ衛星用なので、地デジ化以降は映らなくなり、ただのモニターとして使っています。


  う・・・、久しぶりに、話が台脱線してしまいました。 街の電気屋さんの話ではなく、うちの台所のテレビの話でしたな。 そうそう、うちの台所は、いわゆる、ダイニング・キッチンでして、台所と食堂が一つの部屋にあります。 広さはシステム・キッチンを含めて、8畳。 食卓は部屋のほぼ中央にあり、部屋の隅の中型冷蔵庫の上にテレビを置いています。 食事中に三人で見るわけですが、真正面に位置するのは、母の席だけで、私と父の席からは、斜め横の角度で見る事になります。

  その前に、私の部屋に19V型の液晶テレビを買っていたので、液晶の視野角が狭い事は分かっていました。 私のテレビの場合、左右は少々色合いが変わる程度ですが、下から見上げると、暗い部分が潰れてしまって、ネガ・フィルムでも見ているような、ひどい映像になります。 台所に置くなると、中型冷蔵庫の上ですから、椅子に座った人間の目の位置よりも高くなるわけで、「正面で見ても、駄目かもしれない」という危惧が、あるにはありました。

  危惧があったものの、「どうせ、食事中のテレビなんぞ、じっくり見るわけでもないし、絵が映って、音が出れば、それでいいだろう」と、テキトーに割り切りました。 それに、説明書を新しく読むのが面倒臭いので、この際、私の部屋に買ったテレビと、全く同じ機種にする事にしました。

  で、昨日の今日で、同じホームセンターに、同じテレビを買いに行ったのですが、同じ店員に頼んだにも拘らず、向こうは私の顔を覚えていなくて、「有名メーカーのと違って、端子の種類が少ないですが、いいですか?」と、同じ説明を繰り返しました。

  実は、私が買ったテレビには、端子はいろいろとついているんですが、この店員は、その店で売っているもう一種類のシンプルな機種と混同していて、間違った説明をし続けているのです。 しかし、私は、それをわざわざ指摘してやるほど、親切でも、お節介でも、閑でもありませんから、「はい、分かりました」とテキトーに相槌を打っておきました。

  店員が倉庫へ行っている間、私の心に充満していたのは、不安の二文字だけ。 視野角の問題もある上に、「三人で見るとなると、19V型では小さいのではないか・・・」と、それが心配になって来たのです。 しまった! 調査不足で、取り返しの付かない事をしたか・・・。

  ところが、手ぶらで戻って来た店員が、申し訳なさそうに言うには、「今朝まで在庫があったんですが、今見たら、無くなっていました」との事。 その店の家電コーナーには、他にも店員がいるので、別の人が売ってしまったのでしょう。 それを聞いて、私がほっとしたのは言うまでもありません。 これは、「同じ物は買うな」という、天の声に違いないと思いました。

  19V型でなければ、その上は、22V型です。 ホーム・センターや家電量販店の店頭には、22V型の安い品が無い事が分かっていたので、ネットで探す事にしました。 価格コムの22V型カテゴリー中、最安機種で、ネット・ショップは、送料も代引き手数料も無料の所と、とことん廉価狙い。 もちろん、機能・性能も検討しましたが、前にも書いたように、ネットで選ぶ場合、情報が少ないので、どうせ、正確なところはわかりません。 そこで、外れても損害が少ないように、徹底して、低価格に拘った次第。

  具体的に言うと、≪カメラのキタムラ・ネット・ショップ≫なのですが、買い物カゴがあるくせに、一品ずつしか注文できないという、ちょっと妙な所でした。 注文中に、突如、システム・メンテナンスに突入されて、入力情報が消えてしまうトラブルに見舞われたものの、めげずに再挑戦し、何とか注文を終えました。  注文したのは、夜11時頃でしたが、翌日の朝8時には、発送したとのメール。 いやあ、メールが来て良かった。 いい加減なショップで、注文したのに、梨の礫という所もありますから。

  今、ふと思ったんですが、「メールがきて良かった」という場合、「メールが来て」よりも、「メールが着て」の方がいいんすかね? 「着メール」という言葉もあるし。 いやいやいや、そんなこたないか。 終止形にして、「メールが着る」にすると、「くる」ではなく、「きる」になってしまいますから、それはあり得ません。 「着メール」の「着」は、「きる」ではなく、「つく」の方ですな。

  いや、そんな事はどうでも宜しい。 カメラのキタムラの本拠地は、香川県にあるそうで、そこから静岡県東部まで、宅配便で、約一日半。 注文した日から数えると、翌々日の昼過ぎには、うちに到着しました。 私は、仕事があったので、現物を見たのは、夕方、家に戻ってからです。

  買ったのは、≪TruLuX 22V型 地上デジタルフルハイビジョンLED液晶テレビ TLX-LED220BV2≫。 外国製で、輸入販売業者は、≪勝山≫。 送料・代引き手数料込みで、21980円。 このお金は、当然の事ながら、言いだしっぺの母が払いました。

  結構大きな箱。 置き場所は中型冷蔵庫の上ですが、「大き過ぎて、載らなかったら、どうしよう」と心配させられるほどに・・・。 しかし、開梱してみると、緩衝材の発泡スチロールの分が出っ張っていただけで、テレビ本体は、そんなに大きくはありませんでした。 野次馬根性で見に来た父が、「なんだ、おみゃーのテレビと変わらにゃーな」と言うほどに・・・。

  枠や背面には、キズ防止のビニールが、隙間無く貼られていました。 とりあえず、映るかどうか確かめなければならないので、台所に運び、仮置き。 大きさは、置き場所に対して、充分ゆとりがあります。 ついて来て、置くのを見ていた父が、「26型くらいでも置けるな」と言うほどに・・・。 さすがに、26では大きすぎると思いますが・・・。 父は毎日、閑なので、転倒防止の固定具を作って欲しいと頼んでおきました。

  台所は、地デジのアンテナ線しか来ていないし、録画機も無いので、接続は、アンテナ線と電源コードを繋ぐだけ。 他の端子がうじゃうじゃついていますが、使わないので、埃除けにビニールを貼り付けて、覆ってしまいました。 B-CASカードは、マイクロSDカードのような小さなタイプで、ちょうど、カメラに挿すような感じで、ゆっくり挿し込むと、かすかにカチッと止まる感覚があります。 強く押し込むと、バネで戻ってしまいます。 チューナーが地デジ・オンリーの場合、番号登録が必要になるわけでもないし、こんなので充分なのでしょう。 カード・カバーが付いていて、埃除けになるのは、親切な配慮ですな。

  チャンネル・スキャンをかけると、あっさり映りました。 私の部屋のテレビもそうでしたが、テレビの場合、説明書を読まなくても、チャンネル設定までは、勘で進められるかもしれませんな。 どの機種も、似たようなものです。

  映像は、私のほど精細ではないですが、視野角は思っていたより、ずっと大きく、母の席はもちろん、父や私の席から見ても、はっきり見えます。 音声も大きく、申し分ありません。 ボトム・スピーカーなのに、籠った感じが全く無いのは不思議。 画面の下に、細長い幕のような物で覆われた部分があるのですが、もしかしたら、そこから前に向けて、音が出るようになっているのかもしれません。 やはり、私のと同じ物を買わなくて正解だったかもしれませんな。 天啓には従うものなのか。

  本体側面にもボタンが付いているのですが、暗がりになって、よく見えないので、操作は全て、リモコンを使う事にしました。 リモコンは、ボタンが大きく、使い易いです。 ちなみに、私のテレビのリモコンも、同様。 こういう点を、国内メーカーにも、真似てもらいたいものです。

  父に頼んだ固定具ですが、テレビのスタンドを覆って、下の台にネジ留めする板を、すぐに作ってくれたものの、廃材利用で、椅子の背凭れ板を切って作ったせいで、表面が緑色。 テレビは黒で、台は木製ですから、緑の固定具はどう見ても、配色がおかしいと思うのですが、年寄りは、そんな事は気にしない様子。 どうにも、我慢できないので、私が、艶あり黒のスプレーで色を塗り直しました。 よしよし、これで、AV機器っぽさが戻った。


  で、買ってから、5日ほど経ちましたが、調子よく見ています。 私の19V型と比べると、総合的に見て、こちらの方が、確実に品質が高いです。 たった2000円高いだけで、これだけ、差があるんですねえ。 たまたま、いいのに当たっただけかもしれませんが、ネットで買うのも、悪い事ばかりではないんですなあ。

  ちなみに、今回も、いろんな機種のレビューや口コミを読みましたが、まだ発売されて間が無いからか、この機種に関しては、レビュー1件、口コミ2件しかなく、それらも、貶してはなかったので、余計な雑情報が入らなかったのは、幸運でした。