2012/05/27

もともと優秀

  どうも、≪エ●ピーダ・メモリ≫と、≪ル●サス・エレクトロニクス≫を混同してしまって、困るのですが、先に倒産したのが、エ●ピーダで、今、やばい状態に陥っているのが、ル●サスの方なんですね。 そういう事で宜しいですね。 いや、間違っているかもしれませんが、いちいち、調べ直すのも面倒なので、そういう事にしておきましょう。

  どちらも、日本の半導体メーカーで、どちらも、家電・重電・パソコン各メーカーの半導体部門が、統合して出来たという経歴を持ちます。 いわゆる、寄せ集め会社ですな。 いや、寄せ集めだから、傾いたとは言いませんよ。 確かに、複数の会社が一つになると、旧会社の派閥が幅を利かせて、組織運営に悪影響が出るものですが、統合した会社が、全て、失敗しているわけではありませんからね。

  都市銀行なんて、行名だけ聞くと、冗談としか思えないような、凄まじい離合集散を繰り返しましたが、未だに企業番付の上位を占めており、「統合会社のくせに、どうして、そんなに利益が出るんだ?」と、不思議でなりません。 もっとも、「都市銀行が左前になるのは、これからだ」という見方もできるので、あまり誉めるのも考えものですが。

  話を戻します。 マスコミは、企業が潰れる時には大騒ぎしますが、統合して新会社が発足した時には、見向きもしないので、そもそも、この二社が、一体、いつ出来たのかも知りませんでした。 統合するならすると、新聞に見開き広告を十日間連続で出すとか、テレビCMを流すとか、印象的な周知をしてもらわないと、カタカナ社名だけに、「一体、どこの国のメーカーだ?」と首を捻ってしまいますな。

  二つの半導体メーカーが、急激に業績悪化した原因は、円高や、欧州金融危機による景気減速、新興国企業の追い上げ、など、いろいろあるようですが、なんだか、言い訳っぽい分析ですなあ。 円高は、海外に生産拠点を移さなかったのが悪いのであって、対策は取れたはずですし、欧州金融危機は、新興国企業にも同じ条件で降りかかったわけで、日本企業だけが、ダメージを受けたわけではありません。

  残るは、新興国企業の追い上げですが、これは、つまり、日本企業が市場の競争で、負けたというだけの事であって、原因というより、結果でしょう。 スポーツに譬えれば、

「我がチームが負けた原因は、相手チームが強かったからだ」   と言っているようなもの。 アホけ? その強い弱いを決めるのが、勝負やないか。 いや、待てよ。 実際に、こういうセリフを口にする監督というのはいますね。 敗因を訊ねられて、憮然とした態度で、

「敗因も何もありません。 相手が、うちより強かったというだけの事です」

  いるいる、確かにいる。 下手な言い訳をするより、潔く弱い事を認めてしまった方が、カッコがつくと思っているのだと思いますが、よく考えてみると、弱い事を認めるなんていうのは、敗因分析以前の問題であって、質問の答えになっていません。 こういう物言いをする監督というのは、合理的な問題解決方法を知らない可能性が高いです。 さっさと、クビにした方がいいでしょう。

  また、話を戻します。 エ●ピーダと、ル●サスどちらの会社の人間だったか忘れましたが、幹部だか、技術者だかが、象徴的な言葉を発していました。

「日本の技術が負けるとは思っていなかった」

  おおう! もしかしたら、そういう人間がいるのではないかと思ってはいましたが、本当にいたんですねえ。 「勝つと思うな、思えば負けよ」という言葉を知らなかったか、ただの歌の文句に過ぎないと思っていたか、いずれにせよ、こういう人間がいたのでは、その組織は、生き残れますまい。 「絶対、勝てる」と思い込むのは、判断ではなく、単なる信仰です。 宗教の論理が内輪にしか通用しないのと同じで、外の組織との競争には、全く役に立たないばかりか、却って、足枷になってしまいます。

  そういえば、1990年前半、つまり、バブル絶頂期から、バブル崩壊の頃ですが、韓国企業が、アメリカ市場に進出し始めた事を伝える報道番組を見ていたら、インタビューを受けた日本の家電メーカーの幹部が、似たような事を言っていました。

「韓国企業には、勝てます」

  自信満々という感じではなく、幾分、悲壮な表情を見せつつも、言葉に限って言えば、きっぱり、断言していました。 一方、同じ質問を受けた、日本の自動車メーカーの幹部は、ニタニタ笑いながら、こう答えていました。

「韓国企業にですか? ふふふ、そうですねえ。 追いつかれてしまうかもしれませんねえ」

  当時、それを聞いた私は、「家電は、その内、やられてしまうだろうなあ。 車は、もうちょっと、長く踏ん張れるかも知れぬ」と感じました。 家電メーカーの幹部は、韓国企業の追い上げに危機感を抱いていたにも拘らず、負ける可能性がある事を認めなかったわけで、これは、判断ではなく、信仰です。

  一方、自動車メーカーの幹部は、「まだ、追いつかれるには、時間がかかるだろう」と分析しつつも、一応、抜かれる可能性について、念頭に置いていたわけで、まずまず、合理的な判断能力があったと言えます。 家電と車の、その時の違いが、20年経過した現在に、結果として現れているのだと思います。

  ただし、日本の自動車メーカーが、今後も磐石だというわけでは、もちろん無く、家電よりは、少しは長持ちするという程度の違いです。 自動車メーカーは、家電とは比較にならないほど、国内生産拠点の維持に拘る傾向があり、経済状況の推移次第では、業界全体が一気に崩壊に向かう恐れもあります。


  自信というのは、自信の無い者が自分の実力を引き出す為に持つ分には、悪いものではないと思います。 しかし、すでに自信に満ち満ちている者が、余計に自信を持つと、ろくな結果になりません。 自分に、実力以上の能力があると思い込んでしまうわけですから、それ以上の努力など、当然しなくなるわけで、進歩が止まってしまうわけです。 進歩しない者が、不断に進歩している者に勝てるわけがないではありませんか。 それは、個人でも組織でも同じ事です。

  かつて、≪ゆとり教育≫というのが行われて、惨憺たる結果に終わりましたが、あれは、日本社会全体の自信過剰が原因で始まったものでした。 国際比較で、日本の学生の成績が良かったものだから、「日本人は、もともと優秀な民族である」と思い込んでしまったのです。 「もともと優秀なのだから、少しカリキュラムを易しくして、浮いた授業数で、日本人の弱点とされている、創造力を養う教育をしよう」と目論み、≪詰め込み教育≫から、≪ゆとり教育≫へと、変換を計ったわけですな。

  ところが、≪ゆとり教育≫を始めた途端に、成績が落ち始めました。 日本の学生は、「もともと優秀」だったのではなく、詰め込み教育のおかげで、辛うじて、成績上位を保っていたのです。 それをやめたのだから、アホが続出するのは、自然の摂理。 ≪総合学習の時間≫? なんじゃ、そりゃ? 老人の痴呆予防講習ならいざ知らず、子供にしてみれば、遊んでいるのと変わらないでしょうが。

  それでなくても、天才が出て来ない民族性なのに、秀才すら作り出せなくなってしまったのだから、知性も教養もあったもんじゃありません。 「一億総白痴化」なんて言っていた頃が懐かしいですが、昨今の知識人のレベルを見ていると、昔の白痴は、たいそう知性に溢れていたという事になりますな。 ≪詰め込み教育≫の時代の知性レベルを知りたかったら、図書館へ行って、当時の新聞を読んでみるといいです。 今の新聞が、ただの情報紙にしか見えなくなるから。


  またまた、話を戻します。 実際には、新興国企業に負けているのに、日本企業はなぜ、「自分達の方が、勝っている、進んでいる、優れている」と信じ込んでしまったのか? 「もともと、そう思い込んでいた」なんて事はありません。 日本企業が、欧米企業に追いついたのは、家電で80年代、車で90年代の事で、それ以前は、明らかに、「追う立場」でした。

  家電は、90年代半ばには、新興国企業に追いつかれ、じわじわ抜かれて行きます。 日本企業がトップだった間は、日本企業が中心になって、世界規格を決めていましたが、今、振り返ってみれば、間違いなく世界標準になったのは、ビデオ、CD、DVDくらいのもので、それはもう、80年代の昔です。 その後、MDが不完全燃焼に終わり、ブルーレイが国際市場で無視されている有様をみれば、日本の家電メーカーの天下が、いかに短かったかが分かろうというもの。

  薄型テレビでは、しばらく、トップ集団に喰いついていましたが、先頃、有機ELで、韓国企業に致命的な差をつけられ、完全に抜き去られました。 その時、ある日本の家電メーカーの経営者が、記者会見で発した言葉が、印象的、且つ、象徴的でした。

「2015年までには、わが社も有機ELを出します」

  生き馬の目を抜くような競争の激しい業界で、三年も先の話をする神経が分かりません。 そのメーカーの株価は、その会見の後、値下がりしましたが、投資家の面々が、この呑気な発言に、ぞーっと背筋を寒くしたのも無理からぬ事です。

  有機ELのショックは大きかったらしく、「技術的には、すぐ作れる」だの、「台湾メーカーに技術供与して、生産委託する予定」だの、日本メーカーの発表が相次ぎましたが、こうした発言自体が奇妙奇天烈で、技術的にすぐ作れるなら、なぜ、試作品だけでも、韓国メーカーに先んじて発表しなかったのか分かりませんし、台湾メーカーに供与するほどの技術があるなら、なぜ、高価格帯の製品だけでも、自前で作らないのか分かりません。

  もしや、有機ELの技術なんぞ、薬にしたくも持っておらず、単に、自社の株価を落とさない為に、ハッタリを打っただけなのではありまいまいか? とにかく、作れると言うなら、すぐにでも、現物を見せるべきです。

  車は、2000年代に入った頃には、韓国車に抜かれていてもおかしくなかったのですが、アジア通貨危機で、韓国企業の世界展開にブレーキがかかったために、言わば敵失で、若干の猶予期間を稼ぎ、更に、ハイブリッド車をたまたま、世界で最初に市場投入できたお陰で、猶予期間を引き延ばす事に成功しました。

  ハイブリット技術自体は、エコでもなんでもない、ハッタリ技術だと思いますが、ハッタリだろうが、ごまかしだろうが、買い手さえ騙せれば、競争に勝てるのであって、この点、ト●タやホ●ダは、有用な技術を手に入れたといえます。

  しかし、先にも書いたように、日本の自動車メーカーは、国内に主力の工場を維持している限り、利益がジリ貧になるのは目に見えており、今後の世界市場でトップ集団に残るのは難しいでしょう。 今や、日本車程度の性能・品質の車なら、どこの国でも作れるのです。


  かくのごとく、日本企業が、世界のトップにいた期間というのは、大抵の日本人が思っているほど、長いものではありません。 家電でも、車でも、ほんの10年ほど、トップにいただけなのですが、まるで、天地開闢以来、連綿と続く名家の出自であるかのような錯覚に囚われてしまったのです。

  技術革新が目白押しの業界では、その技術のパイオニアである企業ですら、ちょっとした経営判断のミスで、凋落を免れないのですが、しばらく、トップにいたというだけで、天狗になっていたのでは、落ちて当然、抜かれて当たり前。 「負けるはずがない」などという宗教的信念など、屁のつっぱりにもなりません。


  また、日本の技術者達に、極悪の影響を与えているのが、新聞やテレビなどの、≪日本の技術礼賛報道≫です。 NHKの、≪プロジェクトX≫辺りが、その嚆矢だったと思うのですが、とにかく、日本企業や、日本人学者の開発した技術を、誉めて誉めて誉めちぎる。 囃して囃して持て囃す。 節操のかけらもありません。

  技術開発部門を持っているところなら、世界中どの国の会社でも、日常的にやっているような些細な事を、針小棒大に引き延ばし、まるで、神話の出来事のように美化して、≪感動の開発秘話≫を作り上げてしまいます。 そんな、映画の元話になるような事例が、そうそうたくさんあるわけがないのであって、しまいには、ネタ切れして、ヤラセ、捏造に走り、番組打ち切りになる始末。

  新聞も凄い。 日本の新聞の科学技術面には、日本人の業績しか載りません。 見出しだけ見て、「面白そうだな」と思って、読み始めるのですが、出て来る研究者や開発者が日本人ばかりなので、だんだん、胡散臭さを感じるようになり、まず、人の名前を探して、日本人の研究だと分かった時点で、読むのをやめる事にしました。

  オマケに、笑ってしまう事に、外国人の業績になる新発見・新開発のニュースがあると、科学技術面ではなく、三面に出ます。 まるで、「わざわざ、科学技術面に載せるほどの功績ではない」とでも言いたいかの如く。 一体、どういうつもりで、紙面構成をしているやら。 これは、差別以上の重大問題で、宗教を通り越して、記者の精神異常すら疑わせます。

  私は、科学技術ほど、国や民族の境が無い分野も無いと思っているのですが、日本の新聞やテレビは、まったく正反対の考え方をしているようで、彼らにとって、科学技術とは、自分の国や民族を自慢するための道具でしかないのです。 ちなみに、日本の新聞で、科学技術面を担当しているのは、理系教育を受けた、≪科学記者≫なのだそうですが、ちゃんちゃらおかしいにも程がある。 肩書きに「科学」の二文字を使う資格なぞ、到底あるまいに。 ただの、低次元な民族主義者ではないですか。


  厄介な事に、新聞やテレビの科学技術面や科学技術番組は、文系の門外漢どもが作っているわけですが、読んでいる方、見ている方には、理工系が多いのですよ。 そういう内容に興味がある人であればこそ、記事を読んだり、チャンネルを合わせたりするわけですから。 これが、悲劇の元凶。

  職場では研究室に閉じこもって仕事をしていて、外部の情報が伝わり難いところへ持って来て、家に帰れば、新聞やテレビで、「日本の技術は、最高だ!」の大合唱をしているわけです。 もともと、世間知らずな人が多いですから、手も無く騙されて、「そうか、俺のやっている研究は、断トツで、世界一なんだ!」と、信じ込んでしまうわけですな。

  実際に、トップであろうがあるまいが、自分の事をトップだと信じ込んでいる人間が、いつまでもトップの座にいられないのは、上にも書いた通りです。 当たり前ですわな。 トップならば、別に努力する必要は無いんですから、呑気に構えている間に、どんどん抜かれます。 で、ある日突然、有機ELのように、圧倒的な技術力の差を見せ付けられて、寝耳に水で、口あんぐりで固まってしまうわけですわ。

  良識のある人が、日本企業の姿勢に、警鐘を鳴らして、

「とにかく、負けている事を謙虚に認めて、態勢を立て直すべきだ」

  なんて言っても、馬の耳に小判です。 なにせ、マスコミによる長年の刷り込みが功を奏して、「日本の技術は、もともと優秀だ」と信じ込んでいるものだから、そんな言葉は、雑音にしか聞こえません。 「聞きたくない」、「認めたくない」と言った方が、適当ですか。

  そういや、「もともと優秀」って、どこかで聞いた言葉ですねえ。 そうですよ、≪ゆとり教育≫の時に出て来た言葉ですよ。 馬鹿だねえ、逆だよ。 もともと優秀でないから、必死に努力して、レベルを保っていたんだよ。 それをやめてしまったら、普通のレベルにさえ留まれないのは、目に見えているではないですか。

  そもそも、技術というのは、不断に進歩させなければ、すぐに陳腐化するものであって、「蒔絵の箱に入れて戸棚の奥にしまっておけば、いつまでも価値が減じない」というような種類のものではありません。 科学技術を、≪柳生武芸帳≫や≪伊賀忍法帳≫と、混同しているのではないですか?

  「日本の技術は優秀」って、一体、いつの時点の、どの技術の事ですか? 未だに、≪ウォークマン≫の例を引っ張り出して、日本の技術を褒め称えようとする、骨董品のような人間がいますが、いいかげんに、目を覚ましなさいよ。 そんな物には、もう、何の価値も無いのですよ。


  ところで、私は、こんな事を書いていますが、「日本企業に復活してもらいたい」などとは、全く思っていません。 昔は、そう思っていたのですが、私自身が、もう人生を折り返して、ギラギラした事に興味を失ってしまい、一切合財、どうでもよくなりました。

  また、私が何を言おうが、日本企業の没落は止めようが無いと思うのですよ。 「もはや、手遅れ」というのさえ、当たっていない。 どの時点で、問題点を指摘しても、誰も言う事なんぞ聞かなかったに違いありません。 最初から、上って下る道を進んでいたのです。

  いいんですよ。 みんな揃って、「日本の技術は最高だ!」と唱えていれば、それで、幸福なんだから。 没落は没落、破滅は破滅として、その時はその時で、甘んじて受け入れればいいではありませんか。

2012/05/20

閉じ行く可能性

  初めて、パソコンを買って、かれこれ11年。 その間、ずっと、インターネットには、無限の可能性があるような気がしていたんですが・・・、ふること幾星霜、あれこれ考え、感じた末、それはどうも、錯覚だったのではないかと思えて来ました。

  何かを調べたり、商品を安く買ったりするのには有効だと思うので、一足飛びに、「無くてもいい物」とまでは言いたくないのですが、「無ければ無いで、どうにかなるだろう」と言われれば、それを否定する事は困難ですし、「いっそ、無い方が、せいせいするのではないか?」と指摘されたら、図星を指されたような気分に陥るのも、隠しようのない事実。

  便利な点の筆頭は、ネットが無かった時代には、調べようが無かった事を、いとも用意に調べられるようになった事です。 テレビや紙媒体の情報と違って、その時に欲しい情報を、こちらから能動的に調べに行けるところが、合理的です。 ネット前は、何か高い物を買う時には、総合カタログが載った雑誌を買って来なければなりませんでしたが、ネット後は、遥かに詳細な情報が、自室にいながらにして手に入るようになり、雑誌という物を、およそ、買わなくなりました。

  ついでに、本屋にも行かなくなりました。 この11年間に本屋で買った物と言うと、合計しても、1万円にもならないと思いますが、ネット前だったら、考えられない事ですな。 総額も僅かですが、その中に、雑誌は、一冊も含まれていません。 そういえば、雑誌業界は、廃刊が相次ぐ危機的状況が、延々と続いているようですが、それも、むべなるかな。 逆に、こちらから質問させてもらうなら、「今時、誰が、何の目的で、雑誌を買っているのですか?」という感じです。 そういう人達は、ネットを、やってないんですかね?

  雑誌の良くないところは、特定個人にとって、不要な情報の方が多い事です。 200ページあったら、読みたいところは、10ページくらいが、いいとこでしょう。 あとの190ページは、自分向けでない情報のために、無駄金払っているわけで、馬鹿馬鹿しいやら、勿体無いやら、エコノミー的にも、エコロジー的にも、居ても立ってもいられません。 雑誌を買う事を生活スタイルにしている方々、悪い事は言わぬ、即刻、そんな陋習は断ち切って、ネットに切り替えるべし。 部屋の中が、驚くほど、すっきりするぞ。

  おっと、脱線しとるではないか。 ネットの問題点を指摘したかったのに、誉めてどうする? 勧めて何とする?


  確かに、ネットは、何かを調べるのには、役に立つ。 ただねえ、お金もかかるんですよ。 通信費だけで、年に5万円くらいは払うわけで、一人で払っていると、結構、厳しいですな。 携帯を持っていれば、通信費が二重払いになってしまい、もはや、洒落になりません。 一人暮らしで、携帯を優先し、パソコンによるネットはやらないという人も多いのではありますまいか。 パソコンしかやっていない私から見ると、携帯オンリーの人というのは、「情報量、少ないだろうなあ」と思えるのですが。

  ここ数年、目が悪くなって、近くに焦点が合わなくなったせいもあり、携帯のあの小さな画面を覗き込む気になれません。 それは、スマート・フォンでも大差無し。 タブレット端末くらいになれば、まずまず見れそうですが、あんな大きな物を、持ち歩く人の気が知れませんし、家でのみ使うのなら、デスク・トップのパソコンの方が、遥かに使い易いです。 結局、私は、携帯端末には縁が無いわけですな。

  そうそう、タブレット端末と言えば、こないだ、ふと思い出したのですが、≪機動戦士ガンダム F91≫という劇場版アニメの中に、タブレット端末としか思えない道具が、ちらっと出て来ます。 軍の高官の息子で、外見はいいが、ちょっとオタクっぽい少年が持っていて、避難する途中、仲間に向かって、地図を表示して見せて、「ほら、僕の記憶に間違いは無いよ」というような台詞を口にします。 演出意図的には、空気が読めない金持ちのボンボンが、高いオモチャを見せびらかす様子を、皮肉っている感じでした。

  ≪F91≫は、1991年の公開ですから、作られたのは、それ以前で、タブレット端末どころか、インターネットも無い頃です。 そう思うと、「未来の道具を予言していたんだねえ」と感心しそうになりますが、よくよく考えると、それは買い被りなのであって、外見がタブレット端末に似ているというだけで、たぶん、ネット接続は念頭に置いてなかったと思われます。

  ちなみに、SF業界が、ネットや携帯の出現を予測できなかったのは、世界的な現象でして、アメリカの大作映画でも、日本のアニメでも、現物が出回る時代まで、それらしき物は、まったく姿を見せませんでした。 日本のSF作家が、世間から一目置かれなくなり、ファンを急激に減らしてしまった最大の原因は、ネットや携帯の登場を予測できなかった大失態にあると、私は見ています。 テレビ電話なんて、おっよそ使えない物は、早々と登場させていたのにねえ。 無様なほどに、貧困な想像力だったことよ。

  そういえば、≪ドラえもん≫の道具も、ほとんど、実現していませんねえ。 逆に、ネットや携帯を、ドラえもんがポケットから出したとして、それで、ストーリーが出来るかと考えると、結構、皮肉が利いた話が作れそうですな。 90年以前に発表していればの話ですが。

  まーた、脱線しとるのう。 何とかせねば。


  ネットのもう一つの便利さは、商品を安く買える事です。 特に、ここ数年は、送料無料のショップが増えたおかげで、俄然、買い易くなりました。 同じ商品なのに、実店舗より、2・3割安いのですから、ネットで買うなという方が無体です。 電気製品の場合、以前は、「実店舗で買っておいた方が、故障した時、簡単に持っていける」という利点があったのですが、経験的に、「家電製品は、保障期間内には、壊れないように出来ているらしい」と分かって来たせいで、いつしか、ネットで買う事に、抵抗が無くなって来たのです。 保障期間を過ぎた後の故障は、どの店へ持って行っても、同じですから。

  ネット通販の、最後の問題点は、千円以下の商品の送料を無くせるかどうかですな。 実店舗で800円の品が、ネットで300円で売っているのを見つけても、送料を500円以上取られるので、得になりません。 何か、高い物を買う時に、一緒に買うという手もありますが、家電製品では、なぜか、それを禁じているショップもあります。 今でも、封筒に入れられる大きさなら、ほとんど気にならない額の送料で買う事ができますが、それを、嵩張る物にも広げられないものか。 500円以下の商品の場合、出す気になる送料は、せいぜい、200円まででしょう。


  ただ・・・、ネットでは、買い易いがゆえに、必要無い物まで買ってしまう弊害が、常に付き纏います。 「そもそも、そんな製品がある事を知ったのが、ネット上だった」という場合、ネットをやっていなければ、そんな買い物をしなくても済んだわけです。 買わないで済めば、それより安い物はありゃしません。 ネットのおかげで、得をしたのか、損をしたのか、判別し難いところ。

  もし、一切、ネットをやっていなかった場合、通信費がまるまる浮くわけですが、「果たして、ネットでの買い物で、年に5万円分も得をしているのか?」と計算すると、とても、そんなところまでは達していません。 私が、この11年間に払った55万円の通信費は、それに見合う利益を、私に齎したのでしょうか? 大いに、疑問です。


  これは、調べ物についても、同じ事が言えるわけで、「知らぬが仏」という金言もあるように、何でも、知っていれば幸福というわけではありません。 たとえば、胸糞悪いニュースなどは、知らないまま過ごしてしまえば、知った場合よりも、確実に、精神衛生に良い影響を与えると思います。 試しに、ネットで得た情報で、いい気分になった事と、悪い気分になった事を、正の字書いて記録して行ったら、圧倒的に、悪い方が多いのではないでしょうか。

  社会問題や国際問題に興味がある事を売りにしている人達は、日々、ネットの情報に噛り付いて暮らしているものと思われますが、そんな事を続けてたら、24時間年中無休で、気分がムカムカしてしょうがないでしょう。 自分に直接関係無い事なのに、「許せん!」だの、「看過できぬ!」だのと憤って、机を拳で叩いたり、柱に額を打ち付けたりしてたら、身が持ちませんぜ。 許す許さんの前に、そんな、どーでもいー情報は、そもそも、頭に入れなきゃいいんですよ。 簡単且つ確実な対策ではありませんか。


  さて、ネットの最大の問題点に、話を移しましょう。 何かって? それは、赤の他人と知り合いになれる事です。

「それは、最大の利点なのでは?」

  いやいやいやいや、いやいやいやいや・・・、私も、長い間、そう思っていたのです。 そう思っていたからこそ、ネットを続けて来たわけです。 だけどねえ、時代は変わりましたよ。 もう、赤の他人と、ネットでお友達になるような御時世ではないのです。 悲しくも寂しい事にね。

  ネット社交は、パソコン通信の時代を別にすると、チャット、公共掲示板、個人サイトの掲示板、ブログ・コメント、ツイッター、フェイスブックと、移行してきたわけですが、あくまで、移行であって、発展ではありませんでした。

  チャットの忙しなさが嫌われて、公共掲示板に移り、公共掲示板の殺伐とした雰囲気が避けられて、個人サイトの掲示板に移り、個人サイトの掲示板のネタ切れや、長文書き込みの負担が疎まれて、ブログ・コメントに移り、ブログ・コメントでもまだ長過ぎると言って、ツイッターに移ったものの、結局、ツイッターも、赤の他人を相手にしなければならない事に変わりが無く、「他人にゃ、もう懲りた」というわけで、現実世界の知り合いのみを相手にする、フェイス・ブックに逃げ込んだというのが、現況でしょう。

  つまり、ネットに於ける他人との交友は、全世界的に、失敗に終わったのです。 これは、非常に重大な意味を持つ結果です。 ネットの持つ可能性レースに於いて、最も有力だった候補が、脱落してしまったわけですから。 背骨が抜けて、肋骨や腰骨だけ残っているという感じ。


「昨日まで、全然知らなかった人とも、すぐに友達になれる」

  ああ、懐かしい謳い文句ですねえ。 だけど、全て、錯覚だったんですなあ。 本当に、友達になれましたか? オフ会で顔を合わせるところまで行っても、結局、知り合い止まりだったんじゃありませんか? そして、最後に話をしてから、すでに何年も経っていて、「そういえば、あの人、どうしてるかなあ」などと、遠い目をして、思い出しているわけだ。 もちろん、かつて、会話を交わしていた掲示板は、とうの昔に閉鎖されているか、廃墟になっているかのどちらか。 うーむ、万骨枯る・・・。


  仔細に思い出すと、私がネットを始めた2001年には、公共掲示板が猖獗を極めていて、「誹謗中傷が目白押し」だの、「自殺を幇助している」だの、何かと社会問題化していました。 自分の事を、まともな人間だと思っていたら、そんな所に近づきはしないのですが、「ネット、イコール、公共掲示板の事」と勘違いした人達が、止せばいいのに関わって、ボロクソに吊し上げられて、心的外傷ストレスを喰らい、江戸の敵を長崎で討つべく、個人サイトの掲示板にまで、悪意に満ちた書き込みをして、顰蹙を買っていたものです。


  2003年頃には、すでに、個人サイトの掲示板は、回転が悪くなっていて、管理人がレスを書くのが嫌になって逃亡したり、誰も彼もが自分のサイトを立ち上げたせいで、客不足になり、一日一件の書き込みが、週に一件、月に一件、年に一件と減って行き、(言い回しの冗談ではなく、実際に、無数に発生した事)、誰にも知られないまま閉鎖される掲示板が相次ぎました。

  オフ会の弊害が問題になったのも、この頃でしたか。 礼儀を弁えて、楽しくやっていたのは最初だけ。 現実世界での交際を申し込まれたり、変な物を買わされたり、「お土産」と称して、要らない物をを押し付けられたり、家に押しかけられたり、まーあ、考えられるような事は、みんな、起こったようですな。

  特に、全然うまく行かなかったのは、男女間の交際です。 ネットでは、意気投合していても、実際に会うと、「顔が問題外」という事が多いため、「オフ会の直後から、掲示板に来なくなった」という人がうじゃうじゃ出る始末。 そりゃ、そうだよ。 現実世界でモテる人は、そもそも、ネットで交友しようなんて、思わないって。 味噌っ粕ばっかりが集まって、慰め合っているのがネットなのよ。

  ネットで知り合って、現実に交際し、結婚まで漕ぎ付けたなんて人は、どれだけいるやら。 ゼロとは言いませんが、相当には、稀なケースだと思いますよ。 「人は見た目が9割」というのは、嘘じゃないんです。 ネットで築いた関係を壊したくなかったら、現実世界では、決して顔を合わせない事ですな。

  掲示板が衰えると、個人サイト自体も、新規立ち上げが激減し始めました。 まあ、カテゴリーには限りがあるんだから、当たり前といえば当たり前ですな。 すでに、他の人がしっかりしたサイトを作っていると、後発組には、入り込む隙がありません。 真似をしても、客が来ないので、その内、飽きてしまって、放置や閉鎖という結末になるのです。


  で、2004年頃から、ブログが出て来て、 新たにネットを始めた人達は、ブログから入っていったわけですが、ブログも、個人サイトと同じ問題を抱える事になります。 あまりにも簡単に作れるため、全体数が多くなりすぎて、やはり、客不足に陥ったのです。 ブログで、真っ当に繁盛している所というと、有名人ブログくらいのものでしょう。 一般人の所は、まーあ、人が寄り付かないね。 「開設して一年経ったが、打たれたコメントは、一件だけ。 しかも、宣伝だった」なんてーのは、ザラです。

  で、考える事はみんな同じで、自分の所にコメントを打って貰いたいだけの目的で、別に興味も無い人のブログに、コメントを打ちに行くわけだ。 返礼で、来てくれると思ってね。 みっともないというか、虚しくならんかね? 私ゃ、すぐに、嫌になっちゃいましたよ。 エネルギーの無駄だね。

  また、ブログのコメントというのは、記事ごとに付くもんだから、同じ記事に打たれるコメントは、みんな、内容がそっくり。 レスの内容も、そっくり。 一つの記事に、コメントが20件ついていると、最初の10件は、似たような内容の書き込みで、後の10件は、似たような内容のレスなのであって、読む気も起こりません。 そんなの、交友ではないですよ。 ただの、機械的・義理的な作業に過ぎません。


  ブログのコメントでも、まだ長ったらしいという事で、登場して来たのが、ツイッターです。 これは、読むほどのボリュームは端から無いのですが、内容がスカスカ過ぎて、単に見る気にさえなりません。 確かに、呟いた程度の内容なら、文字にするのも簡単でしょうが、内容が無いんじゃ、面白くも何ともありますまい。

  現実世界に於いて、独り言をぶつぶつ言い続ける人というのがいて、別に害は無いものの、「あー、この人、ちょっと、心が病気なんだなー」と思いつつ、聞こえなかったふりをして、そっと、傍を離れるわけですが、ツイッターでは、その独り言を、他人に聞かせる事を前提に公表しているのだから、書いている方も、読んでる方も、たっぷり、病的です。

  なんで、こんなものが流行ったのか、首を傾げすぎて、ムチ打ちになりそうですが、考えられる説明としては、「他人と話がしたい。 だけど、長い文章を読み書きするのは、面倒臭い」という、その一心で、飛びついたという事でしょうか。 でもねー、呟き程度の情報量では、人間の思考の、ほんの表層だけしか伝え合えないと思いますよ。 わざわざ、手足を縛って競争しているようなもので、奇妙奇天烈でしょうに。


  さて、全てが行き詰った後、彗星の如く現れたのが、フェイス・ブックだったわけですが、これがまた、本末転倒を具現化したような代物でして、額に脂汗、背筋に冷汗、もはや、ネット交友の歴史に幕を下ろすために登場して来たとしか思えません。

  なーにーぃ? 現実世界の友人知人と、ネット交友するーぅ? アホけ、われーっ! 現実世界で会ってるなら、口で話さんかい! なんで、わざわざ、ネットを通さんならんねん! そんなの、糸電話で遊んどるガキどもと、どー違うねん!

  いやいやいやいや、実はねえ。 こういうシステムが流行る素地はあったんですよ。 個人サイトの掲示板が衰え始めた頃、何ヵ所かで見たんですが、掲示板に書き込んでいる人間が、管理人の現実世界の知り合いばかりなのです。 取り上げられる話題も、「今日は楽しかったね」とか、「今度、どこそこに行くけど、一緒にどう?」とか、現実世界の行為に関する事ばかり。 たまに、全然知らないゲストが入って来ると、管理人に動揺が走り、他のゲストからは、暗に邪魔者扱いされます。

  こういう、身内だけで話したいという人達は、確かに、以前からいたのです。 他人を嫌う理由は、簡単に推測できます。 公共掲示板を餌場にしているキチガイどもほどでないにしても、一面識も無い他人というのは、信用できないのであって、できる事なら、一切付き合いたくない。 しかし、ネットを使った交友はしたい。 そこで、身内オンリーの、超がつくほど狭いネットワークを作って、そこに立て籠もろうという算段なのです。

  しっかしねー、そりゃあもう、ネット交友の全否定に近いですよ。 他人と知り合いになれるからこそ、現実世界の交友との違いが出て来るのであって、身内と話すツールに限定してしまったのでは、携帯でメールを打ち合っているのと、選ぶところがありますまい。 わざわざ、パソコン用に通信費を払うだけ無駄ではありませんか。 「ネット? うん、やってるよ」と自慢したいためだけに、通信費払ってるんですか?


  フェイス・ブックには、実名登録という、もう一つの奇妙な面があります。 こちらも、首を傾げないでいられませんなあ。 もう、ムチ打ちどころの話ではなく、エクソシストばりに360度回ってしまいますよ。 なに、エクソシストなんて、知らん? 名作映画です。 見ておきなさい。 それはともかく、実名登録です。 何考えてんだ、おんどれら! ネットで、実名を曝すなんて、怖いもの知らずの無防備にも限度があろうというもの! 個人情報を何に悪用されるか、分かったもんじゃありません。 マジで、正気か?

「実名公開のおかげで、子供の頃の友達の消息を、何十年ぶりかで、知る事ができました」

  いやいやいやいや、そんな、くっだらない事のために、個人情報を露出させてしまうなど、まったく、引き合わない事だと思いますぜ。 昔の知り合いと連絡が取れたからって、なんだってーのよ? 何十年ぶりかであったら、相手が借金魔になっていて、しつこく付き纏われた、なんてのは、大いにありそうなケースですが、それでも、フェイス・ブックを、素晴らしいシステムだと思いますかね?

  これは、ほいほい無警戒に、オフ会に出掛けていって、ストーカーに取り付かれてしまったケースと、全く同じです。 現実世界と、ネット世界の違いが分かっていません。 一方に、もう一方の流儀を持ち込んではいけないんですよ。 ネット交友は、ネット上で行なっている限りに於いて成立する、≪夢≫のようなもので、現実世界で、続きを見る事はできないのです。

  「現実世界の友人を通じて、他人と友人になる」という機能もあるらしいですが、そんなの、個人サイトの掲示板での付き合いと同じではありませんか。 結局、他人なんだから。 もし、何かトラブルが起きた時に、間に入った友人が、責任を取ってくれるわけじゃないんでしょう? 別に目新しいものではないのに、画期的なアイデアのように持ち上げるのは、やめた方がいいですな。

  個人サイトやブログの辿った経過を見れば、いずれ、ツイッターやフェイス・ブックも、同じように見捨てられていくのは、疑いの無いところです。 フェイス・ブックの創業者は、今こそ絶頂ですが、末路は悲惨なんじゃないでしょうか。 その頃には、誰も、見向きもしなくなっていると思いますが。 フェイス・ブックの株で儲けている人は、売り時の見極めが肝心ですな。


  こうして、見てくると、インターネットに無限の可能性があるとは、思えなくなって来ませんか? これからも、いろんなシステムが登場すると思いますが、どれも、問題を抱えているに違いないのであって、そのつど、一喜一憂させられるのは、疲れます。

「いっそ、やめてしまったら?」

  ここ、二・三年というもの、この囁きが、脳裏に浮かぶ頻度が高くなって来ました。 やめれば、すっきり清々するのは、間違いなし。 通信費の支払いから解放されるのが、何よりも嬉しい。 しかし・・・、ネットをやめるとなると、家にいる時に、やる事が無くなってしまうのも事実でして、それが、悩ましいところなのです。

2012/05/13

バイク・ブレーキ・ディスク交換


  ゴールデン・ウイークの後半、ようやく雨が上がった5月4日に、伊東の≪大室山≫に、バイクで、ツーリングに行って来ました。 好天に恵まれた見事な眺望を堪能して来たんですが、沼津から伊東では、あまりにも近過ぎて、連休明けに職場で話題にするには、些か、インパクトが足りません。

  遠出するとしたら、最後のチャンスになる翌5日に、どこかへ行くべきか、迷うこと一晩。 とりあえず、前々から行ってみたいと思っていた、群馬県の≪鬼押出し≫が候補に挙がっていたものの、ポータブル・カーナビで調べると、往復450キロ以上、所要時間9時間もかかり、行けば、ぐったり疲れきるに決まっています。

  どうしようか、決め兼ねたまま、5日の朝を迎えたのですが、予想よりも遥かに早く目覚めてしまいました。 前日、伊東まで出掛けて、そこそこ疲労していたにも拘らず、時計を見ると、まだ、5時半ではありませんか。 これは、天の意思としか思えません。 行かずばなるまい、≪鬼押出し≫へ。

  朝6時に家を出て、1時間毎に5分ずつ休憩を取った以外は、走りづめに走り、≪鬼押出し≫に到着したのが、11時30分。 急ぎ足で、1時間、見て回り、12時半に向こうを立って、また走り続け、家に着いたのは、夜の7時10分。 走行距離は、往復で、440キロ、走っていた時間は、11時間30分くらいでした。

  カーナビの予想より、距離は短く、時間は長かったわけですが、これは、富士市の≪西富士道路≫が、最近、無料化されたため、そこを通って、距離を節約できた一方で、連休追い込みの5日の事とて、車の出が半端じゃなく多く、帰りに大渋滞に捉まって、時間を喰ったからです。

  日が暮れかけた時間に、精進湖から、富士市内まで、ずーーーっと車の列が続いていましたが、あの人達は、一体どこへ何しに行こうとしてたのやら、皆目、見当がつきません。 夕方5時過ぎに、道沿いにある観光牧場に入っていく車を何台も見ましたが、もう閉園時間でしょうに。 まったく、何を考えているのやら。

  予想以上に時間が掛かったせいもあり、予想通り、げんなり疲れました。 もう、一日ツーリングができる年齢ではないんですな。 カメラを下げていた首と、曲げっぱなしだった右足の膝が痛くなり、帰ってから、一週間以上、苦しむ事になりました。 特に、膝は重症で、左と比べると、一回り大きく膨らんでいます。 治るのか、これ?


  と、長々、書いて来ましたが、ここまでは前置きです。 確かに、≪鬼押出し≫には行きました。 ≪浅間山≫も、ばっちり見た。 しかし、今回のテーマは、旅行記ではありません。 いや、旅行記にしてもいいんですが、そうなると、写真を用意せねばならず、面倒至極。 勘弁して下さいな。 以下、本文。


  ≪鬼押出し≫から帰って以来、バイクのブレーキをかけると、「シュルシュル」という音がするようになりました。 パッドは、去年の夏に替えたばかりなので、まだ、そんなに減っているわけはないんですが、どうした事でしょう?

  見てみたら、フロント・ブレーキのディスクが、ペラッペラに薄くなり、肉抜き孔にバリが出て、それがパッドと擦れて、音が鳴っていると判明しました。 肉抜き孔の部分の厚さを見てみると、0.5ミリも残っていないように見えます。 手でディスクを掴んで、ぐっと押すと、曲がってしまいそうな感触が・・・。 こいつぁー、いけねー。 一刻も早く、交換せねば。

  で、5月9日、有給休暇で体が空いていたので、前にスピード・メーター・ケーブルを取り寄せてもらった、バイク用品店に行って来ました。 店に置いていないのは分かっていますが、取り寄せてもらえば、一週間以内には届くはずです。 以下、店員とのやり取り。

「ヤマハ・セローの、フロント・ブレーキ・パッドが欲しいんですけど」と切り出すと、
「あ・・・」と言って、一瞬、表情を凝固させ、「置いてませんね」と続けました。

  ここまでは、予想通り。 その後が、予想外。

「取り寄せてもらえますか」と訊くと、
「純正部品は、取り扱っていません」と、にべもない返事。

  えっ! 何それ! スピード・メーター・ケーブルだって、純正部品だったじゃないか。 どうして、急に駄目になったのよ?  しかし、取り扱っていないというものを、無理やり、取り寄せさせる術はありませんから、狐に抓まれたような顔をして、引き下がるしかありませんでした。

  他の店にも行きましたが、やはり、同じ返事。 そもそも、沼津市内のバイク用品店は、みんな同じ系列ですから、一軒が駄目なら、全て駄目なのは、当然といえば当然です。 最後に行った店で、「今年の2月には、純正品でも取り寄せてもらえたんですが、それ以降、何か、制度が変わったんですか?」と訊いてみましたが、業界内事情は漏らさない方針なのか、詳しい事を教えてくれません。

  ちなみに、ネット上では、以前から、純正品は買えないようになっていました。 たぶん、バイク・メーカーが正規ディーラーの儲けを確保するために、ネット・ショップにかけていた規制が、更に強まって、実店舗の部品屋にも卸さなくなったのではないでしょうか。

  バイクを買ったディーラーには、店員の一人に遺恨があって、行きたくなかったので、「まずい事になったな・・・」と、渋い顔で引き上げて来ました。 まったく、骨折り損のくたびれもうけ。 せっかくの休みだというのに、ろくな事が無い。

  しかし、捨てる神あれば、拾う神あるもの。 試しに、ネットで、ディスクの互換品を探してみたら、私のバイクに着けられる品が見つかったのです。 しかも、送料を入れても、純正品の半額以下です。 他に選ぶ道はないので、即、注文。 いやあ、店で純正品を買えなくて良かった。 禍転じて福となったわけです。

  ついでに、送料を節約するため、消耗品であるブレーキ・パッドも注文しておきました。 こちらは、純正品の6分の1という、破格値です。 ただし、パッドは、品によって、効きが悪い物もあるので、使ってみないと、良し悪しは分かりません。


  9日の昼過ぎに注文して、届いたのが、11日の夜です。 もっとも、例によって、私が在宅している時に届けてもらうよう、時間指定で夜を選んだので、何も指定しなければ、もっと早く着いたのかもしれません。 ディスクが2300円、パッドが750円、送料が700円で、合計3750円。 純正品で、ディスクとパッドを買うと、合わせて、11000円くらいしますから、無茶苦茶な安さです。


  縦横高、30×20×20センチくらいのダンボール箱を開梱して行きます。 ディスクは、全くの平板。 今は見る影もなく抉れていますが、純正品も、最初はこんなものだったんでしょうか。 ビニールに入っているだけで、メーカー名や商品名は無し。 ちなみに、ネット・ショップでの商品名は、≪ブレーキディスクローター 15号 ヤマハ TW225 セロー225 他 新品≫というものでした。

  パッドは、台紙にビニールで、ぴっちり真空パックされていました。 見たところ、質は良さそうです。 台湾製で、≪SOK Lih Dan Brake Lining Industrial≫と書いてあります。 そもそもは、予備のつもりで買ったのですが、新しいディスクには、新しいパッドを組み合わせた方が良い事に気づき、「これに着け換えても、いいかな」と、思い始めました。


  で、12日の土曜日、朝から、交換作業に取り掛かりました。 なに、タイヤの交換に比べたら、ディスクの交換なんぞ、物の数ではありません。 車輪は外さなければなりませんが、タイヤ交換の時のノウハウがあるので、全く、恐るるに足らず。

  まず。服装を整えます。 上は、普段着のシャツですが、下は、会社で使っている作業ズボンを穿きました。 汚れ防止のためです。 同じ理由で、軍手も装着。 特別汚れている所に触れる時だけでも、手袋をしていれば、手を洗わなければならない回数が、随分減ります。 切り傷など、怪我もし難くなります。

  作業場所は、タイヤ交換をした時と同じ、カー・ポートの下。 庭からブロックを二個運び、バイクの下に置きます。 一つを寝かせ、一つをその上に立て、物置から持って来た木片で、高さを調整します。 その上に、バイクのフレームの前下端を載せて、前輪を浮かせました。 スレスレ程度に浮けば良し。 相変わらず、車軸のシャフトは、ナットを取るだけで、簡単に抜けます。 ディスクは、減らずに残っている外縁部が引っかかって、パッドの間から抜き出すのに苦労しました。 力任せに無理やり引き抜いて、先へ進みます。

  車輪を地面にじか置きすると、ハブを傷つけてしまいます。 タイヤ交換の時には、新タイヤや旧タイヤを下敷きにできたのですが、今度は何もありません。 そこで、厚めの板を三方に置き、その上にウエスやダンボールを敷いてから、車輪を横に倒して、載せました。 三点で支えると、板の高さが違っていても、安定していて、ガタつきが起こりません。

  ディスクは、6本の10ミリ・ボルトで止まっていました。 コンビネーション・レンチでは緩まなかったので、ストロークを長くしようと、パイプを持って来ましたが、レンチの後ろ側がパイプに入らず、使えませんでした。 物置の工具箱を漁ったところ、10ミリの長いメガネ・レンチがあったので、それを持ってきたら、パイプで延長するまでもなく、そのままで緩みました。

  元着いていた孔に戻せるように、地面にボルトを並べて置きます。 別に、他の孔でも入るんですが、念の為です。 ボルトを外した時の注意点は、ネジの部分を地面につけない事です。 ついうっかり、踏んでしまったりすると、ネジが潰れて、入らなくなる事があります。 ネジの汚れを取ろうとして、ウエスで拭いたりするのも、よくありません。 綺麗にするつもりで、逆に、ゴミをつけてしまう危険性あり。 異物が挟まると、途中で回らなくなってしまう事もあります。

  古いディスクを外し、新しいディスクと重ねてみると、締め付け孔の6ヵ所は、ぴったり合いましたが、締め付け孔を合わせると、肉抜き孔の位置は、ズレます。 鋳造品ではなく、鋼板を打ち抜いて作ってあるのでしょう。 使用上は、何の問題も無いです。

  締め過ぎないよう、短いコンビネーション・レンチの方で、ボルトを締めました。 ボルトにせよ、ナットにせよ、緩める時には、どんなにストロークの長いレンチを使っても平気ですが、閉める時には、緩めた時と同じレンチは使えません。 締め過ぎになってしまうからです。 車載工具がある場合、それを使って、力いっぱい締めれば、大体、トルクの許容範囲内にはいると思います。

  車輪を外したついでに、タイヤの空気圧を測ったら、規定125kpaのところ、90kpaしかなかったので、車輪を着ける前に、補給しておきました。 タイヤ交換してから、半年弱、経過していますが、一度も補給していませんから、この程度の減りは、気にせんでも良いでしょう。 リヤ・タイヤも測りましたが、そちらは、より、減りが少なかったです。

  外したディスクを観察すると、平らな部分が無いくらい、抉れています。 よくもここまで、減ったものです。 パッドも、ディスクに合わせて、偏った減り方をしていて、とてもじゃないけど、新品のディスクには、組み合わせたくない状態です。 この時点で、パッドも新品を使う事に決定しました。 ついでに、買っておいて、正解だった。

  ところが、パッドとパッドの隙間に、マイナス・ドライバーを挿して、こじ開けようとしても、ディスクが入るほどの幅が開きません。 力任せにやると、パッドのゴムの端が削れてしまいます。 あーあー、新品なのにー。 まったく、パッドの隙間を簡単に広げる道具というのは、開発されないものでしょうか。

  一旦、パッドを外し、車載工具のクラッチ・ナット・レンチを板代わりにして、ブレーキのピストンに宛がい、シリンダーに押し込んでみます。 油圧を下げるため、ブレーキ・オイルのリザーバー・タンクの蓋を取る事にします。 厄介な事に、持ち上げた車体が左に傾いている関係で、ハンドルが左に切れて、リザーバー・タンクも傾いており、そのまま蓋を開けると、オイルが零れてしまいそうです。 そこで、近くにあった自転車から、荷紐を取り、右ミラーの支柱と荷台の間にかけて、ハンドルを水平にしました。 ええい、面倒臭い。

  クラッチ・ナット・レンチや、ブレーキ・パッドを当てて、力任せに押し込むと、ようやく、パッド二枚と、ディスク一枚が入るだけの隙間が開きました。 スピード・メーターの端末を通し忘れないように注意しつつ、車輪を入れて行きます。 パッドの隙間が閉じてしまって、何回かやり直しましたが、あれこれ按配している内に、どうにか収める事に成功しました。

  家の前の道路で、押しては止め、押しては止めを繰り返して、ブレーキの効き具合を調べます。 まずまずの効き方ですな。 もしかしたら、純正品より、いいのでは? とっくに、互換品を試してみるべきでした。 今まで、どれだけ、無駄金捨てて来た事か。 もっと速い場合、どうなのかと思い、エンジンをかけて、ノーヘルで試し乗り。 家の前の道路を、1ブロック分だけ、往復します。 やはり、問題無し。

  外したディスクやパッドを洗い、工具類を片付けていた時、ふと思い出して、リヤ・ブレーキのパッドを調べてみました。 もうだいぶ、減っているはずです。 外してみると、交換目安の溝は、とっくに出てしまっています。 こちらも、換えた方がいいか。

  リヤのパッドは買わなかったのですが、前のバイクの時に買って、効きが悪いので、すぐに外してしまった、≪RK≫というメーカーのパッドがあったので、押入れから出して来て、着けてみました。 このまま、ずっと、死蔵していても、仕方が無い。

  また、試し乗り。 リヤ・ブレーキは、どうせ効かないから、エンジンをかけて、スピードを出して試すまでもないのですが、押していたのでは、右側にあるリヤ・ブレーキ・ペダルが踏めなので、致し方ありません。 案の定、効きは悪かったですが、まあ、こんなもんでしょう。 よし、これで暫くの間、ブレーキ関係の心配はしなくて済むぞ。

  片づけが終わってから、外したディスクを仔細に見てみると、なんと、回転方向に、円弧状の亀裂が入っていました。 親指で押すと、「パキッ!」という感じで、見事に隙間が開き、向こうが見えるではありませんか。 口あんぐりです。 これで、よく、≪鬼押出し≫なんか、行って来たな。 ほとんど、自殺行為だ。 父にも見せましたが、驚くより、呆れていました。

2012/05/06

クレジット・カード

  時折り、無性に古本が欲しくなります。 いや、別に古いのが好きなわけではなく、新品でそれがあるなら、そちらの方がいいのですが、昔集めていた文庫本の、欠けているナンバーを揃えたいという時など、装丁のデザインが変わってしまっているので、今の本では駄目なんですな。

  私の場合、読書の99%は、図書館の本で済ませていますから、自分で買う事があるとしたら、そういった、ノスタルジーが動機の古本ばかりになります。 古本は、プレミアが付いていない限り、新しい本より安く、場合によっては、100円とか50円とか、捨て値で手に入るのも、ケチな私にとっては、大きな魅力です。

  古本屋に入ると、文庫の棚をざっと見て、好きな作家の本の中から、自分が昔買い集めていた頃と同じ装丁デザインのものを探します。 自分が持っていない本があれば、200円くらいまでなら、即買います。 特別に、「これが見つかったら、手に入れたい」と思っている本なら、500円くらいでも、財布の紐を緩めるのに吝かではありません。

  しかし、現実には、そういう場面は、滅多にありません。 まず、≪古本欲しい病≫が発症するのが、二年に一回程度と、頻度が低いため、古本屋に入る機会が少ない事が一つ。 次に、古本屋に行っても、目当てのものが見つからない事が多いのが一つ。 そりゃまーそうだ。 古本屋は、私の都合に合わせて、本を仕入れているわけではないのですからね。 何度も無駄足を運んでいる内に、古本屋に行く事自体が減って来て、ますます、欲しい本が見つからなくなるという、悪循環が回り始めます。

  もし、この世に、古本を買える場所が、古本屋しか無いというのなら、さっさと諦めてしまうのですが、当今は、厄介な事に、ネットというものがあり、そちらで、検索すると、欲しい古本の大抵の物は、引っ掛かって来ます。 金さえ出せば、手に入る事が分かってしまうと、「欲しいなあ」と、思うのが人情。

  ところがだ。 古本というのは、ネット・ショップでは、商品として、直接売っていないんですな。 ≪マーケット・プレイス≫とかいう、中古品取引用のシステムで扱われているのです。 他の物の場合、個人で出品している人が多いですが、本の場合、古本屋が、店の名前で出しているケースが、かなりあります。

  で、マーケット・プレイスだと、何が困ると言って、支払い方法が困るのですよ。 代引きはもちろん、銀行振り込みもお断りで、クレジット・カード決済オンリーなのです。 これは、出品者に個人が多いため、代金のやりとりが煩雑化する事を避け、尚且つ、買う側の支払い能力に関する信用を、クレジット会社に保証して貰うために、そうしているんでしょうが、困るんですなあ、私のように、クレカを持たない人間には。

  私が欲しいのは、とりあえず、古本だけなのですが、別に、個人から買いたいわけではありません。 古本屋の商品限定という事で、代引きで売ってくれてもいいと思うんですがねえ。 なんで、そんな事のために、クレカなんぞ、作らねばならんのよ? クレカなんか持ったら、無駄遣いの扉を開く事になるのは必定。 危ない、危ない。 君子危うきに近寄らず。


  と、最初に思ったのが、ネットを始めた11年前です。 クレカを作るか、古本を諦めるかの二者択一で、常に後者に軍配を上げて来た私でしたが、ここへ来て、人生の先も見えて来て、だいぶ、自制心が緩んで来ました。 「今のペースで心身ともに衰えて行くと、あと、10年も生きるかどうか分からんし、多少無駄遣いしても構わんか」と、思うようになったのです。


  で、いろいろと調べているんですが・・・・、どうにも、クレジット・カードの仕組みというのが好きになれません。 金が無いわけでもないのに、なぜ、わざわざ、借りなければならんのか、そこが、納得行かぬ。

「クレカを使っても、一回払いなら、利息も手数料も取られないから、財布と同じですよ」

  それは、知ってるんですが、形式上は、借りた事になるのであって、月締めで後払いするわけですから、財布と全く同じではないでしょう? 利息や手数料を取られないのなら、尚の事、わざわざ、後払いする理由が分かりません。 使ってから、引き落とされるまでの期間は、クレジット会社に借金している状態になるわけで、そんなの、気持ちが悪いじゃありませんか。

  他人による、カード・データの不正使用も怖い。 「引き落とされた金額が、いやに多いので、調べてみたら、全く身に覚えの無い買い物に使われていた」なんてケースは、ごく普通に発生しているようですが、そういう問題が起こる事自体が、システムの欠陥なのであって、「すぐに、クレジット会社に連絡すれば、損害を防げる」などという対処法を教えられても、安心して使えたもんじゃありません。

  これねえ、「学生の頃、親にクレカを持たされて、以来ずっと使っている」という人は、慣れ過ぎたせいで、警戒心がゼロになっている恐れがありますから、クレジット会社を、というより、自分自身を疑って、定期的に調べた方がいいと思います。 「買い物は、ほとんど、カードでしてるから、いちいち調べてられない」なんて人は、尚、危ない。 泥棒の、いいカモですぜ。

  「電子決済だから、大丈夫」と信じ込んでいるとしたら、とんだ思い違いでして、「電子決済だから、危ない」と見る方が、現実に近いと思います。 身の周りにある電子機器を見渡してみれば、作動不良や故障が、別段、珍しくない事が分かると思いますが、クレジット会社や金融機関の機械も、規模が大きいだけで、不具合を避けられない点は、家電と変わりありません。

  また、機械に悪意はありませんが、システムの中に、ほんの一部でも、人間の意思が介在する余地があると、話は違って来ます。 「身に覚えのない買い物」の件のように、実際に、犯罪が起きているのを見ても分かる事でして、「自分だけは、大丈夫」と、思う方が、おめでたいのです。 犯罪者は、利益を齎してくれる相手なら、差別も贔屓もしやしませんからね。

  他人に使われるのも怖いけれど、自分で使ってしまう方も怖いです。 クレカには、財布代わりに使う以外に、≪キャッシング≫の機能があります。 「キャッシング」などという、意味がはっきりしない言葉を使うから分かり難いですが、つまり、≪借金≫そのものです。 クレジット会社が、貸してくれるわけだ。 この機能を年中使うようになったら、借金地獄の門をくぐった事になります。

  札入れを開くと、カード入れに、クレカが何枚も入っていて、わざわざ、それを出して、見せびらかす人がいます。 そういう人達が、カードを増やした主な理由は、キャッシング機能による借金です。 借りられる限度いっぱいまで借りて、また次のカード、次のカードと、危ない飛び石を飛んでいるわけだ。 クレカをたくさん持っているというのは、自慢するような事ではなく、むしろ、隠すべき事、恥ずべき事と思うべきでしょう。

  クレカは、申し込みの時に、≪審査≫があるので、それに通ると、何となく、自分が、「信用ある社会人」として認められたような、いい気分になるのだと思いますが、言うまでもなく、影も形も無い錯覚なのであって、カード破産した愚か者達ですら、通るように審査ですから、丼でなければ、笊としか考えられず、審査をしているクレジット会社の方が、逆に、信用できません。 もし、彼らの審査が有効であれば、カード破産者が、こんなに出るわけがないではありませんか。 一体、何のために、審査しているんでしょう?

  だからー、クレカがこんなに普及しているという、現状がおかしいと思うのですよ。 買い物のカード決済そのものを否定するわけではありませんが、何も、クレカでなくてもいいでしょうに。 クレカの本質は、キャッシング、つまり、借金機能の方にあるのであって、買い物決済機能は、応用・流用・ついで・オマケに過ぎないのですが、そのオマケの方の利点ばかり強調されて、本質機能の危険性が見過ごされています。


  銀行のキャッシュ・カードを買い物決済に使う、≪デビット・カード≫というシステムがありますが、そちらの方が、まだ、安心できます。 口座にある金額しか使えないので、借金地獄に嵌まる危険性が低いからです。 後払いではなく、即時決済なのも、理に適っている。 まさに、財布代わりですな。 繰り返しますが、クレカは、金があるのに、わざわざ後払いする理由が分かりません。

  ところが、デビッド・カードは、一向に普及しません。 普及どころか、利用者が増えないため、始めたサービスをやめる所まで出る始末。 話にならぬ。 なぜ、デビット・カードが使い難いのかというと、メインにしている銀行口座と直結しているために、不正使用された場合、メイン口座に入っているお金を、ごっそり持っていかれてしまうからです。

  デビット・カード用の口座を別に作り、使う分だけの金額を、その都度、移せば、盗まれる危険は非常に低くなるわけですが、銀行の方が、別口座を作らせてくれません。 今話題の、≪休眠口座≫の問題や、振り込め詐欺グループが、多くの口座を作って、悪用している問題があるため、個人が複数の口座を持つ事を、警戒しているらしいのです。

  かくいう私も、つい先日、デビット用に別口座を作ろうとして、断られました。 凄かったですよ。 最初の窓口で、すでに既存口座を持っている事や、ネットでの買い物に使うといった使用目的まで話してあったのに、身分証明用に免許証を渡して、しばらく待ち、別の窓口に呼ばれたら、まるで、犯罪者を見るような目つきで、ジロ見されました。

「お客様の免許証を調べさせていただいたのですが、すでに、当行に、口座をお持ちのようですねえ・・・」

  まるで、こちらが隠していた事を、免許のデータから突き止めて、「秘密を暴いたやった」とでもいうような口ぶり。 だーから、それは、最初に行った窓口で、申告してるっつーのよ! 最初の窓口の係から、客を引き継ぐなら、そういう情報も引き継げっていうのよ。 まったく、無能だ。

  使用目的について、説明を繰り返すと、次第に向こうの表情が変わりました。 「どうやら、こいつは、詐欺師ではないらしい」と分かった様子。 だけど、一度でも相手を犯罪者扱いしたら、信用されなくなるのは自分の方だという事には気づいていない様子。 たまたま、その時、閑だったので、デビット・カードをメイン口座で作る事の危険性について、捲し立てて来ましたが、分かってんだか、分かってないんだか・・・。

「引き出し限度額を設定しておけば、安心して・・・」

  アホか。 引き出し限度額が、10万円でも、1万円でも、赤の他人に盗まれていいという事にはなるまい。 単に、極端に大きな金額を盗まれる心配が無くなるというだけの対策に過ぎんではないか。 まったく、自分の金じゃないもんだから、テキトーな事ばかり口にしやがる。 これだから、銀行の窓口は嫌なんだ。 もし、てめーの金だったら、定期的に一万円ずつ盗まれて、「被害が少ないから、安心」と思うか?

  で、「こりゃ、話すだけ、無駄だな」と思い、割と簡単に諦めて、引き上げて来ました。 銀行の方針で、複数口座を作れないというのであれば、末端の窓口係と交渉しても、詮無い事です。 あまり、喰い下がると、また、犯罪者扱いに戻ってしまいそうです。

  つまるところ、デビット・カードは、使い難いんですな。 私が使うとしたら、給与振込み口座を、別の銀行に移して、デビットが使える銀行の口座を空にし、デビット専用にするしかありませんが、たかが、古本を買うのに、そうまでするか? 給与振込先を変えるには、勤め先に申請を出さなければなりませんが、会社を巻き込んでまで買いたい古本など、なんぼなんでも、あるまいに。


  そういや、クレカの申し込みの際には、勤め先の情報も書かなければなりませんが、住所・電話番号はもとより、所属部署まで書かされるケースがあり、書き込みフォームを見ているだけで、脂汗がこめかみを伝います。 あれは、やはり、会社の方に、照会が行くんでしょうねえ。 今時、猫も杓子も、クレカの一枚くらいは持っていますから、会社には、年中、そんな問い合わせが来ていると思われます。 他人事ながら、迷惑なこったぜ。


  まったく、世の中、複雑なようでいて、実は煩雑なだけで、理不尽なシステムが罷り通っている事が多い。 デビットを、専用口座で使えるようにするか、クレカを、即時払いの買い物決済専用にするか、どちらかを作ってくれませんかねえ。 それだけで、不正使用も、カード破産も、どーんと減ると思います。

  そういや、クレジット会社は、ポイントで、商品を競っているようですが、「ポイントを貯めるために、カードを使わなければ、損をする」なんて口車に乗ってはいけません。 とんでもないね。 本末転倒の典型例です。 「ポイントが付く分、現金で買うより、得」というのは事実ですが、ポイントのために、必要が無いものまで買っていたら、それは、明らかに、損です。

  この錯覚は、エコ・カーの燃費の問題に似ています。 「エコ・カーは、普通の車より、値段が高いが、燃費がいいので、乗れば乗るほど、元が取れて、得をする」という物言い。 そんな事、無いっつーのよ。 2倍燃費が良くても、2倍乗らなければ、元が取れぬというのなら、別に、得にはなっていません。 元を取るために、必要もないのに乗るとしたら、外出は出費の元ですから、却って、損になると思います。 おそらく、エコ・カーを買った人の9割くらいは、元が取れるほど乗らないでしょう。

  大体、ポイントというのは、貯まらないと使えないにも拘らず、貯まる頃には、最初の方が失効しているものでして、使い難いようにできているものなのです。 論より証拠、試しに、クレカを全部やめてしまって、現金オンリーで暮らしてみないさいな。 出て行くお金が、遥かに少なくなるから。