買えなかった本
長編ロシア文学の読破にも、ちと疲れたので、頭休めに、蔵書の中から、昔懐かしい小松左京さんの本を取り出し、抓み喰い的に読んでいたのですが、そうこうする内、ふと、「若い頃に買えなかった本を、揃えてみようかな」と、思い立ちました。
何年か前に、アマゾンで、何気なく、「本・小松左京」を検索してみたら、新品はほとんど無いものの、古本がドカドカッと、何十冊か引っ掛かって来ました。 そして、それらみんなに、「1円」とか「40円」と言った捨て値がついていました。 しかし、送料が250円かかり、その上、代引き手数料が加わると、500円を超えて、新刊の文庫と変わらなくなってしまうので、断念して、それっきりになっていたのです。
その頃と現在で、何が変わったかと言うと、アマゾンの方は変わりませんが、私がクレジット・カードを手に入れて、代引きを使わなくても、ネットで買い物ができるようになった事が変わりました。 つまり、本の値段+送料250円だけで済むわけで、それなら、大半が251円で買えるという事になります。
もし、古本屋の店頭で買えば、30年近く昔の文庫本など、楽勝で、100円以下だと思いますが、その場合、こちらが欲しい物が手に入るとは限りません。 一方、ネットなら、選びたい放題ですから、251円出しても、高いとは言えないでしょう。
「1円」や「40円」と言った値段ですが、どうしてこんなに安いのか、常識的に考えれば、首を傾げない方が非常識というもの。 特に、「1円」などは、もはや、値段など無いも同然で、「0円だと支障があるから、とりあえず、1円にしときました」といった趣きが、あまりにも濃厚です。 しかし、儲からない事を業者がやるわけはないので、たぶん、送料の方で利益を出せる仕組みになっているのでしょう。
私のような、筋金入りのドケチにすら、懐から財布を取り出す気にさせるのですから、こういうシステムを構築したアマゾンは、大したものです。 アメリカ商法、恐るべし。 そういや、アマゾンを、日本の会社だと勘違いしている日本人が、結構いるようですな。 これは、20年くらい前、ソニーをアメリカの会社だと思っているアメリカ人がいたのと同じで、その社会に、いかに深く浸透しているかという証明なんでしょうな。
で、アマゾンのマーケット・プレイスで探した小松左京さんの本ですが、手始めに、新潮文庫の≪時間エージェント≫を買ってみました。 小松作品の新潮文庫版では、この一冊だけ、持っていなかったのです。 ちなみに、発行順に、全て書き出してみますと、
≪地球になった男≫
≪アダムの裔≫
≪戦争はなかった≫
≪闇の中の子供≫
≪時間エージェント≫
≪夢からの脱走≫
≪物体O≫
≪春の軍隊≫
≪おしゃべりな訪問者≫
≪はみだし生物学≫
≪空から墜ちてきた歴史≫
となります。 私が中学生の頃は、新潮文庫は、岩波文庫ほど高尚ではないものの、角川文庫や講談社文庫などよりは、格調の高いイメージがありました。 中学生の頃、最初に買った小松作品も新潮文庫でしたが、≪地球になった男≫、≪夢からの脱走≫、≪物体O≫のどれが一冊目だったかは、もはや覚えていません。
ちなみに、小松左京さんを読む前には、星新一さんを読んでいました。 星作品の文庫を買い尽くし、読み尽くしてしまった後、同じ、SF作家で、しかも、大ブームを巻き起こした、≪日本沈没≫の原作者という事で、小松作品に移ろうとしたところ、星作品には見られない、エロ描写が含まれていて、中学生には刺激が強過ぎて、三冊だけ買ったところで、打ち切ってしまったのです。
今にして思うと、小松作品のエロ描写は、卑猥度的に見て、全然大した事はなく、むしろ、表現の美しさの方が勝っているくらいなのですが、当時の中学生にとっては、エロ雑誌を買うのと同じくらい、抵抗感があったんですな。 具体的に言うと、レジに持って行くのが恥ずかしいわけです。 これまた、今にして思えば、顔も名前も知らん中学生がどんな本を買うかなんぞ、書店の店員にゃ、何の興味も無い事だったのではないかと思うのですが・・・
で、しばらくは、その三冊だけだったのが、高校の後半になって、もう、大分、面の皮が厚くなった頃、角川書店による、≪復活の日≫の映画化をきっかけに、第二次・小松左京ブームが訪れ、私もそれに乗っかって、文庫の種類に関わらず、本屋にあった小松作品を買い漁り始めました。 大人になるまでの数年間に、40冊程度は揃えました。
ちなみに、第二次・小松左京ブームは、1984年の映画、≪さよならジュピター≫の前宣伝で最高潮に達したものの、映画自体の失敗で、ガクンと失速し、1987年の映画、≪首都消失≫の不人気で、トドメを刺され、それっきりになりました。 いやあ、あの頃は、ファンとして、つらい時期だったなあ・・・。
映画、≪さよならジュピター≫は、小松さん自身が企画し、脚本を書き、総指揮したのですが、映画制作の経験の浅さがもろに出た上に、日本のSFX技術を過信し過ぎた結果、「陳腐」としか言いようがない駄作になってしまいました。 とりわけ、日本人の俳優達が、宇宙SFのスケール感に全くそぐわず、目を背けたくなるようなひどい映像に熱が出る始末。 うーむ、思い出すだけでも、赤面を避けられぬ。
まだ、企画段階の時に、アメリカの映画会社から、制作の権利を買いたいという話があったのを、「日本映画として作りたいから」と言って、断ったらしいのですが、たぶん、アメリカで作っても、ろくな映画にゃならなかったでしょう。 元の話が、ハードSF過ぎるのであって、手直しくらいでは、どうにもなりゃしません。
映画を作る場合、まず、ストーリー展開が面白いのが第一、観客の心を躍らせる見せ場を設けるのが第二でして、話のスケールの大きさなんて、それだけでは、何の魅力にもならないのですが、それが分かっていなかった様子。 小松さんが書いた映画批評を読むと、型に嵌まらない、ユニークな視点から映画を分析していて、なかなか面白いのですが、自分の作品だと、感覚が麻痺してしまうのですかね?
しかも、このしょーもないストーリーですが、わざわざ、日本のSF作家達を集めて、ブレーン・ストーミングして決めたというのですから、いい加減な連中もいたもんです。 誰か一人でも、「この話、SFとしては面白いですが、映画化するとなると、見せ場が作り難いんじゃないでしょうか?」と言ってやる人がいなかったんすかね? 大御所、小松さんの前では、そんな事言えんかったか?
で、前宣伝だけ、大盛り上げに盛り上げたものの、肝心の映画がスカだったので、それ以後、≪さよならジュピター≫は、SF関係者の間で、禁句となった模様。 しかも、そこでやめときゃ、まだ傷が浅かったものを、小松さんの次の長編小説、≪首都消失≫を映画化したものだから、もういけません。 これが、≪さよならジュピター≫以上につまらないんだわ。 もう、目が点だね。 いや、嘘だと思ったら、レンタルして来て、見てみんさい。 マジでも目が点になるから。 だから、ハードSFは、そのままじゃ、映像作品にならないんだって。 何回言えば、分かってくれるのよ。
その後、小松さんは、テレビにも、ほとんど顔を出さなくなり、急速に、「過去の人」になって行きます。 日本のSFは、小松さんがリーダーになって発展して来たのですが、この失脚で、日本のSF界全体が、人気沈降し、一般世間から相手にされなくなります。 「SF作家」という肩書きが、職業カテゴリーとして通用しなくなり、筒井康隆さんのような特別な能力を持った人以外、執筆依頼も激減し、喰い繋ぐために、仮想戦記物などという、最低のジャンルに逃げ込んで、日本社会全体に害毒を垂れ流し始めるのですが・・・、まあ、その辺は、本題と関係ないので、深入りしない事にしましょう。
というか、すでに、≪さよならジュピター≫の辺りから、脱線しまくっておるのう。 いや、あまりにもおぞましい記憶なので、小松さんについて書き始めると、どうしても、そこに触れざるを得ないんですな。 話を新潮文庫の小松作品に戻します。
新潮文庫で、≪時間エージェント≫だけ、なぜ、買わなかったのかというと、たぶん、近所の本屋に無かったからだと思うのですが、その一方で、私は、この本を立ち読みした記憶があり、真の理由は、もはや闇の中です。 ああ、子供の頃から、日記をつけておけばなあ・・・。
確か、他の本の解説に、「≪愛の空間≫という短編は、大変なエロだ」といったような事が書かれていて、面の皮が厚くなっていた私は、「そんなにエロなら、読んでみよう」と思い立ち、≪時間エージェント≫の中に収められている事を知って、どこかの本屋で立ち読みしたのです。 その時の感想は、「ああ、こういう話か」という程度だったと思います。 上述した通り、小松さんの書くエロは、大人の感覚で見れば、大騒ぎするようなものではありませんから。
それはともかく、本屋で発見して、立ち読みまでしておきながら、なぜ、買わなかったのか、それが分からぬ。 いつでも買えるから、後回しにしたのかもしれません。 ところが、文庫というのは、いつでも買えるわけではない事に、間も無く気づきます。 第二次・小松左京ブームが終息した後、小松さんの文庫が、書店の棚から、凄まじい勢いで、消えて行ったのです。
おぼろげな記憶では、88年頃には、小松作品を一冊も置いていない店が出て来ます。 最悪の形でブームが去ってしまって、売れなくなった事もありますが、小松さんが、小説を書く事に興味を失い、新刊が出なくなった事が、最も大きな理由だったと思われます。 本が書店に置かれなくなれば、その作家はもう、いなくなったも同然です。
あの、大御所、小松左京さんがですぜ。 信じられます? 私は、信じられませんでした。 高校生くらいの読書人が、小松作品を読まずに、一体、誰の本を読むって言うのよ? SFが受け持っていた年齢層が、読む本がなくなってしまった結果、日本の高校生・大学生、特に男子学生が本を読まなくなり、知識レベルが落ちたというのは、強ち、こじつけ分析とも言えますまい。
ちなみに、同年齢層の女子学生は、SFの凋落と入れ代わる形で勃興して来た、ライト・ノベルズに嵌まり、推理小説より更に下の、読書人ピラミッドの最低階層を形成して、今に至ります。 しかし・・・、ライト・ノベルズをいくら読んでも、頭の足しにゃならんと思うぞ。 推理小説も、似たり寄ったりだが・・・。
その後、角川春樹事務所で、ハルキ文庫が設けられ、小松作品が復活しますが、たぶん、私が感じたのと同じ不安に襲われたのでしょう。 いや、誰でも、70年代から、80年代半ばまでの時代を知っている人間なら、その後の、「男子学生が読む本が無くなった」状況に、猛烈な危機感を覚えますって。 仮想戦記なんて、有害クズ小説を、SFと思われたら、たまったもんじゃありません。
しかし、結局、小松さん以外に、頼る作家がいなかった事が、日本のSF界の限界だったんでしょうか。 いかに、小松作品とはいえ、時代の流れにはついていけないのであって、復刻して売るにも、時間的限度があります。 私が読んでいた頃ですら、書かれた時期と、10年以上の開きがあったのが、今では、30年以上も開いているわけで、インターネットも、ケータイも出て来ない未来小説に、面白さよりも違和感の方を強く覚える人が多いのは、無理も無い事です。
むむむ、また、脱線している。 アマゾンのマーケット・プレイスで買った、≪時間エージェント≫の話に戻しましょう。
先週の木曜の夜に注文したんですが、思いの外、到着が遅れ、日曜の午後になって、ようやく届きました。 文庫本は薄いので、メール便で、郵便受けに投函されます。 印鑑を押さなくて済むのはいいのですが、いつ届くか分からないので、こまめに郵便受けを見に行かなければならないのが厄介。 土曜の朝から、何回確認しに行った事か。 エロ本でもないのに、なんで、こんなに気を使わなければならんのか・・・。
ビニール密封されていましたが、本自体は、そのまま、注文書と一緒に入れてありました。 運送中にビニールが破れた場合を考えると、ちと怖い荷姿ですな。 で、本の本体ですが、思っていたより、くたびれていて、絶句・・・。 普通に、ブック・オフに持って行ったら、「汚れがあるので・・・」と言って、買い取り拒否されそうな状態です。 なるほど、これなら、1円なのも、深く頷ける。
初版が1975年発行、その12刷で、1980年の品ですから、無理も無いのですが、それにしても、同じ頃に買った私の持ち本は、ずっと綺麗です。 本の状態に対する業者の自己評価では、「良い」だったのですが、これでは、「可」と言うのもためらわれる。 しかし、よく考えてみれば、「良い」でも、「可」でも、値段は同じ、1円なのであって、1円の古本相手に、状態の程度を云々する方が、心得違いなのかもしれません。 読む分には、何の問題も無い事ですし。
収録されている作品は、
【四次元トイレ】
【辺境の寝床】
【米金闘争】
【なまぬるい国へやって来たスパイ】
【売主婦禁止法】
【時間エージェント】
【愛の空間】
の、7作品。 この内、上から5作品は、ショートショートですが、知っている人は知っている通り、小松さんのショートショートは、星さんのそれに比べると、かなり落ちます。 落ちが落ちない点が落ちるという意味ですが・・・。 この5作品も、その例に漏れず。
表題作の、【時間エージェント】は、タイム・パトロール物の、短編連作です。 一編一編が、標準的な短編よりも短いので、スイスイ読めます。 この作品は、角川文庫の≪三本腕の男≫にも収められていて、そちらは、以前に古書店で買って、読んでいたので、今回は読みませんでした。
思い出がある【愛の空間】は、改めて読み返してみましたが、感想はやはり、「こんなものかなあ・・・」という程度。 確かに、エロはエロだけど、それ以前に、SFですな。
まあ、中身は、この際、どうでも宜しい。 小松作品の新潮文庫版が、これで全部揃った事に、大きな意義があるのです。 ≪時間エージェント≫を本棚に入れ、≪地球になった男≫から、≪空から墜ちてきた歴史≫まで、11冊、青い背表紙を揃えてみると、得も言われぬ感慨が胸に込み上げて来ます。 ずっと、一冊欠けた状態だったのが、ほぼ、四半世紀ぶりに、全て揃ったか・・・。 ありがとう、アマゾン。 ありがとう、マーケット・プレイス。
「大人買い」と言うには、金額がささやか過ぎますか。 251円なら、毎週一冊ずつ買っても、一年で、13000円くらいにしかならないので、大した浪費にはならんでしょう。 とりあえず、小松作品で、手に入る物を集めてみるつもりです。 今後、新刊が出る事はないので、中身が重複している本まで、全部買っても、100冊にもなりますまい。
何年か前に、アマゾンで、何気なく、「本・小松左京」を検索してみたら、新品はほとんど無いものの、古本がドカドカッと、何十冊か引っ掛かって来ました。 そして、それらみんなに、「1円」とか「40円」と言った捨て値がついていました。 しかし、送料が250円かかり、その上、代引き手数料が加わると、500円を超えて、新刊の文庫と変わらなくなってしまうので、断念して、それっきりになっていたのです。
その頃と現在で、何が変わったかと言うと、アマゾンの方は変わりませんが、私がクレジット・カードを手に入れて、代引きを使わなくても、ネットで買い物ができるようになった事が変わりました。 つまり、本の値段+送料250円だけで済むわけで、それなら、大半が251円で買えるという事になります。
もし、古本屋の店頭で買えば、30年近く昔の文庫本など、楽勝で、100円以下だと思いますが、その場合、こちらが欲しい物が手に入るとは限りません。 一方、ネットなら、選びたい放題ですから、251円出しても、高いとは言えないでしょう。
「1円」や「40円」と言った値段ですが、どうしてこんなに安いのか、常識的に考えれば、首を傾げない方が非常識というもの。 特に、「1円」などは、もはや、値段など無いも同然で、「0円だと支障があるから、とりあえず、1円にしときました」といった趣きが、あまりにも濃厚です。 しかし、儲からない事を業者がやるわけはないので、たぶん、送料の方で利益を出せる仕組みになっているのでしょう。
私のような、筋金入りのドケチにすら、懐から財布を取り出す気にさせるのですから、こういうシステムを構築したアマゾンは、大したものです。 アメリカ商法、恐るべし。 そういや、アマゾンを、日本の会社だと勘違いしている日本人が、結構いるようですな。 これは、20年くらい前、ソニーをアメリカの会社だと思っているアメリカ人がいたのと同じで、その社会に、いかに深く浸透しているかという証明なんでしょうな。
で、アマゾンのマーケット・プレイスで探した小松左京さんの本ですが、手始めに、新潮文庫の≪時間エージェント≫を買ってみました。 小松作品の新潮文庫版では、この一冊だけ、持っていなかったのです。 ちなみに、発行順に、全て書き出してみますと、
≪地球になった男≫
≪アダムの裔≫
≪戦争はなかった≫
≪闇の中の子供≫
≪時間エージェント≫
≪夢からの脱走≫
≪物体O≫
≪春の軍隊≫
≪おしゃべりな訪問者≫
≪はみだし生物学≫
≪空から墜ちてきた歴史≫
となります。 私が中学生の頃は、新潮文庫は、岩波文庫ほど高尚ではないものの、角川文庫や講談社文庫などよりは、格調の高いイメージがありました。 中学生の頃、最初に買った小松作品も新潮文庫でしたが、≪地球になった男≫、≪夢からの脱走≫、≪物体O≫のどれが一冊目だったかは、もはや覚えていません。
ちなみに、小松左京さんを読む前には、星新一さんを読んでいました。 星作品の文庫を買い尽くし、読み尽くしてしまった後、同じ、SF作家で、しかも、大ブームを巻き起こした、≪日本沈没≫の原作者という事で、小松作品に移ろうとしたところ、星作品には見られない、エロ描写が含まれていて、中学生には刺激が強過ぎて、三冊だけ買ったところで、打ち切ってしまったのです。
今にして思うと、小松作品のエロ描写は、卑猥度的に見て、全然大した事はなく、むしろ、表現の美しさの方が勝っているくらいなのですが、当時の中学生にとっては、エロ雑誌を買うのと同じくらい、抵抗感があったんですな。 具体的に言うと、レジに持って行くのが恥ずかしいわけです。 これまた、今にして思えば、顔も名前も知らん中学生がどんな本を買うかなんぞ、書店の店員にゃ、何の興味も無い事だったのではないかと思うのですが・・・
で、しばらくは、その三冊だけだったのが、高校の後半になって、もう、大分、面の皮が厚くなった頃、角川書店による、≪復活の日≫の映画化をきっかけに、第二次・小松左京ブームが訪れ、私もそれに乗っかって、文庫の種類に関わらず、本屋にあった小松作品を買い漁り始めました。 大人になるまでの数年間に、40冊程度は揃えました。
ちなみに、第二次・小松左京ブームは、1984年の映画、≪さよならジュピター≫の前宣伝で最高潮に達したものの、映画自体の失敗で、ガクンと失速し、1987年の映画、≪首都消失≫の不人気で、トドメを刺され、それっきりになりました。 いやあ、あの頃は、ファンとして、つらい時期だったなあ・・・。
映画、≪さよならジュピター≫は、小松さん自身が企画し、脚本を書き、総指揮したのですが、映画制作の経験の浅さがもろに出た上に、日本のSFX技術を過信し過ぎた結果、「陳腐」としか言いようがない駄作になってしまいました。 とりわけ、日本人の俳優達が、宇宙SFのスケール感に全くそぐわず、目を背けたくなるようなひどい映像に熱が出る始末。 うーむ、思い出すだけでも、赤面を避けられぬ。
まだ、企画段階の時に、アメリカの映画会社から、制作の権利を買いたいという話があったのを、「日本映画として作りたいから」と言って、断ったらしいのですが、たぶん、アメリカで作っても、ろくな映画にゃならなかったでしょう。 元の話が、ハードSF過ぎるのであって、手直しくらいでは、どうにもなりゃしません。
映画を作る場合、まず、ストーリー展開が面白いのが第一、観客の心を躍らせる見せ場を設けるのが第二でして、話のスケールの大きさなんて、それだけでは、何の魅力にもならないのですが、それが分かっていなかった様子。 小松さんが書いた映画批評を読むと、型に嵌まらない、ユニークな視点から映画を分析していて、なかなか面白いのですが、自分の作品だと、感覚が麻痺してしまうのですかね?
しかも、このしょーもないストーリーですが、わざわざ、日本のSF作家達を集めて、ブレーン・ストーミングして決めたというのですから、いい加減な連中もいたもんです。 誰か一人でも、「この話、SFとしては面白いですが、映画化するとなると、見せ場が作り難いんじゃないでしょうか?」と言ってやる人がいなかったんすかね? 大御所、小松さんの前では、そんな事言えんかったか?
で、前宣伝だけ、大盛り上げに盛り上げたものの、肝心の映画がスカだったので、それ以後、≪さよならジュピター≫は、SF関係者の間で、禁句となった模様。 しかも、そこでやめときゃ、まだ傷が浅かったものを、小松さんの次の長編小説、≪首都消失≫を映画化したものだから、もういけません。 これが、≪さよならジュピター≫以上につまらないんだわ。 もう、目が点だね。 いや、嘘だと思ったら、レンタルして来て、見てみんさい。 マジでも目が点になるから。 だから、ハードSFは、そのままじゃ、映像作品にならないんだって。 何回言えば、分かってくれるのよ。
その後、小松さんは、テレビにも、ほとんど顔を出さなくなり、急速に、「過去の人」になって行きます。 日本のSFは、小松さんがリーダーになって発展して来たのですが、この失脚で、日本のSF界全体が、人気沈降し、一般世間から相手にされなくなります。 「SF作家」という肩書きが、職業カテゴリーとして通用しなくなり、筒井康隆さんのような特別な能力を持った人以外、執筆依頼も激減し、喰い繋ぐために、仮想戦記物などという、最低のジャンルに逃げ込んで、日本社会全体に害毒を垂れ流し始めるのですが・・・、まあ、その辺は、本題と関係ないので、深入りしない事にしましょう。
というか、すでに、≪さよならジュピター≫の辺りから、脱線しまくっておるのう。 いや、あまりにもおぞましい記憶なので、小松さんについて書き始めると、どうしても、そこに触れざるを得ないんですな。 話を新潮文庫の小松作品に戻します。
新潮文庫で、≪時間エージェント≫だけ、なぜ、買わなかったのかというと、たぶん、近所の本屋に無かったからだと思うのですが、その一方で、私は、この本を立ち読みした記憶があり、真の理由は、もはや闇の中です。 ああ、子供の頃から、日記をつけておけばなあ・・・。
確か、他の本の解説に、「≪愛の空間≫という短編は、大変なエロだ」といったような事が書かれていて、面の皮が厚くなっていた私は、「そんなにエロなら、読んでみよう」と思い立ち、≪時間エージェント≫の中に収められている事を知って、どこかの本屋で立ち読みしたのです。 その時の感想は、「ああ、こういう話か」という程度だったと思います。 上述した通り、小松さんの書くエロは、大人の感覚で見れば、大騒ぎするようなものではありませんから。
それはともかく、本屋で発見して、立ち読みまでしておきながら、なぜ、買わなかったのか、それが分からぬ。 いつでも買えるから、後回しにしたのかもしれません。 ところが、文庫というのは、いつでも買えるわけではない事に、間も無く気づきます。 第二次・小松左京ブームが終息した後、小松さんの文庫が、書店の棚から、凄まじい勢いで、消えて行ったのです。
おぼろげな記憶では、88年頃には、小松作品を一冊も置いていない店が出て来ます。 最悪の形でブームが去ってしまって、売れなくなった事もありますが、小松さんが、小説を書く事に興味を失い、新刊が出なくなった事が、最も大きな理由だったと思われます。 本が書店に置かれなくなれば、その作家はもう、いなくなったも同然です。
あの、大御所、小松左京さんがですぜ。 信じられます? 私は、信じられませんでした。 高校生くらいの読書人が、小松作品を読まずに、一体、誰の本を読むって言うのよ? SFが受け持っていた年齢層が、読む本がなくなってしまった結果、日本の高校生・大学生、特に男子学生が本を読まなくなり、知識レベルが落ちたというのは、強ち、こじつけ分析とも言えますまい。
ちなみに、同年齢層の女子学生は、SFの凋落と入れ代わる形で勃興して来た、ライト・ノベルズに嵌まり、推理小説より更に下の、読書人ピラミッドの最低階層を形成して、今に至ります。 しかし・・・、ライト・ノベルズをいくら読んでも、頭の足しにゃならんと思うぞ。 推理小説も、似たり寄ったりだが・・・。
その後、角川春樹事務所で、ハルキ文庫が設けられ、小松作品が復活しますが、たぶん、私が感じたのと同じ不安に襲われたのでしょう。 いや、誰でも、70年代から、80年代半ばまでの時代を知っている人間なら、その後の、「男子学生が読む本が無くなった」状況に、猛烈な危機感を覚えますって。 仮想戦記なんて、有害クズ小説を、SFと思われたら、たまったもんじゃありません。
しかし、結局、小松さん以外に、頼る作家がいなかった事が、日本のSF界の限界だったんでしょうか。 いかに、小松作品とはいえ、時代の流れにはついていけないのであって、復刻して売るにも、時間的限度があります。 私が読んでいた頃ですら、書かれた時期と、10年以上の開きがあったのが、今では、30年以上も開いているわけで、インターネットも、ケータイも出て来ない未来小説に、面白さよりも違和感の方を強く覚える人が多いのは、無理も無い事です。
むむむ、また、脱線している。 アマゾンのマーケット・プレイスで買った、≪時間エージェント≫の話に戻しましょう。
先週の木曜の夜に注文したんですが、思いの外、到着が遅れ、日曜の午後になって、ようやく届きました。 文庫本は薄いので、メール便で、郵便受けに投函されます。 印鑑を押さなくて済むのはいいのですが、いつ届くか分からないので、こまめに郵便受けを見に行かなければならないのが厄介。 土曜の朝から、何回確認しに行った事か。 エロ本でもないのに、なんで、こんなに気を使わなければならんのか・・・。
ビニール密封されていましたが、本自体は、そのまま、注文書と一緒に入れてありました。 運送中にビニールが破れた場合を考えると、ちと怖い荷姿ですな。 で、本の本体ですが、思っていたより、くたびれていて、絶句・・・。 普通に、ブック・オフに持って行ったら、「汚れがあるので・・・」と言って、買い取り拒否されそうな状態です。 なるほど、これなら、1円なのも、深く頷ける。
初版が1975年発行、その12刷で、1980年の品ですから、無理も無いのですが、それにしても、同じ頃に買った私の持ち本は、ずっと綺麗です。 本の状態に対する業者の自己評価では、「良い」だったのですが、これでは、「可」と言うのもためらわれる。 しかし、よく考えてみれば、「良い」でも、「可」でも、値段は同じ、1円なのであって、1円の古本相手に、状態の程度を云々する方が、心得違いなのかもしれません。 読む分には、何の問題も無い事ですし。
収録されている作品は、
【四次元トイレ】
【辺境の寝床】
【米金闘争】
【なまぬるい国へやって来たスパイ】
【売主婦禁止法】
【時間エージェント】
【愛の空間】
の、7作品。 この内、上から5作品は、ショートショートですが、知っている人は知っている通り、小松さんのショートショートは、星さんのそれに比べると、かなり落ちます。 落ちが落ちない点が落ちるという意味ですが・・・。 この5作品も、その例に漏れず。
表題作の、【時間エージェント】は、タイム・パトロール物の、短編連作です。 一編一編が、標準的な短編よりも短いので、スイスイ読めます。 この作品は、角川文庫の≪三本腕の男≫にも収められていて、そちらは、以前に古書店で買って、読んでいたので、今回は読みませんでした。
思い出がある【愛の空間】は、改めて読み返してみましたが、感想はやはり、「こんなものかなあ・・・」という程度。 確かに、エロはエロだけど、それ以前に、SFですな。
まあ、中身は、この際、どうでも宜しい。 小松作品の新潮文庫版が、これで全部揃った事に、大きな意義があるのです。 ≪時間エージェント≫を本棚に入れ、≪地球になった男≫から、≪空から墜ちてきた歴史≫まで、11冊、青い背表紙を揃えてみると、得も言われぬ感慨が胸に込み上げて来ます。 ずっと、一冊欠けた状態だったのが、ほぼ、四半世紀ぶりに、全て揃ったか・・・。 ありがとう、アマゾン。 ありがとう、マーケット・プレイス。
「大人買い」と言うには、金額がささやか過ぎますか。 251円なら、毎週一冊ずつ買っても、一年で、13000円くらいにしかならないので、大した浪費にはならんでしょう。 とりあえず、小松作品で、手に入る物を集めてみるつもりです。 今後、新刊が出る事はないので、中身が重複している本まで、全部買っても、100冊にもなりますまい。