EN125-2Aでプチ・ツーリング ⑱
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、18回目です。 今回分から、全て、今年、つまり、2021年に行った所になりますが、これまで通り、行った先ごとに、月日だけでなく、年も入れておきます。 歳月が経ってから、読み返した時、月日しか書いてないと、何年の事か分からず、わざわざ確認するのが面倒になる事があるので。
【大仁・廣瀬神社①】
静岡県に出されていた、「感染拡大緊急警報」ですが、「不要不急の外出自粛要請」だけが、先に解除されたので、2021年2月10日から、バイクでのプチ・ツーリングを再開しました。 最初に行ったのは、伊豆の国市・大仁にある、「廣瀬神社」です。
≪写真1≫
伊豆長岡から行く場合、大門橋を渡って、道なりに右へ曲がり、狩野川の土手を走って行くと、信号の先で、跨道・跨線高架橋を渡って間もない所で、左側、つまり、北側に、鎮守の森が見えます。 道路のすぐ横から、境内になります。 今は、国道136号線が幹線道路になっていますが、かつては、下田街道が、この神社の横を通っていたとの事。
向かって右側の狛犬の後ろに、黒っぽい社標が立っていて、「縣社 廣瀬神社」と彫ってあります。 「縣社」というのがあるんですねえ。 よく見る、「村社」とは、だいぶ、格が違うわけだ。
≪写真2左≫
ちょうど、梅が咲いていました。 別に、天神というわけではないです。
≪写真2右≫
石燈篭。 随分、立派な台座の上に乗っています。 台座は、石造りで、隙間がないところを見ると、明治以降の作だと思います。
≪写真3左≫
かつて、下田街道に敷かれていたとの事。 石に歴史あり。 しかし、一度、どこかへ移動されたら、もう、誰も分からなくなってしまうでしょうな。
≪写真3右≫
境内の川に架かる石橋。 結界の境として置かれている、ダミーの橋は、よく見ますが、この神社では、本当に川が流れています。
こういう石橋ですが、一見、頑丈そうでいて、実は結構、危うい構造で、ギリギリもっているケースも多いので、そっと静かに渡るのがお勧めです。 間違っても、橋の上で、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしないように。
≪写真4≫
社殿。 大きくて、立派なもの。 さすが、縣社というべきか。 惜しむらく、社殿の前の広場が、ゲート・ボール場になっていて、高齢者が20人くらい、ゲームに興じており、社殿には、近づけませんでした。
【大仁・廣瀬神社②】
≪写真1≫
社殿を側面から見ました。 拝殿と本殿が、廊下で繋がれている形式。 本殿の横手から、背後にかけて、石柵で囲われていますが、これは、大きな神社でないと、見られないものです。 本殿に近づけないようにしてあるのだと思います
≪写真2左≫
手水舎。 社格に相応しい、立派なもの。 漱盤も、大きな自然石を穿ってあるようです。 ゲート・ボールの面々がいなければ、もっと近くで観察したのですが。
≪写真2右≫
社務所の裏手に置いてあった、軽トラ。 三菱の4代目ミニキャブです。 1984年から、1991年まで、生産・販売されていた型。 懐かしい。 元は白だったのを、茶色っぽい色に塗られていたのが、経年で剥がれて、斑になっています。 ナンバーがないところを見ると、境内の中だけで、運搬に使われているのかもしれません。
≪写真3左≫
相撲の土俵。 これは、本格的に造られている。 子供相撲ではなく、大人用かもしれません。
≪写真3右≫
「伊豆の国市指定文化財 廣瀬神社の杜」の解説板。 神社の説明も書いてあります。 三嶋大社が、元は、下田にあったのが、一旦ここへ移り、その後、現在の場所に移ったのだそうです。 ここは、田方一の大社だとの事。 田方とは、田方郡の事で、伊豆半島北部の群名です。 大仁は、以前、田方郡大仁町でした。
≪写真4≫
北東隅にある、裏口。 こちらにも、鳥居があります。 左下に見えているのが、下田街道だと思うのですが、意外な程に、交通量が多い道で、この写真を撮る為に、道路を渡ろうとして、えらい手間取りました。
≪写真5≫
南側の大鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 どうも、2020年の12月頃から、ハンドリングが不安定になり始め、交差点の小さなRで曲がる時に、怖さを感じるようになりました。 その後、どうやら、ステム・ベアリングのヘタリが原因らしいと分かったのですが、この頃には、まだ、はっきりしておらず、騙し騙し、乗っていました。
【大仁・御門塞神社】
2021年2月18日に、バイクで、伊豆の国市、大仁にある、「御門塞神社」へ行って来ました。 以前行った、「白山神社」のすぐ近くです。
≪写真1≫
境内は、道端にあります。 かつては、街道筋だったのでしょう。 塀や柵はなく、鳥居もなくて、社殿だけ、大きいのが建っています。 道路脇社殿としては、私が今まで見た中で、最も大きいです。
巨木あり。 樹種の解説板は立っていませんでした。
≪写真2左≫
社殿を横から。 正殿が、拝殿の中に入っている形式。 立派な社殿ですな。
≪写真2右≫
「塞神社」の額。 つまり、「サイノカミ」なんでしょう。 それなら、道路脇にあっても、不思議ではないですが、普通は、道祖神の石像がある程度なので、このサイズの社殿に祀られているのは、珍しいと思います。 鈴は、まずまず、平均的な大きさ。
≪写真3左≫
境内にあった、別社。 何の神様を祀っているのか、分かりませんでした。 神棚用の、鯉の形をした陶器製・榊立てが、屋外で使われていました。 まったく、神社というのは、何でもアリですな。
≪写真3右≫
神社の隣の家の窓。 カーテンの隙間から、猫が、こちらを見ていました。 「YKK AP」のCMみたいです。 手を振りましたが、反応はありませんでした。
≪写真4≫
神社の向かい側にあった、「御門防災センター」。 公会堂ではないの?
≪写真5≫
防災センターの敷地にあった、観音像と、石碑。 石碑の方は、「狩野川台風殉難死者 慰霊碑」とあります。 狩野川台風は、1958年(昭和33年)9月26日に、主に伊豆半島を襲った台風。 私はまだ、生まれていませんでした。
家ごと流された人達が、屋根に乗って、狩野川を沼津の方まで来たが、橋から縄を垂らしていたものの、それを掴む事ができず、結局、助けられなかったとか、流されて来た死体が田んぼに溜まっているのを片付けようとしたら、皮がズルズル剥けたといった、悲惨な話は、伝承で聞いています。
【函南・宝蔵稲荷神社】
2021年2月24日、バイクで出かけました。 函南町の「白山神社」を目指したのですが、敢えなく、ロスト。 付近をぐるぐる回りましたが、どーしても、見つかりません。 やむなく、断念。
≪写真1≫
手ぶらで帰るのも癪に障るので、住宅地をゆっくり回ったら、小さい神社を見つけました。 鎮守の森が、立派。 冬枯れの木の枝に、風情を感じます。 参道があるのですが、畑の横にバイクを停めてしまったので、畑の中の何も栽培していない所を通って、近づきました。
≪写真2≫
真新しい鳥居。 「宝蔵稲荷神社」と書いてあります。 家に戻ってから、調べ直したら、「山神社」として、地図に出ていました。 名前が違い過ぎる感じがしますが、どういう事情で、こうなっているんでしょう? ちなみに、近くに、「宝蔵台」という住宅地があり、「宝蔵」は、地名なのかもしれません。
≪写真3≫
社殿。 入口が妻面にある事を除けば、普通の家ですな。 昭和の中期頃まで、こういう板壁の家は、多くありました。 今となっては、貴重ですが、塗装が利かないので、綺麗な状態で保存するのは、難しいです。 屋根は、波板トタン。 私の家も、建て直す前は、そうでした。 雨が降ると、屋根がパンパン鳴って、すぐに分かりました。
≪写真4左≫
社殿の前にあった、漱盤、というか、流し。 蛇口は付いていますが、ハンドルが外されていて、普段は使えないようになっています。
≪写真4右≫
バイクの写真を撮り忘れたので、家に帰ってから、走行距離の記録用に撮影している、メーターの写真を出します。 この日の走行距離は、27キロでした。 プチ・ツーリングでは、30キロ前後になる事が多いです。
トリップ・メーターは、合わせていません。 燃料計が、別に付いているから、距離数を目安にする必要がないんですな。
【函南畑毛・白山神社①】
2021年3月1日に、バイクで、函南畑毛の、「白山神社」に行って来ました。 その前の週に行こうとして、辿りつかなかった所。 地図を調べ直し、曲がる交差点の目印を覚えていったら、何とか、着きました。 読み方は、たぶん、「かんなみ・はたけ・はくさん・じんじゃ」。 「しろやま」ではないと思います。
≪写真1≫
小山の上にあり、境内の周囲を、ぐるりと道が巡っています。 この写真は、南側の正面から撮ったもの。
≪写真2≫
社殿。 木造白壁で、屋根は、銅版葺き。 正面から見ると、シンプルです。
≪写真3左≫
社殿を側面から。 拝殿と本殿が一体ですが、本殿の方が、屋根が高くなっています。
≪写真3右≫
社殿の前横にあった建物。 社務所ではなく、人寄せ用の建物ではないかと思います。
≪写真4左≫
手水舎。 漱盤は石ですが、背面にブロック塀があり、そこに、普通の蛇口が付いています。 ハンドルもあるので、使えるのでしょう。
≪写真4右≫
手水舎のブロック塀の裏側には、流しが二つ設けられていました。 水回りを一ヵ所に纏められる点、合理的な配置ですな。 こういう形式を、他で見た事がありませんが、神社の様式は、何でもアリなので、面白いとは思っても、非常識だとは思いません。
≪写真5左≫
石燈籠の台座。 石燈籠そのものは、撤去されていますが、一番上の、宝珠だけ、載せてあります。 これは、右側ですが、左側も同じようになっていました。
≪写真5右≫
境内別社。 長屋式ですな。 この向かい側にも、独立した、境内別社がありましたが、特に、変わった特徴もないので、写真は出しません。
右端の石燈籠に注目。 火袋だけ、石が新しいです。 つまり、古い火袋が壊れてしまったので、そこだけ、新しい部品を作って、取り替えたんですな。 火袋は壊れ易いようなので、新しいのを寄進して、境内を石燈籠の残骸だらけにするより、火袋だけ作り直した方がいいと思っていたのですが、この神社で、初めて、実例を見ました。
【函南畑毛・白山神社②】
≪写真1左≫
境内にあった、巨木。 複数の幹が縒り集まって、太い幹になっています。 そういえば、鳥居の傍らに、「白山神社叢林」という解説板がありましたが、字が所々消えていて、読めませんでした。
≪写真1右上≫
隣の畑で咲いていた、水仙。 それにしても、うちの水仙は、なぜ、咲かないのだろう?
≪写真1右下≫
左側の茶色い建物は、トイレです。 その横に、柱サボテンが育っていました。 サボテンとしては、かなりの大木。
≪写真2≫
畑の端から見た景色。 どちらの方角か分かりません。 山を切り開いて造成した住宅地が見えます。
≪写真3左上≫
畑の中にあった、石碑。 「南無妙法蓮華経 御堂関白系新田氏址 日目上人日道上人誕生地」と、彫ってあります。 新田氏の土地であった事と、日蓮宗の高僧が、この辺で生まれたという事のようです。
≪写真3左下≫
梅が咲いていました。 そういう季節だったわけだ。 行く道、寒緋桜も、あちこちで咲いていましたが、バイクを停めてまで、撮影はしませんでした。
≪写真3右≫
神社正面の、孟宗の竹林前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ハンドリングの不安定が解消して以降、快調に走っています。 ステム・ベアリングが、異常なのと、正常なのとでは、曲がる時の恐怖感が、あるか、ないかで、驚く程、違いがはっきり出ます。 これは、気のせいなどではなく、明らかに、機械の不具合の問題なのです。
今回は、ここまで。
【大仁・廣瀬神社】と、【大仁・御門塞神社】の間に、家での停め方を、サイド・スタンド立てから、センター・スタンド立てに変更のですが、それを境に、ステム・ベアリングの引っ掛かりがなくなり、交差点など、小さなRを曲がる時の、ハンドリングの不安定さが解消しました。 機械に自然治癒力などあるわけがありませんが、実際、直ってしまったのだから、不思議としか言いようがないです。
センター・スタンド立てに変更した経緯については、「EN125-2Aでプチ・ツーリング」シリーズが一段落したら、「EN125-2A補修」シリーズで、紹介します。
【大仁・廣瀬神社①】
静岡県に出されていた、「感染拡大緊急警報」ですが、「不要不急の外出自粛要請」だけが、先に解除されたので、2021年2月10日から、バイクでのプチ・ツーリングを再開しました。 最初に行ったのは、伊豆の国市・大仁にある、「廣瀬神社」です。
≪写真1≫
伊豆長岡から行く場合、大門橋を渡って、道なりに右へ曲がり、狩野川の土手を走って行くと、信号の先で、跨道・跨線高架橋を渡って間もない所で、左側、つまり、北側に、鎮守の森が見えます。 道路のすぐ横から、境内になります。 今は、国道136号線が幹線道路になっていますが、かつては、下田街道が、この神社の横を通っていたとの事。
向かって右側の狛犬の後ろに、黒っぽい社標が立っていて、「縣社 廣瀬神社」と彫ってあります。 「縣社」というのがあるんですねえ。 よく見る、「村社」とは、だいぶ、格が違うわけだ。
≪写真2左≫
ちょうど、梅が咲いていました。 別に、天神というわけではないです。
≪写真2右≫
石燈篭。 随分、立派な台座の上に乗っています。 台座は、石造りで、隙間がないところを見ると、明治以降の作だと思います。
≪写真3左≫
かつて、下田街道に敷かれていたとの事。 石に歴史あり。 しかし、一度、どこかへ移動されたら、もう、誰も分からなくなってしまうでしょうな。
≪写真3右≫
境内の川に架かる石橋。 結界の境として置かれている、ダミーの橋は、よく見ますが、この神社では、本当に川が流れています。
こういう石橋ですが、一見、頑丈そうでいて、実は結構、危うい構造で、ギリギリもっているケースも多いので、そっと静かに渡るのがお勧めです。 間違っても、橋の上で、ぴょんぴょん飛び跳ねたりしないように。
≪写真4≫
社殿。 大きくて、立派なもの。 さすが、縣社というべきか。 惜しむらく、社殿の前の広場が、ゲート・ボール場になっていて、高齢者が20人くらい、ゲームに興じており、社殿には、近づけませんでした。
【大仁・廣瀬神社②】
≪写真1≫
社殿を側面から見ました。 拝殿と本殿が、廊下で繋がれている形式。 本殿の横手から、背後にかけて、石柵で囲われていますが、これは、大きな神社でないと、見られないものです。 本殿に近づけないようにしてあるのだと思います
≪写真2左≫
手水舎。 社格に相応しい、立派なもの。 漱盤も、大きな自然石を穿ってあるようです。 ゲート・ボールの面々がいなければ、もっと近くで観察したのですが。
≪写真2右≫
社務所の裏手に置いてあった、軽トラ。 三菱の4代目ミニキャブです。 1984年から、1991年まで、生産・販売されていた型。 懐かしい。 元は白だったのを、茶色っぽい色に塗られていたのが、経年で剥がれて、斑になっています。 ナンバーがないところを見ると、境内の中だけで、運搬に使われているのかもしれません。
≪写真3左≫
相撲の土俵。 これは、本格的に造られている。 子供相撲ではなく、大人用かもしれません。
≪写真3右≫
「伊豆の国市指定文化財 廣瀬神社の杜」の解説板。 神社の説明も書いてあります。 三嶋大社が、元は、下田にあったのが、一旦ここへ移り、その後、現在の場所に移ったのだそうです。 ここは、田方一の大社だとの事。 田方とは、田方郡の事で、伊豆半島北部の群名です。 大仁は、以前、田方郡大仁町でした。
≪写真4≫
北東隅にある、裏口。 こちらにも、鳥居があります。 左下に見えているのが、下田街道だと思うのですが、意外な程に、交通量が多い道で、この写真を撮る為に、道路を渡ろうとして、えらい手間取りました。
≪写真5≫
南側の大鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 どうも、2020年の12月頃から、ハンドリングが不安定になり始め、交差点の小さなRで曲がる時に、怖さを感じるようになりました。 その後、どうやら、ステム・ベアリングのヘタリが原因らしいと分かったのですが、この頃には、まだ、はっきりしておらず、騙し騙し、乗っていました。
【大仁・御門塞神社】
2021年2月18日に、バイクで、伊豆の国市、大仁にある、「御門塞神社」へ行って来ました。 以前行った、「白山神社」のすぐ近くです。
≪写真1≫
境内は、道端にあります。 かつては、街道筋だったのでしょう。 塀や柵はなく、鳥居もなくて、社殿だけ、大きいのが建っています。 道路脇社殿としては、私が今まで見た中で、最も大きいです。
巨木あり。 樹種の解説板は立っていませんでした。
≪写真2左≫
社殿を横から。 正殿が、拝殿の中に入っている形式。 立派な社殿ですな。
≪写真2右≫
「塞神社」の額。 つまり、「サイノカミ」なんでしょう。 それなら、道路脇にあっても、不思議ではないですが、普通は、道祖神の石像がある程度なので、このサイズの社殿に祀られているのは、珍しいと思います。 鈴は、まずまず、平均的な大きさ。
≪写真3左≫
境内にあった、別社。 何の神様を祀っているのか、分かりませんでした。 神棚用の、鯉の形をした陶器製・榊立てが、屋外で使われていました。 まったく、神社というのは、何でもアリですな。
≪写真3右≫
神社の隣の家の窓。 カーテンの隙間から、猫が、こちらを見ていました。 「YKK AP」のCMみたいです。 手を振りましたが、反応はありませんでした。
≪写真4≫
神社の向かい側にあった、「御門防災センター」。 公会堂ではないの?
≪写真5≫
防災センターの敷地にあった、観音像と、石碑。 石碑の方は、「狩野川台風殉難死者 慰霊碑」とあります。 狩野川台風は、1958年(昭和33年)9月26日に、主に伊豆半島を襲った台風。 私はまだ、生まれていませんでした。
家ごと流された人達が、屋根に乗って、狩野川を沼津の方まで来たが、橋から縄を垂らしていたものの、それを掴む事ができず、結局、助けられなかったとか、流されて来た死体が田んぼに溜まっているのを片付けようとしたら、皮がズルズル剥けたといった、悲惨な話は、伝承で聞いています。
【函南・宝蔵稲荷神社】
2021年2月24日、バイクで出かけました。 函南町の「白山神社」を目指したのですが、敢えなく、ロスト。 付近をぐるぐる回りましたが、どーしても、見つかりません。 やむなく、断念。
≪写真1≫
手ぶらで帰るのも癪に障るので、住宅地をゆっくり回ったら、小さい神社を見つけました。 鎮守の森が、立派。 冬枯れの木の枝に、風情を感じます。 参道があるのですが、畑の横にバイクを停めてしまったので、畑の中の何も栽培していない所を通って、近づきました。
≪写真2≫
真新しい鳥居。 「宝蔵稲荷神社」と書いてあります。 家に戻ってから、調べ直したら、「山神社」として、地図に出ていました。 名前が違い過ぎる感じがしますが、どういう事情で、こうなっているんでしょう? ちなみに、近くに、「宝蔵台」という住宅地があり、「宝蔵」は、地名なのかもしれません。
≪写真3≫
社殿。 入口が妻面にある事を除けば、普通の家ですな。 昭和の中期頃まで、こういう板壁の家は、多くありました。 今となっては、貴重ですが、塗装が利かないので、綺麗な状態で保存するのは、難しいです。 屋根は、波板トタン。 私の家も、建て直す前は、そうでした。 雨が降ると、屋根がパンパン鳴って、すぐに分かりました。
≪写真4左≫
社殿の前にあった、漱盤、というか、流し。 蛇口は付いていますが、ハンドルが外されていて、普段は使えないようになっています。
≪写真4右≫
バイクの写真を撮り忘れたので、家に帰ってから、走行距離の記録用に撮影している、メーターの写真を出します。 この日の走行距離は、27キロでした。 プチ・ツーリングでは、30キロ前後になる事が多いです。
トリップ・メーターは、合わせていません。 燃料計が、別に付いているから、距離数を目安にする必要がないんですな。
【函南畑毛・白山神社①】
2021年3月1日に、バイクで、函南畑毛の、「白山神社」に行って来ました。 その前の週に行こうとして、辿りつかなかった所。 地図を調べ直し、曲がる交差点の目印を覚えていったら、何とか、着きました。 読み方は、たぶん、「かんなみ・はたけ・はくさん・じんじゃ」。 「しろやま」ではないと思います。
≪写真1≫
小山の上にあり、境内の周囲を、ぐるりと道が巡っています。 この写真は、南側の正面から撮ったもの。
≪写真2≫
社殿。 木造白壁で、屋根は、銅版葺き。 正面から見ると、シンプルです。
≪写真3左≫
社殿を側面から。 拝殿と本殿が一体ですが、本殿の方が、屋根が高くなっています。
≪写真3右≫
社殿の前横にあった建物。 社務所ではなく、人寄せ用の建物ではないかと思います。
≪写真4左≫
手水舎。 漱盤は石ですが、背面にブロック塀があり、そこに、普通の蛇口が付いています。 ハンドルもあるので、使えるのでしょう。
≪写真4右≫
手水舎のブロック塀の裏側には、流しが二つ設けられていました。 水回りを一ヵ所に纏められる点、合理的な配置ですな。 こういう形式を、他で見た事がありませんが、神社の様式は、何でもアリなので、面白いとは思っても、非常識だとは思いません。
≪写真5左≫
石燈籠の台座。 石燈籠そのものは、撤去されていますが、一番上の、宝珠だけ、載せてあります。 これは、右側ですが、左側も同じようになっていました。
≪写真5右≫
境内別社。 長屋式ですな。 この向かい側にも、独立した、境内別社がありましたが、特に、変わった特徴もないので、写真は出しません。
右端の石燈籠に注目。 火袋だけ、石が新しいです。 つまり、古い火袋が壊れてしまったので、そこだけ、新しい部品を作って、取り替えたんですな。 火袋は壊れ易いようなので、新しいのを寄進して、境内を石燈籠の残骸だらけにするより、火袋だけ作り直した方がいいと思っていたのですが、この神社で、初めて、実例を見ました。
【函南畑毛・白山神社②】
≪写真1左≫
境内にあった、巨木。 複数の幹が縒り集まって、太い幹になっています。 そういえば、鳥居の傍らに、「白山神社叢林」という解説板がありましたが、字が所々消えていて、読めませんでした。
≪写真1右上≫
隣の畑で咲いていた、水仙。 それにしても、うちの水仙は、なぜ、咲かないのだろう?
≪写真1右下≫
左側の茶色い建物は、トイレです。 その横に、柱サボテンが育っていました。 サボテンとしては、かなりの大木。
≪写真2≫
畑の端から見た景色。 どちらの方角か分かりません。 山を切り開いて造成した住宅地が見えます。
≪写真3左上≫
畑の中にあった、石碑。 「南無妙法蓮華経 御堂関白系新田氏址 日目上人日道上人誕生地」と、彫ってあります。 新田氏の土地であった事と、日蓮宗の高僧が、この辺で生まれたという事のようです。
≪写真3左下≫
梅が咲いていました。 そういう季節だったわけだ。 行く道、寒緋桜も、あちこちで咲いていましたが、バイクを停めてまで、撮影はしませんでした。
≪写真3右≫
神社正面の、孟宗の竹林前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ハンドリングの不安定が解消して以降、快調に走っています。 ステム・ベアリングが、異常なのと、正常なのとでは、曲がる時の恐怖感が、あるか、ないかで、驚く程、違いがはっきり出ます。 これは、気のせいなどではなく、明らかに、機械の不具合の問題なのです。
今回は、ここまで。
【大仁・廣瀬神社】と、【大仁・御門塞神社】の間に、家での停め方を、サイド・スタンド立てから、センター・スタンド立てに変更のですが、それを境に、ステム・ベアリングの引っ掛かりがなくなり、交差点など、小さなRを曲がる時の、ハンドリングの不安定さが解消しました。 機械に自然治癒力などあるわけがありませんが、実際、直ってしまったのだから、不思議としか言いようがないです。
センター・スタンド立てに変更した経緯については、「EN125-2Aでプチ・ツーリング」シリーズが一段落したら、「EN125-2A補修」シリーズで、紹介します。