2021/06/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (21)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、21回目です。 その月の最終週に、前月に行った所を出しています。 今回は、2021年5月分。





【西沢田・日吉神社①】

  2021年5月6日に、バイクで、沼津市・西沢田にある、「日吉神社」に行って来ました。

≪写真1≫
  根方街道から、北へ向かい、新幹線を潜ると、すぐ正面にあります。 道は、左へ曲がって、坂を登って行きます。 神社の西側を見てみたのですが、バイクを停める場所がないので、正面に戻って、石段の下に停めました。 三角形の余地があり、通行の邪魔にはなりませんが、こういう所に停めたのでは、長時間、離れているわけには行きませんな。

≪写真2左≫
  正面鳥居の近くにあった、石燈籠。 断面六角形タイプ。 まだ新しいです。 台座だけ古いのは、先代のをそのまま使っているからでしょう。

≪写真2右≫
  手水舎。 自然石を穿った漱盤。 蛇口あり。 ハンドルも付いています。 右側に、コンクリート・タイル貼りの流しが、別に設けられています。 かなり、損傷していますが。

≪写真3≫
  境内に置いてあった、細長い石。 「まちはし橋桁」。 かつて、石橋がどこかにあって、その部品だけ残してあるのでしょう。

≪写真4≫
  社殿。 鉄筋コンクリート、瓦葺き。 がっちりした建物です。




【西沢田・日吉神社②】

≪写真1左≫
  本殿。 鎮守の森が鬱蒼としていて、側面からは、全体が撮れませんでした。 本殿の方が、拝殿より、かなり高くなっています。

≪写真1右≫
  境内別社。 祠本体は木製。 覆いは、コンクリート・ブロックの壁に、コンクリートの屋根が載っています。 これは、「山神社」ですが、他に、「疱瘡神社」と、「高尾神社」がありました。

≪写真2左≫
  東側にも参道があり、鳥居が立っていました。 こちらからなら、広い道路があるので、バイクは勿論、車も停められない事はないです。

≪写真2右上≫
  境内に隣接している運動場で見つけた、タンポポの穂。 花は、円盤状なのに、穂が球形になるのは、不思議です。

≪写真2右下≫
  鎮守の森の中にあった、ローラー。 どう見ても、ローラーをかけるような場所ではなかったので、隣接する運動場で使っていた物かもしれません。

≪写真3≫
  隣接する運動場。 おそらく、かつては、ここも、鎮守の森だったのでしょう。

≪写真4≫
  手前は、石燈籠の残骸。 丁寧に、並べてあります。 大抵の神社がそうですが、部品を作り直して、修理しようという考えは、ないんですな。

  奥にある箱は、トイレです。 大用・小用、並んでいます。 仮設トイレにしては、常設的雰囲気が強い。

  この後、急いで、バイクに戻りました。 イタズラされるような事はなかったです。 どうも、バイクの置き場所に不安があると、落ち着いて、見学できませんな。




【根古屋・浅間神社①】

  2021年5月12日に、バイクで、沼津市の西の方、根古谷にある、「浅間神社」に行って来ました。 愛鷹山の麓で、興国寺城址の近くです。

≪写真1左≫
  茶畑の北側、杉・檜林の中にありました。 

≪写真1右≫
  鳥居。 注連縄が張ってあります。 こういのも、ある所とない所がありますねえ。

≪写真2左≫
  手水舎。 シンプルですが、屋根が付いていれば、手水舎と言えます。 しかし、この神社の、実質的手水場は、別にあります。 この手水舎は、オブジェのようなもの。 漱盤に、蓋がされている点を見ても、ここで、手は洗えません。

≪写真2右≫
  推定・拝殿。 なぜ、推定なのかは、次の本殿の写真を見てください。 

≪写真3左≫
  推定・本殿。 なぜ、推定なのかは、次の写真を見てください。

≪写真3右≫
  本殿なのに、鈴が下がっています。 つまり、この場所で拝めという事であって、もし、そうなら、こちらが、拝殿という事になります。 という事は、「推定・拝殿」と書いた、≪写真2右≫の建物は、何なのでしょうか。 神社の建物というと、他に、「舞台」がありますが、建物の構造上、舞台とは思えません。 分からぬ。

  考えられるのは、拝殿、本殿の区別について、よく知らない人が、建物を造ったというケースですが、この規模の神社で、それはないでしょう。 必ず、神官や、宮大工など、詳しい人間に相談していると思うからです。

  ちなみに、本殿と拝殿が、一つの建物の中にある形式や、山や岩などが御神体で、本殿がない形式もあるので、建物の形状や、並びだけで、本殿と拝殿を区別するのには、無理があります。

≪写真4左≫
  獅子型狛犬。 平成7年(1995年)の奉納。 「ファニー」が入っていますな。 昭和の獅子型狛犬は、もっとも怖い顔をしています。

≪写真4右≫
  断面四角型の石燈籠。 笠の正面が、唐破風形になっています。 他にも、装飾多し。 これは、高かったでしょう。

≪写真5≫
  鳥居の横、茶畑の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 出先では、サイド・スタンドで停めています。 短時間だから、問題なし。 タンクや、リヤ・フェンダーが白くなっているのは、光の反射です。 左の斜面にあるのは、蘇鉄。 半分、土に埋もれていました。




【根古屋・浅間神社②】

≪写真1≫
  境内別社。 三社同居で、左から、「稲荷神社」、「神明宮」、「山神社」。 他に、単独の別社があり、「秋葉山」が祀られていました。

≪写真2左≫
  これが、この神社の実質的、手水場です。 タイル張りの流しに、ポリ・タンクで水を供給するという、大変、大変、珍しい形式。 初めて見ました。 水を引いていない、形ばかりの手水場が多い中で、できる限りの実用性を追求しているのは、見事です。 これを見れただけでも、ここまで来た甲斐がありました。

≪写真2右≫
  周囲は、杉・檜林です。 出来たのは、林が先か、神社が先か、気になるところですな。 浅間(あさま)というのは、火山の事ですが、愛鷹山が噴火していたのは、有史以前どころの話ではなく、神話時代よりも遥かな太古でして、愛鷹山を祀ったわけではなく、浅間(せんげん)神社の末社として造られたのではないでしょうか。

≪写真3≫
  参道から、南を見た景色。 手前は、茶畑。 霜除けの扇風機が立っています。 家並みは、原の街。 黒っぽい線は、千本松原。 その向こうは、駿河湾です。

≪写真4左≫
  帰りに、興国寺城址の前に、バイクを停めました。 城址に寄ったのではなく・・・。

≪写真4右上≫
  城址の、道路を挟んだ向かい側に、黄花コスモスが咲いていたので、撮影する為に、停まった次第。

≪写真4右下≫
  花のアップ。 黄花コスモスは、近くで見ると、形が独特で、コスモスらしくありませんな。 小さな虫がとまって、蜜を吸っています。




【平沼・山之神】

  5月18日に、バイクで、沼津市の西の方、もう、富士市に程近い、平沼地区へ行って来ました。 地図に載っていた公園が目的地だったのですが、一応着いたものの、見るほどの所ではなく、停まりませんでした。 西の方に、神社が見えたので、そちらへ行ってみました。

≪写真1≫
  鳥居の名額には、「山之神」とあります。

≪写真2左≫
  上の写真の、バイクの右側の叢に咲いていた花。 名前は分かりません。

≪写真2右≫
  よく、川の土手に生えている、縦に長い、ふさふさした穂がつく草です。 名前は分かりません。 植えたとは思えませんが、自然に生えて来て、これだけの群落になるには、何年もかかるでしょうねえ。

≪写真3≫
  社殿と石燈籠。 どちらも、新しいです。 石の社殿は、人間は入れないサイズ。 大変、珍しい。 よく見る、石の祠とは、全く違います。 屋根が寄棟になっていて、正面に破風まで付いています。 何となく、沖縄っぽい。

≪写真4≫
  南を見下ろしました。 晴れていれば、気持ちがいい所だと思います。 畑に何か植えてありますが、野菜ではなく、木のように見えます。 野菜だったら、こんなに雑草だらけで放っておかないでしょうな。




【西浦平沢・八幡宮①】

  2021年5月28日に、バイクで、西浦平沢の八幡宮に行って来ました。

≪写真1左≫
  県道17号線を、西に向かい、平沢の集落に入ったら、左折して、とにかく、東側の山裾の道を登って行けば、着きます。 バイクを停める場所はありましたが、車ではどうですかねえ。 前の道路に停めておいても、ほとんど、車の通りがないから、短時間なら大丈夫だと思いますが。

≪写真1右≫
  道路沿いは、岩の崖になっているのですが、この部分だけ、石垣になっていて、膨らんでいました。 かつては、この上に、何か施設があったんでしょうか。 古そうな積み方ですが、大きな写真で見ると、塩ビ・パイプが埋め込まれていて、築造年代が、よく分かりません。

≪写真2左≫
  境内の下の段。 お祭りなど、行事をするには、都合が良い広さです。 しかし、全体に苔むしていて、そういう事は、あまり行われていないようにも思えます。

≪写真2右≫
  下の段の崖に、横穴がありました。 古代の墓でしょうか。

≪写真3左≫
  下の段の隅に、建物がありました。 人寄せをするには、窓が少ないので、神輿などを入れる倉庫なのかもしれません。

≪写真3右≫
  手水舎。 木造銅板葺き。 蛇口あり、柄杓あり。 教科書的に、揃えてあります

≪写真4左≫
  境内、上の段にある、石燈籠。 笠が、少し、ズレていますな。 「御寶前」と彫ってあります。 そういう言葉もあるわけだ。

≪写真4右≫
  唐獅子タイプの狛犬。 明らかに、「ファニー」が入っていて、昭和後期から、平成にかけて彫られたものと思います。 台座には、「昭和拾一年」とあるのですが、そんな事は、ありえません。 台座が作られたのが、昭和11年で、狛犬は、作り直したのでしょう。

≪写真5≫
  社殿。 拝殿と本殿が、短い廊下で繋がっている形式です。 木造、瓦葺き。 側面の外壁は、モルタル塗りです。 屋根の傾斜が直線的なので、昭和の中期以降の建物ではないかと思います。




【西浦平沢・八幡宮②】

≪写真1左≫
  拝殿と本殿を繋いでいる廊下。 ここの屋根にも、瓦が葺かれています。 細かい仕事ですな。

≪写真1右≫
  拝殿の軒下に、別社が三つ置いてありました。 瓦が奉納されているところを見ると、この社殿の造営に、瓦屋さんが、深く関わっていたのではないかと思います。

≪写真2左≫
  社殿の横に、ドクダミの群落がありました。 日陰を好むので、山陰にあって、昼尚暗いこの神社の境内は、もってこいの場所でしょう。

≪写真2右≫
  花は、可愛らしいです。 葉の形を見ると、アオイ科かと思ってしまいますが、ドクタミ科だそうです。

≪写真3左≫
  境内、下の段の入り口近くに、コンクリートの階段がありました。 土の傾斜の上に、ぼてっと流して、階段状に成形した物。 よく、ズレ落ちてきませんねえ。 こういうのは、衝撃を与えないように、そろそろと登ります。

≪写真3右≫
  登って行ったら、小さな祠と、浮き彫りの石像がありました。 たぶん、道祖神でしょう。

≪写真4≫
  南側は、山です。 段々畑になっていますが、何を植えてあるのかは、不明。  蜜柑ですかね? 西浦は、蜜柑で有名ではありますが。

  倉庫の近くに停めた、EN125-2A・鋭爽ですが、ハンドルの不安定が直ってからこっち、調子良く走っています。

≪写真5≫
  少し、集落側に出て来ると、北側に、駿河湾を挟んで、富士山が見えました。 右手前に、愛鷹山も見えます。 これだけ、良く見えるのだから、この辺に住んでいる人達は、富士山愛が強いかも知れませんな。 逆に、見慣れてしまって、無関心という事も考えられます。




  今回は、ここまで。

  それにしても、神社というのは、たくさん、あるものですねえ。 プチ・ツーを始めてから、一年半以上になりますが、半径20キロ以内だけでも、まだまだ、行っていない所が、うじゃうじゃ、あります。 「神社なんて、どこも似たようなもの」と思っている方々が多いと思いますが、規模の違いの外に、微妙な違いや、微妙とは言えない違いもあって、目が肥えて来ると、どこかしら、何かしら、興味を引く部分を見つけられます。

2021/06/20

読書感想文・蔵出し (73)

  読書感想文です。 溜まり過ぎて、まだ、去年(2020年)の分です。 一度に4冊分しか出さないから、遅いわけですが、今回の様子を見れば分かるように、短編集が含まれている場合、一冊分だけでも、とてつもない長さになってしまうので、それができないのです。





≪松本清張全集 16 地の骨≫

松本清張全集 16
文藝春秋 1972年9月20日/初版 2008年6月15日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【地の骨】 約468ページ
  1964年(昭和39年)11月9日号から、1966年6月11日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  ある私大の助教授が、女遊びの後、タクシーの中に、入試問題の草稿を置き忘れ、それを届けてくれた、ホテル・オーナーの女性と知り合いになる。 その私大の教授陣の中には、学閥による対立があり、反主流派の代表格の教授が、これまた、愛人を作ったり、裏口入学の斡旋をしたりと、後ろめたい事をやっていた。 やがて、どちらも、のっぴきならない状況に追い込まれて行き・・・、という話。

  松本作品で、大学教授が主人公というと、【落差】(1961年)がありますが、同じ女癖が悪いのでも、こちらの作品の二人は、比較的、純情で、【落差】の主人公のような、性欲・征服欲丸出しという事はありません。 助教授は、独身だから、尚更、罪が薄い。 強いていうなら、火中の栗を拾うような事をしたのが、罪でしょうか。

  教授の方は妻帯者でして、明らかに不倫をやっているわけで、その点、問題ですが、相手をとっかえひっかえという事はありません。 それでも、身を持ち崩して行ってしまうのだから、女遊びが、いかに、危険かが分かろうというもの。 本来、遊びでやるような事ではないわけだ。 水商売の女と不倫関係になって、自分が愛されていると思う方が、おめでたい。

  彼らの異性交遊の経緯と平行して、大学内の、教授間の対立や、理事会と学生の対立が描かれています。 更に、裏口入学の実態も、生々しく暴かれていて、その点は、社会派です。 しかし、作品の雰囲気としては、サラリーマン小説が一番近いです。 視点人物が二人いる上に、話があっちへ行ったり、こっちに戻ったりするので、バラバラ感が強いですが、それが、終わりの方で、割と纏まってきて、「ああ、こうなるのか」と、割と感慨のあるラストになります。

  「割と」を二回も使いましたが、なんで、「割と」なのかというと、松本清張さんは、そういう、伏線を何本も張っておいて、終わりの方で回収して、綺麗に纏めるという作風ではないからです。 大雑把にストーリーを決めておいて、流れで書いて行ったというパターンの作品が多いです。 この作品は、「こういうのも、書くんだ」と思わせる点で、異色。

  視点人物二人の他に、もう一人、銀行の支店長の息子が出て来ます。 この青年、最初の内は、取るに足らない端役の印象なのですが、後ろの方へ行くと、大変なキー・パーソンである事が分かり、読んでいる方は、意外な展開に驚かされます。 ラストでも、強烈なインパクトを与える役回りを演じます。 これだけ、重要な役なのに、視点人物にしていないところが、技法的に興味深い。

  裏口入学と、あと、最後に犯罪事件が出て来ますが、推理物ではないです。 やはり、サラリーマン小説が、一番近い。 という事は、つまり、飛ばし読みも可能という事です。 一文字一文字、全てを読んでも、それに見合う感動は、期待できません。




≪松本清張全集 17 北の詩人・象徴の設計・他≫

松本清張全集 17
文藝春秋 1974年1月20日/初版 2002年6月1日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作を収録。


【北の詩人】 約188ページ
  1962年(昭和37年)1月号から、1963年3月号まで、「中央公論」に連載されたもの。

  日本敗戦後まもないソウルで、プロレタリア文学の詩人が、日本占領時代、獄中で転向した事実を暴露されたくないばかりに、アメリカ軍政庁のスパイとなり、仲間の情報を売っていた。 やがて、南側では用済みとなり、北側の様子を探る命を帯びて、38度線を越えて行くが・・・、という話。

  硬い話で・・・。 小説的な部分もありますが、繋ぎ的に使われているだけで、ほとんどが、資料の羅列です。 主人公の、林和氏は、実在の人物ですが、この小説が、事実をどこまで映しているかは、不明。 歴史だろうが、実在の人物が出ていようが、小説と名が付いていたら、確実に、フィクションが含まれていると見るべき。

  林和氏や、この時代の、この分野の状況に特に興味がある人を除き、硬過ぎて、全く、面白さを感じないと思います。 全文字読んでも、読んだ端から、抜けて行ってしまう感あり。 こういう人がいたという事だけ、記憶に残れば、充分なんじゃないでしょうか。 それすら、長い時間を待たずして、消えてしまいそうですが。

  この作品ねえ、資料を集めて調べるのに、凄い手間と時間がかかっていると思うのですよ。 編集者から、こういう作品を書いてくれという注文が来るとは思えないから、たぶん、松本さんが自ら書きたいと言い出したんでしょう。 だけど、読者が、これを歓迎したとは思えませんなあ。 読むのが、苦痛でしかありません。 ちなみに、松本さんは、戦時中、衛生兵として、朝鮮に駐屯していた経歴があります。


【象徴の設計】 約162ページ
  1962年(昭和37年)3月号から、1963年6月号まで、「文芸」に連載されたもの。

  西南戦争の後から、10年くらいの間、山県有朋が、軍の反乱を押さえ込む為に、軍人勅諭を纏めた経緯や、自由民権運動の展開と衰退を中心に、社会が変転して行く様子を追った内容。

  小説というより、ほとんど、歴史書。 コチコチに硬いので、こういうのが、苦手な人は、10ページくらいめくって、目が慣れていかないようなら、やめてしまった方がいいです。 後ろへ行けば行くほど、小説的な部分が減りますから。 私としては、別に、松本さんの本で、歴史の勉強をしたいとは思わないので、硬いところは、飛ばし読みしました。

  おおまかに分かった事というと、明治政府の中心にいた人達が、ヨーロッパ諸国を手本にしながら、つまみ食い的に、制度を採り入れて行った事。 その選択は、至って、主観的なもので、時の実力者の、その時の主観が通ってしまったという事。 そんなところですか。 西南戦争の後、近衛砲兵隊が、給料の問題で反乱を起こすのですが、「ああ、当時の日本の軍人・兵隊というのは、そういう、現金な考え方をしていたんだな」と、驚かされます。 農民と武士の寄せ集めで、国に対する忠誠心なんか、ほとんど、なかったんですな。

  それではまずいというので、「軍人は、かくあるべし」という内容の、軍人勅諭が作られるわけですが、ただの文章ですから、どれだけ、効果があったかは、疑問です。 当時は、識字率も低かった事だし。 軍人勅諭が浸透し始めるのは、時代的に、もう少し後からです。 浸透したらしたで、今度は、日本の軍人・兵隊を精神論で縛りつけてしまうのですが。

  これは、私の見方ですが・・・。 薩長連合は、そもそも、「尊皇攘夷」を大義名分にして、「倒幕」をしたにも拘らず、実際には、大政奉還されるなり、「攘夷」を引っ込めて、「開国」に鞍替えしたのは、大変、節操がなかった点ですが、「尊皇」の方も、怪しくて、単に、倒幕の口実として、徳川政権以上の権威を担いだだけだったようです。 元武士階級にしてからが、忠義の対象は、旧藩主であって、新たに担いだ天皇を、どう位置づけていいのか、分からなかった模様。

  この作品を読むと、日本を、天皇を頂点とする社会に改造して行くのに、てこずった様子が良く分かりますが、その後の歴史を見ると、「一億玉砕」などという、興りたいんだか亡びたいんだか、何を目標にしているのか分からない、異常な観念世界を作り出してしまったわけで、最初の方向付けを行なった明治政府の間違いの種が、どこにあったのか検証してみるのも、一興かも知れません。


【小説帝銀事件】 約133ページ
  1959年(昭和34年)5月号から、7月号まで、「文藝春秋」に連載されたもの。

  1948年に、東京都豊島区にあった帝国銀行椎名町支店で起こった、毒殺強盗事件と、その後、逮捕された画家、平沢氏の容疑がいかに、頼りないものであるかを詳細に記したもの。

  旧日本軍の731部隊の関係者が起こした事件ではないかと疑いを持った新聞記者が、調べを進めるという体裁になっていますが、小説というには、あまりにも貧弱で、捜査資料をそのまま読んでいるような印象です。 わざわざ、タイトルに、「小説」と断ってありますが、実録物と、どう違うのか、この作品を読んだだけでは、全く分かりません。

  この事件、横溝正史さんの、≪悪魔が来りて笛を吹く≫の冒頭で使われていて、そのお陰で、現在でも、どんな事件だったのか、あらましを知っている人が多いと思います。 実際の事件の方は、一応、犯人が捕まり、起訴され、死刑判決を受けたものの、執行されないまま、逮捕から39年後の1987年に、医療刑務所で死亡したとの事。

  731部隊関係者の線は、当時、GHQが調査をしていて、関係者を押さえていたので、毒殺強盗事件の方に横車が入り、諦めざるを得なかったとの事。 しかし、そちらは、本当に横槍が入ったかどうかすら、証明できない事なので、真犯人がそちら方面かは、想像の域を出ません。

  なぜ、画家の平沢氏が逮捕されたかというと、ある人物の名刺を持っていたからですが、他に余罪があり、しかも、精神的に不安定で、嘘ばかりつく癖があったのが、決め手になったらしいです。 容疑の方は、物証に乏しく、状況証拠ばかりなのに、戦前からの自白重視刑法で取り調べられたせいで、犯人にされてしまったのだろうというのが、作者の見立て。

  真犯人が、はっきり分からない場合、容疑者の中から、アリバイがあやふやとか、動機が考えられないわけではないとか、公判を維持できる程度の材料が揃っている人物を、犯人にしてしまうという風潮が、警察や検察、裁判所にあり、その犠牲になった典型的な例ではないか、というわけです。

  最高裁まで行っているにも拘らず、死刑判決に自信がなかったのか、結局、執行できずに終わるわけですが、人一人の半生を潰してしまったわけですから、責任は重大でして、自信がないのなら、無罪にすべきだったと思います。 「疑わしきは、被告人の利益に」といった考え方が、全くできなかったんですな。 まあ、物証重視刑法に変わった今でも、そういう経緯で、濡れ衣を着せられる人は多いわけですが。

  目撃者による人相の確認や、筆跡鑑定が、いかにいい加減なものであるかが、これでもかというくらい書き込まれています。 私は、他人の顔を積極的には見ない方なので、「よく、一度見ただけで、顔を覚えられるなあ」と思っていましたが、やはり、人の記憶なんて、いい加減だったんですな。 筆跡鑑定に至っては、鑑定者の主観が最も物を言うようで、一見、科学的なように見えて、その実、でたらめもいいところなのだそうです。




≪松本清張全集 41 ガラスの城・天才画の女≫

松本清張全集 41
文藝春秋 1983年4月25日/初版 2008年9月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 時代小説と歴史小説の巻を飛ばしたので、また、全集の後ろの方へ行きました。 二段組みで、長編3作を収録。


【ガラスの城】 約200ページ
  1962年(昭和37年)1月号から、1963年6月号まで、「若い女性」に連載されたもの。

  会社の社員旅行で、修善寺温泉に行った後、行方不明になった課長がおり、やがて、バラバラ死体で発見された。 二人の女性社員が、別々に、素人捜査を始めるが、一人目が捜査記録を残して、姿を消してしまう。 残った一人が、更に捜査を進めると・・・、という話。

  松本清張さんには珍しく、本格トリック物です。 といっても、死体の運搬方法や、アリバイに関するものなので、密室物のような本格度ではありませんが。 本格にして、アンフェア物です。 すっごい、アンフェア。 だけど、良く出来たアンフェア物なので、読者が怒り出すような事はないと思います。 推理小説を読みつけていない人の場合、「あっ、そうだったのか!」と、してやられた感を覚えると思います。

  素人探偵が二人いて、それぞれ独自に捜査を進めているという設定が、変わっていて、面白いです。 しかも、捜査記録の手記が、リレーする形で並べられ、ストーリーが引き継がれるところが、また、面白い。 アラジンと魔法のランプ風に言うと、指輪の魔神と、ランプの魔神といったところでしょうか。 いや、だいぶ、違うか。

  敢えて、難を探せば、登場人物が多過ぎて、誰が誰だか、覚えられない事ですかね。 特に、女性社員の方が多くて、こんなに要らないだろうと思うのですが、大家の考える事は、よく分からない。 まあ、真ん中辺りまで行くと、事件に関わってくる人物が限られてくるので、肝心なところで、混乱するような事はないのですが。


【天才画の女】 約180ページ
  1978年(昭和53年)3月16日号から、10月12日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  全く無名の新人ながら、独特の画風が高名なコレクターの目に止まり、有名画廊の売り出しで、天才画家として人気が出た女がいた。 商売敵の画廊に勤める男が、女の画風の系統に疑念を抱き、調査を進めたところ、戦争で精神障害を負った絵の好きな男が、女の故郷に寄寓している事が分かり、女は、その男の絵を模写しているだけではないかと当りをつけるが・・・、という話。

  面白いです。 「天才と狂人は紙一重」という言葉を、そのまんま、モチーフにしています。 また、美術論も盛り込まれていて、その点でも、読み応えがあります。 初めて目にした新人の絵を、ボロクソに貶していた評論家が、高名なコレクターが興味を示していると聞いた途端に、今度は、誉め始める場面がありますが、絵の評価なんて、そんないい加減なものなんでしょう。

  女に絵を教えた先生というのが出て来ますが、その人の画風が、若い頃の有名画家の模倣で止まっていて、完全に時代遅れになっているのに、本人が気づかず、自分の画風こそが、正統だ信じているという設定が、また、面白い。 新作で売買されている美術品の世界では、その時代その時代の流行が、最も大きな価値基準になっていて、よほどの大家は除き、古い画風には、それなりの価値しかないというのも、興味深いです。

  以下、ネタバレ、あり。

  推理小説としては、謎あり、トリックあり。 謎がメインで、トリックはオマケのような扱いです。 このトリックは、当時はともかく、今となっては、古いですなあ。 重箱の隅を突かせてもらうと、フィルムだけ送られて来ても、結局、写真屋へ持って行って、プリントしてもらわなければ、見れないと思うのですがね。 リバーサル・フィルムなら、ライト・ビュアーと、ルーペでも見れますが、細部の観察は難しいです。


【馬を売る女】 約96ページ
  1977年(昭和52年)1月9日から、4月6日まで、「日本経済新聞朝刊」に連載されたもの。 原題は、【利】。

  複数の競走馬を所有する社長の女性秘書が、社内高利貸しに励む傍ら、社長にかかって来る電話を取り次ぐ立場を利用し、馬の体調の情報を売って、小遣い稼ぎをしていた。 それに気づいた社長から相談を受けた孫受け会社の経営者が、彼女が貯め込んでいる金に興味を持ち、近づいて、愛人関係となる。 彼女からの借金の額が大きくなった頃、仲が険悪になり、車の中で殺害する事を思いつくが・・・、という話。

  競馬関係の用語がたくさん出てきますが、私はやらないので、飛ばし読みしました。 では、競馬好きの人なら、興味深いかというと、そうでもなく、そういう人達は、恐らく、松本さんよりも競馬に詳しいと思うので、「何を、当然の事を書いているのか」としか感じないのではないかと思います。

  殺人の方は、競馬と何の関係もなく、非常駐車帯に停めた車の中で、いちゃついている、もしくは、性行為をしている連中がいて、みんな、シートを倒して、横になっているから、外なんか見ていない。 だから、その中の一台で、殺人が行なわれていても、誰も気づかないだろう、というところから、発想されたアイデア。

  例によって、意外なところから、犯行が露顕して行くわけですが、あまり、切れが良くありません。 やはり、競馬と殺人が絡んでいないから、バランスが悪いのだと思います。 松本作品には、社内高利貸しをしている、お局女性社員がよく出て来ますなあ。 そういうタイプが好きというより、嫌いだから、登場させて、ひどい末路に落とし込んでいるのかも知れません。




≪松本清張全集 42 黒革の手帖・隠花の飾り≫

松本清張全集 42
文藝春秋 1983年5月25日/初版 2008年9月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1作、短編11作を収録。


【黒革の手帖】 約326ページ
  1978年(昭和53年)11月16日号から、1980年2月14日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  30歳過ぎまで勤めた銀行から、裏金情報と引きかえに大金を横領し、それを元手に、銀座でバーを出した女。 更に、大きな店を手に入れようと、脱税に励んでいる産婦人科医を脅迫したり、裏口入学を事としている医科予備校の経営者を脅迫したり、他人の弱みを掴む方法で、大金奪取を狙うが・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  この作品、米倉涼子さん主演のドラマ・シリーズで名前を知ったのですが、見ていなかったので、小説を読んで、初めて、ストーリーが分かりました。 今更、確かめようがありませんが、たぶん、このままのストーリーで、ドラマにはしなかったはず。 あまりにも、救いがない結末なので。

  この主人公、犯罪者なのですが、終始一貫して、視点人物として描かれるので、読者は、主人公の立場で、ストーリーを追う事になり、容易に、「犯罪者でもいいか」という気分になってしまいます。 ところが、松本作品は、善悪バランスには厳しい方で、犯罪者が、罰を受けずに終わる事は、大変、稀です。 で、この主人公も、いいようにやられてしまいます。 こういうのは、ピカレスク(悪漢小説)とは、また違うんでしょうな。

  復讐譚とも言えますが、この作品が変わっているのは、復讐される側が、主人公にして、視点人物なので、復讐が進行している事に、読者が気づかないという点です。 この工夫、小説理論としては面白いですが、自分の分身のようなつもりで、主人公を見守っていた読者は、主人公と一緒に、やられてしまうわけで、なんとも胸糞悪い読後感に沈む事になります。

  復讐譚である事を、読者に知らせない点、アン・フェア物と言ってもいいくらいですが、ところがどうして、この作品、そもそも、推理小説ではないから、アン・フェアの謗りを受けるいわれがないんですな。 一般小説なら、アン・フェアもヘチマも関係ありませんから。 うーむ、よーく、作者に、してやられておるのう。

  バーの経営方法を始め、医師の脱税のからくり、裏口入学の手口など、社会派的な部分も盛りだくさん。 しかし、関係者でなければ、そういう方面には、興味が湧きません。 バーの経営者というのは、こんなに、汚い手ばかり、弄しているものなんですかね。 こんな世界じゃ、いつ足下を掬われるか、分かりませんな。

  この主人公も、すぐにでも大きな店を持ちたいなどと、欲を掻かずに、自分の店を黒字転換する方法に尽力すれば良かったのにねえ。 犯罪で手に入れた金を元手に始めた商売だから、結局、犯罪を繰り返す事でしか、続けられなかったという事ですかね。 銀座のような、広そうで狭い世界で、敵を作ってしまうと、そのままでは済まされないという教訓も含まれているのかもしれません。


【隠花の飾り】 約110ページ
  1978年(昭和53年)1月号から、1979年3月号まで、「小説新潮」に連載された短編集。


「足袋」 約10ページ

  妻子のいる身で、踊りの師匠(女)と不倫関係になった男。 怒った妻だけでなく、師匠の師匠からも圧力がかかり、きっぱり別れるが、それ以後、無言電話がかかってきたり、自宅の周囲で、夜な夜な歩き回る音がしたりするようになる。 ある時、郵便受けに、汚れた足袋が片方が入れられていて・・・、という話。

  男の事を忘れられない女の執念を描いたもの。 ラストで、ほんのちょっと、犯罪の匂いが香りますが、この書き方では、どんなに想像を逞しくしても、殺人事件とは思えません。 松本さんは、30代・40代の女性というと、性愛に餓えている者が多いと見做していたようですが、そういう考え方は、今では、セクハラですな。 まあ、そういう人もいるとは思いますが。


「愛犬」 約10ページ

  不遇な前半生を送ってきた、犬好きな女性。 飼っている柴犬が、夜に吠える事が続いたが、誰が外を通っているのか、怖くて確かめられずにいる内、犬が慣れてしまったらしく、吠えなくなった。 間もなく、近所で、殺人事件が起こるが、犯人は分からずじまいだった。 その後、妻子がいる人物と不倫関係になった事で、別の男からゆすられる。 なぜか、その男が来ても、犬が吠えないのを不思議に思っていたが・・・、という話。

  「犬が慣れている人物が犯人」という、推理小説では、よくあるパターンです。 枕の部分で、主人公が若い頃に飼っていた犬が、犬嫌いの妹達によって殺される件りがあるのですが、「いくら昔でも、そこまでやるかね?」と、首を捻ってしまいます。 松本さんも、戦前に育った世代ですから、犬猫は、ペットではなく、家畜という認識だったのかも知れませんなあ。 犬をペットとして可愛がっていた人は、たとえ、小説の中であっても、こういうひどい場面は、書こうとしないものです。


「北の火箭」 約10ページ

  ベトナム戦争の最中、北ベトナムに入国した詩人の女と、その旅の道連れになった大学教授の男が、米軍の爆撃と、迎撃ミサイルの応酬に怯えながらながら、命懸けの逢瀬を重ねる話。

  この梗概だけ読むと、恋愛物のようですが、そうでもなくて、つまりその、そういう、いつ死ぬか分からない状況に置かれると、人間は性欲亢進して、身近にいる異性との愛情が燃え上がるという事を書きたいわけですな。 三人称ですが、戦場の恋愛に耽るのは、ヨーロッパ系の二人で、それとは別に、日本人二人が出て来て、その内の一人が視点人物になっています。 無駄に、ややこしい感じ。 


「見送って」 約10ページ

  夫と死別した後、厳しい姑の仕打ちに耐えながら、娘を育て、ようやく嫁に送り出した母親が、新婚旅行の見送りに空港に集まった親族の前で、爆弾宣言をする話。

  今では、珍しくもない事ですが、娘の結婚で肩の荷を下ろしたのを契機に、婚家に絶縁状を突きつけて、残りの人生は勝手に暮らす道を選ぶという展開です。 発表当時は、胸のすく話ととられたか、節操がない女ととられたか、微妙なところ。 「今では、珍しくない」というのが肝でして、珍しくないので、面白くも何ともないです。

  それにしても、この一家、夫、つまり父親が他界した後、どうやって、生計を立てていたのか書かれておらず、かなり、奇妙な感じがします。 母親が苦労した苦労した、とばかり並べてあるものの、仕事をしながら、姑と娘の面倒も見ていたというのなら、苦労するのもわかりますが、働いていなかったのなら、苦労なんぞ、知れていたのではありますまいか。 


「誤訳」 約8ページ

  ヨーロッパの小国出身の詩人が、有名な賞を獲る。 その作品の英訳を引き受けていた翻訳家が、受賞の際に、通訳を引き受けるが、「賞金を母国に寄付する」と訳したのが、後で詩人から、「そんな事は言っていない」と否定され、誤訳とされてしまう。 その翻訳家は、以後、詩人の作品の英訳をやめてしまうが・・・、という話。

  ネタバレさせてしまいますが、寄付したいと言ったのは本当で、誤訳ではなかったのですが、妻が激怒したせいで、寄付できなくなってしまい、取り消すと罰が悪いから、翻訳家のせいにしてしまったというもの。 つくづく、調子に乗って、軽口を叩くものではありませんな。 気の毒なのは翻訳家で、詩人から頼まれても、誤訳を認めたりしなければよかったものを。

  非常に特殊な言語で、英訳を引き受けていたのが、一人しかいなかったという設定は、そうしないと、誤訳でなかった事を見抜ける人が大勢いた事になり、辻褄が合わなくなってしまうからですが、ちと、強引な設定のような感じがしますねえ。 ヨーロッパに、そういう言語をもつ国があったかしら。 大抵、印欧語族か、ウラル・アルタイ語族に入っていると思うのですが。


「百円硬貨」 約9ページ

  相互銀行に勤める女が、不倫の挙句、相手の男と、その妻を別居に追い込み、大金と引き換えに、離婚を承諾させるところまで持って行った。 銀行から大金を横領し、一刻も早く離婚届けを出させようと、正妻の実家がある土地まで赴く。 いつ露顕して、追っ手がかかるかと不安で仕方がないのに、駅に着いたのが早朝で、バスが来ない。 その間に、男に電話をかけたいのだが、百円玉がなく、両替を頼める店も開いていない。 そこへやって来た他の客が運賃に支払った百円玉を見て・・・、という話。

  ほとんど、梗概で書いてしまいましたな。 これは、生活実感が溢れています。 精神的に追い込まれている時に、喉から手が出るほど、ある物が欲しいと思うと、自分の物も人の物も、区別がつかなくなってしまうわけだ。 巡査が近づいて来た、というところで終わっていますが、トランクの中に大金を持っているわけで、当然、逮捕されたのでしょう。

  不倫そのものが、感心しないので、主人公に共感する気持ちが起こりません。 逮捕されて、当然なんじゃないでしょうか。 むしろ、男とその妻が、その後どうなったかが気になりますが、女はたぶん、服役になるので、その間に、元の鞘に収まったのかも知れませんな。


「お手玉」 約8ページ

  ある温泉街で起こった痴情の縺れによる事件を、二つ並べた物。 一つ目は、不倫の挙句、その温泉に逃げてきた男女が、それぞれ、別の勤め先で働いていたが、男の方が精神に異常を来たし、浮気していた芸者二人を・・・という話。 二つ目は、ある料理屋の主人が入院している間、臨時の板前として店に入った男が、妻子がいるにも拘らず、店の女将と不倫関係になる。 ところが、女将に別の愛人が出来て・・・、という話。

  一つ目と二つ目の事件は、起こった街が同じだというだけで、全く無関係です。 おそらく、一つ目のエピソードだけで、一編に仕上げるつもりで書き始めたのが、うまく膨らまず、枚数が埋められなくなりそうになったので、二つ目のエピソードを足したのではないでしょうか。 ちなみに、松本さんが、猟奇殺人をモチーフにする事は、大変、稀です。

  短編で、こういう体裁は、珍しいも珍しいですが、そもそも、掟破りでして、もし、新人が、こういう作品を書いて、編集者に見せたら、「途中で、別の話になっちゃってるね」で、それ以上、何も言ってもらえないまま、追い返されると思います。 大家だから、これで通ったわけだ。


「記念に」 約11ページ

  年上の女と交際していた青年。 年上というだけでなく、離婚歴がある事で、両親や兄に反対されていたので、結婚までは考えていなかった。 ダラダラと付き合いが続いたが、やがて、青年に縁談が持ち込まれ、その相手と結婚する事に決まる。 年上の女は、別段、文句は言わなかったが、最後の記念に会った晩に・・・、という話。

  中年にさしかかった女の、複雑な心理を描いたもの。 といっても、心理を事細かに描写してあるわけではなく、最後まで読むと、それが分かるという形式です。 むしろ、女がどういうつもりでいるのか、ラストになるまで書いていないので、「意外な結末」を感じます。 ショートショートのそれとは、だいぶ、違いますが。 


「箱根初詣で」 約9ページ

  再婚相手と箱根を旅行していた女が、たまたま、前夫が死んだ時に関わりがあった、前夫の同僚の元妻を見かける。 前夫は、ニューヨークへ出張していた時に、同僚達と共に、交通事故で死んだ事にされていたが、実は・・・、という話。

  ネタバレを避けるほど、展開にメリハリがある話ではないのですが、話の本体部分について書いてしまうと、読む意味がなくなると思うので、これ以上、書きません。 「そういう事もあるんだなあ」と思うような話です。 こんな、馬鹿丸出しで、遺族は穴があったら入りたくなる死に方があろうか? つくづく、全く知らない街で、羽目を外して歓楽しようなどと考えるものではありませんな。 外国ならば、尚の事。


「再春」 約14ページ

  専業主婦が書いた小説が、中央の賞を獲ったが、地元の有力同人誌からは、無視されていた。 三つの雑誌から同時に注文が来てしまい、締め切りが迫って、アイデアに困った挙句、地元同人誌と関係がある女性から、ある実話を聞いて書いたが、実は、その話は・・・、という話。

  ネタバレさせしまいますと、図らずも、アイデア盗用になってしまった、という話です。 元の話の作者は、トーマス・マンだというから、随分、有名なところから戴いたわけですな。 もちろん、わざと、マンの作品のアイデアを教えたのであって、悪意があったわけですが、その悪意を描いたのが、この作品という事になります。

  元のアイデアが、大変、よく出来ていて、マンの作品にある事を知らない人が、そういうアイデアを教えられたら、「なるほど、飛びついてしまうだろうなあ」と思わされます。 親しくもない人間から、素晴らしいアイデアをもらえる事など、金輪際ないという教訓を読み取るべきなのか。


「遺墨」 約8ページ

  ある哲学者に雇われた、速記者の女性。 やがて、愛人関係になるが、ある時、哲学者が倒れてしまい、入院のドサクサで、哲学者の妻に関係がバレてしまう。 倒れた時に、形見分けのような形で、哲学者の手になる書画集を貰ったが、その価値が・・・、という話。

  オチがはっきりしない話というのは、つまらないだけでなく、梗概も書き難いですな。 つまり、この哲学者が、大変、頼りない男でして、浮気などという大胆な事する癖こいて、妻には全く頭が上がらず、バレて右往左往する、そういう、呆れた男だという事を書きたかったとしか思えません。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 16 地の骨≫が、11月17日から、21日。
≪松本清張全集 17 北の詩人・象徴の設計・他≫が、11月24日から、27日まで。
≪松本清張全集 41 ガラスの城・天才画の女≫が、11月29日から、12月6日まで。
≪松本清張全集 42 黒革の手帖・隠花の飾り≫が、12月7日から、10日まで。

  前回、今回と、松本清張全集が続いていますが、他の作者の本も、合間合間に読んでいます。 基本的に、図書館で、全集を借りて来て、期限前に読み終えてしまった時などに、手持ちの本を繋ぎに読むというパターンです。

2021/06/13

読書感想文・蔵出し (72)

  読書感想文です。 このシリーズ、前回は、去年、つまり、2020年の12月13日だったから、半年も経ってしまいました。 その間も、読書は続いていて、かなり、溜まっています。





≪松本清張全集 12 連環・彩霧≫

松本清張全集 12
文藝春秋 1972年3月20日/初版 2008年5月30日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編2作を収録。


【連環】 約294ページ
  1961年(昭和36年)1月から、1962年8月まで、「日本」に連載されたもの。

  大学卒業後に就職した東京の会社で使い込みをやり、解雇された男。 九州の地方都市に行って、印刷屋の事務員として糊口を凌いでいたが、あまりの薄給と過酷な労働にうんざりし、社長の妻や愛人をたらしこんで、社長を殺し、財産を手に入れようとする。 その後、、東京に戻って、エロ小説の出版社を立ち上げるが、金蔓にしていた社長未亡人が、子連れで上京して来て、またぞろ、邪魔者を殺さなければならなくなる話。

  以下、ネタバレ、あり。 というか、梗概ですでに、一部、ネタバレさせてしまっていますが。

  いやあ、気が滅入る話だなあ。 主人公が犯人なので、読者としては、どうしても、主人公に共感しながら読む事になりますが、最終的には、善悪バランスが取られるので、主人公と一緒に、破滅の絶望感を味わう事になります。 犯人がやる事は、心理描写も含めて、すべて、読者に知らされるので、推理小説にならないわけですが、クライマックスで、主人公が罠にかけられる流れは、少し、推理小説っぽいです。

  もう一捻りして、主人公が、ラストで、大逆転し、自分を追い詰めた連中を、みんな、始末してしまう話にすれば、純粋なピカレスクになって、面白かったのに。 もっとも、それでは、読者に犯罪を推奨するようなものだから、松本さんほどの大家の作品として、問題ありになってしまいますか。

  なにせ、主人公に共感しながら読んでいるので、出版社の仕事が当って、大金が転げ込む場面では、嬉しくなります。 ところが、第二弾では、もっと大きな儲けを狙っていたのが、警察に密告されて、売り捌く前に、没収。 投じた金すべてがフイになってしまい、読者も、がっかりします。 失敗する話より、成功する話の方が、ワクワクするから、この展開は、残念至極。

  しかし、そうしないと、推理小説にならないから、致し方なし。 執筆した作家は、印税がパーになったわけで、主人公より残念だったと思うのですが、作品そのものは、他の出版社で出す事もできるわけだから、そんなに気の毒がる事もないか。 それにしても、そんな際どいエロ小説を、警察の手入れがある前に、大急ぎで買う読者の生態というのが、ちと、想像できませんな。

  面白い事は、面白くて、ページがどんどん進みます。 構成の完成度も高く、取って付けたような部分もありません。 主人公が出版する、第二弾の本に、いつのまにか、主人公の過去の殺人行為を仄めかす文章が差し込まれている件りは、不気味で、ゾクゾクします。 まあ、誰がやったかは、すぐに、見当がつきますけど。

  この主人公、強欲過ぎて、金か女か、どちらかだけにしておけばいいものを、両方に手を出して、どんどん、まずい方向へ流れて行ってしまいます。 問題解決の方法に、殺人の選択をためらわない点は致命的で、こんな人間が、長生きできるはずはありません。 青少年が、反面教師にするには、適当だと思います。


【彩霧】 約168ページ
  1963年(昭和38年)1月から、12月まで、「オール読物」に連載されたもの。

  銀行に勤めていた友人が、金を持ち逃げし、同時に持ち出した、融資先の脱税帳簿と引きかえに、告訴を取り下げて貰うように頼まれた証券マンの男が、銀行へ交渉しに行くが、騙されて、友人は逮捕されてしまう。 腹に据えかねて、金融の裏世界に名を知られた高利貸しに頼んだところ、また騙されて、うやむやにされてしまう。 自力で、裏事情を調査する内、高利貸しの金主が、静岡権利相互銀行である事が分かるが、そこから、殺人事件に発展し・・・、という話。

  面白いんですが、話の軸が途中で変わるので、一つの話としての纏まりには欠けます。 まず、最初に出て来る銀行員は、すぐに引っ込んでしまい、後のほとんどを、友人の証券マンが主人公として、引き継ぎます。 ストーリーも、最初は、持ち逃げ事件だったのに、その後、銀行員と、その女の行方を捜す話になり、更に、相互銀行の息子の話になり、二転三転。 実に、落ち着きが悪い。

  相互銀行の息子の話になってから、推理小説的な内容になりますが、トリックも謎も、あっと驚くような種類のものではなく、ゾクゾクするようなところはありません。 証券マンが、たまたま逗留した温泉宿に、たまたま、相互銀行の息子一行が泊まっていたというのはも、偶然が過ぎます。 推理小説部分自体が、取って付けたように感じられます。 松本作品は、こういうパターンが多い。

  銀行と、融資先企業の不正について、裏事情が詳しく書かれていて、その点は、社会派。 しかし、推理小説部分と融合しておらず、どっちにしても、中途半端な感じがします。 証券マンの素人探偵による捜査は、クロフツ的な、コツコツ地道タイプで、その過程を読み進めるのは、麻薬的に面白いです。




≪松本清張全集 13 黒い福音・他≫

松本清張全集 13
文藝春秋 1972年2月20日/初版 2008年6月15日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編3作、ドキュメンタリー1作の、計4作を収録。


【黒い福音】 約322ページ
  1959年(昭和34年)11月3日号から、1960年10月25日号まで、「週刊コウロン」に連載されたもの。

  ヨーロッパの本部から派遣された神父たちによって運営されている、カトリック系の宗派で、戦後、資金の窮迫から、闇物資の取引に手を出し、逮捕者まで出してしまう。 しばらく経ってから、若い神父が、信者の女性と深い関係になる。 上の命令で、彼女をスチュワーデスにして、香港から麻薬を運ばせようとするが、断られてしまい、教団の秘密を守る為に、口を塞がなければならなくなる話。

  以下、ネタバレ、あり。

  実話が元だそうです。 この若い神父、殺人容疑がかけられて、警察で事情を聴かれたものの、教団関係者全てが、口裏を合わせて、アリバイを証言したおかげで、何とか切り抜けて釈放され、短期間、入院した後、出国してしまいます。 外国人で、しかも、カトリックの神父だったから、特別扱いされ、罪に問われずに出国できたわけで、当時、腹に据えかねると感じた日本人が多かったようです。

  第一部は、教団側や、若い神父側の目線で見た、事件が起こるまでの経緯。 第二部は、警察や新聞記者の側から、捜査の流れを追っています。 殺人事件そのものよりも、容疑者に、海外へ逃げられてしまった事が、この事件の肝でして、逃げられた所で、話は終わり。 その後がないから、読後感は、大変、もやもやしたものになります。

  教団内の人間ではない、密輸業者を出して、それを黒幕にしているのは、教団を直接、攻撃しないように、配慮したのでしょう。 なにせ、問題の若い神父は、出国したけれど、教団そのものは、それ以降も、日本で活動を続けたわけですから、こういう作品で吊るし上げ過ぎるとまずいわけですな。 配慮しても尚、問題があるような気がしますが。

  結局、警察が、証拠を挙げられなかったところに、最大の問題があるのであって、裁判はおろか、起訴すらされなかったのですから、若い神父を、犯罪者扱いする事には、問題があります。 文壇の大家が、こういう小説を発表すれば、それだけで、犯罪者扱いになってしまいますから、「疑わしきは罰せず」という、大原則に背いてしまっているわけだ。

  あくまで、フィクションとして読んだ場合、黒幕の密輸業者が、中途半端な指示を出している点が、不自然です。 教団内で、都合の悪い信者を一人、消そうとする場合、教会の中で殺して、墓地にでも埋めてしまえば、そもそも、殺人事件にすらならず、大変、安全なのですが、なぜ、そう指示しなかったのか。 死体を川に放置するなど、下策中の下策ではないですか。


【アムステルダム運河殺人事件】 約82ページ
  1969年(昭和44年)4月、「週刊朝日カラー別冊1」に掲載されたもの。

  1965年、アムステルダム運河で引き揚げられたトランクの中から、男性の胴体と両腕が出て来た。 首、脚、手首はなかった。 やがて、ベルギーに住んでいる日本人商社マンではないかとの情報があり、オランダから敏腕刑事が派遣されて、捜査が行なわれるが、最も容疑が濃厚だった、別の日本人商社マンが、交通事故で死亡して、迷宮入りしてしまう。 被害者の遺族から調査依頼された雑誌記者が、推理好きの医師と共に、現地に渡り、互いの推理を競う話。

  前半は、ほぼ、ドキュメンタリー。 実際に起こった未解決事件を元に、後半で、小説上の探偵に推理させるという趣向で、エドガー・アラン・ポー作の【マリー・ロジェの謎】に倣ったとあります。 ちなみに、【マリー・ロジェの謎】は、デュパン物三作の中では、最も、退屈な話。

  この作品ですが、ドキュメンタリー部分は、興味深いです。 しかし、未解決で終わっているので、謎解きや因縁話が、そっくり欠けているわけで、それだけでは、読み物として、物足りません。 そこで、探偵役を出して、後半で、謎解きをするわけですが、実在の人物を容疑者にする事になり、いささか、問題があるように感じられます。 もしかしたら、犯人と指名された人物は、実在しないのかもしれませんが、それでは、実際に起こった事件の謎解きにはなりません。 痛し痒し。

  どこまでがドキュメンタリーで、どこからが創作かを気にせずに、全体を小説だと思って読んだ方が、楽しめるかも知れませんな。 しかし、そういう読み方をすると、今度は、実話部分の地味さが足を引っ張るので、元々、全てが創作として考えられた小説より、見劣りがします。 痛し痒し。


【セント・アンドリュースの事件】 約52ページ
  1969年(昭和44年)10月に、「週刊朝日カラー別冊3」に掲載されたもの。 原題【セント・アンドリュースの殺人】

  常日頃、「ゴルフ発祥の地、セント・アンドリュースでプレーできたら、死んでもいい」と言っていた男が、仲間4人を誘って、現地に趣く。 滞在中、男一人だけ、仕事の都合で、ロンドンに戻って行ったが、翌朝、なぜか、セント・アンドリュース近くの海で、転落死体として発見される。 仲間たちが、「彼は、イギリスに着いてから、見知らぬ東洋人につけられていると言っていた」と証言したせいで、自殺ではなく殺人事件として捜査されるが、未解決に終わった。 一年後、仲間の一人が、謎を解く話。

  全体の8割くらいが、ただの旅行記。 「このまま終わるのでは?」と、不安になりかけた辺りで、急に殺人事件が起こり、残り2割で、時刻表トリックを含む、本格推理小説になります。 バランスは悪いですが、推理小説部分は、面白いです。 セント・アンドリュースとは、スコットランドにある、地名。 ゴルフは、そこから始まったのだそうです。

  以下、ネタバレ、あり。

  「見知らぬ東洋人」の存在が、話の肝で、「中国人かタイ人風で、日本人ではないようだ」という、いさかか、あやふやな証言が出て来るのですが、まあ、変装で、そういう外見に化ける事なら、一行中の男、誰にでもできるわけですな。 命を狙われていた人間と、殺された人間が異なる点も、味噌。 旅行記部分がなくても、面白いくらい、推理小説部分が、凝っています。


【「スチュワーデス殺し」論】 約18ページ
  1959年(昭和34年)8月、「婦人公論臨時増刊『美しき人生読本』」に掲載されたもの。

  【黒い福音】の元になった事件を紹介し、分析したもの。 だけど、教団側の裏の事情などは書いていないので、この作品だけ読んでも、事件の経緯が分かり難いです。 そこで、小説、【黒い福音】が書かれたわけですが、そちらは、裏事情のほとんどを、想像で埋めており、事実と混同するのは、問題があります。 つまりその、実際の事件で、教団内部で何が起こったかは、誰も分からないわけだ。

  わざわざ、ドキュメンタリーと、それを元にした長編小説まで書いたのだから、松本さんが、この事件に、いかに興味津津だったかは、容易に想像できますが、書く事で、「疑わしきは罰せず」の大原則を蔑ろにしてしまったのは、残念至極。 どうも、実際に起こった未解決事件を、ドキュメンタリーや、小説にするのは、危なっかしいですな。




≪松本清張全集 14 わるいやつら≫

松本清張全集 14
文藝春秋 1971年11月20日/初版 2008年6月15日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。


【わるいやら】 約473ページ
  1960年(昭和35年)1月11日号から、1961年6月5日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  経営が苦しい病院の院長。 別居中の妻子がいる身で、愛人を何人も作り、彼女らから貢がせた金で、病院をやりくりしていたが、本気で結婚したい女が出来た事で、ますます、金繰りが厳しくなる。 愛人の一人の夫が病死したのをきっかけに、殺人で問題を解決する事に抵抗がなくなって、邪魔になった者達を次々と消して行くが、金蔓として最も頼っていた愛人が行方を晦ましてしまい・・・、という話。

  【強き蟻】(1970年)の、男版。 といっても、こちらの方が先に書かれていますから、この作品の女版が、【強き蟻】になるわけですが。 こちらでは、殺人を厭わない分、凶悪度が高いです。 三人称で、終始、犯人である主人公の視点で話が語られます。 読者が推理しながら読む要素が、ないではないですが、推理が当っても、それで面白くなるような重要な要素ではないです。

  二段組みで、473ページもあるのですから、大長編ですが、そこは、週刊誌連載作品でして、文章は平易で、会話も多いですし、ページは、どんどん進みます。 根を詰めて読めば、2日くらいで、読み終えられるかもしれません。 一文字一文字、じっくり読む事もできますが、そもそも、作者が、一回分の枚数を埋める為に、計算しながら書いている事が分かるので、そういう事をしても、あまり、意味はないです。

  思い切って刈り込めば、半分の長さでも書ける話。 特に、主人公が、他の男と逃げた金蔓の愛人を追って、東北方面へ旅をする件りは、長ったらしいだけで、中身が薄いです。 歴史絡みの作品と比べると、同じ作者が書いた物とは思えないくらい、水増し感、ダラダラ感が凄まじい。 しかし、週刊誌連載の小説というのは、みな、こういうものなのでしょう。 それが、この作品の瑕というわけではありません。

  以下、ネタバレ、あり。

  ピカレスク(悪漢小説)といえば、ピカレスク。 しかし、ピカレスクに必須の、背徳的爽快感はありません。 どうも、松本さんは、善悪バランスを律儀に取り過ぎる嫌いがあります。 最終的に、主人公が罰を受けてしまうのでは、主人公の立場で、事の成り行きを見ている読者まで、罰を受けたような気分になり、読後感が悪くなるのは、避けられません。

  といって、何人も殺しているのに、全く反省していない主人公に、罰を与えずに終わらせるわけにも行かなかったんでしょうなあ。 この主人公、欲望の趣くままに、やりたい放題やった結果、窮迫して、別に、これといった心理的葛藤もなく、殺人に手を染めるわけで、よくよく考えると、同情に値する点など、全くありません。 そもそも、こういう人間を主人公にして、小説を書く事に問題があると思います。 それを言っては、実も蓋もありませんが。

  最後には、社会的に破滅して、刑務所行きになった上に、親友と仮の婚約者に、まんまと騙されていた事に気づくわけですが、騙した方が、主人公以上の悪人という感じはしません。 そもそも、主人公の行状に、大問題があったから、お灸を据えられただけなのであって、据えた方は、むしろ、正義を実行したと取れるからです。 人殺しを、ためらわなくなくなった時点で、主人公は、親友に見限られたわけですな。

  この作品、1980年に、松竹で映画化されていて、私は、テレビ放送された時に見ています。 片岡孝夫さんが、主人公、松坂慶子さんが、仮婚約者役なのは知っていましたが、最初に殺される愛人役が、藤真利子さんだったとは、すっかり忘れていました。 藤真利子さんが愛人だったら、殺す男はおらんじゃろ。 もったいないではないか。

  もし、また、テレビ放送されたら、是非、見直したいと思いますが、なかなか、やらんのですわ、この頃の映画は。 デジタル・リマスターにお金がかかるからかも知れませんが、別に、ザラザラ・褪色画面でも構わないんですがねえ。




≪松本清張全集 15 けものみち≫

松本清張全集 15
文藝春秋 1972年4月20日/初版 2008年6月15日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、長編1作を収録。

【けものみち】 約429ページ
  1962年(昭和37年)1月8日号から、1963年12月30日号まで、「週刊新潮」に連載されたもの。

  寝たきりの夫を養う為に、料亭で働いていた女が、有名ホテルの支配人の目にとまり、身軽になる為に、自宅で火事を起こして、夫を始末してしまう。 その後、支配人から、更に、ある弁護士を介して、政財界の闇のボスの下に、世話係として、送り込まれる。 火事に不審を抱いた刑事が、捜査を続け、女をおびやかすが・・・、という話。

  以下、ネタバレ、あり。

  犯罪が出て来ますが、推理を逞しくするような要素は希薄です。 一番近いのは、陰謀渦巻くタイプのサラリーマン小説。 性行為の場面も、何度か出て来ますが、松本作品なので、大人だと、別に、興奮するような事はないです。 中高生なら、食いつくかも知れませんが、そういう年齢帯に読ませるには、全体の内容が、不健全過ぎます。

  主人公は、見た目は民子ですが、途中、刑事が視点人物になる部分が挟まり、その間に限り、読者は、刑事の分身のようなつもりで、ストーリーを追う事になります。 この刑事、闇のボスについて、調べ過ぎたせいで、さんざんな目に遭った上に、殺されてしまうのですが、最後まで読むと、仇がとられた形になっており、つまり、実質的な主人公は、この刑事という事になるのでしょう。 

  民子は、冒頭からしばらくの間は、運命に翻弄される気の毒な女のように見えるのですが、大樹の陰に寄るや、次第に、ふてぶてしくなり、【強き蟻】の主人公のキャラに近づいていきます。 最終的には、とんだバチが当るのですが、どうも、始めと終わりで、キャラの違いが大き過ぎるような気がしますねえ。 これは、構想段階での、計算ミスなのではありますまいか。 ピカレスクとして読むにしても、民子は毒が中途半端で、主人公に相応しくありません。

  痛快なのは、闇のボスが病死した後でして、それまで、へこへこ頭を下げ、ボスの命令なら、人殺しも厭わなかった面々が、掌を返したように、裏切って行く様子が、大変、小気味良いです。 どんな実力者も、一人でやっている限り、死ねば、それまでなんですな。 この件りを描く為に、この長い小説が書かれたといっても、そう的外れではないでしょう。


  1965年に、映画になっているようですが、そちらは、未見。 1982年に、NHKで制作・放送されたドラマは、見ました。 名取裕子さんが民子で、山崎努さんが、ホテル支配人、西村晃さんが、闇のボス、伊東四郎さんが、刑事。 ラストは、原作とは違っていましたが、民子の人格に一貫性を持たせようとすると、ドラマの方が、まともな終わらせ方と思えます。 




  以上、四冊です。 読んだ期間は、去年、つまり、2020年の、

≪松本清張全集 12 連環・彩霧≫が、10月20日から、22日。
≪松本清張全集 13 黒い福音・他≫が、10月24日から、29日まで。
≪松本清張全集 14 わるいやつら≫が、11月5日から、7日まで。
≪松本清張全集 15 けものみち≫が、11月9日から、12日まで。

  かれこれ、一年以上、松本清張全集を読んでいますが、まだ、終わりません。 時代物や、ドキュメンタリーを除いてもです。 まあ、他に、読みたい物もないから、別に、いいんですけど。 ちなみに、この全集、松本作品を網羅しているわけではなく、収録されていない作品は、たくさん、あるようです。 気が遠くなりますが、それらを探してまで、読む気はないから、まあ、いいか。

2021/06/06

セルボ・モード補修 (31)

  車の修理・整備記録のシリーズ。 前回は、2020年10月11日でしたから、7ヵ月も開いてしまいました。 つまり、大して、弄った部分がないという事ですな。 例によって、補修とは言えない、オイル交換のような、定期整備も、含んでいます。





【冬の手入れ】

  2020年11月25日に、車のオイル交換と、ヘッド・ライトのレンズ磨き、そして、ワックスがけをしました。

≪写真1≫
  前輪を、カー・ステップの上に載せて、エンジン・ルーム下に潜り込み、作業します。 廃油が零れても、コンクリート面に着かないように、ビニールを敷き、新聞紙を敷き、その上に、バットを置いています。 ダンボールの方は、私が潜る所。 汚れてもいいように、作業服でやります。 普段着に油汚れが着くと、落とすのに、大苦労してしまいますから。

≪写真2≫
  側面から見た、カー・ステップ。 緑色のプラスチック・パネル12枚と、コンクリート・ブロック4個、半割れブロック4個を使います。 ダンボールで作った枠を嵌めて、動かないようにしています。 車を載せる時には、一気に上がらず、一段ずつ上がります。 載せたら、内側に置いてあった半割れブロック2個を取り出し、後輪の輪止めにします。

≪写真3≫
  新しいオイルと、廃油。  テクノパワーのオイルは、最初に買った2017年には、千円以下でしたが、 じわじわと値上がりし、今や、1580円になってしまいました。 もはや、最安ではないのかもしれません。

  廃油は、亡父の使い残した、尿漏れパッド6枚に浸みこませて、燃やすゴミに捨てました。 もっと少ない枚数でも行けるような気がして、5枚でやった事もありましたが、やはり、6枚ないと、浸み出して来てしまうようです。

≪写真4≫
  ヘッド・ライト・レンズを、コンパウンドで磨きました。 今まで、ピカール社の茶色いコンパウンドを使っていたんですが、どうも、黄ばみがとれません。 そこで、今回は、ソフト99の、メタリック車用コンパウンドを使いました。 こちらは、色が白です。

  そしたら、見ての通り、ほとんど、黄ばみがなくなりました。 コンパウンドの能力が違うのではなく、茶色いコンパウンドが、表面の微細な窪みに残る事で、黄ばんで見えてしまうのではないかと思います。


  最後に、ワックスがけ。 前回までは、シュワラスターを使っていたのですが、あまりにも、少なくなってしまったので、そちらは、もうやめて、父がかつて、トヨタのディーラーから貰ったものと思われるワックスを使いました。 私が、1987年に買ったシュワラスターも骨董品でしたが、こちらは、何十年前のものなのだろう? ネリ・タイプで、まだ、軟らかさが残っていました。 ワックス独特のニオイあり。 量があるので、惜しげなく使ったら、とりあえず、ピカピカになりました。




【アマゾンで車のワイパー・替えゴム】

  車のリヤ・ワイパーですが、ゴムが切れてしまい、持ち上げると、隙間が見える有様なので、換える事にしました。 リヤ・ワイパーは、使わないんですが、今後、更に切れて、ビローンと垂れてきたら、恥ずかしいですし。

  アマゾンで、ノー・ブランドの、ゴムだけというのがあったので、注文。

≪写真左≫
  2021年2月8日に、ゆうパケットの厚紙封筒で届きました。 本来、郵便受けに入れられるものですが、大き過ぎて入らず、手渡しされました。

≪写真右≫
  細くて薄くて長い金属板が付属していない、ゴムだけの商品で、「フリー・カット・サイズ 幅6mm 長さ650mm」というもの。 ワイパーの長さに合わせて、自分で切るわけです。 送料無料、370円。 もっと安いのもありましたが、それは、ストッパーの膨らみがなかったので、避けました。

  下の紙類は、 送り状、注意書き、取り付け方法を書いたもの。 親切な配慮ですな。




【リヤ・ワイパー・ゴム交換】

  アマゾンで買った、車のリヤ・ワイパー・ゴムですが、2021年2月11日に、交換しました。 送料込み、370円で、長さに合わせて、切るタイプです。

≪写真上≫
  ブレード部分を外して来て、自室で作業しました。 この写真は、古いゴムが付いた状態ですが、切れて、隙間が出来てしまっています。 実際に雨の日に使ったら、瞬く間に、ビロビロになりそうです。

≪写真下左≫
  古いゴムは、ストッパーで太くなっている方を抓んで引き抜けば、抜けます。 古いゴムから、薄くて細長い金属板、左右二本を外し、新しいゴムに付け替えます。 もっと値段が高い、パッケージに入った替えゴムを買うと、金属も付いていますが、おそらく、ステンレス製で、錆びるようなものではないので、ゴムだけ買って付け替えた方が、無駄がありません。

≪写真下右上≫
  ブレードに取り付けました。 こちらは、ストッパー側。 ゴムの溝の端に、ブレードの爪が入る、窪みがあります。

≪写真下右下≫
  こちらは、ストッパーがない側。 金属の端から、5ミリくらいの所を、鋏で切りました。 元から金属が入っている替えゴムでは、金属の長さに合わせて、溝の端が埋められていますが、自分で切るタイプでは、溝のまま、端まで行っています。 しかし、ゴムは、ストッパー側で押さえられていますし、金属も、ゴムとの摩擦で押さえられますから、作動中に、遠心力で抜けてしまうような事はないです。


  換えはしましたが、私は、リヤ・ワイパーは使いません。 車を買ってから、4年半になりますが、時々、ワイパーを立てて、作動確認はしているものの、雨の日に、実際に使った事はないです。

  リヤ・ワイパーが有用かどうかは、その車のリヤ・ガラスの傾斜角によります。 角度が急で、雨滴が自然に落ちるのなら、視界が妨げられる事はないので、リヤ・ワイパーは、意味がないです。 角度が緩い車で、雨滴が留まってしまう場合は、使えます。

  使わない部品は、最初からない方がいいわけですが、残念な事に、リヤ・ワイパーは、オプションになっている事は珍しくて、一定グレード以上では、標準装備になっているから、買う側が選べないのが、実情。 まして、中古車では、尚の事。 使わないからといって、わざわざ、外して、穴を埋めるような人もいますまい。

  もし、中古車を買う時に、リヤ・ワイパーがあるかないかで、値段が違っていた場合、ガラスの角度を見て、傾斜がきついようなら、リヤ・ワイパーがない、安い方を選んだ方が、賢明だと思います。




【ロッカー錆取り】

  セルボ・モードですが、運転席ロッカーのスカッフ周辺に、錆が出ているのを見つけ、2021年3月20日に、スカッフを外して、錆取りをしました。

≪写真左≫
  ビフォー写真を撮り忘れて、アフター写真しかない上に、分かり難くて恐縮ですが、すでに、スカッフを外して、コンパウンドで、錆を落とし、トタン・シルバーを注した後です。 スカッフの外縁に沿って、点々と、少し色が濃くなっている所が、塗料を注した部分。

  塗る面積が小さい場合、面相筆などで、塗料が剥がれた部分だけに注すのが基本で、別に、フェイク修理というわけではありません。 トタン・シルバーを使ったのは、缶が出し易い所にあったからですが、車体色と同じ、「1VN マーキュリー・シルバー」を使っても、結局、色が合わない事に変わりがないからという理由もあります。 

≪写真右上≫
  外したスカッフ。 左右対称で、運転席と助手席で、同じ部品が付いています。 これを外す前に、カウル・サイドを外す必要があります。 カウル・サイドは、プッシュ・リベット2本で留まっていいので、簡単に外せました。

  このスカッフ、表側からでは、どこに爪があるのか分からず、爪の外し方も分かりません。 やむなく、爪が折れる事を覚悟の上で、力任せに引き剥がしました。

≪写真右中≫
  裏側。 爪は、3箇所にありました。 案の定、折れていました。

≪写真右下左≫
  爪は、一体成形で、こんな形でした。 3箇所の内、2箇所は、こんな風に、折れ曲がってしまいました。 ピントが合っていなくて、面目ない。 この形状から考えるに、スカッフを、車の外側に引っ張りながら、上に持ち上げれば、爪を折らずに外せるのでないかと思われます。 そういう事は、車種ごとの整備マニュアルを読まなければ、分かりません。

≪写真右下右≫
  爪の内、残り1箇所は、もぎ取れて、ロッカー内に落ちてしまいました。 プラスチックなので、異音は出ないと思われ、破片は、そのままにしておきます。 しかし、スカッフの方は、何とかしなければ、車に取り付けられません。




【スカッフ修理】

≪写真左上≫
  2021年3月22日に、スカッフの修理をしました。

  力がかかる部分なので、爪の修理や復元は、最初から考えませんでした。 ネットで、新品の部品が買えるのですが、送料込みで、3000円程度します。 どうせ、新品を買うなら、古い方は捨ててしまうわけですから、惜し気がないと思い、爪をグラインダーで削り落として、ドリルと鑢で孔を開けました。 穴の径は、7ミリです。

≪写真左下左≫
  孔のアップ。 線と線の間に、ピッタリ収まっていませんが、裏側から、元、爪があった位置に、正確に孔を開けたら、こうなってしまったのです。

≪写真左下右≫
  2016年8月に、アマゾンで買った、径7ミリのプッシュ・リベット。 後席のスカッフは、最初から、プッシュ・リベット留めでして、車を買った時、1個欠けていたのを、補う為に買ったもの。 20個入りだったのが、他の部分にも使って、残り、10個くらいになっていましたが、その中から、3個を出しました。

≪写真右≫
  スカッフを、プッシュ・リベットで、車に取り付けました。 思っていたより、ずっと、自然です。 知らない人なら、最初から、こうなっていたとしか思わないでしょう。 プッシュ・リベットのいいところは、簡単に外せる事でして、また、錆が出たとしても、その時は、どこも壊さずに、スカッフを外せます。

  これで、充分と判断し、新品のスカッフを買う計画は、沙汰やみとしました。 この車は、確実に、私が最後の所有者になるので、次の持ち主の為に、デフォルト状態を維持してやる必要はありません。 私が、これでいいのなら、これでいいのです。




  今回は、ここまで。

  そもそも、私には、車を弄りたくて仕方がないという、欲望がないので、何か、問題が起こらない限り、補修は勿論、整備もしないのが、普通の状態です。 一応、5月と11月に、定期整備をしていて、オイル交換や、タイヤ空気圧の確認、ワックスがけ、ヘッド・ライトのレンズ磨きなどをしています。 オイル交換の時には、下に潜るので、エンジン周辺の、オイル漏れ状況なども見ています。

  私の場合、車では、スーパーや、母の病院など、ごく近場にしか行かないので、車に無理をさせる事がなく、この程度の整備でも、壊れずにもっているのだと思います。 使い方がハードになればなるほど、壊れ易くなるのは、理の当然。

  私の場合、バイクにも乗っているわけですが、ちょっと遠くなると、バイクを使うから、車は、近場だけの使用で済んでいる次第。 正直な感想、車で遠出しても、事故が怖くて、緊張するばかりで、楽しさを感じる事がありません。 若い頃は、車しかなかったから、どこへでも車で出かけましたが、バイクがあると、遠出は、自然に、そちらを選びますねえ。 車とバイク、両方もっている人は、大概、そうなんじゃないでしょうか。 車を選ぶのは、自分以外の人を乗せるとか、荷物を運ぶとか、雨の日とか、車でなければ、用を足せない時だけです。