読書感想文です。 今回は、松本清張全集の短編集だけです。 前回も書いたように、作品数が多いのに応じて、感想の数も多くなるので、大変、大変、長いです。 感想だけ読んでも意味がないと考えている方々は、絶対に読まないで下さい。 作品名を検索して来た人向けです。
≪松本清張全集 38 皿倉学説 短編4≫
松本清張全集 38
文藝春秋 1974年5月20日/初版 2008年9月10日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、短編17作と、「年譜」、「著書目録」を収録。 作品数が少ないという事は、一作あたりのページ数が多いという事ですな。 【種族同盟】と、【証言の森】は、以前、文庫で読んで、感想を出していますが、同じ物を出しておきます。
【厭戦】 約12ページ
1961年(昭和36年)7月に、「別冊日本文学」に掲載されたもの。
秀吉の朝鮮侵略の際、敵の捕虜になり、脱走したが、自軍に戻らず、海を渡って、九州の故郷へ逃げ帰った男がいた。 作者自身が、朝鮮半島で兵役に服した経験から、その男の、故郷や家族への思いを、想像した話。
戦国時代の男の件は、ほんのお話程度で、松本さん本人の経験談の方が、重みがあります。 いつ帰れるか、そもそも、帰れるかどうかも分からない状態で、外国に身を置いていると、故郷や家族への思いは、大変、切ないものになって行くわけですな。 私も、仕事の都合で、望まないのに、よその土地に暮らさなければならなかった事が、何回かあったので、よく分かります。
【小さな旅館】 約20ページ
1961年(昭和36年)9月に、「週刊朝日別冊・涼風特別号」に掲載されたもの。
婿を選び損ねて、とんだ放蕩者を家に入れてしまった舅が、水商売の女だけでは飽き足らず、素人女と不倫を働いている婿を、場末の待合宿を使って、殺してしまおうと目論む話。
犯罪が出て来ますが、推理物というわけではないです。 強いて、近い作品を挙げるなら、ポーの、【黒猫】ですかね。 この作品では、猫ではなく、土が物を言うわけですが。 犯罪者の一人称ですが、三人称で書けば、推理物になったかもしれませんな。 松本さんは、必ずしも、自分の事を、推理作家とは思っていなかったようで、是が非でも、推理物に仕立てようという意識が薄かったのではないでしょうか。
ちなみに、加害者と被害者の関係は、舅と放蕩婿でなくても、成り立つ話です。 というか、そうでない方が、自然で良いのでは?と思わせます。
【老春】 約24ページ
1961年(昭和36年)11月に、「新潮」に掲載されたもの。
雑貨屋の夫婦が、認知機能が低下した父親の世話をさせる為に、つきそい家政婦を雇ったが、老人が偏屈であるせいで、みんな、長く続かなかった。 その内、老人の性向が変わり、長続きする者が出て来たが、どうやら、老人が、それらの女達に、恋をしているらしいと分かり、老人が引き起こす騒動に、息子夫婦が振り回される話。
老人にも、恋する心や、性欲があるという事を言いたいわけですが、私に言わせると、それは当然の事なので、改めて、小説の題材にするような事なのかと、首を捻ってしまいます。 ただ、老人の性欲について、「とっくに涸れている」と思っている人達なら、この話に、意外性を感じるかもしれません。 とはいえ、いずれの見方にせよ、醜い事に変わりはないです。 やはり、恋愛や、性交渉には、適齢期というものがあるんですな。
【鴉】 約22ページ
1962年(昭和37年)1月7日号の、「週刊読売」に掲載されたもの。
道路建設の土地買収で、梃子でも売らないという地主がいた。 彼は、ある会社で、万年平社員だったが、たまたま、成り行きで、労組の委員になるや、会社への復讐心から、賃上げストを強行に主張した。 ところが、労組のトップに裏切られて、左遷されてしまい・・・、という話。
なぜ、土地を売らないのかというと、人手に渡って、掘り返されたら困るものが、埋めてあるから。 【数の風景】(1986年)にも、同じような謎が使われています。 松本さんは、よくよく、この謎が好きだった模様。
この主人公ですが、自分を評価しない会社を恨んで、労組闘争で仇を討とうという発想が、不純ですな。 こういう人は、実際にいると思いますが、復讐なんかするより、私生活に軸足を置いて、趣味の世界を楽しめばいいのに。 エネルギーを使う方向を間違えているわけで、勿体ない話です。
【皿倉学説】 約42ページ
1962年(昭和37年)12月に、「別冊文藝春秋82号」に掲載されたもの。
大脳生理学の分野で確固たる地位を築いたものの、女性関係で失敗して退官し、拾ってもらった私学でくすぶっている老学者が、九州の皿倉という内科医が発表した学説に興味を抱く。 猿50匹で実験したという点が、学界で物笑いの種になっていたが、着想の良さが図抜けていて、只者とは思えなかった。 もしや、50匹の猿というのは、体重が60キロくらいあるのではないかと、疑念を抱き・・・、という話。
ネタバレになってしまいますが、つまり、猿ではなく、人間で実験したのではないかという疑念ですな。 皿倉医師が、何らかの方法で、戦前・戦中に行なわれた、人体実験の記録を手に入れて、発表したのではないかと。
そのモチーフだけを書いた作品で、 ストーリーというほどのストーリーになっていません。 うまく、纏められなかったんでしょうな。 森村誠一さんの【悪魔の飽食】が話題になったのは、80年代初頭ですが、その20年近く前から、こういう話は、あったわけだ。
【相模国愛甲郡中津村】 約24ページ
1963年(昭和38年)1月に、「婦人公論増刊」に掲載されたもの。
明治11年に起こった、「藤田組贋札事件」の真相について、作者が、古書店で出会った老人から、資料を見せてやると誘われ、神奈川県中部の山の中まで訪ねて行く。 明治初期の藩閥闘争が背後にあると説明され、その証拠の手紙を見せられて、是非にと、高い値段で買い取るが、実は・・・、という話。
書きたかったのは、贋札事件の真相に対する作者の推理ですが、さすがに、それだけでは、小説にならないと思ったのか、オチをつけてあります。 このオチ、単純ながら、面白いのですが、実話が元と、間に受けない方がいいと思います。 世間の暗部に詳しい、海千山千の松本さんが、こういう手に引っ掛かるとは、到底、思えませんから。
それにしても、この、コチコチに硬い本体部分を持つ作品を、婦人公論が載せたというのが、ちと、不思議ですな。 雑誌を間違えて、書いてしまったのでは? もっとも、性別問わず、この硬さでは、敬遠されると思いますけど。
【影】 約30ページ
1963年(昭和38年)1月に、「文芸朝日」に掲載されたもの。
純文学志望の青年作家が、食うに困って、人気時代小説作家のゴースト・ライターを引き受けた。 アイデアが枯渇していた本人が書いたものよりも好評だったが、ある時、時代考証で致命的ミスをやらかしてしまい・・・、という話。
四半世紀も経ってから、昔の事を振り返るという、入れ子式の話ですが、入れ子部分はなくてもいいようなもので、もしかしたら、枚数が足りなくて、後から、足したのかもしれません。
こういう話は、2時間サスペンスなどでは、よくあるので、新鮮味はないです。 もっとも、この作品では、それに絡んで、殺人が起こるような事はないです。 代作をしていた側が、他人の文体ばかり真似ている内に、自分が本当に書きたいものを見失ってしまったといのは、いかにも、ありそうな事で、頷かされます。
【たづたづし】 約26ページ
1963年(昭和38年)5月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
平安時代の貴族のように、愛人の住む家に通っていた男。 その愛人に、凶暴な夫がいて、刑務所から帰ってくると聞き、不倫関係が露見するのが怖くなって、愛人を殺してしまう。 ところが、殺したはずの女が、記憶喪失になって、生きていると知り・・・、という話。
これだけでは、話の半分ですが、これ以上書くと、ネタバレになってしまうので、書きません。 面白いというか、奇妙な話で、なぜ、愛人を殺そうとするのか、その発想がよく分かりません。 凶暴な夫が帰ってくるのなら、とりあえず、別の住居を用意して、女を逃がすべきなのでは? 殺してしまったら、ますます、露見が怖くなるではありませんか。 殺すくらいなら、別れなさいよ。
というか、この話、女の家へ通う男の心理を描くのが、第一目的のようなので、こういうツッコミを入れるのは、無粋かも知れませんな。 松本作品は、学術的か、俗っぽいかのどちらかですが、私も、長い事、読み続けている内に、すっかり、俗っぽくなってしまったのです。
【晩景】 約30ページ
1964年(昭和39年)9月に、「別冊文藝春秋89号」に掲載されたもの。
牛乳瓶の飲み口を覆うビニールを発案した人物が、特許料を払おうとしない飲料メーカーを相手に、延々と、裁判を続ける話。
実話が元だそうです。 読んでいても、ムカムカするばかりで、ちっとも面白くありません。 これで、メーカー側が最終的に折れて、原告側が勝ったというのなら、物語になりますが、そこまで行かないのだから、文字通り、話にならぬ。 読者の気分を悪くさせる為に書いたという事になりますが、それは、露悪趣味なのでは。
それにしても、松本さんは、細かい事まで、よく調べますねえ。 裁判の様子が描かれるという事は、法律知識や、裁判の習慣も知っていなければならないわけですが、この長さの短編の為に、それをやるというのが、実に、松本さんらしい。
ちなみに、牛乳瓶の飲み口を覆うビニールですが、今現在、40歳以下の世代だと、現物を見た事がないかも知れませんな。 長い目で見ると、ほんの、20年か30年くらい、使われただけのものだと思います。 牛乳瓶自体が見かけなくなってしまったものね。
【ベイルート情報】 約42ページ
1965年(昭和40年)6月に、「別冊文藝春秋92号」に掲載されたもの。
ヨーロッパで会議に参加した後、中東に寄った日本人が、虫歯に苦しめられ、現地で治療を受けながら、カイロからダマスカスへ向かった。 カイロから同行した商社マンが、行方不明になり、その後、逮捕された事が分かる。 自分まで逮捕されるのではと、慌てて、帰国しようとするが・・・、という話。
松本作品ではよくある、旅行の記録を元に、小説に仕立てたもの。 イスラエルのスパイが、シリアで逮捕されるという事件が起こりますが、視点人物は、間接的に関わっただけなので、他人事という感じが強くて、どうにも、緊迫感が伝わりません。 エジプトで頼まれた手紙を、シリアで投函する前に、何か不穏な事が起これば、ゾクゾク感が発生したと思うのですが。
少々、ネタバレになりますが・・・、現地で、歯医者にかかったというのが、話の味付けになっているのですが、わざと、メインの謎から外してあって、不発で終わります。 クリスティー作品のパクリになってしまうから、そうしたのでしょう。 その事は、あとがきに書かれています。
【統監】 約38ページ
1966年(昭和41年)3月に、「別冊文藝春秋95号」に掲載されたもの。
伊藤博文が、統監として、朝鮮に出張っていた時の様子を、同行した愛人の視点から語った話。
歴史資料そのもの、という内容では、読者がついて来れないと思って、芸者に語らせる事にしたのでしょうが、若過ぎるせいか、知性が感じられず、逆に、読み難くなっています。 彼女の語りとは別に、(註)で説明される歴史経緯の部分ですが、漢字カタカナ混じり分である事もあり、硬くて、とても、読めたもんじゃありません。
で、伊藤博文ですが、こんな風に、外国に対して、脅迫みたいな事をやっていれば、暗殺されるのも、不思議はないという感じはしますねえ。 もっとも、この作品では、暗殺されるところまで、書かれていませんけど。 伊藤に限りませんが、明治の元勲などと呼ばれる面々は、およそ、尊敬に値する者がいません。 人格的には、ゴロツキに近いです。
伊藤の女癖の悪さが、異常なレベルだったというのは、この作品内でも描かれています。 「英雄、色を好む」と言いますが、伊藤が英雄とは、とても、思えません。 私の世代だと、千円札の肖像が、伊藤博文だった時代を覚えているのですが、こういう人物を、国を挙げて、偉人扱いしていたのは、奇々怪々ですな。 まあ、それを言い出せば、一万円札の福澤なども、大差ないですけど。
【月光】 約30ページ
1966年(昭和41年)6月に、「別冊文藝春秋96号」に掲載されたもの。
九州の俳句雑誌に関わっていた、大変な美女であった女性俳人と、彼女に言い寄っていた、女癖の悪い男性俳人について、その半生を書いたもの。
梗概になっていないのは、単なる伝記であって、一定の筋を持つ物語ではないからです。 私は、常日頃、俳人を、著名人の内に入れておらず、興味もないので、こういう作品も、退屈なだけです。 俳人が、どんなに美女だろうが、どんなに才能があろうが、知る人ぞ知る世界の、狭~い井戸の中の話でして、外部の人間には、全く関係ありません。
登場人物の名前は変えてあるから、純粋な伝記ではないわけですが、伝記を元にして、創作を加えた場合、一体、それは、伝記なのか、小説なのか、分からなくなってしまいますな。 あとがきにも、例が出ていますが、その人物の名誉を損なうような事が書いてあった場合、作者が創作と言い張っても、遺族が文句を言ってきたら、悶着は避けられないと思います。
【粗い網版】 約30ページ
1966年(昭和41年)12月に、「別冊文藝春秋98号」に掲載されたもの。
戦前、軍内部にまで信者がいる、有力な宗教団体を検挙する為に、特高警察の担当者が、宗教団体が発行している文書を調べて、治安維持法違反に当たる文言を捜しだす話。
実話が元だそうです。 最初に検挙ありきで、こじつけでもいいから、違法に仕立てられる文言を捜し、それでも足りなければ、スパイを送り込んで、捏造させるというのだから、警察がやろうと思えば、何でもできるという、実例ですな。
しかし、物語としては、体をなしていないレベルでして、これを面白いと感じるのは、よほど、戦前史に興味がある人だけでしょう。 松本さんは、歴史を調べていて、個人の趣味的に、ちょっと面白いと感じると、それを短編にしてしまったようですが、いくら何でも、ストーリーになっていないのは、如何なものか。
【種族同盟】 約34ページ
1967年(昭和42年)3月に、「オール読物」に掲載されたもの。
旅行客の女を、暴行殺害した容疑で、旅館の番頭兼雑用係をしている男が逮捕される。 その国選弁護を引き受けた弁護士が、過去にイギリスで起こった判例を参考に、男の無実を主張して、裁判に勝ち、その後、男を自分の事務所に雑用係として雇ってやるが、男の態度が、だんだん図々しくなって来て・・・、という話。
ネタバレさせてしまいますと、被告が真犯人なのに、たまたま、そっくりな事件の判例があったせいで、それに倣って、無罪にしてしまい、後で真相が分かって、とんでもない事になるという流れです。 皮肉な結末は、松本清張作品の特長ですな。 面白いのですが、その後どうなったのかを書いていないのが、少し物足りないです。
【月】 約20ページ
1967年(昭和42年)6月に、「別冊文藝春秋100号」に掲載されたもの。
戦前、有能な女子学生を助手にして、歴史地理学の研究をしていた学者。 助手との年齢差は、40歳も離れていたが、妻の嫉妬が激しくなって、助手は、故郷の九州に帰る事になる。 戦中に、妻が死に、空襲で資料を焼かれるのを恐れた学者は、助手の誘いで、彼女の家に疎開し、そこで、戦後まで、仕事を続けていた。 かつて、研究の出版を申し出ていた出版社から、再び、その話が来て、若い男の編集者が訪ねて来るようになるが・・・、という話。
「世界中で、この人だけは、自分を理解してくれている」と思っていた人が、いなくなってしまって、絶望するというのは、大変、よく分かります。 そりゃあ、無理もないですよ。 40歳も年齢差があるんじゃねえ。 若い男が現れたら、そっちに靡いてしまいますって。 この学者も、疎開する際に、元の家を処分したりせずに、戻る場所を残しておけば、まだ、先があったろうにねえ。
【証言の森】 約34ページ
1967年(昭和42年)8月に、「オール読物」に掲載されたもの。
昭和10年代後半、妻殺しの容疑で逮捕された男が、容疑を否認したり、認めたり、何度も証言を修正した挙句、結局、起訴されて、有罪判決を受け、刑務所送りになる。 その後で、自分が真犯人だと出頭してきた男がいたが、警察に取り合ってもらえないまま・・・、という話。
これは、面白い。 全体の9割くらいは、冤罪物の趣きで、夫の境遇に同情し、警察や司法関係者のいい加減さに、義憤を感じているのですが、終わりの1割で、作者の意図が分かると、一転、冤罪だろうが、そうでなかろうが、全くどうでもよくなってしまいます。 これは、鮮やかだわ。 価値観が、180度引っ繰り返るのだから、こんな小説は、なかなか、ありません。
【虚線の下絵】 約32ページ
1968年(昭和43年)6月に、「別冊文藝春秋100号」に掲載されたもの。
芸術画家としては認められず、金持ちの肖像画を描いて、生活を成り立たせていた男。 注文取りを担当している妻が、画商よりも腕がいい事や、芸術画家として売れている友人夫妻の態度から、妻が、体を使って、客に取り入っているのではないかと疑念を抱く話。
面白くない、というよりは、不愉快な感じがする話。 書きようによっては、純文学になりそうなテーマですが、尾鰭が多過ぎるせいで、そう取ってもらえないのではないかと思います。 別に、松本さんは、純とか、一般とか、区別していなかったようなので、それが、瑕というわけではありませんが。
友人が、芸術画家として認められているとか、主人公の妻が二人目とか、栓抜きを使わずに、ビール瓶の栓を抜いて、怪我をしたとか、ストーリーに関係ない設定や肉付けが多くて、単に、枚数を合わせる為に、水増ししただけなのではないかと、疑ってしまいます。 松本さんほどの知識や経験があれば、この種の水増しは、お手の物だと思いますが、短編でそれをやると、読者に見抜かれ易いです。
「年譜」、「著書目録」を見ると、私がまだ読んでいない作品が、うじゃうじゃあって、驚かされます。 しかも、この巻が発行された、1974年までの記録なのですから、松本さんが全生涯に書いた作品は、もっと多いわけですな。 この全集は、すでに、8割くらい読んでいるので、つまり、収録されていない作品が、たくさん、あるという事なのでしょう。 なんだか、がっかりしてしまうなあ。
≪松本清張全集 56 東経139度線 短編5≫
松本清張全集 56
文藝春秋 1984年1月25日/初版 2003年5月20日/4版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、短編18作と、「年譜」、「著書目録」、「翻訳出版目録」を収録。 【山】は、以前、文庫で読んで、感想を出していますが、同じ物を、出しておきます。
【山】 約36ページ
1968年(昭和43年)7月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
温泉宿に逗留していた元新聞記者の男が、近くの山奥で、女の死体を発見し、その関係者と思われる人物を目撃する。 その後、旅館の仲居と連れ立って東京に出た男が、たまたま、山の中で見た死体の関係者の正体を知り、恐喝して出資させた金で、雑誌を立ち上げ、その編集長に納まる。 さらに金を引き出すつもりで、雑誌の表紙に、その山の絵を出したところ、死体の女の姉が、たまたま、その絵を目にして・・・、という話。
松本清張さんの短編で、最も有名な作品に、【顔】(1956年8月発表)というのがありますが、思いもしないところから、過去の犯罪が露見するというアイデアは、ほぼ、同じです。 アレンジすれば、同じアイデアで、いくらでも、同種の短編を作れると思いますが、松本清張さん以外の人間がそれをやると、「これは、【顔】のアイデア盗用だね」の一言で、片付けられてしまうでしょう。
この作品について言うなら、アレンジの設定が複雑過ぎて、逆に、不自然になっているところが目立ちます。 綻びの発端は、意外であればあるほど効果的とはいえ、その為だけに出した登場人物が三人(雑誌の記事の執筆者/若い編集者/画家)もいて、キャラの中途半端な描き込みが、鬱陶しく感じられます。
【新開地の事件】 約34ページ
1969年(昭和44年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
東京郊外の新開地に、地方から出て来て、洋菓子店に弟子入りした青年を下宿させた農家があった。 青年の実直さが気に入って、娘の婿にし、店を持たせて、独立させてやった。 その後、農家の父親が死に、娘夫婦は家と田畑を処分して、そのお金で、店を大きくしようと考えるが、母親が頑強に反対し、次第に、姑と婿の仲が険悪になって行く話。
推理物ですが、推理しながら読むのは、かなり難しいです。 ただし、松本作品を多く読んでいて、その上、勘のいい人なら、事件の背景を見抜けるかもしれません。 私は、分かりませんでした。 解明されてから、「なるほど、そっち系の話だったのか」と、納得した次第。
舞台がどういう土地柄で、どういうタイプの人達が住んでいて、更に、主な登場人物が、どういう事情で家族になったか、細かい設定の説明に、半分くらい取られています。 これは、ちょっと、というか、かなり、アンバランス。 注文の枚数に合わせて、書き足したんですかねえ。 土地柄まで、細かい設定をしなくても、充分に小説として成り立つと思います。
【指】 約22ページ
1969年(昭和44年)2月に、「小説現代」に掲載されたもの。
水商売でお金を貯め、いずれ、洋裁店を開きたいと思っている若い女。 同業のママと知り合いになり、彼女のマンションに同棲して、同性愛関係になったが、その後、円満に別れた。 ママには男のパトロンがいたが、二人とも、相次いで死んでしまった。 若い女は、ある男と結婚する事になったが、その男の父親が、ママのパトロンであった上に、男が、同じマンションに住みたいと言い出す。 そこには、若い女とママの過去を知る管理人が、まだ住んでいた・・・、という話。
ネタバレさせてしまいますと、そういう事情で、管理人を殺してしまえという展開になるのですが、管理人だけでなく、管理人がママから譲られた、チワワも殺してしまいます。 更に、なりゆきで、そのチワワの子供まで、殺します。 裁縫用のメジャーで、絞め殺すのだから、読んでいるだけで、ゾーーッとします。
いやあ、松本さんも、やはり、戦前に育った人ですねえ。 「犬は、家畜」という意識が抜けないんですな。 戦後育ちの作家だと、そもそも、犬を殺す話は書きません。 また、戦後育ちの作家志望者が、犬を殺す話を書いて、編集部に持ち込んでも、即、没になるでしょう。 現代的センスがないという理由で。
犬の件を別にしても、たまたま出会った男の父親が、ママのパトロンだったというのは、偶然が過ぎます。 それについて、作中に、作者による言い訳が書いてありますが、やはり、おかしいと思います。 ちょっと工夫すれば、自然な流れにできたと思うのですがね。
【証明】 約24ページ
1969年(昭和44年)9月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
脱サラして、小説家になろうとしているが、なかなか、プロになれない夫を、別ジャンルの雑誌で編集者をしている妻が支えていた。 次第に、夫の精神状態が不安定になり、妻が外でどんな行動をしているかを探り始め・・・、という話。
しょーもない夫ですな。 まず、小説家として食べて行ける目星がついてから、会社をやめれば良かったのに。 同人誌作家としては、ハイ・レベルだけど、商業誌には相手にされないという中途半端な実力の人達は、さまざまな芸術分野で、掃いて捨てるほど、いると思いますが、収入を得る道を断ってしまったのでは、生きて行けますまい。 別に、文芸雑誌は、意欲を買って、お金を出してくれるわけではないのですから。
作品としては、アンバランスです。 前半の、夫の苦労の方に、枚数を割き過ぎていて、「なかなか認められない作家志望者」論とでも言うべき、趣きになっています。 ラスト間際で、犯罪が出て来ますが、不倫していた妻の、相手の男に対する嫉妬が動機でして、木に竹という感じ。 松本さんのように、一旦、名前が売れてしまえば、こういう、小説として欠陥のある作品でも、一流誌に掲載してもらえるという意味で、大変な皮肉になっています。
【火神被殺】 約42ページ
1970年(昭和45年)9月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
医大で教師をしている人物が、元警察官の甥から、奇妙な話を聞く。 出雲の旅館に泊まった二人連れが、宿帳に書いた名前を、しばらくしてから、書き直しに来たという。 偽名を本名に直したのではと思われたが、最初の名前も、書き直した名前も、実在する人物のものだった。 盗癖があるせいで、刑務所と外を出入りしているが、古代史について、独特の史眼をもっている男の謎を巡り、教師と甥が、調査を進める話。
こんな梗概では、何も伝わりませんな。 短編とは思えない複雑さです。 記紀神話と、ヒッタイト神話、コーランなどに、共通点があるという古代史関係の記述と、失踪・殺人事件の推理の、両輪で話が進みます。 古代史に興味がある人も、推理ファンも、どちらも楽しめる、内容の濃さです。 ただし、古代史の方は、悪ければ、創作、良くても、自説レベルの話なので、無批判に真に受けない方がいいです。
教師の知り合いが、たまたま、犯行に関わっていた点は、いささか、偶然が過ぎますが、面白い部分の方が勝っているので、あまり、気になりません。 ケチをつけるより、楽しんだ方が、有益な作品。
【奇妙な被告】 約28ページ
1970年(昭和45年)10月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
金貸しの老人を殺した罪で逮捕された男。 警察で自白の強要を受けたといって、裁判では、無実を主張していた。 国選弁護についた弁護士が、警察捜査の杜撰な点を突いて、無罪を勝ち取るが、実は・・・、という話。
ネタバレになってしまいますが、アイデアとしては、【種族同盟】(1967年)と同じで、弁護士のお陰で無罪にしてもらうわけですが、実は、巧妙に、弁護士や判事を騙していたというもの。 ただ、こちらの方が、裁判が終わった後、縁が切れてしまう分、すっきりしています。 【種族同盟】を読んでいなければ、もっと、面白いと思ったかも知れません。
【巨人の磯】 約28ページ
1970年(昭和45年)10月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
大洗海岸に流れ着いた遺体は、長期間、水の中にあったせいで、肥大化していた。 指紋から、身元が割れ、台湾・沖縄旅行に行っていた土建会社の社長と分かる。 警察で、遺体の漂流経路の推定や、関係者の捜査を進めるが、死亡推定日時が、なかなか、噛み合わない。 最初に遺体を発見した高名な法医学者に助言を求める話。
常陸の国風土記に出てくる、巨人の話を絡めて、少し、文化の香りをつけていますが、メインは、推理物です。 これは、長編にもできるアイデアだと思うのですが、なぜ、こんなに短い作品に使ってしまったのか、不思議。 どの推理作家でも書きそうな普通の長編になってしまうのを嫌ったんでしょうか。
なかなか、怖いトリックが使われます。 エアコンで、死亡推定時刻をずらすというのは、よくありますが、こういうのは、初めて読みました。 今の風呂だと、お湯を入れるだけだから、無理ですが、昔の風呂は、追い炊きができたんですな。 いや、これ以上書きませんがね。
【水の肌】 約20ページ
1971年(昭和46年)1月に、「小説現代」に掲載されたもの。
大学院を出て、光学機器メーカーに勤めた男。 コンピューターに詳しく、優れていたが、他者を見下す癖があった。 その後、自動車メーカーに転職して、結婚したが、程なく、そこもやめてしまい、アメリカに留学する。 最先端のコンピューター技術に接して、自分がもう時代遅れだと悟り、金持ちの女と同棲して、時代遅れの知識でも、やっていける仕事にありつくが・・・、という話。
一応、終盤だけが推理物になっていますが、そこは、木に竹でして、この作品の眼目は、時代の最先端にいたつもりの人物が、時代に追い越されて、転落して行く様を描く事です。 プライドが高いので、人の下につく事ができず、先の見込みが悪くなると、すぐに転職してしまうのです。 そういう人、実際にいますねえ。 同期に抜かれただけで、腹を立てて、退職したけれど、歳を取ってから、有利な転職など、できるはずがなく、どんどん、惨めな境遇に落ちて行く人とか。
英語が得意で、「アメリカでは・・・」が口癖だったのに、いざ、現地に行ったら、自分の英語が、ほとんど通じなかった、というのも、実際に、うじゃうじゃと例がありそうですな。 日本国内で、専ら目学問で習った英語なんて、通じるもんですか。
言葉ができないせいで、留学の試験にすら通らず、格好がつかなくなって、留学資金を出してくれた最初の妻と離婚するというのは、気持ちが分からないでもないですが、愚かですなあ。 そこで、自分の間違いに気づいて、心を入れ替えれば、まだ、立ち直れたのに。 でも、それまでの自分の人格を変えなければならないとなると、やはり、無理かな。
【二冊の同じ本】 約24ページ
1971年(昭和46年)1月に、「小説朝日カラー別冊」に掲載されたもの。
故人から貰った、書き込みのある本。 同じ本が、古書店の競売に出たのを手に入れたところ、そちらにも、同一人物のものと思われる書き込みがあった。 二冊の書き込み場所は、互い違いになっており、別々の場所で過ごしている時に、それぞれの本に書き入れられたようである。 競売に出た本の出所を探ったところ、ある殺人事件に行き当たり、服役した犯人と、本の持ち主の関係が、明らかになる話。
本の内容についても書かれていますが、ごく僅かで、「ちょっと文化の香り」程度に収まっています。 書き込み場所の違いから、自宅とは別の場所で、ある程度、長い時間を過ごす生活をしていたのではないかと推測するところが、ゾクゾクします。 よく、こういうのを思いつきますねえ。 この着想の面白さは、ホームズ物に出て来てもおかしくない、気の利きようです。
殺人事件の方は、松本さんの作品では、よくあるタイプのもの。 かなり、捻ってありますが、偶然に頼ってはいないし、不自然さを感じるようなところはないです。 最後に、もう一捻りしてあって、そこまで来ると、「捻り過ぎでは?」と、思いますが、松本さんは、捻る事ができると思うと、捻らずにはいられない性質だったんでしょうねえ。
【葡萄唐草模様の刺繍】 約28ページ
1971年(昭和46年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。 原題は、【葡萄草模様の刺繍】。
夫婦旅行で寄った、ベルギーのブリュッセルで、唐草模様のテーブル・クロスが気に入って、妻が、自宅用と妹夫婦用に二枚を買った。 一度、ホテルに戻った後、夫一人が、また店に行き、愛人用に、同じ物を、もう一枚買った。 帰国後、愛人に贈って、喜ばれたが、 間もなく、その愛人が殺されてしまい、その直前に、愛用していたテーブル・クロスがなくなっていた事が分かる。 夫婦のもとに、捜査の手が伸びて、冷や汗を掻く話。
面白いです。 何が面白いといって、この視点人物の男が、別に、犯罪に関わっているわけではない事が、早い段階で、読者に知らされているのが面白い。 妻が怪しいのですが、これまた、視点人物は、「妻は、夫の愛人を殺すほど、激し易い性格ではない」と断言していて、やはり、犯人ではないと読者は知らされます。 つまり、この夫婦は、どちらも、殺人事件には関わっていないんですな。 それでも、ちゃんと、推理小説になっているのだから、そこが、面白いです。
だけど、夫婦で外国旅行に行って、妻に隠れて、愛人への土産をせっせと買っている男なんて、惨めですなあ。 夫婦関係の構築に、完璧に失敗したんですなあ。 こういう男は、離婚して、愛人と結婚しても、すぐにまた、不倫に走って、一生、同居人には恵まれないでしょう。 浮気が男の甲斐性だと思っているのだから、救いようがない。
【留守宅の事件】 約30ページ
1971年(昭和46年)5月に、「小説現代」に掲載されたもの。
東京に住む、自動車販売業の男。 東北に出張して帰ってくると、妻がおらず、しばらく経ってから、物置で死体を発見する。 東北に住む、男の友人が、留守宅に来ていた事が分かり、彼に嫌疑がかかるが・・・、という話。
この梗概だけでは、半分です。 鉄道と車を使ったアリバイ・トリック物でして、後半は、それに費やされます。 このトリックは、2時間サスペンスや、刑事物ドラマで使い古されているので、謎が解けると、がっかりする人が多いと思います。 単に、アリバイ作りの為の死体移動というのなら、横溝さんの戦後間もない頃の短編でも出て来ます。 おそらく、欧米では、もっと古い例もあるはず。
【神の里事件】 約30ページ
1971年(昭和46年)8月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
神道系の新興宗教の本拠地がある村で、宝物の銅鏡を見たいと押しかけて来た記者と、その教団の幹部が殺される。 記者の知人が訪ねて来て、路線バスの車掌と、巫女を兼務している教祖の姪と接したり、宝物殿を見たりして、謎を解く話。
「路線バスの車掌」というのは、今では分からなくなっていると思いますが、運転手のワンマン運行になるまでは、専ら女性の車掌が同乗していて、車内を歩き、客に切符を売っていたのです。 私が子供の頃ですから、ほぼ、半世紀前の事。 この作品でも、すでに、ワンマン・バスが登場しています。 路線バスの車掌は、観光バスのガイドとは、全く違いますが、この作品に出てくる車掌は、ガイドもします。
神話など、神道系の知識に興味がある人なら、面白いかも知れません。 あくまで、小説なので、鵜呑みは進めませんが。 事件の方は、読者が推理を利かせられるような種類のものではないです。 視点人物が、地道に捜査を進める様子が描かれるわけでもなく、名探偵的に、インスピレーションで、謎を解いてしまいます。 松本作品では珍しい探偵役。
【内なる線形】 約40ページ
1971年(昭和46年)9月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
初老の画家と、若い後妻の夫婦が、玄界灘に臨む別荘地で静養していた。 ノイローゼ気味だった夫が、行方不明になり、夫婦の所に出入りしていたヒッピーの若い画家が、奇妙な姿勢をして殺される。 後妻の容疑が濃くなるが、どうやって殺したかが、謎となる話。
松本作品には珍しい、ハウ・ダニットの本格トリックものです。 惜しむらく、科学的な方向に傾き過ぎて、全然、面白くありません。 松本さんは、科学や技術となると、不得手だったんですなあ。 理解力はあるが、それを、読者に伝えて、面白いと感じさせる力がなかったのでしょう。
面白い作品ではないので、ネタバレを気にせず書きますと、特殊なガスを作るまではいいとして、それを吸わせるとなると、ガスを作る以上に難しいんじゃないですかね。 浮き輪に入れて? 冗談でしょう。 どんどん、リアリティーが損なわれて行く。
【冷遇の資格】 約28ページ
1972年(昭和47年)2月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
地味な妻に先立たれた後、すぐに、若くて派手な後妻をもらった初老の男。 勤め先の肩書きを失ってから、妻の態度が変わり、金目当ての結婚だった事がはっきりする。 更に、男がいて、密会場所を確保しているらしい事が分かり・・・、という話。
その後、ある人物が殺され、死体をどう始末するか、という展開になるわけですが、そちらは、別の話のように、雰囲気が変わります。 前半だけ読むと、「若くて派手な後妻なんか、もらうものではない」という教訓話のよう。 後半は、本格トリックの推理物になるのですが、妻を陥れる事ばかり考えていて、犯罪の隠蔽の方に、配慮が足らず、「こりゃ、そりゃ、バレるだろうよ」と思ってしまいます。
こういう犯罪者もいる、と言ってしまえば、それまでですが、推理小説の視点人物としては、いかがなものかと思います。 前半だけなら、同じ事をしようとしている高齢男性が読めば、為になると思います。 歳の離れた後妻なんて、駄目だって。 強欲な女に身代潰されるくらいなら、家政婦でも雇った方が、遥かに有意義です。 愛が欲しいなら、犬でも飼った方が、遥かに有意義です。
【恩誼の紐】 約20ページ
1972年(昭和47年)3月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
子供の頃、ある犯罪をやってしまった男。 父母が先に他界し、最後の家族になった祖母から、いまわの際に、「あの世から見守っているから、悪い事はするな」と言い遺され、祖母が男の犯罪に気づいていた事を知る。 しかし、その後、結婚した女と別れたくなり、祖母の戒めを破ってしまう話。
前半は、純文学。 それを、後半で、犯罪物にした事で、ぶち壊しています。 作品の完成度を下げているのは、男が妻と縁を切ろうとする、動機が弱い事ですな。 ろくでなしだった父に、懸命に尽くしていた母と同じ健気さを、妻に感じていたというのですが、別に、不平を言うような問題点ではありますまい。
【理外の理】 約14ページ
1972年(昭和47年)9月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
販売部数の低迷で、誌面の刷新を図る事になった雑誌。 新編集長の方針で、執筆者を総入れ替えする事に決まる。 切られた作家の一人が、最後の作品として持って来た、江戸説話の翻案に、首縊りを要求する鬼の話があり、編集部で話題になる。 現実に、そんな事が起こるのか、試してみる事になるが・・・という話。
首縊りを要求する鬼というのは、そいつに言われると、誰でも首を縊らなければならなくなるという、一種の妖怪ですな。 ただし、説話の翻案として出て来るだけで、オカルトでは、全くないです。 強いて分類すれば、犯罪が出てくる一般小説。
試しに出かけて行くのが、作家をクビにした新編集長となれば、もう、その先の展開は決まっています。 読者が想像した通りに進むので、すっきり、腑に落ちますが、捻りがないから、松本さんらしくないとも言えます。 私は、こういう素直な話は、好きなんですがね。
【駆ける男】 約32ページ
1973年(昭和48年)1月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
瀬戸内の、あるホテルに投宿した、初老の夫と、若い後妻。 夫が、昔の女と出くわした直後、料亭から、ホテルまでの坂道を全力で駆け上がり、心臓発作を起こす。 夫妻が部屋を留守にしている間に、盗みに入った男が逮捕されるが、その時拾ったという球根が特殊なもので・・・、という話。
「いい歳をした人物が、突然、走り出す」という現象を核にして、肉付けして行った話。 泥棒の方から、話が始まりますが、これは、一種の入れ子式ストーリーですな。 泥棒は、中心人物ではないので、夫妻の方に話が移ったら、頭から追い払ってしまった方がいいです。 凝った形式の短編は、読者を混乱させる事もあります。
こういう球根があるという知識を得られるのが、この作品の、最大の得点でしょうか。 もっとも、さっさと忘れてしまった方が、犯罪をする気ならずに済みますから、無難ですけど。
【東経139度線】 約35ページ
1973年(昭和48年)2月に、「小説新潮」に掲載されたもの。 原題は、【東経一三九度線】。
北陸から、関東にかけて、東経139度線の近くに、鹿卜をする神社が並んでいる事に気づいたある官僚が、元宮家の人物をそれらの神社に案内する計画を、大学時代の友人で、政治家になっている男に話す。 自分の政治活動に得になると判断した政治家は、大学時代の恩師や、同期の学者達と共に、下見に赴くが、夜中に車で出かけて、交通事故に遭い・・・、という話。
鹿卜というのは、鹿の骨を焼いて、割れ方で占うという、アレです。 東経139度線云々と、下見先で起こる事件は、直接的な関係がないだけでなく、間接的にも、関係がないです。 まず、東経139度線の方を思いつき、推理小説にする為に、事件を考えて、くっつけたわけですな。 水と油というほどではないですが、木に竹である事は確かです。
松本さんのストーリー作りに、幾つかパターンがある中で、この作品は、安直な面が出てしまった典型ですな。 東経139度線の着眼は面白いですが、単なる、事件のお膳立てに使ってしまったのでは、勿体ない。 このネタで、SF作家が、歴史こじつけの話を書けば、ずっと、面白くなったと思います。
≪松本清張全集 66 老公 短編6≫
松本清張全集 66
文藝春秋 1996年3月30日/初版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、短編20作と、「年譜」、「著書目録」、「翻訳出版目録」を収録。 【老公】から、【夜が怕い】までの、7作は、短編集、≪草の径≫に収められていたもの。
【老公】 約38ページ
1990年(平成2年)12月、1991年1月に、「文藝春秋」に分載されたもの。
興津にあった西園寺公望の別荘で、運転手を勤めていた人物が、クビになった。 運転手の息子から、その話を聞いた人物が、西園寺公望関係の資料を渉猟して、クビになった一件の背景を探る話。
実話かどうか、不明。 ほとんど、資料の引き写しで、これが短編小説とは、とても、思えません。 一応、クビ事件の背景は、明らかになりますが、「だから、どうした?」という感じ。 資料の硬い文面を、苦労して読みこなしてまで、知りたいと思うような事ではないです。
松本さんが、この事件に興味があったのは、間違いないですが、読者で、こういう、歴史の断片的な出来事に興味を持つ人は、問題にならないほど、少ないと思います。 1990年では、尚の事。 西園寺公望の名前を聞いた事がある人すら、5パーセントを割っていたのではないでしょうか。 そんな人物の、運転手がクビになった事に、どうすれば、興味をもてると言うのでしょう?
【モーツァルトの伯楽】 約37ページ
1990年(平成2年)7月、8月に、「文藝春秋」に分載されたもの。
著述業の日本人男性が、ウィーンへ赴き、現地で頼んだ、日本人女性通訳を連れて、モーツァルトと、≪魔笛≫の興行師、シカネーダーゆかりの地を訪ね、取材する話。
恐らく、1984年のアメリカ映画、≪アマデウス≫を見て、詳しく調べたんじゃないでしょうか。 ただし、この作品の内容は、映画とは、焦点が違っていて、大雑把に言うと、映画よりも、広く浅いです。 さしもの大ヒット作、≪アマデウス≫も、37年も経ってしまうと、現在、50歳以下の人達は、見た事がない人の方が、多数派でしょうな。
≪アマデウス≫を見ている人なら、この作品を、興味をもって読めると思います。 ストーリーは、ないも同然。 取材と書きましたが、著述業の男が、すでに知っている事を、ベラベラと喋りながら、録音して回るだけで、ラストに出てくる、通訳の反撃を除けば、小説らしい雰囲気は、全くありません。
【死者の網膜犯人像】 約13ページ
1990年(平成2年)5月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 原題は、【死者の眼の犯人像】
殺人事件の被害者の網膜から、最後に見た映像が再現できるようになる。 高齢の夫が首を絞められて殺され、若い後妻が通報したところ、駆けつけた警察が、網膜の固定処理をする為に、眼球に注射をした。 なぜ、そんな事をするのかと質問した妻に、説明したら・・・、という話。
あとがきがなく、解説にも触れられていないので、分からないのですが、こういう技術は、あるにしても、使われてはいないと思います。 もしかすると、完全に、松本さんの創作なのかも知れません。 晩年の松本さんは、【赤い氷河期】で、架空の未来を小説の舞台にしたように、悪く言えば、節度が緩んだ、良く言えば、自由な発想で、作品を構想していたようです。
事件自体は、高齢夫と、若い後妻の夫婦では、小説でも、現実でも、割と良く聞く話。 だーから、鰥夫になっても、後妻など、もらうなというのに。 家事が苦手なら、家政婦を頼んだ方が、遥かに安いです。 家政婦を、後妻代わりにしていたのでは、結果は、同じですけど。
【ネッカー川の影】 約27ページ
1990年(平成2年)4月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。
西ドイツを旅行で訪ね、数日滞在した女性。 現地へ留学し、数年に渡って、原人の研究をしている日本人男性と知り合いになる。 その研究者には、京都に妻がいて、研究者の両親と暮らしているという話だったが、女性が帰国して一年ほどした頃、写真で見た研究者の妻が、身重の体で、東京に住んでいるのを見かける話。
どうも、松本さんが良く書く、旅行記流用小説っほいですな。 その旅行先に興味がないと、ちっとも面白くありません。 だーから、旅行記を小説に仕立てるのは、無理があるんですよ。 むしろ、純然たる旅行記として出版した方が、ファンにとっても良かったのでは?
原人の説明は、どこまで、科学的な裏づけがあるのか、不明。 松本さんは、様々な分野に興味を持っていた人ですが、こと、科学に関しては、得意ではなかったようなので、松本作品に出てきた科学知識・情報は、裏をとってから、頭に入れた方がいいと思います。 もし、松本さんが科学も得意だったら、必ず、SF作品を残していたと思います。
ドイツの詩人、ヘルダーリン(1770~1843年)に関する部分は、面白いです。 おそらく、これが、この作品の根幹部分で、原人骨の発掘は、単なる肉付けなのでしょう。
ラストの展開は、オマケのようなもの。 「研究者である夫が、外国にいる間に、妻が、他の男と浮気して、妊娠し、嫁ぎ先の家を出てしまった」といった背景が想像されますが、確かめようもありません。 ヘルダーリンのエピソードに擬えるには、ちと、状況が違い過ぎるのでは?
【「隠り人」日記抄】 約27ページ
1990年(平成2年)6月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 「隠り人」の読み方は、「こもりびと」。
戦前、ある政党に潜入して、手入れを手引きした警察官が、任務終了後、纏まった金を受け取って、消えた。 戦後、北海道のある町で、棟割長屋に住んでいたが、裏切り者として、政党から追われるのを警戒し、戸籍を隠して、変名で通していた為に、働く事もできない。 先妻の娘や、20歳も若い後妻のヒモとして暮らしていたが、次第に、ジリ貧になっていく話。
このモチーフは、【点】(1958年)と、同じ物です。 同じモチーフを、視点人物を本人に変え、場所を北海道に変えて、書き直したわけだ。 香港映画、≪インファナル・アフェア≫も、同様のモチーフを使っていますが、そちらと違い、この作品は、絶望的なだけで、名作には、ほど遠いです。
こういう任務を引き受ける場合、あとあと、追われる身になるのは、避けられない事のようです。 警察でも、こういう、汚い仕事をさせた人物を、任務が終わったからといって、普通の勤務に戻すわけには行かない模様。 貰った報酬など、とっくになくなってしまったのに、勤めると、バレるから、働けないというのは、あまりにも、しょーもない。
晩年の松本さんが、我が身に迫る死の影に怯えていたのではないかと見る事もできます。 あれだけ、成功した人でも、やはり、衰えて行く過程では、不安になったのでしょうか。 もっとも、文章は、しっかりしていて、衰えは、まるで感じませんが。
【呪術の渦巻文様】 約21ページ
1990年(平成2年)10月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 原題は、【無限の渦巻文様】。
サンフランシスコ、アイルランドと、銀行の海外支店を渡り歩き、最後には、スイスの証券会社に勤めた男。 爬虫類の鱗を題材にした細密画を描く妹がいたが、画家として評価される前に、精神に異常を来たし、彼女を入院させてくれる精神病院の近くに、兄が勤めていた事が分かる、という話。
一応、謎がありますが、推理物というには、あまりにも、ささやか。 ストーリーというほどのストーリーにはなっていないものの、最後まで読むと、純文学的な味わいがないでもないです。 憐れな。 しかし、この兄妹は、まずい結婚をした人達に比べれば、遥かに幸福な人生を送ったんでしょうなあ。
【夜が怕い】 約17ページ
1991年(平成3年)2月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。 「怕い」の読み方は、「こわい」。
胃癌で入院している人物。 退院が近いが、次に入院した時には、もう助からないのを覚悟している。 他の病室で人が死んで行く気配を感じながら、自分の祖母や父親が辿った人生を思い返す話。
タイトルから、気の利いたストーリーを期待していると、肩透かしを食らいます。 本体部分は、祖母や父親の思い出話で、入院している本人が、何か、怖い体験をするわけではないからです。
この、祖母と父親の思い出部分は、松本さん自身の先祖の事を書いているんじゃないですかね。 わざわざ、調べる気になりませんが。 なぜ、そう思うのかというと、創作設定にしては、異様に細かいですし、あまり、面白くないからです。 実話ならば、面白くなくても、不思議ではありません。 そうであってもなくても、小説として評価する作品ではないと思います。
【河西電気出張所】 約14ページ
1974年(昭和49年)1月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。
溺愛されたせいで、心身ともに虚弱に育ってしまった少年。 半ば、なりゆきで、電気会社の出張所に、給士(雑用係)として勤めるが、なかなか、給料が上がらず、社員に昇格もさせてもらえない。 それどころか、上司が入れ代わり、人員整理で、クビになる恐れさえ出て来て・・・、という話。
何が言いたいのか、よく分からない話です。 犯罪が行なわれますし、人も死にますが、いずれも、メインのストーリーとは、関係して来ません。 純文学雑誌に掲載される、あまり有名でない作家の短編には、こういう、どこを読ませようとしているのかよく分からない作品がありますが、それに近いですな。
【山峡の湯村】 約52ページ
1975年(昭和50年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
山間の温泉郷に休養に来た学校教師が、別の宿に、かつて時代小説の人気作家だった老人が、タダで長逗留している事を知る。 その作家を連れて来た宿の息子は、2年前に行方不明になっており、その婚約者が、作家の世話をしていた。 宿の女将は、主人の後妻で、何かと、噂があり・・・、という話。
作家とはいうものの、正確には、元作家で、この宿に逗留を始めてからは、雑文すら書いていません。 松本さんが、この作品で書きたかったのは、そういう、過去には売れていたけれど、時代の変化について行けずに、仕事を干されてしまった、「作家の残骸」の存在なのではありますまいか。 【理外の理】(1972年)でも、同じようなモチーフが使われています。
ちなみに、横溝正史さんも、1970年頃には、そんな、「作家の残骸」の一人と見做されていたわけですが、71年に、角川文庫で、リバイバルしてから、じわじわ売れ始め、76年には、映画、≪犬神家の一族≫が、メガ・ヒットして、空前絶後の横溝大ブームとなり、松本さんが旗手だった社会派推理小説を、散々に蹴散らしてしまいます。 しかし、この作品が発表された時点では、まだ、そんな未来が待っているとは、誰も知らなったわけだ。
余談はさておき、この作品、まずまず、面白いです。 本格推理の要素が入っていて、推理小説の短編・中編として、バランスが良く、ゾクゾク感もあります。 探偵役が素人なので、地道な捜査ではなく、インスピレーションによる推理になりますが、読者にも充分に、情報が示されるので、無理が感じられません。
この作品、1992年に、古谷一行さんの主演で、2時間サスペンスになっており、私は、先に、そちらで見ました。 おそらく、古谷一行さん主演の松本作品原作ドラマの中では、最も出来が良いと思います。 とりわけ、ヒロインを演じた姿晴香さんが、大変、魅力的でねえ。 惜しむらく、松本さんは、放送直前に亡くなってしまうのですが、その前に、見ていたかどうか。 もし、見ていたら、満足したと思いますねえ。
【夏島】 約16ページ
1975年(昭和50年)6月に、「別冊文藝春秋132号」に掲載されたもの。
伊藤博文が別荘を建て、憲法草案を練った場所、神奈川県横須賀市の夏島を訪ねる話。
話と書きましたが、小説的なストーリーはないです。 歴史の記述と、それに関する、一つの推測を書いてあるだけ。
【式場の微笑】 約16ページ
1975年(昭和50年)9月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
結婚式に参列した、着付けの先生。 ある中年男性から、微笑みかけられるが、誰だか思い出せない。 新婦に挨拶に行ったら、えらい驚いた表情で見られてしまう。 しばらくする内、中年男性と新婦を、人には言えない、ある場所で見た事を思い出し・・・、という話。
大人向けの、ショートショート。 洒落ていると言えば言えますが、爛れているとも言えます。 松本さんは、とことん、若い女性に夢とか、明るい未来とかを感じなかった人なんですなあ。 私も、この歳になると、その見方に賛同せざるを得ません。 だけど、人によりけりでして、中には、若い頃から、人格的に優れた人達もいます。 押し並べて、男よりは、マシなのでは?
【骨壺の風景】 約26ページ
1980年(昭和55年)2月に、「新潮」に掲載されたもの。
父親の甲斐性がない事から、極貧に喘いでいた幼い頃、祖母が他界する。 遥かな歳月を経てから、祖母の骨壺を預けっ放しにしていた寺を探し出し、訪ねて行くと、祖母を火葬にした時の記憶が蘇って来る話。
松本さんの祖母の思い出を綴ったもの。 たぶん、全部、実話だと思います。 ギリギリ、最低レベルの生活ですが、戦前は、そういう生活をしていた家族は、少数派というわけではなかったと思います。 この父親も、元から怠け者だったわけではなく、職に就けないから、商売を始めるしかなく、商売に向かないから、すぐに左前になってしまうという、負の渦巻きに呑まれていたんでしょう。 父親が、ろくでなしだったから、余計に、母親や祖母の思い出が輝くんですな。
祖父母と一緒に暮らした人達なら、特別な思い出は、一人一人に必ずあると思います。 内孫と外孫では、祖父母の印象が、全く違うのは、当然の事。 そういう思い出は、汚されると大変なので、一般人の場合、あまり、他人に語らない方がいいのですが、松本さんは、超有名人だから、それが許されるわけです。 一般人が、ブログなどで、そういう事を書くと、内孫経験がない連中に、無体にからかわれる恐れがあります。 貴重な思い出を、一度、汚されると、消せませんから、注意が必要です。
【不運な名前】 約64ページ
1981年(昭和56年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
明治11年に起こった、「藤田組贋札事件」の犯人とされた、熊坂長庵が収監されていた、北海道の樺戸集治監跡地を訪ねた、三人の人物が、熊坂長庵は冤罪だったという点で意見が合致し、事件の真相について、語り合う話。
一応、「語り合う話」で、小説の体裁になっていますが、この三人は、松本さんの分身に過ぎず、松本さんが、この事件について、どう考えているかを披瀝する為に、この作品が書かれたのは明らかです。 松本作品には、そういうタイプのものが、少なくないです。 歴史論文なのであって、小説としては、評価できません。
同じ事件をモチーフにした作品に、【相模国愛甲郡中津村】(1963年)がありますが、18年も考え続けて来ただけに、こちらの方が、ずっと、詳しい内容になっています。 とはいえ、結局、真相は、遥か昔の藪の中でして、「そういう考え方もある」という程度の受け取り方しかできません。
【疑惑】 約56ページ
1982年(昭和57年)2月に、「オール讀物」に掲載されたもの。 原題は、【昇る足音】。
新潟の資産家が、東京で知り合ったバーの女を後妻に迎えるが、すぐに3億円の保険をかけられたかと思うと、二人で乗った車が、埠頭から海へ飛び込み、夫の方が死んでしまった。 新聞記者による偏った攻撃で、世論が盛り上がり、後妻が犯人と見做され、逮捕される。 裁判の途中で、弁護士が国選に変わり、「これで、無罪はありえない」と、記者は喜んだが・・・、という話。
こんな梗概を書くまでもなく、【疑惑】を、映画かドラマで見た事がない人は、日本国内に、いないと思います。 映像化された松本作品の中では、【砂の器】と双璧をなすほど、知名度が高いです。 法廷物で、映像化に、あまりお金がかからないので、特にドラマに限れば、作品数が多い分、こちらの方が、知っている人は多いでしょう。
二段組みで、56ページというと、文庫なら、100ページを超えると思いますが、所詮、その程度の長さでして、原作が、長編でなかったとは、ついぞ、知りませんでした。 球磨子について書かれた部分が最も多いですが、次が新聞記者でして、視点人物は、明らかに、新聞記者です。 映像作品で視点人物になる弁護士は、客観視されるに過ぎません。
驚いたのは、ラストでして、どの映像作品とも、全く異なります。 「えっ! こういう話だったの?」と、アハ体験を起こすほど、意外。 映像作品を一つも見ていなければ、別段、意外とは感じないと思いますが、何せ、ほとんどの人が見ているだろうから、ほとんどの人が、意外さを感じるでしょう。
それはさておき、靴とスパナの謎は、原作は勿論、どの映像作品でも取り入れられていますが、現実には、危うい感じがしますねえ。 靴を横にしたのでは、不安定ですから、ズレてしまうでしょう。 松本さんは、科学技術方面に弱いところがあって、特に、車に関しては、現実的でない謎やトリックが、よく出て来ます。 これだけ有名な作品の、中心的な謎が、おぞいというのも、意外です。
【断崖】 約11ページ
1982年(昭和57年)5月に、「新潮45+」に掲載されたもの。
自殺者が多い、北海道の海岸。 見回り担当の初老の男が、ある晩、死に切れなくて、戸を叩いて来た女を助ける。 女は、熱を出して寝込んでしまい、その様子に、劣情を刺激された男は、夜中に忍んで行って・・・、という話。
松本作品に、「大人の話」というイメージをもっている人達は、性描写も多いと思っているかも知れませんが、実は、それほどでもありません。 淫靡な雰囲気は好むけれど、官能表現は、肌に合わなかったんじゃない過渡思います。 小松左京さんは、SFを一般小説誌に載せるに当って、編集者から、「エロを入れろ」と、しょっちゅう、催促されていたらしいですが、松本さんには、そういう圧力がなかった様子。
初老の男のやった行為に、女が気づいていないらしいという点が、話の肝でして、「気づかれていないのなら、こういう結末になるのは、おかしいのではないか?」と思う読者もいると思いますが、自分で自分のやった事を許せない人というのもいるわけだ。
【思託と元開】 約28ページ
1983年(昭和58年)9月、10月に、「文藝春秋」に分載されたもの。
日本に渡ろうとして、5回失敗し、6回目で成功した事で有名な、鑑真和上。 ところが、鑑真が、当時の唐で、別段、高名な僧侶ではなかった事や、5回失敗したという話が、眉唾物である事など、鑑真の伝記に疑義を挟んだ、論文。
ここまで来ると、もはや、小説とは言えません。 入れ子式に、著者の中国旅行の話で挟んで、辛うじて、小説っぽくしようとしていますが、これを小説と取る読者は、いますまい。 これは、歴史学の論文です。
鑑真の伝記は、思託という、たった一人の人物が書いたものが元になっていて、他の資料で裏が取れないので、記述を鵜呑みにするのは、危険だとの事。 「5回難破したのは、作り話」というのは、そういう事もあるか、と思いますが、「そもそも、鑑真は、唐の一地方に限り有名だったに過ぎず、全国規模では、二流三流の僧だった」というのは、ショッキングですな。 しかし、反論するにも、材料がありません。
おそらく、松本さんが書いている事が正しいんでしょうけど・・・、何だか、白けてしまったなあ。 こんな事は、知らないまま、「鑑真和上は、立派な人」と信じて、人生を終えた方が、幸せだったような気がします。
【信号】 約34ページ
1984年(昭和59年)2・4・6月に、「文藝春秋」に隔月連載されたもの。
有名な文学賞を獲って、瀬戸内の地元では、純文学の同人誌を主催している人気作家。 親分肌で、同人の面倒見が良かった。 同じ文学賞を獲った、もう一人は作家は、その後が続かずに、仕事が減って、食うにも困っていたのを、人気作家が、一つの家に同居する事で、助けていた。 同人の中には、その不人気作家を痛烈に批判する者がいて・・・、という話。
とりとめがないですな。 ストーリーらしきものは、ありません。 小説というより、同人の世界を観察した記録というべきか。 それにしては、小説っぽいですが、それは、客観的な視点人物を置いている効果に過ぎず、やはり、小説という感じは薄いです。
こういうシチュエーションは、同人雑誌の世界ではよくある事だと思います。 同人作家としては、実力があるのに、出版社の雑誌には相手にされないという、自称・作家は、掃いて捨てるほどいるわけですな。 いや、今はもう、出版社の雑誌に書いている作家でさえ、有名人とは言えませんが、それはさておき、ネット時代以前までは、こんな状況が続いていたんでしょう。
ラストで、不人気作家や同人の面子が、無残な死に方をして行きますが、淡々とした記述で、そこが面白いというわけではないです。 むしろ、人気作家が、どんな死に方をしたのか、そちらの方が、気になります。 同じくらい、惨めだったと思うのですが。
【老十九年の推歩】 約34ページ
1984年(昭和59年)10月、11月、1985年1月に、「文藝春秋」に断続的に連載されたもの。
最初の実測日本地図を作った、伊能忠敬、および、その弟子筋に当たる間宮林蔵について、考証した内容。
これは、小説とは言えません。 歴史学の論文と見るには、主観が強過ぎるので、歴史関係の随筆と言えば、一番、近いでしょうか。 地図を作ろうと発起する前の、伊能忠敬の半生について、深く掘り下げています。 単なる、造り酒屋の主人だったのに、よく、これだけ、資料が残っているものだと、そちらの方に、驚きます。
間宮林蔵について、中途半端な触れ方をしているのは、伊能忠敬と関係した部分だけ書いているから。 間宮の部分は、なくてもいいと思いますが、枚数の指定があって、入れたのかもしれません。
特に興味がある人を除き、じっくり読んでも、読んだ端から、抜けて行ってしまうと思うので、飛ばし読みをお薦めします。 歴史考証は、松本さんの趣味に過ぎないので、律儀につきあう必要はないと思います。
【泥炭地】 約18ページ
1989年(平成元年)3月に、「文學界」に掲載されたもの。
溺愛されたせいで、心身ともに虚弱に育ってしまった少年。 半ば、なりゆきで、電気会社の出張所に、給士(雑用係)として勤めるが、なかなか、給料が上がらず、社員に昇格もさせてもらえない。 それどころか、上司が入れ代わり、人員整理で、クビになる恐れさえ出て来て・・・、という話。
この梗概、【河西電気出張所】(1974年)と、全く同じものですが、実際、作品の内容も、ほぼ、同じです。 どうやら、松本さんの実体験を元にして書いた、私小説である様子。 道理で、何を伝えたいのか、よく分からなかったわけだ。 実話なら実話でいいんですが、この二作、内容に異動が見られ、もしかしたら、創作が含まれているかも知れず、油断なりませんな。 この二作を読んでも、松本さんの自伝的小説とは決めつけない方がいいと思います。
【削除の復元】 約32ページ
1990年(平成2年)1月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。
ある小説家が以前書いた、森鴎外に関する作品について、読者から質問の手紙が届く。 鴎外の【小倉日記】に、紙で覆った削除部分があり、その記述から、家政婦が鴎外に嘘をついていた事が分かる。 小説家自身も現地に赴くが、目的を達せず、後輩に頼んで、引き続き、調査を進めてもらったところ、鴎外とその家政婦の関係が、思わぬものだった事が分かり・・・、という話。
小説家は、架空の人物になっていますが、松本さん本人がモデルでしょう。 ちなみに、【或る「小倉日記」伝】(1952年)は、松本さんが、芥川賞を獲った作品。 まだ、読んでいないのですが、名前だけは知っています。 【鴎外の婢】(1969年)でも、【小倉日記】を元にしたモチーフが使われています。 よほど、【小倉日記】に惚れ込んでいたんでしょうね。
しかし、読者も、作者と同じとは限りません。 森鴎外にも、【小倉日記】にも、興味がない者には、なんで、こんなに拘るのか、その執着の源泉が分かりません。 しかも、直接の対象は、森鴎外本人ではなく、その家政婦なのです。 家政婦だからといって、作家や軍医より価値が落ちるとは思いませんが、そういう市井の人達の人生を掘り下げるというのなら、その対称は、無限に広まってしまうのではないでしょうか。
≪松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝 短編1≫
松本清張全集 35
文藝春秋 1972年7月20日/初版 2008年8月25日/8版
松本清張 著
沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。 二段組みで、短編28作を収録。 多いな。 読む前から、頭が、クラクラします。 読むのは、いいんですよ。 感想を書くのが、大変なのです。
【西郷札】 約30ページ
1951年(昭和26年)3月に、「週刊朝日春季増刊号」に掲載されたもの。
西南戦争の末期に、薩軍が発行した紙幣、西郷札の製作に関わった、旧薩摩藩士。 辛くも生き残って、郷里に帰ったが、家は焼け、家族は行方が知れなくなっていた。 身一つで東京へ出て、車引きで食べていたところ、大蔵省の官僚に嫁いだ、腹違いの妹と再会する。 ある商人から、西郷札の政府買い上げについて、義妹の夫の大蔵官僚に進言してくれと頼まれ、話が進むが・・・、という話。
松本さんの処女作。 新聞者の地方支局に勤めながら、こういう作品を書いていたとの事。 意外なくらい、容易く、雑誌社の目にとまり、ポンポンとプロの小説家になって行くのですが、処女作からして、この内容の濃さであれば、むべなるかな、という感じですな。 面白いというより、「この人の書いたものを、もっと読みたい」という気持ちにさせるのです。
小説としては、そんな面白いものではありません。 西郷札のモチーフと、人情物、というか、お涙頂戴の読ませどころが、一致しておらず、合わせ技で一本という趣きなのです。 松本さんの作品は、情報量が多さで、圧倒されてしまうのですが、ストーリー・テラーとしては、今一つ、極意を会得しきれていないのでは、と思わせるところがあります。 処女作も、その例に漏れず。
【くるま宿】 約14ページ
1951年(昭和26年)12月に、「富士」に掲載されたもの。
明治初頭。 病気の娘を抱え、40歳過ぎて、車引き屋に、弟子入りした男。 仲間から、「おじさん」と、からかい半分、労わり半分の扱いを受けていたが、ある時、隣の家に士族が数人、強盗が入ったのを、瞬く間に倒してしまう。 その後、車引き同士の喧嘩を収める為に出向いていった官僚の屋敷で、彼の顔を見て、驚く者がいて・・・、という話。
時代劇映画ですな。 【無法松の一生】と似た匂いがします。 つまり、任侠を見せて、読者を感動させたいわけですが、どうも、松本さんらしくないですねえ。 こういうのは、時代小説作家に任せておく方が、いいと思います。
【或る「小倉日記」伝】 約26ページ
1952年(昭和27年)9月に、「三田文学」に掲載されたもの。
生まれつき、半身が不自由だったが、学校の成績は、抜群に良かった青年。 外見と、言語不明瞭のせいで、就職はできず、母親と二人で、母方の先祖が遺した家作で暮らしていた。 ある時、所在が知れなくなっていた、森鴎外の【小倉日記】の内容を復元する事を思い立ち、調査を始める。 困難を乗り越え、資料を集めて行くが、やがて、戦局が悪化し、彼の健康状態も悪化して・・・、という話。
タイトルだけ見て、森鴎外の話かと思っていたのですが、全然、違いました。 鴎外と【小倉日記】は、モチーフに使われているだけです。 芥川賞受賞作ですが、当時の芥川賞は、今より遥かに地味な賞だったそうで、この作品も、決して、傑作、快作と褒め称えるような内容ではないです。
不憫な親子ですが、息子側からしてみれば、最後まで、母親が面倒を見てくれたのは、幸福だったでしょう。 その意味では、この母親は、母親としての責務を、完璧に果たしたといえます。 傍から見ると、息子とは、少し距離を置いて、再婚した方が良かったような気もしますが。
一番、記憶に残るのは、息子に優しくしてくれた若い女性に、母親が、嫁に来てくれないか打診したところ、あっさり断られ、あまつさえ、「そんな気でいたのか」と、馬鹿にされたという件り。 その部分だけ、純文学。 これは、痛いですな。 息子は勿論、母親も、読者も、心が痛い。 それなら、最初から、優しくなどしなければ良いものを。 八方美人の罪なところです。 誰にでも優しくして、自分のイメージを良くしようというのは、明らかに、考えが足りません。
【梟示抄】 約20ページ
1953年(昭和28年)2月に、「別冊文藝春秋32号」に掲載されたもの。
佐賀の乱で敗れて逃走した江藤新平らが、薩摩で、西郷隆盛に拒まれて、土佐に渡るが、そこでも、官憲に追われ・・・、という話。
小説というより、歴史そのもの。 歴史を題材にした小説は、どこが歴史の定説で、どこが作者の自説で、どこがフィクションなのか、判別がつかないところが、困ります。 この作品に書かれている事が、全て、歴史の定説と仮定した場合、佐賀の乱以降の、江藤新平の事を大雑把に知りたいのなら、適当な作品なのでは。
【啾々吟】 約24ページ
1953年(昭和28年)3月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
佐賀藩で、藩主の子と同じ日に生まれた、家老の子と、軽輩藩士の子。 二人とも、若君の学友として育つが、軽輩の子が、他を圧倒して、学問に優れていた。 ところが、身分が低いせいで、出世がおぼつかず、恋にも破れ、幕末の動乱期に、藩から姿を消してしまう。 明治になり、家老の子と、軽輩の子が、ひょんな事から出会い・・・、という話。
これは、フィクションでしょう。 若君と生まれた日が同じというのは、あまり深い意味はないです。 割と普通の時代小説。 特に、ある娘を、友の許婚者と知らずに、その友に、仲立ちを頼んでしまい、国もとを留守にしている間に、友と娘が結婚してしまう件りは、よくあるパターン。 普通だったら、そういう雲行きになった時点で、「いやいや、あれは、俺の許婚者なのだ」と言えば済む事で、かなり、不自然です。
結末は呆気ないもので、何が言いたいのか、良く分からない話になっています。 強いて読み取るなら、優れていても、人気がない人間は、暗い人生にならざるを得ないという事でしょうか。 しかし、教訓を汲むにしては、話の出来が良くありません。
【戦国権謀】 約20ページ
1953年(昭和28年)4月に、「別冊文藝春秋33号」に掲載されたもの。
一度は、家康の元から離れながら、諸国を放浪した後、本能寺の変を機会に帰参し、以後、家康の最も信頼する家臣となった、本多正信。 武功がないにも拘らず、武功でのしあがった重臣たちを次々と失脚させて、実権を握っていく。 子の正純も、父の実権を受け継いだが、父と違い、欲があったせいで・・・、という話。
ほぼ、歴史そのままだと思います。 そのままでも、小説になると踏んだ場合は、そうしたわけですな。 歴史に興味がある人なら、十二分に面白いと感じると思います。 人間性も描き込まれていて、読み応え、あり。 後ろの方で、「宇都宮城 吊り天井」の話の元になった事件が出て来ます。
【菊枕】 約17ページ
1953年(昭和28年)8月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。
中学校の美術教師と結婚し、その後、俳句を始めた女。 俳人として名が通るようになり、一流人士とつきあうようになるに連れ、社会的身分の低い夫が疎ましくてならなくなる。 全国的に高名な俳句の師匠に傾倒して、追いかけ回していたが、その度が過ぎて・・・、という話。
実在の人物をモデルに、名前を変えて、小説にしたもの。 この主人公は、後に書かれる、【月光】(1966年)にも、ちょっと出て来ます。 【月光】の方は、小説というより、伝記でしたが、こちらは、より、小説らしい作品になっています。 主人公が、大変、変わった人物なので、もそれだけで、興味を引くというわけ。
精神異常ではないが、明らかに、性格異常ですな。 それも、最初から。 自分自身が才能の持ち主なのに、より高名な人物に寄生する事に幸福を見出すという、大きな矛盾を抱えています。 この人にとって、自分の俳句の才能は、師匠に近づく為の道具に過ぎないのです。 師匠にくっついていないと、いても立ってもいられないのは、依存症の一種なんですかねえ。
【火の記憶】 約14ページ
1953年(昭和28年)10月に、「小説公園」に掲載されたもの。
ある女性の結婚相手の男には、身よりがなかった。 母親とは死別したが、父親は、それよりずっと前に、行方不明になっていた。 父の事は全く覚えていなかったが、子供の頃の遠い記憶として、母が、父とは別の男に会いに行っていた様子を覚えていて、母が父を裏切って、浮気をしていたに違いないと思い込んでいたが、実は・・・、という話。
【家紋】(1967年)に、一部、似ています。 こちらを元にして、後に、【家紋】が書かれたのだと思います。 しかし、幾分、推理もの仕立てになっていて、作品の雰囲気は、だいぶ、違います。 少し、設定が煩雑過ぎる難点あり。 話に奥行きを持たせようと、捻っている内に、捻り過ぎてしまったのでは?
【贋札つくり】 約16ページ
1953年(昭和28年)12月に、「別冊文藝春秋37号」に掲載されたもの。
明治初頭、廃藩置県の前。 財政が窮迫した福岡藩で、一部の家臣だけが謀議して、贋札つくりを始める。 計画に無理があり、小さな綻びから、露顕して行く話。
実話らしいです。 贋札つくりは、当時、他の藩でもやっていて、たまたま、福岡藩はバレてしまったから、歴史に残ったとの事。
違法と知りつつ手を染めた家臣たちは、藩の為になると思って、処罰を覚悟していたものの、いざ、露顕してみると、藩内からも、散々な批判を受け、残された家族の面倒を見てもらう当ても外れたとの事。 「違法行為でも、忠義の為なら許される」という発想は、赤穂浪士の討ち入り事件に通じるものがあります。 実際には、許されないわけですが。 法治主義と、封建思想のぶつかり合いですな。
【湖畔の人】 約14ページ
1954年(昭和29年)2月に、「別冊文藝春秋38号」に掲載されたもの。
父・徳川家康に疎まれて、各地を転々とした後、諏訪湖畔で死んだ、松平忠輝。 ある新聞記者が、様々な職場を転々とした後、諏訪支局に配属になるが、忠輝と自分の境遇が似ている事に気づき、感慨を覚える話。
一般小説と、歴史小説が混ざり合っている、変わった作品。 新聞記者の方は、よくある話ですが、忠輝の人生の方は、歴史に興味がある読者には、面白いと思います。 どちらの人生も、些か、寂し過ぎるのが、難点でしょうか。 松本さんの作品は、初期の頃の方が、うら寂しい、枯れた雰囲気が強いですな。 後期に向かうに従い、欲の皮が突っ張った、煮ても焼いても食えないような、ふてぶてしい人物ばかり出て来るようになります。
【転変】 約18ページ
1954年(昭和29年)5月に、「小説公園」に掲載されたもの。
元は、秀吉の家臣だった福島正則が、石田三成が憎いばかりに、関が原で家康側につき、大功を挙げて、50万石の大大名となる。 ところが、石田三成が嫌いだっただけで、豊臣家には恩顧を感じていたので、大阪の陣では、家康に警戒されて、江戸に留め置かれる。 豊臣家の滅亡を指を咥えて見ていた自分が情けなく、酒に溺れては、家臣をいたぶっていたのが、幕府の耳に入り・・・、という話。
なるほど、福島正則というのは、後半生、こういう人だったわけだ。 歴史上の人物の伝記として分かり易い上に、小説としてもね面白いです。 ただ、講談調とは違いますが、文章が、名調子過ぎて、「もしや、作者の創作が、少なからず入っているのでは?」と疑いたくなるのも事実。 そういう事は、作家を問わず、歴史小説全てに言える事ではありますが。
【情死傍観】 約12ページ
1954年(昭和29年)9月に、「小説公園」に掲載されたもの。
阿蘇山の火口近くで、自殺志願者に声をかけて、何百人も助けて来た老人。 ある時、以前、心中するところを助けてやった、女の方が、他の男と阿蘇観光に来ているのを見て、呆れてしまう。 その直後、心中しかけている、別の若い二人連れを見かけるが、助けようという気になれず・・・、という話。
深読みをしない人なら、面白いと思うと思います。 変則的な入れ子式になっていて、作者(松本さんではなく、一人称で書いている、この作品の作者)が、阿蘇の救助小屋の老人から聞いた話を元に、かつて書いた小説があり、それを読んだ女性が、「小説の中に出てくる女は、私だ」という手紙を送って来るという趣向で、大変、入り組んでいます。
深読みをすると、気になるところがあります。 手紙をよこした女性はいいとして、老人の方は、その時の気持ちの問題で、若い二人連れを助けなかった事が、この小説によって、世間に知られたら、まずいんじゃないですかね。 「助けなかった部分は、創作だ」と、作中の作者は断っていますが、老人は、作中で実在するわけだから、創作であっても、不名誉な扱いには、問題が起こるはずです。 阿蘇で、救助活動をしていいる老人は、数が限られているわけだから、すぐに、誰の事だか分かってしまうではありませんか。
つまり、作中の世界で、この小説は、老人から来るであろう苦情なしには、成り立たないのです。 話もややこしいが、問題点もややこしいですな。
【断碑】 約28ページ
1954年(昭和29年)12月に、「別冊文藝春秋43号」に掲載されたもの。 原題は、【風雷断碑】。
昭和初期に名が知られていた考古学者の半生記。 学歴が低く、奈良県の代用教員から始め、知人学者の伝で、東京に出、斬新な研究で、考古学界に新風を巻き込むが、周囲に敬意を払わない性格から、敵ばかり作り、居場所を失って、惨めな末路を辿る話。
名前は変えてありますが、モデルがいた、実話。 性格に問題があって、学問の方で失敗するのは、自業自得だから、まあ、いいとして、結核を家に持ち込み、妻にうつして、先に死なせてしまうのは、腹が立ちます。 つまり、この男、社会人としても、家庭人としても、出来損ないなのです。 こういう人間は、どんなに、いい仕事をしようが、認めない方がいいです。 人を人とも思っていないのだから、どれだけ、周囲に害毒を撒き散らすか分からない。
とはいえ、モデルがいるというのは、ちと、引っ掛かるところで、読者に、主人公に対して、憎悪しか感じさせないような書き方をしていますが、子孫や、弟子の方々は、これを読んで、怒らないものですかね? あとがきによると、多くの関係者に取材したとありますが
、その結果が、この作品で、問題にならなかったという事は、本当に、こういう人だったんですかね? 「学者は、皆、変人だ」とはいうものの、度を越していると思うのですが。
【恋情】 約26ページ
1955年(昭和30年)1月に、「小説公園」に掲載されたもの。 原題は、【孤情】。
支藩の藩主の息子、本藩の藩主の娘と、いいなずけのような関係にあったが、明治になってから、伯爵になった本藩の藩主の勧めで、イギリスへ留学する事になる。 ところが、留守の間に、本藩藩主の娘が、さる宮家に嫁いでしまう。 男爵だった父親が死に、帰国して、爵位を受け継ぐが、結婚する気もなく、鬱々として暮らす。 宮家を亡き者にする計画も思いついたが、機会がなく・・・、という話。
何だか、貴族や重臣の子の間で、よくある悲恋物のような趣きですが、ラストは、恋愛哲学的な纏め方になっており、ただの恋愛物とは、一線を画します。 相手の女の方の心理が、全く書かれておらず、主人公が想像するだけなのですが、些か、主人公に都合が良過ぎる解釈で、「本当に、相手は、そう思っているのかなあ?」と疑いたくなります。
【特技】 約12ページ
1955年(昭和30年)5月に、「新潮」に掲載されたもの。
細川忠興の家中に、鉄砲の名手で、各地の大名から請われて、その家臣たちに、射撃技術を伝えていた男がいた。 細川忠興からは、ガラシャ夫人の最期を守るよう言われていたのを、敵方にいた弟子から説得されて、逃亡した事で、恨まれてしまう。 晩年の家康に招かれて、射撃の師となるが、家康が、自分を見る目に、場合によって、二つの色がある事に気づき・・・、という話。
特殊な技術をもった者が、その技術に対しては、敬意を払われるが、人間性の評価に関しては、全く別だと言いたい話。 確かに、その通りですな。 現代社会でも、そういう二面性を以て評価される人達は、多いと思います。 歴史小説で、こういうテーマを掲げるのは、松本さんならではです。
【面貌】 約16ページ
1955年(昭和30年)5月に、「小説公園」に掲載されたもの。
【湖畔の人】に出てきた、松平忠輝の一生を書いたもの。
神君家康公の実子なのに、細かく書いても、16ページとは、短いですが、そのくらいの資料しか残っていないのでしょう。 創作エピソードで膨らませていないようなので、ほぼ、資料のままと思っていいのでは。 歴史小説は、創作が入っていると、鵜呑みにできなくて、却って困るので、このくらいの方が、ありがたいです。
タイトルは、忠輝の顔が、憎らしいものだった事から来ていますが、特に、その点だけ、多く取り上げているという事はありません。 家康に疎まれたのは史実ですが、その理由が、顔のせいだけだったのかは、疑問が残るところです。 晩年は、地方で幽閉ですが、別に殺されたわけではないので、大藩の大名などしているより、むしろ、気楽で良かったかも知れませんな。
【赤いくじ】 約22ページ
1955年(昭和30年)6月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
戦争末期、朝鮮南部のある町に駐屯していた日本軍部隊の中で、軍医と大佐が、一人の日本人夫人に、接近しようと競っていた。 女性は、美しいだけでなく、高い教養があり、無理やり関係を迫るという考えは、どちらの男も浮かばなかった。 ところが、敗戦。 進駐して来る米軍から、戦犯扱いされないように、慰安婦を差し出そうという相談になり、人選の為に、一定条件を満たす日本人女性達に、くじを引かせたところ、例の夫人が当ってしまい・・・、という話。
この梗概だけだと、別の展開を予想する人が多いと思いますが、この作品には、心理学的なテーマがあり、おそらく、誰も予想できないような展開になります。 それまで、その人物に対して抱いていたイメージが、ある事をきっかけに、雲散霧消してしまい、堪えていた欲望が噴出するわけです。 ありふれた予想を許さない点で、面白い作品だと思います。
【笛壺】 約16ページ
1955年(昭和30年)6月に、「文藝春秋」に掲載されたもの。
かつて、「延喜式」について、評価の高い研究をした歴史学者が、妻子があったにも拘らず、20歳も若い女に引っ掛かって、身を持ち崩した、そのきっかけを回想する話。
前に、他の作品で読んだようなモチーフが使われていますが、発表年は、こちらの方が早いから、それらの作品の、元になったのが、これだったんでしょうな。 面白さを感じるような作品でないです。 タイトルは、ある形式の土器の事ですが、とってつけたようなモチーフで、メインのストーリーと、ほとんど、関係がありません。
【山師】 約18ページ
1955年(昭和30年)6月に、「別冊文藝春秋46号」に掲載されたもの。 原題は、【家康と山師】。
徳川家康に仕え、佐渡や、石見、伊豆などの、金銀山を開発した、大久保長安の伝記。
あとがきにも書かれていますが、【特技】と同じ趣向です。 幕府の財政の基礎を作るという大功を上げ、自分より偉い者が、家康だけになった結果、精神的な圧迫が強くなり、倹約好きの家康に逆らって、奢侈に走った、というのですが、【特技】と比べると、複雑過ぎて、分かり難いですな。
鉱山開発技術について、普通の人間では知らないような事が書いてあるので、興味がある向きには、面白いのでは? 甲府の技術が一番進んでいて、佐渡は、旧領主の上杉氏が原始的な掘り方をしていたのを、家康の直轄地になってから、長安が最新技術を入れ、再開発したのだとか。 鉱脈がある場所が分かっているのですから、効率的なやり方ですな。
【腹中の敵】 約16ページ
1955年(昭和30年)8月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
織田信長の重臣、丹羽長秀。 遥か後輩の秀吉から慕われていた頃の気分の良さが忘れられず、信長の死後、秀吉の肩をもち、結果的に、秀吉が天下人になるのを助けてしまう。 大いに悔いるが、もはや、何もできず、健康を害して行く話。
丹羽長秀という名前は知っていましたが、こういう人だったんですねえ。 大河ドラマなんて、何本見ても、ちっとも、勉強にならんのう。 あとがきにも書いてありますが、現代でも、こういう人はいると思います。 本音と建前が違うのに、つまらない理由で、建前を優先している内に、自分の足場すら失ってしまうタイプが。
【尊厳】 約12ページ
1955年(昭和30年)9月に、「小説公園」に掲載されたもの。
地方の街に、皇族が来る事になり、サイド・カーを運転して、車列の先導をするように命じられた警官。 緊張のし過ぎで、道順を間違えてしまい、警察署長に続いて、自殺する事になる。 戦後になって、その皇族が、何の特権もない一般人になってしまうと、警官の息子は、そんな人間の為に父親が命を絶った事に納得が行かず・・・、という話。
これは、元になった実話がありますが、相当、変えてあります。 実話の方では、皇族ではなく、天皇そのもの。 確か、警官の自殺は、未遂で終わったのでは? それでは、小説にできないので、皇族にしたわけですが、いろいろと、工夫は施されているものの、このラストは、ちょっと、復讐になっていないような気もしますねえ。
【父系の指】 約26ページ
1955年(昭和30年)9月に、「新潮」に掲載されたもの。
幼い頃に、養子に出されてから、不運が続き、生活能力に欠け、まともな職が長続きしない人間になってしまった父親。 そんな父親から、故郷の事を聞かされていた息子が、大人になってから、父親の故郷を訪ねたり、東京で成功した、父親の弟の家を訪ねたりする話。
松本さんの父親と、松本さん本人の伝記。 しかし、あとがきによると、事実をそのまま小説にするのを嫌い、かなり変えてあるようです。 あまりにも、駄目な父親なので、松本さんのような息子が生まれ育ったのが、不思議な気がしますが、学歴はなかったものの、新聞を熟読していたお陰で、政治知識はあったとの事。 また、人が良かったというのも、救いですな。
父親の弟の邸宅を訪ねて行く件りは、おそらく、創作だと思われます。 なぜかというと、あまりにも、小説的だから。 もし、この件りが、実話だとすると、後年、松本さんが、日本中に知らない者がいない大作家になってから、この叔父さんの一族は、驚いたでしょうねえ。 親戚を自慢に思うよりも、むしろ、先祖の財産で暮らしている自分達の生活を恥じたんじゃないでしょうか。
【石の骨】 約22ページ
1955年(昭和30年)10月に、「別冊文藝春秋48号」に掲載されたもの。
ある考古学者が、嵐で崩れた崖から、旧石器時代の人骨を発見するが、専門外だったせいで、学会からは、まともに相手にされない。 更に、空襲で家を焼かれ、大切な人骨を失ってしまう。 だいぶ歳月が経ってから、高名な学者に人骨の価値が認められ、学名が付くが、それには、裏があり・・・、という話。
明石原人の骨を発見した学者の伝記を元にした作品。 名前は変えられています。 学者の世界の、欲望剥き出しの醜い争いが描かれていますが、こんな連中を尊敬するのは、無意味としか言いようがありませんな。 主人公にしてからが、人骨の発掘に夢中になるあまり、家族を犠牲にした点は、実話ならば、呆れた話。 こんな人間に、家庭を持つ資格はないです。
【柳生一族】 約16ページ
1955年(昭和30年)10月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
徳川将軍家・剣術指南となった柳生家の、戦国末から、江戸初期までの、主だった人物に纏わるエピソードを辿ったもの。
主だった人物というのは、有名な柳生十兵衛、その父、祖父の、三人です。 年代順に、出て来ます。 他に、関係者のエピソードも挟まります。 みんな、物語風に、脚色されているように感じられますが、松本さんが色をつけたわけではなく、元の話が、そんななのでしょう。 柳生の剣術が、元から最強だったわけではなく、その師匠がいたというのが、面白いです。 十兵衛の最期が、いかがわしい病気で、早死にだったとうのが、意外。
【廃物】 約12ページ
1955年(昭和30年)10月に、「文藝」に掲載されたもの。 原題は、【三河物語】。
「最後の三河武士」と言われた大久保彦左衛門。 その臨終の床に集まった面々が、彦左衛門の頑固で意固地な性格を表すエピソードを語り合うが、それを夢うつつに聞いている彦左衛門は、自分が、太平の世になって、全く時代遅れの厄介者になってしまっていた事を嘆く話。
見舞い客は、彦左衛門が、意固地な「三河武士」である事を、褒めていたわけですが、当の本人は、「三河武士」なんぞ、何の価値もなくなっている事を、とうに悟っており、大いに白けているという格好です。 「狡兎死して、走狗烹らる」というわけですな。 彦左衛門は、煮られはしなかったわけですが、禄高が、たったの二千石だったそうで、それは、確かに、冷遇だわ。
【青のある断層】 約22ページ
1955年(昭和30年)11月に、「オール讀物」に掲載されたもの。
画商の指導で、人気は出たが、ピークを過ぎて、思うように作品が描けなくなっていた画家がいた。 ある時、その画商の所に、若い素人画家が絵を持ち込む。 技巧的には、全く駄目だったが、エスプリを感じさせるものがあり、画商は、その絵を買い取った。 十数枚、買ってもらってから、若い画家は、おかしいと思い始め、他の画商に持ち込むと、相手にもされず・・・、という話。
贋作物の、変化球タイプ。 モチーフではなく、アイデアでもなく、エスプリだけ戴くという、高度なパクリですな。 画商は、若い画家にお金を払っているわけで、不正行為をしているわけではないです。 若い画家が、先生について、技巧を学んだ途端に、エスプリが消えてしまい、画商からお払い箱にされるというのが、皮肉。 努力が裏目に出たわけだ。
【奉公人組】 約12ページ
1955年(昭和30年)12月に、「別冊文藝春秋49号」に掲載されたもの。
江戸初期。 太平の世になってから、武家の奉公人になった者は、主従の紐帯が弱く、奉公人側の忠義など望むべくもないのは当然の事、主の方も、奉公人を大事にしようとは思わず、些細な事で、手討ちにする事も多かった。 多くの家に仕え、修羅場を潜って来た男が、奉公人同士の組合を作って、主の好き勝手な仕置きに対抗しようとする話。
まさに、組合なんですが、労働組合のような、ストや団体交渉といった戦術があるわけでもなく、奉公人の誰かが殺されたら、組合に所属している、他の家の奉公人が、その仇を討つという、かなり、野蛮なもの。 当然、無事では済まず、仇を討った者も殺されるわけで、とても、効果がある対策とは思えません。
そうは言っても、江戸時代に、こういう事をやっていた人間が実在したというのは、驚きですな。 ラストの拷問場面は、読むに耐えません。 そこも、実話なら、致し方ありませんが。
【張込み】 約16ページ
1955年(昭和30年)12月に、「小説新潮」に掲載されたもの。
二人組の強盗殺人犯の内、一人が逃走した。 一人の刑事が、九州のある町まで行き、かつて、犯人が交際してた女性が住む家の近くに泊まり、張り込みを始める。 女は、20歳も年上の男と結婚し、継子3人の世話をしながら、笑顔の一つも出ない生活をしていた。 やがて、女が、いつもとは、ほんの少し違う服装で出かけて行くのを見て、刑事は・・・、という話。
松本さんが、推理小説に向かう、きっかけになった作品との事。 しかし、推理の要素は、希薄で、犯罪を扱った、純文学、もしくは、一般小説というべきもの。 推理小説的というなら、【火の記憶】(1953年)の方が、それらしいです。
強盗殺人犯と知りながら、昔の男の呼び出しに、いそいそと応じる、この女性の気持ちが、よく伝わって来ます。 昔の男を愛していたから、というより、後妻の生活に息が詰まり、非日常に食み出したくて、仕方なかったんでしょうな。
何度も、映像化されているようですが、1時間ならともかく、2時間近い作品にするとなると、この原作では、明らかに、短過ぎです。 よほど、膨らませてあるのでしょうが、こういう、一点、急所を狙って、スパッと切るような味わいの小説は、膨らませて、尾鰭を付けると、台なしになってしまう事が多く、見てみたいような、見てみたくないような、微妙な気分ですな。
以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、
≪松本清張全集 38 皿倉学説 短編4≫が、5月17日から、23日。
≪松本清張全集 56 東経139度線 短編5≫が、5月27日から、6月5日まで。
≪松本清張全集 66 老公 短編6≫が、6月9日から、19日まで。
≪松本清張全集 35 或る「小倉日記」伝 短編1≫が、6月21日から、30日まで。
これは、長い。 今回は、マジで長かった。 短編集、恐るべし。 よくぞ、これだけ、感想文を書いたものです。 自分を誉めてあげたい。 ちなみに、読む方は、むしろ、楽しいです。 私の場合、借りて来たものだから、そうは行きませんが、短編は、割と容易に内容を忘れるので、買ったものなら、何度でも読み返して楽しめます。 その点、読み返すとなったら、時間と覚悟が必要になる長編とは、比較になりません。