2021/12/26

私の2021年

  恒例なので、今年最後の更新で、一年を振り返ろうと思います。 毎年書いていますが、全て、私個人の身の周りで起こった事に限定し、世間で起きた事は、極力、書きません。




  例年通り、個人年表から、何が起こったかを振り返ります。

[2021(R3)57歳]  ワイパー・ゴム。水石鹸。Cスタンド立て。消火器。ガス警報機交換。カーテン洗い。腕痺れ。新聞銀行引落に。塩ビ樋。梅漬。裏庭水道止める。車Aガス/オイル追加。車木目SIC/O枠。車ラジオ復帰。ユ半カーキ2。ゆワイター漏水。台所TV音不出。梅干。郵定額。郵受上底。台所TVジョワイユ。ババッテリー.HL.PL交換。髭外刃。四大奇書。三体。免許更新。母不調。東木戸壊。座椅子壊。自室机灯壊。ベッド灯壊。


  これだけだと、私にしか意味が分からないので、説明しますが、去年に比べて、項目が多いから、一つ一つは、ざっと書きます。


【ワイパー・ゴム】
   車、セルボ・モードの、リヤ・ワイパー・ゴムが切れてしまい、アマゾンで買って、2月11日に、交換しました。 6月6日付け、≪セルボ・モード補修 (31)≫の記事に、詳しく書かれています。


【水石鹸】
  2014年の春に、積立預金のポイントで、ごっそり貰い、ずっと使ってきた、ハンド・ソープ、「キレイキレイ」がなくなってしまったので、アマゾンで、「カネヨの水石鹸」を、18リットル缶で買い、切り替えました。 小出し容器は、キレイキレイのものを再利用しています。 2月上旬に届き、半ばから使い始めました。


【Cスタンド立て】
  バイク、EN125-2A・鋭爽の、ハンドリングがおかしくなり、ステム・ベアリングがへたった時のような、怖い感じがし始めました。 駄目元で、それまで、サイド・スタンド立てで置いていたのを、センター・スタンド立てに変更したら、不思議な事に、ハンドリングが直ってしまいました。

  2月18日から、変更。 詳しくは、5月16日付けの、≪EN125-2A補修 ⑧≫の記事を参照の事。 ステム・ベアリングの交換をやらないですんだのは、幸運でした。 ありゃ、どえらい、難易度が高いんですわ。


【消火器】
  ガス屋が、警報機の交換に来るとの事。 その際、消火器のチェックもするというような事が、通知ハガキに書かれていたので、とっくの昔に、期限が切れていた台所の消火器を買い換えたもの。 二階の流しの下に、もっと古いのがあったので、それを、ホーム・センターに持って行って、新しいのを買う代わりに引き取ってもらいました。 3月4日の事。


【ガス警報機交換】
  3月18日に、来ました。 新型肺炎の感染対策も兼ねて、コンセントにプラグを抜き挿しする時に邪魔にならないように、台所の冷蔵庫や茶箪笥を移動したので、結構には、疲れました。 交換作業自体は、古いのを外して、新しいのを付けるだけなので、3分で終わりました。 その程度なら、私でもできたのですが。


【カーテン洗い】
  3月29日に、プレハブ離屋のカーテンを洗ったのですが、ついでにと思って、4月1日に、家中のカーテンを、全て洗いました。 疲れたな。 毎年はやりません。 3年に一回くらいで充分でしょう。


【腕痺れ】
  しっかり、日記に書いてあるのですが、4月9日の夕食過ぎから、左腕が痺れ始め、特に、左手親指は、感覚がなくなってしまいました。 ただし、動かす分には、問題ありません。 思い当たるような力仕事はしていないので、「五十肩」かと思い、ネットで症状を調べてみところ、だいぶ、重なります。 原因は分かっていないが、半年くらいで治るとの事。 どうせ、新型肺炎の時節では、病院には行けないので、様子を見る事にしました。

  6月下旬に、突然、左手親指の感覚が戻り、左腕全体の痺れも、幾分楽になりました。 今でも、完治したというわけではありませんが、ほとんど、気にせずに暮らしています。 


【新聞銀行引落に】
  5月26日に、新聞の集金人が来たのですが、そいつが、無マスク。 インターホンで応対し、「マスクをして下さい」と5回くらい、繰り返したのですが、聞こえないフリをして、帰ってしまいました。 こちらが折れて出てくるのを待っていたんでしょうな。 50代くらいのオヤジでしたが、悪質極まりない。

  数日経っても、出直して来ないので、新聞店に電話して、「今、マスクをしていない人は、言っても分からないと思うから、他の人をよこして下さい」と頼んだら、少し偉い人が来て、その人は、当然、マスクをしていました。

  次の月からも、同じような事があってはたまらないので、支払い方法を、銀行引き落としに変更しました。 その手続きにも、結構、てこずったのですが、長くなるので、詳しくは書きません。 翌月以降は、集金人が来なくなり、清々しています。

  電気・ガス・水道など、他の料金は、とっくから、引き落としになっていたのに、なぜ、新聞だけ、集金人が来ていたのかというと、父と母の、料金支払いの分担が関係しています。 新聞代は、昔から、母もちだったから、引き落としに変更せずに、ズルズルと来てしまったんですな。 母には、お金を直接支払う事で、受け取る側に対して、優越感を覚えようとする意識があったのだと思います。


【塩ビ樋】
  車置き場の、玄関ポーチの前に、水が浸み出すようになり、晴れが続いても、乾かなくなってしまいました。 近くに下りている、雨樋のせいかと思い、父の遺品の塩ビパイプを繋いで、雨樋の水を、裏庭の方に流すようにしてみました。 5月31日の事。

  しかし、この対策は、全くの見当違いで、原因は、水道管の漏れである事が、後に分かります。 とんだ無駄骨になってしまったわけですが、作るのに、一円もかけなかったのが、せめてもの慰め。


【梅漬】
  裏庭に、梅の老木があるのですが、今年は、実が多く生りました。 で、梅干しを作ろうと思い、ネットで、作り方を調べて、ビニール袋に、塩と一緒に入れ、漬け込みました。 6月初めの事。


【裏庭水道止める】
  6月13日、車置き場の水漏れが、全く止まらないので、水道の止水栓のすぐ下流の土を掘り返したところ、水道管の分岐を発見。 プレハブ離屋の前の流しで、水道を使えるように、父が分岐させ、水道管を設置したのです。 そこには、井戸水の蛇口もあって、水道は必要ないので、分岐側のパイプを切って、キャップを接着し、止めてしまいました。

  車置き場の漏水は、見る見る内に乾いて行きました。 やれやれ、ほっとした。 漏水していた時と、止まった後とでは、水道代が、2倍くらい違っていました。 とっくに直せば良かった。 つくづく、思うに、家の水回りは、シンプルに限ります。 少々、便利になるくらいの事で、蛇口を増やすのは、考えものです。


【車Aガス/オイル追加】
  車の、エアコンが冷えなくなり、6月15日に、ガスとオイルを追加充填しました。 詳しくは、8月22日付けの、≪セルボ・モード補修 (32)≫の記事を参照の事。

  夏の間は、よく冷えましたが、秋になったら、また、冷えなくなりました。 古い車だから、配管に漏れている箇所があるんでしょうな。 来年は、オイルを高い品に替えてみるつもりでいます。


【車木目SIC/O枠】
  ヤフオクで、車の木目部品、シフト・インジケーター・カバーと、オーディオ枠を手に入れ、6月23日に、交換しました。 詳しくは、≪セルボ・モード補修 (32)≫の記事を参照の事。

  木目部品は、確実に、気分が暗くなるのを防いでくれます。 特に、シフト・インジケーター・カバーは、よく目をやる場所なので、効果が大きいです。 換えたのは、正解でした。


【車ラジオ復帰】
  車のラジオが不調だったのを、しばらく、積極的に、電源を入れるようにしていたら、復活しました。 長い間、使わなかったから、電気が通らず、回路がおかしくなっていたんでしょうな。 よく分かりませんが。 買い換えも考えていましたが、直ったので、そっちの計画は、とりやめにしました。


【ユ半カーキ2】
  7月12日に、沼津のユニクロに初めて行き、カーキ色のチノ・ショート・パンツ(半ズボン)を、二本、買って来ました。 数年に一度しか買わないので、何年に買ったか忘れないように、年表に書き込んだ次第。 ベージュがなくて、似た色のを探したら、茶色っぽいカーキ色しかなかったのです。 セルフ・レジになっていて、店員さんに、手取り足取り、教えてもらいました。 いや、足は使わないか。


【ゆワイター漏水】
  7月下旬に、屋根に載っている、「ゆワイター」から、漏水しているのを発見。 どうも、給水弁の戻りが悪くなっている模様。 点検口を開けて、中を見てみましたが、浮き玉は、ちゃんと浮いていて、原因が分かりません。 やむなく、洗面所の窓から操作できるコックを、毎晩、手動で、開閉する事にしました。 ちなみに、私は、シャワー派なので、湯船に湯を溜めるのは、母だけです。 以来、ずっと、それでやっています。


【台所TV音不出】
  7月29日の朝の事、台所のテレビの音声が、突然、出なくなりました。 映像は出るので、隣接する居間のテレビで、同じチャンネルを出し、その音声で、台所のテレビを見ていました。 結構、面倒臭い。 一ヵ月弱、そんなやり方をしていました。


【梅干】
  6月初めに、ビニール漬けにした梅ですが、8月初めに、土用干しして、梅干しに仕上げました。 塩が多過ぎて、食べられず、水に浸けて、塩分を薄め、もう一度、干したら、何とか食べられるようになりました。 40個くらい。 全て、私と母で、食べ切りました。


【郵定額】
  8月5日に、近所の小さな郵便局へ、貯金の預け替えに行ったのですが、感染防御の為、局員が手続きしている間、建物の外に出ていて、5分くらいして、中に入ったら、隣の窓口の局員に、不審者扱いされたという、腹立たしい話。 5分前まで、自分のすぐそばにいた客の、風体を覚えていないというのだから、接客業失格です。


【郵受上底】
  大雨が降ると、郵便受けの底に水が溜まってしまって、新聞や郵便物が濡れるので、8月23日に、プラスチックの格子に、ペット・ボトルの蓋で脚を付け、上げ底を作りました。 実は、梅雨の頃から、テトラ・レプトミンの蓋5枚を並べて、応急的な上げ底にしていたのですが、蓋は、他にも使い道があるので、その代わりを作ったのです。 以後、水濡れは、起きていません。


【台所TVジョワイユ】
  台所のテレビですが、8月24日の朝の事、点けようとしたら、映像も出なくなりました。 そもそも、通電ランプが点きません。 いよいよ、買い換えざるを得なくなった次第。

  壊れたのは、2011年の8月末頃に、ネット通販で買った、「トゥルラックス 22V型 地上波デジタル フル・ハイビョン LEDテレビ」。 送料込みで、22000円でした。 10年もったので、まずまず。

  新しいテレビを、アマゾンで注文し、26日の夕方には届きました。 「ジョワイユ 24V型 地上/BS/110度CSデジタル・ハイビジョン液晶テレビ 24TVSMM-S」。 送料無料、12600円。 私と母で、6300円ずつ、折半しました。 27日に、設置。 BSチューナーもついているので、父の部屋から、ケーブルを引っ張って、台所でも、BSが見られるようにしました。


【ババッテリー.HL.PL交換】
  8月下旬に、バイクのバッテリーを交換しました。 LEDだった、ヘッド・ライト・バルブと、ポジション球も、ハロゲン球に交換。 ギア・インジケーターの、LED球の加工もしました。 詳しくは、10月17日付けの、≪EN125-2A補修 ⑫≫の記事を参照の事。


【髭外刃】
  10月上旬に、髭剃り機の、外刃の一部がめくれてしまい、アマゾンで、外刃を買って、交換しました。 廉価品の髭剃り本体と、外刃の値段を比べたら、外刃の方が、安かったのです。


【四大奇書】
  10月7日から、月末にかけて、日本の推理小説界の、「四大奇書」と言われている、≪黒死館殺人事件≫、≪ドグラ・マグラ≫、≪虚無への供物≫、≪匣の中の失楽≫を、沼津と三島の図書館で借りて、読破しました。 ≪黒死館殺人事件≫は、ともかく、他は、面白かったです。 いずれ、≪読書感想文・蔵出し≫シリーズで、紹介します。


【三体】
  三島図書館へ通ったついでに、沼津図書館では予約が立て込んでいて、なかなか借りられない、中国現代SFの世界的ベスト・セラー、≪三体≫三部作を借りて、読みました。 これは、どんなに絶賛されても、不思議ではないわ。 いずれ、≪読書感想文・蔵出し≫シリーズで、紹介します。


【免許更新】
  11月26日に、運転免許の更新に行って来ました。 写真撮影などで、マスクを外さなければならないので、感染が心配でしたが、幸運にも、認定感染者数が、地を這う少なさになっている時で、感染の危険性は、限りなく、ゼロに近く、無事に済ませる事ができました。

  前回、一度、不合格になり、眼鏡を作り直す羽目になった、視力検査ですが、この5年間、毎日、目の体操をして来たのと、明るく晴れた日の午後を選んだ事で、楽勝で受かりました。 やれやれ、ほっとした。


【母不調】
  11月下旬から、母が息切れがすると言い出し、食事の用意ができなくなりました。 糖尿病医院で出された薬が、変更になったそうなのですが、それ以来、悪化が続いていたようです。 どうやら、高血圧が原因の模様。 やむをえず、私が、朝・昼・晩、食事を用意しました。 幸い、母は、もう、何年も前から、少食になっており、惣菜程度のおかずでも、文句は言いません。

  不調になってから、18日後に、病院へ行ったら、医師が、母の様子を見て、うろたえていました。 すぐに、問題の薬は打ち切りになり、その後、少しずつ、復調している模様。 薬のせいだったんですな。 医師が悪いというより、不調になっているのに、なかなか、病院へ行かなかった、母が悪いのです。 もし、すぐに行っていたら、こんなに悪化しなかったのに。


【東木戸壊】
  12月7日に、家の東側の木戸が、一部壊れているのを発見しました。 犬を飼っていた時に、裏庭を犬に開放する為に、仕切りとして、父が作ったものです。 20年以上経つから、壊れて来ても、おかしくはありません。 9日に、添え木を当てて、針金で縛り、修理しました。 犬は、とっくに死んでしまったので、なくても問題ないのですが、防犯上、多少は役に立っているから、残しておきます。


【座椅子壊】
  12月8日の夜。 長年、居間で使っていた、座椅子が壊れました。 背凭れの角度がつかなくなってしまったのです。 予備があったので、それに交換し、壊れたのは、翌9日に、解体しました。 金属の骨組みと、硬めのスポンジ、皮の布だけなので、処分は簡単です。 長い間、御苦労だった。


【自室机灯壊】
  12月10日に、自室の机に付いている蛍光灯のスイッチが壊れてしまいました。 点きっ放しで、消せません。 43年も経っているから、無理もないか。

  一度、蛍光灯を外して、予備があった、キッチン灯に換えたのですが、20ワットから、15ワットになったにも拘らず、眩しくて、パソコン画面が見え難い。 レンズが新しくて、透明度が高いからでしょう。

  で、翌11日に、元の蛍光灯に戻す事にし、スイッチを直しました。 スイッチ・タップを一つ潰して、スイッチを移植。 ハンダ付けが面倒で、コードの銅線を穴に通し、ビニール・テープで巻く方式でやりました。 一応、直りましたが、長持ちするような気がしません。


【ベッド灯壊】
  12月12日に、自室のベッドに付けている、蛍光灯が点かなくなりました。 あれこれ、立て続けに、壊れすぎだわ。 分解したところ、周波数切り替えスイッチの、端子の一つが、ハンダが剥がれて、浮いていただけでした。 分かり易い故障で、助かった。 ハンダ鏝で、ハンダを溶かし、最溶着して、修理完了。 また、点くようになりました。

  このベッド蛍光灯は、28年経っており、その間、一回、蛍光管を交換しただけで、ほぼ、ノー・メンテでした。 蛍光灯というのは、長もちするものですなあ。




  以上。 今年を、一言で言い表すなら、「いろいろなものが壊れた年」ですな。 年初には、「今年は、車検もないし、これといって、イベントがないな」と思っていたのですが、これだけ、様々な物が壊れ、対処を余儀なくされるとは、思いもしませんでした。

  トドメに、母の体が壊れてしまい、私と母の二人暮らしも、先行きが怪しくなって来ました。 一体、どうなるのだろう?

2021/12/19

EN125-2Aでプチ・ツーリング (27)

1.jpg  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、27回目です。 普段は、その月の最終週に、前月に行った分を出していますが、12月は、最終週が、今年一年を振り返る記事になるので、プチ・ツー記事は、一週間、前倒しします。 今回は、2021年11月分。





【三島図書館・その他】

  2021年11月2日、バイクで、三島図書館へ行って来ました。 他にも、寄った所あり。

≪写真1≫
  静岡労金・沼津支店。 先に、こちらへ寄りました。 普段、労金は、ここへ来ます。 引き落としに使っているだけなので、ATM以外に用がありませんが。 その後、旧国一で、三島へ向かいました。

≪写真2≫
  三島の、生涯学習センター。 図書館が入っています。 大きな建物ですが、周囲に空間がないので、写真を撮ると、こういう窮屈なアングルになってしまいます。 この時は、≪虚無への供物≫、≪匣の中の失楽≫を返し、≪三体≫、≪三体Ⅱ上≫、≪三体Ⅱ下≫を借りました。

≪写真3≫
  近くにある、「月見橋」。 地図に名前が載っていたから、行ってみたんですが、ハッとするような存在感のある橋でした。 鉄骨アーチが、片側だけ使われています。 ずっと下の方にありますが、手前は階段になっていて、バイク・車では、下りていけません。 川は、大場川です。 すぐ上流側に、東海道本線の鉄橋が架かっています。

≪写真4≫
  これも、近い所にある、「加茂神社」。 去年の、8月7日にも来ています。 写真の枚数が少な過ぎるので、撮り足そうと、ここに寄ったのですが、石段を登っていったら、境内に親子連れがいたので、上がらずに、引き返してきました。




【三島図書館】

  2021年11月11日に、バイクで、三島図書館へ行って来ました。 プチ・ツーリングを兼ねていたのですが、帰りに、目的地の神社を見つけられず、結局、図書館の写真だけになってしまいました。

≪写真1≫
  三島図書館(生涯学習センター)の正面入口。 入ると、すぐの所に、モニター式の体温測定器があります。 頭部を測っている様子。 帽子をとらないと、正確な数値が出ません。

≪写真2≫
  立体駐車場。 2016年に、一度だけ、車で来た事があります。 入口の機械で、チケットを取り、図書館内の読み取り機で、判を押してもらい、帰りに、出口の機械に入れる方式。 2時間以内なら、無料。

≪写真3≫
  西側駐輪場。 東側より、ずっと広いです。 この日は、風が強くて、倒れている自転車が多く見られました。 こういう、壁に挟まれた場所でも、風は通るんですな。

≪写真4≫
  東側駐輪場の南端に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ヘルメットは、ホルダーに着けて置いていきますが、ホルダーのキー・シリンダーの真下に、グレーチングで塞がれた溝がありまして、キーを抜いた時に、落としたら、一大事。 大変、気を使います。

  この時は、≪三体≫、≪三体Ⅱ上≫、≪三体Ⅱ下≫を返し、≪三体Ⅲ上≫、≪三体Ⅲ下≫、≪現代中国SFアンソロジー 月の光≫、≪同 折りたたみ北京≫を借りました。




【東井出・浅間神社①】

  2021年11月16日、バイクで、沼津市の西の方、東井出にある、「東井出浅間神社」に行って来ました。 ここは、地図に載っている名前にも、地名が頭に付いています。

≪写真1≫
  根方街道から、少し北に行った所にあります。 北側は、新幹線。 神社の前に、車を停める場所があるにはありますが、傾斜地です。 バイクは、よほど、気をつけて停めないと、ずり落ちたり、倒れたりする恐れがあります。

≪写真2左≫
  石段の下で、石の隙間から生えていた、花韮。 健気だ。

≪写真2右≫
  石段の横にあった、「群馬県 銘石 滝宝石」。 昭和47年(1972年)に、奉納されたもの。 石の奉納というのも、アリなんですな。

≪写真3≫
  鳥居と、拝殿正面。 社殿は、鉄筋コンクリート。 屋根は、銅板拭き。 六角石燈籠がありますが、狛犬はなし。

≪写真4左≫
  本殿。 拝殿と廊下で結ばれています。 鉄筋コンクリートなので、ガッチリしています。

≪写真4右≫
  手水舎。 屋根は、ブリキか、トタン。 柱は、鉄製です。 自然石の漱盤。 蛇口あり。 ハンドルも付いています。




【東井出・浅間神社②】

≪写真1≫
  拝殿の前。 庇が、何となく、昔の交番に似ています。

  最近では珍しく、賽銭箱が、外に置いてあります。 この辺には、賽銭泥棒が出ていないのでしょう。 賽銭箱の正面に、「賽」とだけ書いてあるのは、初めて見ました。

≪写真2左≫
  社殿の裏手にあった、境内別社。 幾つか入っていましたが、よく見て来ませんでした。 裏手は、新幹線。 時折、「ゴーーーッ!」という、新幹線独特の走行音が聞こえます。

≪写真2右≫
  石祠、二つ。 これらは、境内別社というより、よそから、移して来たんじゃないでしょうか。 土地の持ち主が替わって、置いてあった神物・仏物の処分に困り、最寄の神社や寺に引き取ってもらうというケースは、よくある事。

≪写真3左≫
  トタンを掛けた、何か。 たぶん、祭りで使う、竿を入れてあるんじゃないでしょうか。 うちでも昔、鯉幟の竿を波トタンで覆っていた事があり、こういうのを見ると、懐かしい気持ちになります。

≪写真3右≫
  神社前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 バイクのメーター周りというのは、メカニカルな印象が強く、つい、覗いてみたくなるものですが、トラブルの元なので、他人のバイクに近づく事自体、避けた方がいいです。 パンデミック下なら、尚の事。 嫌がられる事はあっても、喜ばれる事は、絶対ありません。 出来心で、ちょっと跨ってみるなど、以ての外の言語道断。 持ち主が戻ってきたら、殴り合いの喧嘩になっても、全然、おかしくありません。

≪写真4≫
  神社の近くから見た、南東方向の景色。 ここは、愛鷹山麓なので、少し高くなっています。 手前は、茶畑。 茶畑がある所は、大抵、眺めがいいですな。 遠くの山並みは、沼津アルプス・その他。




【中沢田・十二天社①】

  2021年11月25日、バイクで、労金沼津支店に行き、その後、中沢田にある、「十二天社」を見て来ました。 自転車でも行けるような近場ですが、時間がない時の為に、とっておいたのです。

≪写真1≫
  梅で有名な、大中寺の北の方にあります。 しかし、道が入り組んでいるから、地図でよく調べるか、カー・ナビがないと、辿り着けないと思います。 駐車場がありますが、地図には、「月極」と書いてあり、車で行くのは、危険かも知れませんな。 私が行った時には、他に車はありませんでしたけど。 観光神社ではなく、村社だから、専用駐車場がある方が、奇妙。

≪写真2左≫
  石段の上の方にあった木の根。 凄い入り組み方。 自分の体なのに、どうして、こんなにややこしい事になってしまったのか、当の木も分からないと思います。 植物の世界は、計り知れない。

≪写真2右≫
  先に、境内別社。 人間は入れないサイズの社殿ですが、造りは、凝っていました。 手前にある、小さな石段は、結界を兼ねているのかも知れません。

≪写真3左≫
  十二天社の鳥居。 石製。 名額に、草書で、「十二天社」とあります。

≪写真3右≫
  手水舎。 屋根は、トタン葺きのシンプルなもの。 漱盤は、加工石だと思います。 筧形の出水口がありますが、蛇口は下の方にある模様。 普通の参拝者は、使えませんな。 これは、手水場というより、庭の蹲(つくばい)の造りですな。

≪写真4≫
  社殿。 鉄筋コンクリート、瓦葺き。 北を向いて撮っているから、逆光ではないんですが、鎮守の森が鬱蒼としていて、暗いから、こんな、見え難い写真になってしまいました。 この北側には、新幹線が通っています。




【中沢田・十二天社②】

≪写真1≫
  社殿を、後ろ側面から。 拝殿と本殿が、廊下で結ばれている形式。 鉄筋コンクリートは壁だけで、屋根組みは、木製のようですな。

≪写真2左≫
  境内別社。 何も書いてないから、何の神なのか、分かりません。

≪写真2右≫
  拝殿手前の脇にあった、流し。 ここには、蛇口があります。 実用的な使われ方をしているんでしょうな。 なぜ、拝殿脇にあるのかが、不思議。 

≪写真3左≫
  境内別社。 こちらも、何も書いてないから、何の神なのか、分かりません。 赤い鳥居があるという事は、稲荷か、弁才天か?  覆いの部分は、≪写真2左≫の境内別社と同じ物のようです。

≪写真3右≫
  石燈籠。 何か違和感があるのも当然で、竿が円筒、火袋が太鼓形、基礎と笠が四角と、大変、珍しい組み合わせです。 キメラ趣味か。 本当にキメラで、歴代燈籠の使える部分だけ組み合わせたのだとしたら、逆に面白いですが。

≪写真4≫
  駐車場の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 オイル交換した直後ですが、感動するほど、スムーズになったわけではないです。 ちなみに、約一年間で、オイルは、真っ黒になっていました。 交換し甲斐がある色でした。

  服装やヘルメットは、この日が、春秋装備の最後になりました。 次からは、冬用のブルゾン、フルフェイスのヘルメット、厚手靴下になりました。




  今回は、ここまで。

  月の後半、三島図書館に行っていないのは、図書館が、館内整理期間に入り、貸し出し期間が、3週間になったから、間が開いたのです。 12月に入ってから、返しに行きました。

  オイル交換に関しては、いずれ、補修の記事で出します。 今年は、寒くなるのが遅れ、11月まで、秋装備で出かけていました。

2021/12/12

読書感想文・蔵出し (81)

  読書感想文です。  今月は、一回しか、読書感想文を出せないので、溜まっている分が、全く捌けません。 困ったもんだ。 あと、母が体調を崩しており、歳が歳なので、油断がならず、なりゆき次第では、ブログの更新ができなくなるかもしれません。 突然、更新が止まったら、そういう事情があると思っていて下さい。





≪松本清張全集 26 火の縄/小説日本芸譚/私説・日本合戦譚≫

松本清張全集 26
文藝春秋 1973年3月20日/初版 2008年7月25日/8版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、短編集2編(小説日本芸譚、10作)(私説・日本合戦譚、9作)、長編1作の、計20作を収録。 またまた、感想が長くなりそうですな。


【小説日本芸譚】
  1957年(昭和32年)1月から、12月まで、「芸術新潮」に連載されたもの。

「運慶」 約13ページ
  京都仏師に比べて、評価が低かった奈良仏師の家系に生まれた運慶。 源氏の世になり、平家に焼かれた奈良寺院復興の流れに乗って、伝統の殻を打ち破った運慶の作品が、華々しく世に出る。 晩年になり、一門は繁栄していたが、父の弟子である快慶らが、運慶とは別の流行を作ろうとしているのが、気にかかっていた。

  この長さですから、伝記としては、キッチキチですが、テーマも盛り込んであって、ちゃんと、小説になっています。 松本さんは、こういう、歴上の人物の一生を、掻い摘んで説明したような作品が多いんですねえ。 学生に読ませれば、ただ、教科書で説明文を読むよりも、遥かに、記憶に残り易いと思いますが、そうなると、小説的なテーマが邪魔になるかも知れませんな。


「世阿弥」 約13ページ
  足利義満に庇護されて、一世を風靡した、神楽の世阿弥。 義満の死によって、主流から遠ざけられ、その息子までも、排斥されて、早世してしまう。 世阿弥の失意に追い討ちをかけるように、晩年になって、地方へ流されて行く話。

  世阿弥という人、輝いていたのは、ほんの一時期に過ぎなかったんですな。 なぜ、史上最も有名な能楽師になったのかというと、≪花伝書≫など、多くの著作を遺したからのようです。 無形文化財の世界では、書いたものを遺さないと、どんなに素晴らしい芸術家でも、時代が変わって、その芸を目にした人達が死んでしまうと、どんどん、忘れられて行ってしまうんですな。


「千利休」 約12ページ
  茶の湯の師匠として、信長に仕えた後、全く同じ待遇で、秀吉に仕える事になった、千利休。 しかし、秀吉が茶の湯に求めているものが、信長とは違っており、利休の理想とは乖離が大きかった。 利休と秀吉の間に、緊張感が盛り上がって行く話。

  歴史に興味がある人の間では、ほぼ常識になっているように、利休は、秀吉の命で、死ぬ事になるわけですが、利休の木像を、寺の門の二階に置いて、その下を秀吉に通らせたから、などというのは、難癖に過ぎず、信長が死んだ直後から、利休と秀吉の静かな戦いは、続いていたわけですな。

  利休が死に至る経緯は、映画やドラマで、何度も見ているのですが、この短編の方が、遥かにすんなりと頭に入って来ます。 余計な事が書かれていないからでしょうか。


「雪舟」 約11ページ
  出家した雪舟は、画僧の道を選び、不器用ながらも、師匠について研鑽を積み、宋画の模倣を目的としている師匠や兄弟子には、真似ができない新境地を開く。 中年になって、大内氏の庇護下で、明へ渡るが・・・、という話。

  雪舟というと、名前は超有名ですが、作品は、美術の教科書で、1・2枚見た程度で、それ以外は、子供の頃、お仕置きを受けて、縛られている時に、涙と足の指で、鼠の絵を描いたというエピソードしか知りません。 この作品を読んで、多少、知識は増えましたが、それでも、まだ、遥かに遠い人という感じです。


「古田織部」 約12ページ
  千利休の後を継ぐ形になった、大名茶人、古田織部。 利休の存在の重さから逃れる為に、利休が決めた作法を、ことごとく変更して行く。 それは、秀吉の好みにも叶うはずだったが・・・、という話。

  古田織部の伝記は、千利休に比べると、知名度が低いので、勉強になりました。 戦国大名でもあり、戦もやっていたんですなあ。 しかし、結局、こういう文化人として評価されていた人は、その方面が優れていればいるほど、秀吉のように、文化を権威の飾りとしか考えていない主君とは、相容れないんですな。


「岩佐又兵衛」 約10ページ
  戦国大名の子として生まれたが、父親が没落したせいで、不遇な生活を強いられた、岩佐又兵衛。 絵師になったものの、それだけでは食べていけず、妻子を抱えて、苦しい生活をしていた。 中年以降になって、京都を離れ、地方へ移り住むが、そこで、絵師として高く評価されて・・・、という話。

  岩佐又兵衛というと、浮世絵の先駆者として記憶していますが、この作品では、その件について、何も書かれていません。 特に決まった流派につかなかったお陰で、新しい表現を作り出す事ができたとあります。 なるほど、そういうものなのでしょう。

  それ以外には、別に、感じるところ、なし。 あとがきにもありますが、岩佐又兵衛の資料そのものが、少ないんじゃないでしょうか。 資料が足りないのでは、想像で補うしかありませんが、あまり、そちらに励んでしまうと、歴史小説として、破格になってしまうので、この程度の書き方しかできないのでしょう。


「小堀遠州」 約10ページ
  千利休、古田織部亡き後、数寄者の第一人者となった、小堀遠州。 武将でもあったが、家康から、武将としては、ほとんど、役目を与えられず、茶の湯や庭作りの時だけ、評価されていた。 戦の後の論功行賞では無視され、一石も加増されないまま、生涯を終えて行く話。

  この人は、千利休、古田織部と違い、殺されなかったんですな。 うまく乗り切ったというより、時代が変わって、支配階級の、文化人に対する見方が変わったのでしょう。 文化人が増えて、一人当たりの重要性が落ちたから、殺す必要がなくなったのかもしれません。 加増されない事を嘆くなど、贅沢というもので、殺されるよりは、一億倍、幸せです。 大抵、本人が殺されれば、一族も根絶やしで、もっていた所領も没収ですから。


「光悦」 約13ページ
  本阿弥光悦の工房で働いていた、刀の鍔師が、光悦の人柄の問題点を、あげつらう話。

  書も、蒔絵も、焼き物も、茶の湯も、なんでも、器用にやってのける人だったらしいですが、他人より優れていたのは、書だけで、他は、二流レベルに過ぎなかったとの事。 ただ、この辛辣な批評が、創作された語り手の考えなのか、松本さんの考えなのか、そこのところは、分かりません。

  伝記というのは、本来、その人物の、人並より優れたところを誉めるのが、普通ですが、この作品は、伝記というより、小説でして、創作度が、どの程度なのか判別がつかず、鵜呑みにするのが、大いにためらわれます。 最初に、この作品で光悦を知ったら、こういう人だったと思ってしまうでしょうねえ。


「写楽」 約11ページ
  大首絵で売り出した、写楽。 世間の評判は悪く、特に、役者絵の最大の購買層である、女子供の受けが悪かった。 写楽にしてみれば、それでさえ、版元の要求に妥協したものだったが、評判が悪いと、更なる妥協を求められるのは必至で、鬱々として、愉しまない話。

  写楽というと、映画でしか知りませんが、まあ、大体、似たような評価なんですな。 写楽の大首絵は、特徴を強調していて、インパクトが強烈ですが、役者のファンは、ああいう絵を買って、自分の部屋に置こうとは、望まなかったわけだ。 それも、分かるような気がします。


「止利仏師」 約9ページ
  日本で最初に仏像を作った、止利仏師(とりぶっし)について書こうと思っている作家。 ところが、止利仏師がどういう人だったのか、資料を調べても、さっぱり、人物像が結べない。 調べて行く内に、当時、どんな人達が仏師になっていたかが分かり、止利仏師の正体が掴めなかったのも無理はないと、納得する話。

  なるほど、そういうものかなあ、と、読んでいる方も納得します。 特定の人物ではない。 というか、名前は特定の人物であっても、実際に仏像を造っていたのは、工房全体であり、止利仏師は、その代表者に過ぎなかったのであれば、代表者の為人なんか、資料に残るはずがありませんわなあ。

  この作家ですが、モデルは、明らかに、松本さん自身です。 あとがきによると、この【小説日本芸譚】シリーズを書くのに、芸術家達の為人が掴めずに、四苦八苦したらしいですが、最終作で、自分の経験を、そのまま書いたのだと思います。 資料が少ないのに、伝記に近い小説を書くのには、無理がありますなあ。


【火の縄】 約162ページ
  1959年(昭和34年)5月17日号から、12月27日号まで、「週刊現代」に連載されたもの。 原題は、【雲を呼ぶ】。

  丹後の一色家に仕えていた、稲富治介という鉄砲の名手を軸に、「一色義有」、「細川藤孝」、「その息子の忠興」、「一色義有に嫁いだ藤孝の娘、伊予」、「光秀の娘で、忠興の妻である、玉(ガラシャ)」、「豊臣秀吉」、「徳川家康」らの生き様を描いた話。

  鉄砲の名手、稲富某は、実在の人物ですが、名前は、変えてあるようです。 それ以外にも、歴史上の有名人を除き、名前は、かなり、変わっている様子。 わざと変えたのか、この作品が書かれた頃には、そういう名前だと思われていたのか、分かりません。 この鉄砲の名手は、【特技】(1955年)の主人公と、同じ人物。 松本さんは、よほど、この人物が気に入ったのか、短編では書き足りなくて、長編で書き直したんでしょうな。

  全体を見れば、戦国物の歴史小説で、軍記物の類いです。 一番、手に汗握るのは、細川藤孝・忠興親子が、一色義有を騙し討ちにし、残った一色の家臣を、ほぼ一掃する過程の描写です。 細川側が、あまりにも汚い手を使うので、思わず、激怒してしまいますが、冷静になって考えてみると、戦国武将は、命のやり取りで、生きているのであって、汚い方が当たり前。 舅と義兄を安易に信じて、罠にかかった一色義有の方が、戦国の習いを失念したと見るべきでしょう。 それはそれとして、こんな卑怯な手を使うようでは、細川と盟約を結ぶ者など、いなくなってしまうでしょうなあ。

  一応、話の軸になっている、稲富治介ですが、【特技】と同様、鉄砲の技術は買われていたが、武士としては、裏切り者に過ぎず、人間としては評価されていなかったという見方をされています。 しかし、現代人の感覚で見ると、この稲富治介が、最も、まともな人間に見えます。 忠興や、ガラシャの方が、人間的に優れていたとは、到底、思えません。 この二人、治介の言う通り、まさに、「狂人」ではありませんか。 もっとも、これは、あくまで、小説なので、本当に、忠興・ガラシャが、こういう人間だったかどうかは、分からないのですが。


【私説・日本合戦譚】
  1965年(昭和40年)1月から、12月まで、「オール讀物」に連載されたもの。

「長篠合戦」 約21ページ
  1575年、徳川方の長篠城を攻めていた、武田勝頼の軍と、救援に来た、徳川・織田連合軍が、長篠の近くの設楽原で戦い、徳川・織田軍の鉄砲隊の前に、武田の騎馬軍が、さんざんに打ちのめされた経緯を解説したもの。

  小説では全くなく、軍記物とも違っていて、歴史的事件の解説です。 長篠の合戦は、学校の歴史の授業でも教えるので、大抵の人が、大体の事を知っているはず。 この作品も、概ね、そんな内容です。

  ちょっと変わった見方も書いてあって、必ずしも、勝頼が駄目武将だったというわけではなく、父信玄以来の重臣達と意見が合わず、武田軍内部が纏まっていなかったのが、敗因に関係しているとの事。 ただし、鉄砲を中心にした戦い方が、それ以前の、馬、槍、弓、刀の戦い方を圧倒してしまった点については、定説と同じ評価をしています。

  資料について、「この資料は、○○だから、信用できない」と言った断じ方をしているパターンが多いですが、自説に都合が悪い事が書いてある資料を排除する時に、「信用できない」というのは、御都合主義ですな。 それを言い出すと、どんな、歴史資料も、信用できなくなってしまうのでは? その事件を直接経験した、複数の人物の記録で、同じ事が書いてあれば、信用できますが、そんなものは、ほとんど存在しないのではないでしょうか。


「姉川の戦」 約19ページ
  織田信長が、浅井・朝倉同盟軍と戦って、打撃を与え、両氏を滅ぼすまでを、解説したもの。 1570年の事。

  これも、小説ではないです。 歴史的事件の解説。 しかし、講談で語られている、有名な武士の武功物のような部分も、多く見られます。 姉川の戦いで、勝負がつくわけではなく、浅井・朝倉とも、1573年まで、信長と戦い続けます。 その点、タイトルが、「姉川の戦」となっているのは、ちょっと、内容とズレがあります。

  浅井・朝倉側の立場で読むと、滅びて行く話ですから、当然、あまり面白くありません。 では、信長側の立場で読めば、面白いかというと、そうでもなくて、つまりその、信長と浅井・朝倉の戦いは、泥沼的でして、スッキリ・ハッキリしていないんですな。 歴史は、こういうダラダラと長引く争いが、一番、退屈です。


「山崎の戦」 約19ページ
  1582年、本能寺で信長を討った直後の光秀と、対毛利戦を切り上げて、大急ぎで京都へ戻って来た秀吉が、現在の大阪府と京都府の境付近に位置する山崎でぶつかり、光秀側が敗走した戦いの経緯を解説したもの。

  戦国時代の有名な戦いの割には、調略や複雑な作戦が使われず、真っ向から、力と力でぶつかりあって、強い方が勝ったという、大変、シンプルな戦いだったようです。 面白くないなあ。 光秀は、頭は良かったはずですし、戦いの経験も豊富だったはずですが、味方になる武将が出て来ずに、こんな不利な戦いをせざるを得ない状況に、一気に追い込まれてしまったんですな。

  私は、信長なんて、人格異常者としか思っていないので、光秀は、よくぞやってくれたと思うのですが、信長に優るとも劣らぬ人格異常者である、秀吉に負けたのは、返す返すも、残念。 命のやり取りで一生を終える戦国武将には、人格が滅茶苦茶な人間の方が多いので、光秀のまともさが、分からなかったのでしょう。 国を治める立場になる人物として相応しいのは、まともな人間と、狂人と、どちらなのか、考えなくても分かりそうなものですが、自分達も頭がおかしいから、分からなかったんですな。


「川中島の戦」 約19ページ
  武田信玄と、上杉謙信の間で行なわれた、川中島の戦いの内、最も有名な、1561年の、第4次合戦について、経緯を解説したもの。

  信用できる歴史資料には、この戦いの記録がなく、江戸時代に講談のネタ本になった、「甲陽軍鑑」や、「越後軍記」などを元にしているので、結局、講談と同レベルの信用性しかないとの事。 ちなみに、信用できる歴史資料というのは、書状など、実際に使われた文書の事らしいです。

  そう言われてみると、戦いの展開が、ちょっと、面白過ぎるでしょうか。 越軍が、甲軍を欺いて、大きく移動し、突然、甲軍本体の前に現れるのですが、実際の戦では、双方で相手の動きを常に監視しているので、こういう事は、滅多に起こりません。 まあ、皆無とは言いませんけど。 戊辰戦争の、長岡城奪還などは、同じ例ですな。

  それにしても、書いている本人が、ネタ本を、「信用できない」と、連発しているのは、白けるところです。 だったら、書かなきゃいいのに。 作り話の疑いが強くても、書きたくなるほど、よくできた、軍記物だったんでしょう。


「厳島の戦」 約14ページ
  1555年、毛利元就と、陶晴賢が、厳島で交わした戦いの経緯を解説したもの。

  この合戦は、一般人には、ほとんど知られていないのでは? 大河ドラマの、≪毛利元就≫には出て来たと思いますが、私、見ていたんですが、忘れてしまいました。 これだけ、大きな合戦なら、記憶に残っていて然るべきなのに。 陶晴賢を陣内孝則さんが演じていたのは、覚えています。

  陶方は、狭い島に、大軍を上陸させ過ぎて、被害を増やすのですが、これは、太平洋戦争の硫黄島で、米軍がやらかした失敗に似ていますな。 それにしても、いかに、元就の調略が巧みだったとはいえ、こんな大軍を、厳島に上陸させるほど、まんまと、罠に嵌るとは、些か、嘘臭い感じもしますねえ。

  この合戦の眼目は、調略段階でして、実際の戦闘は、一方的で、面白みに欠けます。 戦国の世に、都遊びに現を抜かしていた、大内氏が滅びたのは、致し方ないとは言え、下克上でのしあがった陶氏が、こんなにもろかったとは、何だか、拍子抜けですな。 主君を討つほど、野心があるなら、もっと、実力がありそうなものですが。


「九州征伐」 約16ページ
  秀吉が、信長の後を継ぐ立場になってから、薩摩の島津氏が、九州全域を手中に収めようと、北進を続けていた。 大友氏の救援要請を受けて、秀吉が軍を動かし、島津氏を、薩摩まで、押し戻して行く経過を解説したもの。

  この戦いも、あまり、知られていないでしょうなあ。 私も知りません。 大河ドラマで取り上げられる事があっても、表面を、さっと撫でる程度の扱いなので、歴史に詳しい人しか、知らないでしょう。 島津氏の撤退が速く、移動距離が大きいせいで、全体に、締りがない印象があります。

  島津氏も、九州全域を領しようとするには、タイミングが遅すぎです。 中央に、秀吉のような大きな勢力が出て来てからでは、出る杭が打たれるのは、当然。 大急ぎで、九州を征服しても、占領地の領主は、心から服したわけではないのですから、いつ裏切るか、分かったもんじゃありません。 そんな不安定な状態では、とても、秀吉の大軍とは戦えますまい。 あと、10年早ければ、うまく行ったかも知れませんが。 


「島原の役」 約22ページ
  1637年から、翌38年にかけて、島原、天草で、領主の暴政に耐えかねたキリシタン領民が、一揆を起こし、それに浪人らが加わって、大勢力になり、島原城下を襲った後、原城に立て籠もった。 幕府は、江戸から、司令役を送り、近隣の大名に出兵させて、城を落とそうとするが、寄せ集めの軍が思うように動かず、信心で結束した籠城側に苦戦する。 その経緯を解説したもの。

  戦争自体を褒め称えるつもりはありませんが、この作品は、面白いです。 両者の戦う理由が違う、というか、価値観のレベルからして、大きく異なっていて、幕府側は、元より、相手を人間扱いしていませんが、籠城側も、神の名の下で戦っていると信じているから、武士の誉れも糞もなく、高位の侍も、虫ケラ扱いで、殺しまくって行くところが、実に、本能的です。

  それにしても、一揆の原因を作った、松倉氏の、卑怯千万な事よ。 幕府軍に加わっているのですが、幕府派遣の司令役の命令をことごとく無視して、戦おうとしません。 よその藩に戦わせて、勢力を温存していたわけだ。 藩主だけでなく、藩士の末端に至るまで、組織全体が腐れ切っていたのでしょう。

  これは、現代社会でも、不祥事ばかり起こす会社があると、一部の社員だけでなく、大部分の社員が腐れ切っているのと、全く同じです。 松倉氏は、後に、改易になり、藩主は打ち首になるですが、島原の乱全体の犠牲者の数を考えると、それでも、罰が足りないくらいです。 こんな大きな罪を、償わせる方法は、この世にありますまい。


「関ヶ原の戦」 約50ページ
  1600年に、石田三成率いる西軍と、徳川家康率いる東軍の間で行われた、天下分け目の決戦、関ヶ原の戦いについて、その原因から、解説したもの。

  面白いです。 大変、分かり易い。 私が今までに、読んだり見たりした、文章や映像作品の中で、事態の推移や、両軍の形勢が、最もすんなり、頭に入って来ました。 西軍の大将は、石田三成ですが、実際に、最も活躍したのは、大谷刑部だったんですなあ。 映画・ドラマでも、必ず、刑部役は出て来ますが、こんなに強かったとは知らなんだ。

  石田三成は、丹後にいる細川藤孝を攻める為に、1万5千人も兵を割いていたとの事。 「その数を、関ヶ原に回していたら、全然結果が違っていたろうに」と書いてありますが、全く、その通りだと思います。 馬鹿馬鹿しい。 本隊も大将も、やられてしまったのでは、1万5千人、生き残っても、意味がないです。


「西南戦争」 約35ページ
  1887年に起こった、西郷隆盛率いる薩摩軍と、新政府軍が戦った、西南戦争について、解説したもの。

  これも、面白い。 大変、分かり易いです。 ちなみに、1887年は、明治10年です。 10年もあれば、新政府の世も、だいぶ、落ち着いてきたと思うのですが、そんな時に、大内戦が起こったわけだ。 ただし、一方は、旧薩摩一藩を中心に、旧他藩の一部が呼応しただけなので、両者の戦力差は、大きいです。

  西郷隆盛は、鹿児島県民以外からも、神格化されている傾向がありますが、松本さんは、そういう考え方は、最初から排除していて、「西郷自身は、戦うつもりはなかったが、担がれてやむなく立った」といった見方を、きっぱり、否定しています。 「西郷自身が、もう一度、中央に攻め上ろうという欲望があり、周囲が自分に、それを求めてくるのを待っていたのだ」とあり、私も全く同感だったので、深く頷きました。 予想される死者の数を考えれば、「担がれて、やむなく」程度の事で、立てるわけがありません。

  薩摩軍が、大砲も艦船も、もっていなかったというのは、驚き。 小銃と刀だけで、政府軍と戦えると思っていたのだから、いかに、政府軍をナメきっていたかが分かります。 それだけの装備で、激戦を続けたわけですから、薩摩軍が強かったのは、間違いないですが、熊本で一戦するのが目的ではなく、東京まで攻め上ろうとしていたのですから、結果を見れば、大敗だったのも、否定のしようがありません。

  西郷のように、何度も修羅場を潜って来た人間が、彼我の戦力差を計算できなかったというのは、奇妙ですな。 もしや、戊辰戦争中、最前線での戦闘指揮を、あまり、経験していなかったのでは? 「薩摩が立てば、全国で、不平士族が反乱を起こす」と期待していたようですが、具体的に、どの集団を当てにしていたというわけではなく、板垣の誘いは断る、江藤が逃げて来れば追い返すと、けんもほろろの扱いをしており、どういうつもりだったのか、さっぱり分かりません。

  薩摩軍の切り込み隊に対抗する為に作られた、政府軍の抜刀隊は有名ですが、旧会津藩士が進んで志願したのは、すんなり納得できるものの、旧薩摩藩の元下級藩士が中心だったというのは、意外でした。 薩摩藩では、藩士の間に、身分差別が激しく、新政府で、警察官になっていた薩摩藩の元下級藩士が、軍に加わり、恨み骨髄で、薩摩軍の元上級藩士に切りかかって行ったんですな。 それは、激戦になるでしょうよ。

  旧薩摩藩士も、気の毒に。 西郷に決起を促した面々は、自業自得としても、中には、「もう、戦はいい」と思っていた人達もいたでしょうに。 同調圧力で、加わらざるを得ず、それで命を落としたのでは、あまりにも、浮かばれない。 つくづく、戦争は、ノリや、根拠のない楽観的見通しで、始めるものではないです。 巻き込んで、戦死させてしまった仲間に、どう詫びるのだ? 命を何だと思っているのだろう? 大将が腹を切れば、償えるというものではないです。




≪筒井順慶≫

角川文庫
角川書店 1973年9月30日/初版
筒井康隆 著

  手持ちの本。 元は、家にあった母の本。 更に元は、製本工場に勤めていた父方の叔父が、実家に帰って来る時に、母への土産に持って来た本。 ちなみに、父は、本を読まない人でした。

  私が小学校高学年の頃から、母の本棚にあったので、何度か読もうとしたのですが、当時の私の読書力では歯が立たず、最初に通して読んだのは、大人になってからだと思います。

  長編1、中編1、短編2の、計4作を収録。


【筒井順慶】 約138ページ
  1968年(昭和43年)9月から、12月まで、「週刊文春」に連載されたもの。

  戦国大名、筒井順慶の子孫である若手SF作家が、編集者から、歴史小説を書くように求められ、「洞ヶ峠の日和見」で、先祖に着せられた汚名を払拭すべく、筒井氏の他の子孫や学者に助けられながら、順慶の辿った、茨の足跡を追って行く話。

  筒井さんは、この作品で、歴史小説を初めて書いたので、勝手が分からなかったようで、現代のストーリーを軸にして、順慶の事は、解説的に語る形式をとっています。 歴史小説というより、歴史をモチーフにした、現代小説ですな。 歴史解説の部分が、中途半端に硬くて、うまく混ざり合っていないのですが、むしろ、そこが面白いと思います。

  歴史解説部分は、諸説併記で、「これが、正しい!」と決めつけるのを避けています。 歴史小説では、普通、そういう事をせず、作者が、どれかの説を選ぶか、自説を立てるかして、それに従って、ストーリーを展開していきます。 そのせいで、単純な読者は、それが定説だと思い込む、複雑な読者は、全く信用しないという、弊害が出て来ますが、諸説併記なら、そうした問題は起こりません。 ただし、何が正しいのか、はっきり書けないわけで、歴史解説部分の躍動感が損なわれているのも、否定できません。

  現代のストーリーの方は、アップ・テンポで、スイスイと進みます。 場所の移動も頻繁で、2時間サスペンスにしたら、さぞや、面白いだろうと思うのですが、残念ながら、推理小説ではないです。 編集者二人が、主人公が書いた長編小説の原稿を取り合うのが、光秀と秀吉が、順慶を取り合うのと、重ねられていて、よく考えられています。

  そういえば、編集者の一人、「藤田電子」というのは、光秀の家臣、「藤田伝五」のパロディーだったんですな。 ≪麒麟がくる≫を見なければ、分からないまま、一生を終えるところでした。 それにしても、いろいろと、よく考えてあるなあ。 おそらく、私が気づかない仕掛けが、他にもたくさんあるのでは?

  この作品、いろんな意味で、面白いです。 また、勉強にもなります。 順慶だけでなく、松永久秀の事も、大変、分かり易く、頭に入って来ます。 1968年当時と、現在では、歴史の研究が進んで、事情が変わっているかも知れませんが、それはまあ、自分で調べて補えばいいでしょう。

  ところで、筒井さん自身がモデルと思われる主人公が、順慶の事を、「ご先祖様は、苦労したのだなあ」と言っていますが、順慶には、子がなく、養子が家を継いだのですから、順慶の子孫と称している人達は、順慶の遺伝子を受け継いでいるわけではないんですな。 ただし、養子になったのが、従弟にして甥の定次だったので、筒井一族という意味では、遺伝的に関連があると言えます。 


【あらえっさっさ】 約28ページ
  1968年(昭和43年)8月、「平凡パンチoh!」に掲載されたもの。 原題は、【巷談人形地獄】。

  芸能プロダクション主催の、「芸能記者慰労大会」が開かれ、最初から狂乱状態で、盛り上がりまくっている裏で、その芸能プロに所属する人気歌手の、声担当の女が仕事に来なくなる事態が発生し、企画本部長が、連れ戻しに出張る話。

  芸能界というのは、60年代後半で、すでに、こんな感じだったんですな。 もちろん、この作品が、現実そのままではないと承知してはいますが、それにしても、極端化する方法で書いていると思うので、元がどの程度だったのか、おおよそ、想像できようというもの。 芸能界の本質を見抜いていると思いますが、小説としては、さほど、面白くはありません。


【晋金太郎】 約56ページ
  1969年(昭和44年)1月、「推理界」に掲載されたもの。

  ライフル銃で、高利貸しを射殺して来たという男が、テレビ・ディレクターの家に押し入ってきて、ディレクターと、その母親、その婚約者を人質に立て籠もる。 警察と対峙して、死人も出、マスコミによって、一躍、時の人に祭り上げられるが、やがて・・・、という話。

  1968年に、現実に起こった、「金嬉老事件」のパロディー。 ドタバタ喜劇ですが、マスコミにいいように踊らされた人間の悲哀を描くという、しっかりしたテーマもあります。 ドタバタ部分が面白すぎて、テーマの方は、あまり、心に残りませんが。


【新宿祭】 約29ページ
  1969年(昭和44年)、「別冊小説現代 新春特別号」に掲載されたもの。

  過激な学生運動が、イベント化した未来。 学生、もしくは、偽学生を組織して、各イベントに貸し出す業者が、殺人的に忙しい合間を縫って、新宿騒乱祭りに、櫓席を確保し、母親、婚約者、ホステス、アメリカ大統領などと共に、見物と洒落込むが・・・、という話。

  アメリカ大統領が混じっているところが、妙に、凄い。 この人、中南部アフリカ系の女性で、元ジャズ・シンガーという設定。 なんだか、時代を、半世紀以上、先取りしている感があります。 逆に言うと、人種問題や、性差別問題は、半世紀も前からあったけれど、ちっとも解決していないという事ですかね。

  学生運動のパロディーは、日本では分かり難くなってしまいましたが、今でも、所によっては、学生運動が行なわれているので、必ずしも、過去の事ではありません。 もっとも、実際に、そういう所に住んでいる人達でも、パロディーは、ピンと来ないかもしれませんねえ。 あまりにも、殺伐としていて。

  一番、笑えるのは、ギリシャの大富豪に見初められる、主人公の母親です。 いいのか、こんな結末で・・・。

  ↑ これは、新装カバーのもの。 改版ではなく、本文も解説も、同じ版です。 奥付けには、「1983年5月30日/22版」とあります。 たった、10年しか開いていないんですが、当時感覚では、筒井作品の角川文庫旧版が、白カバーになったのは、遥かに後だったような気がしていました。

  全巻揃え終わらない内に、カバーを変えられてしまったのが、未だに許せぬ。 しかも、こんなテキトーな絵にしてしまって、一体、誰が得をしたというのか。 パッと見、和田誠さんかと思うでしょうが、その実、山藤章二さんでして、本来の画風とは全く違うのが、また許せぬ。

  2013年、文庫本蒐集をした時、ブック・オフを巡ったついでに、白カバーのも何冊か買ったのですが、こちらは、全部は揃っていません。 白カバーでだけ出た本もあるのですが、それは、買いました。

  ↑ これは、新装カバーの方の、中に挟まっていた、広告と、栞。 角川映画全盛期の、≪探偵物語≫と、≪時をかける少女≫。 懐かしい。 涙が出ます。 栞は、原田知世さんモデルの、パイロット・ボールペンの広告が入っていますが、裏面は、やはり、≪探偵物語≫と、≪時をかける少女≫の広告です。

  ついでながら、≪時をかける少女≫は、今見ても、傑作だと思いますが、≪探偵物語≫の方は、前宣伝倒れで、今となっては、批評するのも野暮、という感じでしょうか。 薬師丸さんと、松田さんで、どうして、あんなに、つまらなくなってしまったのか、未だに、謎ですな。 ただし、赤川次郎さんの原作は、面白いです。




≪松本清張全集 30 日本の黒い霧≫

松本清張全集 30
文藝春秋 1972年11月20日/初版 2008年8月10日/9版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、ドキュメンタリー集1、全12回と、その補足、4作を収録。


【日本の黒い霧】 約423ページ
  1960年(昭和35年)1月から、12月まで、「文藝春秋」に連載されたもの。

  取り上げられている項目は、以下の通り。 ( )内は、事件が起こった年です。

・ 下山国鉄総裁謀殺論 (1949年)
・ 「もく星」号遭難事件 (1952年)
・ 二大疑獄事件 (1948年・1954年)
・ 白鳥事件 (1952年)
・ ラストヴォロフ事件 (1954年)
・ 革命を売る男・伊藤律 (1955年)
・ 征服者とダイヤモンド (1945年)
・ 帝銀事件の謎 (1948年)
・ 鹿地亘事件 (1951年)
・ 推理・松川事件 (1949年)
・ 追放とレッド・パージ (1950年)
・ 謀略朝鮮戦争 (1950~1953年)

  全て、米軍による占領期間中か、発端が、占領期間中に起こった事件・歴史事象です。 占領期間中には、他にも、様々な事件があったわけですが、GHQと、その下部機関が関わっているものだけ、取り上げているわけで、当然の事ながら、すべて、「米軍関係者が、背後にいた」という結論になっています。

  もう、硬い硬い。 小説じゃないんだから、当たり前とはいえ、こういう作品が、発表当時、人気を博したというのが、信じられぬ。 1960年頃の読書人が、そんなに、謀略ドキュメンタリー好きだったとは、思えないのですが。 私は、とても、読み切れないと思い、ざくざく、飛ばし読みしました。 たとえ、貸し出し期間を延長し、じっくり、全ての文字を読んだとしても、ほとんど、頭に残らないでしょう。

  各事件が起こった時から、60年以上も経ってしまい、もはや、これらの事件を、同時代感覚で振り返る事ができる人は、ごく僅かでしょう。 今現在、60歳以下の人は、琴線にかすりもしないと思うので、「うっ、こういう内容だったのか・・・」と感じた時点で、そこから後は、飛ばし読みにした方がいいと思います。 律儀に読んでも、時間の無駄です。 


【幻の「謀略機関」を探る】 約18ページ
    1969年(昭和44年)9月19日、「週刊朝日」。

【松川事件判決の瞬間】 約9ページ
  1961年(昭和36年)8月21日、「週刊公論」。

【「白鳥事件」裁判の謎】 約30ページ
  1964年(昭和39年)1月、「中央公論」。

【「もく星」号事件の補筆】 約38ページ
  1972年(昭和47年)2月、「赤旗」連載、【風の息】の冒頭部分。

  これら4作も、内容の性質は、【日本の黒い霧】と、全く同じです。 全部、飛ばし読みしました。

  総合的な感想になりますが、米軍の謀略と言っても、個々の事件に於いては、死者数が少ないので、今から見返すと、そんなに大ごとという感じはしませんねえ。 朝鮮戦争と遠い関係があったようにも書かれていますが、死者数から見ると、戦争と並べて語れるような規模では、全くありません。




≪松本清張全集 51 眩人・文豪≫

松本清張全集 51
文藝春秋 1984年2月25日/初版 2008年10月25日/4版
松本清張 著

  沼津市立図書館にあった本。 ハード・カバー全集の一冊。  二段組みで、長編1、中編2、短編2、計4作を収録。


【眩人】 約246ページ
  1977年(昭和52年)2月から、1980年9月まで、「中央公論」に連載されたもの。

  奈良時代、遣唐使として、唐に長期逗留していた留学僧が、帰国するにあたり、先祖がペルシャ人の少年を連れ帰る。 奇術に長け、医薬の知識がある少年が、10年間、日本の朝廷を観察する話。

  唐の場面から始まりますが、松本さんが書きたかったのは、唐に入っていた西域の文化、特に、ペルシャのそれでして、唐の文化が描かれているわけではありません。 【火の路】(1973年)でも、古代日本に入ったペルシャ文化がテーマになっていましたが、それを、地理的に、もう少し遡ったわけですな。 もっとも、【火の路】は、現代物だったので、だいぶ、趣きは異なりますが。

  決して、つまらないわけではなく、外国人の目から見た古代日本という、着想が変わっていて、奈良時代に、少しでも興味がある人なら、楽しめると思います。 その上、ペルシャ文化も好きという人なら、尚の事。 しかし、些か、学術的過ぎて、硬い。 また、学者にも、同意見の人がいるとはいえ、あくまでも、松本さんの自説が元になっているので、どこまで、そのまま受け入れていいか、悩むところはあります。 


【文豪】

「行者神髄」 約100ページ
  1973年(昭和48年)3月から、1974年3月まで、「別冊文藝春秋123号~127号」に連載されたもの。

  坪内逍遥について書こうと思っている作家が、資料を集めに行った熱海で、逍遥に詳しい人物に、たまたま出会い、問題人物だった妻の事を始め、知られざる逍遥像に触れる話。

  一応、小説仕立てになっていますが、これは、論文ですな。 小説として、普通に読むのは、かなり、無理があります。 特に、後半は、ひどい。 硬い、というより、全く興味が湧かない事柄を、延々と説明されている感じ。 ちょっとした、拷問ですな。

  それにしても、坪内逍遥が、文豪ねえ・・・。 漱石や、鴎外なら、すんなり、頷けるんですがねえ。 もはや、過去も過去、遥かな過去の人物としか思えませんな。 明治の作家を、あまり買い被らない方がいいと思います。 名前は知れていても、それは、国語の文学史などで、習うからであって、もはや、ほとんど、読者をもっていますまい。 作品が読まれないのでは、作家とは言えません。


「葉花星宿」 約21ページ
  1972年(昭和47年)6月、「別冊文藝春秋120号」に掲載されたもの。

  晩年の尾崎紅葉と、その一番弟子、泉鏡花の関わりを例に、師弟関係の複雑さを論じたもの。 小説ではなく、論文です。 文学関係ではあるけれど、文学論ではなく、人間関係について、考察した内容。

  最初、飛ばし読みして、何が何だか、さっぱり分からず、ページ数が少なかったのを幸い、今度は、一文字ずつ、全行に目を通したら、面白い内容でした。 読み返して、まるっきり、印象が違うのは、珍しい事です。 念の為、熟読しておいて、良かった。

  尾崎紅葉が没したのは、明治36年で、1903年なのですが、その頃まで、作家は、徒弟制度でやっていたとの事。 つまりその、有名な作家は、作家志望の書生を養っていたわけですな。 で、師弟関係が発生するわけですが、これが、現代の感覚からすると、理解できないくらい、奇妙奇天烈。

  紅葉自身も、正妻の他に、妾をもっていたくせに、弟子の鏡花が、結婚するつもりで、芸者を引かせた事に激怒して、折檻したというのだから、呆れます。 その大きな理由が、自分が癌になり、余命幾許もないと分かって、幸せいっぱいの若い弟子夫婦に嫉妬したから、となると、人間の醜さも、ここに極まりますな。 鏡花夫婦も鏡花夫婦で、強かに、面従腹背するのですが、そちらの方は、まだ、常識的に理解できます。

  とはいえ、紅葉も、鏡花も、今となっては、名のみ残った感が強いですねえ。 文学志望の学生というのは、今でもいると思いますが、明治の作家の作品なんて、読むのだろうか? その様子を想像できぬ。 明治どころか、昭和の作家の作品すら、読まないのでは? 


「正太夫の舌」 約50ページ
  1972年(昭和47年)9月、「別冊文藝春秋120号」に掲載されたもの。

  斎藤緑雨について、評伝を書くように頼まれた作家が、資料を集めながら、緑雨について語る話。

  一応、一人称の小説仕立てですが、その体裁には、ほとんど、意味がありません。 普通に、伝記として書いても、大きな違いはなかったと思います。 ちなみに、結構、面白いのですが、緑雨が面白いというより、文芸批評に対する作者の考え方が細かく書かれているところが、面白いです。

  斎藤緑雨の名前は聞いた事がありましたが、専ら、批評家で、小説の方は、数えるほどしか書いていないとの事。 1904年(明治37年)没ですから、明治の前半の後期頃に名を売ったわけですが、当時、日本には、文芸批評が確立しておらず、草分けになった人物らしいです。 才気があり、感性も鋭かったものの、批評対象を揶揄するような軽薄な文体を好んだせいで、作家たちからは、疎まれていたのだとか。

  現代の批評家と通じるところが多く、そこへ、松本さんが食いついたわけですな。 批評家以外にも、いろいろと、文壇内部の事情が書かれていますが、いずれも、面白いです。 「正太夫」というのは、緑雨の別名。 明治は遠くなったけれど、小説家よりは、批評家の方が、まだ、現代性が感じられるというわけだ。 といって、緑雨の作品を読もうという気にはなりませんが。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、つまり、2021年の、

≪松本清張全集 26 火の縄/小説日本芸譚/私説・日本合戦譚≫が、7月1日から、11日。
≪筒井順慶≫が、7月8日から、13日まで。
≪松本清張全集 30 日本の黒い霧≫が、7月15日から、21日まで。
≪松本清張全集 51 眩人・文豪≫が、7月26日から、8月2日まで。

  ≪松本清張全集 26≫と、≪筒井順慶≫の日付が重なっているのは、昼間、全集を読んで、夜眠る前に、≪筒井順慶≫を読んでいたからです。 図書館で借りた本を、眠る前に、横になって読んでいると、ページの間から、ゴミが落ちてくる事があるので、極力、昼間に、座った姿勢で読むようにしています。

  ≪松本清張全集≫の感想も、終わりが近づいて来ました。 今現在、すでに、読み終わっていますが、一年以上、同全集ばかり読んでいたので、次に何を読んでいいか、うまく決められない日々が続いています。

2021/12/05

AIの判断

  12月は、一年の纏めが、最後の週に来るから、プチ・ツーリングの記事が、その前の週に押し出されて、きっつきつになる予定。 月前半の2週で、読書感想文の方を進めてしまいたいところですが、そういう時に限って、何かを書き下ろしたくなるから、捻くれた性格です。 で、何を書き下ろすかというと、AI、つまり、人工知能の話。 なに、専門的な知識は、全く持ち合わせていませんから、ごく短いものになります。




  11月の中旬頃、BS-TBSの、≪報道1930≫で、AI兵器の特集をやっていました。 それを見て、知らなかった分野の進歩の速さに、寝耳に水的に驚き、個人を追いかけて来て爆発する無人機の恐ろしさに震え上がった人も多かろうと思います。 私も驚きました。 しかし、AIが、兵器だけに使われていると誤解してしまうと、もっと怖い結果に至りそうなので、他の視点がある事を、書いておこうかと思った次第。


  兵器に、AIが使われた場合、「人間に危害を加えてはならない」という、アシモフの「ロボット三原則」に抵触するわけですが、ロボット三原則自体が、SF作家が考えたものなので、科学的・政治的には、真面目に捉えられていません。 そもそも、「ロボット三原則に従わなければならない」などという法律も条約も存在しませんし、更にそもそも、「AI=ロボット」という認識がなければ、ロボット三原則で、AIを規制する事はできません。 「AI=機械・道具」という見方をするなら、従来の武器・兵器と変わらないわけで、結局、使っているのは、人間だから、ロボット三原則の出る幕はないわけだ。

  末端の兵器ではなく、もっと上位の判断を、AIに委ねた場合はどうなるのか? 戦闘の指揮や、戦術、戦略の判断を、AIにさせた場合、倫理的に問題があるのか? これも、やすやすと、反駁・突破されてしまいそうですねえ。 その種の判断に使えるAIがあって、その判断通りに実行すれば勝てるのに、敢えて使わないという軍も国もないでしょう。 

  では、戦争自体の開始は、AIの判断に委ねられるか? となると、そこまで高次元の判断を下すには、AIは、まだまだ、未熟という感じがします。 ただ、では、戦争開始の判断は、人間なら、うまくやれるのか? となると、これまた、大いに怪しい。 過去に起きた戦争を見ると、明らかに、間違った判断で始めたというケースが、ゴロゴロあります。 自ら攻めて行ったのに、結果が敗北というのが、その典型例です。 「勝負は時の運」などという寝言に頼って、正確な判断ができなかったわけだ。

  AIに、戦争開始の判断はさせられないけれど、停戦や、降伏の判断なら、いけそうですな。 1945年8月に、日本政府が、AIをもっていたら、広島に原爆が落とされた時点で、即、降伏し、長崎への投下は避けられたと思います。 もっと早い時点で、AIがあったら、そもそも、戦争を始めなかったでしょう。 もっとも、AIの判断を実行するには、「AIの判断は、人間のそれより、優れている」という合意が必要なので、軍が戦争の決定権を握っていた当時の日本政府では、AIは、足蹴にされて、壊されただけだと思いますが。


  戦争の事はさておき、AIは、兵器にばかり使われているわけではなく、人間では対応しきれない複雑な要素が絡み合う、高度な判断が必要とされる、あらゆる場面で、活用が可能です。 たとえば、工場の生産管理に、AIを導入していてる企業が、外国では、相当あるらしいですが、そういう事に使える、汎用のAIが、すでに存在しているわけですな。

  日本では、ごくごく単純な物を除いて、AIがAIらしく使われているという例を聞きませんが、それ即ち、すでに、AI先進国と比べて、大きな差がついているという事なんでしょう。 いずれ、汎用も汎用、これ以下は考えられないくらい、汎用化したAIが、日本の企業や役所でも、使われ始める時代が来ると思いますが、外国製のシェアを崩す事はできますまい。 スマホや、撮影用ドローン市場を思い浮かべれば、先行者優位を崩すのが、いかに不可能に近いかが分かると思います。

  AIなら、何でも同じというわけではなく、AIの中にも、完成度が高い物と、低い物が、当然あります。 ちなみに、人間よりも、判断力に劣っていたら、それは、未熟品という事になり、そういうAIを利用する意味はありません。 AIを様々な分野で、どしどし投入し、バンバン活用する社会の中でも、完成度の高いAIが生き残って行って、他は淘汰されて行くでしょう。 AIを活用できない国・社会、役所・企業は、AIを使うライバル達に、どんどん水を開けられて、取り残されて行くと思います。

  ここで、大変、根本的な考え違いをする人々が出てくる危険性があります。

「AIは活用する。 しかし、最終的な判断は、人間が行なう」

  この文言、当然の事だと思いますか? 民主主義国・地域の住民なら、この文言に、全く違和感を抱かないと思います。

「当然だ。 そうでなければ、映画≪マトリックス≫の、現実世界のように、機械に支配されてしまうではないか」

  だけどねえ。 AIは、人間より判断力が優れているのが、その存在意義が発生する最低条件なのだから、最終判断は人間がすると言っても、結局、AIの判断を追認するだけになってしまうとは思いませんか? 人間が、「このAI判断は間違っている」と指摘しても、AIから、ビッグ・データなど、人間には直接捉え難い根拠を示されると、結局、その判断を認めざるを得なくなると思うのです。

「判断力に於いて、機械は、人間を超える事ができない」

  それが、間違った認識でして、おそらく、SFの映画・小説・漫画などからの刷り込みで、そういう考え方がこびりついてしまったのだと思いますが、今は、その認識が覆されつつある、過渡期と言えます。 具体的な例では、チェス・将棋・囲碁など、ボード・ゲームの世界で、人間が、AIに勝てなくなったのを見れば、どちらが優れているか、認めざるを得ますまい。

  もちろん、ボード・ゲームは、一定のルールに縛られた狭い世界の事ですが、ビッグ・データの登場で、広い世界でも、AIが優位に立つ分野が、急激に広がっていると見るのが、正しい認識でしょう。 たとえば、企業の経営判断ですが、人間の社長が、閃きで思いついた戦略より、ビッグ・データを分析した、AIの戦略の方が、確実だと思うのは、私だけではないはず。 もし、私が社員だったら、AIを使いこなしている企業の方に勤めたいと思います。 名目上だけなら、「最終判断は、人間が行なっている」でも、構いませんが、基本的に、全ての判断項目に、AIを通している企業の方が、そうでない企業より、断然、強いと思うのです。

  全く、人間なんて、ろくなものではない。 不祥事ばかり起こしている企業を見ると、管理職が、社内での勢力争いばかりやっていて、会社のエネルギーを食い潰しているのが、部外者の目から見ても、ありありと分かります。 会社全体の利益より、自分が支配権をとり、地位だの、金だの、物だのを囲い込む事の方に、血道を上げているのです。 そんな毒虫どもに比べたら、AIがいかに清廉で、頼りになる事か。 実際に仕事をしている人間は別として、会社に顔を出しているだけで、やる事がない、肩書きだけの中間管理職とか、秘書に仕事を探してもらっている重役なんて、一人も要らんのだわ。 AIを使いこなせる社長が、一人いれば良い。


  AIの活用が、今後、この上なく重要になってくる事を考えると、民主主義の国・地域は、先行きが、暗いです。 だって、

「AIは活用する。 しかし、最終的な判断は、人間が行う」

  の大原則から、逃れられないでしょう? AIの判断とは違う判断を下す人間が、最終判断者の地位に居座っている限り、AIの判断を人間の判断より上位に置いている、国・地域には、勝てません。 AIの判断力は、どんどん、進化するのに対し、人間の判断力は、最も優れている人のそれでも、ムラがあり、多くの正しい判断と、多くの間違った判断を、一人の人間が行なうからです。 勝てんなあ。

  大抵の、SF作品では、機械が間違った判断を下したのを、人間の主人公が、命懸けで阻止して、ハッピー・エンドになりますが、そもそも、人間より判断力が劣る場合、AIとして認められないのですから、そういう作品の設定は、矛盾しています。 人間的な解釈が邪魔をして、AIの真の実力を侮っているから、そういうストーリーを作るのだと思いますが、AIが、どの分野でも使われる時代になれば、「AIのミスを、人間が正す」などというストーリーは、滑稽・陳腐以外の何ものでもなくなるでしょう。

「それでも、最終判断は、人間が・・・」

  分からん人だな。 ありあり、間違っていると分かっていても、人間の判断を取るのかね? 現実を良く見よ。 民主主義国家・地域の為政者達が、優れていると思いますか? 一般民衆の平均と比べても、上回っている人物は、少ないです。 言いたくないが、馬鹿、アホ、間抜け、能なし、昼行灯、風呂の蓋くらいなら、まだいい方で、性格異常者、精神異常者、認知症患者、ズバリ犯罪者など、およそ、国・地域の指導者には、これ以上、相応しくない人がいないというくらい、相応しくない人達が、『民主的手続きを経て』、トップに選ばれています。 彼らが、AIよりも、優れた判断をすると思いますか? 話にならぬ。

  百歩譲って、AIより優れた判断力を持つ人間がいたとして、そういう人物を、どうやって、選ぶのだ? そんな人物が、金と欲にどっぷり塗れた、「民主的手続き」に、引っ掛かって来ると思いますか? それこそ、AIを使って該当人物を捜すしかありませんな。 そして、そういう人物なら、「私より、AIに判断を任せた方がいいです」と、あっさり、認めるでしょう。


  今現在、すでにそうなっている国・地域があるかどうかは不明ですが、AIを高次元の判断に活用できるところが、今後、生き残って行くと思います。 そういう国・地域では、企業でも、団体でも、様々な階梯で、AIが使われると思うので、政治、経済はもちろん、科学、技術、文化まで、あらゆる分野で、他を圧倒し始めるんじゃないでしょうか。

  ディストピア? いや、その時になってみれば、AIを使いこなせなかった国・地域の方が、ディストピアになっていると思いますよ。 欲の皮ばかり突っ張った、馬鹿な人間同士が血で血を洗う、修羅場と言った方が、的確か。 人間なんて、そんなに、御大層な能力があるわけではないです。