EN125-2Aでプチ・ツーリング (31)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、31回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年3月分。
【平沼二神社①】
2022年3月3日、バイクで、沼津市の西の方、平沼地区にある、二つの神社へ行って来ました。 目的地は、当初、一つでしたが、すぐ近くに、もう一つあるのを、住宅地図で見て知っていたので、結局、二ヵ所を見て来た次第。 場所は、浮島小・中学校の西辺の道を北へ向かい、新幹線の跨線橋を渡って、すぐに西へ曲がった所です。
≪写真1≫
こちらが、本来の目的地、「山神社」です。 平沼地区には、もっと北の方に、もう一つ、山神社があり、そちらは、以前、行った事があります。
で、こちらの山神社ですが、畑の隅にあり、いかにも、個人祭祀の雰囲気が濃厚。 ブロック塀で囲ってある点や、貝塚伊吹を、左右対称に植えてある点なども、個人祭祀っぽいです。 一人の人間が考えたのでなければ、こうは纏まりません。
鳥居の名額には、はっきり、「山神社」と書いてあります。
≪写真2≫
社殿。 というか、この建物は、覆いでして、中に、石の祠が、三つ並んでいます。 最初から企図して、こういう祀り方をする事はないと思うので、畑のあちこちに分散していた石祠を集め、ここに纏めて、祀ったんじゃないでしょうか。
覆いは、細工が難しいコンクリート製にしては、良く出来ていると思います。 注連縄は、長い牛蒡注連。
≪写真3左≫
境内に置かれた、石。 変わった形をしています。 おそらく、奇石として、取り入れたのでしょう。 明らかに、庭のつもりで、境内をデザインしています。
≪写真3右≫
社殿の左右に、かなり大きな蘇鉄が植えられていました。 貝塚伊吹も、蘇鉄も、左右対称に植えるというのが、個人のセンスを感じさせます。
≪写真4≫
この山神社、東海道新幹線の、すぐ、北側にあります。 数分に一回、「ゴーーーッ!」と通るので、待ち構えて、撮影しました。 今の車両ですな。
【平沼二神社②】
≪写真1≫
山神社から、新幹線に沿って、西へ向かい、最初の交差点で、北側を見ると、倉庫のようなものがありました。 よく見ると、その南側に、鳥居が立っているじゃありませんか。 これは、倉庫ではなく、神社の拝殿だったのです。 地図には、「大六天」とあります。
近づいて見ても、鉄の扉が閉まっていて、やはり、単独では、倉庫にしか見えませんでした。
≪写真2左≫
これが、倉庫の裏手、北側にあった、本殿です。 前に賽銭箱が置かれている点を見ても、実際に拝む場所は、こちらです。 拝殿が、拝殿の役をしていない形式は、他でも幾つか、見た事があります。
≪写真2右≫
境内別社。 石の祠で、たぶん、よそから移されて来たもの。
≪写真3左≫
拝殿の南側に立っていた、石の建造物。 何なんでしょう?
≪写真3右≫
裏側。 もしかしたら、旗竿を立てる、土台なのかもしれません。 これ自体が、奉納品。
≪写真4≫
山神社に戻って来ました。 前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 去年、バッテリーを交換し、灯火類を補修して以降、問題なく走っています。 遠い目的地が続いているせいか、燃料の消費が早いです。 今、ガソリン代が高いから、あまり入れたくないんですが、入れなきゃ走らないから、致し方なし。
【西浦立保・神明神社①】
2022年3月11日に、バイクで、西浦立保にある、「神明神社」へ行って来ました。 西浦は、基本的に、集落ごとに、神社と寺があります。 ほとんど、漁村ですが、山の斜面を利用した、蜜柑栽培も盛んです。
≪写真1≫
住宅に挟まれて、山裾にへばりつくような格好で、神社が造られていました。 石垣は、土留め。 ブロック塀は、境内から人が落下するのを防ぐのが、造った理由でしょう。
≪写真2≫
正面。 鳥居は、コンクリート製です。 風情はないけど、もちはよさそうです。 時代がついているから、廃墟遺物的迫力を感じさせます。 境内は、三段になっています。
≪写真3左≫
石燈籠。 左は、四角断面型。 右は、丸・八角断面型。
≪写真3右≫
四角断面型の方の石燈籠ですが、文化四年のものでした。 1807年。 江戸後期ですな。 もちがいい。
≪写真4左≫
これは、境内にあった石碑というか、標柱。 かなり古そうですが、何と書いてあるのか、読めませんでした。
≪写真4右≫
手水場と、獅子型狛犬。 手水場は、石造りで、蛇口あり、ハンドルあり。 狛犬は、獅子型という事は、そんなに古い物ではなさそうですが、石の風化具合はかなり進んでいて、やはり、廃墟遺物的迫力があります。
【西浦立保・神明神社②】
≪写真1左≫
拝殿。 境内の第二段にあり、石段で上がります。 開放されていて、中に入れるようになっています。
≪写真1右≫
拝殿の裏手。 急な石段あり。 拝殿の背面と、石段が近過ぎて、一段目に足を載せるのに苦労しました。 これは、「拝殿背面の扉が開いている時以外、登るな」という事でしょうか。 石段も急過ぎ。 手すりがあって、応じ合わせ。 というか、この傾斜では、手すりを付けたくなりますわなあ。
≪写真2左≫
崖の上にある本殿。 立派な建物ですが、周囲に空間がなくて、この角度からしか撮れませんでした。 崖を削って造った土地だから、狭いのは、致し方ないか。
≪写真2右≫
本殿の背面。 すぐに、崖です。 逆に考えると、よくぞ、この急峻な崖に、これだけの平らな土地を切り開いたもの。 信心の為せる業でしょうか。
≪写真3左≫
拝殿の隣にあった、境内別社。 赤い屋根は、覆いで、中に、木製の祠が置いてあります。 オレンジ色と青色の、鯉形の花立て、あり。 太鼓が吊ってあるのは、割と珍しいです。
≪写真3右≫
これも、拝殿と同じ段にあった、境内別社。 石の祠。 他から移して来たものかも知れません。 お墓に立てるのと同じ、花立て、あり。
≪写真4≫
神社の北側にあった、児童公園。 ブランコ、鉄棒、滑り台、雲梯と、実用的遊具が揃っています。
≪写真5≫
児童公園の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 つくづく、このバイク、荷台がカッコいいな。
西浦と言っても広うござんすが、立保は真ん中辺りで、うちからだと、かなり遠いです。 ガソリンの減りが速い。
海岸沿いの道は、ワインディング・ロードで、走る分には楽しいのですが、海風を受けるから、メッキ部分が錆びないように、戻ってから、油の浸みたウエスで拭いてやらなければならないのが、ちと、面倒です。
【内浦三津・氣多神社①】
2022年3月15日、バイクで、内浦三津にある、「氣多神社」へ行って来ました。 「きた・じんじゃ」と読むようです。 幹線道路から、一本奥に入った通りでしたが、迷わずに到着しました。
≪写真1≫
正面。 住宅地の中、山の傾斜が、少し始まった所にあります。 石垣、石欄干。 鳥居も石。
≪写真2左≫
道路沿いに、こんな標識が立っていました。 「発端丈山ハイキングコース 三津中央登り口」。 この神社の裏手から、発端丈山(ほったんじょうさん)に登れるようです。 私は、何度か登った事がありますが、他から登りました。 最初に登る前に、ネットで調べていて、「神社から登れる」とあるのを読んだのですが、この神社の事だったんですな。 ちなみに、標高は、410メートルですが、結構、ハードな山です。
≪写真2右≫
「氣多神社ゆらい」。 元は、立派なものだったのでしょうが、だいぶ、錆が出ています。 西暦859年の鎮座。 奈良時代ですな。 祭神、「意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)」。 読めんなあ。 明治になってから、宛がわれた祭神ではなく、創建以来のようですな。
≪写真3左≫
もろ逆光、ほとんど分からなくて、恐縮ですが、社標です。 「氣多神社」とあります。 犬養毅の書から彫ったものだそうです。 大正9年に建立。
≪写真3右≫
石燈籠。 反対側に、対になったものも、並んでいました。 古そうですが、寄進された年まで見て来ませんでした。 間に、獅子型の狛犬が挟まっています。 獅子型ですが、戦前の造りですな。
≪写真4≫
拝殿。 立派なもの。 屋根は、銅板葺き。 この壁の蔀は、開閉できるんじゃないでしょうか。
≪写真5左≫
拝殿正面。 名額あり。 鈴は、普通サイズ。 太鼓が吊ってあります。
≪写真5右≫
社殿を側面から。 拝殿と本殿が、短い廊下で繋がれている形式。 建物の造りが、これでもかというくらい、凝っています。 これは、普通の村社クラスでは、真似ができませんな。
【内浦三津・氣多神社②】
≪写真1左≫
手水舎。 小屋がけは、屋根の銅板葺きも、傾斜した柱も、文句なしの堂々たる造り。 石製の漱盤には、正面に、菊花紋が浮き彫りになっています。 惜しむらく、漱盤には蓋がされて、縄で縛られ、水回りは機能していません。 これでは、飾りですな。
≪写真1右≫
境内別社。 八坂神社。 祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)。 板塀、瓦葺き。 戦前か、戦後間もない頃の建物だと思います。
≪写真2左≫
「神輿殿」。 おみこしが入っているんでしょうな。 切石を積んだ壁に、瓦葺きの屋根。 綺麗なので、そんなに古いものではなさそう。 戦後の建築かもしれません。 それか、近年に直したか。
≪写真2右≫
この複雑な形をした、白壁の建物は、「沼津市老人クラブ 三津福寿会 憩の家」。 屋根の重なり具合に、趣きがあります。
≪写真3左≫
拝殿の濡れ縁にあった、「土足厳禁」の注意書き。 日本語の他に、英語、中国語、韓国朝鮮語で書かれています。
≪写真3右≫
境内の外ですが、車を2・3台停められる場所があり、そこに、忠魂碑がありました。 解説板があり、「平和への道標」と題されていますが、本来は、戦死者を顕彰する為のものです。 矛盾を感ぜざるを得ませんが、人間社会というのは、そういう矛盾したものなんでしょう。
この大きさから見て、だいぶ、戦死者を出した模様。 石碑を建ててもらっても、死んだ人は帰って来ませんなあ。 もっと、生きたかったろうに。
≪写真4≫
駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 境内全部見て回っても、バイクが見えなくなるは、ほんの僅かの時間だと思い、ハンドル・ロックはかけませんでした。 キーは抜きましたけど。 バイクの写真を撮る時には、ハンドルを真っ直ぐにしておいた方が、断然、カッコ良く写ります。
私の家からだと、三津くらいなら、大した距離ではありません。 この日の走行距離は、往復で、26キロでした。
≪写真5≫
帰りに、淡島の近くで撮影した景色。 淡島は、おにぎりみたいな形ですが、海に隠れている部分は、深く落ちているようです。 青森県の、浅虫温泉にも、同じような形の島がありますな。
快晴で、富士山が、綺麗に見えています。 空に浮かんでいる、黒い点は、鳥影。
【伊豆の国市長瀬・稲荷社】
2022年3月24日、バイクで、伊豆の国市・戸沢にある神社を目指したんですが、戸沢に入る道を見つけられず、三津へ抜ける幹線道路沿いにある、長瀬の「稲荷社」を撮影して帰って来ました。
≪写真1≫
ロストして、細い道を、行き止まりに近い所まで進んで、撮った写真。 菜の花が、押し寄せる波のようです。
≪写真2≫
やむなく、幹線道路沿いにある、「稲荷社」を撮影。 この辺りは、長瀬です。 個人祭祀のようですが、それにしては、大きい社殿です。 木造、前庇だけ、瓦葺き。 本体の屋根は、たぶん、トタン・ブリキ。 割と新しい彫りと見られる、狛狐あり。
写真の右の方に、このお宅で飼っている、柴犬と猫が写っています。 バイクの私に、どう対処していいか分からないようで、この後、立ち上がって、そわそわと、うろたえていました。 騒がして、済まなかった。
≪写真3≫
あまりにも写真が少ないので、帰りに、大平の「諏訪神社」で、寒緋桜を撮影しました。 道路の反対側から撮ったから、画像が粗いです。
≪写真4≫
バイクを入れた写真が一枚もないので、帰ってから撮った、メーターの写真を入れておきます。 燃料計は、キーを切ると、戻ってしまいます。 トリップ・メーターは使っていません。 オド・メーターは、29830キロで、中古で買った時が、26294キロでしたから、これまでに、3536キロ走った事になります。 2年半、毎週、乗っているのに、その程度。 プチ・ツーリングが、いかに、経済的な趣味であるかが分かると思います。
【伊豆の国市戸沢・劔刀神社】
2022年3月30日、バイクで、伊豆の国市・戸沢にある、「劔刀神社」へ行って来ました。 「劔刀」の二文字で、「たち」と読みます。 前週の、24日に行こうとして、辿り着かなかった所。 地図を調べ直して、再挑戦し、今度は着きました。
≪写真1≫
谷間の集落。 東側の山裾に造られています。 この写真では、分かり難いですが、石の鳥居があり、「慶應二」とありました。 1866年。 異様に、もちがいい。
道路にバイクを停める所がなくて、スロープの参道途中に、かなり、曲芸的に停めました。 前輪だけ地面に下ろして、水平を保ってあります。 帰りは、跨って、ブレーキをかけながらバックし、道路に下りました。 サイド・スタンドを外し忘れて、あとで、道路にすって、ガリガリやってしまったのは、私です。
≪写真2左≫
社標。 「延喜式内 劔刀神社」。 延喜式内だからといって、必ず、広大な境内があるわけではなく、村社クラスの規模の所も多いです。
≪写真2右≫
伊豆の国市・教育委員会による、「伊豆の国市 指定史跡」の解説板。 なぜ、ここに延喜式内神社があるかというと、この付近で、良質の粘土が採れ、製瓦業が盛んな土地柄だったのと、三津方面に抜ける街道に沿っていたから、というのが主な理由だそうです。
≪写真3左≫
社殿。 本殿・拝殿一体式。 鉄筋コンクリート、瓦葺き。 昭和50年の造営。 1975年ですな。 延喜式内で、鉄コンは、どうかと思いますが、70年代半ば頃なら、アリだったと思います。
≪写真3右≫
社殿の扉。 鉄製。 賽銭投入口が設けられていますが、これは、割と近年に作られたのでは? かつては、賽銭箱が外に置かれていたのだろうと思います。
注連縄に下げてある、幣(しで)ですが、ビニールに入っていました。 濡れると、すぐに落ちてしまうからでしょうな。
≪写真4左≫
社殿正面についていた、電灯。 うーむ、時代を映していますねえ。 70年代中頃までは、こういう電灯が多かったんですよ。 50年近く経っているわけですが、よくぞ、割れもせず、残ったものです。
≪写真4中≫
狛犬。 これは、古そうだ。 戦前は、確実。 江戸時代でも、おかしくありません。
≪写真4右≫
手水場。 水道設備なし。 古そうな形式ですねえ。 神物というより、仏物っぽい。 昔は、祭祀や正月など、行事がある時だけ、水を運んで、入れていたのかも知れませんな。
≪写真5左≫
境内には、石で作った物が、幾つも置いてありました。 左端の物体は、初見。 何なんでしょう? やはり、神物というより、仏物っぽい。 他に、石燈籠が何組もありました。
≪写真5右≫
境内から見た、戸沢公民館の桜。 満開。
≪写真6≫
境内から見渡した、戸沢地区。 いい雰囲気だなあ。 こういう所で生まれ育ったら、他へ移り住んでも、この風景を絶対忘れないでしょうね。
山深いように見えますが、そうでもなくて、伊豆長岡の街まで、自転車でも買い物に行けるくらいの距離ですから、暮らしの便はいいと思います。
今回は、ここまで。
組み写真8枚は、多いな。 アップが大変だ。 出かけた回数にしても、一ヵ月に、5回も行っており、3月は、週が多かった事が分かります。 私が、たくさん出かけたいと思っているわけではなく、週に一回と決めているから、週が多いと、自動的に、出かける回数も多くなるという次第。
たくさん出かけたいと思っているわけではないですが、週に一度、バイクで出かける日が近づくと、何となく、ワクワクします。 という事は、私が、プチ・ツー趣味を楽しんでいるという証拠ですな。 もっとも、ワクワクすると同時に、何となく、面倒くさいとも感じているのですが、この相反する感情は、バイク乗りなら、誰でも経験があるんじゃないでしょうか。
【平沼二神社①】
2022年3月3日、バイクで、沼津市の西の方、平沼地区にある、二つの神社へ行って来ました。 目的地は、当初、一つでしたが、すぐ近くに、もう一つあるのを、住宅地図で見て知っていたので、結局、二ヵ所を見て来た次第。 場所は、浮島小・中学校の西辺の道を北へ向かい、新幹線の跨線橋を渡って、すぐに西へ曲がった所です。
≪写真1≫
こちらが、本来の目的地、「山神社」です。 平沼地区には、もっと北の方に、もう一つ、山神社があり、そちらは、以前、行った事があります。
で、こちらの山神社ですが、畑の隅にあり、いかにも、個人祭祀の雰囲気が濃厚。 ブロック塀で囲ってある点や、貝塚伊吹を、左右対称に植えてある点なども、個人祭祀っぽいです。 一人の人間が考えたのでなければ、こうは纏まりません。
鳥居の名額には、はっきり、「山神社」と書いてあります。
≪写真2≫
社殿。 というか、この建物は、覆いでして、中に、石の祠が、三つ並んでいます。 最初から企図して、こういう祀り方をする事はないと思うので、畑のあちこちに分散していた石祠を集め、ここに纏めて、祀ったんじゃないでしょうか。
覆いは、細工が難しいコンクリート製にしては、良く出来ていると思います。 注連縄は、長い牛蒡注連。
≪写真3左≫
境内に置かれた、石。 変わった形をしています。 おそらく、奇石として、取り入れたのでしょう。 明らかに、庭のつもりで、境内をデザインしています。
≪写真3右≫
社殿の左右に、かなり大きな蘇鉄が植えられていました。 貝塚伊吹も、蘇鉄も、左右対称に植えるというのが、個人のセンスを感じさせます。
≪写真4≫
この山神社、東海道新幹線の、すぐ、北側にあります。 数分に一回、「ゴーーーッ!」と通るので、待ち構えて、撮影しました。 今の車両ですな。
【平沼二神社②】
≪写真1≫
山神社から、新幹線に沿って、西へ向かい、最初の交差点で、北側を見ると、倉庫のようなものがありました。 よく見ると、その南側に、鳥居が立っているじゃありませんか。 これは、倉庫ではなく、神社の拝殿だったのです。 地図には、「大六天」とあります。
近づいて見ても、鉄の扉が閉まっていて、やはり、単独では、倉庫にしか見えませんでした。
≪写真2左≫
これが、倉庫の裏手、北側にあった、本殿です。 前に賽銭箱が置かれている点を見ても、実際に拝む場所は、こちらです。 拝殿が、拝殿の役をしていない形式は、他でも幾つか、見た事があります。
≪写真2右≫
境内別社。 石の祠で、たぶん、よそから移されて来たもの。
≪写真3左≫
拝殿の南側に立っていた、石の建造物。 何なんでしょう?
≪写真3右≫
裏側。 もしかしたら、旗竿を立てる、土台なのかもしれません。 これ自体が、奉納品。
≪写真4≫
山神社に戻って来ました。 前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 去年、バッテリーを交換し、灯火類を補修して以降、問題なく走っています。 遠い目的地が続いているせいか、燃料の消費が早いです。 今、ガソリン代が高いから、あまり入れたくないんですが、入れなきゃ走らないから、致し方なし。
【西浦立保・神明神社①】
2022年3月11日に、バイクで、西浦立保にある、「神明神社」へ行って来ました。 西浦は、基本的に、集落ごとに、神社と寺があります。 ほとんど、漁村ですが、山の斜面を利用した、蜜柑栽培も盛んです。
≪写真1≫
住宅に挟まれて、山裾にへばりつくような格好で、神社が造られていました。 石垣は、土留め。 ブロック塀は、境内から人が落下するのを防ぐのが、造った理由でしょう。
≪写真2≫
正面。 鳥居は、コンクリート製です。 風情はないけど、もちはよさそうです。 時代がついているから、廃墟遺物的迫力を感じさせます。 境内は、三段になっています。
≪写真3左≫
石燈籠。 左は、四角断面型。 右は、丸・八角断面型。
≪写真3右≫
四角断面型の方の石燈籠ですが、文化四年のものでした。 1807年。 江戸後期ですな。 もちがいい。
≪写真4左≫
これは、境内にあった石碑というか、標柱。 かなり古そうですが、何と書いてあるのか、読めませんでした。
≪写真4右≫
手水場と、獅子型狛犬。 手水場は、石造りで、蛇口あり、ハンドルあり。 狛犬は、獅子型という事は、そんなに古い物ではなさそうですが、石の風化具合はかなり進んでいて、やはり、廃墟遺物的迫力があります。
【西浦立保・神明神社②】
≪写真1左≫
拝殿。 境内の第二段にあり、石段で上がります。 開放されていて、中に入れるようになっています。
≪写真1右≫
拝殿の裏手。 急な石段あり。 拝殿の背面と、石段が近過ぎて、一段目に足を載せるのに苦労しました。 これは、「拝殿背面の扉が開いている時以外、登るな」という事でしょうか。 石段も急過ぎ。 手すりがあって、応じ合わせ。 というか、この傾斜では、手すりを付けたくなりますわなあ。
≪写真2左≫
崖の上にある本殿。 立派な建物ですが、周囲に空間がなくて、この角度からしか撮れませんでした。 崖を削って造った土地だから、狭いのは、致し方ないか。
≪写真2右≫
本殿の背面。 すぐに、崖です。 逆に考えると、よくぞ、この急峻な崖に、これだけの平らな土地を切り開いたもの。 信心の為せる業でしょうか。
≪写真3左≫
拝殿の隣にあった、境内別社。 赤い屋根は、覆いで、中に、木製の祠が置いてあります。 オレンジ色と青色の、鯉形の花立て、あり。 太鼓が吊ってあるのは、割と珍しいです。
≪写真3右≫
これも、拝殿と同じ段にあった、境内別社。 石の祠。 他から移して来たものかも知れません。 お墓に立てるのと同じ、花立て、あり。
≪写真4≫
神社の北側にあった、児童公園。 ブランコ、鉄棒、滑り台、雲梯と、実用的遊具が揃っています。
≪写真5≫
児童公園の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 つくづく、このバイク、荷台がカッコいいな。
西浦と言っても広うござんすが、立保は真ん中辺りで、うちからだと、かなり遠いです。 ガソリンの減りが速い。
海岸沿いの道は、ワインディング・ロードで、走る分には楽しいのですが、海風を受けるから、メッキ部分が錆びないように、戻ってから、油の浸みたウエスで拭いてやらなければならないのが、ちと、面倒です。
【内浦三津・氣多神社①】
2022年3月15日、バイクで、内浦三津にある、「氣多神社」へ行って来ました。 「きた・じんじゃ」と読むようです。 幹線道路から、一本奥に入った通りでしたが、迷わずに到着しました。
≪写真1≫
正面。 住宅地の中、山の傾斜が、少し始まった所にあります。 石垣、石欄干。 鳥居も石。
≪写真2左≫
道路沿いに、こんな標識が立っていました。 「発端丈山ハイキングコース 三津中央登り口」。 この神社の裏手から、発端丈山(ほったんじょうさん)に登れるようです。 私は、何度か登った事がありますが、他から登りました。 最初に登る前に、ネットで調べていて、「神社から登れる」とあるのを読んだのですが、この神社の事だったんですな。 ちなみに、標高は、410メートルですが、結構、ハードな山です。
≪写真2右≫
「氣多神社ゆらい」。 元は、立派なものだったのでしょうが、だいぶ、錆が出ています。 西暦859年の鎮座。 奈良時代ですな。 祭神、「意氣長多羅司姫命(おきながたらしひめのみこと)」。 読めんなあ。 明治になってから、宛がわれた祭神ではなく、創建以来のようですな。
≪写真3左≫
もろ逆光、ほとんど分からなくて、恐縮ですが、社標です。 「氣多神社」とあります。 犬養毅の書から彫ったものだそうです。 大正9年に建立。
≪写真3右≫
石燈籠。 反対側に、対になったものも、並んでいました。 古そうですが、寄進された年まで見て来ませんでした。 間に、獅子型の狛犬が挟まっています。 獅子型ですが、戦前の造りですな。
≪写真4≫
拝殿。 立派なもの。 屋根は、銅板葺き。 この壁の蔀は、開閉できるんじゃないでしょうか。
≪写真5左≫
拝殿正面。 名額あり。 鈴は、普通サイズ。 太鼓が吊ってあります。
≪写真5右≫
社殿を側面から。 拝殿と本殿が、短い廊下で繋がれている形式。 建物の造りが、これでもかというくらい、凝っています。 これは、普通の村社クラスでは、真似ができませんな。
【内浦三津・氣多神社②】
≪写真1左≫
手水舎。 小屋がけは、屋根の銅板葺きも、傾斜した柱も、文句なしの堂々たる造り。 石製の漱盤には、正面に、菊花紋が浮き彫りになっています。 惜しむらく、漱盤には蓋がされて、縄で縛られ、水回りは機能していません。 これでは、飾りですな。
≪写真1右≫
境内別社。 八坂神社。 祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)。 板塀、瓦葺き。 戦前か、戦後間もない頃の建物だと思います。
≪写真2左≫
「神輿殿」。 おみこしが入っているんでしょうな。 切石を積んだ壁に、瓦葺きの屋根。 綺麗なので、そんなに古いものではなさそう。 戦後の建築かもしれません。 それか、近年に直したか。
≪写真2右≫
この複雑な形をした、白壁の建物は、「沼津市老人クラブ 三津福寿会 憩の家」。 屋根の重なり具合に、趣きがあります。
≪写真3左≫
拝殿の濡れ縁にあった、「土足厳禁」の注意書き。 日本語の他に、英語、中国語、韓国朝鮮語で書かれています。
≪写真3右≫
境内の外ですが、車を2・3台停められる場所があり、そこに、忠魂碑がありました。 解説板があり、「平和への道標」と題されていますが、本来は、戦死者を顕彰する為のものです。 矛盾を感ぜざるを得ませんが、人間社会というのは、そういう矛盾したものなんでしょう。
この大きさから見て、だいぶ、戦死者を出した模様。 石碑を建ててもらっても、死んだ人は帰って来ませんなあ。 もっと、生きたかったろうに。
≪写真4≫
駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 境内全部見て回っても、バイクが見えなくなるは、ほんの僅かの時間だと思い、ハンドル・ロックはかけませんでした。 キーは抜きましたけど。 バイクの写真を撮る時には、ハンドルを真っ直ぐにしておいた方が、断然、カッコ良く写ります。
私の家からだと、三津くらいなら、大した距離ではありません。 この日の走行距離は、往復で、26キロでした。
≪写真5≫
帰りに、淡島の近くで撮影した景色。 淡島は、おにぎりみたいな形ですが、海に隠れている部分は、深く落ちているようです。 青森県の、浅虫温泉にも、同じような形の島がありますな。
快晴で、富士山が、綺麗に見えています。 空に浮かんでいる、黒い点は、鳥影。
【伊豆の国市長瀬・稲荷社】
2022年3月24日、バイクで、伊豆の国市・戸沢にある神社を目指したんですが、戸沢に入る道を見つけられず、三津へ抜ける幹線道路沿いにある、長瀬の「稲荷社」を撮影して帰って来ました。
≪写真1≫
ロストして、細い道を、行き止まりに近い所まで進んで、撮った写真。 菜の花が、押し寄せる波のようです。
≪写真2≫
やむなく、幹線道路沿いにある、「稲荷社」を撮影。 この辺りは、長瀬です。 個人祭祀のようですが、それにしては、大きい社殿です。 木造、前庇だけ、瓦葺き。 本体の屋根は、たぶん、トタン・ブリキ。 割と新しい彫りと見られる、狛狐あり。
写真の右の方に、このお宅で飼っている、柴犬と猫が写っています。 バイクの私に、どう対処していいか分からないようで、この後、立ち上がって、そわそわと、うろたえていました。 騒がして、済まなかった。
≪写真3≫
あまりにも写真が少ないので、帰りに、大平の「諏訪神社」で、寒緋桜を撮影しました。 道路の反対側から撮ったから、画像が粗いです。
≪写真4≫
バイクを入れた写真が一枚もないので、帰ってから撮った、メーターの写真を入れておきます。 燃料計は、キーを切ると、戻ってしまいます。 トリップ・メーターは使っていません。 オド・メーターは、29830キロで、中古で買った時が、26294キロでしたから、これまでに、3536キロ走った事になります。 2年半、毎週、乗っているのに、その程度。 プチ・ツーリングが、いかに、経済的な趣味であるかが分かると思います。
【伊豆の国市戸沢・劔刀神社】
2022年3月30日、バイクで、伊豆の国市・戸沢にある、「劔刀神社」へ行って来ました。 「劔刀」の二文字で、「たち」と読みます。 前週の、24日に行こうとして、辿り着かなかった所。 地図を調べ直して、再挑戦し、今度は着きました。
≪写真1≫
谷間の集落。 東側の山裾に造られています。 この写真では、分かり難いですが、石の鳥居があり、「慶應二」とありました。 1866年。 異様に、もちがいい。
道路にバイクを停める所がなくて、スロープの参道途中に、かなり、曲芸的に停めました。 前輪だけ地面に下ろして、水平を保ってあります。 帰りは、跨って、ブレーキをかけながらバックし、道路に下りました。 サイド・スタンドを外し忘れて、あとで、道路にすって、ガリガリやってしまったのは、私です。
≪写真2左≫
社標。 「延喜式内 劔刀神社」。 延喜式内だからといって、必ず、広大な境内があるわけではなく、村社クラスの規模の所も多いです。
≪写真2右≫
伊豆の国市・教育委員会による、「伊豆の国市 指定史跡」の解説板。 なぜ、ここに延喜式内神社があるかというと、この付近で、良質の粘土が採れ、製瓦業が盛んな土地柄だったのと、三津方面に抜ける街道に沿っていたから、というのが主な理由だそうです。
≪写真3左≫
社殿。 本殿・拝殿一体式。 鉄筋コンクリート、瓦葺き。 昭和50年の造営。 1975年ですな。 延喜式内で、鉄コンは、どうかと思いますが、70年代半ば頃なら、アリだったと思います。
≪写真3右≫
社殿の扉。 鉄製。 賽銭投入口が設けられていますが、これは、割と近年に作られたのでは? かつては、賽銭箱が外に置かれていたのだろうと思います。
注連縄に下げてある、幣(しで)ですが、ビニールに入っていました。 濡れると、すぐに落ちてしまうからでしょうな。
≪写真4左≫
社殿正面についていた、電灯。 うーむ、時代を映していますねえ。 70年代中頃までは、こういう電灯が多かったんですよ。 50年近く経っているわけですが、よくぞ、割れもせず、残ったものです。
≪写真4中≫
狛犬。 これは、古そうだ。 戦前は、確実。 江戸時代でも、おかしくありません。
≪写真4右≫
手水場。 水道設備なし。 古そうな形式ですねえ。 神物というより、仏物っぽい。 昔は、祭祀や正月など、行事がある時だけ、水を運んで、入れていたのかも知れませんな。
≪写真5左≫
境内には、石で作った物が、幾つも置いてありました。 左端の物体は、初見。 何なんでしょう? やはり、神物というより、仏物っぽい。 他に、石燈籠が何組もありました。
≪写真5右≫
境内から見た、戸沢公民館の桜。 満開。
≪写真6≫
境内から見渡した、戸沢地区。 いい雰囲気だなあ。 こういう所で生まれ育ったら、他へ移り住んでも、この風景を絶対忘れないでしょうね。
山深いように見えますが、そうでもなくて、伊豆長岡の街まで、自転車でも買い物に行けるくらいの距離ですから、暮らしの便はいいと思います。
今回は、ここまで。
組み写真8枚は、多いな。 アップが大変だ。 出かけた回数にしても、一ヵ月に、5回も行っており、3月は、週が多かった事が分かります。 私が、たくさん出かけたいと思っているわけではなく、週に一回と決めているから、週が多いと、自動的に、出かける回数も多くなるという次第。
たくさん出かけたいと思っているわけではないですが、週に一度、バイクで出かける日が近づくと、何となく、ワクワクします。 という事は、私が、プチ・ツー趣味を楽しんでいるという証拠ですな。 もっとも、ワクワクすると同時に、何となく、面倒くさいとも感じているのですが、この相反する感情は、バイク乗りなら、誰でも経験があるんじゃないでしょうか。