EN125-2Aでプチ・ツーリング (33)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、33回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年5月分。
【伊豆の国市四日町・韮山図書館】
2022年5月4日、バイクで、伊豆の国市四日町・韮山図書館へ行って来ました。 伊豆箱根鉄道の東側、韮山駅から、少し南に行った所にあります。 大きな施設なので、近くまで行けば、すぐに分かります。
図書館だから、連休中でも、屋外は人がいないだろうと思って行ったら、大間違い! 「韮山時代劇場」というイベント施設の中に入っていて、大河ドラマで盛り上がっている事もあり、屋外広場に露店が出て、無数の人で大賑わい。 極力、人を避け、道路の反対側を歩いて、図書館の写真だけ撮って、早々に引き揚げて来ました。
≪写真1≫
これが、韮山図書館のようです。 中には入りませんでした。 伊豆の国市は、平成の大合併で出来た面積の広い自治体で、元の町々の中心部が離れているので、それぞれがもっていた図書館を、そのまま残してあるようです。 ここのは、旧韮山町のもの。
左奥の、変わった屋根が架かっている建物は、管理事務室。
≪写真2≫
日だまり広場。 奥に、「大河ドラマ館」があるようです。 ≪鎌倉殿の13人≫に合わせて、設えたのでしょう。 この広場が、人が多くて、芋を洗うが如し。 震え上がりました。
≪写真3≫
これは、一番南側にある建物で、大ホール。 韮山時代劇場は、イベント会場なんですな。
≪写真4左≫
北の端にあった、韮山の歴史・観光地を紹介した、オブジェ。 源頼朝、江川坦庵、反射炉などの絵が、ステンド・グラスのような、光を通す板に描かれています。
≪写真4右≫
大駐車場の空いている所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 別に、ここが駐輪場というわけではないです。
最初、私の一台だけだったんですが、戻って来たら、もう一台、横に停めてあって、今着いたばかりらしき乗り手が、無マスクで、上着の着替えをしていました。 気軽に話しかけられでもしたら、感染する恐れがあると思い、大急ぎでバイクに跨り、逃げ出して来ました。 これだから、人が多い所には、来たくないのです。
【伊豆の国市韮山多田・多田新池 / グラウンド】
2022年5月10日、バイクで、伊豆の国市、韮山多田にある、「多田新池」と、「多田新池グラウンド」に行って来ました。 前々から、都市地図に、池が載っているのは、分かっていたんですが、とうとう、現地に出かける時が来た次第。 行ったら、ありましたよ、本当に。
≪写真1左≫
以前、来た事がある、「富士見パークウェイ入口交差点」。 松原橋の方から来て、この交差点で左折し、北上すると、すぐの所に、池があります。
≪写真1右≫
道路を挟んで、東側が、池。 西側が、グラウンドです。 バイクは、グラウンド側の道路端に停めました。
≪写真2≫
これが、「多田新池」。 結構、広いです。 たぶん、農業用の溜め池です。 形がカクカクしているところを見るに、昔からあったわけではなさそうですな。 「釣りをするな」なという注意書きが、何枚も掲示されていました。 という事は、魚がいるわけだ。 釣りが禁止になっているのは、交通の邪魔になるからかも知れません。
≪写真3左≫
≪写真2≫にも写っている、北端にある水門。 ハンドルが付いていますが、これを開閉しに行くには、度胸と平衡感覚が必要になりそうです。
≪写真3右≫
グラウンドの門。 ここに、「多田新池グラウンド」という表札が出ているのを見て、初めて、この池の名前が分かりました。 地図には、載っていなかったのです。
≪写真4≫
グラウンド。 広い! 楽勝で、野球やサッカーができそうです。 この地区の子供は、恵まれておるのう。 もっとも、今では、そういう事をしたがる子供は、少ないかも知れませんが。
【函南町柏谷・地神様】
2022年5月19日、バイクで、函南町・柏谷の、「地神様」へ行って来ました。 本当の目的地は、仁田の、「初姫神社」だったんですが、曲がる交差点を間違えて、そちらには着かず、たまたま見つけたのが、「地神様」だったのです。 神社ではなく、石碑と解説板が立っているだけ。
≪写真1≫
全景。 神社ではないけれど、鎮守の森があります。
≪写真2≫
石碑。 竹で組んだ簡易鳥居に、牛蒡注連。 立派な花入れと、供物台あり。
奥の白いのは、解説板。 文覚尚人が、源頼朝を伴って、ここを訪れ、富士山を眺めて、「天下人たる者は、あの富士山の如く、泰然として、下からあがめ畏敬される仁徳を持たねば」と、教えたとの事。 他に、文覚尚人が、水利を指導したという話。 境内に、松の木が、代々自然に生えて来るという話が書いてあります。 私が見た限りでは、松らしい木はなかったですが。
≪写真3≫
道路から、西の方を見た景色。 この付近、田畑が多く、空間が開けています。 函南町役場の交差点から南下して来て、開けたな、と思ったら、その辺に、地神様があるわけですが、正確に場所を書き表す事ができません。
遠くの山並みは、沼津アルプスなので、私の家から見ると、ここは、真東に、かなり近いと思います。
≪写真4≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車を停める場所はないですが、交通量が少ないので、道路に停めても、3分くらいなら、文句は言われないでしょう。 ちなみに、階段を登って、見てくるのに、3分はかかりません。
この後、付近をうろついて、本来の目的地である、「初姫神社」を見つけたのですが、一回のツーリングで見る場所は、一ヵ所で充分なので、寄りませんでした。
地神様は、地図には出ていないから、たまたま見つけられたのは、棚から牡丹餅、幸運と考えるべき。
【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地①】
2022年5月24日に、バイクで、函南町上沢にある、「熊野神社」へ行って来ました。 去年の3月に、目的地にして出かけたものの、見つけられなかった所。 今回は、地図を入念に調べ、航空写真まで見て、曲がる交差点を間違えないようにしたら、難なく着きました。 隣接している、「臨江寺墓地」も、見て来ました。
≪写真1≫
山の斜面にあります。 境内は、斜面を段々に造成したもの。 全ての段を合わせれば、かなりの面積になると思います。
≪写真2左≫
バイクを停めるには、こういう地形は厳しい。 しかし、ここには、臨江寺の駐車場がありました。 他に車もなかったので、置かせてもらいました。 お寺は、駐車場に関しては、太っ腹なところが多いですな。
≪写真2右≫
ここに、函南小学校の上沢分校があったという解説板。 教師1名、児童14名で、明治13年から、19年まで、6年間、開校していたとの事。
この他にも、「上沢区文化財愛護の会」による解説板が、何枚か立っていました。 マメな人達だな。 ちなみに、ごく普通の、村社クラスの神社でも、由来を調べ、解説板を立てれば、観光名所になります。 そういう神社が少ないのは、近所の人達が、よそ者が大勢押しかけて来るのを、嫌っているのかも知れませんな。
≪写真3左≫
地蔵堂。 昭和59年(1984年)の建立。 なに、地蔵? それは、お寺の方の管轄では? 実際、すぐ隣が、お寺だから、大きな問題ではないんでしょうけど。 神仏習合の名残が、ここでは、かなり強いようです。
≪写真3右≫
分校跡の解説板が立っていた段。 ここに、校舎があったんですかね? 奥に、倉庫があります。 竿置き場もあります。
≪写真4左≫
庚申塔、その他。 「以前は、川中島にあったのを、地蔵堂と共に、ここに移された」とあります。 川中島が、どこの事なのかは、不詳。 土地の人は、すぐに分かるんでしょう、きっと。
≪写真4右≫
石段と鳥居。 石段は、特段、急ではありませんが、親切に、手すりが付いています。 鳥居は、コンクリート製。 もしかしたら、鉄筋か、鉄骨が入っているのかも知れません。
≪写真5左≫
石燈籠は、たくさんありました。 対に拘っておらず、一基ずつ奉納されているものがある点は、大変、面白い。
≪写真5右≫
狛犬。 明らかに、戦前の造形。 台座が新しくなっていて、奉納年が書いてなかったのは、残念。 新しい狛犬を造るのは、わけない事だと思いますが、たぶん、この狛犬を大切にしているのでしょう。 長く残して欲しいものです。
≪写真6左≫
逆光御免。 手水舎です。 小屋がけは、二本柱のシンプルなもの。 屋根は、波板ですが、写真では、トタンか、プラスチックか、分かりません。 肉眼で、確認してくれば良かった。 漱盤は、石製。 蛇口あり、ハンドルなし。
≪写真6右≫
漱盤の背面。 ちゃんと、排水管が設置されています。 珍しい。
【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地②】
≪写真1≫
社殿。 木造、瓦葺き。 戦前の建物でしょう。 壁は、一見、蔀戸風になっていますが、良く見ると、縦板を横桟で押えているだけです。 賽銭箱は、外置き。 正面の扉には、ガラスが入っています。
≪写真2≫
側面。 本殿と拝殿が、ほぼ、一体化しています。 いいデザインですな。 確認して来ませんでしたが、廊下部分は、ないのでは?
絵馬掛けがあります。 社務所はありませんでしたが、もしかしたら、お寺の方で、売っているのかも知れませんな。
≪写真3≫
この建物。 賽銭箱には、「八坂神社」とありましたが、中には、神輿が置いてありました。
≪写真4左≫
境内別社。 木造、瓦葺き。 この大きさで、瓦葺きは、珍しい。 賽銭箱があるのですが、書いてある文字が、よく分かりません。 「銭賽匣」? 分からぬ。 ここの石燈籠は、火袋がなくなっています。
≪写真4右≫
境内別社。 こちらは、石の祠。 石燈籠は、完品。
【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地③】
隣接する、 臨江寺墓地の方へも行ってみました。
≪写真1≫
凄い、いい景色。 最近になって造成された墓地は、押し並べて、景色の穴場ですな。 函南の谷部分が、一望できます。 遠くの山で、色が濃いのは、沼津アルプスです。
≪写真2≫
「上沢聖観世音菩薩・永代塔」。 平成15年(2003年)に作られたようです。 今の技術なら、人間そっくりに彫る事も可能だと思いますが、この菩薩は、少し、メルヘンチックなデザインをとっているようです。 もしかしたら、ある程度、風化した時に、滑らかな形になるように、わざと角を残しているのかも知れません。
≪写真3左≫
「奥山半僧房大權現」。 お寺の施設で、大權現? 分からぬ。 習合しておるなあ。
≪写真3右≫
奥山半僧房大權現の近くにあった、布袋像。 子供くらいの大きさです。 中国では、布袋様は、弥勒菩薩の化身とされているそうですが、その関係でしょうか。 しかし、習合の産物かも知れず、正確なところは、分かりません。
≪写真4≫
臨江寺の駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 注意書きに、長時間でなければ、自由に停めて良い旨が記してあります。 ありがたい。
函南だと、うちから遠くないので、燃料代の節約になり、助かっています。 この日は、往復20キロでした。 バッテリーを死なせない為に乗る分には、充分すぎる距離です。
今回は、ここまで。
第3週までは、組み写真1枚で収まる枚数しか撮らなかったんですが、最終週で、組み写真3枚になってしまいました。 結局、6枚か。 「こんな、面倒臭い加工を、よくやるなあ」と、気が知れない思いをしている方もいると思いますが、こういう記録を作っておくと、何ヵ月か、何年か、時間が経ってから、見返したり、読み返したりした時、面白いんですよ。 すっかり、忘れてしまいますから。
バイクの方は、これといって、問題もなく、元気に走っています。 買ってから、もう、2年半も経ってしまったなあ。 そのほとんどの期間を、新型肺炎禍下で乗って来たわけですが、今となっては、他人との接近を気にせずに出かけた、流行前の僅かな回数のツーリングが、懐かしいです。 また、マスクをせずに出かけられる日が来るのだろうか・・・?
【伊豆の国市四日町・韮山図書館】
2022年5月4日、バイクで、伊豆の国市四日町・韮山図書館へ行って来ました。 伊豆箱根鉄道の東側、韮山駅から、少し南に行った所にあります。 大きな施設なので、近くまで行けば、すぐに分かります。
図書館だから、連休中でも、屋外は人がいないだろうと思って行ったら、大間違い! 「韮山時代劇場」というイベント施設の中に入っていて、大河ドラマで盛り上がっている事もあり、屋外広場に露店が出て、無数の人で大賑わい。 極力、人を避け、道路の反対側を歩いて、図書館の写真だけ撮って、早々に引き揚げて来ました。
≪写真1≫
これが、韮山図書館のようです。 中には入りませんでした。 伊豆の国市は、平成の大合併で出来た面積の広い自治体で、元の町々の中心部が離れているので、それぞれがもっていた図書館を、そのまま残してあるようです。 ここのは、旧韮山町のもの。
左奥の、変わった屋根が架かっている建物は、管理事務室。
≪写真2≫
日だまり広場。 奥に、「大河ドラマ館」があるようです。 ≪鎌倉殿の13人≫に合わせて、設えたのでしょう。 この広場が、人が多くて、芋を洗うが如し。 震え上がりました。
≪写真3≫
これは、一番南側にある建物で、大ホール。 韮山時代劇場は、イベント会場なんですな。
≪写真4左≫
北の端にあった、韮山の歴史・観光地を紹介した、オブジェ。 源頼朝、江川坦庵、反射炉などの絵が、ステンド・グラスのような、光を通す板に描かれています。
≪写真4右≫
大駐車場の空いている所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 別に、ここが駐輪場というわけではないです。
最初、私の一台だけだったんですが、戻って来たら、もう一台、横に停めてあって、今着いたばかりらしき乗り手が、無マスクで、上着の着替えをしていました。 気軽に話しかけられでもしたら、感染する恐れがあると思い、大急ぎでバイクに跨り、逃げ出して来ました。 これだから、人が多い所には、来たくないのです。
【伊豆の国市韮山多田・多田新池 / グラウンド】
2022年5月10日、バイクで、伊豆の国市、韮山多田にある、「多田新池」と、「多田新池グラウンド」に行って来ました。 前々から、都市地図に、池が載っているのは、分かっていたんですが、とうとう、現地に出かける時が来た次第。 行ったら、ありましたよ、本当に。
≪写真1左≫
以前、来た事がある、「富士見パークウェイ入口交差点」。 松原橋の方から来て、この交差点で左折し、北上すると、すぐの所に、池があります。
≪写真1右≫
道路を挟んで、東側が、池。 西側が、グラウンドです。 バイクは、グラウンド側の道路端に停めました。
≪写真2≫
これが、「多田新池」。 結構、広いです。 たぶん、農業用の溜め池です。 形がカクカクしているところを見るに、昔からあったわけではなさそうですな。 「釣りをするな」なという注意書きが、何枚も掲示されていました。 という事は、魚がいるわけだ。 釣りが禁止になっているのは、交通の邪魔になるからかも知れません。
≪写真3左≫
≪写真2≫にも写っている、北端にある水門。 ハンドルが付いていますが、これを開閉しに行くには、度胸と平衡感覚が必要になりそうです。
≪写真3右≫
グラウンドの門。 ここに、「多田新池グラウンド」という表札が出ているのを見て、初めて、この池の名前が分かりました。 地図には、載っていなかったのです。
≪写真4≫
グラウンド。 広い! 楽勝で、野球やサッカーができそうです。 この地区の子供は、恵まれておるのう。 もっとも、今では、そういう事をしたがる子供は、少ないかも知れませんが。
【函南町柏谷・地神様】
2022年5月19日、バイクで、函南町・柏谷の、「地神様」へ行って来ました。 本当の目的地は、仁田の、「初姫神社」だったんですが、曲がる交差点を間違えて、そちらには着かず、たまたま見つけたのが、「地神様」だったのです。 神社ではなく、石碑と解説板が立っているだけ。
≪写真1≫
全景。 神社ではないけれど、鎮守の森があります。
≪写真2≫
石碑。 竹で組んだ簡易鳥居に、牛蒡注連。 立派な花入れと、供物台あり。
奥の白いのは、解説板。 文覚尚人が、源頼朝を伴って、ここを訪れ、富士山を眺めて、「天下人たる者は、あの富士山の如く、泰然として、下からあがめ畏敬される仁徳を持たねば」と、教えたとの事。 他に、文覚尚人が、水利を指導したという話。 境内に、松の木が、代々自然に生えて来るという話が書いてあります。 私が見た限りでは、松らしい木はなかったですが。
≪写真3≫
道路から、西の方を見た景色。 この付近、田畑が多く、空間が開けています。 函南町役場の交差点から南下して来て、開けたな、と思ったら、その辺に、地神様があるわけですが、正確に場所を書き表す事ができません。
遠くの山並みは、沼津アルプスなので、私の家から見ると、ここは、真東に、かなり近いと思います。
≪写真4≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車を停める場所はないですが、交通量が少ないので、道路に停めても、3分くらいなら、文句は言われないでしょう。 ちなみに、階段を登って、見てくるのに、3分はかかりません。
この後、付近をうろついて、本来の目的地である、「初姫神社」を見つけたのですが、一回のツーリングで見る場所は、一ヵ所で充分なので、寄りませんでした。
地神様は、地図には出ていないから、たまたま見つけられたのは、棚から牡丹餅、幸運と考えるべき。
【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地①】
2022年5月24日に、バイクで、函南町上沢にある、「熊野神社」へ行って来ました。 去年の3月に、目的地にして出かけたものの、見つけられなかった所。 今回は、地図を入念に調べ、航空写真まで見て、曲がる交差点を間違えないようにしたら、難なく着きました。 隣接している、「臨江寺墓地」も、見て来ました。
≪写真1≫
山の斜面にあります。 境内は、斜面を段々に造成したもの。 全ての段を合わせれば、かなりの面積になると思います。
≪写真2左≫
バイクを停めるには、こういう地形は厳しい。 しかし、ここには、臨江寺の駐車場がありました。 他に車もなかったので、置かせてもらいました。 お寺は、駐車場に関しては、太っ腹なところが多いですな。
≪写真2右≫
ここに、函南小学校の上沢分校があったという解説板。 教師1名、児童14名で、明治13年から、19年まで、6年間、開校していたとの事。
この他にも、「上沢区文化財愛護の会」による解説板が、何枚か立っていました。 マメな人達だな。 ちなみに、ごく普通の、村社クラスの神社でも、由来を調べ、解説板を立てれば、観光名所になります。 そういう神社が少ないのは、近所の人達が、よそ者が大勢押しかけて来るのを、嫌っているのかも知れませんな。
≪写真3左≫
地蔵堂。 昭和59年(1984年)の建立。 なに、地蔵? それは、お寺の方の管轄では? 実際、すぐ隣が、お寺だから、大きな問題ではないんでしょうけど。 神仏習合の名残が、ここでは、かなり強いようです。
≪写真3右≫
分校跡の解説板が立っていた段。 ここに、校舎があったんですかね? 奥に、倉庫があります。 竿置き場もあります。
≪写真4左≫
庚申塔、その他。 「以前は、川中島にあったのを、地蔵堂と共に、ここに移された」とあります。 川中島が、どこの事なのかは、不詳。 土地の人は、すぐに分かるんでしょう、きっと。
≪写真4右≫
石段と鳥居。 石段は、特段、急ではありませんが、親切に、手すりが付いています。 鳥居は、コンクリート製。 もしかしたら、鉄筋か、鉄骨が入っているのかも知れません。
≪写真5左≫
石燈籠は、たくさんありました。 対に拘っておらず、一基ずつ奉納されているものがある点は、大変、面白い。
≪写真5右≫
狛犬。 明らかに、戦前の造形。 台座が新しくなっていて、奉納年が書いてなかったのは、残念。 新しい狛犬を造るのは、わけない事だと思いますが、たぶん、この狛犬を大切にしているのでしょう。 長く残して欲しいものです。
≪写真6左≫
逆光御免。 手水舎です。 小屋がけは、二本柱のシンプルなもの。 屋根は、波板ですが、写真では、トタンか、プラスチックか、分かりません。 肉眼で、確認してくれば良かった。 漱盤は、石製。 蛇口あり、ハンドルなし。
≪写真6右≫
漱盤の背面。 ちゃんと、排水管が設置されています。 珍しい。
【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地②】
≪写真1≫
社殿。 木造、瓦葺き。 戦前の建物でしょう。 壁は、一見、蔀戸風になっていますが、良く見ると、縦板を横桟で押えているだけです。 賽銭箱は、外置き。 正面の扉には、ガラスが入っています。
≪写真2≫
側面。 本殿と拝殿が、ほぼ、一体化しています。 いいデザインですな。 確認して来ませんでしたが、廊下部分は、ないのでは?
絵馬掛けがあります。 社務所はありませんでしたが、もしかしたら、お寺の方で、売っているのかも知れませんな。
≪写真3≫
この建物。 賽銭箱には、「八坂神社」とありましたが、中には、神輿が置いてありました。
≪写真4左≫
境内別社。 木造、瓦葺き。 この大きさで、瓦葺きは、珍しい。 賽銭箱があるのですが、書いてある文字が、よく分かりません。 「銭賽匣」? 分からぬ。 ここの石燈籠は、火袋がなくなっています。
≪写真4右≫
境内別社。 こちらは、石の祠。 石燈籠は、完品。
【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地③】
隣接する、 臨江寺墓地の方へも行ってみました。
≪写真1≫
凄い、いい景色。 最近になって造成された墓地は、押し並べて、景色の穴場ですな。 函南の谷部分が、一望できます。 遠くの山で、色が濃いのは、沼津アルプスです。
≪写真2≫
「上沢聖観世音菩薩・永代塔」。 平成15年(2003年)に作られたようです。 今の技術なら、人間そっくりに彫る事も可能だと思いますが、この菩薩は、少し、メルヘンチックなデザインをとっているようです。 もしかしたら、ある程度、風化した時に、滑らかな形になるように、わざと角を残しているのかも知れません。
≪写真3左≫
「奥山半僧房大權現」。 お寺の施設で、大權現? 分からぬ。 習合しておるなあ。
≪写真3右≫
奥山半僧房大權現の近くにあった、布袋像。 子供くらいの大きさです。 中国では、布袋様は、弥勒菩薩の化身とされているそうですが、その関係でしょうか。 しかし、習合の産物かも知れず、正確なところは、分かりません。
≪写真4≫
臨江寺の駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 注意書きに、長時間でなければ、自由に停めて良い旨が記してあります。 ありがたい。
函南だと、うちから遠くないので、燃料代の節約になり、助かっています。 この日は、往復20キロでした。 バッテリーを死なせない為に乗る分には、充分すぎる距離です。
今回は、ここまで。
第3週までは、組み写真1枚で収まる枚数しか撮らなかったんですが、最終週で、組み写真3枚になってしまいました。 結局、6枚か。 「こんな、面倒臭い加工を、よくやるなあ」と、気が知れない思いをしている方もいると思いますが、こういう記録を作っておくと、何ヵ月か、何年か、時間が経ってから、見返したり、読み返したりした時、面白いんですよ。 すっかり、忘れてしまいますから。
バイクの方は、これといって、問題もなく、元気に走っています。 買ってから、もう、2年半も経ってしまったなあ。 そのほとんどの期間を、新型肺炎禍下で乗って来たわけですが、今となっては、他人との接近を気にせずに出かけた、流行前の僅かな回数のツーリングが、懐かしいです。 また、マスクをせずに出かけられる日が来るのだろうか・・・?