2022/06/26

EN125-2Aでプチ・ツーリング (33)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、33回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年5月分。





【伊豆の国市四日町・韮山図書館】

  2022年5月4日、バイクで、伊豆の国市四日町・韮山図書館へ行って来ました。 伊豆箱根鉄道の東側、韮山駅から、少し南に行った所にあります。 大きな施設なので、近くまで行けば、すぐに分かります。

  図書館だから、連休中でも、屋外は人がいないだろうと思って行ったら、大間違い! 「韮山時代劇場」というイベント施設の中に入っていて、大河ドラマで盛り上がっている事もあり、屋外広場に露店が出て、無数の人で大賑わい。 極力、人を避け、道路の反対側を歩いて、図書館の写真だけ撮って、早々に引き揚げて来ました。

≪写真1≫
  これが、韮山図書館のようです。 中には入りませんでした。 伊豆の国市は、平成の大合併で出来た面積の広い自治体で、元の町々の中心部が離れているので、それぞれがもっていた図書館を、そのまま残してあるようです。 ここのは、旧韮山町のもの。

  左奥の、変わった屋根が架かっている建物は、管理事務室。

≪写真2≫
  日だまり広場。 奥に、「大河ドラマ館」があるようです。 ≪鎌倉殿の13人≫に合わせて、設えたのでしょう。 この広場が、人が多くて、芋を洗うが如し。 震え上がりました。

≪写真3≫
  これは、一番南側にある建物で、大ホール。 韮山時代劇場は、イベント会場なんですな。

≪写真4左≫
  北の端にあった、韮山の歴史・観光地を紹介した、オブジェ。 源頼朝、江川坦庵、反射炉などの絵が、ステンド・グラスのような、光を通す板に描かれています。

≪写真4右≫
  大駐車場の空いている所に停めた、EN125-2A・鋭爽。 別に、ここが駐輪場というわけではないです。

  最初、私の一台だけだったんですが、戻って来たら、もう一台、横に停めてあって、今着いたばかりらしき乗り手が、無マスクで、上着の着替えをしていました。 気軽に話しかけられでもしたら、感染する恐れがあると思い、大急ぎでバイクに跨り、逃げ出して来ました。 これだから、人が多い所には、来たくないのです。




【伊豆の国市韮山多田・多田新池 / グラウンド】

  2022年5月10日、バイクで、伊豆の国市、韮山多田にある、「多田新池」と、「多田新池グラウンド」に行って来ました。 前々から、都市地図に、池が載っているのは、分かっていたんですが、とうとう、現地に出かける時が来た次第。 行ったら、ありましたよ、本当に。

≪写真1左≫
  以前、来た事がある、「富士見パークウェイ入口交差点」。 松原橋の方から来て、この交差点で左折し、北上すると、すぐの所に、池があります。

≪写真1右≫
  道路を挟んで、東側が、池。 西側が、グラウンドです。 バイクは、グラウンド側の道路端に停めました。

≪写真2≫
  これが、「多田新池」。 結構、広いです。 たぶん、農業用の溜め池です。 形がカクカクしているところを見るに、昔からあったわけではなさそうですな。 「釣りをするな」なという注意書きが、何枚も掲示されていました。 という事は、魚がいるわけだ。 釣りが禁止になっているのは、交通の邪魔になるからかも知れません。

≪写真3左≫
  ≪写真2≫にも写っている、北端にある水門。 ハンドルが付いていますが、これを開閉しに行くには、度胸と平衡感覚が必要になりそうです。

≪写真3右≫
  グラウンドの門。 ここに、「多田新池グラウンド」という表札が出ているのを見て、初めて、この池の名前が分かりました。 地図には、載っていなかったのです。

≪写真4≫
  グラウンド。 広い! 楽勝で、野球やサッカーができそうです。 この地区の子供は、恵まれておるのう。 もっとも、今では、そういう事をしたがる子供は、少ないかも知れませんが。




【函南町柏谷・地神様】

  2022年5月19日、バイクで、函南町・柏谷の、「地神様」へ行って来ました。 本当の目的地は、仁田の、「初姫神社」だったんですが、曲がる交差点を間違えて、そちらには着かず、たまたま見つけたのが、「地神様」だったのです。 神社ではなく、石碑と解説板が立っているだけ。

≪写真1≫
  全景。 神社ではないけれど、鎮守の森があります。

≪写真2≫
  石碑。 竹で組んだ簡易鳥居に、牛蒡注連。 立派な花入れと、供物台あり。

  奥の白いのは、解説板。 文覚尚人が、源頼朝を伴って、ここを訪れ、富士山を眺めて、「天下人たる者は、あの富士山の如く、泰然として、下からあがめ畏敬される仁徳を持たねば」と、教えたとの事。 他に、文覚尚人が、水利を指導したという話。 境内に、松の木が、代々自然に生えて来るという話が書いてあります。 私が見た限りでは、松らしい木はなかったですが。

≪写真3≫
  道路から、西の方を見た景色。 この付近、田畑が多く、空間が開けています。 函南町役場の交差点から南下して来て、開けたな、と思ったら、その辺に、地神様があるわけですが、正確に場所を書き表す事ができません。

  遠くの山並みは、沼津アルプスなので、私の家から見ると、ここは、真東に、かなり近いと思います。 

≪写真4≫
  道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 車を停める場所はないですが、交通量が少ないので、道路に停めても、3分くらいなら、文句は言われないでしょう。 ちなみに、階段を登って、見てくるのに、3分はかかりません。

  この後、付近をうろついて、本来の目的地である、「初姫神社」を見つけたのですが、一回のツーリングで見る場所は、一ヵ所で充分なので、寄りませんでした。

  地神様は、地図には出ていないから、たまたま見つけられたのは、棚から牡丹餅、幸運と考えるべき。




【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地①】

  2022年5月24日に、バイクで、函南町上沢にある、「熊野神社」へ行って来ました。 去年の3月に、目的地にして出かけたものの、見つけられなかった所。 今回は、地図を入念に調べ、航空写真まで見て、曲がる交差点を間違えないようにしたら、難なく着きました。 隣接している、「臨江寺墓地」も、見て来ました。

≪写真1≫
  山の斜面にあります。 境内は、斜面を段々に造成したもの。 全ての段を合わせれば、かなりの面積になると思います。

≪写真2左≫
  バイクを停めるには、こういう地形は厳しい。 しかし、ここには、臨江寺の駐車場がありました。 他に車もなかったので、置かせてもらいました。 お寺は、駐車場に関しては、太っ腹なところが多いですな。

≪写真2右≫
  ここに、函南小学校の上沢分校があったという解説板。 教師1名、児童14名で、明治13年から、19年まで、6年間、開校していたとの事。

  この他にも、「上沢区文化財愛護の会」による解説板が、何枚か立っていました。 マメな人達だな。 ちなみに、ごく普通の、村社クラスの神社でも、由来を調べ、解説板を立てれば、観光名所になります。 そういう神社が少ないのは、近所の人達が、よそ者が大勢押しかけて来るのを、嫌っているのかも知れませんな。

≪写真3左≫
  地蔵堂。 昭和59年(1984年)の建立。 なに、地蔵? それは、お寺の方の管轄では? 実際、すぐ隣が、お寺だから、大きな問題ではないんでしょうけど。 神仏習合の名残が、ここでは、かなり強いようです。

≪写真3右≫
  分校跡の解説板が立っていた段。 ここに、校舎があったんですかね? 奥に、倉庫があります。 竿置き場もあります。

≪写真4左≫
  庚申塔、その他。 「以前は、川中島にあったのを、地蔵堂と共に、ここに移された」とあります。 川中島が、どこの事なのかは、不詳。 土地の人は、すぐに分かるんでしょう、きっと。

≪写真4右≫
  石段と鳥居。 石段は、特段、急ではありませんが、親切に、手すりが付いています。 鳥居は、コンクリート製。 もしかしたら、鉄筋か、鉄骨が入っているのかも知れません。

≪写真5左≫
  石燈籠は、たくさんありました。 対に拘っておらず、一基ずつ奉納されているものがある点は、大変、面白い。

≪写真5右≫
  狛犬。 明らかに、戦前の造形。 台座が新しくなっていて、奉納年が書いてなかったのは、残念。 新しい狛犬を造るのは、わけない事だと思いますが、たぶん、この狛犬を大切にしているのでしょう。 長く残して欲しいものです。

≪写真6左≫
  逆光御免。 手水舎です。 小屋がけは、二本柱のシンプルなもの。 屋根は、波板ですが、写真では、トタンか、プラスチックか、分かりません。 肉眼で、確認してくれば良かった。 漱盤は、石製。 蛇口あり、ハンドルなし。

≪写真6右≫
  漱盤の背面。 ちゃんと、排水管が設置されています。 珍しい。




【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地②】

≪写真1≫
  社殿。 木造、瓦葺き。 戦前の建物でしょう。 壁は、一見、蔀戸風になっていますが、良く見ると、縦板を横桟で押えているだけです。 賽銭箱は、外置き。 正面の扉には、ガラスが入っています。

≪写真2≫
  側面。 本殿と拝殿が、ほぼ、一体化しています。 いいデザインですな。 確認して来ませんでしたが、廊下部分は、ないのでは?

  絵馬掛けがあります。 社務所はありませんでしたが、もしかしたら、お寺の方で、売っているのかも知れませんな。

≪写真3≫
  この建物。 賽銭箱には、「八坂神社」とありましたが、中には、神輿が置いてありました。

≪写真4左≫
  境内別社。 木造、瓦葺き。 この大きさで、瓦葺きは、珍しい。 賽銭箱があるのですが、書いてある文字が、よく分かりません。 「銭賽匣」? 分からぬ。 ここの石燈籠は、火袋がなくなっています。

≪写真4右≫
  境内別社。 こちらは、石の祠。 石燈籠は、完品。




【函南町上沢・熊野神社 / 臨江寺墓地③】

  隣接する、 臨江寺墓地の方へも行ってみました。

≪写真1≫
  凄い、いい景色。 最近になって造成された墓地は、押し並べて、景色の穴場ですな。 函南の谷部分が、一望できます。 遠くの山で、色が濃いのは、沼津アルプスです。

≪写真2≫
  「上沢聖観世音菩薩・永代塔」。 平成15年(2003年)に作られたようです。 今の技術なら、人間そっくりに彫る事も可能だと思いますが、この菩薩は、少し、メルヘンチックなデザインをとっているようです。 もしかしたら、ある程度、風化した時に、滑らかな形になるように、わざと角を残しているのかも知れません。

≪写真3左≫
  「奥山半僧房大權現」。 お寺の施設で、大權現? 分からぬ。 習合しておるなあ。

≪写真3右≫
  奥山半僧房大權現の近くにあった、布袋像。 子供くらいの大きさです。 中国では、布袋様は、弥勒菩薩の化身とされているそうですが、その関係でしょうか。 しかし、習合の産物かも知れず、正確なところは、分かりません。 

≪写真4≫
  臨江寺の駐車場に停めた、EN125-2A・鋭爽。 注意書きに、長時間でなければ、自由に停めて良い旨が記してあります。 ありがたい。

  函南だと、うちから遠くないので、燃料代の節約になり、助かっています。 この日は、往復20キロでした。 バッテリーを死なせない為に乗る分には、充分すぎる距離です。




  今回は、ここまで。

  第3週までは、組み写真1枚で収まる枚数しか撮らなかったんですが、最終週で、組み写真3枚になってしまいました。 結局、6枚か。 「こんな、面倒臭い加工を、よくやるなあ」と、気が知れない思いをしている方もいると思いますが、こういう記録を作っておくと、何ヵ月か、何年か、時間が経ってから、見返したり、読み返したりした時、面白いんですよ。 すっかり、忘れてしまいますから。

  バイクの方は、これといって、問題もなく、元気に走っています。 買ってから、もう、2年半も経ってしまったなあ。 そのほとんどの期間を、新型肺炎禍下で乗って来たわけですが、今となっては、他人との接近を気にせずに出かけた、流行前の僅かな回数のツーリングが、懐かしいです。 また、マスクをせずに出かけられる日が来るのだろうか・・・?

2022/06/19

実話風小説⑤ 【個人商店ゴロ】

  「実話風小説」の五作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 今回も、締め切り直前に書きました。 書き始めると、気分が昂揚して、スイスイ進むのですが、書くのが面白いからといって、出来た小説が面白いとは限りません。 今回、些か、長いです。




【個人商店ゴロ】

  まだ、フィルム・カメラが全盛だった、1990年代の話である。 50代前半で、脱サラして、カメラ店を始めた人物、A氏。 一から始めたわけではなく、写真の趣味があって、その店の常連客だったのが、店主が高齢で、店を畳むと言い出したので、安く譲ってもらったのである。 半年、店員として、修行し、店主の引退と共に、店を引き継いだ。

  元からの固定客が、そのまま残った事もあり、店の経営は、これといった問題も起こらず、順調に軌道に乗った。 A氏が控えめな性格で、商売向きではなかったものの、良識があり、客を選り好みするような事をしなかったので、元からの客が、離れる理由がなかったのだ。 A氏自身が、写真趣味をもっていたので、機材や業務内容にも知識があり、客の信頼を得るのに、苦労はしなかった。

  しばらくは、A氏と、その妻だけで、店をやっていたが、5年目に入って間もない頃、店員を雇う事にした。 店の方が、特に忙しくなったわけではないが、妻の父親が要介護になり、妻が定期的に、実家へ手伝いに帰るようになったので、自然に、そういう話になったのである。

  もう一つ、理由があった。 商店会の懇親会に出たA氏が、工具店をやっている人物と話をしていたところへ、工具店の店員が、何かの用事で、店主の意向を訊きに来た。 その若い男が、真面目を絵に描いたような人物で、態度も礼儀正しく、ハキハキと喋り、印象が大変、良かった。 工具店の店主と店員が、専門的な会話を交わしているのを、横から見ていて、羨ましくなったのである。 自分も、こんな頼りになる店員を使ってみたいと思ったのだ。

  カメラ店で、店員を雇う事になったが、募集をかけても、なかなか、応募して来る者がなかった。 ハロー・ワークへも、募集の申し込みをしてあったが、時折、電話がかかって来る事があっても、高齢者が多く、条件に合わなかった。 A氏の経験からして、趣味関係の店で、高齢の店員がいると、知識を鼻にかけて、客を見下す傾向があるので、50歳以上は、年齢で断っていた。 A氏が、理想的と思っていたのは、30代の男性だった。

  募集してみて、いかに、個人商店で働こうという若者が少ないかを、痛感した。 アルバイトなら、割と簡単に見つかるが、学生や主婦では、趣味の店での接客は難しい。 実際、写真趣味がないA氏の妻も、詳しい事は、ちっとも頭に入らず、店内にある品を買いに来る人を相手に、単なる売り子の仕事しかできなかった。 最も多い仕事、現像・プリントの受け付けはできたから、戦力になっていないわけではなかったが・・・。

  募集し始めて、2ヵ月経った時、ハロー・ワーク経由で、31歳の男性が応募して来た。 A氏はすぐに、面接したいと応えた。 店にやって来た青年Bは、真面目そうな外見だった。 話し方も落ち着いていて、浮ついたところが感じられない。 逆に、なぜ、こんな青年が、個人商店に勤めようなどと考えたのか、そちらが、不思議だった。

  青年Bの話では、高校卒業後、高校の紹介で勤めた運送会社が、8年で倒産してしまい、その後、親戚がやっている雑貨店を、2年ばかり、手伝っていた。 その時の経験で、自分の性格が、個人商店での接客に向いている事が分かり、それ以降、個人商店ばかりに勤めるようになった、との事だった。

  この時、A氏が人を使い慣れた人物だったら、青年Bの話に、違和感を覚えても良かったのだが、A氏は、すっかり、青年Bを気に入ってしまい、よく検討もせずに、雇う事を決めてしまった。 ちなみに、青年Bは、特に容姿が優れているというわけではなかったが、カメラ店の客は、男性が多いので、その点は、ほとんど、問題がなかった。 下らない事のようだが、外見がいい店員がいるかいないかは、小規模な店にとって、繁盛するかしないかを左右する、かなり大きな要素である。

  青年Bは、中高生の頃、鉄道写真を撮っていた経験があり、写真の知識が、一通りあった。 カメラについても、メーカー名や、機種名が、ほとんど頭に入っていて、カタログを見れば、ある程度、お客に売り込みの説明もできるレベルだった。 その事は、A氏を喜ばせた。 仕事は、業務内容の事だけ、教えればよかった。

  半月もしない内に、青年Bは、店番を一人でできるくらい、仕事に慣れた。 A氏は、青年Bを雇った事に満足していた。 A氏自身、仕事が嫌いではなかったが、さほど広くない店内に、店の人間が二人いても仕方がないので、裏方に回って、仕入れの仕事をしたり、商店会の他の店主がやっているように、よその店を訪ねて、世間話を楽しむ機会が増えた。 店の事は、青年Bに任せておけば、心配ないと思っていた。 


  二ヵ月が過ぎた。

  店の売り上げが、目立って、落ちて来た。 もちろん、利益も減った。 A氏は、店を引き継いで以来、初めての事態に、狼狽してしまった。 何が原因なのか、帳簿を調べてみたら、現像・プリントの仕事は、従来通りだったが、写真機材の販売が、3分の1になっていた。 なぜ、急に減ったのかが分からない。 「商売とは、こういう落とし穴があるものなのか」と、今更ながらに、苦い気分を味わった。

  まず、心配したのは、青年Bに払う給料の事であった。 利益にゆとりがあったから、店員を雇ったわけだが、そのゆとりが、半分くらいなくなってしまった。 これで、店員の給料を払ったら、赤字になるかならないかの瀬戸際に追い込まれてしまう。 といって、せっかく雇えた、青年Bを解雇する気には、全くならなかった。 「いい店員さんを雇ったね」と、他の商店主達から、羨ましがられたい、その欲求は、衰えていなかった。

  青年Bを雇い続ける為にも、何とか、売り上げを元に戻さなければならないが、そもそも、機材販売が減った理由が分からない。 あれこれ考えた結果、以前、店に来ていた常連客の何人かを、最近、見なくなっている事に気づいた。 その理由も分からない。 接客を、青年Bに任せていたから、馴染まない内は、敬遠された可能性もあるが、それなら、店長の自分を呼べばいいだけの事ではないか。 青年Bにも、「『店長はいるか』と言う客がいたら、自分を呼ぶように」と言ってある。


  A氏は、まず、店を譲ってくれた、前の店主の所へ、時候の挨拶を装って、電話をかけてみた。 話の終わり頃に、売り上げが減った事を、さらりと告げ、「商売は、難しいですね」と、こぼした。 すると、前の店主は、しばらく、無言だったが、やがて、ポツリと言った。

「最近、誰か、店員を雇った?」
「えっ? ああ、はい。 31歳の青年が来てくれたんで、仕事の方は、楽になりました」
「・・・・・」
「それが、何か?」
「いや、何でもない。 そうと決まったわけじゃないからね」
「どういう事ですか」
「うーん・・・。 とりあえず、来なくなった常連さんに、話を聞いてみたらどうかな。 何か、理由があるのかも知れないから」
「そうですね。 そうしてみます」

  A氏は、そうは言ったものの、来なくなってしまった元常連客に、こちらから連絡をとるのを、ためらった。 嫌がられているのなら、下手に理由を訊いたりしたら、もっと、嫌がられるのではないかと恐れたのだ。


  ところが、そうも言っていられなくなった。 次の月の売り上げが、更に減ったのである。 利益も減り、もはや、店員を雇い続けるゆとりは、消し飛んでしまった。 A氏は、そわそわと落ち着かなくなり、思い切って、来なくなった常連客の一人に、電話をかけてみた。

「ああ、Cさん? ○○カメラ店の、Aです」
「・・・・、ああ、こんにちは。 お久しぶりです」
「ほんとに、お久しぶりです。 最近、店の方に来ていただけないようですけど、写真、やめちゃったんですか?」
「いや、やってますよ。 申し訳ないけど、今は、他の店に、お世話になっててね」

  A氏の顔色が、青くなった。 恐れていた事が、実際に起こっていたのだ。

「はあ、そうですか。 何か、うちの方で、ご迷惑でもおかけしましたか?」
「いや、Aさんではないです」
「というと?」
「若い店員が入ったでしょう?」

  A氏の顔色が、更に青くなった。 もしやと恐れていた原因が、証明されようとしている。

「Bが、何かしましたか」
「何かした、と言うより、してくれないんですよ」
「どどどどういう事ですか?」

  A氏の額から、冷や汗が滝のように流れ落ち始めた。 元常連客C氏は、こうなったら、全部ぶちまけてしまえ、という口ぶりで、話し始めた。

「あの若い奴ねえ。 店にある品を買う分には、普通に応対してくれるんだけど、取り寄せを頼むと、すっごい、迷惑そうな顔するんですよ。 取り寄せでも、店に利益は入ると思うんだけどね」
「もちろん! もちろん、入ります!」
「それで、嫌な顔されるだけでも、頼む気が失せるんだけど、ひどい時には、『そんな製品は、この世に存在しない』って言うんだよ。 あれには、ビックリしたね。 こっちは、雑誌のカタログで調べてから、注文しに行っているから、ないわきゃないんだけど。 まあ、ないって断言されちゃったら、他の店に行くしかないでしょう?」
「ごもっともです! 大変、大変、失礼致しました! 申し訳ございません!」

  A氏、自宅の電話機の前で、土下座の米搗きバッタである。 C氏は、いささか、調子に乗って、更に付け加えた。

「あの若い奴がいなくなったら、また、連絡して下さい。 別に、Aさんに遺恨があって、行かなくなったわけじゃないから」
「はい! 承知致しました! 必ず、ご連絡致します! その際は、是非また、ご利用くださいませ! 宜しくお願い致します!」

  電話は切れた。 A氏は、サウナから出て来たばかりのように、全身に大汗を掻いていた。


  しかし、落ち着いて考えてみると、あの青年Bが、そんな事をしたとは思えない。 もしかしたら、何か事情があって、C氏に誤解されたのかも知れない。 一人の証言だけで、青年Bを叱りつけるのは、勇み足だと思い、他の常連客にも、電話してみる事にした。 今度は、D氏である。

「いや、写真は続けていますよ。 最近は、他の店に行っているだけで」
「よかったら、その理由を・・・」
「若い店員が入ったでしょう?」

  A氏、またぞろ、ドッと冷や汗。 体の中に、まだ、こんなに水分が残っていたのかと思うくらい。

「鍵がかかったガラス・ケースの中のカメラを、見せてくれって言ったら、嫌そうな顔して、『どうせ、買わないんでしょ?』って言うんだよ」
「もももも申し訳ございません!」
「まあ、確かに、その時は、最新機種が、どんな感じか見てみたかっただけで、すぐにすぐ、買うつもりはなかったんだけどね。 でも、腹を見透かされたみたいで、バツが悪いやら、気味が悪いやら、何だか嫌になっちゃってねえ。 で、結局、他の店で見せてもらって、そちらで買いましたよ」
「ももももももも申し訳ございません!」


  これで、青年Bが、自分のいない時に、どんな接客をしていたか、はっきり分かったわけだが、A氏、冷や汗を掻きついでに、もう一人に、電話して見る事にした。 E氏である。

「いや、写真は続けていますよ。 最近は、他の店に行っているけど」
「よかったら、その理由を・・・」
「あの、若い店員・・・」

  A氏、三たび、ドッと冷や汗。 こういう事は、三度目でも、慣れないものだな。

「びびびびBが、失礼な事をしましたか?」
「モノクロ現像用の薬品なんだけど、特殊な品なんで、店にないのが分かっているから、取り寄せを頼んだんですよ」
「は、は、はあ?」
「そしたら、『在庫を調べるから、待ってくれ』って、コンピューターで調べ始めて。 ところが、なかなか、結果が出て来ないんだわ。 15分くらい、あれこれ、やってて、結局、『在庫がないから、取り寄せる事になるが、どうしますか?』って言うんだよ。 そんな事は、こっちは、最初から分かってるんだけどね。 店長さんに言えば、5秒で通じる事を、あいつに頼んだら、15分もかかるんじゃ、あいつが店にいる限り、もう、行く気にはなりませんよ。 こっちも、そうそう、閑じゃないんだし」
「もももも申し訳ありませんでしたーっ!」

  写真・カメラ関係の機材は、製品が無数に存在する。 全てを、店に用意しておくわけには行かないから、取り寄せは、普通の事である。 ところが、青年Bは、それを嫌って、取り寄せを頼む客を、追っ払っていたようなのだ。 機材の売り上げが落ちるのも、無理はない。 ガラス・ケースを開けなかったというのも、店員としてあるまじき行為である。 常連客なら尚の事だが、高価なカメラを買うのに、試しに手に取ってみるのは、普通の事である。 どうも、常連客を追っ払いたくて仕方ないらしい。


  青年B、A氏の前では、真面目そうなフリをしていただけで、正体は、そういう奴だったのだ。 A氏は、すぐにでも、青年Bを怒鳴りつけてやろうかと思ったが、その前に、思わせぶりな事を言っていた前の店主に、電話で相談してみた。

「ああ、そうだったの。 やっぱりねえ。 その店員には、まだ、何も言っていない? そりゃ良かった。 いるんだよ、そういう奴って。 特に呼び方は決まってないけど、俺は、『個人商店ゴロ』って呼んでる。 個人商店ばかり狙って勤めて、楽して、給料もらおうとするんだ」
「楽をするのが、目的なんですか?」
「そう。 個人商店の店員は、給料制だから、店の売り上げや利益が、多かろうが少なかろうが、関係ないんだな。 で、どうせ、同じ給料なら、楽な方がいいってんで、最低限の仕事だけして、やらなくても済むような事は、やらないで済ませようとするわけよ。 取り寄せは、特に嫌がるね。 書類を書いてファックスしたり、電話したり、コンピューターに入力したり、面倒だから」
「そんな理由で、常連のお客さんを追っ払うんですか?」
「雇われ店員にしてみれば、常連客なんて、鬱陶しいだけなんだろうな。 面倒な取り寄せを頼まれる事が多いし、自分より、カメラや写真に詳しい人達だから、常に見下されてしまうし。 腹癒せも兼ねて、追っ払うんだろう。 『お客様は、神様』と思っているのは、経営者だけで、雇われ店員は、そんな事、考えちゃいないんだ。 自分は主の側だから、客より偉いと思ってるんだ。 15分もかけて、在庫を、わざわざ調べたって話も、自分の方が店の事情に詳しい事を、客に思い知らせたかったんだろう」

  聞くだに、恐ろしい話である。 A氏は、またまた、顔色真っ青になった。

「すぐに、クビにします!」
「いや、待て待て。 クビは当然だけど、逆恨みされるかも知れないから、責めちゃいかん。 実際に、売り上げも利益も落ちているんだから、それを理由にして、『申し訳ないが、人を雇うゆとりがなくなってしまった。 やめて下さい』と、穏便に頼む方がいい」
「はあ。 なるほど」
「しばらく・・・、そうだな、常連さんが戻って来るまでは、人は雇わずに、Aさん夫婦だけでやって行くのがいいと思うよ。 まだ若いのに、個人商店を狙って応募して来る奴は、大抵、ゴロだから、引っ掛かる率が高い。 バイトやパートの方が、ずっと信用できるけど、専門知識が要るカメラ屋じゃあ、ちょっと、難しいからな」
「分かりました。 そうします」

  A氏は、青年Bを面接した時の事を思い出していた。 そうだ、確かに、「個人商店ばかりに勤めるようになった」と言っていた。 つまり、一ヵ所ではなかったのだ。 そのどこかで、個人商店が、食い物にできる事を覚え、同じような事を繰り返しては、クビになって来たのだろう。 もしかしたら、青年Bが潰してしまった店もあるかも知れない。

  同じ店で働いていても、雇う側と雇われる側では、同床異夢。 雇われている方は、給料さえ出ていれば、店がどうなろうが、知った事ではない。 極端な話、潰れても構わないのだ。 個人商店では、常に、店員のなり手不足に、頭を悩ませている。 若い応募者があれば、すぐに採用するから、乗り換え先には事欠かない。 そういう計算をしているのだ。 恐ろしい奴らである。


  A氏は、前の店主のアドバイスに従い、青年Bに事情を話して、穏便に、やめてもらった。 常連客は、少しずつ戻って来たが、以前の売り上げ・利益に戻るまでに、一年以上かかった。 その後、A氏の店では、デジカメ時代になって、廃業するまで、店員を雇わなかった。 青年Bで、懲りたのである。 A氏は、以後、店員を雇っている店を見ても、羨ましがる事はなくなり、逆に、「大丈夫かな?」という目で見るようになった。

  ちなみに、同じ商店会の工具店は、A氏のカメラ店より早く潰れた。 終わりの数年は、閑古鳥が鳴き、借金だらけだったそうだ。 店が潰れた後、工具店の店主は、家族を残して、逐電してしまった。 A氏は、その店にいた真面目そうな店員が、実は、個人商店ゴロだったと見ている。 その店員は、給料が出なくなるまで、店に居座っていたらしい。

  青年Bは、その後の消息が分からない。 一度、甘い汁を吸うと、なかなか、やめられないと思うので、おそらく、個人商店ゴロを続けたはずである。 高齢になって、年齢を理由に雇ってもらえなくなるまで。

2022/06/12

モバイル接続の4G化

  先週に引き続き、また、インターネット関連です。 前回は、ブログ移転の話でしたが、今回は、モバイル接続を、3Gから、4Gに切り替えた話。 例によって、日記ブログから、移植。 日記の後で、日替わり写真の方も移植します。




【2022/04/01 金】
  私は、2014年4月以降、モバイル端末で、ネットに接続しているのですが、プロバイダーから通知があり、今年の9月末日で、3Gのサービスを終了するとの事。 4G・LTEは、そのまま使えるらしいのですが、私の端末は、3G専用ですから、使えなくなってしまいます。 4G・LTEが使える端末を買えば、契約そのものは、変更なしで、続けられるようです。

  その通知は、去年の内から来ていたのですが、ちょこちょこと、4G・LTE端末の吟味はしているものの、さっさと買って、換えてしまおうという気になりません。 今の端末でも、9月末日までは使えるわけですし、早く換えても、別に、接続が便利になるわけではないから、動機が盛り上がらないのです。

  買おうと思っている端末は、定価で11000円。 中古が売っていて、3000円からありますが、電子機器の中古は、どこかしら壊れている事が多いので、どうかと思っているところ。 しかし、この値段の差は大きい。 一か八か、中古を買ってみて、駄目なら、新品を買い直すという手もないではないです。 買い直すとなると、合計、14000円の出費になりますが、11000円と、14000円の違いは、さほど、大きいと思わないから、不思議です。 なんだか、馬鹿な計算をしているような気もしますが。

  なんで、素直に、新品に11000円出したくないかというと、換えたら、どうせ、また数年で、今度は、4G・LTEのサービスをやめるとか言い始めると思うからです。 まったく、大して技術が進歩しているわけでもないのに、規格変更ばかり、お気楽にやるなというのよ。 カメラ業界みたいに、自滅するぞ。



【2022/04/17 日】
  昨夜の事ですが、4G・LTE対応のモバイル端末を、ヤフオクで、落札しました。 スタート500円が、4・5人で競って、最終的に、1700円になりました。 それでも、安い方です。 同じ製品の中古が、アマゾンでも出ていたのですが、一番安いのでも、2980円でした。 今はもう、それより高かった物件も含めて、全て売れてしまった模様。

  どうやら、今まで、ドコモの3Gでやっていて、今年9月のサービス停止前に、標準SIMカードはそのまま、端末だけ変えて乗り切ろうと考えている人が、そこそこ、いる模様。 私も、その一人です。 SIMカードをマイクロに交換すれば、最新の端末が使えますが、端末自体の価格が、1万円近い上に、SIMカードの交換手続きが面倒臭そうなので、なるべく、標準SIMのままで行きたいのです

  本体1700円に、送料657円を足して、2357円。 今日の夕方、横浜から発送されたので、明日には届くでしょう。 もし、期待通りに作動すればの話ですが、この程度の出費で、4G・LTE化できるとすれば、安く上がる方だと思います。

  しかし、「電子製品は、中古で買うものではない。 必ず、どこか壊れている」という話もあり、逆に、高くついてしまう恐れもあります。 実際に接続してみるまで、戦々兢々ですな。



【2022/04/18 月】
  昨夜の事ですが、今現在使っている、3Gモバイル端末、「ドコモ L-05A」の設定を見ていたら、誤って、設定内容を消してしまいました。 どうして、そういう、意味のない事をするかな。 自分で自分が分からない。 2014年3月に、プロバイダーから送られて来た書類を出し、ユーザー名とパスワードを打ち込み直したのですが、エラーが出るだけで、繋がりません。

  2014年3月、使い始めた時にも、接続方法が分からずに、電話で、プロバイダーに訊いたり、さんざん苦労しました。 で、その時の日記を、読み直してみたのですが、数値を直す事は書いてあっても、どこの数値を直すのか、細かい事が書いてありません。 何をやっているんだ、2014年3月の私よ。

  3時間近く、あれこれ試しましたが、結局、駄目。 諦めて、横になりましたが、不安が募って、眠るどころではなく、サブ・パソコンの方で、繋いでみたら、何と、繋がるじゃありませんか。 どうやら、端末内部ではなく、パソコンの中に設定が保存されているようです。 で、両者の違いを見てみたら、サブ・パソの方では、「2」になっている部分が、メイン・パソでは、「5」になっています。 そこを、「2」に直したら、繋がるようになりました。

  やれやれ、ほっとした。 今日の夕方には、ヤフオクで落札した、4G・LTEモバイル端末が届くから、受取連絡や評価は、絶対にしなければならないのに、どうしようかと思いました。 つくづく、パソコンは、ネットに接続できなければ、ただの箱です。


  「ドコモ L-05A」は、2014年3月にアマゾンで、新品を、1780円で買いました。 韓国の、LG社製。 プロバイダーから送られて来た、標準データSIMカードを入れて、パソコンのUSBポートに挿し込めば、無線端末として、ネット接続できるという、大変シンプルな製品です。 岩手異動対策として、モバイル端末を選んだのですが、私は、据え置きパソコンに挿し、固定回線の代わりとして、使ってきました。 データ通信だけだと、毎月の通信費が、千円弱なので、恐ろしく安上がりなのです。

  ドコモ専用の3G端末なので、今年の9月までで、使えなくなってしまうのですが、今更ながらに、接続設定の方法を書いておきます。 「ドコモ L-05A」を持っていない人は、全く分からないと思いますから、飛ばして下さい。

・ SIMカードを入れ、パソコンのUSBポートに挿すと、自動的にインストールが始まる。
・ タスク・バーに出た深緑色の丸いアイコンをクリックすると、縦長の黒い操作部が表示される。
・ 下の方の、スパナ・ボタンをクリックして、設定部を出す。
・ 下に二段に並んでいるボタンの内、上段中央の「基本設定」をクリックし、プロバイダーから送られて来た書類にある、「ユーザー名」と、「パスワード」を打ち込み、歯車アイコンをクリックして、設定する。
・ 下段左端の「接続設定」をクリックし、以下のように、選択、または、打ち込む。

「登録番号」 cid=1     → cid=2
「接続方式」 PDP Type PPP → PDP Type IP
「接続先」  mopera.ne.jp → biglobe.jp
(接続先は、自分が契約しているプロバイダーのものにする)
・ 曲がった矢印マークの、「接続方式登録」をクリックする。

・ 「基本設定」を出し、「ダイヤル」に表示されている数列の最後尾、「#」の直前の数字を、「2」にする。 これは、「cid=2」を意味する。
・ 設定部を閉じて、操作部中央の大きな丸をクリックすれば、繋がり、上の方に受話器マークが出る。
・ ブラウザを開いて、ネットを始める。


  こういう事は、説明書には、一切、書いてありません。

  「接続設定」の変更内容は、プロバイダーに電話して訊いたものです。 「接続方式」は、「PDP Type PPP」か、「PDP Type IP」の、どちらかしかないので、駄目なら、入れ換えてみればいいのでは? 内容を換えた時には、そのつど、設定ボタンや登録ボタンを押す必要があります。 「接続先」の正確な名前が分からない場合、自分のプロバイダーに電話すれば、教えてくれると思います。

  「ダイヤル」の数値を変更するのは、私がふと思いついて、やってみたら、繋がったというだけの話。 プロバイダーの相談員は、それを教えてくれませんでした。 たぶん、知らなかったのでしょう。 プロバイダーの動作確認済み端末だからと言って、相談員が、全ての機種の操作法を知っているわけではないわけだ。

  接続設定は、全て、「L-05A」の操作部で行ないます。 パソコンの方は関係ないので、「インターネット・オプション」を、あれこれ弄っても、意味はないです。 パソコンを、おかしくしてしまうだけでしょう。

  「L-05A」を買ったはいいが、接続設定の方法がどうしても分からず、結局、しまい込んでしまったとか、売ってしまったとか、捨ててしまったという人もいたでしょうなあ。 『「ダイヤル」の、「#」の直前の数字を、「2」にする』なんて、私のように偶然思いつくのでもない限り、分かるわけがないのですから。

  とはいえ、一度、接続に成功してしまえば、シンプルな機械であるだけに、故障するような事は、全くありませんでした。 8年間使っているわけですが、費用対効果は抜群で、いい買い物をしたと思っています。 USB給電で、バッテリーを必要としない点は、特に優れていると思います。


  で、ここからは、今日の事ですが。

  外掃除の後、玄関ポーチに、外用の白椅子を置いておきました。 午後4時頃、クロネコが、4G・LTEモバイル端末を届けに来ました。 今は、感染対策の為に、印鑑・署名不要で、インター・ホンのある家の場合、玄関前に置いていってもらう事ができると、クロネコのホーム・ページに書いてあったので、そう頼んだら、それで済みました。

  とっくから、そうしてくれていれば、届け物がある度に、震え上がらなくても良かったのに。 物なんか、別に怖くないのです。 後で、手を洗えばいいわけですから。 怖いのは、生きて、息をしている、人間なのです。

  開梱して、中身を確認し、受け取り連絡と、評価を入れました。 これで、出品者との関わりは、おしまい。 元より、「返品不可」なので、作動しない場合でも、苦情を入れる事はできません。 運が悪かったと諦めるだけです。 とりあえず、5日くらい置いて、自然浄化させます。



【2022/04/24 日】
  先日、ヤフオクで買った、4G・LTE端末の自然浄化が終わったので、午後から、接続してみました。 華為の「E5577」という機種です。 まず、説明書を撮影し、パソコンで見られるようにしたのですが、例によって、こういう機械の説明書は、全く要領を得ませんな。

  今まで使っていた、3G端末、「ドコモ L-05A」から、SIMカードを抜き、E5577に入れ、バッテリーを装着。 蓋を閉めて、電源を入れたのですが、「圏外」と出るだけ。 パソコンの方にも、何の変化もなし。

  附属品のUSBコードで、パソコンと接続したら、自動でインストールが始まり、華為のE5577のページが、IEで出ました。 なぜ、IEなのかというと、私が、パソコンのメイン・ブラウザを、まだ、IEのままにしてあるからでしょう。

  L-05Aと違って、タスク・バーのアイコンは出ません。 パソコンを立ち上げると、自動的に接続される模様。 2014年3月までやっていた、フレッツ光も、同様でした。 しかし、私のモバイル契約の場合、使えるギガが少ないので、こちらの都合で遮断できないのは、厄介です。 ネットに繋がず、パソコン作業だけする時には、USBスイッチで、電源オフになっているサブ・パソの方に切り替えてしまえば、切れるので、それで対応するつもりです。

  接続方式は、E5577のページに、「4G」と、はっきり出ています。 これで、今年の9月一杯で、3Gサービスが終了になっても、10月以降も確実に、ネットを続けられるわけだ。

  L-05Aは、とりあえず、元箱にしまいました。 E5577のバッテリーが、どうなるか分からないので、しばらく、E5577でやってみるつもりです。 とにかく、接続できる事が分かっただけでも、収穫か。

  L-05Aの時には、接続設定の方法が分からずに、四苦八苦しましたが、E5577は、さすがに、発売年が十年以上あとだけあって、SIMカードを差し込むだけで、プロバイダー名も、そのID、パスワードも、自動で読み取るようになっていました。 USB接続だけで使うなら、パソコンのコントロール・パネルの方には、何も入力する必要はないです。

  自分で打ち込まなければならない情報は、E5577のページに入力する、「ユーザー名」、「パスワード」、「SSID」、「無線LANキー」です。 4種類もあって、混乱しますが、失敗したら、本体の中にあるリセット・ボタンを長押しして、やり直せばいいだけの事。 最悪、E5577のページの、設定が変更できなくても、ネットは、問題なく、繋がります。

  本来、無線LANの機器でして、複数のパソコンを、E5577を通して、無線でネットに繋げられるのですが、私は、自室でパソコン2台使っているものの、USBスイッチ・ハブがあるので、無線LANの出番はありません。 面倒臭いので、そちらには、関わらない事にします。



【2022/04/25 月】
  ネットの4G接続ですが、しばらく様子を見て、使える事を確認したら、9月末まで、3Gに戻そうかと思っていたのですが、4Gの方が、速度低下期間でも、少し速いようなので、このまま、移行してしまう事にしました。

  で、3G端末「ドコモ L-05A」は、清掃して、撮影し、元箱に完全にしまってしまいました。 8年間、御苦労だった。 よく、働いてくれた。 4G端末「華為E5577」の元箱も一緒に、カラー・ボックスにしまって、見えなくなり、清々しました。

  これで、ブログの移転も、4G化も片付き、今年対処しなければならなかった、ネット関係の問題は、解決した事になります。 とりわけ、4G化の方は、お金も手間も、もっと、かかると予想していたので、高々、2357円の出費で、4月に解決を見た事は、大変、喜ばしい。 もっとも、別に私が得をしたわけではなく、ドコモの都合に振り回されただけである点に変わりはありませんが。



【2022/04/26 火】
  午後、4Gモバイル端末「華為E5577」を置く、台を作りました。 小さくて薄い木片と、厚紙が材料。 生憎の天気で、木工用ボンドの 乾きが悪く、時間がかかりました。 夜に完成。



【2022/04/28 木】
  4G端末、「華為 E5577」に切り替えて、4日、経ちました。 時折り、接続が切れてしまう事があり、もしかしたら、前の持ち主が手放した理由は、それなのかも知れません。 説明書に、「切れるのを防止する設定」が載っているところを見ると、個体の問題ではなく、機種全体の問題なのでしょう。

  機能上の欠陥ではなく、省エネ・省ギガの為に、「通信が行われていない時には、自動で切れるようになっているのが、場合によって、再接続がうまく行かない事がある」という事のようです。 「切れるのを防止する設定」というのは、「自動切断機能をオフにする」という事なのですが、繋がりっ放しでは、ギガの消耗が早くなりそうなので、それをする気はないです。

  まだ、4日しか使っていないから、確実にところは分かりませんが、とりあえず、取れる対策は、

  パソコンを起動した時、最初に出て来る、「192.168.8.1」のウインドウ/タブですが、それを閉じないで、接続中、出しっ放しにしておけば、切れ難いようです。 見たいページへのアクセスができず、「このページは表示できません」が出てしまっても、「192.168.8.1」の画面で、「接続時間」が進行していれば、切れていない証拠ですから、見たいページを開き直せば、その内、アクセスできます。

  私が、E5577を使い始めた時、すでに、ギガが切れて、低速接続期間に入っていたので、そのせいで、繋がり難いのかも知れません。 月が変わって、通常速度に戻ってからでないと、判断できませんな。 ちなみに、3G端末、「ドコモ L-05A」の時にも、低速接続期間では、繋がり難いのは、日常茶飯事でした。 「何もかも快適で、不満が一切ない」などという機器の方が珍しいのであって、特徴が分かって、それに慣れてしまえば、どうという事はないです。



  引き続き、日記ブログの、日替わり写真から、移植。 解説文は、内容が、日記の方と重複しています。




【ドコモ L-05A】

  2014年4月から使ってきた、モバイル端末、「ドコモ L-05A」。 韓国のLG社製。 アマゾンで、送料込み、1780円で買いました。 3Gのみの対応で、今年9月一杯で、3Gサービスが終了する、ドコモ系のデータ通信契約では使えなくなるので、4G端末を新しく買い、こちらは、引退させました。

≪写真上≫
  元箱と本体。 私は、元箱は、必ずとっておく方です。 8年、経っていますが、暗所に保存してあったので、新品のように見えます。 取説、付属品も完備。 使えなくなるから、みんな、無価値になってしまいますが。

  手前は、本体。 パソコンのUSBポートに挿して使います。 挿込口は、折り畳めるようになっています。

≪写真下左≫
  最初に挿し込んで、自動インストールが終わると、パソコン画面のタスク・バーに、深緑色のアイコンが出るようになります。 それをクリックすると、画面中央に、縦長の操作部が出ます。 中央の大きな「○」をクリックすると、接続されます。

≪写真下中≫
  接続された状態。 上の方に、受話器マークが出ます。

≪写真下右≫
  操作部下の、スパナ・アイコンをクリックすると、設定部が出ます。 最初の設定は、大変、厄介です。 安さに引かれて買ったはいいが、結局、接続設定の方法が分からず、使えずじまいになってしまった人も多かったんじゃないでしょうか。 私は、プロバイダーのコール・センターに電話しただけは分からず、偶然の思いつきに助けられて、設定の方法を突き止めました。

  プロバイダーと、データ通信の契約をし、送られて来たSIMカードを、この端末に入れて、パソコンに挿すだけで、インター・ネットができました。 料金は、毎月、千円弱で、容量は、3ギガ。 それを使い切ると、低速接続になります。 それらは、4G化しても、同じですが。




【華為 E5577】

  スタート価格500円で、ヤフオクに出ていたのを、4月16日に、競って、1700円で落札した、4G対応モバイル端末、「華為 E5577」。 送料657円で、計2357円。 17日に、発送。 18日には、届きました。 5日間、自然浄化。 24日に、接続しました。

≪写真1≫
  元箱。 片手の掌に載るくらいの大きさです。 「華為(hua/wei\)」は、中国企業。 アメリカ政府から締め出された事で有名になってしまいましたが、その事実こそが、まさしく証明しているように、通信分野の技術力では、世界のトップだと思います。

≪写真2≫
  本体。 液晶画面が付いていますが、ここを見て、操作するわけではないです。 というか、基本的に、操作は必要ありません。 下に、付属品の、USBケーブルを挿してあります。

≪写真3左≫
  USBケーブルで、パソコンと繋ぐと、自動インストールされ、最初に、この画面が出ます。 IDやパスワードなど、4種類、入力します。 最初に出てくる入力欄二つに、両方とも、「admin」と入れると、ログインできます。 IDやパスワードなどは、後で、入力、もしくは、変更します。

  このページですが、毎回、パソコンを起動するたびに、出て来ます。 消してしまっても、接続が切れる事はありません。 物理的なスイッチを介さない限り、強制的に切る方法は、ないようです。 低速期間などで、切れ易い場合、このページを出しっ放しにしておいた方が、切れ難くなります。

  本来、無線LAN機器ですが、私は、USB切替器を使い、パソコン2台に、有線で繋いでいます。 無線LANを使う気がないので、やり方も調べていません。

≪写真3右≫
  端末を置く台を作成中。 手持ちの、薄くて細い木片と、厚紙を使いました。 木工用ボンドで接着して、洗濯バサミで押さえ、乾かしているところ。

≪写真4左≫
  出来ました。 手前の、白い機器は、USB切替器です。 2015年に買ったもの。 机の上のメイン・パソコンと、テレビの横のサブ・パソコンを切り替える為の機器。 モバイル端末は、L-05Aの時から、この切替器に挿しています。

  台は、端末本体が当たる面だけ、厚紙を貼りました。 木に直接では、キズがついてしまうので。 しかし、長い間、このままにしておけば、結局、日焼け跡がついてしまいそうですな。

≪写真4右≫
  E5577をセット。 上から嵌め込むだけですが、震度4くらいでは、動く事はありません。 テキトーに作った割には、綺麗に仕上がりました。




  日記、及び、日替わり写真からの移植は、以上です。

  4G化には、もっと手こずると思っていたんですが、経費的にも、手間的にも、ずっと、容易にできました。 この件は、精神的に、相当な重荷になっていたようで、切り替えに成功したら、体調が覿面に良くなりました。 案ずるより産むが易しか。

  E5577は、その後、今に至るまで使っていますが、特に問題はありません。 5月1日に、通常速度に戻り、20日に、ギガを使い切って、低速に切り替わりました。 L-05Aよりも、少し消耗が早いようですが、5月は、ブログの方も弄ったので、そちらのせいかも知れません。

  ちなみに、低速期間の方が、惜し気なく接続できるから、必ずしも、不便になるというわけではないです。 動画を見たり、地図を調べたりする場合、通常速度期間にやったのでは、ギガを消耗してしまうから、もったいない。 低速期間でなけば、やる気になりません。 低速でも、時間をかけて、データが溜まるのを待てば、見れるわけで、暇がある引退者には、さして、問題にはなりません。 もっとも、動画は、10分以下でないと、そもそも、開く気になりませんけど。

  E5577で、気になるのは、バッテリーを介している事でして、USB接続しているから、パソコンが起動している時には、常に充電しているわけですが、そういう使い方が、バッテリーに悪影響を与えないとも限りません。 本来は、外出時に、バッテリー駆動で使用し、使い切ったら、充電するタイプの機器なので。 まあ、とりあえず、問題が出るまでは、これでやってみます。

2022/06/05

ブログ≪換水録≫の移転

  今回は、私がやっている別のブログの話です。 ブログ・サービスが閉鎖になるから、他へ移転せざるを得なくなった経緯を記します。 こちらでは、「日記ブログ」と呼んでいるところなのですが、そこが、閉鎖になってしまうのです。 で、以下は、その日記ブログからの移植になります。 日記の文中で、「このブログ」と呼んでいるのは、その、日記ブログの事です。




【2022/01/19 水】
  このブログをやっている、ビッグローブのウェブリブログですが、来年2023年の1月末で、業務を終了するとの事。 つまり、閉鎖ですな。 で、「他のブログ・サービスへ、移転せよ」との事なのですが、シーサー・ブログへなら、簡単に移転できるアプリが、4月以降に提供されるそうなので、まあ、それまでは、このまま行きます。

  ≪換水録≫は、元は、プロバイダーにしていた、DION/auの、ホームページ・サービスで始めたのが、2001年の10月。 2014年の4月頃に、プロバイダー契約を解約した事で、2008年から、「日替わり写真」の過去ログ用に利用していた、このウェブリブログへ移行し、今に至ります。 で、また、他へ移るわけだ。

  ブログ・サービスの閉鎖に伴う移転は、他でも経験した事がありますが、閲覧者が激減するのが普通です。 いくら、「どこそこへ、移転しました」と告知していても、その日の気分で見に来ていたような人達は、移転先までついて来てはくれないようです。 虚しい事ですが、事は世に連れ、致し方ないか。

  ちなみ、このブログ、≪換水録≫の閲覧者数は、日当たり、50人から、100人程度。 これは、全ページ数の話で、トップ・ページだけだと、10分の1以下になります。 閲覧数は、日当たり、100前後です。 時折、200とか、300とか、出る事がありますが、それは、その日に初めて、ここを見つけた人が、一人で、多くのページを見ているのでしょう。

  もう何年もやっていて、記事が、100件以上あるブログだと、何かしら、検索で引っ掛けて、見に来る人かいるから、そのくらいは、普通です。 「カウンターを付けているが、日当たり、10も回らない」という場合 それは、トップ・ページだけのカウンターなんですな。 実際には、その10倍くらいの人が、閲覧しているはず。



【2022/04/03 日】
  このウェブリブログ、「来年、2023年の1月末で、業務を終了するので、他のブログ・サービスへ移転せよ」という通知があったというのは、以前、書きました。 「シーサー・ブログへなら、簡単に移転できるアプリが、4月以降に提供される」との事で、4月になったのですが、まだ、提供されず、「4月中」との事。

  準備として、「シーサー・ブログに、予め、ブログを作るべし」とあったので、今日、作っておきました。 シーサーでは、他のブログをやっているので、同じアカウント(ID/パスワード)で、もう一つ、追加した次第。

  「他のブログ」というのは、元は、DION/auの「ラブログ」でやっていたのを、「閉鎖するから、他へ移れ」と言われて、シーサーを選んだもの。 別に、シーサーが気に入っていたからというわけではなく、ラブログの方で用意していた移転先から、テキトーに選んだのです。 ちなみに、そちらのブログの内容は、この換水録から再編集・移植した記事が、9割を超えていますから、特に探す必要はないです。

  で、≪換水録≫も、シーサーに移転するわけですが、使い慣れているから、ほとんど、抵抗はありません。 ウェブリブログ自体が、ほんの少し前に、大幅なリニューアルが施されて、シーサーそっくりの投稿システムに変わっていたので、むしろ、似過ぎていて、混乱するほどです。 移転すれば、すぐに慣れるでしょう。

  というか、以前使っていた投稿システムなんて、すぐに忘れてしまいます。 ウェブリブログのリニューアル前の投稿システムを、今思い出そうとしても、全く、出て来ません。 ラブログのも同じ。 過去にやっていた、ホーム・ページも、ブログも、更新をどうやっていたのか、みんな、忘れてしまったなあ。 投稿画面の写真を撮っておけば良かった。

  で、今日は、デザイン・テンプレートの吟味もやったのてすが、なかなか、いいのが見つかりません。 もはや、デザインに拘るほど、ブログに熱意がありませんが、最低限、必要な条件というのがありまして、

・ 記事が、画像の横に回り込まない。
・ 記事が、「続きを読む」をクリックしなくても、全文、表示される。
・ 文字は、白っぽいのよりも、黒っぽいのが良い。
・ 背景は、白か灰色がよく、他の色は駄目。

  を満たすとなると、シンプルな白になってしまうのですが、あまりにも、素っ気ないので、少し妥協して、灰色背景に白文字にするか、検討中。 それにしても、これだけ、いろいろと、デザインがあるのに、一つも、満足行くのがないというのは、凄い話だな。

  4月中に、移転アプリが公開され次第、移転するか、それとも、来年の1月末まで、こちらで粘って、ギリギリで移転するか、それも、検討中。 すぐに移転して、両方、更新を続けるという手もありますが、その間、一日の手間が2倍になってしまうので、それは、やらないと思います。

  さっさと移転してしまった方が、気楽は気楽ですが、落ちるんだよなあ、閲覧者数や、閲覧ページ数が。 特に、私のように、コメント受付拒否でやっている、固定客が少ないブログでは、移転は致命的で、一からやり直し級の大打撃になります。 10分の1くらいになっても、おかしくない。 移転告知を出しておいても、そもそも、トップ・ページを見ている人が少ないのだから、話になりません。



【2022/04/08 金】
  ウェブリブログのサービス終了に伴う、引っ越しですが、アプリが公開され次第、決行してしまう事にしました。 引っ越し完了とともに、こちらのブログは、更新が止まります。 来年の1月末までは、存在しますが。

  というわけで、ウェブリブログにアップしている内に、今までの事をざっと、振り返ってみる事にします。

  そもそも、ウェブリブログを借りたのは、2008年の事でした。 最初に作ったのが、何月何日かは、不明。 当時、松尾スズキさんの本を何冊か読んでいたのですが、松尾さんが、ウェブリブログをやっていて、ビッグローブの会員であれば、一般人でも、コメントが打てると分かり、私も作ってみたのです。 具体的に、どんなコメントを打つかは考えておらず、結局、一回も打ちませんでしたけど。

  ブログの方は、タイトルを変えながら、あれこれ、試作していたのですが、2008年の11月に、≪日替わり写真箱≫というタイトルにして、ホーム・ページ≪換水録≫に出していた日替わり写真を保存しておく為のブログにしたら、続くようになりました。 正確に言うと、11月2日に作ったのですが、一ヵ月分、遡って、日替わり写真をアップしたので、過去ログを調べると、最も古い日付は、2008年10月1日になっています。

  ブログを、ただの画像置き場にするのはまずいと思い、解説文も入れて、写真ブログの体裁を整えておきました。 自分で言うのも、おこがましいですが、倉庫代わりにしていたにしては、割とまともな写真ブログだったと思います。 毎日、更新していましたから。

  2014年に、仕事で岩手に異動する事になり、固定回線の契約をやめて、モバイル端末による接続に切り替えました。 auとのプロバイダー契約を解消したせいで、ホーム・ページ≪換水録≫も消滅。 本拠地を、ブログ≪日替わり写真箱≫に引っ越して、タイトルを、ブログ≪換水録≫に改装しました。 2014年4月以降、朝「日替わり写真」を更新、夜「日記・その他」を更新と、一日二回更新するようになったのは、そういう事情からです。

  それ以後の出来事というと、2019年の7月に、ウェブリブログ全体のリニューアルがあり、投稿画面が、シーサー・ブログのものに近くなりました。 あの時のユーザーの混乱は凄かったな。 「使い難いから、元に戻せ!」の大合唱でしたが、企業が、それなりの投資をして変更したものを、「使い難い」の苦情くらいで元に戻すわけがないのであって、世間知らずなユーザーが、あまりにも多いのには、呆れた次第。 ブログの投稿方法なんて、文句を言うより、慣れた方が早いです。

  その時、ブログ≪換水録≫の、デザイン・テンプレートも変わって、それまでは、自分で背景色や文字色を設定して、ホーム・ページ≪換水録≫の雰囲気に近づけていたのを、出来合いのデザインに切り替えました。 もう、拘りがなくなっていたのです。

  で、今に至るわけですが、2008年から数えると、14年近く、やって来たわけで、結構な期間になります。 その時に生まれた人が、もう、中学生だものね。 2014年4月以降は、記事数が増えて、ぎっちりになるから、簡単に見返して、感慨に耽る事ができないのは、残念なところ。 やっている私でさえ、どんな事を書いて来たのか、どんな写真を出して来たのか、ごく最近のものを除いて、忘れてしまっているのだから、閲覧者は尚の事でしょう。 ブログに歴史あり。 そして、その全貌を把握している者は、誰もいないのです。



【2022/04/15 金】
  今朝の事ですが、このブログ≪換水録≫を、シーサー・ブログへ移行しました。 といっても、同じブログが、別のブログ・サービスで、もう一つ出来ただけですから、今の所、こちらには関係ありません。 今月一杯は、両方に、新しい記事をアップしようと思います。

  ウェブリブログから提供された、移行ツールを使ったので、作業は簡単でした。 ブログ≪換水録≫では、初期の頃から、コメントやトラックバックを、受付拒否にしてあり、「転送」などの設定も必要ありませんでした。

  シーサー・ブログ≪換水録≫の、URLは、以下の通り。

https://kansuiroku.seesaa.net/

  デザイン・テンプレートは、ウェブリブログで使っていた物を、一つだけ、そのまま、もっていけるというので、やってみたのですが、記事が全文表示にならず、画像も、サムネイルになってしまうので、やむなく、シーサーで提供されている別の物に換えました。


  で、一応、やるにはやりましたけど、ウェブリブログの都合に合わせただけで、私がやりたくてやったわけではないので、達成感などは、一切ありません。 ただの作業です。 半月間、二つのブログに、同じ記事をアップするくらいは、どうという事はありませんが、今年は、インターネット関係で、もう一つ、3Gから、4G・LTEへの切り替えがあるんですよ。

  そちらの方が、モバイル端末を買わなければならないから、より大ごとで、厄介で、面倒です。 そっちも、私がやりたいわけじゃなくて、ドコモの都合なんですよ。 振り回されておるなあ。 なんで、ドコモの都合で、私が散財しなければならないのか、どうにも、理屈に合わぬ。



【2022/04/28 木】
  このブログ≪換水録≫ですが、現在は、ウェブリブログと、シーサーの両方に、同じ記事をアップしています。 今月末で、ウェブリブログの方のアップをやめ、シーサーへ完全移行するつもりだったのですが、シーサーの方の閲覧者数・閲覧ページ数が、ウェブリブログの方の、5分の1と、あまりにも少ないので、しばらく、並行して、アップし続ける事にしました。

  並行アップを、ウェブリブログが閉鎖になる、来年1月まで続けるかどうか、検討中。 結構な手間ですし、それまで続けても、今の閲覧状態が変わらないかも知れません。 致し方ない事とはいえ、これだから、ブログの移転は、嫌なのです。



【2022/04/29 金】
  シーサー≪換水録≫の、CSS編集の方法が分かったので、スタイルシートを書き換え、ブログ・タイトルのフォント、背景色、文字色などを変更しました。

  色は、2006年から、2014年まで、ホーム・ページ≪換水録≫で、2008年から、2019年まで、ウェブリブログ≪換水録≫で使っていた物にしました。 この色の組み合わせは、私自身は勿論ですが、その頃から閲覧して下さっている方々も、懐かしいんじゃないかと思います。

  ちなみに、背景色の灰色は、「#d0d0c0」。 文字色は、タイトルなど、青いのが、「navy」。 黒が、「#222222」です。 ウェブリの方で見ている方は、どういう配色なのか、↓こちらで確認して下さい。

https://kansuiroku.seesaa.net/

  「ウェブリブログの方と、大して、変わらないではないか」と思うかと思いますが、つまりその、2019年以降に、ウェブリブログ≪換水録≫で使っているテンプレートは、かつてのホーム・ページやブログで使っていた配色に、最も近いものを選んだのです。

  背景色を、灰色に拘るのは、写真と相性がいいからです。 「グレー・スケール」という言葉もありますが、白と黒の中間の明るさが、どんな明るさの写真・画像にも、合うんですな。 あくまで、理屈上は、ですが。

  タイトル、「換水録」のフォントは、「有澤楷書」。 本当は、清朝体にしたかったんですが、対応しているフォントがありませんでした。 ちなみに、かつてのホーム・ページやブログでは、タイトルには、明朝体を使っていました。

  ウォブリブログ≪換水録≫の方も、合わせようかと思ったんですが、CSS編集の方法が、シーサーと似ているものの、別物で、手が出せませんでした。 もしかしたら、閉鎖が近い関係で、細かい編集を、なるべく、して欲しくないのかも知れません。

  私は別に、スタイルシートに詳しいわけではなく、フォントと色を、一ヵ所ずつ、入れ換えて行って、スタイルシートのどこを変えれば、ブログのどこが変わるかを確認しながら、変更して行きました。 最低に、不器用なやり方です。

  それでも、ネットを始めたのが、2001年で、まだ、個人ホーム・ページが全盛の時代。 必要に迫られて覚えたHTMLの知識が、多少なりともあったから、弄ってみようという気になるのであって、ブログ時代になってから、ネットを始めた人達は、全く、お手上げだと思います。 もっと、手軽に弄れるように、ブログ・サービスの方で、配慮してくれればいいと思うんですがね。



【2022/05/09 月】
  日替わり写真の、現在、公開していない分ですが、2006年3月から、10月まで、解説文は残っているものの、公開した日付が分からないのを、画像のプロパティを調べて、テキストに書き込みました。 プロパティの日付は、画像を加工した日であって、公開した日とは、ズレがあるのですが、まあ、大体わかるようになっただけでも、マシか。

  幸いな事に、当時は、その日に加工して、その日に公開するパターンだったので、ズレは少ないです。 夜勤の週は、深夜に更新していたから、一定のパターンで、ズレているのは、致し方ないのですが。

  ちなみに、2006年だから、まだ、ホーム・ページ≪換水録≫の頃でして、しかも、リニューアル前。 写真も、今の4分の1くらいの大きさでした。

  ホーム・ページ≪換水録≫を立ち上げたのは、2001年10月21日で、日替わり写真は、開設当初からのコンテンツでした。 コンテンツは、もはや、死語か・・・。 当時、解説文を、画像情報の「alt」に書き込んでいて、写真を替える度に消してしまっていたので、保存し始めたのは、2005年11月19日以降です。

  通し番号にして、1から、1712までは、解説文が残っていません。 後悔先に立たず。 1713から、2840までは、解説文も写真も残っていますが、公開していません。 その理由は、三つあります。

一、情報が古過ぎて、自分ですら、ピンと来ないところがある事。
二、1100枚もあるのでは、一日、10枚アップしても、110日もかかってしまう計算になる事。
三、ブログの容量には限界があるので、1100枚もアップしたら、残量を大幅に減らしてしまう事。

  というわけで、やる予定はないです。




  日記ブログからの移植は、以上です。

  最後の、5月9日の記事は、移転とは関係ないですが、≪換水録≫絡みの内容なので、オマケで付けておきました。

  移転先の、シーサー≪換水録≫の方は、日記の中に、URLを出してありますが、元の、ウェブリブログ≪換水録≫の方も出しておきます。

http://62018002.at.webry.info/

  こちらも、2023年1月末まで、存続する予定。 もしかしたら、新規更新は、それより早く、終わるかも知れません。

  ≪換水録≫は、ホーム・ページ時代も入れれば、2001年からだから、この≪心中宵更新≫より、歴史が古いですが、今現在、アップしてある記事は、2008年10月以降のものだけでして、ブログとしては、≪心中宵更新≫の方が、先輩という事になります。

  ≪心中宵更新≫は、始めてから、かなり長い間、書き下ろし記事でやっていたんですが、ある時期以降、≪換水録≫で出した記事を、再編集した記事が主になりました。 だから、両ブログで、重複している内容は多いです。

  同じシーサー・ブログで、二つのブログをやるのも無駄だから、≪換水録≫を移転したついでに、≪心中宵更新≫をやめてしまおうかとも思ったのですが、すぐに、思い留まりました。 両ブログを、同じ閲覧者が見ているとは限らないと気づいたからです。 というか、ほとんど、重ならないのでは?

  ところで、「心中宵更新」というタイトルの意味ですが、近松門左衛門の心中物、「心中宵庚申」のもじりです。 読みは違っていて、「心中宵庚申」は、「しんじゅう・よい・ごうしん」ですが、「心中宵更新」は、「しんちゅう・よい・ごうしん」です。 日曜の朝に更新している癖に、なんで、「宵更新」なのかについては、私自身も、理由を忘れてしまいました。