2022/12/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (39)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、39回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年11月分。






【伊豆の国市田京・穴不動尊】

  2022年11月2日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「穴不動尊」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 以前行った、広瀬神社の近くです。 といっても、すぐそばではなく、そこそこ、東に離れていますけど。

≪写真1≫
  細い道と、山の崖に挟まれた所にあります。 不動尊ですから、仏教系ですが、鳥居も立っていますな。 習合の名残りでしょう。

≪写真2≫
  真南から。 この写真では分かりませんが、背後の崖が、窟(いわや)のようになっており、それが、「穴不動尊」の名の由来なのかも知れません。 自信はありませんが。

  床下が高くなっていて、下にも、部屋のようなものがありますが、外から入れるのかどうかは、不明。 結構、凝った造りの建物ですな。

≪写真3左≫
  石燈籠。 四角断面で、神社燈籠。 火袋は、モルタルかセメントで、塗り潰されている様子。 壊れないように、先手を打っているのでしょう。

  右側の黒っぽい物体は、何なのか、よく分かりません。

≪写真3右≫
  濡れ縁の端にあった、流し。 これは、手水場ではありますまい。 トリスの缶が転がっています。

≪写真4左≫
  欄干の柱には、擬宝珠(ぎぼし)が載っていて、仏教っぽいです。 床下の柱が、岩の上に載っているように見えますが、岩ではなく、先に柱があって、その周囲をセメントで固めたもののようです。

≪写真4右≫
  路肩の、道路より一段高くなった部分に停めた、EN125-2A・鋭爽。 田京といっても、ほぼ大仁でして、うちからだと、遠い。 往復32キロも走ってしまいました。 そんなに遠くなくてもいいんですがねえ。 要は、週に一回、バイクで出かけて、それまでに見た事がないものを見れればいいのです。





【伊豆の国市田京・二宮神社 / 随昌院墓地①】

  2022年11月8日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「二宮神社」と「随昌院墓地」に行って来ました。 先に、随昌院の門前に着き、そこの駐車場に、バイクを停めて、そこから、山の上の方へ徒歩で歩きました。 山の中の事とて、地図で覚えて来た道が、どれなのか分からず、半分闇雲に、随昌院墓地の横の道を上がって行ったら、目的地の、二宮神社に着きました。 ホッとした。

≪写真1≫
  二宮神社。 特に、囲いのようなものはないです。 社殿の他に、鳥居、石燈籠という、シンプルな構成。

≪写真2≫
  社殿。 建物は、拝殿だけで、中に本殿の祠が入っています。

≪写真3左≫
  お馴染みの、二宮金次郎像。 この人を祀ってあるから、二宮神社なんですな。 確かに、偉人ですが、神扱いするかどうかは、人それぞれでしょう。 台座の前面に、左から、「奉納」。 後面には、寄付した人の住所氏名が入っていました。

≪写真3右上≫
  社殿の名額。

≪写真3右下≫
  社殿扉の錠前。 江戸時代とまで行きませんが、戦前っぽいですな。 誰が鍵を保管しているんでしょうねえ。

≪写真4左≫
  外置きの賽銭箱。 前面に、左から、「奉納」。 台座が壊れていますが、滅多に人が来ないような所なので、なかなか、修理されないのかも知れません。

≪写真4中≫
  石燈籠。 四角断面。 竿が、四角錐台になっているのは、初めて見ました。 小ぶりな造りです。

≪写真4右≫
  鳥居は、銅製でした。 しかし、中に、別の材質の芯が入っているのでしょう。 竹の節を模したような装飾が施されています。





【伊豆の国市田京・二宮神社 / 随昌院墓地②】

≪写真1≫
  随昌院の墓地から、西南を見た景色。 中央に、大仁のランド・マーク、城山(じょうやま)が見えます。 右側の高いのは、たぶん、葛城山(かつらぎやま)。 伊豆長岡から、ロープ・ウェイで登れます。

≪写真2≫
  これは、西北を見た景色。 街は、伊豆箱根鉄道の田京駅付近。 遠くに、沼津アルプスが見えます。 私の家は、その向こうです。 遠くへ来ているな。

≪写真3≫
  随昌院の入口。 お寺は、神社と比べて、些か敷居が高いので、入りませんでした。

≪写真4左≫
  分かり難い写真で恐縮ですが、随昌院の入口近くにある、駐車場です。 ここには、5・6台分。 墓地の方にも、車を停められそうな所はありました。

≪写真4右≫
  駐車場の端に置かせてもらった、EN125-2A・鋭爽。 まったく、お寺は、駐車場をケチらないから、ありがたです。 バイクを悪戯するような奴は、誰も近寄って来ないし。

≪写真5左≫
  随昌院入口の、道路を挟んで向かい側にあった、祠。 社殿は、石製の祠です。 赤い鳥居という事は、稲荷か、弁財天でしょうか。

≪写真5右≫
8591   これは、墓地の方にあった、石像。 布袋・弥勒かと思ったら、一休さんでした。 上の看板に、「ひと休みしたら、また来てね。」とありました。





【伊豆の国市田京・伊豆箱根鉄道・田京駅】

  2022年11月14日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「伊豆箱根鉄道・田京駅」へ行って来ました。 初めて行ったのですが、近くの踏切までは、前に行った事があり、迷わず、到着しました。

≪写真1≫
  駅舎を北側から見ています。 正面に駅舎。 右に、線路とプラット・フォーム。 左は、道路ですが、駅前の道路としては、幅が狭いです。 確認して来ませんでしたが、バスは通っていないのでは? この空間は、何の為にあるのか、分かりません。 車で送迎に来た人用でしょうか。

  正面に、観光案内版、あり。 付近の地図と、 「城山」、「韮山反射炉」、「江川邸」、「蛭ヶ島公園」の解説文がありました。

≪写真2左≫
  駅舎を南側から見ました。 ちょっと大きめの、普通の家みたいな建物ですな。 中は、違うと思いますけど。

≪写真2右≫
  レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、駅舎北側の空間に停めた、EN125-2A・鋭爽。 人通りが多い所に、バイクを停めると、不心得者に悪戯されないか、不安ですな。 この時は、バイクが見える範囲から、離れませんでした。

≪写真3≫
  駅舎北側の、駐輪場。 結構な敷地面積を取ってあり、この駅が、通勤・通学者用の駅だという事が分かります。

≪写真4左≫
  駅舎南側。 遠くに、もう一つ、駐輪場が見えます。 手前の空間は、どうも、タクシー乗り場のようです。 この写真には写っていませんが、ベンチと庇があり、待っている人がいました。

≪写真4右≫
  「世界遺産 明治日本の産業革命遺産 韮山反射炉」の、看板。 確かに、世界遺産なんですが、他と合わせて、一つの扱いです。 「産業革命」とは、大きく出ましたな。 日本の場合、技術を外国から導入しただけですが、まあ、一応、国内的には、産業の革命と言えないでもないか。

  それにしても、ここは、反射炉の最寄駅とは言い難い。 二つ北の、韮山駅の方が、ずっと近いです。





【伊豆の国市田京・子之神神社】

  2022年11月24日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「子之神神社」へ行って来ました。 「ねのかみ・じんじゃ」と読みます。

≪写真1≫
  田京駅近くの交差点から、東へ向かい、山へ入って行く道の途中にあります。 矢印が付いた名前看板が立っているので、すぐに分かります。 左側に入って行く道の先に、神社があるのですが、濡れた落ち葉が一杯だったので、大事を取って、バイクは、道路の脇に停めました。

≪写真2左≫
  神社へ向かう道の途中にあった建物。 神社のものだと思いますが、何に使っている建物なんでしょう? 物置と住宅の中間みたいな趣き。

≪写真2右≫
  鳥居と、その向こうに、社殿。

≪写真3左≫
  一見、漱盤のようですが、これがある場所まで、歩いて近づけないから、たぶん、違います。 川が流れているので、排水桝なのではないかと思います。

≪写真3右≫
  社殿に上がる階段。 タイルが貼ってあり、凝った施工です。 手すりも新しい。

≪写真4≫
  社殿。 人間が入れる、最小サイズ。 拝殿の中に、本殿の木製祠が納まっています。 拝殿の建物は木造で、屋根は、銅板葺き。

≪写真5・1≫
  賽銭箱。 前面に、左から、「賽銭」と書いてあります。 木材とアルミ板を使った、凝った造りです。 こういうのは、初めて見ました。

≪写真5・2≫
  拝殿の扉の上に付いていた、電灯。 そこだけ、妙に新しい。 LEDなんですかね?

≪写真5・3≫
  石燈籠。 竿がくびれていて、なかなか、攻めているデザインです。

≪写真5・4≫
  惜しむらく、片方の火袋が失われています。 火袋だけ、造り直して欲しいもの。 余計なお世話ですが、

≪写真6左≫
  神社前から、西の方を見た景色。 結構、山の中にいるわけですが、そこかしこに、住宅があり、見た目ほど、山深くはありません。

≪写真6右≫
  道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 タイヤが、側溝のグレーチングの上に載っていても、サイド・スタンドが、アスファルト舗装の上に着地していれば、停められます。 しかし、キーをグレーチングの中に落とすと、大変な事になるので、注意する必要があります。





【伊豆の国市四日町・八坂神社①】

  2022年11月30日、バイクで、伊豆の国市にある、「平石4号墳」という、古墳を目指して出かけたんですが、道路工事中で辿り着けず、代わりに、同市・四日町にある、「八坂神社」を見て来ました。

≪写真1≫
  国道136号線沿いにあります。 ここに神社がある事は、以前から知っていたんですが、交通量が多いので、おいそれとは、寄れないでいたのです。

≪写真2≫
  社殿。 拝殿には、壁がなくて、舞台のようになっています。 こういう形式は、初めて見ました。 右端の建物は、境内別社のようです。

≪写真3左≫
  手水舎。 斜め四本柱に、銅板葺き。 立派なもの。

≪写真3右≫
  漱盤。 正面に、右から、「奉納」。 水は、常に出ているようです。 排水溝あり。 竹枕に、柄杓がズラリ。 完璧ですな。  

≪写真4左≫
 境内別社。 ここの前にも、漱盤があります。 境内別社は、全部で、13、あるようです。 多いですな。

≪写真4右≫
  奥の方にある、境内別社。 石燈籠あり。

≪写真5左≫
  社務所ではなく、集会所のようです。 一見、一般住宅みたいな造りですが、屋根は、お堂によく見られるような、トタン葺き。

≪写真5右≫
  由来の解説板。 詳細な内容で、とても、要約できません。





【伊豆の国市四日町・八坂神社②】

≪写真1≫
  鳥居。 石製の立派なもの。 名額も、石製。

≪写真2左≫
  境内にあった、石碑。 読もうと努力はしたのですが、読めませんでした。

≪写真中≫
  御神木。 名札が立っていたから、間違いなし。 槙ですかね? だとしたら、この幹の太さは、凄いです。 たぶん、折れて、ひこばえが育って、こうなったのでは?

≪写真2右≫
  石塔。 「萬福壽」とあります。 こういうのも、初見。 字面だけ見ると、神は神でも、七福神の系統っぽいですな。

≪写真3左≫
  石燈籠。 火袋が、上に行くほど、広がっていますが、珍しいというより、他では見た事がありません。 石の色も変わっています。

≪写真3右≫
  鳥居横の、石燈籠。 「寛政二年」とありました。 1790年。 将軍は、徳川家斉の頃。 だいぶ、古い。 火袋は、作り直したようです。

≪写真4≫
  鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 停める場所がなくて、やむなく、ここへ。 鳥居から、ちょっと入った所に、「車止」の立て札が立っていて、その直前の位置です。 車で来ても、全く停められません。 つまりその、よそ者には、来て欲しくないという事なんでしょう。

  この日は、曇りでしたが、気温が高かったので、まだ、秋装備でも、寒さは感じませんでした。





  今回は、ここまで。

  11月は、植木手入れの都合で、末日の30日に、プチ・ツーに出かけたので、5回出る事になりました。 まあ、11月を4回にしたら、12月が、5回になってしまうので、2ヵ月通せば、出る回数は同じになるんですが。 冬の植木手入れは、どうしても、4日間かかるので、週1回のプチ・ツーの予定繰りが厳しくなります。

  バイクは、オイル交換をしたので、快調。 メット・服装は、11月一杯まで、秋装備でした。 この後、急に寒くなって、冬装備に換えました。  

2022/12/18

実話風小説⑪ 【支配者】

  「実話風小説」の11作目です。 普通の小説との違いは、情景描写や心理描写を最小限にして、文字通り、新聞や雑誌の記事のような、実話風の文体で書いてあるという事です。 今回、長くなり過ぎました。 反省頻り。 まだ書き続けるなら、短くする努力をしなれければなりますまい。




【支配者】

  A夫人には、3人の息子と、娘が1人いた。 すでに、全員、成人して、仕事に就いている。 夫は、A夫人が、55歳の時に、60歳で病死しており、その後、A婦人は、友人の紹介で、小さな会社の事務員の職を得て、60歳まで働いた。 高齢になってからの中途採用であったにも拘らず、若い頃、キャリア・ウーマンだった有能さを発揮し、事務所内では、最も仕事ができる存在となっていたらしい。

  夫が他界して間もなく、長男が結婚する事になった。 喪が明けてから、式を挙げる事が決まり、家に同居していた、次男・三男・娘の3人は、長男の妻が嫁いで来る前に、家を出た。 すんなり、事が運んだわけではなく、三男は、家を出るのを渋った。

「今時、嫁入りして、姑と同居もないだろう。 兄貴夫婦が、家を出た方がいいんじゃないか?」

  A夫人は、三男を睨みつけて言った。

「家を守るのに、昔も今時もない。 お前は、この家を狙ってるんだろう。 あさましい真似はよしな」

  三男は、弁明もせずに、受け流した。

「いや。 母さんは、そう言うと思ったよ。 俺は、一応、反対しておいただけだ。 あさましい奴呼ばわりされたついでに、もう一つ言っておくと、もし、母さんと兄貴夫婦の仲がうまく行かなくなったら、俺が家に戻るのは、一向に構わないから、頭の隅に入れておいてくれ」
「ほんとに、あさましい! 恥を知りな!」

  後から思うと、三男は、最も先が見通せていたわけだが、それは、彼だけが、母親の性格を見抜いていたからだった。 その件については、後に述べる。 三男は、家を出て、会社の独身寮に入った。

  次男は、交際している女性がいて、家を出る事については、否やはなかった。 アパートを借りた方が、何かと都合がいいからである。 実際、アパート住まいになってから、相手の女性と同棲状態になるのに、3ヵ月もかからなかった。 長男の結婚式が行なわれて、ひと月後には、次男も結婚式を挙げた。

  家から通える会社に勤めていた娘は、家を出る事になったのを良い潮に、都会にある本社へ異動願いを出した。 母親譲りの優秀さを認められて、受理され、都会へ引っ越して行った。 先回りして語ってしまうと、都会特有の爛れた生活に浸った結果、すぐに彼氏が出来て結婚し、夫の親の支援で、郊外に家を買って、そこで生活し始めた。 子供も出来たが、会社は辞めず、産休明けの後は、ベビー・シッターや保育所を利用して、仕事を続けた。


  さて、A家では、A夫人、長男、長男の妻、三人の生活が始まった。 始めの内は、互いに遠慮し合っていたので、大きな悶着は起こらなかったが、半年くらい経って、慣れが出て来ると、つまらない事で、衝突が起こるようになった。 わざわざ、具体例を並べるまでもなく、嫁・姑が同居している家では、当然のように起こる事である。 この問題について、例外は、一切ない。

  嫁と姑の衝突を解決しようとする場合、息子が仲裁に入る形になるが、この長男は、その時になって初めて、自分の母親が、自分の言う事など聞く耳もたない人間である事に気づいた。 それまでは、何をやらせても卒なくこなす、頭が良くて、働き者の母親だとばかり思っていたのだが、妻の意見や主張に対して、妥協を一切しない様子に、驚いてしまった。 中を取るなどという事はせず、ゼロ・サムでもなく、全て、自分の意見を通すのである。

  嫁・姑の争いが起こると、長男は、母親よりも、妻を説き伏せて、折れさせる事が、圧倒的に多くなった。 明白に、母親の方が、悪い・間違っていると分かっているケースでも、妻の方に頼み込んで、謝らせた。 部分的にではなく、衝突の原因になった問題について、全て取り消させて、母親の意見を通した。 そうしなければ、母親が納得しなかったからだ。

  4年が経過した。 A夫人は定年退職し、家にずっといるようになった。 長男の妻は、その状態になるのを心中密かに待ち望んでいた。 それまで、姑と交替制でやっていた食事の用意を、全て姑に任せられるようになると思ったからだ。 4年も一緒に住めば、義母の性格は、よく分かる。 案の定、姑は、食事の用意を、全て自分でやるようになった。 というより、嫁にやらせないようになった。 嫁が買った調理器具は、みな、茶箪笥の上に片付けてしまった。

  長男の妻にとって、計算違いだったのは、姑の料理が、姑や夫の好みに偏っており、自分の好きな物が、食べられなくなってしまった事である。 姑は、朝、早々と起き出して、長男とその妻、二人分の弁当まで作った。 長男の妻は、好きな物を、ますます、食べられなくなった。 勤めに出ているのだから、外でこっそり食べればいいと思うだろうが、弁当をもたされているのに、それを食べないわけにも行かないではないか。 弁当を捨てられるほど、長男の妻は、常識がないわけではなかった。

  姑にとって、計算違いだったのは、長男夫婦に、なかなか子供が出来なかった事だ。 すぐにでも、孫が出来て、そっちの世話で大変になるだろうから、勤めはやめなければならないと覚悟していたのに、結局、定年を迎えるまで、そんな事にはならなかった。 長男に問い質してみると、作る気がないわけではないが、出来ないのだとの返事。 不妊治療を始めるか、検討中と言われた。

  一方、次男夫婦には、すぐに、子供が出来て、A夫人が定年退職した時には、もう、二人の子がいた。 孫が出来ると、頻繁に遊びに来るようになった。 そういう事をされると、長男の妻は、居心地が悪い。 次第に、姑との衝突が増えて行った。

  休みの日に、次男夫婦が遊びに来ると、A夫人と長男の妻が、二人で台所に立つ事になるが、メニューの決定も、調理も、盛り付けも、全て、A夫人の指示で行なわれた。 長男の妻は、指示通りに動く作業員に過ぎなかった。 ちなみに、次男の妻は、台所にいる事さえ許されず、配膳だけ受け持った。 洗い物も同様。 A夫人は、台所が、自分の望む通りの状態になっていなければ、気が済まない人間だったのだ。

  長男の妻は、姑と交替制で、食事の用意をしていた頃に、自分が、姑から、どれだけ憎まれていたかと、今更ながらに想像して、背筋が寒くなった。 A夫人にしてみれば、食事の用意に関する支配権を、半分、長男の妻に預けていた間、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、大いに我慢していたわけだ。 

  食事の用意は、労働であり、作業である。 楽しいという人もいるだろうが、面倒臭い、疲れる、苦しい、辛いという面もある。 そんなものは、人がやってくれるというのなら、それに越した事はない。 楽な方がいいではないか、と思うかもしれないが、必ずしも、そうではないのであって、家族の食事の用意は、一家の支配権の象徴なのである。 「自分のお陰で、他の家族は、物が食べられ、生きていられるのだ」と思える事が、支配者にとっては、何よりも価値がある事なのだ。

  A夫人は、菓子の類でも、支配に拘った。 生菓子は、自分が買って来たものなら、ニコニコして食べたが、長男の妻が買って来たり、次男夫婦が土産に持って来たものは、食卓に出そうとしなかった。 放っておくと、腐るまで、冷蔵庫に入れっ放しで、結局、捨てられてしまうので、長男の妻は、こっそり、自室に持って行って、夫と二人で食べて、処理していた。

  袋菓子を買う事もあったが、この家では、袋の口を開けて、手を突っ込んで食べるという事はできなかった。 A夫人は、袋を開封すると、皿に小分けし、一人一人に決まった量を食べさせた。 一見、平等で良いように見えるが、袋菓子すら気軽に食べられないというのは、息が詰まる事である。

  袋ラーメンや、カップ麺も、A夫人の引退後、食べられなくなった。 A夫人は、食事を作る意欲があり余っており、引退後の閑に明かせて、必要量以上の分量を作る。 今は3人家族なのに、かつて、夫と自分と4人の子供、6人家族だった頃と同じ分量を作るのだ。 夕飯では食べ切れず、翌朝や翌昼まで、食べる物は、ぎっちり、後が支えている。 インスタント・ラーメンが入り込む余地など、ないのだ。


  A夫人の支配権は、食事の用意だけに留まらなかった。 掃除は、もちろん、家中、やる。 長男夫婦の部屋も、いいというのに、「汚くしていると、黴が湧くから」と言って、勝手にやる。 長男やその妻の机の上まで、片付ける。 人の意向など無視して、自分流に整理し直してしまう。 文句を言うと、

「人に弄られたくなかったら、自分で片付けな。 散らかってるのを、お客さんに見られたら、恥を掻くのは、私なんだから」

  と答えた。 それでいて、自分の部屋は、とても片付いているとは言い難いのだが、長男やその妻が入る事すら許さなかった。 A夫人は、物を片付けたいのではなく、家族を支配したいのだ。 王様や、ワンマン社長が、自分の事は棚に上げて、家臣や部下に駄目出しばかりするのと、同じである。

  庭は、完全に、A夫人の独占領域で、長男やその妻が持ち込むものは、一切、受け付けなかった。 小さなポット植えの苗ですら、一日二日、庭の隅に置いておいただけで、捨てられてしまった。 文句を言うと、

「どこに何を植えるかは、お父さんの代から決まっている事だから、新しい物は植えられない」

  と答えたが、それでいて、自分が買って来た苗や種は、好き勝手な所に、植えたり播いたりして、花が咲いたと自慢するのは、忘れなかった。 とにかく、自分以外の人間が、庭に関わるのを嫌っていたのだ。


  支配者の圧力に耐えて来た長男の妻が、いよいよ切れてしまった直接の原因は、玄関の靴であった。 A夫人は、長男やその妻の靴が、玄関に出しっ放しにしてあると、綺麗に揃えてあっても、そのままにはしておかず、必ず、靴箱にしまった。 長男とその妻は、勤め人であり、帰宅して脱いでも、朝にはまた、履くわけだから、靴をいちいち、靴箱にしまうのは、効率が悪い。 ところが、A夫人が、しまってしまうのだ。

  それでいて、A夫人が普段履きにしている靴は、靴箱にはしまわず、常に出してあった。

「私は、一番よく出入りするから、出しておいた方がいいの」

  そんな事はない。 A夫人が靴を履くのは、買い物に出る時が主だが、毎日行くわけではなく、履かない日もある。 長男と嫁の方が、靴を履く頻度は高いのである。 しかし、A夫人に、そんな事を言っても、無駄なのだ。

  ある日曜日、長男の妻が、町内会の仕事で、家に出入りを繰り返さなければならない事があった。 町内会の付き合いは、A夫人がしていたのだが、何件も回らなければならない用事があって、A夫人が、足腰がきついというので、長男の妻が代わる事になったのだ。 ところが、長男の妻が家に戻って、また出かけようとすると、靴が靴箱に片付けられている。 やったのは、姑以外に考えられない。 まだ何回も出入りしなければならないのに、こんな事を繰り返されてはたまらないと思い、姑を呼んで、今日は靴箱に片付けるのはやめてくれと頼んだ。

  姑が、怒ったのなんのって  

「あなたが片付けないから、私が片付けてやったんじゃないの! お礼を言うどころか、文句を言うの?」

  だが、この日は、長男の妻も負けていなかった。 いよいよ、切れた。

「何言ってるんですか! あんたが足腰立たないっていうから、私が代わりに町内会の仕事をやってやってるんでしょうが! それを、邪魔して、どうするんですか! 一体、どういうつもりですか!」

  長男が、すっ飛んで来た。

「おいおい! 母さんに向かって、なんだ、その口の利き方は!」

  妻が、夫に目を剥いた。

「また、母親の味方か! いい加減にしろ! この人の異常さが分からないのか!」

  町内に配る物を、靴箱の上に叩きつけ、自分の部屋に行ったかと思うと、30分くらいかかって荷造りし、家を出て行ってしまった。 実家に帰ったのである。

  三日間、音沙汰がなく、長男の方から、妻の実家へ電話をかけた。

「何も言わないから、戻って来い。 母さんも、お前が謝れば、許すって言っているから」

  電話の向こうで、妻が爆笑した。

「わはははは! 許すぅ? 一体、何様だ! 笑わせるな!」
「なんだと!」
「離婚届けを送るから、書き込んで、返送しろ!」

  日頃、こういう口の利き方をする人ではなかったのだが、夫への信用がゼロになっていたのだろう。 もちろん、これだけで、すんなり離婚したわけではない。 揉めた。 揉めに揉めた挙句、結局、離婚になった。 元長男の妻は、それから、半年ほど経った頃に、友人に漏らしている。

「とっくに、別れれば良かった。 あの姑の顔を見なくて済むようになって、ほんっとに、清々した」

  周囲の人間にとって分かり難かったのは、家事全般を、A夫人が引き受けていて、長男の嫁は、奴隷や下女的に扱き使われていたわけではなかった事である。 扱き使われてはいなかったが、がっちり、支配されていた。 家の中に於いて、A夫人の意向に沿わない事は、何一つできなかったのだ。

  長男は、子供の頃から、その状態に慣れていたが、妻は、そうではなかった。 支配される事に、窒息感を覚えていたのだ。 自分の事を自分で決める権利、それは、人間の尊厳に関わる事なのだが、A夫人は、その権利を、長男の妻から取り上げていたのである。 同居していたのは、8年間だったが、よく耐えたものだ。

  長男の元妻は、離婚後3年目に、再婚した。 交際していた男性との間に、子供が出来て、出産前に、結婚したのである。 その後、子供は無事に生まれた。 その報せは、風の便りに、A家にも伝わった。 A夫人も、長男も、何も言わなかったが、子供が出来ない原因が、長男側にあった事が、はっきり分かってしまった事で、家の中に陰鬱な空気が漂った。

  A夫人は、長男に、すぐに再婚するように迫った。 「そんなに簡単には行かない」との答えを聞き、A婦人は、長男に見切りをつけた。 次男夫婦を家に入れるから、長男には出て行くように言い渡した。

  長男は、掌を返したように冷たくなった母に、驚き、戸惑い、憤り、抗議した。

「俺を追い出して、後々、都合が悪くなって、戻って来いって言ったって、戻らないぞ!」

  のほほんとした性格の長男が、こういう、きつい言い方をするのは、初めてだった。 だが、A夫人は、考えを変える気はなかった。 すぐに出て行くように言い渡した。 そういう親がいるのかと思うかもしれないが、子供が多い家では、子供一人一人の価値は低くなる。 別に、血も涙もない処置というわけではない。 A夫人は、当主たる者の、当然の責務と考えて、家の存続を優先したのだ。


  次男夫婦は、まだ、アパート住まいである上に、収入も少なかった事から、夫の実家に入れると聞いて、単純に喜んだ。 長男は、賃貸マンションに引っ越し、代わりに、次男夫婦が、子供二人を連れて、A家に入った。 家の中は、俄かに、賑やかになった。

  次男の妻は、抜け目のない性格を自認していて、「いい子ぶり」や、「八方美人」を得意技にしていた。 せっかく転げ込んだ、財産相続の好機を逃すまいと、姑に取り入る努力をした。 甲斐甲斐しく姑に仕えて、自分が長男の元妻より、ずっといい嫁である事を、積極的にアピールした。 その甲斐あって、初めの内は、うまく行っていた。 A夫人の満足そうな顔を見て、次男も、その妻も、ほくそ笑んでいた。

  ところが、思わぬところから、綻びが出て来た。 A夫人は、4人の子供を育てただけあって、小さい子供の扱いには慣れていた。 A夫人は、次男の妻に言った。

「私が子供の面倒を見るから、あなたは、働きに出たら、どう?」

  キャリア・ウーマンだったA夫人は、若いのに家にいて、テレビばかり見ている次男の妻の事を、苦々しく思っていたのだ。 しかし、次男の妻は、専業主婦の母親を見て育った女で、働いた事が一度もなく、働く気もなかった。 アパート住まいの時は、夫の収入だけでも、倹約すれば、何とかなっていた。 むしろ、自分のやりくり上手を、専業主婦として、誇りに思っていたくらいだ。

  その内、諦めるだろうと思って、姑の言葉を適当に受け流していたが、昼間、居間で、姑と一緒にテレビを見ようとすると、決まって、呆れたような目つきで見られるようになり、急激に居心地が悪くなった。 A夫人にしてみれば、家の中に、自分と同じような立場の者がいるのが、邪魔だったのだろう。 次男の妻が、家の財産を食い潰していると思っていたのかも知れない。

  その内、A夫人が、昔の勤め先に出かけて行って、次男の妻のパート就職を決めて来てしまった。 本人の了解を得ずにである。 次男の妻が、次男に不平を言うと、

「勝手に決めちゃったのは、母さんが悪いと思うけど、ものは考えようで、ちょっと働いてみるのも、いいんじゃないの? 嫌な仕事なら、いつ、やめちゃってもいいんだから」

  次男の妻は、追い立てられるように、パート勤めに出たが、すでに、30歳を過ぎており、これから、職業習慣を身につけるには、遅過ぎる年齢だった。 普通高校の後、女子大の文系学部を出ただけで、数字を扱う事務仕事は全くできなかったし、スポーツをやっていたわけでもないから、力仕事も駄目。 頭が悪いわけではないが、機転が利かず、なかなか、人並みの仕事量をこなせなかった。 そもそも、本人に働きたいという強い意志がなく、押し付けられた仕事である点が、一番、足を引っ張っていた。

  専業主婦の仕事でも、もちろん、能力は要る。 しかし、時間にゆとりがあるし、繰り返し作業がほとんどだし、ノルマのようなものもない。 何より、上司の監視がない。 外で働くのとは、次元が違うのだ。 次男の妻には、居場所がなくなってしまった。 外で働いていても、嫌な思いをするだけだし、家にいても、家事一切は、姑がやってしまって、自分には、出番がないのである。

  その上、A夫人の性格から来る、悪い影響が、子供達に出始めた。 上の子が、下の子に、やたらときつく当たるようになったのだ。 アパート住まいの頃は、仲が良かったのに、今や、主従関係である。 下の子が言う事を聞かないと、怒鳴りつける場面も見られた。 そのたびに、次男の妻は、上の子を叱っていたが、自分の叱り方にしてからが、姑そっくり。 全く同じ言葉を使っている事に気づき、愕然とした。

  次男の妻は、自分が、結構あざとい性格だと思っていただけに、甘く見ていたA夫人が、ゾッとするような悪い性格をもっている事に気づくと、未経験の恐怖に、畏れ戦いた。 A夫人の影響が、子供にまで及ぶのは避けたいと思ったが、同居している以上、どうにもできなかった。

  次男も、それが分かっていた。 結婚前に、実家に住んでいた頃には、気づかなかったのが、母親が、妻に対して取る態度を見ている内に、「なるほど、これでは、義姉さんが、我慢できなかったわけだ」と、納得した。 嫁に、何かをやらせ過ぎるのではなく、何もやらせないのである。

  他人から見ると、嫁を労わっているように見えるかもしれないが、その実、労わるどころか、全く信用していない、仕事を任せられる人間だと見做していないから、全部、自分でやってしまうのだ。 同じ人間だと思っていないのかも知れない。 自分に他の用事があって、どうしても、嫁に任せなければならない場面では、やり方について、事前に、くどくどと念を押し、事後には、厳しく監査して、必ず、何かをやり直した。 そうしなければ、気が済まないのだった。

  ある時、A夫人は、庭で飛び石に躓いて転び、足首と手首を捻挫した。 元々、膝が悪かった事もあり、トイレに行くのがやっとという不自由な体になった。 そうなった途端、ようやく、パート仕事に慣れて来た次男の妻に、仕事を辞めるように命じた。 次男の妻が、眉間に皺を寄せていると、こう言った。

「だって、家の方が大事でしょ。 私の怪我は、その内、治ると思うけど、もう歳が歳だし、いい機会だから、今後は、あなたが、家事をやってちょうだい」

  従わざるを得なかった。 勤め先の上司からは、惜しまれた。

「せっかく慣れたのに、もったいないなあ。 でもAさんが、そう言うんじゃ、しょうがないね。 あの人、変わらないな」

  どうやら、A夫人は、現役時代、勤め先でも、支配欲を発揮していたようだった。

  A夫人は、約一ヵ月、ほぼ寝たきりで過ごし、その後、床上げしたが、予告していた通り、家事からは引退した。 ところが、次男の妻に、家事の決定権を譲ったわけではなかった。 調理器具や食器の配置は、一ヵ所たりとも、変える事を許されなかった。 冷蔵庫内の、食材の配置も、変える事を許されなかった。

  A夫人は、それがそこになければならない理由を説明したが、極めて、主観的な理由であり、他人から見ると、屁理屈としか思えなかった。 A夫人は、説明責任を果たす事で、次男の妻に気を使っているつもりだったらしい。 しかし、説明さえすれば、何でも通るという発想自体が、自分勝手である。

  掃除も、次男の妻がやった後、A夫人が確認し、気に入らない所があると、自分では、もうできないので、次男の妻を呼んで、やり直させた。 きつく叱るのではなく、やんわり言うから、一見、穏やかなお願いのようだが、その実、逆らう事を許さない、命令以外の何ものでもなかった。 異様な光景が、毎日、繰り返された。 それが、日課になってしまった事が、輪をかけて異様だった。

  次男は、妻から、母親の行状について、逐一、報告を受けた。 口で言うと、夫婦間で喧嘩になってしまうので、ノートを用意し、その日、家で何があったかを、妻に書かせ、それを、毎晩、読むようにした。 ノートの内容は、次第に、深刻度を増しているように思えた。

  いずれ、母は、要介護になるだろう。 そうなったら、支配権を手放すだろうか? とても、そうはならないように思えて、暗い気分になった。 寝たきりの母が、自分や妻に、駄目を出しまくる様子が目に浮かぶようだった。

  次男は、予め電話で、「相談したい事がある」と了解を取った上で、賃貸マンション住まいの長男を訪ねた。

「いやあ。 困ってるよ。 母さんが、ああいう性格だとは、気づかなかった」
「俺も、結婚するまでは、分からなかったよ。 つまり、家に住んでいるのが、自分の子供だけなら、割と普通の母親なんだろうな。 嫁のような、他人が入り込むと、何か、防衛反応のようなものが働いて、支配欲が燃え上がるのかも知れない」
「俺の女房も、家を出たがっているんだけど、どうしたもんかね?」
「好きにすればいいんじゃないか。 どうせ、その内、大喧嘩になって、出て行く事になると思うから、そうなる前に、穏便に逃げ出すのが利口かも知れんな」
「結局、家を出てしまう以外、解決法がないのかね?」
「夫婦仲が悪くないなら、そうした方が得だろう。 俺ら夫婦みたいに、離婚する必要はないんだから。 お前らは、子供もいる事だし」
「母さんの世話はどうする?」
「俺は、もう戻らないよ。 母さんに追い出されちゃったんだから」
「・・・・・」
「そう、情けない顔をするなよ。 お前に、母さんの面倒を見ろとは言わないから、家を出たければ、出ちまえよ。 だけど、俺が勧めたなんて、母さんに言うなよ」
「うん・・・」

  長男は、妹の話を出した。

「あいつが、実家に戻って来れば、いいんだけどな」
「いや、駄目なんだ。 前に、電話で訊いてみた事がある。 あっさり、断られたよ。 自分がそうしたくても、旦那が許さないって言ってた」

  家の継続を考えるなら、娘夫婦にも、子供がいたから、娘夫婦が、A夫人と同居するのが、最も望ましかっただろう。 実の娘なら、母親とは阿吽の呼吸があり、母親の支配欲を受け流す事ができるからだ。 しかし、娘の夫は、遠くで勤めており、すでに、自分の家も建てているから、妻の実家に住む事は、現実的ではなかった。 娘の夫にしてみれば、婿養子に入ったわけではないのだから、そんな義理はないのだ。

  A夫人が衰えて、いよいよ、要介護状態になれば、引き取りは考えないでもないが、自分達の方が妻の実家に移り住むという選択肢はなかった。 そもそも、妻には、男の兄弟が3人もいるのに、なぜ、義理の息子に過ぎない自分が、A夫人を押し付けられなければならないのか、それさえも、理不尽だと思っていたのだ。

  長男は、三男の話を出した。

「あいつは、どうかな? まだ、独身だから、『うちに戻れば、食事の世話は、母さんがしてくれるぞ』って言えば、案外、ホイホイ、帰って来るんじゃないのか?」
「だって、母さんは、もう、要介護寸前なんだぜ」
「いや、末っ子の息子と二人暮らしになれば、食事の用意くらい、するよ。 元々、そっちの執着は強いから」


  さて、三男だが、未だに独身で、会社の独身寮で、独り暮らしを満喫していた。 次男が会いに行き、事情を話すと、ゲラゲラ笑って言った。

「いいよ。 戻っても。 家を出る時に、そう言ってあったからな。 だけど、母さんが、OKするかね? 俺の事を、『財産狙いの、あさましい奴』って言ったんだぜ。 本人も、それを覚えているだろう。 俺が戻るって言ったら、頑として、拒絶すると思うがねえ」

  三男が、やけに自信満々なので、次男は、ふと思いついて、訊いた。

「お前、もしかしたら、母さんが、病的な支配欲の持ち主だって、気づいてたのか?」
「ああ、知ってたよ。 俺だけ、大学へ行かせてもらえなかったからな。 金がないって言って。 ほんとは、あったのにな。 自分の老後資金を残す為に、出し渋ったのさ。 その代わりに、俺の就職先を自分で見つけて来たんだぜ。 母さんの勤め先の同僚の親戚がやっている町工場で、入社の段取りまで、勝手に決めちまって、あれには、驚いたな。 兄貴達と姉貴が、結構いい会社に勤めていたから、四番目の俺は、どこでもいいと思ったんだろうな。 断って、学校の紹介で、今の会社に勤めたけど、正解だったよ。 その町工場、とっくに潰れて、今は、更地で、草ボウボウになってるよ」
「・・・・・」

  全て、次男には、初耳である。 三男は、苦々しそうな顔で、続けた。

「末っ子で、他の兄弟より可愛がられていると思ってたから、まさか、母さんが、ああいう事をするとは、想像もしてなかった。 高校の友人に、心理学に詳しい奴がいて、そいつに話したら、『そりゃ、可愛がってたんじゃなくて、支配欲を満たそうとしていたんだろう』って見立てだった。 そう言われて、子供の頃からの事をいろいろ思い出してみたら、母さんが俺にしてくれた事は、何から何まで、支配欲から出た事だったと、気付いたわけだ」

  次男は、呆然である。 三男が家を出る時、母の感情を逆撫でするような事を言ったのは、母親の支配から逃れる為の作戦だったのである。 全く、気づかなかった。 黙り込んでしまった次男に、三男は言った。

「だけどなあ。 兄貴に、母さんの世話をしろとは言わないよ。 家を出ちゃった方がいいだろう。 俺は思うんだが、母さんみたいな人は、一人で暮らすのが一番なんじゃないのかな。 そうすれば、誰にも、嫌な思いをさせないで済むんだから。 一人暮らしが無理になったら、施設に入ってもらうしかないよ。 もし、俺が、家を出る時に、そう言ったら、兄貴達は、俺を親不孝者って、罵ったと思うけど、今なら、そうは言わないだろう。 母さんみたいな人は、誰にも、面倒は見れないのさ」


  次男は、家を出る事について、母親と談判した。 母親は、激怒した。

「何言ってるの! じゃあ、この家は、どうするの!」
「だって、母さんが、今のようじゃ、一緒に暮らせないだろう」
「私の何が問題なの? 家族が、ちゃんと暮らせるように、一生懸命、努力してるのが、あんたには分からないの!」

  この人は、自分の問題点が、全く分かっていないのである。 加えて、怒りの臨界点を超えると、説得を端折って、脅しを使う癖があった。

「出て行くなら、出て行けばいい! その代わり、財産は、一円もやらないからね。 後で戻りたいって言っても、許さないよ」
「うん。 それは、仕方がない。 前のように、アパートで、つましく暮らすよ」
「みんな、他の子にやっちゃうからね!」
「誰も戻って来ないよ。 俺達の代わりに家に入ってもらおうと思って、もう、確認したんだ」
「・・・!」
「家がそんなに大事なら、母さんが、出て行ってくれれば、俺達は、ここに残るけど」
「! ! ! 何を! 何を馬鹿な事を! この家は、私そのものなんだよ! 親から貰ったんじゃない! 私と父さんで、コツコツお金を貯めて、何十年もローンを払って、買ったんだ! 私がいないで、この家だけ残ったって、何の意味があるんだよ!」

  本音が出た。 それ以上、話す事はなかった。 A夫人には、折れる気も、妥協する気もなかった。 その方が、次男夫婦には、好都合だった。 引き止められて、出て行くのを思い留まっても、A夫人の性格が変わるとは思えなかったからだ。

  次男夫婦は、以前住んでいたアパートの、空いていた部屋に戻った。 しばらくすると、次男は、妻や子供が、以前のように、よく笑うようになった事に気づいた。 この笑顔を、自分の母親が奪っていたのだと思うと、情けないやら、嬉しいやらで、涙が出て来た。 もう、母親と同居する気はなかった。 つましい生活だったが、幸福な家庭になった。

  ついでながら、A夫人がやった事で、後々、いい結果に繋がった事もある。 次男の妻は、子供が成長し、手がかからなくなってから、かつて、姑に押し付けられた職場に復帰した。 たまたま、人手不足の時で、以前の上司から、手伝って欲しいと声をかけられ、応じたのである。 その後、20年近く働く事になり、次男夫婦の老後資金を増やすのに、大いに寄与した。


  時間を戻して、一人暮らしになった、A夫人。 娘の所に、何度か電話したが、同居を断られるのが怖くて、近況を聞くくらいの事しかできなかった。 娘は、先回りして言った。

「お母さん、いよいよ、一人暮らしが無理になったら、うちに来てくれてもいいよ。 だけど、私ら家族が、その家に入るのは、無理だから、それについては、言わないでね」

  釘を挿されて、それ以上、何も言えなくなった。

  A夫人は、70代に入っていたが、頭はしっかりしている反面、運動をしないせいか、体力年齢は、平均より、ずっと衰えていた。 足腰は、更に弱り、庭には、全く出られなくなった。 掃除も手入れも、何もできず、植木は伸び放題、鉢植えは、水がやれなくて、みな枯れた。 雑草が生い茂り、秋には、虫の声が大合唱。 ムカデが、大量発生し、家の中にまで侵入して来た。

  家の中も、居間、台所、洗面所、風呂、トイレ以外には、行けなくなった。 二階は使わなくなり、掃除をしないだけでなく、雨戸も開けず、次第に黴臭くなって行った。 頭だけは、しっかりしていて、食事の仕度は、何とか、こなしていた。 買い物に行けないので、近所のスーパーの、宅配サービスを利用していた。

  そんな生活も、3年ちょっとで終わりを迎えた。 訪ねて来た長男が、家の中の様子を見て、「このくらいが、限界だろう」と判断し、施設に入る事を勧めたのだ。 A夫人は、それを断った。 次に、次男が訪ねて来て、同じ提案をした。 A夫人は、それも断った。 三男が来て、同じ提案をした。 A夫人は、泣きながら、断った。 それだけでなく、三男を、「人間のクズ!」と罵った。 しかし、敢えて、この物語の登場人物の中から、人間のクズを探すなら、A夫人本人であろう。

  最後に、娘が訪ねて来た。 近くの施設に入るか、遠くの娘の家に来るか選ばせると、ボロボロ涙を流しながら、施設の方を選んだ。 兄達や弟から事情を聞いていた娘は、内心、ほっとした。 たぶん、娘の家に来れば、また、支配欲を発揮しただろう。 ちなみに、娘は、深く考えなかったが、もし、息子達がその場にいたら、A夫人がボロボロ流したのは、悔し涙である事に、すぐ気付いただろう。


  A夫人は、介護施設に入居してから、6年間、生きた。 何事もなく、平和に暮らしたわけではない。 性懲りもなく、支配欲を発揮し、施設職員に駄目出しを連発して、さんざん困らせ、憎まれまくり、「歴代入居者、ワースト1」の称号を勝ち取って、死んで行ったのだ。 途中で追い出されなかったのは、入居費が高い施設だったからである。 本人の預金や保険だけでなく、息子三人と娘がお金を出し合って、そういうところを選んだのだ。

  A夫人の家は、空き家になっていたが、A夫人の死後、結婚した三男が入り、子孫を繋いだ。

2022/12/11

音声学講義 ①

  日記ブログの方に、随分、久しぶりに、言語学の音声学に関する文章を書きました。 毎日、コツコツ書いて、少し纏まった量になったので、こちらでも、出す事にします。 日記からの抜粋という形をとります。




【2022/11/16 水】 「コピ」

  韓ドラを見ていると、「コーヒー」の事を、「コピ」と言っているのを、よく聴きます。 元は、日本語のコーヒーと同じで、英語の、「coffee」でしょう。 韓国朝鮮語には、f音がないので、p音で代用しているわけだ。 元の英語が、f音である外来語は、全て、p音で、写されているはず。

  意外なようですが、日本語で使っているコーヒーの、「ヒ」よりは、「ピ」の方が、f音に近いです。 口のどこで音を出しているか、自分で確かめてみれば分かりますが、「ヒ」が、舌の奥を、天井(口蓋)に近づけて出しているのに対し、f音や、p音は、唇で出しています。 韓国朝鮮語の母語話者にしてみれば、日本語で、「coffee」の事を、「コーヒー」と発音しているのは、なぜなのか、首を傾げてしまうところでしょう。

  もっと不思議なのは、「日本語には、f音がある」という事でして、「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」が、それなのですが、なぜ、「coffee」を、「コーフィー」と言わないのか、大変、不思議。 日本語母語話者でも、分かりますまい。 明治期に、「coffee」の現物と言葉が入って来た時、「フィ」が馴染みの薄い発音で、「ヒ」の方が、発音し易かったからでしょうか。

  面白い事に、フランス語の「cafe′」は、日本語で、「カヘ」ではなく、「カフェ」と言っていますな。 「フィ」も「フェ」も、馴染みがない音である事に変わりがないにも拘らず、です。 「コーヒー」より、「カフェ」の方が、日本語で使われ始めた時期が数十年、遅かったのかも知れません。 その間に、「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」に慣れたのでしょうか。

  「日本語には、f音がある」と書きましたが、英語や中国語のf音が、上の歯を下唇に軽く触れさせて作る「歯唇音(ししんおん)」であるのに対し、日本語のf音は、上下の唇の間を狭めて作る、「両唇音(りょうしんおん)」でして、発音の仕方が違います。 しかし、どちらの母語話者でも、耳で聴いた時に、歯唇音のfと、両唇音のfの区別がつきません。 だから、同じ物と思ってもいいです。

  意外に知られていませんが、v音は、f音の、有声音です。 つまり、日本語風に言うと、濁音ですな。 ただ、歯唇音のfを濁音のvにするのは容易なのに比べて、両唇音のfを、濁音にするのは、ちょっと、抵抗があります。 慣れれば、いけると思いますが、なにせ、日本語では、v音を使わないので、耳の方が追いついて来ません。

  v音の事を、「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」と書くのが、一時期、流行りましたが、今は、すでに習慣化したものを除いて、ほとんど、見なくなりました。 便宜的に、「ヴ」と書いていたわけですが、v音が、f音の濁音である事を知っていれば、母音である「ウ」とは、何の関係もない事も分かるはず。 そもそも、母音は元々、有声音なので、「ヴ」などという書き方は、屋上屋を重ねており、混乱するだけで、便宜的にしても、ちっともいい書き方ではありません。

  そんなに、v音を、b音と区別したいのなら、「ブァ・ブィ・ブゥ・ブェ・ブォ」と書く方が、まだ、合理的です。 ただし、日本語母語話者の耳では、v音と、b音の聴き分けができないので、あまり、意味がありません。

  韓ドラの話に戻りますが、「コピ」が、「コーヒー」の事なら、「コピー」は、何と言うのかな? と思って、辞書を引いてみたら、「カピ」、もしくは、「ポクサ(複写)」だそうです。 なるほど。



【2022/11/17 木】 「Mt.Huji」

  昨日、f音について、少し書きましたが、混乱してしまった方もいるかと思うので、補足しておきます。

  混乱したのではないかと思う点は、「ファ・フィ・フ・フェ・フォ」が、f音ならば、「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」の「フ」は、何なのか? どちらの「フ」も、同じ発音をしているではないか。 という疑問が湧くと思うのです。

  答えは、「日本語のハ行音は、h音と、f音が雑居している」という事です。 「ハ・ヒ・フ・ヘ・ホ」を、ローマ字で書くと、「ha・hi・fu・he・fo」となり、「フ」と、「ホ」は、f音なのです。 サ行音と、タ行音が、雑居である事は、多くの人が知っていますが、ハ行音に関しては、知らない人が、ほとんどです。

  富士山の事を、「Mt.Fuji」と言いますが、日本語では、「フジ」なのに、なぜ、「Huji」ではなく、「Fuji」と書くのか、不思議に思った事がある人は多いはず。 おそらく、「Mt.Fuji」の「F」は、日本語母語話者が選んだ文字ではなく、日本語母語話者が、「フジ」と言っているのを耳で聴いた、母語にf音がある外国人が、聴いたままに書き取ったのが、定着したのだと思います。 戦国時代か、幕末かは知りませんが。

  ちなみに、「富士」の「富」は、中国語では、「fu」でして、漢字の選択は間違っていません。 誰が、この字を当てたのかは、分かりませんが、日本語母語話者ではなかった可能性もあります。 「不二」とも書きますが、「不」は、「pu」なので、近いとは言うものの、そのものではないです。

  「ホ」が、「ho」ではなく、「fo」である事に関しては、異論もあると思いますが、「ハ・ヒ・ヘ」と同じ調音位置、つまり、舌の奥の方で、「ho」を出してみれば、それが、普段使っている「ホ」とは、全然違う音である事が分かるはず。 普段、使っているのは、唇で作る、両唇摩擦音fの、「フォ」なのです。

  「フォント」と「ほんと」は、高低アクセントが違うだけで、発音は全く同じ、と言ったら、これまた、異論が出ると思いますが、まあ、自分の口で、何度でも発音して、比べてみれば、宜しい。 最初、違うと思っていたのが、次第に、分からなくなってくるから。 わははは!

  ちなみに、普段は使っていないだけで、日本語母語話者でも、「hu」や、「ho」の発音は可能です。 唇を使わずに、舌の奥の方で「フ」、「ホ」と言ってみれば、割と簡単に出せます。 初めて、「hu」や、「ho」を発音してみると、新鮮な感動を覚える事ができるので、お薦め。 聴く方は、ゆっくり聴けば、「hu」と「fu」、「ho」と「fo」の聴き分けが可能ですが、普段、同じ音として認識してしまっているので、普通速度での会話中に聴き分ける事はできません。

  もう、10年以上前ですが、日本の空港で、トラブルがありました。 管制官が、「Hold(待て)」と指示していたのに、中国の航空会社の中国人機長が、旅客機を滑走路に入れようとしたのです。 新聞記事では、「中国人機長は、英語が分からなかったのだろう」と、馬鹿にしたような書き方をしていましたが、常識的に考えて、国際線の機長が、英語が分からないという事はないです。 それでは、仕事にならんではないですか。

  考えられるのは、日本人管制官が口にした、「ホールド」が、「Hold」ではなく、「Fold(折り畳め)」と発音され、中国人機長が、「何を折り畳めって? フラップの事か? そんなの、管制官に関係ないだろう」と、混乱している内に、滑走路に入ってしまった、という可能性です。 日本人の発音では、「Hold」が、「Fold」になってしまう、という事を知らなかった場合、混乱は避けられますまい。 「なんだ、Holdと言ったのか」と分かれば、そりゃ、待つでしょう。

  ちなみに、中国語では、h音と、f音は、全く違う音で、近い音という認識すらないと思います。 日本人が、ハ行音と、ファ行音に近さを感じるのは、「フ」を共有しているのが原因ですが、上述したように、ハ行音が、h音と、f音の雑居になっているから、近いと感じるのであって、そういう事情がなければ、調音位置が掛け離れているのだから、似ても似つかないと感じるはずです。

  「HONDA(ホンダ)」というメーカーの名は、世界中に知られていますが、日本人母語話者が発音している「ホンダ」は、「HONDA」ではなく、「FONDA」です。 h音と、f音を区別している言語の母語話者から見ると、「なんで、日本人は、『HONDA』と書いているのに、『FONDA』と言っているのだろう?」と、首を傾げているわけですが、その事については、ホンダの社員でも、ほとんど、気づいていないでしょう。


  今日も、韓ドラ・ネタで〆ますか。

  他人を勇気付ける場面で、日本語で、「ファイト!」と言うのを、韓国朝鮮語では、「ファイティン!」と言うのは、韓ドラ・ファンなら、知らない人はないと思います。 「ああ、韓国では、『ing』を付けて言うのだな」と、そこまでは、誰でも思う事ですが、それは、文法上の違いです。

  ちなみに、英語では、動詞を先頭に使うと、命令形になるので、「戦え!」というのなら、「ファイト!」の方が適切で、「ing」を付ける理由が分かりません。 「fighting」は、名詞だと、「戦い」になり、日本語で、気合を入れる時に、「勝負!」といった言い方をする方に近いのかも。 しかし、正確なところは分かりません。

  「ファイティン!」について、ほとんどの韓ドラ・ファン日本人が気づかないのは、韓ドラの俳優さん達が、「ファイティン!」とは言っていない、という点です。 昨日書いたように、「英語で、f音を使う外来語は、韓国朝鮮語では全て、p音に写されている」のであって、即ち、彼らは、「パイティン!」と言っているのです。 気をつけて聴けば、分かるはず。

  気をつけないと分からない理由は、日本人が、「ファイト!」からの類推で、「ファイティン!」と言っているはずと思い込んでしまうからです。 耳ではなく、情報を処理する、脳の方の問題。 言語の認識とは、結構、いい加減なものですな。



【2022/11/18 金】 「sとsh」

  音声学の話。 今日は疲れたので、やめようかと思ったのですが、一度、途切れると、やる気をなくしてしまうので、少しだけ書いておきます。

  ハ行音については、昨日までに書いたので、今日は、サ行音に進みましょう。 サ行音も、雑居しており、「シ」が、別の子音なのは、大抵の人が知っていると思います。

s 音「サ・スィ・ス・セ・ソ」
sh音「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」

  sh音の「シ」だけが、s音「スィ」の位置に、入り込んでしまっているわけですな。

  s音は、もちろん、単独の子音ですが、sh音も、単独の子音でして、「ツ」に使う、ts音のような、二重子音ではありません。 s音と、sh音は、調音位置が異なるだけで、どちらも、同格の摩擦音です。 sh音を、「sh」と二文字で書くのは、英語の習慣に過ぎず、一文字で書ける文字がないから、二文字で書いているというだけの話。 中国語のピンイン表記では、「x」一文字で、sh音を表わします。

  中には、「シャ」の事を、「シ」に、二重母音の「ャ」がついたものと思っている人もいると思いますが、完全な勘違いです。 「じゃあ、『シ』とは、何なんだ?」と訊かれたら、答えられますまい。 正しいサ行音は、「サ・スィ・ス・セ・ソ」なのですから、「シ」が、入り込む余地などありません。 sh音は、単独の子音なのです。 「シャ」といった書き方は、便宜的なもので、二重母音とは何の関係もないです。 本来なら、シャ行のかな文字を、別に作るべきでしょう。

  「鮭」の事を、「サケ」と言ったり、「シャケ」と言ったりしますが、s音と、sh音は、方言によっては、どちらか一方しか使わない事もあります。 「先生」の事を、「シェンシェイ」と読む地域がありますが、たぶん、s音のところが、全て、sh音になっているか、もしくは、両者が入れ替わっているかでしょう。 実際には、標準語とちゃんぽん化して、もっと複雑になっているかも知れませんが。

  またまた、混乱するような事を書いてしまうので、恐縮ですが・・・、

  s音も、sh音も、日本語の口頭音では、清音(無声音)しか使いません。 濁音(有声音)の、「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」、「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」は、表記の上では使われていますが、口で喋る時には、使っていません。 あなたが、今の今まで、「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」のつもりで喋っていたのは、実は、「ヅァ・ヅィ・ヅ・ヅェ・ヅォ」です。 同じく、「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」のつもりで喋っていたのは、実は、「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」です。

  あまりの汚らしい字面に、辟易したと思いますが、本当にそうなのだから、仕方がない。 かつて、「日本ラヂエーター」という会社がありましたが、あれは、実際の発音に正確な表記だったわけですな。 「純」という字は、実際の発音は、「ヂュン」ですが、どうも、純な感じを損ないますねえ。

  そんな、自分の子だと思って育てて来た子供が、実は、赤ん坊の頃に病院で取り違えられた、殺人犯の子だと知らされて、愕然とする親のような顔はしないで下さい。 誰が取り違えたわけでもない。 これまで、何十年もの間、毎日、何度も発音して来たのに、気づかなかった、あなたに問題があるのだから。

  では、「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」という音は、発音できないのかというと、そんな事はなくて、やれば、できます。 清音・濁音の区別は、喉ひこが震えるかどうかで決まるので、口の方の調音位置は、全く同じです。 「サ・スィ・ス・セ・ソ」と同じ舌の位置で、濁音にしてみれば宜しい。 できるかな? 難しいですよ。 出ましたか? 何となく、頼りない音でしょう。

  一方、「ヅァ・ヅィ・ヅ・ヅェ・ヅォ」の方は、しっかり出せますが、舌の位置に注意すれば、それが、「サ・スィ・ス・セ・ソ」の濁音ではなく、「ツァ・ツィ・ツ・ツェ・ツォ」の濁音である事が分かるはずです。

  「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」の方も、事情は同じで、実際に発音しているのは、「シャ・シ・シュ・シェ・ショ」の濁音ではなく、「チャ・チ・チュ・チェ・チョ」の濁音、「ヂャ・ヂ・ヂュ・ヂェ・ヂョ」なのです。

  「ザ」と「ヅァ」、「ジャ」と、「ヂャ」は、日本語では区別しないから、すりかわっていても、問題が起こりません。 ただ、日本国内でも、四国の土佐地方の一部では、これらを区別していたそうです。 ロシア語では、今でも区別します。 ロシア人は、日本人が、「ザ」のつもりで発音しているのが、「ヅァ」になっている事に気づいているわけですが、まあ、わざわざ、ツッコミを入れて来るような事はないでしょう。



【2022/11/19 土】 「ハングル」

  音声学ですが、今日も疲れているので、少しだけ。

  さて、昨日お教えした、真の「ザ・ズィ・ズ・ゼ・ゾ」、真の「ジャ・ジ・ジュ・ジェ・ジョ」の発音はできるようになったでしょうか? なに、24時間も経つのに、まだ、できない? それでは、「下品なヅァヅィヂュヂェヂョ野郎」呼ばわりされて、石を投げられないように、今後は、押入れに籠って暮らすしかありませんな。

  悪質な冗談はさておき、「シ」について、書き忘れていた事がありました。 韓国朝鮮語でも、sh音、つまり、シャ行音を表わす文字がなくて、s音の文字が、i音の文字と組み合わされた時だけ、「shi」、つまり、「シ」になるようです。 そういえば、「こんにちは」に当たる、「アンニョンハシムニカ」に、「シ」が入ってますな。

  面白い事に、s音に、二重母音のヤ行音をつけると、シャ行音になる点も、日本語と同じ。 ただし、それらは専ら、英語系外来語を音写する時に使うようで、そんなに数は多くありません。 たとえば、「シャンプー」の「シャ」など。 もしかしたら、日本語からの影響かも知れませんが、正確なところは分かりません。

  ところで、韓国朝鮮語の文字、ハングルですが、「世界一、合理的な文字」と言われており、合理的なだけあって、覚えるのも速いです。 ネット上で、解説しているサイトを探して習うとして、そうですねえ、一週間もあれば、ほとんどの文字を読み書きできるようになるんじゃないでしょうか。 すぐに覚えられるのに、一生、知らないで過ごすのも、勿体ないので、是非、試してみて下さい。


  話は変わって、中国語ですが、ピンイン表記で、「sh」という子音がありますが、これは、反り舌音の「シャ」でして、英語のsh音、つまり、日本語のシャ行音とは違います。 そちらは、「x」で書きます。 ピンイン表記は、作られたのが現代に近い分、整然としていますが、ローマ字の文字を、無理に、中国語に割り当てているせいで、外国人には、分かり難いところもあります。

  ちなみに、「上海」の「上」は、「shang」ですが、反り舌音だから、日本語の、「シャン」とは違います。 ただ、日本語には、反り舌音がないから、「shang」と言われても、日本語母語話者には、「シャン」としか聴こえません。 日本語の「シャン」と同じ音で、「xiang」という発音がありますが、中国語では、「shang」と、「xiang」を、言い分けて、聴き分けて、使い分けているわけですな。

  うーむ、こんな事を書いても、そもそも、反り舌音が分からないのだから、全く無意味か。 反り舌音について、日本語母語話者に説明するのは、ほとんど、絶望的な困難さを覚えます。 まず、R音の説明からしなければならないわけですが、昔、何回か書いて、結局、誰にも伝わらなかったようだから、もう、嫌になってしまいました。 この講義の対象は、日本語の音素に限る事にしましょうか。




  今回は、ここまで。 次は、来月になります。

  私は、2001年から、2002年にかけて、当時、運営していたホーム・ページのコンテンツとして、「戯言語学(ぎげんごがく)」という言語学の解説文を書いていたのですが、それ以降、段階的に、言語学に興味を失ってしまい、いつのまにか、20年も経ってしまいました。

  今回、昔書いた文章を読み返さないで、覚えている事だけを頼りに、新たに書いてみたのですが、 後になって、見比べてみたら、ほとんど、同じような事を書いているのが分かりました。 20年間、興味を失っていたのだから、進歩がなくても、不思議はないわけですな。

2022/12/04

読書感想文・蔵出し (93)

  読書感想文です。 しばらく、やらなかったので、かなり、ストックがあります。 図書館から借りて来ての読書は、2週間で2冊のペースで、ずっと、続けています。





≪マギンティ夫人は死んだ≫

クリスティー文庫 24
早川書房 2003年12月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【マギンティ夫人は死んだ】は、コピー・ライトが、1952年になっています。 約430ページ。


  ある村で、掃除婦をしていた高齢女性が殺され、若い男が逮捕される。 死刑判決が出たが、釈然としない警視が、ポワロに再捜査を依頼する。 ポワロが、村に乗り込んで、調べて行くと、新聞に出た過去の犯罪者の写真を、夫人が見ていた事が分かり、関係者の中に、犯罪者本人か、その子供がいるのではないかと、見当をつけるが・・・、という話。

  被害者が掃除婦というのは、凄い落差ですな。 戦前・戦中のクリスティー作品なら、あり得ない職業。 というか、職業がある人が、被害者になる事の方が珍しかったのでは。 みんな、資産家か、元資産家ばかりでしたから。 戦後になって、イギリス社会が、いかに大きな変化に見舞われたかが、良く分かります。

  フー・ダニット物。 トリックはなし。 謎はあります。 というか、謎ばかりという感じ。 なぜなら、真犯人以外の容疑者も、何かしら、別の罪を犯しており、みんな、怪しいからです。 うーむ、こういうパターンもありか。 いろいろと、良く思いつきますねえ。 さすが、クリスティーさんと言うべき。 

  しかし、そういうパターンが、推理小説として、面白いかというと、話は別でして、互いに関係がない、幾つかの事件が同時進行しているのと変わりませんから、混乱してしまって、ただ、受動的に読むだけになってしまうのです。 推理しながら読むタイプの読者ほど、勝手が違って、憮然としてしまうのではないでしょうか。 

  登場人物の一人として、推理作家のオリバー夫人が出て来ます。 登場の仕方が面白い。 スポーツ・カーに乗って、村にやって来るのですが、リンゴを買い過ぎて、袋が破れ、狭い運転席で、リンゴに埋もれているという設定。 これは、凄い場面だな。 ドラマでは、そのまま映像化していたかどうか、忘れてしまいましたが。

  オリバー夫人、おおまかなキャラは、クリスティーさん本人がモデルだと思います。 外国人の探偵を、自分の作品の中で使っている 事からも、それは分かります。 この作品では、オリバー夫人も、作中で推理をして、こっそりと、ポワロにだけ、犯人指名をしますが、その人物は、当然の事ながら、犯人ではありません。 しかし、別の罪を犯しているから、外れたわけではないです。




≪葬儀を終えて≫【新訳版】

クリスティー文庫 25
早川書房 2020年10月25日/初版
アガサ・クリスティー 著
加賀山卓朗 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【葬儀を終えて】は、コピー・ライトが、1953年になっています。 約415ページ。


  ある資産家が、病死としか思えない死に方で死ぬが、大昔に家を出た妹が、葬儀に顔を出し、他の親族の前で、兄は殺されたのだろうと、口を滑らす。 その翌日に、その妹が、自宅で明らかに他殺と思われる方法で殺される。 疑念を膨らませた弁護士が、自身で聞き取りをした後、ポワロに調査を依頼する。 ポワロは、故人の屋敷を買い取る団体の代表を騙って、親族達を呼び集めるが・・・、という話。

  故人の妹というのが、若い頃、兄から、フランス人画家との結婚を反対されて、家出したという経歴があり、数十年ぶりに戻って来て、親族も使用人も、彼女の顔を、よく覚えていない、というのが、味噌。 私、珍しく、途中で、犯人が分かったのですが、推理して分かったのではなく、デビット・スーシェさんのドラマで見たのを、思い出したのでした。

  この変人の妹のキャラが、記憶に引っかかっていたんですな。 この妹のキャラそのものが、伏線でして、「なんで、わざわざ、こんな、変な人物に設定したのだろう?」という疑問が、早い内に湧けば、犯人も推理できると思いますが、まあ、普通は、見抜けないでしょう。 犯人自身も、奇妙な事をしますが、それは、だいぶ、後ろへ行ってからです。

  最初に、関係者に聞き取をするのが、ポワロではなく、弁護士である点にも、ヒントが隠されています。 弁護士は、犯人の住む家へ、そうとは知らずに訪ねて行って、かなり長い時間、話を聞きます。 その時点で、犯人に、まんまと騙されているわけです。 ところが、クリスティーさんは、ポワロを天才的探偵の位置に据えているので、犯人に騙されるなどという、不名誉な事はさせたくない。 で、騙され役をさせる為に、弁護士に聞き取りをさせたのです。 それが分からないと、なんで、ポワロの登場が、全体の3分の1も行ってからなのかが、理解できません。

  犯人の動機が、資産家故人の遺産でない事が、面白いです。 金が目的である事には変わりがないのですが、話が二段構えになっていて、とても、資産なんぞ持っていないと思われる人物が死ぬ事で、利益が転げ込むという、サブ・ストーリーが隠されています。 二段構えのせいで、後ろの方に行くと、話が些か、ゴチャゴチャします。 混乱するほどではありませんが。

  書き忘れていましたが、三人称です。 ヘイスティングスは出ません。 クリスティーさん、この頃になると、心理物に飽きてきたのか、登場人物の心理描写は、あまり、やらなくなります。 といって、地の文が減ったわけではなく、情景描写を細かくする事で、読者に情報を与え、話に引き込んで行きます。

  直接的な目晦ましをやめて、間接的なそれに切り替えたわけだ。 そのせいで、読者は、ますます、推理し難くなりました。 いや、それでいいんですよ。 推理小説では、スポスポ容易に、犯人が分かってしまうような話は、駄作ですから。




≪ヒッコリー・ロードの殺人≫

クリスティー文庫 26
早川書房 2004年7月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
高橋豊 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【ヒッコリー・ロードの殺人】は、コピー・ライトが、1955年になっています。 約376ページ。


  出身国が雑多な学生や、若い社会人達が住むアパートで、盗難事件が頻発する。 寮長を務めている、ミス・レモンの姉に相談され、ポワロが講演を装って捜査に入ると、一部の盗品の犯人が自首して出るが、直後に、その人物が死んでしまう。 自殺説に疑問を持ったポワロが、更に捜査を進めたところ、学生達が、ヨーロッパ大陸へ旅行に行くのを利用して、宝石や麻薬の密輸をしていた疑惑が浮き上がり・・・、という話。

  デビット・スーシェさん主演のドラマで見ていて、密輸の方法は記憶に残っていたのですが、殺人事件の方は、すっかり、忘れていました。 三人も死ぬのに、一つも記憶に残っていないとは、これ如何に? それはつまり、殺人事件の推理作品としては、そんなに面白くないのでしょう。

  まず、主要な登場人物が、学生達というのが、クリスティー作品としては、毛色が変わっているところ。 クリスティーさん本人は、人格的に、完全に大人になっていた人で、学生や子供が出て来る話を、ほとんど、書いていません。 出て来たとしても、ほんのちょい役で、話の本筋に関わって来る事は稀です。 知能犯罪とは、大人がやってこそ、恐ろしさが醸し出されるものであって、子供では、役者不足と見ていたのでしょう。

  この作品に出て来るのは、最も若くても、大学生ですが、それでも、社会経験がない点では、大差ないです。 作者自身が、登場人物に興味がないのが、人物描写を読んでいると、よく分かります。 学生なんて、人間のなりかけで、完成品とは見ていなかったんでしょうな。 そういう扱い方だから、一人一人の人間性が、薄っぺらくて、実につまらない。

  登場人物を、社会人だけにしたら、もっと、読み応えがある話になったと思いますが、当時のイギリスには、大人対象のシェア・ハウスのようなものがなかったのかも知れませんな。 それに、大陸旅行の際、知らずに、密輸の片棒を担がされるなどというのは、学生ならではの間抜けぶりなので、社会人には似合わないと思ったのかも。

  私が今までに読んだ、ポワロ物長編の中では、最も、評価点が低いです。 とはいえ、クリスティー作品は、出来が悪いものでも、推理小説全般の平均点は、楽に上回っているので、読む価値がないなどと貶すほど、つまらなくはないです。

  そうそう、ドラマ版で、多くの回に登場する、ポワロの秘書、ミス・レモンですが、長編では、この作品が、初登場です。




≪死者のあやまち≫

クリスティー文庫 27
早川書房 2003年12月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
田村隆一 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編1作を収録。 【死者のあやまち】は、コピー・ライトが、1956年になっています。 約368ページ。


  元貴族の屋敷を、戦後に金持ちになった人物が買い取って、若い妻と住んでいた。 その屋敷で催されるお祭りで、余興に行なわれる殺人事件推理ゲームのストーリーを、オリバー夫人が任されていた。 ところが、当日、ボート小屋でスタンバイしていた、死体役の少女が、本当に殺されてしまい、当主の妻も行方不明になる。 オリバー夫人に呼び出されていたポワロが、捜査に乗り出す話。

  フー・ダニットというには、容疑者が少な過ぎ。 容疑者が少ない時には、すりかわり物の可能性が高いです。 さしもの、クリスティーさんも、無限に新しいアイデアが湧き続けるわけではないので、数を読みこなすと、一定のパターンが見えてくるのは、楽しいと言うべきか、寂しいと言うべきか。

  容疑者が少ない割には、聞き取り場面が多い。 会話が多過ぎて、ラノベかと思うほどで、そういう文章に共通しているのは、中身が薄いという事ですな。 普通に読んでいて、「この人、ちょっと風変わりなキャラだな」と思う人が出てきたら、その人は、事件に関わっているから、話す事を、全て読むべし。 それ以外の人の発言は、飛ばしても、ストーリーを見失う事はありません。

  とりわけ、警察官同士の会話は、どうせ、間違った推理なので、全て端折っても、差し支えありません。 謎を解くのは、ポワロであって、警察官ではないからです。 オリバー夫人の発言は、ヒントになっているという設定ですが、捻ってあるから、そこから何かを気づくのは、難しいです。 オリバー夫人は、クリスティーさん本人がモデルだから、簡単に口を滑らすわけがないというわけだ。

  3分の2くらいで、犯人が分かったら、その人は、よほどの、クリスティー・ファンでしょう。 終わりの方で、パタパタと謎が解ける話なので、ギアが切り替わる前の段階では、まず、分からないと思います。 犯人どころか、一体、何の話を読んでいるのかさえ、分からないのでは? 本筋と関係ない会話が多いからです。

  デビット・スーシェさんのドラマでは、特に問題があるように感じませんでしたが、小説としては、出来が悪い方なのでは? といっても、毎回言っているように、クリスティー作品は、出来が悪くても、一般的な推理小説の平均よりは、上です。 これが、クリスティー作品の一冊目という人は、謎解きで、驚くでしょうねえ。 その顔が、目に浮かぶようだ。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、今年、2022年の、

≪マギンティ夫人は死んだ≫が、6月16日から、20日。
≪葬儀を終えて≫が、6月24日から、26日。
≪ヒッコリー・ロードの殺人≫が、7月2日から、7日まで。
≪死者のあやまち≫が、7月8日から、11日まで。


  クリスティー文庫を読み終えようと頑張っていますが、なにせ、100冊もあるので、なかなか、ゴールが見えて来ません。 ポワロ物、マープル物、ノン・シリーズ、短編集は、全て読む予定。 トミーとタペンス物と、戯曲は、読まない予定。 それでも、90冊くらいあるのでは? 頭がクラクラして来る。