EN125-2Aでプチ・ツーリング (39)
週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、39回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2022年11月分。
【伊豆の国市田京・穴不動尊】
2022年11月2日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「穴不動尊」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 以前行った、広瀬神社の近くです。 といっても、すぐそばではなく、そこそこ、東に離れていますけど。
≪写真1≫
細い道と、山の崖に挟まれた所にあります。 不動尊ですから、仏教系ですが、鳥居も立っていますな。 習合の名残りでしょう。
≪写真2≫
真南から。 この写真では分かりませんが、背後の崖が、窟(いわや)のようになっており、それが、「穴不動尊」の名の由来なのかも知れません。 自信はありませんが。
床下が高くなっていて、下にも、部屋のようなものがありますが、外から入れるのかどうかは、不明。 結構、凝った造りの建物ですな。
≪写真3左≫
石燈籠。 四角断面で、神社燈籠。 火袋は、モルタルかセメントで、塗り潰されている様子。 壊れないように、先手を打っているのでしょう。
右側の黒っぽい物体は、何なのか、よく分かりません。
≪写真3右≫
濡れ縁の端にあった、流し。 これは、手水場ではありますまい。 トリスの缶が転がっています。
≪写真4左≫
欄干の柱には、擬宝珠(ぎぼし)が載っていて、仏教っぽいです。 床下の柱が、岩の上に載っているように見えますが、岩ではなく、先に柱があって、その周囲をセメントで固めたもののようです。
≪写真4右≫
路肩の、道路より一段高くなった部分に停めた、EN125-2A・鋭爽。 田京といっても、ほぼ大仁でして、うちからだと、遠い。 往復32キロも走ってしまいました。 そんなに遠くなくてもいいんですがねえ。 要は、週に一回、バイクで出かけて、それまでに見た事がないものを見れればいいのです。
【伊豆の国市田京・二宮神社 / 随昌院墓地①】
2022年11月8日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「二宮神社」と「随昌院墓地」に行って来ました。 先に、随昌院の門前に着き、そこの駐車場に、バイクを停めて、そこから、山の上の方へ徒歩で歩きました。 山の中の事とて、地図で覚えて来た道が、どれなのか分からず、半分闇雲に、随昌院墓地の横の道を上がって行ったら、目的地の、二宮神社に着きました。 ホッとした。
≪写真1≫
二宮神社。 特に、囲いのようなものはないです。 社殿の他に、鳥居、石燈籠という、シンプルな構成。
≪写真2≫
社殿。 建物は、拝殿だけで、中に本殿の祠が入っています。
≪写真3左≫
お馴染みの、二宮金次郎像。 この人を祀ってあるから、二宮神社なんですな。 確かに、偉人ですが、神扱いするかどうかは、人それぞれでしょう。 台座の前面に、左から、「奉納」。 後面には、寄付した人の住所氏名が入っていました。
≪写真3右上≫
社殿の名額。
≪写真3右下≫
社殿扉の錠前。 江戸時代とまで行きませんが、戦前っぽいですな。 誰が鍵を保管しているんでしょうねえ。
≪写真4左≫
外置きの賽銭箱。 前面に、左から、「奉納」。 台座が壊れていますが、滅多に人が来ないような所なので、なかなか、修理されないのかも知れません。
≪写真4中≫
石燈籠。 四角断面。 竿が、四角錐台になっているのは、初めて見ました。 小ぶりな造りです。
≪写真4右≫
鳥居は、銅製でした。 しかし、中に、別の材質の芯が入っているのでしょう。 竹の節を模したような装飾が施されています。
【伊豆の国市田京・二宮神社 / 随昌院墓地②】
≪写真1≫
随昌院の墓地から、西南を見た景色。 中央に、大仁のランド・マーク、城山(じょうやま)が見えます。 右側の高いのは、たぶん、葛城山(かつらぎやま)。 伊豆長岡から、ロープ・ウェイで登れます。
≪写真2≫
これは、西北を見た景色。 街は、伊豆箱根鉄道の田京駅付近。 遠くに、沼津アルプスが見えます。 私の家は、その向こうです。 遠くへ来ているな。
≪写真3≫
随昌院の入口。 お寺は、神社と比べて、些か敷居が高いので、入りませんでした。
≪写真4左≫
分かり難い写真で恐縮ですが、随昌院の入口近くにある、駐車場です。 ここには、5・6台分。 墓地の方にも、車を停められそうな所はありました。
≪写真4右≫
駐車場の端に置かせてもらった、EN125-2A・鋭爽。 まったく、お寺は、駐車場をケチらないから、ありがたです。 バイクを悪戯するような奴は、誰も近寄って来ないし。
≪写真5左≫
随昌院入口の、道路を挟んで向かい側にあった、祠。 社殿は、石製の祠です。 赤い鳥居という事は、稲荷か、弁財天でしょうか。
≪写真5右≫
8591 これは、墓地の方にあった、石像。 布袋・弥勒かと思ったら、一休さんでした。 上の看板に、「ひと休みしたら、また来てね。」とありました。
【伊豆の国市田京・伊豆箱根鉄道・田京駅】
2022年11月14日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「伊豆箱根鉄道・田京駅」へ行って来ました。 初めて行ったのですが、近くの踏切までは、前に行った事があり、迷わず、到着しました。
≪写真1≫
駅舎を北側から見ています。 正面に駅舎。 右に、線路とプラット・フォーム。 左は、道路ですが、駅前の道路としては、幅が狭いです。 確認して来ませんでしたが、バスは通っていないのでは? この空間は、何の為にあるのか、分かりません。 車で送迎に来た人用でしょうか。
正面に、観光案内版、あり。 付近の地図と、 「城山」、「韮山反射炉」、「江川邸」、「蛭ヶ島公園」の解説文がありました。
≪写真2左≫
駅舎を南側から見ました。 ちょっと大きめの、普通の家みたいな建物ですな。 中は、違うと思いますけど。
≪写真2右≫
レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、駅舎北側の空間に停めた、EN125-2A・鋭爽。 人通りが多い所に、バイクを停めると、不心得者に悪戯されないか、不安ですな。 この時は、バイクが見える範囲から、離れませんでした。
≪写真3≫
駅舎北側の、駐輪場。 結構な敷地面積を取ってあり、この駅が、通勤・通学者用の駅だという事が分かります。
≪写真4左≫
駅舎南側。 遠くに、もう一つ、駐輪場が見えます。 手前の空間は、どうも、タクシー乗り場のようです。 この写真には写っていませんが、ベンチと庇があり、待っている人がいました。
≪写真4右≫
「世界遺産 明治日本の産業革命遺産 韮山反射炉」の、看板。 確かに、世界遺産なんですが、他と合わせて、一つの扱いです。 「産業革命」とは、大きく出ましたな。 日本の場合、技術を外国から導入しただけですが、まあ、一応、国内的には、産業の革命と言えないでもないか。
それにしても、ここは、反射炉の最寄駅とは言い難い。 二つ北の、韮山駅の方が、ずっと近いです。
【伊豆の国市田京・子之神神社】
2022年11月24日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「子之神神社」へ行って来ました。 「ねのかみ・じんじゃ」と読みます。
≪写真1≫
田京駅近くの交差点から、東へ向かい、山へ入って行く道の途中にあります。 矢印が付いた名前看板が立っているので、すぐに分かります。 左側に入って行く道の先に、神社があるのですが、濡れた落ち葉が一杯だったので、大事を取って、バイクは、道路の脇に停めました。
≪写真2左≫
神社へ向かう道の途中にあった建物。 神社のものだと思いますが、何に使っている建物なんでしょう? 物置と住宅の中間みたいな趣き。
≪写真2右≫
鳥居と、その向こうに、社殿。
≪写真3左≫
一見、漱盤のようですが、これがある場所まで、歩いて近づけないから、たぶん、違います。 川が流れているので、排水桝なのではないかと思います。
≪写真3右≫
社殿に上がる階段。 タイルが貼ってあり、凝った施工です。 手すりも新しい。
≪写真4≫
社殿。 人間が入れる、最小サイズ。 拝殿の中に、本殿の木製祠が納まっています。 拝殿の建物は木造で、屋根は、銅板葺き。
≪写真5・1≫
賽銭箱。 前面に、左から、「賽銭」と書いてあります。 木材とアルミ板を使った、凝った造りです。 こういうのは、初めて見ました。
≪写真5・2≫
拝殿の扉の上に付いていた、電灯。 そこだけ、妙に新しい。 LEDなんですかね?
≪写真5・3≫
石燈籠。 竿がくびれていて、なかなか、攻めているデザインです。
≪写真5・4≫
惜しむらく、片方の火袋が失われています。 火袋だけ、造り直して欲しいもの。 余計なお世話ですが、
≪写真6左≫
神社前から、西の方を見た景色。 結構、山の中にいるわけですが、そこかしこに、住宅があり、見た目ほど、山深くはありません。
≪写真6右≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 タイヤが、側溝のグレーチングの上に載っていても、サイド・スタンドが、アスファルト舗装の上に着地していれば、停められます。 しかし、キーをグレーチングの中に落とすと、大変な事になるので、注意する必要があります。
【伊豆の国市四日町・八坂神社①】
2022年11月30日、バイクで、伊豆の国市にある、「平石4号墳」という、古墳を目指して出かけたんですが、道路工事中で辿り着けず、代わりに、同市・四日町にある、「八坂神社」を見て来ました。
≪写真1≫
国道136号線沿いにあります。 ここに神社がある事は、以前から知っていたんですが、交通量が多いので、おいそれとは、寄れないでいたのです。
≪写真2≫
社殿。 拝殿には、壁がなくて、舞台のようになっています。 こういう形式は、初めて見ました。 右端の建物は、境内別社のようです。
≪写真3左≫
手水舎。 斜め四本柱に、銅板葺き。 立派なもの。
≪写真3右≫
漱盤。 正面に、右から、「奉納」。 水は、常に出ているようです。 排水溝あり。 竹枕に、柄杓がズラリ。 完璧ですな。
≪写真4左≫
境内別社。 ここの前にも、漱盤があります。 境内別社は、全部で、13、あるようです。 多いですな。
≪写真4右≫
奥の方にある、境内別社。 石燈籠あり。
≪写真5左≫
社務所ではなく、集会所のようです。 一見、一般住宅みたいな造りですが、屋根は、お堂によく見られるような、トタン葺き。
≪写真5右≫
由来の解説板。 詳細な内容で、とても、要約できません。
【伊豆の国市四日町・八坂神社②】
≪写真1≫
鳥居。 石製の立派なもの。 名額も、石製。
≪写真2左≫
境内にあった、石碑。 読もうと努力はしたのですが、読めませんでした。
≪写真中≫
御神木。 名札が立っていたから、間違いなし。 槙ですかね? だとしたら、この幹の太さは、凄いです。 たぶん、折れて、ひこばえが育って、こうなったのでは?
≪写真2右≫
石塔。 「萬福壽」とあります。 こういうのも、初見。 字面だけ見ると、神は神でも、七福神の系統っぽいですな。
≪写真3左≫
石燈籠。 火袋が、上に行くほど、広がっていますが、珍しいというより、他では見た事がありません。 石の色も変わっています。
≪写真3右≫
鳥居横の、石燈籠。 「寛政二年」とありました。 1790年。 将軍は、徳川家斉の頃。 だいぶ、古い。 火袋は、作り直したようです。
≪写真4≫
鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 停める場所がなくて、やむなく、ここへ。 鳥居から、ちょっと入った所に、「車止」の立て札が立っていて、その直前の位置です。 車で来ても、全く停められません。 つまりその、よそ者には、来て欲しくないという事なんでしょう。
この日は、曇りでしたが、気温が高かったので、まだ、秋装備でも、寒さは感じませんでした。
今回は、ここまで。
11月は、植木手入れの都合で、末日の30日に、プチ・ツーに出かけたので、5回出る事になりました。 まあ、11月を4回にしたら、12月が、5回になってしまうので、2ヵ月通せば、出る回数は同じになるんですが。 冬の植木手入れは、どうしても、4日間かかるので、週1回のプチ・ツーの予定繰りが厳しくなります。
バイクは、オイル交換をしたので、快調。 メット・服装は、11月一杯まで、秋装備でした。 この後、急に寒くなって、冬装備に換えました。
【伊豆の国市田京・穴不動尊】
2022年11月2日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「穴不動尊」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 以前行った、広瀬神社の近くです。 といっても、すぐそばではなく、そこそこ、東に離れていますけど。
≪写真1≫
細い道と、山の崖に挟まれた所にあります。 不動尊ですから、仏教系ですが、鳥居も立っていますな。 習合の名残りでしょう。
≪写真2≫
真南から。 この写真では分かりませんが、背後の崖が、窟(いわや)のようになっており、それが、「穴不動尊」の名の由来なのかも知れません。 自信はありませんが。
床下が高くなっていて、下にも、部屋のようなものがありますが、外から入れるのかどうかは、不明。 結構、凝った造りの建物ですな。
≪写真3左≫
石燈籠。 四角断面で、神社燈籠。 火袋は、モルタルかセメントで、塗り潰されている様子。 壊れないように、先手を打っているのでしょう。
右側の黒っぽい物体は、何なのか、よく分かりません。
≪写真3右≫
濡れ縁の端にあった、流し。 これは、手水場ではありますまい。 トリスの缶が転がっています。
≪写真4左≫
欄干の柱には、擬宝珠(ぎぼし)が載っていて、仏教っぽいです。 床下の柱が、岩の上に載っているように見えますが、岩ではなく、先に柱があって、その周囲をセメントで固めたもののようです。
≪写真4右≫
路肩の、道路より一段高くなった部分に停めた、EN125-2A・鋭爽。 田京といっても、ほぼ大仁でして、うちからだと、遠い。 往復32キロも走ってしまいました。 そんなに遠くなくてもいいんですがねえ。 要は、週に一回、バイクで出かけて、それまでに見た事がないものを見れればいいのです。
【伊豆の国市田京・二宮神社 / 随昌院墓地①】
2022年11月8日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「二宮神社」と「随昌院墓地」に行って来ました。 先に、随昌院の門前に着き、そこの駐車場に、バイクを停めて、そこから、山の上の方へ徒歩で歩きました。 山の中の事とて、地図で覚えて来た道が、どれなのか分からず、半分闇雲に、随昌院墓地の横の道を上がって行ったら、目的地の、二宮神社に着きました。 ホッとした。
≪写真1≫
二宮神社。 特に、囲いのようなものはないです。 社殿の他に、鳥居、石燈籠という、シンプルな構成。
≪写真2≫
社殿。 建物は、拝殿だけで、中に本殿の祠が入っています。
≪写真3左≫
お馴染みの、二宮金次郎像。 この人を祀ってあるから、二宮神社なんですな。 確かに、偉人ですが、神扱いするかどうかは、人それぞれでしょう。 台座の前面に、左から、「奉納」。 後面には、寄付した人の住所氏名が入っていました。
≪写真3右上≫
社殿の名額。
≪写真3右下≫
社殿扉の錠前。 江戸時代とまで行きませんが、戦前っぽいですな。 誰が鍵を保管しているんでしょうねえ。
≪写真4左≫
外置きの賽銭箱。 前面に、左から、「奉納」。 台座が壊れていますが、滅多に人が来ないような所なので、なかなか、修理されないのかも知れません。
≪写真4中≫
石燈籠。 四角断面。 竿が、四角錐台になっているのは、初めて見ました。 小ぶりな造りです。
≪写真4右≫
鳥居は、銅製でした。 しかし、中に、別の材質の芯が入っているのでしょう。 竹の節を模したような装飾が施されています。
【伊豆の国市田京・二宮神社 / 随昌院墓地②】
≪写真1≫
随昌院の墓地から、西南を見た景色。 中央に、大仁のランド・マーク、城山(じょうやま)が見えます。 右側の高いのは、たぶん、葛城山(かつらぎやま)。 伊豆長岡から、ロープ・ウェイで登れます。
≪写真2≫
これは、西北を見た景色。 街は、伊豆箱根鉄道の田京駅付近。 遠くに、沼津アルプスが見えます。 私の家は、その向こうです。 遠くへ来ているな。
≪写真3≫
随昌院の入口。 お寺は、神社と比べて、些か敷居が高いので、入りませんでした。
≪写真4左≫
分かり難い写真で恐縮ですが、随昌院の入口近くにある、駐車場です。 ここには、5・6台分。 墓地の方にも、車を停められそうな所はありました。
≪写真4右≫
駐車場の端に置かせてもらった、EN125-2A・鋭爽。 まったく、お寺は、駐車場をケチらないから、ありがたです。 バイクを悪戯するような奴は、誰も近寄って来ないし。
≪写真5左≫
随昌院入口の、道路を挟んで向かい側にあった、祠。 社殿は、石製の祠です。 赤い鳥居という事は、稲荷か、弁財天でしょうか。
≪写真5右≫
8591 これは、墓地の方にあった、石像。 布袋・弥勒かと思ったら、一休さんでした。 上の看板に、「ひと休みしたら、また来てね。」とありました。
【伊豆の国市田京・伊豆箱根鉄道・田京駅】
2022年11月14日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「伊豆箱根鉄道・田京駅」へ行って来ました。 初めて行ったのですが、近くの踏切までは、前に行った事があり、迷わず、到着しました。
≪写真1≫
駅舎を北側から見ています。 正面に駅舎。 右に、線路とプラット・フォーム。 左は、道路ですが、駅前の道路としては、幅が狭いです。 確認して来ませんでしたが、バスは通っていないのでは? この空間は、何の為にあるのか、分かりません。 車で送迎に来た人用でしょうか。
正面に、観光案内版、あり。 付近の地図と、 「城山」、「韮山反射炉」、「江川邸」、「蛭ヶ島公園」の解説文がありました。
≪写真2左≫
駅舎を南側から見ました。 ちょっと大きめの、普通の家みたいな建物ですな。 中は、違うと思いますけど。
≪写真2右≫
レイアウトの都合で、ここへ持って来ましたが、駅舎北側の空間に停めた、EN125-2A・鋭爽。 人通りが多い所に、バイクを停めると、不心得者に悪戯されないか、不安ですな。 この時は、バイクが見える範囲から、離れませんでした。
≪写真3≫
駅舎北側の、駐輪場。 結構な敷地面積を取ってあり、この駅が、通勤・通学者用の駅だという事が分かります。
≪写真4左≫
駅舎南側。 遠くに、もう一つ、駐輪場が見えます。 手前の空間は、どうも、タクシー乗り場のようです。 この写真には写っていませんが、ベンチと庇があり、待っている人がいました。
≪写真4右≫
「世界遺産 明治日本の産業革命遺産 韮山反射炉」の、看板。 確かに、世界遺産なんですが、他と合わせて、一つの扱いです。 「産業革命」とは、大きく出ましたな。 日本の場合、技術を外国から導入しただけですが、まあ、一応、国内的には、産業の革命と言えないでもないか。
それにしても、ここは、反射炉の最寄駅とは言い難い。 二つ北の、韮山駅の方が、ずっと近いです。
【伊豆の国市田京・子之神神社】
2022年11月24日、バイクで、伊豆の国市・田京にある、「子之神神社」へ行って来ました。 「ねのかみ・じんじゃ」と読みます。
≪写真1≫
田京駅近くの交差点から、東へ向かい、山へ入って行く道の途中にあります。 矢印が付いた名前看板が立っているので、すぐに分かります。 左側に入って行く道の先に、神社があるのですが、濡れた落ち葉が一杯だったので、大事を取って、バイクは、道路の脇に停めました。
≪写真2左≫
神社へ向かう道の途中にあった建物。 神社のものだと思いますが、何に使っている建物なんでしょう? 物置と住宅の中間みたいな趣き。
≪写真2右≫
鳥居と、その向こうに、社殿。
≪写真3左≫
一見、漱盤のようですが、これがある場所まで、歩いて近づけないから、たぶん、違います。 川が流れているので、排水桝なのではないかと思います。
≪写真3右≫
社殿に上がる階段。 タイルが貼ってあり、凝った施工です。 手すりも新しい。
≪写真4≫
社殿。 人間が入れる、最小サイズ。 拝殿の中に、本殿の木製祠が納まっています。 拝殿の建物は木造で、屋根は、銅板葺き。
≪写真5・1≫
賽銭箱。 前面に、左から、「賽銭」と書いてあります。 木材とアルミ板を使った、凝った造りです。 こういうのは、初めて見ました。
≪写真5・2≫
拝殿の扉の上に付いていた、電灯。 そこだけ、妙に新しい。 LEDなんですかね?
≪写真5・3≫
石燈籠。 竿がくびれていて、なかなか、攻めているデザインです。
≪写真5・4≫
惜しむらく、片方の火袋が失われています。 火袋だけ、造り直して欲しいもの。 余計なお世話ですが、
≪写真6左≫
神社前から、西の方を見た景色。 結構、山の中にいるわけですが、そこかしこに、住宅があり、見た目ほど、山深くはありません。
≪写真6右≫
道路脇に停めた、EN125-2A・鋭爽。 タイヤが、側溝のグレーチングの上に載っていても、サイド・スタンドが、アスファルト舗装の上に着地していれば、停められます。 しかし、キーをグレーチングの中に落とすと、大変な事になるので、注意する必要があります。
【伊豆の国市四日町・八坂神社①】
2022年11月30日、バイクで、伊豆の国市にある、「平石4号墳」という、古墳を目指して出かけたんですが、道路工事中で辿り着けず、代わりに、同市・四日町にある、「八坂神社」を見て来ました。
≪写真1≫
国道136号線沿いにあります。 ここに神社がある事は、以前から知っていたんですが、交通量が多いので、おいそれとは、寄れないでいたのです。
≪写真2≫
社殿。 拝殿には、壁がなくて、舞台のようになっています。 こういう形式は、初めて見ました。 右端の建物は、境内別社のようです。
≪写真3左≫
手水舎。 斜め四本柱に、銅板葺き。 立派なもの。
≪写真3右≫
漱盤。 正面に、右から、「奉納」。 水は、常に出ているようです。 排水溝あり。 竹枕に、柄杓がズラリ。 完璧ですな。
≪写真4左≫
境内別社。 ここの前にも、漱盤があります。 境内別社は、全部で、13、あるようです。 多いですな。
≪写真4右≫
奥の方にある、境内別社。 石燈籠あり。
≪写真5左≫
社務所ではなく、集会所のようです。 一見、一般住宅みたいな造りですが、屋根は、お堂によく見られるような、トタン葺き。
≪写真5右≫
由来の解説板。 詳細な内容で、とても、要約できません。
【伊豆の国市四日町・八坂神社②】
≪写真1≫
鳥居。 石製の立派なもの。 名額も、石製。
≪写真2左≫
境内にあった、石碑。 読もうと努力はしたのですが、読めませんでした。
≪写真中≫
御神木。 名札が立っていたから、間違いなし。 槙ですかね? だとしたら、この幹の太さは、凄いです。 たぶん、折れて、ひこばえが育って、こうなったのでは?
≪写真2右≫
石塔。 「萬福壽」とあります。 こういうのも、初見。 字面だけ見ると、神は神でも、七福神の系統っぽいですな。
≪写真3左≫
石燈籠。 火袋が、上に行くほど、広がっていますが、珍しいというより、他では見た事がありません。 石の色も変わっています。
≪写真3右≫
鳥居横の、石燈籠。 「寛政二年」とありました。 1790年。 将軍は、徳川家斉の頃。 だいぶ、古い。 火袋は、作り直したようです。
≪写真4≫
鳥居の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 停める場所がなくて、やむなく、ここへ。 鳥居から、ちょっと入った所に、「車止」の立て札が立っていて、その直前の位置です。 車で来ても、全く停められません。 つまりその、よそ者には、来て欲しくないという事なんでしょう。
この日は、曇りでしたが、気温が高かったので、まだ、秋装備でも、寒さは感じませんでした。
今回は、ここまで。
11月は、植木手入れの都合で、末日の30日に、プチ・ツーに出かけたので、5回出る事になりました。 まあ、11月を4回にしたら、12月が、5回になってしまうので、2ヵ月通せば、出る回数は同じになるんですが。 冬の植木手入れは、どうしても、4日間かかるので、週1回のプチ・ツーの予定繰りが厳しくなります。
バイクは、オイル交換をしたので、快調。 メット・服装は、11月一杯まで、秋装備でした。 この後、急に寒くなって、冬装備に換えました。