2023/08/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (47)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、47回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2023年7月分。





【沼津市大岡・震災追弔の碑】

  2023年7月3日、バイクで、沼津市・大岡にある、「震災追弔の碑」へ行って来ました。 門池の、南東にあります。 住宅地図で見つけたのですが、行ってみたら、以前、折自で来た事がある所でした。 その時には、石碑には気がつきませんでしたが。

≪写真1≫
  これが、「震災追弔の碑」。 江戸時代末の、1954年、安政の大地震で、この付近一帯、2ヘクタールほどが、約6メートル陥没し、そこへ用水路の水が流れ込んで、11人が死亡したとの事。 明治36年(1903年)に、当時の村長が、この石碑を立てたのだそうです。 割と最近作られたと思われる、漢字仮名交じり文の解説石板があるのは、親切です。 石碑本体の文は、逆光で、全く読めませんでした。

≪写真2≫
  用水に、橋が架かっている、変則十字路の辻。 特徴的で、記憶に残り易いです。 沼津市消防団・第22分団の建物あり。 この橋、昭和32年に架けられたもの。 名前もあると思うんですが、名板がなくなっていて、分かりませんでした。

≪写真3≫
  分団建物の、裏口横に掲示してある、「消防信号」の表。 以前来た時には、路上観察が目的で、この表を撮影しました。 今回も、撮ってしまいました。 旧字が多く使われています。 いつ頃、作ったものなんですかねえ。

≪写真4≫
  分団建物の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 道路と敷地の境のような、微妙な場所。 交通量が少ないから、短時間なら、何も言われないでしょう。 スポーツ・バイクで、石碑を撮影に来る奴も少ないでしょうし。

  後ろに、笠がついた石塔と、石の坐像が見えます。 道祖神なのかも知れません。




【沼津市足高・足高第二配水池】

  2023年7月14日、沼津市・足高の山の中にある、「足高第二配水池」へ行って来ました。 東名・沼津インターの北の方です。 インターから、北へ出る道は、一旦、西へ曲がってから、跨道橋を渡るのですが、地元の人間でないと、分かり難いです。

≪写真1≫
  正面から。 無人施設の様子。 水を揚げるか、溜めるかして、定量を、下へ配水しているのでしょう。 昼尚暗い、森の中にあります。

≪写真2≫
  上がって来た坂を、下から見た様子。 バイクは、停めた所から動かしていないので、位置関係が分かると思います。 道は、突き当たって、右に曲がって、更に上へ向かっています。

≪写真3≫
  門前の空間に停めた、EN125-2A・鋭爽。 2019年の9月に買ったから、そろそろ、4年になります。 週一使用だから、200回くらい出かけている計算になりますが、我ながら、よくもまあ、そんなに多くの目的地を探したものです。

≪写真4≫
  写真が少なくて、下って着てから、拓南地区で、一枚 撮りました。 南側を見下ろす目線ですが、傾斜が緩いので、眺望が良いとは言えません。




【沼津市岡宮・岡宮1号公園】

  2023年7月19日、沼津市・岡宮にある、「岡宮1号公園」へ行って来ました。 ネット地図で見つけた所。 新しくて、うちにある住宅地図には、載っていませんでした。

≪写真1≫
  北東隅の入り口側から。 左側の、一番大きな木は、合歓木(ネムノキ)。 当然、植えられたものでしょう。

≪写真2≫
  中に入りました。 遊具があります。 児童公園ですが、面積は、広大。

≪写真3左≫
  合歓木に花が咲いていました。 上の方の、ピンク色の毛みたいなのが、それ。

≪写真3右≫
  白詰草が地面を覆っていて、花が咲いていました。

≪写真4≫
  公園の南端から、南を見た景色。 愛鷹山の裾野ですが、傾斜が緩いので、眺めの良さは、今一つです。

≪写真5左≫
  バスケット・ボールの、バスケットが、金属の螺旋になっていました。 なるほど、これでも、用は足りるか。 しかし、当り方によっては、跳ね返されてしまうから、網とは、勝手が違うかもしれませんな。

≪写真5右≫
  ベンチ。 たぶん、擬木だと思いますが、本物の木であっても、硬そうです。 ただし、いかにも、頑丈そうで、もちは良いと思います。

≪写真6左≫
  公園北側の路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 実は、この日、また、ギア・インジケーター「1」が切れました。 抵抗を付けないLEDでは、無理か。 個体差が大きくて、もつものは、1年くらい、もつんですがねえ。

≪写真6右≫
  リヤ・ブレーキのブリダー・キャップ。 落下留めが付いた物を使っていたんですが、落下留めの部分が切れてしまいました。 で、キャップ部分だけにしてあります。 これでも、落ちるような事はないです。




【沼津市岡宮・消防団第23分団 / 光長寺大楠】

  2023年7月24日、沼津市・岡宮にある、「沼津市・消防団・第23分団」へ行って来ました。 ついでに、すぐ隣の、「光長寺の大楠」も、見学。 東名沼津インター・グルメ街道を、南から上がり、左折して、根方街道に入り、すぐの所にありました。

≪写真1≫
  沼津市・消防団・第23分団の建物。 土蔵風の外観。 シャッターの絵は、この写真では分かりませんが、森と小川が描かれています。 消防団の建物の中には、何が入っているんでしょうね? 必ず、シャッターがありますが、やはり、車両が入っているんでしょうか。 消防車が入っているにしては、シャッターが小さいですが。

≪写真2≫
  すぐ隣が、光長寺の門前です。 左の木が、大楠。 この大楠の為に、門前の空間が残されているのかも知れません。 小山のようです。

≪写真3≫
  寺の生垣。 たぶん、貝塚伊吹(カイヅカイブキ)だと思いますが、実に見事な刈り込みです。 ふわふわと柔らかそうな曲線が、シュールな雰囲気を醸し出しています。

≪写真4≫
  門前空間の隅に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ギア・インジケーター・ランプ「1」を麦球に交換した直後のプチ・ツーです。 猛烈な直射日光下でしたが、ちゃんと、麦球の「1」は、見えました。

  道路は、根方街道。 愛鷹山の麓を、富士市から、裾野市の方まで、取り巻くように走っています。 この先は、グルメ街道と交差して、門池の南側を通り、長泉町の長窪城址の方へ、北上して行きます。





  今回は、ここまで。

  この月から、沼津市内で、大岡や、岡宮は、距離が近く、過去には、折自で行っていました。 今では、脚が衰えてしまって、バイクでないと、ちょっと、厳しいです。 というか、もはや、折自では、行く気になりません。

2023/08/20

実話風小説 ⑲ 【改造する女】

  「実話風小説」の19作目です。 今回、冒頭と末尾が、前回の、【締める女】と同じですが、元が、「DVのきっかけ・三部作」だからです。 ちなみに、私は、元フェミニストなので、基本的に、女性側の味方ですが、物には何事にも、限度というものがありまして、あまりにも、「アホ」だと、味方をし兼ねるところもあります。 悪しからず。




【改造する女】

  言うまでもない事だが、家庭内暴力(DV)は、暴力を振るった側が、悪い。 暴行罪、傷害罪は、誰でも知っている、刑事犯罪である。 通報されれば、警官が駆けつけて、その場で手錠をかけられ、連行される。 そのくらい、明々白々な犯罪行為なのである。 それに関しては、異論を許すつもりはない。 手を上げてしまったら、「善良な一市民」の資格は、永久に失ってしまうのである。

  ただ、暴力を振るわれる側に、問題が全くないわけではないケースもある。 DVのきっかけを、被害者側が作ってしまっている場合があるわけだ。 くどいようだが、繰り返すと、それでも、そのきっかけ自体が、犯罪行為でなければ、暴力を振るう方が悪い事に、変わりはない。



  女Cは、男Dと、社会活動で知り合った。 仕事とは全く関係ない、環境美化ボランティアのグループに属していて、そこで、男Dを見つけたのである。 初めて見た時の印象は、全くない。 男として見れるような性的魅力を、一切感じなかったのだ。 実際、男Dは、中肉中背、面長でもなく、丸顔でもなく、眼鏡をかけていて、髪が少し薄いという、どこにでもいるような外見の男だった。 

  一方、女Cの方も、美人の部類には入れられない容姿で、これといった特徴がなかった。 強いて誉めるなら、「ブスではない」と言ったところが、限界か。 あまり、外見について細々と指摘すると、セクハラになってしまうので、後は、ご想像にお任せする。 女Cも、眼鏡を使っていたが、仕事中や、自宅にいる時だけで、私生活で出かける時には、コンタクト・レンズに換えていた。

  女Cが、男Dを、初めて、男として見たのは、美化活動中に、ゲリラ豪雨に見舞われ、男Dら数人が、ずぶ濡れになってしまった日の事である。 メンバーの一人の家が近かったので、そこで、着替えを借りる事になった。 たまたま、女Cも、その一団に同行した。 服を洗濯・乾燥させている間、その家の主の服を借りて来ていた男Dは、いつもとは全く違う印象であった。

  普段より、ほんのちょっと、派手目な服を着ただけなのだが、派手好きの女Cには、見違えるように、魅力的に見えたのだ。 次の活動日には、男Dは、普段の服に戻ってしまったが、一度、見方が変わると、その印象が、そのまま、持続するものである。 女Cは、自然に、男Dに近づき、話かけるようになった。

  全員が揃っても、12人しかいないグループである。 「誰と誰が、仲良くなった」というのは、すぐに分かる。 嫉妬や、やっかみなども、出て来るものだが、女Cと男Dの場合、どちらも、他の異性から注目されるようなタイプではなかったので、「お似合いなんじゃないの」程度で、周囲から、暖かい目で見守られた。

  女Cの方から誘って、二人だけで会う事が、次第に増えた。 映画だの、観光地だの、まあ、普通のデートだな。 どちらにしても、特に見たい映画でもなければ、特に行きたい観光地でもなく、ただ、二人でいる為だけの目的で出かけているのであって、下らないといえば下らない行動だが、昔から、恋愛する者達のやる事というのは、そういったものである。

  そもそも、性別が違えば、興味の対象も違うのだから、同じ所へ出かけて行って、同じ体験をして、二人とも、大満足などという事はありえない。 どちらかが、無理をしているのである。 観光地に来ている、若い異性二人連れを観察してみれば、ちょっと、赤面してしまうくらいに、アリアリと分かるものだが、一っ言も喋らない二人だったら、それは、話題が全くないのである。 出会ったばかりか、別れる寸前かの、いずれかであろう。

  逆に、腕を組んで、ベタベタ じゃれあいながら、意味不明の盛り上がり方をしている二人だったら、それは、ごく最近、性関係になった証拠である。 周囲に卑猥なイメージを振り撒き、垂れ流している様子は、醜悪極まりない。 二人とも服を着ているわけだが、当人達の気分としては、性交渉の延長なのである。 んーーっ、下劣、この下ない! ちなみに、そう分かっても、指摘したりしてはいけない。 あなたが、下劣だと思われてしまうからだ。

  閑話休題。

  そんな風に、距離を縮めて行った、女Cと男Dだが、実は、男Dの方は、女Cに、特に惹かれていたわけではなかった。 最初、見た時には、「つっまんねー顔した女だなー」と思ったくらいである。 女Cが話す内容を耳にしても、特に詳しいといったら、漫画やアニメの話題がほとんどで、実写の映画・ドラマが好きな男Dとは、趣味が掛け離れていた。 最初に誘われて見に行った映画も、長編アニメだったが、テレビ・シリーズを元にした劇場版で、テレビ・シリーズの方を見ていない男Dには、ストーリーが全く分からなかった。

  男Dが、女Cを拒まなかったのは、向こうから近づいて来た、初めての女性だったからである。 それまでの人生で、自分から近づこうとして、肘鉄を食らわされた経験はあったが、その逆は、なかったのだ。 すでに、30代前半になっており、結婚して、子供も欲しいと思っていた男Dには、焦りもあった。 女Cの存在は、渡りに船だったわけだ。 自分から積極的に乗りたい船ではないが、対岸に渡る為には、船の形など気にしていられないではないか。

  交際を始めて、4ヵ月後には、もう 婚約し、更に半年後には、結婚した。 式には、ボランティア・グループの面々も、列席して、祝ってくれた。 新郎も新婦も、知らない人が見ると、「何が良くて、こんな相手と結婚するんだろう?」と思われてしまうほど、パッとしなかったが、そうであるが故に、友人・知人・同僚らは、心から、この結婚を祝福してくれた。 一人を除いて・・・。

  それは、女Cの姉であった。 2歳年上である。 女Cの両親は、二人とも都会育ちでありながら、農業に嵌まり、早々と引退して、地方の山中に移住し、蜜柑畑を借りて、営農していた。 姉は、女Cと二人で、実家に住んでいたのだ。 割と仲の良い姉妹で、姉は、女Cの好みを良く知っていた。 時折り、妹のボランティア活動に飛び入り参加する事があったので、男Dの事も早い内から知っていた。

  女Cが、男Dと交際し始めると、姉は、最初だけ、眉を潜め、首を傾げた。

「Dさんと結婚したいの?」
「いずれはね」
「ああいうタイプが、好みだった?」
「タイプとかの問題じゃないんじゃない?」

  女Cが、男の品定めを嫌っているのを見て取った姉は、それ以上、何も言わなかった。 しかし、子供の頃から、妹を観察していた姉は、男Dが、妹の好みとは、とても思えなかった。 女Cは、呆れるほどの、面食いだったのだ。 しかも、現実離れした趣味で、ホスト・クラブに通っていた事もあった。 一度、騙されて、就職してから、コツコツ貯めていた貯金を、300万円も持ち逃げされ、懲りて、やめたのだが。


  新婚半年くらいは、そこそこ、仲睦まじかったが、一回だけ、女Cは、男Dを驚かせた。 というか、困らせた。 新居にしているアパートに、女Cの友人達を呼ぶから、次の日曜は、一緒にもてなして欲しいというのだ。 それ自体は、問題なかったが、準備と言って、男Dの新しい服を買いに行こうと言われたのには、驚いた。 同性の友人達に、見栄を張りたいのは分かるが、そこまでするのか?

  お金は、家計から出すというから、男Dに損はないが、女Cと二人で買いに行った服は、男Dが今までに着ていた服とは掛け離れた、派手なものだった。 ただ、派手なだけなら まだしも、女Cには、男の服を選ぶ時に、特定の基準があるようで、「こういう趣味」としか言いようがない、独特の雰囲気が感じられた。

  帰りに、美容院に引き込まれたのには、もっと、困った。 新居に越してから、一度も散髪をしていなかったので、拒む理由もなかったが、従前、男Dが利用していたのは、普通の理髪店であって、美容院に入ったのは、初めてだった。 女Cが、持って来た雑誌から、「こんな感じにして下さい」と注文し、出来た髪型が、これまた、派手。 奇抜でこそないものの、男Dの地味な雰囲気には、全く合わなかった。 漫画の登場人物になったような気分だった。

  もてなしの会は、恙なく、終了した。 男Dは、すぐに、元の服に戻り、頭も、ぐしゃぐしゃにして、手櫛で撫でつけて、良しとした。 それを見て、女Cは、顔をしかめた。

「せっかく、良くなったのに・・・」

  その言葉は、嘆きと言うより、毒づいているように聞こえた。

  女Cは、懲りずに、男Dに着せる服を、毎週のように買って来た。 自分の服は一着も買わないのだから、亭主思いと言えば言える。 しかし、それは、男Dの望んでいた喜びではなかった。 どんどん増えて行く、派手な衣類を見て、男Dは、やんわりと、抗議した。

「こんなに買ってくれなくていいよ。 自分の服を買えばいいじゃない」

  女Cは、目も合わさずに、ボソッと言った。

「あたしのは、もう揃ってるから、しばらくは、いいの。 問題は、あんた」

  女Cにとって、男Dの服装は、大問題だったのだ。

  二人で外出する時には、たとえ、それが、近所のスーパーへの買い物程度であっても、男Dは、女Cの指定した服を着なければならなかった。 髪も、女Cが櫛を入れて、整えた。 伸び過ぎていると思うと、容赦なく、美容院へ引っ張って行った。 そんな生活が、一年ほど、続いたが、男Dは、いつまで経っても、女Cの選ぶ派手な服に慣れなかった。

  二人で、大型ショッピング・モールへ買い物に行った時、女Cがトイレに行っているのを待つ間に、男Dは、会社の同僚に、ばったり会った。 同僚は、男Dの服装を見て、驚いた。

「なんだ、その服は? 普段と、全然、違うじゃないか」
「女房の趣味なんだよ」
「なるほど。 それにしても、独特の雰囲気だな」

  同僚は、スマホを取り出し、男Dの全身を撮影した。

「あんまり、拡散するなよ」
「いや、見せるのは、一人だけだ」
「誰に?」
「ファッション史に詳しい奴」

  数日後、その同僚が、男Dの職場にやって来た。

「そいつが言うには、1990年代の流行らしい。 だけど、2010年頃にも、似たような物が流行ったんだと。 お前の奥さんが、こういうセンスを頭に入れたのは、年齢的に考えて、2010年の方かもな」
「ふーん」
「だけど、そいつが言うには、2000年辺りを境に、男性のファッションに、はっきりした流行がなくなったんで、今、こういう服を着ていても、特におかしいというわけではないそうだ」
「ふーん」

  と、そこへ、5歳くらい若い同僚がやって来て、スマホの写真を覗き込んだ。 5歳若いというと、女Cと、ほぼ、同年である。

「へえ! Dさん、私生活じゃ、こういう服、着てるんですか。 まるで、『X先輩』だな」
「何それ?」
「少女漫画の登場人物ですよ。 15年くらい前に流行った、≪外で待ってます≫って、恋愛物なんですけど、その中に出て来る、ヒロイン憧れのX先輩が、こういう服を着てるんです。 ヘア・スタイルも、似てるなあ。 いやいや、ますます、X先輩そのものだ」
「・・・・・」

  男Dは、女Cの趣味の源を知って、非常に奇妙な気分を味わった。 女Cは、別に、男性のファッションに、深い造詣があるわけではない。 それは、話をしていれば、分かる。 女Cは、ただ単に、その漫画の登場人物に、男Dの外見を似せようとしていただけなのだ。 それなら、分かり易い。

  男Dは、インター・ネットで検索して、≪外で待ってます≫の、X先輩を確認し、額に、じっとりと、脂汗を浮かべた。

「なるほど。 これは、ここ最近の俺そのものだ」

  ただ、違いがある。 男Dと違って、X先輩は、眼鏡をかけていないのだ。 ただし、外出する時に、後輩の追っかけ達を避ける為に、サングラスをかける事が多い。 女Cは、たぶん、その点で、妥協しているのではなかろうか。 しかし、そんな妥協が、いつまでも続くものだろうか? 女Cの性格が分かり始めていた男Dは、大きな危惧を抱かずには いられなかった。

  案の定、女Cは、男Dに、コンタクト・レンズを薦めて来た。 しかも、誕生日プレゼントに、眼鏡屋の利用券を渡して、

「コンタクトを作ってくればいいよ」

  と言うのだから、何とも、気持ちの悪い作戦だ。 男Dは、きっぱりと断った。

「コンタクトにする気はないから。 この券は、予備の眼鏡を作るのに使わせてもらうよ」

  すると、女Cは、また、毒づいた。

「言う通りにすれば、良くなるのに」

  男Dは、まずいと思った。 まず、X先輩について、確認しなければならない。 在宅で仕事をしている、女Cの姉に電話をして、「近くまで来たから、寄ってもいいですか?」と言うと、快諾してくれた。 もちろん、わざわざ、女Cの実家近くまで来たのであって、ついでなどではない。

  女Cの姉は、妹の結婚以降、滅多に、連絡して来なかった。 男Dは、姉妹の間にある、微妙な距離感を利用できると思っていた。 茶を出され、近況を伝え合い、世間話を交わしてから、さりげなく、こう言った。

「そういえば、Cの部屋って、そのままになってるんですか?」
「ええ、そのままですよ。 他に使う人もいないし」
「いや、そのー・・・、Cが、漫画やアニメが好きな割には、アパートに持って来た趣味の品が少なかったんで、もしかしたら、実家に置いてあるのかな、と思ってたんですよ」
「凄い部屋ですよ。 見ます?」
「いいんですか?」
「別に、見せるなとも言われてないから」

  案内してくれた。 部屋のドアには、鍵がかかっていた。

「私は、鍵を預かってるんです。 Cも、もちろん、持ってるけど」

  ドアを開けると、ド派手な色が目に飛び込んで来た。 漫画・アニメ・オタクのイメージ通りの、雑誌、コミックスで埋まった本棚。 等身大ポスター。 各種グッズ。 あるわあるわ。

「あぁあ! こんなにあるんじゃ、持って来れませんよねえ」
「週に一回は来て、チェックしてくんですよ。 ずっと、このままだと、私も先々、困るんだけど・・・」

  男Dは、壁の二面を埋める大きな本棚の、一番 手に取り易い高さに、≪外で待ってます≫全32巻が、ばっちり揃っているのを確認した。 床の絨毯の上に積み上げてある雑誌も、≪外で待ってます≫が連載されていた週刊誌ばかりだった。 男Dは、少し冒険になるかと思ったが、義姉に確かめずには いられなかった。

「≪外で待ってます≫は、流行りましたよね」
「そうですね。 私も読まされたけど。 Cったら、X先輩に夢中になっちゃってねー。 ほんと、あれは、病気だわ。 ファン・クラブの幹部になって、アニメ化運動までやってたんですよ」
「へえ! そりゃ、意外だなあ」

  意外なものか! 女Cが、大いに、やりそうな事ではないか。 

  帰り際、義姉が、心配そうな顔で言った。

「あのう。 私が部屋を見せた事は、できれば、妹には言わないで欲しいんですけど」
「ああ、はい、分かりました。 私が部屋を見た事も、Cには言わないで下さい」
「それは、もちろん」
「というか、今日、ここに来なかった事にしましょうか」
「それが、いいですね。 そうしましょう」

  男Dは、帰宅したが、女Cが怖くなって、正面から顔を見る事ができなかった。 次に何を言い出すか、それを思うと、憂鬱になった。 ああ、鬱病になってしまう。 どうせ、結婚するんなら、姉の方とするんだった。 あの人なら、話が合いそうなのに。 いや、駄目か。 女Cが義妹では、やはり、問題がある。


  男Dは、ネットの漫画サイトで、有料公開されている、≪外で待ってます≫を、一冊分だけ、読んだ。 それ以上は、読めなかった。 ベスト・セラーになった作品だから、面白い事は分かるのだが、少女心理の描写に、多くのコマを取っており、男が読んで、没入できるような話ではなかったのだ。

  読んだのは、一冊だけだが、気づいた事があった。 X先輩には、断定的な喋り方をする癖があり、語尾は、大抵、「~だ」であって、「~だよ」とか、「~だな」とか、語気を和らげる助詞を付ける事がなかった。 すぐに、ピンと来る事があった。 女Cは、交際が始まった頃から、男Dの喋り方を、矯正しようとする傾向があったのだ。

「男なんだから、そこは、『~だよ』じゃなくて、『~だ』で、いいんじゃない?」

  男の権限を認めてくれるのかと思って、良いとも悪いとも思わなかったのだが、その後、女Cを観察したところでは、むしろ、支配欲が強い方で、男Dの意見を容れる事など、ほとんど なかった。 今になって、女Cの腹が分かった。 ただ単に、男Dに、X先輩の喋り方を真似させようとしていただけなのだ。 何たる馬鹿馬鹿しさ。 呆れて、ものも言えない。


  女Cは、結婚記念日に、男Dに、レーシック手術を薦めて来た。 プレゼント代わりだから、費用は、女Cが出すと言う。 勘弁してくれ。 眼鏡が、どうしても気に入らないらしい。 ちなみに、度付きサングラスは、とっくに買い与えられていたが、男Dは、かけようとしなかった。 男Dは、レーシック手術について、丁寧にリスクを説明し、自分はする気がないと、きっぱり 断った。

  次は、プチ・整形を薦めて来た。 目尻を、ちょっと持ち上げて、鼻を、ちょっと高くすれば、格段に良くなると言うのである。 勝手に、病院に相談に行ったようで、CGで作った、予想アフター写真を持って来て、説得を試みた。 他に、増毛や、美白手術、歯並びの矯正手術など、改造プランが目白押し。

  冗談じゃない! 実在の人間に似せるなら、まだしも、漫画のキャラクターに似せられる為に、手術なんか、受けられるか!

  男Dは、切れた。 怒鳴りあいになった! 義姉との約束を守って、部屋を見た事は言わなかったが、同僚から得た情報を使い、

「≪外で待ってます≫の、X先輩に似せようとしてるんだろ!」

  と、問い詰めた。 すると、女Cは、たじろいだのも一瞬、直ちに、開き直った。

「そうだよ! 何が悪い! X先輩に似たら、何か悪い事があるのか!」
「何だと!」
「あんたみたいな野暮ったい男を、そのまんまで、夫になんか出来るもんか! あたしが金を出して、改善してやるっていうんだから、ありがたく、言う通りにすればいいんだ!」
「何が改善だ! 人を何だと思ってるんだ! 着せ替え人形じゃないんだぞ!」
「あははは! あんたみたいな、不細工な人形が売ってるもんか!」

  ここから先は、家庭内暴力の場面になるが、痣だらけになったとか、肋骨が折れたとか、そういった描写は、月並みなので、テキトーに想像していただきたい。


  妻を、ボコボコにした後で、必死に謝り、許してもらい、何事もなかったように生活を続けようとする夫は、よくいるが、男Dは、そんな気が全くなかった。 夫を着せ替え人形だと思っている女に、下げる頭なんか、持ち合わせていない。

  女Cは、「訴える!」と息巻いたが、男Dが、「法廷で、おまえがやった事を、全部、喋る!」と言い返したら、急に剣幕が衰えた。 さすがに、赤の他人の前で、自分の趣味を曝しものには したくないらしい。 離婚協議は、円満ではなかったが、円滑に進んだ。 もちろん、慰謝料など、発生しない。 男Dの方が、もらいたいくらいだ。

  女Cの姉は、事情を聞いて、妹に呆れ、男Dには、申し訳ないと頭を下げた。 話を聞いた、女Cの両親も、二人で男Dの実家までやって来て、頭を下げた。 男Dは、義姉や義父母に、恨みはなかったので、責めるような事はなく、「もう、結構ですから、何も言わずに、離婚させて下さい」とだけ言った。



  二人のその後を追跡すると、男Dは、結婚に懲りて、後は、独身を通した。 結婚は、汚染された記憶でしかなかった。 ちなみに、女Cに押し付けられた衣類は、全て捨てた。 実家で、両親と暮らし、両親が亡くなった後は、一人で、80代まで生きた。 特に、不幸というわけではなかった。 生涯独身者や、結婚期間が短かった者は、普通に勤めていれば、お金にゆとりがあり、生活に困るような事はないのだ。


  女Cは、結婚に懲りなかった。 「相手が悪かっただけだ」と考えた。 30歳になる前に、別の男と交際を始めた。 風体は、パッとしなかったが、服の趣味と髪形を変えさせ、少し整形すれば、X先輩に近づけられそうだった。 懲りないねえ。

  女Cから、今度の男の話を聞かされて、姉と両親は、嘆息した。 人間、学習や反省がないと、何度でも、同じような災いに見舞われるものである。 女Cは、人生で、三回、結婚したが、三回とも、夫によるDVで、破綻した。 いずれも、自分の好みの男に改造しようしたのが原因である。


  この話は、これで、おしまいだが、冒頭の言葉を繰り返しておくと、きっかけを作ったのが、被害者側であっても、DVの加害者が許される事はない。 暴行・傷害は、犯罪行為なのだ。

2023/08/13

読書感想文・蔵出し (106)

  読書感想文です。 一冊、別の作家の本が挟まって、その後は、また、クリスティー文庫。 短編集の感想は、長くなると、何度も書いていますが、それが、三冊も続きます。 申し訳ない。 





≪偶人館の殺人≫

祥伝社 1990年3月30日/初版 1990年4月1日/2刷
高橋克彦 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの単行本です。 長編推理小説。 約318ページ。 月刊「小説NON」誌に、1989年4月から、1990年1月まで、連載されたもの。 「偶人館」の読み方は、作中では、「ぐうじんかん」ですが、タイトルは、「からくりかん」となっている場合もある模様。


  岩手県の山奥に、明治初期に建てられた、広壮な屋敷、「偶人館」で、招待客注視の中、屋敷の塔の上から、空中散歩の手品を披露していた当主が、池に墜落して死亡する。 残された妻は、亡夫の友人と再婚し、莫大な遺産は、彼の事業を大きなものにした。 26年後、ハーフでありながら、日本語の諺・格言に異様に詳しい青年が、デザインの仕事の関係で、からくり人形の取材を始める。 かつて、大野弁吉という天才からくり師がいた事や、彼のスポンサーだった、銭屋五兵衛が遺した、4千億円が、どこかに隠されている事が分かり・・、という話。

  推理小説であると同時に、冒険小説でもあります。 アクションは、なし。 何者かによる他殺とも思える事故が起こり、その謎を追う傍ら、財宝探しが絡んで来て、普通に考えれば、動機に不純さが感じられるはずなのですが、不思議な事に、二つの謎の追求が、うまく重ね合わされており、探偵役達の行動に疑念が生じるような事はありません。

  30歳前後という、まだ、若いけれど、社会人としての分別はついている年代の者達が、探偵役を務めているせいか、何となく、三大奇書の一つ、【虚無への供物】に似た雰囲気があります。 しかし、それは考え過ぎで、2時間サスペンスの原作になり易いように、若い探偵役を揃えたのかも知れません。 後半の、偶人館に赴く冒険物的な展開など、いかにも、映像化を前提にして 入れたもののような気がしますねえ。

  ちなみに、この作品、遥か後になって、2019年に、「塔馬教授シリーズ」に、脚色され、映像化されます。 高橋克彦さんには、「リサ&チョーサク・シリーズ」というのがあり、それを原作にして、ドラマ化したのが、「塔馬教授シリーズ」なのですが、その3作目が、「リサ&チョーサク・シリーズ」ではない、この、【偶人館の殺人】なのです。 ちょうど、リサや、チョーサクや、塔馬に当て嵌められるような登場人物が出ているので、都合が良かったんでしょうな。

  からくり人形の歴史がモチーフになっているので、硬い部分もあるのですが、冒頭の26年前の場面を除くと、ほとんどが、会話によって進むので、読み難いという事は、全くありません。 地の文は、場面の説明に、最小限、入れられているだけ。 こういう書き方でも、硬い内容を伝えられるんですな。

  30歳前後の、まだまだ若い面々が、こんな硬い内容の会話をするのか? とも思いますが、1989年というと、バブル経済が最高潮だった時期で、その頃の都会なら、いろんな人間が、いろんな事に興味を持っていたから、こういう会話を楽しんでいた人達も、いたかも知れませんなあ。

  からくり人形や、機械の歴史に興味がある人には、もちろん、お薦め。 そうでない人には、ちょっと・・・、というところ。 推理小説としても、冒険小説としても、知的に、スマートに仕上げられていますが、因縁話は、2サスの平均レベル程度ですし、ドンデン返しがある点も、あまり、いいと思いません。

  重箱の隅を突つくと、探偵役が、多過ぎますかね? 女性陣は、いても いなくても、大差ないような気がせんでもなし。 メインの探偵役に、天才肌の男性を出してしまうと、助手役の女性が、やる事がなくなって、霞んでしまうんですな。 これは、推理小説全般に言える事ですけど。




≪謎のクィン氏≫

クリスティー文庫 53
早川書房 2004年11月30日/初版 2018年9月15日/5版
アガサ・クリスティー 著
嵯峨静江 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短編、12作を収録。 【謎のクィン氏】は、コピー・ライトが、1930年になっています。 本全体のページ数は、約492ページ。


【クィン氏登場】 約36ページ

  ある屋敷に集まった人々の間で、10年前に、その屋敷の前の主が自殺した一件が、話題に上る。 そこへ、車の故障で、たまたま、訪ねて来たクィン氏が、人々の記憶を呼び覚まし、自殺の真相を見抜く話。

  短編としては、少し長めである上に、内容も深刻なので、軽い気持ちで読み始めると、思わぬ抵抗に遭います。 クィン氏は、何者なのか、全く分かっておらず、探偵役と呼ぶには、少し資格が足りないような感じ。 事件の謎は、人々の記憶から明らかになり、クィン氏は、それを纏めるだけです。

  クィン氏が正体不明なせいか、探偵物として、安定が悪く、面白いというところまで行きません。 登場人物が、中途半端に多いので、誰が誰だか、見失い易いです。 サタースウェイトという人物が、クィン氏のヒントを得て、謎解きの舵取り役を務めます。 これは、全話共通の形式。


【窓ガラスに映る影】 約44ページ

  ある屋敷に、何度、ガラスを新しくしても、幽霊と思しき同じ人物の影が映る窓があった。 その屋敷の庭で、男女二人が殺され、一人の女が、拳銃を持った状態で発見される。 たまたま、訪ねて来たクィン氏の導きで、幽霊の正体が暴かれ、殺人犯人も明らかになる話。

  クリスティーさんにしては珍しい、物体的トリック。 そこそこ、ページ数があるのは、幽霊の怪奇趣味を盛り込もうとしたからだと思います。 オカルトではあり得ない事が分かっているので、そちらで、ゾクゾクする事はないです。 推理物としては、短か過ぎて、やはり、ゾクゾク感はありません。

  この作品も、登場人物が多くて、誰が誰だか、しょっちゅう、前の方のページに戻って、確認しなければなりません。 このページ数で、フー・ダニットは、無理なんですな。 読者が、登場人物の名前とキャラを覚える前に、終わってしまいますから。


【<鈴と道化服>亭奇聞】 約36ページ

  <鈴と道化服>亭に寄ったサタースウェイト氏。 たまたま出会ったクィン氏と、かつて、その家で起こった、結婚直後の男性が失踪した事件について、人々の証言から、真相をつきとめる話。

  殺人が起こるわけではなく、失踪の真相を明らかにするだけですが、殺人が起こらない推理小説に独特の、少し、洒落た雰囲気が楽しめます。 ホームズ物には、そういうのが、多く含まれますが、ホームズ物が好きな人なら、この作品も、面白いと思うはず。


【空のしるし】 約34ページ

  ある夫人の殺害容疑で裁判にかけられた青年。 陪審員の評決は有罪となった。 疑問を抱いたサタースウェイト氏は、たまたま出会ったクィン氏に勧められて、事件直後、カナダへ行ってしまったメイドの話を聞く為に、当地まで赴く。 メイドが口にした、汽車の煙の証言から、犯行時刻が操作されていた事が分かり、謎が解けて行く話。

  サタースウェイト氏、カナダまで、客船で往復するのだから、大変な話。 一人の青年を死刑から救えるかどうかの瀬戸際だから、おかしくはないですけど。 「突然、カナダへ行ったメイド」、「汽車の煙」、「屋敷の主の時計趣味」など、短編でありながら、推理物のアイデアが、ぎっしり詰まっていて、内容の濃い作品です。


【クルピエの真情】 約34ページ

  モンテカルロに、かつて、王侯の愛人だった女が来ていた。 時は流れ、歳を取ったが、サバを読んで、若い男をものにしようとしていた。 カジノで、サタースウェイト氏が勝ったにも拘らず、ディーラーは、女の方に、掛け金を渡した。 その理由は・・・、という話。

  推理物ではありません。 クィン氏も出て来ますが、いつものように、謎解きの導き役を務める事はないです。 カジノのディーラーと、女の過去の関係を語る話でして、まあ、一般小説ですな。 純文学というほど、深みはないです。

  クルピエというのは、ディーラーの事。 ディーラーというのは、カジノで、ルーレットを回したり、トランプを配ったりする係の事。


【海から来た男】 約54ページ

  ある島へやって来たサタースウェイト氏。 病魔に侵され、余命半年を宣告されて、若い頃に来た事があるこの島で、自殺をしようとしていた中年男を思い留まらせる。 それとは別に、たまたま招じ入れられた家で、中年女性が、自殺を考えている事を察知する。 若い頃、最初の夫を転落事故でなくした後、たまたま訪ねて来た青年と懇意になった。 青年は去って行ったが、女は、妊娠して、息子を産んだ。 成長した息子が、恋人を連れて帰って来るが、父親が誰であるか分からない事を知られるのが怖くて、生きていられないとの事。 サタースウェイト氏は、もしやと思い・・・、という話。

  クィン氏は、ちょっと、顔を見せる程度です。 クィン氏は、サタースウェイト氏を尾行してるんじゃないですかねえ。 あまりにも、よく出会い過ぎる。 それはさておき、ストーリーの方も偶然が過ぎて、些か、リアリティーを欠きます。 大抵の読者は、途中で、自殺願望男と、自殺願望女の関係に気づくと思いますが、面白さよりも、ストーリー構成の稚拙さを感じるんじゃないでしょうか。

  また、中年女の方の、自殺願望の動機が、弱いです。 息子が、父親の事を気にするのであれば、とっくから気にしているはず。 男が患っている余命半年の病気を、女が必ず治せると決め込んでいるのも、テケトー・えー加減の批判を免れますまい。


【闇の声】 約38ページ

  サタースウェイト氏が若い頃から知っている姉妹は、船旅で事故に遭い、姉が死亡していた。 妹は、男癖が悪く、3人と結婚・離婚し、現在、4人目を捕まえようとしていた。 妹には、娘が一人いたが、娘が住む屋敷で、「奪ったものを返せ」と言う幽霊が出るようになり・・・、という話。

  クリスティーさんらしい、なりすましものです。 厳密に言うと、記憶喪失をきっかけに、すりかえられた人物なので、本人の意思で、すりかわったわけではないのですが。 それにしても、大胆なすりかえをしたものですな。 記憶が突然 戻ったら、どうするつもりだったんでしょう?

  クィン氏は、ちょっと、顔を見せる程度。 サタースウェイト氏の捜査能力が上がったせいで、クィン氏の出番がなくなってしまっている様子。 クリスティーさんも、それは承知していたと思いますが、通しのタイトルに、「クィン氏」が入っているから、顔見せ程度でも、出さざるを得ないのでしょう。


【ヘレンの顔】 約36ページ

  若く美しい女性をとりあっていた二人の青年。 フラれた方の青年は、意外にも、潔く身を引き、ラジオと、中空のガラス玉がついた置物を贈ってくれた。 そして、ある音楽番組を聴くように、女性に頼んだ。 サタースウェィト氏は、フラれた青年が、特殊な科学知識をもっている事を知り、大急ぎで、女性の部屋へ向かうが・・・、という話。

  共鳴現象により、人間が出す高音の声で、ガラスが割れる、というのを、聞いた事がある人は多いと思います。 それを利用したトリック。 書かれた時代を考えると、そういう知識が、まだ、新鮮だったのかも知れません。 もう一つ、技術が絡んで来ますが、第一次世界大戦を経ているからこそ、実感がある類いのもの。

  冒頭、女性の顔立ちが、テーマのような印象を受けますが、後ろの方に行くと、大した意味はないと分かります。 それをてーまにしようとしたけど、うまく、膨らまなかったのかも知れませんな。 そうそう。 クィン氏は、ちょっとしか出て来ません。


【死んだ道化役者】 約50ページ

  ある屋敷のある部屋を背景に、クィン氏そっくりの人物が描かれた絵を、サタースウェィト氏が買い入れる。 ところが、その絵を、是非 譲って欲しいと言う女性が、二人も現れた。 一人は、かつて、その絵が描かれた屋敷に住んでいて、自殺した若い当主の未亡人だった。 サタースウェィト氏と、クィン氏が、自殺と思われていた一件の謎を解く話。

  この短編集の作品としては、推理小説の基本線に沿っている方。 トリックも謎も、理解し易いです。 起こった事が、自殺だけの場合、事件になりませんから、大抵は、自殺と思わせて、実は他殺なわけですが、そのトリックは、無数に考えられます。 この作品の場合、短時間のなりすましを使っています。 クリスティーさんのお得意。


【翼の折れた鳥】 約42ページ

  コックリさんのお告げで、クィン氏に会える事を期待して、ある屋敷からの招待に応じた、サタースウェイト氏。 ウクレレを弾きながら歌う女性に、感銘を受けるが、その女性が殺されてしまう。 ウクレレの弦に異常を見出したサタースウェイト氏が、犯人を指名する話。

  クィン氏は、ほとんど、出て来ませんし、サタースウェイト氏とは、一度も会いません。 コックリさんが、トリックではなく、マジなお告げとして、使われています。 どうも、この短編集全体が、オカルトの匂いがしますねえ。 微妙な線をついて、神秘性を醸し出そうとしているんでしょうが、一歩間違えれば、推理小説から逸脱してしまう、危険な手法です。

  謎の方は、本格推理物に相応しい、物理的なもの。 ただし、トリックと言うわけではありません。 些か、子供騙しっぽいですが、ウクレレに詳しくない捜査陣なら、見逃すかも知れませんな。 私も詳しくないので、謎解きを読まなければ、分かりませんでした。


【世界の果て】 約40ページ

  コルシカ島に来たサタースウェイト氏。 奇妙な絵ばかり描いている女性から絵を買うが、その女性に何か尋常でない雰囲気を感じる。 一方、有名な女優とも会い、その女優が、かつて、宝石を盗んだ青年を刑務所送りにした話を聞かされる。 サタースウェイト氏は、女優が持っている小箱に着目し・・・、という話。

  クィン氏は、登場しますし、謎解きの場面にも、同席します。 それだけで、安心感を覚えるのは、私だけかな? そもそも、どの話でも、謎を解くのは、クィン氏ではなく、サタースウェイト氏なんですが、サタースウェイト氏だけでは、頼りない感じがするからでしょうか。

  絵を描く女性と、宝石を盗まれた女優の関係が希薄で、ラストで、強引に結び付けられます。 語り方としては、拙いやり方。 ここまで、雰囲気主導で書くのなら、推理小説にしない方が、良かったんじゃないかと思います。 木に竹の謎をつけてしまったせいで、白けている感 あり。


【道化師の小径】 約48ページ

  自分でもよく分からない理由で、ある家に滞在していたサタースウェイト氏。 その家の主の妻は、ロシア革命の後、イギリス人と結婚したロシア人だった。 舞踊劇が催される事になっていたが、交通事故で、踊り手が来れなくなり、代役として、元バレリーナだった主の妻が、クィン氏と踊る事になるが・・・、という話。

  これといって、事件は起こりません。 強いて言うなら、ロシア革命の頃に死んだとされていた人物が、実は生きていた、という展開がありますが、推理物の対象になるような事件ではないです。 主の妻が、人生のどの局面で、誰を愛するかという、純文学的なテーマを扱っています。

  クィン氏の名前がついた道が出て来て、死が絡んで来るのですが、はっきり書いていないせいで、よく分かりません。 クィン氏が、死への案内役のような役割を果たしているという事なんでしょうか。 オカルトっぽいですなあ。



  【謎のクィン氏】を総括しますと、推理物のモチーフを使った、純文学作品ですな。 一般小説として見ると、些か、掴みどころがなさ過ぎ。 こういうのが好きな人もいると思いますが、クリスティー作品としては、異質で、ベタ誉めするようなものではないです。 こういう作品ばかり書いている作家がいるとしたら、出版社が相手にせず、本一冊、出せないでしょう。 クリスティーさんの名前があればこそ、残った作品と言えます。




≪火曜クラブ≫

クリスティー文庫 54
早川書房 2003年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村妙子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短編、13作を収録。 【火曜クラブ】は、コピー・ライトが、1932年になっています。 本全体のページ数は、約438ページ。 全作、マープル物。 6人の人間が、それぞれ、経緯を知っている事件を紹介し、他の面子に、謎解きをさせる趣向。 もちろん、正解に辿りつくのは、いつも、マープルです。 1~6話は、場所が、マープルの家。 7~12話は、バントリー邸。  バントリー邸は、長編【書斎の死体】にも登場します。 13話だけは、火曜クラブとは関係ない事件です。


【火曜クラブ】 約26ページ

  元警視総監が語り手。 夫婦と、妻の話相手の夫人に毒が盛られ、妻が死ぬ事件が起こる。 夫が書いたメモには、妻の殺害が仄めかされていたが・・・、という話。

  ヴァン・ダインの二十則に、半分、抵触していますが、半分だから、まあ、いいだろうという事でしょうか。 もちろん、クリスティーさんは、ヴァン・ダインの二十則に縛られなければいけないという義務はありませんが、気にはしていたと思うので、結構、ヒヤヒヤしながら、書いたのでは? 短編なら、細かい事を言う人はいないかも知れませんが。

  他の面子が、間違った推理を開陳した後で、マープルが、いとも容易に正解を言い当てて、一同を、あっと驚かせるというパターンです。


【アスタルテの祠】 約30ページ

  牧師が語り手。 アスタルテ神の祠がある場所で、神がかった女性をとめようとした男が、突然倒れる。 従弟が駆け寄って、見たところ、死んでいる事が分る。 刺し傷があるが、刃物が見たらない。 翌日、もう一度、現場に行った従弟が、なかなか戻って来なくて・・・、という話。

  凶器が見つからないという謎。 簡単なトリックなんですが、そういうトリックがあると知らなければ、面白いと感じると思います。 もっとも、【火曜クラブ】を読む人は、かなり、推理小説を読み込んでいると思うので、大抵の人は、「ああ、その手のトリックか」と、気づくと思いますが。

  動機も、短編らしく、簡潔に述べてありますが、「なるほど、そういう心理もあるか」と思う反面、「実行するのには、大変な思い切りが要るだろうな」とも思います。 普通は、絶好の機会に恵まれたとしても、やれないと思います。 計画殺人の方が、遥かに、実行し易いのでは?


【金塊時件】 約28ページ

  マープルの甥、レイモンドが語り手。 友人が始めた、沈没船の金塊を探す計画に乗ったレイモンド。 その友人が、行方不明になり、縛られた状態で、発見される。 レイモンドは、その後どうなったかを知らなかったが、元警視総監が教えてくれて、マープルから、小言を喰らう話。

  金塊は、実際にあったのですが、沈没船とは、関係ないものだった、というオチ。 「木を隠すなら、森の中」の発想で「金塊を隠すなら、沈没船が多い土地」というわけです。 このアイデアも、推理小説では、良く使われるので、ピンと来た読者も多いはず。 クリスティーさんは、短編に関しては、ありふれたトリックやモチーフでも、抵抗なく使ったようですな。


【舗道の血痕】 約20ページ

  画家(女)が語り手。 ある家の前の舗道に、血痕が見える。 その家の夫婦と、もう一人の女が、三人で泳ぎに行ったのだが、その後、妻が死体で発見される。 画家は、全く別の場所でも、同じ人物の組み合わせを見て・・・、という話。

  横溝正史さんの初期短編に、【赤い水泳着】というのがありますが、たぶん、この作品から、アイデアをいただいたんでしょう。 もしかしたら、クリスティーさんのオリジナルではなく、古典的なアイデアなのかも知れませんな。 クリスティーさんは、短編に関しては、すでに知られているアイデアを使う事に、抵抗がなかったようです。 おそらく、当時の推理小説界全体が、そういう風潮だったのでは?


【動機対機会】 約28ページ

  弁護士(男)が語り手。 怪しい霊媒師を信じ込んで、遺産の大半を、そちらへ贈ろうと、遺言書を書き換えた老人。 ところが、老人の死後、弁護士が、保管していた遺言書の封を開くと、白紙が入っているだけだった。

  霊媒師を登場させなくても、とにかく、それまでの遺言を書き直すという状況があれば、成り立つ話。 確かに書いたはずの遺言書が、どうやって、白紙になったかが、話の肝。 トリックが使われていますが、子供騙し以下としか言いようがないもので、ここでも、クリスティーさんが、短編のアイデアを、この程度のものだと思っていた事が、よく分かります。


【聖ペテロの指のあと】 約30ページ

  マープルが語り手。 マープルの姪が、嫁入りした先で、夫が殺され、姪が毒を盛ったのではないかと噂が立つ。 マープルが乗り込んで行き、墓を掘り起こして、遺体を解剖させるが、毒物が特定できない。 マープルは、故人が言い遺した言葉に、別の意味を読み取り、毒物を特定。 犯人を指名する話。

  言葉遊びが、謎解きに繋がります。 日本人とって外国語である英語だから、なんとなく、説得力を感じてしまいますが、もし、日本語だったら、ダジャレ・レベルですな。 これは、クリスティーさんの、オリジナル・アイデアでしょう。 山村美紗さんも、こういうアイデアが好きなタイプでは?

  毒物は、推理小説では、大変、よく使われる道具ですが、専門知識がないと解けないような謎は、実は、禁じ手です。 ただし、予め、その毒物について、充分な説明が、読者に対して行なわれていれば、問題ありません。 この作品は、ギリギリ・セーフというところでしょうか。


【青いゼラニウム】 約38ページ

  バントリー大佐が語り手。 病人である事を笠に着て、年中、夫を責めている悪妻。 霊媒師に言われ、死への秒読みとして、青い花を警戒するようになる。 様々な花が描かれた壁紙の部屋に寝ていたが、それらの花が、青くなって行き・・・、という話。

  三種類の植物で、三段階にレベルが上がって行き、ゼラニウムが青くなると、死ぬという仕掛け。 実際には、犯人がいますが、これまた、ヴァン・ダインの二十則に抵触しています。 そんな事は、どーでもいーと思ってたんでしょうか。 短編だから。 動機的に怪しそうなのは、夫なんですが、最も怪しそうに書いてあるのは、大抵、犯人ではないです。

  トリックは、子供騙しと言うには、ちと、高度なもの。 しかし、化学を利用したものなので、やはり、専門知識が必要で、一般読者は、「ああ、なるほど、そうなんですか」と、説明を受け入れるしかありません。


【二人の老嬢】 約40ページ

  医師(男)が語り手。 カナリア諸島に来た、二人のイギリス人女性。 海水浴場で、一人が溺れ、助けようとしたもう一人も危険になり、他の者達に救助されたが、最初に溺れた方は、助からなかった。 目撃者の証言で、助けようとしたのではなく、沈めようとしていたのではないかと疑いが出ていたが、生き残った方は、イギリスに戻ってから、自分の犯行を認める遺書を残して、入水自殺し・・・、という話。

  クリスティーさんお得意の、すりかわり物。 初期の頃から、好きだったんですねえ。 すりかわり物は、その後、長編作品で、多用されますが、本来、短編用のアイデアなのか、この長さでも、うまく嵌め込まれています。

  原題は「The Companion」で、資産家の奥さんなどの、話し相手になる職業を指します。 邦題は、「老嬢」ですが、年齢は、二人とも、40歳くらいです。 独身で、すでに若くないという事で、「老嬢」にしたのだと思いますが、今の年齢感覚だと、かなり、無理があります。


【四人の容疑者】 約36ページ

  元警視総監が語り手。 ドイツの犯罪結社に潜入して、解体に追い込み、イギリスへ逃げて来た男。 残党に報復される事を覚悟しながら、田舎に家を借り、執筆生活を送っていた。 ある時、家の中で殺されてしまい、姪、家政婦、秘書、庭師に容疑がかかるが・・・、という話。 

  同居人の中に犯人がいるのは確実で、結社の残党から、殺害の指令が来てから、実行されたのも、確実。 手紙が何通か届いていたが、その中に指令が含まれていた、というところから、文字遊びの謎になって行きます。 どうも、文字遊び物は、青臭い感じがしますが、それも、短編なら許されるか。

  マープルだけでなく、バントリー夫人も、同じ趣味を持っていたお陰で、暗号の正体に気づきます。 バントリー夫人は、【書斎の死体】にも出て来ますが、この頃には、マープルが類い稀な探偵である事を知らなかった模様。 ちなみに、【書斎の死体】が発表されるのは、1942年なので、10年も後です。


【クリスマスの悲劇】 約40ページ

  マープルが語り手。 マープルが、治療施設で知り合った、ある夫妻。 夫が、妻を殺そうとしている事を見抜いたマープルだったが、予防措置の甲斐もなく、妻が殺されてしまう。 一番乗りで現場の部屋に駆けつけたマープルは、夫が小細工をしないように注意していた。 警察が来た後、発見された時と何か違いはないか訊かれて、被っていたはずの帽子が、床に置かれている事に気づいたが・・・、という話。

  すりかえ物。 何のすりかえかは、ネタバレを避ける為に、申せません。 このトリック、2サスでは、よく見ますが、この頃、もう、使われていたんですね。 しかし、実行するとなると、他の者が殺人事件に気づいた後で、主な犯行を行なわなければならないわけで、ヒヤヒヤでしょうな。 計画犯罪ではないので、何をどうするか、細部まで詰めてはいないわけで、実際には、危険過ぎて、行なわれないか、行なっても、ボロが出て、すぐにバレてしまうのでは?

  然様に、リアリティーを欠くわけですが、それは、現実の話。 短編小説の中でなら、充分、面白いです。 化学ネタなどより、この種のトリックの方が、大概の推理小説ファンには、受けがいいと思います。


【毒草】 約36ページ

  バントリー夫人が語り手。 ある家で、庭で摘んだハーブに、毒草が混じっていた事で、家族全員が、中毒を起こし、結婚を目前にしていた若い女性が、命を落とす。 家の主は、心臓が悪く、毒草が心臓病に使われる薬の原料だった事から、犯人は、主を狙ったのが、間違えて、別の人間を殺してしまったのではないかという推理が出るが・・・、という話。

  犯人の動機が分かり難くて、それさえ分かれば、すんなり、納得が行く話。 例によって、マープルだけが、それに気づきます。 いかにも、マープルらしい推定で、何だか、嬉しくなってしまいます。

  「薬品は、たくさんの原料から、ごく僅かを抽出するものだから、原料の毒草を口にしても、そう簡単には死ぬものではない」という、医師の指摘は、勉強になります。 実際、毒キノコを食べて、中毒を起こしたニュースは、よく聞きますが、死んだという話は、あまり聞きません。


【バンガロー事件】 約34ページ

  女優が語り手。 その女優が、ある地方のホテルに滞在中、近くにあるバンガローで、その女優に化けた女が、脚本家志望の青年を呼び出し、彼の脚本を採用したいと言う。 ところが、青年は、出されたカクテルを飲んで気を失ってしまい、外で発見された時には、窃盗の疑いで、逮捕されていた。 そのバンガローは、ある女性の為に、ある人物が借りたものだったが、宝石が盗まれていて・・・、という話。

  話を披露した女優が、最初、友人の事として語り始めたのが、「彼女は」と言うべきところを、何度も、「私は」と言い間違えて、自分の身に起こった事件である事がバレてしまう、というのが、御愛嬌なのですが、ところが、これが、御愛嬌ではないんですな。 こんなところにまで、伏線を張ってあるから、クリスティーさんは、油断がならない。

  ここまでの他の作品は、語り手が、事件の結果を知っているのですが、この作品では、語り手は、結果を知らないと言い、未解決のまま、お開きになります。 しかし、マープルは、真相を見抜いていて、語り手だけに、ある忠告をします。 その後、ある事が判明し、語り始めの言い間違えの伏線が回収される仕掛け。 実に興味深い仕掛けで、「ほー! はー!」と感服します。

  とはいえ、話全体が面白いかというと、そうでもなくて、大勢の仮名が入り乱れて、誰が何をやっているのか、混乱してしまうのが、難点。 登場人物を減らして、単純な話にすれば、分かり易くなって、仕掛けのアイデアが、もっと活きたのに。


【溺死】 約44ページ

  妊娠したのに、相手の男には、婚約者がいて、結婚できないと言われた娘が、川に突き落とされて溺死する。 勢い、相手の男に容疑がかかるが、マープルが、バントリー邸に滞在している元警視総監の元を訪ねて来て、推理した真犯人の名前を書いた紙を渡し、調べてみてくれと頼む。 果たして、マープルの推理は当たっていたが・・・、という話。

  この作品だけ、語り手が、事件の経緯を思い出して語るのでなく、普通に、リアル・タイムで、ストーリーが進むのですが、なんつーかそのー・・・、こっちの方が、遥かに、緊迫感があって、面白く感じますなあ。 これまでの12作が、影絵芝居なら、この作品だけ、8K映像を見せられているような落差です。

  被害者がろくでなしで、犯人の方が善人という、2サスで、大変よくあるパターン。 海外の推理物では、あまり、使われないもの。 これをやると、【オリエント急行の殺人】のように、順法精神がある読者にとっては、釈然としない結末になるか、この作品のように、善人なのに、罰を受ける事になり、いずれによ、後味が悪くなります。



  【火曜クラブ】を、総括しますと、先に書かれた前半と、追加された後半で、レベルが違っていて、1~6話は、子供騙しのアイデアでやつけられているのに対し、7~12話では、大人向けの平均レベル以上のアイデアが奢られています。 その間に、反省と、方針変更があったんでしょうな。 更に、13話では、語り手形式までやめて、本気で、高レベルの話を書き、纏めています。 13話のせいで、統一性は崩れてしまったのですが、その13話が、最も面白いから、文句の言いようがありません。

  とにかく、前半に関しては、子供騙しですから、マープル物が好きだからといって、誉め過ぎるのは、どうかと思います。 後半と、13話に限れば、誉めても、問題なし。 特に、13話は、推理短編の手本にしてもいいくらい、ストーリーの運びが優れています。




≪死の猟犬≫

クリスティー文庫 55
早川書房 2004年2月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
小倉多加志 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短編、12作を収録。 【死の猟犬】は、コピー・ライトが、1933年になっています。 本全体のページ数は、約434ページ。 推理物は、【検察側の証人】だけで、それ以外は、オカルトっぽい話。


【死の猟犬】 約40ページ

  第一次大戦中に、ベルギーの修道院で、やって来たドイツ軍の部隊を、超能力の爆発で壊滅させた修道女がいた。 爆発の後に残った壁には、犬のような痕がついていた。 彼女は、その後、イギリスへ逃げて来て、ある医師の家に、実質的に、研究対象として住んでいた。 過去に存在した文明の幻覚を見ると言い・・・、という話。

  過去に存在した文明というのは、アトランティスや、ムーのようなもののようです。 オカルトですが、ファンタジーの要素も入っているわけだ。 この作品を読んだ時点で、この短編集は、こういうものなのだと、覚悟しなければなりません。 クリスティーさんであっても、こういう話を思いつくし、書く事もあるというわけだ。

  とはいえ、こういう類いの話と承知していれば、なかなか、面白いです。 一種の入れ子式が、本当か嘘か分からない雰囲気を盛り上げるのに、効果を上げています。 


【赤信号】 約46ページ

  危機が迫ると、赤信号が光るような予感がする青年。 精神科医である叔父や、自分の友人夫妻らと、降霊会を行ない、招かれた霊媒師から、かなり、強烈なお告げを受ける。 青年は、友人の妻に熱を上げていて、二人で逃げる事を考えていたが、叔父から、ある事を理由に反対され、口論を戦わせて、別れた後、叔父が殺されてしまう。 嫌疑は、青年にかけられ・・・、という話。

  霊媒師のお告げがある点は、オカルトですが、そこは、偶然で片付けてしまえば、推理物として、成り立っています。 主人公の青年も、相当には人をコケにした事をやろうとしており、善悪度に関しては、犯人と、五十歩百歩ですな。 もっとも、主人公は、殺人は、やりませんが。

  予感がテーマなのに、事件本体の方に、関係してこないのは、些か、羊頭狗肉。 事件に関わって来るテーマは、遺伝による殺人狂の方です。 短編なので、そんなに深く掘り下げてあるわけではありませんが。


【第四の男】 約38ページ

  列車の中で、たまたま出会った三人の男が、多重人格症について、話を始めた。 4つの人格を示した、フランス人女性の例を話していた時、その場にいた、四人目の男が、患者本人を知っていると言い出す。 その男と、多重人格の女、それに、もう一人、歌手志望の女は、同じ孤児院で育った間柄で、多重人格の女は、歌手志望の女から、奴隷のような扱いを受けていて・・・、という話。

  多重人格の女は、自殺してしまうのですが、その死に方が、変わっていて、自分の中にいた、もう一つの人格を殺そうとしたとしか思えない、というのが、怖がらせどころ。 だけど、ホラーにありがちですが、医学的な理屈をつけてしまうと、白けてしまう傾向があります。 


【ジプシー】 約24ページ

  ある青年が、予知能力がある女性から、「それは、しない方がいい」と言われた事を、ことごとく、やってしまい、ことごとく、まずい結末になる。 青年の友人が、女性を訪ねて行くと、彼女は、釣り合いの取れない男を夫にしていて、「夫の命を助ける為に、結婚した」と言う。 しかし・・・、という話。

  SFによくありますが、予知能力というのは、未来に起こる結果を見ているだけで、悪い事を予知できても、それを避ける事はできない、というのに近いです。 ただ、クりスティーさんは、そこまでは考えていなかったような感じもします。 「悪い事を避けようとして、却って、悪くしてしまった」と書いていますから。 


【ランプ】 約20ページ

  かつて、子供が餓死して、その子が立てる物音が聞こえるという、幽霊屋敷。 安い家賃に引かれて、年老いた父親と、幼い息子、他に使用人達を連れて、移って来た女性がいた。 女性には分からなかったが、父親と、息子は、子供の幽霊の存在に気づく。 子供の幽霊と遊びたがっていた息子は、肺を病んでいて・・・、という話。

  別に、子供の幽霊のせいで、病気になったわけではないので、怖いと言うより、悲しい話ですな。 女性だけが、現実的な考え方をするお陰で、幽霊に気づかなかったのが、最後になって、子供達の足音が聞こえるようになるというのも、気の毒です。 わが子を失えば、現実主義など、すっとんでしまうわけだ。


【ラジオ】 約32ページ

  ある高齢女性。 遺産相続人に指定していた甥が用意してくれたラジオから、時折り、25年前に死んだ夫の声が聞こえて来て、「もうすぐ、迎えに行く」と言う。 期日がはっきりしていたので、準備をして待っていたら、夫が訪ねて来て・・・、という話。

  梗概に書いたところまでは、ホラー。 その後、推理物になり、最終的には、皮肉な結末に導かれます。 クリスティーさんの読者なら、「甥が用意したラジオ」というところで、「25年前に死んだ夫の声」の正体が分かると思います。 分かっていても、ゾクゾクするような、巧みな書き方をしてあります。


【検察側の証人】 約46ページ

  知人である資産家の高齢女性を、遺産目当てに殺した容疑で逮捕された青年。 内縁の妻が、アリバイを証明してくれると言うのだが、弁護士が会ってみると、その女は、青年をひどく憎んでいて、法廷には、検察側の証人として出廷し、青年に不利な嘘の証言をする。 その女が青年を裏切っていた証拠を、弁護士に託した者がいて、何とか、有罪を回避しようするが・・・、という話。

  この作品は、完全に、推理物。 ドラマ化されたものを見た事があります。 イメージ作戦で、裁判の流れを、操縦しようという企み。 シンプルな話ですが、アイデアが、非常に面白いです。 ここで、ネタバレさせてしまうと、勿体ないので、この作品だけでも、読んでみる事をお薦めします。


【青い壺の謎】 約40ページ

  週末に、ゴルフ三昧の生活をしていた青年が、毎回、同じ時刻に、「助けて! 殺される!」という叫び声を聞く。 ところが、近くの家に住んでいる若い女性も、ホテルから連れて行った医師も、そんな声は聞こえないと言う。 若い女性の夢のお告げに従い、叔父が最近買った、青い壺をもって、彼女の家に行くと・・・、という話。

  ホラーっぽいだけで、オカルトではありません。 犯罪物ですが、推理物としても読めます。 推理小説ファンなら、割と早い段階で、事件の仕組みを見抜くんじゃないでしょうか。 ちょっと、ありきたりなアイデア。 ちなみに、青い壺は、明朝のものという事になっています。 青花ですかね?


【アーサー・カーマイクル卿の奇妙な事件】 約44ページ

  亡夫の後妻である、義理の母と暮らしている青年が、記憶を失い、呆けて、別人のようになった。 屋敷を訪ねて行った心理学者は、何度も、灰色の猫を見るが、他の者には、見えないらしい。 青年には、婚約者がいて、父親の遺産は、彼が受け継ぐ事になっており。。。、という話。

  これは、猫の幽霊が出るし、魔術も使われているから、確実に、ホラーですな。 しかし、あまり、怖くありません。 動機が、推理物の犯人が考えるそれそのものでして、譬えて言えば、胴体・手足が推理物で、首だけ、ホラーという感じなのです。 視点人物の心理学者だけが、猫の幽霊を見るという設定は、必然性に乏しく、些か、練りが足りないのでは?と思わせます。


【翼の呼ぶ声】 約32ページ

  裸一貫から努力して、裕福になった男。 脚のない浮浪者が奏でる曲を聞いてから、飛び立ちたい自分と、寝ていたい自分が、引き裂かれるような感覚に苦しめられ・・・、という話。

  暗い印象で、散文詩のような趣きがあります。 裕福になったせいで、それが重荷になり始めた、というのは、皮肉な話。 クリスティーさん自身も、同じような感覚に苦しめられていたのかも知れませんな。 努力の結果であっても、大きな財産を持つというのは、心の負担になるわけだ。


【最後の降霊会】 約34ページ

  評判の霊媒師である女性。 呼んだ霊を実体化させる能力があったが、降霊をすればするほど、健康を害してしまい、結婚を前に、やめる事にした。 最後に、約束していた件だけをこなそうとしたが、依頼人である、幼い子供をなくした母親は、良からぬ事を考えていて・・・、という話。

  科学的・合理的説明は、一切なし。 完全に、霊魂の分離や、霊魂の再実体化などを認めた上で、書かれている小説です。 馬鹿馬鹿しいと思ってしまえば、それまで。 私は、その口です。 特に貶す気がないのは、この作品が、あまりにも、そっち側過ぎて、自分があれこれ批評する対象ではないと思うからです。

  霊媒師も、その婚約者も、別に、悪人ではないのに、ひどい目に遭い、そのまま終わってしまうという点で、善悪バランスが取れていません。 


【S.O.S】 約38ページ

  人里離れた土地に建っている一軒家には、父親、母親、娘二人、息子一人が住んでいた。 嵐の夜に、車の故障で、一軒家を訪ねた精神病学者の青年が、案内された寝室で、埃が溜まったテーブルの上に、「S.O.S」と書かれているのを見る。 書いたのは、二人の娘のどちらかと思われた。 娘の一人は、捨て子をもらったもので、ごく最近、資産家である実の父親が、娘の存在を知り、行方を捜しているところだった・・・、という話。

  ホラーっぽいだけで、実際には、犯罪物。 推理物としても読めない事はないです。 視点人物が精神医学者である必然性は、特には、ありません。 この作品が書かれた頃、精神分析が流行っていたから、最先端分野の職業として、使い易かったんでしょうかね。



  短編集、【死の猟犬】を総括しますと、完全に推理物である【検察側の証人】は別として、他の作品ですが、ホラー・オカルトとしては、そんなに出来がいいわけではないです。 はっきり言って、ちっとも、怖くない。 ただ、それは、読み手である私が、すでに高齢で、ヒネている点が、大きく関わっていると思うので、中学生くらいの読者なら、また違った感想になるのかも知れません。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪偶人館の殺人≫が、5月26日から、28日。
≪謎のクィン氏≫が、5月29日から、6月3日。
≪火曜クラブ≫が、6月9日から、12日。
≪死の猟犬≫が、6月13日から、16日。

  短編集の総括をしている部分ですが、短編集によって、あるものと、ないものがあります。 複数のシリーズの寄せ集めの場合、総括しても意味がないので、書いていません。 

2023/08/06

読書感想文・蔵出し (105)

  読書感想文です。 クリスティー文庫が続きます。 今回、全部、トミーとタペンス物。 割と最近作られたドラマ版が、ひどい出来だったので、印象が悪くなり、当初、読まないつもりでいたんですが、冊数が少ないので、読んでみたら、ドラマほど、つまらないものではなかった、というところでしょうか。





≪NかMか≫

クリスティー文庫 48
早川書房 2004年4月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編、1作を収録。 【NかMか】は、コピー・ライトが、1941年になっています。 約409ページ。 「トミーとタペンス」シリーズの、国際スパイ物。 と言っても、イギリス国内から出ませんが。


  若い頃の冒険から、20年近くが経ち、結婚して、子供も二人いる、トミーとタペンス。 ナチス・ドイツとの戦争が迫り、国の役に立ちたいと思っているものの、歳のせいで、相手にされない。 そこへ、トミーだけが、情報局から、対独協力者を探り出す仕事を与えられる。 南海岸にある、問題のゲスト・ハウスへ向かうと、宿泊者の中に、別名で潜り込んでいるタペンスがいて・・・、という話。

  ポワロは、ほとんど、歳を取りませんし、マープルも、僅かずつしか歳を取りませんが、トミーとタペンスは、実際の年数分、歳を取ります。 推理小説ではないから、パズル的な要素が薄く、リアリティーを保つ為に、そうしたのかも知れません。 子供が、すでに大きくて、ほぼ 大人になっているというのは、些か、違和感がありますが、まあ、些か程度です。 二人とも、中年になっても、人格的には、若い頃と変わりません。

  「N」、「M」というのは、対独協力者を指す符牒。 原題は、「N or M?」で、「Nか、Mか」という意味ですが、どちらであるかは、あまり意味がありません。 「対独協力者は、Nか、Mか」ではなく、それぞれ、別の人物を指していて、つまり、二人いるわけです。 誰が、Nで、誰が、Mか、という事も、あまり 意味がないです。 元のタイトルが、内容とズレているんですな。

  スパイ捜しは、犯人捜しと同じですから、フー・ダニット物と言ってもいいんですが、誰が怪しいかを推理しながら読むのは、まず、不可能。 謎解きを読んで、「ああ、そういう事」と納得するのみです。 実際、トミーが見つける一人は、全くの偶然で、素性がバレます。 そんなの、読者に推理できるわけがないです。

  【秘密機関】同様、危ない目に遭うのは、トミーの担当でして、タペンスの方は、身に危険が及ぶ事はありません。 専ら、知識労働で、謎解き担当。 タペンスに、スマートさは感じても、他の、ノン・シリーズ長編のヒロイン達のような、逞しさを感じないのは、そのせいでしょう。 私は、そもそも、国際スパイ物も、冒険物も、好みではないから、どうでもいいのですが。

  【秘密機関】に比べると、フー・ダニット物の体裁を備えている分、推理小説ファンにも、読み易いです。 謎解きも、そこそこ、面白い。 しかし、ゾクゾク感は、ほとんど、ありません。 トミーの危難で、ゾクゾクする読者がいたら、それは、冒険アクション物が好きな人達だと思います。




≪親指のうずき≫

クリスティー文庫 49
早川書房 2004年9月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
深町眞理子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編、1作を収録。 【親指のうずき】は、コピー・ライトが、1968年になっています。 約458ページ。 「トミーとタペンス」シリーズは、国際スパイ物でしたが、この作品は、推理小説と、冒険物のハイブリッドです。


  すっかり 歳を取った、トミーと、タペンス。 高齢者施設に叔母を見舞いに行った時、タペンスが、見知らぬ高齢女性から、「暖炉の奥の壁に子供を塗り込んである」と聞かされる。 老人の戯言と思って、その場は聞き流したが、その後、叔母が他界し、その高齢女性は、施設から連れ出されてしまった。 高齢女性から叔母に送られた絵があったのだが、そこに描かれた家に見覚えがあったタペンスは、記憶を手繰って、家を探し当て・・・、という話。

  これだけでは、まだ、冒頭の内です。 連れ出されてしまった高齢女性が、危険な目に遭っているのではないかと心配して、その行方を追うというのが、全体のストーリーの流れです。 その家がある土地では、かつて、子供が何人も殺される事件が起きていて、更に、大規模な窃盗団が、何軒もの空き家をアジトにしているというモチーフが加わります。

  いずれのモチーフも、本筋に関係して来ますが、異質な物を無理に組み合わせたような、収まりの悪さを感じないでもなし。 しかし、失敗している、というほどでもないです。 1968年というと、クリスティーさんは、もう、晩年に入っていまして、ポワロ物やマープル物でも、地味なストーリー展開が普通になっていました。 それと同類の、「もたれ」が感じられるという程度の事。

  冒険をするのは、専ら、タペンスの方で、トミーも、出番は確保してあるものの、これは、冒険とは言えません。 サポートすらしておらず、行方不明になったタペンスを捜すが、見つけられず、娘から教えてもらう有様。 パッとしませんなあ。 そもそも、夫婦スパイですら、無理があったのを、夫婦探偵にしたら、もっと、無理が出てしまい、見せ場の配分が、うまく行かなかったものと思われます。

  絵に描かれた家を探す件りは、かなり、ゾクゾクします。 このゾクゾク感は、完全に推理小説のもので、スパイ物の、ハラハラ・ドキドキ感とは、全く別物。 その点でも、この作品が、推理小説の作法で作られている事が分かります。 強いて、何を探すなら、タペンスの記憶と、絵が描かれた経緯に、関係がないという事ですかねえ。 タペンスの記憶は、単に、そういう家がある景色を見た事があるというだけで、絵に纏わる過去の事件とは、何の関係もないのです。 その点、偶然が過ぎると言えば言える。

  どうも、貶す流れになってしまいましたが、国際スパイ物に比べたら、遥かに、読み応えがある作品です。 推理小説のファンで、トミタぺ・シリーズを敬遠している人でも、この作品は、読んでおいて、損はありますまい。

  ちなみに、作品名の、「親指のうずき」というのは、タペンスが、事件を察知すると、親指がうずくというところから、つけられたもの。




≪運命の裏木戸≫

クリスティー文庫 50
早川書房 2004年10月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
中村能三 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 長編、1作を収録。 【運命の裏木戸】は、コピー・ライトが、1973年になっています。 約454ページ。 「トミーとタペンス」シリーズ。 辛うじて、国際スパイ物に分類できる内容。


  75歳くらいになった、トミーと、タペンス。 古い屋敷を買い、引っ越したところ、残されていた蔵書の中から、過去に、その屋敷で、殺人事件があったという意味の暗号を読み取ってしまう。 詮索好きの血が騒ぎ、夫婦揃って、屋敷の過去の住人について、聞き取り調査を始めるが、最も事情に詳しい庭師の老人が殺されて・・・、という話。

  解説によると、クリスティーさんの、最後の作品のようです。 80歳を超えている人が書いたものとは思えないほど、みっちり書き込まれていますが、その一方で、ストーリーの構成が緩くて、一体、何を書こうとしているのか、読んでいて、分からなくなってしまうところが、ちょこちょこと出て来ます。

  まず、トミーとタペンス物を書きたいと思った。 ところが、筆を進める内に、書き慣れている推理小説的な話になってしまった。 で、やっぱり、トミーとタペンス物の、本来のジャンルで有終の美を飾りたいと思い、急ハンドルを切って、強引に、国際スパイ物に持って行った。 下司の勘繰りとしては、そんなところでしょうか。

  買った家に残っていた本の中から、暗号を読み取ってしまう出だしは、作者の年齢を感じさせないくらい、優れていると思います。 問題は、その後でして、何せ、とっくに死んだ人が遺した暗号なので、関係者は、みな他界しており、聞き取りをすると言っても、昔話の、また聞きの、また聞きみたいな、いい加減な情報が多い。 推理物で、いい加減な情報が羅列されると、どれを信じていいのか分からず、読者は、困ってしまうんですわ。

  玩具の木馬の腹の中から、昔の文書が出てくる件りは、コリン・デクスターさんの、≪オックスフォード運河の殺人≫を思わせるところがありますが、そちらは、1989年の作なので、こちらの方が、ずっと早いです。 デクスターさんは、当然、クリスティー作品を読んでいたんでしょうな。

  それ以外には、印象に残る場面がないですねえ。 新たに、殺人事件と狙撃事件が起こるので、犯人はいるんですが、逮捕場面が、遠回しに描き方になっているせいで、しゃっきりしません。 劇的な逮捕場面を考えるのが、億劫になってしまったのかも知れませんな。 飼い犬が活躍するものの、犬が主人公の話ではないから、どうも、ピントがズレているような感じが拭えません。

  最後に、諜報機関の大物の口を借りて、犯人の素性や、昔の事件の裏事情を語らせ、国際スパイ物に仕立てているわけですが、無理やり感が強いですねえ。 諜報機関の面々ですが、そんなに、何でもかんでも、分かっているのなら、殺人が起こる前に、止めればいいのに。 無能を曝け出しているのでは?

  全編を通じて、「こんな瑣末な事に、何行も使う意味があるのか?」と思うような、ダラダラした書き方が特徴的で、独特の味わいがあるのも事実ですが、悪く言えば、締りがないです。 偉大な作家の最終作に、この感想は、酷か・・・。




≪おしどり探偵≫

クリスティー文庫 52
早川書房 2004年4月15日/初版
アガサ・クリスティー 著
坂口玲子 訳

  沼津図書館にあった文庫本です。 短編、15作を収録。 【おしどり探偵】は、コピー・ライトが、1929年になっています。 本全体のページ数は、約434ページ。


【アパートの妖精】 約14ページ

  結婚生活に退屈していたトミーとタペンス。 情報機関のお偉方に要請されて、ある探偵事務所に居抜きで入り、探偵業を始める。

  この回は、プロローグで、何が起こるわけでもありません。 タイトルは、晩年に、妖精の研究に没頭していた コナン・ドイルに因んだもの。


【お茶をどうぞ】 約22ページ

  探偵事務所を始めたものの、なかなか、依頼人が来ずに、暇を持て余していた、トミーとタペンス。 そこへ、失踪した彼女を探して欲しいと言う青年が飛び込んで来る。 24時間以内に解決すると大見得を切ったタペンスだったが・・・、という話。

  この回も、まだ、事件は起こりません。 しかし、事件もどきが起こります。 短編だと思って油断していると、「あっ!」と驚かされます。 さすが、タペンス、というか、さすが、クリスティーさん。 この回は、シャーロック・ホームズ物のオマージュが盛り込まれています。


【桃色真珠紛失事件】 約32ページ

  24時間以内に解決するという宣伝文句を信じて、探偵事務所に やって来た依頼人。 屋敷で、貴重な真珠が、枠だけ残して、奪われる事件が起こったという。 トミーとタペンスが乗り込んで行き、24時間以内に解決する話。

  法医学者の探偵、ソーンダイク博士物のオマージュ作品。 たまたま、写真術に凝っていたトミーが解決します。 タペンスは、珍しく、活躍の場面がありません。


【怪しい来訪者】 約30ページ

  「何者かに家捜しをされた形跡があるから、一緒に張り込んで欲しい」と、依頼されて、引き受けたトミー。 その直後に、警察関係者がやって来て、「その話は、あなたを おびき出し、探偵事務所を留守にさせる為の罠だから、逆に、探偵事務所で張り込んで、犯人を捕まえよう」と持ちかける。 その通りにしたトミーだったが・・・、という話。

  この回も、何かの作品のオマージュになっていますが、元ネタを知らないので、どう面白いのか、分かりません。 ストーリーの方は、ドンデン返し物で、推理小説より、冒険小説で使われる事が多いもの。 既視感が強く、楽しめるというレベルではないです。 窮地に陥ったトミーを、タペンスが助けるのは、トミ・タペ・シリーズらしい展開です。


【キングを出し抜く】 約30ページ

  新聞で、謎めいた通信を見つけた、トミーとタペンス。 仮装して、ある店の舞踏会場へ出かけて行くと、個室の一つで、女性が刺されているのを発見する。 最期に、犯人の名前を告げて、彼女は死んでしまった。 その名前の主は、彼女が夫と住む家に同居している夫の友人で、夫は、友人が犯人である事を、頑強に否定したが・・、という話。

  クリスティーさんお得意の、なりすまし物。 今でも、2サスのトリックで、こういうものが使われる事があります。 登場人物が少ないので、フー・ダニットにはなりようがなく、犯人を当てられる読者も少なくないと思います。 


【婦人失踪事件】 約26ページ

  太った女と、太った犬が嫌いだという、北極探検家の男。 探検に出て、予定より、2週間 早く、ロンドンに帰って来たら、婚約者の女性が行方不明になっていた。 捜索を引き受けたトミーとタペンスは、僅かな手がかりから、推理を働かせて、失踪女性の元に辿り着くが・・・、という話。

  僅かな手がかりというのは、失踪女性が打った電報の発信地の名前でして、州名が付加されるのは、同じ名前の土地が、別の州にある場合だけだと、気づくわけです。 この作品の面白さは、そこに尽きます。

  オチがある話でして、「なるほど、そういう事もあるか」と思うか、「馬鹿馬鹿しい」と感じるかは、人によりけりでしょう。 私は、こういう軽いオチは、好きな方ですけど。


【目隠しごっこ】 約24ページ

  閑な時間を、探偵術のトレーニングに使おうと、両目を塞ぐ眼帯をして、盲人探偵の真似を始めた、トミー。 タペンスと共に、昼食に出かけた店で、公爵を名乗る男から依頼を受け、盲人のまま、その男の家へ連れて行かれるが、実は・・・、という話。

  推理物ではなく、 冒険アクション物。 冒険アクションは、長編だと、嘘臭さというか、フィクション性が際立ってしまいますが、短編だと、そういう欠点が分からない内に終わるから、そこそこ、楽しめますねえ。 些か、トミーの用意が良過ぎるような気がせんでもないですが。 タペンスは、この作品では、サポート役。


【霧の中の男】 約32ページ

  トミーが、有名な女優から、相談の依頼を受け、タペンスと二人で、女優が滞在している家へ向かう。 霧の中で、警官の幽霊が出たかと思いきや、本物の警官で、彼に教えられた家まで来ると、取り乱した青年が玄関から出て行くのを目撃する。 家の中では、女優が殺されていて・・・、という話。

  ヴァン・ダインの二十則に抵触していますが、この程度なら、アンフェア扱いされないでしょう。 そもそも、短編だし。 登場人物が少な過ぎて、割と簡単に、犯人が分かってしまいます。 犯人の職業も然る事ながら、犯人と被害者の関係には、ハッとさせられます。


【パリパリ屋】 約28ページ

  警察から、贋札一味の根城に潜入する捜査を依頼されたトミーとタペンス。 贋札工場をつきとめたトミーが、扉に×印を付けた上で、中に入ると、悪人達に囲まれてしまう。 ×印は気づかれて、他の家の扉にも同じ印をつけられてしまった。 なぜか、贋札作りの家の周囲には、猫が集まっていて・・・、という話。

  扉に×印というのは、【アリババと40人の盗賊】ですな。 クリスティーさんが、古典のモチーフを、そのまま使うわけはなく、もう、一捻りしてあります。 ちょっと、シンプル過ぎて、肩透かしを覚えてしまう話。


【サニングデールの謎】 約26ページ

  ゴルフ場で男が殺された事件が、世間を騒がせていた。 レストランに食事に来ていた トミーとタペンスが、その場から一歩も動く事なく、新聞記事の情報だけで、謎を解いてしまう話。

  いわゆる、揺り椅子探偵物です。 ゴルフ場の事件の方は、被害者のゴルフの腕前が、途中から、急に下手になったというところから、すりかわりを疑う、というもの。 やはり、基本的過ぎて、肩透かしを覚えますが、全体のバランスはいいです。


【死のひそむ家】 約36ページ

  送られて来たチョコレートに毒を盛られて、屋敷の中に送り主がいるらしい事に気づいた若い女性が、捜査依頼に来る。 トミーとタペンスが、屋敷に乗り込んで行こうとした矢先、食事に盛られた毒で、依頼者を含む数人が死に、一人が辛うじて生き残った事を知る。 屋敷に赴いて、捜査を始めると、医学書を自室に置いていた者がいて・・・、という話。

  これは、今では使われませんが、毒物物としては、よくあるモチーフを使っています。 ある条件の違いで、同じ毒を飲んでも、死ぬ人と、死なない人がいるわけですな。 依頼人が死んでしまうのは、短編としては、ちと、残念過ぎるでしょうか。


【鉄壁のアリバイ】 約36ページ

  好きになったオーストラリア人女性から、アリバイ崩しの謎解きを挑まれた青年が、トミーとタペンスの事務所に依頼して来る。 その女性が、同じ時刻に、遠く離れた二つの場所にいたというのだが、証人に聞き込みをすればするほど、誰も嘘をついているようには思えず・・・、という話。

  これは、ネタバレさせる価値もないほどの、古典的なモチーフを使っています。 女性が、オーストラリア人で、身元を調べるのに、手間がかかるというのが、話の味噌。 この短編シリーズ、斬新なアイデアで読者を魅了しようなどというつもりは全くなくて、トミーとタペンスを、探偵小説の古典的モチーフの中で動かして見せただけ、という感じですねえ。


【牧師の娘】 約32ページ

  伯母から遺産を受け継いだ、牧師の娘。 伯母は、資産家だと聞いていたが、いざ 相続してみると、屋敷以外には、財産がほとんど、残っていなかった。 その屋敷を買いたいと、しつこく言って来る者がいて、断ったところ、屋敷内でポルターガイスト現象が起こり始め・・・、という話。

  屋敷内のどこかに、財産が隠してあると知って、屋敷ごと買い取ろうとしたわけだ。 で、トミーとタペンスの仕事は、屋敷内での、宝探しになります。 暗号の解読も含まれていて、古典的な割には、結構、面白いです。 いや、古典的だからこそ、面白いと感じるのかも知れませんが。


【大使の靴】 約32ページ

  帰国した大使が、下船する時に、鞄を間違えられたが、その後、無事に戻って来た。 ところが、後から、間違えた相手に訊くと、そんな事実はなく、鞄の事など、一切知らないと言われてしまった。 トミーが新聞に出した尋ね人に応じて、鞄の入れ違えの時に、そこにいた女性が現れ、水に濡れると浮き出る紙に書かれた港湾地図を見つけたと言うが、そこへ、暴力上等の男が殴り込んで来て・・・、という話。

  地図の内容には意味がなく、トミーと女性が、警察に、地図を届けに行く道程で、捕り物劇が繰り広げられ、それが最大の見せ場になっています。 推理物というよりは、冒険アクション物。 召し使いの少年、アルバートが活躍します。 ちょっと、ピントが外れていますが、そこが、この少年のご愛嬌なところ。


【16号だった男】 約34ページ

  そもそも、トミーとタペンスが探偵事務所を始めるきっかけになった、ソ連の情報員、16号が、事務所にやって来る。 テキトーに話を合わせ、タペンスが、16号に連れられて、ホテルへ食事に行くが、16号の部屋とは別の部屋に入った後、二人とも、姿を消してしまう。 トミーや、情報局の者達、アルバートらが、躍起になって、二人の行方を捜す話。

  タペンスをどこに隠したか、という話。 割と、つまらない所に隠されています。 毎回、他の作家の作り出した探偵を真似て来た二人ですが、この回では、トミーが、とうとう、ポワロになり、灰色の脳細胞を使います。



  総括しますと、推理物の短編集としては、一回一回は、そんなに面白いものではないです。 他の作家が作った探偵のオマージュというか、パロディーというか、そちらの方が、主な目的のように感じられます。 クリスティーさんが積極的に書きたかったのではなく、編集者から、「アイデアは、古典モチーフのパクリでいいから、トミ・タペ主役で、軽い推理物の短編シリーズを書いてくれ」と頼まれたのかも知れませんな。




  以上、四冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪NかMか≫が、4月28日から、30日。
≪親指のうずき≫が、5月5日から、7日。
≪運命の裏木戸≫が、5月13日から、16日。
≪おしどり探偵≫が、5月17日から、20日。

  まったく、他短編集の感想は、きつい。 しんどい。 書く方だけでなく、読む方も、つらいと思います。 申し訳ない。 他の人が書いた感想も、読む事があるのですが、小説を読んだ直後だから、何を言っているか分かるのであって、時間が経ってからとか、まだ、読む前とか、そういうタイミングで、感想だけ読んでも、何がなにやら、さっぱり、分からないのではないかと思います。