2024/02/25

EN125-2Aでプチ・ツーリング (53)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、53回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2024年1月分。





【沼津市久連・消防団第16分団】

  2024年1月4日。 沼津市・久連にある、「消防団・第16分団」へ行って来ました。 「久連」は、「くづら」と読みます。 そこそこ、大きな集落。 住宅地図では、同じ久連に、「消防団・第27分団」というのが出ていて、そちらにも行ったのですが、建物はあったものの、看板が変わっていました。

≪写真1≫
  第16分団の建物。 一般住宅の木造軸組み工法で造られた建物に、消防車を入れる空間を設け、シャッターを付けたもの。 シャッターは、二面あります。 外階段もあり、実用性は高そうです。

≪写真2左≫
  建物の側面に掲示してあった、「久連消防団水利案内図」。 地図ですが、各戸に、屋号らしきマークが付いています。 河内にも、同じような図がありました。

≪写真2右≫
  こちらは、正面に立っている、掲示板。 向かって左側が、ホワイト・ボードになっていて、日付と、何かの当番らしきものが書き込んであります。 ここでも、屋号マークが使われています。 これは、他所では、想像もできない習慣ですな。

≪写真3左≫
  住宅地図に、「消防団・第27分団」とある建物。 看板が、「久連自主防災」になっていました。 シャッターがあるから、かつては、消防車が入っていたんでしょう。

≪写真3右≫
  「久連自主防災」の、すぐ隣に、「久連神社」の参道鳥居がありました。 向こうに見える小山の上に、神社があります。

≪写真4≫
  久連から、少し戻った所で、北の方を見ました。 富士山が良く見えます。 些か、遠いですが、山の形はいいですな。 富士山は、南の方から見ると、左右対称度が高いです。 色の違いで、手前に横たわる愛鷹山の稜線が分かるでしょうか。 太古には、富士山と同じような、大きな積層火山だったのです。




【沼津市大平・消防団第29分団】

  2024年1月12日。 沼津市・大平にある、「消防団・第29分団」へ行って来ました。 8日に、クラッチ・ワイヤー切れをやらかし、家まで押して帰って、すぐに、アマゾンに注文し、10日に交換しました。 12日に、試運転と給油を兼ねて出かけ、すぐ近くにある、第29分団に寄った次第。

≪写真1左≫
  大平地区は、山と川に囲まれた盆地でして、集落は、山際と、川際にあります。 お盆の中は、ほとんど、水田。 この分団は、水田の中にある小山の脇にあります。 今風の、立方体の二階家。

≪写真1右≫
  斜め後ろから。 背後に、物置があります。

≪写真2≫
  シャッター絵は、浮世絵、もしくは、浮世絵風。 「東海道五拾三次 沼津」とありますが、よく知られている、広重の絵ではないです。 ちなみに、大平からは、沼津アルプスが邪魔をして、富士山は見えません。

≪写真3≫
  すぐ横を、新しい道が通っています。 大平トンネル(沼津アルプス・トンネル)へ繋がっています。 私は、バイクでは、一度も通った事がありません。

≪写真4左≫
  新しい道路の歩道の外側に並んでいた、反射板。 こういうタイプは、初めて見ました。 歩道の横が斜面になっているので、落ちないように、設置してあるのでしょう。 なぜ、欄干にしなかったのか、不思議。 予算の関係でしょうか。

≪写真4右≫
  建物前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 クラッチ・ワイヤー交換後の試運転ですが、クラッチの機能は、問題なし。 レバーの重さも、感じません。 離合点が、遠くなりましたが、走行中のシフトでは、遠い方が、レバーを動かす距離が少なくなるので、好都合とも言えます。 レバーを完全に握った状態から、クラッチを繋げるまでが遠いわけですが、発進の時だけ、気をつけていれば、問題なし。 その内、慣れるでしょう。




【沼津市平沢・消防団第17分団】

  2024年1月15日。 沼津市の、西浦・平沢にある、「消防団・第17分団」へ行って来ました。 海岸線を通る幹線道路の、海側にあります。

≪写真1≫
  今風の、立方体・二階建ての、分団建物。 火の見櫓は、ありません。

  左の、カーブ・ミラーの横に、富士山が見えます。

≪写真2左≫
  シャッター絵は、纏を持った子供火消しの絵ですが、色が褪せてしまっていたので、全体の写真は出しません。 これは、一部。 狸ですかね? このタッチは、素人ではなく、プロのイラストレーターに依頼したのでは?

≪写真2右≫
  建物の横。 コンクリート面に、「洗車場」とあるのは、初めて見ました。 その向こう、囲み斜線になっている所は、「駐車禁止」。

≪写真3左≫
  建物側面に掲示してあった、「平沢区消防水利図」。 地図に、消火栓や消火器の位置が記されています。 各戸は、屋号マークで表示されています。 西浦では、そちらが普通のようです。

≪写真3右≫
  「津波ハザードマップ (西浦平沢)」。 火事だけでなく、地震や津波でも、消防は活動するわけですな。 もっとも、分団の場合、分団員である前に、一般人ですから、大災害の時には、他人より、家族を優先した方がいいと思いますが。 家族を見捨てて、他人を助けて、他人から感謝されたり、誉められたりしても、人生トータルで見れば、マイナスでしょう。

≪写真4左≫
  建物を、斜め後ろから。 背面側に、物置があります。 物置の出入り口は、向こう側。

≪写真4右≫
  道路を挟んで、筋向いにある、「平沢公民館」。 西浦の公民館は、どこも、大きくて、立派です。 他の地区では、町内ごとに、小ぶりの「自治会館」がありますが、西浦では、町内ではなく、地区ごとに設けているから、大きな建物になるんじゃないかと思います。

≪写真5≫
  分団の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 クラッチ・ワイヤー交換後、初めての、遠出でしたが、案ずるより産むが易し。 無事に行って来れました。 

  レバー根元のアジャスターを、少しきつくしてから出かけたら、レバーが重くなってしまったので、途中で停車して、緩めました。 レバー側のアジャスターは、指だけで、回せるのです。




【沼津市立保・消防団第17分団立保支部】

  平沢の、「消防団・第17分団」を見た後、一つ先の集落まで脚を延ばし、西浦・立保の、「消防団・第17分団立保支部」まで行きました。 「立保」は、「たちぼ」と読みます。

≪写真1≫
  第17分団・立保支部の建物。 ほぼ、総二階。 シャッター絵は、なし。 代わりに、大きな赤い文字で、「火の用心」とあります。

≪写真2左≫
  斜め後ろから。 木造軸組みではあるものの、極力、直方体の今風分団建物に近づけようという、設計者の意図が感じられます。 背面に、外階段、あり。

≪写真2右≫
  建物側面に掲示してあった、「立保区水利図」。 ここでも、各戸は、屋号マークで表示されています。

  左側に立っている、津波避難経路の標識は、日本語、英語、中国語、韓国朝鮮語で書かれています。

≪写真3≫
  分団の前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 クラッチ・ワイヤーが直って、本当に良かった。 いつまでも、交換部品が売っていないかもしれないから、もう一本、買っておこうかとも思ったのですが、次に切れる前に、私が、バイクをやめる可能性が高く、無駄金になってしまうのも、勿体ないので、やめておきました。

≪写真4≫
  少し、東へ戻った所で、北の方を見ました。 富士山が、よく見えます。 贅沢な景色ですな。




【沼津市古宇・消防団第18分団】

  2024年1月23日。 沼津市・西浦・古宇にある、「消防団・第18分団」へ行って来ました。 「古宇」は、「こう」と読みます。 遠かったですが、それでも、地図で見ると、まだ、西浦の真ん中くらいです。

≪写真1≫
  切り妻屋根が載っていますが、それは、土蔵を模しているからで、建物は、ごく新しい物。 この場所、古宇の中心部より、だいぶ、内陸に入った所でして、周囲の家は、疎らです。

≪写真2≫
  シャッター絵。 これは、以前の分団建物の絵ですな。 こういう記憶の継承方法もあるわけだ。 アイデアですなあ。

≪写真3左≫
  建物を、斜め後ろから。 こちら側は、窓が少なくて、反対側面に、多くあります。 方角は、どちらがどちらなのか、分かりません。

≪写真3右≫
  ≪写真1≫にも、ガード・レールが写っていますが、すぐ後ろにある、「古宇橋」です。 当然、川があります。 どうも、西浦の集落は、川がある谷間に造られたようですな。 

≪写真4≫
  建物前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 風が強い日で、バイクが倒れないかと、ヒヤヒヤでした。 ちなみに、125ccですが、重量は、112キロあります。 足場がしっかりしていれば、まず、倒れるような事はないと思いますが、絶対 大丈夫とは言い切れません。




【沼津市古宇・消防団第28分団機具置場】

  消防団・第18分団を見た後、古宇の中心部に戻り、住宅地図に、「消防団第28分団機具置場」とある場所を見ました。

≪写真上≫
  以前の、分団建物なのかもしれません。 シャッターではなく、両開きの引き戸になっています。 火の見櫓があるからか、こちらの方が、分団っぽいですな。 現地の建物には、名称が書いてありませんでした。

≪写真中≫
  道路を挟んで、向かい側にある、「古宇公民館」。 この建物の左に、神明神社があり、2022年9月5日に、来ています。 西浦で、EN125-2Aで来たのは、ここが、最遠地。

≪写真下左≫
  機具置場の建物の壁に掲示してあった、「古宇区水利図」。 「平成28年3月」とあります。 かなり、詳細なもの。 ここでも、各戸は、屋号マークで記されています。 この図にも、この建物の名前は書いてありません。 第18分団の方は、「詰所」となっています。

≪写真下右≫
  海岸線を、少し戻った所で、北の方を見ました。 富士山が、真っ白。 平地で雨が降ると、富士山では、雪になります。 冬だからといって、常に真っ白というわけではありません。

  この日は、風はあるわ、寒いわで、遠出は、大変でした。 体が強張って、運転が怪しいので、後ろから車が来たら、路肩によって停まり、先に行かせました。 趣味のツーリングで、死ぬ気はないです。




【沼津市足保・消防団第18分団足保】

  2024年1月29日。 沼津市の、西浦・足保(あしぼ)にある、「消防団・第18分団足保」へ行って来ました。 第18分団は、古宇にあり、ここは、支部ですが、現在の名称からは、「支部」が、除かれています。

≪写真1≫
  建物正面。 平屋です。 看板部分の名前は、元が、「第18分団足保支部」だったのが、「保支部」が消されて、「保」が書き直され、「第18分団足保」になっています。 どういう経緯でこうなったのか、興味が湧くところですな。

≪写真2≫
  背面から。 一般住宅用の、木造軸組み工法。 シャッターが、側面にも付いています。

≪写真3左≫
  看板部分の裏側。 和風建築を、ビル風に見せる、「看板建築」になっています。

≪写真3右≫
  建物側面に掲示してあった、「沼津市西浦足保水利案内図」。 詳細な地図。 ここでも、各戸は、屋号マークで表されています。

≪写真4左≫
  建物側面に掛けてあった物体。 たぶん、担架だと思います。 布の代わりに、網が張ってあります。 布だと、屋外では、もちませんが、網なら、もつのでしょう。 さすが、漁村、というアイデア。

≪写真4右≫
  隣が、児童公園になっていて、そこに、火の見櫓が立っています。 この写真では見えませんが、上には、半鐘が吊るされています。 公園の右手上には、神社があるようです。




【沼津市久料・消防団第19分団久料・同機具置場 / 江梨・消防団第19分団】

  2024年1月29日。 「消防団・第18分団足保」へ行った後、先に進み、久料(くりょう)の、「消防団・第19分団久料」と、「同機具置場」。 更に脚を伸ばし、江梨(えなし)の、「消防団・第19分団」まで、行きました。

≪写真1左≫
  第19分団久料の建物。 火の見櫓、あり。

≪写真1右≫
  建物の背面。 これは、建物というより、物置などの小屋の造りですな。 詰所を兼ねていないのなら、これで充分だと思います。

≪写真2左≫
  建物の正面に掲示してあった、「沼津市西浦久料区 水利図」。 詳細なもの。 各戸の表示は、屋号マークと、氏名の混合。

≪写真2中≫
  少し、坂を登った所にある、「機具置場」。 墓地の一角に造られています。 ここも、小屋という感じ。

≪写真2右≫
  機具置場の、表札。 「第 十九分団久料 機具置場」となっています。 「二十九」の、「二」を消して、「十九」にしてあります。 住宅地図には、「第29分団」とあり、かつては、そういう番号だったのでしょう。

≪写真3左≫
  江梨の、第19分団の建物。 幹線道路の海側にあります。 第19分団は、こちらが、本拠地で、久料の方は、支部なのではないかと思いますが、足保同様、名前に、「支部」が入っていないのは、江梨とは、組織が別になっているからかもしれません。

  だいぶ、くたびれた建物です。 一階は、鉄骨コンクリート。 その上に、木造軸組みの二階が載っています。

≪写真3右≫
  背面から。 海が、すぐそこなので、潮風で、ヤレが早いんでしょうな。

≪写真4左≫
  建物側面に掲示してあった、「江梨区 水利図(消防用)」。 各戸表示は、ローマ字・数字の組み合わせと、屋号マーク。

≪写真4右≫
  その隣にあった、これも同じく、「江梨区 水利図(消防用)」。 各戸表示は、ローマ字・数字の組み合わせと、氏名。

  家に戻ってから、住宅地図を確認していて、気付いたのですが、江梨には、内陸の方に、もう一ヵ所、分団建物があり、ストリート・ビューで見ると、そちらは、新しくて、シャッター絵もある様子。 行く前に気付かなかったのが、残念至極。 遠過ぎて、すぐに、また行くというわけには行きません。

≪写真5≫
  建物前に停めた、EN125-2A・鋭爽。 良く走ってくれた。

  江梨は、西浦の、最も西側にある集落で、大瀬崎(おせざき)の、一つ手前です。 うちから、遠い遠い! 往復で、46キロ。 時間は、1時間45分もかかりました。 体力的に、もう勘弁して欲しい距離ですな。 江梨の、もう一つの分団建物を見に行くのは、いつになるか、予定も立てられません。





  今回は、ここまで。

  出かけた数、5回。 組み写真の数、8枚。 いやあ、久しぶりに、数が増えてしまいました。 西浦の分団は、番号ごとに、建物1ヵ所ではなく、集落ごとに、詰所や機具置場がある上、うちから遠いので、一度に、何ヵ所か回らねばならず、写真が多くなるのです。

  実は、もう1回、出かけているんですが、その時は、ガソリン・スタンドへ行く途中で、クラッチ・ワイヤーが切れてしまい、押して、家まで戻ったのです。 ワイヤーを交換して、その週の内に、出かけ直した次第。 クラッチ・ワイヤー交換の記事もあって、それは、来月の第2週に、他の補修記事と一緒に、紹介する予定です。

2024/02/18

実話風小説 (25) 【雨具店の娘】

  「実話風小説」の25作目です。 12月下旬後半に書いたもの。 短い話にしようと、努力はしているんですが、どうしても、長くなってしまいます。 申し訳ない。




【雨具店の娘】

  女Aは、現在、30代後半の女性である。 独身で、地方都市の賃貸マンションに、一人暮らしをしている。 郷里に両親が健在だが、兄夫婦と同居しており、Aは、盆暮に帰省して、夕食だけ食べて、日帰りするくらいの関わりだった。 

  40歳近くになるまで、独身なのには、わけがある。 26歳の時に、婚約寸前まで行った男性と、別れていて、それ以来、恋愛が苦手になっていたのだ。

  別れたのには、わけがある。 ある人物から、「うまくいかないだろう」と言われたのである。 大学時代に、学生寮の同室だった、女Bである。 Bは、変わり者で、友人は作らず、Aとも、共同生活に必要な、最低限の打ち合わせくらいしかしなかった。 世間話も、滅多にしない。 生活態度は、至って真面目で、食事当番や、掃除当番などは、きちっとやった。 友人がいないから、突然、用事が出来て、当番をスッポかす事もなかった。

  Aは、Bの事を、面白みのない女だと思っていたが、社会人になってから、別の女友達と同居してみて、その我が儘放題ぶりに、さんざん振り回され、Bが、いかに、ありがたい同居人であったかを、思い知る事になった。 夫婦や親子が、正にそうだが、同居人というのは、別に、心を割って何でも相談できる相手である必要はないのだ。 そんな事より、当番を守り、きちんと家事をこなしてくれる人間の方が、遥かに、頼りになるのである。

  A自身、どちらかというと、だらしがない方で、親元にいる時には、全て、母親任せで、やってもらっていた。 Bと暮らしていた時には、対抗心から、Bと同じ分量の家事をこなしていたが、それは、Bから、いい影響を受けていたという事なのだろう。 社会人になってからは、また、だらしがない性格に戻ってしまった。

  Aは、大学卒業後、ある地方都市の企業に勤めた。 特に有能というわけではないが、格別、無能というわけでもない。 平均的に、仕事をするだけ。 出世意欲はなくて、給与・賞与さえもらっていれば、特に不満はない、という生活だった。

  一方、Bは、大学卒業後、実家の雨具店を継ぐ事になった。 父親が、脳卒中をやって、不自由な体になってしまい、母親一人で、介助と店をこなすのは厳しいというので、呼び戻されたのである。 Bは、成績優秀で、指導教授から、大学院へ進むように、強く薦められていたのだが、当人は、そんな欲はなかったようで、涼しい顔で、実家へ戻ってしまった。


  さて、26歳のAである。 同じ会社の別部署で働く、28歳の男Cと、交際が始まったのが、半年前。 ほぼ、毎週末に、一緒に遊びに行くようになり、平日の夜にも、食事に行くようになり、いずれ、結婚する事になるだろうと、本人たちも、周囲の者たちも、思っていた。 Aにしてみると、年齢的に考えて、求婚されて、断る理由はなかった。 しかし、そういう時期というのは、心が揺れ動くもので、断る理由を、わざわざ、探したりするものである。 人生の方向性が決まってしまうのを、恐れるからであろうか。

  そんな、ある時、Aは、ふっと、思いついた。

「もし、Bだったら、Cについて、何と言うだろう?」

  Bを思い出したのには、わけがある。 一緒に暮らしていた大学時代の事だが、滅多に話をしないBが、珍しく、自分から、話し始めた事があった。 ある雨の宵の事。 二人で、近所のスーパーへ食料品の買い出しに行った帰り、同じ学生寮の別室に住む、女Dが、寮の玄関で、庇の下に立っているのを見かけた。 訊くと、彼氏と待ち合わせだと言う。

  すぐに、エンジン音がして、Dの彼氏らしい男が、玄関前に、オートバイを停めた。 AとBは、ちらっと、彼氏を見たが、Dとは、親しいわけではなく、紹介されたりすると、お互い、面倒だと思って、そのまま、中に入った。 ちなみに、Dの彼氏は、寮の駐輪場にオートバイを置き、Dと二人で、傘をさして、出かけて行った。

  部屋に戻ると、Aは言った。

「雨降ってるのに、お盛んだよね」
「うん」
「でも、ちょっと、羨ましいね」
「うぅん」

  Bの答えは、「うん」と、「ううん」の中間くらいの長さだった。 Aは、訊き直した。 

「ううん?」
「うん」
「どっちなの?」
「別に、羨ましくはないって事。 ああいうタイプの男ならね」

  Bが、男の品定めをするのは、珍しいというより、初めて聞いた。 Aは、俄然、興味を掻き立てられた。

「なになに? Dの彼氏の事、知ってるの?」
「知らない」
「じゃあ、どうして、分かるの?」

  Bは、ぼそりと言った。

「合羽を着てたでしょ」
「うん」
「合羽の上から、デイ・パックを背負ってたでしょ」
「うんうん」
「デイ・パックは、びしょ濡れだったでしょ」
「それが?」
「合羽の中に背負えば、デイ・パックを濡らさないで済むのに、そうしないのは、カッコつけようっていう、見栄っ張りな証拠。 合理的な判断より、見栄を優先するようじゃ、先々、ろくな大人にならないでしょ。 たぶん、歳を重ねるごとに、見栄っ張りの度が増して行くと思うね」
「ああ~、なるほど・・・」

  「なるほど」と言ったもの、Aは、Bの言葉を真に受けたわけではない。 Bが、キャラに似合わない、男話なんかし始めたので、一通り、聞いてみただけだった。 デイ・パックを、合羽の中に背負うか、外に背負うか、そんな事で、人間の中身が分かるとは、思えなかった。

  その件は、すっかり、忘れていたのだが、社会人になってから、たまたま、Dと会う事があり、その後、オートバイの彼氏と、どうなったのか訊いてみたところ・・・、

「オートバイの彼氏? ああ、アレ。 別れた別れた! ダーメだ、あんな男! 学生の頃から、ブランド物ばっかり買っちゃって、親からの仕送り以外に、バイトもしてたくせに、お金のゆとりが、全然ないの。 あたしに、タカって来んだよ。 就職先も、有名なところばっか受けて、落ちまくって、カッコがつかなくなって、地元へ帰っちゃった」
「・・・・・」
「深い関係にならなくて、良かった。 あんたも、見栄っ張りな男には、気をつけなよ」

  おっと、ビックリ! Bの読んだ通りになったではないか。 その時点で、Bとは、3年も会っていなかった。 Bの実家がある地方都市は、電車で30分くらいで、行こうと思えば、すぐ行ける距離だが、ただ単に、Dの彼氏の話をする為だけに訪ねて行くほど、親しい仲ではなかった。 合理的なBの事だから、その程度の用事で訪ねて行くと、迷惑がられる恐れもあった。


  さて、26歳のAである。 男Cと交際中で、いつプロポーズされてもおかしくない状況にいる、Aである。 

「もし、Bだったら、Cについて、何と言うだろう?」

  一旦、それを思いつくと、気になって気になって、夜も眠れないという状態になった。 Bを訪ねて行くのは簡単だ。 雨具店だから、土日は、店にいるだろう。 そんなに混んでいるわけがないから、少し、話をするくらいは、自然にできるはずだ。 しかし、どうやって、Cの為人を説明するのだ? 写真を見せる? そんなんでは、人格まで分からないだろう。

  A自身、痘痕も笑窪で、間近で見ていても、Cがどんな人間か分からなくなっているのだ。 況や、Cに会った事もないBに、どうやって伝える? C本人を連れて行く? それは、不自然だ。 彼氏を自慢しに来たと思われるのは、避けたい。 知的なBに、軽蔑されに行くようなものではないか。

  あれこれ悩んだが、いい考えが浮かばないので、とりあえず、一度、会いに行ってみる事にした。 Cの話は、次の機会でもいい事だし。


  年賀状をやりとりしていたので、Bの実家の住所は分かっていた。 年賀状と言っても、店の宣伝用に印刷したものである。 傘のイラストは変わらず、文字だけ年毎に変わって、「濡れていいのは、春雨だけ」とか、「健康の為、雨に濡れるのは避けましょう」といった、ちょっと古臭いというか、押し付けがましいというか、そんな文句が書いてあった。 おそらく、印刷部分は、Bではなく、両親のどちらかが考えているのだろう。

  Aから出す年賀状は、裏面を手書きしていて、それとバランスを取るつもりなのか、Bからの年賀状には、余白に、Bの筆跡で、「元気です。 何とか、やってます」といった短い文が、書いてあった。

  地方都市Z市は、人口、15万人。 都会の衛星都市なので、住宅は多く、電車通勤している人たちが、駅前の商店街を利用する。 Bの実家の雨具店は、駅前にあったお陰で、何とか、経営が成り立っていた。 今時、郊外では、わざわざ、雨具を買いに専門店に行く人はいない。

  駅舎は、鉄道の高架を、両側から挟むような形になっていて、駅の前には、段数が多く、幅の広い階段が造られていた。 手すりが、5箇所に付いている。 エレベーターもあるが、そちらは、一般の客は使わない。

  Aは、初めて降りたZ駅の様子を、キョロキョロ見回しながら、バス・ターミナルを迂回し、商店街の入口に出た。 すぐそこに、「B雨具店」の看板が見えた。 看板は新しいが、店は昔ながらの造りで、店内は、暗ぼったかった。 Bが、カウンターの向こうに座って、帳簿を見ていた。 髪型も、服装の雰囲気も、学生時代と、全く変わっていない。 他の客がいない事を確認してから、Aは、恐る恐る、声をかけた。

「こんにちは~・・・」

  Aの顔を見たBは、一瞬、きょとんとした表情を見せた。 Aは、その一瞬で、Bに、今日来た目的を全て見抜かれたような気がして、心臓が高鳴るのを感じた。 Bは、すぐに、薄い笑顔に切り替えて、言った。

「おお。 Aじゃん。 久しぶり。 どうしたの?」
「近くに来たからね~」

  もちろん、嘘である。 そんな嘘は、Bには通じないと分かっているのだが、かといって、正直に、男の相談に来たとも言えぬ。 卒業以来なので、話す事は、そこそこ、あった。 Aが気をつけたのは、会社勤めを、自慢しない事だった。 Bは、自営業なので、もしかしたら、気楽な勤め人に対して、癇に障るところがあるかも知れないと思ったのだ。 しかし、しばらく、話すと、それは杞憂だと分かった。

「見ての通り、閑な商売なんだよ。 傘、合羽、長靴、レイン・シューズ、扱ってる品目が少ないから、勉強する程の事もないし」

  Bは、顔も、体も、健康そうだった。 悩みがある人間は、こうはならない。 

「お父さんは?」
「んー・・・、去年、他界した」
「えっ! でも、年賀状が・・・」
「死んだのが、暮れで、喪中はがきが間に合わなかったんだよ。 だからといって、Aは、電話して、通夜や葬式に来てもらうような関係じゃないし。 で、父さんの死は、A向けには、なかった事にしたわけ」

  なるほど、合理的だ。 Bらしい。 もし、Aの方から訪ねて来なければ、Bの父親の死は、ずっと知らないままだったろう。 それでも、何の問題もなかったのだ。

  天気予報では、「午後から雨」との事だったが、当たったようで、外で、雨が降り始めた。 休みの日でも、鉄道を利用する人は多い。 そろそろ、帰って来る時間帯で、雨具店に、客が入り始めた。 Bは、接客に忙しくなり、Aは、店の奥の座敷に上げられた。 Bが言った。

「茶箪笥に入ってるのは、全部、お客用だから、どれか、湯呑みを出して、お茶を飲んでて。 そこのドラ焼きも食べていいから」

  Aは、遠慮なく、言われた通りにした。 急須には、すでに、一度出した茶葉が入っていた。 電気ポットから、湯を注ぎ、湯呑みに注いで、飲む。 うまいお茶だ。 ドラ焼きも食べる。 遠慮する気にならないのは、Bと同じ部屋で暮らしていた時期があったからだ。 決して、ベタベタと仲がいい間柄ではなかったが、そうであるが故に、家族感覚が育まれていたのである。

  店の様子を見ていると、売れるのは、ビニール傘ばかりである。 もっと駅に近い所に、コンビニがあり、そちらでも、ビニール傘は売っていたが、B雨具店の方が安かったので、こちらまで来る客が多かった。 雨が本降りだった、30分ほどの間に、二十数本のビニール傘が売れた。 そして、雨が上がると、客脚が、ピタッと途絶えた。

「まあ、こういう、お天気任せの商売なわけよ」
「なるほどね~・・・」

  話す事がなくなった。 元々、べらべら会話を交わすような仲ではないのだ。 しかし、不思議と、話さずにいても、間が悪くなるような事はない。 これも、同居期間があった故の、擬似家族的な意識が働いているのだろう。

  駅の正面階段の方を見ていたBが、ぼそっと言った。

「いるいる。 お子ちゃまが・・・」
「お子ちゃま?」
「ほら。 今、駅の階段の中ほどにいる、オジサン」
「知ってる人?」
「ううん」
「なんで、お子ちゃまなの?」
「傘を振り回してるじゃん」
「ああ、そうだね」

  歳の頃、50代半ばくらいの男が、左手に鞄、右手に畳んだ傘を持っているのだが、足取り軽く、階段を下りながら、時折り、右手の傘を、くるっと、一回転させるのである。

「何か、いい事があったんじゃない」
「いやあ。 いい事があっても、大人は、あんな事しないよ。 周りに迷惑だって分からないから、アレをやるわけよ。 精神年齢が、10歳くらいで停まっているんでしょうよ」
「・・・・・」

  Aは、自分の頭に雷が落ちたような衝撃を受けた。 ここここれは、Bによる、示唆なのではあるまいか。 なぜ、そう思うのか。 それは、Aが交際している男Cが、傘を振り回す癖があるからなのだ。 これまでの会話で、男Cの事は、全く口にしていないのだが、Bは、持ち前の洞察力で、それを見抜いたのかも知れぬ。 Aは、恐る恐る、しかし、さりげなく、訊いた。

「精神年齢が10歳のままの男と結婚すると、女は苦労すると思う?」
「うーん。 女側の人格によるね。 世話焼きタイプの女なら、そういう男と合うと思うけど、世話焼かれタイプの女が、お子ちゃまタイプの男と結婚したら、家庭が成り立たなくなるんじゃないかねえ」
「やっぱり・・・・?」
「離婚の原因で多いのは、『性格の不一致』とか、よく言われるけど、もっと、生活に直結する原因があると思うね。 一緒に暮らすんだから、両方がしっかりしているか、最低限、どっちかがしっかりしてないと、家族なんか、すぐに、崩壊しちゃうよ。 若い内に、別れている連中なんか、みんな、両方、いい加減だからなんじゃないの。 どっちも掃除しなきゃ、ゴミ屋敷だし、洗濯物も溜まる一方。 毎日、外食じゃ、たちまち、破産ってわけよ」
「もし・・・、もしもの話だけど、私が、お子ちゃまタイプの男と結婚したら、うまく行くかな?」

 Bは、振り返って、Aを見た。

「Aが、学生時代と変わっていないのなら、やめといた方がいいかもね」
「・・・・・」
「Aは、私と暮らしてた頃、私と合わせようと思って、一生懸命、家事をやってたけど、本当は、典型的な、世話焼かれタイプでしょ。 お子ちゃまタイプの男と結婚したら、Aが、家族の舵取りをしなきゃなんなくなるよ。 子供が出来たら、自分以外、全員 子供で、A一人で、家族みんなの面倒みてやんなきゃならなくなるわけだ。 そんな事、できるかね?」

  A自身は、気づかなかったが、顔色が真っ青になっていた。 Bが、また、駅の階段を見ながら言った。

「あれあれ!」
「なになに?」

  階段を上がって行く、30歳くらいの男がいた。 スーツをパリッと着こなして、いかにも、仕事ができそうなキビキビした動きである。 右手に鞄を持ち、左手に傘を持っている。 傘は畳んで、水平にし、中程を握っている。

「あの傘の持ち方。 武士が刀を持つような持ち方。 あのまま、階段を登って行くよ。 危ないったらない。 今は、人が少ないけど、癖になっているから、たぶん、人混みでも、ああやってるんでしょ。 後ろの人の目でも突ついたら、どうするつもりなのかねえ」
「・・・・・」

  Aは、自分の頭に雷が落ちたような衝撃を受けた。 なぜというに、Aが交際している男Cが、正に、傘を刀持ちするのである。 それを、カッコいいと思っていると、本人の口から聞いた事がある。 Aは、Bに、恐る恐る、訊いた。

「そそそそれも、精神年齢の低さと関係があるの?」
「お子ちゃまタイプというより、傍若無人タイプだね。 他人の迷惑なんか、何とも思ってないのよ。 そんな事、考えた事もないんでしょうよ。 そういう男と結婚すると、大変だわ。 会社でも、近所でも、敵だらけ。 だって、人を人とも思ってないんだから」
「・・・・・」

  Aは、絶句してしまった。 まずい。 これでは、男Cとの結婚など、問題外ではないか。 Aは、何が苦手と言って、他人との悶着が、一番、苦手なのだ。 極力、衝突を避け、気楽に生きたいのである。 男Cが、敵ばかり作って、その始末が自分に回って来ると思うと、ゾーーッとする。

  そこへ、お客が来た。 40歳くらいの男。 店内を回している。 Bが、接客に立った。

「いらっしゃいませ。 何かお探しですか?」
「あっのっさぁ・・・」
「はい」
「パーティーとか、結婚式とか、そーゆーとこへ持ってける傘、見して」
「それでしたら」

  Bは、箱入りの品をいくつか出して、その中から、一本を選ばせた。 Bが、傘の箱を包装紙で包もうとすると、男が止めた。

「あー、紙はいい! 余計な事すんな!」

  傘の箱を抱えて、男は、帰って行った。

「今のお客・・・」
「なになに?」
「最初から、タメ口、というか、見下し口だったでしょ。 初めて、この店に来た、全くの赤の他人なのにね。 丁寧語を喋れたとしても、たぶん、会社の上司くらいにしか、使わないんでしょ。 ああいうタイプは、普段、10人以下くらいの、狭いつきあいしかしてないんだよ。 その10人だけが、世界の全て。 その外にいる人間なんか、敵か、虫ケラとしか思ってないんだわ。 戦って倒すべき敵か、無視していい虫ケラか。 あの男にとって、私は、虫ケラなんだよ。 ちょっと、常識的な人間には、信じられないよね。 初めて会った、赤の他人を、虫ケラだと思ってるなんて。 でも、そういう男は、決して、少数派じゃないよ」

  やられた! Aは、雷に、体を真っ二つにされてしまった! なぜというに、Aが交際している男Cは、初めて入った店で、店員相手に、丁寧語を使った事など、ただの一度もなかったからだ。 A自身、Cの態度に違和感を覚えていたにはいたが、こう、はっきり、言われてしまうと、なるほど、その通りだ。 Cは、会社の同僚数人以外と、全くつきあいがない。 それ以外の人間は、敵か、虫ケラなのである。

  真っ青になっているAに、Bが声をかけた。

「A・・・」
「・・・・、え? なに?」
「そういう男とは、別れるしかないよ。 私は、本人を見た事がないけど、全部に該当するんじゃ、話にならないよ。 そういう男に合う女もいるかもしれないけど、Aは違う。 それは、分かるよ。 みすみす、不幸になると分かってて、正直に指摘しないのも、どうかと思うから、言うんだけどね」
「・・・・・」

  Aは、B雨具店を辞した。 萎れていた。 Bとは、それ以来、会っていない。 人間離れしたBの洞察力に、関わるのが怖くなったのである。


  Aが、男Cと別れるのに、半年以上かかった。 一応、Cの欠点を矯正できないか、努力してみたが、何の効果もなかった。 恋愛感情というのは、一旦、冷めると、相手の悪いところばかり見え始める。 Bの指摘に沿って、Cを観察すると、ガキのまんま、精神年齢10歳、傍若無人、つきあいが異様に狭く、周囲の数人以外とは、まともに話ができない、といった問題点が、ありあり、見て取れた。 こんなの、治せんわ。 ロボトミー並みの改造が必要になってしまう。

  うまい事に、問題点をCに指摘し始めたら、Cが、Aを鬱陶しがるようになった。 最初は、「もう、女房気取りでいやがる」などと、笑っていたが、Aが本気で、Cを矯正しようとしている事に気づくと、会う回数が減って行った。 週に三度だったのが、一度になり、半月に一度になり、月に一度になると、もう、交際しているとは言えない。 ごく自然に、別れる事ができた。

  Cは、Aと別れて すぐ、友人の紹介で、別の女と交際を始め、半年後には結婚した。 子供も出来たが、いい家庭ではなかったようだ。 子供は、中学生で、グレて、家出し、その後、音信不通。 夫婦は、喧嘩が絶えず、Cが40歳になる前に、別居、離婚。 Cは、離婚した後、まだ、独身のままでいた、Aに近づこうとしたが、Aは、呆れ顔で、突き放した。


  Aは、40代を目前にして、理想的な男性と出会った。 社内で、部署の異動があり、新たな職場で上司になった、男Eである。 すでに、50歳を過ぎていたが、前妻を病気で亡くしていて、子供もいない。 お互い、惹かれあうものがあり、知り合って、ひと月もしない内に、食事に誘われて、即答で、OKした。

  Aの目に、Eは、文句のつけようがない、大人に見えた。 喋り方も落ち着いているし、仕事はしっかりするし、職場で人望もあった。 ある時、雨上がりに、Eと一緒に歩く機会があった。 Eは、畳んだ傘を、提げて持っていた。 刀持ちもしなければ、振り回したりもしなかった。 出先で、初めての店に入ると、Eは、店員に、丁寧語で話しかけた。

  Aは、目頭に涙が浮かぶほど、感動した。 やっと、大人の男に出会えたのだ。 早まって、Cなんかと結婚しなくて、本当に良かった。 Eは、運命の人だった。 赤い糸で結ばれているのだ。 年齢的に考えて、子供を作るとしたら、これが、最後の機会である。 Aは、Eと交際を続けながら、プロポーズされる日を待った。


  しかし、その日は、来なかった。 Eが、突然、死んでしまったのである。 風邪をこじらせ、肺炎になり、見る見る悪化して、呆気なく、息を引き取ってしまったのだ。 Aは、Eの両親には会った事がなく、会社で、他の社員と一緒に、Eの上司から、それを聞かされた。 ジョギングで、雨に濡れたのが、風邪を引いた原因だと言っていた。 目の前が真っ暗になった。

「なんで、風邪なんかで・・・」

  Aは、ある事に思い当たり、雷に打たれたように、体を強張らせた。 Eは、文句のつけようがない大人の男だっが、Aが違和感を覚える事が一つだけあった。 少々の雨だと、傘を持っていても、さそうとしないのだ。 傘を持っていない時には、雨宿りしようとは考えず、濡れて歩くのを厭わなかった。

「人間、雨くらいじゃ、死にゃあしないよ。 紙じゃないんだから。 わはははは!」

  Aは、Bから来る年賀状の、文面を思い浮かべていた。

「濡れていいのは、春雨だけ」
「健康の為、雨に濡れるのは避けましょう」

  陳腐な言葉だと思っていたが、真理だったのだ。 雨の中を濡れて歩けば、どうなるか? 風邪を引く可能性が高い。 そして、「風邪は、万病の元」と言うではないか。 現に、Eは、風邪から、肺炎になって、死んでしまった。

  Eは、傘を振り回さないし、刀持ちもしない。 初対面の相手でも、丁寧語で喋る。 しかし、もっと、根本的なところで、常識が欠けていた。 Bにしてみれば、雨に濡れないなんて事は、当然以前の事で、わざわざ、男の欠点として指摘するまでもない事だったのに違いない。

  こんな事は、Bには言えなかった。 よーく、呆れられてしまう。 Aは、結婚を諦め、生涯独身で通した。 Bとの、年賀状のやり取りは、死ぬまで続いた。 Bから来るのは、相変わらず、傘のイラストに、雨具を勧める文句。 そして、余白に、「元気です」だった。

2024/02/11

パソコン・ネット関連機器 ④

  日記ブログの方に書いた記事。 私的な、パソコン・ネット関連機器の変遷史です。 今回も、一台分だけ。 日記からの移植なので、日付が付いている次第。




【2023/10/25 水】
  歴代パソコンの、二台目です。 今回は、短いです。 なぜなら、 私が使っていたものではないから。

  2001年5月から、一年間、自室でパソコンとインター・ネットを使った私は、「ネット閲覧くらいなら、両親にもできるだろう」と思い、居間に、両親用のパソコンを置く事にしました。 居間の縁側に、パソコン・デスクを置く場所があったのも、都合が良かったです。 事前に、母の了解は、取りました。

  2002年の4月末に、沼津の「O.A ナガシマ」というパソコン・ショップで、「BESCO(ベスコ) S1」というパソコンが、49800円で売られているのを見つけ、飛びつきました。 今では、5万円のパソコンは、高い方ですが、当時としては、破格の安値だったのです。 韓国製で、「兼松コンピューターシステム」という会社が輸入したもののようでした。

  タワー型。 OSは、「Windows 98SE」。 CPUは、566MHz。 メモリーが、64MB。 HDDが、15GB。 CD-ROMドライブと、フロッピー・ドライブが付いていました。 フロッピーは、起動ディスクを作るのにしか使いませんでした。

  高齢の両親用なので、モニターは、大きい方がいいだろうと思い、清水町の「O.A ナガシマ」で、「イイヤマ AS4314UT」という、17インチのを買いました。 モニターの方が高くて、69800円。 更に、家電量販店ノジマで、パソコン・デスクを、7800円で買ったのですが、これは、母が出してくれたような記憶があります。 この時には、LANケーブルや、LANを分岐させるハブなど、他にも、出費が多かったです。

  OSは、「Windows 98SE」ですから、「Me」より古かったのですが、シンプルな分、反応速度は、速かったです。 「コンピューター」の画面など、いかにも、事務機器という感じの硬いデザインでしたねえ。 壊れる、2010年7月まで、「98SE」で、何の不便もなく、使っていました。 ネット・バンキングなど、ネット上でお金のやりとりをしていなければ、古いOSでも、特に何が危険という事はないです。 ハッカーが突破を狙っているのは、常に、最新のOSですから。

  両親に、使い方を説明したのですが、父は、普段、居間にいないせいで、すぐに使わなくなってしまいました。 その後、父の部屋に、父専用のパソコンを用意する事になります。

  居間のパソコンは、母専用になり、冬ソナ・ブームで、ヨン様の熱烈なファンになった母は、このパソコンで、ネット上で見られるヨン様の写真を印刷しまくりました。 しかし、母は、キー・ボードが駄目で、マウスしか使えなかったので、自分から、何かを調べるという事はできませんでした。 ヨン様熱が冷めると、このパソコンを使わなくなってしまいました。

  10万円以上かけて、何日も骨を折って、パソコンを設置してやっても、結果は、そんなものです。 私が、インター・ネットに夢中になったからといって、親の世代も夢中になるとは、限らないんですな。 その後は、専ら私が、居間にいる時に、テレビに映る俳優さんの名前など、調べ物をしたくなった時に、使っていました。



≪写真上左≫
  設置した直後の様子。 蛍光灯は、ホーム・センターで、キッチン用のを買って来て、自分で取り付けました。 机用ではないので、少し、眩しかったです。

≪写真上右≫
  このパソコンも、LANボードがなくて、沼津の「O.A ナガシマ」で、バッファローの品を、1200円で買って来て、モジュラー・ケーブル・ボードと交換しました。 どの品を買えばいいか、私が分かったとは思えないから、取説に指定品が書いてあったのではないかと思います。

≪写真中≫
  使い始めて、落ち着いてからは、こんな感じでした。   一番上の段に、2002年7月に買った、キャノンのプリンター、「BJ F860」が載っています。 沼津にあった、家電量販店、「ワットマン」で、型落ちの売れ残りを、15800円で買ったもの。 当初、居間にしか、プリンターがなかったので、年賀状の宛名印刷は、ここでやっていました。 

  この写真は、2010年7月、パソコンが壊れてから、撤去する寸前に、撮影したもの。 幸い、私が使っている時に、壊れたので、母を混乱させずに済みました。 腹を開けてみると、電源ユニットに、焦げ痕のようなものがあり、ショートしたようでした。 買ってから、8年も経っていたから、部品交換など、とても無理と諦め、新しいパソコンに買い換えました。

  この「BESCO S1」は、「PCデポ」の、パソコン買い取りサービスで、100円くらいで、買い取ってもらいました。 持って行く前に、HDDを抜いて行きました。 HDDは、引退してから、中のアルミ・ディスクを抜いて、処分しました。 15ギガでは、ケースを買って来て、外付HDDにする気にもならなかったのです。

≪写真下左≫
  取説。 2015年10月の撮影。 本体を処分した後も、残してあったのです。 A4サイズで、手作り感があるものでした。 輸入した、「兼松コンピューターシステム」で、作ったんじゃないでしょうか。 買った直後に目を通しただけで、その後は、ほとんど、読みませんでしたが。

≪写真下右≫
  激安パソコンなのに、アプリケーション・ソフトは、こんなに付いていました。 つくづく、そういう時代だったわけだ。 年賀状ソフトだけは、確実に使いました。

2024/02/04

読書感想文・蔵出し (112)

  読書感想文です。 今回も、2冊です。 読書意欲というのは、一度、衰えると、なかなか、回復しないものですなあ。 今でも、2週間に一度、借りに行っていますが、たった1冊なのに、すぐに読み始める気になれません。 困ったもんだ。





≪人形つかい≫

ハヤカワ文庫
早川書房 2005年12月15日 初版
ロバート・A・ハインライン 著
福島正美 訳

  沼津図書館にあった、文庫です。 長編1作を収録。 コピー・ライトは、1951年になっています。 431ページ。 まずまず、常識的な長さですな。


  2007年のアメリカ合衆国、アイオワ州に、異星人の宇宙船が下りた。 瞬く間に、州の住人のほとんど全員が、背中に貼り付く大きなナメクジ様の寄生体に、精神を乗っ取られてしまった。 大統領直下の、捜査官らが、土星の衛星タイタンから来た、この恐るべき生物と、死闘を繰り広げつつ、根本的に打ち勝つ方法を探る話。

  まあ、よくある、人間乗っ取り宇宙生物ものですな。 1951年で、だいぶ、古いですが、この作品が、その系列の嚆矢というわけでもないようです。 似たような話は、映画で、どれだけ、作られてきた事か。 一番有名なのは、≪エイリアン≫ですかね? あちらの場合、寄生された人間は、死んでしまいますが、この作品の大ナメクジは、寄生された人間が頑丈ならば、引き剥がして、人間に戻る事ができます。 その点、少し、ゆとりがあるわけで、甘いといえば甘い。

  ストーリー展開は、スピード感があって、面白いですが、中盤、主人公と、ヒロインの恋愛に、多くのページが割かれ、テーマから遠ざかってしまうので、ムカムカして来ます。 特に、ヒロインは、「なんだ、この女は! こんな登場人物は、いらんだろうに!」と腹が立つこと、請け合い。 しかし、更に読み進むと、このヒロインが、大変、重要な役どころを担っている事が分かります。 やはり、名のある作家は、無駄な要素など、書き込まないものなんですな。

  大ナメクジが背中に貼り付いていないかを証明する為に、上半身 裸になったり、下半身まで、極小の布で覆うだけになったりする作戦が、実行されるのが、面白い。 役職、性別、年齢、関係なし。 大統領まで、裸。 これは、≪裸の王様≫のパロディーなのかも知れませんな。 ただし、笑えません。 そうする以外に、取り付かれていない事を証明する方法がないのです。

  大ナメクジは、アメリカより先に、ソ連を襲っていた事が分かるのですが、この作品での共産圏は、かなり、敵意が籠った書かれ方をしています。 51年では、朝鮮戦争が真っ最中で、米ソ対立がキンキンだった頃ですから、無理もないか。 ハイラインさんが、共産圏嫌いだったというより、アメリカのどんな作家も、そう振舞わなければ、赤狩りの対象にされてしまったんですな。

  この作品自体、映画化されても、ちっとも、おかしくない内容ですが、1994年になって、一本、作られただけとの事。 日本では未公開だったというから、さほど、面白くなかったのかも知れませんな。




≪華氏451度  〔新約版〕≫

ハヤカワ文庫
早川書房 2014年6月25日 発行 2019年7月15日 10刷
レイ・ブラッドベリ 著
伊藤典夫 訳

  沼津図書館にあった、文庫です。 長編1作を収録。 コピー・ライトは、1953年になっています。 266ページ。 SFとして、非常に、有名な作品。 映画化もされています。


  あらゆる知識が、ダイジェスト化され、本(書物)が、読む事も、所有する事も禁止された社会。 本を燃やす、「昇火士」を職業とする男が、全く違う世界観を語る近所の少女と、本の為に命を捨てた女性から、衝撃的な影響を受け、本を守る側に転向する話。

  映画は、イギリスが舞台でしたが、原作者は、アメリカ人で、小説の舞台も、アメリカです。 時代設定は、50年くらい先の事を書いたとありますから、2000年前後でしょうか。 「統治し易いように、市民に知識を与えず、愚かなままにしておく」という、「愚民政策」が浸透している社会ですが、ダイジェストは、問題なく読めるわけで、それで、問題が起こらないなら、それでもいいような気がしますねえ。 今現在の状況を見れば、禁止しなくても、本を読む人間は減る一方ですから。

  政治に対する批判というより、テレビの登場で、本を読む者が減る事に対する危惧から、この小説が書かれたとの事。 そりゃあ、本が読まれなくなったら、小説家は、困りますわなあ。 しかし、テレビに興味を持って行かれるのと、本を禁止するのは、別の問題でして、本を禁止する理由について、「下らない」程度の事しか挙げられておらず、ちと、設定が甘いような気がせんでもなし。

  ストーリーは、まずまず、分かり易く、しかも、テンポよく進みます。 中ほど過ぎて、主人公が、「昇火士」の上司と、決着をつける場面が、最大の読ませどころ。 しかし、残酷といえば、残酷ですな。 そのせいで、当局から追われる身となり、後は、逃避行が描かれます。 そちらは、オマケみたいなもの。

  本を所有できない社会で、どうやって、知識を伝えるかについて、対応策が示されていますが、現実離れしていて、これまた、設定が甘い感じがせんでもなし。 この作品全体が、深く考えて構成されたわけではなく、ポッと思いついて、筆の勢いで書き上げたようなものなのかも知れません。

  作品の評価は高いですが、実際に読んでみると、そんなに面白いものではありません。 自分で自分の文章に酔っているような、アメリカの小説家特有の悪い癖が出ています。 主人公が、前半では、悩み続け、後半では、追われる身になって、終始、不安定な精神状態でいるのも、読む側としては、落ち着かないものがあります。




  以上、2冊です。 読んだ期間は、2023年の、

≪人形つかい≫が、10月27日から、29日。
≪華氏451度  〔新約版〕≫が、11月11日から、14日。

  ≪人形つかい≫は、読書意欲が衰えているので、薄さで選んだ本。 ≪華氏451度≫は、有名なので、いつかは読もうと思っていたのを、やはり、薄さで選んで、借りて来ました。 どうも、動機が不純ですな。