2025/04/27

EN125-2Aでプチ・ツーリング (67)

  週に一度、「スズキ(大長江集団) EN125-2A・鋭爽」で出かけている、プチ・ツーリングの記録の、67回目です。 その月の最終週に、前月に行った分を出しています。 今回は、2025年3月分。





【沼津市中沢田・中沢田の湧水】

  2025年3月9日。 沼津市・中沢田にある、「中沢田の湧水」へ行って来ました。 ネット地図に載っていた所。 根方街道から、少し南へ入った、「ベル歯科」の裏手にあります。

≪写真1≫
  南東側から見ました。 後ろの建物は、ベル歯科。 複雑な形の屋根を載せてますねえ。 三角地で、三方全周を、道路に囲まれています。 その一角に、湧水が流れ込む川があります。 たぶん、農業用水。

≪写真2≫
  北東側から見ました。 塩ビ・パイプから湧き水が、勢いよく、流れ出しています。 湧き水を、「飲ませる」という、設えではないようです。

≪写真3左≫
  三角地の一角にある、水槽。 中で、金魚が飼われていました。 遠くて、分かりづらいですが。

≪写真3右≫
  近くの家の庭で咲いていた、たぶん、薔薇の品種。

≪写真4≫
  ベル歯科の裏手に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここは、折自でも来れるような、近場。 うちから出て、永代橋で狩野川を渡って、幟道(のぼりみち)を北上し、大中寺の交差点で、根方街道に入って、西へ1分も走れば、ここに着きます。 ベル歯科の案内看板が出ているので、それを見逃しさえしなければ、間違える事はないです。




【沼津市東椎路・小屋敷バス停付近】

  2025年3月14日。 沼津市・東椎路にある、「小屋敷バス停」へ行って来ました。 別に、バス停を見に行ったわけではなくて、住宅地図を見ていたら、バス停の向かい側に、神物・仏物マークが付いていたのです。

≪写真1≫
  根方街道の、小屋敷バス停。 後ろは、小屋敷公会堂。 バス停の横に並んでいるのは、奥から、「千手観音の浮き彫り石塔」、「庚申塔」、「判別不明の浮き彫りがある石」。 しかし、住宅地図に載っていたのは、これらではありません。

≪写真2≫
  道路を挟んで、向かい側にあるのが、この覆い。 コンクリート・ブロックの壁に、コンクリートの屋根が乗っています。

≪写真3左≫
  中には、石製の坐像がありました。 暗くて、顔が見えませんな。

≪写真3右≫
  露出を上げて、撮り直してみました。 お地蔵様のようです。

≪写真4≫
  覆いの後ろに、駐車場があったので、そこに、バイクを停めました。 もしかしたら、個人の敷地かも知れませんが、ごく短時間だったからか、誰にも何も言われませんでした。

≪写真4右下≫
  近くにあった、椿の木に咲いていた、花。 一重椿ですが、蘂の元が、赤くなっています。 こういう品種があるんでしょうねえ。




【沼津市中沢田・甲子塔】

  2025年3月18日。 沼津市・中沢田にある、「甲子塔」を見に行って来ました。 住宅地図に、神物・仏物の記号が出ていたので、何かと思って行ってみたら、甲子塔だったというわけ。

≪写真1≫
  あいにくの曇天、暗くて分かり難いですが、「とび出し注意」の看板の、向かって右下に、石塔があります。

≪写真2左≫
  近づいて、露出を上げて撮りました。 「甲子塔」と、デカデカ彫ってあります。 「庚申塔」というのも良く見ますが、干支の組み合わせは幾らもあるのに、他のは見た事がありません。

≪写真2右≫
  甲子塔があるのは、T字路、というか、Y字路です。 沖縄の、「石敢當」のように、魔除けの意味があるんでしょうか?

≪写真3≫
  路肩に停めた、EN125-2A・鋭爽。 家から、往復14キロ。 凄い近場です。 この日は、晴れの予報であったにも拘らず、ずっと曇りで、晴れ間は見えるが、日射しはないという、3月中旬としては、大変、寒い陽気でした。 承知の上で出かけたとはいえ、冬場のバイク・ツーリングは、厳しいです。

≪写真4左≫
  近くの空き地で、自然に生えて来たと思われる草に、小さな花が咲いていました。 花が小さくても、密度が高ければ、園芸家に喜ばれるんですが、疎らだと、相手にされないようです。

≪写真4右≫
  少し北へ行った所に、「沢田ゴルフ練習場」があるのですが、その入口の道路で咲いていた、寒緋桜。 まだ、ソメイヨシノ系が咲く時期ではないです。




【沼津市中沢田・三叉路の祠と道祖神】

  2025年3月26日。 沼津市・中沢田にある、「三叉路の祠と道祖神」へ行って来ました。 こういう名前が付いているわけではありませんが、名前が分からないので、便宜的に、そう呼びます。 住宅地図に、神物・仏物記号があった所。

≪写真1≫
  道祖神の石像を想像して行ったんですが、いざ着いてみたら、もっと格上で、祠規模の神社でした。 鎮守の杜まで付いています。 三叉路の一角にあります。 国道1号バイパスのすぐ北。 梅の名所で有名な、大中寺の南西。

≪写真2左≫
  木製・銅板葺きの祠。 人間は入れないサイズですが、大変、凝った作りです。 ミニチュア社殿ですな。 

≪写真2右≫
  側面。 この祠そのものが、拝殿と本殿を兼ねているものと思われます。

≪写真3左≫
  道祖神も置いてありました。 ポンと置かれた感じを見ると、他から持って来られたものかもしれません。

≪写真3右≫
  近くの水路。 一点透視図法の見本みたいな眺め。

≪写真4≫
  南を通る道路の向かい側に停めた、EN125-2A・鋭爽。 ここが少し、広くなっていたのです。

  そういや、先日、「レッドバロンの者」を名乗る男が、家の呼び鈴を押して、「処分するオートバイはありませんか?」と訊いて来たので、「ありません」と即答しました。 本当に、レッドバロンの者だったのか、詐欺師の下調べだったのかは、不明。 向こうからやって来る訪問販売の類いは、問答無用で片っ端から断っておいた方が、無難。




【沼津市足高・江藤浩蔵翁顕彰碑】

  2025年3月30日。 沼津市・足高にある、「江藤浩蔵翁顕彰碑」を見に行って来ました。 住宅地図に出ていた所。 「愛鷹広域運動公園」の、すぐ北側の、山林の中にあります。 ちなみに、出かける前の時点で、江藤浩蔵氏に関する知識は、ゼロでした。

≪写真1≫
  「愛鷹運動公園 配水池」の門前に、バイクを停めました。 邪魔にならないように、アコーディオン門扉の前を避けて。 向かって左端の階段を上がって行くと、顕彰碑がある場所に至ります。

≪写真2≫
  3分くらい登ると、ここに着きます。 顕彰碑と、あずまや、ピクニック用の机やベンチがあります。 この平地は、造成した可能性もありますが、木が大きいところを見ると、元から、こうだったのかも知れません。

≪写真3≫
  向かって右側の、自然石の方が、「江藤浩蔵翁顕彰碑」。 江藤浩蔵氏は、金岡村の村長だった人物で、愛鷹山御料地払い下げの為に、江原素六氏に最も近い協力者だったとの事。 昭和の初めに、この石碑の台座になっている石の下に、遺髪を埋めたそうです。 石碑自体は、昭和58年11月の建立。 1983年。

  左側の白っぽい方は、「愛鷹山御料地○下げ 八十周年記念碑」。 「○」は、「払」の旁が、「弗」になっていました。

≪写真4左≫
  車道からの登り口に立っていた、「愛鷹山御料地○下げ 八十周年記念碑」の解説板。 昭和54年に石碑を建立した経緯が書かれています。

≪写真4右≫
  これも、登り口に立っていた、「愛鷹広域運動公園内散策エリア 案内図」。 石碑がある場所自体が、散策エリアに含まれているんですな。 「花と海の見える丘」、「工芸館」、「運動広場」などがあるようです。

≪写真5左≫
  石碑の近くで、タンポポが幾つも咲いていました。

≪写真5右≫
  車道を少し下って、愛鷹広域運動公園の駐車場まで来たら、桜が咲いていました。 バイクを停めて、撮影。 満開には、少し早いか。


  この日は、天気は良かったのですが、寒の戻りがあって、ツーリングには、寒かったです。 目的地の標高が高かったから、尚の事。 平地に下りて来たら、少しは、マシになりました。




  今回は、ここまで。 鼠蹊ヘルニアの手術が終わるまで、目的地は近場に限ろうと思っていたのですが、あれこれと問題が起きて、手術の目処が立たず、諦めなければならない可能性が高くなって来たので、プチ・ツーも、以前のように、近隣自治体まで、半径を広げようかと思っています。

2025/04/20

実話風小説 (39) 【食べ歩き番組】

  「実話風小説」の39作目です。 2月中旬の初めに書いたもの。 私自身の糖尿病治療の経験を基にしました。 ちなみに、総合病医院へ行く事になった本来の目的である、鼠蹊ヘルニア手術は、様々な障碍が発生し、未だに受けられていません。




【食べ歩き番組】

  ≪旅の空の下≫は、Z県の県庁所在地に本社がある地方テレビ局で、1985年に始まった、街歩き番組である。 放送時刻は、月曜日から金曜日の、午後6時から、CM込みで、30分。 その時間帯、地方テレビ局では、御当地情報番組を放送している事が多いが、その局では、≪旅の空の下≫の視聴率が、そこそこ高かったので、情報番組を前にズラしていた。

  開始当初は、全国的に名の知れたタレント、A氏が、県内の各市町村を、一日一ヵ所、訪ねて、観光地や景勝地、レジャー施設などを見て回る内容だった。 しかし、当時、グルメ・ブームが勃興しており、その影響を受けて、すぐに、飲食店で食事をするコーナーが設けられた。 食事場面は、一日に一度、必ず入れられ、菓子店や果樹農家を訪ねた時にも、飲食する様子が紹介された。

  A氏は、食レポが巧みで、あまり旨くないものでも、誉められるところを誉めるという、批評技術を持っていた。 A氏の紹介のお陰で、名物になった食べ物も、少なからず、存在する。 A氏が訪ねた店では、「≪旅の空の下≫ 御来店! Aさんのおすすめメニュー!」といった看板を出すところも多かった。

  A氏は、60年代末に、歌手として、デビューしたが、歌の方はヒットがなく、70年代になって、テレビのバラエティー番組で、マルチ・タレントとして、人気が出た。 その後、時代の変化で、露出が減り、全国的には忘れ去られていたが、≪旅の空の下≫の旅人を務め始めたことで、Z県でだけは、ずっと、有名人だった。 老若男女に関係なく、Z県民で、A氏を知らない者は、一人も、いなかったくらいである。

  そのA氏も、引退する時が来た。 健康には気をつけていたが、さすがに、寄る年波には勝てない。 2010年代の終り近くになり、80歳が近づくと、本人から、「もう、やめたい」と申し出があった。 実は、数年前から、ちらちらと、そう言っていたのだが、局の方が、人気番組を終わらせるのが惜しくて、引き止めていたのである。

  ≪旅の空の下≫の打ち切りが決まったのには、他にも、事情があった。 放送開始から、一貫して、ディレクターを務めて来た、B氏が、体調を悪くして、仕事に出られなくなってしまったのだ。 B氏は、A氏よりも、10歳年下で、とっくに定年を過ぎていたが、局側が手放さず、定年延長と、契約社員扱いで、70歳になる直前まで、≪旅の空の下≫のディレクターをやっていた。

  B氏が入院した後は、彼が育てたスタッフが、B氏の指示を忠実に守りながら、番組制作を続けていた。 しかし、スタッフの面々も、何度か世代交代していたものの、やはり、高齢化していた。 番組の打ち切りは、局内の誰もが予想していた事だった。

  そこへ、人事の刷新があり、プロデューサーが変わった。 新しいプロデューサーは、キー局から引き抜かれて来た男で、地方局を見下していたのは当然の事、地方局らしい番組も、軽蔑し切っていた。 「時代遅れも、甚だしい」というのが、口癖だった。 特に、御当地お店巡りのような企画は、虫唾が走るほど嫌いで、≪旅の空の下≫に対しても、「どこが面白いのか、さっぱり分からない」と言い切っていた。

  背景に、そういう局内情勢があったので、≪旅の空の下≫の打ち切りそのものは、すんなり、決まった。 問題は、後番組である。 県内情報番組を、6時台に移したところ、他局の類似番組と重なったせいで、すぐに、視聴率が落ちた。 慌てて、元の時刻に戻す事にしたが、そうなると、6時台に何を持って来るかが、問題だ。 とりあえず、昔の30分ドラマを、再放送したが、視聴者からは、≪旅の空の下≫と同じような番組を見たいという要望が多く寄せられた。 人間というのは、それまでの生活習慣を、おいそれとは変えられないものなのだ。

  新プロデューサーは、古巣のキー局から、一人のディレクター、C氏を連れて来た。 深夜帯に、二級のバラエティーを作っていた男で、思い切りがいいのが、性格上の特徴だった。 逆に言えば、慎重さや深慮に欠けるのだが、何かを変えようとする時には、そういう人物でないと、役に立たないのだと、プロデューサーは考えていた。

  ≪旅の空の下≫と似たような、街歩き番組にするという方針は、局として、もう決まっていた。 Cディレクターは、「まあ、田舎だから、贅沢は言いませんよ。 大枠は、局の言う通りにしましょう。 中身は、俺が好きにやらせてもらいます」と言っていた。 ちなみに、「田舎」という言葉は、地方では、禁句である。 都会や大都市の人間にとっては、都会や大都市でない場所の事を指しているだけだが、地方に住んでいる者が聞くと、馬鹿にされているとしか取れないのだ。 C氏は、大都市の生まれで、Z県の県庁所在地くらいでは、鼻にも引っ掛けなかった。


  まず、番組タイトルだが、ディレクターの独断で、≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫に決まった。 プロデューサーも、聞くなり、OKした。 この二人のセンスが伺えるタイトルだな。 

  次に、旅人を決めなければならない。 曜日ごとに、人を変えるのは、ギャラが多くかかるし、スタッフのタレント対応が煩雑になるので、却下。 一人となると、A氏のように、有名ではあるが、すでに高齢で、第一線での仕事はしておらず、暇が有り余っているような人物が、好都合だ。 誰か、適当な人物はいないものか。

  Cディレクターは、プロデューサーと、わざわざ、東京に出て、歓楽街のバーに行き、飲みながら、人選をした。 田舎の飲み屋では、洗練されたアイデアが出ないというのだ。 もちろん、交通費も飲み代も、経費で落とす所存。

  何人か候補が出たが、有名過ぎて、ギャラが高いタレントや、舞台公演をよくやる俳優などばかりで、プロデューサーは、ことごとく、却下した。 ディレクターは、しばらく考えてから、次の名前を言った。

「Dなんて、どうですかね?」

「あいつは、不祥事を起こして、干されたんじゃないか」

「でも、どうせ、田舎のテレビですから」

「駄目駄目! むしろ、田舎の方が、そういうタレントには、厳しいんだ」

「ああ、なるほど。 そういうものかも知れませんねえ。 じゃあ、Eさんは?」

「イメージはいいけど、あの人、あんなに痩せてたんじゃ、少食だろう。 食べる機会が多いから、食えない人じゃ、務まらないぞ」

「食える人と言うと、最初から、太っている奴ですかね? Fなんか、どうです?」

「あいつは、家が、Y県だ。 東京なら、出て来るのに、そんなに遠くないが、Z県までじゃ、遠過ぎて、交通費が大変だ。 それに、内孫が生まれたばかりだっていうから、平日ずっと、Z県に泊まり込みの仕事じゃ、断って来るだろう」

「じゃあ、Gは?」

「G? G? ああ、あの人か。 あの人、まだ、仕事してんの?」

「してますよ。 ネットの、割と有名なチャンネルで、釣りをしているのを見た事があります。 割と最近の日付でしたよ」

「うーん、Gねえ。 悪くないなあ。 ちょっと、第一線からは、ご無沙汰が久しいけど、名前は全国区で売れてるものなあ。 試しに、打診してみるか」

  で、事務所を調べて、打診してみたところ、本人から、電話がかかって来て、「何でも、やります」との返事。 閑ぶっこいていて、仕事が欲しかったようだ。 トントン拍子に話が進んで、次の週から、試しに一週間、やらせてみる事になった。 結果は、上々。 A氏に比べると、アクが強くて、≪旅の空の下≫の視聴者からは、評判が今一つだったが、比較的 若い世代からは、「口が悪いところが、面白い」という意見が寄せられた。 視聴率は、一週間平均で、≪旅の空の下≫の8割くらいだった。

  ディレクターが変わっただけでなく、スタッフも、≪旅の空の下≫に関わっていた面子は一掃されて、他の番組をやっていた、若い世代が入れられた。 Cディレクターは、前番組と似たような後番組を作る場合、前番組のスタッフを残しておくと、ああだこうだと、文句ばかりつけて、新しいやり方をいつまでも受け入れようとしない者が出て来るのを嫌っていたのだ。

  ≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫が始まって、半月経った頃、病床のB氏、つまり、≪旅の空の下≫の元ディレクターから、重役を通して、Cディレクターに連絡があり、「伝えておきたい事があるから、入院先の病院まで、一度 会いに来て欲しい」と言って来た。 C氏は、重役の前であるにも拘らず、顔を顰めて、毒づいた。

「どうせ、お小言でしょう。 前の番組とは、まるで趣向が違うんだから、不満があるのは分かりますが、そんなの、いちいち、聞いてられませんよ」

「いや、Bさんは、本当に用事がないと、一面識もない人に会いたがったりしないよ」

「とにかく、今は、番組が立ち上がったばかりで、暇がないから、しばらくは、無理です。 その内、近くへ行った時に、寄ればいいんでしょう?」

「なるべく早く、行ってやってくれ。 Bさん、長くなさそうだから」

「はいはい」

  「はい」は、一回。 などと言っている場合ではなく、それから、一週間もしない内に、B氏は、他界してしまった。 心筋梗塞だった。 Cディレクターは、永遠に、B氏の忠告を聞き損なったわけだ。


  ≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫が始まって、半年経った時、タレントGが、入院した。 月曜日の朝、東京にある自宅で、Z県へ出かける仕度をしている時に、倒れたのである。 意識不明。 救急車で、最寄の総合病院へ担ぎ込まれた。 意識が戻ってから、精密検査をしたところ、血糖値が、500を超える、超高血糖だった。 医者が、「この血糖値で、よく、生きてるなあ」と言わんばかりの、珍しい生き物でも見るような顔で、笑いながら、言った。

「一体、どんな食生活をしてるんですか?」

  タレントGは、自宅での食事の内容を話した。

「お仕事は、まだ、してるんですね。 外では、食べませんか?」

  タレントGは、≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫の事を話した。 それが原因だとは思っていないから、淡々と、包み隠さず、毎回、どれだけの種類の食べ物を、どれだけの量、食べているか、正直に伝えた。 次第に、医者の顔から、笑いが消えて行った。

「今、ざっと聞いただけでも、日当たり適正カロリーの、5倍は食べてますね。 平日は、それが、毎日? たまらんな。 その腹が出て来たのは、番組開始以降ですか? ああ、やっぱり・・・。 今年、60歳でしょう? 無理ですよ、そんなに食べるのは。 そのまま行くと、とても、長生きできませんよ」

「どうしたら、いいんでしょう?」

「現状すでに、重度の糖尿病ですから、血糖値が下がるまで、半月は入院した方がいいです。 退院後は、インスリン注射か、投薬治療という事になりますが、その仕事を続けるのは、やめた方がいいですねえ。 番組の人に言って、食べる量を減らしてもらえるなら、また、話は別ですが」


  タレントGの報告は、Cディレクターとプロデューサーの顔色を真っ青にした。 タレントGの体を気遣ったからではない。 番組に穴を開けてしまう事を恐れたのだ。 急遽、地元タレントの一人が呼ばれ、代役という事で、収録がされた。 その男は、まだ、30代で、仕事がない時の方が多く、いつも腹を空かせていた。 食べる場面では、餓えた豚のように、フガフガと、がっついた。 スタッフ全員、下品な奴だと思った。

「こいつに、今後も任せるわけには行かんな」

  Cディレクターは、すぐに、次の旅人の人選にかかった。 前回同様、プロデューサーと二人で、東京の歓楽街に繰り出して。 金のかかる奴らだ。


  あー、面倒臭い! この後、同じような展開が繰り返されるので、ここは一つ、読者の想像力に丸投げするとして、思い切って、割愛。


  ≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫は、約半年ごとに、旅人を変えながら、その後も続けられたが、開始3年後に、旅人が死亡する事態に至り、打ち切りになった。 出演した旅人、6人の内、一時入院は、全員。 脳血管障害による死亡、1人。 眼底出血による両目失明、2人。 片目失明、1人。 慢性腎不全で人工透析患者になった者、3人。 複数の病気に該当する者もいるので、合計人数は合わない。 生き残っている5人は、全て、糖尿病の治療を受けている。


  有名タレントの死者を出した事で、局は、記者会見を開いて、御遺族と世間様に、謝罪。 プロデューサーは、降格され、処分前に、自主的に退職した。 しかし、業界から消える事はなく、昔取ったコネ柄を頼りに、別の県の地方テレビ局へ潜り込んだ。 ワケアリ人物なので、大した仕事は任されなかったが。

  Cディレクターは、懲戒解雇となった。 まあ、当然か。 どの旅人に対しても、視聴者のウケを良くする為に、毎回、腹がはち切れるほどに、食わせまくっていたのである。 Cディレクター、人間が飲み食いできる量には、年齢により、限界があるという事を、知らなかったのだ。 自身が体育会系で、高校・大学時代には、毎食、丼飯と、大皿に山盛りの料理を平らげていたので、「食える人間は、いくらでも食える」と思っていたらしい。

  ≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫で、旅人に相応しい、暇がある有名タレントというと、どうしても、60歳前後以上の年齢になってしまうのに、「食える食えないは、その人次第」だと思って、何の配慮もしなかったのだ。 二人目が、病院に担ぎ込まれた時点で、原因が、暴飲暴食にあると感づいていたにも拘らず、「なかなか、胃腸が丈夫な奴に当たらない」と、自分や番組の、「運」の問題だと思っていたのである。


  C氏も、業界から離れるのが嫌で、隣県の小都市にある、ケーブル・テレビ局にいた知人に頼み込み、拝み倒し、かろうじて、パート社員として雇ってもらった。 仕事内容は、雑用係だったが、この際、贅沢は言っていられない。 とにかく、業界にいさえすれば、テレビ関係者で通るのだ。

  その局の契約カメラマンに、かつて、≪旅の空の下≫で、臨時スタッフをやった事がある者がいた。 昔の仲間と連絡を取り合っていたので、後番組の事情も聞いていた。 しかし、C氏が、後番組を潰して、解雇されたディレクターだと分かっても、直接、批難したり、からかったりするような人物ではなかった。

  逆に、C氏の方が、長い間、気になっていた事を訊いた。 ≪旅の空の下≫のディレクター、B氏が、死ぬ前に、C氏を呼んで伝えておきたい事があると言った、あの件である。 一体、何が言いたかったのだろう? そのヒントだけでも、知りたかった。 契約カメラマンは、少し考えてから、こう答えた。

「それは、たぶん、出演者の健康には、くれぐれも気をつけるように、という話だったのかも知れませんねえ」

「という事は、Bさんは、Aさんの健康に気をつけていたって事?」

「そりゃあもう! 収録で、飲食店に行くと、まず、Aさんに食べてもらうものを、Bさんが見て、カロリー計算をするんですよ。 糖質も見てたな。 Bさん自身が、糖尿病だったから、一目で、大体のカロリーが分かってしまうんです。 Aさんが、30年も、あの番組を続けられたのは、Bさんのカロリー計算のお陰ですよ。 Aさんを、自分の主治医のところへ連れて行って、検診もしてもらっていたらしいです」

「そこまで、やるかね?」

「グルメ番組は、そのくらい、糖尿病に警戒しないと、続けられないと言ってましたよ。 もう、50代になったら、何を食べても大丈夫、なんて人は、いなくなりますからね。 よく、旅番組で、突然、出演者が降板してしまって、打ち切りになる事があるでしょう。 あれは、医師から糖尿病を宣告されて、それまでのように、飲み食いできなくなるからじゃないですかね」

「・・・・」

「出演者が、店の人に、『御飯を少なくして』なんて、頼んでいたら、まず間違いなく、糖尿病でしょう。 炭水化物で、血糖値が上がるのを恐れているんですよ。 ところが、店の方は、糖尿病患者が、どの程度 食べられるかなんて知らないから、『ご飯、少な目』なんて言われたって、せいぜい、10割を、8割にする程度でしょう。 丼物だったら、8割でも、糖尿病患者の許容量の、2倍はありますよ。 殺す気か? ってなもんですよね」

「・・・・」

「普通、糖尿病患者は、厳しい食事制限をしているから、外食なんか しないんですよ。 そういう客が来ないから、飲食店側も、糖尿病の知識が頭に入らない。 食べ歩き番組は、特殊なケースなんですね。 許容量が分からないどころか、相手が有名人だから、できるだけ、サービスしようと思って、注文してない物まで出して来るから、困ったもんだ。 それまた、殺す気か? ってなもんです」

「・・・・」

  C氏、そう言われて、返す言葉がなかった。 自分が何をやったのか、ようやく、はっきり分かって、ゾーーーッと、背筋が寒くなった。 C氏には、中高年の健康管理に対する知識が、絶望的なまでに、欠けていたのだ。 罪には問われなかったが、出演者の健康被害に責任がないとは言えない。 一人は死んでしまったのであり、懲戒解雇くらいで済んだのは、むしろ、幸運だったと思うべきなのかも知れない。

  C氏の責任を軽く見る為の材料といえば、旅人達は、みな、「食いしん坊」で通っていた人達で、≪ぐるぐるグルメ 歩いて満腹・ウィークデイ≫に出なかったとしても、いずれ、糖尿病になっただろう、という事である。 C氏は、そう思う事で、罪悪感を軽くしようと努めた。 そもそも、生き馬の目を抜く業界で生きて来た人間だから、さほど強い罪悪感があったわけではないが。

  C氏は、その後、長生きした。 この時、糖尿病について、知識を仕入れたお陰で、食生活が改まり、糖尿病にならないで済んだのが、大きな理由だ。 何とも、皮肉な話である。

2025/04/13

鼠蹊ヘルニアから糖尿病 ④

  月の第二週は、闘病記。 前回は、2024年の10月末まででした。 今回は、11月からです。 血糖値を下げるのと、運動療法をどう進めるかで、四苦八苦していた頃。




【2024/11/01 金】
  運動散歩。 南へ。 前回、片道、2500歩だった地点から、更に1000歩進み、3500歩地点を確認しました。 志下の半分を過ぎてしまいました。 これからは、歩数を数えなくても、そこまで行って、戻ってくれば、7000歩、歩いた事になります。

  えらい疲れたのですが、家に戻って、時計を見ると、1時間12分しか かかっていませんでした。 登山の方が、時間が短く感じられます。 これを、毎日は、続けられないかな?

  間食を絶ってから、三度の食事が、楽しみになって来ました。 当然と言えば、当然か。 特に、好きなものでなくても、食べる事自体が、楽しみなのです。 しかし、それで、食べ過ぎてしまうから、糖尿病は、なかなか治らないんでしょうな。

  ちなみに、食べる順序としては、「野菜 → おかず → ご飯類」となります。 千切りのキャベツを常備して、嫌になるまで食べてから、他の野菜類を食べ、次に、肉・魚などのおかずに移ります。 最後に、ご飯を、茶碗7分目ほど。 パンや麺類は、ご飯の同類になります。



【2024/11/02 土】
  血糖値、昨夜の眠る前で、92。 とうとう、100を切ったか。 しかし、今朝、朝食前で、104。 飲み食いをしていない、眠っている間に増えるとは、これ如何に? 計測器に問題があるのか、体の中の、他の部分から、血液に糖分が流れ込んでいるのか。 それとも、インスリン注射から時間が経ったので、その効果が薄くなったという事かな?

  今頃になって、知ったのですが、食後血糖値は、食後2時間で測るようです。 私は、早い方がいいだろうと思って、1時間で測っていたのですが、それでは、当然、高い数値になるわけです。 明日から、2時間で測る事にします。 ちなみに、「食後~時間」とは言うものの、食べ終わってからではなく、食べ始めてからの時間です。 血糖値は、一口食べただけでも、上がり始めますから。

  今日は、朝から、雨。 屋内で、歩行して、なんとか、3000歩。

  正午頃に上がったので、傘を手に持ち、徒歩で、図書館へ。 帰って、1時25分。 図書館にいた時間を引くと、1時間20分で、昨日行った志下と、大して変わりません。 歩数も、7000歩台で、ほぼ同じ。 行き来し慣れた道であるせいか、志下よりは、時間が短く感じられました。



【2024/11/03 日】
  歩数計を着け始めて分かったんですが、茶碗洗いや、掃除は、思っていたほど、歩数が行きません。 移動が少なく、上半身だけ動いているからでしょう。 総合的な運動量は、行っているから、血糖値や血圧を下げるのには、効果があると思うのですが。

  朝食後2時間で、血糖値を測ったら、207。 一週間前より、僅かながら、上がっています。 ガッカリだ。 これ以上、何かするとなると、食事を減らすしかありません。 痩せるのもまずいので、ご飯や、パン、麺類など、炭水化物を減らし、野菜を増やすしかないです。

  もっとも、食後血糖値の目標は、180以下だから、200程度なら、いい線まで落ちていると言えないでもなし。 ただし、インスリンを打っての数値ですから、糖尿病が治ったわけでは、断じて、ありません。

  午後、昼寝してから、折自で出かけました。 港大橋で狩野川を渡り、沼津港の前を通って、千本街道を、西へ。 撮影目標の歩道橋が、なかなか見つからず、片浜まで行ってしまいました。 遠過ぎる。 ところが、帰って来て、歩数を見ると、4500くらいしか行ってません。 自転車だと、移動効率がいい分、運動にならないようです。

  夜になってから、座敷を歩いて、何とか、1万歩にしました。



【2024/11/04 月】
  血糖値、昼食前で、126。 一週間前は、181でしたから、だいぶ、減った事になります。 しかし、まだ、空腹時・正常値の110以下になりません。 手強い。 というか、糖尿病は、一旦なってしまったら、そんなに、短期間で治るものではないのでしょう。

  午後、昼寝してから、運動散歩。 八重坂側から、香貫山の麓の道を一周して来ました。 1時間20分で、7000歩ちょっと。 割と身近に、7000歩コースがあったか。 つくづく思ったのは、1時間20分 歩くというのは、どのコースであっても、かなり、きついという事です



【2024/11/05 火】
  昼食後2時間の血糖値、203。 一週間前より、20近く上がっています。 食事で、食べ過ぎているのかも知れません。 ご飯を、茶碗半分くらいにして、食パン1切れを追加しているのですが、その追加が余分なのかも。 間食・甘いお菓子を全廃したから、せめて、三度の食事だけは、満腹近くまで食べようと思っていたのですが、そういう考え方が甘かったか・・・。

  もう、次の血液検査まで、一週間しかないので、明日から、食事を減らしてみようと思います。 このままでは、糖尿病治療が終わらず、鼠蹊ヘルニアの手術が、どんどん、先延ばしになってしまいます。

  午後、昼寝してから、バイクで、裾野市の南の端、水窪にある、道祖神へ行って来ました。 旧246号線沿いで、以前に来た、水窪神社の近く。

  帰ってから、運動散歩。 南へ、往復で4000歩、歩いて来ました。 ツーリングと、散歩を、一日で両方やるのは、厳しい。



【2024/11/06 水】
  買い出しから帰って、外掃除。 運動散歩。 香貫山の麓を一周して来ました。 1時間20分。

  今日から、食事の時刻を変更しました。

  実は、昨夜、8時頃から、頭がクラクラし始め、「これは、低血糖に違いない」と思い、砂糖水を作って、飲みました。 放っておくと、脳に障碍が残ったりして、まずいらしいのです。 血糖値計測をしたわけではないから、確実にそうだとは言い切れませんが、あんなにクラクラが続いた事は、過去に経験がないので、まず、間違いなく、低血糖でしょう。

  夕食後、眠るまで、何も食べないから、低血糖になったんでしょうな。 つまり、確実に、血糖値は下がっているわけだ。 昼間、いつまで経っても、血糖値が下がらないのは、食事の間隔が詰まり過ぎていて、下がる時間が足りないのかも知れません。

  で、今日から、昼食は、10時半から、12時に、夕食は、3時半から、6時に改めた次第。 昼食は、母とバラバラなので、問題なし。 夕飯は、母と一緒に食べていましたが、3時半に、一応、食卓に着くものの、その時には、お茶だけにし、6時を待って、私一人で食べる事にしました。

  で、5時50分に、夕食前の血糖値計測。 140。 一週間前は、273だったから、だいぶ下ですが、夕食を遅らせているのだから、当然の事。 むしろ、空腹時なのに、正常値の110より、30も高いのは、問題です。 あと、一週間では、落としきれないか。

  どうも、私は、血糖値の特性について、理解していない事が多いです。 最初に、栄養士から、食事指導を受けた時に、「食事の時刻を変えてください」と言われていたのに、食事制限と運動だけで、どうにかなると決め込んで、やろうとしなかったのてす。 専門家のいう事は、素直に聞いておくものですな。



【2024/11/07 木】
  午後、運動散歩。 南へ、4千歩コース。 同じ道を歩くのは、もう、4回目なので、歩く時間が短く感じられます。

  11月に入ってからは、終日の雨天がないお陰で、毎日、1万歩を超えています。 足が引き締まって、筋肉がついて来ました。 こういう体に変わって行く事で、カロリー消費がし易くなって行くんでしょう。 血糖値が下がるのに、月日がかかるというのは、この変化が必要だからなのかも知れません。 そして、一生やらなければならないと・・・。 それが、きつい。

  6時に夕食。 8時に、水を飲み、座敷を500歩歩いてから、血糖値計測。 なんと、126でした。 食後は、180以下が正常ですから、かなり低いです。 インスリン注射をしているから、私の体の実力ではありませんが、とにかく、ここまで落ちたのが、嬉しいです。 水よりも、運動が効くんですかねえ?



【2024/11/08 金】
  午後、昼寝してから、運動散歩。 南へ、4千歩コース。 昨日と同じです。 カメラは、持って行きません。 胸ポケットが重いだけですから。

  今日は、1時間以内で、戻って来られました。 脚に筋肉がついて、脚力が上がったからでしょう。 逆に考えると、運動をほとんどしていなかった、この5年間に、如何に、私の体が衰えていたかという事ですな。

  朝起きて、階段を下りる時に、今までは、足踏みを6回やってからでないと、危なっかしかったのに、ここ数日は、ポンポン下りている次第。 脚だけでなく、体全体の動きが良くなっています。

  糖尿病になって、いい事もあるんですなあ。 落命とするとか失明するとか言われないと、運動する気になりませんでしたから。 太らなければ、それでいいと思っていたのです。



【2024/11/09 土】
  昨夜10時。 眠る前の血糖値が、121。 空腹時の正常値は、110以下なので、まだ、高い。 夕食の時間を遅らせた関係で、腹が減りきらないんでしょう。 12時くらいまで起きていればいいんですが、寒くなって、ガタガタ震えが来る有様。 やむなく、早く眠った次第。

  今朝、朝食前は、98。 これは、正常値内です。 ただし、インスリン注射のお陰。

  外掃除・水やりの後、車にワックスをかけました。 ヘッド・ライトには、コンパウンド。 車とバイクの、タイヤ空気圧を見て、みな、減っていたので、空気入れで足しておきました。 タイヤ6本分やると、結構な運動になりますが、歩数計には、カウントされません。 血糖値は落ちたようで、昼食前に、また、頭がクラクラして来ました。 食べると、治ります。

  午後、昼寝してから、運動散歩。 八重坂峠を越えて、家から、2千歩地点で引き返してきました。 往復、4千歩。 家の中で、6千、稼いでおけば、散歩は、割と近くまでで済みます。



【2024/11/10 日】
  買い出しから帰って、8時40分に、朝食後2時間の血糖値計測。 177。 食後だと、180以下が正常値ですから、何とか、切っています。 買い出しに行って、動いたからでしょうな。 やはり、運動は効くようです。

  午後、昼寝した後、資源ゴミを出しに行って、そのまま、南へ運動散歩。 少し歩き過ぎて、今日は、12000を超えてしまいました。 まあ、多い分には、問題ないか。




  今回は、ここまで。 ひと月に一回で、出すのが、10日分では、溜まる一方で、無限に捌けないようですが、その点は、ご安心を。 この頃は、まだ、どういう風に、生活習慣を変えて行けばいいのか分からず、試行錯誤しているから、毎日、記述があるのです。 要領が分かって来ると、闘病経過について、たまにしか書かなくなるから、そうなったら、すぐに追いつくでしょう。

2025/04/06

読書感想文・蔵出し (123)

  読書感想文です。  この記事を纏めているのは、3月半ばなのですが、鼠蹊ヘルニア手術は、肝機能の数値が悪くなったせいで、中止になってしまい、未だに予定すら立っていません。 糖尿病の治療は、地道に続けています。 読書は、全然、やる気にならないものの、惰性で続けている次第。





≪非Aの世界≫

創元SF文庫
東京創元社 1966年12月16日 初版 2016年2月29日 新版
A・E・ヴァン・ヴォークト 著
中村保男 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 310ページ。 コピー・ライトは、1945年。 創元文庫での、旧版の方は、2007年1月19日で、29版まで行ったようです。 旧版と新版で、訳者が代わっているのかどうかは、不明。 「非A」は、「ナル・エー」と読みます。


  ≪機械≫による統治が行なわれている未来の地球。 政府の要職や、金星行きの特権を賭けたゲームに参加しようと、≪機械市≫にやって来た男は、他のゲーム参加者からの指摘で、自分の記憶にある自分の経歴が、ことごとく、間違っている事に気づく。 自分にそんな記憶を与えたのが誰で、どんな目的があるのか、地球と金星を、瞬間移動で行き来しながら、探り出そうとする話。

  「非A(ナル・エー)」とは、アリストテレスの演繹的推論を否定し、帰納的推論を重視する人達の事らしいですが、タイトルとしては、印象的であるものの、話の中身とは、あまり、関係がありません。 娯楽作品に、哲学が出て来たら、まず、その作者が、哲学について、どの程度、知見があるかを疑い、次に、翻訳者が、哲学について、どの程度、知見があるかを疑うべし。 とんだ間違いが、堂々と臆面もなく書かれている場合があるので、最初から無視してしまった方がいいくらいです。 翻訳の世界では、哲学書を訳す時に、「分からないところは、分からないように訳せ」というコツがあるそうで、真面目に読んでも、意味が通らないなどという事は、ザラらしいです。

  主人公には、予備の脳があり、それを訓練する事で、瞬間移動が可能になるという設定。 地球と金星の距離でも、飛んでしまうのだから、大変な力ですな。 ≪機械≫が統治している社会ですが、AIがテーマではないので、そちらは、掘り下げられていません。 SFらしい設定は、瞬間移動だけかな? 金星が、居住可能な星として描かれていますが、1945年では、致し方ないか。 真空管も、頻繁に出て来ますが、それも、書かれた時代を表しています。 トランジスターが登場するのは、遥か後です。

  見せ場は全て、活劇部分でして、映画にした時に、どういう映像になるかを想像しながら書いたような、場面転換の速さが見られます。 活劇にしてしまえば、大抵の映画は、観客の興味を引っ張っていけますからのう。 ただし、小説として面白いかどうかは、話が別。 読書慣れ、SF慣れしている読者ほど、途中で眠ってしまうのではないでしょうか。

  印象としては、1945年に書かれたものとは思えないほど、新しい感じがします。 ディックさんに大きな影響を与えたというのも、納得できます。 しかし・・・、私としては、この作品で評価できるのは、タイトルの異化効果だけのような気がしますねえ。 この作品に見られる不思議さは、SF的雰囲気に過ぎない、ハッタリなんじゃないでしょうか。




≪非Aの傀儡≫

創元SF文庫
東京創元社 1966年12月30日 初版 2016年3月25日 新版
A・E・ヴァン・ヴォークト 著
沼沢洽治 訳

  沼津図書館にあった、文庫本です。 長編、1作を収録。 361ページ。 コピー・ライトは、1956年になっていますが、解説によると、発表されたのは、1948年だとの事。 ≪非Aの世界≫の3年後に書かれた続編。 創元文庫での、旧版の方は、前作同様、2007年1月19日で、29版まで行ったようです。 旧版と新版で、訳者が代わっているのかどうかは、不明。


  ≪非Aの世界≫の主人公は、金星を狙う、大帝国の野望を打ち砕く為に、瞬間移動能力を活用して、支配者エンローの元に向かう。 何者かの手によって、主人公の精神が、支配者の後継者である王子の体に乗り移ったり、予知能力がある人々が住む星へ行ったり、めまぐるしく、宇宙の広大な距離を行き来する話。

  前作は、辛うじて、SFアイデアをテーマにした、本格SFでしたが、この続編は、ほぼ、スペース・オペラですな。 特に、スペース・オペラを、軽く見る気はないですが、王国、宗教、星間戦争なと、スペース・オペラに必要に要素は、全て備わっています。 スペース・オペラが好きな人ならは、ワクワク・ドキドキする事、請け合い。

  SF設定は、瞬間移動の外に、予知能力が加わります。 乗り移りの方は、SFというよりは、オカルトに近いですが、一応、主人公が、予備脳を持つ、特殊な人間という事で、科学的に辻褄が合わされています。 SFの科学的辻褄なんて、それ自体が胡散臭いですが、ないよりは、安心できます。

  前作と違うのは、瞬間移動と予知能力について、大変、細かく、主人公の思考が描きこまれている点です。 「先を読まれているから、相手は、こう動くはずだ」といった類いの事。 細か過ぎて、スペース・オペラ好きには、「くどい」と思われてしまうかもしれませんが、普通のSFファンなら、その細かい描き込みだけが、この作品を、本格SFの範疇に入れていると見做すでしょう。

  私も、その細かいところだけは、読み応えを感じました。 作者の頭が悪くては、こんな事は、とても、書き込めません。 問題は、その細かさが、紙数を稼ぐ方には寄与していても、作品を面白くする方には、影響していないという事ですな。 スペース・オペラとしては、理屈っぽく、本格SFとしては、スペース・オペラチック過ぎるのです。




≪夏樹静子作品集 第一巻≫

株式会社 講談社 1982年8月15日 第一刷発行
夏樹静子 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの作品集の一冊です。 長編1作、中編3作を収録。 二段組みで、全体のページ数は、338ページ。 


【天使が消えていく】 約164ページ 1970年4月

  地方誌の女性記者が、取材した心臓病の赤ん坊を助けてやりたいと思うようになるが、売春を生業にしている母親は、その女の子を邪魔者扱いして、ろくに世話もしようとしない。 殺人事件が、連鎖して、二件起こった後、赤ん坊の母親に、不穏な言動が見られ・・・、という話。

  夏樹さんの作品は、初めて読んだんですが、同じ女性推理作家でも、山村美紗さんの作品と比べると、ずっと、硬い文章ですな。 これが、処女作だそうですが、元は、純文学志望だったのでは? 推理小説としては、描写が濃過ぎると思います。 じっくり、物語の世界に入り込みたい読者は、喜びそうですけど。

  トリックは、特には、なし。 謎は、あります。 動機が凝っていて、いかにも、夏樹作品という特徴が見られます。 私は、小説の夏樹作品は、これが初めてなので、ドラマのそれを参考にして、言っているわけですが。 いわゆる、ドンデン返しのラストでして、私は、あまり、好きじゃないんですが、よく考えられているという点では、高評価する以外ないレベルです。 こういう方法でしか、目的を達成する事ができなかったというのは、悲しい生き方ですな。


【77便に何が起きたか】 約56ページ 1977年10・11月

  車の事故で死んだ男が、事切れる間際に、「77、危ない」と言い残す。 それとは無関係に、77便に乗る予定でいた男性が、ノイローゼが治ったばかりの弟から、乗らないように言われたのを無視して、空港まで車で向かうが、途中、入れたばかりのガソリンが、なぜか、なくなり、飛行機に乗り遅れてしまう。 そして、飛び立った77便は、貨物室に載せられた爆弾により、空中分解し、乗客乗員全員が死亡した。 警察が、搭乗予定だったのに、乗らなかった人間を調べて行くと・・・、という話。

  この頃、旅客機の事故が多く起きていたのかも知れません。 松本清張さんや、森村誠一さんが、航空事故を題材にした作品を発表しており、流れとしては、それに乗ったのだと思いますが、この作品は、社会派というわけではなく、推理小説としての純粋度が高いです。 読者を、ゾクゾクさせる目的で書かれており、航空事故は、そのダシに過ぎないからです。

  徹頭徹尾、搦め手から攻める手法。 一見、何の関係もないと思われる、複数の人物について、順に語られて行く内に、ある一点だけで、彼らの共通点が出て来て、そこから、一気に、謎が解けて行きます。 その一点というのが、映画館なのですが、その点は、松本さんの、【砂の器】から、戴いたのかも知れません。 【砂の器】を読んでいない、映像化されたものも見ていない、何も知らない読者ならば、ゾクゾクして、堪えられないでしょう。


【90便緊急待避せよ】 約72ページ 1979年9・10月

  米子から、東京へ向かっていた小型旅客機。 機内で、東京で大きな地震が起こったというアナウンスがあり、大島へ下りたが、実は、地震など起こっておらず、機内で見つかった爆破脅迫文の指示に従ったのだった。 結局、爆弾は見つからなかったが、警察は捜査本部を立ち上げ、脅迫犯を突き止めにかかる。 乗客の内、数人に尾行がつくが、実は、この脅迫事件の目的は・・・、という話。 

  これは、航空事故ものと言えるかどうか、微妙です。 実際、飛行機そのものや、乗客乗員には、何の被害もなかったわけですから。 タイトルから、航空事故ものを期待して読み始めた読者は、肩透かしを食らう事になります。 夏樹さん、それを承知で、航空事故もののパロディーのつもりで、こんな話を考えたんじゃないでしょうか。

  捜査が始まって以降は、普通の、といっても、かなり濃密な、推理物になります。 で、最終的に、旅客機を脅迫した理由が分かるわけですが、「いくら、そういう目的があったとしても、こんな傍迷惑な事をするかね?」という違和感を覚えずにはいられません。 よく練られた話であるからこそ、その大元のアイデアが、弱い感じが滲み出てしまうのです。


【ガラスの絆】 約46ページ 1972年12月

  双方に健康上の問題があって、子供が出来ない夫婦。 他人の精子を混ぜた人工授精で、ようやく授かったが、子供が大きくなるに連れ、夫と似ていない点が目に付くようになり、他人の方の種であった事が分かる。 夫の態度が次第にきつくなる中、妻のもとに、「自分が、子供の精子の提供者だ」という若い男が現れ・・・、という話。

  これだけでは、推理物になりませんが、この後、その若い男が殺され、妻が容疑者になるという流れ。 若い男には、女がいて、その女が、夫の愛人という設定で、些か、偶然が過ぎると思わせますが、実は、偶然ではなく、そうなった経緯からして、犯罪計画の一部だったという話になります。

  若い男が、二人出て来るのですが、最初の内は、それが一人の人物だと、読者に思わせるように書いており、アンフェア、ギリギリなところもあります。 真相が分かると、意外性に驚くというより、「ああ、そういう事ね」と、軽く納得するタイプの種明かし。 題材からして、社会派も兼ねて狙ったように見受けられます。




≪夏樹静子作品集 第二巻≫

株式会社 講談社 1982年3月15日 第一刷発行
夏樹静子 著

  沼津図書館にあった、ハード・カバーの作品集の一冊です。 長編2作を収録。 二段組みで、全体のページ数は、388ページ。 この作品集、なぜか、第二巻の方が、第一巻より、発行が早くなっていますな。


【蒸発】 約222ページ 1972年4月

  東京から北海道へ向かう旅客機の中で、確かに乗ったはずの女性乗客が、下りる時には、いなくなってしまう。 ベトナム戦争へ取材に行っていた新聞記者が、殺されたというニュースが流れた直後の事だった。 生還した男は、妻と別れて、再婚しようとしていた人妻が家出した事を知り、行方を捜す。 やがて、福岡のアパートの一室で、その人妻に、かつて、懸想していた人物が、死体となって発見され・・・、という話。

  これでは、あらすじになってしまうので、このくらいにしておきます。 話が複雑過ぎて、数行の梗概では、纏められないのです。 二段組みですから、単行本や文庫本にすれば、一冊になる長さですが、それにしても、普通の長編の長さなのに、この複雑さは、異様。 推理物のアイデアには、トリックや謎を、パッと思いつく、「発想型」と、理詰めで積み上げて行く、「構築型」がありますが、この作品は、間違いなく、後者です。

  旅客機内で、女が一人消えてしまう、というだけでも、大事件ですが、その後に、殺人事件が3件も起こり、しかも、全ての事件が、関連あり。 一つの作品なのだから、当然と言えば当然ですが、誰にでも書けるというものではなく、人並外れて緻密な思考能力がある、夏樹さんだかこそ、こういう作品を作り出せたのでしょう。 おそらく、当時の推理小説界では、他の作家はもちろん、評論家の面々も、あまりの複雑な設定に、大いに唸らされたのでは?

  メインのトリックである、旅客機からの蒸発は、ちゃんと、現実的な説明がなされていて、実際にやれば、できたものと思われます。 夏樹さんも、よくもまあ、これだけ込み入った旅客機業界事情を、調べたものですなあ。 これだけでも、感服つかまつる。 後半には、鉄道トリックまで出て来ますが、そちらは、ちと、盛り込み過ぎの、欲張り過ぎか。

  ただし、複雑さを堪能するのが目的ではなく、ゾクゾク感を楽しみたいという読者には、却って、読み難いかも知れません。 説明に、繰り返しが多い点も、お世辞にも、美点とは言えません。 たとえば、そこまでの会話の流れで、すでに、何が起こったか、読者には分かっているにも拘らず、作者が、解説するかのように、説明を繰り返すのです。 「複雑だから、説明が要るだろう」という配慮なのでしょうが、推理小説を読み慣れている読者なら、大抵は、「くどい」と感じるんじゃないでしょうか。

  重箱の隅をつつきますと、その、旅客機内で消えた女には、そんな事件を起こした動機があるのですが、これが、特殊な性格から来るもので、少々、違和感があります。 こんなややこしい計画に、協力する者がいるというのも、不自然な感じがしないでもない。 話をもちかけられたとしても、常識があれば、他の方法を勧めるのでは? 


【第三の女】 約166ページ 1977年2月~4月

  大学助教授の男が、パリ郊外のホテルの一室で、嵐と停電の夜に出会い、顔を見ぬまま、愛を交わした謎の女は、帰国後、助教授が殺したいと願っていた非道な教授を殺してくれた。 今度は、謎の女が殺したいと願っていた別の女を、助教授が殺さなければならない。 明確な約束がないまま、実行される交換殺人には、助教授の謎の女に対する強い思慕が背景にあったが、事件関係者の中で、誰が謎の女なのか分からず、四苦八苦する話。

  この作品、何度もドラマ化されていて、私も、村上弘明さん主演の版で、見た事があります。 あのドラマは、ほぼ、原作に従って、映像化されていたわけですな。 原作自体が、よく練られている上に、映像的にも、「絵になる」場面が多いので、下手に弄るよりも、そのままやった方がいいと思わせるのかも知れません。

  いかに、ロマン心を刺激する、外国での嵐の夜とはいえ、初対面で、顔も見ていない相手と、性交渉まで行くかね? とは、誰でも思うところですが、解説にもあるように、この作品は、推理小説であると同時に、ロマンスでして、恋愛小説のほとんどがそうであるように、理屈は二の次、ロマンチックなら、それで充分。 野暮な指摘はするな、という事ですな。

  推理小説としても、面白いです。 交換殺人ネタは、推理物では、定番中の定番ですが、ちょっと驚くような捻り方をしてあって、ラストで、謎の女の正体について、種明かしをされると、アハ体験が避けられません。 さすが、夏樹さんと言うべきか。 主人公が知る前に、謎の女の正体を知っているのは、二人だけですが、一人は早々と死んでしまいますし、もう一人は、ラスト近くで、主人公の話を聞いて、確証に到達するから、まあ、知らなかったようなものですな。

  その、早々と死んでしまう人が、鍵なんですが、どんな読者も、それを見抜く事ができないでしょう。 謎の女ではないかと思われる、紛らわしい人物が、複数人出て来るのは、作者が、この作品で一番、読者を引きつけたいと望んだのが、謎の女の正体である証拠。 そして、その作戦は、見事に成功しています。

  オマケみたいなものですが、食品会社による有害な製品で、小児ガンが引き起こされるという社会問題が背景にあり、社会派推理小説でもあります。 この時期の推理小説界では、社会派でないと、相手にしてもらえないような風潮があったのかも知れません。 社会派を吹き飛ばしてしまうのは、角川映画、≪犬神家の一族≫の、歴史的大ヒットですが、すぐに潮目が変わったわけではなかったのでしょう。




  以上、4冊です。 読んだ期間は、2024年から、年を跨ぎ、2025年にかけて、

≪非Aの世界≫が、12月17日から、19日。
≪非Aの傀儡≫が、12月20日から、22日。
≪夏樹静子作品集 第一巻≫が、12月29日から、1月5日。
≪夏樹静子作品集 第二巻≫が、1月12から、15日。

  ≪非Aの世界≫で、SFに飽き、推理小説に回帰しようと目論んだのですが、夏樹静子さんの作品は、どうも、馴染めず、今回紹介した二冊で、とりあえず、止めてあります。

  月日が経つのは速い。 ≪夏樹静子作品集 第一巻≫なんて、つい先日読んだような気がするのですが、年を跨いだ頃だから、もう、3ヵ月も過ぎたんですな。 こんなに時間の経過が速く感じられるのは、糖尿病治療の運動療法で、一日13000歩も歩いているせいで、体力を消耗し、食欲が旺盛になって、毎日、食べる事ばかり考えているからでしょうか。