2007/01/28

拝啓、日本製品

  不二家の不衛生騒動が喧しいですな。 工場でネズミがザクザク獲れたって? ネズミがいるようでは、その数百倍のゴキブリがいると見て間違いないでしょうな。 わはははは!

  「ペコちゃんも泣いている」なんて見出しを書いていた新聞もありましたが、アホか、ペコちゃんは不二家の専属キャラなんだから、当然、会社側の立場でしょうが。 ペコちゃんも一緒になって土下座すべきなんですよ。 泣いてる場合か。

  つまらんつっこみはさておき、食品会社だけでなく、パロマの湯沸かし器だの、ソニーのバッテリーだの、サンヨー洗濯機だのと、製造物責任法に抵触するような重大問題が続々と発覚し、「物作り日本の危機」などと騒がれています。 でもねえ、日本製品なんて、もう15年も前からその程度の品質ですぜ。 私も自動車工場で働いていますが、日本製品を代表する自動車ですら、「凄い品質管理だ」なんて思ったことは一度もありません。 というか、自分の勤めている工場で作った車だけは買いたくないとさえ思っています。 知っている連中がベタベタ触っているので、何となく汚らしいですし、何より、品質が信用できないからです。

  「日本人は勤勉なので、物作りに適している」とかなんとか、日本人の耳には聞こえがいい言葉を口にする識者が多いので、日本人全員が漠然とそれを鵜呑みにしているようですが、そんなのは根本的な勘違いであり、完全な錯覚であると同時に、恥かしいまでの自意識過剰です。

  日本人が勤勉? 一体、どの外国と比較してそんな事言ってるの? 週二日きっちり休んでいる人間がよくそんな事言うねえ? 世界には週休一日の国がたくさんあるんだよ。 実働時間だけ比べても、日本人が勤勉だなんて言えるわけないでしょうが。 悔しかったら、土曜に出て働いてみんさい。 どうだ、出来まい? サービス残業がどうのこうのと指摘する向きもあるでしょうが、仕事をし続けなければ精神に異常を来たすワーカー・ホリックというのはどこの国にもいるのであって、日本だけの特徴ではありません。

  数年前に、家電業界で、≪日本製ラベル≫というのが流行りました。 「日本国内の工場で日本人が作った製品である」という事を示すラベルの事です。 これをビデオだのテレビだのにベタッと貼って店頭に並べると、「ああ、日本製なら品質が高いんだ」と思って、お客が安心して買うというのです。 あれには、大笑いしましたね。 いや、その時期が80年代の中頃だったなら、まだ分かるんですよ。 その頃の日本の電気製品は確かに品質が世界一でしたから。 でも、90年初頭には早くも韓国・台湾製品に抜かれ、2000年頃には中国製品に抜かれ、もはやトップでも何でもない雑魚レベルに堕ちてから、≪日本製ラベル≫を貼られたのでは、笑うなという方が無理です。

  つまり、実力が落ちて、性能・品質・価格あらゆる面で外国製品に敵わなくなったので、ブランド・イメージで目くらましをかけようという発想だったのでしょうな。 また、買う方も馬鹿といえば馬鹿で、結構これに騙されて、わざわざ日本製を買った人が多かったんですよ。 その内、家電製品の工場が軒並み日本国内から撤退してしまい、日本製ラベルも姿を消しました。 しかし、今でもシャープあたりは≪亀山品質≫などと言って、亀山工場で作った製品を特別視させようと宣伝していますね。 だからさあ、亀山で作るとどうだっていうのよ? 特別、亀山近辺には勤勉で優秀な日本人が住んでいるとでも言うのかな?

  どうも、みなさん、「工場に勤めている日本人は、みんな勤勉で真面目で優秀な人間だ」と錯覚しているようですな。 エコノミストのように、工場の現場を知らない者ほど、その傾向が強く見られます。 自分や家族や、身近な人々は、超が付くほどいい加減で、だらしがない生活をしているのに、なぜか「工員はみんなまじめ」と思うらしいのです。 そんな事あるわけないでしょ? 所詮みんな同じ日本人だって。 同じ社会で暮らしているんだから、人格レベルはみんな同じですよ。

  ひきこもりで、風呂にも入らず、顔も洗わず、歯も磨かず、起き巻き寝巻きの垢だらけで暮らしているような薄汚い野郎が、ネット上では一人前の論客ぶって、「品質を世界に誇る日本の工場で、衛生管理が出来ないなど許されない」なんて怒ってるのを見ると、腹を抱えて笑わないわけにはいきませんな。 自分は不潔の権化で悪臭振り撒いて生きているくせに、食品工場の工員はみんな清潔で、真面目で、品質意識に溢れていると思ってるんですよ。 アホか? みんな、お前と同じだよ。 お前と同類の不潔人間が、日本の食品工場を動かしているんだよ。

  私の勤め先の自動車工場ですが、30才以下の若い連中は、ほぼ半数が、茶髪・ピアスです。 そしてその中の少なからぬ数が、ずらしズボンでパンツ出して働いています。 ガムや飴をクチャクチャ・ピチャピチャやりながらね。 嘘みたいでしょ? でも、否定のしようがない事実なんですよ。 勤勉で真面目な工員? どこにいるの? 少なくとも、今の日本人でそんなのは存在しませんな。 ちなみに、工員が「新聞」といったらスポーツ新聞の事ですし、工員が「本」といったら雑誌の事です。 趣味はほとんどがパチンコ。 大体、どういう人種か想像できた? だからねえ、あんたら、工場や工員について、何にも知らないのよ。 (特に新聞記者ども! 手前勝手な想像で、工場・工員像をデッチ上げるなよ。 お前らが書いてるようなお上品な工場なんぞ、日本にゃ一箇所もありゃしねえぞ。 一度、派遣会社にでも登録して、工場で一ヶ月ばかり働いてみればいいだろう。 そうすりゃ、印象が180度変わるから)

  それと、これもよく言われますが、「工場で問題が起きても、悪いのは一部の管理者であって、大部分の従業員は真面目に働いているのだ」というのも、見事な錯覚です。 組織というものの性質が分かっていない。 組織の腐敗というのは、不正を犯す者と不正を見過ごす者が揃った時に成立します。 たとえ、ネズミが出る食品工場に、「こんな状態はおかしい」と思う従業員がいても、それを「やむを得ない」として見て見ぬふりをしてしまえば、それは不正に加担しているのと同じ事です。 雪印や三菱ふそうの再生が思うように進まないのを見ても分かるように、組織の腐敗が表に出て来る時には、上から下まですべての人間が腐っているのだと考えるのが妥当です。

  まあ、自分と同レベルの人間が作った製品なんか信用できないと思ったら、日本製品は買わない事ですな。 日本のメーカーというのは、現在すべて落ち目ですから、今後も品質が上がるという事はないです。 今いる人間が腐っている上に、入ってくる新入社員達が、それに輪をかけて人間のなりそこないみたいな連中ばかりなんですから、よくなるわけないでしょ? 外国製品なら常に信用できるというわけではありませんが、輸出品というのは国内向けよりも厳しい品質基準で作られますから、それだけでも日本製品よりはマシと考えていいでしょう。

2007/01/21

物欲輪廻

  折り畳み自転車を買うべきか買わぬべきか、悩み続けてかれこれ一ヶ月。 候補は幾つか決まり、お金を持って店まで出向いた事もあるのですが、どうにも最後の思い切りがつきません。 最近は、何が私をこんなに苦しめるのか、そちらの方が気になってきました。 どうも私は、折り畳み自転車そのものが欲しいわけではないようです。

  私は吝嗇家なので、値段は大きな要素ですが、こと折り畳み自転車に関しては、値段をあまり気にしていない事に気付きました。 候補の三車種の内、鉄製二台は一万円弱、アルミ一台は二万円弱で、ほぼ二倍の開きがありますが、それが理由でアルミを候補から外した事はありません。 アルミには軽いという決定的な利点があり、腰痛持ちの私としては、お金には代えられない魅力があるからです。 ではアルミにすればいいではないかと思うでしょうが、他の障碍が私を思い止まらせるのです。 そのアルミの車種は、スポーツ系のデザインが施されていて、サドルはスプリング無しの細身タイプ、前後泥除け無し、それでいて6段ギア付きという、およそ中年男が乗るには似つかわしくないイメージを纏っているのです。

  では、鉄製にすればいいではないかと思うでしょうが、奇妙な事に、様々な条件が最もよく揃っている車種があるにも拘らず、買う気になりません。 そんな物を買ってもつまらないと思ってしまうのです。 前にも書いたように、折り畳み自転車はサイズが小さい事から、普通自転車と比較すると確実に乗りにくい代物です。 いかに条件に適合していても、普通自転車よりは乗りにくいわけですから、満足が得られるとは思えません。 道具としてつまらないんですな。

  もし必要性があってどうしても買わなければいけないというのなら、一も二もなくそれにしますが、私の使用目的は「写真撮影の足にしたい」という遊びにあるので、重さを我慢してまで安い物を選ぶ切迫した理由が無いのです。 遊び目的なのに、我慢しなければならないなんて、なんか変でしょう?

  ではアルミにすればいいではないかと思うでしょうが・・・・う、これはさっき書いたな。 だから、こんな具合に堂々巡りしているわけですよ。

  一番すっきりするのは、やめてしまう事です。 必要ないんだから買わなければいいんです。 でも、それはそれでつまらないんですな。 現在私には他に欲しい物が無いので、折り畳み自転車を断念してしまうと、宇宙空間に放り出されたような不安な精神状態になります。 それを解消する為に、他に欲しいものが出てきて、また悩み始めるに違いありません。 同じ事が延々と繰り返されるわけです。 物欲の輪廻。 人間というのは奇妙なもので、何かしら欲しい物があった方が、生きる張り合いが出るんですな。 「週末になったら、○○を買おう」と思っていると、一週間がワクワク気分で過ぎていきますよね。

  つまりね、私が欲しがっているのは折り畳み自転車という具体的な物ではなく、何かを欲しいと思う心理的状態なのですよ。 それが証拠に、折り畳み自転車を買う所まではワクワク感が続くと思うのですが、買ってしまった後もワクワクし続けるかというと、そんな気は全くしません。 すぐに飽きると思います。 子供の頃、プラモデルを買ったはいいが、作る気が起こらなくて、箱のまま放置していた経験がある人は多いと思いますが、あれと同じです。 いわゆる、≪手段の目的化≫という奴ですな。 手に入れる事が目的になってしまっているので、使う段になると持て余してしまうのです。

  これはどうすべきか、またまた悩まなければなりませんな。 どこかで物欲輪廻を断ち切れればいいんですがね。 精神医学では、こういう時、目標を別のものに置き換えさせる事で治療しますが、物欲を他のものに置き換えるとしたら、何があるんでしょうね? インドア方面はもうあらかたやりつくしたから、スポーツでもやるか。 お金がかかるのは嫌だから、散歩でもしようか。 しかし、徒歩だと帰りが疲れるから、自転車の方がいいか。 自転車だと遠出が出来ないから、車も使おうか。 車だと細かい所が見て回れないから、折り畳み自転車を車に積んで・・・・。

  うーむ、重傷だ・・・・。

2007/01/14

風前の灯

  何と言うか・・・・一年くらい前に比べると、明らかに筆が鈍りました。 そもそもこの≪心中宵更新≫は、時事コラムとしてスタートしたわけで、時事ネタさえあれば、いくらでも書けるようになっているんですが、最近はとんと書く気が起こりません。

  時折り指摘しているように、読み手の半数以上がろくでもない連中だと分かってしまった為に、真面目に文章を物そうという気が失せた事も大きく響いています。 そうそう、先日、再度実施した≪三無能の扱き下ろし≫ですが、結果は上々で、翌日からまた閲覧数が半分になりました。 やはり時々清掃する必要があるようですね。 それにしても、本当にブログ閲覧者の半数は、学生・フリーター・ひきこもりなんですなあ。 こうと数字で証明されてしまうと、改めて空恐ろしさを感じます。 ネット世論なんて、人間の出来損ないどもの戯言なんですねえ、つくづく。

  で、書く気が失せた理由の続きですが、他に、私自身が歳をとって、世の中の行く末に対して興味を失ってしまった事があります。 昔は私なりの理想的社会像というのがあり、そこへ向かって進んで行くように努力しようという意欲がありました。 しかし、世界の状況を観察し続けている内に、私の考えていた理想形には、限界、もしくは根本的な矛盾がある事が分かってきたのです。 たとえば、自由と平等を両立させるのはほぼ不可能ですし、環境保護と経済発展を両立させるのも不可能です。 世の中というのは≪いいとこ取り≫ができないようになっているんですな。

  平等を達成したソ連は崩壊してしまいましたし、自由世界を勝利に導いたと思われたアメリカは、見境のない侵略国家になってしまいました。 EUは≪王道≫を進んでいると思われましたが、トルコの加盟に赤信号が点き、このままでは単なる≪ヨーロッパ地域主義≫に終わってしまう恐れが濃厚となりました。 特にアメリカに限界が見えてしまった事は痛いです。 中国・インドなどはアメリカの後を追っているので、アメリカが駄目という事は、その後に続く国々もすべて同じ穴に落ちるという事になります。

  民主主義が信じられなくなったのも厳しいです。 ≪衆愚≫とはよく言った。 馬鹿だらけの社会で民主主義を実行しても、馬鹿な政治にしかならないんですな。 私が高校生くらいの頃は、民主主義といったら錦の御旗、それさえ維持されていれば、他の全ての問題が解決するとさえ思われていましたが、いまや隔世の感があります。 アメリカの対外政策にせよ、日本の周辺諸国に対する政策にせよ、「自国民の支持さえあればどんな事をやってもいい」という考え方がありありと見て取れますが、それを動かしている民衆一人一人が、政治・歴史・哲学・思想・その他もろもろの知識・教養など微塵も持ち合わせていない、凄まじいばかりの大馬鹿揃いとあっては、震え上がるなという方が無理無体であらしゃんすか? こんな馬鹿どものケダモノじみた妄想で世界政治が動いていたのでは、人類の破滅もそう遠い事ではないと思われます。

  最近ふと思うんですが、地球って人間がいなくなれば、今より遥かに美しくなるんじゃないですかねえ? 鑑賞者がいなければ美も醜もないという事は承知の上で言っているんですが、やっぱり人間は地上の汚物のような気がするんですよ。 身近な所で言うと、この日本ですが、私、日本人はおよそ醜悪な民族だと思いますし、日本の街並みも世界最低レベルに醜いと思うんですが、もし人間が一人残らずいなくなったとしたら、日本列島は素晴らしく美しい島々になるのではないかと思うのです。 すなわち、≪美しい日本≫は金輪際実現不能だが、≪美しい日本列島≫なら、日本人が全員死んでしまうか、国外に放逐されれば実現可能というわけです。 想像して御覧なされ。 自分の住んでいる街から家も道路も何もかも無くなって、一面緑に覆われている景色を。 それはそれは素晴らしいと思いませんか? 正に≪神の国≫だね。 人間さえいなければね。

  いやはや、本来リベラリストの私にこんな事を思わせるようでは、人間の価値も地に堕ちたなあ。 その昔、「人間一人の命は、地球よりも重い」なんて言葉がありましたが、今となっては馬鹿馬鹿しくて笑ってしまいますな。 そもそも人間全部が地球の上に乗っかってんだから、たかが一人の人間の命が地球よりも重いはずがないでしょうが。 誰が言ったんだ、そんな世迷言? 熊が撃ち殺されても、「猟友会のジジイどもが死ねばいいのに」と思うものね。 人間なんてそれこそ掃いて捨てるほどいるのであって、熊の方がよっぽど貴重だよ。

  ああ、しかし、自分自身が人間のくせこいて、こんな自己否定みたいな事ばかり考えていてはいかんなあ。 何か、人間の素晴らしさを思い起こさせてくれるような事はないかなあ。 ・・・・ないなあ。 アメリカ映画はろくなの無くなってしまったし、日本のアニメも質の低下が甚だしい。 小説なんて全然面白くないし、漫画は衰退著しい。 ゲームなんて廃れに廃れて、未だにゲーム機買ってる奴らの気が知れないし、スポーツなんて最初から興味ないし、趣味も出来る事はやりつくした。 学問も、オウム事件以来、科学者が胡散臭く見え始めて、信用できなくなってしまいました。 科学・技術の進歩が人類を救えるなんてとても思えませんな。 むしろ社会の崩壊を助長しているではありませんか。 いやはや、前後左右上下どちらを見ても真っ暗闇だ。 それでも死ぬ気にはならないから不思議なもんです。 つまりその、自ら進んで死ぬほどの積極的意欲も湧いて来ないんですな。

2007/01/07

なるに任せよ

  アフガニスタン、イラク、パレスチナ、スーダン、ソマリアなど、いつまでたっても戦争状態が終わらない地域があります。 国連があれこれと画策して戦争を止めようとしていますが、もともと無能な組織なので、何の結果も出せないでしょう。 国連と直接の関係無しに、アメリカ単独、NATO、EU、といった単位で紛争地域に軍事介入しているケースもありますが、事態はちっとも良くなりません。

  これは、当たり前といえば当たり前で、名前だけ≪平和維持軍≫などとつけても、軍隊というのは本来、≪殺す、壊す≫を目的に作られた組織ですから、治安維持などできるはずがないのです。 たとえば、イラクに展開している米軍はじめ各国の軍隊ですが、アラビア語を喋れる兵隊は、全体の1パーセントもいないでしょう。 言葉が通じないのに、警察の真似事が出来るか出来ないか、ちょっと考えれば分かる事です。 相手が何を言っているか分からないと、どんな人間でも不信感を抱きます。 それが兵隊であれば、武器を持っているわけで、「怪しい奴は、とりあえず殺しておこう」と判断するのは自然の成り行きです。 かくして罪もない住民がザクザク殺され、治安維持軍の信用は地に落ち、「何もしていないのに殺されるのなら、むしろ殺す方に回った方が良い」という処世訓が一般化し、無法状態が現出するというわけです。

  アメリカはイラク駐留軍の数を増やすつもりらしいですが、戦死者が増えるだけでしょうな。 狙う側としては、米兵なら誰でもいいわけで、標的の数が増えればそれだけ狙い易くなるというものです。 そういえば、アフガニスタンでもEUが増派を計画しているそうですが、同じ理由で死人が増えるだけでしょう。 最近、映画で有名になった≪硫黄島の戦い≫では、米軍が安全策を取って島の面積に比べ多すぎる兵隊を上陸させた為、石を投げれば米兵に当たるという状況になってしまい、本来、装備でも戦法でも遥かに貧弱だった日本軍を逆に有利にしてしまったという例があります。 大勢いればいいというわけではないのです。

  話を戻します。 これらの国では今正に、≪戦国時代≫が進行中なわけですが、それが一つの時代であるのなら、必ず終わる時が来ます。 実力者が台頭して、他の勢力を抑え込み、治安を回復するわけです。 ただ、社会の構成員が全員納得する為には、その実力者に本当の実力がなければなりません。 たとえば、アフガニスタンのカルザイ政権ですが、国連のお墨付きを得、米欧各国の軍事支援も受けていますが、実力はどうかというと、全くお話になりません。 タリバンはもちろん、指揮下にあるはずの地方軍閥ですら、カルザイ大統領を実力者と認めていません。 国連はじめ諸外国の操り人形に過ぎないと思っています。 だから、いつまでたっても治安が回復しないのです。 イラクのマリキ政権も全く同じです。 外国の後ろ盾では、国民が納得しないのですよ。

  日本の戦国時代でたとえると、信長が天下を取る目算がほぼ付いた頃、スペイン軍が上陸し、信長を蹴散らして、明智光秀に天下を与えたようなものです。 さて、諸大名が納得するか? するわきゃないわな。 スペイン軍が怖い内は大人しくしていますが、スペイン軍が撤退すれば、即座に明智光秀なんぞ追い落として、自分が天下を取ろうと考えるのは必定。

  紛争地域の治安を回復させたかったら、国連や外国は、一切関与しないのが一番ですな。 放っておけば、その国の中で自然に実力者が出てきて、国内統一をします。 猿山のボス猿と同じで、人間社会というのは、そういう風に出来ているんですよ。 統一の過程では、当然激しい戦闘も行われますから、相当な数の死傷者がでるわけですが、それは避けられない犠牲です。 犠牲者が出るのが分かっているのに手を出さないのは、一見、無責任なようですが、実はちっとも無責任ではありません。 むしろ、手を出して混乱状態を長引かせる方がずっと無責任です。 イラクの米軍を見れば分かるように、手の引き時などいくら待ってもやって来ません。 永久に混乱が続くだけです。

  外部の介入に効果が無いという事例は、いくらでも探す事が出来ます。 国連の平和維持軍が両者の間に分け入ると、一旦紛争が収まりますが、何十年も経って、「もう、いいだろう」と国連軍が引き上げると、一時停止ボタンを戻したかのように、数十年前と全く同じ状態から紛争が再開されます。 つまり、そこの住民にしてみれば、国連軍の存在など、あってもなくても同じだったんですな。

  ≪民族自決≫という言葉は、もう随分使い古されてしまいましたが、単なる理想主義者の奇麗事ではなく、実際に有効な考え方だと思います。 もし多民族であるが故に混乱が収まらない国があるのなら、「国境変更は認めない」などと根拠も分からぬ国際原則など捨て、自然の成り行きに任せて、さっさと分かれさせてしまった方がいいです。 「民族の違いを乗り越えて、みんな仲良く」などと言っていると、死人の山を築きます。 国内で血で血を洗う民族紛争を繰り広げるより、国家分断の方が千倍マシではありませんか。 一つの民族が分裂したのなら悲劇ですが、二つの民族が二つに分かれたからといって、良くなりこそすれ悪くなる事など何もありません。 チェコとスロバキアがいい例です。

  「パレスチナは少々状況が違うだろう。 分けたがっているのはイスラエルの方で、パレスチナ人は分断壁のせいで困っているではないか」と思うでしょう。 でも、あそこは、もっと根本的な段階で外部の介入があるのです。 地勢的に言って、イスラエルの周囲は全部アラブ諸国ですから、本来なら生き残れるはずがないのです。 ところが、危なくなるとアメリカが大量の軍事援助で支えてしまうのです。 だから、いつまでたっても情勢が落ち着きません。 問題の根底には、やはり外部の介入があるわけです。 ただ、このブログで何度も言っているように、今後、世界に於けるアメリカの国力・軍事力は相対的に低下しますから、イスラエルの後ろ盾を続行するのは難しくなるでしょう。  イスラエルはそうなる前に身の振り方を考えておくべきですな。

  「世はグローバル時代だ。 地球規模でものを見るなら、外部も内部もないではないか」と思う向きもあるでしょう。 しかし、現実には、自分を≪地球市民≫だと思っている人間などほとんどいません。 隣の家とですら諍いが絶えないというのに、異民族間、国家間の紛争を抑えられると思う方がおかしいのです。 すべての国・地域が、外国の紛争に一切関与しないようにすれば、世界は驚くほど平和になるに違いありません。

2007/01/04

折り畳み自転車

  私は常に、何かしら欲しい物がないといられない性質のようです。 一種の神経症だと思いますが、買物依存症とはまた別口のようで、やたらめったら何でも買いたがるというわけではありません。 また、買えば満足して欲望がしばらく鎮まるというわけでもないのです。 買った途端にそれに対する興味が冷めてしまって、ろくに使いもせず、うっちゃらかし。 心は次の獲物を求めて、またぞろ欲望が膨らみ始めます。 つまり、買う事よりも、欲しがる事に目的があるのだと思われます。 困った病気で、買わなければいつまでも落ち着かないし、買ったら買ったで面白くもなんともないのですから、もう処置なしですな。

  ここの所、振り回されているのは折り畳み自転車です。 自分のサイトを半写真サイトに改造したのをきっかけに、写真を撮りに行く機会が増えたのですが、それに乗じて、「車で遠出して、スーパーやホームセンターなどの駐車場に停め、そこを中心に折り畳み自転車で近隣を回れば、撮影の行動半径が広がるではないか」という口実を捻り出し、「ならば、折り畳み自転車を買わずばなるまい」と欲望の標的に祀り上げたというわけです。

  一旦思い立つと、欲望の奴隷になりますから、頭の中は折り畳み自転車でいっぱいです。 新聞の折り込みチラシをチェックしたり、近隣のホームセンターや大型自転車店に現物を見に行ったり、ネットで安い通販品を探したり、閑さえあればそんな事ばかりしています。 車種もほとんど決定し、店には無いので、ネットで註文するばかりの所まで追い込みましたが、そこまで来て、ハタと思い止まりました。 なぜって? だって、本当は折り畳み自転車なんて必要ないんだもの! わはははは! そーなんですよ、こんなに欲しがっているのに、論理的に考えると全然必要ないんです! いや、必要ないどころの話ではなく、あると邪魔なのです。 無理やり使うと、腰を痛めて地獄を見る危険性すら否定できません。 無い方が断然いいのです。

  折り畳み自転車があれば良くなる点というと、先に挙げた、「撮影の行動範囲が広がる」というたった一つしかありませんが、悪い点はうようよ思いつきます。 

「小さ過ぎて、身長が高いと乗りにくい」
「タイヤが小径なので、スピードが出ない」
「可動部分が多いので、強度が低く壊れ易い」
「使いにくい割には最低でも一万円前後と高い」
「すぐ飽きる可能性があるが、飽きたらしまう所がない」
「車への上げ下ろしが重い為、腰を痛める」
「車を使わなければならないほど遠くまで撮影に行く気がない」
「遊びの為に車を使って、事故でも起こしたら目も当てられない」
「そもそも車が借り物」
「店の駐車場を前線基地にするという方法は、徒歩でも代用可能」
「店の駐車場を車置き場にするのは、公衆道徳上好ましくない」
「私の写真は下手物が多く、遠くまで行かなくても、近所で撮れる」

  どうだ、これだけ並べれば、どう考えても買わない方が得だろう!

  ・・・・というのは、頭で論理的に考えた時の結論でして、これだけマイナス要素があるにも拘らず、まだ諦めきれないから、病気だというのです。

  たぶん、一度か二度、試してみれば、心身ともに納得すると思うんですよ。 実際に折り畳み自転車を車に載せて出かけ、店の駐車場で下ろして、その辺を走ってみる。 そしてまた積み込んで帰って来る。 これをやってみれば、「こんなきつい事は何度も出来ないな」と思うはずなんです。 うちの近所で、資源ゴミの日に、折り畳み自転車を捨てる人がいないもんですかね?

  実は、我が家には、数年前まで折り畳み自転車があったのです。 母が退職後しばらくの間、親戚のやっているローソンにパートに行っていた事があるんですが、その時、ローソンの懸賞に応募して、折り畳み自転車が当たったんですな。 タイヤは16インチ。 青いボディーに白い文字で≪LAWSON≫と入った奴で、家人は「ローソン自転車」と呼んでいました。 ところが、これが異様に乗り難い。 私は一度だけ、1キロばかり離れたビデオ・レンタル屋に乗って行った事があるんですが、いくら漕いでも歩くより遅く、しかも折り畳み部分のレバーにズボンの裾が引っ掛かって、何度も転倒しそうになる始末。 一回で懲りました。 母も何回も乗らなかったと思うんですが、なぜか我が子のように大事にして、暫くの間は自分の車に積んで走っていました。 懸賞で大物が当たったのが嬉しくてしょうがなかったんでしょうな。 ところが、全然使わないものだから、やがて車から下ろしてしまい、家の自転車置き場に普通の自転車と並べて置くようになりました。 よせばいいのに、荷台や前籠、バッテリー・ライトなどを買って来て後付したりして。 母は、「乗る時に籠や荷台がないと困るから」と言っていましたが、なにせ乗りにくいものだから、誰も使いません。 その内、メッキ部分が錆びてきて、ただただ醜く邪魔な粗大ゴミに変貌していきました。 ああ、無残ですねえ。 そのままの状態で、3年くらいうちにあったでしょうか。 ある時、兄夫婦が転勤先でアパートの二階に引越しをし、兄嫁が折り畳み自転車が欲しがっているという情報が入りました。 母は渡りに舟とばかりに、ローソン自転車をやってしまいました。 これで一巻の終わり。 もっとも、兄嫁がローソン自転車を二階に上げ下ろしして使っていたかどうかは不明です。 えらい重い代物でしたからのう・・・・。

  かくのごとく、私は折り畳み自転車にいい印象が無いのです。 やれやれ、またまたマイナス要素が増えてしまいましたな。


  買ってもいないのに、あれこれ批評するのは資格無しというもので、ここから先は参考程度に読んでいただきたいのですが・・・・。

  折り畳み自転車という製品は、普通の自転車の代用にはならないと思います。 あまりにも扱いにくく、乗りにくいからです。 もし置き場所があるのなら、普通の自転車の方が圧倒的に有用です。

  置き場所がなくて折り畳み自転車にせざるを得ないという場合、高くても軽い物を選ばないと、持ち運びで腰を悪くしてしまいます。 高い物が必ず軽いというわけではないのですが、安い物が重いのは確実です。 アルミフレームで2万円以上しても、かなり重い物があるので、必ず重量は確認した方がよいと思います。 ネット上で探すなら、複数の通販ショップを当たってスペックを見比べないと、数字が食い違っている場合があります。

  6段変速機がついている物が多いですが、全く使えないと思うので、変速無しのものがあれば、そちらの方が少しでも軽くなって良いです。 なぜ6段変速が駄目かというと、一番小さいギアでさえ普通の自転車より遅いので、それより大きなギアなど出る幕がないのです。 メーカーが高級そうに見せる為に無理にくっつけているだけなんですな。

  タイヤは大きければ大きいほど速く進めますが、あまり大きいと折り畳み自転車の利点がなくなってしまうので、20インチくらいが妥当だと思います。 16インチだと、全然進みません。 22インチというのがありますが、ここまで大きくなると、重すぎて、折り畳んで持ち運ぶのは自殺行為という領域に突入すると思います。

  ハンドルには、折り畳めるタイプと、ただ縮められるだけのタイプがあります。 もちろん、後者の方が安いのですが、バッグに入れる時にはハンドルを抜かなければならず、ますます扱いが面倒になります。

  泥除けには、普通の自転車タイプと、マウンテンバイク・タイプがあります。 もちろん、後者の方が軽いですが、丈が短いので、雨上がりの道を走ると、泥水が背中まで跳ね上がってくる場合があるそうです。 痛し痒しですな。