2007/11/25

外国語を書く

  私は、一昨年の秋から、昨年の秋まで、約一年間、フランス語のブログを持っていました。 今考えると、自分がフランス語のブログをやっていたのが、遠い異次元世界の出来事のようで、まったく実感が湧きません。 今の私は、フランス語を書く事はおろか、読む事も侭ならないレベルに落ちてしまっているからです。

  毎週一回更新していたのですが、日曜日に更新するので、土曜日に仏作文していました。 内容は日本に関する時事ネタで、他愛の無いものばかりですが、ありふれた日本紹介のような文は面白くないので、日本に対して間違った幻想を抱いているフランス人の蒙を啓く為に、日本文化の批判を中心にしていました。 まあ、この≪心中宵更新≫と似たようなものですな。 ただし、外国語の作文には膨大な時間と労力を必要とするので、長さは、いつも20行くらいでした。 いや、20行というと、短く聞こえるでしょうが、自分でやってみんさい。 仏語が分からない人は、英語でもいいから。 とんでもない大仕事だという事が分かりますぜ。

  まず、日本語で文章を書いて、それを一文ずつフランス語に訳して行くのですが、そのブログを続けている期間中、毎週土曜日の午前はそれだけで潰れていました。 今にして思うと、勿体ない事をしていたものです。 そのブログ、ちょっと不愉快ないざこざがあって、二三回更新を休んだのをきっかけに、やめてしまい、その後半年間放っておいたら、ブログ・サービスの規約かなんかで、ブログごと強制削除されてしまいました。 一年の悪戦苦闘の結実も、今や跡形もありません。 原文は取ってありますが、時事ネタが多かったので、今更別のブログに復活させるのも意味の無い話です。

  それに、日本のブログだと、英語以外の言語表示が出来ない所が多いのです。 フランス語もドイツ語もスペイン語も、ローマ字以外に、文字の上下に付ける補助記号を使うのですが、日本のブログは、それがほとんど使えません。 ハングルも出ない、簡体字も繁体字も出ない、それ以外の文字は尚出ない。 日本語と英語だけ表示できればいいと思っているのだから、おったまげます。 グローバル化のグの字も分からぬと見え、ほとんど文化鎖国状態なのです。

  話を戻しますが、外国語の作文というのは、少しずつでもいいから続けている事が肝要で、一度やめると、あれよあれよと見る間にゼロ状態まで戻ってしまうんですな。 そこで、すぐに思いつくのが、≪一行日記≫の類です。 毎日、一行ずつ、外国語で日記をつけていれば、自然に日常的な単語が頭に滲み込むだろうという算段です。 ところが、これですら、実行するのは難しいです。 たった一行でも、外国語で書くとなると、辞書を引いたり、機械翻訳サイトの結果と対照したりしていると、15分くらいはかかります。 しかも、読むのは自分だけなので、翻訳する意義が稀薄と来たもんだ。 ちょっと忙しい日には、「ああ、今日はパスだ」と妥協してしまって、それが何度か重なる内に、やめてしまうんですな。

  では、「相手がいればいいだろう」という事で、「外国人のブログにコメントを打ったらどうか?」と企むのも、割とよくある思いつき。 ところがねえ、これが、もっと苦しいんですよ。 まず、コメントを書き込んだにも拘らず、返事が来ないというブログがごちゃまんとあります。 日本人でもそういう運営者はいますが、外国人でも、「コメントは所詮コメント。 返事なんか書きたくなければ書かなくてもいいんだ」と考えている輩はたくさんいます。 そもそも、ネット交友の何たるかが全く分かっておらず、掲示板やブログを現実世界の友人との連絡場所に使っている人間がかなりの割合に上るのは、由々しき事ですな。 アホか? 現実世界の友人とは、メールで話せ。 ネット上の他人と話さないんじゃ、ネットを使う意味がねーだろが。

  返事が来ないのに、コメントを打ち続けるのは、ストーカーくらいのものですから、当然打ち切らざるを得なくなります。 しかし、もっと怖いのは、律儀に返事が返って来た場合です。 外国語で。 これがねえ、何が書いてあるのか分からないんですよ。 特にフランス人の文章は分かりません。 ≪エスプリ≫と言いますが、まあ、英米圏で言う≪ジョーク≫ですな。 個人間でやりとりする文は、そのエスプリを基本にして書かれるので、冗談なのか本気なのか、区別がつかないのです。 しかも、こちらが、それに返事を書く場合も、エスプリを求められます。 フランス人にしてみると、エスプリを踏まえていない文など、読むに値しないらしいのです。 日本人同士でも、冗談が含まれた文は、相手の真意が読み取り難いのに、それがフランス語でっせ。 読めますか? 返事が書けますか? 下手な事を書けば、どんどん誤解の溝が広がって行きます。 当然怒らせてしまう事もあります。 さながら、地雷原だね。

  日本に興味があるフランス人を見つければ、ある程度、エスプリを抑えた会話も出来ますが、そういうフランス人には、アホが多いです。 つまりその、アニメ・マンガを見て、日本に興味を持ったという連中なので、どうしても知能が一般平均より劣る。 ガキのまんまなんですな。 これ、フランス人に限らず、他の国の人でも同じですから、頭に入れておいた方が良いです。 それでも、まだ日本語を習おうとか考えている人はいい方で、英米圏出身者だと、日本語を習う気など毛頭ないという人がほとんどです。 先頃、某語学会話塾の不正事件が話題になりましたが、その講師達の大半を占める英米圏出身者が、日本語を全然理解できないのは、割と有名な話。 そもそも、本国に帰れば、職にも就けないような無能な連中ばかりで、ただ母語が英語だというだけの理由で外国で英語講師をやっているのですから、日本語を習うつもりも能力も、はなっから無いんですな。 一口で言うと、アホの集団です。 アホを掴まえて、「先生、先生」持ち上げているんだから、すごい光景だ。

  探してみると分かりますが、在日英米人が作っているブログを見ると、顔がひきつりますぜ。 まず、数そのものが異様に少ないですが、恐らく、ブログを立ち上げるだけの知能がないんでしょう。 次に、作ったとしても、運営が出来ません。 最初の一二回更新しただけで、ネタがなくなってしまって、その後何年も放置されているというのも珍しくない。 もちろん、コメントが来てもうっちゃらかし。 日本人のブログでもそういう所はよく見ますが、共通項は、≪アホ≫なんですよ、アホ。 英米人に比べると、フランス人のブログは、ずっとレベルが高いです。 中には、日本人ではとても作れないような、知性が高いものもあります。 フランスの高等教育というのは、凄いんですなあ。 もちろん、英米圏にもフランスに負けない高等教育を受けた人達はいるわけですが、そういう人達は、日本には来ないのです。

  おや、今回のテーマは何だったっけ? そうそう、外国語を書けるようになるのは難しいという話でしたね。 つまりね、いい方法は無いんですね。 結局は、≪喋る・聞く≫と同じように、その国に住むしかないのかもしれません。 日本にいながらにして、外国語を習得するのは、≪読む≫だけに目標を絞った方が、確実という事でしょう。

2007/11/18

リコーダー

  リコーダー趣味は、同級生同士の結婚に似ています。

  中学・高校時代に異性と交際していても、そのまま持続して結婚に至るケースは稀です。 世に同級生同士で結婚している人達は多いですが、大抵は大人になってから再会したケースです。

「あっ、○○君じゃないの! ほら、あたし。 何してんの? 元気?」
「ああ、うん。 いや別に閑だからぶらぶらしてるだけ」

  などという、パッとしない出会いから、下心蠢く交際がおっかなびっくり始まり、やがて魚心に水心となって行くわけですな。

  一方、リコーダーも、小中学校の頃からずっと続けている人は少ないです。 大抵は、大人になってから再会します。

「≪スイング・ガールズ≫はかっこいいなあ。 ≪のだめカンタービレ≫の世界も羨ましい。 ああ、なんだか、無性に楽器の演奏がしたくなって来た! でも、本格的な楽器は難しくて、とても出来そうにない。 それに、でかい音を出したら、近所迷惑だし、家族からすぐに禁止令が出るに違いない。 一体どうしたらいいんだ!」

  と懊悩&呻吟した末、

「待てよ。 この際、演奏が出来るなら、学校の笛でもいいか。 笛ならどこかにしまってあるぞ」

  と思いつき、押入れから黴の生えたリコーダーを取り出して、おっかなびっくり吹き始めるのです。 永久の眠りについたつもりでいたリコーダーは、さぞやビックリする事でしょう。

「えーっ、今からやんのーっ!? あんた、小学校の頃、16小節まともに吹けなかったこと忘れてんじゃないの? いや、どうしてもって言うなら、つきあうけどさ。 ものにならなくても、俺に当たるなよ。 先に言っとくぞ」

  といった調子で。


  私の小学校の頃は、≪リコーダー≫という呼び方を一度も聞いたことがありませんでした。 ≪縦笛≫とさえ呼ばず、単に≪笛≫と呼んでいました。 学校でも家でも、笛と言ったらリコーダーしか無かったのですから、大範疇の単語が、小範疇の単語を兼ねても問題無かったんですな。

  ちなみに、リコーダーは英語名でして、ドイツ、フランス、イタリアでは、それぞれ別の名称を用います。 リコーダーと言っても通じないのです。 リコーダーというのは、ローマ字で書くと、≪Recorder≫で、録音・録画装置を指す≪レコーダー≫と同じ綴りです。 意味が二つある単語なんですな。 日本語では、「リ」と「レ」を読み分けて区別していますが、これは、≪Glass≫という単語を、意味によって、「グラス」と「ガラス」と読み分けているのと同じパターンです。 ごまかしですが、便利だからオッケー。

  音楽といえば、ドイツが本場ですが、なぜ英語名が日本に入って来たかというと、それにはリコーダーの歴史が関係しています。 欧州音楽は、ルネサンス期、バロック期、古典期という順で発展したのですが、リコーダーは、ルネサンス期に登場して、バロック期に盛んに使われたものの、古典期になると、フルートに負けて一旦廃れてしまうのです。 それを20世紀初頭になってから復活させたのが、ドルメッチというイギリス人だったのです。 その際、音程などは今風に改められましたが、外見はバロック期のままに保ったので、リコーダーの外観は、フルートなどより装飾が多いというわけ。

  小学生の時には、その装飾的なデザインが古臭く感じられて、好きになれませんでしたが、今見てみると、実に美しいです。 なんで、この美しさに気付かなかったのか、そちらの方が不思議。 その豊かな曲線美を見ていると、機能デザインなんぞ糞喰らえと思います。 バイオリンも機能的というよりは装飾的デザインですが、バイオリンに惚れこむ人が多いのも、よく分かります。

  リコーダーには、木製と樹脂製があります。 もちろん、木製が本物であって、樹脂製は安価に作る為の模倣品なわけですが、樹脂製が作れるようになったからこそ、学校で子供一人一人に行き渡らせる事が出来るようになったわけで、教育楽器としては、むしろ樹脂製の方が本物なのだと考えていいと思います。 ちなみに、小学校で使わせる楽器は、国によって違っていて、「リコーダーなんて楽器は、見た事も触った事もない」という外国人はたくさんいます。 戦後の日本で、文部省がリコーダーを採用したから、日本では誰もが知っている楽器になったというだけの話。 戦前はリコーダーなんてありませんでした。 なぜというに、そもそも、プラスチックが一般に出回り始めたのが、戦後になってからだったからです。 リコーダーの普及は、化学技術とプラスチック成型技術の発展の賜物だったんですな。

  樹脂製リコーダーは、楽器店で買うと、ソプラノで、千円から二千円くらいしますが、一方で、100円ショップでも売っています。 100円リコーダーにも二種類あって、楽器として作られたものと、オモチャとして作られたものに分かれます。 オモチャの場合、「オモチャですから、音程は正確ではありません」といった注意書きが入っているので、すぐに分かります。 その注意が書かれていなければ、それは楽器として作られた物で、ちゃんとした演奏が可能なわけです。 材質面で見ると、≪ABS樹脂製≫と書いてあれば、まず楽器です。 ポリスチレンなどであれば、それはオモチャだと見て間違いないでしょう。 持ってみると、楽器の方が重いです。 材質が軽いと、良い音色が出せないようですな。

  同じ100円なのに、楽器とオモチャが混在しているのは不思議だと思うでしょうが、樹脂製リコーダーは元々生産原価が安いので、こういう事が起こるのです。 楽器として作られた100円リコーダーは、楽器店で売られている千円以上のリコーダーと比べても、音色が劣るという事はありません。 外見の成型精度も、全く遜色なし。 今はレーザー三次元測定器や電子制御工作機械が普及して金型の精度が桁違いに上がりましたし、プラスチック成型技術も進歩していますから、悪い物を作る方が難しいのです。 ちなみに、オモチャとして作られた物であっても、材質が異なるだけで、金型自体は楽器用と同じ物を使っているはずです。 なぜというに、わざわざ、オモチャ用に金型を設計するなど、無駄なだけでナンセンスだからです。

  樹脂製リコーダーのメーカーは、日本では、ヤマハ、トヤマ(アウロス)、全音、スズキの四社だけで、楽器店ではそのいずれかしか手に入りません。 しかし、外国には他にもたくさんメーカーがあるようです。 基本的にプラスチック成型技術があれば出来る製品ですから、現代の工業にプラスチック技術が不可欠な以上、工業国ならどこにでもその技術はあるわけで、自動的に多くのメーカーが成立しうるというわけです。 国内メーカーが日本市場を寡占していて、外国の製品を入手できないのは、寂しい限りです。 安い楽器だから、何本買っても大した出費にはならず、ケチな私には実に好ましいコレクション対象なんですがねえ。

  リコーダーは大量生産の樹脂製であっても、買ってすぐには良い音が出ない場合があります。 何回か使っていると、ある時を境に急に音が良くなるという事があるのです。 また、気温が低い所で吹くと、内部で結露が起こって、音が出なくなる事が非常に多くあります。 ちょっと吹いてみて、いい音が出なくても、「ガラクタか!」などと思わず、気長に慣らしていく事が肝要。 良い音が出始めると、リコーダーに対する意識がガラリと変わります。 こんなに安い楽器なのに、2オクターブも音が出せて、大概の曲を演奏できるというのは、不思議なくらいに面白いと感じる事でしょう。

2007/11/11

見ざる聞かざる嗅がざる

  人間は数百万年かけて、原猿から進化してきたわけですが、所々、「進化が足らぬ」と思う部分があります。 代表的なのは、感覚器官のオン・オフ機能です。

  動物の感覚というと、ご存知の通り、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五感です。 この内、触覚は常にオンになっていないと、何かと危険だから、まあいいとします。 味覚も、食べられない物を味で見分ける時に必要ですし、食べたくない時には食べなければ良いわけですから、常にオンになっていても、大した不都合はありません。 見方によっては、何かを口に入れた時にはオン、入れない時にはオフになっていると考える事も出来ます。

  オン・オフ機能が完全に備わっているのは、視覚ですな。 目が見える人でも見えない人でも、目蓋がついていて、開けばオン、閉じればオフに出来ます。 見たくない物は、目蓋を閉じてしまえば見ないで済みます。 人前であからさまに目蓋を閉じる事が出来ない場合でも、目線を他へ向ける事で、見たくない物を視界から外す事が出来ます。 当人の意思で感覚のオン・オフが出来るのは、実に便利です。

  それにひきかえ、聴覚と嗅覚の方は、およそ不完全な器官で、常にオン状態にあり、オフが利きません。 これねえ、原猿だった頃に自然の中で暮らす分には重要な器官だったと思うのですよ。 食べ物や異性の匂いを嗅ぎつける為に、嗅覚は必要性の高い能力でしたし、眠っている時に敵が近づいてくるのを察知する為に、聴覚を常にオンにしておかなければならないのも、理解できます。 でも、現代的な生活を送っていると、この二つの感覚が邪魔になる場面に、非常に頻繁に出くわすのです。


  私は、ここ十年ばかり、街なかや観光地で、学生や20代の若者達を見ると、逃げるようになりました。 どこへ逃げるか? もちろん、風上です。 臭いんですよ、こいつら。 何臭いか? 香水臭いのです。 以前は、こんな事は無くて、せいぜい体育会系の学生が汗臭いとか、若い女性が化粧品臭いとか、その程度でした。 汗臭さは、自然の匂いですし、私自身も汗は掻きますから、そんなに気にはなりません。 また、化粧品も匂いを出すのが主目的で作られているわけではないから、そんなに強い香りはしません。 しかし、香水は次元が違うのです。 最初から匂わせる為に作られた凶器なのです。

  まったく、臭い! もういい加減にして欲しい。 この世の中には、特殊技能を職業に生かしている人達がいて、大抵の場合、その常人離れした技には感嘆させられるものですが、香水職人だけは尊敬できません。 尊敬どころか、全員死ねばいいと思います。 あんな職業は、他人に迷惑を及ぼす元凶という意味で、ヤクザと選ぶ所がありません。 もし全世界の香水職人が一斉に殺される事件が起きたら、その犯人は私だと思ってくれて差し支えありません。 嗅ぎたくない匂いを嗅がされる不快さ・辛さを考えた事があるのかね? 拷問だよ、拷問! 香水を嗅がされるのと、鼻先に糞を押し付けられるのと、どちらが嫌かといったら、どちらも負けず劣らず嫌です。 そのくらい迷惑なのです。

  最近の高校生が軒並み香水をつけているのには参ります。 女だけでなく男までつけています。 頭おかしいのか、おまいら? 道を歩いている時、高校生の集団が向こうからやってくると、大概の人が身構えると思います。 昔は因縁でも付けられたら面倒だから警戒したわけですが、今は臭いから逃げるのです。 そうだよ、臭いんだよ、おまえらはよ! 昨今の高校生はねえ、洒落っ気で香水つけているというより、風呂に入っていないんですな。 「何だか風呂に入るの面倒臭えな。 いいや、別に汚れちゃいねえし、汗臭いのは香水でごまかせるだろ」ってな調子で、風呂に入らずに寝て、朝香水ぶっ掛けて家を出てくるんですよ。 言語道断! 犬猫並だ! 香水で体臭がごまかせると思うのが、そもそもの間違いだ! 香水の方が臭いんだ、馬鹿野郎!

  香水の恐ろしい所は、使っている当人の鼻がだんだん麻痺してきて、日に日に量が増えて行く事です。 当人は鼻が馬鹿になっているから気付きませんが、周囲の人間は猛烈な香水臭に、ギョッと目を剥きます。 電車の中で、そういう奴が隣に座ったりすると、もはや毒ガス戦だね。 私、電車通勤している時に思いましたが、電車内には、ガス・マスクを常備すべきですな。 生物化学兵器処理班を呼ぼうかと思うくらい臭い。 大方、毎朝毎朝、香水一壜、頭からかぶって出かけてくるんでしょう。 正に狂気の沙汰ですが、当人は気付かないから、処置無しです。 そういう奴に向かって、鼻を抓んで見せたり、「臭い・・・」と聞こえよがしに言ったりすると、「あ、私は汗臭いんだ。 じゃあ、もっと香水をつけなくちゃ」となるから、更に怖い。 繰り返す! 香水の方が臭いんだ、馬鹿!

  これらの場面で、嗅覚をオフに出来れば、どれだけいいかと何回思ったか分かりません。 私は、様々な試行錯誤と努力の結果、鼻を使わずに口で呼吸すれば、嗅覚をオフに出来る事を発見しました。 これ、知らない人も多いと思うので、是非お試しあれ。 嗅覚という奴、何でも自然に嗅いでしまうというわけではなく、空気が鼻の中を通らないと、作動しないんですな。 これを発見した時には、嬉しかったですわ。 嗅がないで済むんですよ、嫌な匂いを。 ただねえ、オフ・スイッチとしては、目蓋ほど完全ではありません。 口で呼吸しなければならないので、結局その臭い匂いを体内に吸い込んでいるわけで、あまりいい気分ではないです。


  さて、究めつけは、聴覚ですな。 これは、もうどうしょもないです。 この世の中には、聞きたくない音が溢れ返っているんですなあ。 他人の話し声、車の音、バイクの音、飛行機の音、ヘリコプターの音、水上バイクの音、耕耘機の音、草刈機の音、各種工事の音、そして、一番腹が立つのが子供の騒ぐ声。 子供というのは、騒音を立てる為にはしゃいでいる点、まっこと疑いないと思います。 騒音おばさんというのがいましたが、あの程度の騒音は、子供が多い所では普通に聞かれます。 騒音おぱさんを裁判で有罪に出来るなら、この世のクソガキどもも全部有罪にして、刑務所にブチ込むのが宜しいと思います。

  「息子が出来たら、キャッチ・ボールをするのが夢」などと軽々しく言う野郎がよくいますが、キャッチ・ボールがしたいなら、他人に迷惑がかからない所でやれよな。 住宅地の道路でパンパンパンパン、ボールの音を立てられちゃ、聞かされている近所は地獄だぜ。 バスケット・ゴールを買い込んで、庭先や玄関先に立てている家もよく見ますが、あのバスケット・ボールの音もうるさいんだわ。 私の家の筋向いの家のガキが中学生だった頃に、道路上で兄と妹でドリブルしながらボールの取り合いの練習をしていたんですが、バンバンバンバン10分くらいでも糞うるさいのに、30分・一時間と続けるものだから、もう法律が無かったら殺しに行こうかと思いましたね。

  その兄の方、その後スケボーを買い込んで、道路上でターンの練習をするようになったのですが、これがまた殺人的にうるさい。 ガチャーン、ガチャーンが、毎日毎日一時間、休みの日には、二時間以上続きます。 何回かやんわりと注意したんですが、やめようとしません。 その家、近所では一番の金持ちで、息子も何か特権でもあるかのように思い込んでいたらしいのです。 結局、一年くらい我慢した後、ブチ切れた私が、大声で怒鳴りつけて、それでようやくやめました。 そのガキ、私に怒鳴られて初めて、自分が社会の中で生きていて、勝手な事が許されない事に気付いたわけです。 本来なら、それを教えるのは親の仕事なんでしょうがね。

  昨今の親は、自分の子供がギャンギャン狂ったように騒ぎ捲っていても、怒るどころか、一緒になって騒いでいる者が多いです。 中には、子供を外へ連れ出してきて、率先して騒いでいる親もいますが、そんなのはもう、大人でも社会人でも何でもないのであって、それこそ法律が無ければ、すぐに袋叩きにあって殺される口でしょう。 どこの世界に、他人に迷惑掛けて平気でいる奴を憎まない者がおるね? その辺の所、ちっと考えて生活方針決めろよ。

  それと、ピアノ。 あれもうるさいんだわ。 楽器はみんなうるさいですが、トランペットやトロンボーンなど、馬鹿でかい音が出る事を認識している場合は、先に防音設備を整えようとするから、音が外へ漏れるケースはあまり見ません。 ところが、ピアノ弾きどもは、なぜかしらないけれど、「ピアノならオッケー」と思っているようで、平気で弾いています。 窓を開けて弾いている家もありますが、そんなに近所から憎まれたいのかね? だからよー、どんな音だろうが、聞きたくない音を聞かされるのは地獄なのよ。 その点、ピアノだって暴走族だって同じだって言うのよ。 一日に一度、一曲だけ弾くとかいうなら、「ああ、文化的だねえ」と思わないでもないですが、それとても、二三分で終るから我慢できるのであって、一時間も二時間もピンパラピンパラ練習音を聞かされたのではたまったものではありません。 今は、電子ピアノがあって、それで練習できるのですから、そうすりゃいいんですよ。 ヘッドホンして弾くのなら、一日24時間練習しても、誰も怒りません。

  私、週に一度くらいのペースで、犬と海へ散歩に行くのですが、水上バイクをやっている奴がいると、最悪の気分になります。 うるさいうるさい、半径500メートルくらいに騒音をばら撒いて、浜辺にいる限り、逃げようがありません。 どこの馬鹿があんな機械を開発したのか、引きずり出して、浜辺に杭打って縛りつけ、一日中てめえの作った機械がどんなに野蛮な代物か、骨の髄に沁み込むまで、騒音を聞かせてやりたいです。 また、乗ってる奴らが馬鹿に見えること。 手前の低知性を宣伝しているようなものだね。 大体、うるさいばかりで、大してスピードが出るわけではなく、加速も陸上のバイクに比べればオモチャ程度。 あんな機械に何度乗っても飽きないなんていうのは、三歳児並の感覚ではありますまいか? 一方、ウインド・サーフィンをやっている人達もよく見ますが、大変優雅で素晴らしい趣味に見えます。 なんたって、音が出ませんからのう。 趣味というのは、他人に迷惑を掛けないのが前提なのだとつくづく思う次第です。

  こういう場面で、聴覚をオフに出来れば、どれだけいいかと何回思ったか分かりません。 機構的にはたいした事ではないでしょう。 ピアノのダンパーみたいに振動を消す装置が、鼓膜か中耳・内耳のどこかについていれば、物理的にピタッと押さえるだけで、聴覚をオフに出来るはずです。 どうして、そういう方向に進化しなかったんですかねえ。 象の鼻やキリンの首があんなに伸びたんだから、耳の中のちょこっとした可動突起を作るくらいわけないと思うんですが、つくづく進化というのは気紛れですわ。


  嗅ぎたくない匂いを嗅がないで済めば、この世の中どれだけ幸福か分かりません。 聞きたくない音を聞かないで済めば、人生どれだけ気持ちよく暮らせるか分かりません。 逆に言うと、不幸の大半は、耳と鼻から入ってくるという事でしょうか。

2007/11/04

続・どこにでもいる


  リコーダーにも専門サイトというのがあります。 2000年以前から運営されている、いわゆる≪草分けサイト≫が幾つか現存していて、掲示板が生きている所もあるのですが、その中の一つを見ている内、うっかり気を許して過去ログを読んでしまって、「うっわ、しまった!」と後悔しました。 久しぶりに、ネットの汚点を覗いてしまいました。

  ちょっと説明しますと、≪草分けサイト≫とは、インターネットが普及し始めた初期に、そのジャンルで第一世代として開設されたサイトの内、多くの閲覧者が集まり、有名になった所の事を指します。 ネット初期には、閲覧者の数に対して、サイトの数が少なかったので、みんな特定のサイトに蝟集して来たんですな その後、猫も杓子もサイト立ち上げるようになりましたが、ネット初心者はやはり草分けサイトへ最初に行ったので、優位は変わりませんでした。 2003年頃になると、後発のサイトは軒並み閲覧者離れで潰れ始め、結局、草分けサイトだけが残ったという歴史があります。

  こういう草分けサイトの掲示板は、長年の間に膨大な数のゲストが出入りしていて、当然その中には、≪変な人≫も多く含まれています。 そして、必ずと言っていいほど、管理人は顔を出しません。 「サロン化したから、もう自分の手を離れた」と思って来なくなったのではなく、変な人達が引き起こす掲示板上の醜い争いに巻き込まれるのにうんざりして、逃亡したのです。 こういうところの掲示板は、個人サイトに設置されているにも拘らず、完全に公共掲示板化しているんですな。

  こういう掲示板に血吸い蛭の如く食いついている≪変な人達≫の書きこみ内容を見ると、もう胸が悪くなるくらい不愉快な物が多いです。 管理人が、「リコーダーに関する話題なら何でもOKです」と書いているのに、他人の書きこみにケチをつける奴が必ずいるんですな。 しかも、管理人が出て来ないのをいい事に、代理のよう顔をして、「もっと楽しい話題を書いて下さい」だの、「過去ログに目を通してから、質問して下さい」だのと註文をつけ、挙句の果てには、「文章には、適度に改行を入れましょう」などと、内容とまるで関係がない事まで要求し始める始末。 しかも、最初の頃は敬語体で書いていたのが、段々面の皮が厚くなってきて、タメ口を通り越して、命令文でレスを書き始めるから、もはや、狂人の域に踏み込んでいます。 自分が地主か領主にでもなったような気分でいるのです。

  本来、こういう事を書く奴が出てきたら、管理人が、「やめて下さい」と注意しなければならないのですが、何せ逃亡していて、自分のサイトの掲示板なのに目も通してないから、そんな管理が出来るわけがありません。 読むのが怖くて掲示板を開けないんですぜ。 大抵の新参者は、管理人と話をしたくて書きこむんですが、その相手が出て来ず、返事をよこすのは、赤の他人の狂人ばかり。 しかも、命令文で、「つまらない事は書くな」、「お門違いだ。 他へ行け」などというレスを頂いた日には、尻に帆かけて遁走するか、刺し違えるつもりで反撃するか、二つに一つしかありません。

  狂人どもは、何ヶ月、もしくは何年もその掲示板に巣食っているので、そういう奴らを相手に新参者が戦いを挑むのは、大変不利です。 だから普通は新参者が身を引いてけりがつきますが、時々反撃する者が出て来て、狂人を論破すると、狂人が一人が姿を消します。 大抵、一時期に存在する狂人は一人ですから、そいつがいなくなると、暫しの間和やかな雰囲気が満ち溢れ、良心的な書きこみやレスがリレーされます。 しかし、悪は決して滅びないものでして、また他の狂人が入り込んできて、常連面をし始め、ギスギスした掲示板に堕して行きます。 その繰り返し。

  これねえ、ほとんどのジャンルで、同じパターンになってますね。 こういう狂人どもの存在は、パソコン通信の頃から問題になっていたようですが、≪荒らし≫とちょっと違うのは、 自分が間違った事をしているという認識がないことです。 自分の事を≪善≫だと信じていて、人を人とも思わない暴力的な書き込みは、≪悪≫を攻撃しているのだから、正当だと考えているのです。 自分の行為を客観的に見る事が出来ず、他人から手痛く反撃されて、初めてそれにうっすら気付くという、驚くべきボンクラぶり。 それでも、自分が悪いとは悟り切れず、同ジャンルの別のサイトや、別ジャンルに河岸を変えて、同じ事を繰り返します。 これを狂人と言わずして、何といいましょう?

  こいつらねえ、精神的に恐ろしく脆弱な連中だと思うのですよ。 他人を攻撃する事でしか、自分に自信が持てないんですな。 だけどねえ、譬えて言えば、天下の往来で、すれ違う他人をぶん殴って歩いているようなものですから、無事で済むはずがありません。 いつか必ず反撃を受けます。 そして、ここが狂人の狂人たる所以ですが、まっとうな認識と強い意志を兼ね備えた人間には絶対に勝てません。 必ず撃破されます。 そうなってから逃げても駄目ですぜ。 心に負った傷が消えるわけじゃありませんからね。 一生、屈辱に塗れて暮らす事になります。 恥を雪ぐなんて事は永久に出来ませんよ。 だって元々自分が道に外れた事をしていたんだものね。

  最初からやらなければいいんですよ。 掲示板の書きこみなんて、どうしてもしなきゃならない事じゃないんだから。 閲覧ですら義務ではありません。 ネットそのものをやめたって構やしないのです。 なんで、自分から火中の栗を拾うような真似をするかな? アホか? そんなに、自分の意見だけを一方的に書きたいのなら、ブログにでも書いてなさい。 他人様を相手にしようとするから、衝突が起こるのです。 他人を相手に、粗さがしだの、命令だのばかり書き捲っていたら、嫌がられ憎まれるのが当然でしょうが。 そんな事くらい、現実生活の経験で、子供だって承知している事です。 なぜ、ネットでなら許されると思うのか、それが分かりません。 狂っている以前に、知能が著しく低いのか? いや、そうではないですな。 この連中が知能が低いわけではないのは、文章を読めば分かります。 やはり、狂っているのです。 少し柔らかい言葉で言うと、コミュニケーション障害でしょうな。

  皮肉でも何でもない、真面目なアドバイスですが、病院へ行きなさい。 極力早く。 それが嫌なら、ネットをやめなさい。 どうせ、ネットで誰かに尊敬されたとか、好意を抱かれたとか、そんな経験は一度も無いんでしょ? そんなんじゃ、一体何の為にやってるのよ? ネットにはあんた方の居場所は無いです。 悪い夢でも見ていたと思って、パソコンを処分してしまいなさい。 ジャンル変えして、同じ事を続けていたら、その内、本当に他人を怒らせて、殺されてしまいますよ。