コーヒー断ち
≪仕事中にヘッドホンで音楽を聴く計画≫ですが、二週間、何も買わずに粘っていたら、すっかりその気が失せ、携帯CDプレーヤーも、メモリー・プレーヤーも、内臓ドライブも、何一つ欲しくなくなりました。 どうして、あんなに欲しがっていたのか、今ではさっばり分かりません。 誰が欲しがるの、そんなもの? あはははは!
欲しい時には、どんなに理屈を捏ねて、必要無い理由を並べ挙げても、欲しい気持ちを抑え込めないものですが、一旦、欲求の峠を越えてしまうと、嘘のように興味が無くなります。 もはや、自分を説得する必要など無し。 逆に、どんなに理屈を捏ねて、必要な理由を並べ挙げても、欲しい気持ちが蘇ってきません。 そればかりか、金をやるからと言って頼まれても買う気になりません。 欲しくない物は、高価な品だろうが、新品だろうが、ただのガラクタ、すなわち、ゴミだからです。 なんでしょうねえ、この心理の急激な変化は。
ところで、今年になってから、私の生活に劇的な変化がありました。 インスタント・コーヒーを飲まなくなったのです。 私は中学生の頃からずっと、インスタント・コーヒーの愛飲者でした。 学生時代は、毎日最低一杯は飲んでいましたし、勤め人になってからは、平日こそ眠れなくなるのを避けて飲まなくなったものの、その分、土日に集中して飲むようになり、一日に五杯くらい呷り倒していました。 基本的に、自室でワープロやパソコンに向かう時には、必ず、インスタント・コーヒーを作ってから始めていたので、多い時には、一日八杯くらい飲んでいたのではないかと思います。
さりとて、カフェイン中毒というわけではなく、紅茶はちっとも飲みたくないのです。 薄すぎて、飲んだ気がしないんですな。 インスタント・ココアというのがありますが、あれも普通に作ると薄すぎて駄目。 さりとて、コーヒーと同じくらい濃いココアを作ると、過飽和してしまって、底がドロドロになってしまいます。 ホット・ミルクなら、コーヒーよりも濃いですが、味が素直すぎて、満足できませんでした。
食べ物・飲み物全般に、甘い物が好きなので、単に糖分を欲しがっているだけなのかとも疑いましたが、紅茶やホット・ミルクに、コーヒーと同じくらい砂糖を入れても、同じ満足度は得られません。 うーむ、厄介な嗜好だ。 そんなに、インスタント・コーヒーが好きなのかい?
ああ、そうそう、コーヒー好きといっても、私はドリップなど、一度もやった事がありませんし、喫茶店でコーヒーを飲んだ事も数えるほどしかありません。 ドリップしたコーヒーというのは、私には酸っぱすぎて、飲めないのです。 味が違うというより、はっきり言って、不味い。 読み方を間違えないように、仮名で書けば、ま・ず・い! より発音に正確に書けば、マ・ヅ・イ!
ブルマンだの、キリマンジェロだのと言う以前に、インスタントとの味の違いが大き過ぎます。 そういえば、ドリップ用とインスタント用では、豆自体が違うという話を聞いたことがありますな。 インスタント用は、形が崩れている、クズ豆を使っているのだとか。 そっちの方がうまいじゃん。 いっそ、みんな崩してしまえば良いのに。
そういえば、缶コーヒーの味にも、バラツキが大きいですね。 もちろん、ミルク分が多い方が私好みです。 ブラックこそ、金出して飲む人の気が知れませんが、糖分がある程度入っているものなら、大抵は口に合います。 つまり、缶コーヒーの基本的な味は、インスタントに近いという事なんでしょう。 缶コーヒーで、理解できないのは、味よりも量ですな。 200㏄以下の缶に、よく120円も出しますねえ。 それっぽっちなら、何もコーヒーを飲まなくても、砂糖水でいいんじゃないの? 舌の上を通り過ぎる時間が短すぎて、味わうゆとりも出ますまい。
ちなみに、コーヒー以上に金にうるさい私は、自販機の飲料が120円になってから、ほとんど買わなくなってしまいましたが、100円だった頃には、缶コーヒーよりも、缶ココアを好んでいました。 量が多かった事もありますが、濃度がインスタント・コーヒーに近かったからです。 そうそう、同じ理由で、ミルク・ティーもよく飲みました。 200㏄以下の缶コーヒーは、自慢じゃないけど、一度も買った事がありません。 私には、あの商品がリーズナブルとは、どうしても思えないのです。 「大きい缶だと、飲みきれないからさあ」ですと? なーにを生意気な事を! 大人ぶってカッコつけてんじゃないよ。 缶飲料の量が飲めないなんていうのは、大人というより、年寄りの証拠だぜ。
ちなみに、インスタント・コーヒーの銘柄には、まったく拘っていませんでした。 ネスレでも、味の素でも、みな同じ味にしか感じません。 開発者の皆様方には申し訳ないですが、銘柄による味の違いは、ごくごく些細なもので、インスタントとドリップの差に比べたら、ナノ単位のレベルだと思います。
粉ミルクに至っては、ブランドなど、全く不要な気がせんでもなし。 クリープでも、ブライトでも、まるっきり同じでしょう。 「私は、クリープでないと駄目なの」なんて人がいたら、目隠しテストにかけて、味の違いを言い当てられるかどうか、試してみるのが宜しい。 へへん、分かるものかね! 「あら、そうだったの? 間違えちゃったわ、おほほほほ!」 なんだと、このババア、笑ってごまかそうったって、許さんぞ! ・・・ん? いや、別に許すの許さんのと憤る程の事でもないですな。 失敬失敬、つい熱くなってしまいました。
それはさておき、味の違いがはっきりしないとなると、粉ミルクのCMに、数十年の長期にわたって、莫大な資金を投入しているメーカーはお気の毒ですな。 買っている人は、味よりも、値段の安さや、ビンの大きさで選んでいるんじゃないでしょうか。
なんだか、えらい脱線しているような気がします。 今回、何が書きたかったかというと、インスタント・コーヒー論ではなく、インスタント・コーヒーを飲まなくなったという話をしたかったのです。 上述のように、インスタント・コーヒーをガブ飲みして半生を過ごして来た私でしたが、二三年前から、徐々に、状況が変わって来ました。 台所で作って、部屋に持って来ても、飲み残すようになったのです。 質より量を信条にして来たわたしが、そんなに大きなカップでもないのに、うまいはずのコーヒーを残すとは、何とした事か?
それが、何回か続く内、もっと重大な変化に気付きました。 コーヒーを、うまいと思わなくなっていたのです。 「そんなの、うまくなければ、その時点で分かるはずで、何年も経ってから気づくような事ではあるまい」と思うでしょうが、実際にそうなんだから、仕方ありません。 長年の習慣で、「コーヒーはうまい物」という図式が頭の中に出来上がっていたため、自分がコーヒーをうまいと思わなくなっているとは、想像もしなかったんですな。 いやはや、凄い事に気付いてしまった。
「うまくない」は、イコール「まずい」ではなく、そこそこはうまいのですが、うまいから飲んでいるのではなく、飲まなければいけないと思い込んでいるから飲んでいるという感じになっていたのです。 理性的に考えれば、「コーヒーを飲まなければいけない」などという理屈があるわけがなく、自分でもそれは分かっていたのですが、分かっていながら、二三年もそんな状態が続いたのですから、習慣というのはつくづく恐ろしいです。
もし、それだけなら、やめようと思わず、今でも飲み続けていたかもしれませんが、もう一つ別の事情が重なりました。 会社の健康診断で、「血液中に悪玉コレステロールが増えている」と指摘されてしまったのです。 医者の脅しほど怖いものはありません。 医者に比べたら、幽霊なんか全然怖くない。 今後、お化け屋敷には、医者を並べておくのが良いと思います。 別に長生きしたいとは思いませんが、脳血栓で半身不随や植物人間というのは、甚だ困ります。 これは、何か対策を取らざるを得ますまい。 というわけで、白羽の矢が立ったのか、コーヒー断ちだったわけです。
別に、カフェイン・パッチなどという治療アイテムは無いので、切り替えは至ってシンプルでした。 ただ、ある日を境に飲まない事にしただけ。 一念発起というほどの決心ではなく、思い立ったが吉日というほどの切迫感も無く、ごく自然に、今年の正月明けからコーヒーを飲まなくなりました。 何か飲みたいと思った時には、ポットからお湯を注いでくるか、水道から水を汲んで来るか、どちらかで対応している内に、時間が過ぎ、コーヒーの事など念頭に浮かばないようになりました。
信じられない話ですが、漠然とやめようとした途端に、三十年続いた習慣が、スパッと切れてしまったのです。 うーむ、タバコや酒をやめられない人の気持ちが、ますます分からなくなって来ました。 習慣を断ち切るなんて、簡単なこっちゃん。 意志の強さ・弱さなんぞ、出る幕無し。 それが自分にとって必要でないと認識し、打ち切る事に納得した瞬間、いとも容易に縁が切れてしまうのです。 興味が無くなってしまえば、もはや、やめなければならない理由を並べ挙げる必要はありません。 理屈を捏ねて、続けるべき理由を並べ挙げても、もう復活はしないでしょう。 それは、私にとって、説得力を持っていないからです。
これねえ、誰にでも通用するとは言いません。 また、どんな事にも適用できるとも思いません。 割と合理的に物事を割り切れる性格の人で、やるかやらぬか、続けるかやめるか、どっちにしようか悩んでいる場合に限り、自分を納得させる理由さえ見つかれば、やめる事が出来るという話です。 何でもかんでも、やめればいいというものではありませんが、そもそも悩んでいるなんていうのは、自分に必要でない事の証拠ですから、一押ししてやれば、すぐに諦めがつくんですな。 しょーもない事で懊悩している方々、是非一度、お試しあれ。
欲しい時には、どんなに理屈を捏ねて、必要無い理由を並べ挙げても、欲しい気持ちを抑え込めないものですが、一旦、欲求の峠を越えてしまうと、嘘のように興味が無くなります。 もはや、自分を説得する必要など無し。 逆に、どんなに理屈を捏ねて、必要な理由を並べ挙げても、欲しい気持ちが蘇ってきません。 そればかりか、金をやるからと言って頼まれても買う気になりません。 欲しくない物は、高価な品だろうが、新品だろうが、ただのガラクタ、すなわち、ゴミだからです。 なんでしょうねえ、この心理の急激な変化は。
ところで、今年になってから、私の生活に劇的な変化がありました。 インスタント・コーヒーを飲まなくなったのです。 私は中学生の頃からずっと、インスタント・コーヒーの愛飲者でした。 学生時代は、毎日最低一杯は飲んでいましたし、勤め人になってからは、平日こそ眠れなくなるのを避けて飲まなくなったものの、その分、土日に集中して飲むようになり、一日に五杯くらい呷り倒していました。 基本的に、自室でワープロやパソコンに向かう時には、必ず、インスタント・コーヒーを作ってから始めていたので、多い時には、一日八杯くらい飲んでいたのではないかと思います。
さりとて、カフェイン中毒というわけではなく、紅茶はちっとも飲みたくないのです。 薄すぎて、飲んだ気がしないんですな。 インスタント・ココアというのがありますが、あれも普通に作ると薄すぎて駄目。 さりとて、コーヒーと同じくらい濃いココアを作ると、過飽和してしまって、底がドロドロになってしまいます。 ホット・ミルクなら、コーヒーよりも濃いですが、味が素直すぎて、満足できませんでした。
食べ物・飲み物全般に、甘い物が好きなので、単に糖分を欲しがっているだけなのかとも疑いましたが、紅茶やホット・ミルクに、コーヒーと同じくらい砂糖を入れても、同じ満足度は得られません。 うーむ、厄介な嗜好だ。 そんなに、インスタント・コーヒーが好きなのかい?
ああ、そうそう、コーヒー好きといっても、私はドリップなど、一度もやった事がありませんし、喫茶店でコーヒーを飲んだ事も数えるほどしかありません。 ドリップしたコーヒーというのは、私には酸っぱすぎて、飲めないのです。 味が違うというより、はっきり言って、不味い。 読み方を間違えないように、仮名で書けば、ま・ず・い! より発音に正確に書けば、マ・ヅ・イ!
ブルマンだの、キリマンジェロだのと言う以前に、インスタントとの味の違いが大き過ぎます。 そういえば、ドリップ用とインスタント用では、豆自体が違うという話を聞いたことがありますな。 インスタント用は、形が崩れている、クズ豆を使っているのだとか。 そっちの方がうまいじゃん。 いっそ、みんな崩してしまえば良いのに。
そういえば、缶コーヒーの味にも、バラツキが大きいですね。 もちろん、ミルク分が多い方が私好みです。 ブラックこそ、金出して飲む人の気が知れませんが、糖分がある程度入っているものなら、大抵は口に合います。 つまり、缶コーヒーの基本的な味は、インスタントに近いという事なんでしょう。 缶コーヒーで、理解できないのは、味よりも量ですな。 200㏄以下の缶に、よく120円も出しますねえ。 それっぽっちなら、何もコーヒーを飲まなくても、砂糖水でいいんじゃないの? 舌の上を通り過ぎる時間が短すぎて、味わうゆとりも出ますまい。
ちなみに、コーヒー以上に金にうるさい私は、自販機の飲料が120円になってから、ほとんど買わなくなってしまいましたが、100円だった頃には、缶コーヒーよりも、缶ココアを好んでいました。 量が多かった事もありますが、濃度がインスタント・コーヒーに近かったからです。 そうそう、同じ理由で、ミルク・ティーもよく飲みました。 200㏄以下の缶コーヒーは、自慢じゃないけど、一度も買った事がありません。 私には、あの商品がリーズナブルとは、どうしても思えないのです。 「大きい缶だと、飲みきれないからさあ」ですと? なーにを生意気な事を! 大人ぶってカッコつけてんじゃないよ。 缶飲料の量が飲めないなんていうのは、大人というより、年寄りの証拠だぜ。
ちなみに、インスタント・コーヒーの銘柄には、まったく拘っていませんでした。 ネスレでも、味の素でも、みな同じ味にしか感じません。 開発者の皆様方には申し訳ないですが、銘柄による味の違いは、ごくごく些細なもので、インスタントとドリップの差に比べたら、ナノ単位のレベルだと思います。
粉ミルクに至っては、ブランドなど、全く不要な気がせんでもなし。 クリープでも、ブライトでも、まるっきり同じでしょう。 「私は、クリープでないと駄目なの」なんて人がいたら、目隠しテストにかけて、味の違いを言い当てられるかどうか、試してみるのが宜しい。 へへん、分かるものかね! 「あら、そうだったの? 間違えちゃったわ、おほほほほ!」 なんだと、このババア、笑ってごまかそうったって、許さんぞ! ・・・ん? いや、別に許すの許さんのと憤る程の事でもないですな。 失敬失敬、つい熱くなってしまいました。
それはさておき、味の違いがはっきりしないとなると、粉ミルクのCMに、数十年の長期にわたって、莫大な資金を投入しているメーカーはお気の毒ですな。 買っている人は、味よりも、値段の安さや、ビンの大きさで選んでいるんじゃないでしょうか。
なんだか、えらい脱線しているような気がします。 今回、何が書きたかったかというと、インスタント・コーヒー論ではなく、インスタント・コーヒーを飲まなくなったという話をしたかったのです。 上述のように、インスタント・コーヒーをガブ飲みして半生を過ごして来た私でしたが、二三年前から、徐々に、状況が変わって来ました。 台所で作って、部屋に持って来ても、飲み残すようになったのです。 質より量を信条にして来たわたしが、そんなに大きなカップでもないのに、うまいはずのコーヒーを残すとは、何とした事か?
それが、何回か続く内、もっと重大な変化に気付きました。 コーヒーを、うまいと思わなくなっていたのです。 「そんなの、うまくなければ、その時点で分かるはずで、何年も経ってから気づくような事ではあるまい」と思うでしょうが、実際にそうなんだから、仕方ありません。 長年の習慣で、「コーヒーはうまい物」という図式が頭の中に出来上がっていたため、自分がコーヒーをうまいと思わなくなっているとは、想像もしなかったんですな。 いやはや、凄い事に気付いてしまった。
「うまくない」は、イコール「まずい」ではなく、そこそこはうまいのですが、うまいから飲んでいるのではなく、飲まなければいけないと思い込んでいるから飲んでいるという感じになっていたのです。 理性的に考えれば、「コーヒーを飲まなければいけない」などという理屈があるわけがなく、自分でもそれは分かっていたのですが、分かっていながら、二三年もそんな状態が続いたのですから、習慣というのはつくづく恐ろしいです。
もし、それだけなら、やめようと思わず、今でも飲み続けていたかもしれませんが、もう一つ別の事情が重なりました。 会社の健康診断で、「血液中に悪玉コレステロールが増えている」と指摘されてしまったのです。 医者の脅しほど怖いものはありません。 医者に比べたら、幽霊なんか全然怖くない。 今後、お化け屋敷には、医者を並べておくのが良いと思います。 別に長生きしたいとは思いませんが、脳血栓で半身不随や植物人間というのは、甚だ困ります。 これは、何か対策を取らざるを得ますまい。 というわけで、白羽の矢が立ったのか、コーヒー断ちだったわけです。
別に、カフェイン・パッチなどという治療アイテムは無いので、切り替えは至ってシンプルでした。 ただ、ある日を境に飲まない事にしただけ。 一念発起というほどの決心ではなく、思い立ったが吉日というほどの切迫感も無く、ごく自然に、今年の正月明けからコーヒーを飲まなくなりました。 何か飲みたいと思った時には、ポットからお湯を注いでくるか、水道から水を汲んで来るか、どちらかで対応している内に、時間が過ぎ、コーヒーの事など念頭に浮かばないようになりました。
信じられない話ですが、漠然とやめようとした途端に、三十年続いた習慣が、スパッと切れてしまったのです。 うーむ、タバコや酒をやめられない人の気持ちが、ますます分からなくなって来ました。 習慣を断ち切るなんて、簡単なこっちゃん。 意志の強さ・弱さなんぞ、出る幕無し。 それが自分にとって必要でないと認識し、打ち切る事に納得した瞬間、いとも容易に縁が切れてしまうのです。 興味が無くなってしまえば、もはや、やめなければならない理由を並べ挙げる必要はありません。 理屈を捏ねて、続けるべき理由を並べ挙げても、もう復活はしないでしょう。 それは、私にとって、説得力を持っていないからです。
これねえ、誰にでも通用するとは言いません。 また、どんな事にも適用できるとも思いません。 割と合理的に物事を割り切れる性格の人で、やるかやらぬか、続けるかやめるか、どっちにしようか悩んでいる場合に限り、自分を納得させる理由さえ見つかれば、やめる事が出来るという話です。 何でもかんでも、やめればいいというものではありませんが、そもそも悩んでいるなんていうのは、自分に必要でない事の証拠ですから、一押ししてやれば、すぐに諦めがつくんですな。 しょーもない事で懊悩している方々、是非一度、お試しあれ。