2010/09/26

ツッパリ・ハイリスク

  岩手応援が近づいていて、対応しなければならない事柄が無数にあったので、時事問題などにかかずらわっている余裕など無いと思っていたのですが、ようやく釈放されたようなので、ちょっと書いておきましょう。 目下 最大のニュース、中国漁船拿捕、船長拘留事件の事です。


  この件について、私が第一報を知ったのは、中国のポータル・サイトで、「釣魚島近海で、日本の海上保安庁の巡視船が、中国の漁船に体当たりして来た」 というニュースでした。 それを読んでも、「ほう」 としか思わなかったのですが、なぜ驚かなかったかというと、以前、日本のある報道番組で、「海保は、玄界灘で韓国の密漁船を取り締まるのに、巡視船で漁船に体当たりをしている」 という特集をやっているのを見ていたからです。 別にスクープ扱いでも何でもなく、日常的にそういうやり方をしているという、単なる業務内容の紹介でした。

  漁船が損傷するのはもちろんですが、巡視船の方も、船体に裂け目が出来ている様子が映され、海保の人間が、「仕方が無い」 とコメントしていました。 私は、「恐ろしい取り締まり方もあったもんだ」 と呆れたのを覚えています。 漁船も巡視船も、沈没したら、船内にいる者は確実に脱出できるとは限りません。 下手をすれば死者が出かねない、極めて危険な取り締まり方です。

  たぶん、銃撃すると問題になるので、「ならば、ぶつけて捕まえよう」 という発想なのでしょうが、何とも、子供っぽいというか、野蛮というか、そんな事をするくらいなら、いっそ取り締りなどやめた方が良いと思わせるような、低劣さを感じました。 もし、自分の乗っている巡視船の方が沈没してしまったら、どうするつもりなんでしょうねえ? そこまで、考えてないんでしょうか。

  そもそも、巡視船を役所の物品だと思っているから、そんな乱暴な扱いができるのであって、もし、自分が買った船だったら、体当たりなんか絶対しないでしょう。 接舷するのでさえ、疵をつけないように気を使うと思います。 穴が開いた船体は、当然、修理が必要なわけですが、一体いくらかかる事やら。 でも、役所の経費で直すから、ぶつけている当人は、痛くも痒くも無いわけだ。

  また、別の番組ですが、こんなのもありました。 韓国に興味があって韓国語を習った青年が、身につけた語学を活かす為に海保に就職し、拿捕した密漁船の乗組員を、日夜 韓国語で尋問しているという内容。 その取り調べの様子が映されていましたが、まあ、今にも殴り掛からんばかりの剣幕で、背筋が凍るような光景でした。 そういう仕事と言ってしまえば、それまでですが、正直感じたのは、「この男、こんな事をするために、わざわざ外国語を習ったのか・・・」 という、呆れでした。

  ちなみに、私が、映画、≪海猿≫を見たのは、それらの番組を見たのより後になりますが、海保に対して、漠然と、「粗野な連中」 というイメージがあったので、映画のヒーロー的描き方には、苦笑してしまいました。 確かに、「あつい奴ら」 ではあると思いますが、≪篤い≫ではなく、単に≪熱い≫の方でしょう。 海保というのは、一般人には馴染みが薄くて、どういう人間がいるのか想像しにくいですが、業務の内容から考えて、自衛隊よりは、警察に近いと思います。 交通違反で捕まった時に見られる、警官の態度を思い起こしてみれば、大体、感じが掴めるんじゃないでしょうか。


  さて、今回の事件に話を戻しますが、中国では、「海保の巡視船が、中国漁船に体当たりして来た」 と報道され、日本では、「中国漁船が、海保の巡視船に衝突して来た」 と報道していました。 言っている事が、全く逆ですな。 ちなみに、≪衝突する≫は、自動詞なので、「衝突して来た」 という言い方はおかしいです。 他動詞を使った上で目的語を補い、「船をぶつけて来た」 にするか、どうしても、≪衝突≫という言葉を使いたいなら、「船を衝突させて来た」 と言うべき。 しかし、それはこの際、どうでも宜しい。

  日本のマスコミは、海保の発表を伝えたわけですが、中国のマスコミが、どうやって事件の経緯を知ったかは不明です。 しかし、日本経由の情報だとしたら、内容の逆転が起こる理由が考えにくいので、もしかしたら、当の漁船か、その僚船から、無線連絡を受けたのかも知れません。 中国のマスコミだけでなく、中国政府も、最後まで、「日本側が体当たりして来た」 という見解を貫いていたので、その点に関しては、自信があったのでしょう。

  翻って、日本側です。 日本のマスコミは、独自の検証能力が無いので、海保の発表をそのまま伝えたに過ぎません。 日本政府も、同様です。 海保の言い分を信じるしかないわけです。 しかし、上述したように、海保では、体当たりによる取り締まりを日常業務にしている所もあるわけでして、果たして、「漁船の方が衝突して来た」 という報告を鵜呑みにできるものかどうか、大いに疑問です。

  たとえば、学校で、年中 クラスメートを突き飛ばしてばかりいる生徒がいたとします。 突き飛ばすのが挨拶のようなもので、悪い事だとは、ちっとも思っていないのです。 その生徒が、第三者が見ていない所で喧嘩を起こし、「先に、向こうが突き飛ばして来た」 と主張したとして、果たして、信じて貰えるでしょうか。 もし、私が裁定するとしたら、限りなく黒に近い灰色、つまり、その生徒が嘘を言っていると考えます。 証明する方法が無いので、処罰はできませんが、心象は、ほとんど黒です。

  海保側は、「証拠のビデオが録れたので、逮捕に踏み切った」 と言っていますが、陸上の交通事故と違って、タイヤ痕が残るわけではありませんし、二隻の船以外に対象物がありませんから、どちらがどちらにぶつけたかを、ビデオ映像から判断するのは、無理があると思います。 素人目には、自船の舳先を相手の船の舷側に当てている方がぶつけているように見えますが、ぶつけるつもりが無いのに、相手側が進行方向を塞いだために、そういう形になって衝突したとも考えられ、やはり、判定はできません。 ちなみに、GPSは、海上では誤差が大きいですし、データの改竄も可能です。

  海保は、漁船を拿捕して来てすぐに、港の沖で巡視船と漁船を使って、事件の再現検証をやっていましたが、どうもタイミングが早過ぎて、胡散臭いです。 現場で撮影したビデオ映像の説得力が低いと思って、撮り直しをしていたとも疑えます。 こう言うと、些か糞味噌っぽいですが、海保でも、警察でも、検察でも、今の日本の捜査関係者を、どこまで信用できるものですかねえ。 何をやっているか、分かったものではありません。 未だに、証拠ビデオは公表されていませんが、船長の拘留を引き伸ばしていたのは、映像の捏造や、GPSデータの改竄をする時間を稼いでいたとも疑えます。 少なくとも、例の改竄検事なら、涼しい顔でそんな工作をやってのけそうですな。


  ここまで書いて来て、今頃 言うのもなんですが、この事件の中心点は、「どちらがぶつけたか」 ではありません。 「どこで起こったか」 が重大で、更に言えば、「係争地域で起こった、外交上 非常にデリケートな事件であるにも拘わらず、海保が外国漁船を拿捕して来てしまった」 という点が最も重要です。

  「漁船が衝突して来たから」 といのが、その判断の決め手だったと言っていますが、たとえ、漁船側がぶつけて来たという海保の主張が事実だとしても、漁船側からでは、見方が異なります。 「自分の国の領海内で操業をしていたのに、外国の巡視船が接近・肉薄して来たので、逃げようとしたら、追いかけて来た。 その間の縺れ合いで、船同士がぶつかった」 という認識ではないでしょうか。

  ほとんどの日本人が理解できていないと思われるのは、中国側から見れば、「漁船が操業していたのは、中国の領海であり、日本の海保の取り締まりを受ける謂れは、全く無い」 という点です。 この事を、何回 説明しても、日本では、理解されないでしょう。 「犯罪者は捕まって当然だ」 と思っていますから。 密漁船や海賊と一緒くたにしている人も、存外 多いんじゃないでしょうか。 しかし、漁船の船長は、中国の国内法に対しては何ら違反をしていないのです。 「(領海侵犯して)接近して来た外国の巡視船から、自分の船を守っただけ」 なんですな。

  日本側から見れば、現場を自国の領海と捉えているので、「取り締まるのは当然」 という事になりますが、今回初めて こういう事件が起きたという事は、今までは、それをやって来なかったという事です。 なぜやって来なかったか? 言わずと知れた事、現場が係争地域だという認識があり、「拿捕するのは、まずい」 という判断が働いていたからでしょう。

  ところが、今回は、それをしてしまった。 最終的な逮捕の判断は、内閣改造前の国交相が下したらしいですが、まさか、こんな大事になるとは、思いもしなかったのでしょう。 自分の判断に自信を持っていたはずです。 たとえ、その時、頭がカッと熱くなって、冷静さなどどこかへ吹っ飛んでいたとしても、「自分の判断は正しいに決まってる」 と思っていたに違いありません。 しかし、正しくなかったんですな。 正しい判断だったのなら、こんな恐ろしい情況を招くはずがありませんから。

  どちらがぶつけたか云々は問題の焦点にならず、結果的に残ったのは、「日本の官憲が、中国人の船長を逮捕し、拘留し続けている」 という事実だけ。 この問題は、正しい正しくない、ではなく、双方の主張がぶつかっている点に根があるわけで、それぞれの立場に立てば、どちらも正しいという事になり、永遠に解決しません。


「国内法に則って、粛々と対処する」

  うーむ・・・、「毅然とした態度で」 以来の、反吐が出るようなセリフですな。 日本政府は、この説明を壊れたレコードのように繰り返しましたが、今回ほど、政府の無能さを痛感した事はありません。 正直に言いなさいよ。 つまり、何にも考えてなかったんでしょう? 前半は、民主党の総裁選挙で、外交問題など眼中に無かったのは、否定のしようがない事実。 後半になって、中国政府に引く気が全く無い事が分かってからも同じコメントを繰り返していたのは、どうしていいか分からず、他に言う言葉が無かっただけでしょう。 

「国内法に則って、粛々と対処する」

  あのねえ、国内法が通用しない事件だから、問題が起こっているのよ。 それを、「国内法に則って」 なんて言ったって、解決するわけないでしょうが。 むしろ、「国際法に則って」 と言った方が、まだ説得力があります。 もっとも、二国間の係争地での事件に適用できる、国際法があればの話ですが。

  マスコミもマスコミで、今に始まった事ではないとはいえ、頓珍漢な見方ばかりして、まあ、笑ってしまいましたよ。 最初の頃、新聞に出ていた解説記事が、印象深くて、忘れられないね。 その記事の執筆者に言わせると、「両国ともに、国民に対する面子でツッパリあっているが、本音はどちらも、経済関係に影響が出ないように、早期の収拾を願っている」 というものでした。 いかにも、客観的な観察者が皮肉を利かせたという感じの穿った見方でした。

  白状すると、私も一瞬、その楽観論に便乗したいと思いました。 しかし、事件発生からそれまでの中国側の反応の敏感さを見て、「こんな事は今までになかった事だ。 軽く見ていると、どえらい大問題になるぞ」 と、動揺するほど心配していたので、とても、本気で信じる気にはなれませんでした。 案の定、事態は悪化の一方。 こういう時は、自分の予測が中るのが恨めしい。

  その後も、マスコミは、民主党総裁選や、内閣改造、検察特捜部の証拠改竄事件などをトップ・ニュースにしていましたが、そんな事件は、対中関係の悪化に比べたら、日本社会に及ぼす影響は、ゼロに等しいです。 「恐ろしい事態が進行している」 とは誰もが感じていたものの、下手にコメントすると、非国民扱いされて吊るし上げられるので、言えなかったんでしょう。 物言えば、唇寒し。 まったく、戦争にでもなれば、挙って御用マスコミ化するのは、請け合いですな。


  感覚的には分かっていても、理屈では分かってない人が多いようですが、日本経済の対中依存度は、非常に高いのであって、もし、経済関係が断絶するような事になったら、日本経済は、一瞬で崩壊します。 そうですなあ、譬えて言えば、大きな刃物で、縦でも横でも、体の半分をザクッと切り取られるようなものですかねえ。 対する中国側は、日本との関係が全て切れても、せいぜい、片手の肘から先を失うくらいのものです。 成長力の違いから見て、その手も、すぐに再生するでしょう。 一方、日本が即死なのは、言うまでもありません。 日本側は、まだまだ対等のつもりでいますが、経済力の差は歴然と存在します。

「中国側も、日本の技術を必要としている」

  このセリフも、耳にタコが出来るくらい聞かされましたが・・・・、馬っ鹿だねえ。 もう、そんな時代ではないですよ。 「日本には、外国にない高度技術がある」 と思っているのは、今や、日本人だけです。 一体、何を根拠に言っているのやら、とんと分かりません。 どの分野の話ですか? 教えて下さいな。 私は、一応、工業関係者ですが、そんな分野、見当もつきませんよ。 そんな凄い技術があったら、世界シェアがどんどん落ちるなんて事態は起きていないと思いますがねえ。 せいぜい、井の中の蛙的学者・技術者が言っているか、さもなければ、文系の技術音痴どもの妄想でしょう。


  話を戻しましょう。 今回の、船長釈放決定に対して、「筋を通せ」 だの、「外交的敗北だ」 だの、考え足らずな戯言を口にしている者がうようよいますが、そういう連中には、この間の日中関係の緊張で失われた経済的損失を、全額 弁償して貰えばいいと思います。 一体、何十億消えた事やら。 今後のぎくしゃくの余韻を考えると、最終的には、数百億の損害になるんじゃないでしょうか。

  わははは! 信じられんな。 海保と前国交相の判断一つで、数百億円が露と消えたんですよ。 全く、信じられん。 当人達に弁償させましょうか。 いや、政府に判断力があれば、中国が抗議し始めた時点で、すぐに釈放するという対応もありえたわけだから、政府全体の責任か。

  だからねー、夜中に大使を呼び出すなんて、その時点で、もう、腹の底から激怒している証拠なんですよ。 それを伝えたいから、夜中に呼び出したんですよ。 ところが、日本側は、依然として、「国内法に則って粛々と」 です。 正に、話にならん。 寝ていたようなものです。 無視していれば、中国側が引くと思ってたんですかね? 船長を人質に取られた格好になっている中国側が、引くわけないでしょうが。

  ワイド・ショーに巣食う、自称 識者のコメンテーターどもがまた、「大使を夜中に呼び出すのは屈辱的だ」 なんてほざいてましたが、アホらしいから、彼らの事は無視しましょう。 勝手に言っとれ。 大方、戦争がしたくて、うずうずしているんでしょう。 そうなったら、彼らが先頭に立って、弾除けになってくれるに違いありません。 期待しているぞ、君達!


  今回の釈放は、恐らく、経済界から与党に対して、「いいかげんにしてくれ」 と強い抗議が行った結果だと思います。 中国に進出している企業にしてみれば、追い出される可能性が日増しに高まり、生きた心地がしなかったでしょう。 政府が単独で判断できたとは思えません。 むしろ、延々とツッパリ続けるつもりだったんじゃないでしょうか。 政府に要求を出せるとしたら、政治家の財布を握っている経済界か、アメリカだけですが、もしかしたら、両方から、「いいかげんにせい」 と言われたのかも知れませんな。 アメリカも、いろいろと問題を抱えていて、こんな下らない事件で、中国と事を構えるわけにはいかんのですよ。

  政府は、「那覇地検の判断」 と言っていて、またぞろ、そこを突付いて、「地検が外交判断をするのは、越権行為だ」 とか、「政府は説明責任を果たせ」 とか非難している者がうじゃうじゃいますが、どーでもいいわ、そんな立前。 大体、検察特捜部が証拠を改竄する国で、越権行為がナンボのもんじゃい。 とりあえず、釈放してしまえば、日中関係に突き刺さった最大の棘が抜けます。 その方が一億倍 重要です。 棘を抜かなきゃ、傷を治す事もできません。

  だけど、日本政府の対応の、異常なまでの遅さは、今後も悪影響をひきずると思いますぜ。 中国政府が日本に対して、これだけ怒ったというのは、私の知る限り、初めてです。 事件前の状態に戻るのには、相当な努力が必要なんじゃないでしょうか。 もちろん、日本側の努力です。 今回の一件で、中国はもはや日本を必要としていない事がはっきりしてしまったので、中国側が積極的に努力して対日関係を修復するとは思えないからです。

  もっとも、今の日本の政権の判断能力から見て、そういう努力をするとは、とても思えず、日中関係は、冷え込み続ける一方なのではないかという暗い予感もチラチラしています。 だからといって、他の政党が政権をとってもねえ・・・。 ここ10年くらいの日本の政府には、努力して政策を実現したという例が見当たりません。 舵取りをしているのではなく、流れのままに漂っている感じがします。 もはや、政治には、何もできる事が無くなったという事でしょうか。

2010/09/19

田原町の思い出

  勤め先の別工場が岩手県にあるのですが、10月以降、そちらが増産なると同時に、私が勤めている工場が減産になるため、来年の3月末まで半年間、応援に行く事になりました。 まだ詳細な説明は受けていませんが、今の段階で分かっている事というと、10月4日から赴任で、前日の3日、日曜日が移動日になるらしいです。

  長いな、半年は。 しかも、雪が降る地域で、冬の間だけというのは、「皮肉か?」 と思うほど、厄介です。 東北は、景色が大変美しい所なのに、雪に立て籠められたのでは、出掛ける事も出来ません。 いや、それ以前の問題として、全く雪が降らない土地で育ち、雪への対応能力がまるで無い私が、果たして半年間 生きていられるものかどうか・・・。

  前回 他工場へ応援に行ったのは、1995年でして、愛知県の田原町でした。 現在は、市町村合併で、田原市になったようです。 今、最新の地図を調べてみましたが・・・、凄いね、渥美半島全部が田原市になってしまったんですな。 私が行った頃の田原町は、渥美半島の付け根から、真ん中辺りまでで、先端の方は、別の町村でした。 もう15年も経ってしまったんですねえ。 年月の流れ去るのは速いものです。 感慨頻り。

  他工場への応援には、大きく分けて二種類ありまして、一つは同じ会社の別工場への応援。 もう一つは、グループ内の、別の会社の工場への応援です。 田原の場合、後者に当たるので、行く前に、悪い病気を持っていないか、健康診断がありました。 血液検査もしたと思いますが、当時はエイズが取り沙汰されていた頃で、受け入れ側も感染症に警戒していたのでしょう。

  しかし、考えてみれば、人手が足りなくて働きに来て貰うのに、血液検査をするというのは、随分と失礼な話です。 独身寮で集団生活させる事になるので、浴場や洗濯機の共用で、感染症が広まってはまずいと考えたのでしょうが、感染症は、元からいる寮生が持ち込む事もあるわけで、こんな検査は、人間の尊厳を損なっているだけで、とんと無意味だと思います。

  今回は、同じ会社の別工場に過ぎませんから、健康診断は無し。 その点は、気分が悪くなくて、大変宜しい。 別会社の工場へ行くと、制服も違いますし、こちらの方が会社の格が下だと、それだけで小馬鹿にされたりして、何かと腹が立つ事が多いのです。 会社名の後ろに、「さん」 を付けて、「○○さん」 などと呼ばれ、個人の名前も覚えて貰えません。 人を何だと思ってるんじゃい? あの時は、差別について、実体験でいろいろと考えさせられました。

  一番 腹が立ったのは、「新入りの仕事だから」 と言われ、休憩所の灰皿の掃除をさせられそうになった事です。 なんで、煙草を吸わない私が、ニコ中のアホどもの為に、そんな事をせねばならんのか、理不尽にも程があると思い、「休憩所を使わなければいいんだろう」 と勝手に解釈して、自分の工程で休んでいました。 そういや、あの休憩所は、土足禁止で、絨毯の上を靴下足で歩くようになっていましたが、どういうつもりなのか、そんな事したら、あっさり、水虫をうつされてしまいますよ。 馬鹿でねーの?

  また、上司が変なオッサンで、私が、バイクを持って来て、観光地巡りをしていると言うと、「バイクで帰るのか? 危ないだろう。 事故でも起こされたら困るから、やめろ。 バイクだけ宅急便で送って、電車で帰れ」 などと、滅茶苦茶な事を言い出す始末。 常識が無いんだよ。 バイクを宅急便で送る奴が、どこの世界におるねん? 大体、バイクで来たんだから、バイクで帰れないという法はありますまい。 それに、愛知の田原から、静岡の沼津なんて、一般道でも4時間弱で着く距離で、ツーリング・ライダーには、物の数ではありません。 てめえがバイクの世界を知らないものだから、戯言みたいな事を平気で言いよる。 知らないなら、口を出すなっつーのよ。

  唯一 溜飲が下がったのは、私がそこで任された仕事が、新しく出来た工程だったので、自分の好きなように、仕事の手順や、作業棚の配置を決められた事です。 同じ工程の反対直に入った男も、私と同じ会社から行った応援者だったのですが、そいつが困った野郎で、私が朝出て来ると、毎日 棚の配置が変えてあるのです。 そんな配置で仕事ができるはずかないので、「変だ変だ」 と思っていたのですが、職制の情報によると、そいつは部品検査出身で工程作業の経験が無く、手順の組み立てなど、全然できない奴だったんですな。

  そいつは仕事が間に合わなくて、しょっちゅう 職制を呼んで助けて貰わなければならないのに、一方の私は涼しい顔でやっているので、「同じ工程なのに、なんで こんなに差があるんだ?」 と、反対直の職制が、わざわざ私の作業を見に来たくらいです。 偉そうなのが二人来ましたが、腕を組んで、憮然として見ている様は、小気味良かったです。 そんな事情で、私としては、一時 優越感に浸ったわけですが、今 思い返してみると、何とも程度の低い満悦だったことよ。


  仕事の方は、ろくな事がありませんでしたが、独身寮は、新しくて、住み心地が良かったです。 昔は、独身寮といったら、相部屋も珍しくなかったのですが、1995年くらいになると、意識も変わって来ていて、もう個室が当然になっていました。 エアコンは全室完備。 後は、テレビと電気ポットが備え付け。 ビデオが無かったのはきつかったです。 一週間ごとに昼勤と夜勤が入れ替わるので、録画できないと、連続の番組を見れないんですな。 近くのホームセンターで、18000円で売っていましたが、出張旅費が2ヵ月で9万円しか出なのに、そんな高い買い物はできませんから、断念しました。

  しかし、当時 熱心なアニメ・ファンだった私に、ビデオ無しの生活は辛過ぎました。 「このままでは、鬱病になりかねん!」 と、悶々としていたところ、寮のゴミ捨て場で、ソニーのVHSビデオが捨ててあるのを発見。 物は試しと拾って来て、テープだけ買って来て入れてみましたが、うんともすんともいいません。 そりゃそうだわなあ。 使えるものなら、捨てたりせんでしょう。 考えが甘かったか。

  ところが、ソニーのビデオをゴミ捨て場に戻しに行くと、今度は、松下電機のビデオが捨ててあります。 家で使っていたのも松下でしたから、「こっちなら、直せるかも」 と思い、部屋に持ち帰ってバラしてみると、思った通り、以前、家のビデオで経験したのと同じ部品が壊れています。 早速、ホームセンターへ行って、瞬間接着剤を買って来て、くっつけたら、果たして、動くようになりました。 いやあ、あの時は、嬉しかったです。 何でも、やってみるもんですねえ。

  ところが、その場で録画はできますが、説明書が無いし、家のとは機種が違うため、予約録画のやり方が分かりません。 悪戦苦闘する事、一週間。 腕時計の設定方法の知識まで引っ張り出して、様々な方法を試し、漸く、予約録画の方法を突き止めました。 いやあ。あの時も嬉しかったです。 あまりにも嬉しくて、思わず、両親の元へ、ビデオ修理の顛末を書いた葉書を出してしまいましたよ。 アニメも録画しました。 ≪ウェディング・ピーチ≫でしたけど。

  その頃、うちではまだ、ケーブル・テレビを入れてなかったので、地方局しか見れなかったのですが、田原では、テレビ東京の番組を見る事ができました。 その頃からアニメが多い局でしたから、ここを先途と、あれこれ見倒しました。 まあ、≪ウェディング・ピーチ≫はいい方で、他にろくな作品は無かったですがね。 他の局では、≪ガンダムW≫をやっていた頃ですな。 ≪エヴァンゲリオン≫は、まだ放送前。 私が、エヴァを見るのは、沼津に帰って、地方局の深夜で放送されてからです。


  寮の生活は質素なものでした。 広さは6畳間に押入れが付いたもの。 トイレ・洗面所・風呂は、共同です。 布団は貸し出しでしたが、狭いベランダに干したのは、2ヵ月で一回か二回で、シーツは一度も洗いませんでした。 洗濯機が有料で、一回100円取られるので、余計な事にお金を使いたくなかったのです。 部屋を広く使うために、敷きっ放しにはせず、毎朝 畳んで、押入れに入れていました。

  衣類の洗濯は、週に二回はしていたと思います。 あまり溜めると、干す場所が無いのです。 最初は、洗濯紐を持って行ったんですが、一度に多くを干せずに不便なので、家から洗濯ハンガーを送ってもらいました。 ベランダがあったものの、吊るすフックが無かったので、いつも部屋干しでしたが、不思議と、匂いはつきませんでした。 洗濯機ですが、こちらが起きている時は、反対直の人間が眠っているので、時間帯を選ぶのに気を使いました。

  食事は、昼だけは会社の食堂で定食を食べ、寮では、朝はバター・ロール、夜は、カップ麺とバター・ロールという、超粗食に耐えていました。 なぜ、そんなに貧しい食事だったかというと、お金をケチったからです。 応援に出されたのが不服で、せめて出張費を丸ごと残して、元を取ろうとしたため、食費に皺寄せが行ったというわけ。 アホですな。 栄養失調寸前になるまで痩せましたよ。 バター・ロールでさえケチって、近くのスーパーで賞期限切れを半額で買っていたので、それが中って、腹痛で苦しんだ事もありました。 ほんとにアホですな。 ケチにつける薬は無いか。

  飲み物は、電気ポットで沸かした、お湯だけ。 生水は飲みませんでした。 田原町は、高い山が無いため、水源も無く、南アルプスから引いているとか聞きましたが、水路や水道管を長く通った水というのは、やばいんですな。 たぶん、地元の人も生水は飲んでないんじゃないでしょうか。 ケチな私は、もちろん、清涼飲料水など買いません。

  風呂は、大浴場。 でも、赤の他人と裸の付き合いというのは、何となく嫌なので、浴場の一角にあった、シャワー・ルームばかり使っていました。 とにかく、一番恐れたのが、水虫をうつされる事です。 私に言わせれば、好き好んで温泉なんかに行く奴の気が知れませんな。 「いやあ、実は俺、水虫でよー」 などと、寛いだ場で気さくに告白する奴など、たまにいますが、「知らなきゃ、それで済むものを、黙ってろ、この馬鹿野郎!」 と、怒鳴りつけたくなりますな。 幸い、そういう目には遭いませんでしたけど。


  最初に行く時には、バスで移動したんですが、翌週には、同僚の車に乗せて貰って家に戻り、バイクを持って行きました。 まだ、免許を取って、一年目の時です。 バイクは、私にとっては二台目のもので、≪セロー225W≫、白地に青と紫のラインが入った、オフロード系モデルです。 駐輪場に置くと盗まれそうなので、寮の裏手に人目につかない場所を探して、ハンドル・ロック、ヘルメット・ホルダーを利用したチェーン・ロック、ブレーキ・ディスクの南京錠、更に、新たに購入したスネーク・ロックと、四重のロックを施し、とどめにカバーまでかけて、厳重に保管していました。

  自由に使える足があるというのは便利なもので、田原町を始め、渥美半島の観光地・景勝地は、ほとんど回りました。 職場は嫌だったけど、土地柄は、いい所でしたねえ。 沼津に比べると、観光地の整備が進んでいて、「金がある所は違うなあ」 と、感服しました。 城跡が残っていたのは羨ましい。 渡辺崋山ゆかりの地で、関連史跡がたくさんありましたが、軒並み見に行ったと思います。

  隣の豊橋にも行きました。 大きな街で、見切れない内に、応援期間が終わってしまいました。 地図で見所を調べて、一つ一つ潰して行くのですが、欲張って、日が暮れるまで駆けずり回って、寮に戻るのが夜になる事もありました。 薄暗くなりかけた頃に探しに行った、≪国分尼寺跡≫なんか、忘れられない記憶ですねえ。 ≪跡≫なので、何も無い原っぱで、近くにある平屋の家に点いた灯りが、物寂しさを盛り上げていました。 ちなみに、私が田原に行ったのは、11月と12月、えらい寒い季節でした。 当時は、まだ、写真趣味を始める前で、もちろん、カメラは持って行かず、写真が一枚も無いのですが、バイクで回った先の記憶は、割と鮮明に残っています。 一生、忘れないでしょうなあ。


  帰りは、期間終了の一週間前に、バイクで帰って来て、母の車を借りて田原へ戻り、ビデオやカラー・ボックスなど、ゴミ捨て場から拾って、溜まった荷物を持って帰って来ました。 他にも、家から送って貰った、小型テーブルや、座椅子など、大物があって、バイクでは持ち帰りようがなかったのです。 確か、昼勤で終わって、寮に帰って休憩し、夜中に車に荷物を運んで、夜通し走って帰って来たのだと思います。 浜松あたりで眠くなって、どこかの店の駐車場に勝手に停めて、仮眠しました。 家に着いたら、ちょうど、朝飯の時間でした。 最後に寮の部屋を出る時には、目に焼き付けておこうと思って、5分くらい、じーっと眺めていましたよ。

  そうですか、もう、15年も経ちましたか。 今では、遠い記憶になってしまいました。

2010/09/12

2010・夏の読書2

読書感想文は、六日出勤で土曜にここの記事を書く時間が無い時に取っておこうと、常々思っているのですが、さすがに読んだ本が溜まり過ぎたので、出してしまいます。 ・・・いや、実を言いますと、最近、自転車の事ばかり考えているせいで、記事のテーマがとんと思い浮かばんのですわ。 依然として、人間社会に対する興味が薄れたままで、新聞やニュースを見ても、何の感想も湧いて来ないという、根本的且つ深刻な問題もあるのですが、面倒臭いし、胃も痛いから、そちらへの対処は後回しにしましょう。 永久に後回しになるかもしれませんが・・・。




≪バカの壁≫
  知らない人でも知っているくらい有名になったベスト・セラー本。 騒がれていた頃、本屋でざっと立ち読みした事があったんですが、すっかり内容を忘れてしまいました。 このほど、図書館にあるのを偶然発見し、今更ながら借りて来て、じっくり読んでみた次第。 この本、新潮新書なんですが、沼津の図書館の新書コーナーには、岩波と中公しか置いてないので、最初から諦めてしまって、探しもしなかったのです。 ところが、≪アホの壁≫のついでに、館内検索してみたら、ヒットして、びっくり! 一般書扱いで、≪社会評論≫のコーナーに三冊もあったのです。 もっと早く、調べてみればよかった。 ちなみに、≪アホの壁≫は、まだ無い模様。

  どえらい反響を巻き起こしたので、どんなに凄い事が書いてあるかと思ってしまいますが、実際の内容は割とシンプルです。 200ページ程度の新書で、そんなに凄い内容を盛り込めたら、その方が不思議というもの。 ちなみに、この本は、養老孟司さんが口頭で喋った話を、編集者が文章に起こしたものでして、基本的に、口語体のまま文字になっているので、普通の新書よりも、更に読み易くなっています。 活字離れした今時の人々が飛びついたくらいですから、読み難いはずがないとも言えます。

  否でも人の注意を引く、≪バカの壁≫という書名が、この本の売れ行きに多大な貢献をしたのは確実です。 しかし、これは正しく、話題性を狙ってつけた書名であって、この本全体のテーマではありません。 全部で八章ある内の、第一章だけが、この書名に相応しい内容を持っています。 しかし、それでさえ、さほど密接な関係ではなく、他の章に至っては、限りなく羊頭狗肉に近くなります。

  ≪バカの壁≫とは、つまり、「立場が違ったり、興味の対象が異なる人間には、どんなに説明しても、こちらの考え方や感じ方を伝えるのは、不可能だ」という意味。 よく言われる、「話せば分かる」を否定しているわけですな。 この考え方は、すでに実社会に出ている人なら誰でも、経験上、よく分かると思います。

  第二章以下は、人間の脳が、数式的に情報を処理している事。 個性を重視する教育が、大きな間違いを犯している事。 人間は刻一刻と変化するが、情報は変わらない事。 脳を物体として見ると、馬鹿と利口の区別はつかない事。 今時の教師に対する批判。 一元論的考え方に対する批判。 といったような評論が並んでいます。 それぞれ、面白いですが、後半に向かうに連れ、年寄りの繰り言というか、「昔は良かった」的な物言いが増えて来て、だんだん、真面目に読む気が無くなって来ます。

  かなり峻烈な一神教批判が、何度か展開されますが、「一神教は一元論だから、他者と争ってばかりいる」という見方は、随分と単純に過ぎていて、一神教が登場する前から人類が互いに争って来たのは、否定のしようがない事実ではないでしょうか。 具体例を挙げますと、日本の戦国時代は多神教の社会でしたが、宗教とは無関係に全国規模で殺しあっていました。 その点は、どう説明するんでしょう。 もっとも、養老さんほどの古強者になると、この種の疑問をぶつけられても、何かしら、それらしい回答を、すぐに思いつくような気もしますが。

  書名は無視して、人間の脳に関する、社会的、生理学的アプローチをした評論集だと思えば、かなり面白い本だと思います。 目から鱗的な発想が多く含まれており、人によっては、これ一冊読んで、人生観が変わる事もあるかもしれません。 ただ、年寄りの繰り言の匂いがする部分は、それ以上のものではないと思うので、全てを鵜呑みにしないよう、気をつけるべきでしょう。 心酔し過ぎて、養老さんを盲目的に崇拝したりする前に、類似のテーマを扱った、他の著者の本を読んでみる事をお薦めします。




≪アジアの暦≫
  書名の通り、アジア各地の暦について詳述した本。 この場合の≪暦≫には、≪暦法≫と、現物としての、≪カレンダー≫の両方を含みます。 中国、韓国、朝鮮、ベトナム、イスラム諸国、インド、ネパール、タイ、ラオス、インドネシア、バリ島と、アジア全域をほぼカバーしていますが、日本は外されています。 恐らく、著者の他の本に、日本の暦について専門に書かれたものがあるのではないでしょうか。

  まず、太陰太陽暦と純粋太陰暦の二つに別れ、その内、太陰太陽暦が、中国式とインド式の二つに別れ、更に、それぞれの周辺国に類似バージョンが広がっているという図式で捉えれば、分かり易いでしょうか。 ちなみに、純粋太陰暦というのは、イスラム圏がほぼ全域、それです。

  現在の日本は、グレゴリオ式の太陽暦オンリーで動いているので、江戸時代まで使っていた太陰太陽暦の説明ですら、感覚的にピンと来ないと思います。 そこで、掻い摘んで説明しますと、

  太陽暦は、太陽の周りを地球が一周する時間を一年とし、それを12で割って、1ヶ月としています。 太陽暦に於ける月とは、単に年を割ったものに過ぎないので、実際の月の動きとは一致しません。 大体の目安にしているだけです。 江戸時代以前は、十五夜といえば、ほぼ満月と決まっていたわけですが、今、太陽暦の15日に夜空を見ても、月の形は、毎月バラバラです。

  太陰暦は、月の満ち欠けを見ながら一ヶ月を計り、それを12回繰り返したら、一年とします。 太陽暦とは逆に、月の動きには忠実ですが、年の方は、それを12回足しただけなので、実際の一年とは一致しません。 月が地球の周りを一周するのは、約29.5日なので、大の月を30日、小の月を29日にして、それぞれ交互に並べると、一年で354日にしかなりません。

  太陰太陽暦は、基本的には太陰暦なんですが、定期的に修正して、太陽暦と一致するようにしたものです。 太陰暦を続けていると、だんだんズレて来て、同じ日付でも、年により季節が変わってしまい、農作業その他の基準にする上で支障が出て来ます。 そこで、何年かに一度、≪閏月≫を入れて、太陽暦との差を修正するわけですな。

  イスラム圏の多くは、純粋な太陰暦を大昔から現在まで使い続けていますが、それは、多くの国が熱帯地方にあるため、季節が存在せず、太陽暦とのズレが出ても支障が無いからです。 同じイスラム圏でも、緯度が高くて季節がある所では、太陽暦との併用をしているらしいです。

  中国式の太陰太陽暦は、日本も同じ形式を使っていたので、馴染みが濃いですが、今でもよく耳にする、≪二十四節気≫というのは、太陽暦の方の分け方なのだそうです。 日付の基本になっている太陰暦とは別に、カレンダーに書き込まれていて、それを元にして、太陽暦の季節を知ったわけですな。 ただし、≪二十四節気≫は、中国の長安や洛陽の辺りの気候を基準にしているので、【雨水】や【啓蟄】など、他の地域では一致しない事象が多いのだそうです。 まあ、日本国内ですら、南と北とでは、虫が出て来る時期は違いますからねえ。

  ちなみに、現代の中国では、グレゴリオ式の太陽暦を採用していますが、太陰太陽暦も、≪農暦≫という名前で残っています。 しかし、農業に必要なのは、季節に連動する太陽暦の方でして、太陰太陽暦を、≪農暦≫と呼んでいるのは、些か転倒の感なきにしもあらず。 月の動きを見ても、季節は分からないので、たぶん、≪二十四節気≫の部分だけを指しているのだと思います。

  インドの太陰太陽暦では、1日から15日まで行くと、また1日に戻り、そのまま14日まで行くと、次は30日になるのだそうで、ちょっと驚かされます。 これは、月が満ちて行く半月と、欠けて行く半月を分けているからで、最後に30日になるのは、1ヶ月が終わった事を示すためなのだとか。 なるほど、そう言われてみれば、合理的です。

  グローバル化した現代では、どの地域でもグレゴリオ式太陽暦を併用していて、たぶんそちらの方が主流になりつつあるのだろうと勝手に思い込んでいたので、各地の伝統的な暦に、これほど多くのパターンがあると知って、新鮮な驚きを感じました。 図表などの資料を、そのまま載せているページも多いので、読み物としての纏まりには少々欠けますが、全く知らない世界を覗き見る事ができるという点で、一度目を通す価値はあると思います。




≪万民の法≫
  20世紀後半に活躍したアメリカの哲学者、ジョン・ロールズ氏が、1999年に出した本。 哲学といっても、カントの流れを汲む政治哲学でして、近代政治思想の末端に位置するような人です。 日本では、政治哲学を専門にしている人達しか名前を知らないんじゃないでしょうか。 「アメリカに、哲学者なんていたの?」と、根本的な所から縁が無い人間が絶対多数だと思いますが、私もその一人でした。 NHK教育テレビでやっていた、≪ハーバード白熱教室≫で、マイケル・サンデル教授が、毎回のように、「カントが」「ロールズが」と繰り返したので、初めて存在を知った次第。

  カントと並べられるほどの学者なら、著作を読んでみる価値があるだろうと思ったのですが、沼津の図書館には、この≪万民の法≫と、≪公正としての正義 再説≫の二冊しかありませんでした。 どちらも、氏が晩年になってから発表したものです。 できる事なら、氏が名を上げる事になった、1971年の≪正義論≫から読みたかったのですが、図書館に無いばかりか、とっくに絶版になっていて、ネットで古本すら見つけられない有様。 「ううむ、仕方が無い」と唸りつつ、読めるものから読む事にしました。

  で、この≪万民の法≫ですが、非常に分かり難い本で、喰い付くのに、えらい苦労をしました。 ロールズ氏特有の耳慣れない用語がたくさん出て来て、文章の意味がなかなか取れないのです。 何度か読み直さないと、理解できないかもしれませんな。 ただし、ページ数は割と少ないので、一週間もあれば、一通り目を通す事はできます。

  内容はというと、国際政治の様態分析と、理想的な世界政体について述べたものです。 過去から現在にかけて存在した国々の社会には、≪リベラルな民衆社会≫、≪良識ある階層社会≫、≪無法社会≫、≪重荷に苦しむ社会≫などの諸形態があり、その内、≪リベラルな民衆社会≫と、≪良識ある階層社会≫が互いに相手の存在を認め合って、≪無法社会≫には制裁を加え、≪重荷に苦しむ社会≫には援助を与えれば、世界全体が、理想的な状態になるというもの。

  ≪リベラルな民衆社会≫には、アメリカや西欧諸国、インドなどが想定され、≪良識ある階層社会≫には、穏健派のイスラム諸国が想定されているようなのですが、具体的な国名ははっきり示されていません。 ≪リベラル≫という言葉が使われているからには、同じアメリカ合衆国でも、共和党政権はリベラルなど糞喰らえと思っているわけですから、アメリカは政権が変わるごとに、≪リベラルな民衆社会≫になったり、ならなかったりする事になりますが、そういう意味ではなくて、氏が≪リベラルな民衆社会≫という名称で指し示しているのは、漠然と、≪民主主義社会≫の事らしいのです。

  しかし、この社会形態の分類方法、相当には大雑把でして、実際の国際政治の分析では、全く用なさないでしょう。 ≪無法社会≫の特徴として、「自国の利益のために、平気で外国を侵略するような国」というのが挙げられていますが、常識的に考えると、現在それに最も該当するのはアメリカという事になってしまって、氏の理論全体が崩れてしまいかねません。 自国政府を批判するために、皮肉のつもりで書いているのかとも思えますが、論文全体の雰囲気を見るに、そういう趣旨でもないようなのです。

  「≪リベラルな民衆社会≫同士は、決して戦争をしない」という言い方が何度も出て来ますが、この観察も大いに曲者で、氏は自分の理論に当て嵌まる時だけ、その国を、≪リベラルな民衆社会≫と呼び、当て嵌まらない時には、「その時、その国は、≪リベラルな民衆社会≫ではなかったのだ」と言っているだけのようにも取れます。 灰色の猫を、白猫と比べる時は、「黒い猫」と言い、黒猫と比べる時は、「白い猫」と言っているようなもので、基準がはっきりしておらず、理論全体の説得力を弱くしてしまっています。

  思うに、このロールズ氏、専門は政治哲学の論理の方で、実際の国際社会の観察や分析は、まるっきり門外漢だったのではありますまいか。 論理ならば、思い切った単純化が許されますが、現実となると、情況を単純化し過ぎるのは危険極まりないです。 たとえば、サダム・フセイン政権のイラクと、戦前の日本を同一視して、日本で成功した復興計画が、イラクでも同じように成功すると思い込んでいた例などは、単純化が悪い結果を齎した典型ですが、そういった間違いも犯し易いわけです。

  訳者あとがきの中に出て来るのですが、この論文に対して、「ロールズは、≪正義論≫の頃から、主張を後退させて、国際社会の現状を追認するだけになってしまった」という批判があったそうです。 訳者は、それを否定しているのですが、私の印象では、ズバリ図星をついた批判としか思えません。

  この本、≪万民の法≫の他に、もう一つ、≪公共的理性の観念・再考≫という論文も収められています。 そちらは、ごく短いものですが、≪万民の法≫以上に印象が薄く、読み終わった途端に、何が書いてあったのか、忘れてしまいました。 内容があれば、分かり難くても印象には残るので、大した事は書いてなかったのでしょう。




≪クルマから見る日本社会≫
  1997年に出版された、自動車関連の視点から見た、日本社会批判の本。 著者は、1931年生まれの自動車ジャーナリストで、計算すると、出版当時は、66歳くらいです。 車好きは車好きでも、かなり歳が行った人の書いた物なので、それを頭に入れた上で、注意しながら読む必要があります。

  とにかく、最初から最後まで、峻烈な批判の連続でして、日本の自動車会社、運転者、法律、監督官庁、自動車雑誌などを、貶して貶して貶しまくります。 基本的には、すべて正論でして、1997年の時点に限って言えば、この批判に反論するのは、屁理屈を以てするしかなかったでしょう。 ただ、すでに、13年も経っているので、この本の批判が、現在でもすべて通用するという事はありません。

  特に手厳しいのは、役所の一貫しない自動車行政に対してで、もう、ボロクソです。 どんどん、エスカレートして、車から離れて、一般論で官庁をこき下ろし始めるに至って、読んでいる側はついていけなくなり、「普段からこんなに怒ってばかりいるとは、不幸な人だなあ」と、憐憫の情さえ湧いて来ます。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。

  自動車雑誌に対する批判も凄まじく、わざわざそのために一章を設けています。 ただし、その章に限るなら、その批判の内容には、私も異論がありません。 私自身、面白くなくなったために、自動車雑誌を読むのをやめてしまった人間ですから。 今でも、かなりの種類が出版されているようですが、一体、誰が読んでいるのか、大変不思議です。

  自動車雑誌に試乗記事を書くジャーナリストというのは、「七誉め、三貶し」を、批評の目安にしているのだそうです。 七分誉めて、三分貶しておけば、メーカーには恨まれないし、読者からも、「メーカーの言いなりに誉めるばかりではない批評家」として、評価されるからだとか。 なるほど、そう言われてみれば、そんな記事が多かったような気がします。

  当時、問題になった、≪カー・オブ・ザ・イヤー≫の、メーカーによる審査員接待攻勢についても詳しく書かれていて、その辺りは、野次馬興味的に面白いです。 まったく、人間というのは、汚らしくも醜い生き物ですな。

  読めば、そこそこ面白いですが、なにせ、出版から時間が経っているので、現在では情況が変わってしまっている指摘が多く、車に詳しくない人が読むと、混乱する恐れがあります。 やはり、新書は、情報よりも、知識を主体にした本の方が、価値の減衰が起こり難いようですな。


  と、今回は、この四冊まで。 うーむ、いつにも増して、統一性に欠けるラインナップですな。 一応、正確に読んだ順に並べているんですがねえ。 ほら、だから、人間社会に対する興味が失せているもんだから、これといって、興味あるジャンルが無くなってしまっているんですよ。 困ったもんだ。

  ジョン・ロールズ氏に関しては、≪万民の法≫の後に、≪公正としての正義 再説≫を借りて来たんですが、あまりにも理解しにくく、途中まで進んだら、胃が痛くなって来たので、読むのをやめてしまいました。 中途放棄したので、感想は書きません。 たぶん、もう読み直す事も無いでしょう。

  ちょこっとだけ触れますと、ロールズ氏の最初の著作、≪正義論≫への他の学者の批判に対し、氏が反論と自説の修正点を述べたものでしたが、読み物としての纏まりに著しく欠け、どうにも喰い付けなかったのです。 哲学者の皆さんに申し述べたいのですが、一般人に自説を広めたいと思うのなら、読んで面白い形に纏めなければ、話になりませんぜ。 それでなくても分かり難いんだから。

2010/09/05

イベント買い

  例の、≪自転車買いたい病≫ですが、未だに治りません。 腕時計の時と全く同じパターンで、ああだこうだと、頭の中で議論百出、一向に方針が定まらないのです。 眠る前に、「よし、やっぱり、買うのはよそう」 と決心して目を閉じたのに、明け方に夢を見て、「そうだ、あれを買う事にしよう!」 と、興奮しつつ目覚めたりします。 元の木阿弥、理性の敗北、何やってんだよ、内面意識よ。 重症だ・・・。

  私は、悩み過ぎると、胃に来る体質なので、長引けば長引くほど、胃が痛くなり、飯が不味いったらありゃしません。 「買い物は、買うまでが楽しい」 とはよく言いますが、それも程度によりけりでして、今の私にとって、自転車の事を考えるのは、苦楽相激突する、手に負えない厄介事になっているのです。


  徹底して合理的に考えていくと、私は別に、新しい自転車など必要としていないのです。 現在、休みの日の移動手段として利用できるものは、

・ 父の車
・ 自分のオートバイ
・ 父の自転車
・ 自分の折り畳み自転車
・ 徒歩

  と、すでに申し分なく揃っており、新しい自転車を買っても、どんな用途に使うか、そちらで悩んでしまうほどです。

  買いたいと思っているのは、ロード・バイクかクロス・バイクなので、能力的には、自分のオートバイと、父の自転車の中間くらいに位置します。 父の自転車は、いわゆるママチャリですから、車体が重くて、スピードが出ず、遠出するにも限度があります。 また、同じく車重のせいで、山道を登るのは、拷問を通り越して、不可能事と言っても宜しい。 一方、オートバイなら、遠出もできますし、山道も問題無いのですが、オートバイというのは、うるさいですから、行った先で、ゆっくり辺りの様子を見て回るという事ができません。 観光地なり景勝地なり、もしくは、店舗なりイベント会場なり、目的地がはっきり決まっている時にしか、有効に使えないんですな。

  というわけで、ママチャリとオートバイの間に、スピードが出て遠出が可能なスポーツ自転車を捻じ込もうという企みが発生するわけです。 大体の目的地域までは、全力で漕いで移動し、到着したら、低速でうろついて、物見遊山と洒落込もうという算段です。 しかし、こういう、≪ニッチ需要≫というのは、大いに怪しい。 当て込んでいると、大抵 期待外れに終わります。

  そもそも私は、車歴もオートバイ歴も長いので、家を中心に、それらで行ける半径にある場所は、ほとんど行き尽くしています。 車やオートバイは、遠くばかりでなく、近くにも行けるので、空白地帯になっている部分など、もはや存在しないんですな。 現に、「スポーツ自転車を買ったら、どこへ行く?」 と自問してみても、候補が一個所も思いつきません。 まったく、歳は取りたくないし、経験は積みたくないものです。 新鮮な楽しみを得る機会が、みんな失われてしまいます。

  もっとも、車やオートバイの場合、前述したように、目的地がはっきりしていないと使えないので、行った先で広範囲をうろつくのなら、自転車の方が都合が良いわけです。 しかし、そういう用途に使うのなら、すでに折り畳み自転車があるのですから、車に載せていって、車をどこかの無料駐車場に入れ、そこを拠点に折自でうろつくという事が可能なわけで、何も新しくスポーツ自転車を買う必要は無い、という事になってしまいます。 うぬぬ・・・、どうしても、私に、新しい自転車を買わせぬつもりなのか。

  大体、「速い自転車に乗りたい」 と言っていても、自分で漕がなければならないのですから、決して、爽快なばかりではありません。 季節の問題もあるのであって、今は夏ですから、暑いだけで済みますが、これから寒くなって行ったら、果たして、自転車に乗って遠出しようなんて思うのかどうか。 今までの経験から見ると、冬場の外出は、自転車よりも車を選ぶ事の方が多いです。 ママチャリや折自ですら、そんなですから、遥かに速度が出て、寒風が身に突き刺さるスポーツ自転車では、尚の事、出かける気など失せるでしょう。

  こう考えてくると、私が新しい自転車を買うのは、大変 非現実的で、利益よりも損失の方が多いような気がしてきます。 実際、買ってみれば、三ヶ月もせぬ内に、「うわ、使わねーなー」 という不様な事態に陥って、己の愚かさに絶句する可能性、甚だ大。


  思うに、今私に新しい自転車を買わせたがっている衝動というのは、対象の物体とは無関係なのではありますまいか? たまたま、スポーツ自転車の本を読んだから、「お、これは買えるかも知れんぞ」 と飛びついただけで、本当は何でもよかったのではないかと思うのです。 それが証拠に、春に腕時計を買うか買わぬかで悪戦苦闘した時と、心理状態が全く同じです。 ちなみに、すったもんだの末、結局買った自動巻き腕時計ですが、今は何の興味も無くなり、机の隅で、ネジも巻かれず、放置状態です。 本来、冠婚葬祭用に買ったものですから、疵でもつけてはまずいと思い、普段使うに使えないというジレンマに陥っているんですな。

  私は、物そのものではなく、≪イベント≫が欲しいのかもしれません。 ちょっと高い耐久消費財を買う事を、人生のイベントと捉えていて、≪晴れ≫のひと時を楽しむために、必要の有無に関係なく、何かを買おうと手薬煉引いている公算が高いです。 今回、その罠にまんまと嵌ったのが、スポーツ自転車だったというわけ。

  この衝動、非常に低劣だと思うのですよ。 原始的、本能的だと思うのです。 とても、理性的な人間が深く関るような事ではないです。 街に行くたびに、アイスが食べたいだの、オモチャが欲しいだのと言って、公衆の面前で仰向けになり、「買って買って買ってーっ!」 と脚をばたつかせるクソガキと何ら選ぶところ無し。

  高い物を買う事が、自分の人生を豊かにする、そういう考え方が、すでに間違っているんじゃないでしょうか。 極端な例で言うと、金持ちが、金の使い道が無くて、クルーザーやら、ヘリコプターやら、暇潰し以外に用途が無い物に、莫大な金額を投じるのと同じです。 当人は、「これで俺は満足している」 と思っているわけですが、傍から見れば、とんだアホウで、ドブに札束を投げ捨てているのと変わりません。

  自分の心理を、更に突っ込んで分析すると、もっと刹那的なイベント性を求めている事が分かります。 通販で買うよりも、店で買いたいと思う欲求があるのですが、なぜ、店の方がいいかというと、対面して話す相手がいる方が、「どうだ、俺は高い物を買うんだぞ。 リッチなんだぞ。 お前の店で買ってやるんだぞ。 お客様は神様なんだぞ。 ありがたく思えよ」 と、そんな事をアピールできるからでしょう。 なんて、下品な欲望なんだ。 自分で書いていて、嫌悪感で眉間に皺が寄るのを禁じ得ません。

  何の間違いも無い。 私が欲しがっているのは、自転車そのものではなく、自転車購入というイベントなのです。 そして、今までの苦い経験で、イベント目的で高い買い物をする事が、いかに虚しい結果を招くかも承知しているのです。 だから、金銭的には問題なく買えるものであっても、「買うまい、買うまい」 と抵抗する心が生まれ、「買いたい、買いたい、イベントが欲しい」 と望む心と葛藤し、頭の中で、気が変になりそうな、セルフ激論が戦わされるのです。 まったく、いい歳こいて、この様だよ。 醜いねえ・・・。


  「自分でそこまで分かっているなら、自制できるんじゃないの?」 と思うでしょう。 いやいやいやいや、買いたい病をなめてはいけません。 分かっていても、買ってしまうまでは、心が落ち着かないのです。 その事も、経験上、嫌というほど身に染みています。 高い物の代わりに、安い物を買って、「とりあえず、買ったぞ」 と自分を騙す事に成功した例が一つだけありますが、今回は、それが利くかどうか。

  本格的なスポーツ自転車の代わりに、自分専用の27インチ・6段変速のシティー・サイクルを買い、お茶を濁すという手も考えるには考えたのです。 それなら、17000円くらいで済みますし、重いながらも、一応、遠出も可能です。 何とか、それで、ごまかせないものか。

  ロード・バイクなんか買ったって、どーせ、使えやしないんですよ。 胃が痛いなんて言ってる人間が、前傾姿勢で長距離走行なんて、できるわきゃありません。 で、遠出が駄目だから、近場で普段の足に使おうと思うと、籠も無い、スタンドも無い、ライトも無い、低速が不安定で歩道を走れない、停車のたびにサドルから下りなきゃなんない、と、無い無い尽しで、およそ実用性が低いと来たもんだ。 冷静に考えれば、一般人が買うような自転車じゃないんですな。 最低限、レースに出るくらいの覚悟がある人でなければ、ロード・バイクの性能を使いきれないでしょう。

  と、ロード・バイクを扱き下ろしては、断念しようとするのですが、病気というのは恐ろしいものでして、何度 崖下に蹴落としても、繰り返し繰り返し、同じ妄念が這い上がって来ます。 非常にやばいのは、ごまかし用のシティー・サイクルを買った後で、「やっぱり、重いな・・・」 と感じてしまい、「せめて、クロス・バイクにしときゃ良かったかなあ」 とか、「素直に、最初からロード・バイクを買っておけば、無駄金使わずに済んだのに」 とか、悩みを更に増幅してしまうケースですな。

  結局、この煩悩の輪廻から完全に逃れるためには、最終目標であるロード・バイクを買ってしまうしかないのでしょう。 置き場所も無く、乗る時間も無く、日常の足には全く使えないのが分かっていても・・・。