2011/10/30

アニメ四方山

  ≪ガンダム AGE≫のせいで、しょっきり萎んだガンダム熱でしたが、BS11の≪ガンダム・Gセレクション≫で、≪Z≫の第1話を見たのと、アニマックスで、≪オリジナル≫の第1話を見た事により、首の皮一枚の所で持ち直しました。

  いきなり、脱線ですが、いやあ、やっぱり、≪Z≫のエンディングは、いいですなあ。 エンディングは、全話通して、同じ曲で、アニメーションも、ほぼ同じ。 ただ、前半と後半で、描き直したらしく、色合いが若干変わったのを覚えています。 一方、オープニングは、前半と後半で別の曲になりますが、私としては、前半の曲の方が、ドライな感じがして、好きです。 後半の曲も悪くはないですけど。

  ≪オリジナル≫のオープニングは、印象的で、もちろん良いですが、エンディングの方は、しばらく見ていないと、すっかり忘れてしまうほど、インパクトが薄いです。 スローな曲調に、アムロに語り掛けるような歌詞で、いわゆる、≪浄化エンディング≫なのですが、妙に、内向き、後ろ向きな感じがして、好きになれません。

  実のところ、ガンダム・シリーズのオープニング・エンディングの中で、最も強烈な印象を与えるのは、≪ZZ≫の前半のオープニングではないかと思うのですが、若い世代の人達で、≪ZZ≫を知らないのなら、レンタルで借りて来るか、ネット配信で、一度聴いてみると、面白いと思います。 絶対、「ええっ?」と思うから。

  ≪オリジナル劇場版≫3部作や、≪逆襲のシャア≫には、フォークやロックの有名歌手が作った曲が使われていますが、当時、アニメ・ソングは、作品の中身に合わせて、専用に作るのが普通だったので、かなり違和感がありました。 何というか、有名歌手には有名歌手の、現実世界のイメージがあり、それが、アニメの世界へ入ってくる事に、抵抗を感じたのです。

  90年代に入ると、テレビ・シリーズでも、アニメ・ソングに、一般歌手が歌う、フツーのポップスやロックが使われるようになり、ガンダムも例外ではなくなるのですが、そうなってからの曲は、ほとんど記憶に残っていません。 おそらく、脳の中で、一般曲に分類されて、「とりわけて、記憶する必要なし」と判断されてしまったのでしょう。 それにしても、≪V≫≪W≫≪X≫は言うに及ばず、≪シード≫や≪デステニー≫の曲まで、一っつも覚えていないのは、どうした事か・・・。 単に、私の記憶力の問題なのか? ≪G≫? あれは、論外。 覚える価値無し。

  やっぱりねー、アニメの曲は、専用に作った方がいいですって。 もろに作品の内容を歌わなくても、≪エヴァンゲリオン≫のオープニングくらいの関連度なら、充分いけるでしょうに。 アニメだからこそ、100%の純度で使える、映像と音楽の相乗効果を、利用しない手は無いですよ。

  そういや、マクロス・シリーズも、作品内容と関係ない曲は、全然、覚えとらんな。 ≪7≫で、バサラが歌った曲を、特に覚えてません。 ロックやバラードは、アニメに合わないという感じは、前からしていましたが、≪7≫では、合わない所ばかり、特に強調されてしまっていたような感がありました。 ミレーヌ絡みの曲は、覚えているんですがねえ。

  一時期、アニメ・ファンの中に、「アニメ専用の歌は、聴いてて恥ずかしい。 普通の曲を使った方がいい」という人が多くいたんですよ。 で、だんだん、そういう風になって行ったわけですが、約20年やってみて、結果はどうだったかというと、それ以前の20年に作られたアニメの曲と比べて、記憶に残る率が格段に落ちたのは否定できないところでしょう。

  昨今の深夜アニメは、1クール、10話前後で終わってしまうものが、大変多いですが、そんなに短くても、オープニングとエンディングは、一応揃えなければならないから、厄介な事です。 専用に作る予算があるわけがなく、既成の一般曲から選ぶ事になりますが、やはり、記憶に残る曲は、ほとんどありません。 そもそも、アニメの曲がどうこうという問題以前に、一般曲自体が、世間から無視されているので、記憶に残りようが無いと言えば、それは、当然の事なのですが。

  そういえば、昔は、一般曲が、アニメ・ソングに採用されると、「アニメの曲は、一段落ちると見做される」とか言われて、歌手が嫌がったものですが、一般曲が売れなくなった当世では、立場が逆転し、「アニメの主題歌になれば、ヒット間違いなし」などと言われているそうですな。 いや、「ヒット」という程の事は無いと思うのですが、アニメには、漫画原作のファンや声優のファンなど、律儀に関連商品を買い集める消費者層がついているので、ある程度の販売数が期待できるという意味でしょう。


  「声優のファン」と書いて、思い出しましたが、声優のファンというのは、驚くくらい、たくさんいるらしいです。 私なんぞは、アニメは、空想の世界だと規定しているので、声優は、ただ、声を担当している方々に過ぎず、彼らの実態、実生活に関する情報など、知る必要を感じません。 というか、敢えて、知りたくないのですが、そういう考え方の持ち主は、少なくとも、多数派ではない様子。 作品のイベントで、声優が来るなどというと、追っ掛けどもが、殺到するというから、驚かずにいられません。

  ここ15年ほど、声優は、外見もよくなければ、務まらなくなってしまったようですが、声優ファン達のの要望が、そういう風調にしてしまったのは、間違いないところです。 しかし・・・、何か間違ってないか? 声優ファンの頭の中というのは、どうなっているんでしょう? 彼らが熱を上げているのは、アニメのキャラなのか、それとも、声優自身なのか、はたまた、両者をごっちゃにしたイメージなのか。 何だか、精神的に危ない感じがしますなあ。

  単に、声優の追っ掛けをするファンがいるというだけなら、彼らの自由であって、私がどうこうケチをつける事も無いのですが、この声優ファンが、アニメの商業的成功・失敗に、少なからぬ影響を及ぼすために、作品内容に大きな弊害を与えているとなると、見過ごせません。

  どういう事かというと、人気声優を大勢出せば、それぞれの声優のファンが、その作品を見たり、DVDや関連商品を買ったりしてくれるので、必要も無いのに、キャラを増やす傾向が、90年代半ば以降、急増したのです。 学園物などという、およそ、アニメで作る意味の薄いジャンルが、やたら隆盛を極めているのも、学園物なら、クラスメート役で、大量の声優を使えるからです。 くくく、下らん! ストーリーに絡んで来ないキャラを、出すなっつーの! 作劇理論も糞もねーな、クソ!。

  という理由で、アニメは、いつのまにか、美少女キャラや、イケメン・キャラの大運動会みたいになってしまったんですな。 もう、初回から、似たような役回りのキャラが、わらわらと出て来たら、そのアニメは、スカだと断定してしまってもいいです。 本気で、いい作品を作ろうとしている制作者は、声優ファンなど、当てにしませんから、人数を必要最小限まで絞って来ます。

  ここ数年で、話題になったアニメというと、≪四畳半神話大系≫や、≪あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。≫などがありますが、いずれも、内容で勝負しているから、無駄なキャラなど一人も出て来ません。 それに比べて、声優ファン頼みの作品の、レベルの低いことよ。 雲泥の差。 月とスッポン。 灰とダイヤモンド。

  それにしても、学園物は、どうにかなりませんかねえ。 本来なら、実写で作るべきものでしょう。 SFでも、ファンタジーでも、オカルトでもなく、単なる恋愛物や、クラブ活動物まで、アニメで作ってますが、キャラがチャラ過ぎて、およそ、現実感がありません。 顔も、みんな同じ。 髪型と髪の色で、区別しているだけ。 性格の描き分けまで、いい加減で、最後まで、「誰が誰だか、よう分からん」というのも多いです。 いや、馬鹿馬鹿しいから、最後まで見るような事は、ほとんどありませんけど。

  漫画原作があれば、アニメ化しても、キャラの描き分けはできそうなものですが、昨今は、アニメ風の絵しか描けない漫画家というのが多くて、漫画の段階で、すでに、キャラを見分けられないケースも多く、絶望的な情況になっています。 ちなみに、その昔、少女漫画原作のアニメが少なかったのは、登場人物の顔が互いに似過ぎていて、アニメ制作者が、描き分けられないのを嫌がっていたからだという説もあります。

  ライト・ノベルズ原作のアニメが増えたのも、事態を悪化させるのに一役買っています。 正直はっきり言わせてもらいますと、ライト・ノベルズ原作のアニメが、面白かった例しが、一つもありません。 なんだろね? 「文章だから、漫画より、高尚なはずだ」というのが、勝手な思い込みなのであって、実は、漫画より低劣なのかもしれませんな。 一般小説を書くほど、文章力が無く、さりとて、漫画を描く画力も無いという人が、最後に逃げ込むのが、ライト・ノベルズというジャンルだからでしょうか。

  「作家」という言葉を使うと、みんな一緒になってしまいますが、ライト・ノベルズ作家と、一般小説家の間には、思いの外、大きな段差があるのかもしれません。 そもそも、やたら、ファンタジーが多いのは、現実世界の観察が苦手だから、テキトーにごまかせる異世界に逃げているとしか思えません。 テキトーに考えた世界を映像化しろと言われたアニメ制作者こそ、いい面の皮で、苦労するでしょうなあ。

  ≪精霊の守り人≫が放送される前に、メイキングを見ましたが、監督達の悪戦苦闘ぶりが、痛々しかったです。 まあ、見た人は分かるでしょうが、「非常に細かい所まで、よく考えて、映像化している。 唯一の欠点は、全然、面白くない事だ」という、厳しい評価を下さざるを得ませんでした。

  それでも、≪精霊の守り人≫は、まだ最後まで見れたから、マシな方で、≪獣の奏者エリン≫なんか、一話見ただけで、気分が陰鬱ーになってしまい、二話目を見る気にならないという、自分でも呆れるようなひどさ。 別に、映像化に失敗しているわけでもないのに、なんで、あんなに、見る気を殺ぐのか、原因がよく分かりません。

  ちょっと前の作品になりますが、≪十二国記≫というのもありましたな。 全体の9割くらいは見たと思いますが、後ろに行くに従って、あの世界に慣れてしまい、新味が無くなって、興味が薄れて行きました。 ファンタジーというのは、話を延ばそうと思えば、いくらでも延ばせられるようですが、見ている方は、いつまでも付き合ってくれるとは限らないので、そこの所を頭に入れておいて欲しいものです。


  えーと、今回は、≪ガンダム話④≫を書くつもりだったんですが、最初から脱線したため、こんな内容になってしまいました。 面目無い。 というわけで、タイトルは、≪アニメ四方山≫としておきます。

2011/10/23

ガンダム話③

  うーむ・・・、「ガンダム話なんて、感想を書くだけだから、平日の夜に、ちょっと時間があれば、スイスイ筆が進むだろう」と思っていたんですが、予想に反して、ちっとも進みませんなあ。

  いや、原因は分かっているのです。 一番大きいのは、10月16日に、BSアニマックスで放送した、≪ガンダム ユニコーン≫の2・3話を見逃してしまったから。 すでに、開局記念の無料期間は過ぎているので、スカパーの≪16日間無料キャンペーン≫を利用して、見ようと思っていたんですが、当日の午前10時頃に手続きをしたら、あらやだ、あーた、≪待機時間≫とやらがあって、午前8時までに手続きをしないと、その日は映らず、翌日の午前3時まで待たなきゃいかんというじゃありませんか!

  知らねーよ、そんな事! そういう大切な事は、サイトのトップ・ページに、大きく表示しておきなさいよ。 ・・・いやいや、無料だから、あまり、声を大にして文句は言えませんがね・・・。 でも、厳しいなあ。 幸い、29日に、再放送があるそうで、16日間の内に入っているから、その時、見れると思うんですが、それなら、28日辺りに手続きすれば、11月の特集である、≪るろうに剣心≫のOVA・劇場版3作も、見れたんですがねえ・・・。 全く、思うに任せぬ。

  ちなみに、アニマックスは、特集を除くと、普段は、一昔前のテレビ・アニメを十本くらい順繰りに放送していて、本契約をしてまで、見たいと思う局ではありません。 ≪こち亀≫とか、≪シティー・ハンター≫とか、懐かしいとは思いますが、そうそう連続的に、懐旧の情に浸り続けてばかりもいられませんわ。 アニマックスの契約をしている方達は、もちろん、アニメ・ファンだと思いますが、他の局で、新作アニメがうじゃうじゃ放送されているのに、昔の作品まで見ていたのでは、時間がいくらあっても足りますまい。 みんな、ひきこもりなのか? いや、ひきこもりでも、見切れないと思いますけど。


  もう一つの原因は、先週見た、≪ガンダム AGE≫が、あまりにも、子供向け過ぎて、がっくり来てしまった事。 いやはや、ああいうのを見せられると、盛り上がりかけたガンダム熱が、一遍に冷める事よ。 これは、私だけでなく、新作ガンダムが始まると聞いて、楽しみにしていたガンダム・ファンの方々の、ほとんどが、同じ思いを共有していると思います。 「なんだよ、こりゃあ!」てな。

  新聞の紹介記事に出ていた制作者の言葉では、「小学校高学年向けに作った」との事ですが・・・、いやいやいやいや、小学校高学年は、こんな幼稚なアニメを見ないでしょう。 低学年向けの間違いではないですか? キャラデを見ただけでも、≪ポケモン≫や、≪ケロロ軍曹≫クラスなのは明らかです。

  キャラデに合わせて、メカのデザインも単純化されており、何とも、安っぽい印象。 プラモデルは作りやすそうですが、ガンプラとして認めてもらえるかどうかは大いに疑わしいところ。 この作品のプラモを作って、悦に入っている大人がいたら、そいつの精神年齢は、6歳前後ですぜ。

  ストーリーは、今のところ、ガンダムのお決まりパターンを踏襲しているのですが、戦争物というより、「わるものがせめてきた。 ぼくらでたたかおう」的な、幼稚なヒーロー物の雰囲気で満ちており、ガンダムらしいリアリズムは、微塵も感じられません。

  「戦闘中に、敵メカのデータを採取して、その場で新しい武器を作るシステム」、などという機械が出て来ますが、まるっきり、≪ヤッターマン≫ですな。 作れるわけないでしょう、そんな短時間で! 食パン一枚焼けんわ! SFと思えぬだけでなく、常識すら欠いている。 コメディーならともかく、真面目な話の中に出て来る設定だから、冷や汗が流れるのを止められません。 「子供向けなら、何でもアリだ」と思っているんでしょうか?

  わざわざ、こういうアニメを、ガンダムの名を冠して作る必要があるのか、そこに疑問を感じます。 制作者のコメントに、「今の子供達は、ガンダムを知らない。 このままでは、どんどん難しい話になってしまうので、子供にも分かるような作品にしたかった」というような事が書いてありましたが、なーにを勘違いしてるのやら・・・。 ガンダムは、オリジナルの時から、≪子供向け≫など、想定していません。 ≪学生以上向け≫に、本格的なSF戦争物として作られたのです。

  子供というのは、年長者の世界を垣間見ながら、育つものであって、オリジナルのガンダムは、学生以上向けだったから、多くの子供が、その世界に憧れたのです。 「より子供向けに作れば、子供が喰い付いてくるだろう」という発想は、本末転倒しています。 最初から子供向けに作ったら、子供向けの品質にしかならないのは当たり前であって、いつまでたっても子供向けです。 それは、≪仮面ライダー≫や、≪ウルトラマン≫のシリーズを見れば分かること。

  恐らく、ガンダム・ファンに、ボロクソに貶されるか、≪SDガンダム≫と同類と見做されて、無視されるかのどちらでしょうなあ。 後者の公算、高し。 それならそれで、問題無いですか。 同じガンダム・シリーズだと思うから、ドタマに来るのであって、まるっきり別物だと思えば、腹を立てる必要も無いわけだ。 問題は、前者の方向へ行ってしまった場合です。

  そういえば、何年か前に、≪エヴァンゲリオン≫を作ったガイナックスが、久しぶりにアニメを作るというので、ファン達が心待ちにしていたのを、≪グレンガラン≫が完全に子供向けだったために、ネットで、ボロクソに扱き下ろされ、それに反発した制作者の一人が、「素人が偉そうな事を言うな」とか何とか発言して、火に油を注ぎ、ニュースに取り上げられるほどの大ごとになりましたが、あれと同じ展開が予想されます。

  アニメ制作者の中には、幼稚園くらいの頃に見たアニメ作品の印象が強烈だったのか、「アニメは、本来、子供向けでなければならない」といった観念から抜けられない人が少なからずいます。 そういう人達は、「アニメでしか表現できない映像を作ってやろう」とか、「大人が見ても舌を巻くような、深みのある作品にしてやろう」などとは、端から考えていません。 自分の幼い子供が、キャッキャ喜ぶような、単純で毒の無いアニメが作りたいのです。

  外国製のアニメが、どうしても、子供向けの枠から外へ出られないのは、そういう作り手の意識の問題が大きいですが、同じような考え方の人が、日本にも存在するわけですな。 この人達、決して、悪い性格の持ち主ではなく、むしろ、人間的には、子供好きで、温厚で、ノンポリで、大変、好ましい人物であると思われるのですが、そういう特徴は、芸術家としては、却って、邪魔になるのです。

  皮肉な言い方をしますと、「アニメは本来、子供向け」と思っている人というのは、大人なのであり、「大人を唸らせるようなアニメを作ろう」と思っている人達は、頭の中が、子供のままなのかも知れません。 確かに、名作・傑作を世に出した人達には、「変な人」が多い。 実に、多い。 実に、実に、多い。 


  富野さんは、どう思っているんでしょう。 ガンダム・シリーズと言うと、富野さん本人がタッチしていなくても、必ず、原案者の所に名前が出るわけですが、不本意じゃないんですかね?


  あー、今回も、長くなってしまったので、ここらで切り上げます。 ガンダム話の続きを書くかどうかは、未定。 気分が盛り上がらなければ、これで終わりになるかもしれません。

2011/10/16

ガンダム話②

  前回のガンダム話の続きを書くつもりでいたんですが、今週の仕事が、9月の台風休業の振り替えで、六日出勤だったため、時間・体力・精神力、全てすり減らし、とても、ノリノリで書き捲るというわけにはいかなくなってしまいました。 さりとて、休みにすると、今年の初めのように、また休み癖がついてしまいそうなので、短いのを、ちょこっと書く事にします。


  前回、≪ZZ≫まで行きましたが、その後となると、テレビではなく、劇場版になり、名作、≪逆襲のシャア≫が出て来ます。 この映画は、ガンダム・シリーズという枠を外して、アニメ映画全体の中で評価しても、傑作と言っていいと思います。

  当時、雑誌の記事で、「ガンダムの映画を作っているらしい」という情報は小耳に挟んでいたんですが、≪Z≫後半から、≪ZZ≫に掛けて、尻すぼみの印象があったので、あまり期待していませんでした。 もし、≪Z≫や≪ZZ≫の総集編のような話なら、見なくてもいいと思っていました。 それ以前のガンダム映画というと、オリジナルの総集編だけだったので、完全な新作が出て来るとは思っていなかったのです。

  ところが、実際に作られたのは、≪Z≫≪ZZ≫を無かった事のようにパスして、オリジナルの世界に戻り、アムロとシャアが中心になる、新ストリーでした。 だけど、この時点では、まだ、「ふーん」と思っただけです。 ≪Z≫≪ZZ≫でも、アムロとシャアは出ていましたが、およそ、パッとしない印象で、キャラとして、すでに死んでいるのではないかと感じていたので、期待が膨らまなかったんですな。

  80年代後半というと、世間では、ジブリ作品が注目を集めていましたが、私のように血の気が多い人間にとっては、他に面白いアニメが無かった時期で、「ガンダムの新作は見たいが、期待は出来ぬ」というジレンマに苦しめられていました。

  で、88年に公開。 ケチな私の事とて、劇場には行かず、レンタル店にビデオが並んでから、借りて来たんですが、最初に見た時には、まーあ、ぶったまげましたね。 「えっ! こんな凄いのが作れるの?」と、テレビ画面に齧り付きました。 アムロとシャアという、言わば最後の一滴まで搾り尽くされたキャラを使って、これほど、豊かなストーリーを展開できるとは、お釈迦様でも思うめえ。

  ≪Z≫≪ZZ≫は、監督こそ富野さんですが、脚本は別の人達が分業して書いていました。 それが、≪逆襲のシャア≫では、富野さん自身が書いたため、印象に残るセリフが、バンバン出て来ます。 当時、私は、ダビングしたビデオを、繰り返し繰り返し、最低でも、30回くらいは見たため、ほとんどのセリフを覚えてしまったのですが、今でも記憶に強烈に焼きついていると言うと、

「また、同じ夢を見るようになっちまった」
「あの子と同じだ・・・」
「海軍の連中は、船の数が合っていれば、安心するものさ」
「どうして、こんなに気持ちが悪いの・・・」
「シャアは純粋過ぎる人よ」
「私が直撃を受けている!」
「大佐、私達を見捨てるんですか!」
「分かった、ファンネルを捨てる!」
「放熱板が何だって言うんだ!」
「シャアの手伝いをしたっていうのか・・・」
「やめてくれ! こんな事につきあう必要は無い!」

  といったところでしょうか。 とりわけ、「私達を見捨てるんですか!」は気に入って、しばらく、口癖になっていました。 一つ一つのセリフが、よく練られていて、細部に拘る富野さんらしさに溢れていました。 テレビ・シリーズでも、オリジナルには、後々語り継がれるセリフがうじゃうじゃありましたが、セリフというのは、作品の印象を視聴者の脳裏に焼き付ける上で、重要な役割を果たしているんですねえ。

  戦闘場面のほぼ全てが、宇宙空間で行なわれるにも拘らず、≪Z≫≪ZZ≫と違って、スピード感を出すのに成功していたのも、印象的でした。 背景に対象物が無い場所でも、見せようによっては、動きを表現できるんですねえ。 当時、CGは、ほとんど使われておらず、手描きのセルを一コマずつ撮影する時代だったわけですが、むしろ、そういう技法だったからこそ使える技というものがあり、「時間的・資金的にゆとりがあれば、これだけの物が作れる」という証拠作品になった感があります。


  ≪逆襲のシャア≫が、これだけよく出来ていたわけですから、「じゃあ、また、テレビ・シリーズを・・・」という話になっても良かろうと思うのですが、ここが、日本のテレビ界の奇妙なところでして、そういう流れには決してならないのです。 ちなみに、オリジナルの頃から言われている事ですが、ガンダムの視聴率は、決して高いわけではなく、一桁という回もあって、テレビ局は、あまり乗り気ではないのです。

  この頃すでに、SFアニメのスポンサーは、玩具・プラモ会社オンリーになっていましたから、関連商品がよほど売れないと、一社だけで、30分番組を提供するのは、かなり厳しかったんですな。 今なら、DVDでペイするというパターンが利きますが、当時は、レンタルが主流で、一応、セル・ビデオもあったものの、買える人は稀でした。

  というか、レンタル・ビデオのダビングが、普通にできたので、高い金出して、セル・ビデオを買うのが馬鹿馬鹿しかったのです。 逆に言うと、今は、レンタルDVDはコピー不可能ですから、手元に置きたければ、セルDVDを買うしかなく、アニメ・オタクに洒落にならない浪費を強いて、彼らの老後を暗いものにしています。 ちなみに、若い頃から、老後の生活を真剣に考えて来た私は、よほど好きな作品であっても、アニメのDVDを買ったりはしません。 テレビ放送の時に録画できなければ、すっぱり諦めるだけです。


  話を戻しますが、≪逆襲のシャア≫が88年で、≪F91≫が91年と、三年、間が開く事になります。 長かったなあ、あの三年は。 その間に、OVAで、≪0080 ポケットの中の戦争≫と、≪0083 STARDUST MEMORY≫が入るのですが、この二本は、富野作品でない事が分かっていたので、何となく、違和感があって、見たいと思いませんでした。

  ≪0080 ポケットの中の戦争≫は、かなり後になってから、レンタルやテレビ放送で、ポツポツ見ました。 全6話の内、まず、1話・2話を借りて来たんですが、あまりにも、ストーリー展開が遅いので、「駄目だ、こんなの!」と思い、レンタルはそれっきりにしました。 ところが、何年かしてから、確か、テレビの衛星第2で放送され、その時、3話目を見て、びっくりしました。 1・2話とは打って変わって、面白くなっていたのです。 つまり、私は、冒頭部だけ見て、つまらんと早合点していたんですな。

  で、そのまま、6話まで見たのですが、いやはや、あれには驚きました。 よく出来た話もあったものです。 登場人物は、ニュー・タイプでも何でもなく、ただの人達。 メカも、ガンダムは敵役で、普通のザクが主役という、徹底した逆転の発想。 しかも、一度壊れたザクを、市販部品で修理して、決戦に挑むという、何とも、通好みの設定です。

  戦争好きだった子供が、一兵士と知り合い、実際の戦争を目の当たりにして、あまりにも皮肉で、むごい結末に、戦慄するという話ですが、明らかに、純文学の手法で組まれたストーリーで、こういうのは、漫画・アニメの世界では、滅多にお目にかかれません。 逆に言うと、漫画・アニメのストーリー構成に慣れている人には、違和感があると思います。 世界文学を、ある程度読んでいる人にお薦め。 「あ・・・あ・・・、こうなってしまうのか・・・」と、呆然のラストが待っています。

  この作品、6話に分けず、前の方を中心にカットして、2時間くらいの一本にまとめれば、もっと良くなるんじゃないかと思います。 後ろの方は、1秒たりとも切るべきではありません。 とにかく、このラストは、珠玉の輝きを放って、類がありませんな。 ガンダムを操縦していて、一命を取り留めた隣家のおねえさんに、主人公の少年が、一体、彼女が誰を殺してしまったか、伝えないところが良いです。 この苦さが、純文学なんですなあ。


  休みが一日しかなくて、やる事が立て込んでいるので、今回はここまで。

2011/10/09

ガンダム話

  10月1日から、BSのチャンネルが増えたのですが、≪アニマックス≫の開局記念で、≪機動戦士ガンダム・ユニコーン≫の第1話を無料放送していたので、録画して、見てみました。 ガンダムと言うと、≪00≫を第5話まで見たところで、「つまらん! 頭ん中が、冷戦時代で止まってやがる!」とブチ切れ、それっきり見なくなって以来です。

  ≪ユニコーン≫の感想は、まだ一話しか見ていないので、評価の出しようがありませんが、≪シード≫や≪00≫と違って、オリジナルの作品世界をそのまま使っているので、入って行き易いのは確かです。 いやはや、オリジナルからは、30年以上、≪Z≫や、≪ZZ≫からも、四半世紀以上、≪F91≫から数えても、20年も経ってしまったというのに、結局、ガンダムは、オリジナルの世界設定が、一番面白いということになりますか。

  いや、≪シード≫あたりも、悪くはなかったと思うんですがね。 ≪デステニー≫は、蛇足だったと思いますが、≪シード≫だけなら、出来は良かったと思います。 話がよく考えられていて、「ああ、この監督、ストーリーを語るのがうまいんだなあ」と、感服した次第。 才能がある人っていうのは、いつの時代にもいるんですねえ。

  ただ、ガンダムではなく、独自作品にした方が、より印象の良い作品になったんじゃないかと思うのですよ。 更に昔の、≪W≫や≪X≫などにも、同じ事が言えます。 メカのデザインを変えて、「モビル・スーツ」とか、「ニュー・タイプ」といった、ガンダム用語を使わなければ、簡単に、別作品に出来たのですから。 ≪V≫は、富野さんが監督した作品ですが、やはり、オリジナルとは離れ過ぎていて、同シリーズというには、無理があると思います。 ・・・≪G≫? あれは、論外。 ロボット物とすら言えぬ。

  むむむ・・・、実は今回、全く違うテーマの事を書こうとして、その枕のつもりで、ガンダムの話題で書き出したのですが、書いている内に、興味がガンダムの方へ傾いてしまいました。 乗りかけた舟、書きかけた文という事で、この際、このまま、ガンダム話にしてしまいましょう。


  どうこう言っても、日本のアニメ史の中で、アニメ・ファンに最も大きな影響を与えたのは、やはり、ガンダムという事になると思います。 ガンダムに比べたら、≪エヴァンゲリオン≫のインパクトですら、10分の1にもなりますまい。 シリーズ化して、似たようなストーリーの話が何本も作られるのは、いかに、魅力が大きいかの証明ですな。

  シリーズ化しているといえば、≪マクロス≫も、5本くらい作られていますが、ガンダムと違って、それぞれのストーリーは、だいぶ、異なっています。 ガンダムの方は、焼き直しと言ってもいいくらい、似通っていて、さながら、現代の≪忠臣蔵≫となっている観あり。 オリジナルの影響力が強過ぎて、その呪縛から逃れられないんでしょうなあ。


  私は、オリジナルが放送された時には、中学生で、実は、最初の放送の時は、最終回しか見ませんでした。 SFアニメ史で言うと、ガンダムの前は、≪ヤマト≫なのですが、そのヤマト・シリーズが、あまりにもしつこくて、しかも、後へ行けば行くほどつまらなくなるので、うんざり辟易していました。 SFアニメ自体が嫌になっていたところへ、ガンダムが始まるとCMで知ったのですが、「なんだ、ロボット物か。 昔に戻ってしまったな」と、無視していたのです。 これが、一生の不覚。

  たまたま、最終回だけ見てみたら、無茶苦茶、面白いじゃありませんか。 「しまったーっ! とんでもない物を、見逃したーっ!」と地団駄踏んで悔しがりました。 まだ、家庭用のビデオも、レンタル屋も無い頃ですから、見逃したら、それまでだったんですな。 うーむ、よく、あんな時代に生きておったなあ。

  本屋で、ガンダムのアニメ・ブックなどを見るにつけ、「見たいなあ、見たいなあ」と、惨めさばかり募る始末。 ちなみに、アニメ・ブックというのは、アニメのセル・カットを漫画のコマように配置して、セリフを入れた本です。 今はあるのかどうか知りませんけど。 他に、富野さんが書いた、小説版ガンダムというのがあり、それも買って来て、読みました。 小説としては、スカでしたけど。 くどいんだよね、富野さんの文章は。

  それから、一年くらいして、再放送が始まり、それを、テレビにかぶりついて見たのは、言うまでもありません。 当時、アニメの再放送は、平日の夕方に、毎日連続で流すのが普通でしたが、ガンダムの再放送は、週一でして、「早く、来週にならんか!」と、そわそわして暮らしていたのを覚えています。

  その頃、中高生でガンダムを見たという人は、今はもう40代です。 オリジナルのガンダムは、内容を見ても分かるように、対象年齢が、高校・大学生くらいだったようですが、一番、衝撃を受けたのは、小学校高学年から中学生までの年代だったと思います。 成長期に、ああいう話を見せられると、強烈に心に刻まれるのです。 

  逆に、当時、すでに、学生ではなかった人、つまり、現在、50歳以上の人達ですが、その年代の人達は、ガンダムを見ていないので、話が通じません。 今は、オタクっぽい大人が幾らもいますが、昔は、社会人になってしまうと、大人の世界に入ってしまうので、アニメなんか、まるっきり見なくなってしまうのが普通でした。 ビデオが無いから、平日の夕方や、土日の昼間に家にいなければ見れなかったわけですが、大人は、その時間帯には、会社で働いていたり、外へ遊びに出たりして、見ようが無かったわけです。

  この、現在50歳くらいの所に、ガンダム世代と、非ガンダム世代の境目があるわけで、この事は、念頭に置いておいた方がいいです。 会社の先輩などと話す時に、子供の頃に見たアニメの話題というのは、結構、盛り上がり易いのですが、相手がその作品を見ていないのでは、文字通り、話になりません。

  ガンダム話に乗ってこない場合、ヤマトを出せば、見ている可能性が高いですが、困った事に、ヤマトは、その後、シリーズが途切れたので、現在、40歳以下だと、まったく知られていないのが普通です。 結局、話が通じねーわけだ。 ヤマト以前世代と、ガンダム以後世代の間には、大きな溝があるんですねえ。 両方知っている世代は、40代だけという事になりますか。

  そういや、去年、ヤマトの実写映画が作られましたが、どんな人間が見に行ったのやら、想像がつきません。 ヤマト世代の現在の年齢で、ああいう映画は見たいと思わないでしょう。 一方、非ヤマト世代は、ヤマトがどんな話かも知らないわけで、やはり、興味を持たないんじゃないでしょうか。 私は、CMで、しょぼいCGを見た時点で、「しょーもな・・・」という感想を漏らし、それで終わりました。 まあ、テレビで放送したら、見ますけど。


  話をガンダムに戻しますが、私が、一番嵌ったのは、オリジナルの5年後に作られた、≪Z≫です。 ストーリーは、オリジナルに劣ると思いますが、メカ・デザインや、描き込みの技術が上がり、オリジナルに見られた、古典的巨大ロボット物のしょぼさが払拭されたのが、新時代を感じさせ、新し物好きだった、当時の私の心を捉えたのです。

  そういえば、2年ほど前に、お台場に実物大のガンダムが登場して、話題になりましたが、あのガンダム、どう見ても、オリジナルのRX-78ではなく、マークⅡや他のガンダムと、チャンポンになっていましたな。 なんで、オリジナルそのままにしなかったのか、理由は簡単に想像できます。 RX-78が、カッコ悪いからです。 え? それは、禁句? いやあ、正直に言いましょうや。 カッコ悪いんですよ、RX-78は。

  ロボット・アニメを作る際、ロボットの形が単純なほど、コストが安く上がるのですが、オリジナルでは、予算や技術的な制約があって、あれ以上、細部を描き込めなかったのでしょう。 それが、5年の間に、技術が上がり、≪Z≫になると、「成功作、ガンダムの続編」という事で、予算も増え、複雑なデザインが許されるようになったわけですな。

  ちなみに、もし、モビル・スーツを、真面目に兵器として論じる場合、マークⅡ辺りのデザインが、最も実用的という事になります。 Zのような変形型は、機構が複雑になりすぎて、問題外。 RX-78の合体型も、実用品と言うよりは、玩具の発想です。 そもそも、コア・ファイターが入っていたのでは、腰も曲がりますまい。 RX-78が振り向きざまに、ビーム・ライフルを撃つ場面がありますが、どうやって、体を捻っているのか、考え始めると、夜も寝られません。 コア・ファイターは、ゴム製か?

  でねー、ガンダムのミーハー・ファンが、「オリジナルが最高!」とか言ってますが、それは、ストーリーの話でしょう? メカは、そんなにいいわけじゃありません。 ザクのコクピットなんて、≪タイムボカン≫のドクロ・メカの操縦席より、尚、古臭いです。 ちゃんと、見なさいよ。 ジオン軍の戦艦、ムサイのブリッジなんて、「いかにも、悪役側のメカです」と言った、すっごい、内装になってるから。 ジオン側のデザインが、多少、まともになるのは、グフからです。

  昨今、ガンダムというと、なんじゃない、決まって、RX-78が出て来ますが、RX-78をカッコいいと言っている人達というのは、その実、ガンダム・シリーズを見ていないんじゃないですかね? 見ているフリをしているだけで。 いや、いるんですよ、興味無いくせに、世間で騒いでいるからって、興味があるフリをする輩が。 ちょっと突っ込んだ話をすると、すぐに馬脚を現わしますけど。


  ≪Z≫の話に戻りますが、あの作品は、香港までは、「これから、どんな展開になるんだろう」と、ワクワクさせてくれて、非常に宜しいんですが、宇宙へ戻った辺りから、話の進捗が滞り始め、最後まで盛り上がらずに終わります。 ネオ・ジオンなんて出すから、力関係が煩雑になって、何が描きたいのか、よく分からない話になってしまったのです。 ティターンズとエウーゴの戦いに絞って、ゆとりが出た分を、人間ドラマに注げば、ずっと面白くなったと思うのですが。

  あと、宇宙空間での戦闘シーンが、背景に対象物が無いためか、スピード感が無くて、ちっとも面白くなかったのが、印象に残っています。 後半、とても、実用品とは思えないような、奇妙な形のモビル・スーツが、続々出て来たのも、興ざめ。 プラモデルを売るために、種類をたくさん出す事ばかり考えて、作品内での使い方にまで、配慮が回らないのは、オリジナルから、≪00≫まで、一貫した欠点になっています。

  そもそも、プラモデルでペイしようなんて、発想が間違っているのであって、明らかに、作品に悪影響を与えています。 ついでながら、ガンプラに人生を捧げている奴らというのも、理解しかねる。 ガンダムは、あくまで、アニメ作品なのであって、プラモは、添え物に過ぎないのですが、それが分かっていないらしい。

  中には、「アニメの方は、見ていないんですが・・・」などと平気で言っている、ただのモデラーも混じっていて、こういう連中が、ガンダム・ファンを名乗っているのを見ると、何だか、ムカムカして来ます。 ≪シード≫や≪デステニー≫の、異様にケバケバしいガンダムは、ガンプラを派手にするために、アニメ側で合わせたのが見え見えですが、モデラーに媚びて、肝腎のアニメの魅力を損なっていたのでは、本末転倒というものでしょう。

  どうも、脱線が激しいですな。 で、≪Z≫の次は、≪ZZ≫ですが、これは、ちょっと、変わった作品でして、前半は、コメディー・タッチの話でした。 当時の雑誌で、富野さんが、「明るい、楽しいガンダムを作ってみたい」というような事を語っていたのを覚えています。 と言っても、ガンダムですから、ギャグ・アニメになれるわけではなく、中盤以降は、深刻な話になって行くのですが。

  私は、≪Z≫の後半が期待外れだったので、「そのまま続けて作っても、面白い話にはならないんじゃないかなあ」と心配していたのですが、案の定、驚くような面白さはありませんでした。 主人公が、単純で、明るくて、正義感が強くて、前向きな性格だったので、戦争の暗さとのコントラストがよく出て、その点は良かったと思います。 ただ、二作連続で作って、さすがに、アイデアが枯渇したと思ったのか、その後、しばらく、ガンダムのテレビ・シリーズは作られなくなります。


  おっと、随分、長くなってしまいました。 今回は、このくらいにしておきましょう。 私は、別に、「寝ても起きても、ガンダム」というような、コアなファンではないのですが、それでも、書き出すと、こんなにズラズラと延びてしまうんですな。 ガンダムの魅力とは、恐ろしいものです。

2011/10/02

旅番組たるもの

  テレビ神奈川で、月曜深夜に放送していたアニメ、≪日常≫が終わってしまいました。 残念至極! 子供向けでなく、尚且つ、ファミリー向けでもないコメディー・アニメは珍しく、しかも、時折、爆笑できるような部分も出て来る、秀逸な作品だったんですがねえ。

  2クールやったようですが、こういう作品は、原作のエピソードが尽きるまで、無期限で続けるべきだと思います。 もしかしたら、何年かしてから、また続きが作られるかもしれませんが、その時、放送が始まった事に、私が気付く事ができるかどうかは、神のみぞ知ります。 番組改変期だけに限るとしても、数年に渡って、新番組を全てチェックし続けるのは、結構きついです。 主要局のゴールデン帯なら、予告で気づく可能性もありますが、テレビ神奈川の深夜じゃねえ。 普段は、TVK見てませんから。


  テレビ神奈川と言えば・・・、いや、少々繋がり具合が弱いですけど、テレビ神奈川と言えば、二週間ばかり前に、BSの番組表を見てたら、BS12・トゥエルビで、≪勝手に観光協会≫をやっているのを、偶然発見し、ぴょんと跳ね起きて、取る物も取り敢えず、録画予約を入れました。 ≪勝手に観光協会≫は、2008年の夏頃に、テレビ神奈川で見ていたのです。 秋に入ったら、突然、終わってしまい、それっきりになっていたもの。

  元は、関西テレビの番組で、そちらでは、ずっと続いていたようなのですが、私が住んでいる静岡県東部では、寝ても起きても逆立ちしても、関西テレビは映りません。 当時、テレビ神奈川で、≪勝手に観光協会≫の後に始まったのが、大泉洋さんが出て来る、低予算バラエティーでしたが、どんな内容だったかは忘れてしまいました。 覚えているのは、「つまらん! こんな番組のために、≪勝手に観光協会≫を終わらせるなど、許し難い! TVKの見識を疑う!」という、激昂の記憶だけ。


  で、≪勝手に観光協会≫ですが、どんな番組かというと、みうらじゅんさんと、安齋肇さんのお二方が、都道府県ごとに旅行に出かけて行って、ああだこうだとコメントを発しながら、観光するというもの。 こう書くと、「ただの旅番組やんけ」と思われそうですが、それが、違うんですよ。 ちょっと違う、どころの話ではなく、全然違うのです。 「なんで、こんなに面白いのか・・・」と、逆に首を捻ってしまうくらい、面白いんですねえ。

  普通の旅番組は、まず、≪紹介したい場所≫があって、それを紹介するための、≪旅人≫を、後からテキトーに見繕って、派遣するわけですが、≪勝手に観光協会≫では、まず第一に、みうらさんと安齋さんのコンビが存在し、彼らが、行った先の観光地で、どんな反応をするかが、見所となっています。 行く先は決まっていますが、台本や進行表のようなものは無く、会話は全て、アドリブ。 お二方とも、50代で、いいオッサンなのですが、オッサンなればこそ、世間を知り尽くしたオッサンならではの、凝りに凝ったディープなやり取りが、実に面白いんですな。

  行く先は、必ずしも、≪穴場≫ではなく、各地の観光案内に堂々と載っているような、真っ当な観光地がほとんどなのですが、お二方の対応能力が極めて高いために、どこへ行っても、必ず、面白い部分を探し出し、笑いのネタにしてくれます。 お約束で、鍾乳洞や風穴など、自然に出来た洞窟に潜る企画が、必ず含まれるのですが、洞窟なんて、みな同じようなものなのに、毎回、違ったコメントが出るところには、感服します。

  これが、売れない芸人コンビが、渋々引き受けた地方テレビ局の番組だったりすると、冗談と侮蔑の区別がつかないため、地方を小馬鹿にしたような暴言を吐いて、視聴者の顰蹙を買うところですが、みうら・安齋の御両名は、サブカル系文化人なので、知性の輝き具合が違います。 観察の角度が違うと言うか、分析の切り口が違うと言うか、「どこにでも、何にでも、面白い要素は必ずあるはず」という、基本スタンスが、しっかりしているんですな。

  ≪観光協会≫を名乗っているのは、観光地を見て回るだけでなく、視察の後、≪観光ポスター≫、≪御当地マスコット≫、≪御当地ソング≫などを、お二方で分担して作るからなのですが、そちらは、オマケのようなもので、製作者の労が多いと思われる割に、視聴者には、それほど面白くありません。

  ≪御当地ソング≫は、みうらさんが作曲しているのですが、番組の企画で、2週に1曲のペースで作っているとは思えないほど、完成度が高いです。 10年以上続いている番組のため、すでに、47都道府県を一巡しており、全曲揃っているので、二巡目からは、同じ曲を流していますが、作曲の負担が無くなった分、気楽になって、より、観光を楽しめているんじゃないかと思います。


  でねー、≪勝手に観光協会≫の紹介だけでは、コラムにならんので、結論らしきものを付け加えますと、他の旅番組も、≪勝手に観光協会≫を見習うべきだと思うのですよ。 穴場スポットとか、知る人ぞ知るグルメの店とか、目先の変わった取材先を探すのに投じるエネルギーがあったら、まず、≪旅人≫の人選に心を砕いた方がいいです。 つまらん旅人が、どんなに面白い所に行っても、決して、面白くはなりませんが、面白い旅人なら、どんなにつまらない所に行っても、面白くしてくれるのです。

  サブカル系文化人は、他にもたくさんいるので、好奇心旺盛で、ギャグ好きで、旅が好きそうな人に、片っ端から声を掛けて見れば、すぐに見つかるでしょう。 その際、必ず、コンビにする事。 俳優やタレントを一人で旅させて、独り言だか、カメラさんに話し掛けているんだか分からない呟きを拾っても、盛り上がりようがありません。 まして、ナレーション任せで、終始無言など、以ての外。 放送事故か、おまえは?

  旅人を旅先ごとに変えるのもよくないです。 変えるべきは、目的地であって、人ではありません。 「出演者のスケジュールの都合があって・・・」などという言い訳は聞きませんよ。 話題性を狙って、他の仕事で忙しい人を連れてくるから、そんな問題が起こるのです。 時間に余裕があって、定期的に旅に出かけられる人を探せば、いいではありませんか。


  以下、オマケ。

  まーあ、とにかく、つまらんのは、テレビ東京の、≪土曜スペシャル≫ですなあ。 私が挙げた問題点だけを、全部盛り込んだような番組ですが、どーにもこーにもねつまらない。 すぐに、チャンネルを変えてしまいます。 「じゃあ、最初から見なければいいだろう」と思うでしょう。 ところがねえ、何ヶ月かに一度のペースで、面白い企画があって、それだけは見たいので、一応、毎週、確認しているのです。

  太川陽介さんと、蛭子能収さん、それと、もう一人、女性タレントがトリオになって、路線バスを乗り継いで、目的地に向かう企画ですが、これが、滅茶苦茶に面白いのです。 目的地に辿り着くのが最優先なので、観光地もグルメ・スポットも、すっ飛ばして進みますが、そこがまた、妙にリアルで、まるで、自分がバスに乗って旅しているような感覚を味わえます。

  同じ番組で、3人の旅人が、二日間ずつ、徒歩で旅をし、リレー式に引き継いで、目的地を目指す企画がありますが、そちらは、出演者が毎回変わるので、面白い時とつまらない時が、はっきり分かれます。 こういう企画に向かない人に当った時には、つまらんを通り越して、不愉快にさえなります。 たとえば、やたら、寄り道ばかりして、距離を稼げない人とか、「電話で宿の予約をしてはいけない」というルールがあるのに、平気で破る人とか。


  そういえば、フジの≪もしもツアーズ≫なども、一時期、時間潰しに見ていましたが、最近は、時間潰しですら見なくなりました。 この番組、メンバーは、ほぼ固定されているんですが、人数が多過ぎて、会話になりません。 てんでんばらばらに、短いコメントを発しているだけ。 それでも、目的地が観光名所なら、まだいいんですが、下準備がし易いためか、グルメ・スポットの比重が多くなり、よーく、つまらなくなってしまったのです。 タレントが飯を喰っているだけの映像なんて、何が面白いのか、さっぱり分かりません。