2012/09/30

江南スタイル

  数日前、新聞を読んでいたら、ごく短い記事が目に止まりました。 韓国のラッパーが作って、ユー・チューブに公開しているミュージック・ビデオが、全世界で大受けし、再生回数が、5億回を超えたという内容でした。 乗馬を思わせるダンスが特徴的だとの事。 当人の写真も出ていましたが、サングラスをかけていて、顔はよく分かりませんでした。

  5億という数字に驚いたものの、その時は、別に何もしませんでした。 ところが、日を経るに連れ、「5億といったら、もはや、全人類規模でないかい? それは、見ておいた方がいいかな?」と思うようになりました。

  ところが、新聞記事を細かく記憶していたわけではないので、何という人が作った、何という曲のビデオなのか、どうにも思い出せません。 何日前の新聞かも分からないので、古新聞の束を引っ繰り返すのも面倒臭い。

  で、検索エンジンに向き合い、ほぼ闇雲に、「韓国、五億、ダンス」と打ち込んだところ、PSY(サイ)という人が作った≪江南スタイル(カンナム・スタイル)≫という曲である事が分かりました。 まー、テキトーなキー・ワードでも、引っ掛かる時は引っ掛かるものですな。

  で、普段、滅多に行かない、ユー・チューブへ行き、 サイト内検索で、「江南スタイル」で探したら、関連する作品が何十本か出て来ました。 再生回数を見ると、確かに、とてつもない数字になっているものが、いくつかあります。 「どうやら、これが、オリジナルらしい」と当たりをつけて、漫画風の絵がタイトル画面になっているのを再生したら・・・。

  ああ~、あ~あ~、これは、凄いわ。 これなら、再生回数が5億回だろうが、10億回だろうが、ちっとも不思議じゃありません。 一回見たら最後、何度でも見たくなる、麻薬的魅力があります。 これは、芸術だわ。 アートだわ。 いやあ、久しぶりに、音楽で感動したなあ。

  5億回と言いますが、一人で30回くらいは、あっさり見てしまうと思うので、実際に見ている人の数は、もっと少ないのでしょう。 しかし、それでも、とてつもない数字である事に変わりはありません。 そもそも、30回も見たくなる映像なんて、そうそうあるもんじゃありませんからして。


  まず、曲がいいです。 基本的には、ラップなんですが、単調なリズムの繰り返しだけではなく、メロディーをうまく取り入れていて、サビも有効に配置され、構成の妙が感じられます。 ただし、曲だけでは、こんなには受けなかったでしょう。

  歌詞は、そんなに特別な内容ではなく、大雑把にカテゴライズすると、恋愛物。 相手の女性の特徴を並べて礼賛し、対する自分がどんな男であるかをアピールし、それが、「江南スタイル」だと主張します。 まあ、ナンパの歌と言ったら、ぶっちゃけた分析になるでしょうか。

  次に、ダンスが面白い。 確かに、乗馬を連想させる動きで、映像の中にも、厩舎や人が乗った馬が登場します。 それを、30代半ばくらいの、小太りでいかつい顔の「お兄さん」であるPSYさんが、手足を同時に動かして、リズミカルに踊るわけですが、コミカルであると同時に、アーティスティックで、「どうすれば、こんな動きができるのか・・・」と、思わず知らず、見入ってしまいます。

  また、映像が凝りに凝っていて、ソウルの江南地区を舞台にして撮った膨大な数の短いカットを巧みに繋いでおり、編集センスの限界に挑戦している趣きが感じられます。 これを見た、世界中の映像関係者の方々は、さぞかし、「ああっ! こんなの、自分も作ってみたい!」と、いても立ってもいられない気分になっている事でしょう。

  時間的にちょうど真ん中くらい、地下鉄の中で、相手の女性役の、HYUNA(ヒョナ)さんが登場する場面が、ぞくぞくするくらい、素晴らしいです。 というか、この登場場面を堪能したいばかりに、前半を抑え気味に見ているという男性視聴者も多い事でしょう。 ヒロインの存在を、歌詞では冒頭から匂わせておいて、実物は後半に出て来るという、見せ場配分が心憎い。

  このヒロインの存在は大きくて、もし、HYUNAさんでなかったら、この作品、こんなには受けなかったかもしれません。 もう一本、曲は同じで、映像をスタジオ撮りしたバージョンがあるのですが、そちらでは、ボーカルの半分を、HYUNAさんが受け持っていて、これまた、無茶苦茶、カッコいいです。 「なんだ、これは?」という感じ。 こんな凄いものを、タダで見てしまっていいんでしょうかねえ。

  HYUNAさん、≪アイ・カーリー≫のサムみたいな顔をして出て来ますが、どうやら、垂れ目メイクを施しているようで、他の作品を見てみると、もっと、普通っぽい顔をしています。 ちなみに、その、他の作品というのも、ミュージック・ビデオですが、そちらは、別段、素晴らしいという感じはしません。 つまり、HYUNAさんだけがいいわけではなく、やはり、≪江南スタイル≫全体が優れているのでしょう。

  面白いのは、PSYさんが踊る、言わば、「おっさんダンス」を、HYUNAさんや、他のバック・ダンサーの女性陣が、同じように踊る点でして、美女と野獣というほどの差ではないものの、PSYさんとは、性別的にも、体型的にも、顔立ち的にも、対極にある若い女性達が、同じ振り付けで踊ると、滑稽な感じが消滅して、カッコ良さだけが際立つから、実に不思議です。


  この作品、長さは、4分ほどですが、過去に同レベルの感動を覚えたというと、1995年のインド映画、≪ムトゥ 踊るマハラジャ≫の、ダンス・シーンくらいのものです。 初めて見た人は、あまりのレベルの高さに、口をポカンと開けて、喰い入るように見つめる以外、選ぶ態度が見つからんでしょう。

  東アジアや東南アジアだけでなく、アメリカもヨーロッパも含めて、世界中で受けている点は、興味深いです。 アメリカだったか、フランスだったか忘れましたが、この作品を紹介したテレビ・ニュースのキャスターが、「何とも、ノリのいい曲を作ったものです」と言っていました。 なるほど、このノリは、全人類に共通する感覚らしい。

  カバーやパロディー作品も、うじゃうじゃ、ある様子。 しかし、素人が真似たものは、やはり、しょぼいです。 ≪江南スタイル≫は、ユー・チューブで広まったとはいうものの、作りは、出演も、音楽も、映像も、プロの手になるものですから、真似ようと思って真似られるものではないのでしょう。

  その中で、最もマシだったというと、オハイオ大学マーチング・バンドがカバーした作品ですかね。 面白かったですが、野郎ばかりでは、色気がねえ・・・。 なんで、チア・ガールに声をかけて、合同でやらぬ? せっかくの恋の歌なのに、勿体無いではないか。

  ≪江南スタイル≫は、音楽は、K-POPですし、映像も含めると、もっと広い意味で、≪韓流の清華≫の一つだと思いますが、こういう図抜けた作品が出て来るのは、様々な才能が、一つの社会に集中しているからなんでしょうねえ。 今現在、世界中、どこを見ても、これだけのものを生み出せる社会は、他に存在しないでしょう。

  ただし、飛び抜けた作品ではあるものの、いつかは終わるという、ブームの宿命からは逃れられないので、人気はそんなに長くは続かないでしょう。 まだ見ていない方は、今の内に楽しんでおかないと、損だと思います。


  以下、≪江南スタイル≫の歌詞を、カタカナで起こしたもの。 元のハングル歌詞と、全然違う箇所もありますが、私の耳で聞こえた音を、極力、忠実に、カタカナにしてみました。 たぶん、こういうのは、著作権侵害にはならないと思うのですが・・・。

  これで、日本語人にも、どうにかこうにか、歌えるのではないかと思います。 便宜の為に、英語の部分も、カタカナにしておきました。 ちなみに、訳詞の方は、字幕が付いたものが、ユー・チューブで見れます。

  しかし、このカタカナ歌詞、日本語が分かる韓国人が読んだら、大笑いするでしょうねえ。 「日本人の耳には、こんな風に聞こえているのか」と。 いや、聞こえてるんですよ。



オッパン カンナムスタイル

カンナムスタイル

ナチェヌンターサロウン インカンジョギニョチャ

コーピハンチャネ ヨーユルアーヌン プンキョンイーヌンニョチャ

パーミオーミョン シンチャイトゥカーウォチーヌンニョチャ

クーロン パッチョンインヌンニョチャ


ナーヌン サナエ

ナチェヌン ノーマンクッターサロウン クロン サナエ

コーピシッキト チョネウォンシャッテェリン サナエ

パーミオーミョン シンチャイトーショーポリヌ サナエ

クーロン サナエ


アールムデーウォ サランスローウォ

クレノ ヘイ クレバルノ ヘイ

アールムデーウォ サランスローウォ

クレノ ヘイ クレバルノ ヘイ

チグムタデテ カジガム ケーケーケー 

オッパン カンナムスタイル

カンナムスタイル

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

カンナムスタイル

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

エーイ セクスィーレイディー

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

エーイ セクスィーレイディー

オッ オッ オッ オッ
エッ エッ エッ エッ エッ エッ


チャンスケ ボーイチマン ノルテンノーヌンニョチャ

イテダシプミョムコトン モリプーヌンニョチャ

カリョチマン ウェンマナン ノーチュルポダヤーハンニョチャ

クーロン カップカック チョーギンニョチャ


ナーヌン サナエ

チョムチョナ ボイチマンノルテンノーヌン サナエ

テーガテミョン ワンジョンミチョボリヌン サナエ

クニュクポダ ササギ オルトンボルトンガン サナエ

クーロン サナエ

アールムデーウォ サランスローウォ

クレノ ヘイ クレバルノ ヘイ

アールムデーウォ サランスローウォ

クレノ ヘイ クレバルノ ヘイ

チグムタデテ カジガム ケーケーケー

オッパン カンナムスタイル

カンナムスタイル

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

カンナムスタイル

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

エーイ セクスィーレイディー

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

エーイ セクスィーレイディー

オッ オッ オッ オッ
エッ エッ エッ エッ エッ エッ


トゥイーヌンノーム クウィーエナーヌンノーム

ベイベ ベイベ ナーヌンモルチョム アーヌンノーム

トゥイーヌンノーム クウィーエナーヌンノーム

ベイベ ベイベ ナーヌンモルチョム アーヌン…
ユーノーワッタイセーイ

オッパン カンナムスタイル

エッ エッ エッ エッ エッ エッ

エーイ セクスィーレイディー

オッ オッ オッ オッ
オッパン カンナムスタイル

エーイ セクスィーレイディー

オッ オッ オッ オッ
エッ エッ エッ エッ エッ エッ

オッパン カンナムスタイル

2012/09/23

島欲しい人間

  対中関係が、まずい事になってますな。 非常にまずい。 未だ嘗て無かったほど、まずい。 悪い事は、束になって襲って来るもので、こんな時に限って、新任大使が赴任前に死亡し、現状、駐中大使館が機能不全。 仲裁者として、唯一頼みにできるアメリカは、例の≪冒涜映像事件≫に対する全世界的な反米行動で、手一杯と来た。

  それが証拠に、アメリカのニュース・サイトを見ると、反米行動や、駐リビア大使が殺害されたニュースばかりで、中国の反日デモの件は、ほとんど報じられていません。 一方、中国のニュース・サイトでは、トピックスの9割方が、釣魚島・デモ関連です。 日本のそれと比べても、凄い温度差。

  日本の新聞やテレビを見ると、「全世界が、この問題に強い関心を寄せ、連日、報道している」とか何とか言っていますが、嘘嘘大嘘でして、アメリカですら、主なニュース・トピックスに入った事など一度も無く、ニュース専門ページ中の、更に、≪WORLD≫カテゴリーの中の、20件くらい並んでいる見出しの中の、辛うじて一つが、日中間の領土問題について、触れている程度。

  しかも、「関心の深さ」なんぞ、微塵も窺えず、起こった事を論評抜きで、淡々と報じているだけです。 「中国側が、なぜ怒っているか」について、解説してある記事はありましたが、日本側の腹づもりについて書いてあるものは、一つも見られませんでした。 恐らく、何を考えているのか、分からなかったのでしょう。

  間接的ながら、この問題に関連があるアメリカですら、そんな程度ですから、他の国は尚更でして、全く興味が無い様子。 日本のメディアで、「暴徒化した反日デモは、中国の国際的な信用を落としている」などと言っていますが、そもそも、報じられていないのですから、信用の落ちようがありますまい。

  日本のメディアとしては、「国際社会は、日本の味方だ」と思い込みたいのでしょうが、無理があるねえ。 普通、他国同士の領土問題に首を突っ込む国なんか無いって。 一方の肩を持てば、もう一方と敵対する事になってしまうのですから、何の得もありません。 国際社会にとっては、問題の島々が、日本領だろうが、中国領だろうが、どーでもいーのですよ。


  頭が痛いのは、≪現状変更≫を実行した日本側が、政府も国民も含めて、問題の原因を自国側には無いと考えている事です。 当然、方針を変える気も無いわけで、この問題に関して、日本側には、解決能力が無いと見做さざるを得ません。

  外交の禁句、「毅然とした態度で・・・」が、またぞろ、登場して来ましたが、だーからよー、それは、戦争を覚悟した状況に至った時に、取る態度なんだって。 分からんかなあ。 外交は、≪取引≫なのよ。 「自分の方だけ得をする」なんて、虫のいい話は通らないの。

  「突っ張っていれば、その内、相手が折れるだろう」なんて、武士道丸出しの野蛮な発想で、問題が消えて無くなってくれると思ったら、大間違いですぜ。 格好ばかりで、実利の無い「毅然とした態度」にしがみついて、「自分の方から対策を取る自由」を放棄してしまうのは、ただの損気だね。

  日本側にできる解決方法の内、最も簡単なのは、≪国有化≫をやめてしまう事です。 中国政府が問題にしているのは、日本政府が≪現状変更≫した事なのですから、また、私有地に戻して、≪旧状回復≫してしまえば宜しい。 元の持ち主でなくても、OK。 穏健で信用の於ける人物に、25億円でも、1円でもいいから、売ってしまえば、あっさり、私有地に戻るじゃないですか。 ソフトバンクの孫社長あたり、買ってくれんかのう。

  そもそも、東京都が買うなどと言い出したのが、事態が悪化した原因でして、日本政府が国有化に踏み切ったのは、対中問題の危険人物である、東京都知事に勝手放題をやらせないために、先手を打ったというのが、本当のところなのですが、問題は、そういう政府の意図を、中国政府に対して、事前に説明していなかったという点にあります。

「中国側にしてみれば、現状、日本側で、私有地になっていようが、国有地になっていようが、取り戻してしまえば、意味が無くなるわけで、どちらでもいいのではないか?」

  とは、日本側の誰もが思う事だと思いますが、中国政府が、≪国有化≫という言葉に、猛烈に反発しているところを見ると、中国側としては、釣魚島は、現状、「日本の領土」というより、「日本によって不法占拠状態にある係争地」であって、「日本は、≪国有化≫する事によって、領有権を既成事実化しようとしている」と、取ったのでしょう。

  それにしても、東京都が、どうして、沖縄の島を買うかね? 正気の沙汰とも思われぬ。 東京都の職員が、わざわざ船を仕立てて、測量に行ってましたが、その職員達も、「何で、こんな遠くまで、こんな事をしに来ているんだろう?」と自問しなかったんすかねえ。 アホ臭・・・。 変な事をやらされていると思ったら、ちゃんと口に出して、指摘してやらなきゃ駄目ですぜ。 職場の空気ばかり読んで、異常な事に波長を合わせていると、自分まで異常になっちゃうよ。

  もし、中国と戦争になった場合、東京都知事に責任があるのは、争われぬところですな。 今現在、反日デモで被害を受けている日系企業も、東京都知事に、損害賠償を求めてはどうでしょう? 言いだしっぺ、やり出しっぺに、責任があるのは、当然の事なのですから。 もちろん、都知事だけでなく、そういう首長を選んだ、東京都民にも、間接的な責任はあります。

  敢えて繰り返しますが、東京都が、どーしてまた、沖縄の島を買おうなんて、思いついたものかねえ? ふふふ・・・、何だか、笑っちゃうよねえ。 どれだけ非常識か、考えなくても分かるでしょうが。 異常ですよ、異常。 異常な事というのは、ひとたび中心核が出来ると、少しずつ寄り集まって、大きな災厄に成長するんだねえ。


  今回の事件が発生してから、新聞・テレビに登場する日本人の意見を読み聞きしていて思ったのですが、一人として、「島は要らない」と言う者がいないのは、興味深いです。 人々に冷静な対応を呼びかけている、穏健な人格で、理性的な判断力の持ち主と思えるような人であっても、「島は要らない」とは、絶対に言いません。 つまり、穏健でも、理性的でも、「島は欲しい」わけだ。 うーむ、恐ろしいほどの、下司ぶりだな。

  そもそも、たまたま、日本で生まれたというだけの日本人で、自分で選んで日本政府の統治下に入ったわけでもなく、単なる惰性で、日本人として暮らしているにも拘らず、なぜ、領土問題になると、疑う事も無く、政府の主張を丸呑みにして、「当然、日本の領土である」と言い出すのか、その雑な神経が分からぬ。

  北方領土でも、竹島でも、尖閣でも、あんたが、その島を知っていて、自分自身で研究して、日本の領土だと判断したわけではあるまい。 「政府が、そう言っているから、そうなんだろう」という、丸投げ、丸呑み型の対応なわけだ。 そういう自分を、考え足らずだとは思わぬか? 「政府に洗脳されているのでは?」と、疑ってみた事は無いのか?

  誰も言わないから、私が言いますが、私は、現在、外国と係争中になっている島は、一つも要りません。 興味も無いです。 どの国の領土だろうが、知った事ではありません。 私個人の人生とは、一生、係わり合いが無いからです。 そもそも私は、この地球上に、寸土たりとも所有している土地は無い人間でして、遥か彼方の島なんぞ、尚の事、欲しくありません。

  よしんば、係争中の島々が、係争相手国はもちろん、世界中の全ての国から、日本の領土だと認められる日が来たとしても、私は、それらの島へ足を踏み入れるつもりはありません。 その代わり、係争地の取り合いで、戦争が起こった場合、その戦争に対して、責任を負うつもりも、一切ありません。 知るか、そんな事。 ≪島欲しい人間≫だけで、責任取れ。


  大体、「尖閣諸島は、中国領か、琉球領か」という設問ならともかく、「中国領か、日本領か」というのは、おかしいでしょうが。 日本が考えなければならないのは、中国と日本の境界ではなく、沖縄が独立する時に備えて、沖縄と日本の境界線をどこに引くかの方です。

  「尖閣は日本の領土」と、当然の事のように言っている人達は、≪薩摩藩の琉球侵略(薩摩入り)≫や、≪明治政府の琉球併合(琉球処分)≫について、何らかの知識を持っているんですかね? どちらも、日本側が一方的に行なったもので、琉球側が求めたものではないですから、名分上、無効です。 元が無効なものは、何百年経っても、やはり、無効です。

  歴史を知っている者なら、「尖閣は日本領」と、抵抗無く口にする事はできないと思うのですよ。 押し入った家に、図々しく住み着いた強盗が、隣家との境界問題にいきり立って、「ここは、うちの敷地だ!」と主張しているようなものですが、それを異常だと思わないんですかね? 無知なのか、無恥なのか、どっちなんだ?

「尖閣は、日本の領土でないとしても、琉球の領土だと言うなら、中国の領土ではないはずだ。 琉球の代わりに、現状、沖縄を統治している日本が領有権を主張して、何が悪い」

  居直り強盗だね。 だからよー、日本人には、中琉間の領土問題について、あれこれ意見を言う資格も権利も無いんだよ。 お邪魔虫なんだよ。 出て来るなよ。 何なんだよ、お前はよー。 米軍基地も無くせないくせに、権利ばかり主張しやがって、ふてぶてしくも図々しい。

  ちなみに、独立した沖縄と日本の境界線の問題ですが、「奄美大島は、鹿児島県だから、日本側だ」という線は、ありませんぜ。 奄美は、≪薩摩藩の琉球侵略≫以降に、薩摩藩の直轄地にされた所ですから、これまた、日本側が一方的に行なった事であって、名文上、無効です。 

  奄美は、「日本か、琉球か」と言えば、琉球。 「琉球か、奄美か」と言えば、奄美です。 奄美が独立した沖縄に入るか、奄美として独立するかは、奄美と沖縄の間で話し合うべき事で、日本が口出しできる問題ではありません。

  日本人よ。 人から奪った土地を、「居座っていれば、いつか自分のものになる」などと思うな。 そんな非道が罷り通るわけがないではないか。 歴史上、武力で手に入れた事が分かっている領土は、今後、全て失うと覚悟しておいた方がいいです。


  相手が中国となると、事は、島だけの問題ではなく、日本経済全体に重大な影響を及ぼします。 戦争まで行かなくても、断交レベルで、すでに、日本経済は大混乱に陥るでしょう。 以前、中国漁船と海保の巡視艇との衝突問題の時に書きましたが、両国の互いの国に対する経済依存度が違うので、中国よりも日本の方が、比較できないほど大きなダメージを受けます。

「反日デモで、中国経済は終わりだ!」

  馬鹿、終わりなのは、日本経済の方だ。 中国が半製品を買ってくれているから、日本の工業が成り立っている現実を知らんのか? あまりにも、無知過ぎる。 無知は無知でいいから、国際問題に首を突っ込んで来るな。 迷惑千万だ。

  日本市場に、中国製品が入って来なくなっても、他の国から買えるので、それだけでは、致命的な問題にはなりませんが、中国市場で日本製品が売れなくなると、日本企業は、世界最大の市場を失う事になり、その深刻さは、想像するだに、身震いがするほどです。

  家電はとっくに駄目なので、大した影響はありませんが、自動車と工作機械、あと、電子部品の業界は、世界シェアがガタ落ちになります。 これらの業界の稼ぎが減れば、日本自体に金がなくなり、物を輸入できなくなります。 中国以外に、日本に物を売ってくれる国があっても、金が無いのでは買えません。

  今、大笑いしているのは、ドイツや韓国の自動車メーカーでしょうなあ。 日本企業が退場してくれれば、中国の輸入車市場でシェアをガッポリいただけるものねえ。 絵に描いたような、棚から牡丹餅。 生産が間に合わないほど売れまくって、嬉しい悲鳴でホクホク顔だよ。

  一方、中国に工場を持っている、日本メーカーは、戦々兢々、生きた心地がしないでしょう。 全部あわせれば、今までに、何兆円つぎ込んで来たか分かりませんが、断交になれば、操業停止。 戦争にまでなれば、工場ごと接収されてしまいます。

  対する中国企業は、日本国内に工場を持っているところが少ないですから、接収されても、損害は知れています。 今や、日本からしか輸入できないという品目は、極端に少なくなっていますから、中国国内での操業も、他の国からの調達に切り替える事で、すぐに持ち直すでしょう。

  中国にとって、日本の代わりになる国はいくらでもありますが、日本にとって、中国の代わりになる国は、存在しません。 日本経済は、アメリカ経済と中国経済に寄生して、成立しているわけですが、寄生虫が宿主を失ったらどうなるかは、考えずとも分かる事です。

  背筋が寒くなるのは、そういう、二次的に発生する大損失について、日本の政治家に、何の問題意識も無いように見受けられる事です。 一体、どうするつもりなのか・・・。 また、「想定外だった」で、済ますのか・・・。 衝突事件の時と同様、その内、経済界から、「もう、いい加減にしてくれ」と、政府に要求が行くと思いますが、何とも、反省の無い政府である事よ。


  反日デモの暴徒化に関してですが、日本で日本人が、どうこう言っても、止まる事ではないので、余計なコメントは差し控えた方がいいでしょう。 日本人にできる事は、日本政府に、事態を収束するための対応策を取らせる事までであって、外国政府や外国民衆に、何かを要求するのは、権限外です。

  また、日本のマスコミが、二重基準でよー・・・。 ≪アラブの春≫が吹き荒れた国々で、民衆がデモをしていた時には、全面的にデモ隊の味方をして、リビアやシリアのように、デモ隊変じて、反政府武装勢力になっても、まだ、反政府側を応援しまくっていたくせに、中国でデモがあると、「なぜ、中国政府は押さえ込まないのか」と、怒っている始末。

  同じ中国国内のデモでも、チベットや新疆ウイグルで起こった反政府デモの時は、暴徒化しても応援し続けていただろうが。 武装警察で鎮圧に乗り出した中国政府を批判していたではないか。 それが、日本が標的になった途端、「武装警察は、なぜ、大使館への投石を阻止しないのか!」だとさ。

  なんだよ、おまいら、民衆の味方じゃなかったのかよ。 民衆の味方なら、なぜ、反日デモ隊を応援しない? 自分で、辻褄が合わない事を言っていると、思わんか? 正反対の事を、一つの頭の中で考えていて、気が変になりそうにならんか?

「平和的なデモと、破壊行為は全く違います。 愚かな事はやめましょう」

  などと、数日前に、NHKのニュース・キャスターが言ってましたが、激怒している相手に向かって、「お前は、愚かだ」と言って、相手の怒りが収まると思っているのだとしたら、愚かなのは、自分の方でしょう。 落ち着いて欲しいのか、もっと怒らせたいのか、どっちなんだ?

  ちなみに、日本の新聞やテレビのニュースは、中国のネットに筒抜けになっています。 「日本には報道の自由があるが、中国では情報統制がされている」というのは、日本のマスコミの口癖ですが、ネットを含めた情報の自由度は、中国の方が上です。 日本のネット上で、中国のニュースというのは、見た事が無い。

  そもそも、≪新浪網≫のような総合的なポータル・サイトが、日本には存在しません。 ≪ヤフー・ジャパン≫? 話にならん。 情報量の規模が、全く違います。 いいから、≪ヤフー・中国≫から、検索して、≪新浪網≫を覗いて見なさいって。 全然違う世界があるから。

「中国政府の愛国キャンペーンや反日教育が、事態の背景にある」

  そんな事は無いです。 別段、反日的な教育を受けなくても、普通に近代史を読むだけで、中国の学生が日本に反感を抱くのは当然だからです。 それだけの事を、日本は過去にやっているのです。 この事実は、今後何百年経っても、消えません。

  中国人が日本に対して抱く反感を体験してみる方法があります。 日本の教科書に出ている記述でいいから、中国近代史の件りを、日本と中国の人名・地名を入れ替えて、読んでみるのです。 侵略される日本の地名は、適当なものでいいです。 もし、日本が中国に、かつて、日本が中国にしたのと同じ事をされたら、どんな気持ちになるか、疑似体験する事ができるでしょう。

  今回の反日デモで、日本人が恨むべきなのは、中国の民衆ではなく、侵略戦争を起こした、大日本帝国のキチガイ指導者どもですな。 歴史上の人物に収まって、教科書や歴史書に、偉そうに名前が出ていますが、その実、ただのキチガイです。

  全国民が、キチガイに波長を合わせた結果、国の滅亡と引き換えでなければ、拭い去れないような、恥ずべき歴史上の汚点を残したわけです。 秀吉と、大日本帝国と、二回もキチガイに振り回されたのだから、えーかげん、目を覚ませよ。 三度目の正直なんざ、御免だぜ。 キチガイに、正直も嘘つきもあるものかね。

  今回の問題、今のところ、明るい展望が、全く見えませんが、もしかしたら、今まで払って来なかったツケが、一気に回って来たのかもしれません。 畢竟、暴力で始まった因縁は、暴力でしか決着しないのか・・・。 恐ろしい事ですが、種を蒔いたのは、日本側ですから、結果から逃げられるものではありません。


  なに? 尖閣周辺に、海保の巡視船が、50隻? 日本中で稼働中の巡視船の内、半分を持って来たらしいですが、おいおい、そんなに抜いてしまって、大丈夫かよ。 というか、半分抜いても大丈夫なら、普段から、半分でいいんじゃないの? 事業仕分けせんかい。

  もし、中国が、海監船を50隻以上、出してきたら、どうするんですかね? 日本側は、最初から、全部のカードを切ってしまったようなものですが、ちったあ、作戦とか考えんのかのう? 武力衝突やる気満々にしか見えませんな。 50隻も集めてしまったら、船長ども、気が大きくなるから、何を起こすかわからんで。

  だから言ってるでしょう、「毅然とした態度」なんざ、戦争を覚悟した時にしか使わない言葉だって。 自分の方は、臨戦態勢を取っていながら、相手側の自制に期待しているわけですが、これは、単に、虫がいいだけでなく、自分の方の制御が利かないという点で、大変危険です。


  アメリカの海軍大学の准教授が、「もし、日本と中国が戦争状態になった場合、アメリカの支援が無くても、日本が圧勝する」というレポートを発表して話題になりましたが、こういう眉唾な話は、言うまでもなく、くれぐれも、鵜呑みにしない方がいいです。

  これは、「台湾軍と中国軍を比べたら、航空戦力では、台湾軍が勝っている」と言い続けていたのと、全く同次元の戯言です。 日本の方が有利な理由が、「数より質」で、「兵器の数では負けているが、兵員の練度で勝っている」などと言っている点が、とりわけ信用できません。

  「自衛隊は、正面装備に予算を注ぎ込んでいるため、訓練が疎かになっている」というのは、昨今、ちょこちょこと報道されている事ですが、この准教授、そんな事情は、まるで知らないようです。 割と最近、F15Jが飛行中に部品を落とす事故が続発しましたが、いくら老朽化しているとはいえ、マニュアル通りの整備をしていれば、そんな事故は起こりますまい。

  一方、中国軍は、全体的に金が余っていて、海軍も、今まで不要として来た、航空母艦を作ったりしています。 新しく就役する水上戦闘艦、潜水艦も目白押し。 嘘だと思ったら、≪新浪網≫でも、≪環球時報≫でも、中国のサイトへ行って、軍事ページを見てみなさいな。 中国語が読めなくても、写真がうじゃうじゃ載っているから、大体の様子が分かるでしょう。

  ちなみに、中国軍は、≪対艦弾道ミサイル≫という兵器を、世界で唯一、保有していて、中国本土から撃って、尖閣周辺にいる艦艇を沈める事ができます。 一隻も出さずに、海自の艦艇を全て沈める事もできるわけです。 こう見て来ると、どう分析すれば、「日本側が圧勝」という結論が出るのか、皆目分かりません。 分析ではなく、単なる希望なのか?


「戦争になっても、アメリカは、助けないかもしれない」

  前にも書きましたが、アメリカは、核兵器を持っている国とは、戦争をしません。 リスクが大き過ぎるからです。 非常に高い確率で、自国が滅亡させられる危険を冒してまで、日本が係争地を守るのに力を貸すと思う方が間違っています。

  助けたとしても、日本政府から指揮権を奪ったら、速やかに講和するんじゃないでしょうか。 その時点で、尖閣が中国の制圧下にあれば、それ以降は、中国領土という事になりますな。 アメリカにしてみれば、その辺りの決着が、一番、望ましいのかも知れません。 そんな大きな戦争をするような金は、アメリカには無いのです。 対艦弾道ミサイルで、世界戦略の要である空母を沈められでもしたら、目も当てられません。

  そういや、パネッタ国防長官が、アジア歴訪中で、まず日本に寄り、それから、中国へ向かいましたが、日本にいた時には、終始、苦虫を噛み潰したような顔をしていたのに、中国へ行ったら、熱烈歓迎を受けて、中国軍の施設に招待され、兵士と一緒に食堂で飯を喰ったりして、ニッコニコ笑ってましたな。 よっぽど、楽しかったんでしょう。

  アメリカも中国も、ジョークが通じる文化なので、気が緩むんでしょうなあ。 日本じゃ、普天間基地問題や、オスプレイ問題で、アメリカの国防長官なんて、「何しに来やがった」式の迎え方しかされませんからねえ。 あの笑顔を見ていると、アメリカが、日本の領土問題の為に、中国と戦争するなんて、ありえない感じがしますねえ。

2012/09/16

鹿島灘からの帰還

  ≪房総・鹿嶋灘ツーリング≫の続きです。

  8月16日、フェリーで東京湾を渡った私とバイクは、房総半島の海岸線を反時計回りに太平洋岸へ向かい、≪洲崎灯台≫、≪野島崎灯台≫、≪九十九里浜≫などのランド・マークを、不完全ながらも制覇しつつ、銚子の南にある≪飯岡灯台≫の近くまで進み、近くの丘の上にある畑の隅で、蚊に刺されつつ、野宿したのでした。

  日付が変わり、17日になりました。 夜7時から、横になったので、朝3時までで、8時間という事になります。 睡眠はしていませんが、一応、それだけの時間、横になっていたわけですから、肉体的には休んだという事になるでしょう。 さて、出発だ。 この時間から出れば、≪犬吠埼≫で、日の出が見られるはずです。

  起きたのは3時でしたが、真っ暗だったので、テントを畳むのに手間取り、バイクに乗って、幹線道路まで出て来た時には、3時半になっていました。 しかし、バイクに乗ってしまえば、こっちのもの。 とりあえず、野宿の心細さからは解放されたわけです。

  昔もそうでしたが、野宿していた山の中から、未舗装の凸凹道を、生い茂る竹や潅木のトンネルを潜りつつ、探り探り進んで、舗装路まで出て来るまでの時間は、原始世界から文明世界へ抜け出して来るような、解放的感動を覚えます。 霧が出ていて、ヘルメットのシールドが曇り、なかなか、取れませんでした。

  この時すでに、前日、野宿場所探しに手こずったのに懲りて、何とか、この日一日で、家まで帰ってしまおうと考えていました。 予定したルートを全部回っても、どうにか、夜までには着くんじゃないかと思えたのです。 ちなみに私は、強行軍が否応も無く好きらしく、行けると思ったら、無理やりにでも行ってしまう、困った性格を持っています。

  銚子市に入ると、街灯がほとんど点いていませんでした。 アップダウンがある道なのに、真っ暗になってから、次の街灯が見えるという間隔。 ≪犬吠埼≫へ向かう道に入ると、街灯は本当にゼロになりました。 節電も、ここまで徹底すると、凄い。

  ずっと、ハイビームで走ります。 霧の向こうで、前を行く原付の尾灯が、道のアップダウンに伴い、見えたり見えなくなったりします。 怪談か。 「見えなくなった後、出て来なかったら、嫌だな」と思っていたら、本当に見えなくなったままになり、背筋が寒くなりました。 しかし、もちろん、怪談などではなく、その辺りまで行くと、横に曲がる道があるのでした。 たぶん、そこで曲がって行ったのでしょう。

  犬吠埼に近づくと、軽く、道に迷いました。 360度を見渡せるという、≪地球展望館≫の看板がありましたが、時間的にどうせ開いていないので、そちらには行きませんでした。 標識にある≪犬吠埼≫の文字は、同名の集落を指していて、灯台は別物らしく、灯台を指す標識は見当たりません。 やがて、灯台の明かりが見えたので、それを頼りに、接近して行きました。

  4時10分、灯台に到着。 ライトが回っていて、迫力抜群でしたが、写真を撮るには、暗過ぎ。 自販機でコカ・コーラのペットボトルを買い、昨日買ったパンを食べつつ、日の出を待ちます。 灯台の下に、喧しい若者達の先客が屯ろしていて、些か身の危険を感じ、少し離れた所にいました。

  一般論ですが、旅先で最も警戒しなければならないのが、若者の集団です。 特に、宵の口とか、早朝とかに、人里離れた空き地とか観光地の駐車場とかに集まっている連中が危ない。 一人一人だと無害でも、5人6人と集まると、気が大きくなる一方で、責任感が極限まで薄くなり、他人の迷惑なんぞ、全く顧みなくなります。

  ここにいた集団も、ガヤガヤ騒ぎながら、灯台下とトイレの間の、100メートルくらいの距離を行ったり来たりしていました。 どうやら、一人がトイレに行きたいと言い出すと、付き合いで、ぞろぞろついて行っている様子。 まったく、不気味だったらありゃしない。

  4時45分頃、日の出。 しかし、水平線上の雲が高くて、なかなか出て来ません。 灯台の海側の散策路に立って、頭が出て来るのを待っていたんですが、先を急ぐ身の事とて、待ちきれず、50分には出発しました。

  5時頃、銚子市街で迷いました。 川沿いに出て、≪銚子大橋≫を目印に、国道124号に戻りました。 ランドマークとは、よく言った。 銚子大橋は、驚くくらい巨大でした。 写真を撮るタイミングを逸したのは悔やまれます。 迷子になった直後は、先を急いで焦っているので、写真の事まで、気が回らんのですよ。

  国道124号を北上。 神栖市の道路脇で休憩。 残っていたあんぱんを食べました。 コーラは、早くもぬるくなり、頗るまずいです。 なまじ、ペットボトルだから、「半分残して、後で飲もう」などとケチ臭い事を考えてしまうのです。 13年前は、コーラの500㏄と言ったら、缶しかなかったので、その場で飲み尽して、終りだったんですがね。

  鹿島灘を見に来たのだから、海を見なければ帰れませんが、道路からは、全く見えません。 7時に、≪鹿島灘臨海公園≫でとまり、公園の小高い丘に登りましたが、やはり、肝心の海は見えません。 やむなく、海の方へ暫く下って行って、辛うじて、砂浜が見える所まで行って、鹿島灘の写真を撮りました。 もう、ここへ来たというだけの証拠写真に近いです。

  7時45分、大洗市街で、また迷子。 今回、犬吠埼と言い、銚子と言い、大洗と言い、市街地でロストすることが多かったです。 市街地に入ると、国道がまっすぐ通っていない事が多く、下調べしておいた曲がり口の交差点を見つけられないのです。 逆に言えば、市街地だからこそ、標識が多くて、元のルートへの復帰も容易なわけですが、それにしても、見知らぬ街で迷子になるのは、心細い事この上無いです。

  うろうろとうろついて、何とか県道2号を見つけ、かの有名な≪大洗海岸≫に出て、写真を撮りました。 この辺り、駐車場は、全て有料で、1日780円。 バイクを停める所が無いので、路肩駐輪し、海まで走りましたよ。 写真一枚撮るのに、780円は論外ですが、家族で、海水浴目的で来るのなら、高くはないでしょう。

  大洗からは内陸に入って、国道6号線に乗り、水戸から石岡へ向かいます。 カンカンのいい天気で、まだ午前中だというのに、糞暑くなりました。 ちなみに、茨城県は、道路の制限速度が高く、私のバイクでは、流れについていく事ができずに、ヒヤヒヤし通しでした。 車線変更せずに抜いていく車には、ぞっとします。

  とりわけ、124号と51号が、怖いのなんのって! 制限速度は、法定の60キロだと思うのですが、プラス10キロの70をキープしている車なんぞ、一台も無く、どやつもこやつも、80、90で、すっ飛ばして行きます。 まだ早い時間とはいえ、なぜ、このカモネギどもを取り締まらぬ、茨城県警よ。

  それどころか、平地だと言うのに、≪ゆずり車線≫などというものが設けられていて、遅い車は道を譲れと指示しています。 まるで、法定速度で走っている方がとろいと言わんばかり。 何か、間違っているぞ、茨城県よ。 幸いな事に、6号線は、渋滞気味で、割と気楽に走れました。

  石岡で曲がって、355号を≪霞ヶ浦≫へ。 9時40分、≪霞ヶ浦大橋≫に到着。 橋の袂にある≪高洲崎公園≫で橋の写真を撮りました。 近所の人と思われる、おじいさんと小学校低学年くらいの孫娘が、雑種の母犬一匹と子犬三匹を連れて来ていたのですが、子犬が私の方について来てしまって、孫娘が連れ戻しに来ました。 子犬は、何にでもついて行きますなあ。

  そこの水飲み場で、ジャブジャブと洗面。 眠くなりそうな頃合いなので、頭に刺激を与えねばなりません。 この後、コンビニで、≪午後の紅茶≫の500ccペットボトルを購入。 眠気を飛ばすには、紅茶以外に選択肢がないですな。 これも、ぬるくなるとまずいですが、炭酸飲料よりは、マシ。

   霞ヶ浦大橋からは、354号で西進し、つくば市で、再度、6号に戻りました。 東京方向へ南下して、柏市で、16号へ。 都心に入りたくないので、環状になっている16号で迂回しようという作戦。 正午前に、16号に入れたので、「うまくすれば、5時までに家に帰れるかもしれない」などと考えていましたが、それは、超甘い考えでした。

  12時45分、春日部のミニストップで、休憩。 おこわおにぎり115円で、遅い昼飯にしました。 同じ店で、アイスを買おうとしたら、前の客で時間が掛かりすぎ、アイスが溶けかけたので、やめてしまいました。 たった一人の客に、5分もかけているのですから、無能な店員もいたものです。

  千円以上お買い上げだからと言って、クジを引かせ、クジが当ったと言って、景品を店の奥まで取りに行き、私が持っているアイスが溶けかけた頃、並んだ客が増えて来たのを見て、「レジ、お願いしまーす」などと、他の店員を呼んでいる始末。

  ヘルプを呼べるのなら、もっと早く呼べばいいものを。 というか、時間がかかりそうな客がいて、その後ろに、アイスを一本だけ持った客がいたら、前の客に頼んで、先にアイスの客を片付けてしまおうという段取りは出来ないんですかね? 溶けるのが分かっていて、待たしておいて、どうする?

  もちろん、そのアイスは買いませんでした。 ボックスに戻して、出て来てしまいました。 溶けかけたアイスなど、商品価値ゼロですから、そんな物を買ってやる義理はありません。 何で、私が、間抜けな店員のミスを尻拭いしてやらなければならんのさ?

  コンビニの店員というのは、気楽ですねえ。 客を怒らせても、始末書一枚書かされるわけじゃない。 客が帰ってしまえば、逆にブツクサ文句を言って、終わりなのですから。

  激怒している内に、さいたま市と川越市を過ぎました。 怒りで眠気が飛んだのは、禍転じて福という奴でしょうか。

  2時頃、狭山市のコンビ二で、アイスを買い直しました。 ここでは、至ってスムースに買う事ができました。 それが当然でしょう。 ようやく、溜飲が下がった次第。

  4時頃、埼玉・東京を突破し、ようやく、神奈川県に入りましたが、相模原市で、またまた道に迷いました。 246号の入り口を見つけられず、どんどん、東へ戻ってしまいます。 不安が頂点に達して、標識に≪厚木≫の文字を見つけると、たまらず、そちらへ曲がりました。 県道52号で、全く見知らぬ山の中を通り、辛うじて厚木に入りました。

  この失敗は、出かける前のルート選定の杜撰さに原因があります。 静岡県東部に住む人間の習性で、「神奈川県まで戻ってくれば、後は、どうにか帰って来れるだろう」という思い込みがあり、それが、もろに出てしまったんですな。 家に戻ってから、地図で調べ直したら、16号と246号の合流点は、横浜市内でした。 道理で、どんどん、東へ戻ってしまうわけです。 下調べの時に、ちゃんと見ておけば、相模原から、厚木へ直行できたものを・・・。

  4時30分、相模川の右岸に出て、川沿いの道を下りました。 相模川は、まっすぐ南下しているので、それに沿っていけば、いつかは、246号に出るはず。 暫く走って、246号を見つけると、ほっとして、そちらへ曲がりました。 これでもう、迷う事はありません。

  5時18分、平沢で休憩。 246号で、東から戻って来たのは、18年ぶりくらいですが、厚木から小山までが、こんなに遠かったとは・・・。

  御殿場に入ったら、雨がポツポツ降り出しました。 前にも、こんな事があったな。 ツーリング中、ずっと晴れだったのに、静岡県に入った途端、降り出すのです。 マーフィーの法則か。 合羽を上だけ着て、リュックにカバーをかけたのですが、裾野に入ったら、呆気無く、やんでしまいました。 また、マーフィーだ。

  7時に家に到着。 オド・メーター、93252キロ。 出発した時は、92473キロでしたから、全走行距離は、779キロだった事になります。 使ったお金は、フェリー代、ガソリン給油2回、あと、食費で、5193円でした。

  やれやれ。 とにかく、無事に帰ってこれてよかったです。 13年ぶりにやってみたわけですが、やっぱり、野宿ツーリングは怖いですわ。


 ↑ 迷いながら、光を頼りに辿り着いた、≪犬吠埼灯台≫。 4時頃でしたが、着いた時は、真っ暗で、光源部分しか写らず、20分くらい待ってから撮ったのが、この写真。 ≪FINEPIX JX550≫は、暗さに弱いようで、かなりのブレ。 


 ↑ これは、更に時間が経ち、5時頃の写真。 灯台のすぐそばまで商店が迫っていますが、ここは旅館ではありますまいか? 昔、家族で来た時に、この辺りに泊まったと思うからです。 とにかく、灯台のすぐそばでした。 夜中に窓から外を見たら、満天の星空だったような記憶があります。


 ↑ 犬吠埼からの日の出。 「出てないじゃないか」と思うでしょうが、雲の間から日の光が見えたから、一応、日の出という事で勘弁して下さい。 水平線から雲の上までが高くて、なかなか、上まで出てこなかったのです。 日の出を、1時間も待っていたので、えらい時間ロスになりました。


 ↑ ≪鹿島灘臨海公園≫から垣間見た、鹿島灘。 時間は、7時頃です。 犬吠埼を出てから、2時間も経っています。 何とか、鹿島灘を見たいと思ったのですが、なかなか、海岸に出られる場所がなく、たまたま見つけた臨海公園に寄り、海を目指したものの、ここまでが限界でした。 ここから、海まで行っていたら、更に30分かかっていたでしょう。


 ↑ 大洗市街地。 大洗でも、迷いまくり、市街地をぐるぐる回って、ようやく、この、≪大洗磯前神社≫の鳥居を見つけ、現在地が判明した次第。 基本的に、迷っている間は、不安で不安で、写真撮影どころではありません。 道が分かって、ようやく、「写真でも撮るか」という、心のゆとりが出るわけです。


 ↑ ≪大洗海岸≫。 これは、大洗市街地の北側にあります。 どうも、≪大洗海水浴場≫とは、別物のようで、海水浴場の方は、市街地の南に広がっていました。 どちらも、泳げる事に変わりはないようですけど。


 ↑ ≪霞ヶ浦≫を渡る、≪霞ヶ浦大橋≫。 この辺り、広々としていて、大変、気持ちのいい所です。 橋の袂に、≪高洲崎公園≫という大きな公園があり、そこから、湖沿いの土手道に出て、撮った写真。


 ↑ 茨城県は、基本的にまっ平らな地形で、ちょこちょこと、小山があるという感じでした。 この付近も、高い所が無くて、広大な霞ヶ浦も、一望というわけにはいきません。 大橋の東側に、道の駅があり、展望塔のようなものが立っていましたが、時間がないので、そこには寄りませんでした。


 ↑ 国道6号。 これは、11時20分頃、茨城県と千葉県の境付近で休憩した時の写真。 バイクは、どこでも休憩できる点、車よりも気楽です。 6号線は、終始、渋滞気味で、時間がかかる反面、恐怖感は少なかったです。


 ↑ 千葉県柏市の、6号と16号が交わる地点。 11時40分頃です。 6号は、東京から東北へ向かう道ですが、16号は、首都圏をぐるりと大回りしている環状線で、これに乗りさえすれば、神奈川まで、自動的に連れて行ってくれます。 昼前に、16号に入れる事が分かり、ほっとしている時。


 ↑ 神奈川県に入り、どうにかこうにか、厚木で246号に入れました。 246号に乗りさえすれば、沼津まで、迷う事はありません。 時間は、5時20分頃です。 平沢という土地で休憩した時の写真。 これが、この旅、最後の一枚になりました。

2012/09/09

房総半島へ

  さて、8月16日です。 2012年、夏季連休のメイン・イベント、≪房総半島・鹿嶋灘、野宿ツーリング≫に出発する日が来ました。 朝4時半に起床。 両親が起き出して来ない、静かな内に、朝食と洗面を済ませ、荷物をバイクに括りつけます。

  早朝の事とて、近所迷惑にならないように、大通りまでバイクを押して行って、車の通過に合わせてエンジンをかけるのは、普段、早番の週の朝にやっている事と同じ。 発進したのは、5時前後でした。 遠出する時は、毎度の事ながら、「こんな旅行、しなくてもいいのに・・・」と、心の隅で後悔しながら、出発します

  清水町を抜け、三島に入り、国道1号に乗って、箱根を越えます。 沼津から東京方面に行くには、1号と246号と、東名と第二東名がありますが、有料道路は、端から考慮外。 246号は遠回りになるので、パス。 自動的に、1号が選択されます。

  三島から箱根峠までは、すぐそこ。 箱根は、霧でした。 しかも、濃霧。 元箱根までは、迷いようがありませんが、小涌谷の方へ上がって行ったら、≪お玉ヶ池≫の辺りで、道が怪しくなりました。 「あーれっ? 1号って、こんな所、通ったっけか?」 いやはや、箱根なんて、たまーにしか行かないし、何せ、濃霧で、周囲の景色が分からないものだから、不安の増大に耐え切れなかったのです。

  一旦、引き返したものの、3分もしない内に、「いいや、やはり、この道でいいはずだ」と思い直し、またUターンしました。 で、結局、それで良かったのです。 家に帰ってから調べたら、私が1号だと思っていたのは、旧東海道で、現在は、県道732号になっているとの事。 でも、どちらで行っても、箱根湯本まで下りれば、合流します。

  箱根湯本で、最初の休憩。 箱根を越えるだけで、1時間もかかってしまい、些か焦りました。 途中で、引き返さなかったとしても、10分も変わらなかったでしょう。 しかし、道も分からんのに、「箱根くらい、標識頼りで越えられる」と思い込んでいたのは、反省点ですな。

  相模湾の海岸線に出て、1号線を進み、二宮町からは、134号線に乗り換えます。 この道、≪西湘バイパス≫の続きで、有料道路ではないにも拘らず、スピードが非常に速い。 こういう所が怖いんだわ。 でも、私は、18年くらい前に、原付でここを通っているはずなんですよ。 道の様子は、おぼろげに覚えていましたが、よくこんな怖い道を、50ccで走ったものです。

  鎌倉市で、休憩。 7時頃ですが、まだ早いというのに、海へ向かう人間がいるのには、驚きました。 夏休みのせいか、妙に人が多い。 逗子市からは、三浦半島に入り、半島を斜めに突っ切る形で、山の中を横須賀市に向かいます。 三浦半島は、地図で見ると小さいですが、実際に行ってみると、結構大きくて、突破に時間がかかりました。 山道と言っても、山の中まで街が喰い込んでいるので、伊豆半島とは、全く雰囲気が違います。

  横須賀市の久里浜フェリーターミナルに到着したのが、8時20分。 ちょうど、船が出るところだったので、次を待つ事になりました。 駐車場に、車用とバイク用の待機場所が設けられていて、先着順に並んで、乗船を待つというシステム。 乗船券は、ターミナルの中に売り場があります。

  ≪東京湾フェリー≫のサイトに、「車検証を提示して、乗船券を買う」という記述があったような気がするのですが、私のバイクは、カバーを外さなければ、車検証が出せず、そのためには、ドライバーが要ります。 ところが、工具は持って来てないと来たもんだ。 「どーしたものか。 ターミナルで貸してもらえるだろうか?」と、悩みつつ、とりあえず、売り場へ行ってみたら、排気量を訊かれただけで、車検証の事には触れられないまま、乗船券を買う事ができました。 帰ってから調べてみたら、車だけの規定だったようです。

  バイクは、750cc以下が、片道で1640円。 今時、750㏄を境界にするというのは、大時代ですな。 ちなみに、750cc以上だと、1960円だから、結構違うというか、そんなものか、というか。 125cc未満は、1340円。 占有面積は、どれも、似たようなもんなんですがね。

  9時に乗船。 当然の事ながら、自力で走って、船の中まで入ります。 私は、先頭だったので、一番奥の壁際に停めました。 係の人が待ち構えていて、誘導してくれるので、間違えようはありません。 壁側にサイド・スタンドを立てて停めると、係の人が、車体の右側をベルトで、床から壁まで抑え、前後の車輪に輪留めをかませて、固定してくれます。

  航行中は、車両用デッキは立ち入り禁止になりますが、荷物は、バイクにつけたままにしました。 紐で括りつけてあるので、いちいち外したり、つけたりするのが、面倒臭いからです。 ペット・ボトルを一本だけ、ナップ・ザックに移しただけ。

  船内を見て回ります。 四階建てで、一番下が車両用デッキ。 二階は、半分が車両用で、残りが客室。 三階は、全部客室。 四階は屋上デッキです。 二階に載せる車は、スロープの通路を上って来るようです。 車に乗って来なかった徒歩客は、高架の連絡通路で乗船します。

  船の名前は、≪かなや丸≫。 3580トン。 最大搭載人員、600名。 搭載車両台数、20台。 ちなみに、東京湾フェリーは、二隻が行き違う形で往復していて、もう一隻は、≪しらはま丸≫と言います。 理屈から言えば、≪くりはま丸≫になるのではないかと思うのですが、まあ、私がそんな事言っても、詮無い事ですな。

  こんな大きな船に乗ったのは、それこそ、数十年ぶりなので、興奮が抑えきれず、あちこち見て回りました。 見晴らしがいいのは、なんてったって、屋上デッキですが、この日は天気が良すぎて、長時間いられなかったのは残念でした。

  9時20分、予定通り、出港。 フェリーは、前後の形が似ているので、どっちに進んでいるのか、よく分かりません。 そもそも、バイクで入って来た時、船首から入ったのか、船尾から入ったのかが、分からない。 確か、180度、向きを変えてから、港を出たような気がするのですが。

  出港前に、港の中に、カモメがプカプカ浮いていて、「そんな所にいて、スクリューに巻き込まれるなよ」と思ったのですが、余計な心配もいいところでした。 カモメの衆は、船が出るのを待っていたのです。 屋上デッキから、乗客が投げる餌を目当てに。 観光地の遊覧船なら、カモメが併走するのは、よく見る光景ですが、フェリーでも、追いかけるんですねえ。

  船が出た久里浜港の、すぐ北側が、ペリーが停泊したという、かの有名な、≪浦賀≫。 そういえば、久里浜の街の雰囲気は、下田にそっくりでしたが、徳川幕府は、こういう港町に、外国使節を足止めにするのが、好きだったんですかねえ。

  航行中は、基本的に、三階の客室にいました。 屋上デッキだと、一番前が、操舵室になっているようで、前方が見えないからです。 所要時間は、40分。 海は、山と違って、天気が良くても、眺望には限りがあります。 当たり前の事ですが、陸から離れると、海しか見えません。

  真ん中より、ちょっと手前辺りで、フェリーの進路を横切る形で、東京の方からタンカーがやって来ました。 他の客が、「このままで行くと、ぶつかる」とか、話しています。 私は、双方の位置から見て、フェリーの方が減速すると思っていたのですが、他の客のほとんどは、「タンカーの方が止まる」と言っていました。 人がたくさん乗っているフェリーの方に、優先権があると思ってるんですかね?

  やがて、船内で腹に響くような機械音がして、フェリーがスクリューを逆転させ、減速し始めました。 ほれ、見た事か。 ご丁寧に、船内放送で、「前を横切る船は、○○船籍のタンカーで、○万トンです」といった、説明が流されました。

  真ん中付近で、もう一隻のフェリー、≪しらはま丸≫とすれ違いました。 このパターン、ケーブル・カーに似ていますな。 もっとも、ケーブル・カーは、ワイヤーで繋がっているので、機構的に、否が応でも、真ん中ですれ違わざるを得ないのですが。

  相模湾は、結構な強風で、白波が立っているほどでしたが、東京湾は、至って静かで、まるで、湖のようでした。 船の揺れも、ほとんど無し。 ただし、船酔いはしました。 朝、飴を持って来るのを忘れたため、酔うに任せるしかありません。 たぶん、船内の売店でも飴くらいあったと思いますが、40分のために、わざわざ買いません。

  ちなみに、私の場合、船酔い、車酔い、高山病の類は、飴かガムを口に入れていれば、大概、予防できます。 富士山に登った時にも、麓のコンビニで、飴を一袋買って行ったおかげで、快調に頂上まで登れました。 酔い止め薬でなくても、飴で充分。 要は、酔いを感知する神経を、他の事に集中させて、麻痺させしまえばいいのですよ。

  タンカーを避けて、減速した分、遅れたのか、10時5分過ぎくらいに、千葉県の金谷港に入港しました。 着岸する前に、180度転回しましたが、よく、あんな狭い所で、器用に大きな船体を回せるものですな。 意外ですが、車などより、船の方が、よほど、小回りが利きます。

  船内放送に従って、車両用デッキに下ります。 係の人がバイクを固定していたバンドを外してくれるので、後は、乗った時と同じように、自力で走って出て行く事になります。 進行方向に向けて出る形になりましたから、入った来たのとは、逆方向に出たわけですな。 今思うと、たぶん、船首から乗って、船尾から出たのでしょう。

  車が先に出始めましたが、別に、バイクの方が後という決まりがあるわけではないようで、車の間に割り込んでも良かった様子。 待っていて、損しました。 車の方は、係の人が誘導して出していましたが、バイクの方には、何の説明もありませんでしたから、分からなかったのです。

  さて、金谷港に上陸。 千葉県富津市です。 港もターミナルも、久里浜港に比べると、かなり小さいです。 しかし、帰りは、フェリーに乗らないので、ここを利用する事は、もうありません。 とりあえず、駐車場の出口にあった地図を見てから、港を後にしました。

  正直言いますと、このフェリーの航海が、この旅の中で、一番面白かったです。 一度は、乗ってみるものですな。 こんなに簡単に乗れるとは思わなかった。 昔、≪鳥羽水族館≫に行った帰り、鳥羽から伊良湖岬までフェリーに乗るかどうか迷った末、お金が惜しくて、諦めた事があるのですが、あの時、乗っておけば良かったと、今頃、後悔しました。


  さて、いよいよ、房総半島です。 千葉県に足を踏み入れたのは、四半世紀ぶり? えっ、そんなに経ってる? 私も歳を取るわけですな。 家族旅行で来た時、富津市も通っているはずですが、その時は電車だったので、風景には、記憶の痕跡もありません。

  金谷港は、房総半島の東京湾側で、もう、かなり下の方です。 そこから、反時計周りに、進みました。 港町の風景が、伊豆半島の西海岸に酷似しています。 ただし、伊豆半島のように、町と町の間が、断崖のワインディング・ロードという事は無く、海岸線の道路は、ほぼ、平地です。 走り易くて、大変、ありがたい。

  かなり大きな街、館山を通過。 海岸線をトレースし、最初の目的地、≪洲崎灯台≫へ。 「すのさき」と読みます。 しかし、駐車場が、観光客相手の商店のものしかなく、有料だったので、灯台の下まで行くのは諦めざるを得ませんでした。 こういう商売の仕方は、伊豆にそっくり。

  幹線道路の向かいの山側に、墓地があったので、斜面の階段を上がり、灯台の写真だけ撮りました。 お盆期間中の事とて、墓地の上の方から、御詠歌が聞こえて来ます。 誰何されない内に、さっさと退散。 この辺りの海岸からは、富士山が見えます。 夏山なので、真っ黒で、シルエットのよう。

  ≪房総フラワーライン≫という道を走ります。 ここで、問題が発生。 荷物のリュックを、バイクの荷台の上に横にして括ってあったんですが、サイド・ポケットの片側、ペットボトルを入れてある方が垂れ下がって、ウインカーを隠してしまっている事に気付いたのです。 パトカーや白バイに、後ろにつかれたら、指摘されずには済まされません。

  ≪館山カントリークラブ≫というゴルフ場の前で停まって、「どうしたものか…」と悩む事、暫し・・・。 リュックの括り方を、縦に変える事にしました。 左右対称ではなくなりますが、この際、そんな事は、どうでも宜しい。 左右に食み出る部分が無くなるので、その方が、安定もよくなります。 対策というのは、考えれば、思いつくもんなんですなあ。

  11時40分頃、≪ODOYA(おどや)≫というチェーン・スーパーで、パンを買いました。 白あんぱん90円、あらびきソーセージパン115円。 ≪ODOYA≫という店、この前も、この後も、千葉県内の至る所で目にしましたが、元は、どういう漢字なのか、気になるところです。

  ≪房総フラワーライン≫を南下し、半島最南端の、≪野島崎灯台≫へ着いたのが、12時10分頃。 ここは、無料でとめる場所がありました。 道路脇の公衆トイレの裏手にとめて、リュックを外し、背負って、灯台へ。 重いですが、ここで、昼を食べるつもりだったので、荷物を置いていくわけには行きません。 ツーリング中に、荷物を着けたまま、バイクを離れ、戻って来たら、盗まれていた、というのは、ライダー経験談で、割とよく聞く話。

  灯台の下まで行ってみると、灯台に登るのには、料金がかかるとの事。 200円でしたが、灯台というのは、登ってみたくなる割には、どこもみんな同じ景色で、特徴が無いというのを経験的に知っているので、パスしました。 また、荷物を背負って、灯台の螺旋階段を登るのは、きついんだわ。

  灯台の下の海浜公園で、昼食。 その後、海の方を歩き、≪房総半島最南端の碑≫を見ましたが、綺麗な石で、古い物のようではなかったです。 この辺りの海の岩は、みんな堆積岩でした。 火成岩で出来た伊豆半島とは、成り立ちが違う模様。

  次の目的地は、≪九十九里浜≫です。 野島崎からしばらくは、予定ルートより海側にあった町道を走りました。 そちらの方が、制限速度50キロで、幹線道の40キロより速いのです。 この辺り、延々と、港町が続いている感じ。 やはり、房総は、伊豆より、広いですなあ。

  鴨川は、大きな街でした。 有名な≪鴨川シーワールド≫の前を通りましたが、時間が無いので、もちろん、パス。 道のあちこちに、駐車場の誘導係が立っていて、規模の大きさと人気を垣間見せてくれます。

  3時頃、いすみ市のコスモ石油で給油。 リッター、138円。 8.55リットルで、1180円。 家から、ここまでで、250キロくらい。 途中、フェリーを挟んでいるので、ツーリングとしては、大した距離は走っていません。

  ≪九十九里ビーチライン≫に入る道が見つからないので、本屋に入って地図を見ました。 立ち読みで、申し訳ない事ですが、こういう時、書店は、本当にありがたいです。  コンビニにも地図はありますが、地図だけ見て出て来るのは、心苦しくてねえ。 その点、本屋なら、目立ちませんから…。 確認したところ、道は間違っていませんでした。 次の一宮市に入ってすぐに分岐があるとの事。

  九十九里浜は、専門学校に行っていた頃に、合宿で一度来ているんですが、記憶が結びついたのは、海岸から少し奥に入った所を通っている昔ながらの道路だけ。 しかも、雰囲気だけです。 一体、どの辺りに泊まったんですかねえ。 今は昔・・・。

  海水浴場の一つに出て、写真だけ撮りましたが、どこであっても、海水浴場というのは、あまり、気分のいい場所ではありませんな。 あの、所在無くうろうろしている、刺青のオッサンというのは、どうにかならんのですかね? 泳ぐでもなく、遊ぶでもなく、一体何しに海に来ているのか、さっぱり分かりません。

  ≪九十九里ビーチライン≫を、ひたすら、北上。 銚子市の手前の旭市で、5時になりました。 日の長い真夏であっても、5時になったら、野宿場所を探さなければなりません。 暗くなってからでは、遅いからです。 これは、18年前に会社の先輩のアウトドアの達人から教わった教訓です。

  まずい事に、房総半島の東岸というのは、平地が多く、山が遠いです。 見える範囲に山が無いと言ってもいい。 一番安全な野宿場所は、林道の支線なんですが、山が無い場合、探しようがありません。 次は、海岸の防風林の中ですが、ここでは、風向きの関係で、防風の必要性が薄いのか、防風林が貧弱で、とても、バイクとテントを隠せるようなボリュームはありません。

  これは、困った。 道の脇に、「民宿 素泊まり、2300円」などという看板を見つけると、「少々、金を払っても、民宿に泊まってしまった方が、安全かな」という誘惑に駆られるのですが、予約も何もしていませんし、せっかく持って来たテントが無駄になるのも嫌だし、踏ん切りがつきません。

  その内、≪飯岡灯台≫という所に着き、ここで、丘を発見しました。 海に突き出た丘の上に灯台があるんですな。 山というには低過ぎですが、一応、道がついていますから、野宿場所を探してみる価値はあります。 灯台の裏手に、閉鎖されたラブホテルの廃墟があり、敷地内に入れるようでしたが、不気味過ぎて、パス。

  附近の農地を、ぐるぐる回っている内に、収穫後で何もない畑の奥の方に、ようやく、死角になった場所を見つけました。 当然の事ながら、人様の土地なわけでして、見つかれば、警察行きになりかねないのですが、農家の人というのは、日が暮れれば、帰ってしまいますし、今までの経験から言って、まあ、大丈夫だろうと、判断しました。

  一度、幹線道路に戻って、最寄のコンビニで、夕食と朝食のパンを買い、家に電話して、野宿場所を知らせました。 ちなみに、携帯全盛時代の今では、公衆電話は、利用者が少ないため、どこでも大変清潔に保たれています。

  も一つ、ちなみに、私は野宿する時は、煮炊きは絶対にしません。 そもそも、キャンプが目的ではないですし、何より、枯れ草等に火が燃え移るのが怖い。 食事の準備を大掛かりにすればするほど、土地の人に発見される率が高くなり、無用の悶着に繋がります。 せいぜい、奮発しても、コンビニの弁当くらいで充分です。

  コンビニから出ると、道路を挟んで、灯台の丘とは向かい側にも、丘がある事に気付きました。 そちらにも、道が入っているので、念の為、調べてみたら、同じような収穫後の畑で、最初の所よりも、更に目立たない場所を発見しました。 おお、こっちの方がいいじゃん。

  で、その畑の脇にバイクをとめ、夕食を食べながら、日が落ちるのを待ちました。 すぐにテントを張らなかったのは、もし、畑の持ち主が見に来た場合、素早く退散する為です。 そういう時、開き直って、「一晩、ここで、寝させて下さい」などと、話を持ちかけるのは、厳禁。

  農家の人というのは、よそ者に対しては、大変ドライですから、そんな、自分に何の得も無い話に応じたりしません。 警察へ突き出されるのがオチ。 見つかった時点で、尻尾を巻いて逃げ出すのが、最上策なのです。 向こうも、「変な奴を追っ払ってやった」と溜飲が下がるので、それ以上、事を大きくしたりしません。

  6時半まで待ちましたが、誰も来ないので、テントを張りました。 私のテントは、ビニールと布で自作したもので、バイクのミラー支柱と、立ち木の間に紐で吊るすようになっています。 設営は簡単至極。 明朝は、暗い内に出発する事になるので、眠る前に、髭を剃り、歯を磨いておきます。 7時には、テントに潜り込みました。

  朝4時半に起きてから、フェリーに乗っている間と野島崎灯台を見ている時を除けば、ずっと走りづめで、疲れているはずなんですが、13年ぶりの野宿で緊張しているせいか、全く眠れません。 うとうとしても、10分くらいがいいところ。

  夕方は、昆虫達の活動時間帯らしく、カナブンがテントに侵入してきて、ガザガサ凄い音を立て、ギョッとしました。 他は、蚊ですな。 よそ者の闖入者の身としては、あまり殺生はしたくないのですが、やむなく、何匹か潰しました。

  通気用に張ってある布の部分が、13年間しまっておいたせいで、目詰まりしていたらしく、息苦しくなって来たのにも、閉口しました。 窒息してはたまらないので、隙間を開けるんですが、そうすると、また、蚊が入ってくるという悪循環。

  テントを張った場所が、少し傾斜していたのも、良くなかったです。 寝返りを打って、体を横にすると、前側に倒れたり、後ろ側に引っ張られたりして、安定しません。 しかし、もう暗くなっているので、今更、張り直す事もできません。 プチ地獄ですな。

  そして、眠れようが眠れまいが、夜は更けて行きます。

  一日が終わった切りのいいところで、今回は、ここまでにします。 続きは、次回。


↑ かの有名な、≪江の島≫。 ここまでで、家から、1時間45分くらい。 割と近くにあるのに、一度も行った事がありません。 休憩は、一時間に一度を目安にしていたので、ここで休むわけにはいかず、信号待ちで停まった時に、素早くカメラを出して、写真だけ撮りました。


↑ 神奈川県横須賀市にある、≪東京湾フェリー≫の久里浜港ターミナルと駐車場。 久里浜の街を、川に沿って、河口まで下り、右手に曲がると、否が応でも、フェリー乗り場が目に入ります。 迷いようのない場所にあるので、とにかく、久里浜まで来れば、見つけられます。


↑ 車・バイクの待機場。 予約は無く、先着順に、駐車場の上に書かれた、番号付き区画の上に並べ、その順番で乗船します。 私が来た時、ちょうど、前の便が出るところだったので、一便後の先頭になりました。 この後、バイクは、6台くらい来ました。


↑ フェリー岸壁。 オレンジのゲートがある所へ、船首か船尾を着けます。 右側にある高架通路は、徒歩客用。 更に右側に、二階デッキに入る車が上る、スロープ通路があります。


↑ 自走して乗船すると、バイクは、壁際に誘導されます。 壁側にサイド・スタンドを立てて、バイクを降りると、係の人が、床と壁に張るバンドで、バイクの右側を抑え、前後の車輪に輪留めをかけて、固定してくれます。 


↑ 3階の客室デッキ。 「とりわけ、屋外が好き」というのでもない限り、 ここにいれば、問題無し。 売店があり、飲食物を売っているようですが、私は買いませんでした。 40分の旅ではねえ。 もちろん、トイレもあります。 


↑ 4階の屋上デッキ。 屋上は、船首側の先端を除き、屋根のある部分はありません。 これは、船尾方向を見た景色。 カモメが随伴して、餌を貰っています。 彼方に見える陸地は、久里浜港。 右端の方が、浦賀です。


↑ 航路の途中で、交差する形になった、大型タンカー。 フェリー側が減速し、タンカーが先に通りました。 船内放送で、タンカーの船籍と排水量が説明されましたが、メモを取っていなかったので、忘れてしまいました。


↑ 車満載の車両デッキ。 20台載せられるそうですが、こうして見ると、もっと載っていそうな気がしますな。 これは、すでに、金谷港に着岸し、これから上陸しようという時の写真。


↑ 千葉県富津市の、金谷港ターミナル。 帰りは、フェリーに乗らなかったので、こちらの建物には入りませんでした。 無事に上陸できて、ほっとするかと思いきや、この旅の目玉だったフェリー体験が終わってしまったためか、これからバイクで走るのが、些か億劫になっているところ。


↑ ≪洲崎灯台≫。 房総半島の南の方で、東京湾側に飛び出している岬にあります。 灯台は、右上の端っこに写っています。 真ん中を横切っている道路は、県道257号。 本来は、画面奥へ延びる細い道路を通って、駐車場まで行きますが、有料なのを嫌って、手前の山の斜面にある墓地に上って、写真だけ撮りました。


↑ ≪ODOYA(おどや)≫という、千葉県の地元チェーン・スーパー。 そこら中で見ました。 店は、そんなに大きくありませんが、コンビニよりは、ずっと強力です。 昼飯に、パンを二つ買いました。


↑ ≪野島崎灯台≫。 房総半島の南の先端にあります。 昔、家族で房総へ来た時に、母がここへ寄りたいと言うのに、私が面倒臭がって、パスしたという曰く付きの場所。 近づくのは無料ですが、灯台に上るのは、有料。 


↑ 房総半島の最南端。 ≪最南端の碑≫がありますが、どうしても見に行かなければならないようなものではありません。 岩の上にベンチが据えてあり、そちらの方が気になりましたが、先客がなかなかいなくならず、座る事はできませんでした。 この辺の岩は、全て、砂岩でした。


↑ ≪九十九里浜≫。 海岸線に一番近い道路でも、海は見えないので、テキトーな海水浴場に出て、写真だけ撮りました。 まーあ、他人の裸なんぞ見ても、汚らしいだけですな。 早々に退散。 砂は、灰色と茶色の中間みたいな、薄い色。


↑ バイクと立ち木の間に張った、ビニール・テント。 畳むと、リュックのポケットに納まってしまうのと、設置に3分しかかからないのが、特長。 問題は、中に入って一時間も経つと、体から出る湿気で、内側がびしょびしょになる事です。 改良の余地あり。


↑ 日没後、暫く経った頃の西の空。 この日、最後の写真です。 夕日は、日常生活でも、割とよく見るのですが、こういう場所で見ると、特別の感慨があります。 原始生活に戻った感じ。

2012/09/02

野宿ツーリングの準備

  さて、夏休みの前半は、≪天城山≫へ行って来たわけですが、この休みは、もう一ヵ所、バイクで野宿ツーリングに出かけようと、半月ほど前から決めていました。 きっかけは、一ヶ月くらい前に、職場で、キャンプの経験に関する話題が出て、私が昔、バイクで野宿ツーリングをした事を話すと、「非常に、意外!」という反応があった事でした。

  仕事の休み時間に、よく読書をしていたので、「本の虫」のイメージがあり、そんなワイルドな経験の持ち主とは、思われていなかった様子。 最後に野宿ツーリングに行ったのは、13年前で、その頃の同僚は皆、それを知っていたわけですが、この間に、人の入れ替わりが繰り返され、いつしか、私の過去を知る者が、一人もいなくなっていたんですな。 光陰矢の如し。

  で、その時は、単に、思い出話をしただけだったのですが、暫く経ってから、ふと思ったのが、「今はもう、昔のように、野宿ツーリングはできなくなってしまったのだろうか?」という、自問でした。 体力的には、目立って衰えたところは無いので、「その気になりさえすれば、まだ、できるのではないか?」と思い始めたのです。

  目的地に関しては、随分前から、候補が決まっていました。 昔のツーリングでは、本州・九州・四国の海岸線を回ったのですが、房総半島から鹿島灘にかけてと、長崎県だけは、走り残していたのです。 長崎県は遠過ぎますが、房総半島・鹿島灘なら、2泊3日もあれば、充分に回って来れるはずです。 よし、決定だな。

  ちなみに、バイクではなく、電車でなら、どちらにも行った事はあります。 長崎は、高校の修学旅行で行きましたし、房総半島と鹿嶋神宮には、高校2年の時、家族旅行で行きました。 また、専門学校に行っていた頃、九十九里浜のどこかで、1泊2日の合宿をした事もありました。 ただし、この合宿の時には、電車で行ったのか、バスで行ったのか、交通手段について、全く記憶が残っていません。

  行った事はあるものの、連れて行ってもらったのと、自力で走ったのとでは、大違いなわけでして、バイクで行っていない事に、長い間、心残りがあったのです。 それが、この度、行く気になったわけで、思い立ったが吉日、億劫にならない内に、実行してしまうに限ります。

  ルートで、いの一番に思い浮かんだのが、≪東京湾アクアライン≫です。 ≪海ほたる≫がある、例の海底トンネルですな。 名前が覚え難くていけない。 ≪東京湾トンネル≫にすれば、痴呆老人でさえ、一度聞いたら忘れないものを。

  静岡県沼津市から房総半島を目指そうとした場合、道路網が煩雑な上に渋滞が予想される、東京の都心を避けるのは常識ですから、自然に、「東京湾を渡ってしまえ」という発想になるのです。 ところが、サイトで料金を調べてみると、2400円くらいする様子。 なぜ、「くらい」などと、曖昧に書くかと言うと、二輪車が車型分類に載っていないから。 たぶん、「軽自動車等」に入ると思うのですが、定かな事は分かりません。

  2400円は、強ち高いとは言えませんが、私の感覚的には、特段安くもなく、微妙なところ。 海底トンネルだから、景色は全く見れませんし、≪海ほたる≫にも、どうしても行きたいというわけではありません。 それに、高速道路は、高架でもトンネルでも怖いです。 どーしたもんでしょーか・・・。

  ふと、「フェリーは無いかな?」と思いつき、調べてみたら、海底トンネルより、かなり南になりますが、≪東京湾フェリー≫というのが、神奈川県横須賀市の久里浜港から、千葉県富津市の金谷港の間を結んでいるのを発見しました。 料金は、二輪で、1600円くらい。 おお、安いじゃん。 さすが、船便じゃん。

  金谷港は、房総半島の下端から3分の1くらいの所に位置していて、そこに上陸するという事は、半島の東京湾側を上3分の2、端折る事になりますが、まあ、ケチな私の事ですから、安値の魅力には抗えません。 かくして、フェリーに決定。

  実は私、水に入るのが嫌いでして、沈没の恐れがある船には、滅多に乗りません。 フェリーなんか、自力では、一度も乗った事が無い。 当然、乗り方も知らないわけですが、歳を取って来ると、世の中をナメてかかる傾向が深まるようで、「まー、行きゃー、どーにかなるだろー」という事で、深い事は考えないようにしました。

  さて、ルート選定と平行して、荷物の準備をしなければなりません。 昔使っていた野宿ツーリング用の装備を、押入れの天袋から下ろして来ました。 登山用のリュックなのですが、確か、ホーム・センターで、3000円くらいで買った品。 今の登山リュックは、縦長ですが、私のは、両脇にサイド・ポケットがついた、横長型です。 いやいやいや、流行なんて、どうでもいいんです。 使えさえすれば。 第一、登山じゃなくて、ツーリングだし。

  テントは、リュックのサイド・ポケットの片側に収まる大きさになっています。 ビニールで自作したものだからこそ、できる芸当。 骨が無く、前後を紐で吊る、簡易テントですが、こんな物でも充分です。 市販品は、骨があったり、防水布が別に付いていたりで、どうしても大きく重くなります。 実は、最初の頃は、3人用の市販テントを使っていたのですが、張るのも畳むのも時間がかかってしまって、うんざりして、やめたという経緯があります。

  他に、リュックの中に入っているのは、テントの下に敷くビニール、合羽上下、洗面用具、タオル、水が入った500ccのペット・ボトルが3本。 洗面用具の内訳は、旅行用の歯磨きセット、プラスチックのコップ、小型の鏡、電気髭剃り、濡れティッシュ。 水は、飲料と洗面用と兼用です。 野宿場所には、水道の蛇口が無いので、それに対応するため。

  髭を剃ったら、濡れティッシュで顔を拭き、歯を磨いたら、コップに水を移して、口を漱ぎます。 ペット・ボトルに直接口をつけてしまうと、飲み口に歯磨き粉がついて、飲用にできなくなってしまうので、わざわざ、コップを持って行っている次第。 当然以前の事のようでも、最初に、このスタイルに辿り着くまでには、さんざん頭を使いました。

  装備を括りつける為には、バイクに荷台が無ければならず、昔は、ツーリングに出かける前に、取り付けていたものですが、今は、通勤にも荷台を使っているため、わざわざ取り付ける必要はありません。 楽なもんだ。

  登山用リュックの他に、ナップ・ザックも、背負って行くのですが、中は、日記用のノートが入っているだけです。 コンビニで食料を買った後だけ、パンやおにぎりが入りますが、すぐに食べてしまうので、普段は、ほとんど、重量を感じません。 背中でも腰でも、体に直接、重い物を着けてしまうと、長距離ツーリングでは、駄目なのです。 肩が凝ったり、腰が重くなったりで、さんざんな目に遭います。

  服装は、通勤と、ほぼ同じで、下はチノ・パン、上は、半袖シャツと、春物のジャンパーを着て行きますが、今回は、ポケット・ベストを間に挟みました。 ポケットが四つ付いているので、財布やら、免許入れやらを収めるのに便利。 靴は、通勤に使っているスニーカーです。 バイクのシフトをするので、紐式ではなく、ファスナー式の奴。


  問題だったのは、カメラです。 普段使っている、ペンタックスの≪X70≫は、大き過ぎて、バイクで持ち歩くのには、甚だ不便です。 今回、野宿するとなると、雨で濡らしたり、衝撃で壊したりする危険性もあり、とても、持って行く気になりません。

  ≪天城山≫に持って行った、日立の≪HDC-2≫は、もう古くて、惜し気が無いし、乾電池式ながら、300枚くらいは楽に撮れるので、旅行には打って付けなんですが、≪天城山≫の写真が、あまりにもひどかったのと、この春買い換えたパソコンに非対応で、画像を取り込む方法が、メモリー・カードを差し替えるしかなく、そうすると、写真の順番が狂ってしまうという、致命的欠陥が露呈してしまったため、これまた、持って行く気になりませんでした。

  というか、≪HDC-2≫は、これだけ使用条件が悪化したら、もう引退させるしかありませんな。 家電量販店で、一万円ポッキリで買ったのが、2004年の4月。 固定焦点で、マクロはほとんど利かず、露出はテキトー、画像の記録に時間がかかる等々、最初は、しょーもないカメラだと思いましたが、とにかく、電池の持ちがよく、シャツの胸ポケットに入るぎりぎりの大きさ・重さである上、一応、200万画素で、天気が良ければ、そこそこ、まともな写真が撮れるという事で、8年間、常に使える状態で、手の届く所に置いていました。 岩手にも持って行ったし。

  とはいうものの、マクロが使えないのと、曇りの日の、葬式めいた暗い写真には、前々から困ったものだと思っていて、その内、買い換えようと検討していたのも事実。 今は、1万円以下で、遥かに高性能なのが、ゴロゴロ売ってますし。 で、野宿ツーリングに行くのを機会に、買ってしまう事にしました。 というか、こんなきっかけでも無いと、買えないのです。 ケチだから。

  ≪天城山≫へ行ったのが、8月13日。 翌14日の午前中には、≪HDC-2≫がパソコンに非対応である事が判明し、その日の午後から、新しいカメラを吟味し始めました。 新聞の折り込みチラシを調べたり、家電量販店に値段を見に行ったり。 ネットでも調べましたが、aigoの≪T1458≫など、面白そうな品もあったものの、16日には出発するので、通販では間に合いそうにありません。

  そういや、ネット・ショップの中に、「お盆なので、休みます」という店がありましたが、稼ぎ時に休むとは、商人の末席にも加えられぬ、甚だしい不心得。 一般人が休んでいる時に働かなくて、銭を儲けられると思ったら、大間違いですぜ。

  結局、14日には決まりませんでした。 15日になって、沼津の家電量販店、ノジマへ行ったら、フジの≪FINEPIX JX550≫というのが、6980円で売っていて、ぐっと興味を惹かれました。 光学5倍ズームで、≪X70≫の24倍ズームには遠く及ばないものの、1600万画素なので、後でトリミングすれば、もっと拡大できるはず。

  撮影性能よりも、注目すべきは、重さです。 本体に、バッテリーとカードを含めて、113グラムですから、シャツの胸ポケットに入れても、下に引っ張られる重さを感じません。 コンパクト・カメラは、持ち運び方法が重大でして、ポケットにいれられるか、専用ケースを腰に吊るすか、鞄に入れなければならないかで、使い勝手が全く違って来ます。 もちろん、軽ければ軽いほど良くて、特に、胸ポケットに入る重さは、極めて貴重と言えます。

  余談ながら、「今、女性に、ミラーレス一眼が人気」などと聞くと、他人事ながら、熱が出て来ます。 愚かな者どもよ・・・。 そんな重いの、使い物にならんわ。 「高いカメラなら、いい写真が撮れるはず」という、低次元な思い込みが命取り。 あまりにも不便なので、すぐに使わなくなります。 高かったのにねえ。

  そもそも、ミラーレス一眼は、機構的には、一眼レフでも何でもなく、単なる交換レンズ式のコンパクト・デジカメに過ぎないのですが、交換レンズまで持ち運ぶとなれば、鞄に入れるか、カメラ・バッグを肩にかけるしかなく、そんな大掛かりになるのでは、写真撮影が目的の時にしか、持ち出せません。 旅行のお供なんて、とても無理無理。

  交換レンズの持ち運びを断念し、その日の撮影目的に合わせて、一本だけに絞るとしても、一番薄いレンズでも、本体に着けた状態で、専用ケースに入らんでしょう。 というか、そもそも、腰に吊る専用ケースなど、用意されていないのでは?

  大体、「一眼」という、ただの言葉に踊らされているのが情けない。 まず、意味を調べなさいよ。 一時間もあれば、理解できる事なんだから。 ミラーレス一眼が、一眼レフでない事も、一眼レフ機構自体が、デジカメでは、ほとんど意味が無い事も、すぐに分かります。

  厄介なのは、写真が巧い人でも、一眼を使っている人が多い事です。 そういう人は、一眼でなくても、いい写真を撮れるのですが、カメラ欲しい病を患っているために、新型が次々と出る一眼を買わずにはいられないのです。 そんな人達を真似ても、無意味でしょうが。 

  おっと、つい熱くなってしまいました。 話を戻します。 とりあえず、≪FINEPIX JX550 ≫を最有力候補にしておいて、他の店にも回ります。 ≪X70≫を買った、キタムラへ行きましたが、カメラ・コーナーが大幅に縮小されていて、びっくりしました。 ああ、たぶん、家電量販店や、ネット通販との価格競争に負けて、売れなくなってしまったんでしょうなあ。 カメラ専門店で買ったからといって、何か特典があるわけじゃないものねえ。

  次に、コジマへ。 ここには、キャノンの≪PowerShot A2300≫が、6980円で売っていました。 写真の写りを優先すれば、キャノンが一番だと思うのですが、キャノンの・コンパクト・デジカメは、過去に2台買って、2台とも3年くらいで壊れているので、ちと二の足を踏むところ。 ついでながら、イメージ・キャラクターが、吉高某なのも、マイナス要因。 いや、別に、私が個人的に、好きになれないというだけの話なんですが。

  で、結局、ノジマへ戻り、≪FINEPIX JX550≫を買う事にしました。 高い買い物をする時には、さんざん悩むのが私の癖なのですが、今回は、ツーリングの出発が翌日に迫っていた為、存分に悩む時間が無かったのです。 6980円のところ、ポイントを使って、6886円。 大して変わらんか。 カメラを買ったのは、2年半ぶりです。

  家に帰り、すぐに開梱。 大急ぎで、説明書を読みます。 まあ、コンパクト・デジカメの使い方なんて、似たようなものですけど。 びっくりしたのは、最小画像サイズが、2304×1728になっていた事です。 約400万画素くらいですか。 普段、≪X70≫で使っているのは、1024×768で、約80万画素なので、5倍も大きいっす。 いーや、参ったな、おい。 こういう時代か。

  どうせ、ネット上でしか使いませんから、100万画素以下で充分。 それより大きいと、データ量が多くなり過ぎて、取り込みには時間がかかるわ、保存場所は喰うわで、いい事無し。 しかし、すでに買ってしまった以上、後悔先に立ちません。 最小サイズに設定して、持って行く事にしました。

  バッテリーの充電方式は、ちょっと変わっていて、独立した充電器ではなく、バッテリーをカメラ本体に入れたまま、USBケーブルで、コンセント・プラグを大きくしたような形のアダプターと繋ぐようになっていました。 進化と言うべきか、そのつど、パソコンからUSBケーブルを外さなければいけないので、不便と言うべきか。


  まあ、カメラの件は、それで片付きました。 後は、細かいルートの書き出しです。 ポケットに入れられるように、小さなメモ用紙に、通る道路の、国道・県道番号と、曲がる交差点名、通過する市町村名などを書き込んで行きます。 ポータブル・カーナビも参考にしましたが、ナビそのものは持って行けません。 そもそも、父の物なので、水濡れや衝撃で壊したくないからです。

  書き込みながら、どこへ寄るかを決めて行ったので、かなりの泥縄式。 1号線で箱根を越え、神奈川県は、相模湾の海岸線を1号と134号で抜け、逗子からは、県道で三浦半島を横切って、横須賀の久里浜港へ。 フェリーで房総半島に渡ったら、金谷港から東京湾岸を南下し、海岸線をなぞって、洲崎灯台、野島崎灯台を見ます。

  それから、太平洋岸を北東へ上り、九十九里浜を通過。 犬吠埼を回り、鹿島灘を北上。 有名な大洗海水浴場を拝み、そこから内陸へ。 6号で東京方面へ進み、途中、県道で、霞ヶ浦を見に行き、また6号へ戻って、千葉県の柏市で、16号に乗り換えます。 16号は、東京を環状に迂回しているので、ぐるっと大回りして、神奈川へ入り、246号に乗り換えれば、後は、沼津まで、道に迷う事はありません。

  野宿ツーリングなので、眠る場所がどこになるかは、行ってみなければ分かりません。 距離を計算したわけではないのですが、過去の経験と照らし合わせて、このくらいのコースなら、遅くとも、2泊3日くらいで帰ってこれるはず。 三日かかっても、夏休みは、まだ一日残っているので、後片付けには充分です。


    さて、準備はここまで。 いよいよ、翌日には、13年ぶりの野宿ツーリングに出発します。


 ↑ フジフィルムの、≪FINEPIX JX550≫。 ごくごくありふれた、沈胴式ズームの、コンパクト・デジカメです。 外寸は、94.0×56.6×21.3ミリ。 重量は、113グラム。 突起部をなだらかに丸めてあって、角張ってないので、胸ポケットに、スルリと入って行きます。


 ↑ 充電器。 というより、充電タップ。 バッテリーをカメラに入れたまま、USBケーブルで、このタップとカメラを繋ぎ、コンセントに挿せば、充電されます。 旅先に持って行くには、この大きさは便利です。 もっとも、コンセントがある部屋に泊まる場合に限りますが。


 ↑ パッケージ。 ≪FINEPIX JX550≫は、本来、海岸向けの製品らしく、箱の外面には、日本語の表記は一切ありませんでした。 フジのサイトにも、ページがありません。 取扱説明書は日本語ですが、他の幾つかの機種と兼用でした。 独立した充電器が入っていないため、箱は小さいです。