2013/07/28

決して減らない

 参院選挙も終わった事なので、政治的な思惑から離れて、純粋に、この問題を検討する条件が整ったと判断されるわけですが、それでも尚、「石橋を叩いて帰る」的な慎重さを忘れずに、庭に掘った深い穴の中に小声で問いかけるが如く、恐る恐る申しますと・・・。

「福島第一原発って、結局、駄目なんじゃないの?」

  と、最近、つくづく思うわけです。 「駄目」の中身が問題ですが、これは、「結局、廃炉にするしかない」などという、甘っちょろい意味ではなく、

「結局、放射性物質の漏出を止められずに終わるのではないか?」

  という、絶望的な意味合いです。 この、「終わる」が、また問題ですが、「事故の処理が終わる」という意味ではなく、放射性物質を封じ込められないまま、現場の作業者全員が撤退し、半永久的に、放射性物質を放出し続ける原発の廃墟だけが残り、放射性物質が太平洋全域に拡散し、いずれは、世界中に広まって、人類も、他の動植物も、悪ければ死に絶え、良くても病的に変質し、生態系全体が破壊されるという、お先真っ暗な「終り方」です。

  ポツポツと断続的に、細々と伝わって来る情報を聞いていると、どうにも、処置がうまく進んでいるように見えません。 冷却に使った汚染水は、増える一方で、いつの間にか、福島第一の敷地内は、汚染水を溜めるタンクとプールだらけなってしまいましたし、海への流出も明らかになり、弥が上にも、不安の増大を加速させる形勢。

  奇妙奇天烈な事に、一年半も前の民主党政権時代に、時の首相によって、原発事故の≪収束宣言≫が出されていて、大方の日本国民は、その宣言が、政治的ポーズに過ぎない事を感じ取っていたにも拘らず、いい加減、大震災から続いていた非常事態の緊張感にうんざりしていたために、嘘と知りつつ受け入れて、自分を騙して安心させ、無理やり日常的生活に戻っていたわけですが、ここへ来て、さすがに、建屋が爆発するほどの重大な原発事故が、そう簡単には片付かない事を認めざるを得なくなったという次第・・・。

  冷却に使った水は、放射性物質に汚染されるので、そのまま、海へ排出する事はできません。 よって、基本的には、汚染水は、増える一方です。 増えるペースを減らすために、濾過装置に入れて、放射性物質の濃度を下げ、再使用しているわけですが、勘違いし易いので、きちんと認識しておかなければならないのは、濾過装置を使っていても、汚染水が減る事は無いという点です。 単に、増えるペースが遅くなるだけで、増え続けている事に変わりはありません。

  日々・・・いや、時々刻々、増えているからには、それをどこかに保存しなければならないわけで、敷地内にタンクを並べ、それでも足りずに、プールを掘って、露天で溜めているわけですが、考えてみれば、露天というのは、放射性物質を保存するには、随分と乱暴なやり方です。 密封できるタンクですら、放射性物質の性質から考えると、放射線が出るのを防げるわけではありません。

  汚染水は、どんどん増えるので、タンクもプールも、どんどん増える。 いずれ、福島第一の敷地内では収まりきらなくなって、周囲へ拡大せざるを得なくなると思います。 除染した避難地域への、住民の帰還について、あれこれ言われていますが、帰還どころの話ではないのであって、次のタンクをどこへ置くか、次のプールをどこへ掘るか、そちらの方が差し迫った問題でしょう。

  繰り返しますが、どんなに濾過装置を増強しようが、汚染水は、決して、減りません。 増え続ける一方なのです。 そういう仕組みなのを承知でやっているのですから。 減らないものを減らすためには、海へ流すしかありませんが、それも、一度流せば、それで終わるというものではないのであって、半永久的に流し続けるしかありません。 いいのか、そんな事しちゃって・・・。


  このところ、海への流出がニュースになっていますが、大気中にも、まだまだ、結構な量が出ているのではありますまいか。 爆発直後と、外観的に変わったところと言えば、一号機にカバーがかかった点だけですが、素朴な疑問として、あんな薄っぺらなもので、放射性物質を封じ込められるとは思えません。 そう言えば、「一回、外す」とかいうニュースも耳にしましたが、もし、カバー内に、放射性物質を封じ込めているのだとしたら、それを外してしまったら、また外に、どっと出てくるんじゃないでしょうか?

  あのカバーは、放射性物質を封じ込めるのが目的ではなく、雨水が原子炉建屋内の汚染部分に流れ込むのを防ぐためなのかもしれませんが、それなら、なぜ、2・3・4号機にはかけないのか、それがまた、不可解です。 単に、瓦礫隠しのためにかけたとか? とりあえず、1号機だけ覆って、どうなるか見てみたけれど、結果が思わしくないので、わざわざ、危険な作業をしてまで、他の3機にかける事もないと判断したのか。

  「モニタリング・ポストの値に変化は無い」という言葉には、そろそろ、耳にタコが出来つつありますが、その、モニタリング・ポストの精度や信頼性が、どの程度なのか疑わしいから、また、困るのです。 一方で、「汚染水の流出が確認された」と言い、一方で、「モニタリング・ポストの値に変化は無い」と言っていたら、そりゃ、モニタリング・ポストが壊れてる事を疑った方がいいんじゃないでしょうか。 


  汚染水が、地下を通って、海へ流れ出しているというのは、どうにも、頭の痛い事実でして、「手の打ちようが無い」というのが、現場の正直な意見ではありますまいか。 地上ですら、放射線が強過ぎて、瓦礫を片付ける事も侭ならないんですぜ。 時折、福島第一の現在の様子が、ニュース映像で出て来ますが、未だに、ごっちゃごちゃのぐっちゃぐちゃで、呆然としてしまいます。 地上があれでは、地下など、どうにもしようがありますまい。

  「地下に薬品を注入して、土を固め、汚染水が通らなくする」とか何とか言ってますが、「そんな物があるなら、最初から使え」と思う一方、落ち着いて考えると、それ自体が変な方法でして、海に流れ出さなくなれば、地上に溢れて来るしか、汚染水の行き場は無いわけですから、程なく、福島第一全体が、汚染水プールになってしまうと思うのですが、如何か?


  そういえば、事故当時の所長が、他界しましたが、そのニュースにも、ぞっとするものがありました。 脳出血で手術を受けた半年後、食道癌で亡くなったらしいですが、他の原因が重なっているとはいえ、直截の死因が、「癌」だったというのは、周囲の人間に与えた精神的ショックが、並々ならず大きかったろうと推測されるところです。 被曝の影響が無かったと信じるのは、放射線医学の専門家ならぬ身には、非常に難しい。

  ちなみに、この元所長、事故直後の処置判断が正しかったとかで、英雄扱いされていましたが、それも奇妙な話で、所長といえば、責任者なわけですから、事故を起こした施設の責任者を英雄視するのは、どう考えても、おかしいでしょう。 譬えて言えば、自ら火事を出した消防士が、懸命に消火作業に当たったからと言って、英雄扱いするのがおかしいのと同じ事です。

  元所長の評価はさておき、怖いのは、今後、現場の作業員が、癌で、次々と亡くなっていく事態が発生した場合でして、一旦、そういう流れになってしまうと、行く人間がいなくなるのは必定。 誰が、死ぬと分かっていて、ほいほい出かけていくものかね。 しかも、「自分さえ犠牲になれば、他のみんなが助かる」という、自己犠牲欲が満たされるシチュエーションならいざ知らず、何千人死のうが、何万人死のうが、放射性物質は容赦してくれないのですから、命を捨てるだけ、損というもの。

  そうなったら、強制的に人を送り込むしかありませんが、東電社員の頭数には限りがありますし、他の電力会社の社員にも限りがありますし、それらがみんな死んでしまったら、次は、誰が行くんでしょう? 先が無い年寄りから順に、義務化しますか? 冗談じゃないぜよ。 こちとら、原発なんぞ、とっくからやめればいいと思って、選挙でも、原発推進派の政党や候補には、一度も入れた事が無いのに、他人のアホの尻拭いで、被曝作業の強制かいな? まるっきり、特攻隊やんけ。


  さて、この現状を見て、青くならない人というのは、単細胞的な能天気か、判断力が無いか、あまり絶望的なので考えないようにしているかのいずれかでしょう。 このままの状態が続いた場合、先々に待っているのが、福島県の無人化に留まらず、日本列島の無人化、人類の滅亡、地球生物の滅亡だと思うと、どっと脱力して、何もやる気が起こらなくなってしまいます。

  この問題は、「反原発」とか、「脱原発」とかいう運動とは、全然、別の次元の話でして、もし万が一、今すぐ、原発全廃が決定したところで、破滅コースに変化はありません。 だって、放射性物質の漏出を止められないんですから。 「せめて、これ以上、原発を作るな」とか、「再稼動反対」とかいう次元とも違います。 他の原発がどうであるかに関係なく、福島第一だけで、充分に、破滅コースを維持できるからです。


  原子炉内部や、冷却プールから、溶けた核燃料を取り出して、汚染水を出さずに冷却できる施設に移せば、それ以上の放射性物質の放出は防げるわけですが、これがまた、前人未到の難題と来たもんだ。 チェルノブイリの事故からは、もう27年経っていますが、まだ、手付かずの状態です。 資金の問題というより、技術の問題でして、取り出すための技術が確立していないのですから、手のつけようが無い。

  ここでも、またぞろ、根拠不明の、≪日本のハイテク神話≫が出て来そうですが、駄目駄目、そんな技術、ありゃしません。 話にならんわ。 とんだ、連合艦隊だぜ。 だって、「原発は、絶対安全だから」と言って、メルト・ダウン時の対処技術なんて、何も開発して来なかったんだもの。

  基礎的な研究も無いところから始めて、実用段階の技術を確立するまで、何十年かかるやら。 いや、地震予知や、核融合炉みたいに、莫大な資金を使って、すぐにでも実現するような事を言っておきながら、その実、まるで成果が出ないというトンデモ研究もあるので、事によったら、永久に駄目かもしれません。 半導体技術のように、時間の経過に従って、着実に発展していくような分野とは、質が違うのです。

  技術が無いにも拘らず、「取り出し時期を前倒しする」などと言っていますが、実際問題、どうやるつもりなのか、皆目見当がつきません。 マスコミもマスコミで、そういう発表があったら、具体的にどうやるのか、しつこく、問い詰めればいいんですよ。 方法があれば、それに越した事は無いし、無ければ無いで、「いい加減な事を言うな!」と、怒鳴りつけてやればいいのです。

  芸能人のイベントや、スポーツ選手の成績ばかり、熱心に報じてないで、ちったあ、危機意識を逞しくして、自分達に許されている取材力・報道力を、有効に使えってうのよ。 自分自身や、自分の子孫の命に関わる問題ですぜ。 分かっとるんかいな?

  いや、事この問題に関しては、マスコミを責めるのは、筋違いか。 私が、上に書いたような情報を得られたという事は、マスコミが、積極的でないながらも、それだけの報道はして来たという事で、満更、怠慢を極めていたわけでない証拠。 なのに、なぜ、この恐るべき危機が、大騒ぎにならないのか? 笛吹けど踊らない、民衆の方に問題があるのか・・・。


  ふと思ったんですが、アメリカは、福島第一の現状を、どう見ているんでしょうか? 日本政府に任せてしまって、問題ないと思っているのか、大部分の日本国民がそうであるように、建前上、「もう、済んだ事」として、目を背けているのか。 しかし、太平洋で繋がっているわけですから、今後、汚染水を溜めきれなくなって、大規模に海に放出するなんて事になったら、対岸の火事と、おっとり構えているわけにもいかんでしょう。 津波で流された物が、あれだけ流れ着くんだから、放射性物質だって、当然、アメリカまで行くはず。

  アメリカだけではなく、環太平洋の国々は、糞マジな話、福島第一の状況を監視した方がいいと思いますぜ。 環太平洋パートナー・シップどころの話ではなく、環太平洋で、地獄へ道行きになりかねません。

2013/07/21

小松左京・文庫本リスト

  例の、小松左京・文庫本、買い揃え計画ですが、沼津、三島、長泉、函南のブックオフを回って、105円の古本を7冊手に入れた後、また、ネットの1円本を週に1冊買うパターンに戻り、進捗ペースがガクンと落ちました。

  沼津の店の内、一軒は、自転車で行ける距離にあるので、その後、もう一度、足を運んでみたのですが、たった一週間で、新しい古本(形容矛盾?)が入っている可能性は、極めて低いのであって、案の定、収穫はゼロでした。 単行本で、≪やぶれかぶれ青春記≫があったものの、550円もしたので、パス。 それに、単行本は、大きくて、置き場所に困るんですわ。

  古本屋の難点は、欲しい本があるとは限らない事と、店舗ごとに運営しているため、一度、そこで買ってしまうと、しばらくは、同じ作家の本が入らない事の二点で、どちらも、コレクションを目的に本を探している者にとっては、極めて、厄介な問題となります。

  昔ながらの古本屋はもちろんですが、システム化が進んだチェーン店であっても、店頭に置いてある古本のデータ・ベース化までは成されておらず、他の店舗にある本を調べてもらう事はできませんし、まして、取り寄せてもらう事など、到底、無理。 105円の捨て値本なら、尚の事・・・。

  最初に行ってから、一週間後、二週間後・・・、くらいまでは、見に行くのですが、新しい古本が入っている事は稀で、その内、面倒になって、諦めてしまいます。 というか、時間が経つと、蒐集熱が冷めてしまうんですな。 随分前に、横溝正史さんの文庫本を集めていて、同じような経験をした事があるので、分かる次第。

  横溝正史作品には、大人になってから嵌まったので、書店で新本を買った事が一度も無くて、全て、古本でしたが、20冊くらいはあると思われるものの、今では、ベッド下の仰向け本棚にお蔵入りしています。 コレクションが、古本だけというのは、あまり宜しくなくて、状態が悪い本の比率が高くなるので、普段目に付く場所にある本棚に並べておくと、貧相、と言うか、汚らしく見えてしまうのです。

  今現在、青年期にあり、好きな作家の文庫本を集めている方々に、老婆心の進言ですが、生涯の宝にするつもりなら、新本を定価で買っておいた方が、後々、嫌気がさす事が無くて、良いかもしれません。 もっとも、今は、文庫本と言っても、値段が高いからなあ。 新本の定価だと、最低でも、500円。 高ければ、1000円以上するのであって、私が若い頃なら、ハード・カバーの単行本が手に入った値段です。

  物価の感覚からすると、バブル後の長期デフレのおかげで、30年前も今も、さほど、変わっていないような気がするのですが、どうして、本の値段ばかりが、こんなに上がってしまったのか、不可解千万です。 相変わらず、国内工場で印刷・製本していて、人件費の高騰分を、全部、価格転嫁して来たんとちゃうか? いや、電子書籍版でも、値段は大差無いから、そういう事情でもないのか。

  今の子供の小遣いは、30年前に比べたら、ずっと上がっていると思いますが、それでも、一冊、千円もする文庫本を、ほいほい買えないでしょう。 私が青年期だった頃は、平均して、300円くらいでしたから、その差は、歴然。 私だったら、500円でも、買う気にならんなあ。 実際、新本の文庫本は、もう、20年くらい買ってませんが。

  本来、文庫本というのは、お金の乏しい青少年に、安価に本を提供し、知識・教養を身につけさせようという目的で創刊されたものだと思うのですが、こんなに高くなってしまったのでは、その趣旨から逸脱してしまっているのではないですかね?


  それらはさておき・・・。 先日、ネットで、安い古本が無いか、渉猟していたところ、些か、ギョッとするような体験をしました。 「小松左京 文庫」で検索していたら、なんと、このブログの記事が引っ掛かってしまったのです。 うーむ、ネットは、広大なようでいて、思わぬところで、狭小だな。 いきなり、「心中宵更新・・・」などと出てくると、驚くではないか。 何となく、後ろめたいではないか。

  で、ふと心配になったのが、その記事に載せていた、文庫本リストです。 あれは、あくまで、私が所有している本のリストでして、小松左京さんの文庫本に、どんなものがあるかを調べている人にとっては、不完全なばかりか、私が購入した日付のような、余計な情報まで載っていて、混乱の元になるような代物。

  まあ、ブログの記事だから、「資料性なんて、あって無いようなもの」と言ってしまえば、開き直るのはわけないこってすが、それではあまりに不親切なので、今回、改めて、小松左京さんの全文庫本リストを載せておこうかと思います。 ただし、私は全てを把握しているわけではないので、やはり、完全な資料とまでは行かないのを、予め、断っておきます。


≪新潮文庫≫
地球になった男
アダムの裔
戦争はなかった
闇の中の子供
時間エージェント
夢からの脱走
物体O
春の軍隊
おしゃべりな訪問者
はみだし生物学
空から墜ちてきた歴史


≪角川文庫≫
日本アパッチ族
ウインク
明日泥棒
見知らぬ明日
ゴエモンのニッポン日記
果しなき流れの果に
牙の時代
最後の隠密
復活の日
見えないものの影
宇宙漂流
青い宇宙の冒険
継ぐのは誰か?
エスパイ
怨霊の国
御先祖様万歳
時の顔
鏡の中の世界
神への長い道
旅する女
模型の時代
青ひげと鬼
三本腕の男
短小浦島
結晶星団
地には平和を
蟻の園
明日の明日の夢の果て
こちらニッポン…(上)
こちらニッポン…(下)
ゴルディアスの結び目
空中都市008
氷の下の暗い顔
雑学おもしろ百科 第1巻
雑学おもしろ百科 第2巻
雑学おもしろ百科 第3巻
雑学おもしろ百科 第4巻
雑学おもしろ百科 第5巻

おもろ放談―SFバカばなし
霧が晴れた時(角川ホラー文庫―自選恐怖小説集)
召集令状
日本アパッチ族 (角川文庫―リバイバルコレクションエンタテインメントベスト20)


≪ハルキ文庫≫
果しなき流れの果に
復活の日
継ぐのは誰か?
エスパイ
ゴルディアスの結び目
首都消失(上)
首都消失(下)
見知らぬ明日
こちらニッポン…
結晶星団
時の顔
物体O
日本売ります
男を探せ
さよならジュピター(上)
さよならジュピター(下)
くだんのはは
高砂幻戯
夜が明けたら
明日泥棒
ゴエモンのニッポン日記
虚無回廊Ⅰ
虚無回廊Ⅱ
題未定
ホクサイの世界 小松左京ショートショート全集1
月よ、さらば 小松左京ショートショート全集2
役に立つハエ 小松左京ショートショート全集3
ふかなさけ 小松左京ショートショート全集4
午後のブリッジ 小松左京ショートショート全集5
虚無回廊Ⅲ
日本アパッチ族


≪文春文庫≫
空飛ぶ窓
夜が明けたら
日本沈没(上)
日本沈没(下)
流れる女
題未定
虚空の足音
時空道中膝栗毛
アメリカの壁
華やかな兵器
恋愛博物館
人間博物館―「性と食」の民族学


≪集英社文庫≫

サテライト・オペレーション
夜の声
一生に一度の月
まぼろしの二十一世紀
猫の首
一宇宙人のみた太平洋戦争
コップ一杯の戦争
遷(せんと)都
ある生き物の記録
小松左京のSFセミナー
偉大なる存在
五月の晴れた日に
読む楽しみ 語る楽しみ
机上の遭遇
明烏 落語小説傑作集


≪徳間文庫≫
飢えなかった男
さよならジュピター≪上巻≫
さよならジュピター≪下巻≫
湖畔の女
ハイネックの女
大阪夢の陣
おれの死体を探せ
日本沈没≪上巻≫
日本沈没≪下巻≫
シナリオ版さよならジュピター
黄色い泉
本邦東西朝縁起覚書
あやつり心中
首都消失[上]
首都消失[下]
神への長い道
果しなき流れの果に
ゴルディアスの結び目
虚無回廊Ⅰ
虚無回廊Ⅱ


≪ハヤカワ文庫≫
エスパイ
果しなき流れの果に
御先祖様万歳
時の顔
鏡の中の世界
継ぐのは誰か?
ある生き物の記録
復活の日
蟻の園
本邦東西朝縁起覚書
神への長い道
結晶星団
五月の晴れた日に
偉大なる存在


≪ケイブンシャ文庫≫
機械の花嫁
犬の犬なら猫も猫
地球文明人へのメッセージ
題未定
夜が明けたら
こちら“アホ課”
ぬすまれた味
黄色い泉
保護鳥
おえらびください
見知らぬ明日
タイムトラベル大阪
こちらニッポン…
継ぐのは誰か?
エスパイ
明日泥棒
ゴエモンのニッポン日記
アメリカの壁
やぶれかぶれ青春記
復活の日
さよならジュピター〈上〉
さよならジュピター〈下〉
遷都
小松左京ショートショート全集①
小松左京ショートショート全集②
小松左京ショートショート全集③
時空道中膝栗毛〈前の巻〉
時空道中膝栗毛〈後の巻〉


≪小学館文庫≫
日本沈没(上)
日本沈没(下)
日本沈没第二部(上)
日本沈没第二部(下)


≪河出文庫≫
小松左京セレクション1 日本
大震災'95
小松左京セレクション2 未来


≪光文社文庫≫
日本沈没[上]
日本沈没[下]
日本アパッチ族
旅する女―女シリーズ完全版


≪講談社文庫≫
妄想ニッポン紀行: 高天原-伊勢-出雲
さらば幽霊―自選短編集
宇宙人のしゅくだい


≪講談社 学術文庫≫
絵の言葉
学問の世界―碩学に聞く


≪講談社 青い鳥文庫 ≫
宇宙人のしゅくだい
おちていた宇宙船
空中都市008
青い宇宙の冒険


≪ポプラ文庫≫
小松左京セレクション1 宇宙漂流
小松左京セレクション2 時間エージェント


≪中公文庫≫
わたしの大阪


≪旺文社文庫≫
やぶれかぶれ青春記


≪双葉文庫≫
日本沈没(上) 日本推理作家協会賞受賞作全集(27)
日本沈没(下) 日本推理作家協会賞受賞作全集(28)



  疲れた・・・。 ハルキ文庫は、角川春樹事務所のサイトで調べたので、確実。 それ以外は、手持ちの本の既刊リストと、アマゾンのデータから抜き出したものなので、これだけではないかも知れません。 一応、各文庫ごとに、発行年月順に並べましたが、それも、確実とは保証しかねます。

  ネット上に、個人の方が作った、小松左京さんの全作品リストが存在しますが、あまりにも、膨大・詳細過ぎて、その中から、文庫本のタイトルだけ選び出すのは至難の業と思い、そちらは、参照しませんでした。 作品数が多過ぎるのも、考えものですなあ。

  各出版社のサイトにも行って、一応、全部、検索をかけましたが、ネット時代の到来以前に絶版になっている本がほとんどなので、データそのものが無いのか、全く、役に立ちませんでした。 自分の所で出した本くらい、全データをネット上に出しておいても、罰は当たらないと思うんですが・・・。

  各社全般に、タイトルごと重複している本が多く見られますが、個別作品では、更に重なり捲り倒しており、これを全部、買い集めると思うと、さすがの私も、道楽気分に興醒めを感じぬでもなし。 やはり、ある程度、選別すべきなのか・・・。 作品が読めればいいと割り切るか、あくまで、完璧なコレクションを目指すか、それが問題だ。

  厄介なのは、短編集の中に、タイトルが同じ本でも、収録している作品が異なるものがある事です。 たとえば、≪時の顔≫の場合、ハルキ文庫版には、角川文庫版には入っていない、【ホムンを故郷を見よ】が含まれています。 この作品、他の文庫には、収録例が無いので、大変貴重なのですが、その事を知らなければ、手に入れられずじまいになりかねないです。

  ハヤカワ文庫は、全て、他社の本と、タイトルが重複していますが、どうも、ハヤカワの方が先に出していたようです。 SFの本舗なので、これは、ちっとも不思議ではないのですが、私個人の経験では、第二次・小松左京ブームの最盛期でも、ハヤカワ文庫の小松作品というのは、本屋で見た事がありませんでした。 出したのが早過ぎて、その頃すでに、絶版になっていたんでしょうか。

  ケイブンシャ文庫が、こんなにあったとはねえ。 他の出版社で絶版になった本を、復刻していたようですが、よほど、小松作品が好きな編集者がいたんでしょうなあ。 うむうむ、気持ちはよく分かりますよ。 そういう、趣味に走った事をしているから、倒産してしまったのかもしれませんが・・・。 いやなに、虎は死んでも皮を残す、出版社は潰れても古本を残す、あなた方のやった仕事は、決して、無駄にはなりませんぞ。

  ちなみに、文庫に拘らないのなら、 城西国際大学出版会が出している、≪小松左京全集完全版≫で、全作品を読む事ができます。 ただし、全47巻で、一冊5000円くらいするので、よほどの金持ちでなければ、とても個人では揃えられますまい。 図書館になら、置いてある所があります。 現在は、まだ、32巻までしか出ていませんが。

  ところで・・・、≪小松左京全集完全版≫で思い出しましたが、これから、小松作品を読むという場合、ショートショートや、評論、紀行文は、後回しにした方がいいです。 ショートショートは、前にも書いたように、面白くないからですが、評論や紀行文も、小説とは全く違う趣きでして、最初にあまりたくさん読むと、うんざりしてしまいます。 また、小松作品には、評論や紀行文が、半端無く多いんだわ。

  お薦めコースは、短編→長編→大長編→ショートショート→評論・紀行文でしょうか。 小松左京さんの事を、長編作家と見做している評者が多いようですが、そういう人は、≪日本沈没≫や、≪復活の日≫、≪継ぐのは誰か?≫あたりから、先に読んだんでしょう。 私は、短編集が最初だったせいか、短編が、最も優れていると思っています。

2013/07/14

生活保護

  あまりにも、ベタなテーマで、恐縮ですが・・・、今、巷で目の仇にされている、≪生活保護≫についての個人的見解を少々・・・。 この問題に関しては、バッシング派と擁護派が、パックリ分かれているようですが、私はどちらなのかというと、コウモリ派です。 ふふふ、卑怯者だと思います?。 いや、それでいいんですよ。 なぜというに、受給者、バッシング派、擁護派の三者を、等しく扱き下ろせて、頗る気分がいいからです。


  まずは、バッシング派よりの意見から、述べましょう。

  生活保護受給者の何が頭に来るといって、人間が…、いや、動物が…、いや、生物が存在する為の根本である、「生きる努力」を放棄してしまっている輩がいる事です。 この地上に暮らしている限りは、生きる為に、最低限必要なものを、確保しなければなりません。 具体的に言えば、食べる物が第一、続いて、眠る場所、衣服などが、人間に必要なものでしょう。

  これらを手に入れるために、誰も彼も、必死で働いているのであって、どんなに、のほほんと暮らしているように見えても、この点に関しては、全員が、真剣勝負をしているのです。 だから、就職は、人生の一大事で、何とか収入にありつこうと、目を血走らせて、職を探すのです。 これは言わば、石ころならぬ生物全てに課せられた、≪業≫と言っても宜しい。

  ところが、生活保護を受け始めた途端、この、根本中の根本ともいうべき責務から、あっさり解放されてしまうのです。 信じられぬ。 バクテリアですら果たしている事を、遥かに発達した生物である人間が、免除されるんですぜ。 これを特権と言うなら、あまりにも突出した特権ではありませんか。 神ならぬ人間が、こんな特別扱いを許して、いいものなのか・・・。

  この世は、生存競争なわけですが、生きる為に必要な物を、自前で調達できなくなってしまった生物は、普通、死にます。 無情に見えますが、これは、生物界全体を覆う、厳然たるルールでして、みんな、このルールに違反するのが恐ろしいばかりに、せっせと働いているのです。

  そりゃあ、遊んで暮らしが立つのなら、私なんか、元がひきこもり性質ですから、遊んで暮らしたいですよ。 だけど、そういうわけには行かないんでしょう? 働かなければ、生きていけないのですよ。 収入が途絶えて、蓄えも無くなって、飢え死にするのが怖いから、毎日毎日、嫌々ながら、仕事に出かけて行くのですよ。

  ところが、この根本的ルールに違反している人達がいる。 しかも、それを、「当然の権利」だと思っていて、悪びれもしない輩まで含まれている。 自分で収入を得る事をせず、他人の収入から納められた税金を使って生きている。 ちょっと、驚いてしまいますな。

  譬えて言うなら、信号を無視してもいい特権を持った人間がいるようなものですな。 みんな、事故を起こしたり、巻き込まれたりしたくないから、信号を守っているのに、その特権を持った人間は、信号が青でも赤でも、関係無しに渡れるのです。 羨ましいというより、「そんな事をして、交通全体の秩序が保てるのだろうか?」と心配になってしまいますな。

  もちろん、緊急車両なら、そういう特権も許されるわけですが、生活保護受給者が、緊急車両に相当する条件を満たしているのかどうか、甚だ疑問です。 緊急車両に、さほど腹が立たないのは、その優先通行が重要であるからというより、一時的であるからだと思います。 ちょっと、避けてやって、先に行かせてしまえば、すぐに、通常の交通状態に戻れるから、誰も怒らないんですな。

  しかし、生活保護は、一時的と言うには、あまりにも、期間が長い。 中には、「これから死ぬまで、ずっと受け続ける」という人もいるわけですが、税金を払っている側からすると、見ず知らずの赤の他人を、ほとんど一生、養ってやっているわけで、しかも、貰っている方は、「当然の権利だ」と思っているというのですから、業腹な気分になるなという方が、無体というもの。

  「アリとキリギリス」に譬えるのすら、ピッタリとは当て嵌まりません。 なぜなら、生活保護受給者は、キリギリスのように、音楽を奏でて、周りの人間を楽しませたりしないからです。 むしろ、その存在自体が、周囲の気分を、暗く、殺伐としたものにしています。 辛い思いをして働いている人間が、楽な思いをして働いていない人間を養うという構図が、どうにも、釈然としない。 これを理不尽と言わずして、何を理不尽というのか。

  「1%と99%の対立」に譬えるのも、的外れ。 1%の富裕層は、それなりの才覚があって、富を得ているわけですが、生活保護受給者は、むしろ、逆なのであって、儲ける才覚どころか、最低限必要なものすら手に入れられない人達です。 1%の富裕層は、残りの99%と同じルールで勝負して、勝った人達ですが、生活保護受給者は、ルール外で生きています。 1%の富裕層は、ルール上は、何の特権も持っていませんが、生活保護受給者は、ルール外にいるという、明らかな特権を持っています。


  なんでも、生活保護は、「最後のセーフティー・ネット」だそうじゃないですか。 つまり、喰えなくなって、死ぬ人間が出る前に、社会全体で助けてやろうという発想なわけですな。 進歩的知識人を気取っている連中の中に、「セーフティー・ネット、セーフティー・ネット」と、馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返す奴がいますが、もう、そのセリフは、聞き飽きつつあります。

  そもそも、自然状態なら、セーフティー・ネットなんぞ、ありゃしないわけで、喰えなくなったら、死ぬのが当然。 それが、生命35億年、一貫したルールです。 全ての生物が、それに従って来たのです。 なぜ、生活保護受給者だけが、天命に反する事ができるのか、それが、解せない。

  歴史上、自力で喰えなくなってしまった人間を、行政機関が助ける制度は、様々な国にありましたが、孤児院のように、対象が子供ならいざ知らず、すでに大人になっているのに、たつきの道を失ってしまった人間まで助けていたら、税金がいくらあってもたりますまい。

  2012年の生活保護受給者世帯は、100万を超え、総受給者数は、210万人に膨れ上がっているとの事。 この数値が、どれくらいのものか、擁護派の衆等は、よく分かっていないのではありませんかね? 都道府県の人口ランキングを見ると、210万人と言うのは、長野県215万人と、岐阜県208万人の間に位置します。 順位は、長野が16位、岐阜が17位です。

  21位の岡山県から下、つまり、全都道府県の半数以上は、200万人を割っているので、もし、210万人の県があるとした場合、上下の二区分なら、上位。 上中下の三区分でも、中の上であり、そこそこの大人口を擁していると言えるでしょう。

  で、それだけの規模の県が、まるまる、そっくり、一人の例外も無く、他都道府県の人間が納めた税金で、養われているわけだ。 「おいおい、大丈夫かよ、日本・・・」と、思わなかったら、あんさん、一回、病院行った方がええで。 ≪秘密のケンミンSHOW≫で、こんな県が出て来たら、笑っていられるのは、最初の一分くらいで、後は、心の奥底から湧き起こる怒りを抑えるのに苦労する事になるでしょう。


  生活保護は、憲法第25条の、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という規定に基づいて、法律が作られており、生活保護擁護派は、必ず、これを持ち出しますが、これにも、いろいろと、ツッコミどころがあります。

  まず、確認しておかなければならないのは、憲法で定められているからと言って、全てをそのまま実行できるわけではないという事です。 それを言い出したら、9条なんて、作られた時の理念が全く無視されているわけですが、9条が解釈次第で無視できるなら、25条も、解釈し直せない事はありますまい。

  「憲法で定められているから」というのが、擁護派の主張の拠り所だとすれば、「憲法がおかしいのではないか」と、まず、そこから検討し直してみる事を勧めます。 そもそも、この25条、言っている事が理想的過ぎて、単に、理念を表わしているだけのように感じられるのですが、どんなもんでしょ?

  「健康で」って、体のどこかが悪い人は、ほぼ全国民が該当すると思いますが、それを国がどうにかしてくれるなんて話は、聞いた事もありません。 医療機関にかかって直すにしても、お金は、健康保険と自腹であり、生活保護のように、「貰いっぱ」で受給するわけではありません。

  「文化的な」って、文化的でない人間なんて、いくらでもおるでよー。 動物的本能に任せて生きている人間は、どうなるねん? 別に、どんな生き方をしようが、罪を犯さなければ、それは、個人の勝手でしょうが。 憲法が口を出すような事かいな。

  「最低限の」って、ここですよ、ここ! 生活保護の問題で、重大な焦点になるのが。 生活保護受給者の生活が、最低限とは言えないから、自力で最低限の生活をしている人達が、ブチ切れてしまうのです。 当たり前でしょうが。 必死で働いて、誰にも迷惑かけずに、一社会人として義務を果てしているのに、その一方で、他人の金で喰っている連中が、自分達より、ゆとりがある生活をしていたら、怒って当然です。

  生活保護擁護派の中に、こういう見方を、「貧乏人のひがみ」として、斬って捨てている輩がいますが、そういう奴らこそ、生活が苦しい人間の気持ちが全く分かっていないのであって、馬鹿丸出しとしか言えません。 大方、自分は、いい勤め先に就職し、そこそこの高給を取って、生活に困った事など無いものだから、ギリギリの生活をしている人間の事を、軽蔑しきっているのでしょう。

  ギリギリの生活であっても、自力で生きている人間を小馬鹿にして、自力で生きていけなくなってしまった生活保護受給者の方を擁護しているのですから、この連中の感覚には、首を傾げざるを得ません。 何とか、辻褄が合う推量をするとすれば、腹の底では、「貧乏人なんぞ、死ねばいい」と思っているのに、進歩的知識人を気取って、「弱者の味方」を演じているだけなのでしょう。 うーむ、心底、鼻持ちならない。

  いるんだわ、こういう救いようのない馬鹿が。 ある意味、生活保護受給者本人よりも、その擁護派の方が、始末が悪い。 そんなに救いたいなら、税金ではなく、あんたら擁護派が出し合って、義捐金でやってくれ。 他の貧乏人から吸い上げた金で、「セーフティー・ネット」を運営するのは、やめてくれ。 な。

  あんたら、高給取りには、ピンと来ないだろうが、貧乏人にとっては、ほんのちょっと、税負担が軽くなるだけでも、生活のゆとり度が、全く違ってくるんだよ。 生活保護受給者に与えられる分の税負担が無くなれば、生活保護受給者より、多少なりとも豊かな生活ができる人間が増えるくらいにな。

  あんたらが、生活保護を擁護すればするほど、ギリギリで自力生活している人間は苦しくなるというわけだ。 一体、あんたらは、何の為に、大仰な論陣を張っているんだ? 人を助ける為か? それとも、人を苦しめる為か?

  ギリギリの生活であっても、自力で生きている人と、生活保護に頼っている人とでは、天地の差があります。 前者は、35億年の生物のルールに、何の恥じるところも無く従っていますが、後者は、そうではありません。 自然状態なら、死んでいる人間です。 なんで、死んでいるはずの人間が、大手を振るって生きてるのよ? 素朴な疑問が湧かんかね?


  生活保護の何が問題だといって、それを許容すると、生きる事を軽く考えてしまう傾向が出てくる事ですな。 本来…、というか、実際に、生きる事は、大変、厳しい事なのですが、それを忘れてしまう。 一旦、職を失ったら、野垂れ死にや、アパートで独居餓死なんて、すぐそこです。 それが恐ろしいから、必死で働くのです。

  就活が思わしくなくて、青い顔をしている学生達も、生活保護受給者には、複雑な思いがあるでしょうなあ。 就職しなければ、人生が前に進まない事は分かっている。 ところが、その一方で、働いていないのに、国から金を貰って、生活している人間が、210万人もいる。 それで暮らせるなら、こんなに苦労して、企業を巡り、人事担当のボケジジイどもに、作り笑いで愛想を振りまかなくてもいいではないか、と・・・。

  「喰っていけないから、わざと罪を犯し、刑務所で衣食住を確保する」というのは、古今東西、よくある話ですが、ギリギリで自力生活している者の目から見ると、生活保護受給者は、この種の犯罪者より、尚、図々しく感じられます。 刑務所で暮らすのは、罪の軽重に関係なく、後ろ暗い事ですが、生活保護を受けるのは、当然の権利だとされており、法律上は、恥じる事が全く無いからです。

  生活保護の問題が、注目されればされるほど、それを「恥」と思う感覚が鈍くなり、受給申請者が増える可能性が高い。 擁護派が、「当然の権利」と言えば言うほど、受給者が増える。 そりゃそうだわな。 恥でもなく、当然の権利なら、体や頭を酷使して働くよりも、家に籠って、生活保護で暮らしていた方が、断然、健康的です。 私も、そうしたいです。 是非。


  個別の事例ですが、以前、ニュースで見た、「生活保護受給者の優雅な生活」には、開いた口が塞がりませんでした。 どこかの爺さんでしたが、映画鑑賞が趣味で、アパートの部屋に、壁一面の本棚があり、そこに、映画のDVDが、ズラリと並んでいるのです。 生活保護費の一部で買ったのだと思われますが、たぶん、当人は、「節約して、捻出したお金だから、問題無い」と思っているのでしょう。

  だけどねえ・・・。 私も、映画は結構好きだけど、DVDなんて、高くて、とても買えませんよ。 一応、大企業の部類に入る所に勤めているけど、今までに買った映画のDVDと言ったら、≪スウィング・ガールズ≫の一本きりです。 「映画を見るくらい、いいじゃないか」の一言で、DVDの大コレクションを正当化するのは、相当な無理があるでしょう。 テレビで、只で、見る事もできるのですから。

  自力で生活している人間ですら、浪費を恐れて、控えている事を、なぜ、生活保護受給者が、平気でやっているのか。 たぶん、貰ったお金だから、そのありがたさが分からなくなってしまっているのでしょう。 もし、自力でギリギリの生活をしていたら、DVDを買おうなどとは、思いつきもしないはずです。

  パチンコ・競馬など、ギャンブルに使っているのは、もはや、論外ですな。 また、馬鹿な、自称、進歩的知識人どもが、「とはいっても、パチンコや競馬をやる事は、違法ではないですよね」などと、馬鹿丸出しの擁護をしているわけですが、話にならん。 生活保護を受けている人間が、ギャンブルで浪費しているのが、違法でなかったら、それは、法律の方がおかしいんだよ。 何なんだ? よりよい社会にしたいのか、それとも、現状で違法でなかったら、何でもオッケーなのか、どっちなんだ?

  もう一つ、生活保護受給者によくある言い草で、呆れる奴を一席。

「私は、○○の事情で、生活に困り、○年○月から○年○月まで、生活保護を受給していました。 しかし、そうやって育てた子供達は、今では立派に就職して、税金を納めています」

  ふふふ、凄いでしょ。 生活保護を受けていた事の後ろめたさを逆転させて、自慢してるんですよ。 ふざけんなよ。 税金を納めるのは、当たり前だよ。 そんな事が自慢になるか! 生活保護を受けていない人間は、あんたが、税金を納めずに、逆に、税金から生活保護を受けていた間も、税金を納めていたし、今も納め続けているんだよ。

  こういう、とてつもない勘違いを起こしている人間には、生活保護で受給した金額を、後から、返納してもらってはどうでしょう。 そーんな、自慢するほどの子供がいるなら、返せるでしょう。 いいや、返してもらえば、他の納税者も、文句は言いませんよ。 自慢するなら、貸し借りをチャラにしてからにして下さい。

  いっそ、生活保護という制度はやめて、生活費貸与制度に切り替えたらどうでしょう? 返す事が前提なら、緊張感が生まれて、遊興に浪費するような事もありますまい。 返せない場合は返せないで、仕方がないわけですが、最初から、そう言ってしまうと、べったり頼られてしまうので、あくまで、「返せるようになったら、返してもらいます」という建て前を堅持しておくのです。

  不正受給はもちろんの事、遊興に使っている人間を選別し、受給資格を停止すれば、バッシングは、かなり、トーン・ダウンすると思いますが、果たして、役所にそんな調査ができるのかどうか、大いに疑問です。 定職が無い人間の生活は、ころころ変わるのであって、とても、一人一人のリアル・タイムの状況を、全ては把握しきれますまい。 それでなくても、当今、役所は人手不足で、殺人的労働環境になっていると言うのに。


  さて、バッシング派の意見はこのくらいにして、擁護派の意見に移りましょうか。 なに、すぐに終わります。

  私は、生活保護制度の廃止には、賛成しません。 なぜなら、もしかしたら、将来的に、自分が受給者になる危険性があり、その時、この制度がないと、死ぬ事になるからです。 野垂れ死にや独居餓死に、一抹のロマンを感じないでもないですが、それはあくまで、想像の中の話。 腹が減って、喰う物がない時の辛さも知っているので、縋る物があるのなら、確保しておきたいと思うわけです。

  気勢を上げているバッシング派の諸氏よ。 明日はどんな風が吹くか分からないから、あまり、過激な攻撃はせん方がいいぞ。 今、職があって、収入が安定していても、いつまでも、その生活が続く保証はありません。 「もし、自分が喰い詰めてしまったら・・・」というシミュレーションは、しておくに越した事は無いです。

  会社なんて、景気の動向次第で、いつ潰れるか分かりませんし、たとえ、会社がしっかりしていても、ちょっと、上司と言い合いになって、左遷された挙句、頭に来て退職とか、同期や後輩に出世競争で負けて、頭に来て退職とか、そんな事例は、枚挙に暇がありません。 一番馬鹿っぽいのは、ネットで、反社会的な言論を弄び、大ごとになって、退職に追い込まれるケースですが、こういうのは、まあ、生きていても有害なだけだから、生活保護を断固拒否して、死んでくれても、問題ないか。

  生活保護受給者の遊興実態を密告させる条例を作った自治体があり、それ自体も、かなり怖い発想ですが、密告された内容が、また、えらいいい加減で、生活保護を受けていない人を、勝手に受給者だと思い込んで、「ギャンブルに通ってる」と通報して来たケースが、相当な数に上ったとか。 まったく、他人の目というのは、恐ろしいものですな。 おちおち、高い物も買えません。

  これだけ、コミュニケーションが希薄になった時代でも、まだ、近所の人間の行動を監視している、「国防婦人会」みたいな、キチガイどもが、うじゃうじゃいるわけだ。 嫌な世の中だねえ。 こういうケースでは、誣告罪で、訴え返せないものでしょうか。


  生活保護制度の今後ですが、バッシングを封じ込めつつ、この制度を維持するには、保険方式に改変した方がいいかもしれませんな。 税金で養ってやっていると思うから、頭に来るのであって、健康保険や雇用保険、介護保険のように、財源を別に用意すれば、さほど、腹も立ちますまい。 「払い込んでいたのだから、貰うのは、当然の権利」というのなら、筋が通っているわけだ。 まあ、いずれにせよ、いつかは、破綻すると思いますが。

  考えてみると、日本国の財政は、半分が借金なのに、210万人も、只で養ってやっているわけで、こりゃ、恐ろしいこってすな。 一般家庭に譬えたら、多重債務で首が回らない家で、居候を喰わしてやっているようなものですが、常識的に考えたら、破滅へ向かって爆走している感じはしますねえ。

2013/07/07

小松左京文庫

  小松左京さんの文庫本買い揃え計画ですが、ネットで2冊買った後、古本屋に行ったら、持っていない本を7冊発見しました。 いずれも、105円だったので、即買い。 その内、4冊は、他の出版社から刊行された物を持っていたのですが、安かったので、とりあえず、買っておきました。

  状態は、いずれも、ネットで買った2冊より、ずっと上です。 これは、どうした事か? ネット買いは、欲しい本がピン・ポイントで手に入る点で優れていますが、本自体の値段は1円なので、状態が悪くなるのは、致し方ないんでしょうか。 前回も書きましたが、たぶん、ネットの1円本レベルの本が、古本屋に持ち込まれた場合、買い取り拒否されているものと思われます。

  これは、ネットでの購入を進める前に、行ける範囲の古本屋を、片っ端から覗いてみる必要がありますな。 わざわざ、2倍以上のお金を出して、より状態の悪い本を買うのも、馬鹿な話ですけんのう。


  現時点で、持っている本は、以下の通り。

≪新潮文庫≫
地球になった男 (中)
アダムの裔
戦争はなかった
闇の中の子供
時間エージェント (ネ 13.06.23)
夢からの脱走 (中)
物体O  (中)
春の軍隊
おしゃべりな訪問者
はみだし生物学
空から墜ちてきた歴史


≪角川文庫≫
ウインク
果しなき流れの果に (古 06.08.13)
牙の時代
最後の隠密
復活の日 (古 06.08.13)
怨霊の国
時の顔
鏡の中の世界
神への長い道
旅する女
三本腕の男 (古 11.04.13)
結晶星団
明日の明日の夢の果て (古 11.04.13)
ゴルディアスの結び目
氷の下の暗い顔


≪ハルキ文庫≫
エスパイ (古 11.04.13)


  ≪文春文庫≫
夜が明けたら
日本沈没(上)
日本沈没(下)
流れる女 (古 13.06.29)
題未定
虚空の足音
アメリカの壁
華やかな兵器


≪集英社文庫≫
サテライト・オペレーション (古 07.03.04)
夜の声
一生に一度の月 (古 13.06.29)
猫の首
一宇宙人のみた太平洋戦争 (ネ 13.06.27)
遷(せんと)都
偉大なる存在
五月の晴れた日に


≪徳間文庫≫
飢えなかった男
さよならジュピター≪上巻≫
さよならジュピター≪下巻≫
シナリオ版さよならジュピター
ハイネックの女  (古 13.07.06)
本邦東西朝縁起覚書
首都消失[上] (古 13.07.06)
首都消失[下] (古 13.06.29)


≪ケイブンシャ文庫≫
機械の花嫁


≪小学館文庫≫
日本沈没(上) (古 13.06.29)
日本沈没(下) (古 13.06.29)


  全部で、54冊ですな。 後ろの( )内に、「中」とあるは、中学生の頃に買った三冊。 「古」は、割と最近になってから、古本屋で買ったもので、後ろの数字は、買った年月日。 「ネ」は、ネット通販で買ったもの。 何も書いていないのは、高校から、20歳前後にかけて、本屋で普通に買ったもの。

  小松さんの作品は、あちこちの出版社から、ダブって出されており、コレクションするとなると、無駄が多くなるのは、痛いところ。 それでも、長編は、まだ分かり易い方でして、短編やショートショートに至っては、表題作が違っているだけで、いくつもの本に重録されている作品が、うじゃうじゃある始末・・・。


  ≪新潮文庫≫は、前回書いたように、もう全て揃えました。 新潮の収録作品は、第二次世界大戦に関するものや、日常の異変を題材にしたものが多いです。 中学の時に買った三冊は、印象が強過ぎるのか、あまり読み返す事がありませんが、個別作品ごとに見ると、【紙か髪か】、【痩せがまんの系譜】、【フラフラ国始末記】、【物体O】などは、珠玉の名編ですな。

  ≪アダムの裔≫や、≪戦争はなかった≫、≪闇の中の子供≫は、本を丸ごと何度も読み返しました。 個別作品では、【人類裁判】、【アダムの裔】、【生きている穴】、【木静かならんと欲すれど】、【くだんのはは】、【第二日本国誕生】、【養子大作戦】、【長生きの秘訣】、【闇の中の子供】などが、素晴らしい。 ≪春の軍隊≫に入っている、【藪の花】もいいです。


  ≪角川文庫≫は、一番数が多くて、私が持っているのは、たぶん、半分くらいでしょう。 第二次・小松左京ブームの頃は、本屋に行くと、角川文庫のコーナーに、緑色の背表紙がズラリと並んでいて壮観でしたが、数が多いだけに、貧乏な私には、「全部買う」という発想が出て来なかったんですな。

  角川の収録作品は、≪日本アパッチ族≫、≪果しなき流れの果に≫や、≪継ぐのは誰か?≫、≪復活の日≫など、初期・前期の代表的長編が含まれており、短編集の方では、宇宙物やハードSFが多いです。 ≪ゴルディアスの結び目≫は、誰もが認める、小松作品の最高峰。 ちなみに、≪日本アパッチ族≫は、今では、ネット上でも手に入りませんが、第二次・小松左京ブームの当時も、本屋で目にした記憶がありません。


  ≪ハルキ文庫≫は、角川春樹事務所が出している文庫ですが、角川文庫の復刻版が中心になっています。 まだ、新しい文庫なので、本の状態がいいのは宜しいんですが、元の値段が、800円くらいするものばかりなので、古本になっても、500円前後にしか安くならず、揃えるべきか悩むところ。 ≪日本アパッチ族≫や、≪虚無回廊≫など、ハルキ文庫でしか手に入らないものだけ、先に買っておいて、後は追い追い集める事にしようかと思っています。


  ≪文春文庫≫は、あと三冊で全部揃いますが、ネットで探さなければ、これ以上は、手に入らないと思います。 先日、≪流れる女≫を古本屋で見つけられたのは、僥倖に近い出来事。 文春の本は、新潮の本と並んで、今までに、最もよく読み返しました。 とりわけ、大杉探偵シリーズの【長い部屋】と、【幽霊屋敷】は好きでねえ。 何回読んだか分かりません。

  【お糸】、【虚空の足音】、【アメリカの壁】、【眠りと旅と夢】、【とりなおし】、【華やかな兵器】なども、実に素晴らしい。 珠玉ですなあ。 これだけ多様な作品を、一人の人間が書いたというのが、すでに、奇跡と言えます。


  ≪集英社文庫≫は、まだ3分の2くらい。 この出版社の担当者は、どうやら、落穂拾いに徹したようで、他の社が収録しなかった、初期のショートショートなどを丹念に集めています。 コレクターの立場から見ると、最もありがたい仕事をしてくれたわけですが、前回書いたように、小松さんのショートショートは、あまり面白くないので、本を手に取る機会が少なくなるのは、致し方ないところ。

  ≪遷(せんと)都≫は、異色作で、平安時代以前が舞台になった三作が収められていますが、どれも、面白いです。 短編の【袋小路】、【偉大なる存在】、【比丘尼の死】、【五月の晴れた日に】なども、宜しいです。 【宗国屋敷】は、とりわけ、良い。 この作品は、思春期の男なら、誰でも、どっぷり嵌まるのでは?


  ≪徳間文庫≫は、半分くらい。 この社は、第二次・小松左京ブームが始まってから、参入して来たところで、映画の方に出資していた関係で、≪さよならジュピター≫や≪首都消失≫など、長編の割と新しい作品が入っている一方、後発の弱味で、短編集は、他社の文庫に既収のものを再編成したものが多いです。


  ≪ケイブンシャ文庫≫は、昔、たまたま本屋で見つけた、≪機械の花嫁≫一冊だけしか持っていないのですが、調べてみると、20冊くらい存在するらしく、「おっ」とビックリですな。 しかし、他社とダブっているものが多く、これも、全部揃えるべきかどうか、悩むところ。


  ≪小学館文庫≫は、今回、初めて、小松作品がある事を知りました。 ただ、≪日本沈没≫の上下と、≪日本沈没 第二部≫の上下だけのようなので、これ以上、買う必要はありますまい。


  この他に、徳間書店の新書サイズのペーパー・バック、トクマノベルズ版で、≪首都消失≫の上下巻を持っていますが、これは、1985年に発行された直後、文庫になるのを待ちきれなくて、初刷を買ったもの。

  小松左京さんの代表的長編、≪日本沈没≫や、≪日本アパッチ族≫などは、最初の単行本がハード・カバーではなく、新書サイズのペーパー・バックで出て、価格が安い事も手伝って、大量に売れたのですが、≪首都消失≫に関しては、そんなに売れたという話は聞きませんでした。

  ぶっちゃけてしまうと、内容があまり面白くないのですよ。 短編、≪物体O≫のアイデアを増幅して、長編に仕立てたものですが、統治機構の再構築の様子よりも、外交戦の方に多くのページが割かれていて、SFというより、スパイ小説のようになってしまっているのです。 特に、後半にクライマックスらしい盛り上がりが欠けていて、尻窄みな話になってしまっているのが、最大の難点。

  前回も書きましたが、この話を映画にしようと思いついた人達の気が知れません。 小松さんのネーム・バリューに頼るばかりで、映画には、どんな要素が必要かが、まるっきり分かっていないんですな。 むしろ、≪物体O≫を、そのまんま、映画化した方が、小気味良い作品になったと思います。


  ちなみに、2006年の≪日本沈没 第二部≫は、ハード・カバーで出版され、本屋に平積みされていましたが、もっと売れませんでした。 そもそも、小松さんは名前を貸しているだけで、実際の執筆は別人であり、内容も、仮想戦記物のしょーもなさ丸出しで、とても、「正式の続編」と言えるような代物ではなかったのです。 その上、値段は高い、大きくて、場所を取るとなっては、売れようがありますまい。

  この作品は、映画≪日本沈没≫のリメイク版の公開に合わせ、第三次・小松左京ブームを狙って、出されたものですが、全く無力、というか、逆に、古い小松左京ファンを白けさせ、落胆させる効果しか及ぼしませんでした。 詳しくは、このブログの≪小松作品に非ず≫を参照の事。 私は、この作品を、小松作品と認めていないので、文庫買い揃え計画でも、買うつもりはありません。


  こう並べて来ると、コレクション趣味がない方々は、「そんなに買い揃えて、どないすんねん?」と思うかも知れませんが、この計画は、単なる蒐集欲求から出たものではなく、深謀遠慮が動機に加わっています。

  まだ先の話ですが、両親が二人とも死ぬか、一人が死んで、兄夫婦が家に戻って来て、私が家を出ざるを得なくなるかして、独り暮らしをするようになったら、仕事を辞めるつもりでいます。 最遅でも、定年になったら、延長なんかせず、働くのは辞めます。

  そうなったら、毎日、読書、食料の買い出し、ポタリングなどで過ごす事になるわけですが、体がいつまで動くか分からないので、図書館に通うのが難しくなる危険性がある。 そこで、いつでも読める手持ちの本を、少し増やしておこうかな、と考えているのです。

  なぜ、小松左京さんのなのかというと、やはり、青年期に耽溺した本というのは、その後の精神構造の形成に大きな影響を与えるのであって、私の世代の場合、小松左京さんや筒井康隆さんを除いては、読書の楽しみは考えられのですわ。 他の作家の、新しい本や、より古い本も、読めば、もちろん、読めますが、なかなか、惑溺というところまでは行きません。

   小松さんを揃え終わったら、筒井さんの文庫も揃える予定。 もっとも、そちらは、数がずっと多そうですが・・・。 今思うと、このお二方がいた事は、世代的に、大変な幸運でした。 私より、歳が上過ぎても、SFに馴染めずに駄目。 SFが衰退した後に、青年期を迎えた人達も、やはり駄目。 ほんとに、ちょうどよい頃合いに生まれ合わせたというわけ。