2015/05/31

映画批評(18)

  今週は、疲れる用事が出来てしまい、記事を書く時間と体力がないので、映画評を出します。 用事というのは、庭の松の手入れでして、松の木は、この時期に、「緑摘み」という作業をするのですが、去年までは父がやっていたのが、今年は、体力が衰えて、脚立を使えなくなってしまったというので、私が代わりにやる事になった次第。

  こんな時には、元植木屋見習いの経歴が恨めしい。 暑いわ、疲れるわ、危ないわ、腰が痛くなるわで、いい事なし。 別に、私がやりたくてやるわけではないのですがね。 庭仕事に関する詳細は、また、改めて書きます。 




≪アイ・アム・キューブリック!≫ 2005年 イギリス・フランス
  ジョン・マルコヴィッチさん主演。 製作総指揮に、リュック・ベッソンさんが噛んでいるようですが、それらしさはありません。 映画監督、スタンリー・キューブリックの名を騙り、寸借詐欺を繰り返していた実在の人物の、大胆不敵な犯行の経緯を描いた話。

  主人公は、ゲイでして、喋り方も、服装も、とても、映画監督には見えないのですが、目をつけられた者は、みんな、有名監督に取り入って、成功のチャンスを掴もうと願っているために、いとも容易に騙されてしまいます。 人間というのは、弱いものなんですねえ。

  ただ、映画が面白いかというと、そんな事はちっともないのでして、主人公に共感するのが、ほぼ不可能なため、不愉快さばかりが増幅して行きます。 ラストも、すっきりした解決には程遠く、劇場へ見に行った観客の、フラストレーションの溜まった顔が、目に浮かぶようです。



≪ナイロビの蜂≫ 2005年 イギリス
  イギリス映画らしいっつやー、らしいですなあ。 庭弄りにしか興味がなかった、ケニア駐在のイギリス外交官が、貧困救済活動をしていた妻が事故死したのをきっかけに、現地の貧困層を食い物にしている製薬会社の不正を追求し始める話。

  ヨーロッパ系の製薬会社を悪役にするのはいいとして、なんで、ケニアを舞台にしなければならないのか、そこが、納得行きません。 ここにも、「豊かな白人、惨めな黒人」という、欧米人特有の差別意識を見て取る事ができます。 「憐れむ」という発想そのものが、すでに差別なのだという事に気づいていないのです。

  企画の時点で、問題外なので、迷わず、0点。



≪パーマネント野ばら≫ 2010年 日本
  この映画、妙に気に入ってしまって、忙しいというのに、三回も見直しました。 菅野美穂さん主演。 小池栄子さん、江口洋介さんら、助演。

  離婚後、幼い娘を連れて、母親が営む漁師町のパーマ店に戻って来た女が、地元で暮らす幼馴染み二人や、店に屯ろする近所のオバちゃん達など、揃いも揃って、男運のない女達が繰り広げる、しょーもない事件に呆れながら暮らしているものの、実は自分が最も重傷・・・、という話。

  終わりの方に、≪今度は愛妻家≫と同類の仕掛けが施されていて、やはり、はっとさせられますが、ちょっと変な感じも受けます。 同じ仕掛けでも、この作品では、全体のストーリーと関連しておらず、仕掛けがなくても、話が成立するので、「わざわざ、妄想場面を入れてまで、この仕掛けに拘る必要はなかったのでは?」と思えてしまうのです。

  コメディーというほど、楽しい雰囲気ではなく、言わば、悲喜劇。 上記の仕掛けの部分を除けば、カラっとしていて、過度に感情移入せずに、登場人物達の惨めで滑稽な運命を、突き放して、笑う事ができます。

  菅野美穂さんと小池栄子さんの魅力が際立ってますなあ。 もう一人の幼馴染を演ずる池脇千鶴さんは、ちと、肥え過ぎか。 菅野さんは、代表作にしてもいいほど、よく、嵌まっています。 もし、この人の若い頃の姿を映像に残したくて、この映画が企画されたのだとしたら、大成功しています。

  夜のトンネルで、江口さんの姿が一度消えて、もう一度浮かび上がる場面や、ラストの波打ち際の場面は、世界中の映画を探しても、そうそうお目にかかれない、逸品中の逸品映像です。



≪カールじいさんの空飛ぶ家≫ 2009年 アメリカ
  ディズニー・ピクサーの、CGアニメ。 公開前のCMが、まだ記憶に新しい作品。 四年も立っているような気がしませんなあ。 つくづく、映画館へ行く甲斐のない、時の流れの速さである事よ。

  冒険ごっこ仲間だった幼馴染みと結婚し、冒険とは無縁の生活に追われる内に、妻に先立たれてしまったおじいさんが、妻との昔の約束を果たそうと、家に大量の風船をつけて空に舞い上がり、南米にあるパラダイスの滝へ向かうものの、密林の中で道連れになった珍種の鳥を、かつて憧れていた有名な冒険家の手から守る羽目になってしまい、同行していた少年と共に、奮闘する話。

  梗概が長くなったのが何よりの証拠ですが、かなり、複雑なストーリーです。 幼馴染みの妻との、数十年に及ぶ結婚生活が、冒頭の10分くらいで、ダイジェストで語られるのですが、その部分だけで、満腹しかけてしまいます。 アメリカから南米に行くまでが短か過ぎで、一嵐喰らっただけで、あっさり着いてしまうのですが、これは、飛行中のエピソードを思いつかなかったからでしょう。

  滝が見える所に着いてから、滝に向かうまでが長く、実質的なストーリーは、そこから始まるようで、作り手は、冒険の様子を描きたかったんでしょうな。 有名冒険家の飛行船に招かれた後がクライマックスになりますが、そこにも、結構な時間が割かれています。 タイトルに、≪空飛ぶ家≫という文句が入っている割には、家の果たしている役割が少ないので、アンバランスな感じを受けます。

  しかし、欠点よりも、いい所の方が多くて、見終わった後に、悪い印象は、ほとんど残りません。 同行する少年のキャラもいいですし、翻訳機を着けられて、人間の言葉を喋る犬達も面白いです。 言葉は喋っても、本性は犬のままなところが、殊の外、笑えます。 有名冒険家の最期だけが、ちと、気の毒。 「もう、そんな時代じゃないですよ」と、やんわり説得してみるべきだったのではありますまいか。



≪百万長者の初恋≫ 2006年 韓国
  去年の10月に、映画中毒になってからこっち、韓国映画は、これが初めてです。 韓ドラは、無数に放送しているのに、映画は、なぜ少ないんでしょう?

  大富豪の孫が、遺産相続の条件として、田舎の高校へ転校し、卒業する事を命じられ、渋々従うものの、農作業や演劇活動に反発して、学級委員の女子生徒と衝突する内、心臓が悪い彼女に恋をしてしまい、彼女の家である孤児の養護施設を閉鎖から守ろうとする話。

  遺産相続の前に、無理やり再教育を施されるというパターンは、韓国映画では、よく見られますし、孤児施設を守るというパターンは、アメリカ映画にもあるベタなモチーフです。 この映画では、それらに加えて、難病物まで織り込んでおり、相当、欲張った話。

  欲張って、いい結果になる事は、まずありませんが、この映画の場合、主演のヒョンビンさんのアイドル映画としての性格が強いため、あまり、違和感がありません。 まあ、アイドル映画でなくても、恋愛物は、ちっとやそっとのわざとらしさは、大目に見られる傾向がありますからのう。

  ヒロインのヨンヒさんは、落ち着いた顔立ちの美少女。 健康的にふっくらした頬を見ていると、とても死にそうにありませんが、これまた、難病物のヒロインには、よくある事です。 ≪世界の中心で愛をさけぶ≫の長澤まさみさんも、およそ死にそうにない顔をしてましたからねえ。 撮影前に、一週間くらい、絶食してもらえば、程よくやつれると思うのですがね。



≪ドリーム・キャッチャー≫ 2003年 アメリカ
  スティーブン・キングさんの原作。 ・・・といえば、不思議で、不気味で、怖い話と相場が決まってますが、これも、例外ではありません。 題名から感じるイメージとは、まるで違う内容なので、要注意。 不用意に見ると、吐きます。

  子供の頃、ある少年をいじめから助けてやった事で、テレパシーや物探しなど、特殊な能力を分け与えられた、正義感の強い四人組が、大人になってから、森の中で、異星人の襲撃に遭い、能力を使って、異星人の親玉と戦う話。

  何でもアリでぶち込んだ、無茶苦茶な設定ですが、それが分かっていても、充分怖いから、スティーブン・キング作品の実力は侮れません。 異星人の特徴は、≪エイリアン≫のパクリ。 しかし、この映画は、SFという感じはせず、やはり、ホラーに分類すべきでしょうなあ。

  モーガン・フリーマンさんが、軍の異星人狩り専門部隊の指揮官として出ていますが、単に悪役なだけでなく、大した役割を担っていない点でも、意外な配役。 どうして、フリーマンさんに頼んだのか、フリーマンさんも、なぜ引き受けたのか、皆目解せません。



≪ザ・ライト エクソシストの真実≫ 2011年 アメリカ
  アンソニー・ホプキンスさんが出ていますが、主演ではなく、助演です。 主演は、若い俳優さんですが、名前を聞いた事がない人。

  アメリカで、葬儀屋の息子として生まれ、神学校を卒業した青年が、神を信じられずに、神父になる事を拒否しようとしたところ、教師から、バチカンの悪魔祓い講座を受けるように薦められ、更に、エクソシストの下で研修する事になり、実地に悪魔払いを体験する話。

  実話が元だそうですが、そのせいか、盛り上がりに欠け、お世辞にも面白いとは言えません。 今や、古典となっている、≪エクソシスト≫も、そんなに面白い話ではありませんでしたが、こちらは、もっと、地味です。 アンソニー・ホプキンスさんに期待して、一級のホラーのつもりで見ていると、肩透かしを喰らいます。

  悪魔の存在を認めてしまっている映画なわけですが、それの元が実話というのは、つまり、もろに科学否定なわけで、「おいおい、マジで、そう思ってんの?」と、キリスト教徒でない者でも、不安になって来ます。 「精神病ではないから、悪魔の仕業としか考えられない」と決めてしまう前に、トリックを疑った方がいいと思うんですが。



≪アルティメット≫ 2004年 フランス
  リュック・ベッソンさんの、製作・脚本作。 原題の直訳は、≪郊外13≫で、これは、映画の舞台になっている、近未来のパリの架空の地区の名前です。

  輸送中に強奪され、麻薬と暴力の横行で、無法地帯と化している≪郊外13地区≫へ運び込まれた中性子爆弾の起爆装置を解除するために、凄腕の潜入捜査官と、地元出身で、妹を麻薬王に監禁されている青年が、13地区へ乗り込んで、麻薬組織と戦う話。

  しょっぱなから、あまりにも簡単に殺人が行なわれるので、「雑な話なのかな?」と引いてしまうのですが、見て行く内に、正義感のある青年や、義務感の強い警察官が出て来て、まあまあ、安心して見られるようになります。 逆に言えば、進むに連れて、平凡な勧善懲悪物に近づいていくわけですけど。

  見所は、ストーリーよりも、アクションでして、壁を越えたり、建物から建物へ飛び移ったりする≪パルクール≫を使った追いかけっこが、最大の見せ場。 しかし、冒頭部分で、それが披露されてしまうため、クライマックスの戦いでは、ネタ切れして、しょぼくなってしまっているのが、難と言えば難です。



≪ツーリスト≫ 2010年 アメリカ・フランス
  アンジェリーナ・ジョリーさん、ジョニー・デップさん、主演。 恋愛物と言えば、恋愛物。 犯罪物と言えば、犯罪物。 スパイ物のような雰囲気もあります。 この二人の顔合わせは、豪華と言うより、なんとなく、チグハグな感じがします。

  高額脱税の容疑で追われている夫を持つ女が、警察の目を欺くために、ベネチアに向かう列車の中で、夫に背格好が似た男に近づき、整形後の夫だと思わせようとするが、ただの旅行者だったはずのその男が、実は・・・、という話。

  実のところ、こんな風に、謎めかした梗概を書くほどの話ではありません。 出来損ないのスパイ映画みたいなしょぼさが、全編に漲っています。 監督が悪いとか、脚本が悪いとか言う以前に、話の発想自体が、ちゃちなのです。

  アンジェリーナ・ジョリーさんを、絶世の美女という設定で使っているのですが、ご存知の通り、この方は、型に嵌まった美形ではないので、好みのタイプという人はともかく、そうでない人には、ピンと来ない場面が、たくさん出て来ます。 ジョニー・デップさんに関しても言える事ですが、ちと、配役に頼り過ぎなのではありますまいか。

  トドメに更にツッコみますと・・・、ロンドン警視庁が、イタリアで、大人数の狙撃班を展開して、ロシア・マフィアの一団を射殺するというのは、法律的に許されるんでしょうかね? 常識的に考えれば、100パーセント間違いなく、重大な国際問題になると思うのですが。



≪ホーンテッド・マンション≫ 2003年 アメリカ
  エディー・マーフィーさん主演の、実写ディズニー映画。 仕事中毒の不動産屋が、家族旅行の行きがけに、家を売りたいという客の屋敷に寄り道したばっかりに、呪いがかかった幽霊に妻を奪われそうになり、子供達と協力して、幽霊と妻の結婚式を阻止しようとする話。

  エディー・マーフィーさんですから、コメディーなわけですが、あくまで、ディズニー映画なので、エディー・マーフィー映画とは、趣きが違います。 自己満足的な癖もない代わりに、毒もなく、声を出して笑えるような場面は見られません。

  ホラーとしては、完全に失格でして、微塵も怖くありません。 幽霊よりも、蜘蛛の方が怖いくらいだから、話にならぬ。 子供向けとはいえ、これでは、子供も怖がらないでしょう。 コメディーにするか、ホラーにするか迷った末、両方の要素を混ぜたら、どちらでもなくなってしまった、といったところ。



≪クイック&デッド≫ 1995年 アメリカ
  サム・ライミ監督で、シャロン・ストーンさんが主演、助演が、ジーン・ハックマン、ラッセル・クロウ、レオナルド・ディカプリオという、顔ぶればかり、妙に豪華な西部劇。

  かつて、無法者に父親を殺された娘が、成長して、ガンマンになり、ある町で支配者になっていた犯人を見つけるが、なりゆきで、その男が主催する早撃ち大会に出る事になり、いずれも訳ありの参加者達と、命懸けの撃ち合いをする羽目になる話。

  復讐物ですが、どろどろしたところはありません。 早撃ち大会という催し物の形式の中で話が進行するため、人が殺されても、深刻さが感じられず、「ふざけた映画」という印象が強いです。 サム・ライミ監督だから、仕方ないと言えば、仕方ないですが。

  シャロン・ストーンさんは、ガンマンの格好をすると、もはや、美人でも何でもありませんな。 ジーン・ハックマンさんは、見事な悪役ぶり。 この人のお陰で、映画の体裁が保てている感あり。 ディカプリオさんは、まだ、10代後半の少年ですが、妙に嵌まっていて、カッコいいです。 この人は、この頃が、ピークだったのでは?



≪月夜の宝石≫ 1958年 フランス・アメリカ
  ブリジット・バルドーさん主演。 スペインのとある地方で、伯爵の妻になっている叔母の屋敷にやって来た姪が、遺恨と成り行きで伯爵を殺してしまった青年を好きになり、共に逃避行する話。

  最後まで片思いなので、恋愛物というには、ちと趣きが異なっており、ジャンル別けがし難い話です。 ブリジッド・バルドーさんは、この頃が最も美しかった年齢なのですが、話が暗過ぎて、せっかくの魅力が損なわれている感じがします。 こういう役には、もっと陰のある美人が似合うのでは?

  青年のキャラに描き込みが足りず、何を考えているのか分からない不気味さがあって、それが恋愛物としての鑑賞を、更に難しくしています。 特に、子豚を殺そうとする場面は、まともに見ていられません。 こんながさつな男に惚れる女の気が知れぬ。

  スペインの風景は、息を飲むほど、素晴らしいです。 これは、風景そのものが雄大なのもさる事ながら、ロケハンとカメラ・ワークに精力を注ぎ込んだ成果でしょう。



≪リプレイスメント≫ 2000年 アメリカ
  キアヌ・リーブスさん主演、ジーン・ハックマンさん助演のスポーツ物。 スポーツ物は、大きく分けて、二パターンありますが、これは、駄目なチームが、ある事をきっかけに奮起して、急に強くなる方の、変種。

  ストで選手がボイコットしてしまったプロ・アメフト・チームを、プレー・オフに進ませるため、引退したコーチが、訳ありの選手を集めて、代理チームを作り、シーズン残りの四試合を戦う話。

  元アメフト選手はいいとして、元サッカー選手や、元相撲取り、足が速いだけの男、凶暴なだけの男など、あまりにも遊びが過ぎていて、リアリティーを著しく欠いています。 「こういう事もありうる」と、観客に思わせなければ、こういう映画は成立しないと思うのですが、そういう配慮を、端から放棄している様子。

  元相撲取りですが、かなり、ひどいキャラで、大銀杏と丁髷を間違えているのは大目に見るとしても、フィールドで茹卵を吐くなど、目を背けたくなる醜さ。 日本の客に媚びるアメリカ映画は不愉快ですが、ここまでひどいのも、逆に、胸糞悪い。 相撲について知識がないのなら、相撲取りなど出さなければいいのに。

  他の点でも、主人公のクオーター・バックとチア・リーダーが、安直に恋仲になるなど、非常に軽薄な発想で作られた話で、作り手の見識の低さが際立っています。



≪ソードフィッシュ≫ 2001年 アメリカ
  ほとんど忘れていましたが、この映画は、前に、地上波・夜9時の映画枠で、二回くらい見た事があります。 2001年ですか? もっと前のような気がするのですが・・・。 ヒュー・ジャックマンさん主演、ジョン・トラボルタさん、ハリー・ベリーさん助演。

  逮捕され、服役した後、引退していた伝説のハッカーが、銀行にプールされた政府の秘密資金を狙う組織にスカウトされ、離婚した妻から娘を取り戻す裁判費用を得る為に、犯行に手を貸すものの、FBIの手が伸びて、黒幕だった政治家に裏切られたり、組織に入り込んだスパイの存在が明らかになったりして、ころころ変わる状況に翻弄される話。

  トラボルタさんが、組織のボスなのですが、この男が曲者で、複雑な計略を張り巡らせて、最終的に誰が得をするのか、先読みを許しません。 ただ、見る者が、純粋に驚かされるかと言うと、そうではなく、話が複雑過ぎて、伏線を張りきれていないため、途中で、ついて行くのが面倒になってしまうタイプの映画です。

  本当に面白ければ、二度も見ているものを、忘れるわけがないんですよ。



≪戦火の勇気≫ 1996年 アメリカ
  デンゼル・ワシントンさん主演。 メグ・ライアンさん助演。 しかし、この二人、最初から最後まで、一回も顔を合わせません。 たぶん、撮影現場でも、会っていなかったのでは?

  湾岸戦争で、味方の戦車を撃ってしまったものの、罪に問われなかった中佐が、別の戦闘で戦死した女性大尉の功績が、名誉勲章の授与に適当かどうかを調べる仕事を任されるが、関係者の証言に喰い違いがあり、調査を進める内、意外な事実が浮かび上がる話。

  湾岸戦争を題材にした最初の映画という事で、封切り時には、結構、前宣伝が盛んでした。 今までにも、何度もテレビ放送されて来たわけですが、どうも、アメリカ政府の宣伝映画の臭いがしたので、見ないようにして来ました。 今回、思い切って見てみたら、やっぱり、思っていた通りでした。

  女性大尉に勇気があったかどうかが問題になるわけですが、果たして、これを勇気と言えるのかどうか・・・。 また、勇気以前に、指揮官として、妥当な判断をしたかどうかとなると、これは完全に×でして、一人の負傷者を見捨てないために、部下全員を危険に曝したわけで、とても、誉められるような采配ではありません。

  そもそも、勇気だ、判断だと言う以前の問題として、湾岸戦争自体が、アメリカが参戦する正当な理由があったかどうか、非常に怪しいため、この映画の企画そのものの意義が疑われるのです。 「国の為に」という言葉が何度も出て来ますが、イラクが攻めたのはクウェートであって、アメリカではないので、アメリカ兵が出て行って、殺したり殺されたりする事が、「国の為に」なったかと考えると、どーにもこーにも、白けずにはいられますまい。

  映画の発想自体が胡散臭いので、デンゼル・ワシントンさんの重厚な演技も、逆に、陳腐に見えてしまいます。 メグ・ライアンさんに至っては、この人がどうすれば、戦場でバンバン敵を撃ち殺す人間に見えるのか、配役担当の常識を疑うところ。



≪タッチ・オブ・スパイス≫ 2003年 ギリシャ
  珍しく、ギリシャ映画。 いや、と言うより、初めて見ました。 イスタンブールに住むギリシャ系住民で、ギリシャとトルコの関係が悪化した時に、両親と共にギリシャへ追放された少年が、イスタンブールに残った祖父と、なかなか会えないまま、何十年も過ぎてしまい、祖父の危篤の報せを聞いて、ようやく、イスタンブールに戻った時には、40歳を過ぎていたという話。

  イスタンブールが、いかに郷愁を誘う街であるかを主張するのが、主なテーマ。 それを、ギリシャ側から見ているところが、面白いです。 たぶん、作り手が、実際にイスタンブールに住んでいた、ギリシャ系トルコ人だったんでしょうなあ。 そうでなければ、こういう映画は思いつきますまい。

  ギリシャ系トルコ人が、トルコにいる時には、ギリシャ人と見做され、ギリシャへ移り住むと、トルコ人と見做され、どっちにしても肩身の狭い思いをするのは、気の毒この上ないです。 しかし、この映画は、民族間の対立が背景になっているにも拘らず、どちらか一方に偏った立場をとらない事で、刺々しい雰囲気になるのを、用心深く回避しています。

  途中から、主人公の感心の比重が、祖父よりも、初恋の女性の方に移ってしまうのは、心情的には分かるものの、ちょっと、軸ブレを起こしている感じ。 しかし、総じて見れば、いい映画だと思います。



≪神童≫ 2006年 日本
  成海璃子さん主演、松山ケンイチさん助演。 物心ついた頃から、天才ピアニストと見做されていた少女が、中学生になって、親の期待が重荷になり、ピアノ嫌いになるが、亡父の死因になった難聴に、自らも犯されつつある事を知り、漸く素直に、ピアノに向き合えるようになる話。

  松山ケンイチさんは、浪人の時に主人公に出会い、その後、音大生になる青年の役ですが、冒頭から出て来るので、主人公かと思いきや、実は、完璧な脇役で、後半になると、極端に存在感が薄くなってしまいます。 予備知識なしで見に行った人は、「え! 松山さんの映画じゃなかったの?」と、さぞや、戸惑った事でしょうな。

  成海さんは、演技は宜しいと思いますが、中学生にしては、ちと育ち過ぎているような気がせんでもなし。 顔立ちが大人びている上に、クラスメートの平均よりも背が大きいので、「神童」と言う割には、子供に見えないのです。

  音楽映画ですが、音楽を演奏する人間の映画であって、音楽そのものがテーマではないので、≪スイング・ガールズ≫的な、観客まで巻き込むようなノリはないです。 また、≪のだめカンタービレ≫のような、コメディーでもないので、「一体、何が見所なの?」と、首を傾げたくなるところがあります。

  後半の、演奏会に出演する事になる展開には、ちょっと、わくわくさせてくれるものがありますが、いざ、演奏が始まってしまうと、巧いのか下手なのか、素晴らしいのか大した事ないのか、素人耳には、区別がつかないので、それ以上、盛り上がりようがありません



≪オカンの嫁入り≫ 2010年 日本
  宮崎あおいさん主演。 大竹しのぶさんが、オカン役。 同僚のストーカー行為による精神的ショックで、ひきこもりになってしまった娘が、突然、若い金髪男を連れて来て、結婚すると言い出した母親に反発するものの、やがて、男の優しい人柄や、母親の真意を知り、二人の結婚を受け入れて行く話。

  親子関係の難病物です。 映画にするより、スペシャル・ドラマにでもした方がピッタリ来そうな、ベタな話なんですが、非常に丁寧な演出で、細やかな心理描写を行なっているために、悪い印象は受けません。 とりわけ、宮崎さんは、実力を遺憾なく発揮しています。 大竹さんの存在感が霞むくらいだから、その程度が分かろうというもの。

  とまあ、この映画単独で見れば、宜しいと思うのですが・・・。 監督が、呉美保さんなんですが、この方、前作の、≪酒井家のしあわせ≫でも、ほぼ、同じテーマを取り上げていまして、二本連続で、同じような趣向だと、「あれ? こういう話にしか興味がないのかな?」と思われてしまうのは、致し方ないところ。



≪スタンド・バイ・ミー≫ 1986年 アメリカ
  ホラー小説で有名な作家、スティーブン・キング原作の少年物映画。 見ていない人にも、タイトルは知られていると思いますが、それは、テーマ・ソングが、CMなどで繰り返し使われているから。

  小学校卒業間近の四人組が、行方不明になっている少年の死体があるという情報を聞きつけて、第一発見者になろうと目論み、親にはキャンプをすると偽って、死体がある場所まで、泊りがけの旅に出かける話。

  ベタな少年物でして、粗暴・凶暴・乱暴・下品と四拍子揃っており、少年物が嫌いな人間には、見るに耐えない映画になっています。 この映画の評価が高いのは、つまるところ、少年物に嫌悪感を抱かない人間の方が多数派だという事の証拠なんでしょうな。

  死体が絡むものの、事件性は全くなく、トリックとか謎解きとか、そういった要素は微塵も入っていないので、要注意。 人生論が若干入ってますが、それも、所詮、子供の悩みのレベルなので、感動するところまでは、とてもとても・・・。



≪イングリッシュ・ペイシェント≫ 1996年 アメリカ
  第二次大戦中の北アフリカで、撃墜された飛行機から救出されたものの、大火傷を負い、記憶を失った男が、戦後、イギリス人と見做され、医療部隊に運ばれて、イギリスへ向かうが、途中、移動に耐えかねて身を寄せたイタリアの廃屋へ、撃墜前の彼を知る人物が現れ、彼の過去の行状を思い出させる話。

  アカデミー賞を何部門も獲ったそうですが、その年は、よっぽど、不作だったんでしょうなあ。 私が見る限り、とてもとても、そんな映画では・・・。 あまりのつまらなさに、気を失いかけた事、幾たびか・・・。 つまらん話を、わざわざ、入れ子構造にしているのは、滑稽至極。

  とにもかくにも、主人公に魅力がなさ過ぎです。 この人、一体、何の取り得があるの? 不倫はするわ、敵軍に地図は渡すは、およそ、主人公と思えぬ、感心しない行為ばかりしています。 ヒロインの方も同様で、砂漠に暇潰しに来ているとしか思えません。 こんな二人が、どんな目に遭おうが、知った事ではありますまい。




  以上、20本まで。 2013年3月30日から、4月20日までに、見て、感想を書いた映画です。 あまりにも、遅々としていて、永久に現在に追いつかないような気もしますが、映画漬けで暮らしていた時期というのは、そんなに長くは続かなかったと思うので、その内、ポーンと、月日が飛ぶと思います。 2013年は、夏から、文庫本蒐集計画が始まり、秋には、北海道応援に雪崩れ込んで、後は、翌年夏の退職まで、映画どころではなくなるので、映画ラッシュが続くのも、2013年の7月くらいまでだと思います。


  ところで、「映画評は、新作について書くのが、映画ファンのエチケットだ」と思っている人もいるかと思いますが、まあ、そう、硬い事を言いなさんな。 映画館に新作を見に行っていたのでは、お金がいくらあっても足りません。 逆に、ブログに、新作の感想をアップする為に、映画館へ行く費用を捻出しているという人がいたら、「目を覚ましなさい」と、こちらから、アドバイスしたいです。 そんな事をしていたら、いとも容易に、破産してしまいますよ。


  趣味への傾倒度は、人それぞれだとは思うものの、「映画は、私の人生だ」というような物言いは、制作や配給に携わっている人達や、プロの批評家なら、問題ないですが、単なる観客が口にしたら、おこがましいです。 以前、新聞の人生相談コーナーに、「これまで、映画ばかり見て来て、結婚もしなかったが、もしかしたら、映画の世界に惑わされて、人生を棒に振ってしまったのではないかと思っている」という、もう、老境に差しかかった男性の告白が寄せられていましたが、大いにありそうな事です。 映画の世界を、現実と混同していたんでしょうなあ。

  アイドル歌手が歌う、甘い歌詞の世界を、現実と混同して、「誰にでも、燃えるような恋愛の機会は訪れる」と信じ込み、婚期を逃した人間は、うじゃうじゃいると思いますが、それと同類の落とし穴なのでしょう。 まあ、大雑把に言って、容姿が、同年代の人間全体で、上から3割くらいの中に入らないと、歌の歌詞のような恋愛は、できないと思いますねえ。 つまり、残りの7割は、逆立ちしたって、恋愛結婚などできないわけだ。

  映画も同じ。 映画で見た場面を、現実世界で真似てみれば、必ず、齟齬を感じる事になると思います。 所詮、作り物の世界なんですよ。 ヤクザ映画が全盛だった頃は、任侠の世界に惑溺し、つまらない理由で喧嘩して、命を落としたとか、大怪我したとか、そんな例が、うじゃうじゃあったんじゃないでしょうか。

  ブルース・リー・ブームの時にも、カンフーを真似た喧嘩は多かったと思います。 冗談じゃない。 体を鍛えてもいない人間が、蹴り合いなんかしたら、死んでしまいますよ。 日活のアクション映画なんかも、観客に多くの怪我人を生んだでしょうねえ。 アメリカ映画の銃撃アクションは、日本では現実感がないですが、アメリカ本国では、真似する人間が、時々、学校を襲撃して、大量殺人を起こします。 洒落にならねー・・・。

2015/05/24

物作りの周辺

  5月18日、月曜日の事ですが、久しぶりに、木工工作をしました。 一昨年の8月から、ベッドの足の方のすぐ横に、カラー・ボックスを置いて、買い集めた文庫本の本棚にしていたのですが、いつのまにか、前面を覆っている蓋の隙間から埃が入って、中の段に溜まっているのを発見して、吃驚! しかし、考えてみれば、布団がすぐ横に隣接しているわけですから、埃が入っても、なんら不思議はありません。 今まで、気づかなかった事の方に、吃驚すべきなのか。

  で、自室にあったベニヤ板と木片を使って、蓋の横に、「埃避け」を増設したという次第。 余り物を、手持ちの木工用ボンドでくっつけただけなので、一円の出費もなかったのは、幸いでした。 埃避けとして、「これで、完璧」とは、到底、思えませんが、「ないよりは、ずっとマシ」といったところ。

  カラー・ボックスが、本の重さで歪み、ビヤ樽形に横腹が膨らんでいたので、蓋と埃避けの板の間に隙間が出来てしまいました。 それを埋める為に、茶封筒を切って、裏から糊で貼るという、しょぼい方法も取りましたが、どうせ、私しか見ないから、問題ありません。 なぜ、茶封筒なのかというと、ベニヤ板に色が近いからです。 そういう色の工作用紙も、店に行けば売っていますが、どうせ、ほとんど見えませんし、封筒で用が足りるなら、新たに物を買って来るのは、馬鹿な話。




  引退してから、こっち、生活し易くする為に、あれやこれや、物を作る事が、ほとんど、なくなってしまいました。 いつまで生きるか分からないと思うと、お金や手間をかけてまで、そういう事をしようという気にならないんですな。 人が生きる為に必要なのは、まず、未来への希望なのだという事がよく分ります。

  ハムスターにティッシュを与えると、小屋の中に持って行き、細かく千切って、ふかふかの寝床を上手に作りますが、それと同じで、人間も、「こうすれば、便利になる」と思うと、身の周りで、いろいろな物を作ろうとします。 ところが、当人は、結構、頭を捻り、工夫を重ねて作ったつもりでも、他人から見ると、ゴミ同然という事が多いようです。

  岩手異動の時、私が入院している間に、寮の部屋に入った掃除係に、洗面・髭剃り用具の整理箱を、いとも簡単に壊されてしまったのは、未だに忘れられません。 結構、工夫して作ったんですがねえ。 去年の今頃は、寮の生活を快適にする為に、休みのたびに、工作に明け暮れていたものですが、さんざん苦労し、少なからぬ資金を投入して作ったにも拘らず、完成後、十日もしない内に、退職となり、引き揚げ前に、全部壊して来たのは、痛々しい事でした。

  そういえば、岩手異動の前に、新品の蕎麦殻枕を買ったのですが、向こうへ持って行く時には、料金会社もちで、引越し業者が運んでくれたから良かったものの、引き揚げて来る時には、自腹の宅配便でしたから、嵩張る枕を送り返す事ができず、泣く泣く捨てて来たのも、大変な痛恨事でした。 サイズこそ、50×35センチですが、ふくよかで、柔らかくて、惚れ惚れするような、いい枕だったんですがねえ。 値段が、351円だったのが、せめてもの慰め。

  家に帰って来てから、自室で使っていた枕が、くたびれて来たので、351円のを買い直そうと思ったら、二ヵ月そこそこしか経っていないのに、もう、商品が姿を消してました。 品切れではなく、値札も撤去してあって、扱わなくなってしまっていたのです。 きっと、円安の影響に違いありません。 以降、安い蕎麦柄枕を探して、11ヵ月も、あちこちの店を彷徨する事になります。 結局、先日、5月3日に買いましたけど、同じ店なのに、値段は、645円もしました。 「新品を捨てて来た、バチが当たったのだ」と、思いましたね。


  話を戻しますが、何かを作るというのは、頭を使うし、手先も使うし、総合的な能力を必要とするので、健康には悪くないと思います。 ただ、あまり、そんな事にばかり嵌まってしまうと、ガラクタを増やす事になります。 自分の部屋の中に収まっていればいいのですが、家族との共用空間にまで溢れ出すと、迷惑になり、家庭内不和の元になりかねません。

  日曜大工が趣味という人が、家族から、白い目で見られているのは、大変、よくある話。 ガレージを作り、毎週のようにホーム・センターに通って、欲しい工具を、要不要に関わらず、片っ端から買い集め、暇さえあれば、ギコギコ・トンカンやっているわけですが、 その騒音も迷惑ながら、作った物が、家の中にどんどん増えて行く事実が、家族に、ホラー並みの恐怖を齎します。 かくして、日曜大工禁止令が出されたり、「一つ作るなら、一つ捨てること」といった、ルールの取り決めを迫られたりします。

  やっている当人は、「これがあれば、生活が便利になるんだ」と信じ込んでいるから、大変、始末が悪い。 物があれば、必ず、便利になるというわけではなく、物がない事によって、空間が確保され、便利さが保たれる場合も多くあるのですが、当人は、とにかく、何か作りたくて仕方ないものだから、そういう、自分の欲求を阻害するような考え方は、認めようとしません。

  また、そういう人に限って、「自分は、アイデア・マンだ」と、自負しているところがあり、「自分が思いつくのが、一番優れたアイデアなのだから、その通りに作れば、他の人間も喜ぶに決まっている」と確信しています。 家族から、「こういう物を作って欲しい」と頼まれた場合でも、勝手に、自分の思いついた工夫を加え、依頼者の要望を満たしていないガラクタにしてしまい、「こっちの方が、絶対、便利だよ。 とにかく、一度、使ってから、文句を言え!」とか、逆ギレを起こします。

  それでいて、「ドアの建て付けが悪くなったから、直して欲しい」とか、「玄関の錠が壊れたから、取り換えて欲しい」とか、専門的な技術が必要な事を頼まれると、うまくやれるか自信がない上に、自分の創造性を発揮できないものだから、ああだこうだと屁理屈を並べて断ります。 肝腎な時には、糞の役にも立ちゃしない。 網戸の張り替えなんか頼もうものなら、「そんなのは、誰でもできるんだから、説明書を見て、おまえがやれ」と抜かす始末。 とことん、使えねー。

  つまりねえ、趣味で日曜大工をやっている人を、実用面で、当てにしちゃいけないんですね。 むしろ、何もやらせないようにする、たゆまぬ努力が必要です。 ガラクタが増えるのもさる事ながら、中には、金銭感覚がおかしくなっていて、やたら、高価な材料を使ったり、十年に一度も出番がないような、特殊な工具を揃えたりして、出来合いの製品を買うよりも、遥かに高くついてしまうケースも起こります。 日曜大工は、出来合いより、安く上がるから、意味があるのですが、それでは、本末転倒です。 何につけ、「拘り」のあるオヤジには、要注意。 ブランド物に入れあげて、破産する馬鹿女と、同類なのです。



  私の父は、器用なタイプで、日曜大工に、結構、のめりこんだ方です。 鋸や金槌だけでなく、鑿や鉋も使っていましたから、そこそこ、上級の素人だったわけですな。 「釘の頭が出ていると、錆びて来るから」と言って、奥まで打ち込んで、窪みに木片を埋め、鉋で仕上げていたくらいですから、私なんかは、とても、真似ができません。

  私が高校一年の時に、熱帯魚に嵌まり、60センチ水槽を買ったのですが、その台を、父が作ってくれました。 ちょうど、家を建て直したばかりで、古い家の廃材が残っており、それを利用して作ったせいもあって、えらい丈夫な台になりました。 その後、熱帯魚をやめてしまってからは、私がテレビ台に改造して、今に至りますが、元が頑丈なので、何を乗せても、ビクともしません。

  そういう父を見て育ったにも拘らず、私は、まったく、頑丈な物に興味がなく、むしろ、逆に、「最低必要強度」の事ばかり考えて、物を作るタイプになりました。 一番、得意なのが、厚紙細工なのですから、その傾向が知れようというもの。 私は、基本的に、厚紙で、もつものなら、全て、厚紙で作り、木材を使わなければ、もたない場合以外、木材を使いません。

  その中間の材料として、ダンボールがありますが、ダンボールは、綺麗に切れないですし、曲げると、不様になるので、あまり、使いません。 少なくとも、家の自室では、カラー・ボックスの蓋に、一ヵ所使ってあるだけです。 岩手異動の時には、木材が加工し難い場所だった関係で、ダンボールの出番が多かったですが、上述した通り、それらは、全て、自分で壊して、捨てて来てしまいました。

  そういや、岩手で、スーパーで貰って来たダンボール箱を改造して、ゴミ箱を作ったのですが、自分で言うもおこがましいものの、あれは、芸術品に近かったです。 中に入れるレジ袋を引っ掛ける為に、棒を貼り付け、下を掃除しやすいように、足を付けたのですが、それらの部品も、全て、ダンボールで三角柱を作って、用意しました。 四角柱だと、潰れ易いですが、三角柱なら、変形しないのです。 「2×2×2.8センチ + 糊代1センチ」で、三角柱を作れるわけですが、あまり何度も使ったので、数字を覚えてしまいました。

  あれを壊してしまったのだから、勿体ない事をしたものです。 向こうで、ゴミ箱を買わずに、ダンボールで済ませていたのは、「いつ、会社辞めても、いいように」という気持ちがあったからなんでしょうなあ。 ダンボールなら、すぐに潰して捨てられるけど、プラスチックのゴミ箱を買ってしまったら、処分するにしても、普通のゴミには出せませんから。 で、その予感は的中したわけです。 また、いつか、ダンボール細工に取り組む日が来るでしょうか? 少なくとも、この家に暮らしている限りは、ダンボールの出番はないですが。


  話を戻しますが、木材を使う場合でも、やはり、強度は最低を狙います。 最低強度に技術的な興味があるのではなく、安普請にすればするほど、文字通り、安く上がるからです。 たとえば、私の部屋のテレビ台の上には、テレビの上に屋根を掛けるような格好で、脚の長い台が載せてあるのですが、触ると揺れるくらい、へにゃへにゃです。 自分以外使わず、自分では、重い物を絶対に載せないので、それで充分なのでして、驚くべき事に、もう、30年近く、もっています。 その間、一度も、壊れた事がないのだから、自分でも、信じられないくらい。

  そんな強度でも、本数冊や、飲み物の入ったマグ・カップなど、大体、1キロ以下の物であれば、問題なく置く事ができます。 これがあるとないとじゃ、大違いでして、テレビの上の空間を利用するのに、絶大な貢献をしています。 元はといえば、他の物を壊して出た廃材を組み合わせた、テキトーな工作なんですがね。 物は、使いようなんですなあ。 そうかよ、もう、30年かよ・・・。


  私は、そういうタイプですが、兄はまた、全然違っていて、自分で物を作ったりしません。 使う物は、全て、買って来るのです。 別に、不器用というわけではないのですが、子供の頃から、見た目に拘るタイプで、手作りの物なんて、体裁が悪くて、使う気にならなかったようです。 今は、家を出て、配偶者と、アパートに住んでいますが、たぶん、訪ねて行っても、兄が手作りした物など、一つも見つけられないと思います。 親子・兄弟なのに、こういう違いが出るのは、興味深いこってすな。



  私は工場に勤めていたわけですが、工場という所では、作業を楽にしたり、作業時間を短縮する為に、作業員が自ら、作業場を改造するのが普通です。 使っている当人が、問題点を一番よく分かっているというわけだ。 生産する品が、モデル・チェンジすると、部品を置いている棚や、作業台の改造が行なわれ、その時にも、いろんな物を作らなければなりません。 工場で使う材料は、ジョイントで繋ぐ、イレクター・パイプや、「ダンプラ」と呼ばれる、プラスチック製のダンボールのような板です。 それを切り、ガムテープや、接着剤で貼り付けて、箱を作ったりするわけです。

  私は、そういうのは、割と得意なわけですが、熱心にやっていたのは、入社してから、3年くらいで、それ以降は、必要最小限の事しか やらなくなりました。 その場その場で工夫が必要になる物作りの場合、当人のセンスや、技術知識が、非常に重要になるのですが、何人も人がいると、何の知識もないし、センスもないという奴が、少なからずいるわけで、一生懸命作っても、次の日に出て行ったら、壊されて、およそ、使い難い代物に換えられていたなんて事が、よく起こったからです。 そんな連中に振り回されるのが、馬鹿馬鹿しくなり、自分からアイデアを出すのを、やめたんですな。

  どんなに、物作りのセンスがない人間でも、自尊心だけは一人前あるわけで、ああしろこうしろと、口だけは、出そうとします。 で、しょうがないから、そういうやつらに任せておくと、自重で潰れてしまうような、使えない物を作ったり、小改造で済むのに、わざわざ、新しい物を一から作ったり、もう、滅茶苦茶な事になってしまいます。

  実業団スポーツで、選手として入社し、加齢で引退したり、部が廃止されたりした後、現場に回されて来た人達に、そういうタイプが多かったです。 子供の頃から、スポーツ優先でやって来て、プラモデル一つ作った事がないというのですから、構造や強度の知識など、全くないのです。 ところが、「自分は、選手だった人間だから、普通のやつらより、優れている」という、鼻持ちならない意識を持っている上に、競争心だけは、人一倍強いので、上に上がりたがる。 で、そういう人間が陣頭指揮して、何かを作る事になると、とんでもないガラクタが出来てしまうんですわ。

  技術音痴には、もう一派、「泥ベタの文系」という連中がいますが、これも、子供の頃から、学生時代を通して、文学や哲学など、形而上の世界に、どっぷり浸かって生きて来たせいで、「技術なんか、自分にゃ関係ない」と思っていて、折り鶴一つ、折れません。 「うちの主人は、家じゃ何にもしません」という奥さん。 しないんじゃないですよ。 できないんですよ。 やり方を知らないし、それ以前に、興味がないから、覚える事もできない。 あんた、そういう出来損ないと結婚したんだよ。

  だけど、文系は、物作りの現場には、ほとんど、いません。 自分が何もできない事が分かっているから、恥を掻くのが怖くて、そういう職に就こうとしないんでしょうな。 たとえ、何かの間違いで紛れ込んでいたりしても、借りて来た猫のようにおとなしくしていて、体育会系のように、他人に指図しようなどと考えないから、有害度は、割と低いです。

  興味深い事に、技術音痴に共通しているのは、コスト意識が欠如している事で、「会社の金だから、いくら使っても構わない」と思っているらしいのが、アリアリ分かります。 一本、数千円するようなパイプを、計り間違えて切り、全部、ゴミにしてしまっても、自分の金で買った物ではないから、何とも思いません。 よく、高校の部活で、「予算を使い切らないと、翌年度から、同額もらえなくなる」と言って、必要もないのに、物を買ったりしますが、この連中のコスト意識とは、それと同レベルで停まっているのです。

  私が、「日本の物作りの魂」とかいう物言いを聞くと、苦笑してしまうのは、そういう連中を、さんざん、この目で見て来たからです。 みんな、ごく普通の日本人でしたが、一体、どこを叩けば、「物作りの魂」なんて出て来るのか・・・。 そんなやつらでも、一応、工場勤めだから、ネジをどちらに回せば締まるかくらいは知っていたわけで、一般平均よりは、技術知識があったと考えるべきでしょうか。

  だけど、岩手工場では、基準孔を先に締める事を知らない奴がいましたよ。 もう、50代半ばくらいで、外見だけは、ベテラン風の人物でした。 たまげた事に、「長孔の方から先に締めるように」と、私に指導しましたっけ。 まあ、あまりにも馬鹿馬鹿し過ぎて、言い返す気にもならず、「はい、そうします」で、その場は済ませておきましたが・・・。 どえらい、「物作りの魂」も、あったもんだ。



  長くなったので、このくらいにしておきます。 取り留めがなくなってしまったので、これといって、結論もないですが、強いて挙げるなら、

・ 周囲から迷惑がられる物は、作るべきではない。
・ 能力的に作れない物は、作るべきではない。
・ 捨てる時の事を考えて作るべし。
・ 必ず、コスト意識を持って作るべし。

  そんな所が、教訓として、汲み取れるところでしょうか。 これらは、私生活でも、仕事でも、有効だと思います。

2015/05/17

バイクをいかにせん

  5月13日に、市役所から、バイクの税金の納付書が届き、まだ、午後3時前だったので、大急ぎで、最寄の銀行まで行って、2400円、納めて来ました。 6月5日までになら、コンビニでも納める事ができて、以前、一度、それをやっているんですが、銀行が開いているのなら、銀行の方が、確実なような感じがするのです。

  夜になって、バイク関連の書類を突っ込んである、大きな封筒を取り出し、中身を整理しました。 ちなみに、この封筒は、バイクの中型免許を取りに行った教習所で貰ったものです。 1993年の夏から秋にかけての事ですから、もう、22年近い、昔の事になります。 封筒に、元々、何が入っていたのかは、もはや分かりません。 ただ、そのまま、書類を保管している引き出しに入れて、バイク関連の書類を、テキトーに突っ込んで来たのです。 使い古され、上の方が破れていますが、22年も経つのですから、そのくらいの損傷は、当然ですな。

  この封筒の中身は、何年か前に、一度、整理しています。 任意保険の証書類で満杯になってしまい、それら、嵩張る物を纏めて、別にしたのです。 その時に、他の書類も、大雑把に整理したようで、輪ゴムをかけてありました。 日記を調べてみたら、2008年の9月に整理していました。 つまり、その後の7年分が、テキトーに突っ込んであったわけですが、2010年からは、証書がない、ネット保険に切り換えているので、年に二回、ハガキが来るだけになっており、さほどの量にはなっていませんでした。

  税金納付書の封筒は、中免の教習中に買った、原付バイクの物から、残っていました。 買ったのは、1993年の9月で、税金納付書が来るのは、翌年の5月ですから、94年(平成6年)の発行になっています。 50ccなので、1000円。 同年の9月には、225ccに買い替えて、翌95年からは、2400円になり、以降、変わっていません。

  ちなみに、私の場合、任意保険は、人身傷害補償を外しているので、8900円。 自賠責は、5612円。 車検はなし。 つまり、ガソリン代を除く、一年間の維持費は、16912円になります。 それで、高速道路にも乗れるのですから、126cc~250ccのバイクというのが、いかに、お得なカテゴリーかが分ろうというもの。 251cc以上だったら、車検があるので、年間、5万以下では、とても、収まらないでしょう。


  ところが、この維持費の安さが徒になって、目下 私の頭を悩ませているのです。 私は、そもそも、通勤目的で、バイクに乗り始めた人間なので、退職して、通勤する必要がなくなった以上、バイクを維持している理由がありません。 ちなみに、私がバイクに乗る事になった経緯については、2012年11月の記事に、≪行き詰まり打開策・バイク編≫という文章がありますから、それを読んでみて下さい。

  去年の、6月23・24日に、岩手から沼津まで、630キロを、必死の思いで帰って来て、7月11日に、最終的な退職手続きの為に、裾野市にある元勤め先まで往復した後、バイクの本来の役割は終了していたのですが、すぐに手放す気にはならず、7月16日には、任意保険の更新をして、一年、延命しました。 去年の夏は、まだ、文庫本蒐集の為に、伊豆の国市や、富士市、富士宮市など、自転車ではとても行けない、遠くのブックオフへ出かけていたので、バイクの出番があったのです。

  冬の間も、バッテリーを維持する為に、十日に一度くらいのペースで、火を入れ、短距離を乗っていました。 しかし、この一冬で、バイクを維持する為だけに、バイクに乗り続けるのが、いかに厳しい事であるかを痛感します。 去年までは、仕事の通勤に使っていたからこそ、真冬でも、乗っていられたわけですな。

  ガソリンは、去年、こちらに帰って来て以降、7月6日、9月26日、11月7日、明けて、3月22日に入れています。 全て、一回の給油は、1000円分。 ほとんどが、セルフのスタンドです。 その時のガソリン価格によって、入れられる量が変わるわけですが、平均して、200キロくらい、走れます。 真冬の給油間隔が開いているのは、寒くて、ごく近場にしか行かなかったから。 体は正直ですな。

  ガソリン代も、車に比べれば、全く、大した金額ではないのですが、私の場合、通勤に使っていた間は、会社から支給される交通費で、ほぼ全て、間に合っていたので、退職して、全額自腹になると、この程度でも、結構、きついと感じられます。 特に、冬の間は、バイクを維持する為だけに、ガソリン代を払う事になるのが、なにやら、馬鹿馬鹿しい。 夏場でも、遠出をしないのなら、自転車で用は足りるのであって、バイクを持っている理由がありません。 そして、遠出すると、ガソリン代が痛いわけだ。 ジレンマだな。

  去年、任意保険を更新した時には、「とりあえず、あと一年、様子を見て、維持し続けるかどうか決めよう」と思っていたのですが、冬の間、あまりにも、乗らなかったせいで、バイクから、だいぶ、気持ちが離れてしまいました。 4月になって、バイクに乗るには、いい季節になった途端、腰痛で、一ヵ月近く、不自由を託つ事になってしまったのも、そんな気分を助長しました。 積極的に乗りたいと思わなくなってしまったのです。

  元々、バイクが好きで乗り始めたわけではなく、通勤はやむを得ないとしても、ツーリングは、連休のイベントとして行っていただけで、出かける前に、ワクワクした事など、一度もありませんでした。 特に、本州・九州・四国の海岸線を、ほぼ制覇してからは、「国内なんて、どこへ行っても、同じ」と悟ってしまい、ツーリングへの興味が、著しく減退しました。

  私に言わせると、「何度も、日本一周している」とか自慢している人の、気が知れないです。 同じ所へ何度も行って、面白いですかね? 数十年ぶりに行くというのなら、自分が、そこの事を、どれだけ覚えているかに興味が湧きますし、記憶と重なる所があれば、ノスタルジーを感じるでしょうが、そういう場合、最低でも、10年くらいは、間を置きたいもの。 一生に一度しか行かない所があっても、何ら、問題はないと思います。 旅行雑誌のレポーターじゃないんだから、遠くへ旅に行く時には、「一生に一度」と、覚悟して行くべきでしょう。

  そもそも、あらゆる人間が、あらゆる場所に、何度も行けるわけではないのです。 旅の話をしていて、一番、癇に触るのが、「ああ、あそこね。 行った行った、何回も行ってる」と、優越感丸出しで語る奴で、もう、その時点で、こちらは、一言も喋れなくなってしまいます。 何か喋ろうとすると、「知ってる」と言って、遮るのですから、文字通り、話にならぬ。 会話しようなどという気は、さらさらなくて、自分の方が、旅の経験値が高い事を、他人に認めさせたいだけなんですよ。 どーしょもねーな。 いや、実際、そういう奴がいたわけですがね。

  そういや、沖縄旅行に行った時に、本島で乗せてもらった貸切タクシーの運転手さんが言っていました。 案内する時に、一番困るお客は、何人かで来ている中で、一人が、前に沖縄に来た事があるというケースで、どこへ連れて行こうとしても、「あ、そこは前に行ったから、他の所にして下さい」と言うのだそうです。 他の人達は、初めてなんだから、そちらに合わせればいいのに、自分一人が、旅慣れしている優越感に浸りたいばかりに、全員に迷惑をかけるんですな。 そんなに、穴場に行きたけりゃ、一人で来ればいいんですよ。


  話が逸れましたが、つまり、私の場合、もう、バイクで行きたい所が、これと言って、ないのです。 在職中、連休のツーリングを続けていたのは、会社に、何人か、バイク好きの知り合いがいて、私が、ずっと、バイク通勤しているものだから、私もバイク好きだと思われていて、そういう人達との話題の種にする為に、行きたくなくても行っていたという事情があったのです。 半分は、会社での良好な人間関係の維持が、目的だったんですな。

  もはや、その必要はなくなったわけで、たとえ、どこかへツーリングに行ったとしても、私の土産話を聞いてくれる人は、誰もいません。 家族も駄目。 両親共に、年老いて、もはや、息子がどこへ旅に行こうが、何の興味もない有様。 ちなみに、私の母は、60歳くらいまでは、旅好きだったのですが、今は、沼津市内から出る事が、滅多になくなりました。 上述したように、旅好きの経歴を持つ人間は、自分の旅は自慢しても、人の話は、およそ、聞こうとしないのですが、私の母も、その同類なのです。 困ったもんだ。


  また、健康上の不安もあります。 去年の夏の、沖縄・北海道旅行のように、公共交通機関を利用するのなら、そんな心配はしないのですが、バイクを運転するとなると、「体がもたない」という事が、重大な問題になって来ます。 下手すりゃ、死ぬからです。 特に、私のように、腰に爆弾を抱えている場合、行った先で、腰痛が始まったりしたら、えらい事になります。 1999年に行った、四国ツーリングの時、帰りに、腰が痛くなり始め、ヒーヒー言いながら、命からがら帰って来ましたが、それで大いに懲りて、以後、13年間も、泊りのツーリングには、出かけなかったくらいです。

  その時は、まだ、35歳だったわけですが、今では、50代ですから、体全体に、ガタが来ているのであって、今後も、健康条件は悪くなる一方です。 腰だけでなく、心臓にも爆弾が仕掛けられており、突然死の危険性を仄めかされているのも、怖い。 まあ、運転中は、心臓に負担がかかるような事はないのですが。

  目や、反射神経、脳の判断力などの衰えも、無視できません。 40代半ば頃から、横から来る車に気づくのが遅れるようになりましたが、自分では気づかない内に、視野が狭くなっているのかも知れません。 左右への注意力が落ちると、信号のない交差点が危ないです。 これは、私だけでなく、同年代のほとんどの人が、怖い思いをした事があるようですが、他の人も同じだからと言って、安全になるわけではありません。

  ちょっと前ですが、新聞の投書欄を読んでいたら、バイクに乗っていた夫が、認知不全の高齢ドライバーの車に追突され、完治しないまま他界してしまったという文章が載っていて、ぞーっと寒気がしました。 その夫は、大型二輪の免許を取り、定年後、ツーリングを楽しむつもりでいた矢先に、そういう目に遭ったのだとか。 他人事とは思えませんな。 私の場合、大型二輪ではないですが、貰い事故では、こちらの排気量は関係ないです。 相手の高齢者は、ボケボケで、自分が何をしたのかも分かっていない様子だったらしいですが、そんなのに殺されたんじゃ、金輪際、浮かばれませんわなあ。

  まあ、貰い事故なら、自転車に乗っていても、起こり得るわけですが、バイクが、自転車より、自責・他責、いろんな局面で、事故に遭い易い乗り物である事は、否定できません。 行きたい所もないのに、そんな危険を冒してまで、ツーリングに行こうというのは、とても、理性的判断とは思えないではありませんか。 どーしたもんでしょう? バイクを持ち続ける事に、意味があるんでしょうか。


  一方、処分をためらう理由もあるのです。 それは、自賠責保険の期間が、2018年の9月まで、残っているのです。 2013年9月に更新した時、少しでも、割安にしようと思って、最長の5年分を選んだのですが、その時点では、まさか、翌年に退職する事になるとは、想像もしていなかったのです。 岩手異動どころか、まだ、北海道応援の話も出ていなかった段階で、ある意味、私が、最もお気楽に、会社勤めをしていた頃でしたから。

  126㏄~250ccの場合、自賠責は、1年で、9510円なのが、5年だと、28060円になり、年当り、5612円ですから、非常識なほどに、安くなるのが分ります。 これを知ったら、ケチでなくても、1年契約なんぞ、とても、選べますまい。 で、5年にしたんですな。 ところが、それから一年もしない内に、退職してしまったものだから、自賠責だけ、4年分も先払いしてしまった事になり、大いに弱ったわけです。 任意保険が切れる今年の9月時点でも、まだ、3年分残っていて、もし、そこで、バイクを処分するとなったら、16836円を捨てる事になります。

  ところが、自賠責が切れるまで乗り続けるためには、任意保険と税金を、3年分で、33900円、払わなければならないわけで、自賠責を捨てた場合より、2倍以上、高くつきます。 これは、損になるのか、得になるのか、どっちなんでしょう? もう、ツーリングに行かないというのなら、今年の9月で、バイクを処分してしまった方が、絶対、得ですな。 それは、もちろん、分かっています。 だけど、行くか行かないか、まだ断定できないというのが、現在の状況なのです。


  ここでまた、考えるのは、人生観の事です。 果たして、「旅に興味がなくなったから」、「危険があるから」という理由だけで、遠くへ行く為の足を手放してしまっていいものかどうか。 それは、あまりにも、臆病過ぎるのではないかと思うのです。 もう、引退しているわけですから、前向きでガンガン行くなんてのは、論外ですが、自分から行動に制約をかけてしまうのは、いかがなものかと・・・。 ちょっと、無理をしてでも、出かけるようにしていた方が、精神面での健康の維持に寄与するかも知れません。

  ケチな私の事ですから、電車やバスで、旅に出る事など考えられず、バイクを手放したが最後、自転車で行ける半径から、一歩も外へ出られなくなるのは、確実なところ。 それはそれで、閉塞感があるじゃありませんか。 バイクを、乗れる限り維持するとしたら、ガソリン代も含めた維持費は、年間、25000~30000円程度になると思うのですが、毎月、家に入れている生活費と比べたら、一ヵ月分にもならない金額です。

  「3万円あれば、他に欲しい物が買える」というなら、話は別ですが、今の私には、そんな物はありません。 テレビ放送される映画を見て、図書館で借りた本を読んでいれば、事足りてしまうからです。 そうなると、「他にお金の使い道なんかないんだから、バイクくらい、残しておいても、いいんじゃないの?」と思えて来るのです。 10年で、30万円、20年で、60万円。 さすがに、それ以上の年齢まで、乗る事はないでしょう。 というか、それまで、生きないような気がします。


  いや~、バイクを処分すると、断捨離的には、波及効果が大きいんですがねえ。 バイクそのものがなくなれば、玄関ポーチが広々と空きますし、ヘルメットも、新旧5個あるのが、全部捨てられますから、机の本棚の上や、押入れの中がすっきりします。 あと、通勤していた頃に使っていて、退職後、全く使わなくなったのが、合羽や長靴といった雨具でして、引退後は、雨の日に乗ったりしませんから、完全に用なしになってしまいました。 いつかは捨てなければなりませんが、バイク本体があると、なかなか、踏ん切りがつかないのです。

  他にも、バイク用の上着や、グローブ、ブーツ、取り外してあるパーツ、整備用品などを処分すれば、あちこち、随分と、ゆとりが出来ます。 だけど、そんな事を考えていると、「これも、自分の歴史なのだなあ」と、しばしの感慨に捉われるのです。 私は、30歳近くになってから、バイクを始めたから、ついこないだのようなつもりでいたんですが、もう、20年以上、経っているんですねえ。 そりゃあ、用品も書類も溜まろうってもんだわさ。


  とりあえず、7月の半ば頃に、任意保険の更新通知が来ると思うので、それまでには、どうするか決めようと思っています。 どちらを選んだとしても、もはや、後悔するような年齢ではないのが、せめてもの救いでしょうか。 ちなみに、バイクそのものは、微量のオイル漏れがある以外は、問題なく使える状態です。 2012年の8月に、アマゾンで、1330円で買ったバッテリーが、未だに、ピンピンしているのは、嬉しい限り。 2011年の12月に自分で交換したタイヤは、前後とも、ほとんど、山が減っていません。 オン・ロード用が、こんなに長もちするとは、知りませんでした。

2015/05/10

映画批評(17)

  相変わらず、書く事なし。 何の疑いもなく、世の中に対する興味が薄くなっています。 というわけで、今回も映画評です。 映画の感想だけは、出しきれないほど、溜まっています。 楽だから、しばらく、このパターンで、お茶を濁し続けようかと考えています。 auのラブログでやっていた頃と比べ、閲覧者が、ぐっと減ったせいで、記事の内容についての責任感も軽くなったのは、怪我の功名というべきか・・・。




≪ハーべイ≫ 1950年 アメリカ
  ジェームズ・スチュアートさん主演の、些か異色なコメディー。 身長1メートル90センチのウサギが見えるという弟を持て余した姉が、彼を精神病院に送り込もうとするが、彼の物腰の柔らかさに、会う人みんなが、そのペースに巻き込まれてしまう話。

  最初は、「こんなアイデアで、映画になるのか?」と、頭の上に疑問符を浮かべて見ているのですが、話が進む内に、思っていたよりずっとよく出来ている話である事が分かり、巨大ウサギの存在を完全否定する者が出て来ない展開に、心温まるものを感じるようになります。

  主人公の姉が、うっかり、「自分にもウサギが見える」と言ってしまったために、精神病患者と診断され、急転直下の早業で捕獲されてしまう件りは、笑うしかないブラックな場面。 アメリカでも、この頃の精神病院というのは、こんな感じだったんですねえ。

  ただ、実際の精神病患者は、この主人公のように、会話の成立する人ばかりではないので、その点がちと、理想化しすぎている嫌いがなきにしも非ず。



≪カラマーゾフの兄弟≫ 1968年 ソ連
  言わずと知れた、ドストエフスキーの名作長編小説が原作。 ここ数年、新訳本がヒットしたり、翻案したドラマが作られたりして、注目度が高まっていますな。

  私は、20年くらい前に、世界文学全集に収録されていたものを読みました。 重くて、深い作品だとは思いましたが、≪罪と罰≫に比べると、長過ぎの、複雑過ぎで、そんなに面白いとは思いませんでした。 大体のストーリーと、印象深い場面が何ヵ所か、記憶に残っているだけ。

  父親と、それぞれ性格が全く違う三兄弟がいるカラマーゾフ家で、長男と次男が、長男の婚約者を巡って、財産絡みの三角関係になっていたところへ、父親と長男が、一人の女性を巡って争う関係になり、やがて、父親が何者かに殺され、長男が容疑者として裁判にかけられる話。

  原作の批評をし始めると、膨大な文章になってしまうので、この映画だけに限ります。 ソ連映画は、予算に糸目をつけないところに、最大の特徴があるのですが、ドストエフスキーの作品は、市井の人々が主な登場人物なので、大予算とは無縁で、その点、ソ連映画らしさは、あまり感じません。

  驚いたのは、演出です。 小説では、物静かに進行していると思っていた話が、映画になると、こんなにも激しくなるものかと・・・。 中心人物の長男は、原作でも、直情な性格という事になっていますが、この映画では、もーう、半端ないです。 逃げる女を追いかけて、あちこち怒鳴り込んで回る様など、とても、正気の人間には見えません。

  他の人物も、やけにセリフに力が入っていますが、恐らく、監督が、こういう演出が好きだったんでしょうねえ。 力が入り過ぎている為に、長男が単なる狂人に見えてしまって、その運命に哀れさを感じないのは、明らかに欠点です。 しかし、逆に、この過剰なほどの激しい演技が、この映画に、他では見られない生気を与えているのも事実。

  4時間近い大作ですが、三部に分かれていて、第一部、第二部が作られた後、監督が急死して、第三部は、出演俳優達が完成させたのだとか。 そのせいか、原作では、かなりの分量を占めている裁判の場面が、要点のみの描写になっているのが、残念。



≪スミス都へ行く≫ 1939年 アメリカ
  ジェームズ・スチュアートさん主演。 前に見ていて、たぶん、感想も書いたと思うんですが、かなり昔の事だったのか、どこに行ったか分からないので、もう一度書きます。

  数合わせのためだけに、州選出の上院議員に担ぎ出された、純朴で理想主義者の青年が、正義感ゆえに、担ぎ出した側の思惑に反する活動をし始めたところ、罠に嵌められ、上院から追放されそうになったのを、秘書の女の協力で、前代未聞の逆転策に打って出る話。

  古い映画ですが、十二分に面白いです。 最初の内、「子供のお守りはご免よ」と言って、青年を小馬鹿にしていた秘書が、次第に青年の純粋さに惹かれて行き、一度、辞職するものの、青年が窮地に立たされると、颯爽と再登場して、救いの手を差し伸べる展開が、実に心憎い。 主人公は、この秘書ではないかと思うほどです。

  上院の議長が、また、素晴らしいキャラ。 とことん公平で、一見、馬鹿馬鹿しいとしか思えない、青年の反撃策に、徹底的に付き合うのですが、その仕草から、「子供の心」を、多分に残している事が窺われ、青年と同じ種類の人間である事が分かります。 一時、議場にいるのが、青年と議長の二人だけになってしまうのは、凄い落差。

  それにしても、アメリカ人は、連邦議会に対し、日本の感覚では想像が及ばないほど、高い誇りを感じているようですな。 心底、自分の国の政治システムを、偉大なものだと信じているのでしょう。 その点、少なからず、怖い感じもしました。



≪パリ、恋人たちの2日間≫ 2007年 フランス・ドイツ
  ヒロインのジュリー・デルピーさんが、制作、監督、脚本など、大半の役回りを担った映画。 ほとんど、個人映画ですな。 恋愛物ですが、これから、くっつくパターンではなく、くっついていたのが、離れそうになる方。

  付き合い始めて2年になるフランス人の彼女と二人で、イタリア旅行を終えたアメリカ人の男が、帰りに、パリにある彼女の実家に寄り、二日間過ごす事になるが、その間に、彼女の元彼が何人も現れ、あまりに奔放な彼女の男遍歴に、驚愕する話。

  ジュリー・デルピーさん自身がフランス人なので、フランス人をどんなに扱き下ろそうが、問題ないとはいえ、それにしても、このヒロインの生態は、普通じゃありません。 現代のフランス人女性が、どういう人達なのか、よく知らないのですが、まさか、これが平均ではありますまいね。

  映画の出来は、お世辞にも良くなくて、前半は、ただ、ダラダラと締まりのない会話が続き、ストーリー性が感じられません。 それでいて、映像美に拘っているわけでもなし。 後半、元彼が続々と出現し始めると、ようやく、話になって来ますが、時すでに遅く、何が言いたいのか伝えきれぬまま、虚しく終わって行く感があります。



≪失われた週末≫ 1945年 アメリカ
  これも、前に見ていますが、感想を書いたかどうか、覚えていません。 アル中治療中の無名作家が、兄の勧めで、田舎で週末を過ごすつもりで荷造りしたものの、兄や恋人を騙して、姿を晦まし、酒を求めて、街を彷徨する話。

  アル中の救い難い実態を克明に描いた映画というと、この作品の他に、≪毎日かあさん≫なども見ましたが、いやはや、ほんとに、どーしょもないね、この病気は・・・。 この主人公の場合、仕事もしておらず、兄に喰わせて貰っている身の上だから、尚更、救いようがありません。

  そういう身分でありながら、結婚を前提につき合っている恋人がいるというのも、奇妙な話。 女性側からすれば、過去にアル中を立ち直らせた経験があるとでもいうならともかく、いきなり、こんな中毒患者にぶち当たったら、絶望して、縁を切りたがるんじゃないですかね?

  アル中映画が成り立つなら、ニコ中、カフェ中など、他の中毒をテーマにした映画もできそうなもんですが、なぜ、もっと、いろいろと作らないのか、不思議です。 恋愛物なんかより、ずっと、見応えがあるんですがねえ。



≪ヤァヤァ・シスターズの聖なる秘密≫ 2002年 アメリカ
  サンドラ・ブロックさん主演。 都会で劇作家をしている娘が、雑誌のインタビューに、母に虐待された思い出を語ったところ、それを読んだ田舎の母が激怒し、険悪な関係になってしまったのを、母の子供の頃からの親友3人が心配し、娘を略取して、田舎へ連れ戻し、母の過去の事情を語って聞かせる話。

  なんで、わざわざ、眠り薬を飲ませて略取しなければならないのかよく分かりませんが、それはさておき・・・、その辺りは、コメディーっぽいのに、母娘の因縁を対象にしたテーマは、にこりとも笑えないほど真面目で、どんな映画にしたかったのか、今一つ、理解できません。

  つまり、「あなたのお母さんは、昔、心を病んでいたのよ」と言いたいのでしょうが、それは、娘側から見れば、鞭で叩かれる正当な理由にはならんでしょう。 恨むな、悪口を言うな、という方が無理です。 こんなポンコツで凶暴な母親の人格を、理解して受け入れろというのは、無体、理不尽と言っても過言ではありません。

  母と親友3人で、「ヤァヤァ・シスターズ」というグループを構成しているのですが、その4人が、子供時代、若い頃、年老いた現在と、年齢ごとに別の俳優で演じているので、全部で12人も出て来て、誰が誰だか区別できず、頭がぐるぐるして来ます。

  サンドラ・ブロックさんは、娘の役ですが、もう、結婚前の娘を演じるような歳ではないですねえ。 実年齢上も、外見的にも。 ちなみに、この映画の撮影時、30代の後半だったと思われます。



≪ハイスクール・ミュージカル ザ・ムービー≫ 2008年 アメリカ
  題名の通りの映画。 高校を舞台に、高校生達が歌って踊る、ミュージカル。 卒業を控え、それぞれ別の大学へ進む事になりつつある主人公とヒロインが、進路に悩みながらも、学校の恒例行事である、ミュージカル公演の準備を進める話。

  ズバリ言って、見るに耐えません。 正直な感想、高校生の悩みなんて、私の知った事かいな。 大体、高校時代に交際していた男女が、卒業後も交際し続ける確率は、1パーセントにも満たないのであって、別れる方が自然なのですから、別々の大学へ行く事になったって、悩む必要などありますまい。

  そういう裏知識を持った上で見ていると、主人公とヒロインの関係が、不実であるばかりでなく、不純で、尚且つ、不潔に思えてしまうのです。 結局、そいつとは、結婚しないんだろう? んなの、遊んでるだけじゃん。

  ミュージカル場面ですが、インド映画の凄いのと比べると、どうにも、ちゃちに見えて仕方がありません。 曲も、古いんだか新しいんだか、中途半端な感じ。 はっきり断言できるのは、耳に残るような印象的な曲は、一つもなかったという事です。

  とはいうものの・・・、私の歳から見れば、子供騙しの域を出ない映画ですが、現役の高校生の目には、また違って見えるのかも知れませんな。 特に、アメリカやカナダの高校生には。



≪火天の城≫ 2009年 日本
  西田敏行さん主演の歴史劇。 ただし、ほとんど、創作です。 織田信長の安土城築城に、天守閣の設計施工者として声をかけられた、宮大工の棟梁とその一門が、信長の奇抜な注文や、コンペを乗り越え、命懸けで、芯柱用の材木を手に入れたりしながら、天主閣を築造していく話。

  元が創作なので、エピソードの数が絶対的に不足しており、その分を、主人公の家族や、門弟達の人間ドラマで埋めているせいで、何が描きたいのか、よく分からない映画になっています。 このストーリーで、映画を作ろうとした、企画段階での失敗ですな。

  一番まずいのは、木曽の杣人の行動でして、敵方の信長の城のために、神木を切って送り、自分は首を斬られてもいい、というのは、明らかに、不自然です。 一体、彼に何の得があるというんでしょう? 全くの、歌舞伎式お涙頂戴なのでして、鼻を摘みたくなります。

  主人公の娘役の福田沙紀さんが、もう、年頃の娘の役なのに、つんつるてんの着物を着せられているのは、あまりに不憫。 10歳以下の子供じゃないんだから・・・。 それでいて、着物の色柄は、普段着とは思えないほど、洒落ているのです。 変でしょう、そんなの。



≪ノックは無用≫ 1952年 アメリカ
  マリリン・モンローさん主演のサスペンス。 婚約者を飛行機事故で亡くした女が、ニューヨークへ出て来て、ホテルでエレベーター係をしているおじの斡旋で、泊り客の子供の世話をする事になるが、その姿を窓から見ていた別室の男を、部屋に招いた事から、主人公の精神状態が崩れ始める話。

  ほとんど、サイコ・サスペンスですな。 映像面のインパクトが、もう少し強ければ、ヒチコック作品だと思われても不思議ではない雰囲気です。 マリリン・モンローさんを、こういう役で使っていたというのが驚き。 もっとも、この頃はまだ、ほとんど無名だったようですが。

  モノクロですが、50年代ともなると、戦前作品のセリフぎゅう詰めスタイルから脱していて、間合いを取る事で、人物の心理を描写するようになります。 アメリカ映画の表現方法は、少しずつ発展して来たんですねえ。



≪素直な悪女≫ 1956年 フランス
  ブリジット・バルドーさん主演。 この映画が監督デビューのロジェ・バディムさんは、制作当時、バルドーさんの夫。 バルドーさんの出世作になった映画だとか。 当然の事ながら、若いので、可愛さ、美しさの絶頂にあります。

  孤児院から出て、港町の本屋で働いている娘が、移り気で身持ちが悪いために、周囲から悪女と見做されていたのを、ドックを経営する一家の次男が、兄と付き合っていたのを知りながら、求婚して、夫婦になるものの、やはり、行状が改まらず、悶着が続く話。

  一応、ストーリーはありますが、非常に薄っぺらいので、ストーリーだけ追っていると、眠ってしまいます。 この映画の制作目的は、100パーセント、バルドーさんのセクシーさを見せる事にあるのであって、他はオマケのようなもの。

  しかし・・・、私個人の感覚では、そーんなに、可愛いわけでもなければ、色気があるわけでもありませんなあ。 単に、私が枯れているだけかもしれませんが・・・。 その後の、美貌の衰えを知ってしまっているので、若い頃の魅力も、素直に認められない抵抗感があるのです。



≪クレイジー・ハート≫ 2009年 アメリカ
  ジェフ・ブリッジスさん主演。 かつての人気はとうに失せ、今は、酒に溺れながら、しょぼい地方巡業で、辛うじて喰い繋いでいる、カントリー・ウェスタンの歌手が、ある街でインタビューを受けた地方誌の女性記者と親密になるものの、アル中が禍して、紆余曲折する話。

  ミッキー・ロークさん主演の≪レスラー≫という映画がありますが、それの歌手バージョンと言ってもいいような話。 アイデアは、ほとんど、そのまんま、パクっています。 好き勝手放題な生き方をして来て、疎遠になっている子供から憎悪されているところも、そっくり。

  ただ、こちらは、アル中が自業自得なのと、落ちぶれたと言っても、行く先々に、昔からのファンがいて、結構いい思いをしているので、≪レスラー≫の主人公ほど、惨め度が高くないですし、再起にも、悲壮感が漂っていません。

  話よりも、南部アメリカの自然を映した背景に、はっとさせられるものがあります。 特に、友人と釣りをする場面と、ラストの雲の景色は、素晴らしい。



≪フラットライナーズ≫ 1990年 アメリカ
  キーファー・サザーランドさん、ジュリア・ロバーツさん、ケビン・ベーコンさんなど、後に主役級になる俳優さん達が、若い顔で出ている、サイコ・ホラー。 かなりの異色作です。 一応、サザーランドさんが中心ですが、群像劇としても見れます。

  死後の世界を体験する為に、自らの体を使って、心臓を停める実験を始めた医学生達が、それぞれ、子供の頃に犯した罪の記憶を呼び覚まされ、精神的に追い詰められて行く話。

  臨死実験というアイデアは面白いと思いますし、映像も不気味で、凝っているのですが、死後の世界ではなく、個人の記憶の方へ話が行ってしまうのは、肩透かしを喰らったようで、なんとも残念です。 どうしてまた、こういう話にしてしまったんでしょうかね?



≪柳生一族の陰謀≫ 1978年 日本
  ひやあ、懐かしいな、この映画。 「わしにつくも、敵にまわるも、心して決めい!」のCMが、未だに記憶に焼き付いています。 いや、見には行かなかったんですがね・・・。 しかし、このセリフは、映画の中では出て来ませんでした。 CM用に作られた場面だったようです。

  二代将軍秀忠が死んだ後、三代将軍に、長男の家光を推す柳生但馬守一派と、弟の忠長を担ぐ一派が、虚々実々の駆け引きを繰り広げる話。 秀忠が毒殺されたり、最後に、思いも寄らぬ人物まで殺されてしまったりと、かなり、創作が入っていて、歴史劇としては、規格外です。

  監督は、深作欣二さんで、これが最初の時代劇だったとか。 出演者は、萬屋錦之介、千葉真一、丹波哲郎、芦田伸介、松方弘樹、西郷輝彦、大原麗子、志穂美悦子、原田芳雄、真田広之などなど、書ききれないほど、当時の第一線俳優が顔を揃えています。

  はっきり言って、出し過ぎ。 その弊害がストーリーに表れていて、いくら130分あるとはいえ、これだけの出演者に見せ場を配分するとなると、一人一人の存在感は薄くならざるを得ません。 何だか、お祭りみたいな軽い雰囲気になってしまうんですな。 映画としては、そんなに出来はよくありません。



≪アリス・イン・ワンダーランド≫ 2010年 アメリカ
  ティム・バートンさん監督。 ディズニー映画ですが、こちらは、実写版の方。 ついこないだ、ジョニー・デップさんが出演すると言って、前宣伝していたような気がするのですが、もう、テレビで放送ですか。 全く以て、映画館に行く甲斐がない時代ですなあ。

  アンダーランドに行った記憶を失って、19歳になったアリスが、求婚パーティーから逃げ出して、再び、アンダーランドに迷い込み、赤の女王の支配下から抜け出すために、アリスを待ち望んでいた者達に求められて、予言の書に従い、女王の戦士と戦う話。

  いろいろ尾鰭を付けて、変えていますが、基本的には、アニメの≪不思議の国のアリス≫に近い話と言っていいと思います。 ≪鏡の国のアリス≫の方も、原作として挙げられていますが、私が原作を、どちらも読んでいないので、 どの程度の異同があるのか、判断できません。

  CGを多用していて、アンダーランドの奇妙さ、不気味さは、アニメと比べても、遜色ありません。 元々、このお話は、子供向けとは思えないほど、グロテスクな世界観を持っているようなのですが、そこが、大人の鑑賞にも耐える深みを生み出しているのでしょう。

  アリスは、19歳ですが、演じている女優さんはそんなに大人には見えず、10代半ばでも通るような外見。 ジョニー・デップさんは、マッドハッターという、帽子屋の役です。 白の女王の役で、アン・ハサウェイさんが出ていますが、どぎつい厚化粧のお陰で、顔の土砂崩れがあまり目立たないのは幸い。

  赤の女王は、ヘレナ・ボナム・カーターという人が演じていますが、CGで頭だけ大きくなっていて、これが、実に魅力的。 アニメの方は、がさつなおばさんでしたが、こちらはグロな中にも、可愛らしさがあって、キャラが立っています。 赤の女王を主役にして、スピンオフ映画が作れるくらい。



≪ラブソングができるまで≫ 2007年 アメリカ
  ヒュー・グラントさん、ドリュー・バリモアさん主演のコミカル・ロマンス。 ヒュー・グラントさんは、イギリス人ですが、この映画の舞台は、イギリスではなく、アメリカです。

  80年代に、ポップス・グループのメンバーとして一世を風靡したものの、その後、鳴かず飛ばずだった中年歌手が、人気絶頂の若い歌手から新曲作りを依頼されるものの、作詞家と反りが合わず、困っていたところ、たまたま、鉢植えの世話に来ていた女性に作詞の才能を見出し、一緒に曲を作って行く内に、恋に落ちる話。

  曲が出来るまでは、楽しい雰囲気で話が進みます。 ヒロインが何気なく口にした言葉に、主人公がスイスイとメロディーをつけていく行く様子は、魔法を見ているようで、実に小気味良いです。 問題はその後でして、二人が恋仲になると、急に、ただの恋愛物になってしまい、新味が感じられなくなります。

  ヒュー・グラントさんは、どことなく、ポール・マッカートニーさんを連想させる顔立ちのせいか、ぴったり、役に嵌まっています。 ドリュー・バリモアさんは、別に誰でも務まるような役。 



≪スネーク・フライト≫ 2006年 アメリカ
  サミュエル・L・ジャクソンさん主演のパニック映画。 FBIの捜査官が、殺人を目撃した青年を、ハワイから本土へ護送する飛行機の中で、青年を殺すために積み込まれた無数の毒蛇が乗客を襲い始める話。

  わはははは! パニック映画なんですが、なぜか、爆笑できる場面が目白押しです。 蛇の数が多過ぎるせいかとも思ったんですが、この映画の場合、多過ぎても少な過ぎても、やはり笑ってしまうと思います。 飛行機に蛇を放して、人を殺すというアイデアそのものが、滑稽且つ陳腐なんですな。

  サミュエル・L・ジャクソンさんは、作品を選ぶ俳優だと思っていたんですが、この映画は明らかに例外です。 彼以外に、有名な俳優は一人も出ていないし・・・。 全く無関係な乗客が、何十人死んだか分からないのに、ラストで、満足そうにニコニコ笑っているFBI捜査官って、人としてどーなんすかねえ。



≪デンデラ≫ 2011年 日本
  浅丘ルリ子さんが主演ですが、草笛光子さん、倍賞美津子さん他、高齢の女優さんたちが、大勢出ています。 姥捨て山に捨てられた老婆達が、デンデラという隠れ里で生き延びて、自分達を捨てた村の男達に復讐しようとしたり、熊と戦ったりする話。

  これは、ひどい。 よく、こんな程度の低い話を映画にしようなどと思ったものです。 また、出演した女優さん達も、気が知れません。 脚本を読んだ時点で、顎が外れるほどの、とんでも企画だという事くらい、分かりそうなもの。

  原作者も、映画の制作者達も、みな男性のようですが、女性の考え方が全く分かっていないところは、驚くしかありません。 身近な女性を観察する機会がちょっとでもあれば、老婆達が何十人集まっても、決して、村を襲おうとか、熊と戦おうなどとは考えない事は、分かるはずですがねえ。 ストーリーの発想が完全に、男製なのです。

  クライマックスが、熊との戦いというのも、動物愛護や、自然保護の精神が微塵も窺えず、恐ろしく大時代。 戦前の感覚ですな。 しかも、必然性がまるでなく、単に、後半のエピソードが足りなくなって、尺を延ばすためだけに、熊をダシにした疑いが濃厚だから、熱が出て来ます。

  唯一の見所は、浅丘ルリ子さんが、珍しく、薄化粧で出ていて、この人の顔立ちの本来の可愛らしさが見られるところでしょうか。 浅丘さんを可愛いと思ったのは、30年ぶりくらいですな、私は。



≪シティー・ヒート≫ 1984年 アメリカ
  バート・レイノルズさん、クリント・イーストウッドさん主演の、ハード・ボイルド。 禁酒法時代の終り頃、ギャングが対立しあう街で、相棒を殺された元刑事の探偵が、ある帳簿を巡る事件に巻き込まれ、昔の同僚の刑事と、協力したり対立したりしながら、ギャングと戦う話。

  カテゴリー的には、間違いなく、ハード・ボイルドなんですが、コメディーがかなり入っていて、実際には、半熟といったところ。 コメディーならコメディーに徹すればいいのに、ドンパチでも見せようと欲張っているので、虻蜂取らずになっています。

  84年というと、イーストウッドさんは、もう、≪ダーティー・ハリー≫シリーズの後期に差し掛かっていたころで、この時期に、こういう二流どころのアクション映画に出ていたというのは、意外ですな。 ダブル主演ですが、基本的には、バート・レイノルズさんの映画で、イーストウッドさんが、友情出演したのではないでしょうか。



≪SP 野望篇≫ 2010年 日本
  テレビ・ドラマの方は、政治臭いので見なかったんですが、これは二時間以下だったので、気軽に見てみました。 なるほど、こういう変わった設定だったんですねえ。 エスピーの話と言うより、エスパーの話と言った方が、適当。

  警視庁警備部警護課第四係に属する、特殊能力を備えた青年が、テロ事件を未然に防ぐ活躍を見せていたが、その能力ゆえに、国の中枢機構を変革しようと目論む組織から、邪魔な存在と見做され、命を狙われる話。

  特殊能力と言っていますが、限りなく、超能力に近いです。 SPの職務を描いたものだと思って見始めると、冒頭で、未来予知としか思えない能力が出て来た時点で、一気に白けてしまいます。 実際には、未来予知ではなく、犯人の心を読む能力らしいですが、現実にはありえない事である点は、超能力と全く同じ。

  政治家や秘密組織が出て来たりしますが、話は異様なほど単純で、ただ、超能力者を一人、始末しようというだけの事。 見せ場は、100パーセント、格闘アクションでして、舞台装置の複雑さに、中身が一致していないアンバランス感が、全編に漲っています。 一言で言うと、「変な感じ」の映画なのです。

  岡田准一さんや真木よう子さんが、体を張った格闘を見せるわけですが、努力は認めるものの、二人とも体格がいいわけではないので、不自然に強いというか、無理やりやってる感が拭えません。 配役の時点で、失敗していたのでは?

  銃を持っているくせに、有効に使おうとしないのも、何とも、奇妙。 あれだけ、過激な襲われ方をしていれば、一般の警官ですら、発砲が問題になる事はありますまいに。 単に、格闘を見せたいがために、銃の使用を控えているようにしか見えず、非常に不自然です。



≪SP 革命篇≫ 2011年 日本
  ≪野望篇≫の続編、というわけではなく、どうやら、この二本の映画は、本来一つの作品で、前編と後編を半年の間隔を置いて公開しただけの様子。 そういう事なら、≪野望篇≫で、アクション場面とストーリーのバランスが悪かった理由も、頷けます。

  議員を警護して、国会議事堂に入った警視庁警備部警護課第四係のメンバーが、自分達の上司が中心になって引き起こした、衆議院占拠事件に遭遇し、たった四人で、占拠グループに立ち向かって行く話。

  占拠グループは、「革命」を口にしているわけですが、実際にやったのは、単に汚職政治家に、罪の告白をさせる事だけで、とても、革命の発端になるような事件とは思えません。 発想が子供っぽいと言ってもいいです。

  堤真一さんが演じる、占拠グループの頭目が、個人的な恨みで、首相に復讐する事を目的に行動を起こした点も、≪革命≫の看板とは次元が違うように見えるのです。 動機的には、二時間サスペンスのレベルですな。

  そういう事は、映画の制作者達も承知しているようで、何とか、重み・深み・現実味を演出しようと思って、官僚グループや、公安グループなどを出し、対立構図を作って、工夫しているのですが、やはり、中身がないものはないのであって、どうにもカッコのつけようがない感じ。

  やはり、≪野望篇≫同様、この映画の見せ場は、格闘アクション場面に尽きるという事になります。 アクションの激しさは、≪野望篇≫と、ほぼ同じ。 同じような格闘術で戦っているのに、なぜか、第四係の面々が必ず勝つのは、ご都合主義ですなあ。 一人くらい、重傷を負えば、リアルになるのに。

  ≪野望篇≫に比べ、こちらでは、銃がかなり使われます。 奇妙なのは、第四係の面々が、議事堂の廊下での発砲は控えているくせに、本会議場に入ると、バンバン撃ちまくる事で、周りには議員がうじゃうじゃいるのに、外れたらどうすんねん?と思わずにはいられません。

  ≪野望篇≫と≪革命篇≫を総合的に見ると、やはり、アクション場面偏重の欠点が目に付きますなあ。 どうせ、アクションをメインにするなら、衆院占拠などという大袈裟な舞台にせずに、もっと、地味な事件にしておけば、不自然にならなかったのに。




  以上、20作まで。 2013年の2月末から、3月末にかけて見たものです。 そもそも、こんなに多くの感想を、何の為に書いたのかと言うと、2014年の3月までは、ホームページを持っていたのですが、そちらの、日記にアップしていたのです。

  私は、2001年にインターネットを始めて以降、プロバイダーは、DION(au)を利用して来たんですが、岩手異動を前にして、フレッツ光を解約し、モバイル回線に乗り換えたので、auでやっていたホームページもブログも閉鎖する事になりました。 料金が、5分の1以下になったのは、大喜びだったんですが、ネット上のデータが消えてしまったのは、痛かったです。

  で、映画の感想は、ネット上にアップされていないものが、ごっそり、手元に残っているというわけ。 数えてませんが、千くらいは、あるんじゃないでしょうか? ちなみに、全て、テレビ放送されたのを、家のテレビで見たものです。 映画館には、もう、20年くらい、行っていません。 最後に、映画館で見たのは、≪ガメラ2 レギオン襲来≫と、≪ノートルダムの鐘≫の二本立てでした。

2015/05/03

映画批評(16)

  毎日、遊んで暮らしているのに、なぜか、このブログの記事を書く時間が捻出できません。 一週間も間があるのに、なぜ、時間がなくなってしまうのか? まず、ネタが見つからないという事が大きいですが、他の事に時間を取られてしまっているのも事実でして、今の私の生活で、最も、多くの時間を占めているのは、「感想書き」です。

  働いていた頃から、仕事が閑な時期になると、テレビで放送する映画を片っ端から録画して見るようになり、一日、二本くらいならまだしも、三本も見て、却って、睡眠時間を削ってしまうという馬鹿な事をしていました。 それが、働かなくなってから、いくらでも、見れるものだから、今までに見ていなかった映画が放送されると知ると、全部、録画してしまい、見るのに忙殺され、感想を書くのに、また忙殺されるという、「二度死んだ男」みたいな状態になっている有様。

  その上、テレビ・ドラマの新作も見ていて、そちらの感想も、毎回分、書いているとなると、いくら、時間があっても足りません。 明らかに、やらなくてもいい事に、首を突っ込んで、自分で自分を苦しめているのです。 由々しい。 実に由々しい。 どうにかせねばなりません。

  という事情で、記事が用意できないので、映画の感想を出す事にします。 前にも、こんな事、やってましたな。 今、調べてみたら、≪映画批評≫という題で、15弾まで、やっていました。 えええーっ、そんなにーっ? 自分で驚いています。 ≪映画批評(15)≫の日付が、2013年の8月11日。 だけど、それらの映画を見て、感想を書いたのは、同年の2月の事のようです。  2年ちょい前で、停まっているわけだ。 さて、その後から、続けるべきか、最近の物に限るべきか・・・。

  考えてみれば、みんな、旧作ですから、最近のに限る理由もないですな。 では、古い方から出しましょう。




≪ターザン2≫ 2005年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 手描きですが、動きにコンピューターっぽいところもあります。 もっとも、手描きといっても、コンピューター上で手描きしているわけで、CGではないという意味。

  ゴリラの群の中で、幼いターザンが、自分が他のゴリラと違う事に悩み、崖から落ちた事故をきっかけに、群から離れて、ズーコーという化け物を装って、孤独に暮らしている老ゴリラの元で、自分探しをする話。

  ≪ターザン≫は、劇場公開されましたが、この≪ターザン2≫は、オリジナル・ビデオとして作られたそうで、それなりのクオリティーしかありません。 はっきり言って、子供向けで、大人が見て感動するような出来ではないです。

  ディズニーがアニメ化すると、どの作品も、元々、子供向けだったかのような錯覚を抱いてしまいますが、≪ターザン≫は、エドガー・ライス・バロウズが書いた、冒険小説がオリジナルなので、決して、子供向けの話ではないです。 しかし、この≪2≫は、バロウズとは無関係に、ディズニーで作ったストーリーでしょう。



≪長崎ぶらぶら節≫ 2000年 日本
  吉永小百合さん主演、渡哲也さん助演。 明治から、昭和初期にかけて、長崎に実在した、「愛八」という名の芸者の後半生を描いた映画。

  子供の頃、漁師の家から、長崎の遊郭へ身売りされた娘が、長じて、三味線の腕で名が知れた芸者になるが、ある時、客の民俗学者に頼まれて、二人で、長崎に伝わる唄を収集して回る内、学者に恋心を抱くものの、彼には妻がいて、添い遂げられぬまま、芸者として、一生を終える話。

  吉永小百合さんの主演映画は数あれど、主人公として、一人の女の人生を演じきったというと、これが代表的作品になるのではないでしょうか。 最初から最後まで出ずっぱりで、他の登場人物にウエイトが移る場面が、全くありません。 渡哲也さんは、完全に脇役です。

  遊郭物というと、ヤクザが絡んで、斬った張ったの血腥い話になるものがほとんどですが、これは、別格。 あくまで、芸者の人生を描く人間ドラマに徹していて、アクションで見せようなどとは、金輪際考えていないところが、好感が持てます。

  世話になっていた旦那と別れて、一人暮らしを始めた主人公が、一人で食事をする場面など、今までの遊郭物ではありえない、リアルな描写ですな。 ううむ、素晴らしい。

  肺病病みの妹弟子の入院費を出してやるとか、実家の弟に金を着服されるとか、ありきたりなエピソードがありますし、二人で長崎の唄を収集して回る部分が、もっと長くてもいいような気もしますが、全体的に見れば、それらの欠点が気にならないくらい、いい映画だと思います。

  ただし、戦艦土佐のエピソードは、確実に蛇足。 戦艦土佐のエピソードというのは、軍縮条約で、造ったばかりの戦艦を沈めなければならなくなったのを、海軍の軍人達に混じって、主人公までが嘆くのですが、なんで、芸者が、そんな感傷を抱くのか、不自然としか思えないからです。



≪華麗なる対決≫ 1971年 フランス・イタリア・スペイン
  ブリジット・バルドーさん、クラウディア・カルディナーレさん、ダブル主演の西部劇。 基本的にはフランス映画で、言語もフランス語が主です。 フランス人が作った町という設定ですが、西部と言うより、南部なんでしょうか。 南部なら、フランスの植民地だったので、ありえる事です。

  女ばかりの列車強盗5人組が、牧場の権利書を手に入れ、足を洗って、落ち着こうとするものの、その牧場の地下に油田があると知った、地元の乱暴物一家が乗り込んで来て、強盗団の頭目の女と、一家の長である姉が、力づく、色気づくで、張り合う話。

  フランス製の西部劇というだけでも珍しいですが、その上、コメディーです。 笑えはしませんが、この明るく楽しい雰囲気は、特筆物。 西部劇で、コメディーというのは、よほど、古いものを除いて、見た事がありません。

  B.BとC.Cを揃えたのは、色気勝負をさせるためなのですが、バルドーさんは、もう、美のピークを過ぎており、正直、見るに耐えません。 特に、目の周りに、全くインパクトがなくなってしまい、若い頃とは別人のようになっています。 残念至極。



≪ユー・ガット・メール≫ 1998年 アメリカ
  メグ・ライアンさん、トム・ハンクスさん主演のコミカル・ロマンス。 5年前の、≪めぐり逢えたら≫と同じく、ノーラ・エフロンさん監督・脚本。

  互いに何者なのか知らないまま、メール友達になっていた男女が、大型書店チェーンの経営者と、老舗の本屋の店主として出会い、いがみ合うが、やがて、男の方が、女をメールの相手だと知り、戸惑いやためらいを乗り越えて、現実世界での距離を縮めていこうとする話。

  現実世界とメール世界で、正反対の人間関係にある点が、コメディーの仕掛けになっているわけですが、いささか、策を弄し過ぎた嫌いがあり、笑えないばかりか、不自然さに、気分が悪くなって来ます。 ≪めぐり逢えたら≫とは逆に、男の方に腹が立つ話です。

  結局、男の望みは全て叶い、女は、多くのものを失うわけですが、あまりにも、不公平なため、洒落たロマンスを楽しむどころではありません。 この二人は、この後、結婚するのでしょうが、このヒロインは、親から受け継いだ店を、夫に潰された事になるわけで、そんな夫を愛せるんでしょうか?

  ヒロインの過去の思い出は、ほとんど、潰れた店と関連していると思われますが、それでは、夫を相手に、気楽な思い出話もできません。 親の仇と結婚したようなもので、こんな夫婦は、とても、長続きしないでしょう。 ノーラ・エフロンという人は、話の作り方が下手ですな。

  この邦題を見て、「なんか、変じゃないの?」と思った人は、学生時代に、英文法を真面目に習った人だと思います。 原題は、≪You've got Mail≫で、当然の事ながら、完了形の完了相です。 そうでなきゃ、「今、メールを受け取った」と知らせる意味にならんじゃないですか。 過去形にして、どうする?



≪マルタの鷹≫ 1941年 アメリカ
  ハンフリー・ボガートさん主演の探偵物。 ハード・ボイルド物の元祖みたいな位置づけになっている作品だとか。 題名だけ見ると、戦争物かスパイ物のようですが、そんな要素は全然ないです。 一種の羊頭狗肉。

  相棒と二人で探偵事務所をやっている男の元へ、妹を捜して欲しいという女の依頼人が訪ねて来たその夜に、相棒が殺され、その容疑者も別の者に殺されてしまい、女から事情を訊いた男が、「マルタの鷹」という歴史的価値がある彫像を狙う一味と接触し、事件の真相に迫る話。

  梗概が分かり難い時は、映画自体が分かり難いと思ってください。 いや、事件そのものは、決して複雑ではないのですが、語り方が遠まわしなので、結果的に分かり難い映画になってしまっているのです。 正直な感想、これのどこが名作なんだか、私にゃ、さっぱり・・・。

  「マルタの鷹」は、十字軍の時代に、地中海の島国、マルタの騎士団が、スペイン王に、謝礼として贈った、宝石で飾られた純金製の鷹の彫像という設定ですが、とにかく、高価な美術品であれば、どんなものであっても成立する話でして、この題名に騙されて、つまらんものを見てしまった、自分が情けないったら、ありゃしない。

  何がまずいといって、セリフばかり詰まっていて、映像作品としてのゆとりが感じられないところが、一番いけません。 とにかく、脚本をそのまんま映像にしただけで、全編、人が喋っている場面で埋め尽くされています。 こういうのは、字幕から目が離せず、すっごい疲れるのです。

  それに輪を掛けて、主人公が曲者で、探偵らしからぬ行動を取るので、話の展開が読めず、もやもやした気分が、ずっと続きます。 そして、最後に、一気に真相が明かされるわけですが、その頃にはもう、殺人事件の真犯人など、どーでもよくなってしまっているのです。 アメリカ映画で、これだけ、ド下手な語り方も、珍しい。

  そもそも、中心になる事件は、「マルタの鷹」の行方なのか、殺人事件なのか、どっちなのよ? 一遍に二つの事件を語って、混乱するなという方が無理でしょう。 あまりにも、つまらないので、途中、四回、寝てしまい、そのつど、巻き戻して見直しました。 無駄な時間だった・・・。



≪シンデレラ≫ 1950年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 念のために書いておきますと、シンデレラは、ディズニーのオリジナル作品ではなく、昔話が元です。 まったく、ディズニーがアニメ化すると、原作のイメージまで、ディズニー色に染まってしまう感がありますな。

  ストーリーは、知らない人がいないと思うので、梗概は割愛。 シンデレラが不幸な境遇に陥るまでの経緯は、前口上のナレーションで語られてしまい、いきなり、継母と継姉達にいびられるところから始まります。 終わりは、ガラスの靴に足が合って、王子と結婚するところまで。

  74分の作品ですが、知っての通り、シンデレラは、文章にすれば、10ページくらいで終わってしまう話なので、尺を延ばすために、大幅に水増しされています。 ところが、増やしたエピソードというのが、子供向けを意識したせいか、シンデレラの友達であるネズミ達と、継母の飼い猫の戦いになっているから、熱が出る。 とてもじゃないが、大人には、付き合いきれません。

  その戦いも、≪トムとジェリー≫のようなインパクトのあるギャグではなく、いかにもディズニー風の、毒のない、良い子向けのじゃれあいだから、もー、どーしょもないです。 同じ、昔話原作のディズニー・アニメでも、≪白雪姫≫に比べて、この作品の知名度が低いのは、この欠点のせいでしょう。

  ネズミなんか出すくらいなら、シンデレラの幼い頃から話を始めて、幸せだった生活が、実の母の死と、父の再婚を契機に、暗転していく様子を描けば、ずっと、見応えのある話になったものを。 なんで、ネズミやねん? ナメとんのか、われ?



≪シンデレラⅡ≫ 2001年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 たまげた事に、≪シンデレラ≫の51年後に作られた続編。 キャラデや背景のタッチは、合わせられていて、半世紀も間が空いているようには見えません。 しかし、タッチを写すのは、アニメーターの基本技術なので、それに関しては驚くに値しません。

  「昔話の続編というのは、どんな風に展開したのだろう?」と、興味津々で見始めたのですが、とんだ期待外れでした。 スカと言っても、過言ではない。 一本の話ではなく、三本の短編を括っただけで、しかも、シンデレラが主役なのは、一本だけ。 なんじゃ、こりゃ?

  第一話の、王子の妻になったシンデレラが、お城のパーティーのやり方を改革する話は、続編というには、エピソードがささやか過ぎ。 第二話の、ネズミのチャックが、シンデレラの役に立ちたくて、魔法で人間にしてもらう話は、完全な子供向け。 第三話の、継姉のアナスタシアが、町のパン屋と恋に落ちる話は、あまりに、ありきたり。

  よくもまあ、こんな脚本で、企画が通ったものです。 もろ、手抜きではありませんか。 やはり、オリジナルがスカだと、続編もスカにならざるを得ないんでしょうか。 それにしても、これはひどい。



≪シンデレラⅢ 戻された時計の針≫ 2007年 アメリカ
  ディズニーのアニメ。 ≪Ⅱ≫から、6年経っていますが、私が思うに、その間に、「≪Ⅱ≫が、≪シンデレラ≫の続編というのは、あまりにもひどいのではないか・・・」と、ディズニー内部で、議論が交わされたのではありますまいか。 で、改めて、続編らしい続編を作ったと。

  シンデレラが王子の妻になって以降、落ちぶれた継母と継姉達が、魔法使いから杖を取り上げ、舞踏会の翌日まで時間を巻き戻した上、王子の記憶を変えて、継姉のアナスタシアが、ダンスの相手だったと思い込ませたため、シンデレラが、ネズミや小鳥達の助けを借りて、お城に潜入し、王子の心を取り戻そうとする話。

  これなら、まあまあ、まともに鑑賞できます。 ただし、絶賛するような出来ではありません。 どうにかこうにか、普通に見れるといったレベル。 前二作と違って、王子にキャラクターが与えられていて、意思を持って行動しているところが、何よりも宜しい。

  アナスタシアは、≪Ⅱ≫で、町のパン屋と結ばれているはずですが、この≪Ⅲ≫では、その設定は、リセットされています。 もしかしたら、≪シンデレラ≫と≪Ⅱ≫の間に入る話として、考えたのかもしれません。



≪ビロウ≫ 2002年 アメリカ
  第二次世界大戦中の大西洋を舞台にした、潜水艦物。 沈められた病院船の生存者を救助したアメリカの潜水艦が、ドイツ軍の駆逐艦に追われて、なかなか浮上できず、酸素が足りなくなる中、艦内で奇怪な事件が相次ぎ、やがて、事故死したと思われていた艦長の、本当の死因が明らかになっていく話。

  ホラーと見せかけて、実は、犯罪物です。 ホラー的サスペンスが見所なので、それを書いたら、ネタばれになってしまうわけですが、そこを敢えて書くのは、大して面白い映画ではないからです。 潜水艦物としては、≪レッド・オクトーバーを追え≫や、≪U‐571≫よりはマシなものの、≪U・ボート≫や、≪K-19≫には、遠く及びません。

  潜水艦物というより、閉鎖空間で追い詰められる恐怖という、≪エイリアン≫的な面白さを狙っているのだと思うのですが、それなら、本当にホラーにしてしまった方が、流れが自然になったと思います。 強いて誉めれば、CGを使った、海中場面だけは、よく出来ています。



≪花咲ける騎士道≫ 1952年 フランス・イタリア
  18世紀、ルイ15世時代のフランスで、王女と結婚するという予言を信じて、軍隊に入った青年が、彼のために王に借りを作り、追われる事になった娘を助けるために、奮闘する話。

  この作品、ちょっとした傑作として映画史に名を刻まれているようですが、実際に見てみると、やはり、古いです。 もろ、時代活劇。 フランス映画も、この頃には、ベタなストーリーを語っておったんですなあ。 だけど、つまらない映画ではありません。

  剣劇ですが、コメディー仕立てになっていて、終始明るい雰囲気で話が進みます。 斬り合いはあるものの、人は一人も死んでいないんじゃないでしょうか。 その分、甘い話になっていて、隣国との戦争の成り行きも、おちゃらけで片付いてしまいますが、まあ、それはそれで許せてしまう話なのです。

  原題は、≪FANFAN LA TULIPE≫で、強いて直訳すれば、≪チューリップ・ファンファン≫。 ファンファンというのは、主人公の名前。 チューリップは、渾名です。 邦題には、騎士道という言葉が入っていますが、騎士というより、銃士と言った方が適切。 一応、剣も使うけれど、戦闘の主役は、銃になっているという時代なんですな。

  よく、≪スター・ウォーズ≫の原型は、≪隠し砦の三悪人≫だと言われますが、この映画を見ると、更に、その原型を見たような気分になります。 ラストの表彰式なんて、そっくりですな。



≪ALWAYS 三丁目の夕日'64≫ 2011年 日本
  シリーズ、第三作。 ようやく、本当の高度成長期に差し掛かり、各家庭にテレビが普及し始める時代になりました。 なぜ、特別に、1964年なのかというと、東京オリンピックがあった年だからです。

  鈴木オートの整備士、六ちゃんが、青年医師と恋に落ちる話。 駄菓子屋の小説家、茶川先生と、彼を追い上げる新人作家の話。 茶川先生と、死に掛けている父親の因縁話。 茶川夫妻の子供の誕生の話。 ・・・などが語られます。

  茶川先生絡みの話がほとんどですな。 堤真一さんが演じる、鈴木オートの社長は、このシリーズ切っての、好感度キャラなんですが、どんどん露出が減っていく傾向にあります。 勿体ないなあ。

  もはや、映画というより、連続ドラマを数話分ごとに編集し直して、劇場公開しているような趣きです。 こうなってしまうと、単独の作品として、ああだこうだと批評し難いところがありますな。 実際のところ、概ね、いい作品だと思うのですが、強いて難点を挙げるなら・・・。

  茶川先生が、養子の淳之介を追い出す件りは、お涙頂戴の度が過ぎるように感じられます。 自分が父親にされたのと同じ事を、淳之介にしたわけですが、自分自身がいい例であるように、厳しくされたからといって、必ず、小説家として成功するわけではないのですから、「何も、こんな、むごい別れ方をしなくてもよかろうに・・・」と思ってしまうのです。



≪ブリジット・ジョーンズの日記≫ 2001年 アメリカ・イギリス
  題名だけは前から知っていて、「日記」という言葉がついているので、内向的な女性の話かと想像していたんですが、とんだ思い違いでした。 男に飢えたメスブタですな。 こんな女が、律儀に日記なんぞ、つけられるものかね。

  男にだらしがない割に、結婚相手を見つけられないまま、32歳になってしまったOLが、今度こそ、悪い男に引っ掛からないようにするため、日記をつける事で、自分の行動を律しようとするものの、早速、色悪の上司に引っ掛かり、幼馴染のバツイチ男との間で、三角関係に陥る話。

  題名が知れ渡っているという事は、評価が高かったという事でしょうが、私の感覚では、不自然な話としか思えません。 わざわざ、主演女優を太らせて、太めの女を主人公にしたらしいですが、性格が図抜けて良いというのならともかく、目も当てられないグダグダ人間でして、外見も悪い、性格も悪い、こんな女が、いい男二人から求愛されるなど、現実には、ありえますまい。

  また、主演の女優さんが、ただ肉付きが良過ぎるだけでなく、顔がパッとしないんですわ。 ブスではないけれど、美人と言うには、普通過ぎる顔なのです。 よく、これで、オーディションに通りましたねえ。

  逆に言うと、こういう、パッとしない主人公が、いい男にもてる話だから、同じようにパッとしない女性の観客に受けたのかもしれません。 男の目から見ると、ただただ、下品で、悪趣味で、醜悪なだけの映画なのですがね。



≪ブリジット・ジョーンズの日記 きれそうなわたしの12か月≫ 2004年 アメリカ
  ≪ブリジット・ジョーンズの日記≫の続編。 本当に、前作の続きの話で、こういうのを、真の意味での続編と言うのでしょう。 そして、しょーもなさも、律儀に受け継いでいます。

  ようやく、求めていた男性と巡りあったと思っていた主人公が、己のドジの連続で、彼氏との間に距離を感じ始め、一旦別れて、前の男と共に、仕事でタイへ取材へ行ったら、密輸事件に巻き込まれてしまい、どん底の境遇に陥る話。

  物語の中の時間は、前作が終わった後、数週間後から始まるのですが、制作には、3年の間が空いていて、主人公の肥え方は、数週間しか経っていないとは思えないほど、加速しています。 この女優さん、本当に役作りのために太ったんですかね? ただの、喰い過ぎなのでは? もはや、「太め」ではなく、明らかに、「デブ」です。

  容色がより衰え、ドジ度も上がっているせいで、ますます、主人公に感情移入するのが難しくなっています。 こんな人、放っておくのが一番でしょうに。 無理にいい男と結婚しても、その後も、恥の多い人生を送るだけだと思いますぜ。



≪チャイコフスキー≫ 1970年 ソ連
  チャイコフスキーの伝記映画。 名前こそ知れ渡っていたものの、常に金欠生活が続いていたチャイコフスキーと、彼の音楽の熱心なファンで、パトロンとして資金援助をしていた貴婦人の、プラトニックな交友を軸に、若い女との結婚の失敗や、創作上の苦悩などを描いた話。

  時代はロシアの帝政晩期、19世紀の後半です。 死の寸前まで話が至りますが、チャイコフスキーの没年は1893年ですから、まあ大体、その前の30年くらい間の話なんでしょう。 チャイコフスキーやその下僕の髪が、次第に白くなっていくので、何十年かは経っているのだな、と分かる寸法。

  暗いというか、寒いというか、こういう雰囲気の映画は、ソ連・ロシア以外では、作れないのではありますまいか。 とにかく、テンションが上がる部分が、ほとんどありません。 しかし、つまらないというわけではなく、見始めると、独特の雰囲気に浸りこんでしまって、最後まで、見てしまうのです。

  作曲家の伝記映画というと、≪アマデウス≫がありますが、この映画には、そちらほどのストーリー性はないので、同類の面白さを期待していると、肩透かしを喰らいます。 ≪アマデウス≫と共通しているのは、天才と呼ばれる芸術家でも、幸福な人生を送ったわけではない事が分かるところ。

  華麗にして壮大な雰囲気を持つ、チャイコフスキーの曲が、たくさん使われていて、映像の陰鬱さを中和するのに、かなりの効果を発揮しています。 しかし、≪くるみ割り人形≫の曲は出て来ません。 楽しい雰囲気の曲なので、映画に合わないと判断されたのでしょうか。



≪バレンタインデー≫ 2010年 アメリカ
  ロサンゼルスに住む十数人の男女が過ごす、バレンタイン・デーの様子を追った、恋愛群像劇。 シャーリー・マクレーン、ジュリア・ロバーツ、アン・ハサウェイ、ジェイミー・アダムスなど、名が通った俳優さん達も出ていますが、ストーリー上の重要度は、知名度に比例しておらず、「ちょっとだけ、出て」と頼まれて、友情出演した雰囲気が濃厚。

  2003年のイギリス映画に、≪ラブ・アクチュアリー≫というのがありましたが、アイデアは、そのまんまパクリです。 エピソード間の関連性が薄い点や、俳優の顔ぶれが、有名・無名入り混じっているところまで、そっくり。 こういうのは、アイデア盗用で、問題にならないんですかね?

  ≪ラブ・アクチュアリー≫ではクリスマスだったのが、こちらでは、バレンタイン・デーになっているだけ。 アメリカでも、バレンタイン・デーというのはやるんですね。 もっとも、日本と違って、贈るのは、チョコではなく、専ら、花。 告白の方向も、性別を問わないようですが。

  ストーリーは、あまりにも多くのエピソードが入り混じるので、とても要約できません。 登場人物が多過ぎて、最初の内は、誰がどの人と関連しているのか分からずに、見る者の脳に大きな負担がかかります。 その上、カット割りが細かいので、話がぴょんぴょん飛び回って、≪ラブ・アクチュアリー≫以上に、目まぐるしいです。

  しかし、後半になると、大体の流れが読めてきて、まあまあ、理解可能な話に纏められて行くのが分かるようになります。 ただし、一つ一つのエピソードは、ありきたりなので、感動に至るような事はありません。 恋愛群像劇というのは、映画でやるには、無理があるような気がしますねえ。



≪デーブ≫ 1993年 アメリカ
  主演のケビン・クラインさんより、助演のシガニー・ウイーバーさんの方が、有名か。 というか、ケビン・クラインさんて、他の作品を見た事がないですな。 ≪ソフィーの選択≫に出てた? あの、乱暴者の男? 顔は、忘れたなあ。

  小さな人材紹介会社を営む傍ら、大統領にそっくりな容貌を活かして、出張モノマネ・サービスをやっていた男が、大統領の代役として一晩だけ雇われるが、その間に、浮気中だった大統領が脳卒中で重態になってしまい、契約延長して、大統領の代役を続ける話。

  基本アイデアは、≪王子と乞食≫がベースだと思います。 ただし、本物の大統領は、すでに植物人間なので、主人公が元の立場に戻る時の仕掛けは、ずっと込み入ってます。 副大統領の存在を、非常に巧く使っており、流れに不自然さがありません。

  実際には、およそありそうにない話ですが、細かいところまでよく練られていて、見ている内に、納得させられてしまうから、大した脚本の腕。 そもそも、主人公に代役を続けさせようと言い出した張本人が、途中から敵になるというのも、面白いですなあ。 実に、見事なストーリー展開です。

  セットだとは思いますが、ホワイトハウスの中が、ふんだんに映ります。 飛び抜けて、豪華でも、ハイテクでもないところが、ちと意外。 ラストですが、前大統領の未亡人が、これから市議選に出ようとする男と恋に落ちたら、それはそれで、ニュース・ネタになってしまいそうですな。



≪ノルウェイの森≫ 2010年 日本
  録画してから、二ヵ月近く放置していて、ようやく、見ました。 いや、正確に言うと、最初の一時間は、普通に見たのですが、耐え切れずに、後は、1.3倍で早送りしました。 理由は、あまりにも、退屈で、しかも、陰鬱だから。 その上、長過ぎ。

  原作は、某有名作家の出世作ですが、私は、20年くらい前に読んでいて、それ一作で、「もう、この人の小説は、読む必要ないな」と、判断した人間です。 その当時、世界文学の古典を読み漁っていたので、それらと比較すると、どうにも、高い評価ができなかったのです。

  出会う女と片っ端から性交してしまう主人公に、強烈な嫌悪感を覚えただけでなく、そういう小説を書いた作者の考え方や、そういう作品を持て囃している読者達の反応に、抜き難い反発を抱いたという次第。 外国で話題になったと聞いても、「ただ、低劣な人間に受けただけだろう」としか思いません。

  で、この映画ですが、映像美重視で、自然風景の描写などは、いい雰囲気を出していると思うものの、原作のしょーもないストーリーはそのままでして、とてもじゃないけど、貴重な時間を割いてまで、見る気にはなれません。 いや、よほど閑な時でも、これを見るのは苦痛ですわ。

  こういう若者達に、価値を感じないのですよ。 ただ、動物的反応で生きているだけのように見えるのです。 人間に見えない。 過去にショッキングな事件があって、精神に変調を来たした? そんなの、私には、何の興味もないです。 おかしくなった同士で、勝手にやってくださいな。 この主人公やヒロインに、シンクロせーっちゅー方が無理でしょうが。

  原作の欠点には触れないとしても、女性の登場人物の配役が、おかしくないですか? 菊地凛子さんは、撮影時、すでに20代後半だと思うのですが、20歳の役をやらせるのは、無理があるでしょうに。 松山ケンイチさんは、年齢的には問題ないですが、濡れ場で、否でも目に飛び込んで来る白いブリーフがなあ・・・。



≪世界の中心で、愛を叫ぶ≫ 2004年 日本
  大沢たかおさん、長澤まさみさん、森山未來さん主演。 これも、知らない人がいないくらい有名になった映画。 私は見た事がなくて、先に、韓国版リメイクの≪僕の、世界の中心は、君だ。≫の方を見ていただけでした。

  結婚を間近に控えた男が、同郷の婚約者が、突然、姿を消してしまったのを追って、故郷の町へ帰ると、高校時代に、病気で死に別れた恋人の記憶が甦り、恋人の残したカセット・テープの声を聞きながら、思い出の場所を彷徨して、当時を振り返る話。

  原作は、こういう形式ではないようで、テレビ版、映画版、韓国版で、かなりの異同がある模様。 しかし、高校時代の死別という、基本部分は同じです。 かなり、ベタな、難病物。 しかも、病名が白血病というから、もう、ベタもベタ、ベタベタ。

  しかし、高校時代に限って言うなら、悪い話ではないです。 話の展開に無理がなくて、お涙頂戴になっていないところは、巧み。 問題は、現在の方で、東京で出会った婚約者が、実は、かつて、ヒロインから主人公への、カセット・テープの届け役をしていた小学生だった、という設定は、明らかに、捻り過ぎです。

  しかも、交通事故に遭って、最後のテープを渡せなかったというのですが、別に、怪我が治ってから渡しても良かったはずですし、ヒロインが死んだ事を知らなかったというのも、不自然です。 数奇な巡り合わせを演出しようとして、やり過ぎて、傷をつけてしまったんですな。

  高校時代のみに限るなら、長澤まさみさんの演ずるヒロインが、実に魅力的で、もう、それだけで、映画の価値を2倍くらい高くしています。 高校時代に、こういう彼女がいたら、そーりゃ、幸せだよねえ。 もっとも、そんな彼女が死んでしまったのですから、不幸の度も、並大抵ではないわけですが。



≪7つの贈り物≫ 2008年 アメリカ
  ウィル・スミスさん主演。 ≪幸せのちから≫と同じ監督で、何が共通しているかというと、話の暗い雰囲気です。 この監督、最終的に、いい話になれば、そこに至る経過は、どんな語り方をしても構わないと思っている様子。

  過去に、自分のミスで、大きな事故を起こしてしまった男が、その償いのために、犠牲者の数と同じ数の人間を助けようと、身を捨てて、努力する話。

  うーむ、この梗概、結構、配慮して書いたつもりなんですが、それでも、書き過ぎているかもしれませんな。 この映画、謎が仕掛けられていて、主人公の意図が、少しずつ分かっていくようになっているので、ストーリーを分かり易く要約すると、ネタバレになってしまうのです。

  現実には、こういう事をするほど、贖罪意識が強い人はいないと思うので、不自然な話という感は否めません。 クライマックスの衝撃度は高いものの、こういう衝撃は、あまり受けたくないものですなあ。 「ここまでせんでも・・・」と、思ってしまうのです。

  後半、実質的なヒロインである、印刷工房の女性との交流は、とても感動的です。 古い機械で、結婚式の招待状を印刷する仕事、という設定が、洒落ています。 また、壊れていた機械を、MIT出身の主人公が、こっそり直してやるのも、粋な展開。

  このヒロインの女優さん、ロザリオ・ドーソンという人ですが、型に嵌まった美人ではないのに、演技力で魅力を作り出しているのは、大したものです。 ラスト近くで、バスタブの湯に耳まで浸かって、心臓の音を聞く場面は、秀逸。



≪牙狼<GARO> RED REQUIEM≫ 2010年 日本
  えーとー・・・、これは、何と言いましょうか・・・、困ったな。 こういうのは・・・。 人間界を乱す魔獣を狩るために、放浪を続ける魔戒騎士が、ある街で、魔鏡の中に棲む魔獣の存在を知り、魔戒法師の女と共に、魔鏡の中に入って行く話。 全然、分からんすか? 無理もない・・・。

  作品全体のイメージとしては、ファンタジー・アクション系のゲームの世界や、テレビの戦隊ヒーロー物が近いです。 では、子供向けかというと、そうではなく、女性の裸がポンポン出て来るので、「一体、どの年齢層を狙って作ったの?」と、首を傾げてしまうのです。

  ストーリーは、よく言えば、シンプル、悪く言えば、シンプル過ぎで、理屈も糞もなく、ただ、ヒーロー一味が魔物を倒しに行くだけの話。 人間ドラマらしきものも、一応ありますが、これは、臭過ぎて、評価のしようがありません。 セリフの不自然さにかけては、当代随一。

  見所は、戦闘場面のアクションのみにあります。 やたらと勿体つけたポーズや、CGによる特殊効果が満載で、最初の内は、アホ臭くて、フリーズしてしまいますが、中盤の、クラブ(旧ディスコ)での乱闘場面に至ると、あまりにも激しい戦いに、いつのまにか、手に汗握っている自分を発見して、この作品の価値を、初めて認識する事になります。

  クライマックスの戦いは、ちょっと、CGを使い過ぎていて、逆に、盛り上がりに欠けます。 主人公が、黄金の鎧を着ると、最強になるという設定なのですが、鎧姿は、フルCGになるため、動きに生気がなくなってしまうのです。 やっぱり、生身の人間のアクションが元になっていないと、リアルさが保てないんですな。




  このくらいにしておきましょうか。 これで、20作です。 以前は、15作くらいずつ出していましたが、そのペースでは、いつまで経っても、現在に追いつきそうにないので、少し増やした次第。 20出しても、これらの作品を見て、感想を書いていたのは、まだ、2013年の2月の内です。 一体、どういう生活をしてたんでしょうね、私は?


  今、ふと思ったんですが、引退後、やる事がなくて困っているという人は、テレビだけは、必ず見ているわけだから、「映画ブログ」や、「ドラマ・ブログ」を立ち上げて、感想を公開すればいいのではないですかね? ネットの特性は、リアルタイム至上主義から解放されている事でして、古い作品の感想でも、問題ありません。 読みたい人は、タイトルを検索して、やって来るから、新作だろうが、旧作だろうが、関係ないんですな。

  ただ見ているだけだと、頭がボケる。 その点、感想を書くとなると、感想自体を、読み物として、ある程度、内容のあるものにしなければならないから、それなりに頭を使い、ボケ防止になるはず。 感想の書き方が分からない場合、カテゴリー、アイデア、ストーリー、配役、演技などを分けて観察し、それぞれについて思った事を、一行か二行書いて並べるだけでも、結構、それらしいものになります。

  注意事項としては、コメントとトラックバックは、必ず、受付拒否にしておく事。 映画の感想ごときで、論争など、あまりにも、馬鹿馬鹿しい。 読み手の反応を意識していると、思った事が書けなくなりますし、無視されている間はいいけれど、頭のおかしな連中に喰い付かれて、ろくでもないコメントを打たれたりした日には、胸糞悪くて、夜も眠れなくなります。 キチガイには、近づく隙を与えないのが一番です。